彷徨う罪
一番…罪深いのは誰ですか?
- 投稿制限
- スレ作成ユーザーのみ投稿可
今、顔を上げたら見られてしまう…。
一番、見られたくない姿を…
「おいで、こっちだ…。」
それを知っているから…この人は、私を隠しながら肩を抱くのだ。
「店長…?」
「涙が止まるまで、俺の方を向かなくていい。」
岩屋はそう言って、帽子をグイッと被せる。
目元まで下げられたら邪魔なのに…。
無意識だったけど、どうやら私は、岩屋の店の階段に座り込んで泣いていた様だ。
そこに、出勤して来た岩屋に見つかるなんて情けない。
私は、シャツの袖口で涙を拭う。
「…腹、減ってないか?」
そういえば、昨日の夜から何も食べてない。
「減った。」
「オムライス作ってやるよ。
落ち着いたら、店ん中入って来いよ?」
岩屋は、私の頭をポンポンと軽く叩いて店の中に入って行く。
…オムライス。
お腹が、「グゥ…」と鳴った。
私は、鼻を啜って頬の涙跡を擦る。
深く息を整えて、店のドアを開いた。
カウンターの、いつもの席に腰掛ける。
色々な銘柄の酒を見ては、どれが一番美味しいのだろうかと想像する。
ふざけて強めのお酒を頼むが、岩屋からアルコールを出された事は一度もない。
この店だって、開店時に来た事はないのだ。
未成年だから…
岩屋はそう言うけど、私は…矢木のように彼から、鋭い眼差しを向けられたりはしない。
岩屋は恐ろしい男だ。
でも、私には何故かいつも優しかったりする。
「出来た!食え!」
白のシャツに黒いエプロンを掛けた岩屋が、どや顔でオムライスを運んで来た。
ドーンとした、デカ盛りサイズのオムライスだ…。
「こんなデカいの、一人じゃ食えねぇよ…。」
「だから、俺も食うし。」
にんまりと笑って、岩屋はポケットからスプーンを出して食わえた。
「ふふっ、ガキみてぇ(笑)」
「おっ、笑った!
お前、その方が可愛いな…!」
…可愛い?
「…私が?」
岩屋はオムライスを頬張りながら「うん。」と頷く。
「お前は、可愛いよ。」
岩屋のこの優しい笑みが、高瀬だったらどんなに良いか…。
また少し
目頭が熱くなった…。
涙がこぼれ落ちないようにと、私はオムライスを食べる事に集中する。
「おいし…。」
岩屋の作る食事は、大抵美味い。
「だろ?」
私達は並んで、一つのお皿を囲う。
「零さ、来月誕生日なんだろ?」
岩屋は、ご飯粒を端からキレイにかき集めながら言った。
誕生日かぁ…。
「一応ね…それが、本当の誕生日かは定かじゃないけど。」
記憶の断片にあった、曖昧なものだ。
「二十歳になったら、好きな酒奢ってやるよ。」
「本当?」
私は思わずスプーンを止めた。
「本当、約束する。」
岩屋はそう、微笑んで私の目の前に小指を突き出した。
「じゃぁ…約束。」
絡めた小指を振って、二人で例の歌を唄う。
この店で、一番高いお酒を奢ってもらおう♪
「一番、高い酒を奢ってもらおうとか考えんなよ?」
…バレてる。
やっぱり怖い男…。
「店長って、洞察力高いよね?
まるで刑事みたい…」
「まぁ…刑事も、チンピラ業も似たようなもんだからな。」
そうだろうか…?
岩屋は、そこいらにいるチンピラとは違う。
なんていうか…
ライオンみたいな、しなやかさがある。
プライドが高くて、絶対に人に媚びたりしない。
例えそれが、どんなに自分よりも権力がある人間でもだ。
そのルックスの甘さからは、想像出来ないくらい暴力的だけどね…。
「零、どうした? 俺の顔に何か付いてるか?」
ご飯粒が付いてる…。
「店長って歳いくつ?」
私は、岩屋の頬に付いたご飯粒を取りながら呆れ顔で聞いた。
「31だけど。」
なんだ…高瀬とそんなに変わらないんだ。
「ガキっぽいね。」
「お前…沈めるぞ?」
…睨まれると、怖い。
何となく、高瀬と岩屋は似てる。
気高いライオン同士みたい…。
昨日、高瀬は岩屋に会った…的な事を言ってた。
なのに何で、岩屋はその話題を振らないのか。
高瀬はどこで岩屋にやられたんだろう…。
知りたくても、聞けない。
岩屋の逆鱗に触れたら…と思うと勇気が出ない。
「ご馳走様、店長。」
「え?もう、行くのか?」
空いた皿を片付けながら、驚いた顔をする岩屋に、私は「うん。」と笑って店を出た。
春冷えしそうな冷たい風が髪を撫でる。
…どこへ行こう。
そう考えて向かった先は、あの潰れたビリヤード場だった。
破れた革張りのソファーを叩いてホコリを払う。
そのホコリに咽せながら、ドサッと寝転がった。
「はぁ~…寒い…」
身体を縮めて丸くなる。
私は、自分自身を抱きしめて深い眠りに落ちた…。
――…
「零…?」
膝を抱えて眠る彼女の肩を叩く。
「爆睡だな。」
もしや!と思って、ここに来てみたら…ホントにいたよ。
犯人は現場に戻る…。
よく言ったもんだ。
「俺の唇を奪った、憎き犯人だからな…お前は。」
肩を揺さぶっても目覚めない零を見下ろしながら、「どうしたもんか…」と考え悩む。
このままだと、風邪引くよな…。
「仕方ねぇな…。」
俺は零を、お姫さまダッコで抱えて車まで運ぶ。
(黒い覆面に乗った王子様だ。)
なんて、一人でウマい事を思いながら自宅まで運転する。
零の寝顔を見るのは、これで二度目だな…。
次は、逃がさない。
「澤田 修也」の名前が、捜査線上にあがった以上、零の身は確保してなくては…。
事件の切り札となる零は、確実に危険に曝されるはずだ。
だったら、どこか安全な場所で大人しくさせとかないとな。
それはモチロン、俺の目の届く場所で…。
自宅の駐車場に車を停めて、エントランスの自動ドアを抜ける。
二重ドアの二枚目は、キーセンサーを通さなければ開かない。
俺は、零を抱えて片腕と片足の股で挟むと、ズボンのポケットから素早くカギ取り出して口に食わえる。
姿勢を低くしてセンサーの感知システムにカギを当てると、ようやく二枚目のドアが開いた。
部屋の施錠は、指紋照合でも開くから楽だ。
部屋に入って、ベッドに零を寝かせた。
ついさっきまで、多香子と一緒に入っていたと思うと複雑だ。
俺は、冷蔵庫から水の入ったペットボトルを手に取って口に流し込む。
「あ~ぁ…」
今になって、自分のやってる事の愚かさを実感している。
公用車を私的に使用してるし、端から見れば監禁じゃないか?
ただ、零を保護する公的な理由がないのだ。
13年前の事件の被害者に似ていて、澤田が裁判中に「レイ」と言う名を呼んでいたから…なんて理由で、個人の保護なんて認められるはずがない。
零と一連の事件を結び付ける証拠がなければ難しい。
「だからって俺の家か…?」
正しい事が分からずに、自問自答を繰り返す…。
まぁ…こうなってしまった以上、考えても仕方がない。
あの廃墟にいたって事は、こいつも行き場が無いのだ。
それに、零には聞き出したい事が山のようにある。
しばらく、零には此処にいてもらうしかない。
「悪いな、零。」
俺は、零の手を握りしめる。
そして…けつポケットから手錠を取り出すと、ベッドの柵に彼女の手首を括り付けた。
カチカチ…ッと手錠が閉まる音と、俺の溜め息が重なる。
「すぐ、外してやるからな…」
無垢な顔で眠る零の額を一撫でして、俺はマンション下のコンビニへと向かった。
どんなに夜遅くとも、異様な明るさを点すコンビニ。
店員の気の抜けた、ヤル気ない「らっしゃいませ~」をシカトして、カゴに歯ブラシやら下着やらを無造作に入れて行く。
「3742円になりゃ~す。」
さっきから…「らっしゃいませ」とか「なりゃ~す」とか、お前はブタゴリラかよ。
まだ、ブタゴリラの方が威勢が良くて好きだ。
俺は会計を終えると、ヤル気の無い店員をマジマジと見つめた。
「何すかぁ?」
「お前ん家って、八百屋か?」
キョトンとする店員を鼻で笑って、俺は買い物袋を手にコンビニを出た。
部屋に戻ると、零がベッドの上で暴れていた…。
バッタ、バッタ!とスプリングを跳ねて手首から手錠を外そうともがいている。
俺は腕組みをして、寝室のドアからそれをジッ…と見つめる。
「…誰っ?!」
寝室の電気を点けると、零は目を細めて俺を見た。
「高瀬…っ!何?! 何で…?
ここ、どこ?!」
目を丸くして、ヒドく驚いている。
無理も無いよな。
いきなり、居た場所とは景色の違う所に連れて来られて、手錠まで掛けられたんじゃ…。
「此処は、俺んちだよ。
あまり暴れて取ろうとするな…手首に傷が出来る。」
そう言って、零の手錠を外す。
「…零?」
彼女が咄嗟に、俺に抱き付いて来た。
華奢な肩が小さく震えている…。
「どうした…?
悪い、ちょっと驚かせたな…。」
あの零が、こんなに弱々しく脅えるとは…
正直、ビックリした。
「…で…。」
霞んだ声で、零が何か言う。
「え?聞こえない。」
彼女の口元に耳を当てて、その声を拾う。
「暗い所に私を綱がないでぇ…っ!」
その言葉に、俺は気付かされる。
零は、前にも同じ経験があるのだと…。
そして…それは零の中で、大きなトラウマとして残っている。
「ごめん…。
ごめんな、零…」
俺は、零を強く抱きしめて、その背中をさすった。
――…
高瀬の腕に抱かれていると、さっきまでの恐怖心が嘘みたいに引いた…。
(アレは一体、何だったの?)
重たい鉄の扉に閉ざされた部屋。
部屋…?
違う…あれは、ただのコンクリートに囲まれた「小屋」だ。
窓なんかなくて、小さな換気扇が回る、僅かな隙間からしか光は届かない。
夜になれば、完全な闇と化す。
たまに、あの重たそうな鉄のドアが開いて「誰か」がパンを投げ入れる…。
小さな女の子は、それを夢中で貪る。
「早く、その隙に逃げて!」
逃げなきゃ…
そう、思っても
女の子の足は、鉄球の付いた鎖で綱がれていた…。
(レイ…)
…誰?
(レイ…)
「零…?おい、零!」
ふと、顔を上げると不安そうな表情を浮かべた高瀬がいた。
「零、大丈夫か?」
「う、うん…。
もう、大丈夫…」
頭が痛い…
私は、高瀬の腕をすり抜けて立ち上がる。
「シャワー貸して。」
そして、高瀬の了解を得るまでも無く、バスルームへと向かった。
幾つかあるドアを、片っ端から開けてバスルームを探し当てた。
こんな広いマンションに、高瀬は一人暮らしなのだろうか…?
それとも、三河と同棲でもしているのかな…。
服を脱ぎ捨てながら、そんな考えが浮かんだ。
でも、洗面所に置かれた歯ブラシは一本だけ…。
それだけで、胸をなで下ろす。
それでも、浴室には2種類のシャンプーが置いてあった。
確実に、三河の影はある…。
両方、香りを嗅いでみる…甘い香りと、爽快なミントの香り。
甘い香りの方が「三河」のだろう…。
三河と同じ匂いをさせて、高瀬の前に出るのは癪だ。
だからと言って、高瀬と同じ香り…ってどうなの?
コレはコレで、「いかにも」…って感じしない?
こんな時、どうしたら良いの?
私は浴室から出て、洗面台の棚を開けてみる。
ホテルとかのアメニティでもらえるシャンプーがないか探した。
使い捨てのは無かったが、開封していない箱に入ったままのシャンプーがあった。
買い置きかな?
それにしては、ちょっと年季の入った様子の箱だ。
「いいや、開けちゃえ!」
ビニールテープを剥がして、ヨレた箱からボトルを取り出す。
「なんだ、中身は綺麗じゃん。」
綺麗なローズピンクの色をした液体。
キャップを外すと、一気にバラの香りが辺りを包んだ。
「良い匂い…。」
なんだか懐かしい。
私…どこかで、この香りを嗅いでる。
でも、どこで…?
また、頭に靄が掛かる…
ダメだ。
私は、頭からシャワーを浴びる。
ゴシゴシと髪を洗って、流れる泡を眺める。
湯気で曇る鏡を手で拭って、自分の顔を見た。
私じゃない、私が写ってるみたいだった…。
シャワーから出て、私は途方に暮れた。
着替えが無い。
せっかく身体を綺麗に洗ったのに、2日間着た下着や服を、また着るのは嫌だ。
しかし、タオル一枚だけ巻いて出る訳にもいかない…。
「そう言えば私、高瀬に裸を見せた事あるんだった…。」
思いだして笑う。
あの時は、高瀬の事を異性として意識していなかった。
彼を「男」として見てしまうと、裸を晒すのが恥ずかしい…。
高瀬は…?
高瀬は、私を女として見てくれているのだろうか…?
「…まさかね。」
淡い期待を失笑して消し去る。
三河という、女としては完璧な容姿をした恋人がいるのだ。
美人で、色気があって、性格だって悪くはなさそうな彼女…。
私はもう一度、浴室の鏡に写る自分の全裸を見てみた。
スーツの上からでも分かる豊満な胸を持つ三河と、コンビニに売ってる「肉まん」程の大きさしかない自分の胸…。
う~ん…例えですら品が無い自分に、高瀬が惹かれるハズがない。
ふと、洗面所のドアに白いビニール袋が引っ掛けられているのが見えた。
私はそれを手に取って、ガサガサと中を漁る。
真新しい袋に入った、ショーツとキャミソールだ。
「わざわざ買って来てくれたんだ。」
私はそれを身に付けて、「ノーブラは仕方ない」と自分に言い聞かせた。
そして、足の傷を眺めて再び途方に暮れる…。
中学の頃…プールの授業で、私はこの変な形の傷痕をからかわれた。
これが、いつ誰に付けられた傷なのかは分からない。
この傷のせいで、夏場の暑い日でもサンダルは履けない。
この傷を見た大人は、口を揃えて
「虐待されていたのね、可哀想に…。」と私を哀れんだ。
同情も哀れみも要らない。
だって、私にはそんな記憶は無いのだ。
勝手に決めつけて、「可哀想に」なんて言ってんじゃねーよ。
私は、可哀想なんかじゃない…
そんなに…弱くなんかない。
だから、誰にもこの傷痕は見せたくないのだ。
私は意を決めて、さっきまで履いてた靴下を足にかぶせた。
そして、ドアから高瀬の姿が無い事を確認してから、ダッシュで寝室まで急いだ。
クローゼットの中から、高瀬のYシャツを拝借して着る。
ヅラリと並ぶスーツやYシャツは、どれもパリッと糊付けしてあってキレイだ。
全部、クリーニングに出してるんだな…。
意外と几帳面なんだ。
私は、頭に巻いたタオルを取って髪を拭きながらベッドに腰掛ける。
高瀬の部屋…
黒を基調としたモダンな部屋は、高瀬によく似合うと思った。
――…
「えー…っ、何で俺なんすか…」
零が風呂に入ってる間、俺は長岡に電話をかけていた。
携帯の向こう側で、長岡は俺の「命令」にうなだれる。
「いいか?頼んだぞ?」
「高瀬さん…それって、本当に業務命令なんすか…?」
「当たり前だ。」
俺の理不尽な命令に、長岡は不満を募らせるが、奴は絶対に俺には逆らえない。
警察は縦社会だ。
つまり、上司の命令は絶対なのだ。
「…分かりましたよ。やれば良いんでしょ!やれば!」
ふてくされた口調で言い放って長岡は電話を切る。
「それで良し。」
奴の態度に、思わず笑みがこぼれる。
まだまだ、あいつもガキだな。
「あと、あいつも…。」
こっちのガキは、俺の様子を窺いながら寝室にダッシュして行った。
「…誰も、お前の下着姿なんて興味ねぇよ。」
俺は笑って、タバコに火を付けた。
すぅーッと、煙りを吸って吐く。
そして、持ち帰った捜査資料を開いて概要を頭に叩き込む。
改めて読むと、並みの人間じゃないな。
警視庁にハッキング…。
えらい、知能犯だろ。
「外部」犯行だとしたら、相当な天才ハッカーだ。
なぁ?岩屋…っ!
岩屋…今に、お前のシッポも掴んでやる。
飄々と、涼しい顔をしていられるのも今のうちだ。
「…高瀬?」
眉間にシワを寄せて力の入る俺を、零がひょこりと覗き込んだ。
なんとなく零のその表情が可愛らしくて、自然と身体の力が抜けた。
「どうした?」
零の髪は、まだ濡れていた。
「水、もらっても良い?」
「あぁ、良いよ。」
俺は、ダイニングテーブルから立ち上がって、冷蔵庫から水を取り出した。
「ほれ…」
零に近寄ってペットボトルを差し出そうとした時だ…
「ありがとう。」
零の髪から、封印していた「あの香り」が漂ってきた。
「お前…あのシャンプー開けたのか?」
俺の問いに、零は肩を竦めて
「ごめん…。」と謝る。
しおらしいと調子が狂うな…。
「別に良いよ。
それ、使って。」
芽依の香りを忘れたくなくて、ずっと昔に買ったやつだ。
結局、開けられずにしまいっぱなしになってた。
なんの因果が、それを零が見つけ出して使うとは…。
ただの偶然だとしたら出来過ぎだ。
「髪…ちゃんと乾かせよ?」
その香りに引き寄せられる様に、俺は零の髪を触っていた。
「高瀬?」
零の顔が赤らむ…。
…そんな顔すんなよ。
「お前、なんで靴下履いてんの?」
俺は、零の視線を避けて彼女の足元を見た。
零はもじもじと、左足で右足の甲を隠す。
身体検査でも、頑なに靴下を脱ぐ事を拒んでいたな。
(この傷が疼く様に痛む…)
零が言ってた事だ。
傷…が、あるのか?
「零、その足見せてみろよ。」
俺は、そう言って零の足元に手を伸ばす。
「触わるな。」
零はそう言って後退り、俺を睨んだ。
その顔…
そうだよ、それがお前だ。
そうやって俺に挑めよ…打ち負かしてやるから。
零はファイティングポーズで、俺を威嚇する。
「面白れぇじゃん…!」
構えをとると、すぐに零の回し蹴りが俺の腹前を掠めた。
スレスレ避けたが、こいつは本気だ。
遊び半分ならケガをする。
スピードの速い、右ストレートに左フック…零は鍛え上げられている。
予想以上に強い…!
「逃げるなッ、高瀬!」
…炸裂する手業と足技に、こっちも思わず手が出そうになる。
「おっと…!」
攻撃を避けて、遂には背中を壁に止められた。
…逃げ場が無くなった。
零はニヤリと笑って、右足を蹴り上げる。
…来た、右足だ!
俺は待ちかまえてた零の右足を腕で受け止めて、力任せに引っ張った。
「あっ…!」
バランスを崩した零の身体を抱き寄せて、クルリと回って俺との立ち位置を変える。
零の足を持ったまま、壁と自分の間に彼女を挟んだ。
「離せよッ!」
暴れる零を、力でねじ込む…。
「俺に勝てると思うなよ?
じゃじゃ馬女。」
俺は零の身体を全身で押さえつけて、右足の靴下を剥ぎ取った。
「これ…お前っ…!」
衝撃的だった…。
その傷は、あの事件の被害者達にあった星型の傷痕だ。
芽依の身体に無数に付けられた傷と同じものだ…。
「お前…この傷どうした?」
零は顔を伏せる。
「澤田 修也にやられたんじゃないか?」
「さわだ…?誰…?」
縋るような瞳の零を見て思い出した。
彼女には、記憶が無い事を…―。
そして…そんな彼女もまた、記憶を取り戻したいと思っているのだ。
俺を見上げる、この瞳がそう語っている…。
「高瀬は、この傷を知っているの?
他にも、同じ傷痕を持つ人がいるの…?」
「…………。」
零の質問に、どう答えて良いのか分からない。
「ねぇ…高瀬?」
…答えられない。
これと同じ傷を持つ人は、全員死んでいるのだという事実を…。
自分を知りたくて、迷子の子供の様に泣き出しそうな零に…どう伝える事が出来るというのか…。
「零…これから何があっても、俺の側から離れるなよ。」
「え…?」
俺は、零を持ち上げて抱く。
彼女の両脚が、俺の腰に絡み付いて締め付ける。
「高瀬…?」
赤面しながら、戸惑いの視線を向ける零を「可愛い」と思った。
零は、あの事件の生き残りだ。
唯一の希望…そして、澤田を覚醒させる絶望の種でもある。
零の眠れる記憶が、事件の全貌を握ってるはずだ。
あの岩屋が何故、俺から零を遠ざけたがったのか…よく分かったよ。
あいつは、零に纏わる秘密を知っている。
俺にそれを握らせまいと、襲撃したのだとしたら…
零を俺の手から放す訳にはいかない。
だから…
俺は、卑怯にだって、卑劣にだってなれる…。
零…お前が俺の側から離れられなくする方法なんて、簡単に作れてしまうんだよ…。
深いキスをしながら、高瀬の手がYシャツのボタンにかかる。
一つ一つ…ゆっくりと開かれて、肌がさらけ出される…。
「肌、白いな…。」
彼の血管の浮き出た長い手が、私の鎖骨を撫でて滑っていく…
(怖い…。)
私は目をギュッと閉じて、彼の指先の感覚を追う。
「零…俺が怖いか?」
高瀬は、私に覆い被さってジッと私を見つめる。
片手でネクタイを緩めて、自分のYシャツのボタンを外していく。
その仕草や眼差しが、恐ろしくカッコ良くて…鳥肌が立つ。
私を惚れさせた、こいつが憎い…。
私を弱くさせた…あんたが、憎らしくてこんなにも愛おしいなんて…
「…あんた、なんか怖くない。」
(ウソ…怖いよ。)
だからって、優しくなんてされたくないの…分かってよ…
私はただ…
あんたの身体に、私を植え付けたいだけなの…
「次に「あんた」って、言ったら殺すっつったよな?」
私を見下ろしながら、そうやって睨むから…
私は、あんたを受け入れるしかないじゃない…
私は、両手を伸ばして高瀬の頬に触れる。
「じゃぁ…お前だ(笑)」
「殺す…!」
高瀬…
本当に、私…あんたに殺されそうよ…
胸が、ズキズキと痛いよ…
高瀬を受け入れる身体に痛みが走って、
涙を流さずには耐えられないの…
痛い…
人を愛するって
こんなにも、痛みを伴うものなんだ…
「零…っ、俺を…愛するなよ…?」
汗ばむ身体で、高瀬は最後にそう言った…。
抱き締め合って、息切れする彼の背中をさすりながら…
私は、高瀬を「ヒドい男」だと思った。
この身を裂く痛みに耐えて、高瀬を受け入れたのは…
あなたを愛しているからなのに…
なのにもう…遅いじゃない。
遅いじゃない…
夜が明けて行く…
部屋が薄暗くなって、カーテンの隙間から淡い光が漏れる。
私は、脱ぎ捨てられたYシャツに袖を通して、ボタンを止めながら窓に近寄る。
シャッ、と音を立てて開いたカーテンから、朝日が降り注いだ。
その神々しい光に目を細めて、太陽に手を伸ばす。
目を焼かれて、見えなくなっても構わない。
光の先にあるモノが、何か知りたい。
「…良い天気だな。」
私の横に立った高瀬も、空を見上げて眩しそうに手を伸ばす。
その横顔が、とても切なそうに見えた。
思わず、「そこに、誰かいるの?」と聞いてしまいそうになる。
「高瀬は、空が好きなの?」
透き通る様な、青く美しい空…
「彼女」はそんな人だった?
それとも…この太陽の様に、暖かくて眩しい人だったの?
「空を飛んで、あの蒼さに触りてぇな…。」
今にも泣き出しそうな高瀬の笑顔に、
いつか…その願いを叶えてあげたいと思った。
もう一度ベッドに潜り込んで、私は瞳を閉じた。
高瀬の匂いがする枕に、今まで感じた事の無い幸福感を噛み締めながら
スゥー…っと夢の世界に堕ちていく。
(レイ…歌って…)
あぁ…また、あの声だ。
「誰?」
膝を抱えて泣く男の子。
「星が見えないんだ…レイ、星が見たいよ…。」
星…?
私は天井を見上げた。
でもそこは、コンクリートの箱の中。
見上げる空は無い。
美しい赤髪の男の子の白いパジャマには、所々に鮮血が付いている。
一見…不気味にも見える光景なのに、私はその男の子を綺麗だと思った。
まるで、天使の様だと…
(レイ…歌って…)
私はその男の子に近づいて、隣に座る。
同じように膝を抱えて、大きく息を吸い込んだ。
「きーらぁーき―らーぁ♪ひーかーるぅー♪
おーそぉーらーの、ほぉーしぃーよぉー♪」
「きらきら星」の歌を歌うと、その子は泣きはらした瞳を輝かせて微笑む。
(レイの歌で、僕は救われる…)
「あなたは、誰…?」
私は、男の子の顔に触れる。
キメの整った、陶器の様な白くて滑らかな肌…。
(レイは、僕を知ってるはずだよ…)
真っ直ぐに向けられるその瞳に、私は首を横に振った。
「ダメ…分からない。
分からないの…。」
(レイ…僕の名前を呼んでごらん…)
彼の手が、私の頬を撫でる…。
名前…
彼の名前…。
(さぁ…僕は誰だ?)
「しゅ…う…?」
(レイ…君の名前は?)
「あ…わたし…私は…」
怖い…!
その先を思い出したくないの…
(大丈夫だよ…レイ…大丈夫。
僕が…君を守ってあげるから…)
男の子が私に微笑む…震える手を握って「大丈夫」だと…
(レイ…君は、誰だ?)
この冷たく狭い箱の中で、思い出したくなんてなかった…
あの鉄球に綱がれていたのが私なのだと…
血に染まったアナタが、私の「兄」であったという事…
「私は…澤田 零。」
そんな残酷な事実なんて、思い出したくはなかった…
澤田 零…―
ぼんやりとして見える天井を眺めながら、
それが私の名前なのだと思った…
そして…いつも、頭の中で木霊していたあの声は「修也」なのだという事も…
私は、修也と一緒にあの部屋に閉じ込められていた。
私は、どうやって、あそこから逃げ出して来たのだろう…?
修也はどこに行ったの…?
今、どこにいるの?
あの部屋で、一体何があったんだろう…
(澤田 修也にやられたんじゃないのか?)
高瀬はこの傷を見て、確かにそう言った。
なぜ、高瀬は修也を知っていたのだろう…?
なんで、この傷を修也が付けたと分かるの?
修ちゃん…。
全部が謎に満ちていて、私にはもう…何が何だか分からない…。
「この傷を、修ちゃんが付けたなんて嘘だよね…?」
ねぇ…修ちゃん
今…どこにいるの?
「…早く、迎えに来て…」
一人で、ずっと待ってた…
修ちゃんが私を迎えに来る日を
これからもずっと、待ってるから…。
「おっ、目が覚めたか?」
ベッドから起き上がると、見知らぬ男がひょこりとドアから顔を出した。
「誰…?」
「高瀬さんから頼まれて、君の監視役を任されました…長岡 琢磨です。」
監視役?
長岡と名乗る男は、私から顔を背けながら頬を赤らめている。
なぜ、こっちを見て話さないのか…
その理由は私にあった。
私は咄嗟に、はだけた胸元を押さえる。
「…着替えや、その他諸々は買ってそこにおいたから使って。
他に必要な物があれば、用意するから言ってな?」
「あ…ありがと。」
長岡は気まずそうに、そそくさとリビングの方に戻って行った。
高瀬のヤツ…!
私を監禁する気か?
長岡の用意した紙袋は3つあった。
洋服に化粧水、洗面具に、下着まである。
長岡…これ、高瀬に買って来いって命令されたのかな?
あんなウブそうな彼に、ランジェリーショップで買い物させる高瀬は、やっぱりサディストだ。
しかも、C65サイズって…的確過ぎだろ。
「アイツ、変態なんだな。」
変な男に捕まってしまった…。
私はクスッと、苦笑いを浮かべた。
それにしても…長岡の選んだ服は、どれも「可愛い」服ばかりだ。
膝丈のフレアスカートに、マキシ丈ワンピ。
パフスリーブの白いブラウスに、ウエストリボンのワンピース…。
「こんな服、誰が着るんだよ…」
長岡のタイプの女が浮き彫りに分かる。
私はその服達を再度、紙袋に入れて溜め息を吐いた。
高瀬の寝室を、グルリと周って眺める。
色々な本が沢山あって、その殆どが法律に関する難しい本だった。
そんな中、一冊の本が目に付いた。
青い装丁が美しい、空の写真集だった。
開いて見ると、様々な空模様の写真が載っていて、余りの美しさに思わず目を奪われた。
夕陽の赤や、夏の入道雲の白さ…
それから今朝、高瀬と一緒に見た朝焼けの淡いブルー…。
次々にページを捲ると、ひらりと何かが落ちた。
「写真?」
裏向きに落ちたそれを拾い上げて、私は絶句した…。
そこに写る、自分の姿に言葉を無くす。
高瀬と並んで微笑む私…。
いや…違う。
「これ…誰?」
心臓がバクバクとなって、全身の血の気が引いていく感覚。
今より、ずっと若い高瀬…。
「東京…大学?」
赤い門の前で「彼女」に腕を組まれて、はにかむ高瀬…。
「めい…だ。」
初めて会った時、私の顔を見て驚いた理由はこれか…。
空にいる彼女が、私に似ていたから…。
めい…この人が…
高瀬の「最愛の恋人」なのだ。
私と同じ顔をしているのに、「この人」はなんて柔らかそうに笑うのだろう…。
私よりもずっと、綺麗で可愛らしい。
一体、何が違うのかな…?
姿見に映る自分と、写真の中の彼女を見比べても何ら違いなどないのに…。
鏡の自分からは、彼女の様な美しさは微塵も感じられない。
…悔しくなった。
私を抱いた高瀬が憎らしくて、腹が立った。
「代わりじゃない…!」
高瀬が抱いたのは私じゃない…!
私の中にあった「彼女」なのだ…!
「…ふざけんな!」
写真を破ろうとした手が止まる…。
止まって震える。
悔し涙がポツポツと二人の上に降って、染みを作っていく…。
「代わりじゃない…」
少しは…私を見てくれたと思ったのに…
高瀬のバカ・変態・最低男…
最低…大嫌い…大嫌い…
高瀬に仕返ししてやりたい。
苦しむ顔を見たい。
私はそんな考えで、長岡が用意した服に袖を通した。
写真の彼女の様に、白いブラウスを着て、ふんわりとしたスカートを履く。
プライベートでスカートなんて履いたのは、中学の制服以来よ。
そして、髪をハーフアップに上げて留める。
「お嬢さまじゃん。」
鏡の中の私は、「めい」そのものとなった。
後は、柔らかい笑顔…っと。
何度口角を上げて笑顔の練習をしても、ぎこちなく下品な笑みしか浮かばない。
しまいには、頬が痛くなった。
「ダメだ、ちょっと休憩…。」
私は寝室を出て、リビングに向かう。
ダイニングテーブルでは、長岡がパソコンとにらめっこをしていた。
「長岡…さん、お茶飲む?」
彼は後ろから声を掛けられて、ビクッと肩をあげた。
それから、ゆっくり振り向いて私をジッと見つめた。
「どうかしました?」
「…可愛い。」
「え?」
「あ、いやいや…っ! お茶ね…俺がやるよ。」
長岡は、照れた様に耳を赤くしてキッチンに廻る。
勝手知ったる何とかで、手際良く紅茶を淹れてくれた。
長岡が高瀬の家の物の在処に詳しいのは、普段から何かに付けてこき使われているからなのだろう…。
…可哀想に。
「高瀬って、警察の中ではそんなに偉い人なの?」
長岡の向かいに座って、私は質問を投げかける。
「高瀬さん?何で?」
「いつも、エラそうじゃん。
長岡さんだって無理矢理、私の子守を押し付けられたんでしょ?」
「あぁ…まぁ、うん。 そうだね(笑)」
長岡は、閥の悪そうな笑みをこぼして頭を掻いた。
今日だって…高瀬は捜査で、長岡は自分の仕事をさせてもらえず、私の監視なのだ。
自分で言うのも癪だけど、こんな小娘の監視役なんて…長岡の背広の襟についた赤い丸バッチが泣くよ。
…余りに理不尽だ。
「高瀬さんは、凄い人だよ。
東大のキャリアで警視庁に入って、採用2年目で「警部」に昇格したんだ。
信じらんないよ…23歳でだぞ?」
瞳を輝かせながら、高瀬を語る長岡に私は、冷たい視線を送る。
「…それって、そんなに凄いの?」
「凄いよ!
警察階級の第6位にいる人だよ?!
全体の5~6%しかなれない階級なんだ…カッコイイよな~。」
「ふ~ん…で?長岡さんは?
あんたも、エリートって言われてる捜査一課の刑事なんでしょ?」
私は、興味なさ気に紅茶を口に含んで聞いた。
正直、警察関係の話なんてどうでもいい。
「一課って言っても、俺はノンキャリだから、まだ下から2番目。」
長岡は、苦笑いを浮かべて紅茶を啜る。
「憧れてんだね…高瀬に。」
私がポツリと言うと、長岡は頬をポリポリと掻いて頷いた。
「ねぇ、長岡さん。 高瀬が追ってる事件って何なの?
私が、こうして囲われている事と何か関係あるの?」
私は、意を決して長岡に問いてみた。
「…守秘義務があるから、それは教えられないよ。」
長岡は、緩めていた口元を引き締めて、そう答える。
頼りない普通の優男でも、彼はちゃんとした「警官」なのだと思った。
「…そう。」
私が、此処にいる理由は聞けそうにない。
私は、長岡の仕事の邪魔にならない様にと寝室に籠もった。
大の字で横たわって、窓枠に目を向ける。
窓から見える、四角い空を見上げながら手を掲げた。
(空を飛んで、あの蒼さに触りてぇな…)
「空を飛んで、君に会いたい…。」
本当は、そう言いたかったんだよね?
ねぇ‥そうでしょ?高瀬…。
どうしたら私は、あんたを飛ばす事が出来るのかな…?
どうしたら、この空に羽ばたかせる事が出来るだろう…
両手を広げて
手を伸ばしてみて…
きっと…飛べる…
いつかは、その心の鉛を取って…
自由に、この蒼い空を飛べるはずだから…
高瀬…あの空に会いに行こう…
重たい瞼をひらくと、窓から星が見えた。
…また、眠ってしまった。
最近は、よく睡魔に襲われる。
「…頭が重たい。」
ダルい身体を起こして、長岡の様子を見に行こうとした時だ。
玄関の方から高瀬の声がした。
私は慌てて、寝室のドアに聞き耳を立てた。
「じゃぁな、長岡。 悪いけど明日も頼む。」
「はい、分かってますよ…。
じゃぁ、お疲れした!」
高瀬…いつの間に帰って来たんだろう。
…ってか私、どれだけ寝てたんだ?
「おぅ、お疲れ!」
玄関のドアがバタリと閉まる。
(ヤバい!高瀬が来る…!)
私は、部屋の中をテンパって回る。
どうしょう…。
この格好…今になって、急に恥ずかしくなった。
こんな姿で、高瀬に仕返しするなんて考えが、浅ましく思えた。
「脱ごう!」
急いで、ブラウスのボタンに手をかけたが、時すでに遅し…
ガチャッと、ドアが開いて電気をつけられた。
「…あ、お…お帰り…」
ネコ背になって、私は高瀬に引きつり笑顔を見せた。
「……………。」
らしくない格好に、失笑されるものとばかり思っていたから驚いた。
高瀬は私を見つめて、瞬きもせずに静かに涙を流すのだ…
まるで、時間が止まったかの様に動かない高瀬。
なのに…頬を伝う涙だけが、ポタポタと床に雫を落としていくのだ。
「高瀬…」
私は彼のその姿を見て、「なんて酷い事をしてしまったのだろう…」と後悔した。
私は、高瀬の愛する人を侮辱してしまったのだ。
高瀬のその想いを侮辱してしまった…。
「芽依…っ」
彼が、窓の空を見上げる。
私と空を見比べて、絶望に打ちのめされている…。
(傷付けてしまった…)
スカートの裾を握りしめながら、どう償えば良いのか考える…。
(レイ…歌って…)
修ちゃんの声だ。
(レイの歌で僕は救われる…)
歌…。
私はゆっくりと高瀬に近寄って、彼を抱き締めた…。
固まる彼の胸に頬を付けて、息を吸い込んだ…
高瀬が望むなら、私は彼女の代わりでも良い…
それで、彼が救われるなら…
それで良いよ…。
瞳を閉じて口を開く。
この歌で、高瀬の手があの空に届きます様に…
♪君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも
ずっとそばで笑っていてほしい♪
高瀬…
私は、あまり歌を知らないの。
だけど、音楽の教科書に載ってたこの曲は、なんとなく私に似ていたから覚えたんだよ…。
「お前、歌が上手いな…歌手になれるよ。」
歌い続ける私を、ギュッと抱きしめて高瀬が呟いた。
君と出会った奇跡が、この胸にあふれてる…
高瀬と出会えた事は…私にとって、たった一つの「奇跡」だよ。
だから、泣かないでよ。
「高瀬…ごめん…」
ごめん…高瀬…
「愛してる…」
その短い言葉を言うだけで、こんなにも涙は溢れるんだね…
――…
(愛してる…)
零…お前は、バカだ。
俺は、お前に愛される資格なんてない…。
「…ごめん。」
俺は、零を突き放して部屋を出た。
背広だけ脱ぎ捨てると、頭からシャワーの水を浴びる。
零のあんな格好だけで惑わされるなんて…
バカだ…俺は…!
冷たい水が、頭を冷やして涙を流す。
「何してるの?!高瀬…っ!」
俺を追って、バスルームに入ってきた零は、慌てて俺からシャワーを奪い取った。
その反動で、水は零の服も濡らした。
「高瀬…スーツびしょ濡れだよ…何してんの…バカ。」
零の瞳に涙が溜まる。
泣いてんのは、俺のせいだろ…?
張り付いた白いブラウスから覗くお前の肌に、俺は欲情するんだよ。
「俺を愛するな」なんて言っておきながら、俺はお前を抱きたいと思ってるんだ。
零、お前に分かるか?
芽依にはない情熱を、お前がその瞳に宿して俺を覗くから…
俺は、手を伸ばしてしまうんだよ
お前の内側から放つ魅力に…
「寒いでしょ?
もうすぐ、お湯に変わるから…」
俺は、シャワーヘッドを零の手から取る。
「高瀬…?
…きゃあぁぁぁ~っ!!」
そして、まだ湯に切り替わらない冷たい水を零の全身にかけた。
「お前でも、そんな声出すんだな(笑)」
びしょ濡れになった零が、俺を睨み付ける。
「殺す!!」
そう言って、緩んだ俺のネクタイを締め上げる。
零のしなやかな手が、首に掛かると俺は零を抱き寄せて、奪うように彼女の唇を貪った。
お前が、俺の首を絞めるなら
俺は、お前の唇を塞いで呼吸を止めてやる…
どっちが先に息絶えるか…
試してやるよ…。
先に折れたのは零だった…。
ネクタイから手を放して首の後ろに手を回す。
もう…どうにもならない。
「お前が欲しい。」
本当は最初に出会った時から、そう…思っていた。
いくらお前に芽依を重ねてみてもお前は、お前でしかなかった。
零…俺は、お前自身が欲しくて堪らなかったんだ。
「私も高瀬が欲しいよ…」
互いに雫を垂らす服を脱がせ合って、唇を重ねる。
「高瀬が欲しいよ…」
小さな肩を震わせて、怯えながらも求めるお前が好きだよ。
だから…
「いくらでもクレてやる…!」
お前が溶けてなくなるまで…
俺がお前に溶かされるまで…
何度だって、気が済むまで俺をお前にやるよ…
だから
その瞳をそらすな
お前の…その声を絶やすな…
零の髪や肌に埋もれると、理性が無くなる。
彼女の息づかいだけが、俺を支配して狂わせていく。
こんな風に、女の身体に溺れる事はなかった。
俺は…たかが、19歳の女に狂わされて、酔いしらされている。
「高瀬…なんて…淫行で捕まっちまえ…」
「黙れ…」
伸ばされた零の手を取って繋ぐ…。
どんなに壊そうと粘っても、零は俺に挑み続ける。
「もう辛い」と素直に言えば良いのに
出てくる言葉は、俺への憎まれ口ばかりだ。
辛い時、悲しい時、淋しい時…零は、どんな時もそうやって弱音を吐かずに憎まれ口を叩いて生きてきたのだろう…。
不器用にしか生きられないから
お前は涙を流しながら、俺の欲望を受け入れるんだ。
こんなお前を、誰が愛さずにいられるんだよ。
クソっ…
お前のせいで、失われた感情を取り戻しちまったじゃねーか…!
もう二度と、ゴメンだと思ってたあの感情を…
「零…お前は、どこにも行くなよ…?」
このまま、俺の側から離さずに繋いでいたい。
「…うん。」
心と身体で…お前を抱いていたい。
「高瀬は浮気性だね。」
眠る直前に、零がボソッと呟いた。
「まぁな…俺は、不誠実だからな。」
「開き直った!
最低…変態、淫行野郎…!」
こいつ…!
やっぱ、風呂場で沈めておくんだった!
「淫行じゃねーよ。 あれは18歳未満に手を出す事をいうんだよ!」
あぶねー…
下手すりゃマジで、条例違反だったぞ。
たかが、1~2年の違いで俺は懲戒免職だ。
「なんだ、つまんね。
三河に言って、高瀬を捕まえてもらおうと思ったのに…。」
…バレてる。
なんで、零が多香子と俺の関係を知ってんだよ。
末恐ろしいガキだな。
「多香子に言ってみろよ…お前が、窃盗罪で捕まるからな。」
「多香子か…」
零の沈んだ表情を見て、しくじったと思った。
「多香子」と下の名前で呼ばなければ良かった…。
「捕まっても良いから、高瀬をくれないかな…」
零…お前は、本当に可愛いな。
俺って、ツンデレに弱いタイプだったのか…?
あぁ…違うな。
零と芽依は、そういう所も似てるんだ。
他人同士のハズなのに、根本的な要素まで似てる…不思議だ。
(同じ遺伝子を持ってるみたいね…)
あの時の、多香子の言葉が耳に残る。
「同じ遺伝子…。」
「まさか…」と思いつつも、俺は眠る零の枕から抜け落ちた髪の毛を拾う。
そして、朝一で科捜研に寄って、それを河野に手渡した。
「13年前の事件の被害者「藤森 芽依」のDNAと照合してくれ。」
「これ、捜査に関係ある事なのか?
それとも、お前の個人的な欲求か?」
河野の鋭い視線が向けられる。
「個人的な欲求だよ。」
俺も、「それがどうしたと」言わんばかりに河野を見る。
「はぁ…分かったよ。
調べてやるから、上(上層部)にバレないように上手くやれよ?
お前の捜査のやり方、かなり悪評だぞ?」
河野はうなだれながら、渋々承諾すると俺に小言をいう。
俺の捜査が悪評なのは、今に始まった事じない。
だから「警部」になっても、係長として捜査一課を仕切らせてもらえないのだ。
まぁ…俺が仕切ったら、一課は破綻するだろうな。
「悪いな、河野。」
「だから、悪びれてもないのに謝るなよ!腹立つ…!」
「じゃ、頼むな。」
「…シカトかよ。
お前、今からどこか行くのか?
なんか、いつもより険しい顔してるぞ。」
流石に顔に出るか…
俺は眉間のシワを人差し指でグイグイと伸ばして、河野に笑ってみせる。
「今から、天才ハッカーとご対面だ。」
俺は、それだけ言うと研究室から出た。
直接対決だぜ…天才。
お前を引っ張って、色々と痛めつけながら聞き出してやる。
お前の目的をな…岩屋。
覚悟しておけ。
「ORION」までの階段を下りながら、俺は胸元の「銃」を確認するように一撫でする。
岩屋は強者だ。
ヘタすりゃ、こいつの出番もあるかも知れない。
マジか…俺、今ちょっとビビってるよ…。
死ぬ事なんか、怖くはなかったのに。
零…お前のせいだ。
店のドアに手を掛けて、深く息を吸い込む。
ゆっくりとドアを開いて、ベルを鳴らす。
直ぐに、カウンターでグラスを磨く岩屋と目が合った。
「準備中だよ、刑事さん。」
背筋が凍るくらいの冷たい視線を向けられた。
「岩屋…お前、パソコン得意か?」
カウンターに腰掛けると、俺は口角を上げて岩屋に問いた。
「何?インターネットでもしたいのかい?
良かったら教えますよ、刑事さん(笑)」
「…ハッキングは、どうやってやんのかな?」
互いに睨み合う視線を外さずに、静かに皮肉のこもった会話をする。
「…さすがだな、高瀬さん。」
岩屋は、含み笑いを浮かべてパチパチと俺に拍手した。
「…俺をナメるな。」
「矢木を追ってる最中に、俺のパソコンにも目を向けてたなんて感心しちゃうね…いやぁ、ご立派!」
矢木を追って此処に来た時…、岩屋のパソコン画面は、警視庁の機密データベースを映してした。
あれは、幹部にしか侵入できないページだ。
そして、岩屋はそのページを素早く閉じた。
全てが一瞬の出来事だったが、俺はそんな些細な奴の行動を見逃さない。
「警視庁に予告殺人のメールを送ったのはお前か?
「澤田 修也」の解放を要求してきたのもお前の仕業か?」
「へぇ~…そりゃ、大変だ。」
岩屋は、ふざけた口調で頬杖をつく。
「お前…零について知ってる事もあるだろ。
全部吐け。」
俺は銃を取り出して、安全ロックを解除すると、岩屋の額に銃口を向けた…。
「ベレッタM92。
お前…銃も、装弾数の多いサディスティックなやつを選ぶんだな。」
突き付けられた銃口にも臆さずに、岩屋は笑う。
「さすが、詳しいな。」
「詳しいよ?
因みに、ここで撃ったら「銃砲刀剣類所持等取締法3条13項」発射の禁止に引っかかって、高瀬さんは警察をクビになるね。」
岩屋は自分のクビを切るゼスチャーで舌を「コン」と鳴らす。
「(第3章7条…凶悪な犯罪を予防し、鎮圧又はその被疑者を逮捕する任務であって、その遂行上特殊銃を用いる必要があると認める任務)…が、あればお前を撃っても構わないんだよ。」
「残念だったな」と言わんばかりに、俺は奴にほくそ笑む。
「…(それを警察本部長が認める任務)が抜けてるよ、高瀬さん。
逮捕状も出てないのに、俺を連れて行く事も自供させる事も出来ないんじゃない?」
…岩屋の言ってる事は正しい。
一筋縄じゃいかないと、覚悟はしていたが…。
「お前を射殺してから理由の後付けも出来るぞ?
パソコンのデーターを消してても、復元さえ出来ればそれが証拠になるんだ。」
「そうか…なら、射殺も仕方ないな。
でもさ、死ぬ前に教えてくれよ高瀬さん。」
岩屋は両手を挙げて俺を見つめた。
瞳の奥が鋭く光る。
「零は、どこにいる?」
「なっ…」
零の名前を聞いた一瞬の動揺で、岩屋に隙をつかれた…
岩屋は俺の銃を左手でねじ伏せて、右手に自身の銃を構えた。
額に、冷たい銃口が当たる。
「…残念だったね、高瀬さん。」
形勢逆転だ。
「零は、どこだ!」
カチリ…とロックを外される音が額に響く。
「お前が、零に入れ込む理由はなんだよ…岩屋。」
それに…
突き付けられた銃を見て、俺は確信した。
岩屋を、ハッキングした犯人だと思ったのは間違いだ…。
いや…仮に間違えじゃなかったとしても…
こいつは…
「SIG SAUER P230…32口径ダブルアクション。
岩屋…お前、なんでそんな銃持ってんだよ。」
岩屋の手にする銃は、「SP」が訓練用として使用する銃だ。
「お前…身内か?」
それとも、元・身内か…。
俺の額から冷や汗が流れる。
岩屋がSPだったなら、拳銃で10秒関に5発以上の命中率を誇る腕前を持ってるはずだ。
「身内…?違うだろ。
俺達は、犬猿の仲だよ。」
「…岩屋、貴様は何者だ。」
岩屋は俺の質問を鼻で笑って蹴散らす。
そして、銃口を俺に向けたままゆっくりと後退して裏口に向かう。
「近いうちに分かるよ、高瀬さん。」
岩屋は、ドアを後ろ手で開けて俺の銃を投げ返した。
颯爽と逃げ去って行く岩屋を、俺は唇を噛み締めながら見送る…。
(近いうちに分かるよ…)
不穏な奴のセリフに、零を想った。
あいつ(岩屋)は、零を狙いに来る…!
そう…確信した。
――…
「ごめんね、長岡さん…。」
私は、ソファーに横たわる長岡さんの胸ポケットから、高瀬の家のカギを取り出しながら言った。
なぜ、彼が横たわっているのか…
私が「少しで良いから外に出たい」とゴネて、止める長岡と争ったからだ。
長岡は刑事だけど、高瀬ほど強くはなかった。
「すぐ、戻って来るから…」
長岡の額に冷やしたタオルを当てて、私は部屋を出た。
久しぶりに感じる外の風が心地良かった。
別に、どこかに用事があるとか、そういう訳ではなかったが、とにかく外に出て空を仰ぎたかったのだ…。
そのワガママの為に、長岡を傷つけてしまったのだ。
もの凄い罪悪感を胸に、私は「お気に入りの場所」へと向かう。
お気に入りの場所と言っても、単なる雑居ビルの屋上だ。
古くて、所々がひび割れている15階建てのビル。
昔から、その屋上が私の心休まる場所だった。
フェンスを乗り越えると、その先は何もない。
あと1cmでも踏み出したら地面に落下する。
そんなギリギリの所まで行って、私は両手を伸ばして深呼吸をする…。
ここが…生死を分ける場所なのだと思うと、それだけで神聖な場所のように感じた。
ワンピースの裾が靡いては、足元がスースーして落ち着かない。
もっと強い風が吹いて、私を攫えばいいのに…
ここに来ると、いつもそう願う自分がいた。
「零!」
後ろから、私を名前を呼ぶ声がする。
もう、見つかったか…
私はクスッと笑って、声のした方へ振り向いた。
黒の細身のスーツに、黒いネクタイ。
スタイルの良い岩屋は、何を着ても似合うと思った。
「何だよ、お前のその成りは…。」
岩屋は、私のお嬢様スタイルに苦笑いを浮かべる。
「だよね?
自分でも笑っちゃうよ…!」
岩屋の伸ばされた手を取って、フェンスを越える。
「…パンツ丸見えだぞ。」
「見んなよ。」
「全然、色気ねーな。」
平然と、私のパンツをガン見しておきながら…嫌なヤツ。
「零。
お前、高瀬と一緒にいんのか?
なんで、お前は大人しくあいつの言いなりになる?」
言いなりになっていないから…私は今、此処にいるのだ。
岩屋の冷たい瞳に、私は怯む。
「…知りたいの。」
「何を?」
何を…?
高瀬の事…それに、芽依と私の事…。
高瀬が、私を囲う理由が知りたい。
でも…そんな事、岩屋には言えない。
「自分が、何者なのか知りたい…。」
チラリ…と岩屋を見上げる。
彼は、眉間にシワを寄せて私を見ていた。
「零、アルファムに帰れ…。
高瀬から離れろ。」
私は俯いて首を振った。
「あそこには、二度と帰らない!
やっと、自由になれたの…!
もう…誰かの飼い猫になんて戻らない!」
だからって…今は、高瀬の飼い猫にしかすぎない自分を恥じた。
私の主張は、矛盾だらけ。
「零…高瀬はダメだ。
あいつは、お前を恨んで憎む。
お前が高瀬に入れ込んだ分、お前は傷付く事になるんだぞ?」
「どういう事…?」
高瀬が私を恨んで憎む…
岩屋は深い溜め息を漏らして、私の肩に手を添えた。
「お前の兄貴が、あいつの恋人を殺したからだ。」
「……え…?」
岩屋…
今…あんた、何て言った…?
「兄…修ちゃんが、高瀬の恋人を殺した…?」
待ってよ…!
そんな…どうして?
いつ?どこで?
何で…?
何で、修ちゃんが高瀬の恋人…
恋人…?
「恋人って…?」
気が遠くなりそうな意識を保って、私は岩屋を見つめる。
高瀬…私、怖い。
あんたの恋人って…
あんたの最愛の人?
「藤森 芽依だよ。」
岩屋の口から出た名前を聞いて、私はその場に座り込んだ。
全身の力が抜けて、肩が震えた。
「店長…なんで、あんたが私の知らない、私の過去を知ってんの…?」
ウソだ…
岩屋の言ってる事は全部ウソに決まってる…。
修ちゃんは…人を殺したりはしない…!
あの優しい彼が…
(レイ…おいで。)
修ちゃん…
「零?」
あぁ…頭が痛い…!
「零!」
岩屋の顔がぼやける…
(レイ…おいで、こっちだよ…)
意識が遠のいて、修ちゃんの声に導かれて行く…
「高瀬…」
深い眠りに入る前…
思い浮かんだのは高瀬の顔…
空に手を伸ばした
彼の寂しそうな横顔だった…
「レイ、おいで。」
白い開襟シャツに黒い学生服を着た男の子…。
こちらに手を伸ばして優しく微笑む。
私は、その手を取って二人で川沿いを歩いて行く…。
「修ちゃんの手は冷たいね。」
私は彼を見上げながら笑う。
儚げな彼の横顔が、なぜだかとても眩しくて憧れた。
陽の光に照らされたその姿が、この世で一番キレイなものだと思えた。
「レイの手は温かいね…。」
真夏の太陽の下で、青白い顔の修ちゃんは言う…。
「寒い…」と…
私は汗だくで、ジリジリと迫る熱さにも耐えて歩いているのに。
それなのに、修ちゃんは不自然なほど身体を震わせていた…。
「レイ、僕は欠陥品なんだよ…。
だから、そう長くは生きられないみたいなんだ…。」
欠陥品ってなんだろう…?
幼い私にはその意味が分からない。
「レイ、君は生きて…。
ちゃんと生きて行くんだよ?」
修ちゃんは、私と同じ目線までしゃがんでジッと私を見つめる。
修ちゃんの澄んだ瞳の中に私が映る。
「…うん。」
「よし…良い子だ。」
修ちゃんの手が好きだ。
私の頭を優しく撫でる…柔らかい手。
河川敷から見える川は、キラキラと輝いて水面が揺れていた。
その景色を見ていた修ちゃんは、瞳を輝かせて
「天の川みたいだ…」
そう…呟いた。
天の川…
星…
修ちゃんは、星が好きだった。
暇さえあれば、よく夜空を見上げていた。
そして、必ずあの歌を口ずさんでは泣いていた…。
最後に、修ちゃんを見たのはいつだろう…。
彼は、いつの日からか…
心を、暗い病に蝕われていったような気がする。
心を閉ざして、静かな狂気に支配されていくように…。
「修也…私を殺して…」
記憶の断片がパッと移り変わる。
髪の長い女の人…。
美しい…人。
彼女の首に、修ちゃんの手がかかる。
「ダメ…ダメ、修ちゃんっ!」
私は、必死に彼らの元に駆け寄ろうとした。
だけど、脚に力が入らなくて立ち上がる事も出来ない。
その間にも…修ちゃんは、彼女の首を力任せに絞めるのだ。
「やめて…っ!
イヤだ…お姉ちゃんっ!!」
彼女は、馬乗りになる修ちゃんの顔を撫でて力無く息絶えた…。
「芽依…っ。
芽依…っ…」
修ちゃんは…息絶えた彼女を抱き寄せて泣いた…。
私の大好きだったお姉ちゃん。
私の脚に繋がれた、重たい鉄球の鎖を外してくれた人…。
壊れた修ちゃんに、最後まで愛情を注いでくれた…。
……芽依…。
お姉ちゃんの名前…
だけど…彼女が、どうしてあそこにいて、しばらくの間私達と生活を共にしていたのかは分からない。
彼女はどこから来たの?
何故…修也は、彼女を殺してしまったのだろう…。
あんなに…愛していたはずなのに…
修ちゃん
何故…彼女を殺したの?
その人は
その人はね…
…私の、大好きな人の恋人だったんだよ…
「…零!大丈夫か?」
目覚めたのは、岩屋が運転する車の中だった。
ズキズキと痛む頭を押さながら…私は、修也が人を殺めてしまった事実を思い出した。
「…修也はどこにいるの?
刑務所?」
ヒドく、ぶっきらぼうな言い方で岩屋に問う。
岩屋はチラッと私を見て、すぐに前を向いた。
「警察の指定医療施設に収監されてるよ。
お前、修也に会いたいか?」
「会いたくない。」
腹が立っていた。
修也にも、岩屋にも…
そして、自分が修也の妹だという事にも…。
「あっ、そう。」
岩屋の含み笑いが一段と頭にくる。
私は脚を組んで、ポケットに手を突っ込んだ。
「あっ…」
ポケットの中で堅い物体の存在に気付いた。
高瀬の家の鍵だ。
(どうしよう…返さなきゃ。)
…ってか、帰らなきゃ長岡さんが高瀬に叱られてしまう!
「店長、車止めて!」
私は車のドアに手をかける。
それでも、岩屋は車を止める気配はない。
「店長、お願い…! 車から下ろして!」
「ダメだ。」
外は、すっかり日が落ちて薄暗くなっている…
早くしないと。
ロックのかかったドアをガタガタと鳴らして、岩屋を睨み付ける。
「…しょうがねぇな。」
外道脇に車をつけて、岩屋は私を下ろした。
「零、また後でな!」
また後で…
岩屋の一言が気になったが、私は高瀬の家へと急いだ。
生ぬるい風のない夜を、この服装には合わないスニーカーで駆けて行った…。
――…
車から零の姿を見送る。
彼女の姿が完全に消えてから、俺は携帯のプッシュボタンを押した。
コール音が鳴って、すぐに相手側と繋がった。
「…岩屋です。
これから、彼女の捕獲に移ります。」
電話の先のボスは、俺にOKサインを出す。
ただし、「手荒なマネはするな」と…。
「手荒なマネ…ね。」
それは、高瀬次第なんだけどな…。
俺は苦笑いを浮かべて、口元をポリポリとかいた。
高瀬が相手となれば、かなり手強い。
「チッ…だから、ヤだったんだよ。」
後部座席からパソコンの入ったカバンを取り出して、素早くそれを起動させた。
零に忍ばせた追跡機が、彼女の居場所を赤い点滅となって教えてくれる。
「…青山方面?」
あの野郎…超良い所に住んでやがる。
パソコンを助手席に置いて、俺は車を発進させる。
バックミラーで久々に着た自分の正装姿を見て、「なかなか悪くない」と自画自賛しながらアクセルを踏む。
零の足取りが止まった場所。
小世帯用の高級マンションだろう。
かなり厳しいセキュリティーが掛かっている。
「キーセンサーチェックか…」
これがないと、エントランスのドアは開かないシステムだ。
俺は、適当に部屋番号を押す。
「はい?」
「すみません、カギを部屋に差し込んだまま外に出てしまって、オートロックが掛かってしまいました…申し訳ありませんが、エントランスのドアを開けて頂けませんか?」
この手のマンションにありがちなミスを利用しする。
「あぁ、はい。
今、開けますね…」
ポンという施錠の音と共に、自動ドアが開いた。
「ありがとうございます、助かりました。」
俺は、カメラに向かって微笑みながら一礼すると、中へ入って行った。
「簡単に人を信用しちゃいけないよ~♪」
易々と侵入出来た。
上機嫌でエレベーターに乗り込む。
そして、胸ポケットから黒縁のメガネを取り出して掛けた。
髪を一撫でして、気持ちを引き締める…。
エレベーターは5階で止まった。
一呼吸置いてから、俺は高瀬の部屋を目指した。
小説・エッセイ掲示板のスレ一覧
ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。
- レス新
- 人気
- スレ新
- レス少
- 閲覧専用のスレを見る
-
-
Wish Yumi Sugimoto
0レス 3HIT 小説好きさん -
ハルビン
4レス 95HIT 旅人さん -
『愛することには理由がある』
0レス 93HIT 自由なパンダさん -
神様の折り紙
2レス 120HIT たかさき (60代 ♂) -
呟きです(読んでもらえるだけで結構です)
2レス 112HIT 匿名さん
-
Wish Yumi Sugimoto
0レス 3HIT 小説好きさん -
モーニングアフター モーリンマクガバン
今日からミスターも例様も仕事 ミスターは来間島へ陸続きで橋を渡っ…(作家さん0)
404レス 2569HIT 作家さん -
ニコニコワイン
あんぱん 昨日から 泣かされ続け そして 戦争が終わって …(旅人さん0)
431レス 16729HIT 旅人さん (20代 ♀) -
20世紀少年
野球 小3ぐらいの頃は野球に夢中だった。 ユニフォームも持って…(コラムニストさん0)
36レス 948HIT コラムニストさん -
こちら続きです(;^ω^) フーリーヘイド
キマッたっ!!!!!!!!!(;^ω^) いやぁ~~~~!!我な…(saizou_2nd)
347レス 4102HIT saizou_2nd (40代 ♂)
-
-
-
閲覧専用
20世紀少年
2レス 116HIT コラムニストさん -
閲覧専用
フーリーヘイド ~読む前の注意書きと自己紹介~
500レス 5779HIT saizou_2nd (40代 ♂) -
閲覧専用
おとといきやがれ
9レス 289HIT 関柚衣 -
閲覧専用
ウーマンニーズラブ
500レス 3252HIT 作家さん -
閲覧専用
やさしい木漏れ日
84レス 3707HIT 苺レモンミルク
-
閲覧専用
20世紀少年
1961 生まれは 東京葛飾 駅でいうと金町 親父が働いて…(コラムニストさん0)
2レス 116HIT コラムニストさん -
閲覧専用
ウーマンニーズラブ
聖子の旦那が有能な家政婦さんを雇ったおかげで聖子不在だった機能不全の家…(作家さん0)
500レス 3252HIT 作家さん -
閲覧専用
フーリーヘイド ~読む前の注意書きと自己紹介~
やはり女性は私に気が付いている様である。 とりあえず今は、 …(saizou_2nd)
500レス 5779HIT saizou_2nd (40代 ♂) -
閲覧専用
今日もくもり
たまにふと思う。 俺が生きていたら何をしていたんだろうって。 …(旅人さん0)
41レス 1334HIT 旅人さん -
閲覧専用
おとといきやがれ
次から老人が書いてる小説の内容です。(関柚衣)
9レス 289HIT 関柚衣
-
閲覧専用
サブ掲示板
注目の話題
-
突然旦那が帰ってこなくなった
2歳の娘がいる専業主婦です。喧嘩も何もしてないのに夫が帰って 来なくなりました。もう1ヶ月以上 帰っ…
19レス 539HIT 匿名さん ( 女性 ) -
助けてほしいです
初めまして。 私は文章作るのが苦手ですが読んでください。 私は20年近くお付き合いしていて同棲し…
45レス 517HIT 匿名さん -
名前を好きになりたい
改名したいくらい自分の名前が嫌いです。 私は学生でかすみって名前なんですけど周りで同じ名前の人と会…
18レス 273HIT おしゃべり好きさん ( 女性 ) -
マクドナルドメニュー
マクドナルドで絶対頼むメニューは何ですか?
17レス 311HIT 匿名さん -
旦那から子どもへの接し方を注意されるのがストレスです
私の子どもへの接し方を旦那が横から注意してくるのがストレスです…。 幼稚園年長の息子が、夕飯中…
6レス 162HIT 育児の話題好き (40代 女性 ) -
マッチングアプリで出会った人
先日マッチングでマッチした男性と会いました。 当日はマスクをしていき、ドライブで終わったので マ…
8レス 142HIT 聞いてほしいさん - もっと見る