空を見上げて
…パパ
これから
美月のもとへ
行きます
逢えるかは
わからないけれど…
お義母さんにも
美月にも
逢えるかな…?
優月をよろしくお願いします
…ごめんなさい
新しいレスの受付は終了しました
『…それは …父が常識のない振る舞いをしてご迷惑をかけてしまった、と修一のご家族には申し訳ないと思っています… 』
…私は敬語になっていた
『そうだね。 君の父親は一般常識からかなり外れていると俺は前からそう認識していたよ。 君は俺と結婚したいの? 高森家の一員になりたいの?』
修一は私を“千春”から“君”と呼ぶようになっていった
『はい… 許していただけるなら… 修一と結婚したいです…』
私はもう涙声になっていた
母は私の事を気にしつつも荷物を取りに家の中へ入っていった
『じゃあ君がこれからできる精一杯の誠意を時間をかけて俺の家族に見せないといけないよ? それを約束してくれるならば俺も家族に君の言葉を伝えておくけど』
私は電話を持ちながら
『お願いします…』
と頭を下げた
『わかったよ。これから家族にそう伝えるよ。 じゃあまた連絡するから 』
修一は
私の父の事など
少しも心配した素振りも見せずに
そのまま電話を切った
1週間後
私は母と一緒に父の病院に来ていた
検査結果を聞きにきたのだ
あんな事があって
私には父の見舞いや看病なんてする気はさらさらなかった
冷静に考えてみたら父のケガは自業自得
あの次の日に修一から電話で言われた言葉
『あんなに周りの迷惑もわからなくなるくらい酔っ払っていたんだからケガをしても自業自得だよ。 第三者の目から見てもそう言うと思うよ?』
…まさにその通りだ
私が父の見舞いや看病に行くということは
修一の言葉を否定しているということ
その修一の言葉を否定するということは
修一を育てたご両親をも否定するということ
私はあの日
修一に高森家の一員になりたいと
高森家の一員になると誓った
…だから
間違っても看病やお見舞いになんて行かなかった
検査結果は母がどうしてもついてきて欲しいというから
修一に聞いてみたら
『検査のデータを知ることは意味があることだから』
と許可してくれたため一緒について行くことになった程度のことだ…
母もまた
お見舞いや看病には一切行かなかった
いつも
父の見舞いに行っていたのは
父の妹の千代子おばちゃん
母は千代子おばちゃんに着替えや持っていかなきゃいけないものをいつも頼んでいた
専業主婦で子供も巣立った千代子おばちゃんは
嫌な顔ひとつせずにいつも父の元へ行ってくれた
千代子おばちゃんに申し訳なく思う気持ちはあった
…でも
私は修一と結婚したいから…
幸せになりたいから…
お父さんといても私は幸せにはなれないから…
だから私は
娘なのに娘としての役目をはたすことを放棄した
『村上さんどうぞ』
医師に呼ばれて
母と私は部屋に入った
『実はですね… 肝臓がかなり悪くて、肝硬変の末期の状態です。 …多分あと半年くらいかと。 』
医師は深刻そうな顔をして
私達にそれを告げてきた
『そしてその余命とは別に腹部に大動脈瘤も見つかりました。 もしこの大動脈瘤がご自宅で破裂してしまえば…即死だと思われます』
…私にはよくわからなかった
普通なら父親が余命宣告をうければ
娘は取り乱すのだろう…
でも…
私には
まるで他人事だった
母もまた
まったく動揺している様子もなく
『このまま入院はさせてもらえるのでしょうか』
と聞いていた
医師は
『もちろん治療することはできます。…ですが治療したところで…余命を少し延ばすことはできても完治することはありません…』
と言ってきた
母は
『それはかまいません。 このまま入院させてください 』
そう頭を下げた
頭を下げている母を見て
私も一緒に頭を下げた
『わかりました』
そういう医師に
母は診断書を書いて欲しいと頼んでいた
…おそらく
生命保険のための診断書だろう
『父が死ねば7000万の生命保険がおりる』
母はよく私にそう言っていた
そうすれば借金も全て返せる…とも言っていた
母にとっては
父の余命宣告を受けたことは
イコール近々7000万が入ってくることでもある
その現実は母にとって
心の中では
笑いが止まらないのだろうな…
と横目で母の顔を見ながらそう感じた
…私は
余命宣告についてはなんの実感もなく
でも入院していることを理由に
約3ヶ月後の結婚式は欠席させられる
…それだけは少し安心した
次の日から母は毎日父の看病に病院へと通った
『千代子さんに迷惑ばかりかけられないから』
母はそう言っていたが
…多分
生命保険を誰にも渡したくないから…
誰かに手助けしてもらえば恩を返さないといけないから…
ただそれだけだろう…
私はわかっていた
父の入院、そして余命を母から聞いた弟夫婦は
産まれたばかりの子供を連れて
度々父の見舞いに来ていたようだった
弟だって私以上に父を死ぬほど嫌っていたはずだ
なのに見舞いに行く神経が私には理解できなかった
母を苦しめた父
私達家族を苦しめた父
そして結納の席で
私にこれ以上ないほどの恥をかかせた父…
私は修一と一緒でない限り
父のもとへは見舞いに行かないと決めていた
修一が私の父の見舞いなんて行くわけがないことも
もちろんわかった上での決断だった
結納の日から3ヶ月経ち
私達の結婚式の日がやってきた
父はもちろん欠席
修一をはじめ
修一の家族は私の父の欠席を心から喜んでいた
…でも
それ以上に喜んでいたはずの私は
結婚式当日
ウェディングドレス姿を一目でも見せてあげた方が良かったかな…
そんな気持ちもあったりして父がいない事が
嬉しいような…
申し訳ないような…
少し複雑な気持ちだった
それでも
父がいなかった事で
結婚式も披露宴も終始和やかで
修一のご両親も笑顔だったのを考えると
やっぱり父がいなくて良かったのかな…
とも思ったりもした
結婚式も無事終わり
修一が以前から希望を出していた
社宅にも入居が決まり
私達の新婚生活が始まった
一緒に生活を始めてから少し経ったある日の晩
『千春の銀行の通帳を見せてほしい』
と修一が言ってきた
『いいけど… 』
私は一冊の通帳を渡した
その通帳をパラパラとめくり眺めて
『…いや これじゃない通帳を見せて 』
と言ってきた
私にはもともとこの一冊しかない
『…え? これしかないけど…? 』
怪訝そうにそう言う私に
『…千春は貯金ないの? この残高が千春の全財産なの? 』
修一は
私よりももっともっと怪訝そうに聞いてきた
私がパン屋でアルバイトしていた時のお給料は1か月で約8万程度だった
そのうちの5万を母に渡していた
もともと趣味もなく
友達も少ない私には
特別お金を遣うような事はなかった
だから3万のお小遣いからでも毎月貯金はできていた
…でも
貯金がまとまった額になる頃に
必ず母は
『店が潰れてしまうからお金を貸して』
と泣きついてきていたのだ…
私はそんな母が
かわいそうで
いつも貯まったお金を貸してしまっていた
私は正直にそのことを修一に話した
修一は
『…じゃあ うちの両親が渡した結納金は…? 千春には1円も渡っていないという事なのか? 』
と聞いてきた
結納金…
母は高森家からいただいた500万の結納金を店の借金に当てていた…
父の余命を知った時点で
『お父さんが亡くなったら保険金で必ず返すから』
と言っていた
でも…
その事はなんだか修一に言ってはいけない気がして
私はずっと黙っていた
『黙ってたら分からないよ。 ちゃんと君の口から教えてよ』
…修一が私を“キミ”と呼ぶ時は口調は穏やかでも必ず苛立っている時だ
私は
それでも何も答えられなかった
『…まさかとは思うけど 借金にあてた… とかはないよね? 』
修一のその言葉に
『そんな事あるわけないじゃない』
そんな大嘘はつけなかった…
どうしよう…
どうしよう…
黙ってうつむく私の目から涙がポタポタと落ちる
『…借金にあてたのか? 』
私は泣きながら
うなずいた
うなずいた私を見て
修一は
はぁっ…
と大きな溜め息をひとつだけついて
ダイニングテーブルの椅子から立ち上がり
どこかに電話をし始めた
『…もしもし 修一だけど』
修一は私の方をチラリと冷たい視線で見て
電話の相手に話し続けた
『あのね…実は村上家に渡した結納金なんだけど千春の母親が店の借金にあててしまったようなんだ…』
…多分電話の相手は修一のお母さんかお父さん
『…うん …うん …俺もそう思うよ …うんわかった …きちんと伝えておくよ これから話しをするからまた後で電話するよ』
修一はそう言って電話を切った
電話を切ってまた椅子に座った修一は
『うちの両親の金をなんだと思ってるんだ? うちの両親は村上家の店の借金のために結納金を渡したわけではない。』
修一は多分ご両親に言われたであろう言葉をそうハッキリと私に言った
…本当だ
…私が悪い
修一の言うことは100㌫その通りだ…
『ごめんなさい… 本当にごめんなさい… 』
私はただただ
深く 深く
頭を下げて
ずっと謝り続けた
…私がしたことは
…母がしたことは
最低な行為だ…
私と修一のために500万もの大金を用意してくださったご両親の気持ちを考えたら
私は今すぐにでも
土下座をして謝りたい心境だ
どこの世界に娘の結納金を借金にあててしまうような母親がいるというのか…
修一やご両親が激怒するのは無理もない
私が修一の立場でも間違いなく激怒するだろう…
…でも
…私は
資金繰りに頭を抱える母を助けたかっただけ…
ただ…
それだけだった…
私は
泣きながらひたすら修一に頭を下げて謝った
何度も
何度も
テーブルに頭をこすりつけながら
私が表現できる
精一杯の言葉で
一生懸命
謝り続けた
それでも
修一は
謝る私の言葉なんてものは
まったく求めていなかった
修一が求めている答えは
私のした事に対する客観的な意見
そして
私の母に対する客観的意見
それだけだ
泣きながら謝る私の言葉や私の気持ちは
修一にとっては
無駄なもの
にしかすぎない
私の涙なんて
無駄なもの…
修一にとっては
私の涙なんて
そのくらい軽いものだった
『泣きながら謝罪をする前に、君のしたことや君の母親がしたことを君は客観的に見てどう思う? 俺は君の意見が聞きたいんだよ。 両親にも伝えなきゃいけないからね。』
修一は
やはりそれを聞いてきた
『…最低なことをしたと思います 』
そう答える私に
『…そういう事を聞いているわけではないんだよ』
修一は呆れたような口ぶりで言ってきた
『最低なのは誰が見たってあきらかだよ。俺が聞きたいのはそういう事じゃないんだ。謝れば済む問題ではないだろ? 事実うちの両親は深く傷ついているんだから』
…私には
修一が私にどんな答えを求めているのかがわからなくなってきた
客観的とか
理論的にとか
全てをそんな風に考えることなんて
私にはできない
どんな答えを求めているのかも分からないから
結局黙るしかない私に
修一は呆れていた
『君の母親に電話をして、すぐに500万を返してくれるように言ってくれ』
そう言って
私の携帯を渡してきた
私は
また泣きながら
修一にうながされるまま
母に電話をかけた
…できることなら電話に出ないで欲しい
…お願い
電話にでないで…
『もしもし? 千春?』
私の願いは届くはずもなく
母は電話に出た
『あの… あの… ………』
涙でうまく話せない私に
母は当然私に何かあったと気づいた
『千春? 修一さんと何かあったの? 』
『……… 』
それでもうまく切り出せない私を
修一は無言で睨んでいた
『千春? なにがあったの? 』
『…あの …結納金を… 返して欲しいの…』
その言葉を伝えるだけで精一杯で
後は涙があふれてとても話せなかった
『…わかったよ すぐ返すよ ごめんね』
…そう言ってくれると思っていたのに
『…だから! お父さんが死んだら返すって言ったでしょ! 』
母の信じられない言葉に
しばらく言葉が出てこなかった
『なに? 修一さんに何か言われたの? ちょっと! 千春? 』
さっきまで私を心配していた母は
結納金のことに触れた途端
いきなり機嫌が悪くなり始めた
ただ泣いている私に
『結納金なんてもう借金の返済にまわしたわよ。 …それに あのお金は高森家から村上家にもらったものなんだから法律的には私が結納金をどう遣おうが自由なのよ? 』
私は
母のことを思って
少しでも母の役に立てば…
そう思ってしまった事を心底後悔した…
私は結局
涙で何も母に言えないまま電話を切った
『千春の母親なんて言ってた? 』
修一が聞いてくる
『…父が亡くなったらきちんとお返ししますと… 言っていました… 』
…今の私には
そう言うしかなかった
修一は
また修一の実家に電話をかけ始めた
しばらく別室でご両親のどちらかと何かを話した後
こちらに電話を持って戻ってきた
そして
その電話を私に渡した
『君の口から俺の両親に謝罪するんだ』
電話を渡された私は
『…もしもし 千春です』
泣きながら電話に出た私に
『…千春さん なぜそんな事をしたの…?』
修一のお母さんが泣いていた
『申し訳ありません… 申し訳ありません… 』
泣きながら
ひたすら頭を下げて謝るしかなかった
泣いて謝ることしかできない私に
『…もういいよ 』
修一が冷たい口調で私の受話器をとりあげた
『…お母さん ごめん。 千春のこんな状態じゃまともな話し合いもできないし、お母さんやお父さんに迷惑をかけるだけだから。 またあらためて電話するよ』
修一はそう言って電話を切った
黙ってうつむく私に
『金輪際 君には必要以上のお金は渡さない。 』
修一は私にそう宣言して財布の中から3000円を出してきた
『これで食料や生活に使うものを買うように。 なくなったらレシートを見せてくれ。 そしたらまた渡すから』
修一の言葉に私はただ黙ってうなずいた
『家計を君にまかせていたらまた経済観念もないような君の母親に吸い取られてしまうからね』
修一は私の母をバカにしたように鼻で笑う
多額の借金を抱える母
アルコールによって身体を崩した父
家出同然で出て行った音信不通の兄
デキ婚をした弟
修一は私の家族を
ことごとく
バカにした
罵声とかではなく
『こうだから こうなったんだ 』
と理論的に
そして
『俺と結婚したことで唯一キミだけが幸せな人生を送れるね』
とも…
修一がその後どのようにご両親を説得したのかは分からないが
『必要最低限の範囲で村上家と関わっていくこと』
その条件を私が守れるならば
『千春さんを高森家の嫁として認める』
と修一のお父さんは言ってきた
私は
『よろしくお願いいたします』
と頭を下げた
その事があってから
私は実家には一切連絡をいれなくなった
実家に帰ることもなくなった
私は自転車に乗って
とにかく食材や日用品の安い店をまわり
3000円を有効に使った
3000円がなくなれば
修一にレシートを見せて
また3000円をもらう
レシートを見た修一は
修一が無駄だと思う買い物に赤い丸をつけて私に注意してきた
買い物だけではなく
光熱費のチェックも欠かさなかった
趣味もない修一は仕事が終わるとまっすぐ家に帰ってきていた
…いや 趣味は節約と貯金だ
修一がどこかに隠し持っている
修一名義の通帳に
一体いくら貯まっているのか…
…多分相当な額が貯まっていたと思う
でも修一は私に一切貯金の額を教えてこなかったし
私も聞けなかった
母からは時々
父の病状についてメールがきていた
そのメールが来る度に
父の具合が悪くなっていってる事がわかった
でも私は
父のお見舞いには行かなかった
『母からメールがきて父の具合が悪くなっていってるみたい…』
そう修一に伝えても
『…そう 』
と興味なさそうに返事をするだけだった
返事すらしてくれないこともあった
『まさかとは思うけど千春はあんな父親の見舞いに行きたいの?』
そう言われたこともあった…
修一が一緒じゃない限り
私は父の見舞いには行けない
父のことは気になるが
気にかけることくらいしか今の私にはできない…
そんな日々が1年くらい続いた日の夜
弟の雅樹からの電話が鳴った
『姉ちゃん? 親父ヤバいみたいだ… “血圧が下がってきてる”って病院から電話きて今おふくろが親父のところに行った』
雅樹はたまたま地元の飲み会で実家に泊まることになっていたらしい
『真耶を今からそっちに向かわせるから姉ちゃんも一緒に親父のところに行くか? 』
…私は
『行かない』
と答えた
『お父さんがたとえ危篤でも私は行かないよ… 私は高森家の人間だから…』
隣りにいる修一に
さりげなく
今の状況を伝えたくて
わざとそういう言い方を弟にした
修一は
一瞬少し驚いたような顔をして
電話を持って寝室へと入っていった
『…まぁ仕方ないよな 姉ちゃんの気持ちもわかるし… あんな親父だからな… 』
弟は私以上に父を嫌っていたから
行かない
という私の気持ちは
よく理解できたらしい
それでも
『真耶は里桜を真耶の実家に預けてからこっちに向かうみたいだから、気が変わったら電話して。 姉ちゃんを迎えに行ってもらうから』
と一応弟なりに気を遣って
電話を切った
お父さん…
ごめんね…
こんな娘で…
本当はすぐにでも実家に戻りたかった
でも修一のことを考えると
とてもそんな事は言い出せない…
私の家族との交流を無駄だなこと
そう考えている修一に
“父の臨終に立ち会いたい”
そう伝えても
『なんのために?』
そう言われるのが
目に見えていたから…
また父や母が
臨終に立ち会う価値もないほどのいかに最低な人間なのかを
理屈っぽく語られるのがわかっていたから…
私の両親の事をけなされて泣く
ということは
両親をけなす修一の言葉に本心では反発しているから涙が出るんだろう
以前そう修一に言われたことがある
もし今
修一に危篤である父親のことをけなされたら
私は間違いなく泣いてしまう
そうすればまた修一が怒るのはわかっていた
電話を切って
頭を抱える私に
電話を終えて寝室から出てきた修一が
『千春の父親…危篤なんだろ? 』
と声をかけてきた
『…うん 血圧が下がってきてるって… 弟には“亡くなったらまた電話して”って言っておいたから…』
そういうだけで精一杯な私に
『もし弟が迎えに来てくれるって言うなら千春の父親のところに行ってきなよ。』
修一の意外すぎる言葉に私は驚いたが
『…いいよ いいよ! 行かないよ!』
と一応断った
ここで喜んで
『いいの? 』
なんて言ったら
『やっぱり君は自分の両親が大切なんだね。』
と嫌味を言われるような気がしたから…
修一の申し出を断る私に
『今お母さんに電話したら“千春さんが村上のお父さんのもとへ今駆け付けることは高森家にとっては必要なことだから”って言ってたし。 誰が病院に駆けつけてるのか知らないけど…世間体もあるし』
…私は妙に納得した
お義母さんに言われたからなんだ…
なるほどね…
嫁いだ娘が父親の危篤の知らせを聞いて急いで駆けつけたという方が世間体的にはいいものね…
私の気持ちを汲んで…とかじゃないんだ
私は
修一がそう望むなら
そう思い
『ありがとう 今から弟に電話するね。』
と修一にお礼を言って弟に電話をかけた
用意している間
明日は祝日で休みなのに…
ふとそう思った
世間体を考えたら
嫁いだ娘とその旦那が一緒に駆けつけた方がいいに決まっている…
なのに修一はあくまでも私1人だけを行かせようとしているのは何故…?
…わからなかった
でも聞くこともできなかった…
何か考えていることがあるには違いないが
今はそんなことを考えている暇はない
私はとりあえず
弟の奥さんがくるまでの間に急いで支度を進めた
30分後弟の奥さんが迎えに来てくれた
そのまま実家で待機している弟を迎えに行って
私達は病院へ向かった
車の中で
『姉ちゃんさ… 高森さんとうまくいってんのか…?』
心配そうに弟が聞いてきた
弟の奥さんは黙って運転している
『…うん 』
私はそうとだけ言った
きっと
弟は母からいろいろ聞いていたのだと思う
結納金の件
私がちっとも実家に顔を出さないこと
連絡すらしないこと
だから
そんな私を心配して
口下手な弟なりに私を気遣ってくれたのだろう…
でも
主従関係のハッキリしている夫婦関係とはいえ
私が修一をたててさえいれば
喧嘩になることもなかったから
私達夫婦はうまくいっている
私はそう思っていた
弟のように
奥さんに誕生日プレゼントをこっそり買いに行って
奥さんにサプライズをするような
そんないつまでも恋人のような夫婦じゃないけれど
私達はそれで
夫婦関係が成り立っていたと思っていた
弟は
『…ならいいけどさ』
とそれ以上
何も聞いてこなかった
病院についた
消灯時間をとっくにこえているこの時間の病院には
私達の足音だけが鳴り響く
父の寝ている病室のドアをあけた
真っ暗な部屋
ひとつだけついているベッド上のライト
ピッ ピッ と
父の心臓の鼓動を伝えるモニター
そして
小さく
小さくなってしまった父…
私は部屋に入ってからも
なかなか父に近付けなかった
罪悪感なのか
父を失ってしまう悲しみなのか
わからないが
涙がこぼれてきた
…父にはもう意識はない
なかなか近付けなかったのは
私だけではなく
弟も同じだった
母も
私も
弟も
少しずつ弱くなってくる心臓の
そのモニターだけを見つめていた…
『雅樹! お父さんの手を握ってあげて!』
弟の奥さんのその声で
私達は
あわてて
父の枕元にかけより
手を握った
『親父! 親父!』
『お父さん! お父さん!』
必死に手をさすった
泣きながら手をさすった
今までの人生で
これほどまでに
強い想いで父を呼んだことはないくらい
何度も呼んだ
父の心臓のモニターが一本の直線になるまであっという間だった
まるで私達が来るのを待っていたかのように
私達が来てからは
あっという間だった…
ゴボッ ゴボッ
と血を少し吐いて
父は亡くなった
覚悟していた事だったので
誰も取り乱すことはない…
父が亡くなってから
いろんな処置がほどこされていく
弟は親戚に電話をかけていた
母はお寺に電話をしていたりして忙しそうだった
…私は
修一に電話をかけた
『今お父さん 亡くなったよ… 』
修一は
『…うん 』
とだけ答えた
そして
『これから両親に伝えるから通夜とか葬儀の日程が決まったらまた連絡して』
とだけ言って電話を切った
修一にとっては
私の父なんて
もっとも軽蔑するに値するくらいの人間だったのだろう
そんな人間が亡くなったところで
それが仮に妻の父親だったとしても
修一にとっては
どうという事もないくらいのことでしかない
今後
いつの日か私の母が亡くなっても
やはり同じなのだろう
考えれば考えるほど
苦しくなって
私は廊下に置いてある長椅子にもたれかかって目を閉じた
数時間後父が自宅に戻ってきた
その日は自宅での仮通夜
翌日はお通夜
翌々日がお葬式
と決まったので
私は修一に連絡をした
『じゃあ今日とりあえず一度そっちに顔を出すよ』
修一はそう言って
その日の夕方頃にやっと顔を出した
母や弟に特別挨拶をするわけでもなく
ペコッと軽く頭を下げる程度の修一を見て
…世間体のために来たんだ
私はそう感じた
弟は自分だってまったく寝ていないのに
『俺が全部するから少し休んでた方がいいよ』
『身体大丈夫か?』
と私や弟の奥さんの事を気遣っていてくれた
でも
修一はそんな事はまったくなかった
手伝うとか
身体を労るとか
そんな事は一切なく
ただそこにいるだけだった…
何もしてくれなくても良かったけれど
少しくらい
ほんの一言くらい
私の事を心配してくれてもいいじゃない…
私は父が亡くなったことよりも
そっちの方がずっと悲しかった
続々と亡くなった父に逢いにくる
親戚や知人
修一を観察していると興味深いことがわかった
修一が丁寧に挨拶している人は
あきらかに修一よりも優秀と思われる企業に勤めている人や職種の人達だった
自分よりも
下の位置にいると思われる人には
頭をペコッと軽く下げる程度だった
それが私の親戚であっても
その挨拶の差はひどかった
肉体労働の弟には挨拶はしないが弟の奥さんには丁寧に挨拶をする
それは弟の奥さんの実家に医師や俗にエリート呼ばれる職種の人達がたくさんいるから
専業主婦の千代子おばちゃんには挨拶しないが
千代子おばちゃんの旦那さんには挨拶をする
それはおじちゃんが修一の会社の得意先の所長だから
挨拶することすら
自分の損得を考える人なんだ…
私の家族は挨拶に値する人ではないんだ…
今まであまり気づかなかった
修一の本性があらためてまた少しずつ見えてきたような気がした
それでも私が
その事を指摘すれば
何十倍
何百倍にもなって
理論的に責めてこられるのはわかっていた
口ではどうやっても
修一には勝てない
私は黙っているしかなかった
夜も遅くなり
訪問客もいなくなった頃
修一は
『じゃあ帰るから。 明日は両親を連れて直接お通夜の会場に行くよ』
と言ってきた
弟は昨日父が亡くなってからほとんど一睡もしていない
連絡のとれない兄の替わりに喪主をつとめる弟を少しでも休ませてあげたかった
それに男手はあるにこしたことはない
『…もう少しここにいてくれない? できれば今日はここに泊まって欲しいんだけど…』
私は修一に
頼んでみた
『弟も昨日から全然寝ていないし明日は喪主をしなくちゃいけないの。 お母さんも私も少ししか休んでいないから… 修一が少しの時間だけでもロウソク番をしていてくれるとすごく助かるんだけど… 』
私は
修一に残ってもらいたい理由を
修一に聞かれる前に話した
『男手が足りないのはキミの家の事情だろ? 弟が喪主をやるのだって兄が音信不通だからだろ? 俺が手伝わなきゃいけない正当な理由にはならないよ。』
修一は
あきらかに不機嫌になっていた
修一は
どんな事にたいしても
正当な理由
それがなければ動かない人だった
男手が足りない
それは修一にとっては手伝うことの正当な理由
ではなかった
修一はそのまま話しを続けた
こんな時ですら連絡がとれない音信不通の兄
どんな育て方をしたらそんな風になるのかという両親の非難
娘の旦那を手伝わせるような家族や親戚のあり方の非難
高森家なら親戚総出で葬儀の手伝いをする
高森家の両親の日頃からの親戚との関わりあい方の自慢
挙げ句の果てには
こんな散らかっている家に娘の旦那を泊めるなんて失礼だとまで言われた
もうボロクソに言われて
さんざんだった
『わかりました… すみませんでした… 夜だから気をつけて帰ってください 』
なにも反論できずに
結局謝ってしまう
そんな自分がすごく嫌だった…
情けなかった…
さんざん私の家族の文句を言った後に修一は
『後2時間だけここにいるから、その間に休めばいい。 キミが体調を崩したら俺が大変だから』
そう言うと
さっさと父が眠っている仏間に入っていってしまった
仏間にいた弟は
修一と入れ替わりで不機嫌そうに出てきた
『今から2時間仮眠しろだって。 なんなんだよ2時間って…』
…私は弟にも謝るしかなかった
そして時計で計ったのようにきっちり2時間後
修一は家に戻っていった…
翌日のお通夜
修一とご両親は他の弔問客と同じ時間に会場に現われた
修一は常にお義母さんの隣りに座っていた
こういう場合修一は村上家側の席に座るのが普通だと私も母も思っていたが
修一にはそれはやはり言えなかった
修一はあくまでも
弔問客として
通夜に出席していた
通夜の後の通夜振る舞いの時もそうだ
弔問客にお酒をついで挨拶するのに忙しい私を無視して
修一はお義母さんとお義父さんと一緒に食事をしていた
『修ちゃん これ食べる? 』
『修ちゃん これ美味しいわよ』
…お義母さんはやまほどの料理を修一の皿に取り分けていた
修一もまた
『ありがとう 』
と嬉しそうにしている
…なんなんだ
この家族は…
こんな修一の姿を私の親戚に見られるのは
すごく恥ずかしかった
修一や修一の両親の対面に座っていた
私の弟の友人達がドン引きしている姿を見て
私はさらに恥ずかしくなった…
さんざん食べて
さんざん飲んで
特に母や弟に挨拶することもなく
修一と修一の両親は帰っていった
『…姉ちゃん あれはおかしくねーか? 』
弟も呆れていた
私はまた弟に謝った
翌日の葬儀の時もやはり同じだった
あくまでも
修一は高森家として
出席していた
高森のお義母さんもお義父さんも
結納金の件から
私の母の事は無視していた
それでも葬儀に参列するのは
やはり世間体のため…
どこよりも豪華で大きな花輪が高森家の名前で飾ってあった
それもまた世間体のため…
火葬が済み
食事をした時も同じ
お義母さんと修一は
弟の子供… 私にとっては姪にあたる里桜に一生懸命声をかけていた
でもそれは弟の奥さんが里桜と一緒にいる時だけ…
弟が里桜を連れている時は一切声をかけなかった
それもこれも
母が結納金を借金にあててしまったせい…
母は
結納金の件は
『夫婦2人の問題なんだから私が高森のご両親に謝ることではない』
とかたくなに謝罪を拒否していた
私の両親のせいで
私はずっと肩身の狭いままだ…
…私は父の葬儀をきっかけに
さらに実家との関わりを遠ざけていった
父の四十九日が済み
日々の生活に追われているうちに
あっという間に一周忌がやってきた
息子を失ったショックで祖父母はこの1年で急速に認知症が進んでしまっていた
…もう私の顔も
わかっていないようだった
私は
といえば
2ヶ月に一度は車で6時間かけて
修一と一緒に高森家に泊まりに行っていた
相変わらず
どこに行くにもお義母さんは私達と一緒についてきた
散歩にも
買い物にも
ドライブにも
私は
ひたすら【いい嫁】を演じ
修一の両親の前では大袈裟なほど修一を褒め
修一の前ではお義母さんのことを褒めちぎっていた
お義母さんが台所に立てば
『お義母様の料理を教えてください。 修一さんはお義母様の味付けがやっぱり一番好きなんです。』
と私もすかさず台所に立った
お義父さんのお酒にも付き合った
もちろん無理はしている
ストレスも当然溜まる
…でも
私は高森家の一員
私の祖父母の認知症が進んで
母が困っていても
私には
…関係ない
私はもう高森家の一員だから
修一にも
ことあるごとに
そう言われていたから…
そんな一年を送っていた私だから
一周忌とはいえ実家に顔を出すのは
本当にひさしぶりのことだった
祖父母は痴呆が進み
朝から晩まで
同じ場所に座り
会話もまったくなく
ずっとテレビを見ていた
あれだけかわいがっていた孫の私の顔を見ても
もうなんの反応も示さない
母に逢うのも久しぶりだった
父が亡くなってから
祖父母とは正反対で母は若返ってハツラツとしていた
私と修一の到着よりも少し遅れて
弟夫婦と姪がやってきた
父の葬儀の時は
まだヨチヨチ歩きだった姪は
もうピョンピョン飛びはねていた
もともと人見知りしない性格なのか
私と修一を見つけて
『りお! ねーたんになんの! ママ ポンポンにあかちゃんいんの!』
嬉しそうに
ピョンピョン飛びはねながら
そう言ってきた
弟は
飛びはねる姪を抱きあげて
『なっ 里桜! 里桜はお姉ちゃんになるんだよな』
と嬉しそうだった
『赤ちゃんできたの?』
そう聞く私に
『今3ヶ月に入ったばっかりなんだ。』
と後ろから来た
弟の奥さんと弟は
幸せそうに微笑みあっていた
私と修一は
確かに子供を望んではいたが
『自然にまかせよう』
そう話しあっていたので
今まで特に小作りを頑張っていたわけでもなかった
でも避妊をしていたわけでもなかった
修一のお義姉さんが不妊症のためなのか
私達が高森の実家に行っても
お義母さんやお義父さんから
『子供はまだ? 』
と聞かれることもなかった
確かに買い物に出かけた時に
かわいいベビー服を見かけたりすると
『あら~ かわいいわねぇ…』
お義母さんは目を細めながらその服を手にとっていたりはした
でも
だからといって子作りに関しては何も言われなかった
修一もまた
子供は欲しいと思うがもう少し貯金をしてから
そう思っていたようだ
…でも
弟夫婦の幸せそうな姿
弟の奥さんの身体を気遣う弟の姿
弟の奥さんのこぼれるような笑顔
私はいつの間にかその姿を
私と修一に置きかえて見つめていた
…妊娠したいな
…赤ちゃん欲しいな
その時から私は
妊娠したいと
強く望むようになった
修一もまた
意外なほど修一になついた姪と遊んでいるうちに
本格的に子供が欲しくなってきたようだった
私達は
その日から
子供を真剣にのぞみ始めた
…それから3ヶ月後
私は妊娠した
修一は大喜びで
さっそく高森の実家に電話をかけていた
お義母さんも
お義父さんも
それは大喜びして
『千春さん! 身体を大切にするんだよ。』
重いものは持つな
疲れたらすぐに横になれ
冷えるのがよくないから暖かい格好をしているように
と、とにかく私とお腹の赤ちゃんの心配をしてくれていた
…あの日
弟夫婦の姿に
私達を重ねて見た幸せ以上の幸せを
私は確かに感じていた
修一も
私が妊娠してからというもの
お義母さんの話しをあまりしてこなくなり
私のことを
本当に大切にしてくれていた
車で6時間の距離は
私に負担がかかるからと
高森の実家に頻繁に泊まりに行くこともなくなった
つわりがヒドい時は
修一が自ら家事を進んで引き受けてくれた
…本当に幸せな時間だった
お腹の赤ちゃんは順調に育っていった
私のお腹が大きくなるにつれて
修一はますます私を大切にしてくれた
お腹の赤ちゃんが女の子だと判ると
高森の実家からは
女の子用のベビー服
女の子用の靴
ベビー布団
ベビーベッド
そしてオモチャまで
頻繁に贈られてくるようになった
『チャイルドシートっていうものを買って、もう車に取り付けてみたのよ』
『みんなで旅行に行けるように大きな車に買いかえようか、ってお父さんと話してるのよ』
高森の両親は
初孫の誕生を心待ちにしていた
名前も
私と修一で何か月もかけて一生懸命に考えて
候補をいくつかに絞ったものを
高森の両親にFAXして選んでもらった
そして決まった名前は
美月
高森 美月
なんだか
名字と合わせると
絵本に出てくるような
幻想的な月を思わせるような
とても綺麗な名前だね
高森の両親も私達も
美月という名前を本当に気にいっていた
私と修一は
お腹の子に
美月
と毎日呼びかけた
本当に
本当に
幸せでいっぱいの日々だった
臨月に入る頃
修一の仕事が急に忙しくなった
帰ってくるのは毎日11時すぎ
土曜日も
ヒドい時は日曜日も出勤しなければならなかった
私は不安だった
修一がこんなに忙しい時に陣痛がきたらどうしよう…
1人では不安だよ…
ホルモンのバランスのせいなのか
出産が近付くにつれて
私は修一がいないことで情緒不安定になっていった
修一もまた
出産が近いというのに仕事が忙しくて満足に側についていてやれない
そんな申し訳なさもあったのだろう
『里帰りしてみたらどうだろう? 』
修一はおもいきったように
私にそう言ってきた
『俺から千春のお母さんに頼んでみるから。』
結婚してから
はじめて修一が私の母のことを
千春のお母さん
と呼んだ
いつもは
千春の母親
だったのに…
私はその言葉で
修一の今の言葉が本心であることがわかった
『俺のお母さんにこっちに手伝いに来てもらってもいいんだけど… でもいつ産まれるか分からない状態だとお父さんの食事の事とかもあるし… だから俺から俺の両親に言っておくから千春は里帰りしておいで 』
私は修一の好意に甘えることにした
✨みなさまへ✨
空を見上げて を読んでくださりありがとうございます🙇
たくさんのご感想や応援までいただけて
本当に感謝しております✨✨✨
前作の膝をかかえて の感想スレが他にたっておりますので
こちらの方に今作のご感想などをいただけたら嬉しいです☺
よろしくお願いいたします😊
高森のお義母さんは
『私が手伝いに行くわよ』
と言ってくれたが
お義母さんが車の免許を持っていないため
何かあった時に困るということや
里帰りを終えてから1ヶ月くらいはお義母さんに手伝いにきてもらいたいから
産前の今のうちにお義母さんにはゆっくり休んでいて欲しいとか
もっともらしい理由をつけて
修一はやんわりとその申し出を断ってくれた
お義母さんも
ようするに
産まれてきた美月の世話をしたいだけだったので
それはそれで納得してくれたようだ
実家の母も
私は里帰りしないものだと思っていたようだったが
急遽里帰りをしたいという私の申し出を
快く引き受けてくれた
出産する病院も
私達兄弟が産まれた個人病院に決まった
出産する渡辺産婦人科は
エステがあったり
出産後ディナーがでてきたり
3Dのエコーだったり
そんな今流行の病院ではなく
昔からある
こじんまりした病院だったが
先生の腕は確かだと
母や叔母達が太鼓判を押してくれたので
そこに決めた
…もっとも
今流行のサービスがうけられる産婦人科は
予約がいっぱいで
引き受けてもらえなかったのだが
里帰りに向けて
着々と準備はすすんだ
そして数日後
私は母に迎えに来てもらい
実家に戻った
高森の両親からは
里帰りする私のために
食事代などの生活費として母に渡すようにと30万を用意してくれた
『これ高森のご両親から』
そのお金を母に渡すと
母はすごく喜んでいた
…ひさしぶりに帰った実家は
相変わらず散らかっていた
祖父母の部屋からは
尿や便の臭いがしていた…
台所は
何日ためているのか分からないほど大量の食器…
ダイニングテーブルにはゴチャゴチャと
書類やら手紙やら食べかけのパンやら
テーブルが見えないほど物が置かれている…
実家に帰ってきたのはいいが
その汚さには溜め息ばかりだった
『千春はこの部屋を使って』
…そこは生前父がいた部屋
臭くて汚くて
私がもっとも嫌っていた部屋
私が使っていた部屋は今はすっかり母の部屋になり
弟と兄が使っていた部屋はすでに足の踏み場がないほどの
物置になっていた
腹だたしさはあったが
…産まれるまでの辛抱だから
そう思い
私は父が使っていた部屋のドアを開けた
父の部屋は
…父が生きていた時のままだった
臭い匂いはもちろんだが
大量に残っている父の服
父が趣味で撮っていたカメラの大量のフィルムや写真……
とても私が寝起きできるような部屋ではなかった…
私は唖然とした
仲の良かった夫婦ならば
父のぬくもりをそのまま残したくて
片付けられないというのは理解できる
でも
母と父の仲は険悪だった
父の葬儀の時だって
一度も母は泣かなかった
…母は
ただ面倒くさくて
父の部屋を掃除しなかっただけだ
祖父母のことだって
あの部屋からする異臭を考えれば
間違いなく
祖父母の面倒は見ていない
『少しくらい片付けておいてよね! だらしないんだから!』
あまりの汚さに怒る私に
『しかたないでしょ。これでも雅樹が少し整理しておいてくれたのよ。お母さんだって忙しいんだから。』
とまったく悪びれる様子もなく
『ちょっと出かけてくるからご飯は適当に食べてね。』
とどこかに出て行ってしまった
私は
しかたなく
父の部屋の窓を全開にして
父の荷物をかたっぱしからゴミ袋に入れ始めた
母は私が里帰りしたことで
祖父母の食事の支度をまったくしなくなった
家業の家具屋を
倒産という形で終わらせた母は
補正下着の販売にのめりこんでいった
友人や知人を紹介して
会員にさせて下着が売れれば
母にリベートが入る
まぁいわゆるマルチ商法のような事にハマッていった
下着がうまくいかなければ
栄養補助食品
化粧品
にも手を出し始めた
セミナーだ勧誘だのなんだのと言ってしょっちゅう家を空けていた
弟も何度も何度も
きちんとパート勤めをするようにと
言っていたようだが
まったく聞く耳を持たなかった
呆れはてた弟もまた
私と同じく実家に寄りつかなくなっていた
母が家をあけている間
私が祖父母の面倒を見ていた
オムツ交換
食事
着替え
その合間に家の中の掃除や洗濯
里帰りをしに来たのに
私は
まったく休むこともできず
大きなお腹で
黙って家事と介護をしていた
母にとって
私の里帰りは
高森の家から30万という大金をもらえて
なおかつ家事をしなくてもいいという
最高に都合のいいものでしかなかったのだろう…
食事だって
私が幼い頃に母がよく
『お父さんがあんなだからこんなものしか食べさせてあげられない』
と言っていた
ご飯にふりかけとお味噌汁だけだった
…別にお父さんのせいじゃないじゃない
ただ作るのが面倒なだけじゃない
これから産まれてくる美月のためにと
私は冷蔵庫をあさっておかずを作って食べた
父が亡くなって
四十九日の時に
弟が
『俺… 親父の気持ちが今なら分かるよ。親父だけが悪かったわけじゃないんだよな…』
と言ってきた時があった
多分
弟夫婦は私よりも何倍も多く
父や母と関わってきたのだろう
弟は結婚してみて妻をもった事ではじめて
正常な
妻としてのあり方
母としてのあり方
というものを知ったのだろう
そしてそうでなかったうちの母親に不信感を持ったのだと思う
だから
あんなに死ぬほど嫌っていた父の見舞いにも頻繁に行っていたのだと思う
私もまた
酒に溺れた父の気持ちが
今こうなってみて初めて
少しだけ理解できた気がした
それでも美月は順調に育っていた
2日前の検診では
『もう2780㌘あるからいつ産まれても大丈夫ですよ』
と言われていた
母のことで
ストレスは多々あったが
電話で修一に少し愚痴るだけで
気持ちはなんとなく晴れていた
修一は
『もし大変なら戻ってきなよ。 お母さんに手伝いに来てもらえばいいだけなんだから』
と私の身体と心を心配してくれたが
私が3週間後の予定日まで我慢すればいいだけの話しだ
『お義母さんには美月が産まれてからたくさん甘えさせてもらうから(笑)』
私はそう言って
修一の言葉を断った
修一は
『無理はするなよ? 大切な身体なんだから』
と最後まで
私と美月のことを心配してくれていた
そんな修一の言葉が
私にとっては
何よりも幸せで
何よりも嬉しかった
…何よりも
予定日まで後2週間を切った
美月は相変わらず
お腹の中を元気に動きまわり
3日前の検診では
もう2900㌘になっていた
私は相変わらず
家の片付けと
祖父母の面倒をみて毎日を過ごす
散らかり放題だった家の中も
とりあえず誰がきても恥ずかしくない
程度には片付いた
修一の優しさに甘えて
私は毎晩のように
母の愚痴を話していた
その度に
『戻ってこいよ』
と心配してくれていたが
私は断り続けていた
確かにストレスは日に日にたまっていったが
もしかしたら
私は
愚痴を言うことで
修一の優しい言葉を聞けることに
幸せを感じていただけなのかもしれない…
予定日まで10日を切ったころ
その日は
朝から母がいなくて
天気も良かったし
私は何度も洗濯機をまわしていた
家中の掃除をして
祖父母のオムツを替えたり
昼頃まで忙しかった
お昼をすぎて
母が戻ってきた
やっと一息つけた時…
いつもは痛いくらいにお腹の中を動く美月が
…今日はまったく
動いていないことに気がついた
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