損な私のひとりごと。

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2024/10/28 17:01(更新日時)

人生思うようには成らないし
今更、どうしようと言う目標もなく
今が平凡であれば、それが1番と思うようにしています。
欲を言ったらキリがないし
あの人もこの人も苦手と思ったら
回りがみんな苦手になってしまうから
常に頭の中を空っぽにして
顔で笑って中身はアカンベェして
それが私流、今日も損な自分と
戦って日が暮れて
そんな大根役者の私です。


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No.3891528 (スレ作成日時)

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No.251

今日は、掃除も何もせず1日寝て過ごすと宣言して先程、起きた所です。
身体のあちらこちらが痛く、このまま何も食べずひたすら炬燵に潜りながら寝て過ごす気でいたけど、食べなきゃ身体が弱るから先程近所の弁当屋さんで「海老カツ弁当」を買い、ついでにコンビニに立ち寄り、コーヒーゼリーとアイスを1個買い帰宅。
帰る途中、初夏を思わせるような清々しい陽光で、なんや、私、死ぬのが近いから、こんなに神々しい気候に感じるのではないかと変な感覚に陥ってしまった。
爽やかな陽気に、そんな風に感じるのは精神も肉体も弱っている時で、流石の強靭の私も昨日はダウンしてしまった。
お弁当を炬燵の上に広げながらまだ食べる気力無く、スマホ開いて、元気付けにミクルに毒を吐こうと自分スレ開いたら1人の方がいらして下さってた。今、死地に赴くような心境の中、共感してくださる人がまだいてくださる。そう思ったら少し回復してきました。ありがとうございます。m(_ _)m


No.252

今、白髪染めをし終えて後、10分待ちしています。その合間に、チョコっと呟こうかなって、ミクルを開きました。
又、1人の方が共感してくださってて恐縮しています。
こんな自分勝手な破茶滅茶文章、それがそのまま私の人生を赤裸々にさらけてるのに有り難い事ですが、同時に申し訳ない気持でいっぱいです。でもありがとうございます。感謝でいっぱいです。m(_ _)m

No.253

今朝は、ナツちゃんが早くから起き出して朝の7時前に出かけていった。
多分、経済新聞片手に株式のなんやらを集中しにスタバに出かけたのだろうと思う。去年の暮から、妊活やなんやらで、ずっと休日の早朝スタバ通いはご無沙汰みたいで土日の朝は10時まで寝惚けていた子が、最近、土曜の朝は息子に孫の脇に寝させて出かけ始めているらしい。
らしいとは、息子の話
孫が生まれない15年間二人だけで生活していた時は、毎週、休日の朝は、ナツちゃん、早朝から、スタバに自分だけの席を確保し2時間みっちりスタバで新聞、パソコン広げて有名顧客だったみたい。自宅では集中できないとかで、ナツちゃんの集中室はスタバと図書館、まるでオッサンだ。(笑)
なんて言ったら、息子に逆に怒られるに違いない。ナツちゃんの、このオッサン主婦が我が家の息子を出世させてくれて、恵まれた生活をさせてもらっているのだと最近になって変人奇人のナツちゃんのイメージを変人には変わりないけど「変人貴人」と私自身が称さぜれないほど、この頃では認めざるを得なくなりました。我が家は息子も言ってますが、女房の顔した男と人生のタックルを組んでるそうで全ての采配はナツちゃんの頭脳で司令が発せられ舵取りは息子だとなんとなく分かってきました。一旦、休んでいた早朝スタバ通い又、再開したってことは何かが始動したのじゃないかと思います。
昨日は春一番の嵐が吹きましたしね。

No.254

私はもう新宿には戻れないと半ば諦めかけています。
65歳から68歳の去年まで働いた高層ビルでの仕事が忘れられなくて働くなら又、新宿で働きたいそれが夢でしたが、やはり無理がもう利かない年齢になったのだと自分の体内老化をハッキリ自覚しました。
働いて居ると仕事に念を入れすぎて身体の内部で起こっている悲鳴を、いつもただの疲労と勘違いして更に頑張ろうとするから倒れるまでやってしまう私の無知さ。
最近では、息子夫婦に新宿行は死にに行くようなものだと説教されるまでに、ならば、悠々自適の隠居婆さんにしてほしいけど、息子夫婦にすれば、家に私を置いてたほうが何かと便利だから、何と言う展開だろうな。「年を取ったら子に従え」とは母が言い遺した遺言だけど、悔しいけど、もう身体がどんどん老いていく、死んだら自分の亡き骸の処理の事も含め考えるとね、やっぱり母のゆうように、老いては子に従えは確かに一理あるのかも。今は、自分のしたいことは出来ない不自由さはあるけれど、経済的になんの心配もしないで良いと言うのは、有り難いことだと思う。家事育児は孤独の戦いだけどそれなりに、自分の時間もいくらでも確保して好きな事をさせてもらえるのだから、臨機応変、これが一番の得策のように思えるようなこの頃です。

No.255

先週の金曜日に舞い降りた春の嵐の煽りをまともに受けて、私の致命傷、右股関節がチクチク痛みだしてヤバいかもと大事をとって3日間、何もしないで寝て過ごしました。
おかげさまでだいぶ回復し、先程、孫を送り届けて今、一休みしながらミクルを開いています。
寝ている間に息子が私の部屋のテレビに、Netflixとスマホからテレビでユーチューブを観られる機能をテレビに取り付けてくれたので寝ている間にユーチューブ観て過ごしました。ユーチューブと読みかけてそのままに放置していた読みかけの本を見たりでほぼ3日間過ごし、すっかり元気を取り戻しました。
なんの御縁か、黒柳徹子さんの事をあまり良く知らず「徹子の部屋」など一人暮らしの時は知るよしもなかったのに我が鬼嫁さんが、徹子徹子と神様のように奉るからいつか私も洗脳されて、同居してから観るようになってしまい、しまいには「窓際のトットちゃん」を図書館から借りてからすっかり感動し以来、ずっと徹子ファンというか生きていく上で学ぶ事が多く今では色んな事で私の生き字引になっています。

No.256

去年の市からの健康診断、受けるの面倒くさいからそのまま放棄していて、もう忘れていたのに、ナツちゃんが、しっかり保存しててくれたらしく、3月いっぱいが期限が残っているとか、私ははじめから健康診断など無視していたので、もうとっくにゴミ処理されていたものとばかり忘れ去っていたのに、勝手に昨日、かかりつけの病院に申し込みの電話を入れられてしまった。
3月の7日ないし8日が空いているそうだけど、まずその前に、問診を記入しに来て貰いそれから受ける日の時刻を決めるとの事で今日の11時半に病院に行く羽目になってしまった。
病院も去年の5月に倒れてお世話になってから、通院するように言われていたのだけど仕事も辞めて家で静養してから普通に動けるのでそれ以来、病院には行っていない、どうせ行けば通院して治療を受けるようにと言われるのがオチだから、原因は分っているのだもの、その根源を断てば改善されるのは百も承知していながら、ちょっと良くなると又、癖が出るの繰り返しで今日まで生きながらえて来たどうしょうもない私。ナツちゃんの命令には背けないから仕方ないか、今日、問診行って来ます。
1年に一回、良くも悪くも自分の身体を知る必要も大事かもしれない。
嫌だけど行って来ます。
しかし、何でも大事に取っておく我が家の鬼嫁さん、まさか去年の私の受診の封書、取っててくれるなんて、そんなに私の身体の中を知りたいのかなぁ。

No.257

昨日は立っているだけで汗が滲み出たほどの陽気だったのに今朝は、打って変わってこの寒さ。
実は昨日は歩いて30分の所にある、病院に市の健康診断の予約問診に行って来ました。
今思うと病院が遠いだけに晴天の昨日で良かったと外の雨音を聞きながらしみじみ思います。
今日は有り難いことに、リモートワークが主だった息子が会社に出向くようになり帰りもほぼ深夜が殆どで日中は、のびのび好きに活動させてもらってます。
とは言え、いつ息子が戻るかは分からないので、清掃と軽い食べ物だけは作り終えてそれからは、誰はばかる事なかれ我が身の贅沢をさせてもらってます。
今日のように雨の日は心が凄く落ち着くので自分部屋の炬燵に潜り外の春雨を眺めながら珈琲を飲みながら、昨夜、ナツちゃんが買ってくれた「桜どらやき」なるおやつを食べる所です。
こんな自分だけの静かな時間、数時間後には破壊されるから今日は時間いっぱい、スルメイカのように伸びて伸びて噛みしめて味わおうと思います。

No.258

考えたら私、健康診断は会社で受けて、それでおしまい。その時の結果で再検で病院に行くように言われても行った試しなし、ことごとく無視し続け、それで何十年過ごして来ました。
理由は一つ、生活苦で医者にかける費用がなかったから、ただそれだけ。
たまたま一緒になった、あの人が、あまりにも強靭な生命体で、具合が悪いなんて言おうものなら「おまえ、一体、どんなお嬢様育ちしたんだ。さして金持ちの育ちでないのに」と卑猥なことを怒鳴る人だったから、それからは、こたえていの不調は忙しさの中で忘れることにし、地獄の日常の中で気がついたら元に戻っていたという人が聞いたら絶対、信じては貰えないそんな結婚生活をしてきました。だからでしょうか、我が家の息子も医者嫌いで、歯医以外行っていません。仕事柄、暴飲暴食が多く身体の内臓は相当悲鳴を上げているはずなのに、私と同じで健診の忠告を無視しし続け、それで
日々、遊んでいるかのように元気で仕事に奔走しているのですから。人間の身体と言うものは不思議ですね。
しかしやはり、年を取ると若い時のようには行かない事を私は今になって感じ始めたので、ナツちゃんのすすめもあり、このさいだから、徹底的に検査お願いしてきました。結果が怖いけど、今更、どうなろうが、なったらなったで、なんとか生きれるような気がします。

No.259

いつだったかしら、川崎麻世さんと、ガクトさんの対談で、この御二方、テキーラ祭りを豪語する最強酒豪者とお聞きしましたが、その酒豪と自ら名乗った麻世さんが、ある日、いつものようにグラス一杯のお酒を飲んでその場に倒れたんだそうです。たった一杯のお酒でです。
緊急搬送されて医師に言われた事が「麻世さん、60歳という年齢は、こうなるんですよ。」と言われた、ハッとしたそうです。自分は還暦にはいっていたんだ、俺はもう若く無いのだ。って、ガクトさん、笑っておられたけど、私には麻世さんの仰ることほんとにしみじみ良く痛いほどわかります。
笑っていられるガクトさんはまだ50代でお若いから、しかし逸れから10ネン後に必ず一気に訪れる、年代ごとの内臓の劣化。
私もね、調子こいて昨年の暮に、不平不満爆発抑えるために飲み慣れない贈答用に息子が頂いた、日本酒とウイスキー、チョイ飲みから始まって、ドンドン深酒になり、今年に入ってから胃腸の不調和音に苦しみ悶え1月半ばからずっと体調不良、原因がキッチンドリンカーしかも息子の物を盗み飲みときてるから、自分の身体も息子夫婦もだましだまし、1か月半過ぎてようやく胃の具合が戻りました。お酒は一滴もあれ以来のんでいません。今はアルコールの匂い嗅ぐだけで、オエッですから。それでて体重減らないから可怪しいとおもいませんか。
ねぇ。

No.260

今日の「徹子の部屋」のゲストは藤岡弘さんなんですが、ビックリしました。
お子さんが4人いらして、皆さん、凄い美男美女で、皆さん、偉ぶったところがなく凄く素直で凛々しく清純、いい御家族だなぁって思ってたら、藤岡さん、結婚されたのが55歳で現在78歳だそうです。
えー😳
凄すぎ❗と言うか、78歳なんて見えない。
何より御家族が皆さんとても素敵すぎる幸せなお顔されてる。
涙がジーンとこぼれました。
78歳か、年齢じゃないのだな、私、母が68歳で亡くしているから(産みの親は32歳)今は母と同じ年なので、これがずっとネックになっていて、2人の母が2人とも早く亡くしているので私も今の年齢を超えられないのではと弱気になっていたのですが、今日、藤岡さんを観て元気でました。やる気少しづつ沸騰してまいりました。

No.261

我が地域は班事に1週間づつの分担でゴミ置き場の清掃をすることになっている。今週は我が家で、清掃車が取りに来て引き上げた後に清掃をするのだけど、今週は雨や風の日が多く大変だった。
しかも曜日も分別も守らず1つの袋の中に、様々な物を突っ込んで出す人がいていつも迷惑をする。
今その分別をしてきて、これで我が家の当番は終了。都会も田舎も決まりを守らない人は何処にも居るのだなぁと思いながら、私が不思議に思うのは、その場合、袋に市から赤い縁取りの注意書きが貼られていても当番の人は誰も入れ替えもせず、そのまま放置して置く事、それがドンドン増えて、しまいには業者が持っていくそれが当たり前がこの地域みたいだけど、うちの隣のAさんは、50代の女性だけど、この方に次のゴミ当番の札を引き継ぎに持っていくと、そう言う置き去りが許せない人で、自分が当番の時は中を分別しないと腹の虫が収まらないタイプ、従って私もキチンとしないとAさんも納得しないので先程、分別を済ませ綺麗に整列させて今一度、ピカピカに路面を掃き清め水を打ってきた。
あとのノート記録と説明のAさんへの引き継ぎは、ナツちゃんの役目。
それくらいしてもバチが当たらないぞ。
たまには貴方もしなさいと思いながら、家に居るのは私だし3年間やった清掃の仕事の癖が行動になってしまう。本当に損な私。

No.262

今月は3連休が2回もある月で、息子家族と家の中で、過ごすきかいが多かったけれど、体調がずっとすぐれないので、とにかく連休は孫は息子夫婦に預け寝させてもらった。
今週も3連休だけれど金曜日の朝に、ナツちゃんが、寝ている孫を抱いてきて「お母さん、起こさないで連れてきた。保育園お願いね」と寝ている孫をソファーに置き出勤して行った。しかし目覚めた孫が元気がなく、食事も何も食べようとしないので額に手をやると熱い。
びっくりして体温計で熱を計ると38度9分もあるし、幸いにも息子がリモートワークで家に居たので車で送って貰えたのだけれど、小児科に着いて熱を計ると36度7部と平熱、医師は一旦、自宅で様子を観て再度、高熱が上がるようでしたら3時から発熱外来の予約を受付ますから来てください。との事、外は冬に遡る程の雪がちらつく極寒、しかも雨も風もという最悪な気候。
その中を孫を抱き外で待っている息子の車に乗り事情を話す、もし高熱が出たら、この天候だから私はもう連れて行かれない旨を伝え息子も了承してくれた。
自宅に帰り、そのまま孫を寝かせて、2時間くらい飲まず食べずで、ますますぐったりしているので熱を計ると39度、びっくりして会社にいるナツちゃんにラインを送ると、流石に慌てて「分かった帰るから、でも直ぐに帰れないから、急ぎの仕事終わらせて帰る」との事。責任職とはいえ、そこまで仕事やりますかしらね。

No.263

結局、2時間後に彼女は帰ってきたけれど、ちょっとどうかと思う嫁さんだけど孫に取ってはかけがえのない大好きなママなんですね。熱に浮かされながら嫁さんの顔を見たら「ママ、ママ」って目にうっすら涙を浮かべ甘えていました。
どんな母であれ子供にとって母親は一番大切な存在で母に代わる者はいないのだと、嫁さんへの苛立つ感情は消えてしまいました。結局、孫は発熱外来で検査を受けましたが、コロナでもインフルでもなく普通の風邪と判明し一安心しました。
気候のアンバランスが原因のようです。
孫はナツちゃんにお任せして、この3連休も私はゆっくり寝させて貰っています。外はお天気が回復して陽射しがカーテン越しから部屋にさして来ました。

No.264

明後日、健康診断と全てのガン検査、それからB型肝炎や、骨密度の検査を受けることを決めたばかりで、まな板の鯉の心境で気持ちが弱っていた所に山本陽子さんの急な訃報…

この2日に「徹子の部屋」で高橋英樹さんと山本陽子さんがゲスト出演だったんですもの。
その時の山本陽子さんのお話を聞いて健康に人一倍気を使われ、1日一万歩は歩き、外出控えめの時はマンション内を、5千歩歩いていらしたこととか、東京を引き払い熱海の別荘を終の棲家とし、1日食事は二食、体に良い食材を自ら手料理して食べるのが日課にしているとご自分の手作り献立を公表されていたのに、訃報のショックは私には打撃でした。
歩くこと、行動すること等は、私が目標にしているだけに、どんなに健康に気をつけられていても、こうならざる現実に言葉になりません。
山本陽子さんが尊敬されて母親のように慕われていた故宇野千代さんもかっては「生きる事は行動すること」と言われておりました。
老いは足から来ると、宇野さんは青山のビルの6階のお住いに向かうにもエレベーターを使わず98歳の倒れられるまでご自分の足で階段を昇り降りされてました。山本陽子さんも、宇野千代さんの生き方そのものをモットーとされてたに違いないと私は思います。
山本陽子さんは多分、ご自分が亡くなったことさえ気づかず逝かれたような気がしてなりません。

心から御冥福をお祈り致します。

No.265

今日は雨の日曜日。
我が家の嫁さんは、昨日は1人でスーパー銭湯に行き、今朝は早朝から寝ている孫を部屋に置き早朝からスタバに出かけていった。
いつもの事だけど、この1人行動の習慣は死ぬまで治らないのだろうと思う。
これから二人目が仮に生まれても続行するのだろう。
新婚の時から続けて来た瞬間なんだそうだから、まぁ、勝手にすりゃあいいさ。
1人の時間が必要なのは私も同じだから、しかし世の中の今どきの若いママさん方は皆さん幼いお子さんがいても、こんな自由奔放に好き三昧されているのだろうか。これが普通の今の世代だとしたら、なんて今の方々は有意義な子育て世代なのだろうと思ってしまう。
ナツちゃんは先程、帰って来たけれど、孫はまだ爆睡。そりゃあそうでしょ。毎晩12時近くまでリビングで、バカはしゃぎしておるのだから、朝は孫が起きれないのは当たり前だし、11時には孫のトランポリン教室に夫婦で連れて行くから、ナツちゃんが帰宅した所で私は自分部屋に戻らせてもらった。
早く孫を起こして準備すれば良いと思うけど年寄は口にチャックが一番。
子育ては若い2人、若くもないけどさ。
もう40夫婦だもんねー🤪
私は私の役目だけ、あとは好きな事をさせてもらいまっせぇ🤗

No.266

しかし、こんな、しっとり雨の日は、なんかね~
昭和の何もなかった当時を思い出しちゃいます。
今、朝ドラの「ブギウギ」に傾倒しているから、それまで淡谷のり子さんなんて全然、興味無くて、現役で活躍されてる当時から私には苦手なタイプの方だった。威厳があって近寄りがたく、まるで妖怪人間ベムに出てくるあの女性に見えたものだったけど朝ドラを毎日、拝見するに連れ、凄い方だったんだなぁと今、ブルースにはまっています。
窓の外の、雨に濡れた景色を見ながらユーチューブでの淡谷さんの「雨のブルース」を聴きながら、その美しい歌声と、何と言ったって歌詞の内容に、一気に昭和のあの時代に引き戻され恍惚老人しております。だって歌詞がこうなんですもの。
「雨よ降れ降れ悩みをながすまで
どうせ涙に濡れつつ夜ごと嘆く身は
あぁ、帰り来ぬ心の青空、すすり泣く夜の雨よ。
暗い運命に裏ぶられ果てし身は
夜の夜道をトボトボと
あぁ、帰り来ぬ心の青空
降りしきる雨の夜よ」うーん
だけど今の私は、暗いの嫌いなんだ。
嘆いたら起き上がるのさ。
年とともに今は令和の時代だから。

No.267

うるさい、ギャートルズ家族はトランポリン教室に車で出かけていった。
トランポリンが終わったあと、そのまま南浦和だか、さいたま新都心だかわかんないけどキッズの遊具が沢山ある、何とかというレジャーランドみたいな所に遊びに連れて行くと言ったから2時頃まで帰っては来ないから、やったね
私のお一人様時間ゲットでございます。
玄関まで、ギャートルズ親子をお見送りしてから、お弁当屋さんに直行、豪華な幕の内弁当を買ってコンビニでスイーツ買って今、食べ終えた所です。
おかげさまで胃の調子は1か月半かかってようやく完全に回復と私は自己診断しているのだけど、明日は健康診断とガン検診、今夜からは食事は摂れず水だけなんだから、ギャートルズが消えたあと、食べたいものを速攻買いに走った訳です。1時、胃の不調和音で食欲あまり進まなかった割に体重は減らず1か月半かかって通常になったってことは去年の暮から正月の間に、ギャートルズが実家に揃って居なくなってから、これ幸いに暴飲暴食挙げ句に飲み慣れない日本酒をガブ飲みした結果、胃が荒れたのだと思う。完全に修復するまで1か月半かかりました。明日は健診のだし、これで悪い結果が出たら出たで腹を決めればいいし、私は、どうなろうが、ケ・セラ・セラで行こうと思う。


No.268

今日も心良く、寝て曜日させてもらいました。寒く炬燵が部屋にあるこういう時期は自分部屋に入ったら炬燵に寝るのが一番、足元が温まると自然と寝てしまう。しかし昼寝すれればするほど、身体が動かなくなるような気がします。
寝すぎて頭はボォーっとするし、全然シャキッとしなくなっている自分に気づきました。やっぱりこれじゃ、惰性に陥って身体も心も衰弱してしまう。疲れたら少し横になるくらいが良いのだと今日ほど寝過ぎて思ってしまった。
そして寝ながら考えたのは健康健康とアチラコチラで聞くけれど体に良いものを食べて健康のために身体を動かし足を鍛えても、突然亡くなる人の何と多いことだろう。逆にナツちゃんちの父親は俺は死ぬ俺は先が短いと言いながら、一向に死なないじゃない。それどころか、長男を脅迫してお金を巻き上げ現金で何十万もする補聴器をつけ車を買い挙げ句に、ついでに白内障も手術して耳は聞こえる目は物凄く良く見え、ドンドン若返って元気になってるそうだ。
最近では新しいパソコンを買ったみたいでその操作の仕方を、家の息子にしょっちゅう聞いてくるのを見ていると、聞く相手はお金を巻き上げた自分の長男に聞くのが当たり前だろうにと思ってしまう。長男に送金させた2百万なんてこんな使い方していたらもうほぼないのではないかと思う。向こうの長男さんが「親父は金が貯められない男だ」とナツちゃんに愚痴る気持ちが良く分かります。

No.269

同居3年にもなると、ナツちゃんの実家のご両親の事が良く分かるようになった。とにかくお金や、物に対しては異常なくらいのどケチで娘の出産祝や初孫の誕生などその他諸々のたとえば、今の新築を購入した際も祝い金など全く出さない親だった。しかしながら金は無くて出せないが引っ越しの手伝いは俺が引き受けると、言いながら新幹線往復代金は、全てうちの息子がしはらったそうだというかそれが当たり前なのだとか。
手伝いに来てくれたは良いが、体重が100キロもある巨大でありながら、持病の糖尿病、腎臓病、通風、高血圧、膝に水が溜まる等のありとあらゆる病を持っているだけに少しでも動くと動機息切れ多汁し、かえってまわりの邪魔になり、外に気分転換に観光気分で自転車で外に出かけたら、途中でリタイア、タクシーで帰って来たそうだ。1週間滞在するつもりが、たったの2日で言うことには「俺の身体では、この家は狭すぎる。頼むから家に帰してくれ」と言ったそうだ。自分から金は無いから身体で力仕事を引き受けると言いながら、逆に身体が動かずしかしながら遠慮なく大食、大飲みだけはしてこれでは食い逃げじゃない。結局、暴飲暴食と自慢話だけして土産と切符代、引越の手伝いの礼金として息子は新幹線代金と別途で五万円渡したというから、まるで詐欺じゃない。
こんな人だからストレスなく生活習慣病複数抱えながら、しゃあしゃあと生き抜いているのだと思う。

No.270

なんかね~😮‍💨
又言い過ぎちゃったなぁ。
言っては反省し
書いては溜息ついて
どうしようもない私
なんで賢く胸のうちに
しまって耐えられないのかなぁ。
だって人間だもの
まだ反省できるだけ
私は自分に救われてる
へんな言い方ですが。

No.271

明日は健康診断とセットでガン検診
68歳も最後の年に生まれて初めてガン検査、怖い。
でももうこれからはどんなに気をつけようが節制しょうが確実に身体は老化し続けていく何も知らないよりは自分の身体の中を知る事は回りの家族にも心配かけないためにも必要なのだとこれからは定期的にきちんと受けることにしよう。
良く私の体持ったと思う。
アチラコチラの数値は上がり放しなのに無視し続け放置していた実は知るのが怖かった臆病だったに過ぎない。
明日の検査が終わって、数値は相変わらずでも持ち堪えられるなら、新たに何かに挑戦しようと思う。
68歳という年齢は母の亡くなった年齢でもあるので私ももしかしたら母と同じ68歳で死ぬのではないかと思ってきた。あと1週間で、誕生日が来る。
検診で、可もなく不可であっても特別悪くなかったら、生まれ変わったつもりで人生、新たに踏み出したいと思う。
明日全ては明日。
起きてると何かを食べてしまいそうだから今夜はこれで眠ります。
おやすみなさい。

No.272

起きて直ぐに2回目の検便を済ます。
昨日は二回目の検便をしながら、うっかり、おしりを上げてしまったら見事にウンチが流れてしまった。
今のトイレおしりを上げてしまうと自動的に流れてしまうのを考え事をしていて忘れてしまっていたのでした。
今朝は病院指定の検便用のトイレの中に入れる検便用の紙を昨日流してしまったので、孫の紙おむつを拝借してその中に用をたしてなんとか摂取、朝から、妙な気分でした。
今朝は雨も降らず、快晴。
助かった。歩いて20分の距離だから雨だと大変なのだ。
終わったら帰りは、いっぱい食べよう。

No.273

まいったなぁ😮‍💨
朝食作っていて、味見して口に入れてしまった。😰
毎日の習慣はなんて恐ろしい
イヤ、もしかして習慣で無くて
すでに痴呆がでてるのかもしれない。
こちらの方が恐ろしい。
今日のレントゲン
少し口に食べ物入ったけど
ヤバいかも😓

No.274

あ〜ぁ、疲れた❗
昨日は健診と大腸がん、肺がん、乳がん検査の触診、骨密度の検査一通り済んだけど、乳がんのマンモは浦和までいかなければならず今日の3時に受けるはずだったんだけど、なんせ田舎者でバス2つ乗り換えしなきゃならず2つ目のバスを乗り間違えてとんでもない所まで乗り継ぎ結局、予約の時間に間に合わず今回は見合わせる事にしました。
いやもう、受ける気なく、このままキャンセルしようと思う。
昨日今日ともの凄い暴風でそんな中を昨日も今日も一万歩有に歩き通し今日なんかは道に迷い一万なんか遥かに超えて万歩計をみるのも嫌になった。
昨日のバリュームが今朝まで腹痛を伴い、散々、ナツちゃんに、トイレがバリュームで詰まるとイチャねんつけられて、そのたんびに、トイレのラッパみたいな吸引棒でスコスコやって、通りを良くし、嫌な思いばっかししたつうのに、ナツちゃんのやつ、4月に健診があって40になったから今年からバリュームデビューをするんだと、飲めば人の気持もわかるとゆうものよ。今から楽しみ。笑笑
何事もやってみて初めてこういうものかと分かるのよね。まぁ、あの子は分かる
まで時間かかるだろうけど。いや、分からないだろうな、だって彼女は宇宙人だもの。金星からきた「金ゴン」だから。
ハッハッハ。
さて買えるかな、いっぱい食べまくったから。

No.275

昨日、一昨日の暴風が嘘のような今日の快晴。
よりによって何で私の検査日が2日間ともに暴風だったんだろう。
まるで受ける資格がないとでも言われてるような気分。
今までちゃんとしてこなかったツケなのだろうか。ちゃんとしたくてもできなかったのだもの。
離婚と言うのは弱者の女にはこんなにも過酷なんだなぁとは百も承知の覚悟で分かれたんだけど予想を通り越して悲惨な毎日だった。不思議と分かれられたことが嬉しかったから、貧乏なんか、何も苦にはならなかった。
しかしながら病院にはかかる余裕がなかったから体調の悪い時は寝てしまうに徹して、いつの間にか自然治癒していた。50代は若かったんだなおとしみじみ思う。
流石に70歳を目の当たりにすると50代の時のような無茶振りは死活に繋がるのが良く分かったから、やっぱり母が言うように「老いては子に従え」は一理あるかもしれない。強いて言えば私んちの場合、我が子でなく「老いては嫁に従え」が正解だけど。😤

No.276

結局、明日、乳がん検査マンモに行く事になりました。
嫁さんの金ゴンに、お金全額払ってるんだから行くのが筋と説教されて、明日は孫の送迎は金ゴンがするとの事でして、今夜はしつこいほどにバス乗り場と何番線に何時のバスで着いたら、どのような経路でとか、くどくど言われ続け、ようやく今、解放されて、自分部屋に引き上げて来たけど、金ゴンに教えられた事、もう忘れてしまった。
だって、煩くて早く終わらないかなぁ何てことばっかり考えていたから全然、頭に入ってないし、金ゴン自分は若いのに乳がん検査まだやったことがないそうです。やったことがない者が、こんな年寄りに、執拗に行け行けと宣うのは変な事だとは思いませんか。😤
でも、行けと言ってもらえるだけ、有り難く思わなきゃいけないですかね。やだけど行ってまいります。
ペッチャンコのオッパイ恥ずかしいんですよね。😮‍💨

No.277

マンモの検査に浦和に来ています。
検査は3時からだけど、この前みたいに間違うから早め早めに、金ゴンの遠隔操作の監視下の元、今朝は10時半には着いて2番目乗り継ぐバスの時刻とバスを確認して時間でかなりあるので、なんとかと言う横文字の喫茶店に入ってコーヒーとナポリタンを頼んで先程、食べ終えました。
久しぶりに食べたナポリタン、期待はしてなかったのに一口食べたら、超❗美味しいってゆうか懐かしい味が、昭和のナポリタンの味なんですもん。幸せ〜
🤗
直感で入ったこのお店で良かった。
さて2時のバスまで何してようか。
ブラブラするのもたのしいもんですね。
ブラブラってゆったら私は今日はノーブラできたんだった。
外は快晴でもまだ寒いです。
私のノーブラの胸も寒くてなおさら、ちぢんでしまったみたい。
あ〜ぁ、行くのやだなぁ。😮‍💨

No.278

マンモグラフィ、まるで拷問みたいだった。ペッチャンコのオッパイを引っ張ったり伸ばしたりして挟むんだもの、挟んで撮影するまでの僅かな時間が、かなりシンドかった。
検査は、どんな検査でも大変ってことをしみじみ感じた2日間でした。
健康ほどありがたいものはないと、つくづく思いました。
全ての検査の結果は4週間後だそうだけど、結果がどうであれ、今後は反省して節度を守りもっと自分の身体を大事にしようと思いました。
今までよく、病院無しで生きて来られたよね、本当は危ない時の方が多かったんだろうけど、そんな考える暇がないほど「稼ぐに追いつく貧乏暇なし」をやっていたから、倒れたらそれでいいやと明日がどうなっても今を生きる事に必死だったから、良く生きて来れたなぁと思う。
今は素直に検査を受けさせてくれた、
萬田銀次郎みたいな息子と嫁さんの金ゴンに感謝しています。
イヤダイヤダと逃げながら受けた検査だったけど受けるほどに生きたい意欲が沸々と湧いてきました。
身体を大事にしたいです。

No.279

69歳の新しい朝が来た。
私が44歳の時に母は68歳でこの世を去った。
それも、あっという間に。
仲の良いお友達と一泊旅行して帰って来て3日目の朝に、一緒に目覚めた父が母の顔色を見て思わず叫んでしまったと言う。
色白の母の顔が真っ黄色かったから。
それも眼球まで。
かかりつけの病院に慌てて駆け込むと、
医師は直ぐにレントゲンを取り、そのまま市民病院に行くように紹介状を書かれたそうだ。
亡くなるまで現役だった母は、着替えのためとお世話になった、家政婦所の所長さんや、近所の人、3日前に旅行に行った友達等に入院の報告をして、着替えや洗面道具など紙袋に入れて、オロオロする父をよそに、のんびりした感じでタクシーに乗り、まるで又、旅行にでも行くような感じで家を後にして母は、その1か月半に帰らぬ旅に逝ってしまった。
病名は「胆管上皮癌」何故、一滴もアルコールを飲めない母が肝臓癌にならなきゃいけないのか、それも、何故、余命1ヶ月なのか、即頭に浮かんだのは、キッチンドリンカーの私に対する天の仕置きだと、私を召すのではなく私の大切な母を天は罰をくだされたのだと、あの時の衝撃は一生忘れる事ができません。
私も68歳で死ぬ❗その呪縛の中で生きてきて去年の5月に倒れた時、腹を決めたのに、でも無事越えられた。
生かしてもらった命をこれからどう生きればよいのか。
とにかく69歳になることができました。

No.280

よりによって私の誕生日に孫が熱を出してくれ昨日はトランポリン教室を休ませ休日診療センターに駆け込み一応、風邪と診断、結局、今日は孫は保育園お休み、私が小児科に連れて行く羽目になった。11時の予約だからそれまで待機中、なんて誕生日なんだろうなんて思いながら、これが孫からのプレゼントだと思えば、まぁ、いっかぁなんてモード切り替えています。
誕生日と言えば嬉しかったのは、昨日の早朝から夜にかけて、次男、三男の他に田舎の元職場の悪友戦士達から続々メールを貰い年を取るのは孤独だけど生まれた日を祝ってもらえるのは実に嬉しいものだと思う。一緒に働いている時はそれが定例の一過性の儀式みたいでお互いやり取りしてたんだけど、こうして他県に来てバラバラになりながら4年も欠かさず悪友が祝って貰えるのは離れているだけに切実に嬉しいです。
祝いの内容は、相変わらず、イジられメールで悪態ついてくるけど、それが又嬉し涙がこぼれます。
家では孫に振り回されのバースデーだったけど、その間に立ち代わり入れ替わり送信してくれる悪友のなんとも有り難い発信音でした。
仲間って本当に有り難く思います。
会えば憎まれ口炸裂の仲間達なんですけどね。

No.281

今朝は小雨。
私の誕生日から風邪を引いてくれた孫のお陰で昨日は孫を連れて小児科に行き今日も1日、用心の為に園を休ませる事に、孫は39度の熱がありながら病院から帰って来てから安堵したのか騒ぐ騒ぐ、騒ぎまくってくれた。
今朝は今日も園を休めるから安心して今だに起きて来ない。
金ゴン(嫁さん)は今朝は寝ている孫をそのままにしていつもより早く7時に出勤して行った。
夜はレディースクリニックに池袋に行くので帰りが遅くなるとのこと、申し訳ないから生ゴミは今日は自分が出すと言って出勤する時に持って行ったけれどゴミぐらい普通は出すの当たり前だと思うけど、そう言ってくれるのだから有り難く生ゴミ出してもらうことにした。
 銀次郎(息子)は昨夜は夜中の1時半に帰宅、孫も銀次郎も轟音の鼾をかいて寝ているし、あの爆音の中で起きもしないで寝ている孫も大したものだと思う、幼児の時から、そう言う親の元に一緒に寝起きを共にしていると慣れるものなのだろうか。
金ゴンは、実家の父親の鼾を嫌い結婚してからは銀次郎の鼾で新婚の頃から部屋を2分して現在に至るのだけど金ゴンは、鼾を敵視しながらも鼾から逃げる事ができないのだ。書くて姑の私も実は鼾をかくみたいで自分ではわからないのだけど金ゴンに言われて気づきました
金ゴン曰く「私は鼾と縁がきれない、拷問だわ」と嘆くけど逆に言えば、いつでも縁を切ってもらいたいのはこっちの方だわよ

No.282

今日を持って、ちびっこ怪獣から解放されると、ルンルン気分で孫の仕度をしていたのに孫が「ババ、お鼻の中が気持ち悪い」と言うので鼻水でも出るのだろうとテイッシュを鼻に充てると出てきたのは鼻水でなく鼻血だった。
それも心臓側の左の鼻からだけ。
子供は男の子は良く鼻血を出すものだとは祖母や母が言っていたけれど、去年の春に川崎病を発症して発見が1日遅れていたら命が危なかったと言われた経緯があっただけに、ついつい神経質になってしまう。熱を計ると38度5分と高く、直ぐに出社した金ゴンに事の旨を連絡するも、金ゴンは仕事柄、株価の上がっている今、熱病にかかっているので、小児科に予約をいれるから、その時間が来たらタクシーの予約も入れるからお母さん頼むとのこと、リモートワークの息子は、こういう時は家に居ないという運の悪さ、しかし昼の1時までには帰れるとは言いながら、男親なんぞ居た所でなんの約にも立たないし、やっぱり母親に限ると思う。金ゴンは合理的思考で人間はそう簡単には死なないと思っている節があり川崎病を克服してから逆に免疫が強化したと勝手に思っているくらいだから今回も全く気にしている風でもなく、金融、株、数字に翻弄されている、でも今回は、鼻血と熱と長引く様態に一抹の不安があったので
呑気な金ゴンにメールで「今回は何かあっても私のせいにしないでよ❗」とキツく文字だけだけど物申し、帰って来て貰いました。

No.283

孫は昨日の検査の結果、インフルやコロナでもなく、もちろん川崎病の心配は全く無く、ただの風邪と診断され薬だけ変えて貰い、家に帰って来たけれど咳が止まらず、園の規則では咳は回りの園児に迷惑とかで咳が収まるまで今週いっぱい休ませる事になりました。
午前中、リビングの中、所せましとはしゃぎ回り、12時半に寝てくれて私も今ようやく一息ついている訳ですが、孫と一緒に寝れば楽なのに、これが寝れない性分なんですよね。
リビングを片付けることが出来るんですが、孫が起きれば又、散らかすし、同じだから散らかったまま、もうこのまま孫の好き放題にします。
考えようによっては孫に合わせて、散らかし放し、何もせず、孫だけ見てれば良いのだから楽々かも、夕食の準備とかもしなくても良いのだし、その代わり今夜も今週はずっと金ゴンの買って来る惣菜や、お弁当、店屋物などなど、めいいっぱい孫名目で、サボります。🤪

No.284

久し振りに遅い時間帯に、呟こう。
銀次郎はまだ帰って来ないし、金ゴンは孫とリビングで戯れている。
孫は元気になったとは言え、まだ完全に完治したわけではないのだから、こう言う状況の時は早めに寝かしつけるのが普通ではないかと思うけれど、金ゴンは金融以外の事は全く理解出来ず全てが独断流で、言っても分からないのだろうし、分かろうともしない、この頃では少しづつ彼女が異次元の人間と私なりに把握できたので好きなように泳がせている。
毎日、金ゴンと会話する折りに、最近では実家の話を良くしてくれるようになり、聞くに連れ「この娘にして、この親あり」と内心、金ゴンの不可思議行動の性格や思考が、親が親なら娘も息子もこう言う風になってしまうのだなぁというか、なって当たり前に思うようになった。そう言う宇宙人を嫁にした我が息子も、そして、引き寄せられてしまった私も実は似た者同士、同じ穴のムジナなのだとつくづく思う。
腐れ縁なんだなぁ。なんだかんだと言いながら腐れ縁あってむらがっているかもしれない。互い不平不満があったとしても其々がやりやすいから繋がっていられるのだと思う。リビングが静かになった、金ゴン母子、どうやら寝室に引き上げたみたい。一挙に静寂。
いつの間にか部屋に入り込んだ羌ちゃんのイビキが、部屋に響いて思わず笑っちゃいました。

No.285

1週間も孫と1日中、家の中で一緒に居ると、流石に心身共に疲労が半端ない。
今日は金ゴンが病院に行くために有休を取り池袋の病院に早々に出かけて行った。昨夜、孫が起きたのが10時である。いつものことだけど目が覚めて母親が居ないと猛烈に泣き叫びリモートワークで、たまたま家に居てくれる息子でさえ手に負えなくて泣き止むまでが苦汁の戦いで、泣き叫ぶ孫をあやしてリビングに連れてきてそれから1日、金ゴンが帰って来るまでが重労働。
保育園がいかに有り難いかつくづく思った1週間だった。
金ゴンは12時半に検査が終わったと連絡があり、帰って来たのが2時半だった。病院の日は自分へのご褒美で池袋の一番美味しい焼き肉を食べて帰るのが定例らしくその日も、食べて来たとかで、私にもお弁当を買ってきてくれたけど食べる気もなく礼は述べたものの、かなりキツイ事を金ゴンに言葉を放った。言った所で人の気持の半分も理解出来ないのだから、辛辣が日増しに強い口調になるけれどまったく屁の河童、「やだ、お母さん、何、イライラしてるの❓」と孫と戯れている始末。
そのまま孫を自分等の部屋に連れていきそのまま昼寝、それが3時だった。
私も自分部屋に昼寝をして起きた所だけどまだ昼寝続行みたいでリビング真っ暗。参りました。

No.286

昼寝から起きてテレビのスイッチを入れたら何と、鳥山明さんの訃報が、鳥山明さん、私より一歳、年下だったのか。
更にショック。
私もいつ死ぬか分からない老境に入ったのだ。
金ゴンのお陰で裕福な生活は一応させてもらっているから居心地良くていさせてもらってはいるけれど年事に体力が衰えて行くのが自分でも良く分かる。
10年前の50最初の時なら孫育ては楽勝だったかもしれない、しかし65歳からの孫育てはマジ、いくら大病しないからと言えど遙かにキツイ。
これで金ゴンは、妊活などと、あれは金ゴンなどでなく人間の顔した鬼畜にしかこの頃、思えなくなってくる。
来年は70歳なんだぞ、良くまぁ、自分の親と同じ同年代の私を容赦なく使うよね。と内心思うが、何なんだろうなぁ、怒りは一瞬で1つ言葉を交わすと怒りが消えて元にもどるのだから、要するに金ゴンと私は価値観が同じで似ているのだと思う。
悔しいが私も変人なんだろうなぁと素直に思う。
くそー☹️
金ゴンよ❗

No.287

爽やかな快晴の日曜日。
孫と引きこもりの1週間からようやく解放された。
あ〜ぁ、長かった。
しかし好奇心旺盛で人一番、お外好きのじっとしていられない孫にとって、病院以外一歩も外に出してもらえなかった1週間は、私よりも遙かに拷問に近かったのではないかと思う。
来月で4歳になる孫はもう、言えないことなどなく、幼いながら事細かく大人や周りを観察し、それを言葉にしてくるからさながら、私達、大人より鋭い感性をしていて、毎日、ドキッとさせられる。一昨日の事、鼻血がおさまらず病院に行く事になった日、孫がポツリと聞いてきた。
「バァバ、今日は、お注射するの❓」
って言うので「大丈夫だよ。お鼻を診てもらうだけだから」と言うと、孫が「ママね、お注射していたよ。だから僕も頑張らなきゃと思った。」と言うから、何のことかわからず、もしかして熱や鼻血で、譫言を言っているのかと思ったけれど、後で金ゴンに聞いてみたら、妊活で、寝る前にホルモンを促す注射をしているのだと言う。金ゴンも、孫が良く見ていることに驚いていたけれど、それを聞いて金ゴンも言えぬ苦労を独りで頑張っているのだなぁとおもったら、なんやら、同じ女性として愛おしくなってしまった。女の敵は女かもだけどでも同じ母親として子供を生みたい金ゴンの気持は痛いほど分かるので、サポートしてあげなきゃ、それができるのは同じ女の私だけしかいないと思いました。

No.288

2週間ぶりに市の運営する健康センターの銭湯に来ました。
ここは送迎バス無料だし、銭湯代も100だし、その分、食堂で思い切り好きなものが頼めるし、この世の謳歌です。
お風呂から上がり頼んだのは、海鮮定食とコーヒーこれで1200円なんだもの、この1週間が報われました。
孫も2週間ぶりに息子夫婦に連れられてトランポリン教室に今頃行っているはず、今月末にはマットの昇格試験が控えてるとの事ではりきって行ったみたいです。
早々、銭湯の体重計に上がったら2キロ減量してました。
家にいる時は、食事が喉を通らなくて、食べたり食べなかったりしていたし、ほとんど金ゴンが、買ってきた惣菜とつくってくれたものを食べていただけで2キロ減なんて、こんな事有りかしら❓
考えようには私が作る時は味見しながら食べるのと買い物帰りに必ず、お店に立ち寄り小腹満たして来るから太てっいたのだ、これがなくなっただけで1週間で2キロ減量するとは、私は、ある意味、贅沢三昧な姑だったのかもしれない。
少し反省。😣

No.289

どうやら孫の風邪を貰ったような感じで喉の奥に風邪を引きはじめのあの独特の違和感が、私が孫から風邪を貰うと必ず長引くので、とことん気をつけていたのに、やっぱり無理だった。
1週間以上も二人で家にいたのだから感染しないほうが無理というものかもしれない。しかし回復したかのように思えた孫だったけどトランポリン教室から帰宅してから又、熱が出たとかで私が銭湯から帰って来た時にはリビングのソファーに真っ赤な顔をしてぐったり寝かされていた。
先週の金曜日もそうだった。治ったとばかり思って孫の希望で公園に連れて行ってから発熱し、それからずっと、良くなったり悪くなったりの繰り返しで、かかりつけに連れていけば、血液検査でなく、鼻の中に綿棒を入れるコロナとインフルの検査だけで異常ないと言われかえされるし、挙げ句に、又、熱が出てぐったりしている。昨日は私が帰宅した時には左の頬がまっかだった。
鼻血が出たのも左側だったし、川崎病の時も左側の耳の下が腫れていた。
今回も川崎病が原因じゃないのかと思うけど夫婦して川崎病は完治したはずだからと気にする事なく全く度外視するし、小児科にあえてカネゴンを休ませて連れて行かせればコロナとインフルの検査なんかで安心しているし、何故、小児科は血液検査をしないのか、要するに川崎病と診断され入院して治療を受けた病院に行けば一番安心できるだろうに、それがダメなんだそう。

No.290

孫の症状が長引くので息子夫婦も危機感をようやく感じ、夫婦で会社を休み息子の運転する車で夫婦で只今、病院に。
私は孫の風邪をもらったので長引かない為に早めに、かかりつけの病院に来たはいいけれど、風邪と言うことで平熱だとゆうのに発熱外来に回されて今だに順番待ち。
あらためて熱を計らされたら36・5だって言うにかかわらず風邪というだけで厳しい扱い、まいったなぁ、これじゃ来なければ良かったかなぁ。
しかし今のご時世、これが当たり前なのでしょうね。
健康のありがたみをしみじみ感じる。
早くここを出たい。😰

No.291

ちょっと寝る前に呟きたくなった。
私だけがそう感じるのか、3月に入ってから、なんか気候が可怪しく感じる。
このあやふやな天候で身体の不調が起きるのではないかと私自身の体調も踏まえそんな違和感が拭えない。
我が家は1周間前から孫が熱を出したり鼻血が出たり全ての検査をしても「陰性」と出るため、今日は息子夫婦は、南浦和の川崎病と判断を下してくれ、即、そのまま川崎病専門医に緊急搬送してもらい一命をとりとめて下さった病院に朝一番で予約を取り連れて行った。
今回も孫は左側に症状が出て川崎病が再発したのではないかと懸念したが全ての検査の結果、担当医師は血液検査の結果、今の所「川崎病の疑いはありません」と断言してもらった。
しかし、このまま今週は、自宅療養で様子を見て熱が下がらないようなら、もう一度連れてくるようにとのことで、もう1週間、孫と私だけの日中生活が始まる。孫の原因不明の様態に振り回されて我が家は全員が体調がおかしくなりつつ、この異様な天候にますます体調、気力共に萎えつつあります。
何はともあれ乗り越えなきゃですけれど、皆様も、お身体をご自愛くださいね。

No.292

金ゴンの実家の、お母さんも風邪を引いたので病院に行ったら、コロナと診断されたそうで慌てて、夫も連れて行ったら、やはり、コロナだったそうだ。
ところが、いちばん、コロナを恐れていた夫の方が全く風邪の症状がなかったのに「陽性」と出て「なんだ、コロナなんか、こんなものなのか」鼻で笑って、相変わらず好き放題、食べて飲んで寝てのライフスタイルを貫き通しているそうだ。普段、健康な奥さんの方が、大事をとって外出も控えて寝ているそうだが、旦那がとにかく何もしない旦那だそうで、食事の支度や掃除も、コロナと言えど寝ている暇なく動き通しだそうで、良くまぁ、金ゴンのお母さんは、強欲姑に仕え、その息子の世話を未だに自分を犠牲にして嫁の鏡みたく仕えているらしいが、私にはとても真似できない。
そんな立派な嫁さんの鏡みたいな人の娘がなんで料理、掃除1つ出来ない娘に育ててしまったのか、全く世の中、理解し難いと思う。
しかも今になって初めて聞かされたのだけど、このご両親、金ゴンの扶養になっているのだそうだ。こんなバカな事があるのだろうか❓立派な息子がいるのにである全く世の中、あるわあるわの理不尽如き七不思議。
あまりボヤくと夢見が悪いから、寝るとしよう。おやすみなさい。

No.293

何日ぶりの投稿かしら。
3月は私の誕生月だと言うのに、3月に、入った途端にろくなことが無い。
「3月は去る」と昔の人は言っていたけれど本当に去って欲しい。
2日の日にカネゴンゴンの短大時代の友達の1人の祥月命日と言うことで毎年、その友達の実家に女性3人組でお墓参りに行っているのだ。かれこれ10年近くなるらしいけれど、毎年行っている、今年は1人の仲間が家の都合で欠席をしたらしいけれど金ゴンは、多分、自分が1人になっても行くのではないかとおもう。だって墓参りと称して朝早く電車に乗り帰って来るのが深夜なのだから。
要するに墓参りのあとの女子会がメインなのだと思う。
その亡くなった友達の亡くなり方が普通の亡くなり方と少し違って、ホームで電車車を待っている時に誤って転落して亡くなったという経路なので、思い入れもひとしおだと思うけれど、そろっともう墓参りはしなくてよいのではないかと私は思う。人の付き合いが雑な金ゴンにしては友人の為に墓参りを続ける事は1年間の近況報告とか、何よりも食事をしてから映画を鑑賞したりショッピングを楽しむのがユイツの、目的なんだろうけど、結局は彼女達は家から離れて自分達だけの時間を楽しみたいだけなのだ。まったく、そのたびに孫の面倒を見させられる私や銀次郎の身にもなってほしい。
銀次郎は別に嫁可愛くてやっているのでは無いんだけど。

No.294

銀次郎は銀次郎で金ゴンに弱みを握られているのでそのためだけに金ゴンに思い切り贅沢をさせているのだ。
ずるい奴だわ。そんなとこ別れた亭主にそっくりだ、いや、そっくりではないな、銀次郎の方が父親よりはるかに、魂胆はあるにしても、嫁や嫁の実家から受けた恩は、一生返さなきゃならないと思っている律儀な所が、いたいけ無くて、腹は立つけれど、協力しているのだけれど。それを当たり前のように調子に乗られた日には私も次の人生を、模索中。
長男には4年間で命を削って貢献したし、お金もそれそおうに蓄えの半分はやっているのだ、もうこれ以上は貢献する必要はないと、この3月に入って色々模索検討中。
孫も4歳になれば立派な大人だし、私の役目も終盤に来ているのではないかと思う。孫はたしかに可愛いけどそれは2歳まで3歳辺りから自我が芽生え、親を見て育っているから、困っしゃくれて、ワガママで、金ゴンをコピーしたかのような憎可愛さ。
これ以上は孫の人格形成を見る気ないから、引き際を考えている。離婚して家を飛び出して好き勝手に生きて来た事に対しての償いは、この4年間で充分に私は返したと思う。とは言え身体が資本の私が最近はあちらこちらにヒヅミがはいり、これが加齢というものなのかと思う左近、時は止まってはくれないのだ。
何かやり残した何かを必死に探している最近です。

No.295

土日月火そして今日も体調改善せず、全く何もしないで寝て過ごしている。
孫の送迎から買い物、3度の食事、全て銀次郎夫婦に任せ、ただひたすら、寝ては起きての、日々を過ごし熱のある時は、記憶が全く虚ろになり、ここは現実なのか夢の中なのか区別がつかないそんな日が3日間ありました。
その時の感覚は時間が止まったように長く感じ、とにかくうつらうつらと微睡むような浅い眠りで見る夢は決まって同じ夢、孫の様態がはっきりしなくて医者は2〜3日様子を見てはを繰り返して、貰う薬が一向に効かずまたは、病院に連れていき、じゃあ薬を替えて見ましょうと、それが実際に4回あり、そのたびに
又、薬が替わるを繰り返していたのでそれがそのままそっくり夢に現れて同じ夢を実に3日も連続して見続けていたものだから、変な言い方になりますが、この世なのかあの世なのか区別がつかなくなりまし。おまけに見る夢は、昭和の私流の言い方ですとビデオテープを早回しした感じで見てる夢の全てが早送りされてるような急速映像、なのにフッと目が覚めると時間が止まったのようなルーズさ、あれ時は熱に浮かされたのか自分の戯言で目が冷め、その戯言がリビングに響いたみたいで駆けつけてくれた銀次郎夫婦のあの顔は一生忘れないだろうと思うほど恐怖を顔に出していた。
それほど私が普通じゃなかったのだと思う。

No.296

2年前にコロナにかかりその時に初めて発熱を経験して以来、考えて見ると光熱でうなされるという経験が全く無く私が幼児の時は良く熱を出していたと親は言っていましたが物心つく頃から熱でうなされるのは今回が初めてでした。銀次郎が病院に行こうと言ってくれたけど今どきの病院は、発熱外来に回され予約しても待たされるのが当たり前でそれが逆にストレスになるから、それならば、とにかく安静にして寝て過ごすと宣言してひたすら寝て過ごしました。
食事も上げ膳据え膳で、料理作ること事態がストレスの金ゴンが珍しくおかゆセットなど運んでくれたので、それさえも喉を通らず、ひたすら水分補給だけに努めました。おかげさまで熱も平熱になり
自分の力で歩けるようになったので、家族が買い物で車で出かけて留守の我が家でストレッチを始めています。
体重計ったら2K減になって思ったこと、熱は体力も気力も体重も奪うという恐ろしさ。増して70を目前になると高熱イコール肺炎に繋がるのではないかと流石に体力馬鹿を誇示してきた私も今回は慎重になりました。熱で妄想のさなか、こんなに家畜の如くこき使われるのなら、このまま死んで楽になるのも良いかもとなるようにしかならないしかし病院に行くくらいなら寝て過ごすと宣言しながらこの4日間の時間の止まったような静寂と見る夢は、早送りされたようなと言うか巻き戻されて行くような感じもした不思議な4日間でした。

No.297

今朝も寒く目覚め一番にエアコンを入れる。
体調、あいも変わらず毎日家の中でゴロゴロしているので筋肉痛でアチラコチラがカキコキ音がする有り様。
外の風が毎日、強風なので今の私の体には風が一番の妨げになり風の冷たさに身体全体がザワザワして拒否反応をお越し気分が一変してしまうので、もう散歩しなくなって1週間になる。
これじゃ行けないと思いながら、今はとにかく家の中で自由気ままに身体の回復に心がけています。
そんな折に昨夜、金ゴンから、もう5月のゴールデンウイークの予定を言われました。
「お母さん、悪いけど今年のゴールデンウイークは、めいいっぱい長く実家に行きたいから家の事お願い」と宣言された。何でも実家の父親の様子がどんどんおかしくなり、母親の方が鬱になりけて気分が落ち込み実家が危ない状態なので、ゴールデンウイークは、母親のために尽くして来たいとの事だった。
今更、尽くしたいなんて毎日のように、尽くしすぎるほど尽くしているじゃない。
それは娘として当然の行為だろうけれど、息子がいながら何で嫁の実家は娘だけを頼るのか43歳にもなって大学まで出して貰いながら、全く親が困ろうが呆け始めて母親が鬱になりけて娘に懇願しながら43歳の息子は全く無視、何なのこの馬鹿家族。
いちいち嫁に出した娘をとことん頼るなど、傍観していて私も今、病身の身でありながら無性に腹が立つ。
朝から申し訳ありません。

No.298

金ゴンは、今日は上野にお花見に出かけて行った。当初は孫も一緒に連れて行くつもりだったらしいけど又、風邪を引かせてはいけないから家に置いて自分だけで先程、出かけて行った。
昨日、珍しく銀次郎が風邪を引いてしまい熱を計ったら38度あった。
リモートワークだったから、休み休みパソコンに向かっていたけれど、ウェーブ会議になると熱があろうが職務を全うしなければならないのでほとんど休まず見ていて辛くなり、栄養のある温かいあっさりした海鮮鍋でも作ってやろうと、何週間ぶりに食材を求め買い物に出かけたけれど、私の体が風の冷たさに極端に反応し、見る見る気分が悪くなり、なんとか買い物をして家につくと、立てないくらいの疲労感。買ってきた食材は冷蔵庫に入れる気力もなく出しっぱなしにして、部屋に戻りコタツとエアコン温度を上げ部屋が温まるまでこたつに身を横たえ、体温を計ると38度にあがっていた。「又、熱か❗」なんでこえなるのとか愚痴りながらそのまま3時まで寝てしまった。

No.299

目が覚めて、なんとか動けるようなのでリビングに上がり鍋に取り掛かる。こう言う時は、鍋料理は助かります。
何でもかんでも入れてしまえば良いのだから。
時計を見ると3時半、今夜は孫の英語塾だから送って行かねばならなかったのだった。今のこの身体で夜風には身の危険を感じていたので今日はタクシーの世話になろうかなどとボンヤリ考えていたら、お鍋もいい具合に煮えてリビング中に温かくて優しい香りが、ちょうど会議が終わったのか銀次郎が自分の部屋から降りてきて、「わぁ❗旨そう❗喰いたい。」と言うので、お碗にいっぱいに盛り付けて出すと、子供みたいにはしゃいで、うまいうまいと食べてくれて3杯もお代わりしてくれるものだから、お鍋の中は、あっという間に底が見えてしまう始末。
顔色も見る見る良くなり、息子が時計を見ながら「俺が👶の送り迎えするよ」と言ってくれたので銀次郎も熱があるのだろうにと思いながら、ここは銀次郎に甘える事にしました。
助かったのは駅前の塾までの送り迎え、たとえ、タクシーだろうと外の空気がもう躰に応えるので、今夜は命がけだななんて腹をくくってたけど、たすかった。
鬼嫁に洗脳されてもう正気には戻れないほど毒漬けされて私は息子はもう変わることはないだろうと私の中では諦めていたのだけれど、この時ばかりはまだ、当時の優しい心が残っているのだなぁと、嬉しくなった。やっぱり料理だなぁと思う。

No.300

今一人で留守番しています。
孫のトランポリン教室に車で親子で出かけたからです。
お昼も食べて来るとのことで、帰りは2時頃になるのかな。
実は今朝は首から脊髄、背中にかけて痛みで身体を動かす事も出来ずベッドで四苦八苦していると丁度、金ゴンが、お粥を持ってきてくれて、抱きかかえて起こして貰ったのだけど起きるまでが痛みで
スローモーションでなんとかベッドの上でクッション何枚も壁際に立て身体を支えながらなんとか起きることができました。この痛みは紛れもなくリウマチ性多発性筋痛症だと昨夜から、じゃないかと感じていたけれど朝の激痛でハッキリ、断言できた。
そう言えば去年の診断で貰った処方箋、激痛が消えた時点でタンスの奥にしまってたのを思い出し、金ゴンに取り出して貰おうかと思ったけど薬に関しては金ゴンは徹底して厳しいので途中で服用を止めたのが判ったら、どやしつけられるので知らぬ顔して金ゴンが出ていってから
痛みと戦いながら這いつくばってタンスから薬を取り出して朝食終わってから服用すると、アラ😲やだ❗
痛みが嘘のように引いていくではない。
薬って凄いなぁ。
変人こき金ゴンの薬信者には違和感が強く尚更、薬には背を向けていたけれど、ここ1週間の症状と一昨日から始まった激痛には流石に薬嫌い返上しなきゃと思いました。
助かったぁ😮‍💨痛みのないことの幸せをしているとい痛切にかんじます。

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