神社仏閣巡り珍道中・改
[神社仏閣珍道中] 御朱印帳を胸に抱きしめ
人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。
ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!
┉そんなところから始めた珍道中、神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかをネットで調べて、ようやく初詣をしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。
そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。
神様、仏様、どうかお導きください。
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本日は一月八日。令和初の初薬師さまであります。
仕事を休むことができなかったため、朝一番、六時からの群馬県みどり市【光栄寺】さんの御護摩法要に参列してまいりました。
本堂のなかはすでに満員状態。少しくじけそうになった自分を叱咤して、参列してよかった。
学校前の小学生さんも参列していました。信心深いご家庭におかれ、素直に育っておられるのだなぁと思わず感心して笑みがこぼれた私でありました。
年齢、性別の表示を義務化されるとのご案内を受け、もうすでにバレバレでありながらも、わずかに残った女心で、義務化の前にスレを建ててみました。 (〃 ̄ー ̄〃)
新スレッドもよろしければおつきあい下さい。
前スレの五百レスまで、一年強。長いような短かったような。とりあえず、3度目のスタートとなります。
スレ立てに年齢明記することになる、の一文を見ただけで、あわてて新スレを立ち上げましたが、勘違いにすぎず、しかもよく見ると前回、前々回とタイトルが微妙に異なっている!さすが相変わらず珍道中を繰り広げるおばさんであります。(;つД`)
前々回、前回とタイトルが多少異なったことが、すこしでも前進につながるとよいのですが┉自国語すら怪しい駄文の進化はもはや期待できず、あわててスレタイトルは間違う、年齢明記と思いこむあたりからも、珍道中になるとしか思えませんが、よろしければ今後ともおつきあいいただければ幸いです。
どうぞあらたな珍道中もお見守りください。
昨日、走行している道で、ナビの示す画面に同じ名前の神社さんがあることに気づきました。?! 【長良神社】さんであります。
わずかの距離でありますのに、まるで同じ名前で、しかもある地点では、なんと三ヶ所の長良神社さんの名前が! 私には、あまり聞き覚えのない名前であります。
夜の七時頃で、走行している道路上に鎮座されているわけではなかったため、参拝はおろか、外観すら見てくることはできませんでしたが、気になって、帰宅後調べてみましたところ、な、なんと!
群馬県邑楽郡に24社、館林市に11社、太田市に4社、埼玉県羽生市に2社で計41社と、近距離の土地に集中して鎮座されているようであります。
長良神社さん┉長良さんとおっしゃる方をお祀りしたもの?
帰宅後すぐにGoogle先生にお聞きしますと、やはり長良さんとおっしゃる方を御祭神としている神社のようで、【藤原長良公】という方のようです。
【藤原長良公】は太政大臣正一位藤原冬嗣公の長子、陽成天皇の外祖父にあたる方で、常に民衆を憐れみ、高潔な人柄で、心が広く情け深い一方で度量もあった方のようで、平安時代初期に亡くなられたとされています。
死後、娘の藤原高子が清和天皇の女御となり、高子所生の貞明親王が即位(陽成天皇)したことに伴い、左大臣正一位、太政大臣の称号を贈られ、さらに神格を得、大和国春日大社の末社に列せられたようです。
藤原朝臣長良公を祭ったという【長良神社】さん。館林の長良神社さんは館林城主が創建したとのことで館林総鎮守の神社であるようで、870年の創建と伝えられています。
御祭神の藤原長良公のお名前は申し訳ないことに存じ上げなかったのですが、【藤原高子】といえばなにやら聞き覚えがあり、┉清和天皇の女御でありながら、【在原業平】との恋愛で有名な高子さんだ!
さらに調べていくと、人臣初の摂政となり藤原北家繁栄の礎となった【藤原良房】のお兄さんでありました。私でも存じ上げる方々のお名前がつらつらと!長良公はそんな弟の出世にも常に穏やかに、兄弟間の仲もよく、天皇を常に第一と考え、民衆の視線に立って物事を考えるお方だったようです。
館林においては、1720年に正一位長良大明神を賜って【長良神社】となったようです。
その藤原長良公がこの地で御祭神になった逸話は、千代田町の民話として残っているようです。
『昔、赤岩には大きな沼があって、沼には主の大蛇が住みついて、毎年娘たちをさらって行きました。困っていた村人達はその頃丁度都から桐生にきていた弓の名人・藤原長良という人に退治をお願いしました。 長良は村人達の話を聞くと早速赤岩に行き、自慢の弓矢で大蛇の眼を射、見事仕止めることに成功しました。
(┉前レスより続く) その大蛇の死体をさらわれた娘の数に合わせて十八に切って近隣の村々に分け、娘の冥福と、長良の偉業をたたえるため、千代田町の瀬戸井を中心に十八社の長良神社が鎮座するようになりました。」(「ふるさとの民話 館林」参照)という伝承です。
長良神社本宮は、大和国春日神社の末社に列祀された藤原長良公の余徳を敬い、佐貫荘長柄郷瀬戸井村(邑楽郡千代田町)に遷宮されたのが始まりのようです。
一説によると長良公がこの地を治めたとあるようですが、それは否定されているようですが、いずれにしてもいまなお、多くの長良神社さんが残っているだけでも、この土地で長良公を崇拝する方々が長きにわたっておられる事実だけでも、長良公の人柄が偲ばれました。
長良神社さんは今回初めてナビの画面によって偶然知りえた神社さんなので、いまだ参拝もはたしてはおりませんが、是非、そのいくつかを辿って参拝させていただきたいと、強く思っております。
令和二年三月九日
3・11を迎えました。九年の時が流れたようです。
私の住まうところは震度五強というの地でありましたが、本当にありがたいことにすべての家族、親戚、知人が命を落とすこともなく済みました。職場のパソコンはそのすべてが床に落ち、ガラスは割れ、壁には大きなヒビが入りましたが、倒壊するようなこともなく、今、何事もなかったかのような時が流れています。
そんな私ですら、先日、あの日の、津波の押し寄せる画像を目にしたとき、涙が止まらなくなりました。
津波の被害や、家屋の倒壊で、命を落とされた方々。
津波の被害にあい、家屋を、何よりも大切な大切なかけがえのない存在を亡くされた多くの方々のやりどころのない、無念はいかばかりでありましょう。
息子は震災のあと、まだ道路すら寸断された状態のときに、ボランティアとして東北に、夜も寝ずに運転して向かっていきました。
私の心配を思って、一緒に行った仲間の一人が、眠れずに過ごす私に無事到着したことを電話してくれました。
息子はその後何度も何度も東北に向かうのですが、何一つ私に話すことも、写真一枚も見せることはありませんでした。そんな思いになる、現場だったのは、テレビの画面からも何万分の一かであっても伝わってきましたが┉。
┉いまなお、復興は遠く、私にできることはやはり祈ること。
┉祈ることでありました。
昨日は十三日の金曜日。職場でも朝一番に「あー、今日は十三日の金曜日じゃない!」という声があがりました。
そのくらい日本でも『不吉な日』として忌み嫌われていますが、キリスト教徒でもなければ別段忌むべき日ではありません。もっとも、X'mas好きの日本においてはやはり一緒に忌むべきなのでしょうかね?
とはいえ、実際には十三日の金曜日を不吉な日とするのは、英語圏と独、仏であって、伊では十七日の金曜日のようですし、スペイン語圏では十三日の火曜日のようです。
「大丈夫!日本だから」と笑ってみせると、みんな「そうだよね」と言って笑顔になりました。それほど『十三日の金曜日は不吉な日』として浸透しており、病院などでも4・9・13という数字の部屋は存在しないくらい不吉な数字として人々の間に浸透しているようです。
仏教徒であるならば、十三日はむしろありがたい【虚空蔵菩薩さま】のお縁日、であります。
縁日とは、もともとは「有縁の日(うえんのひ)」や「結縁の日(けちえんのひ)」の略した言葉であり、神仏がこの世に縁(ゆかり)を持つ日のことで、結縁の日は、神仏が世の人々を救うために手を伸ばして、特定の神仏と人が縁を結ぶことができる日のことを言います。
神仏に縁のある日に、参詣することを意味し、この日に特定のお寺や神社に参詣すれば、特にご利益があると信じられているものであります。
【虚空蔵菩薩】さまは菩薩の一尊。「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされ、知恵の菩薩とも評され、人々に知恵を授けてくれるともいわれています。明星天子、大明星天王とも呼ばれるようです。
【虚空蔵菩薩】とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味で、そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰され、その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるといわれています。
空海が室戸岬の洞窟 御厨人窟に籠もって虚空蔵求聞持法を修したという伝説はよく知られており、日蓮もまた12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行ったといいます。
また、京都嵐山の法輪寺では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く【十三詣り】という行事が行われています。
像容は『右手に宝剣、左手に如意宝珠を持つ』ものと、『右手は掌を見せて下げる与願印(よがんいん)の印相とし、左手に如意宝珠を持つ』ものとがあるようです。
また、【虚空蔵菩薩】さまは、丑寅年の守り本尊さまとされていますので、丑寅年生まれの方は十三日の金曜日はありがたい日、と思っていただいてよいのかもしれません。
前回、丑寅年生まれの守り本尊さまについて書かせていただいて、他の年の生まれの守り本尊さまについて触れないでいるのも、なんとなく落ちつかず、あらためて守り本尊さまについて書かせていただきま
す。
『子は千手、丑寅としは虚空蔵、辰巳は普賢、卯は文殊也
午は勢至、未と申は大日よ、酉は不動に、戌亥阿弥陀ぞ』
江戸時代の書には、早覚えとしてこんな歌があったようですが、うーん、これ、早覚えになるのかなぁ(^-^;
丑・虎年生まれの方(立春から翌年の節分まで)
【虚空蔵菩薩さま】
辰・巳年生まれの方(立春から翌年の節分まで)
【普賢菩薩さま】
未・申年生まれの方(立春から翌年の節分まで)
【大日如来さま】
戌・亥年生まれの方(立春から翌年の節分まで)
【阿弥陀如来さま】
卯年生まれの方(立春から翌年の節分まで)
【文殊菩薩さま】
午年生まれの方(立春から翌年の節分まで)
【勢至菩薩さま】
酉年生まれの方(立春から翌年の節分まで)
【不動明王さま】
子年生まれの方(立春から翌年の節分まで)
【千手観音さま】
となっているようです。地方によっては、毎年その守り本尊さまをお祀りしているお寺や御堂をお参りするところもあるようですが、私の住む地方ではそのような風習は残ってはおりません。
今、私は、珍道中で出会えた守り本尊さまの御守りを毎日首にかけております。
花の(?)五十代、新型コロナウイルスに感染したら重症化しやすいと言われるお年頃きは┉どうする?
不要不急の外出を避ける?感染してしまったときに備えて、いろいろ準備をしておく?
今、したいことをしておく┉?(*-ω-)ウンウン
綺麗に咲いた春の花々を愛でずしてどうする!梅の花、桃の花、菜の花、土筆、コブシ、もくれん、気の早い桜はもう咲こうとしているというのに。そうそう、一時期流行った『令和初の』春の花です。
┉と、いうわけで、さしたるストレスもたまっていないくせに、春を愛でに出かけてみました。
向かったのは群馬県みどり市にあります【草木ダム】。
神社でもお寺でもない草木ダムのドライブインであります。(ドライブイン! すでに死語になっているか思っておりました) こちらのドライブイン、な、なんと、寝釈迦の石像があるのです。
同じくみどり市にある草木ダムにほど近い【袈裟丸山】と呼ばれる山の中腹にある寝釈迦像のレプリカをうたっているものです。
脚力、体力ともに自信のない私たち夫婦は未だその袈裟丸山にある寝釈迦さまには参拝することができずにおりますが、写真を見ると⁉ ┉似ても似つかないものであります。
まあ、寝釈迦像は寝釈迦像でありますし、春の景色も楽しめるのでは?と向かってみた次第であります。道々には梅の花が咲いております。
草木ダムのドライブインは六~七割方車が停まっております。晴れた春の日曜日、考えることは同じ、ということでしょうか。バイクも二十台ほど停まっていました。
うーん、ここは万が一コロナウイルスにでも罹患したらいけないと、人混みを避けようとした主旨に反することになりますし、なにより喧騒を避けたい気持ちもあって、がらがらのもうひとつの駐車場に移動しました。
ほんの少し離れているだけなのに、冬枯れのダム湖の景色を貸し切りです。しかももうじき開きそうな桜のつぼみもみられました。
さて、このあとはわたらせ渓谷鉄道の神戸駅をめざします。
なんでも【ハナモモ】という花が線路の両わきに並木を作って植えられているとか。例年だと四月上旬が花の見頃を迎えるようです。
ダム湖にかかる橋を渡って、道なりに進み、橋を渡って┉「待って!滝だよ、ちょっとした滝がある!」┉そう、いつものように夫の運転です。橋をいったん渡りきり、Uターンしてもらって滝をめざします。滝、好きなんですよね(^-^;
【不動の滝入口】とあります!「と、停まって!」
どうやら滝のそばまで降りていけそうです。
すると息子が「この先もう少し行くと大きな草鞋が掛けてあるお堂があるんだよ」( ;゜o゜)えっ?
┉こんなとこにも来てたんだ。びっくりだなぁ。私なんて初めて来たところです。滝の存在を知らなかった夫も同様ですよね。
ふーん┉。
春の陽射しのなか、軽やかな(あくまで本人の感覚、ですが)足取りで、お堂があるという方角に向かいます。
ん?工事現場、でしょうか?その右手方向下方に目をやると、ありました、ありました。お堂が、ふたつ。ひとつは息子が申しておりました、草鞋が奉納されたお堂であります。
お堂には立派な石碑が建ち、『この地域には古くから各辻々に大わら草履を吊るして疫病の侵入を封じたと伝えられていたそうです。しかし、そんな迷信的なことはやめようということで一時期その風習をやめたところ、その年に伝染病が発生し多くの者が隔離されたとかで、その後再び毎年七月一日に当番が奉納することとなったようで、今なお続けられています。手を合わせて祈願することにより、悪病を追い祓い、身体の健康と幸運な生活が守られると言われています』
┉なんという巡り合わせでしょう!まさに世界中で新型コロナウイルスにより、多くの、患者となられた方々が隔離に近い状態に置かれておられています。
神であろうか仏であろうかわからない大草履ではありますが、手を合わせ、コロナウイルスの鎮静化と終息を祈らずにはいられませんでした。
そのお隣は不動堂でありました。
お不動さまは、水辺であったり、山の登り口であったりをお護り下さるお力をお持ちであるため、そういう土地にお祀りされていると、お坊さんにお聞きしたことがあります。ここはまさにそんな土地といえます。
不動堂は扉を開けることができ、直接お祀りされている不動明王さまを拝むことができました。いかにも大切にお祀りされていると思われるお不動さまで、きっと一年の間のいつの日かのお縁日にか、お正月かにご祈祷等をされる日があるのかと思われます。お参りに訪れた方々がどこからきた者かを記帳するノートも用意されており、絵馬も掛けられておりました。
通りからは外れたところにありますが、河原への道もそれなりに整備されており、あずまやも用意されております。
思いもよらぬところでお目にかかることができました不動明王さま。どこかお優しい眼差しをなさっておられました。なんとも心の安らぐ不動堂でありました。
あずまやへの道を下っていくと、ぐるっと小さな川を囲むように歩道が作られています。もしかして、滝へと続いている? 冬の、何の花も咲かぬ歩道を歩いて、歩いて┉。結構歩いた頃に、滝だ!ようやく滝が見えました。滝をめざして走り出す私を、まるで子どもに言うように「危ないよ、走らなくてもいいだろうに」と諭す夫。┉聞くわけもありません。
「わあぁ、すごいすごい!」
落差二十メートル、あまり雨も降らなかったこの時期においても、勢いある、かなりの水量で絶えなく落ちていく滝であります。
橋のうえから見たときより、ずっとずっと迫力のある滝であります。
うーん♪ すっかり幸せな気分です。
思えば滝見のドライブや滝見の旅行を、何度夫に頼んできたことか┉。思いもよらず滝を間近で見ることができ、お不動さまにもお参りをすることができました。なんとありがたいことでありましょう。
すっかり気を良くした私は、当初の目的などすっかり忘れて、もう帰るつもりでおりましたところ、なにやら夫がナビを操作しております。「まだどこかに行くの?」
「┉」「┉ハナモモを見にきたんだよね」
┉そうでした。お不動さま、草鞋さま、どうかこの頭の病もお治しください。
わたらせ渓谷鉄道というローカル線の駅舎のそばに、ハナモモという木が線路沿いに三百本を超える数植えられていて、その花の時期には一斉にピンクの花道となるという話を聞きつけ、ハナモモとやらを見てみたいと言ったのは、他ならぬこの私でありました。
わたらせ渓谷鉄道に乗る機会などはほぼなくて、子どもに体験させてみようとほんのなん駅か乗ってみたことが一度か二度あったかどうかというくらいですが、上皇陛下御夫妻がこのわたらせ渓谷鉄道には何度かお乗りになられていらっしゃるとか。┉ 一度くらいは乗ってみましょうかね。
おすすめはまさにそのハナモモの頃かアジサイの頃か、はたまた紅葉の頃かとうかがいました。わざわざ車で駅まで来て電車に乗るかどうか┉うーん。そんな下見を兼ねてのハナモモのお花見でありました。
『ハナモモまつり』というのが毎年開催されているようですが、今年はコロナの影響で中止になったとうかがいました。それが本来なら四月の上旬。つまり、その頃にハナモモ真っ盛りとなるのでしょう。下見をするなら、このくらいの時期がいいのかと出かけたのでありますが┉。
素晴らしい!
映画の1シーンのような駅舎です。
小さな、古い駅舎。山と、咲き始めのハナモモ、まさにあと少しで咲かんとしてまんまるなつぼみとなったハナモモが艶やかな桃色で辺りを色づけています。
これはすごい!
電車に乗ったらどんなだろう!
あ、わたらせ渓谷鉄道さん、電車じゃないんだ。ディーゼルなんだ。
電車通らないかなぁ?しばらく駅、及び駅周辺におりましたが、列車を見ることはできませんでした。
なんでもトロッコ列車とかお座敷列車とかもあるようです。
これはおすすめ!
かもしれません。私は列車を利用してはおりませんので、列車の感想はお書きできないのですが┉。
令和二年三月十六日
この前の、十三日の金曜日からの十三日の虚空蔵菩薩さまの御縁日についてふれたことから、その後それぞれ十二支の守り本尊さまについて書きましたが、後々読み返しそれもまた片手落ちであったことに気づきました。
そう、御縁日について、であります。
こんなやつのいたらぬ駄文をお読みくださっておられる方のために、追記させていただきます。
子年 千手観音さま ・・・毎月17日
丑・寅年 虚空蔵菩薩さま ・・・毎月13日
卯年 文殊菩薩さま ・・・毎月25日
辰・巳年 普賢菩薩さま ・・・毎月24日
丑年 勢至菩薩さま ・・・毎月23日
未・申年 大日如来さま ・・・毎月 8日
酉年 不動明王さま ・・・毎月28日
亥・戌年 阿弥陀如来さま ・・・毎月15日
春のお彼岸となりました。が、仕事があるため未だお墓参りには行けておりません。
義母の入居している老人ホームは、現在、家族が面会すらできないくらいの徹底したコロナ対策をおこなっており、お彼岸のお墓参りに連れ出してあげようこともできません。(お年寄りからお彼岸のお墓参りを取りあげてどうする!)と思ったりもするのですが、実際は私の義母はお墓参りにはまるで関心がないお方ですので、なんとも説得力はないのでありますが┉。義母ばかりがお墓参りに関心がないように書くと義母に申し訳ないことで、実母も全く関心がありません。
さきの東日本大震災で甚大な被害のなか、「なんとか位牌だけは持って逃げることができた」とおっしゃる方々が多かったことを、私は忘れることができません。それほどに大切にされるお位牌。
私の二人の母親たちにとって、位牌は到底そんな存在でなく思えます。かく言う私とて、跡継ぎでないため、位牌どころか守るべき墓もなく、当然のこと檀家寺もないありさまであります。
もちろん、先祖があるのだから、まつるべき位牌を持つことも希望すれば叶うことであります。しかし、私たちの代からの仏壇や位牌を持つことは、跡を継ぐ者がなくしては、私たち亡きあと結局厄介な不用品となってしまうことは目にみえています。
お墓も新時代を迎えようとしているのかもしれません。
わが家には仏壇はないのですが、仏壇もどきとして手を合わせているコーナーがあります。檀那寺もないので、宗派もなく、宗派を定めなければ当然、御本尊となられる仏さまが定まりません。御本尊をお祀りしていない仏壇はどんなに立派な仏壇を購入しても、仏壇とは言えないのだということすら知らずに育って、知らないままおばさんになってしまっていた私であります。
そもそも実家の仏壇が、御本尊のまつられていない仏壇でありました。
何年かまえに母が自分が死んだ後のことを考えて、母の実家のお寺さんに墓所を購入したのですが、それまで実家自体に檀那寺がない状態だったので、当然といえば当然なのかもしれません。
よそ様のお宅で御仏壇に手を合わせることもあまりあることではなく、仏壇には、必ず御本尊さまがおられるのだということを知ったのは、実にこの珍道中を始めてから、なのでした。
もともと私の両親は教会で結婚式をあげたくらいでしたから、教会に通わなくなった時点で無宗教なわけで、教会に通っていた人間がそう簡単に仏教徒になるはずもなく。
そうは言っても、父の親┉祖父母は仏教徒でしたので仏壇がありましたし、母の親┉祖母は早くして亡くなった夫と、幼くして逝ってしまった子供たちのお墓があり、その大切な存在をまつった仏壇がありました。
そもそも母はなぜ仏壇を買おうと思ったのか。誰かが亡くなったわけでもなかったのでありますが┉。
実家に仏壇がきた頃って┉そ、そうだ、両親が離婚した頃でありました。唐突に狭い居間に無理やり置かれた仏壇は、今思えば、無理をしてでも欲しかった、母の心のよりどころだったのかもしれません。
ただ┉実際は、居間にごろごろしている小物の、格好の収納先となっていましたし、ちょっとした貴重品入れという扱いに近かったようにも思えたのですが┉(・・;)
私同様に檀那寺もなく、仏さまの扱いも知らない母が、誰に相談することもなく、購入した物だったのかもしれません。
それでも、【先祖代々之霊】と金字で書かれた位牌が置かれていた分、私の仏壇もどきよりはれっきとした(?)仏壇に近いもの、でしょう。
┉などと書いていて思い出したのですが、そうだ、その位牌、高校の帰りに仏具屋さんから受け取って来るように言われたのだった!おそれおおい位牌という物を、何故そんなついでのように、学生カバンでかごいっぱいの自転車通学の娘に平気で頼むのかと、母の感性を子どもながらに疑ったものでありました。
今なら、それはまだ、御霊の入っていない位牌という商品の受け取りにすぎなかったことがわかるのですが┉ それにしても、いくら仕事が忙しかったと言われてもやっぱり母は変わっていますよね。高校の帰りに仏具屋に寄って位牌を受け取って帰ったという経験をした人はなかなかいないのではないでしょうか。
檀那寺を持った、とはいえ、墓所を購入しただけの家ですし、お寺さんも「お仏壇はありますか?」くらいはお聞きになられるでしょうが、「ある」と言われれば、まさか御本尊のないものとは思わないのかもしれません。その後も実家の仏壇は【御霊壇】のままであります。なかなか掃除も行き届かないものですので、このままくらいがちょうどいいのかもしれません。
御仏壇に普通のご飯茶碗とガラスのコップでお供えをすることを当たり前と思って過ごしてきた私は、嫁ぎ先でそんなお供えをしていることをなんの躊躇いもなく話してしまい、嘲笑されてしまった過去があります。御仏壇にはきちんと仏さま用の食器があるのですね。それを使わなくてはならない、ということもないのでありましょうが。
ただ、法事や御彼岸、御盆などの特別なお膳は嫁ぎ先も使っていなかったように記憶しています。そういったものの存在もネットで知る、私はある意味、最新、最先端、でしょうか?
法事はその後の会食をレストランや会席でするのが当たり前となっているので、そこで仏さまの分も用意してもらっています┉よね?
世間さま一般がわからないので疑問符で申し訳ないのですが。
嫁ぎ先では御盆お彼岸に特別なお膳というものはなく、普段普通に使っている食器に、お汁や煮物をお供えしていただけでしたので┉。少なくとも私が嫁いだあとはずっとそうだったし、息子もそうだったと申しております。
母の仏壇はとにかく、嫁ぎ先のことに関してはなにも口やら手やらを出せる立場ではありません。
末っ子次男の夫は、義父の存命中からすでに、法事の日を決めるにあたっても蚊帳のそと、義姉と義兄の都合だけで日が決められ、いついつ何時から菩提寺で法事をするから来い、という扱いで、ひどいときは海外出張にでかけてる日が指定されていたりしたくらいでありました。
さすがにその時は「俺の都合も聞いてくれ!」と、親父さまに反論したのですが、基本、夫はそういった実家の方針に生まれた時から慣らされて育ってきたので、なんの疑問も持たずにその時まで過ごしていたくらいで、当然その家族もそんな扱いで、気の強い私はずいぶんと反発してきたものです。
義母が弱って入院、施設入所、となって、今まではお墓参りなど見向きもしなかった長男の義兄が、ようやく跡取り長男の自覚を持ったのか、このお彼岸、初めてお墓参りに来ていた跡がありました。ずっとそういったことに関心がなくて、言われても墓参りすらしなかった義兄がいよいよ跡取りとなろうとする┉今まで好き放題にお墓参りに来ていたお墓が、他人の手に渡ったような寂しさを覚えてしまった私であります。
閑話休題。
義母は本来仏事に一切の関心がなく、義父に言われたことをそのまましてきた人ですし、現在の仏壇は夫の祖父が亡くなった時に義父が買い換えたということであります。立派な仏壇であります。
嫁ぐと決まってあらためて義実家を訪れたとき、まず仏壇で手を合わせた私をたいへん褒めてくれた義父との思い出もある仏壇は、ずっしりとして重みを感じさせる(たぶん実際に重い)ものであります。
座って手を合わせる、私の好きな形のもので、香炉などの仏具一つ一つも立派なものでありました。
さりとて、嫁ぎ先の、ましてや跡取りと次男の扱いであからさまな差のある義実家の仏壇をまじまじとみることなどありはしませんでした。
【御霊供膳】と呼ばれる、特別な┉亡くなったあとの初七日から百ヵ日、そしてその後のお彼岸なり、お盆なり、法要の折にお供えするというお膳の存在を、つい先日これまたネットで知りました。
同居していないとはいえ、それに替わる普段使いの食器にお汁や煮物が供えられていたのは目にしているので、嫁ぎ先にもそういったお膳はないのかもしれない。この地域の風習かどうかは義父亡きあとでわからないのですが、特別なお膳、御霊供膳と呼ばれる仏飯具。これも宗派によっては扱うことのない物のようでありますが┉。
一つ一つ意味のあることのようで、一般家庭の仏事や神事でも、それを覚えて日々の暮らしの中に取り入れていくことは、小さい頃からの習慣の中にない私には、かなり大変なことに思えてしまいます。
神棚に榊をお供えする日などはいまだに知らないありさまであります。
日々学習、とはいえなんとも道の果てしないことであります。
私の仏壇もどき。
御本尊云々どころではなく、仏具の仏壇すら使っておらず、もどきを名乗るのも図々しいものではあります。それでも、毎朝、花の水を替え、お水とお茶をお供えし、灯明とお線香をあげています。ご飯も炊いたときに炊きたてをお供えするようにしてはいるのですが、つい、あげたままにして、表面がかぴかぴになってしまったりしております。
実家の母は普通のご飯茶碗、義母は仏具をセットで購入した物のなかの『仏飯器』にごはんをよそいお供えしていました。私は今、桜の花びら型の器に山盛りにしてお供えしています。
最初はご飯をお供えすることまではしていなかったのですが、【ご飯をお供えするのは、仏様に召し上がっていただくためではなくて、日々の感謝の気持ちを表すため、主食であるご飯をお供えするという意味がある】と知ったからであります。
仏様にお供えするご飯は、仏教では「飲食(おんじき)」と言い、一般的には「仏飯(ぶっぱん)」「御仏飯(おぶっぱん)」と呼ばれるのだそうです。
ご飯をお供えするタイミングに特になく、ただ、お寺さんでは、朝のお勤めの際にお供えしています。
ご飯を食べてもらうのではなく、炊き立ての湯気を召し上がっていただくのだそうで、お寺さんでは、朝炊いた最初のご飯を仏飯としてお供えするようです。
炊きたての一番のご飯をお供えするということはとても大切なことのようです。
義実家の仏壇で使われているような仏飯をお供えするときの器のことを、一般的には【仏飯器】と呼ぶようです。そしてその仏飯器を置く台として仏器台があります。
お供えする仏飯器の数と、お仏壇の大きさにもよりますが、正式には二個となるようですが、一個をお供えしていることが多いようです。仏飯器に関しては、宗派だけで無く、地域やお寺によって素材や色、紋などに関して、方針や決まりがあるようです。
また、最後に故人がこの世で使っていたお茶碗を使うのは、枕飯と呼ばれるご飯をお供えするときとなり、その後は故人は既にこの世からあの世に行かれているので、この世で使われていた器を使うことは控えるものだそうです。┉それについて、今は亡き義父と話したことがあったことを思い出しました。
実家で使っているのが普通のご飯茶碗だと聞いて、「誰かが使っていたものはその人が亡くなったときに使うもんだ。それはダメだ」と。誰かが使っていたものではなく、新しく買い求めた物だというと、「だったらいいのかなぁ?あんまり聞いたことないぞ」義父は、口が悪く一本気な人でしたが、優しい人でありました。
その時、枕飯として、故人が生前に使っていたお茶碗にご飯を山盛りにして故人の枕元にお供えする時ハシを立てるのは、なぜかと問うと、「知らねえ。そういうもんだ」と、言って話を終えたことを思い出しました。
お彼岸のお墓参りを終え、桜の開花状況でも見に行こうかと車を走らせていると、その頃はまだ咲いていて三分咲きという頃だったのに、ほぼ満開の桜の樹が、しかも何本もあるところを見かけ、思わず声をあげました。
見かけたからといってすぐにすぐ停まれないのが車というもの、それでもなんとかそこに駐車できそうなスペースがあることだけは視認できました。ちょうど寄りたかったお店の駐車場に停めて、買い物を済ませ、満開の桜のもとに向かいました。
以前から気になっていた、鳥居がある神社さんの横の土地でしたので、そこに向かうにあたって、てっきりその神社さんの駐車場なのだと思って、いざその土地に車をいれると!
なんと!そこには不動堂がありました。お彼岸だからでしょうか、お堂の扉が開かれていて、お不動さまが奉られていたため、不動堂であることがわかったくらいでありました。┉桜が招いてくれました。それとも、ずうずうしく考えてしまってよろしいのならお不動さまがお招きくださった?┉それはさすがに図々しすぎる。
それでも、思いがけずしてお不動さまにお参りでき、桜よりもお不動さまに心弾ませる私でありました。お不動さまの他、厨子の中におられる御仏もおられました。全部で三体の御仏がお奉りされておられます。境内には石仏もおられました。
桜も見上げたはずの私なのですが┉息子の撮った写真にはメジロがいます。?!「いっぱいいたよ」
全世界を恐怖におとしいれている新型コロナウイルス。
毎日手をあわせ、般若心経をお唱えする【仏壇もどき】で、┉私は毎日祈ります。世界中を死や経済破綻の恐怖におとしいれている新型コロナウイルスが一日もはやく終息し、世界に再び平和がおとずれますようお力をお貸しください。と。
祈ることしかできません。
ただ┉祈ることを知り、私は心に平静を保って生きていられるように思えます。
それは身近に感じていないだけなのでは?と言われれば、そう┉なのかもしれません。
ですが、今、私にできることは、落ちついて普段どおりに生活すること。そうすることで、家族に少しでも安心感を与えることができればよいし、少しでもバランスのとれた食事を作り、家のなかを整え(┉られてはいないけれど)、家族の様子をしつこくなく見守ること。
一緒に住んでいない者には、桜や季節の花の写真をメールして、┉ただただそれだけ。不安を受けとめられるよ、と無言で伝えているつもりのメール。
そうやって、長い歴史のなか、理不尽な疫病に苦しみながら人々はそのツラさを乗りこえ、命をつないで、私たちに生を与えてくれました。
神さまに祈り、仏さまに祈って、先人たちに感謝して、今日をまた、生きていきたいと思います。
走っていた道路が、工事中で通行止。右か左かにしか行けず、何故か左に進路をとる夫。初めての道を通ることになりました。
百品神社さん、鹿田赤城神社さんと、ナビには行ったことのない神社さんの名が映し出されます。雨が降りだしていることもあり、手をあわせて通りすぎました。
ん?あ、この道は┉!見覚えのあるカーブにさしかかりました。
「ねえ、ここ、この道、以前話した爪引き観音堂の道!」
そう、以前ひとりでお参りさせていただいた、弘法大師さまの爪で石に彫りあげたと言われる観音様が奉られている御堂です。以前参拝したときは自転車で訪れたため、反対側の道路から観音堂に向かい、またもと来た道を戻ったので、そこから先の道はどうなっているのかわからずにいました。
少し高台にある御堂の境内にある桜が満開です。大きな枝振りのよい桜の樹であります。
石段を登ると、桜の樹の枝がしなっている辺りには菜の花が咲いて、春爛漫、といった風情です。なんとありがたい風景でしょう。
御堂の一番下のガラスは、爪引き観音様を拝観できるように切り取られています。30㎝×50㎝くらいの表面積の石がお祀りされているのが見えます。残念ながら、お天気のせいか彫られている観音様のお姿はお見かけすることはできませんでしたが、桜の樹の下に石仏の観音様が静かに微笑むようにたたずんでおられ、あたりをやさしい柔かな空気で包んでおられました。
今日はお不動さまのお縁日。お不動さまはその御容姿から、仏教とは(神道とも)無縁に生きてきてしまった私のようなものでも、一目でお不動さま、不動明王さまであられることがわかっていた仏さまであります。
大日如来の化身であるといわれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)とも言われるようです。不動尊、無動明王、無動尊などとも呼ばれています。
不動明王は大日如来の教令輪身とされています。仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、積極的な介入を行うお姿であります。
煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしていると、尊敬するご住職に教えていただきました。
その起源はヒンドゥー教のシヴァ神とする説もあるようです。
不動明王さまは【降魔の三鈷剣】(魔を退散させると同時に人々の煩悩や因縁を断ち切る)と【羂索(けんさく/けんじゃく)】(悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を縛り吊り上げてでも救い出すための投げ縄のようなもの)を持つのを基本としています。
お恐いお顔をされておられますお不動さまですが、右牙を上に出し左牙を外側に出され、ウィンクともとれる片目を瞑られたお姿は、私にはどうにもお優しいお姿に思えてなりません。
お彼岸で行けなかった母方の祖父母と大好きな叔父貴の眠るお墓が、┉かつてあったお寺さんに行ってまいりました。
そう、それは墓じまいだったのか、墓移動だったのか┉、姪の私には連絡がくることはなく、その墓じまいがそもそも終了しているのかもわからないのですが。叔母やほとんど話したこともない従妹には聞きずらいし、お寺さんに聞こうにも聞きずらく、なんとなく時ばかり過ぎていました。
墓じまいされたあとはその墓所から墓石自体なくなっているので、墓所に行けば一目瞭然わかることなのですが、さすがにそれはあまりにも寂しすぎてできず┉ 無くなってしまったお墓のご先祖さまへのお参りはどうあるべきなのか、答えが出せないままお彼岸を終えてしまいました。
そうだ!お寺さんに行こう。
そんな思いで向かったお寺さんには、すでに満開の時を迎えた垂れ桜が出迎えてくれました。
そうか、これでよかったんだ。
こちらのお寺は桜の名所と言っても過言ではない、大きな垂れ桜と大きなソメイヨシノがあります。そのすべてが今まさに満開の時。
こちらのお寺のご本尊さまとご先祖さまが、お参りをお喜びくださったなどと、うぬぼれてはいけませんよね。ですが、まさに満開、そして普段の年ならば、どうしても時期のずれるだろう桜が一斉に咲いている様は本当に本当に見事で、まことにありがたい光景でありました。
ヒゲダンス┉今観ても見とれてしまう、そのすばらしさ。ですが、こんな形で今観ることになろうとは┉。
そしてあらためて新型コロナウイルス感染の恐ろしさを知ることになりました。
罹ってしまったらどうなる?どうする?┉考えはするものの、どこか他人事、ニュース、でしかないのです。
ただ┉自分の居住地では、『一時熱があってだるい』といった症状を伝えたところ、なんと五ヶ所の医療機関で来院を拒否されたという話を聞いたばかりであり、なおかつ地元の公立病院はそういった訴えが多すぎてさばききれないと病院が地域の病院や医院、クリニックに訴えているという、まさに八方塞がりな、まさにどうしたらよいのかわからない、衝撃的な話を聞いております。
どうしたらよいのかわからない不安は、そんな初歩の段階からのものであります。
そして今回、志村けんさんの訃報によって知った、コロナウイルスに罹患するとどういった経過をたどるのか。
その方が亡くなられたあと、ご遺族はどういうお別れを強いられるのか。
胸に突き刺さるような衝撃を受けたものであります。
亡くなる前も亡くなられたあとも、お会いになれない。荼毘に付されてもなお会えない、そんな別れであることを誰も知らなかった!想像すらできなかった!
これは┉
落ちついて今を生きることは正直むずかしくなりました。
先日こちらに書かせていただいた【爪引き観音】さま。
それなりに新しい御堂が建てられており、綺麗に掃除され、たくさんの奉納旗がはためいております。境内に大きな桜の古木があるため全体としては広いのですが、さほど広くはない、あまり足元のよくない石段を何段か登るようなところにある御堂です。
ですがこれはきっと小まめに手入れをなさる方がおられるに違いありません。奉納旗に名前のある方でしょうか。
真偽のほどはとにかく、弘法大師の頃からのものが、逆にこの地から(立派なお寺の境内などに)離されることもなく、これほどに愛され大切に守られている爪引き観音さま。
奉納旗に名前のあった知り合いのお年寄りにうかがうと、一年に一度はお祭りもあるのだといいます。奉納旗に名前のある方たちだけでも境内や御堂に入りきらないような気がするくらい狭いところに建っています。
ですがそのお年寄りは寄付金を納めただけで信仰はされておられないご様子で、なんとか地元の資料を読んだりみどり市の担当の方にお話をうかがったところ、意外な事実がひとつ、浮かんできました。
昭和のはじめに太田市薮塚、みどり市の笠懸を大きな、恐らくは竜巻が襲い、ことに笠懸はその進路にあたったところは壊滅的な被害を受け、死者も数人出る大きな災害があったようです。
ところがこの観音さまのおられる辺り一帯だけがなんら被害を受けることなく残されたことから、よりいっそう信仰されるようになった、ということであります。
昭和のはじめのその災害を覚えている世代はおそらくはあまりおられないのでしょうが、今、ここを守られている方々は、まさにその頃生まれたか、その後に生まれた方々で、親御さんからおそらくはその話を折にふれ聞かされ、一緒にお詣りをしている世代でありましょう。
小高いところにある見事な桜の古木も、その災害から難を逃れたものだったのですね。
御堂は平成の御世にこの地域にすんでいる方々の寄付金により建てられたもののようです。
地域の方々に愛され大切に守られている御仏。いつまでも守り伝えられていって欲しいものであります。
今、世界はひとつの願い、ひとつの祈りで、誠に皮肉なことながらも心はひとつとなっていると言えるのかもしれません。
どうか、それぞれの国の神さま、仏さまが、それぞれの民の祈りを願いを受けとめて、一日も早くこの世界をお救いくださいますように。
先ほどテレビで坂本龍一さんの無観客ライブの映像を拝見いたしました。そのなかで坂本さんが話しておられた言葉に胸を打たれました。
「今もウイルス禍と戦っている全ての医療従事者の方々、本当に心から敬意を表します。この新型コロナウイルス感染が収束していった先、ポストパンデミックの世界、この世界がどのようになるか、やはりパンデミック前と後では、僕たちの考え方や経済のあり方、文化のあり方が大きく変わるような気が僕はしています。願わくば、行き過ぎたグローバリゼーションとか金融資本主義が少しずつスローダウンして、もっとゆとりのある、自分たちも自然の一部だということを感じられるような緩やかな世界になることを願っています」。
「最後にもう1度しつこく繰り返しますけれども、皆さん基本である、手洗い、うがい、マスク、ぜひお願いします。
いちばん大事なことは外に出ない、人と接触しない、ソーシャルディスタンスを保つということ。
世界では今この時間もたくさんの人が亡くなっています。家にいられるというだけでとても言ってみればぜいたくなことなんだと思って、ぜひ貴重な機会を無駄にしないで、自分を豊かにするために使っていただきたいと思います」
自分を豊かにするための時間。
私は仕事が休みになることなく、お仕事をさせていただけております。突然仕事を失い、住むところすら失う方がおられるなか、感謝すべきことと、あらためて思います。
私が毎日仕事に向かうことが有意義であるかどうかは、私の心ひとつ、であります。
頑張ろう、自分。
今日も仕事に、行ってまいります。
『不急不要な外出は控えるべきこと』
日に日に緊迫した状況となってきています。
┉ただ、地元で感染者の出ていない地方では、正直、どこか、ニュースの世界で、じわじわと感じている程度の恐怖に過ぎないのが正直なところかと思います。それは、おそらくは私だけではないのではないかと思ったりします。気持ちが拒否してしまっているのだと思います。呼吸器系の弱い夫が罹患してしまったら、どうなってしまうかなどということは、考えたくもないことであります。
今日はよく晴れた、風もほとんどない、よい一日でありました。
里の桜を愛でに、摩崖仏を訪ねて、夫と二人、車で出かけてきました。一度はみてみたいと、歴史オタクの夫がかねがね申しておりました、桐生市新里町の、【関の摩崖仏】・【高縄の摩崖仏】であります。
関の摩崖仏は、小さな川にかかる橋のたもとに、注意していないと見逃してしまいそうな小さな小屋のような建物の奥に、まさにひっそりとございました。
赤城山の泥流によって運ぱれた凝灰質の集塊岩。高さ128センチメートルの岩は、舟形に彫り込まれ、その中に三尊像が刻まれていました。三尊像は阿弥陀如来を中心に、脇侍として右に観音菩薩、左に勢至菩薩が半肉掘りされている、鎌倉時代頃のものと推定されているものです。長い年月による劣化で、左右の仏さまはすでにそのお姿を見いだすことはできませんでした。かろうじて右側の仏さまはなんとかその跡を目でたどることはできるのですが、左側の仏さまは大きくえぐられて、そのお姿が見いだすことはできません。
摩崖仏さまのおられる岩の御前に、不動明王さまの石像が小さくおたちになっておられました。優しい優しいやわらかなお顔でありました。
個人が寺院を造ることはなかなかできないことであっても、そこに御仏を造りお祀りすることはできる、それがこの(関の)摩崖仏の成り立ちなのかなぁ。
そんな風にぼんやり考えながら、ふと、どこかで、過去にも摩崖仏を拝観したことがある、と、私のなかのもう一人の私が小声で訴えていました。
そんな助手席の私の心の小さな機微などまったく気づかず、夫は「あとひとつ、摩崖仏があるんだけどどこだろう」と、スマホで検索しております。
この桐生市の摩崖仏、そこここに案内表示はあるものの、現地までの案内はないなんとも分かりやすくない案内坂であります。桐生市のサイトで摩崖仏を検索して、カーナビにその所在地の番地を入力するのですが┉でない!再びスマホでマップを出して、ようやくそこに向かいだすといった地道な努力が必要であります。
細い、対向車が来たらどうするのだろう┉というような車一台分の細い生活道路を走って、アバウトな案内を終了された辺りで、今度は目視で探します。「┉あれがそうじゃない?」と夫。
┉民家の作業所の物置小屋です。ん?不自然に石が置かれている?
「見てくる」と私。
生活道路でしかなく、民家と畑があるくらいの場所ですが、言い換えるとすべて他人様の土地。路駐するようなスペースはまったくありません。ごそごそと、石の間を抜けて行くと!石仏が一体小高いところにお祀りされています。
「ここみたい」と声をかけると、夫は路肩に┉車の通らなそうな道に車を止めました。ですがよく見てみると摩崖仏のある境内の入口に車が停められそうです。「向こうに停められるみたい」
そう妻に案内されて向かった駐車スペースに、夫は愕然としてしまいます。軽自動車がやっと!しかも片側はかなりの高低差で一歩間違ったら一回転しそうな狭い狭いスペース。私が運転したら間違いなく一回転しそうなほどのところで、さすがの夫も躊躇しています。「無理かなぁ」、いやいや、自分だったら絶対無理ですよね、私。しかもそこ、結構な坂道であります。
「いや、なんとかなる」ひえぇ、ほんと? ┉だったら考えなく案内するなよ、って話ですよね (´;゚;∀;゚;)
一発で停めた夫が土屋圭一に見えました。(オタク?)
停めたスペース、降りて歩くスペースもなく、車にへばりつくように歩いて来る夫。内心で(変なの 笑)と思ったことは秘密です。(*´艸`)
高縄の摩崖仏は、古びた作業所兼物置の裏手に、唐突にある【聖域】、でありました。
正確に言えば、古い使われているかどうかもわからない作業所兼物置と、新しさを感じる手入れの行き届いた民家との間にある空間、であります。
それがまた、不思議なくらい違和感なく存在しています。古びた建物の裏手であることも、民家の庭に段差こそあれ地続きのように存在していることも、一切不自然なく、それでいて確実に凜とひきしまった気の充ちた聖域なのであります。
境内というには狭い空間でありますが、穏やかで、現実からかけ離れたような尊い土地であると感じる空間であります。
幹のほとんどが割れて裂けている、枯れてしまっていてもおかしくないほど傷んでしまった梅(?)の古木に、枯れたばかりの花が残り、若い枝が伸びています。養生したようなあとなどは一切ありません。その土地の大地と、気と、┉ 神さまと仏さまのお力で、その木がまるで微笑むように咲き、新たな枝を伸ばした、と。
また、そんな風にしか思えないのです。
そろそろ散り始めている桜の木が一本ありました。摩崖仏さまの前に、枝を一本伸ばして御仏にお楽しみいただいているような、そんな風に思えてしまう枝ぶりでありました。
こちらの摩崖仏さまは、三尊すべてのお姿が拝することができました。岩肌に小さく浮き彫りされた弥陀三尊さまで、やはり鎌倉時代のものであると言われているようです。長い年月を経ているため、やはり三尊おられるのが確認できるくらいではあります。
人の手で彫られたお姿が薄れようと、ここは、尊い神さま仏さまの地であると、そこに一歩足を踏み入れるだけで感じる空間であります。尊い土地でありますが、足を踏み入れることを御許しくださり、受けとめてくださるような、温かでやわらかなにかに包んでいただいているような、居心地のよいところでありました。
そこにいたるまでの景色もまた、美しい、日本の源風景、といった感じの、大きな沼に鳥が遊び、桜が花びらを浮かべる長閑な里の風景でありました。ぜひまた、訪れたいと、思うところでありました。
四月八日、花祭り、灌仏会、あるいは仏生会、浴仏会とも呼ばれるお釈迦さまの降誕を祝して行う法会の執り行われる日。
これがまた入学式と重なる日であるため、お休みが取れたことがありません。そのご家庭で一生に一度しかない入学式を陰ながらお祝いして、いつか土日にあたる日を待っております。
それが┉今年に至っては、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言や、コロナウイルス感染者の出ている地域では入学式延期といった事態にまでなってしまっているところすらあるようで、なかには大学などは入学式中止という学校まであるようであります。
楽しみにされていたお子さんが、入学式もいつになることかわからない、それどころか学校自体がいつから行けるものかすらめどがたたないなどといった状況が来ることを誰が想像していたでしょう。
なんともいたましいことであります。
わが家の息子があの3・11の年、大学入学の年で、入学した先の大学がやはり被災地にあり、入学式取りやめとなったのでありますが┉その時とはまた、状況が異なります。
一日も早く、命の危険にさらされた、不安な日々が終息しますよう祈るばかりであります。
群馬県では、そんなさなか、緊急事態宣言のだされた地域のナンバープレートの車が多数見られるようになっています。観光地であったり、御朱印で有名な寺院であったり、到底、必要不可欠で急ぎの用で来られたとは思われないところでです。私も実際小さな通勤途中での道であるにも関わらず、だいぶ他都府県のナンバーの車を見かけるようになっております。
緊急事態宣言により休みになって、コロナウイルス感染症の流行していない地域へ観光に訪れたりは本末転倒だと思うのであります。
また、従業員を駒の一つとしか考えていない事業主が、都内や緊急事態宣言発令地域に、あえてのこの時期にも出張や仕事を指示する地元の会社もあるようです。テレワークと言われてもそれでは成り立たない職種もあるのはわかりますが、防げる感染を、防ぐべき感染を、もう少し考えることはできないのか?と思う職種も含まれています。今でなければ!というほどの緊迫した出張や仕事ではないと、口を揃えておっしゃられていました。
なんとかなりませんか?
なんとかしませんか?
本県では都内からの疎開者が直近二人発症しております。
なんとかなりませんか?
なんとかしませんか?
いままでも時々登場しております、【上毛かるた】。
群馬県に存在する、おそらくは老若男女知らない者はないと断言してもよいかるたであります。かなり大きくなるまで日本中各都道府県すべてに存在する、群馬版に過ぎない当たり前のものだと思っていたくらいだったので、群馬県特有のものだと知ってびっくりしたくらいでありました。
それでも、小学二年の夏転校するまで住んでいたところでは一年生の時しか在学しなかったせいなのか、上毛かるたの存在すら知らないでいたのですが、転校して冬を迎えたかという頃、同級生がかるたを持ってきて休み時間に興じているのを見て初めてその存在を知ることとなったのですが、そのうち、担任の先生までが「練習をするので『上毛かるた』を持っている人は持ってきてください」と言うではありませんか。?!
大変びっくりして家に帰り、父や叔父に聞くと「ああ、知ってるよ。よくやったなぁ、懐かしい」とまで言うではありませんか。私だけが知らなかったんだ!その疎外感から泣きそうになっていると、慌てた叔父がかるたを持って来てくれました。「?。┉これじゃあ、ない」
箱の絵が異なり、さらには絵札の絵も学校で見た同級生のものとは異なります。「ああ、絵が変わったんだなぁ。大丈夫、絵が違うだけだから」
素直だった私はその絵札の絵の異なる、上毛かるたを持たされて学校に行き、同級生に笑われバカにされることとなり、【上毛かるた】を販売するという申込書を学校でもらい持ち帰り、泣いて怒って訴えた覚えがあります。今でこそ貴重な、幻の、絵柄の異なる上毛かるた、あのあとどうしたのかなぁ。
二年生だというのに、同級生たちはみな、上毛かるたのプロのようでした。
私の目にはそうとしか見えないくらい、さながら百人一首のように、床に並べ、独特の読み方で読み札を読み、百人一首のように絵札を横に飛ばすように素早く取っていきます。まさに目が点、でありました。
負けん気の強い私は、まだ手に入らない新バージョンの上毛かるたで必死に読み札を覚え、ありとあらゆる時間を上毛かるたに費やして過ごし、年明けての上毛かるた大会ではかなり上位にくい込んだものの、やはり元からプロであった同級生にはなんとしても勝てない存在がありました。そんな同級生たちは学校代表となり、市の大会、県の大会へと歩を進めていくのでありました。
他県の方々は、私の小学二年の時に感じた衝撃をもって、群馬県においての【上毛かるた】の存在の大きさを少しは感じていただくことができたかと思うのですが、今でも、その読み札をすべて暗唱できるくらい、血となり肉となっている大きな存在なのであります。
その上毛かるたの【え】【縁起だるまの少林山】。
絵札の絵は赤い達磨と、星座の描かれた、派手で不思議な絵柄のものであります。その絵札の実に深い意味をもつものであったこと!
それを知るのは、珍道中で高崎市【少林山達磨寺】を訪れて、初めて知ることとなります。と、群馬県民の上毛かるたへの熱い思いはいったんここで置いておき┉。
【少林山達磨寺】さんに参拝いたしました珍道中録を書きたいと思います。
縁起だるまの少林山なので、ついつい少林寺と勘違いしてナビに「少林寺」と入れると少林寺拳法の道場しかヒットいたしません。
達磨寺さんはその名の通り、達磨大師に深い縁を持つお寺さんです。
あの赤いダルマの張り子、選挙の際などによく用意され、当選の暁には両の目となる、あのダルマはこの達磨寺の和尚が作ったとされるもののようです。(ちなみに、高崎市のマークはダルマで、高崎市に入るといたるところにダルマがおり、『あ、高崎市に入ったな』とわかるくらいであります)
【達磨大師】は、禅宗で初祖達磨大師と仰ぎますが、七転八起、面壁九年の不撓不屈ふとうふくつの精神は宗派を越え、誰からも親しまれ、慕われ、信仰されておられる存在であります。そんな達磨大師をお祀りしているお寺さん【達磨寺】さん。
昔は、碓氷川のほとりに観音様を祀るお堂であったそうです。
ある年の大洪水のあと、村人たちが川の中から香気のある古木を引き上げて霊木として観音堂に納めておきますと、あるとき一了居士という行者が霊夢によって訪れ、その霊木を信心を凝らして一刀三礼、達磨大師の座像を彫り上げ観音堂にお祀りしました。
この噂は近隣に広まり、その頃の前橋領主・酒井雅楽頭忠挙公は厩橋城(前橋城)のちょうど裏鬼門にあたるこの地を護る寺としたいと考えます。
水戸光圀公の帰依された中国僧・東皐心越禅師を開山と仰ぎ、弟子の天湫和尚を水戸から請じて、元禄十年(1697)少林山達磨寺(曹洞宗寿昌派)を開創したのが、この達磨寺さんの起源であります。
達磨大師をお祀りしている達磨寺さん。
立派な山門を抜けると長い長い石段が続いています。その長い石段を登っていくと、渡り廊下のようなものが石段の上にあるのが見えてきます。実はこれは渡り廊下ではなくて、鐘楼であります。
「招福の鐘」と名のつけられた鐘は、午前9時から午後5時までであれば、誰でもつくことができます。木で造られたきざはしを登ると、鐘の向こう側に達磨大師の御像が祀られております。
「ゆっくり2回」、達磨大師の御前でつく鐘は心を鎮めてくださるものでありました。
きらめく苔も美しい、手水舎で身を清めてさらに続く石段を登ると、【霊符堂】があります。一般のお寺さんにおいて本堂と呼ばれている場所であります。
【北辰鎮宅霊符尊(ほくしんちんたくれいふそん)】さまとと初祖【達磨大師】さま、開山心越禅師さまをお祀りしています。
本堂の正面の両端の濡れ縁に大小さまざまなダルマたちがところ狭しと積み上げられています。ぎっしりと積み上げられたダルマはそれぞれに記名され、両の目が書かれています。
役目を終えたダルマたちがここに集められ供養されるのを待っているとのこと。年に数回、「ダルマお焚き上げ供養法要」が行われています。
ところで、ダルマは願いが叶っても叶わなくても、供養をしてあげないと次の縁起につながらないそうです。ダルマを求める習慣もなく生きて来ましたので、それもまた、初めて知ったことでありました。もしかしたら、この積み上げられたダルマの中には片目のダルマがいるのかもしれない。
さて、上毛かるたの【え】「縁起だるまの少林山」の絵札にある星座、 北斗七星だったような記憶があるのですが、あらためてネットで確認したところ、星の数を改めて数えてみると六つしかない。それで星座と書くしかなかったのですが、七つ目の星は、こちらの本堂にあたる霊符堂にお祀りされている北辰鎮宅霊符尊さまであられるから、あえて絵札に六つしか描かれていないのだと、参拝して納得いたしました。
北辰鎮宅霊符尊さまは北極星と北斗七星を神格化した星の神様です。 北辰鎮宅霊符尊さまと達磨さまとがいる少林山が「七つ目の星」なのです。
絵札では達磨を7つ目の星として表現しているそうです。
そんな奥の深かった絵札に、あらためて感動した、群馬県民でありました。
達磨大師はお釈迦様同様に、身分の高い王子であったようであります。
達磨大師は自らにも厳しかったけれど、他者にも厳しかったようです。
百歳を超えてなお、仏教の教えを極めようと、インドから中国に渡ったと言われています。若い僧であっても命がけの旅であった時代であります。
また、他者にも厳しかったということでは、中国の少林寺で修行する達磨大師のもとにぜひ教えを受けたいと、あるとき、一人の僧侶が訪ねてきます。雪がしんしんと降っているなか、達磨に挨拶をしても、壁に向かったまま振り向きもせず、一言も言葉を発しないことから、言葉が通じないのかなと思いましたが、その僧侶は達磨大師に試されているに違いないと思い、扉の外で待つことにします。一晩立ち尽くして待っていると、明け方には、降り積もる雪は、膝の高さになりました。そのとき達磨大師が
「お前まだいたのか。何しにきた?」
と声を発したといいます。
「仏の教えを受けたく参上いたしました」
「仏教はそんなに軽々しく聞けるものではない、命と引き換えに聞かせて頂くものだ。出直してこい」
それを聞いてその僧侶は、ここで仏教を聞かせて頂くことができなければ、死んで永劫に苦しみの世界を迷い続けていかねばならないと、持っていた短刀で左腕を切り落とし、達磨大師に突き出したといいます。それを見た達磨大師は、
「その真剣さならよかろう」
と、初めて弟子をとったということであります。
その後も達磨大師は壁観を続け、その厳しさは、手足がくさって切り落とさねばならないほどだったと言われます。
達磨の名声をねたむ者からは、殴打されたり、石を投げつけられることもありました。それでも達磨は微動だにもしません。やがて投石は顔に当たって歯が欠けたといわれます。さらには毒をもられたりもしますが、それでも修行を続けます。
それゆえ、張り子のダルマに手足がないというのはなんとも痛ましいことであります。
壁に向かって9年間修行をしたので、これを【面壁九年(めんぺきくねん)】というのだそうです。
達磨大師はたいてい怖い顔で描かれています。ですがあれは、他人をにらみつけているのではなく、手足が腐るほどの修行に、くじけそうになる自分の心を見つめて苦しみに耐えている姿が描かれているのだといいます。
宗派をこえて尊敬され、愛される達磨大師は、かような方でありました。
達磨寺さんには、茅葺きの趣ある観音堂あり、千手観音さまが奉られておられます。
その空間に行くと、まだ髷を結い着物を着た人たちがお詣りされていた光景が目に浮かぶような気がする、私の好きな空間であります。御堂の格子には障子が貼られています。
赤が大半でありますが色とりどりで、大小さまざまなダルマさんが山積みにされている霊符堂から、一段下がった場所にあるのですが、もともと厩橋城主がここに寺院を建てる以前からお祀りされていた観音堂で、すでに多くの人々の信仰を集めていたことが偲ばれます。やわらかな穏やかな気が包んでくださるような空間であります。
観音堂から見下ろすと今でこそ、御朱印や御守りをお受けする大きな
瑞雲閣と呼ばれる建物が建ちその屋根が見えるのですが、観音堂だけであった頃は高崎の街が一望できる場所であったかと思われます。
そんな観音さまのお側で人々は庚申講をしていたのか、まさにおびただしい庚申講の石碑がさらに一段下がったところにあります。後になって見映えよくその石碑をまとめて置いたのでしょうが、これは圧倒されました。
参拝を終えて石段をおりると再び【瑞雲閣】と呼ばれる大きな二階建ての御堂の前にまいります。
こちらでは座禅や結婚式などもとりおこなわれるようですが、御朱印をお授けいただくところともなっています。
達磨寺さんは御朱印はあくまでも納経されてお授けする印である、本来の御朱印に大きな意味をおき、納経がなければその場で般若心経の一文を書いて納めることではじめて御朱印をお受けできます。
こちらでは、ありがたいことに納められた経を達磨大師の御前に捧げて、長いお線香をお立てくださり、読経しさらには納経にあたって記された氏名と願い文を読み上げて御祈祷くださるのであります。
お納めする金額も「お気持ちを┉」ということで、金額を定めておられません。
御朱印代は三百円~五百円、納経代は千円、というのが群馬県での相場であるようです。
あくまでも伝道を目的とした、そして心のこもったお寺さんの姿勢に頭が下がるばかりです。
四月十日、ほとんどの桜が花びらを散らした頃にありながら、境内では見事な桜が満開でありました。瑞雲閣のそばにある駐車場では見事な垂れ桜が満開の春の達磨寺さんでありました。
群馬県前橋市の三夜沢赤城神社さんに参拝してまいりました。
何度か参拝させていただいており、また、息子たちもこちらに参拝に訪れることがあるようで、今年の初詣はこちらに一緒に参拝いたしました。
全国に三百とも言われる赤城神社の本宮といわれる赤城神社の内のひとつにあたります。回りくどい言い方になりますが、本宮とされる赤城神社は三つあり、御祭神も異なります。どちらにも参拝させていただいておりますが、いずれもすばらしい神社で、人間界でどうお祀りしているかなど、全く関与なさらない神さま方がその地、その土地を何千年にもわたりお守りくださっておられると感じるそれぞれの神社さんであります。
趣もまるで異なり、こちらの三夜沢赤城神社さんはまるで木々で結界を張られているように感じるほど、大きな木々に囲まれております。
車で向かうとかなり離れたところからでも目にはいる大きな鳥居も、塗装も施さない素木で、その鳥居が見えるところからすでに身の引き締まるような凜とした気に充ちた神社さんであります。
鳥居をくぐると、ひだりてに社務所、みぎてに手水舎があります。以前はほぼ閉まったままだった社務所が、平日にも関わらずこの日は開いておりました。
そして、こちら、三夜沢の赤城神社さんの手水舎!
神池と一体となった厳かにして神秘的なすばらしいものであります。
澄んだ池には大きな錦鯉が泳いでおりますが、エサなどを与えるような池ではない、まさに神域にある池、といった雰囲気の池であり、こちらの手水舎のファンは多いようです。ですがどの写真をもってもやはりあの手水舎のまえに立った時の厳かさ、神聖さは撮しとることはかなわないように思えます。
御神水をいつでもどれだけでも無料でお分かちくださるほど、いつでも豊かな水量を保つこちらの神社さん、神池の水もいつも澄んでいつも同じ水位を保っております。
[境内]をあくまで社殿や神楽殿などの建物のある土地としてとらえるとさほど広くはない三夜沢赤城神社さんですが、こちらはこの土地、御山自体が神さまのおられる神域で、人間が入ることをお許しいただいているのがほんの手前というだけであります。そう感覚できる土地であります。
こちらに参拝に訪れると、穢れた我が身を恥じ、身を正すということが自然に身体の内から湧き出るような感覚になる、神社さんであります。
令和二年四月十四日
以前書いた仏さまのごはんの食器、仏飯器を購入することができました。
いつも書くように、子どもたちが後々困ってしまうようなものとして残るのは嫌なので本格的なものではない仏壇もどきではありますが、仏飯器は仏さまに差し上げるのに失礼がないように、脚がついて高さがあるのだと知って以来、ずっと気になっておりました。これでようやく仏さまに失礼なくごはんをあげることができます。ただ、金額的には失礼この上ない、110円。そう、百円ショップで買い求めたものです。
百円ショップ、本当に何でもあるんですね。
群馬県高崎市の【小祝神社】さんの春の大祭が今月の十九日、ちょうど日曜日にあたるようです。
昨年の秋の大祭に神職の方からよろしかったら是非とお声をかけていただいたのに、うかがうことができなかったので、こんな時世ではあるけれど、今回参列させていただこうかと考えてみたりしておりました。
というのも小祝神社さんは主祭神さまが【少名彦命】さま。[医薬][豊穣][健康]の神さまであられます。
今、全世界を恐怖に陥れ、経済をも揺るがしている新型コロナウイルスの一日も早い終息をと、神職の方とともに微力ながらお祈り申し上げたいと思ったのでありました。
ですが┉やはりこんなご時世、大祭は神職の方のみで神事を執り行い、大勢の方でのお祭りは中止するとの旨、つい先日確認したホームページに書かれておりました。大好きな神社さんであります。本殿の後ろに小さな小さな鳥居があり、まるでそこをお通りになって少彦名命さまが人間界にお越しくださり、困っている者を助けて歩って下さっておられるような気持ちのする、なんともワクワクするような神社さんなのであります。
こちらの御朱印は手作り感溢れる月毎に変わる温かなものでありまして、ファンの方も多いようです。
一日も早い新型コロナウイルス感染の輪が絶たれ、終息いたしますように、小祝神社さんの大祭の日には小祝神社さんに向かってあらためて祈らせていただこうと思います。
筍の美味しい季節です。
ですが、竹やぶを持つような知人もおらず、スーパーに並ぶ筍はたいそうな値段がいたします。
そのあまりの高さに、何度もためらいながらも、やはり我慢できずに、清水の舞台から飛び降りるような心持ちで、カートに収めてレジに並ぶ、相も変わらず欲深い未熟な私であります。
ところで、筍が土中から伸びた姿は、お釈迦さまが生まれたときのお姿(誕生仏)に似ていることから『仏影蔬(ぶつえそ)』と呼ばれることがあるのだそうです。初めて知りました。
四月八日、お釈迦様の生誕の日、毎年、お寺さんでお祝い申し上げたいと思いつつも、勤務先の新入生のいるママさんのためにも、休むことはできず、いまだに花まつりに参列したことがありません。
いつか、土日にあたるであろうときまで、筍をいただきながら、お釈迦様の生誕をお祝い申し上げたいと思います。
筍の二文の件。
せっかく共感いただいたのに、ほぼ同じ内容でしたのであえて削除させていただきました。本当に申し訳ありません。
昨日なぜか投稿した内容が画面上どうにも確認できず、記憶をもとに同じ内容で書いたものでありました。(だいぶ異なっていましたが┉)
共感いただいて、先に書いた内容が投稿できていたことを知りびっくりした次第で┉。
ええ、決して認知症の進行ではないので、そこはご安心ください┉徐々には進行中であることは否めませんが(..)
いつも共感いただいているお方かと存じます。
大変感謝しております。
ありがとうございます。
こんな時世であります、あなたさまのご健康をお祈り申し上げます。
本当に、新型コロナウイルス感染症が一日も早く、終息いたしますように。
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