私の育った昭和
もうじき70歳になります。
「昭和」「平成」「令和」と時代は代わり
気がつくと私も齢70歳。
まだまだ現役を続けたいのだけど
若い頃の無茶働きが祟って
今は寝たり起きたりの余生を送っています。
時間がたっぷりある今、フッと最近、思う事、やたら、幼少の頃を思い出しては、今の現実とつい比べてしまいます。
今は便利な世の中で自由に好きな事ができるのに、なぜかしらね、あんなに不自由で貧しくて衛生的にも良くなかった時なのに、満ち足りてたような気がします。
暇な時間をそんな昔を独り言しようと思います。
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>今は便利な世の中で自由に好きな事ができるのに、なぜかしらね、
>あんなに不自由で貧しくて衛生的にも良くなかった時なのに、満ち足りてたような気がします。
それ凄く分かります。全てにおいて現実感がありました。今とは空気の匂いさえも違うし、景色まで違って見えていた。人との関わりは濃厚で、残酷さ、優しさとか、あしたのジョー の世界だね。
寺山修司が作詞した
「時には母のない子のように」は、小学生だった私がよく憶えている歌です。
昭和30年代の東京生まれ、アラ還👴さんでした。
- << 5 初めまして、アラ還さん。 私は昭和29年生まれですので、アラ還さんとは1年違いですね。 アラ還さんは東京生まだそうですね。 私は千葉生まれて新潟に育ちました。 「時には母のない子のように」私達世代は小学生時代だったでしょうか。 私はもう記憶が定かでなくなりつつあり、中学年の時に聞いたような、そんな気がしてなりません。私も心に残っている懐かしい歌です。 こちら地方でも人間関係は濃厚過ぎて「向う三軒両隣り」は当たり前でした。 季節にはそれぞれの風情があり冬は雪が深く4月まで雪が消えず待ち望んだ春は雪解けのあとに土を見ては春の香りに感動したものでした。夏は暑くそれでも今のような異常な暑さではなく、何処の家も窓や戸を全開にして、すだれと風鈴の音、夜はホタルを見ながらの夕涼みをしました。秋はいっせいに紅葉の紅い季節、夜は、コオロギや鈴虫の声を聴きながら眠りに落ちたものでした。 今は高層ビルやマンションに囲まれて、聞きたくても聴けないです。 都会の片隅で虫の声はしているかもしれません、それに気づかないほど都会の忙しさに日常を駆け回っておりました。 今日はレスありがとうございました。
昭和にタイムスリップして販売終了になった食品を食べてみたい!
ー10代
- << 6 今晩は。 暮らしている人2さんは、なんとまぁ、 10代さんなんですね。 その、お若さで昭和に興味があるなんて嬉しいです。 販売終了になった食品って、何だったかしら❓ 急に言われると直ぐに答えられないのも、ヤッパリ加齢の特徴。 1つだけ思い出しました。 昔の納豆は三角に包装されていて「大鵬納豆」と言うのがありました。 大鵬とは、勿論、お相撲さんです。 昭和の大横綱、三角の納豆には大鵬の絵が書かれてました。 食べ物も貧しかった時代「巨人、大鵬、たまご焼き」と謳われた時代でした。 毎日、朝は大鵬納豆と、生卵のどちらか、朝のご飯のメニューの食卓には欠かせない逸品でした。 いつの間にか大鵬納豆の大鵬は消えて形も三角から四角いプラ容器や丸いカップなどが店頭に並ぶようになりました。 納豆は今でも変わりなくありはしますが、昔の納豆は何故か今より数倍、美味しかった気がします。 10代さん、こんな思い出しか浮かばす申し訳ありません。m(_ _)m
後期高齢者の生涯独身者です。
つい最近まで姪孫を育て来ました。
昔も今も変わっていない。
昔釜段で飯を炊いていたが今もガス炊飯器で炊いている。
燃し萱や薪割りの力仕事がなくなってもご飯を炊くのは同じ。
家事に終わりがない。
家の修繕も手を抜けない。
馬から自動車になっても操縦は同じ。
車の免許更新はアプリ、認知機能テストと負担が多くなっている。
今生きるのに精一杯!
- << 7 量子さん、今晩は。 私も後期高齢者です。私は早々、離婚しましたので一人暮らしが長い時期がありました。 量子さんは姪孫様を、お育てになって凄いなと思います。 私には外孫2人と内孫が1人おりますが、65歳の時に孫の世話をさせられて、4年目にして足腰が効かなくなり、現在、病院とリハビリに余念がありません。情ないです。 分かれた、元主人の実家は、昔話に出てくるような、いや昔話そのものの家でした。お風呂は薪で炊き、トイレはポットントイレ、それを肥やしに畑に撒いていました。私が結婚したのは昭和56年で、その当時でそう言う暮らしをしていました。田んぼのあぜ道に馬がいて腰を抜かすほどびっくりしたものでした。 家事に終わりがないのは今も昔も変わりないですね。 量子さんが言われるように、便利過ぎる世の中ですが高齢者の私には全ての今風のシステムを使い切れません。 学ぶにも次から次へと機能が進化して、頭の脳がついて行けずストレスになるので覚える気力もありません。 ほんとに住みにくい世の中になりましたよね。
昭和生まれです。
今は便利ですが、あの頃の方が人との繋がりがたくさんありました。
携帯なんかなく公衆電話でいいといつも思います。
待ち合わせも遅くなると駅に黒板とかあり良かったなと思います。
- << 8 匿名さん、今晩は。 昔は人の付き合いがオープンでしたよね。 どごどごの家に何があったかなんて、直ぐに筒抜けでした。私の物心ついた頃なんて近所の全ての家事情なんて、まるで筒抜け、夫婦喧嘩も恥も外聞もなくデカい声で派手にやっていました。 そう言う時は必ず、誰かが仲裁に入り、 喧嘩を止めていたのを子供ながら面白可笑しく見て育ちました。 今は昔のようになりふり構わず喧嘩なんかしたら警察に通報されちゃいますよね。電話もテレビもない時代だったから、学校を休む時は、集団登校でしたので、班長の6年生の男の子に親が頼み班長が担任まで欠席の連絡をしてくれました。 駅に伝言板の黒板がありましたよね。 私も使いました。懐かしいです。 良い時代でしたよね。
>> 1
>今は便利な世の中で自由に好きな事ができるのに、なぜかしらね、
>あんなに不自由で貧しくて衛生的にも良くなかった時なのに、満ち足りてたよう…
初めまして、アラ還さん。
私は昭和29年生まれですので、アラ還さんとは1年違いですね。
アラ還さんは東京生まだそうですね。
私は千葉生まれて新潟に育ちました。
「時には母のない子のように」私達世代は小学生時代だったでしょうか。
私はもう記憶が定かでなくなりつつあり、中学年の時に聞いたような、そんな気がしてなりません。私も心に残っている懐かしい歌です。
こちら地方でも人間関係は濃厚過ぎて「向う三軒両隣り」は当たり前でした。
季節にはそれぞれの風情があり冬は雪が深く4月まで雪が消えず待ち望んだ春は雪解けのあとに土を見ては春の香りに感動したものでした。夏は暑くそれでも今のような異常な暑さではなく、何処の家も窓や戸を全開にして、すだれと風鈴の音、夜はホタルを見ながらの夕涼みをしました。秋はいっせいに紅葉の紅い季節、夜は、コオロギや鈴虫の声を聴きながら眠りに落ちたものでした。
今は高層ビルやマンションに囲まれて、聞きたくても聴けないです。
都会の片隅で虫の声はしているかもしれません、それに気づかないほど都会の忙しさに日常を駆け回っておりました。
今日はレスありがとうございました。
>> 2
昭和にタイムスリップして販売終了になった食品を食べてみたい!
ー10代
今晩は。
暮らしている人2さんは、なんとまぁ、
10代さんなんですね。
その、お若さで昭和に興味があるなんて嬉しいです。
販売終了になった食品って、何だったかしら❓
急に言われると直ぐに答えられないのも、ヤッパリ加齢の特徴。
1つだけ思い出しました。
昔の納豆は三角に包装されていて「大鵬納豆」と言うのがありました。
大鵬とは、勿論、お相撲さんです。
昭和の大横綱、三角の納豆には大鵬の絵が書かれてました。
食べ物も貧しかった時代「巨人、大鵬、たまご焼き」と謳われた時代でした。
毎日、朝は大鵬納豆と、生卵のどちらか、朝のご飯のメニューの食卓には欠かせない逸品でした。
いつの間にか大鵬納豆の大鵬は消えて形も三角から四角いプラ容器や丸いカップなどが店頭に並ぶようになりました。
納豆は今でも変わりなくありはしますが、昔の納豆は何故か今より数倍、美味しかった気がします。
10代さん、こんな思い出しか浮かばす申し訳ありません。m(_ _)m
>> 3
後期高齢者の生涯独身者です。
つい最近まで姪孫を育て来ました。
昔も今も変わっていない。
昔釜段で飯を炊いていたが今もガス炊飯器で炊…
量子さん、今晩は。
私も後期高齢者です。私は早々、離婚しましたので一人暮らしが長い時期がありました。
量子さんは姪孫様を、お育てになって凄いなと思います。
私には外孫2人と内孫が1人おりますが、65歳の時に孫の世話をさせられて、4年目にして足腰が効かなくなり、現在、病院とリハビリに余念がありません。情ないです。
分かれた、元主人の実家は、昔話に出てくるような、いや昔話そのものの家でした。お風呂は薪で炊き、トイレはポットントイレ、それを肥やしに畑に撒いていました。私が結婚したのは昭和56年で、その当時でそう言う暮らしをしていました。田んぼのあぜ道に馬がいて腰を抜かすほどびっくりしたものでした。
家事に終わりがないのは今も昔も変わりないですね。
量子さんが言われるように、便利過ぎる世の中ですが高齢者の私には全ての今風のシステムを使い切れません。
学ぶにも次から次へと機能が進化して、頭の脳がついて行けずストレスになるので覚える気力もありません。
ほんとに住みにくい世の中になりましたよね。
>> 4
昭和生まれです。
今は便利ですが、あの頃の方が人との繋がりがたくさんありました。
携帯なんかなく公衆電話でいいといつも思います。
待ち…
匿名さん、今晩は。
昔は人の付き合いがオープンでしたよね。
どごどごの家に何があったかなんて、直ぐに筒抜けでした。私の物心ついた頃なんて近所の全ての家事情なんて、まるで筒抜け、夫婦喧嘩も恥も外聞もなくデカい声で派手にやっていました。
そう言う時は必ず、誰かが仲裁に入り、
喧嘩を止めていたのを子供ながら面白可笑しく見て育ちました。
今は昔のようになりふり構わず喧嘩なんかしたら警察に通報されちゃいますよね。電話もテレビもない時代だったから、学校を休む時は、集団登校でしたので、班長の6年生の男の子に親が頼み班長が担任まで欠席の連絡をしてくれました。
駅に伝言板の黒板がありましたよね。
私も使いました。懐かしいです。
良い時代でしたよね。
スレ立てしながら中々、来れなくて、もう3時。
今日は久々の春日和で、まったりしています。いつの間にか愛猫が私のベッドにピョンと上がり壁際の窓に網戸腰に外を眺めています。
光の反射で反対側の壁に愛猫の影と木々の葉っぱがゆれてる影絵が映し出され、ちょっとした自然からのサプライズ、
テレビを観ているより心が癒やされます。
影遊びと言えば遠い遠いもう半世紀前の昔、裸電球の灯りが障子に反映して親や友達と指で影絵遊びをしたものでした。絵本に出てくる「キツネの手袋」を演じたりフッと思い出しては、愛猫の映っている影に指でキツネを形取りコンコンしたり70歳の婆さんが1人童心に帰って遊びました。
光は消えて自然の演幕は消えましたが昔は、このように自然の恩恵を遊びにしたものでした。愛猫は、傍らで指をコンコンしているのを見て目がギラギラ、(笑)楽しいひとときでした。
そうだ、影絵を書いていたらあぶり出し絵を思いだしました。
昭和37年の何月だったかもう記憶にないですが北国の冬は雪が深く電線の間近まで雪がつもり何処の家も二階から出入りしていました。
そんなおり小学校1年生だった私は風邪を引き込み1週間くらい欠席していました。当時は集団登校で6年生の子が先頭と後尾に配置し、その真ん中に先頭から1年生、2列目2年生と言う風に並び、特に冬は雪の事故を防ぐ為に6年生が低学年を守りながら登校したものでした。電電話のない時代、全ての下級生の子の連絡は班長の6年生の役目で今思うと6年生は大変だったと思います。
前置きが長くなりましたが風邪で休んでいた私の家に6年生2人が来て私のクラスで先生とクラスのお友達が、あぶり出し絵を作ってお見舞いに届けてくれました。
祖母が日火鉢に、その紙をあぶると、薄い文字と絵が浮き出るんです。
内容は雪だるまと文字で「早く学校に来て遊ぼうね」って書かれていました。
あの頃は風邪で休むと女の先生とダルマストーブを囲み石鹸水とかだったとこれも記憶定かでないですが日常品を使ってこう言う手作りの絵を先生と友達でつくったものでした。取っておけば良かったなぁと後悔しています。
昭和40年代生まれです。
スマホもパソコンもゲーム機も無い子供時代でしたが、外で体を動かす遊びが主流だったので、体力も運動能力も今どきの子供より高かったように思います。
当時は20〜30件の電話番号が、常に頭の中に入っていましたが、ガラケーを経てスマホを使い出した今は、自宅、実家、自分の携帯番号、会社の4つ程度しか頭に入っていません。夫や子供、友達の番号さえうろ覚えで情けないです。
給食に鯨の竜田揚げが出たのも良い思い出です。食パンは耳が硬くて美味しくなかったですけど。
ごはん党で魚好きの私としては、主食がパン、メインのおかずが魚より肉が多いのが気に食わなくて、給食がそんなに好きではありませんでした。
友達と駅で待ち合わせの時に、よく利用した伝言板。懐かしいです。先日、息子に「伝言板って知ってる?」と聞いたら、「何それ?」
と返ってきて軽くショックでしたよ。
>> 11
暮らしている人11さん、こんにちは。
11さんは昭和40年ですか。
私は昭和30年生まれです。
私は戦後10年目に生まれた世代でしたので、物心つく頃から、時代は終戦後の思いが色濃く根づいていて、帽子を被り白い衣服を身にまとった傷痍軍人さんが、募金を募ったり道行く人にアコーディオンを演奏している姿をよく見かけたものです。
11さんの、おうまれになった前の年の10月に東京オリンピックがありまして、その頃まで、何処の家庭も白黒テレビでしたが東京オリンピック開催と言うことで、何処の家庭もカラーテレビに替えた年でした。我が家も父が奮発して月賦でカラーテレビを購入したのを小学校4年ながら嬉しくて鮮明に覚えています。
11さんの時の電話も黒のダイヤル式でしたでしょうか、我が家に電話が入ったのは確か私が中学を卒業してからでした。かなり遅かったですが我が地域では電話の復旧はかなり遅かったように思います。黒電話が我が家に来た時も、とても
嬉しかったです。とにかく物心ついた時は、お風呂もなくテレビも扇風機は勿論、洗濯機も無くて、裸電球で家の壁は土壁で冬は新聞や段ボールを貼って暖を取り過ごしました。
11さんが、お生まれになった時は私が小学4年生でした、その時流行った歌に「新聞少年」と言う歌がありました。
どこも平等に貧しくて少年が家庭を助けるために新聞配達をしている少年が沢山おられた時代でした。
>> 13
暮らしている人13さん、お早うございます。
来てくださりありがとうございます。
いつでも覗きに入らしてくださいね。
ただ1人1レスに制限させて頂きました。
申し訳御座いません。
私が皆様と楽しく話し合いができるほど
の現在、体力が有りませんので、お許しください。
13さんは朝がお早いですね。
私が生まれた家は祖母が駄菓子屋をしていました。漫画のサザエさんのフネさんのように着物と言っても綺麗な着物ではなく、当時のお年寄りはたいてい洋服ではなく、普段着に着物を着ててその上に白の割烹着をつけていました。
祖母と寝起きを共にしていたので、私が起きる頃には丸い飯台の上には、朝食の用意がされていました。今思うと、祖母は朝が早く夜は遅くいつ起きていつ寝たか覚えが無いほど動き通しの人でした。
裏の家は農家で、朝日と共に、鶏が「コケッコー」と鳴くのですが、祖母はその鳴き声より早く起きていた事を思い出します。お陰でその後の私も目覚まし無くとも朝は5時前に目覚める体内時計ができてしまいました、病んでいる今でも、体調がいかに悪くても5時前に目が覚めてしまいます。それが生きている証のようなもので早朝目覚めなくなった時は、現世とのお別れだと思っております。
ついでと言ってはなんですが、少し続きを話したくなりました。
当時は道路はアスファルトではなく普通の砂利道でした。
我が家の道を挟んだ向かい側の家は、やはり農家でして、私が住んでいた近所は、当時は「村」と呼ばれていた集落です。広い土地を持った農家の集落で、終戦後の疎開先から規制した人々が都内で家を無くし、そのまま借地として土地を借り住みついた移住者の家族が多いと聞きました。
我が家の場合は祖母が貧しい長屋から、昆布巻きの行商をしながら、この近辺を回り、土地を持ってる農家と知り合い、土地を貸せて貰い、そこに家を建てたそうです。祖母の兄が大工だったの、その兄が、残り物の廃材で家を建ててくれたそうです。一応、2階建てではありましたが2階の天井は頭がつっかえるくらい低く、6畳二間でした。
一階は、6畳二間と4畳半、玄関は、全て駄菓子を並べる店として使用していたので、裏手の4畳半から出入りしていました。そんな古材で建てた無料の家ですが、伊勢湾台風では屋根が飛んだ以外、豪雪にも大地震にも耐え続け、実に74年も、健在でした。昔の大工さんは凄いと思います。
>> 15
朝食後の食器を洗っていたら、キッチンの小窓から雨の音と同時に雨風に押されて網戸越しに小雨しぶきが、慌ててリビングそして自分の寝室の開け放った窓を閉めました。
窓際のベッドに腰をかけて閉めた窓のガラス越しから新緑の雨風にそよがれてゆれてる新緑の葉を見ながらの何故かしら、やたら癒やされています。
小雨の淡い音、雨風にそよぐ葉っぱのサラサラとした音、目を閉じると、タイムスリットして時空を超え昔の私の住んでた小さな田舎の町並みが見えて来ます。
雨に濡れた砂利道、通る道、通る家並みの全ての歩く道に何かしら木々や草花が咲いていて木々が茂っていた。
雨が降るとまず浮かぶのは、あじさいの花と、でんでん虫、カタツムリですが私が子供の頃は、でんでん虫と呼んで手に取って遊んでいました。そして雨蛙、捕まえては手に取り遊んでいました。
みんなみんな遊び友達でした。
誰も雨が好きという人が私の回りにはほとんどいませんが、私は雨がやたらに好きです。それは遠い昔、まだ私がまだこの世に誕生しない多分、母の胎内にいた頃に母がやはり雨の音や、風の音とかに癒やされていたからなのではないかと思います。それはずっと後になって確信に繋がりました。
それと雨の音とか、さざ波の音などは、血液の流れる音に似ているそうです。
胎児の時に母親の血液の流れる音を聴きながら胎児は育つそうです。いわば血液の流れる音は胎児に取っては、1番安らぐ子守唄に近いのではないかと勝手に独断して酔いしれています。
風になびいて流れて来る風鈴の音とか、それが60代に入って私を四国の遍路旅にまで導いてくれました。
>> 18
暮らしている人「18」さん、レスをありがとうございます。
18さんが言われた「昭和」 から「平成」になった時期が昭和64年だった事は鮮明に覚えていましたが西暦で言われると「はて❓」何年だっただろうと即スマホで検索してしまいました。検索しましたら、1989年でした。新しく「令和」になった翌年から1900に突入したのですね。
考えてみたら、うちの息子3人は共に80年代に生まれています。私が生まれた1955年から1970年までは目まぐるしい変化の時代でした。
しかし現在42歳の息子に聞いて見ると時代の進展は全く変化ないと開け楽観とした返答でした。
それはそうですね、息子達は全てが揃っている時代に生まれ便利なことが普通の感覚なのですから。私はいわば戦争を知らない世代ですが親から先生から戦争の話を聞きながら育ちました。平和に暮らせる幸せは戦争で国を守るために犠牲になられた方々のお陰で今があると親から教わり、不自由を不自由とおもいませんでした。めいいっぱい遊び学び、何でもかんでも楽しみを友達と、見つけ合い共有して、おひさまをいっぱい躰に浴びて真っ赤に日焼けしながら日が暮れるまで遊んだものでした。
今はそんな風景は見れなくなりましたよね。昔のほうがコミニュケーションは今より遥かに濃厚で口が悪い人が大半でしたがみんな苦労されてた故に、厳しかったけど、深くあたたかかったです。
そう言えば今日は5月5日「子供の日」
なんですね。
私は都会で暮らしていますが、端午の節句に思い出すのは、この時期になると、その3〜4日前から、祖母と一緒に、近くの藪に入り、笹の葉を一緒に積みました。それが楽しくて藪の虫に刺されながらも苦にならず笹の葉集めが楽しくて仕方ありませんでした。
集めた笹を綺麗に洗い熱湯消毒してから日光にあてて、乾いてから祖母の自慢のチマキ作りがはじまります。
6畳の狭い茶の間に新聞紙をいっぱい広げ祖母と積んできた笹の葉をいっぱい並べ傍らで祖母が笹の葉に餅米を詰めて
器用に糸で結ぶ作業見ながら当時、祖母と何を話していたのかなぁ、なんかね、ちまきづくりをしている祖母と笑いながら話していた記憶だけが、ちまきの時期になるとやたら思い出します。白い割烹着を来て、ちまきの作り方を教えて貰えば良かったと後悔しています。でも明治生まれの祖母は自分は全て自分流でやっているので、どう教えて良いかわからないと言っていました。ですから見て覚えるようにとよく言われました。祖母も又自分の母が作るのを見ながら覚えたそうです。私はもっぱらのモノグサ人間でして、覚えることより、おしゃべりしたり、出来たてをお腹にいれることに全神経集中してとうとう作れぬまま私ももうじき祖母の年齢に突入します。月日が過ぎるのは早いですね。
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