地球が壊れている!!2
地球が壊れている!!2になりました。なんか題名からは、結構それた感じもありますが、またまた書きます。質問や雑談もありですが、私はガラケーの貧乏なただのおっさんなので、たいした事は言えないかもです。異世界ファンタジーとして読んでいただけたら、ありがたいです。最近の物価高で、さらに貧乏になったので、スレを途中で、やめるかもしれませんが、その時はごめんなさい。間違いや失礼な事を書いていたら、ごめんなさい。
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>> 51
続きます。
最後の大災害まで、人類がこれからあうであろう事が、この序文の詩句には、書かれています。その詩句はこれです。
「人々を死に至らせる大異変は時とともに近づく。それは〔疫病〕〔戦争〕〔飢饉〕である。それらは次々に発生し、幾度も繰返しやってくる」
です。この詩句の、私の解釈は、すべて人が関わっているという事です。
最近のコロナワクチンでも、医師の意見は、様々で聡明な医師達は、疫病は、ワクチンが、増やす原因をつくっているのでは?という意見もあります。私も同感です。病気にたいして、治療法を探すのが普通です。予防ワクチンに全力を尽くすのは、異常です。
ノストラダムスの本も、嘘やインチキやイカサマや詐欺やサクラで、被害にあった人は、昔たくさんいて、自己破産者がたくさんでたり、犯罪をおかさない人が、犯罪をしたりしました。
今の地球が壊れているのを、理由に地球に住んでいる人の数を、減らそうと考えて、実行している人達も、私からしたら同じです。ただ地球の資源を、自分達だけで独占して、分け与えたくないだけです。ようするに欲深いだけです。
ノストラダムスの詩句には、そういう人達の欲深さが、書かれています。私がいいたいのは、ノストラダムスの本は、ハズレたと思い込ませたいだけで、じつは本物ではないか?という事です。
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>> 52
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それらの意図を、誰にも知られないように、こんな詩句があります。これです。
「未来の王国は非常に違った形になる」
「もし私がその未来を詳しく説明すれば、今の時代では」
「間違って理解される」
「この予言を信じようとはしない」
「短い言葉で意味がわかりにくく、また幾通りにも読める『短詩』を表現の手段に選んで」
「一定の法則による厳しい難関で理解できにくくし」
「一つ一つが他の詩と関連し合うようにし」
「全体をむずかしい意味のわからない形に編纂して」
「全体の事柄がふさわしいものになる」
です。それだけ難しくしたら、誰にも解けないんじゃないか?と思うような詩句です。私はまだまだ知能が、低すぎるので、全然解けませんが、日本人が解くらしいので、期待します。
あとは、こんな詩句があります。これです。
「私は言葉で話すことも文章で発表することも止して」
「遠くの時代の人々にだけ話すことにしたのだ」
とあります。とても深すぎて、意味が全然わかりませんが、とんでもない意味がある、言葉のように感じます。
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>> 53
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ノストラダムスの人生の話しに戻ります。
だから彼は善意で過去の医学の誤りを指摘した。しかし偏狭で、保身に懸命の教授たちには、それは非難としか聞こえず、地位を追われる恐怖のほうが強くて、あべこべに彼を非難し攻撃した。またペストの流行はほとんど絶えることがなく、まるで風土病といった感じだった。これも彼が大学に残るより自由に治療したり、さらに新しい治療法を研究し、発見できる町医者の道を選んだ理由であった。当時の医者は感染を恐れて流行地は避けて通り、住んでいた者も他の地方へ逃げ出す始末だったから、彼は若くても大歓迎された。そのため仕事にのめりこんで3年が経ち、カルテと医療記録は運ぶのに困るほどになった。
夢のように幸せな3年間
そこで、かねてから新しい医学教育の必要を痛感していた彼は、母校で教鞭をとろうと、1529年10月23日、モンペリュェ大学へ帰り、3年間の臨床結果を公開報告した。その時のことを『伝記』は次のように書いている。
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>> 54
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「彼は、医学博士号を受け、講演を行った。その素晴らしさに彼は拍手喝采を浴び、夕方になると彼のための祝賀と、大学に向かう祝賀行事(パレード)か行なわれた」
今度は大学も快く彼の業績を評価し、医学博士号を贈ると同時に彼の希望どうり講師の席も与えたのである。そして彼の業績と新しい治療法は、ヨーロッパ中で名高くなったが、それがかえって他の教授たちの嫉妬を買って、ことごとに対立する結果となり、ついに辞表を出して、再び開業医に戻り、流行病のひどい地域を転々とする日々が続いた。
そしてトゥルーズで開業医として治療にあたっていた時、当時ヨーロッパ最高の学者として有名な、ジュリュー・セザール・スカリジェールから彼のところへ、彼の新治療法について質問の手紙が届き、それに返事を出したところ、彼に惚れこんだスカリジェールが、折り返しアジャンへ来てはどうかという招待の手紙を寄越した。
アジャンはフランス南西部の交通の要衝。白ワインを始め豊富な果物、農産物の集散地で、からっとした明るい空に恵まれた土地柄。大いに気にいった彼はスカリジェールの引き立てと、自分の素晴らしい医術とで、高い社会的地位をもつ若い名士として処遇され、1534年、土地きっての名門ド・ルゥヴジャック家の令嬢アドリエットと結婚した。
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>> 55
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翌年、最初の男の子が生まれ、続いてまた男の子が生まれた。美しい妻と2人の愛児との暖かい家庭をもち、名医としての名も高く、収入も豊かで、暇さえあれば毎日のように、スカリジェールが迎えの馬車を寄越す。行ってみると彼等2人の名声に引かれて、全ヨーロッパから訪れた偉大な学者や文化人や貴族たちが待っており、世界の最新情報と専門の学問の高度な話題を交換したり、王侯貴族と天下国家を論じあったり、好きな天文学などの最新の情報を聞いたりする充実した日々が続いた。
それは彼にとって最高の夢のような幸福な3年間だった。彼の『予言集』が高度の政治経済と哲学におよぶ、人類最高の問題を主題にしているのは、このときに培われた教養に、厚く裏打ちされていることを、決して見落としてはならない。
ペストで最愛の妻子を失う
だが魔の1537年が来た。一時、鳴りをひそめていたペストが南欧一帯を襲ったあと、アジャンにも猛烈な勢いで侵入してきた。もちろんノストラダムスは昼夜不眠で防疫と治療に奔走した。それは見事に効を奏して、彼が治療した地域の被害は少なくて済んだが、運命の悪魔は彼の留守宅に潜入して、最愛の家族全員の生命を一瞬に奪ってしまった。
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>> 56
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それがノストラダムスに、人間とは何か?運命とは何か?未来とは何か?を追及させることになったのだから、今彼の恩恵を受ける人類にとって、それは幸いだったが、彼自身には耐えがたい悲劇だった。だが彼はそれを乗り切ったばかりか、それを役立てた。そこが彼の非凡なところなのである。
とは言っもそれは後のことで当時はまるで人格が変わってしまった。そのため繊細な神経の持主だったスカリジェールは、同情するどころか彼を毛嫌いし始めた。町の人々も、自分たちが受けた恩恵は棚に上げて、ヤブ医者と罵り嘲笑した。それは彼の恵まれ過ぎた日々に対する、庶民の羨望が生みだした強い嫉妬の表現だったのだ。
異端審問裁判に引き出される
そうした性格は弱者に対しますます残酷になる。落ち目になったノストラダムスは、危うく最後の「止どめ」を刺されるところだった。それは以前、彼が元気に往診に回っていた日、青銅のマリア像を自慢気に見せびらかしながら作っていた町の彫刻家に「君の作っているのは悪魔だ」と、その不出来をからかったことがあった。それを根に持っていたその男は、ノストラダムスが力を失ったと見るや「復讐は今だ」と、彼の言葉をわざと逆手にとって、「ノストラダムスは聖母マリア像を悪魔だといいました。彼はユダヤですから、改宗してカトリックを信じているように見せかけていますが、実はキリスト教を憎む異端に違いありません」
>> 57
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と、当時、口実さえ見つかれば、だれでも彼でも悪魔だ魔女だと拷問して、切り刻んだり火あぶりにしたりして楽しんでいた宗教裁判所へ訴え出た。
異端審問裁判所からの召喚に応じて出廷した彼は「そのマリア像の出来があまりにも悪いので、マリア様の尊厳を傷つけることを恐れて、もっと丁寧に作るように注意したので、彫刻家が事実を曲げて、自分の復讐のために教会を利用しようと訴えたのだ」と抗弁してみたが、教会と馴染みの深い御用彫刻家と、同じ穴のムジナである審問裁判官は、まるで耳を貸さなかった。彼は有罪を宣告され、2審はトゥールーズのサン・テチエンヌ大聖堂にある上級異端審問裁判所で行なうと、出廷を命じられて1審は結審した。
ノストラダムスは、その判決をみて、過去の他の前例と考えあわせた結果、こうなってはいくら無実を訴えても結局は殺されると判断した。また愛妻の実家からも持参金を返せと、患者が1人もいなくなった今の彼には、どうすることもできない難題を吹きかけられてもいた。それに彼を呼んだスカリジェールとも喧嘩別れした今、身内1人いないこんな町にもう用はないと、必要な品を馬に積んで真夜中になるのを待って密かに町を脱出した。
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>> 58
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運命的な流浪の旅
この事は先にもお話ししたが、これから始まった放浪の旅が、彼に新しい世界と人々の生活を見せ、人間が幸福になるには何を知らなければならないか、何を教えなければならないかと考えさせた。それは『予言集』の内容を豊かにしただけでなく、そうしたものが必要であることにも、彼の眼をひらかせる動機になったのである。
彼の足跡は記録にないが、彼の遺作中にフランスの各地から、イタリア一帯とシシリー島に至る各地の薬学者に面接、その業績を調査、評価したものが残っている。
その記録には、フランス南西部のギュイエンヌ地方(現在のジロンド県、ランド県、ドルドーニュ県など)から始まって、プロヴァンス地方(プーシュ/デュ/ムーヌ県、ボークリューズ県、アルプ/ド/オート/プロヴァンス県、バール県、アルプ/マリテーム県)その北のフランス南東部ドーフィネー地方(イゼール県、オートズ/アルプ県、ドローム県)、それからさらに北に飛んでフランス北東部のロレーヌ地方を経て、当時のイタリア全域から、海をへだてたシシリー島までが含まれている。
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>> 59
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当時のイタリア半島は10年間にわたって北部をドイツ軍に占領されていて、1527年以来、たびたび、ローマを始め各都市が略奪にあっていた。一種の無政府状態だったから、ノストラダムスが逃げこむのには都合がよかった。
こうして定住する家のない8年間の放浪の旅が続いたのである。彼はその間に先にお話ししたローマのカピトーリウム神殿の予言集『カピトーリウム神託集』の存在を知った。これが、その時なお苛酷な「運命」に叩きのめされたままの彼に、改めてその「運命」というものを見直させた。
彼は、彼の妻子が死んだ不幸は、決して彼の不注意が原因だったのではなく、それは前もって「決定されていた宿命」だったのかも知れない、と思うようになった。するとそれまで彼の心を責め続け、頑くなに胸を噛み続けていたやり場のない悔恨の苦しみが、スッと軽くなったのに気がついた。
新しい哲学との出会いー”未来が決定している”
「未来が決定している」のなら、妻子の死は彼がどうあがいても変えることのできない「既定の運命」だったはずだ。もしそうなら、彼が悩み苦しんでいたことは、実に無駄なことだった。それは彼の責任でなかっただけでなく、人間の上に必然的に起こるべくして起こることで、何も特別のことではなく、ごく当り前のことに過ぎなかったのだ。
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>> 60
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こう考えると、彼はそれが人類全部にも実に大きな救いであることに気づいた。彼はペストとの戦いで、数しれない多くの悲しみを見てきた。その時、彼は気の毒な人たちを慰めるすべを知らなかった。死を弔う牧師たちの祈りもまた、何の効果もなく無力だった。だか今、彼が悟ったこの考え方は、確かに悲しみを薄くする。
この時、彼は<新しい哲学>に触れたのである。だが、それはまだ仮説に過ぎない。どうすれば、それが正しい事実であると確かめられるだろう?
それは『神託集』などが本当に的中しているかどうか、調べてみれば答えが出る。
彼は私たちが本書の冒頭で考えたことと同じことを考えたのである。
当時のイタリアは、先進ルネサンスの遺産の宝庫だった。無学なドイツ兵が叩き売った先駆者たちの著書と共に、ローマ帝国時代の遺産までが、古本屋や古道具屋の店先でホコリにまみれていた。
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>> 61
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ラテン語が得意な彼には、それは生きた師で、生きた学問であった。彼は先にお話ししたホラポロンの『象形文字の解釈Ⅱ』の注釈を、1548年に書いたが、それも1515年出版の古書がもとになっている。
イタリアはルネサンスの先進国で、それは13世紀から始まっていたが、経済の中心が西欧に移動したため、ノストラダムス当時には下火になっていた。フランスは遅れて16世紀に開花したが、その内容は異なっていた。イタリアは美術と文学中心だったがフランスではヒューマニズム的なものが支配的だった。こうした点に目を向けるとノストラダムスもフランス・ルネサンスにとって、重要な先駆者の一人だったことが分かる。
こうした事情がノストラダムスに幸いして、彼は大量の資料を買い集めることができた。『予言集』が完成した後、教会の誤解を恐れて彼が草稿と同時に資料を焼き捨てたことは前に見たが、それはこうして手に入れたものだったのである。
しかもその量は「燃える火があまりにも激しくて、家に燃え移るのではないかと恐怖した」ほどだった。少しくらいの本を燃やしても、大した火焔はあがらない。家が類焼する恐怖を感じたほどの猛火は、大量の資料が灰になったことを物語っている。
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>> 63
ノストラダムスの人生の話し続きです。
それは、あくまで科学的な<装置>と、現在まだ未知だが、やがて科学的に解明される日が必ずくる人間の能力利用法との組み合わせで行なう<異次元交信>によるものだった。だから彼自身が「過去からあるどんな方法でもなく、未来にしか解明されない方法により『予言集』を書いた」と教えているのには少しの嘘もない。
放浪に終止符、ペスト治療の専門家として再び名声を得る
話を伝記に戻そう。そうした大量の資料を集めた彼は、さらに加えて1544年、待望の『カピトーリウム神託集』を手に入れた。例のギリシャ/ラテン対訳版である。それに目を通した彼は「故郷に戻って、腰を落ち着けて、その研究がしたい」という、新しい衝動を感じ始めた。それは神の御心でもあった。たちまち彼にとっては「奇跡」が、幾重にも重なって相次いで起こり、向こうから彼の帰国を迎えにやってきた。
その第一は、史上有名な「プロヴァンス冬季大洪水」である。
その年の11月、プロヴァンス地方は季節はずれの大洪水に見舞われた。町は汚物が散乱してゴミ溜め同然の衛生状態になり、ネズミが大繁殖してペストが発生したが、それは翌春になると、手のつけられない勢いで広がり始め、とくにその地方の首都エクサン/プロヴァンスで悲惨を極めていた。例によって在来の医者は患者を見殺しにして逃亡し、市民は全滅を待つばかりの状態に陥った。
>> 64
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南欧一帯は、プロヴァンスを逃げ出した人々が撒き散らすペスト菌でたちまち汚染され、医者不足でイタリアにも医者の救援を求めてきた。ノストラダムスはこうした状態を傍観できる人ではない。逮捕されても仕方がないと覚悟してマルセイユに乗りこみ片っ端から治療に当たった。唯一のペスト治療の専門家、神に次ぐ救世主として彼の名声は再び高まり、その噂はたちまち南欧じゅうに広まった。
最悪の状態にあったエクサン/プロヴァンスの市長は、ノストラダムスの過去を知るだけに、断られることを覚悟しながらも、祈るような気持ちで1545年5月1日、ノストラダムスに来援を要請してきた。
ノストラダムスはそれを無視できるような性格ではない。彼はエクサン/プロヴァンスに乗りこみ、患者の救済に全力を尽くした。多くの患者が、死の一歩手前から生き返ったばかりか、みるみる患者が減って行った。それもそのはずで、彼の従来の消毒法のほかに、例の薬学者歴訪の成果である幾つもの新兵器が、新しく加わっていたのである。
科学者ノストラダムスの大発見”安息香酸”
それが先に少しお話しした「在来の解説者が、だれ一人知らなかった重大な事実」。ノストラダムスが単なる医者兼予言者ではなく、有機化学史の最初の1ページに巨大な名を残したルネサンス最大の化学者の一人だったということなのである。
続きます。
>> 65
続きます。
現代になって化学は大発展をとげ、私たち人類はその大きな恩恵を受けているが、彼はその化学の開拓者中でも最も功績のある大恩人なのである。彼は16世紀の有機化学三大発見の一つ「Benzoic acid=安息香酸」と、その抽出法の発見者として、人類が忘れてはならない大科学者だったのだ。
安息香酸という名前は古臭くピンとこないかも知れないが、それは石鹸や化粧品用の、香料兼消毒剤や染色の触媒として、現在まで永く人類に役立ってきただけでなく、人体には無害でカビを殺すので、抗インフルエンザ薬、去痰剤、外傷薬、肝臓試薬、精神安定剤などの医薬や、アンメルツやメンソレータム、サロンパスなど多くの外用薬の主薬として使われているサリチル酸や、塩化ベンゾイルなどの原料として、専門の医薬、家庭薬、防腐剤などとして幅広い用途にいまはますます大量に使用されている、それは私たちには馴染みの深い、こころよい匂いをもった芳香族のカルボン酸の一種である。
彼がペストの対症療法と防腐と消毒とに使った万能薬は、間違いなくこの安息香酸だ。彼は東南アジア産の植物原料から抽出する方法を発見して自分で作り、それを他の煮沸、洗濯、清掃、焼却、隔離、ネズミ駆除などの現代でも通用する防疫技術と併せ用いた。
今日はこれで、間違いや失礼な事を書いていたら、ごめんなさい。失礼します。
>> 68
続きます。
それは奇跡と思えるほどの偉大な効果を発揮して、破滅を覚悟しながらも一筋の望みを彼に託していた多数の市民たちの生命を、死の一歩手前で魔手から救い出した。
このとき彼にとっての、もう一つの奇跡が起こった。イギリス軍がフランス南部へ侵入したのである。イギリスのヘンリー8世は、その前にカトリックと争いプロテスタントに味方していたので、カトリック勢力は逃亡してしまい「異端審問」問題は自然消滅した。以後ノストラダムスは大手を振って、自由に活動できるようになった。
それでもエクサン/プロヴァンスの激務は、1546年2月まで約280日間続いた。そして患者が一掃されたとき、彼はその市では神のような尊敬を受ける身になっていた。しかし休む暇もなくサロンの町の教会本部から、要請の使いがやって来た。
その町でも必死に働いてペストを片づけてホッとした彼は、改めて見る明るいサロンの町が気に入って、ここが永住の地だと心に決めた。だがさらに同じ南仏のリヨン市からの救援要請が待っていた。当然のことながらリヨンでも大成功を収めて、市の上下を挙げての感謝につつまれた後、彼はサロンに戻った。
次に続きます。
>> 69
続きます。
知られていない研究者の顔
1547年、リヨンの出版社が例の『エジプトの神秘』の復刻版を出版して市の大恩人であるノストラダムスに贈った。彼の情熱は再び燃え上がった。こんどこそ腰を落ち着けて研究に打ちこむため、その11月、彼は44歳で再婚した。相手は資産家未亡人のアナ・ポンチア(ポンサール)・ジェムレであった。彼は妻の家に手入れをして3階を研究室にした。その家は今もそこ、ド・ラ・ブワソンリ広場の近くに残っている。
この年、1515年以来フランスに君臨したフランソワ1世が、治世33年で死んで、アンリ2世が即位した。後にノストラダムスが悲劇的な死を予言した、あの王である。
ノストラダムスは1550年に『歴(アルマナ)』を発行し始めたが、それはまだ本格的な仕事とは言えない。彼には他にも済ませておかねばならない仕事があった。それは、彼の本業である科学者としての、それまで書き貯めたノウハウの整理と出版てある。
1552年に、それがやっと日の目を見た。『化粧(Fandements)』という本と、『芳香(Senteurs)』という本の2冊を出版している。これは今お話した彼の科学者としての業績を知っていれば、安息香酸につながるごく当然の著書だと、読者にもすぐお分かりになるが、それを知らないと「あの予言者のノストラダムスが‥!一体、何故‥?」と驚くことになる。
次に続きます。
>> 70
続きます。
先にお話しした1930年に彼の伝記を出したジャン・ミュラとポール・リュブも、やはり意外だったとみえて、「彼は何と風変わりで奇妙な仕事をなし遂げたことか!」と感嘆詞をつけてビックリしている。だがこのことは有機化学史上では2番目の発見として、忘れてならない安息香酸の発見者が、ノストラダムスだったことの明らかな証拠である。
大予言者への変身
ついに彼が、本格的に未来を探る時がやってきた。
『予言集』第一分冊はリヨンで印刷されて1555年3月1日づけで出版されたから、彼が毎夜、その秘密の研究室に篭って未来と対決していた3年の日々は、『化粧』『芳香』の2冊が出る以前から始まっていることになる。彼が昼夜、手を休めない、まれにみる勤勉な学者だったことが分かる。
もちろんその前に、1550年から『暦(アルマナ)』を発行し始めているから、それに入れる天文の解説、その年の星座と天体の位置関係、過去の統計による気象状況の予測、それにギリシャの神託を参考に加えて、その年の豊凶を予言するためにも、彼はその秘密の研究室で、後に『予言集』に発展する仕事を開始していたわけである。
その時、彼は暦の仕事を手がけてみて、彼を最初に教育したあの母方の祖父、占星術を用いて治療に当たっていた医師、ジャン・ド・サン・レミの偉さが改めて分かった。
次に続きます。前の歴は間違いで暦です。
>> 71
続きます。
若い時の彼は祖父ジャンの仕事を、古臭い迷信を利用した一種の詐欺的職業と考えて、むしろ軽蔑していたし、またカトリックの勢力が強くて異端審問の嵐が激しく吹き荒れていた時には、わずかでもユダヤ臭のする「魔法」など冗談にも口にできなかったから、彼は科学指向の近代型の医者になり、それが彼を成功させたのでもあった。
だが、永い臨床医生活の間に、病気には彼の編みだした殺菌治療法だけではどうにもならない心因性のものがあることも、多くの実例で確認していた。そんな患者を診察するたびに彼はいつも、子供時代、一緒に暮らして教育を受けた際に毎日見ていた、祖父の診療室にあった、その伝統的な心理治療法の書物が、今あったらなあ‥と思った。
逃亡者として放浪中の身では、それは単なる夢に過ぎなかったが、今は天下晴れて故郷に戻れたのである。祖父の蔵書が残っていれば、その中には、エジプト以来の天文と統計の資料もあるかもしれない。ぜひとも、手もとに置いて読んでみたい。そう思って彼は末弟のジャンたちに尋ねると、うまいぐあいにかなりの量の蔵書類が手に入った。
そのころジャンは司法省に勤めていて、後にプロヴァンス高等法院の検事になっている。彼は在職中に、兄ミシェルを含む郷土在住の詩人たちの小伝を集めた『プロヴァンス地方の有名詩人伝』を書いて、1575年にリヨンで出版している。
今日はこんなところで寝ます
>> 72
続きます。
人間はいくら巨億の富を手にいれても世界帝国を築いても、死後は忘れ去られ、人知が進んだ後、非難し軽蔑され悪魔の烙印を押される。ノストラダムスはそれをよく知っていた。それは彼が未来を透視できたからではない。生まれながらの知性が彼にそれを教えていたのである。それもまた「決定済み」だったと言ってしまえば、それまでだが‥。
彼はまず『暦(アルマナ)』の発行で、単なる医者としてだけでなく、新たな光で未来を照らす導師として、人々の尊敬の的になっていった。
『予言集』が発刊される前に彼は一種の「予言者」と見られていた。それは現代ならテレビの気象予報担当者とあまり違いのない仕事で、彼のほうが多少、神秘的だっただけに過ぎないのだが。
その神秘の色合いを濃くしたのは、祖父ジャンの遺産から借用した「占星術」のお陰で、それがまた反対に、『予言集』についてのたくさんな誤解を産んで、その真価の正しい評価を、現在まで遅らせてしまったのでもある。だがそのことも、彼は後になって見た「未来」の中で知っていた。『予言集』の「序」と詩の幾つかで占星術を攻撃しているとおりである。
次に続きます。
>> 73
続きます。
『暦』の発行とその成功が、一層予言への興味と意欲を掻き立てたことは奇跡のように、例の『カピトーリウム神託集』以下、多くの文献が揃っていた。それらを参考にして彼は、ありあわせの材料で「神託用の装置」を復元しては、実験を続けていった。
もちろんそれは、始めからうまくいったとは思えない。彼はいろいろ工夫を凝らし、文献にある方法をつぎつぎにテストしてみて、ついに最後に、「未来」を本当に捕らえることに成功したのだ。その情景は先に詳しく解明して、浮かび上がったとおりである。
1555年に『予言集』の第一部が発売されると、彼の生活は一変した。その様子を、J・ミュラとP・リュブの『ノストラダムスの生涯』は、こう書いている。
「リヨンで印刷した第一回の出版は驚くほどの成功をもたらした。世界の人々は、そのプロヴァンスの予言者の作品に関わるすべてを知りたいと望んだ。出版社は彼の指示で八方へ発送するのに追われた。センスのあるすべての人々が特権者に対する敬意を彼に払った。
彼の名声が倍加し激増するにつれて、サロンの町には彼の一風変わった神託を伺おうと、人々が続々とやって来た。このプロヴァンスの小都市では、見慣れないが魅力的な衣装を着た幻覚状態の金持ち連中が、彼の家に押し掛けて階段の上からドアの外まであふれ、数珠をつまぐりながら列を作っているのが見られて、まるで王宮のようだった」
続
>> 75
続きます。
サロンの自宅に帰った後は、また仕事に戻って『暦』を発行し、ついに1080に上る予言詩を完成させ、つぎつぎに出版していった。
その間には、彼の予告通りフランス国王アンリ2世が、彼が『予言集』の詩に描写した通りの情況で事故死するという事件などがあり、彼は再び王妃に招かれるなどして、名声はいやが上にも高く遠く広まった。
自分の死期をくわしく予言
その後王妃と新国王が彼の家まで行幸して、彼に王室顧問官、王室侍医、王室の名代という最高の位を贈った。
従来、彼を浮浪者上がりの奇怪な風貌の予言師と思いこんで、険悪な容貌の下手な肖像を無理に載せた解説書が多いが、真実の彼は、賄賂で地位を得たような低級な怪物ではなく、国王がその人格識見に最高の地位を贈った、実力ある高潔な学者だったのだ。その2年後の1566年7月(今の暦では8月)2日、彼は63歳6か月の一生を、彼のお気に入りの研究室で、好きな仕事に打ちこみながら終えた。
当然のことながら、彼は自分の死についても詳しく予知していた。死のちょうど3年前、1563年7月に、『暦(アルマナ)』に書いた6行詩には、「6月一ぱいの命」と書いたし、その最後の詩も次のようなものであった。
次に続きます。
>> 76
続きます。
大使館より戻り来りしあと。
王より賜りし品々を整理す。
彼のなすべきことは終りぬ。
ただ神の御もとへ赴くのみ。
身近き者、友、はらからは。
寝台と椅子の間に彼を見む。
死の直前の6月。彼は国王の名代としてアルルの大使館へ行き、激しい通風発作を押さえながら帰宅した。彼は死期の近いことを悟って17日に公証人を呼び、遺言書を作成した。30日にさらに遺言書の添え書きを作らせ、翌一日、フランシス派の修道院長を呼んで懺悔を済ませた。
翌朝家人らは彼が予言どおり「寝台と椅子の間に横たわっている」のを見つけた。
その家も墓もともに、今も南仏のサロンに残っている。
これで、ノストラダムスの人生の話し終りです。
加治木義博先生が、具体的に調べた本の内容を、勝手に抜粋して、加治木義博先生、ごめんなさい。ノストラダムス先生の事を勝手に書いて、ごめんなさい。
あと、加治木義博先生、ありがとうございます。
ノストラダムス先生、ありがとうございます。
間違いや失礼な事を書いていたら、ごめんなさい。
このあと私一個人の解釈と、現代にあてはまる、予言の一部を書きます。全部書いたほうがいいかな?よくわかりませんが、迷います。
次に続きます。
>> 77
続きます。
ここからは、私の勝手な解釈が続きます。
まず、矛盾する2つの序文から、書きます。これです。
「私が使った方法は、昔からある、どんな術でも、解明できない。それが可能なのは、未来に発見される方法だけだ」
と、序文のこれです。
「(私の方法は)過去から受け取ったものだ。だが、私は後に残される者のことを心配して、それを読み返した後、ウルカヌス(バルカン=火と鍛冶の神)に捧げた。その火はそれを焼き尽くして、炎はこの世ならぬ稲妻のような輝きをみせ、わが家まで火事で焼失するのではないかと恐れた程だ」
です。私の推測は、その未来を見る方法は、昔ではなく、過去だと言っているように感じます。
昔ではなく、過去と言うことは、古代の方法であったと、いうことです。
古代の資料と、ユダヤ人の伝わってきた、古代の資料で、未来を見ることに、成功したのではないでしょうか?
あと、気になったのが、後に残される者のことを心配してと、ありますが、未来がすべて決定済みならば、未来を見ても、問題ないのでわ?と疑問に思うことと、それをわざわざ、残される者の心配をして、すべての資料を焼き払うということは、未来は良くも悪くも、変えられるという、理論になります。
その技術は、良くも悪くも、恐ろしい技術ですね。
次に続きます。
>> 78
続きます。
それらを踏まえて、新ためて、最後?の序文の詩句を見てみます。
「陸地は世界的な災害の接近とともに水に覆われ、地面は氾濫する大洪水で長い間隠れる。こうした水害のほか、限られた土地には熱をもった白い灰が雨とともに降り、その被害ですべてが全滅するだろう。これは〔最後の大災害〕の直前に起こると考えられる」
です。新ためて見ると、酸素を使い過ぎて、水害が起きて。
陸地が水で覆われるのが、石油の使い過ぎで、星が小さくなるとして、陸地が海に沈む現象だとして。
限られた土地には、熱をもった白い灰は、核爆弾の後に起こる現象だとして。
すべての陸地には、住めなくなると仮定して。
何故その直後に、最後の大災害が起きるのでしょうか?
最後の大災害とは、星の水がすべて消失する事でしょうか?
それとも太陽が消える事でしょうか?
陸地にとっての最後の大災害か?
星にとっての最後の大災害か?
宇宙にとっての最後の大災害か?
わかりません。
それは、3797年に起きるということで、その未来をノストラダムスは、変えてほしくて、この本を書いたのでしょうか?
わかりません。
この話題は難し過ぎるので保留にします。
次に続きます。
>> 79
続きます。
一つ一つ現代にあてはまる、かもしれない詩句を、私の勝手な推測を、書きながら、紹介します。
悩みごとは祈りで救われる。1人きりで静かに神の声が聞こえるまで自問自答すること、神と自分を信じれば成功間違いなし。
です。古い意味で、
祈るとは、
鈴の飾りをつけた旗を持ちながら、幸福に近づくの意味。で、
よくわかりませんが、何事も良く自分自身や自分の心と、相談して鈴を旗につけて、鳴らしながら、幸福を願って進めという、意味でしょうか?
わかりません。
次にいきます。
もう1度、やり直す。その教えを、意味がよく分かるまで、考えてみること。やがて輝かしい未来が見えて不安はなくなる。
です。私の推測は、いくら失敗しても、何度でも、やり直す覚悟をしろ、ヒントになるような、意味をすべての意味で勉強して、どんな意味があてはまるか、考えたら、未来もおのずと見えてくる。です。
わかりません。
次にいきます。
これまでの温室から突然放りだされて、人々はソッポを向く。身も心も不安定だが、他人をあてにせず自力で生きれば幸がえられる。
です。私の推測は、今までは、地球が壊れてなかったので、なんとか楽に楽しく生きられましたが、地球が壊れているのを理由に、ずる賢い人達がたくさん現れて、冷たい事をしてくるので、生活するために、お金を使わないようにして、次に続きます。
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