ドラゴンボール 鳥山明に関するみんなの体験談や口コミ

鳥山 明

鳥山 明(とりやまあきら)は、1955年4月5日 - )は、日本の漫画家、デザイナーである。

血液型はA型で、妻は漫画家のみかみなちである。

概要

高校を卒業後、広告関係のデザイン会社にデザイナーとして就職。約2年半務め1977年3月で退職。退職後、偶然手に取った『週刊少年マガジン』で、新人賞の作品募集の記事を見つける。賞金50万円が入賞すると手に入ることを知り、23歳にして初めて漫画を描き始めた。

締切に間に合わず、『週刊少年ジャンプ』の新人賞である月例ヤングジャンプ賞へ応募作品『アワワワールド』を投稿する。落選したが次の投稿作品『謎のレインジャック』を目にした『週刊少年ジャンプ』の編集者鳥嶋和彦が興味を示す。

ジャンプでの活躍

1978年に『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダーアイランド』でデビュー。集英社との専属契約下で『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌に作品を発表。

出世作となる1980年に『Dr.スランプ』の連載を開始。この作品はアニメ化されるも、鳥山はアイディア不足となり、連載終了を担当者である鳥嶋へ相談すると「3ヶ月後に新連載を始めるのなら終わってもいい」と言われる。

数多くの没を出しつつ1984年に『ドラゴンボール』の連載を開始する。

ドラゴンボールは当初人気が芳しくなく、鳥嶋から「主人公に魅力がない」とダメ出しをされ、格闘大会である天下一武道会を始めると人気に火がつき、1986年からTVアニメ化され、1997年まで放送された。

たびたび『ドラゴンボール』の連載終了を申し出るが、あまりにも人気が高く、『週刊少年ジャンプ』だけではなく、集英社すらも連載を終了すると株価に影響がでると上層部会議が開かれて検討される大問題となる。

『ドラゴンボール』連載中が『週刊少年ジャンプ』の黄金期であった。

1995年に『ドラゴンボール』の連載終了。

性格

非常に面倒くさがりやであり、背景を書く手間を省くために『ドラゴンボール』では、市街戦からすぐに荒野へ移動する。もしくは市街地を爆破する。また、この結果生まれたのが、スーパーサイヤ人である。

恋愛漫画が嫌いであり、『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』では多くの恋愛ストーリーが省略された。

また、ネーム(漫画の設計図)を書かず、ストーリーを考えながら物語を展開させた。そのため、鳥山自身もストーリーの先がわからないという。

連載が終了しても、未だに人気があります。

鳥山明のトピック

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