月に叢雲花に風
美しい月が顔を見せたかと思うと、雲が覆い隠し、美しい花が咲いたかと思うと、憎らしい風が吹き散らしてしまう。 とかく浮き世はままならぬことをいう。
【屏風絵「酔芙蓉」小噺】
忘れられるものか、どうして忘れられよう。美しくも妖しく、心を掻き乱すだけ乱して姿を消した、匂やかな蠱惑の花の色と薫りを。
あれは太陽が膿んだ光を振り撒く、夏の真昼だった。芙蓉の絵を描こうと思い立ったのが先だったか、芙蓉のごときまなざしに魅入られたのが先だったか。
肝心な記憶が曖昧なのは暑さのせいだけではないだろうが、兎に角私は気付いたときにはあれの袖を引き、描く花を酔芙蓉に変える決心をしていた。
心変わりを象徴する花と知っていながら、その重たげに烟る睫毛で花笑みを形作る姿に心を奪われた。朝は白い花弁が夕にかけて薄紅に染まる一日花を、誰の目にも触れさせず永遠に飾り留めておきたいなどと、儚くも燃え盛るような想いを抱いてしまった。
酔芙蓉、と呼びかければ小さなかんばせをことりと傾けて微笑む花に、夢中になった。
それからというもの私は太陽から逃げ隠れるように、奥まった座敷で日がな一日酔芙蓉を眺めて暮らした。
昼夜問わず部屋の襖に心張り棒をして、そこで甘やかな蜜に惹かれる蝶と化すのは、眩暈をおぼえるほど甘美な背徳の遊びだった。いつしか絵筆を握ることも忘れ、一心不乱に酔芙蓉を艶やかな着物で飾り立てることに溺れていった。
南蛮渡来の菓子や珍しい絵巻物など思いつく限りの品を贈ったが、ついぞ柔肌に手を伸ばすことはなかった。美しく儚いはなびらが散ってはかなわない。
ただ、私はその奇跡のような美の前で、魂を焦がしていられれば満足だったのだ。
日照雨(そばえ)がはらはらと地面を濡らす午後のこと。綺羅びやかな振袖を乱して寝そべる酔芙蓉は、私が先だって与えた書物に視線を落としたまま、雨よりもささやかにぽつりと呟いた。
──破れた傘が欲しいの。色は何でもいいわ、でも出来るだけ早く。
それを聞いた私は、手枕をほどいて飛び起きた。そして酔芙蓉の金糸のきらめく袖をかき抱いて、おいおいと咽び泣くことしか出来なかった。打ち震えるほどに切なく、狂おしいまでの歓喜が胸の内をかけ巡っていた。
──おまえは、この私と破れ傘を差そうと、それほどまでに想ってくれていたのだな。嗚呼、もちろん、すぐに用意するとも。
この時、私は喜びにうずくまって泣いていた。それ故に知らなかった。酔芙蓉のまなざしが、既に何色に変わっていたのかを。
翌日、早速行きつけの店で紅の傘を買い、帰るやいなや手に馴染んだ絵筆と硯(すずり)を用いて、真新しい傘に大穴を穿っていった。私は笑いながら慟哭し、泣きながら狂喜していた。絵は描けなくなるが、代わりに何よりも美しいひとと共に永遠になるのだ。これ以上の幸福な墓標があろうか。
そうして陶酔したような笑みを浮かべつつ、見るも無残に破かれた紅傘を抱き、酔芙蓉のいる座敷に足を踏み入れた。霊山の湧き水か淡雪かと見まごうばかりの涼やかな薄青の衣を纏った酔芙蓉へと、恭しく心中の約束を差し出す。
それを目にした酔芙蓉が、花弁を綴ったようなくちびるを綻ばせ、晴れやかな笑顔を見せた。その清らかで潔い美しさを前にすると、衝動的にそれを紙の上に写し取りたいという痛みに似た願望が過ぎったが、さすがに往生際が悪いと奥歯を噛み締めて口端を歪ませた。白珊瑚よりも繊細で艶めかしい手が伸ばされ、傘の柄をそっと握りしめる。
あとになって思えば、このとき切なる睦言のひとつも聞けると信じて傾けていた耳なぞ、ずっと前に突いて潰してしまうべきであったのだ。酔芙蓉はきららかな笑みを湛えていた。
──どうも有難う、世話になりんした。どうぞお達者で。
耳を疑うとは、まさにこの時の私のことであったろう。
芳香を伴った微風が脇を通り抜け、遅れてすらりとした立ち姿が裸足で庭に降り立ったことに気が付き、身体ごと振り返る。どこへ行く、何を考えているのだ、などと口が勝手に喧しく騒ぎ立てるのを、他人事のように聞いていた。酔芙蓉は振り向かない。立ち昇る焔のごとき長い髪が、曼珠沙華の花弁のように毒々しく風に散らばって揺らめくのみだった。
そして間抜けな私は、この時になって初めて気が付いた。
酔芙蓉がまっすぐに向かう先、屋敷の裏にあるみすぼらしい木戸の脇に咲く、黒い立ち姿。あれはなんだ、あれが私が護ってきた酔芙蓉の色を変えさせたとでも言うのか。
見ればその闖入者は、物珍しい赤茶けた髪を簡素に流し、喪服であろう漆黒の衣に身を染めて佇んでいた。やがてその者の正面まで辿り着いた酔芙蓉が、否、今ではすっかりと無垢な白から裏切りの紅色へと変じた酔芙蓉が、静かでありながら確かな意思を宿した強さで、私が私達のために用意した破れ傘を差し出していた。ゆらりと喪服の袖が持ち上げられ、傘をしかと受け取るさまを私はもう見ていられず、一目散に座敷へと駆け戻っていた。
部屋の中は残酷なまでに昨日までの夢を遺して、輝かしいままだった。酔芙蓉は散ってしまった。散ってしまったのだ。一度きつく目を瞑ってからそろそろと開けば、目に飛び込んでくる贅を尽くした品々。古今東西様々なところから集めた書物に、今朝切りたての花が活けられた水盆、色鮮やかな屏風に高価な掛け軸、虹色の蒔絵を施した煙管盆、そして仄かに立ち昇る甘い芳香。
その場に倒れ込み、髪と胸とを掻き毟って何事か大声で叫んでいたと後に近隣で噂されるのを、幽鬼にでもなった心地で聞いたことだけは、うっすらと覚えている。
そんな夏がもたらした惨たらしい夢を振り払うためには、悲しいかなやはり絵筆を握るしかなかった。
思うだけで気が狂いそうな記憶を昇華するために描くべきは、きっと酔芙蓉の花のほかないだろう。憎しみは有り余るほどあったが、しかし同時に絵師としての私が、あの日目に灼きついた光景に焦がれてしまっているのもまた事実だった。
何を贈ろうとすぐに飽いてしまい、決して何者にも靡かぬ、高貴な天上の花。それが喪服と寄り添い、清らかな袖を翻して、紅の破れ傘を相合傘する情景を思い描く。思わず、恍惚の溜息が洩れた。なんと淫靡で美しいのだろう。
そして生にしがみついた私は、狂わぬためにこの屏風絵に専念することに決めた。いや、あるいは最初から狂っていて、すべては私がひとりで繰り広げた夢幻なのかもしれぬ。だがそれでも構わない。あの芙蓉よりもまばゆいまなざしとの出逢いが偽りであったとしても、ただひとつの至宝を美しさで飾ることで得た愉悦の花は、今も我が胸の内に咲き誇っているのだから。
たとえこの世が焦土と化そうと、私はこの花と破れ傘を差して歩もう。そしていつの日かきっと、地獄の縁で紅の相合傘と再会するのだ。
《補足》
酔芙蓉の花言葉のひとつは「心変わり」
朝は白、夕方には薄紅色へと色を変える一日花
日本では古くから相合傘を差す恋仲のふたり=心中するの様式があります。曽根崎心中や浮世絵「雪中相合傘」の影響かと思われる。他にも落語でもいくつか。破れた傘は歪で壊れた関係の寓意。
- << 174 リコさん こんにちは😃 屏風絵 酔芙蓉 小噺は絵師と酔芙蓉との何ともエロティックな作品ですね。 酔芙蓉の擬人化はまるで霊界の中で繰り広げられる愛憎劇のようです。酔芙蓉(幽霊)とモノクロームの中でしか生きれない絵師 「無垢な白から裏切りの紅色へと変じた酔芙蓉が、静かでありながら確かな意思を宿した」酔芙蓉の紅色に戸惑う心情が行間に読み取れます。 酔芙蓉の花言葉 繊細な美、しとやかな恋人 とても面白い小噺でした。😊
>> 170
思うだけで気が狂いそうな記憶を昇華するために描くべきは、きっと酔芙蓉の花のほかないだろう。憎しみは有り余るほどあったが、しかし同時に絵師…
リコさん こんにちは😃
屏風絵 酔芙蓉 小噺は絵師と酔芙蓉との何ともエロティックな作品ですね。
酔芙蓉の擬人化はまるで霊界の中で繰り広げられる愛憎劇のようです。酔芙蓉(幽霊)とモノクロームの中でしか生きれない絵師 「無垢な白から裏切りの紅色へと変じた酔芙蓉が、静かでありながら確かな意思を宿した」酔芙蓉の紅色に戸惑う心情が行間に読み取れます。
酔芙蓉の花言葉 繊細な美、しとやかな恋人
とても面白い小噺でした。😊
- << 182 スノーさん、読んで、感想まで書いてくださってありがとうございました 因みに私は娘が書いている幾つもの小説のなかで「酔芙蓉」はかなり好きで、感想を私も書いたのですが、案の定、長くなってしまいました😅 一応、載せますね 目が疲れるのでまた後日にでも、良かったら読んでください
削除されたレス (自レス削除)
読み終えて、しばらくは言葉にならなくてまだぼうっとした感情のままなのかもしれぬけれど、出てくる一言は、『ゆらゆらと立ち昇る陽炎の様な凄まじい情念』
言葉にすると、なんと陳腐なものだろう。
私が受けた衝撃はそんなものではないはず。
最初は絵師と同じくうっとりと、これは現実なのか、否、その様な事はさして大した意味はない。
とにかく同じ様に酔いしれていた。
むせ返るような、芳香、愛おしくて狂いそうな思い。
ありとあらゆる、東西南北の珍品、美品で部屋を一杯にし、酔芙蓉の気を引こうとしていた絵師。
そんな絵師の心をすっかりからめとると、ぽつりと、破れた傘が欲しいと言う酔芙蓉に絵師は狂喜した。、、
とうとう私と心中してくれるのだと。
もしかしたら、絵師は狂っていたのかもしれない、そうでなければ願うあまり、白日夢を見ていたのかもしれない。
しかし絵師が破った紅色の傘を大事そうに持ち渡すと、屋敷の裏の木戸の脇にいた黒い花のような男に真っすぐ進み喪服の男が傘の柄を持ち二人で立っている。
絵師は、酔芙蓉に心を奪われきっとすでに狂っていたのだろう
それにしても、全編を通して香る、むせ返るような香気はなんと凄まじいものだろう。
一人の絵師を狂わせ、その黒き花は地獄への案内人だったのだろうか。
それとも実際には花など咲いていなかったのかもしれない。
スノーさん、ひろみちゃん、こんにちは🍀
今日は天気が悪くてそのうち雨☔が降るみたい、雨はイヤだよね
あ、スノーさんはメイメイ🐸に会えるから嬉しいのかな😄
明日は雨☔で30度ってサイアク😭
ムシムシ、ベタベタするだろうから、長野では今年初のエアコンを入れるんじゃないかなぁ
しかし5月の上旬に30度って😥
この間は朝は札幌より気温が低く、昼間は沖縄より高かったんだよ💦
めちゃくちゃだよね(>_<)
明日はお風呂は浴槽にお湯を入れなくてシャワーだけかも
なんか体調が私も娘も昨日からおかしいの
明日の気温のせいかなぁ😓
明日になれば変わるかも
明日の事は明日で、今日もよろしくです❣️🎵
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