ロシア人

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2019/10/11 23:04(更新日時)

ロシア人の有名人(歴史の初めから現代まで)を、5人挙げて下さい。

他人の回答した人物と重なっても構いません。あくまで自分が知っているロシア人を5人まで。5人以下でもOK。ただなるべくネットや参考書などを見ないでお願いします。

・注…歴史的にウクライナやベラルーシなど帝政ロシアやソ連時代にロシアと重なっている、紛らわしい人もOKです。また人種も白人でもアジア人でも黒人でも、その他でも構いません。

では宜しく。皆さんのロシアに対する知識、またロシア文化の日本における知名度をぜひ知りたいので。



18/09/27 22:04 追記
本題から外れた書き込み、知的レベルの低さによるヤジなどは荒らしと見なします。

No.2717179 (スレ作成日時)

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No.51

>> 50 ロシア人の定義?
アナタはどう考えているの?
もし良ければ、下の私の考えに影響されずに答えて下さい。


法的にはロシア国籍保持者がロシア人でしょうが、ロシア人の定義は専門家でも一致していません。

私の考えでは、大陸の大国で多民族国家なので、特に帝政ロシアとソ連時代にはロシア語を喋り、ロシアで出世した人はロシア人扱い。
つまりウクライナ出身だがロシア語の文豪ゴーゴリや、グルジア出身のスターリンやハチャトリアン、またロシア人だがロシアで成人した後に革命ゆえに西側に亡命したラフマニノフ等、皆ロシア人。

ただし親や先祖がロシア人だが本人が他国生まれ、または少年時代までロシアに居たが他国に亡命し、他国の言語が事実上母語になった人などは、ロシア系と言えてもロシア人ではない。

また、ソ連崩壊後にロシアと完全に別の国になったウクライナやグルジア等で、自らのアイデンティティーがロシア人ではなく、反ロシアまたはウクライナなりグルジア(ジョージア)の愛国者ならば、その人もロシア人から外す。

他方、ウクライナも含め、エストニア、ラトビア、カザフスタン等で国籍はその国だが、先祖代々ロシア人で今でもロシア語が母語で自他共にロシア人と考えてる人は、ロシア人!

こうした問題は大陸国家ならドイツ人やフランス人にも言える事で、二重国籍者等ならどちらの国民でもOKと言っていいかと。

No.52

さてロシアの主な君主、軍人、政治家を列挙すると。











リューリク、オレーグ(この2人がロシアの建国者。ただし2人共、スウェーデン系のヴァイキング。デンマークやノルウェーのヴァイキングが北海やイングランド、フランス、更に地中海に進出したように、スウェーデン系は東のロシアに進出したのだ。ただし住民は東スラヴ系。つまり支配層だけがゲルマン系だった)

この初期ロシアはキエフが中心で、キエフ・ルーシ公国と呼ぶ。つまりまだ東スラヴ人がロシア人とウクライナ人に分かれる以前の状態。

スヴャトスラフ公、ヤロスラフ公、ウラジーミル公(ロシアにキリスト教/ギリシャ正教を導入)、イーゴリ公。

順序は忘れたが、ヴァイキング名でなく、スラヴ的な名前の支配者に成ってくる。支配層が少数ゆえスラヴ化したのだろう?


でキエフ・ルーシは10世紀頃かなり栄えたが、12世紀にモンゴル帝国に侵略され、200年以上、ロシアはモンゴル支配を受ける。

この時代の著名人は、
アレクサンドル・ネフスキー。
彼は東にモンゴル、西にドイツ騎士団と敵を抱え、結局モンゴルに譲歩し臣従し、西のドイツ騎士団を今のラトビア辺りで激戦の末、破る。

モンゴル時代に比較的辺境だったノブゴロドやモスクワが次第にロシア人らの中心地になり、14世紀末、モスクワ大公の
イワン3世がモンゴルから独立。

次いでイワン4世(雷帝)時代にロシアはモンゴル勢力より強くなる。


だが彼の死後、皇太子を殺害したボリス・ゴドノフが大公になる。

なおモスクワ大公は、国際的には王より1ランク下の大公だが、自らはツァーリと名乗り、滅亡した東ローマ帝国の後継者を自称。

ただしロシアのツァーリが国際的に皇帝と認められるのは、ずっと後の18世紀。

No.53

>> 52 そのボリス・ゴドノフ時代には、何と西のポーランドが大国であり、彼の死後、モスクワまで攻めこみ、ロシア支配を企てる。

なお当時、ロシアと同じ東スラヴのウクライナは、西スラヴ国家ポーランドの支配下。またモンゴル人らは衰退したが、クリミア半島を支配しクリミア・タタールと成る。


結局、モスクワをポーランド軍から解放したのは、ロマノフ朝の開祖ミハイル・ロマノフ。

これ以降、ロマノフ朝ロシアは次第に領土を広げるが、ロシアを一躍大国にしたのが、

ピョートル1世!

彼は18世紀初期に活躍し、ロシアを極端に西欧化させ、当時バルト海を支配していたスウェーデンを破り、また首都を内陸のモスクワから、彼自身が作らせた海に面した街サンクト・ペテルスブルクに移動。

サンクト・ペテルスブルクとは、ドイツ語で聖ぺテロつまり聖ピョートルの意味で、いかにピョートルが西欧カブレだったか伺えるだろう。

この地名、後にロシアでは訛りペテルブルグになるが、ドイツでは今でもSt.Petersburgザンクト・ペテルスブルク(ペータースブァーク)、英語では同じ綴りでセント・ピーターズバーグと呼ぶ。

その後、しばらく平凡な君主が続いた後、
エカテリーナ女帝が現れ、ロシアを名実共に帝国に。

そして彼女の死後、フランス革命とナポレオンによりロシアは苦しむが、ナポレオンのロシア遠征失敗により、自然に時のロシア皇帝
アレクサンドル3世が勝者になり、国際的発言力を増す。

その後を継いだニコライ1世は、かなり保守反動な君主でロシアだけでなく、ヨーロッパ各地の革命運動鎮圧に熱心に軍隊を派遣。

No.54

>> 53 先に進む前に忘れていた事を。

ポーランド支配時代のウクライナでは、不満を持つウクライナ農民らが、ポーランド人領主らから逃亡し、ドニエプル川地域に集まりコサックとなり、ポーランドに対して反乱起こす。

有名な指導者は、ボフダン・フメリニツキ。

また彼らはポーランドと領土争い中のロマノフ朝ロシアの側に付く。

だがコサックの独立心は消えず、ロシア領となってからは、ステンカ・ラージンらが今度はロシアに対して反乱。

つまりウクライナとは、ハッキリしない地域であり、漠然とロシア南部で何かロシア人とは違う人々の地域を指した。

キエフが中心地とは言え、キエフ自体は完全にロシア帝国の一都市だったし、まだウクライナ人共通のアイデンティティーは出来て居なかった。

No.55

>> 54 さて19世紀のニコライ1世以後、アレクサンドル2世、3世と続き(前々レスのアレクサンドル3世は1世の書き間違い!)、やっと農奴も解放されたが、他方、ロシアのインテリらには無政府主義や社会主義思想が広がり、内政が混乱してくる。大衆の貧しさ、貴族の豪勢さの大格差が原因だろう?

こうしてニコライ2世が皇帝に成るが、日露戦争で敗れ、各地で革命騒ぎや暴動が続き(逆にこれゆえに日露戦争続行不能になり敗れたとも言える)、遂に第一次世界大戦中、1917年にケレンスキーらの革命が成功。

だがこれは穏健な革命で、皇帝は居ても国自体を民主化する程度だったが、敵国ドイツが送りこんだレーニンが革命を乗っ取り、共産主義革命となり、皇帝一家は殺害される。

レーニンはドイツとの密約守り、大戦から手を引き、ウクライナや今日のベラルーシの大半をドイツ側に引き渡す。

だが翌1918年、ドイツが西部戦線で敗北した為、このロシアとの条約は無効に。

レーニン死後は、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコとソ連支配者が続き、最後のゴルバチョフでソ連崩壊。

ソ連を形成していた形式的な国々は、皆、独立国となり、特にバルト3国はロシアから強く離れる。

結局、ロシアの大統領にはエリツィン、プーチン、メドベージェフ、再びプーチンと続くが、特に問題なのはロシア人と同じ東スラヴの国ウクライナとベラルーシが、ロシアとどう関わるか、である。

ベラルーシはまだロシアの同盟国だが、ウクライナは元々様々な立場の人々の国ゆえ、親ロシア、反ロシアの揺れが大きい。

No.56

せっかくだからロシア語に少し触れよう。
と言っても私はロシア語が出来ない。しかしロシア語に近く、更に難しいと言われるポーランド語が出来るからロシア語の輪郭だけなら説明できるだろう。

まずロシアはインド・ヨーロッパ語の中のスラヴ語に入る。話者は1億6千万。またロシア語がかなり理解できる人々を含めると、3億近くなるか?(旧ソ連の様々な独立した国々ではロシア語が通じるから)

スラヴ語の大半はヨーロッパ言語でも大変難しいとされている。これは英語しか勉強した事ない日本人には理解できない問題だろうが、とにかく名詞、形容詞などの格変化が6、動詞の人称変化が6通り全ての動詞にある事。
また全ての名詞が男性、女性、中性のどれかに分けられている事など、文法の難しさが理由。

文字は例のキリル文字(ロシア文字)だが、これは慣れれば全く問題ない。ただしヨーロッパ人にはキリル文字を見ただけで吐き気もよおす人々もいるから(ソ連を連想。またはギリシャ文字やラテン文字よりずっと歴史が少ない等の理由)、こういう人にはロシア語は最初から無理。

まあ日本人だけでなく、英語ネイティブにもロシア語は大変難しく、挫折する者続出。だが割合頭が良くて、最初の2~3年の地獄をクリアすれば、後は辞書さえあればドストエフスキーやトルストイでも読めるらしい。

つまり最初の3年近くが険しい崖で、それを登り切ればロシアの平原を行くような感じらしい。

なおポーランド語が出来ればロシア語の最初の崖は、ほとんど存在しない。

スラヴ語同士は互いに似ていて、まあポーランド、チェコ、クロアチアなどラテン文字使う言語、ロシア、ウクライナ、ブルガリア等キリル文字を使う言語に分かれても、中身自体には近親性があるのだ。

またスラヴ語は、一応現在まだ有効なインド・ヨーロッパ語学説では、東側(インド、イランなど)と西側(西欧、北欧、南欧)の中間に位置する。

あとドイツ語などと比べ、日本人に救いとなるのは、冠詞が無い事、男性、女性、中性名詞の見分け方に一定の法則がある事だろうか?

No.57

スラヴ語の輪郭は大体知っていたが、最近、何気なくロシア語の文法書を見てみたら、何とポーランド語よりかなり易しく、ラテン語と比較したらずっと易しい。
しかも最初に覚える事(格変化や動詞変化)はドイツ語より多いだろうが、そこさえクリアしたら、多分ドイツ語の方が母語でない人々には難しいのではないか?
結局我々ドイツ語母語者にとって真に努力が必要な、<価値ある>外国語は、ラテン語と古典ギリシャ語、更に言語学を追求する人ならサンスクリットか!?

ポーランド語は普通ならやらなくても向こうがドイツ語を学んでくるし、日本語は漢字以外は文法が簡単。
フィンランド語は難しいが、これもフィンランド人でドイツ語出来る人が結構多い。ハンガリー語も同様だ。

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