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古川登志夫

古川登志夫(ふるかわ としお)は、1946年7月16日生まれの日本の声優、俳優、ナレーター。青二プロダクション所属。

栃木県栃木市出身であり、血液型はB型。身長は164㎝。配偶者は声優の柿沼紫乃である。

経歴

10男5女の15人兄弟の末っ子として生まれた。兄の忠治から送られてきた、児童劇団のパンフレットによって、古川は12歳で芸能界を目指すこときっかけになった。

栃木県から東京へ通っていたが、大変になり一年ほど経って親元を離れ東京の兄の元で暮らすようになる。

坊主頭が嫌で、東京に出れば髪を伸ばせるということも動機になったと。

日本大学芸術学部演劇学科に進学。大学卒業後に舞台俳優になろうと劇団「櫂(KAI)」に参加。

同劇団の座長であった中田浩二の紹介で、声優の道を進み始める。

古川自身は本格的なアニメ声優としてのデビューを1976年の『マグネロボ ガ・キーン』の北条猛役だと考えている。

この役の後、アニメの仕事が増えていき、劇団の仕事ができなくなったため劇団を離れ、、青二プロに移籍した。

この際、古谷徹の演技に衝撃を受けたと語る。

1980年には劇団青杜(げきだんせいとう)を創立。「テーマ主義に立脚したオリジナル作品の上演」を標榜していたが、2003年に解散する。

役柄

二枚目役を演じていたが、『うる星やつら』の諸星あたるで初の三枚目を担当。以降、二枚目半・三枚目まで幅広く演じることができる。

人柄

敬虔なクリスチャンである。

また、諸星あたるのイメージから軽い感じの青年を演じることが多い反面、本人は「女性と話すのは苦手」と発言しており、また真面目な人柄で知られている。

そのため、初対面の者から本当に古川さんですか、と尋ねられることもある。

また、すぐに眠る癖があり「歩く睡眠不足」の異名を持つ。

バンドの演奏中にギター演奏が止まったと思ったら、ギターの古川が寝ていたという逸話がある。

趣味

フィギュアマニアであり、特にお気に入りはピッコロ(マジュニア)で、全てのバージョンのフィギュアを手に入れている。

ピッコロはドラゴンボールの中でも屈指の人気キャラですね

交流

声優の古谷徹とは、互いの家を行き来するほど仲がいい。

『機動戦士ガンダム』や『ドラゴンボール』などで、それぞれ代表的な役を演じ共演している。

神谷明とは、ライバル役を演じることが多く、主役オーディションでも実際に争い、敗北している。

谷山紀章、神奈延年、宮野真守も影響を受けた声優として古川の名を上げている

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