虐待、養子、死別、不倫…波乱万丈な私の半生日記

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2010/02/21 15:03(更新日時)

30数年前の12月、
私は大阪のとある町で産まれました。

当時
母、17歳高校生。
父、19歳大学生。


私の父の父親(私からみれば、父方の祖父)は警察官。

私の母の両親は共に教員。

昔堅気でお堅い考えの両祖父母を説得し切れずに私を産んでくれた私の両親は、
「入籍も許されず親の反対を受けたままでも、夫婦二人でこの子(私)を育てる」と決意し、母は高校中退後に未婚のまま産んでくれたそうです。


ただ…
現実はそう甘くはありません。

親の援助もない学生二人で生活しながら、子供を育てるのは容易ではありませんでした。


両家の親は、「せめて●●くん(私の父)が大学を卒業するまで、■■ちゃん(私の母)が復学して高校を卒業するまでは、子供を施設に預けておいてはどうか?
お互いが学業を全うしたら結婚は認める。すぐに子供を施設から呼び戻せばいいし、私たちもいくらでも援助をする。」という提案を私の両親に出し
私の両親は両祖父母からのその提案を受けたそうです。


そして私は
ある施設に預けられました。


当初は1年ぐらいで親元に戻る予定だった私が
実際に親子で暮らすのが10年以上も先になってからでした…。


続きます

No.1162617 (スレ作成日時)

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No.51

25歳を迎える直前の11月、私は真治さんと結婚しました。


25歳になるまでにお母ちゃんの家を買い取るという、5年前の決意も薄れ
真治さんや寿恵子さんご夫婦との同居生活に胸を弾ませていました。


寿恵子さんは私の家族関係を考慮して下さり、結婚式はせずに身内(真治さん方の近しい身内)だけでのお食事会を提案して下さいました。
申し訳ない気持ちでしたが、ありがたく提案を受けさせてもらいました。


両親にも結婚の報告を事前に伝えましたが
「子供達が大学生で大変なんだけど、何を要求したいわけ?」


私にはもうどうでも良い事でした。


寿恵子さんと真治さんは、私が仕事を続ける事にも賛成して下さり
家事はほとんど寿恵子さんがして下さいました。

「せめて買い出しや洗濯ぐらいは私にさせて下さい」とお願いしても
「いいのよ、私は暇だから。毒ちゃん1人分の洗濯なんて、増えたうちに入らないし、お父さんの汚いパンツを毒ちゃんに洗わせるなんて…バチが当たるわ‼」

面倒見の良い寿恵子さんは
「嫁を迎えた」というよりは「娘が増えた」という感覚で、とても温かく私に接してくれました。


私は幸せでした。

No.52

そんな恵まれた結婚生活も半年を過ぎた頃、
私は妊娠しました。

真治さんはもちろん、寿恵子さんご夫妻もとても喜んで下さり
それまでしていた唯一の家事…夕食の後片付けと、朝食準備…すら、しなくて良いと言われる甘やかされ振りでした。


その頃、私はとんとん拍子で役職が上がり、部下も増え
営業が楽しくて仕方のない時期でした。
職場に妊娠を告げると、「負担の少ない部署に変えようか?」と言ってくれた上司の配慮も辞退し
家族なは内緒で営業を続けていました。

妊娠期間は順調に経過し、産休まであと数日というというある夜
私は産気付いてしまいました。


まだ妊娠9ケ月…






しかも胎児は逆子でした。

No.53

痛みに強い私は、
それが俗に言う「張り」なのか「痛み」なのかとも分からないまま朝を迎えてしまいました。


明け方過ぎには、それが「痛み」かなと認識できるようになったので
真治さんを起こし病院へと向かいました。



「ちょっと‼
もっと早く来ないと駄目じゃないの‼
まだ9ケ月…しかも逆子なのよ‼」


診察を受けると、助産師さんが声を荒げて言いました。


子宮口は5センチ。


即座に陣痛止めの点滴を受けましたが、痛みは強まるばかりでした。



「胎児の体重は2000gか…。未熟児だけど、陣痛も止まらないからもう産むしかないようだな」
医師に言われました。


私の通っていた個人病院には未熟児を受け入れるNICU(新生児集中治療室)がない為、
私はNICUが設置されている総合病院へと救急搬送されました。

No.54

赤ちゃんは逆子…しかも足位であった為、帝王切開を覚悟していましたが

「赤ちゃんは小さいし、お母さんも長身なので、普通分娩をしてみましょう」


搬送先の病院で、当直だった医師に言われました。


「本当に大丈夫なんですか?
帝王切開にしてくれませんか?」

私は何度もお願いしましたが

「大丈夫、大丈夫。普通分娩の傷は一瞬。帝王切開の傷は一生。大丈夫。大丈夫」

そんな問題ではなくて…と思いながらも、
自信満々なこの医師に全てを任せました。



搬送先の病院には陣痛室もなく
また、いつ容態が急変するかも知れない私は手術室に入れたまま一人で陣痛に耐えました。


母もお母ちゃんに付き添われず、こんな風に私を産んでくれたのかな…


一人で痛みに耐えながら、そんな事ばかり考えていました。

No.55

子宮口が全開になり分娩台に上がった後も、赤ちゃんはなかなか産まれて来てくれませんでした。

ようやく足、胴体が出て来たものの、
予想通り赤ちゃんの首が引っかかってしまい…
助産師さんが2人掛かりで私のお腹に乗っては赤ちゃんを押し出していました。

私は味わったことのない痛みに、気を失ってしまいました。


気付いた頃には病室に移っており、
真治さんと寿恵子さんがそばに居ました。


「よく頑張ったね。赤ちゃんは大丈夫だよ」



あぁ…無事に産まれたんだ。良かった


無意識に腹部に手を当てると、ツルツルで平らなお腹がありました。


帝王切開にならなかったんだ…


凄いな、あの先生。

ぼんやり思いながら、私はまた眠りにつきました。

No.56

娘は、2150gで産まれました。


難産による後遺症もなく良い状態。
ただ、正期産に満たない出産であるため、しばらくはNICUでの入院が必要との事でした。


私が、もう少し早く陣痛に気付いていれば、
娘はこんなに小さく産まれずに済んだのに…


真治さんは、何度も何度も優しく否定してくれました。


違うよ。
毒ちゃんだから、娘は後遺症もなく生まれたんだよ。


毒ちゃんだから無事に生まれたんだよ。


真治さんの優しい気持ちと、無事に産まれて来てくれた娘に、感謝の言葉もありませんでした。



産休明けと同時に、仕事を辞めよう。



私は真治さんと娘のために生きたい。



義理ではあっても愛情いっぱいの両親がいて、
私を大切にしてくれる夫がいて
私の血を分けた愛しい娘がいる。


ようやく私は心身共に永住出来る場所を見つけれた。



これからは平穏で落ち着いた幸せな生活が私を待っている…

私の波乱に満ちた人生は
ようやく終わったのだ…



あの頃は、本当にそう感じれるぐらい満ち足りていました。

No.57

■皆様へ■

私の拙い回想日記を読んで下さって、本当にありがとうございます。

読んで下さっている方がいると思うと
書くのもとても楽しく感じられます🎵


この先に私が起こす出来事に対する
皆さんの感想や非難が怖くて、今まで感想スレを立てずに居ました…


でも…

日記を書き進めていくうちに
逃げるのはもうやめて、色々な意見や非難も受け止めないと…という気持ちになってきました。


キッカケを下さった【まい様】
ありがとうございます。


今までの感想などを聞かせて頂けたら嬉しいです😊


出来るだけお手柔らかにお願いします(笑)


感想スレは【私の半生日記】で検索して下さいね🎵

No.58

>> 57 毒さん、お疲れ様です😃

最初から読ませて頂いています✨
夜遅くに更新されてますが、お体にさわらぬ程度にガンバってくだしいまし😊

  • << 60 ■ユーリ様■ お気遣い頂き、ありがとうございます。 書き始めると、ついつい止まらなくなってしまいます(笑) これからは、ゆっくりマイペースで行きたいと思います。 じれったいとは思いますが 最後までお付き合い頂ければ嬉しいです💕

No.59

私は産後5日で退院しましたが
未熟児であった娘【さくら】は、当分の間NICUに残る必要がありました。



【体重が2500gを超えたら退院出来る】



出生後の生理現象で、体重が2000gを割ってしまっていた
さくら。


2500gなんて、遠い遠い先…


さくらは永遠に病院に居るのではないか…

そんな考えが私を支配していました。


「大丈夫だよ。
順調にいけば来月中には退院出来るって、先生も言ってたじゃないか」


不安になる私を
根気よく、毎回同じ言葉で諭してくれていた真治さん。


それでも私の不安は消えませんでした。


【近いうちに、さくらを我が家に迎えれる】と言う実感すら持てませんでした。



母親だけに分かる、ある種の予感だったのかも知れません。

No.60

>> 58 毒さん、お疲れ様です😃 最初から読ませて頂いています✨ 夜遅くに更新されてますが、お体にさわらぬ程度にガンバってくだしいまし😊 ■ユーリ様■

お気遣い頂き、ありがとうございます。

書き始めると、ついつい止まらなくなってしまいます(笑)


これからは、ゆっくりマイペースで行きたいと思います。


じれったいとは思いますが
最後までお付き合い頂ければ嬉しいです💕

No.61

NICUの面会時間や規則は、一般的な病棟のそれとは異なり
非常に制限の厳しいものでした。


面会は、午前と午後の部に分けられ、可能な面会時間は1時間以内。


入室前には検温が義務づけられづけられていました。


さくらの居る【愛徳病院】は、私が産前に救急搬送された病院であった為、
自宅からは車で片道1時間以上掛かりました。

それでも
退院翌日から毎日車を飛ばし、
午前と午後の2回
欠かすことなくさくらに面会しました。


「さくらちゃんは順調よ。だからお母さんも、1日ぐらいゆっくり休んだら❓」

看護師さんが心配する言葉も聞かず
毎日2回、無心でさくらの元に通い詰めました。

No.62

>> 3 母は単位制の高校に再入学し、通い初め 父もアルバイトを掛け持ちながら、残された大学生活を過ごしていたある日… 父に転機が訪れました… 感動してます😢続きが読みたいです💦

No.63

■ハーピー様■

読んで下さってありがとうございます。

マイペースな更新となってしまいますが、これからもよろしくお願いします🙇

No.64

👀題名に惹かれ✨一気に愛読☀此処まで読んで涙が溢れ出してしまいました😢主様程では有りませんが私も波瀾万丈な?半生でした(笑)これからの更新も楽しみにしております✨お身体無理なさらずように✋

No.66

>> 65 同意です。
他の人の感想レスなんて読みたくないし、本文が読みにくいです。

No.67

■お願い■

感想スレを用意しましたので、
今後の書き込みはそちらをお使い頂きますようお願いします。

感想スレは日記から【私の半生日記】でご検索下さい。


ゆうき様、
お気遣いとご助言頂きまして、ありがとうございます。

No.68

さくらは生後1ケ月を迎えましたが体重の増えが思わしくなく、
退院の目処はなかなかつきませんでした。

NICUは、普通の新生児室のように誰でもが覗き込める造りにはなっておらず
また、立ち入れるのは赤ちゃんの両親のみという規則があったので、
寿恵子さんはまださくらを抱くどころか、写真でしかその姿を見たことがありませんでした。


面会中はほとんど眠っているさくらなのに、寿恵子さんは毎回事細かに面会の様子を尋ねてくれます。

さくらには勿論、
寿恵子さんにも申し訳ない…


早く寿恵子さんに
さくらを抱かせてあげたい。


そんな気持ちでいっぱいでした。

No.69

桜の花がほころび始めた4月初め。


私はいつもの様に面会を終え、自宅で報告を待つ寿恵子さんの元へ車を走らせていました。


いつもなら1時間少しで帰れる距離でしたが、その日は高速の事故渋滞に巻き込まれ
2時間以上かかってしまいました。



自宅前に車を寄せようとすると

引きつった顔の寿恵子さんが道の真ん中に立っていました。


帰宅の遅い私を心配してたのかも知れない…



「寿恵子さん、すみません!
途中で事故渋滞に巻き込ま…」






「毒ちゃん!!




すぐに病院に戻って!!
さくらちゃんが…
さくらちゃんが…!!」




さくら?
さくらが?


意味が分からないまま寿恵子さんを乗せ、
そのまま車を走らせました。

No.70

寿恵子さんの話によると、
私が帰宅する20分ほど前に、愛徳病院から電話があったそうです。


さくらちゃんの容態が急変した…と。


真治さんに連絡した後、
寿恵子さんは外で私の帰宅を待っていた…と。


寿恵子さんはかなり取り乱していましたが
私は自分でも不思議なぐらい
とても冷静に車を走らせていました。

No.71

「私の可愛いさくらに、何かが起こるはずがない」
という自信なのか


もしかしたらずっと前から
こんな予感がしていたのか…


冷静な自分を分析する余裕すらありました。



車を飛ばしながら、私の思考は過去をさ迷っていました。



お母ちゃんが自殺した日の帰り道。




小学6年生、参観日からの下校道。





家に帰ると、きっと嫌なことが起きる。




分かっていても
助けを求める相手も、逃れる術もなく
帰宅するしかなかったあの道。





そして今
病院へと向かう道が、あの日とシンクロする…





私は、過去の悪夢を振り払うかの様に
強くアクセルを踏み込みました。

No.72

数時間前とは打って変わって顔色が悪いさくら。

相変わらず眠ってはいますが、
息は浅く苦しんでいるのが手に取るように分かりました。



「一体、何なんですか!?
何が起きたんですか?!
さっきまで、元気だったじゃないですか!!
看護士さんも、安定してるって言ってたじゃないですか!!」

道中は冷静だった私も、
苦しそうなさくらを見ると我を忘れてしまい
医師の説明すら待てない状態でした。



実際に医師からの説明を受けても
混乱した頭に難しい医療用語…

何を言われているのかさっぱり理解出来ず、ますますパニックになるだけ…


いつの間にか病院に到着していた真治さんが
「僕が医師の話を聞く。
毒ちゃんはさくらの所へ行ってあげて」

真治さんの心遣いにお礼すら言わず、
すぐにさくらの所へ向かいました。



しかし私が僅かに理解できた医師の言葉…



「母子感染」

「劇症肝炎」




その時は深く考える冷静さもないまま、

とにかく私はさくらの傍らに居続けました。

No.73

その10日後






桜の花が咲くのも待てずに





さくらはこの世を去りました。




たった1ケ月半の



短かすぎる生涯でした。

No.74

さくらの容態が急変し危篤状態にある間、私は
【さくらがどういう病気なのか】
【何故こんな事になったのか】
【何が原因なのか】

そんな事にあまり興味を示せませんでした。


何の病気でもいい。
何が原因でもいい。



とにかく今は
さくらの事だけを考えて、見つめて居たい。


今はただ
この消えそうな命を大切な命を何とか繋ぎたくて
小さすぎるさくらの手を指で触り続けることだけに集中したい。


他の事はどうでも良かった…




長い10日間でした。



ごめんね。
そして
ありがとう、さくら。



さくらを失い
眠れぬ夜が数週間続きました。





ある夜、突然
私はさくらの病気を詳しく知りたくなりました。



【劇症肝炎】
【母子感染】



あの時の記憶が蘇ります。



私はパソコンを開き、記憶にある言葉を調べました。



【劇症肝炎】
【母子感染】



翌朝に真治さんに聞けば
さくらの病気については、ある程度のことは分かったでしょう…



しかし翌朝

私は一人で【愛徳病院】へ向かいました。



もちろん
真治さんには内緒で…。

No.75

病院へ着き、
さくらがお世話になっていたNICUへと向かいました。


今までお世話になった感謝の気持ちと、私を気遣って下さる看護師さんの言葉にお礼を述べ
「主治医に会いたい」とお願いしました。



「先生は、なかなか空き時間がないので…かなりお待ち頂くかも…お時間もたくさん取れるかどうか…」



「待つのは全然構いませんし、
お時間も取らせません。5分もあれば充分ですので、待たせて下さい」




私は医師に説明を求めに来たのではなく、
【答え合わせ】をしに来たのでした。





病院に行く前の夜、
私は自分の記憶とパソコンを頼りに
さくらの病気や原因について、徹夜で調べました。




そして、ひとつの結論に行き着きました。








『さくらが死んだのは





私のせい』








これを確認する為だけに
医師に会いに行ったのでした。

No.76

さくらが危篤状態に陥ったのは
『肝機能の低下』によるものでした。


未熟児であった為、未熟な臓器や機能していない臓器がないかは、きちんとチェックされていたはずです。


では何故分からなかったのか?



それは
次に調べた【劇症肝炎】という言葉で説明がつきました。




【劇症肝炎】とは、
肝炎(主にB型肝炎)ウィルスが体内に蔓延した時に、ごく稀に起こる
『肝臓のショック状態』のようなもの。

つまり、
産まれた直後のさくらの肝臓には異常は認められなかったけれど
生後1ヶ月の時点ではウィルスが体内に蔓延していたということ。



では何故、生後1ヶ月の娘の体に
B型肝炎ウィルスが蔓延していたのか。




それは
【母子感染】



つまり、私がB型肝炎のキャリアであったから。




私は自ら
こういう答えを導き出していました。




私が
さくらを
殺してしまったんですよね…?



私が病院に向かったのは
それを聞く為でした。

No.77

さくら、本当にごめんなさい。

謝っても謝り切れない。


私が代わりに死ねば良かったのに…



こんな母親、
生きている資格なんてない。


私もさくらの所へ行きたい…





真治さん、寿恵子さん達は
何故私を責めなかったんだろうか?


いつかは話すつもりだったんだろうか?

永遠に黙っているつもりだったんだろうか?


真治さん…
娘を殺した私の顔を見るのも嫌でしょう?


ごめんなさい…
ごめんなさい…
ごめんなさい…



医師の答えを確認したら


私は真治さんと離婚し、家を出るつもりでいました。

No.78

4時間後、
私は医師の待つ部屋へ案内されました。


昨晩、自分で出した【答え】を医師にぶつけました。





医師は静かに言いました。




「毒さん…




何も聞いていないのですか?






ご家族から、
何も聞いていないのですか?」




たった5分のつもりが




医師の話を聞き終えた頃には
50分を超えていました。

No.79

「まず最初に申し上げておきますが…

毒さん、あなたは間違いなく
B型肝炎のキャリア(保因者)ではありません。


さくらさんは…
本当にお気の毒でしたが…


でも、もし毒さんが次のお子さんを出産された時は、B型肝炎の危険にさらされる事は、まずないでしょう」




私が口を挟むのを制止し、
医師は更に続けました。




「『じゃあ何故
さくらさんがB型肝炎に感染していたのか?』ですよね?


プライバシーがあるので詳しくは言えない事もありますし、
前例のない事なので、私の推測の部分もありますが…」




そう前置きして、
医師は話してくれました。

No.80

これからのお話は、
10年以上前に医師がしてくれた話を思い出しながら
私なりの解釈で、まとめたものです。

私には専門知識はありませんので、間違った解釈が含まれてているかも知れませんが、ご理解のほどお願い致します







B型肝炎に対する研究や対処が確立されている今
母子感染を防ぐため、妊婦にはB型肝炎に対する検査が義務化されています。



妊娠初期に全ての妊婦が受ける血液検査…その中にはB型肝炎に対する検査も含まれています。



もちろん、私もその検査を受けました。
妊娠中期に一度転院している私は、
転院先のミスで、同じ検査を二度も受けています。



二度とも、
私に『B型肝炎反応』は出ていませんでした。
そのことは、
2枚の『血液検査・結果値』で証明されていました。


ただ、この結果値で証明出来るのは
『現在の段階で、母体がB型肝炎ウィルスに感染しているかどうか』しか分かりません。




「毒さんがB型肝炎に感染していない事は既に証明されている。



もっと詳しい検査で、
『毒さんにB型肝炎の抗体があるかどうか』を調べれば
より真実に近付けますよ。』


私は迷わずに、その血液検査を受けました。

No.81

補足する為に、
更に医師は続けました。


「同じ『B型肝炎シロ』状態であっても、

更に詳しい
『B型肝炎の抗体検査』をする事により、

①一度もB型肝炎に感染したことがない『シロ』なのか



それとも


②過去にB型肝炎に感染した経験はあるけど、
毒さんの免疫力が勝って完治してしまった結果の『シロ』なのか


それが判明します。


もし、詳しい検査の結果が②であれば


毒さんの血液からは『B型肝炎の抗体反応』が出るはずです。



抗体反応が場合、
私の推測が当たっている可能性が高いと思いますが…



私の推測ついては、検査結果が出てからしかお話しは出来ません。」




つまり、
私はB型肝炎ではない状態にある。


しかし、
もし私にB型肝炎に対する抗体が発見されれば、
一度はB型肝炎に感染した経験があることになる。



そして
私に抗体の反応が出れば、
さくらの【B型肝炎感染】の推測を話してもらえる。



医師の話は、そういう事でした。




私は詳しい検査結果の出る2日後に、
再度医師と会う約束をしました。

No.82

医師に会うまでの2日間の間に
私はB型肝炎に対する情報収集をしました。


医師と話せる限られた時間を無駄にしたくなかったから…。



知識をつけておけば、初歩的な質問をする時間のロスを省けるし、
スムーズに医師との話を進めれれると思ったからでした。




わずか2日間の勉強でしたが、

医師との会話で芽生えた疑問を
自分自身で調べて解決し、

B型肝炎に対する最低限の知識を身につけていました。

No.83

■ここからは、B型肝炎に対する知識編となります。

読まなくても本編には支障がありませんので、苦手な方は飛ばしてお読み下さいね。

より深く知りたい方は、お読み下さい頂けると嬉しいです■
昭和30年代後半までは、
小学校などの集団予防接種で【注射器使い回し】が当然のように行われていました。

その頃の影響で、現在の50歳代以降の間でB型肝炎患者が急増しました。

しかし、感染経路が明らかになり

また、母子感染を防ぐワクチンが解明された為、
現在では若年層のB型肝炎患者はほとんどいません。


また、ある程度の免疫が出来上がっている成人が
万が一、B型肝炎ウィルスに侵されたとしても
免疫力が働いてウィルスを自動的に退治してしまうため、
成人がB型肝炎に感染してしまう可能性は極めて低いそうです。


しかし、
免疫力が充分に備わっていない、乳幼児の場合…

B型肝炎ウィルスはすぐに蔓延してしまいます。

No.84

B型肝炎ウィルスに接したことがない人の体内には、
【B型肝炎に対する抗体】は存在しません。


もし、私に【B型肝炎に対する抗体】があれば…


それは、過去に私の体内にB型肝炎ウィルスが侵入した形跡がある…という事になります。



すなわち
B型肝炎ウィルスに感染していたけれど、
免疫力が働いて
知らない間に完治していた、ということです。



問題は
いつ、B型肝炎ウィルスに侵されていたのか…です。



さくらにB型肝炎が感染していたということは、
私が妊娠中にウィルスに侵されてしまったとしか考えられません。


私は免疫システムのお陰で、B型肝炎にはなりませんでしたが

お腹に居たさくらは
感染してしまった。



そう考えられます。



では、妊娠中の私が、いつB型肝炎に感染したのか?



B型肝炎の感染経路は


①注射器の使い回し
②母子感染

③輸血

④キャリアとの性行為


この4つに限られています。


妊娠中の私に考えられる可能性…



それは【キャリアとの性行為】



それしかありませんでした。

No.85

2日後、
私と医師は、居酒屋の個室に居ました。


約束の時間から3時間待たされましたが、
時間を気にせず話せるように…と
医師は勤務後に時間を作ってくれました。


「ほんまなら、
小児科医の私が毒さんの血液検査結果とかを告げたらあかんねんけどね」


30代半ばの若い医師…高井先生は、苦笑いしながら言いました。



私には、やはり
B型肝炎に対する抗体がありました。



私は自分の調べた事を基に
高井先生に聞きました。


「さくらも感染していた事を考えると、
私が妊娠中に感染した可能性が高い

…いえ…

妊娠中に私がB型肝炎に感染した、そうとしか考えられませんよね?」



「よく勉強してきたんやねぇ(笑)

私はその方面の専門じゃないから、
医師としての意見とは思わずに聞いてね」



そう言って高井先生は、話しはじめました。

No.86

高井先生の話は
私が想像していたものとほぼ同じでした。


私は妊娠中にB型肝炎に感染した。

私は自然に完治したけれど
さくらだけは感染してしまった。


前例がないので立証は難しいけど
その可能性が高い、と。



そして、私は
一番聞きたくない事を聞きました。



「私が感染した可能性は、性行為しか有り得ないんですが…


夫が…


夫がB型肝炎のキャリアということですか?」



高井先生は

2日前に、開口一番
私に尋ねた質問を繰り返しました。



「ご家族からは、何も聞いていないんですか?」



2日前、高井先生はこうも言っていました。


「プライバシーがあるので、全ては話せませんが…」



私の中で
全てが繋がった瞬間でした。

No.87

私は、さくらが亡くなった真実を手にしました。



B型肝炎ウィルスは、
キャリアである真治さんから
私の体を経由して
さくらに感染してしまった。


私の出した答えに

高井先生は否定も肯定もせず、何も言いませんでした。


でも、多分
高井先生は知っていたのでしょう…

真治さんがキャリアである事を。



高井先生と話をする機会が多かった、
真治さんや寿恵子さん。





さくらの危篤時に、
きっとどちらかが先生に打ち明けたに違いありません。




私は感じたことのない怒りを噛み締めていました。




知らなかったとは言え
B型肝炎ウィルスを経由させてしまった私にも責任はあるのかも知れない?



そんな事は一切
思いませんでした。




とにかく、
キャリアである事を隠して結婚し、それによってさくらを失ってしまった。




今までの悲しみ
苦しみ
そして
さくらの死。



全ての矛先を
真治さんに向けていました。



怒りで震える手でハンドルを握り締め、
思いました。






もう
一緒に住めない。





数日前と理由は違うけれど、
確実な終わりを感じていました。

No.88

>> 87 私が自宅に戻ると、
真治さんは既に帰宅しており、
寿恵子さんと笑いながら夕食を食べていました。


「あら…毒ちゃん、早かったのね。
お友達との夕食は楽しかった?」





なんで笑えるの?

なんで食事なんか食べれるの?

なんで私に話し掛けれるの?

私に言わないといけない事があるでしょう?



溢れ出す言葉を押し殺し、
私は無言で2階へ上がりました。




今はまだ駄目。


もう少し冷静になって、
色々な準備を整えておかないと。


真治さん家族と対峙するのは、それからだ。



翌朝一番に
私は産休中の職場へ向かいました。

No.89

一度は退職を決意し、辞職を伝えていた私でしたが

産休中ということもあり、正式な手続きはまだ完了していませんでした。


私は上司に、
娘が亡くなったことと離婚する事を伝え、すぐにでも復職したい旨を伝えました。


上司は
私の一存では決めれないけれど、復職は可能だろう。
ただ、転勤になる可能性が高いと言いました。






転勤。






今の私には
その方が良いかも知れない。


私の事を知る人がいない職場で
ゼロからやり直せる。






数日後、
私は復職日と勤務先の辞令を受け取りました。




ようやく
真治さん家族と向き合う準備が整ったのです。

No.90

やはり、真治さんはB型肝炎のキャリアでした。


真治さんは、寿恵子さんからの【母子感染】でキャリアになったそうです。



寿恵子さんは、自らがキャリアだと知らないまま、真治さんを出産しました。


幸いにも、真治さんは
さくらのように【劇症肝炎】を発症をすることなく成長しました。


だから、寿恵子さんは気付かなかったのです。


小学校に上がる頃、真治さんは大怪我をし
手術を受けることになりました。


その際の術前検査で、真治のB型肝炎が明らかになったそうです。


医師の指示で受けた血液検査で、寿恵子さんもB型肝炎であることが判明しました。

医師は母子に定期的な肝機能検査を受ける事を勧め、
B型肝炎の恐ろしさや、他人に感染させない為の生活指導を述べましたが
寿恵子さんにはピンと来なかったそうです。


「そんなに怖い病気なの?
いつ感染したのか分からないけれど、私も全く症状がないし、
真治だって風邪ひとつひかない健康な子供。
大袈裟過ぎるんじゃない?」


以後、寿恵子さん親子が病院に通うことは無く、

自らの病…B型肝炎の知識すらないまま、
今に至ったそうです。

No.91

怒りを通り越し、
私は呆れてしまいました。


【B型肝炎】
その名前と恐ろしさぐらいは
誰もが知っているはず。


仮に、全く知識がなくても
我が子が侵されている病について調べもしない母親なんて
居るのでしょうか?


寿恵子さんは言いました。



「今はワクチンがあるんだってね。
だから【母子感染】しても、産まれてすぐにワクチンを打てば
赤ちゃんにはB型肝炎がうつらないらしいよ。

次の赤ちゃんには打たないとね」



「いい加減にして下さい!!」


私は叫んでいました。


まったく的外れな発言。



私はB型肝炎キャリアではありません。
だから母子感染はしません。


あなた達の無知と無責任さのお陰で
さくらが命を奪われたことを、理解しているのですか!?


そんな人達に囲まれて暮らし、
私がまた出産するとでも思っているんですか!?


言いたかったけれど、
言っても無駄だと思いました。


この人達がは、さくらが亡くなった経緯…
いや…もしかしたらB型肝炎についても、
まだ理解していないのかも知れない。



我が子の病気を放置した母親に

さくらの病気を話しても無駄だ…



私は
離婚届けを渡しました。

No.92

当時の私は
全ての責任を真治さんに押し付けていました。


実際には、
私の体を通して、さくらに病気を感染させてしまったのに。

でも、全ての責任を真治さんに押し付け、
悲しみや怒りの矛先を真治さんに向けることで
心のバランスを保っていたのかも知れません。


あんなに私を大切にして下さった、真治さんと義両親に
お礼の言葉も述べずに家を出ました。



幸せな結婚生活は
たった1年半でした。



また
一人ぼっちの生活が始まりました。

No.93

私の転勤先は、広島でした。


大阪では優秀な成績を残していたので、
転勤は栄転という形になりました。



知らない土地。

新しい仕事仲間。

しかも、唯一営業で役職がある女性社員であった私。


なかなか
他の社員と打ち解けることが出来ずにいました。



私は広島で
今まで飲めなかったお酒を覚え、
退社後は毎日ひとりで飲みに行く日々を送っていました。



会社ではなかなか打ち解けることが出来なかったけれど、

行き着けの小料理屋やバーでは、顔馴染みの知り合いができ、
中には、個人的にお付き合いするような、良い友達がたくさん出来ました。


ワインバーを経営している、女性オーナーの雪子。


しゃぶしゃぶ屋を営んでいる、大阪出身の中村夫妻。


ホステスのエミ。


大阪から転勤してきた営業マンの、一樹…


忙しくやりがいのある仕事と、
良い友達のお陰で
悲しみに暮れる暇もなく広島での毎日を過ごしていました。


そんな生活も1年を過ぎた頃
私に転機が訪れました。

No.94

その日、珍しく定時に仕事を終えた私は、
ワインバーを経営している雪子を誘い
早めの夕食を共にしました。


その後、オープン準備がある雪子と一緒にワインバーへ向かい、
雪子が慌ただしく準備をするのを横目に、私はワインを飲んでいました。



「少し早いけど…いいかな?」


一人の男性客が入って来ました。



「あら!!熊谷社長!!
お久しぶりです!!

バタバタしてますけど…どうぞ、どうぞ!!」


今まで見たこともない、飛びっきりの笑顔を浮かべて
雪子はその客を迎えました。




ははぁ~ん…
金回りのイイ客なんだ(笑)




ごく自然に私の横の席に腰をおろした熊谷社長は
40代半ばの、日本人離れをした容姿の方でした。



オーダーも聞かずに熊谷社長のワインを用意した雪子は


「こちら、私の友達の毒ちゃん。
S銀行で営業をやってるのよ。


毒ちゃん、
熊谷社長も金融関係だから、社長に色々ご指導頂きなさいよ(笑)」



雪子は笑いながら言い、
再びオープン準備を始めました。

No.95

熊谷社長は、自分の事をあまり語らないくせに
私…特に私の仕事のことばかりを知りたがりました。


営業内容
営業方針
営業成績
会社の待遇

そして『営業』や、
『日本の金融システム』に対する私の考え…



熊谷社長は
ご自分がスイス人と日本人のハーフであること。
新しい事業展開の調査の為に、何度か広島に来ていること。

それだけは語ってくれましたが、
会話の9割が私に対する質問でした。



紳士的ではあるけれど、
不思議な威圧感と、面接を受けているかのような質問攻めに嫌気が差した私は

互いに名刺を交換してから、早々に雪子の店をあとにしました。




数日後、
勤務先の銀行に
熊谷社長から電話がありました。

No.96

熊谷社長とは
私の退社後にある小料理屋で会うことにないました。

約束をした後、
すぐさま雪子に電話しました。


「今夜、熊谷社長に誘われたんやけど…彼って既婚者?」


雪子は大笑いました。



「写真しか見たことないけど
モデル出身の、めちゃくちゃキレイな奥さんが居るらしいよ。

心配いらんけぇ。


社長が毒ちゃんを誘ったのは、絶対に下心やないけぇ。

変な心配せんと行って来んしゃい」



雪子は笑いながら言いました。



変な勘ぐりをしてしまった私は気恥ずかしさを感じながら

約束の小料理屋へ向かいました。

No.97

約束の時間より20分も早く小料理屋に着いてしまったけれど、
熊谷社長は既に私を待っていました。


雪子に笑われて、ある種の警戒心は溶けていたものの、
それでも「個室でふたりきり」と言う居心地の悪さには変わりませんでした。


前菜が運ばれるとすぐ、
熊谷社長は切り出しました。



「我が社で働かないか?
先ずは話を聞いて欲しい。」



上手いなぁ…


断りにくくする
上手い手法。



これからコース料理が来るというのに、
断って帰れるわけがない。



デザートが運ばれる頃には、すっかりその気にさせられてしまうんだろうなぁ…



仕事のお誘いを受けたことへの驚きより、


熊谷社長の見事な手法に関心していました。



「熊谷社長のお仕事には私も興味があるので、
お話は是非とも聞かせて頂きたいです。

でも、どんなに良いお誘いでも、
今日は即答できません」




熊谷社長はニッコリ笑いました。




「ん。分かった。それでいい」


そして社長は話し始めました。

No.98

熊谷社長は、飲食店数軒と
外資系金融機関を持つ
ホールディング会社を経営されている方でした。



数年前に始めた外資系金融業は
東京本社と大阪支社があり
この度、広島支社をオープンする為に
広島視察を繰り返している最中だったそうです。


その広島支社オープンに当たり
市場を知っている私に力を貸して欲しい…そういう申し出でした。



「市場を良く知るも何も、私は広島に来てまだ2年弱ですから…
お役に立てるような能力はないです」



と言う私に


「ん。2年なのは、もちろん知ってるよ。
申し訳ないが、ちゃんと調べさせてもらってるから。

経験年数や能力を知った上で、あなたにお願いしてるんだよ。」


名前も聞いたことがないベンチャー企業。


なんとか断る糸口を探していた私ですが
断りのニュアンスは
ことごとく打ち消されていきました。

No.99

確かに私は
毎月素晴らしい営業成績を上げていました。


でも、出世の面で頭打ちしているのも事実でした。


そんな中

熊谷社長が提示して下さった優遇は
とても魅力的でした。



給料は今の倍近いもので、
役職も尻込みしてしまうような立派なもの。



全てが魅力的でした。



ただ、名前も知らないベンチャー企業への不安。



ネームバリューのない会社で
社長の期待に応えるような仕事ができるかの不安。




でも、魅力的な仕事内容。




考えれば考えるほど、考えがまとまらず


返答する日になっても答えは出ませんでした。

No.100

「まだ悩んでるんだろ?

今からちょっと来ないか?」


約束の期限までに返答しなかった私に

熊谷社長からお誘いがありました。



指定された場所へ行くと

若い男性5人に囲まれ、
上機嫌にビールを飲む熊谷社長がいました。




「お。毒。来たか。



こいつらは、広島支社を作り上げていく新しいメンバーや。

みんな色々なところから集まってくれたんや。


彼らとゆっくり話しをしてみろ。


断るのは、
こいつらと話をしてからでも遅くはない」




5人のメンバーを見渡し、話すまでもなく

私は直感しました。



「この人たちと
仕事をしたい。
新しい支社を作りたい」


勤務先の銀行とは違い、
若々しいエネルギーを感じるメンバーでした。

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