頑張ろうな、じぶん…
頭の整理をしようと思う。ノートに書き綴りたいが字を書いてる途中で書き殴り始めるから、ここに書いていこうと決めた。
14/09/24 01:48 追記
予想外にアクセス数が増えてくので、レスまで読んでおられるかまでは把握出来てませんが、もし読んで不快に感じたらすみません。個人の気ままに書いてるものなので御理解願います
m(__)m
14/09/25 10:58 追記
レス制限解除します。
良かったら皆様も自分に応援メッセージ書いたり、愚痴ったりするのに使ってください。
私もこのスレの「主」ではなく今まで通りマイペースで思い付きを書いていきますので。
- 投稿制限
- スレ作成ユーザーのみ投稿可
母親のお腹の中でヘソの緒が首に巻き付いてて予定日より大分遅れて帝王切開で生まれた私。泣き声も弱々しかったと。
時々思う。生まれたくなかったの?と。
自業自得だけど生きてくのは辛い。でも本当にピンチな時は何故か幸運が舞い込む。
ご先祖様?守護霊様?が助けて下さってる気がする。間違った選択をしてばかり、自分に甘く、手の掛かるバカな私を見捨てずに支えて下さる、救いの手を差し伸べて下さる方々がいらっしゃる。
永遠に変わらぬ愛情を一心に注いでくれる存在を求めていた私。目には見えなくても、欲していた存在なのかもしれない。
忘れないようにしなければいけないね。
有難うございます。これからもよろしくお願い致します。
いや、頑張れよ。って言われるね😢
この人と友達になりたいな…そう思うときが時々ある。でも自分から仕事に関する話以外話し掛けることが出来ない。世間話、雑談が出来ない、話が盛り上がらない、続かない。自分の声に自信がない。
学生の頃「耳が腐る」と言われたせいかもしれない。心機一転、クラスの皆に大きな声で呼び掛けたときだった。心が折れた。
口数が少ないから年々声が小さくなっていく。目の前に座ってる家族に話し掛けても声が届いてなかった時は流石に愕然とした。
愛犬は小型犬なのにメチャクチャ大きな声で吠える。腹から全力で声出して吠えてる。あんな小さな体で。何倍も大きな図体して何故愛犬より小さな声しか出せないの?出さないの?情けない。
声のせいで結構人生損してる。改善の努力せずにテレパシーで会話出来たらいいのに…とか楽することばかり願ってる。
逃げてばかりだな…
自分を好きにならないと他人も好きになれない
そんなわけないと思ってたけど恋をして、彼のことを好きになればなるほど自分が彼に釣り合わないと感じて苦しくなってしまう自分がいた。
オシャレなわけでもなく流行を追いかけるでもなく、マイペースな性格、地味な服装。デートの度に服装に悩む。体型が悪いから何を着ても似合うわけでもなく。通販カタログのモデルさんを自分に置き換えて似合う?似合わない?
…だんだん週末が憂鬱になった。それに非社交的な自分が友達たくさんいる彼の隣には居られるはずがなかった。
自分が好きにならないと他人も好きになれない…自分に自信がないと恋愛も出来ない。
自分をサポートしてあげられるのは自分だけ。わかってはいるけど自分が嫌い。自分を棄てて逃げたくなる。「何なんだお前は?バカか?バカなのか?」って罵りたくなる。
自分だけは自分を責めないで。味方でいてあげて…
そんな言葉があった気がする。
無理だよ。こんな甘ったれた弱虫。
どうすれば強くなれるんだろう?
答えは わかってる。
やらないだけ。逃げてるだけ。目を背けてるだけ。
…わかってる
数年前からベランダに大葉を植えている。1株しか買わなかったのに大葉はスゴいな。年々増えてく。増えすぎて食べるより多いからあちこち青虫に食べられてるけど大丈夫。青虫のお役に立ってるんだから。
そう思ってたら今年はおんぶバッタが来て子供を残して行ったらしい。青虫とショウリョウバッタの大群に大葉を食い散らかされてしまった😲💧
3株ほど人間用に隔離したけど意味無かった。めざといな君達は…仕方ないからスーパーで大葉10枚入買ったよ。
来年も大葉を全て虫たちに食われてしまうのかな?
不思議と怒りは無い。
カナブンも3年連続土の中に卵を産み付けに来てる。
住宅街のベランダの緑を見つけて飛んで来た虫たちに「生きる」執念を教わった気がした。見倣いたい。
先生と呼んでいいですか?
幸せを感じる瞬間って人それぞれなわけで。
自分は家の中でハエトリグモのハエちゃんに遭遇したり、花屋で色とりどりの花を眺めたり、通勤途中で散歩中の小型犬が一生懸命短い足で歩いてる姿を見掛けたり…そんな些細なことだったりする。
旦那とは恋愛感情ないまま結婚したけど、恋愛結婚してたら自分で自分にプレッシャー掛けてノイローゼになってたと思うから旦那と結婚してよかったのだと思う。幸せは失ってから気付くもの。
「自分は不幸だ不幸だ」と嘆いてばかりいたら本当に不幸者だ。
些細な幸せ探し、感謝する心を忘れずに過ごせるようになれたら世界が違って見えてくるかもしれない。
人に何かして貰ったら「すみません」じゃなくて「有難う」
人に話し掛けるときは頭に「すみません」じゃなくて「◯◯さん」と相手の名前を呼ぶ。
些細なことだけど、大切なこと。まずはここから始めよう。
休日、いつもは家に引きこもり。。でも今日は重い腰を上げて出掛けた。
自転車で行こうかと思ったが速足で20分以上歩けば脂肪が燃え続けることを思い出し歩いて出掛けた。速足は出来てなかったが(ダメじゃん…)色々見て回れて刺激になった。
花屋で緑色の変わった小菊の花を見つけて触って。
八百屋でたまにしか会えない元気なお兄さん(店員)に会えた。
自販機で新発売の缶コーヒー100円で買えた(後に勘違いと判明💧)
歩いて出掛けると立ち止まったり引き返したり自由に動けるからいい。
買いすぎて自転車で来ればよかったと後悔したことも多々あるが。
自分はもっと計画性のある性格だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。自分のことを、よく知らないって不思議だ。
「やらずに後悔するより、やって後悔しやがれ」って言葉を聞いた時から少し変わった気がする。不安心配感じても「やってみたいな」と思ったなら、とりあえずやってみる。
失敗しても、やっぱり不向きだったと落ち込んでも、経験したからこそ、またひとつ自分を知ることが出来た、自分の分析が出来たと喜ぶことにしている。
…そんな自分が好きだ。
好きだぞ‼
ある不倫ドラマのワンシーン。自称平凡な主婦と高校教師が手を繋いで幸せそうに微笑みを浮かべて歩いていた。
私はそんな恋愛が理想で主婦役の女優さんに自分を重ねて幸せに浸っていた。しかし、それを見ていた高校生役の子に「お前ら中学生かよ」と言われて驚いた。自分の恋愛感が中学生レベル。確かに奥手で未だに男性と会話するのは緊張するが…
ドラマで主婦役の女優さんがしている恋愛が本当に理想で毎週キュンキュンしながら見ている。
主婦が高校教師と小さなケンカをして「大っ嫌い」と彼を置いて歩いて行ってしまったシーンがあった。 冗談でも「嫌い」と言われたらキツい自分には出来ない芸当だと思った。追い掛けて来てくれなかったら、そのまま別れちゃうの?
傷付くのが怖くて心の距離を取ってしまう習性は相手に物足りないと感じられてしまう原因だな。
ドラマみたいな大恋愛に憧れる。
「貴方さえいれば他に何も要らない」
そこまで盲目になれるひと…凄い。自分は天地が引っくり返っても無理だわ。
他の人はどうなんだろう?こういう時友達がいないのが悔やまれる😢
最近、物忘れ(度忘れ)がひどくなってきた。
「どこ置いたっけ?」よく物を無くしてしまう。
何かしてる時に他のことをし始めて最初にしてたことを放置したまま忘れたり、買い物終えて自転車置いた場所忘れて一生懸命思い出しながら探したり。
そろそろ仕事中でも度忘れが発生しそうで怖い。
本気で若年性アルツハイマーになりそうだ。
でも良いこと?も、たまにある。晩におかずを大量に作り置きしたことを忘れていて次の日の晩に「はぁ~明日の弁当のおかず、どうしよ…」と冷蔵庫開けたら、おかずがたくさん。
「昨日の私有難う…」
本気で忘れてたからこその過去の自分への感謝の言葉…恐ろしすぎるわ💧
「どこ置いたっけ?」くらいは治したい。
昔は几帳面だったのに、どうしてこんなにズボラになってしまったのだろう? テーブルの上もごちゃごちゃのまま。昔の自分が見たら驚くな…
誰かに迷惑掛ける前に初心に返ろうな?
年下の人が自分より年上の人と親しく話しているのを見たり、仕事も後輩なのにテキパキ要領良くこなす姿を見ると素直に尊敬する。
とてもしっかりしていて人生経験積んだんだなと感じる。やはり内向的性格の自分は人間的に成長出来てないのだと思い知らされる。
人間には色々な性格があり、色々な考え方をする人がいる。個性がある。
個性は尊重するべきだと思う。だから自分より年下の人が自分より、しっかりしていて仕事をテキパキこなしていても、自分のダメっぷりを責めたり凹んでいてはいけない。
等身大の自分を受け入れて他人は他人、自分は自分と割りきることも、時には大切なことだ。
自分に「出来ること」を「精一杯」やればいい。
そして余裕があるなら視野を広めて他の人の仕事ぶりを観察して技術を盗んだり、自分なりに試行錯誤して技術向上を目指していけばいい。
無理に頑張ったって、限界があるし、その人と同レベルにはなれないのだから他人を妬んだり羨ましがったり凹んでる暇はない。
自分は自分。自分を変えられるのは自分だけ。
「成長したな」と自分に言えるようになりたくないか?
人間関係でうまくいかず職場を転々としてきた。
現在勤めてる所は皆適度な距離を保ってくれて(陰口はどうか知らないが)居心地はいい。だから何とか数年間やっていけてる。
今までの職場では内向的性格の私を攻撃してくる奴が絶対いた。
確かに仕事が出来る人から見たら私は焦れったいだろう。自分でも焦れったいと感じる。
でも歩み寄ってくれてもいいじゃないか…と思った。気が合わない、見てるとイライラする、そんな人相手に手助けするのは、やはり無理か。
私も段々そういう相手を不器用な人に優しく出来ない『可哀想な人』目線で見るようになった。
離婚歴ある奴には「そんなヒステリーだから離婚するんだよ💢」と心の中でバカにしてみたり。
相手より少しでも優越感を持たないと、やっていけない時もある。
隣に座っている人の声の大きさに驚くことがある。腹から声を出しているとわかる。ひと言ふた言喋るだけでその人が、お喋りな性格か大人しい性格か、声の大きさで判断出来る。
よく「聞こえない」と言われるが正しくは「聞き取れない」ということだと思う。「聞こえない」より「聞き取れない」と言われた方が私はショックが少ない気がする。
意識して発声しないと本当に小さな声しか出ない。
呼ばれても振り向くだけになってしまう。「はいっ」とハキハキ返事してる人には、やはり好感が持てる。
人に自分から話し掛ける時は「腹から声を出すこと」を意識してみよう。
「大きな声」を意識すると喉からしか声を出せていない。喉が痛くなるだけ。
だから「腹から声を出す」を意識してみよう。
大丈夫、普通の人の普通の声に近づくだけだから。
同じこと2回以上言わないといけない煩わしさから解放されるよ。頑張ろう。
- << 22 軽く対人恐怖症なの忘れてた。頭ではわかっていても実践するのは、なかなか難しいね。 今までみたく「どうせ…」って諦めずに『意識すること』は続けていこうよ。 それだけでも、きっと違うから。 ダメだったとしても「今度こそ」って思うようにしよう。 ゆっくりでいいから。焦らなくていいから。 いつの間にか無くしてしまった『勇気』や『努力』もう一度培っていこう?
頭の回転が遅いから、人との会話のテンポに付いていけない時がある。いや、いつもか…。
自分は回答を頭の中で考えたり文章を組み立てたりしている最中なのだが、相手は待たずに「ねぇ聞いてる?」と返事を急かしたり「…もういい」等、会話を放棄してしまう。
こればっかりは「……」
(>_<。)しかない
映画「君に届け」で多部未華子さんが口籠もった時に三浦春馬君が「ゆっくりで大丈夫だよ。待つから…」みたいな台詞を言っていた。
こんなこと言ってくれる人(家族含めて)今まで居なかったなぁ…気付いたら号泣してた。
多部さんは確か「えっと…」とか言ってた気がする。対して自分は無言だった。だから相手は「コイツ💢」ってなったんだな。
でも回答を考えるのに必死で「えっと…」とか口走れない😢
不器用すぎる…はぁ💧
他にも理由や言い訳を言いたいのに「言っていいのかな?言わないで素直にハイって返事しとけばいいかな?」と迷ってしまい、結果、相手は「コイツ何考えてんだ?」って顔してる時がある。
もぅ…会話慣れてないって辛い(>_<。)
優しくされたり、話を振られると…慣れていないせいか、ひどく戸惑う。
場が静まる時もある。
話し掛けてきてくれる人も、だんだん見向きもしなくなる。
…あんたも、いつかそうなるんだろ?私は、あなたが求めてるような人間じゃないんだよ…ごめん。
って自分から距離を置いて開きかけた心の扉を閉ざしてしまう。
本当に、ひねくれ者だ。 嫌われることの方が多いから。自分をこれ以上傷付けないために自分に嘘を吐き、強がって見せてる。
本当は話し掛けられて嬉しいくせに。何か言葉を返さなきゃって、また声を掛けて貰えるように会話しなきゃって必死で頭フル回転して。でもいつも思うようにいかない😢心の殻を破れないから、冗談を言ったり出来ず言葉を慎重に選んでしまう。
話しかけられて素っ気ない態度をしている人を見ると思う。犬みたいに尻尾があればいいのに。ブンブン尻尾振ってるの見たら相手も「ポーカーフェイスなのね」って気付いて気まずく嫌な思いしないでいてくれるだろうに。その人も心の扉を開こうと努力しているのかもしれないし。
もしかしたら、その人は心から相手を拒絶してるのかもしれないが…。
それでも尻尾があれば判断できる。尻尾…揺れないね。私とは話したくないのかな?って。
夕方ゆうちょ銀行へ振り込みに行くだけなので鍵とカードをポケットに入れて、手ぶらで歩いて行った。
いつも鞄を片手に下向き加減で歩いていたが、今日は軽い両腕をしっかり振って。薄暗いので、正面見て歩いてみた。腕を振ると血行が良くなるのか気分が良くなってきた。
顔を上げると、いつもより視野が広く感じた。
普通の人からしたら当たり前な景色。他人の視線が怖くて、いつも下向き加減な私。いつもと少し違う姿勢をするだけでも気分は変えられると知った。
家に近づくと、また視線が下がってしまう。やはり近所の人に会うのが怖い。
これから、家や職場から離れた所を歩く時くらい「顔を上げて」歩いてみよう。
◯日に△△へ行こうかな。と思い立ち、いざ当日になると行く気にならず。ということが、たまにある。
映画やイベントのチケットを何度か無駄にしてしまった…何をしてるんだろう?
段々面倒臭がりになってきた。年寄りみたいだな。
自分で自分との約束も守れない。
自分を信用できなくなったら終わりだ。
実家にいる頃は母が口うるさく言ってくれてたおかげで、しぶしぶでも行動できてたんだと今では感謝。
誰か管理してくれ、マネージャー欲しいと思う自分は甘ちゃんだ。自分独りじゃ大人になれない。
自己嫌悪して堕ちていって「このままではダメだ」と少し這い上がって、また「もう嫌だ」って、ずり落ちて「もう一度、もう少し…」と起き上がる…の繰り返し。精神的に弱い自分のバイオリズム。記録付けるのさえ面倒臭くなって途中で辞めてしまう。
誰かと一緒になら頑張っていけるタイプなのかも、わからないが独りじゃ限界なのはよくわかる。
自分みたいなのは目標を立てるといいらしい。あまりハードルが高くない目標。それに向かって頑張り、目標達成させるを繰り返すと自分なりに自信がついてくるようだ。
今までみたいに「闇雲に何となく」より「目標達成」を目的に頑張る方がいいけど、目標を決めるのに時間が掛かりそうだ。
自分で自分のイメージを悪くすることは避けたい。
私は会話こそ続かないが、何か話し掛けられたら返事だけで終わらずに何かひとこと付け加えたり「その人に関して前から聞いてみたかったこと」を自分から聞いてみたり…ということをた~まに実践している。
相手も「おっ」と、ややビックリしつつも会話をしてくれるし、また後日話し掛けてくれたりする。
リラックマのひとことで「困ったときは助けてって言えばいいんですよ」みたいなことが書いてあった。「助けて」って言うのも勇気がいるなと気付いた。
頼りにされると嬉しい…と大体の人は感じると思うので解らない時は思い切って聞いた方がいい。
黙って勝手にやると「これだから無口な奴は」と不信感を持たれてしまう。
無口な奴だが無口なりに『一目置かれる存在』になれると少し嬉しい。
笑うと可愛いのに…。たまに言われてきた。
無表情だから、やっぱり怖がられることの方が多い。学生の頃は私に話し掛けるのに友達を引き連れてきた子もいたくらいだ。
「そんなに私が怖いの?」呆れたが、端から見たら私みたいな人間は怖いのかもしれない。かなり凹むが性格なので仕方無い。
怖がる人もいれば普通に声を掛けてくる強者もいた。
私は、この強者が怖かった(笑)「私が怖くないの?皆の目線気にしないの?」と最初は滅茶苦茶戸惑った。でも段々嬉しくなった。世の中には色んな人がいると改めて感じ、神様に感謝した。
明るく表情豊かになんて出来ないから口角を上げるようにしている。
習慣になれば勝手に口角が上がっている。何でも始めは大変だが習慣になれば楽だな。
習慣にするまでが「己との戦い」なんだけど敗けてばかりだ。
自分に自信が持てない原因の1つは母。人生で初めて付けられたかもしれない心の傷。
母は私のことが受け入れられなかったのだろう。他所の子のことを褒めちぎり私のことは、けなしてばかり。他所の母親が私の良い所を探して言ってくれても母は「うちの子なんて全然。◯◯ちゃんの方が△△よ。羨ましいわぁ」
聞く度に自信が無くなった。私はダメな子なんだ…。消えたくなった。
「何でうちの娘は…」口で言わなくても心の中で言われてる気がしてた。
私の従姉妹(母の姉の娘)と気が合うらしく、楽しそうによく電話している。
従姉妹が娘だったら良かったのにね…本気で思った。私みたいな暗い性格の人間が娘でゴメンナサイ…言えるなら言いたかった。
私が母親の立場だったら?私みたいな子、扱いが難しいだろうな…。
「価値観の違い」や「相性の良し悪し」は血の繋がった親子にもある。
「愛情」を相手に「伝えること」と相手から「感じ取る」能力。相手を「理解しようとする」姿勢…が必要だと思う。
「お母さん、私のこと…」嫌い?としか聞けない自分が悲しい。
仕事で注意されて嫌になって辞めてしまう人がいた。逆に、どんなに怒られても辞めずに頑張っている人がいた。
私は注意されたら参考にして次からは言われないように気を付けたり自分なりに工夫したりしてみる。
注意されて反省どころか「何で怒られなきゃなんねーんだよ」なんてブツブツ文句言ったりしている人には呆れた。
人によって受け取り方は様々なんだなと感じた。
社会人になって色々な職場で注意されたり怒られてきたけど逃げずに受け止めて消化してきたから、その分強くなった気がする。明らかに八つ当たりなのは、ある程度なら聞き流すことも出来るようになった。まぁ後で思い出して悲しくなるけども…
毎日女性主任に怒鳴られてた時期は愚痴ったり、話聞いて慰めてくれる友達がいないから本当に辛かった。社会人に成り立てだったら数週間、いや数日で辞めてたかもしれない。
1年半頑張ったもんね。
本当に経験の賜物だ。
私は山歩き(ハイキングっていうのかな?)の時は山道が怖くて足元ばかり見て歩く。幼い頃からよく石に躓いて転んできたからだろう。
連れの人が「見て見てこれ」って道端の花や木の実を発見して声を上げる。私はそこでその存在に気付く。
せっかく山に行っても、足元しか見ずに頂上まで上がったら山の空気と頂上からの景色しか思い出にならない。周りを眺めながら歩いて登る方が山を満喫出来る。
損してるなって思ったから、なるべく周りを眺めながら歩いてみた。すると何かに躓いた。怖かった。
次は足元と数メートル先を見て障害物が無いかチェックしてから周りを眺めつつ歩いてみた。続けるのは難しかった。
皆スゴいな。
サクサク歩きながら周りを見回して「あっ」て見つけるんだから。
楽しみたいのに満喫出来ないもどかしさ。人生みたいだなって、ふと思った。
誰かからアドバイスを受けて、まず言い訳を思い付くのはダメ。
その人はあなたの「やれない理由」を聞く為にアドバイスを送ったのではない。何かのせいにしても自分自身が救われるわけではない。「今の自分がダメなのだ」と喝を入れて言い訳をしない人生を歩んでいこう。
…と本に書いてあった。
その通りだなって思うが弱い自分には言い訳が付いて回る。
そんな時はアドバイスを頭の片隅に置いておく程度にして、自分の問題点とちゃんと向き合える時まで課題として放っておくのもいい。何でも「やらなきゃ」と自分を追い込むより、自分がやる気になるまで待つ、というそんな思い切った発想の転換が時には必要だと思う。
『コップに半分水が入っているのを見て「もう半分しかない」と感じるか「まだ半分残ってる」と感じるか』みたいな。
手段は1つじゃないぞ。
いまの自分を救える道を探せ❗
他人の言うことは気にするな。これが自分のペースなんだと開き直れ❗
「苦しみ悩んでる」自分がいるうちは、まだ望みがあるから。
『求めよ。さらば与えられん』は神様が相手な話で。人間相手では、自分が「与え」なければ与えられぬのだ。
例えばイライラや笑顔は相手にも伝染して返ってくるし、もしAさんと会話したければ自分からAさんに話し掛けるしかないわけだ。
本を読み漁って最近気付いたのだが、よく考えたら普通な話で。
「欲しい、欲しい」ばっかりだった自分は何て自己中心的なアホなんだとガッカリした。
普段話さない人や、怖そうな雰囲気の人が親切にして下さると、こちらも気持ちが温かくなり自分もその人に親切をお返ししたくなる(日本語おかしいかな?)。普段他人とコミュニケーション取れてない分、気遣いを忘れないようにしたい。相当毛嫌いされていない限り自分のイメージアップに、きっと効果的だから。
捨てる神あれば拾う神あり
嫌われるなら、その人は『捨てる神』なんだと諦めて自分からも捨てちゃえ🎵
色々なことが重なって…軽い鬱みたいになってた時期があった。いわゆる「暗いトンネルを歩き続けている」感じ。
「出口のないトンネルはない」「明けない夜はない」なんて言葉を励みに頑張る気力もなく、人と関わるのが怖くて仕事も出来ずに引き込もってた。
結果、金銭的危機と時間が解決したんだけども…自分との対話が一番大きな助けになったと思う。
馬鹿で情けなくて焦れったくて自己チューで自分に甘くて、いつも受け身で…悪口沢山言えるけど、だからって「絶交っ‼」と離れたくても離れられないのが自分である。
自分の相棒は自分、自分と二人三脚で生きていく。
落ち込むだけ落ち込んだら臨機応変に「母親」「親友」「カウンセラー」「コーチ」に変化して自分を叱咤激励した。
自分の本音を一番知ってるのも、自分との対話を24時間365日出来るのも自分だけ。気を使わなくていいし費用も掛からない。
「3歩あるいて2歩さがる」でもいい…放棄しない限り出口に向かって一歩一歩進めてるから。そう言い聞かせながら、心のリハビリだと思って自分なりに頑張った。
このやり方は今でも助けになっている。
私はエビフライが好きだ。エビフライだけで3食いけるくらい大好物だ(海老アレルギーじゃなくて良かった。感謝)
数年前、私の誕生日プレゼントとして旦那に揚げてもらって(下ごしらえは私)30尾一気に平らげ大満足😁
翌年もお願いしたらKYK(とんかつ屋)で買ってきた。確かに海老も大きくて衣サクサクで美味しいけども、何か違うと思った。
私はジグソーパズルも好きで1000ピースのビッグサイズにチャレンジして愛犬に邪魔されないよう、置き場に苦労して作成し、2枚飾っている。眺める度に作っている時の苦労を思い出せる。
やはり既製品より手作りの方が、作り手の愛情や念が感じられるし、自作なら記憶に残る。エビフライだっていい思い出になる。
パズルは「私が生きていた証」になるな。
なんて言ったら旦那は「また変なこと言って…」と呆れるだろうな。
仏教で『人生とは大海である。人間は海のど真ん中に浮いていて次々と押し寄せる波(苦難)に喘ぎながら板切れ(快楽)等にすがり付き、ひと安心するも新たな大波にさらわれて絶えず苦しむ』みたいなことを言っていた。うまい例えだなと思う。
『人生とは修行。神様は、その人が乗り越えられる試練(苦難)を与えられている』というようなことを多くの方が書いている。
人間は神様に試されているわけか。
耐えられず自分で命を絶ってしまった人は失格。ということだろうか?
人生は、やり直せないし時間も限られている。しかも寿命がいつ尽きるか誰にもわからない。
もし本当に神様がその人が乗り越えられる試練を与えられているというならば命が尽きるその瞬間まで自分(と神様)を信じ、試練を乗り越える攻略法を捻り出して生きたい。
結構負けず嫌いな面もある私。宣戦布告(宣誓?)しちゃうぞ。
「見てろよ神様❗どんなに辛くても絶対に自ら命は絶たないからね❗」
>> 45
よく考えたら自業自得な苦難の方が圧倒的に多いな。それは神様無関係だし。
でも精神的に「耐える」強さと「凹んだ自分を立ち直らせる思考術(?)」が身に付いてきたから結果的には良しとしよう。
「あれ」はダメだった、出来なかった。でも「これ」は出来た、頑張った。
ダメ出しばかりして自分を追い込むより、こういう考え方が自然に出来るようになったらいいよね。
ひとしきり反省、落ち込んだ後は自分なりに努力したことを思い起こして気持ちを少し、よいしょと持ち上げて『ドンマイ。次、頑張ればいいじゃん』って自分の背中を押してあげよう。
そして「大丈夫。何とかなるさ、なんくるないさぁ」って唱えよう。
☆なんくるないさ とは
(挫けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつかきっと報われて良い日がやって来る)という意味らしい
弟は結婚して私ら家族より嫁を取った。絶縁状送りつけて音信不通。孫の顔も知らない両親。
「音沙汰無いのは、うまくやってる証拠」平気そうに振る舞ってるが、強がっているのが見え見えだ。
弟が結婚して2年後、私は5年近く続いた「婚活」にピリオドを打ち、結婚した。けど旦那の子供は欲しいと思えない。
私も孫の顔、見せてあげられない。ごめんね。
今も後悔している。「あの人」と交際続けてみればよかったと。
お見合いで初めて気持ちが動いた人だったのに…口数は少なかったけど一緒にいて心地よかった。お互いに奥手だったので次のデートの約束を交わせないまま、帰宅後も自分から電話を掛けれないまま日数が経過し終わってしまった。
過去には戻れない。でも戻れるなら戻って交際続行を申し込みたい。彼と交際していたら…もしかしたら孫の顔見せれたのかな?
気持ちは口に出さなきゃ伝わらないんだよ。連絡取らなきゃ「振られたかな」って誤解されちゃうんだよ?あの時の自分に届くならスピーカー使って声を大にして言いたいよ。
私は基本マイペースだ。
だから仕事の作業スピードは急いでも普通の人に比べたら若干遅いと思う。
職場でリーダーに(冗談っぽく)不平を言える人は羨ましい。何か指示されても「え~何で私~?」リーダーも「じゃあ他の人に頼むわ」とか言ってる。その場に居合わせると8割の確率で私に回ってくる。私も不平を言いたいが言うと空気が変わるだろうから言わない。不満は溜まる。
しかし、ここでポジティブシンキング。
仕事の作業は効率を重視するはず。だから、たまたま私が側に居たとはいえ他に人がいるのに私に仕事を振るということは、もしかしたら私も一応頼りにされてる?といい方向に捉える。
現実は自分の思い込みだとしても不満は解消される。「何で私が…プンプン😠」と不満を抱えながら作業に取り掛かるより「仕方ないな。やりましょう👍」と思えたら最高だ。
些細なことでイラッとしたりカチンときたりすることが多くなってきた私。
もっと気長に、平静を保てるようになりたい。
これは年月掛けてトレーニングするしかないな。
「(自分の中の)コーチ、頼みます😫」
「よし、一緒に頑張ろうな👍自分」
『叱られるうちが花』
高校の時、社会科の先生がよく言っていた。当時は、ふーんと聞き流していたが「心に刻んでおくべき」といっても過言ではない言葉だと思う。
家族や他人から注意を受けたり怒られたりすると、その瞬間は腹が立ち、悔しかったり悲しかったりすると思う。でも言われたことが理不尽なことでない限り、「自分の為を思って言ってくれたこと」なんだということに気付いて欲しい。
「他人を怒るのにも体力がいる」のだから。
どうでもいい人の為に無駄な体力は使わないし使いたくもない。
貴方の為に必要だから。
ちゃんとしないと自分が損してるんだよ、と教えてくれているのだ。
とは言っても自分の非を認めるのは、なかなか難しいし、絶対時間は掛かると思う。改善するのに自分が折れなきゃいけないこともあるだろう。
「ひと皮剥ける」それくらいの決意が必要だから。
その葛藤を乗り越えれた人は、人として、ひとまわり成長出来たってことなんだよ。
ネットで個人特定されないからといって相手を攻撃する人がいる。攻撃することでストレス発散させている人もいるらしい。
現在は特定が難しく罪に問われないかもしれないが、何年か先に犯人探しが可能になり、罪に問われる日が来るかもしれない。
「皆やってるから。バレなきゃ大丈夫」ではなくて故意に人を傷つけることを言ったりやったりするのは、リアル同様「悪いこと」なんだと意識して控えてほしい。
そう訴えても、そういう人達の心は、ひねくれてるから聞く耳持たないんだよね。相手の立場になって考えることをしない。「いちいち気にする方がおかしい。嫌ならネットしなきゃいい」とか抜かす。
傷つかない為にも考え方を工夫して少しでも傷を浅くするしかない。
苛める奴は虐められる側になっても虐められっ子のように弱気にはならないみたいだから。
虐められるタイプの人と精神構造が違うんだろうな。ある意味憧れる。
「その強靭な精神私にくれよ」って言いたい。
何をやっても言っても私を嫌いにならない「絶体彼氏」や「絶体友達」が欲しい。そういうアンドロイド出来たらいいのに…とか考える。でも実現したら遠慮が無くなり、ワガママな人間になってしまうだろうな。
過去や未来に自由にタイムスリップ出来たらいいのに…これは皆一度は願う夢だろう。
もし実現したら何度でもやり直しがきく分、後悔したり、努力したりしなくなり今みたいに時間(一瞬一瞬)を大切にしたり、必死に生きれなくなりそうだ。
欲しいけど無い方がいいもの。便利だけど使い方次第で良くも悪くもなるもの。携帯からスマホへ。車の自動ブレーキ、自動ハンドル。どんどん便利に進化していくけど、逆に人間の能力が退化していくようで私は怖い。
拒否しても世の中が、時には強制的に変化(テレビのデジタル放送とか)していくから変えざるをえない。
スマホやパソコンしか対応していないものが多くなりガラケーしか持っていない我が家は、たまに不便さを感じる。
時代の流れに乗らない人が悪いのか、そんな人達を置いていく時代が悪いのか。
小さな蜘蛛は平気だが、でかい蜘蛛はキモいし怖い。
夏のこと。台所でふと壁を見てチラッと見えた長い足。冷蔵庫の陰に隠れていた。田舎でしか見たことなかったからショックは大きかった。
ゴキブリは平気な旦那も怖いらしく退治不可能。
犬もいるし噛まれないか?大丈夫か?と不安ででかい蜘蛛について急いでネット検索。
基本蜘蛛は怖がりで、そいつはゴキブリを食べてくれる、いい蜘蛛だと知る。ならばと夫婦で観察(笑)
旦那がLEDライトを当てると目が青く光った。アクアマリンみたいに綺麗だった。後ずさり奥へ消えていった蜘蛛を見て可愛いとさえ思えた。
何に対してもそうだが知らないから怖い。知れば恐怖感や不安は減るものだね。
人見知りで他人と会話すらまともに出来ず、話し掛けられたら母親の後ろに隠れるような子供だった。
幼稚園、小学校へ進学して自分の殻に籠ってしまった。人間として不器用というか欠陥があるというか。
拒絶されたり傷つけられたりすることに人一倍敏感だから本能的に人と関わることを拒み、シェルターというか心の壁を作ってしまい、そのまま大人になってしまった。
手紙やメールでは素直に自分が出せる。そのせいか手紙やメールのやり取りでは「人懐っこい、明るい」イメージを持たれる。
本当は人懐っこい性格を秘めているのかもしれない。
自分を表に出すのが難しいというか、不器用なのだ。小学校。親元から、いきなり大勢の同年代の子供達の中に放り込まれてしまう前にトレーニング期間が必要だったと振り返って思う。愛情を注いでくれる、優しい大人達に温かく見守られながら同じような人見知りの子供達と時間を掛けて自分を出せる訓練をしたら、同年代の子供達と同じスタートラインに立てたかもしれない。
人生も大きく変わっただろうな。
犬によって飼い主の顔を舐めまわす子もいれば、手の甲から腕を舐める子もいる。うちの愛犬は何故か、まつ毛を舐める。
変なとこ舐めるね君は…と思っていたが、同居犬(愛犬の兄貴的存在)を亡くして悲しみに沈んでいた時、まるで涙を拭うように、涙が止まるまで舐め続けてくれた。夜布団に入っても思い出しては涙。
気付いた愛犬が、すっ飛んできてペロペロ。
「泣かないで。元気出して」って言われてるみたいで余計に涙が溢れた。
有難うね。たっぷり泣いたら、また元気になるからね。心配掛けて、ごめんね。
とても陽気な性格で甘えん坊。気付けば仰向けに寝転んで「お腹撫でて」アピールしてる。いつも笑わせてくれる我が家のアイドル。
君に出逢えて良かった。
うちに来てくれて有難う。
空気みたいに扱われることが、たまにあった。
ロッカーを鍵が閉まってるのに何回も扉を引っ張って開かないか確認する人(他の人の前ではしない)
休憩室で私の目の前で私の失敗談や悪口を話して盛り上がる人。
小学生の頃、クラスに私の目の前に立つと私をまるで幽霊を観察するように上から下へ、下から上へ、眺めてくる変な子もいた。
それぞれに言いたいことはあったが、言えば何か予想外な展開が巻き起こるかもしれないし、相手が何を言い返してくるかも全くわからない。
頭の回転が遅い私がパニックになるのは目に見えてるので悔しいが黙って「現状維持」を選んだ。
でも、とても後悔している。相手が何を言い返してこようとも、周囲の反応が予想外なことになっても、自分が「言いたいこと」だけは言えば良かったと。
自分のプライドすら守ってやれなかった…と後でこんな風に悶々としてしまうんだから。
「そんなに確認しなくても鍵は掛かってますし、簡単に開きませんよ?」
「私ちゃんと謝りましたよね?私の目の前で、よく私の悪口を言えますよね?」「何?(さっきからジロジロ見てるけど…)」
言いたいことは言った。後はどうにでもなれ…と、ドンと構える度胸が無い。
仕方ないか。いざというとき味方(友達)は誰もいないもんな。
旦那が帰宅しただけでイラッとくる日がある。
私のおやつを食べるな(怒)
バイオリズムがあるんだな。結婚しなきゃ良かったとか色々考えても仕方ないこと考え始めるから、体を動かそう。
来年生きてたら…お金に余裕があったら…と毎年延期になってるバス旅行を楽しみに妄想を膨らませよう。東京ツアー、F1レース観戦、札幌雪まつり、富士山の見える宿…色々行きたい。勿論ひとりで。でも泊まりだと愛犬が心配だから日帰り旅行で計画だな。
近場でもいいな。ショッピングモール探検とか、京都散歩とか…電車に揺られて、ぶらりひとり旅。
出かけるだけでクタクタになるから体力つけなきゃな…あぁ運動めんどくさい。
結婚できない芸人の男性を見ていると相手に求める理想の高さが邪魔をしているなと感じることが多い。
「見た目」を重視し「性格」が理想通りならオッケーなんだけど…みたいな。
「そんな奴いねーよ」って周りから言われても曲げないから、いつまでも独り身。逆に女優さんにはハンサムな男性と沢山恋愛をして、結婚相手には見た目が「え?」っていうくらいの男性を選ぶ人がいる。
沢山恋愛をして楽しんだから見た目は気にしない余裕ができるのか「恋愛相手と結婚相手は違う」ということを現実に見せつけられる。
私も沢山恋愛をしてたら、旦那が結婚相手には申し分ない人に思えるのだろう。「若いうちに沢山恋愛をしろ」というのは、結婚相手を無理なく選ぶ為に必要なことだったんだ…。
私は芸人の考え方なんだな。見た目や年齢差を重視し、家族構成とかチェックしながら婚活していた。
でもうまくいかずに年を重ね、紹介される相手の人数が年々少なくなり、渋々相手との年齢差を広げたら旦那に出逢った。運命の神様は、私なんかと相性の合う旦那を用意してくれていた。なのに不満ばかり。
いつまでも結婚できない芸人の姿はイコール自分の姿。結婚できただけで幸せだと思わなければバチが当たるぞ。
わかってるけどさ…叫びたくなるんだ。
理想の結婚生活に憧れていたんだよぅ😫沢山恋愛して素敵な男性と結婚して、ラブラブな新婚生活。子供も産まれて…幸せな家庭を築きたかったなぁ😫
最近増えてきた物忘れは朝御飯を食べていないからかも?と判明。
脳よ、すまねぇm(__;)m
パンより白飯を食べた方がいいというが、物心ついた時からパンだったから、朝から御飯や味噌汁とか胃は受け付けないし、作る時間もヤル気も無い…。
朝は、いつもギリギリまで寝ている。
「朝御飯を食べる」ことより寝る時間を優先させて数年ズルズルきてしまった。
脳にハッキリと異変が現れ始めた今「朝御飯を食べる時間を作らなければ」という危機感本気で感じ始めた。さっと食べれる、ゆで卵にしようかな。
朝早く起きるということは夜早く寝る。夜早く寝るということは、ダラダラとしている暇はない。
いつもここで諦めてしまうから、脳をこれ以上衰えさせない為に、生活を見直そう❗
……見直せよ?大丈夫か?
おーい(´Д`)
知らない番号からの電話を取ると「屋根やら外壁塗装やらキャンペーンやってます」と。無視するのだが何度も掛かってくると気になり、つい取ってしまう。
「要りません、結構です」と速攻切れたらいいのだが電話ですら気を使ってしまう自分。昔浄水器や湯沸し器の点検とかで騙されかけて旦那に追い返して貰ったことがあり、私も軽はずみに受けず「旦那に聞かないとわかりません」と断るようにしていた。でも相手も負けていない。「築年数は?家の大きさは?何坪くらい?」と女性が「それくらいはわかるだろ?」的に、しつこく食い下がってきた。「そんなの知るか」と捨て台詞?を吐いて電話を切れたらいいのだが出来ず…何か答えねばと焦り「うちは借家なので」とつい言ってしまった。
本当は舅が他人に貸していた家だから身内名義の家なのだが。
しかし「借家なら勝手にいじれないわね」と相手もすぐに諦めた。
…この手は使える(-ω☆)v
ていうか「結構です」と速攻電話を切れるようになりたい。
ストレスは心の荷物。私の場合は自分で増やしてる。性格上、人間関係についてのストレスは…人類皆抱えるストレスだろうし、仕方無いとして。
「やるべきことをしないで先伸ばしにすること」これのストレスは何とかせねばならない。自分次第で減らせるし、背負わなくて済む荷物なんだから。
最近は面倒だと思っても動けることが多い。終わった後は何だか気分良いし自分を少し見直して、好きになっていることに気付いた。
荷物は減らせるし自分を好きになれる。いいことづくしじゃないか。やらない手はないぞ?
「やるべきこと」をリストアップして、ひとつ選んだら集中する時間を決めて「よーいスタート」で取り組むのが、やり易くていいかな?
じゃあまずはリストアップだな。よーい…スタート❗( ̄▽ ̄)ノ″
この前バラエティー番組で地震研究家が来年の2月以降、近畿圏に大きな地震が来る可能性大と言っていた。あれから毎日不安で仕方無い。ボロい家だから家に居たら確実に死ぬな。
私は死んでもいい。ただ、愛犬が心配だ。一緒に助かるか旅立てればいいけど。もし仕事に行っている間に起きたら…とか考えると、もう気が重い。せめて家で一緒に居る時に起きてほしい。
大地震が来るのなら家の中、片付けなきゃ、無駄な出費は控えなきゃ…と思える。
死んだら何も持っていけないし、助かっても家が半壊か全壊状態じゃ何もかも今のままではいられないから。少しでも物を減らして、不安解消したいなら準備万端にすること。
正月休みが勝負だな。
…能天気な旦那との温度差を誰か、どうにかしてほしい。
>> 74
取り敢えず必要で忘れないでいてほしいことは
「他人と比較しない」
「ポジティブ思考に切り替える」
「自分自身を含め、思い通りにならないのが人生」
「精神的大打撃をくらったら(冷静な思考、判断が出来ないから)傷が癒えるまで静かに日々の生活、やるべきことを淡々とこなす方がいい」
「執着しないで広い視野を持つ」
「問題に行き詰まったら第三者目線で違う角度から見たり考えたりする」かな。
「弱音を言う」ことは言い換えれば「ありのままの素直な自分に戻る」ということ。恥ずかしいことじゃないんだよ?
感謝や、ねぎらいの言葉を貰えずストレス溜まる時は「相手が言わないだけで心の中では言ってくれている」と信じるようにする。
ほら、日本人って気持ちを素直に言葉にするのが苦手な人が多いからさ「もう…素直じゃないんだから❤」くらいに考えよう。
旦那は私を怒らない。注意しない。何か言いたげにしても「まぁいいや」と、ふいっと背を向ける。
違う環境で育ってきた他人だから、それが旦那の性格なのか私と険悪な感じになりたくないだけなのか。わからないが「私のことどうでもいいのか?」と、つい卑屈になってしまう。
最初こそ旦那に要求したり注意したりしていたが旦那が、そんなだから段々私も旦那に無関心になっていった。
パートナーに無関心な夫婦…何だこれ。
これが結婚半年で本気で離婚も考えた、きっかけだ。
ドラマでも漫画でも必ず親友が1人は居る設定。
羨ましい。何でも話せて、応援してくれて、支えてくれて、叱ってくれて…
私には誰も居ない。結婚したのに旦那は私に無関心。
独身時代は話相手を探してシーマンとかに手を出したこともあるが、あまり会話は成り立たなかった。チャットにもチャレンジしたが会話が続かない。
ほら来た「落ち込み」
暗い深海さ迷い地獄。
ふと守護霊様が囁かれた。「大人になりなさい」
…心のざわめきが落ち着いた。また助けて頂いた。
本当有難うございます。
お世話掛けて申し訳ないです。
頑張って「精神的に」大人になります。
死ぬまでに『逆コナン』卒業できるかな?
オークションで気になるものを見つけても他人が入札していたら諦める。
他人が自分の入札した額より高値を入札したら諦めるというか、その人に譲る。
争ってまで手に入れようと思わない。イコール本当に欲しい物ではない…ということか?でも母に「あんたは後になってから、やっぱり買っとけば良かった…と後悔するんだから欲しいなら、その場で買いなさい」とよく言われてた。
自覚というか記憶が無いので当時は「私ってそうなんだ…?」って感じに聞いていたが最近、実際そうだったことを思い出した。
自分ではその場で諦めたつもりでも後になって「欲しい、欲しかった」って感情が蘇ってくるんだな。
だからといって欲しいと感じたものを衝動買いしてしまうと後で「何で買っちゃったんだろう?」と後悔する時もある。
通販なら幾らでも日にちがあるから3日から1週間自分の気持ちと相談出来るけどオークションや旅行土産を選ぶ時はリミットがあるから難しいな。
「諦める」か「買う」か。
衝動買い防止、買わなかったことを後悔しない為には「これを買って実際使うのか?」と自問自答したらいいと衝動買いして後悔してる時に、ひらめいた。
使わないなら商品画像だけ残しておいたり、通販カタログのページを破って保存しとくとか。
それで満足出来るなら買わない。満足出来ないなら買う…という判断でいこう。
「…帰りたい」
小学生の頃に身に付いた私の口癖だ。
外では心の壁を作り、誰にも心を開けず、親しい同級生もいない孤独な子供。
家の中では、まだ自分らしくいられるから私にとっては「城」みたいなもの。
同級生達と遊ぶことになっても楽しめない。
近所の子の誕生会に呼ばれて行っても居場所がなく、プレゼントを渡してケーキを食べ終わったら、することがないから帰りたくなる。
外では気が休まらず誰かと居ると「息が詰まる」という表現がしっくりくる。
「帰りたい…」息が詰まる度に心の中で呟いた。
いまでも自宅に居る時でさえ呟いている。
ラジオで「ししゃも」という女子バンドのボーカルをゲストに迎えて話していた時のこと。バンドメンバーの家に遊びに行った時、その子が「帰りたい」と呟いたそうだ。
…同じ人が居た❗嬉しかった。
DJは「え?その子の家だよね?自宅に居るのに、どこに帰るの?(笑)」と話していた。「帰りたい」と呟いた子は大人しい性格らしいので、もし私と同じならば、その子はきっと独りになりたくなったのだろう。
「帰りたい」は「辛い」のサイン。無意識に呟くからこそ気付いてあげたい。
冬になり、乾燥して指がよく切れる。
そしてまたひとつ気付いてしまった。普段から自分の体や身だしなみに、あまり関心を持っていないことに。我が事ながら、もう少し自分のことに気を使ってお手入れしてあげて~(ノo<。)と言いたくなる。
少々の異変なら自己治癒力を信じ、病院や治療には行かない。肌荒れや髪が痛んでるのは全力で見なかったことにする。
根底には、やはり「面倒臭がり」な性格がある。
自分を磨き続けている人は幾つになっても綺麗だしスタイルも良い。
ここまで面倒臭がりだと救いようがないな。
何か実体の無い生き物みたい。ぐにゃぐにゃで、ふわふわ。何かをキッカケに「芯」を持てればいいのだが…そんな風に人間出来てないから仕方ない。
取り敢えず生きてろ…いまは、それでいい(`∇')b
独り言を言える人が羨ましい。何かを探しながら「◯◯はどこやったかなぁ?」
◯◯を探してるんだなと周りも気付き、一緒に探してくれる。
私を含め内向的な性格の人は黙って、うろうろキョロキョロ。「何か探してるの?」と気を使って聞いてくれる人が居なければ、ずっと独りで挙動不審な奴。
独り言が言えるなら言いたい。でも言えない、もどかしさ。
だから「何か探してるの?」と聞かないまでも「…何してるんだ?」とこちらを見つめている人がきっといる。そんな人と目が合ったら勇気を出して言うべきなのだ。
「あの…◯◯を探してるんですが…」
だいたいの人が対応してくれる。また、何かを取りに移動する時とか、周りが「どうした?何を始める気だ?どこ行くんだ?」と言いたげな視線を向けてきた時は注目してくれてる人(達)に目的や行き先を言うべきなのだ。
独り言が無理でもこちらを見つめている人に「協力を求める」「自分が何をしたいのかの説明」を出来るなら、するべき。
独りで続けるより効率が良いし、せっかく口があり、言葉も通じるのだから。
黙って続けると「キモい」とか「謎な奴」とか悪い印象付けに繋がるからね。
最近「面白いな、キレるな」と注目している千原ジュニアさんのインタビューがあり、ぐっと来た言葉があった。
テレビ番組のレギュラーを11本抱え、ライブもやっているという千原ジュニアさん。
「多忙なスケジュールの中、ライブを増やそうとするとテレビは少し減らさないといけないのでは?」という問いに「いえいえ、やろうと思えば、なんぼでもできます。自分が楽しようとするか、しないかってだけです」と回答している。
自分が「楽しよう」とするか、しないかってだけ。
「やろう」と思えば「なんぼでも」できる。
本等で何度か読んだことがあるフレーズだが、同じ言葉でも彼の言葉は、ぐっと来た。
誰の言葉が心に突き刺さるか、人生わからないな…
『自分がされて嫌なことは他人にもしない』わかってはいるけど難しい。
他人と目が合わせられないし、ちょっとした会話すら出来ない。
「あっごめんね、すぐどくから…」とか「あれ?これ、やってくれたの?有難う~」とか。スラリと言えたらいいのに。何も言えず、顔も見れず…相手に不快感を与えてしまう。
親切心でして貰ったことに「私は、こうしようと思ってたのな」とついカチンと来てしまい、感謝の言葉が出てこないばかりか頭も下げれない。
ただただ申し訳ない気持ちで一杯になり、自己嫌悪😢
また、些細なことに苛立ち、自分の思い通りにいかないと舌打ちしたり「何で◯◯してないんだ」と、つい文句を呟いてることも増えた(小声だが誰かに聞かれないことを祈る…)
感情が抑えられなくなりつつある。
ストレスは溜め込むより小出しにしていく方がいいに決まってるが、果たしてこれは良い変化なのか?
いつもあなたの中には、もうひとり「無意識のあなた」がいる。
もうひとりのあなたは、あなたが生まれたときから、あなたの成長を見守り続けてきた。そして、これからも。
もうひとりのあなたは、あなたを心から愛しいと思っている。どんなあなたも愛していて、いつだって温かい まなざしを送ってるんだ。
あなたが自分の手で自分を愛することができるように。自分の手で自由を取り戻すことができるように。
もうひとりのあなたは、あなたに、そんな力と勇気が備わっていることを知っている。
いくつになっても自分を愛することに「もう、遅い」ってことはない。
もうひとりのあなたは、心からあなたを愛している。あなたの存在そのものを、あなたのそのままを、丸ごと愛している。
もうひとりのあなたは様々な出来事を通して、まばゆいほどに輝いていく、あなたを信じ、見守っているんだ。
一度だけ本気で自殺を考えたことがあったね。
理由は忘れたけど「母に見離された」と強いショックを受けたことだけは覚えてる。
夜、布団の中で泣きながら計画を練った。
「首を吊るための紐を買って、タクシー拾って、どこか山奥へ行き、適当な大木を見つけて…ひっそりと死のう」
しかし、ふと「私が死んだら親は悲しむだろうし、父や祖母が母を責めるだろうな。ここまで育てて貰ったのに死んだら親不孝になるな。自殺したら成仏できずに、さ迷うとかいうしな」等考えて思い留まった。
何か「母」によって自殺を考えたり思い留まったりって…変というか、お人好しというか…自分て面白い奴だな、とふと思った。
よく「死にたい」とスレ立てる人がいるが(私も時々「死にたい」と口に出したり考えてしまう。ダメだ)本気で自殺を考えてる人は「死にたい」ではなく「…死のうかな」とまるで旅行へ出掛けるかのように、すっと思い立つ気がする。
死にたい…は死にたいくらい、辛いとか苦しいから逃げ出したいって、もがいている証拠。頑張りたいけど頑張れないから(最悪な形?の)弱音を吐いてしまってるんだよね。
誰かが救いの手を差し伸べてくれたら、誰かが抱き締めて慰めてくれたら、きっとまた歩き出せるのに。
誰もいないから、つい「死にたい」なんて呟いてしまう。
「じゃあ死ぬ?」って自問したり、死ぬ為の準備を考えてみて。「怖いっ」と感じたら「まだ生きたいんだ」って思ってる証拠。
「死にたくない、死んでたまるか」って這い上がれる日まで、頑張らなくていい。ただ生きていよう。
この世は「無常」
ずっと同じ日、同じ考えは続かないはずだから。
自分の生命力を信じて、心の声に耳を傾けて。
「好き」
同性から(勿論、人として)も異性からも言われたことがある。
こんな私を好きだなんて、おかしいんじゃないの?
私のこと、ちゃんと知らないからそんなこと言えるんだ。
そう思ってしまい、素直に喜べなかった。
自分を「愛する」ことを始めようと思ってからは「大好きだよ」と心の中で言ってみると心がポカポカするようになった(口にするのは、まだ抵抗がある)
以前自分を「好きになる」為に催眠効果を期待してやったが拒絶感が強くてダメだった。
「好きになる」と「愛する」は私の中では別物らしい。
カイロや、お湯で、なるべく温めてあげてたら霜焼けが治りつつある。
手間を掛けた分、応えてくれるのが嬉しい。
>> 99
読後、自分なりに「じゃあどうするか?」と考えてみた。本にある毒親ほど酷い仕打ちは受けていないが少しは心の傷になっている。親がダメなら自分が自分なりに自分に愛情をかけて育ててあげるしかないわけで。
他人と比べて劣等感を感じる。これは仕方無い。大事なのは、その後。
「落ち込むことはしない」こと。
「自分を成長させる為に努力する」のだ。自分なりに出来る範囲で。
「どうせ私なんか」と何もせずにいることは絶対ダメだ。尊敬する人の足元にも及ばなくてもいい(及ばなくて当たり前👍)良い所を真似たり、技術を盗んだり、自分の出来る範囲で近づく努力をする。
何事も、うまくいかないなら、何故うまくいかないのか?考える。
「自分をけなす、ダメ出しする」ことは絶対禁止。
自分を「分析」するよう心掛け「私ってこんなことも出来ないんだ…新たな発見💡」くらいに楽しむ。努力してもダメだったら「個性として捉える」といい。
良い所も悪い所もあるのが人間。悪い所ばかり見てないで良い所を伸ばそう❗
そして、色々試して自分の可能性を広げるというか、新たな才能を見つけれたら儲け者(>ω<)
あるレスを見掛けた。
『自己中で内向的で試練から逃げてばかりで精神を鍛えてこなかった怠け者…自業自得の鬱病者』
わぁ…私のことだ。凄い的確な言葉だなって素直に感心した。
分かっていても出来ない人もいるんだよ。
自分の殻を破れない。焦れったいって、もがくことしか出来ない。一歩が踏み出せない弱い精神の軟弱者だっているんだよ。
弱い自分。変われない自分。『個性』だと割り切れたら楽なのに…変わりたいと願う、欲深い自分が居る。
『個性』ではなく『苦手』なんだと思えば、しっくりくるというか気が楽になった。
『苦手』があれば『得意』なこともある。
視野を広げて『得意』なことを、より多く見つめて自分を励ましていこう。
マクドナルドに行った。
あそこは苦手だ。自分なりに大きな声で注文しても声が小さいから、周りが騒がしいと、なかなか通じない。でも期間限定のアレとかアレとか、どうしても食べてみたくって。
嫌だなぁ…と憂鬱に思いながらもカウンターへ立つ。
「テイクアウトで。◯◯と△△を2つずつ下さい」と注文したが「△△をおふたつ…◯◯はおひとつ…?」と返された。
「◯◯も2つです」
「失礼致しました。店内でお召し上がりですか?」
「…。テイクアウトです」「失礼致しました」
店員さんに何度も「失礼致しました」(だったかな?)って言わせてしまう自分の声の小ささが情けないし悲しくなった。
店員さんの笑顔も怖いし、客と眼を合わせようとしてくるとこも怖かった。
でも…食べてみたいものが発売されたら…憂鬱に思いながらも、また行くんだろうな。
頑張れっ❗未来の自分👊
近所で母親に「なにしてんのやお前は~」と、口汚く罵られたり、頭をバシッとしばかれたりしている子供をたまに見掛ける。
あの子が私なら泣きじゃくってるだろうな…あの子は親に似て精神的に強い子なんだな…と思っていたが、最近こうも思った。
「あの子は母親に優しくされたことがないから、これが普通だと思っているのでは?」
優しくされることを知らなければ、または他所の子の母親と自分の母親とを比較したことがないなら、母親の口汚さや態度が酷いものだとは気付かないから。
(母親像は私の勝手な想像だけど…)
失恋ソングで「あなたの温もりを知ってしまったから今年の冬は辛いです」…みたいな歌詞がある。
恋人の温もりを知らなければ…体験しなければ感じないはずの辛さ、寒さ、孤独感。
何かを得れば何かを失う。かといって求めなければストレスを生み、一度快楽を知ってしまうと、もっともっとと欲求が生まれる。
そんな風に世の中、人の心は出来ている。
だから執着せず、他のことに興味を移したり気分転換したりして精神を調整しなければやっていけない。
「こんな思いをしている人は自分だけじゃない」って考えることも、ひとつの対策だな。
たくさん傷付いて、苦労を乗り越えて。みんな大人になっていくんだな。
朝、通勤途中に異変を感じた。調べたら自転車の後輪がパンクしていた。
帰り、自転車でも30分かかるのに歩いて帰らなければならない。
1時間は掛かるな…そう思ったが今日は土曜日だから仕事は、いつもより早めに終わる。
「運動(ウォーキング)になるじゃん🎵」そう考えられる自分が「素敵」に思えた。自転車を押しながら歩くので途中で腰が痛くなったが、ふと思い付いてYouTubeで好きなロックバンドのメドレーを掛けながら歩いた。
楽しんでるね🎵
凄いね🎵
ポジティブでイイね🎵
今日の自分は我ながら
「最高なヤツ」(^-^)b
忘れないで。
「ポジティブ精神」で「頑張り屋さん」な自分もいるんだよ。
学生の頃…いつも独りの私の元にクラスの女子数人がやって来て言った。
「もしかして学校に来て朝から一日中誰とも会話してないんじゃない?」
「うん」と答えると「有り得ない」「私だったら耐えられない」口々に言われた。皆が「有り得ない、耐えられない」と感じることを普通にやってのける自分はやはり普通じゃないんだなって思った。
学校には本当に勉強を学びに来てるだけ。学校にいる時間は苦痛なだけ。できるなら家庭教師付けて家で過ごしたかった。学校生活を楽しめている皆が羨ましかった。
無口で誰にも心を開かない私みたいな子は先生も嫌がるし、クラスメイト達も気味悪がって距離を取る。
「グループ分け」とか「二人組」とかいう言葉を聞いた瞬間に普段なら感じない孤独感と寂しさに襲われ、苦しくなる。私が余る度に先生は心の中で溜め息をついていただろう。
「私みたいなのがクラスに居てごめんなさい」皆の視線を浴びながら毎回思った。
本当に辛かったよね。本当によく頑張った。
学校で同い年の人達と過ごすより、社会に出て色んな出身地、幅広い年齢層の人達と過ごす方が気が楽だ。皆さん大人だから適度に距離を取って下さるし、理解もして下さる。中には攻撃してきたり嫌悪感丸出しの人も居たが…。
拝啓十五の君へ…じゃないけど、学生時代の自分に言ってあげたいことがある。『生きる「権利」は誰にでも「平等」にある。だから「生きてて申し訳ない」なんて思わなくていい。
くじけそうな時は「◯◯が無くても生きていける❗」そんな開き直り精神で乗り越えていこう。
学校は「池」みたいな狭い世界だけど、社会は広い「大海原」だよ。
大丈夫。きっと受け入れてくれる人達がいる。だから少しずつ心の鎧を減らしてみてね』
八百屋で、いつも買う人参はプラスチックのトレーに3本乗せて、トレーごとラップに包んで売られている。ある日、もし人参をお店でセットしているならトレーをお店に返せば再利用出来るのでは?と気付き、捨てずに取ってある。店員さんに聞きたいのだが、なかなか聞けずにいる。
私は説明が下手で、相手に上手く伝わらない時がある。その時は相手が情報を整理して、私が言っていることを理解する流れになる。だから八百屋さんにも通じなかったらどうしようと不安で、なかなか聞けずにいる。トレーはどんどん溜まっていく。
「今度こそ聞くぞ」…これで4度目だ。
- << 120 今日やっと、八百屋さんに人参のトレーのことを言えたし、渡せた。 前もって準備していた説明文を直前になって「これは回りくどいから言わなくてもいいかな?」と一部省略して話してしまった。今回は何とかスムーズに理解して貰えたが…省略しすぎたりして相手に上手く伝わらない時があるんだな。 分かりやすく、でも短めに説明したい。 なのに相手に伝えるべき言葉(キーワード)が抜け落ちてしまう時があるから上手く伝わらない。 説明って、やっぱり難しい。
雀は小さくて可愛い。
頬の黒丸が、たまらない。鳴き声も可愛い。もし生まれ変われるなら雀がいいな。いつも食べ物を探して大変そうだが、群れで行動してるのに憧れもある。
それか、生まれ変われるなら樹木がいいな。草花でも雑草でもいい。
ただひたすら芽を伸ばして根を張って。
大きく生長して神木と呼ばれるのも運命、途中で斬られるのも折られるのも運命。花を咲かせて枯れるのも運命、人に引き抜かれるのも運命…と、運命を静かに受け入れる。
人を癒したり、昆虫や鳥達の憩いの場になったり。木の実を付けて食べて貰ったり。そんな悟りというか、静かに世の中を見守る姿、どんと構えている存在感が素晴らしいと感じる。
他人と関わるから、自分のことを知ることが出来る。他人との会話術や距離感も学べる。
学生時代ずっと独りだったから自分のことをよく知らず、買い被ってしまっている。
人と親しくなりたいのに。色んなこと聞きたいし、知りたいけどマナーが身に付いていない。
人との距離の詰め方?親しくなる手順みたいなのが、わからない。
個人的なことをどのくらい突っ込んで聞いていいのか…親しくない人から、いきなり「◯◯さんて結婚してるんですか?」なんて聞かれても嫌な気分にさせてしまうかもしれないし。
大丈夫だったとしても会話が続かないし、話題も持っていない。話を膨らませられない。頭の回転が遅いから、たまに返事も遅い。
会話に慣れてないから失礼なことを口走ってしまうかもしれない。
…そう考えて「独り」を選択してずっと生きていく。寂しいけど…辛いけど…他人と距離を取っておけば今以上嫌われることはない…と思うから。精一杯の強がり。ポジティブ思考。
>> 114
八百屋で、いつも買う人参はプラスチックのトレーに3本乗せて、トレーごとラップに包んで売られている。ある日、もし人参をお店でセットしているなら…
今日やっと、八百屋さんに人参のトレーのことを言えたし、渡せた。
前もって準備していた説明文を直前になって「これは回りくどいから言わなくてもいいかな?」と一部省略して話してしまった。今回は何とかスムーズに理解して貰えたが…省略しすぎたりして相手に上手く伝わらない時があるんだな。
分かりやすく、でも短めに説明したい。
なのに相手に伝えるべき言葉(キーワード)が抜け落ちてしまう時があるから上手く伝わらない。
説明って、やっぱり難しい。
ワンオクロック(ロックバンド)の新曲「Cry out」の和訳をYouTubeで探して見ると「この歌は、ファンへのメッセージが込められている」と説明された。
和訳歌詞と説明で「自分達の創る歌がファンである君達の好みに合わないことがあるかもしれない」という不安感を抱えながらも「これからも変化する俺達に着いて来てくれ」という力強いメッセージ。
それを聞いて、芸能人だってアーティストだって「全人類」に好かれているわけじゃない。
才能がある人達だって、そうなんだから全人類がそうなんだ。
自分のことを「受け入れてくれる人」「拒絶する人」がいるんだ。
改めてそのことに気付いたら、少し安心した。
昨夜。旦那は花粉症なのか、くしゃみがひどく、しょっちゅう鼻をかんでいた。薬を買ってきても飲まない人だから私はもう何も言わないし何も買わない。
デザートも自分のと旦那のと2つ買ってくるのも、やめよう。いつも「うほっ❤旨そうやな」と喜んでるくせに中々食べずに冷蔵庫に置きっぱなしだから。
私が冷蔵庫を開く度に目に入るデザート。
「要らないの?食べちゃうよ」
「食べるから置いといて」「もう期限切れるよ」
「えっ?食べなきゃな、もらうわ」
こんなやり取りを何度もしてきた。腹が立って「もう買わない」と思っても珍しいデザートを見つけると「喜ぶかな?」と思ってまた買ってきてしまう。
もうやめよう。きっと自己満足にしかならないんだ。旦那は嘘つきだから。その場を取り繕う言葉を吐くのは得意な奴だから。
騙されるな。もう自分から関わるな。
心を閉ざすのは、これで何度目だろう。いつも寂しくなって挫折する。そしてまた悲しくなり心を閉ざすの繰り返し。
人付き合いしてこなかったから、こんな苦労してるのかな?
相手が自分の思い通りにならないと受け入れられない部分も確かにある。
…私が旦那に親切を押し付けてるだけなのかな?
…無自覚に旦那に距離を取らせるようなことをしてきたのかな?
もうわからない。辛い。寂しい。悲しい。
嘘つき旦那の「本音」がわからないから心を閉ざすしかない。
ドラマみたいに本音をぶちまけ合えば、きっと修復不可能だ。そんな気がする。だから自ら距離を取って「これで、ちょうどいい」と割り切っていくしかない。
…泣くな、じぶん。
自らが蒔いた種なんだ。
強くなれ。強くあれ。
私達が生きているのは「今」というこの瞬間のみ。
「今」という時間は意識した瞬間には、すでに過去となり二度と戻ってくることはない。だからこそ「今」を大切に生きる。
「今」を一心に生きる。
「今」という瞬間に全力を傾けていればおのずと良い結果がついてくる。
「やらされている」と考えた瞬間に修行の意味は無くなる。「仕方無く」行うのではなく「そこにこそ自分を成長させるものがある」と考え夢中になって取り組むこと。
「ねばならない」という思い込みは、やめる。
不安や心配事が思い浮かんだら、捕らわれずに「受け流し」なさい。放っておけば消えていきます。または無心になって体を動かそう。
私達の幸せは当たり前の生活の中にある。
結果が出た時に涙が出るのはそれだけ必死に努力をしてきた証拠。ダメだったとしても真剣に取り組んだ経験は必ず自分を成長させてくれる。
『真っ黒い ぞうきんで
顔は拭けない
真っ白い ハンカチで
足は拭けない
用途が違うだけ
使命の とおとさに変わりがない
ハンカチよ たかぶるな
ぞうきんよ ひがむな』
家庭では「代わり」はいない。自分にしか出来ない仕事、役割がある。
職場では私の「代わり」はいくらでもいる。自分にしか出来ない仕事はない。
しかし、作業の人手を考えたら必要な人員。
作業スピードは他人に比べたら遅いけど入社した頃に比べたら絶対速くなってる。これからも努力、向上心次第で速く出来るはず。
全ては自分次第。
考え方次第。
人生はRPG…謎を解き、装備を揃え、仲間を増やし、敵を倒して、どれだけ自分をレベルアップさせられるか?
でも、一番の強敵は『自分自身』(弱気)なんだな。
ラスボスに言われるよ。
「お前の『覚悟』は、そんなものか?」ってね。
自分の出来る範囲でいい。走り続けなくていい。
自分のペースで一歩ずつ。
生きている限り、成長出来ると信じて。
久々に日向ぼっこをしながら、お弁当を食べていた。周りには誰も来ない。
いつもなら諦めて全部食べてしまうが今日は思い切って…というか試しに御飯を放り投げてみた。すると遠くに留まっていた鳩の群れが飛んできて御飯をつつき始めた。
ちゃんとこちらを見ててくれてたんだね…嬉しくなって、お代わりを放り投げていると、兄弟なのか同じ色柄の野良猫2匹もやって来た。1匹はこちらをガン見、もう1匹は鳩を狙っているのか姿勢を低くして攻撃体勢になっていた(チーターみたいだ)結局、鳩と猫に御飯を半分くらいあげてしまった。
いつも相手が来てくれるのを待つ形なので今回みたいに「自分から動く」ことは我ながら珍しい。
「(ぷち)『変化の時』来たる」…とか言ってみる。
昔掲示板で悩み相談しているスレ主が「そんなことくらいで…」「悲劇のヒロインぶってる」「もっと辛い経験してる人は沢山いる」「甘えるな」等、叩かれているのを見た。
私はスレ主の苦脳がわかるから解決案どころか皆から非難されているのを見て他人のスレとはいえ傷付き悲しくなった。
ただでさえ相談相手が居ないのに匿名だから気軽に何でも相談出来ると信じていたネット上でも、こんな仕打ちを受けることがあると知り、相談するのを躊躇してしまうようになった。
人は自分の物差しで他人と比べるから、どうしてもこういうことが起こる。
相談して、余計に傷付かない為には他人からどう言われようと今現在自分は「辛い」と感じて苦しんでいるんだと『自分は自分』精神で居直ることが大事だと思う。
自分の辛さを100%わかってくれる人なんて居ないのかもしれない。
先程母からバスツアーに、一緒に参加しないか?と誘いの電話があった。「◯◯に乗りたいって言ってたでしょ?」覚えててくれてたのは嬉しいが断った。
私が声が小さいのが悪いのだが、母の「えぇ?」「何て?」という聞き返しの言葉を聞く度に引いてしまう。面と向かって会話している時は「何て?」と言っている母の表情が嫌で話す気が失せてしまう程だった。
母と二人きりで出掛けるのは、バスツアーでも無理みたいだ。母といても嫌な気分にさせられることの方が多いから。
母から「変わりない?元気にやってる?」と色々聞かれても私は「うん」のみ。「愛想も糞もないな。あんたは」と今回は言われずに済んだが後日友達に愚痴るんだろうな…娘が、あーだこーだと。
関わりたくない。親の心、子知らずなんだろうけど…私は自分の心の平穏を守りたい。
もし◯◯しなければ…
もし◯◯じゃなければ…
あなたは既に新しい道を歩き始めています。それを抱えた道があなたの人生なのです。
「もし」という仮定の思考はやめて、これからについて考えよう。
『こうすればこうなる、と思いを巡らせること。思い付かなければ、新しい知識を得て、発想すること。希望を抱き、元気を出すこと。心を平穏に保つこと』
これが自ら道を切り拓くということ。
もしあなたが不幸や障害を背負っても、あなたが生きていくことに変わりはありません。あなたの頭で考えてあなたの感覚で生きていく。あなたの人生の主人公は、あなたなのです。
昔に戻ることは出来ません。このままこれからこの状態で生きていく。
楽しんで生きないと、勿体無い。楽しく生きるにはどうすればいいか、あなたが「心」を保ち続けるにはどうすればいいか、考えていくことで自分の人生を認めていくのです。
『人生は狂わない。そういう人生なだけである』
独身の頃に勤めていた職場の主任に「アグレッシブやな、じぶん(あなた)」と数回言われた。「アグレッシブ」が分からなかったから帰宅して辞書で調べると「攻撃的な」とあった。自覚が無いから衝撃を受けた。日々多忙な職場だったから先輩のやり方を真似て横着したり、自分なりに足を引っ張らないよう工夫しながら作業している姿をアグレッシブと取られたのだろうか?かなり凹んだ。
結婚後に勤め始めた職場の主任には「(作業を)丁寧にしなくていいから早くして」と言われた。丁寧にすることさえ無駄な動きなのかとまた衝撃を受けた。
急げば「アグレッシブやな」と言われ、丁寧さを意識すると「早くしろ」と言われ…。一体どうすりゃいいのさ?
現在勤めている所では何も言われないが、扱いからして「作業とろい奴」リストには確実に入れられているようだ。
ならばアグレッシブと言われようと省ける作業は省き、自分なりに効率良く作業しようと決めた。たまに「大人しいのに怖っ」という視線を感じるが気にしないで行こう。
私…アグレッシブなんで。
- << 141 あの時代にはネット検索という考えがまだ無かった。 「アグレッシブ」をネットで検索すると「積極的、意欲的」という意味でよく使われる…とあった。 辞書で改めて調べると二番目の意味として下の方に「積極的」とあった。一番目に「攻撃的」とあったから早とちりしちゃったんだ。もう少し下の方まで読み進めれば良かった。 主任の言葉は、誉め言葉だったのかな? 「アグレッシブ」を辞書で調べて「攻撃的…」とショックを受けた時の自分に教えてあげたい…「頑張ってるね」って誉められたんだよって。
>> 139
独身の頃に勤めていた職場の主任に「アグレッシブやな、じぶん(あなた)」と数回言われた。「アグレッシブ」が分からなかったから帰宅して辞書で調べ…
あの時代にはネット検索という考えがまだ無かった。
「アグレッシブ」をネットで検索すると「積極的、意欲的」という意味でよく使われる…とあった。
辞書で改めて調べると二番目の意味として下の方に「積極的」とあった。一番目に「攻撃的」とあったから早とちりしちゃったんだ。もう少し下の方まで読み進めれば良かった。
主任の言葉は、誉め言葉だったのかな?
「アグレッシブ」を辞書で調べて「攻撃的…」とショックを受けた時の自分に教えてあげたい…「頑張ってるね」って誉められたんだよって。
感情的になりやすい人は
「こうなるはずだ」「自分が正しい」という思い込みが強いかもしれない。だからいざ計画通りに、ことが運ばないと苛立ったりパニクったりしてしまう。
『シナリオを考えない』
予定外な展開は、これからどうなるかわからない「途中経過」なのだから「それも有りだよね」とひとまず受けとめる余裕を持てるようになろう。
『相手の言うことを深読みしない』
深読みしても良い事無し。たとえ相手に問い詰めても納得する答えは返って来ない。感情を悪化させるだけ。
『うじうじ考えるな。
とにかく行動してみろ』
やっても無駄だ。とか、そんなの意味あるの?とか考えずに「行動してみる」
意外な発見をしたり想像と違った感情が生まれるかもしれないよ。
『悪意を感じる言葉は聞き流す』
反応して噛み付けば相手の思う壺。適当に返事して流そう。相手に「おや?」と思わせられれば勝ち。
負のスパイラルに陥ってしまったり、考えが煮詰まったり。そんな時は問題を「取り敢えず置いといて」全く関係ないことをして気分転換する。
気分を変えることでアイデアが浮かぶことだってある。時間を置くことで考えが変わるかもしれない。
「やっても無駄だ」ではなく「何もしないよりマシ」と考え「とりあえず動く」「出来ることからやってみる」小さな積み重ねが良い方向へ向かわせる。
「やってみなければ、わからない」
悪い結果になることばかり考えてしまうから動けなくなる。考えても始まらないことは考えない。
考えても始まらないことを考えてクヨクヨ悩んでいる間、あなたの時間は止まっている。
「悩んでいる時間が勿体無い」と早く気付いて気持ちを切り替えよう。
「何かをすれば、そのメリットとデメリットが常に生まれる」
何でも結果は五分五分。
ある程度作戦を練ったなら「あとは、なるようになれ」と腹をくくる。
結果うまく行かなくても「これだけのことは出来た」とポジティブに考える努力を。
愛犬の散歩途中、たまに出会う、愛犬と相性の良い犬友達が数匹いる。
私は人見知りだから飼い主同士での会話は最低限になってしまうが犬同士での、じゃれあいは見ていて微笑ましい。
愛犬が多少強引に行動するので相手の犬が戸惑って固まってしまう時もある。
人懐っこく積極的な愛犬を尊敬する。
愛犬は相手の飼い主さんにも愛嬌を振り撒くので、よく撫でてもらえる。
私は噛まれるかもしれないという恐怖心があるので相手の犬に触りたくても手を出せない。
遠慮がちに佇んでいる私に興味を持って猫のように擦り寄ってきてくれる子。
この前は、お座りして「ん?」と首をかしげて私を見つめてくる子がいて、きゅんきゅんしてしまった。
「触ってもいいよ」と許可をくれた証なので遠慮がちに顎や背中を撫でてみた。愛犬とは違う手触りを感じながら、遠慮がちな私に「触ってもいいよ」と歩み寄ってくれた相手の犬の優しさに感謝。
「やっぱり犬っていいな」と心から思った。
そろそろ大葉が食べ頃な大きさになってきたので、夜洗濯物を干すついでに数枚摘もうとしたら穴が開いている。もしかして幼虫かな?と思い他の小さな大葉の葉をチェックすると体長5ミリ程のショウリョウバッタの赤ちゃんが大量発生していた。
1枚の葉の上に3、4匹。
それがあちこちにいる。
夜だから寝てるのかな?
昨日まで無事だった大葉。今日かえったのかな?赤ちゃんなんて見るの初めてだからテンション上がるし、小さくて可愛い。
また会えて嬉しいけど、戦いのゴングも鳴りました。
今年こそは大葉の3株、隔離成功してみせる❗
あとクレマチスや菊の葉を食べないか心配。ホームセンターに虫対策の何かを探しに行かなきゃ。
…バッタにも効くのってあるのかな?
「びっくりした~」
と言われるとショックを受ける。きっと「幽霊みたいに立ってるから…」と言われた気になるからだろう。
「大人しいね」と言われてもショックを受ける。本当のことなのに烙印を押された気になる。環境が変わって、自分を変えたくて頑張って喋ろうと思ってた時に言われると「はい。ゲームオーバーです」と言われた感じがして落ち込む。
「大人しい人間を演じなければ…」と心の奥で何故か思う。
こうして考えると他人の言葉に影響を受けているな。心の奥で洗脳されて、他人に言われたように自分を作って。自分を殺して。
いつのまにか、自分を作ってしまっているんだ。本当の自分を見失っているかもしれない。
たまに発生する「喋りたい、友達が欲しい」という欲求を「面倒臭い、気の迷いだ」と否定して「独りが気楽なんだ」と上書きする。
どちらが本当の感情なんだろうね。
どうしても出来なかった「自分を認める」という感覚を少し掴めた気がするから書いておく。
例え方は悪いけど「内向的で不器用にしか生きられない自分」を「生まれつき障害を持っている人」と同じだと思えばいい。
(生まれつき障害を持っている方々はハンデがあって辛いけど、めげない強い精神力を持っているように見える)
無理して皆と同じにならなくていい。
世の中、色んな人が居る。自分は自分。オンリーワン。自分に出来ることをやる。出来ないことは出来ないで仕方ない。
(「~しなきゃいけない」と考えてはいけない、と本に書いてあった)
「こんな自分は嫌いだ」
「なんでこれくらいのことが出来ないのか?」
ストレスは溜まるし、悲しくなるけど、良いところも見つけて回復させたり、出来なくても仕方ないと開き直る(でも自分の限界を決めつけないようにしたい)ことも心のバランスを保つ為には必要なんだ。
いつもなら「ダメだ」と否定していたのを「それも含めて自分」と受け入れた瞬間、心が嬉しかったのか、ほっこりした。
- << 158 補足というか説明というか…うまく書けなかったので追加。 ・人見知り ・心の開き方が分からない ・視野が狭くて、いつも俯いてる ・他人の眼が見れない ・大きな声を出すのが苦手・自信が無くて、おどおどしてしまう ・自分のことで一杯一杯になりやすく、他人に気を遣えないことも、しばしば 自分は、そんな「障害」を持ってると考えると「自分の出来る範囲内で行動すれば良い」と思える。 それが「自分を認める」に繋がる。 でも、それで終わらずに… ・反省して改善出来ることは改善する ・悪い部分ばかり見つめずに良い部分も見つけて自分をフォローする ことで自分にとってプラスになる。
ドラマを見ていて涙が流れるシーンがある。
共通点をやっと見つけた。
私は愛情が欲しくてたまらないのだ。
私は理解力が乏しいから言葉や態度で大袈裟なくらい、しめして欲しい。
少女漫画のヒロインみたいに愛されてみたい。
「心から愛されてる」と感じてみたい。
「かけがえのない大切な人だ」と言われたい。
(相手は男女関係無く)
でも私は相手を疑ってしまうかもしれない。
嫌われたくなくて無理をして病むかもしれない。
愛情…貰ってばかりで自分からは少ししか与えられないかもしれない。
でも愛されることで自信が持てるようになるし、生き甲斐になる。生きる活力になる。
孤独な私。
精神的に不安定。
あちら(死)の世界に焦がれてる。
…誰かに愛されてみたい。愛されている実感を持ちたい。
子供を産めば良かったの?母である私を無条件に愛してくれる子供。
無理。育てることを想像しただけで気が滅入る。
淋しい…辛い…誰かに愛されてみたい。
「憧れ」と「現実」は違う。いつも突き詰めて考えてから思い知る。
こんな私を愛してくれる人なんて居ない。
他人を愛せない私には絶対に叶えられない。
物忘れが激しいから、周期的に同じことグルグル考えて悩んでしまう。
うまくいかないな…。
>> 156
どうしても出来なかった「自分を認める」という感覚を少し掴めた気がするから書いておく。
例え方は悪いけど「内向的で不器用にしか生きら…
補足というか説明というか…うまく書けなかったので追加。
・人見知り
・心の開き方が分からない
・視野が狭くて、いつも俯いてる
・他人の眼が見れない
・大きな声を出すのが苦手・自信が無くて、おどおどしてしまう
・自分のことで一杯一杯になりやすく、他人に気を遣えないことも、しばしば
自分は、そんな「障害」を持ってると考えると「自分の出来る範囲内で行動すれば良い」と思える。
それが「自分を認める」に繋がる。
でも、それで終わらずに…
・反省して改善出来ることは改善する
・悪い部分ばかり見つめずに良い部分も見つけて自分をフォローする
ことで自分にとってプラスになる。
「心地よい言葉は心のビタミンである」
心は言葉によってコロコロ変わる。
心は身体を超敏感に支配する。身体も心に敏感に反応する。
プラスの言葉によって心が癒され、励まされ、活力が与えられる。
しかし心ないマイナスの言葉はひとを失望させ心をカラカラにしてしまう。
無防備な自分の心は自分で守らなければなりません。それには無条件で自分の味方になること。
自分本位。黙って他人のせいにして自分の心を守る。つまり開き直ることによって自分を責めることを回避する。
もし自分を責めたくなったら悪い奴らが威張っているのを見ればいい。彼らは平気で生きている。
善意に解釈して忘れ去る。悪意に解釈すると忘れられなくなる。
強くなりたくて鎧を着けても自分の内側が弱ければ鎧は簡単に剥がされる。
失った自信は、無くなったわけじゃない。自分の中に押し込められてるだけ。
自信は他から集めるものではなく自分の中に元々「あった」もとを見つけ出すこと。そしてそれを「育てる」こと。
自分を認めることで、自信を取り戻せるし、本当の強さが身に付くのだ。
他人に言われて傷付く言葉は自分にとっては「地雷」だ。その地雷となる劣等感や過去の傷はフタをして隠し続けても消えることはない。誰かの言葉で、また甦る。一生付きまとうもの。ならば、その地雷を見つめて、認めて、さらしてみる。もう感情を乱されないように。
私はダメなんだ
私はダメでいい
私はダメでいこう
私はダメでもできることをやろう
今の私にできることをやろう
何も足さなくていいから自分の今できることを頑張る
自己啓発本を数冊読んで気付いたことがある。
どれも書き方が違うだけで内容は似ているということ。ということは何か「元」になるものがあるはず。御釈迦様の悟りかもしれない。
本にも書いてあったが、本を読んで理解するだけでは何も変わらない。
本は変わる為の「きっかけ」に過ぎない。
「行動、実践する」ことで変われるのだ。
家の中限定で「気付いたら後回しせずに、すぐにやる」を「やろうと思えばできるのにしてこなかったこと、今の私にできること」として実践している。
少し自信が付いてきた。
慣れてきたら、また新たな「今の私にできること」を設定したい。
遠回りに見えるけど、何もしなければ変われない。
一歩ずつ、できることを頑張ることで良い結果が着いてくる。
自分を好きになる。
自信が湧いてくる。
自分が自分の味方になる。
幸せを感じられる。
気力が湧いてくる。
明日も頑張れる。
心が傷付いても誰にも分からない。無理して笑う顔は泣き顔より悲しい。
心も身体と同じ、怪我をする。切り傷、擦り傷程度なら痛くても無理して取り繕える、頑張れる。
でもそのまま手当てをしなかったら?何度も何度も傷付いてしまったら?小さな傷も集まればズキズキ痛み出す。それでも何でもないフリして過ごしたら心も化膿して膿んだり腫れたり…なかなか治らない。
同じ怪我でも「平気だよ、これくらい」と言う人もいれば「ちょっと痛むけど大丈夫」「痛くて動けない」と言う人まで色々いる。慣れと経験から感じ方は変わってくる。
「ただの腰痛だと思ってたら骨折していた」なんて話を聞いたことがある。
心も怪我をする。悲鳴をあげる。無理し続けたら身体まで調子が悪くなる。
心は他人には見えないから(自分でも見誤るくらいなのに)自分で調整するしかない。
「もう少し頑張れる?」
「本当に無理?怠けてない?」
「少し休もうか。気晴らししよっ」
「これくらいのことで傷付いたの?」じゃなくて「これくらいのことで傷付いちゃうんだね」と自分の弱さを認めてあげる。その上で対策を練る。
泣きたい時は気が済むまで泣く。イライラ、ストレスは何かで発散する。
我慢しない、溜め込みすぎない、息抜き、リフレッシュ、気分転換。
風船(心)に空気(ストレス)を入れ続けたら、いつか割れちゃう(壊れちゃう)よ?
バランスが大事。。
ふと思い出した。昔の、あるドラマのOPで語られた詞。
僕の目をあげる。
もう君を見なくてもすむのなら。
僕の耳をあげる。
君の声を聞かなくてすむのなら。
僕の口をあげる。
もう…誰とも話したくないんだ。
私なら、こう言う。
僕の身体をあげる。
もう…生きてくのに疲れたんだ。
目、耳、口が無くなるのなら、私には死んだ方がマシだと感じる。
逆に、この主人公はそれらを失っても生きていたい。そういう願いを感じる。
己の限界
気付いたつもりかい?
かすり傷さえも
無いまま終わりそう
自分が限界を決め付けているだけなのかもしれない。と気付かせてくれる歌詞。
疲れたら休め。
行き詰まったら考えろ。
わからなければ誰かに聞け。相談しろ。
困ったら助けを求めていい
生きることに、しがみつけ
皆…強くて器用なんだと思ってた。
そうじゃない。皆弱い部分を見せずに隠して生きているんだ。陰で沢山努力しているんだ。見えないからといって何もしていないわけじゃないんだ。
幸せそうに暮らしている人、悩みなんて無さそうな人、テレビでよく見る俳優、芸能人等は苦労したり、辛い過去を乗り越えたり、たくさん失敗したり努力したりして実力をつけ…現在の地位、姿があるのだろう。
トントン拍子に成り上がれる人なんて、ほんのひと握り。才能がある人だけ。
ほとんどの人が何の努力もしないで、いきなり成功者になれるわけないのに。
あの人に出来て自分に出来ないはずがないと甘い考えで生きてきた。
その人が知らないところでどんな努力をしているかなんて考えもせずに。
自分を過信して、自分の実力を知らずに高過ぎる理想や目標を設定していることにも気付かない。
一攫千金や成功を夢見て。
どうして叶えられない?
どうして上手く行かない?どうして自分は、こんなダメ人間なんだ?
…と落ち込んできた。
今思えば愚か者だ。
魔法でも使わない限りビルの1階から、屋上に一気に上がることは出来ない。
一歩ずつ、ワンフロアずつ上がっていくしかない。
小さな積み重ねが成功に繋がるんだよね。
知らなかった。
誰も教えてくれなかった。
いや、知ろうとしなかっただけかな?
人間嫌いが激しくなる時期がある。ただでさえ無愛想なのに…本当に厄介な奴だ。でも今回はヤバかった。自分の思い通りにいかないと叫びたくなった。
少しずつだけどアルツハイマーらしき症状が進んでいるから危ない。今回は理性で抑えられたけど…将来が怖い。
本当に穏やかな性格の人は「にこやか」なんだよな。自然と周りに人が集まる。
私もあんな風になりたい…けど「根本的に違うから無理っ」と考えをバッサリ切り捨てる。
「こうなりたい、ああなりたい」でも現実になると疲れる、しんどい…と苦労している自分を容易に想像出来る。
今の自分、現実に納得行かないから理想を夢見てしまう。
このジレンマどうにかしたい。
こういう時は「有るもの」「持っているもの」を探して感謝するんだったっけ。
バイトを掛け持ちする為、先日面接に行った。
面接官が気さくに話して下さる方だったので、あまり緊張せずに過ごせた。
面接なので普通の人みたく声を出さねばと思ったが会議室みたいなシーンとした室内で声を発するのに「恥ずかしさ」を感じた。
落ちてもいいや…と思ったが「採用」と連絡が入る。まだ試用期間があるから、どうなるかはわからないが心機一転、周囲の人達と上手くやれるよう頑張ってみたい。
会話に慣れていないから、回答が時々しどろもどろになってしまい、余計に恥ずかしいし、至らなさを痛感した。でも面接官はちゃんと話を聞いて下さった。嬉しかったし、有り難かった。こういう人が沢山いたらいいのに…。
会話は上手く出来なくて恥かいてしまうことが多いけど、世の中には私の話を笑顔で聞いて下さる人も居る。
発声時は「相手が聞き取りやすいように」を強く意識するよう心掛けてみたい。
長期間迷った末に、掛け持ちバイトをすると決めたのに「時間に追われるよな…やっぱり週2日にすれば良かったかな?」と考えて少し後悔したり不安がったり。たまに旦那に幻滅したり。
ふと湧き上がった怒りに似た感情。
「あれだけ悩んだ末に、やれると思ったから応募したんだろ?自分を信じろよ」
「攻め」の姿勢で行かなきゃ👊
旦那に幻滅するなら、旦那に頼らずに自分で出来ることは自分ですればいい。
自分で自分を幸せにする為に行動すればいい。
前に本で読んだ知識が後ればせながら甦ってきた。
旦那の為に動くのが、たまに面倒で…心底嫌で堪らない時がある。
「少しだけ頑張ろう?」と割りきって考えるか。
イライラして堪らない時は(今まで通り)放っておいて明日にまわそ。
「自分を幸せにする」を最優先だ‼
決してダメな嫁なんかじゃないよ。
無理してストレス溜める方がダメなんだから。
周囲が何と言おうと気にしなくていい。これが「自分を護る」ことなんだから。
昼休みに周囲の方々のお喋りを聞いていると知識や経験談を語り合っていることが多い。
Aさんが相談してBさんが「私はこうしたよ」Cさんは「あの薬が効いたよ」私も聞いていて勉強になる。
時々「あれ…誰だっけ?ほら、あれに出てるあの人」みたいに「思い出せない」「出てこない」と皆でウンウン唸っていることもある。私は分かっていても性格上答えられないが。
今日ふと思った。
「人は何の為に生きるのか?」と生きる目的を探してしまった時の答え…「色んな経験をして知識を増やす」ではないかと。
普段はひっそりと暮らしているであろう「オタク」の方々が大活躍する映画もあるみたいだし、本当にいつ何処で何の知識や経験が役に立つか分からない。
変化の無い毎日を生きていくよりも、色んな経験をして(失敗すら経験になる)誰かに共感したり提案したりアドバイスしたり出来れば「こんな自分でも役に立てた」と、きっと思えるだろう。
大嫌いだった自分のダメな部分も受け入れられるようになった、きっかけは何だったろうか?
…職場の主任かな?
彼は仕事をテキパキこなし、毎日色んな作業を掛け持ちして忙しく動き回っている。そんな彼の姿を見て尊敬していた。しかし頑固だったり、強気な女性がやや苦手とかダメな部分も見えてきた。
尊敬する程「やり手」な主任のダメな部分を見ても「こんな短所があるんだな」と抵抗無く受け入れられた。
対して職場で何となく苦手な人、好きになれない人達がいる。その人達の良いところを見つけた時「意外といい人なんだな」と彼等を見る目が良い方に変わり、心の距離感が少し縮まった。そして流れ的に大嫌いな自分のダメな部分も受け入れられるようになった。
本には、よく「嫌いな人の良いところを探してみよう」とあるが、嫌いな人は「嫌い」感が強すぎて、良いところを見つけても霞んでしまうから、うまくいかない。
まずは好きな人、尊敬する人のダメな部分を見つけることから練習することで「人には良いところ、悪いところがあるもの」と認める作業がスムーズに行った気がする。
まだ自分を好きには、なれてないけど、ダメな部分ばかり見てダメ出し攻撃し続けずに、良いところを見つけて見つめて、褒めたり「やるじゃん」と見直したりすることが自然に出来るようになった。
自分の良いところをより強く意識出来るようになり「今はこんなだけど、やる時はやる。本当は頑張り屋さんなんだよね」って自分を信頼出来るようになってきた。
スレ立て時より、成長したね…じぶん😄
ドラマで「自分にかけた呪いは自分にしか解けない」という台詞があった。
本にあったけど、自分が嫌いな人は…
自分は、こんな人間だ。
自分は、こんな性格だ。
と自分は「こうでなくてはいけない」と決めつけてしまっている。
周囲の目を気にして、自分を作っている。
本当にしたいことが出来ないまま、自分を押し殺して日々過ごしている。
そんな自分が嫌いなのに変われない。
…これが自分にかけた「呪い」なんだな。
嫌いなら変わればいい。 嫌い嫌い言ってても何も変わらない。
少しずつ些細なことでいい。今までの自分なら、やらなかったであろうことをやってみる。
髪型を変える。
服装やメイクを変える。
着たことの無い色の服を着てみる…等、まずは外見から変えて今までと違う自分に出会う。
これが自分にかけた呪いを解く第一歩なんだな。
小学生の頃、先生に「もし何でも消せる消しゴムがあったら?」という課題を出されて皆で作文を書いた記憶がある。
悪い点をとったテスト用紙を消す等「自分にとって都合が悪いものを消す」とか「いじめっこ、悪い奴を消す」って意見が多かったな。私も「いじめっこを消したい」と書いた。
現在の私が、その消しゴムを手に入れたら…自分を消すかな。
消したい人が沢山居るし、人を消すのって大変そうだし、自分を消しちゃえば手っ取り早いし…。
「大人になると現実的に考えてしまうな」と笑ったが、ふと「それ自殺と同じじゃん」って気付いた。
ダメダメ…危ない危ない。
もし小学生が「自分を消します」って書いたら…その子は相当病んでるな。
夜「あと10分でドラマが始まる❗」という時、いつも「今から家事をしたって間に合わないよね」「あと10分で何が出来るのよ?」と諦めて動かなかった。
ラジオで番組の残り時間が2、3分しか無いのに普段通り、のんびりトークしているDJが居た。
慌てたり早口で喋るのかと思った私には衝撃だった。2、3分でも、そんなに喋れる余裕があるんだ…と意外に感じた。
それから「あと◯分しかない」で諦めずに「やれるだけやってみるか」と行動するようになった。
しかし現実、間に合わないことの方が多い。
キリがいい所で手を止めることが出来ない性分なのも重なって、よくドラマの冒頭部分を見逃す😢
要領悪すぎ。何やってんだ自分。
でも怒りは無い。
「それもご愛嬌」「(笑)」って思える。
何か変わったな…自分。
掛け持ちバイトはオープニングスタッフだから皆初心者で同じスタート。でも作業の向き不向きやスピードは皆バラバラだ。
段々誰が速いか目に見えてわかるようになってきた。
私は、なかなかスピードが上がらない。焦るが手を抜いてはいけない。走れるとこは走ったりして、なるべくタイムを縮められるよう工夫してみる。
「向いてないかな」と、たまに落ち込んで「辞めようか」と、ふと考えて。
また「結果を急ぐ」癖が出ていることに気付いた。
作業は他人より遅いけど作業内容を覚えたりフロアの地図が完璧に頭に入れば、また少し変わってくる。
失敗して注意される日もあれば、何も起きない日もある。誉められる日もあれば冗談で、からかわれる日もある。
毎日違うのだから、失敗しても「次からは気を付けよう」で済まして向上心を忘れず努力し続けていこう。
「向いてないかも」「辞めた方がいいかな」なんて弱音は、出来る努力をしつくしてから言いなさい‼
棘が刺さった。
痛みに気付く。
勇気を出して抜く。
ジンジン痛むが、しばらくしたら治まる。
棘を抜く瞬間、めちゃ痛いけど抜かないと痛みは続くし、ほっとくわけにもいかない。
『変わる』ってことは棘を抜く時と同じ、瞬間的な痛みや長い苦しみを乗り越えないといけない。
(棘どころか事故にあって長期間リハビリの痛みや苦しみに耐えることくらいに感じることもある)
自分を苦しめている棘に気付けるか?
勇気を出して抜けるか?
(原因を取り除けるか?)
しばらく続く苦しみに耐え抜けるか?
『変わる』って簡単じゃない。
でも、ずっと『このまま』なのも嫌なんだ。ならば行動するしかない。でもね…最初から『完璧』を目指したり、高い目標を設定したり、背負い過ぎないで。
自分に幻滅して投げ出したり諦めたりすることになるから。
『小さなことからコツコツと』『(最初から)うまくいかなくて当たり前』『失敗は成功のもと』とリハビリだと思って長い目で見る『余裕』を持って望めば、大切なひとを励ますように自分を慰め、励まし、背中を押してあげられる。
(´・ω・)ノ(_ _;)
寄り道、回り道、上等‼
『変わりたい』と思って『行動』し始めた自分を、めいいっぱい誉めてあげよう。
『感情抜きで考える』みたいな言葉を何かの本で見た気がして、試しにやってみた。
細かい作業を後回しにするのを阻止したり、だらだら過ごしたくない時に、するべきことを決めたら「でも…」「面倒だな」「後でしてもいいじゃん」といつもなら湧いてくる感情を封じ込め、心を無にして指示を最優先に行動する。何回か試してうまく出来たが、ロボットになった気分。今以上に人間らしさを忘れてしまいそうで心配。
便利だけど、習慣化したくない。
どうすべきか迷った時、意地を張ってしまっている時にはいいかも?損得抜きで決められ、やるべきこと、進むべき道筋が見え、冷静な判断が下せそう。
あとは実行する為に感情を殺せるか否か、自分を説得出来るか否かに掛かってくるけど。
旦那に対してモラハラ的発言をよくしてしまう(母に似てきた)。聞き流してるのか平気なフリをして心は満身創痍なのかは分からないが相変わらず何も言い返してこない(私と同じだ)。
掛け持ちバイトの方でズケズケと物を言う60代の女性が居る。お喋りで気さくな方なので言った後はカラッとしている。
私も言われたことがあるが「さっきは言い過ぎちゃって、ごめんなさいね」と帰りに謝られた。引きずらないだけ良いけど、私はこの人が怖くなってしまった。
旦那に対して、ついキツイ言い方をしてしまう自分と重なり、少し反省。
「した方は無自覚で忘れてしまっても、された方はいつまでも覚えている」
旦那につい言いたくなった時は、口にチャックする努力をしているけど3回に1回は爆発してしまう😢
しかも謝れないから最悪だ。
母は手紙で「家族だからズケズケと言えるのよ」「もっと言い返してくれればいいのに…と思います」と書いていたが、母と同じようになってしまっている現在、母の気持ちが分かった。
こんな人間にはなるまいと思っていたのに…
言われる側の気持ち、よく分かっているはずなのに…
負の連鎖を絶ち切らねば…
「私は無価値な人間だ」
この言葉が自分にしっくり来た。自分に価値が見出だせないから、自分に自信が無いから(両親には見捨てられた感があったから)旦那に辛く当たっては見捨てられないか試してるんだ。人格障害だな。
「私は無価値な人間」そう思ったら、どんな感情なのか分からないが涙が溢れた。無価値…ダイヤモンドや宝石になれなかった、ただの石ころ。ただの石ころは自然界には沢山ある。
自分に自信が無い人、生きている意味が見出だせない人は人間界にだって沢山居る。だから独りじゃない。
長い年月掛けて、こんな人間(性格)になってしまった。だから同じくらいの年月を掛けて変えていくしかない。
「寿命が来ちゃうよ」と思ったが、死ぬまでに少しでも性格を改善して汚れ少ない魂に変えられたなら、あの世で少しは楽な世界に行けるのではないだろうか?と前向きに考えてみた。
頭の中では賑やかなヒロインのごとく、あーだこーだ表情豊かに身ぶり手振り話してるのに実際には言葉にならないし、目が泳ぐくらいで、傍目にはただ突っ立ってるだけ。
あぁ…動揺した自分を落ち着かせる時とか、たまにブツブツ独り言呟いてるかも。やっぱり…キモいよね(笑)
誰かが邪魔で通れない時、頭の中では「通りたいんだけどな…この人の用が済むまでもう少し待とうか」と突っ立って見てる。
私の後ろから来た人が「ちょっと、通らせて」と、その人に声を掛けて通る。そこで私は、その人に声を掛ければ良かったんだと気付く。そういう考えが浮かばない自分に「何本か頭の線が足りないのかな?」と心配になる。
人格障害の本を読むと、失調型に似ているかもしれない。でもピタリと当てはまるのは統合失調症だった。聞いたことあるけど、詳しく知ったのは初めてだ。
>> 207
人格障害の人の大きな特徴は「自分に強いこだわりを持っている」ことと「とても傷つきやすい」ことだそうだ。
育つ環境によって大きく影響を受ける。親だったり社会だったり。やはり人間を育てるって難しいんだな。
心が歪んで、少し偏(かたよ)って成長してしまう。まるで日陰に根を張り、陽を求めて這いながら、クネクネと曲がりながら上へ上へと伸びていく草木のようだ。
茎がイビツな形で伸びて見た目が悪くても最後に綺麗な花を咲かせれば「綺麗」「頑張ったね」と誉めてもらえるけど、途中でしおれたり枯れてしまったり腐ってしまったら?
誰にも見向きもされない。
人間もそう。「自分は悪くない」と他人のせいにしたり「どうせ…自分なんか」と腐ってしまったら、せっかくの人生が勿体無いよね?最後に綺麗な花を咲かせたい…幸せを感じて生きていきたい…そう思って変わる為の行動を始めるか、何もせず諦めてただ腐るのか。
「親のせいでこんな性格になった、こんな人生嫌だ」なんて叫び続けて何もせず、ずっと悲劇の主人公ぶるの?
そんな奴…私は大嫌いだ。
自分の人生を「歩む」のも「変えられる」のも自分だけだよ?
「神様…変わりたいんです。私に勇気と根気をください」
本を一読しただけで内容が理解出来たと錯覚する。
実践あるのみ。だが、どうしても気乗りしないこと(トイレ掃除。片付け等)は中々出来ない。
計画が少しでも狂ったり、最初に決めた事をやり忘れたりすると、自分に幻滅して、たちまちやる気を無くす三日坊主ならぬ二日坊主。自分の分析すら中々やらない。自分を知る為そこから始めなきゃいけない気がするのに。
最初に「完璧」を求めるのを辞めなきゃな。やり忘れることがあるってことを忘れてはいけないんだ。
「1日2日やり忘れても投げ出さずに続けていく」
これを最初に掲(かか)げなくては。
習慣になるまで何度か忘れるのは仕方無い…続けることが大事なんだと自分に言い聞かせよう。
結果を急がないで。
自分を買い被らないで。
沢山誉めてやれ。
些細なことでも。
「当たり前のことをしたまでだよ」と言いたくなることすら「よくやった。偉いぞ」って誉めてやれ。
母の嫌味はもう無いから。欲しかった言葉を自分に沢山掛けてやれ。
恐怖心なのか、やや怯えたような目でチラチラ見られる時がある。とても不愉快で「何ですか?」と言いたくなるし、悲しくなる。
別に危害を加えたりしないし、殺気を放った覚えもないのに(笑)
気を紛らわせる解決策として「私が感じているように、お喋りな方々から見ても私のことを『怖い』とか『別世界の住人』みたいに感じてるんだな」と考えたり「その人を反面教師として『気味悪い人が居ても、こんな風には見るまい』と考えるようにした。
外向的性格と内向的性格は認め合えない、相容れないんだから、お互い適度に距離を置いて付き合っていくしかない。
『お互い様』精神を忘れない。まぁ私の方が多大に迷惑掛けてるだろうけど…。
ある本によると、この世には「喜ばれると嬉しい」というエネルギーの塊(=神様?)が存在するらしい。
それは、その人がたくさん発する「言葉」に反応して「その言葉をまた使いたくなる現象」を起こすらしい。だから「苦しい」「辛い」みたいなネガティブな言葉や「~になりたい」等を発していると、そこから中々抜け出せない。
「有難う」「嬉しい」「楽しい」等の言葉や「お金が欲しい」より「お金持ちになる‼」みたいに変換して、たくさん口にしよう。
そして「有難う」は心の中で思うより口に出した方が何倍ものパワーを持つらしい。
しかも心を込めて言わなくて良い。心の中で毒づいてようが「このヤロー」とムカつきながらでも良い。ただ「有難う」と感謝の言葉を口にする。そうすれば人間関係を良くすることも出来る。
- << 216 一回だけ試しに食器を洗いながら「有難う」を連続して言い続けてみた。 ここのところ小さな「いいこと」が頻繁に起きる。 遅刻しそうになって急いでたら待ち時間が長い信号に引っ掛からずに通れたり、食べたかった商品の無料引換券を貰えたり、隣町まで行かなくても、近くの施設で手続き出来ることが分かったり。 「有難う」のおかげなのかな? 心が籠っていない「有難う」は抵抗があり、連続して言うのは辞めてしまったけど、効果があるなら続けてみようかな…
あるスレに対して、こんな温かいレスがあった。たまに読み返しては元気を貰っている。
死んでしまいたい程辛い事があったのかしら?
もしかしたら、何かあったんじゃなく生きること自体が辛いのかしら?
そんな時は、何も考えず、何も選択せず、頑張らず、人生の波に流されてみたらどう?
普通にしなきゃいけない、頑張らないといけない、人と円滑な関係を保たなければいけないってね、心が健康でも難しいのに辛い時にするのはインフルエンザの時に滝行するようなもんよ。
あんた死ぬ気?って思うわ。インフルエンザにかかったら薬飲んで消化の良いもの食べて暖かくして眠る。基本でしょ?そうするだけでいっぱいいっぱいじゃない。高熱出てるんだからさ。
息してるだけで精一杯な時は、息だけしとけば良いのよ。
マジ無理、マジしんどいって寝ときなさい。
誰かが何か言ってきたって「じゃかましいわ」で放っておけばヨロシい。
弱い自分だって良いのよ。優しく出来るのは自分だけなんだから。
他人との出会いは運命なのかもしれない。
特に悪印象な人との出会いは、どこまで耐えられるか、どう気持ちを切り替えて乗り越えられるか…試されている気がする。
それは自分を成長させるために必要な試練のように感じる。
最初は悪印象な人でも、我慢していると何かしら変化が訪れる。
いつも、きつく当たってくる人が居て…嫌だな辛いなと思いながらも「職場に居る数時間の我慢」と、やり過ごした。数週間経つと、たまに優しく接してくれるようになる人も居れば、私の悪い所を指摘して下さる人も居た。
苦難を乗り越えると小さな御褒美が貰えるらしい。
学生時代の嫌な人達も、今考えると「自分を変える為に」必要な出会いだったのかもしれない。
「もっと自己主張しなさい」っていうことだったのかな?と今は思う。
もし自己主張していたら、一体どうなっていたんだろう?
次の日から学校に行けなくなりそうな想像しか出来ない。
>> 211
ある本によると、この世には「喜ばれると嬉しい」というエネルギーの塊(=神様?)が存在するらしい。
それは、その人がたくさん発する「言葉」に…
一回だけ試しに食器を洗いながら「有難う」を連続して言い続けてみた。
ここのところ小さな「いいこと」が頻繁に起きる。
遅刻しそうになって急いでたら待ち時間が長い信号に引っ掛からずに通れたり、食べたかった商品の無料引換券を貰えたり、隣町まで行かなくても、近くの施設で手続き出来ることが分かったり。
「有難う」のおかげなのかな?
心が籠っていない「有難う」は抵抗があり、連続して言うのは辞めてしまったけど、効果があるなら続けてみようかな…
時々頭の中に霧がかかったように思考がうまく働かず、ワケわからないことをしでかす。
頭の中で情報をまとめるのが苦手だから、紙に書き出して整理すれば、やり易いはずなのに…
「◯時に◯◯しなきゃいけない」って思ったら、忘れっぽいんだから紙に書いて張っとくなりアラームセットするなりすればいいのに…
しない。
その結果、時間掛かった挙げ句まとまらなかったり、忘れたり。
どうしてか?
普通(?)の人は「これくらい」やってのけるって思って真似するのか、格好つけたがるのか、自分を過信してしまうのか。
「それくらい」が出来ないからって無理しても結果失敗したり余計時間が掛かったりするんだから、自分の「やり方」が分かってるんなら、最初からしようよ。
たとえ誰かに何か言われても、そんな自分に抵抗感じても「こうしないと出来ないんです( ̄▽ ̄;)ははっ」って開き直ればいいじゃない。
実際そうなんだからさ。
『100か0か』『白か黒か』『「木を見て森を見ず」どころか「葉を見て森を見ず」な状態』…思考、つまり考え方の視野が狭い。
(0から100の間には「63」や「16」など中途半端な数字もあるよね。白と黒の間には赤、黄、水色、灰色などもあるよね)
無意識に固い考え方をしてしまう。考え方が偏りやすく柔軟なアイディアや臨機応変な対応が出来ない。
「こうじゃないといけない」「これはやっちゃいけない」「やらなければならない」といった固定観念が多ければ多いほど考え方が固くなる。
愚痴を言う。他人の悪口を言う。自分勝手なことをする。迷惑を掛ける。
といった世間一般に悪いこととして認識されていることも、一定の度合いを超さない限り問題にはならない。つまり度を超さなければ何をやっても良いことだと言えるのです。
少し前の自分はそうだった。カチコチで自分の基準があり他人の少しのズレも許せない。
色んな本を読んで、講座も受講して、少しだけだが違う考え方が出来るようになってから、心がズキンとしても自分や他人を責めたくなっても「どうどう~」と馬をなだめるように不快な気持ちを沈められる(この字がしっくりくるな…)ようになった。
許すこと。受け入れること。「もしかしたら…だったのかも?」と違う考えを思い浮かべたり考えたりすること。ネガティブな出来事をポジティブに変換する努力。
どうしても無理な時は最終手段「自分は自分、他人は他人。私には関係無い」「お前なんか反面教師だバカヤロー」でやり過ごす。
不器用な私なりに身に付けた処世術。
……早く「おおらかな人間」になりた~いっ😢
『自分を甘やかす』と『自分に優しくする』は違う。頭が悪いので読んだ当初は分からなかった。
「料理したくない病」が再発。久々に1ヶ月ほど続いた。普段は「やるか」で、すぐに出来ることが出来ないもどかしさ。ホルモンバランスとか自律神経とか、自分の意思とは関係無い所が原因な気がしてきた。
だから治った今、次の再発時に気兼ねなくスーパーでお惣菜や冷食を沢山買えるように調子良い時は、なるべく料理してみよう。
「あれ食べたいな」「あれ美味しかったな」旦那が言わない分、自分でリクエスト。おだてて、おだてて、持ち上げて。
作れたら「美味しく出来たね」「さすが私」「腕は衰えてませんな」誉めて誉めて。
大切なひとに接するように自分に接する。
出来ない時期は仕方ない。出来る時期にフォローしてあげればいい。
「甘やかす」のは、出来るのに、やらないこと。怠け心に負けること。
「優しくする」のは出来ない自分を許すこと。頑張った自分に御褒美をあげること…かな?と思った。
少年漫画には、強い精神力を持ったキャラがたまに居る。強く、頼もしく、決して弱味を見せず、弱音を吐かず、涙も見せず。
昔から、そういうヒーロー的存在のキャラに憧れる。どうしてそんなに強く有り続けられるんだろう?
過去に沢山辛く悲しい経験をしてきたから…?
十代の頃は、ただただ「ヒーロー」像だったのに最近は「いつか彼の心が壊れてしまわないように…作者さん、あんまり彼を追い詰めないでね」キャラが活躍すればする程、母親のように心配し胸が苦しくなってしまう。ヒーローだって同じ人間だから。でも同時に勇気も貰える。
ある漫画に高熱でフラフラなはずなのに、いつも通り振る舞ったり。泣きたいぐらい辛いはずなのに毅然とした態度を維持し続けたり。そんなキャラが居た。
ある日、調子が悪く、ダラダラ作業していた時に、ふと彼のことを思い出し「彼を見習って頑張らなきゃ」と奮起したが…なかなか厳しい。彼の強さは、やはり半端無い。
「お前は、その程度の人間なのか?…そうじゃないだろう?」
たまにハッとさせられる台詞を言われたり、活を入れられたり。胸が、じんとしたり。
漫画の力って凄いな。
いや、キャラの性格を貫き続ける作者さんも凄い。
もうすぐGW。
「連休欲しい…ゆっくりしたいし、やらなきゃいけないこと、やりたいこと沢山あるし」という自分と「ふざけたこと抜かすな。無駄遣いした分、稼いで取り返さなきゃダメじゃん」と諭す自分とで揺れている。
「でも、だって」と駄々をこねる自分に「じゃあ連休貰って何するの?」と冷静に問うて考えると普段の休日に時間作れば出来ることだったりする。
歌だってメロディやサビの部分で気に入り、BGMとして聴いていることが多い。歌詞を読んで「こんな良いこと書いてあった…こんなこと歌ってたんだ」と感動し、より好きになったり。
何だろう?これも考え方の癖なのかな?流されやすく洗脳されやすく😅
あまり深く考えずに飛び付く。行動する。やはり頭脳は子供だな。
「待て」が出来るようにならなければ。
先輩(男)に、自分より年上(見た目で判断している?)の後輩には敬語を使っている人が居る。彼は私より年下だと知ってから、私にだけ敬語を使わないことを腹立たしく感じていた。(確かに年齢より若く見られることは多々あるけども…)
ドラマでOLが「年上、年上って…何が偉いんですか?ただ私より早く産まれただけじゃないですか」と年上のダメ上司にズバッと言う場面があり、ハッとした。
年上ってだけで敬語を使われないことに苛々してしまっている自分を恥じた。
変な所でプライドが高い。
他の年上の人達と同じように扱ってほしいんだろうけど、見た目だけではなく、人間的にも幼いし能力面でも負けてるんだから仕方無い。そう自覚させて心機一転。
「相手との関係を損得で考えなさい」という台詞もあった。先輩との関係を損得で考えれば、苛々しても損するだけだ。
友好的に接しなければ。
「不適切な気持ちなど、ありません。どんな気持ちであれ、感じた以上は適切なのです」
(適切とは…ちょうどよく当てはまるようす)
批判的な人が身近に居たりした影響で「気持ちには適切なものと不適切なものがある」という間違った考えを刷り込まれ、更には「自分が感じる気持ちは基本的に不適切だ」というふうに考えるようになってしまったのです。
自分の感じ方が不適切だと思った時には「それが別の人の気持ちだったら」と考えると役に立ちます。
例えばAさんがセミナーに初参加して、5人グループで会話をすることになりました。しかし他の4人は古いメンバーらしく、Aさん抜きで、ずっと会話をしています。Aさんは「私はつまらない人間だから話に入れたくないんだろうな」と自分に問題があるように感じました。
そこでAさんに他の4人の立場になって考えてもらいます。Aさんは「初めてで緊張しているだろうから何とか話に入れるように考えると思う」「つまらなそうな人だからといって仲間外れにはしません」と言いました。
Aさんが受けた扱いは「ひどい」「嫌な気持ちになるのは当然」ということに気付きます。
「自分がおかしいから、そのような扱いを受けるのだ」と自分の問題としてだけとらえず「そのような扱いをするなんて相手にも問題があるのでは?」と相手の問題としてとらえるという視点も養うことができ、自分の気持ちを肯定していく為のトレーニングになります。
CD整理してたら懐かしいのが出てきた。歌詞に注目して聴いてたら、涙が出てきた。
癒えない痛み、悲しみで傷付いた君よ
「もう笑えない」なんて「人嫌い」なんて、言わないで
消せない過去も背負いあっていこう、生きることを投げ出さないで
見えない未来に起こること全てに意味があるから
いまはそのままでいい…
きっと気付ける時が来るだろう
o(^-^o)(o^-^)o
一人で世界中の不幸引き受けちゃったみたいな悲劇の主人公が似合うガラじゃねぇ
神様まったくアンタってイジワルばっかりすんだなぁこんなにいい奴大抜擢とはひでぇ
「朝からシケたツラしてメソメソしてんじゃねえぞ」うまく慰める自信はねぇけど、なにせ誰より長い付き合いさ
「お前ばっかじゃねぇゾ。昨日泣いてたのは」
「お前らしくも無いぜ。笑い飛ばしなよ」
「お前バッカじゃねぇの?誰も強かねぇぞ」
鏡の中の俺よ、俺がついてるゾ
2つの小瓶に虫を入れ、その中に息を吐く。
1つは普通に。1つは怒りや憎しみを込めて。
蓋をして数日。怒りや憎しみを込めた瓶の虫が先に死ぬらしい。まるで毒ガス…
その本には「体内に怒気や憎しみを抱き続けるのは体にも毒ですよ。だからストレスは溜め込まないように~」と書いてあったが、私には「吐く息に怒りや憎しみを込めることが出来る」ということの方が印象に残った。
カチンと来た時に、その苛立ちを固まりにして「はぁっ」と短い溜め息と一緒に吐き出す。すると大分スッキリする。
今日も犬の散歩中に舌打ちされたから「はぁっ」とした。
愛犬がビックリして振り返ったが、周囲の人々には別に怪しまれないし、私はスッキリするし。
些細なことで苛立ってしまう私にはピッタリなストレス解消法を編み出してしまった😄✌
いつの間にか段ボールで切った腕の傷。暫く腫れていたが、数日後にはカサブタが出来ていた。軽傷なら、ほっといても治してくれる。意識しなくても心臓を含め内臓や細胞は動いている。自分の身体なのに知らないって不思議だ。
ふと思い出した『身体は借り物。死んだら神様に返さなきゃいけないんだよ』という言葉。もし魂が存在するなら、輪廻転生もあると思う。『ビビッと来た』経験もあり、この人と前世で関わりがあったのかな?と考えてしまう。
ある本によると、人生は修行の場。魂を磨いて昇進する(輪廻転生しなくてよくなる)為、生まれる前に未熟な霊を支援して下さる階級の高い霊と2人で相談しながら自分で自分の修行(人生)を組み立てるらしい。
自分が成長する為に乗り越えるべき試練を用意する。もしかしたら身体も…両親を含め、環境も試練の内なのだろうか?
死んだら修行結果を採点して昇格、降格したりするのかな?
死んでみないと本当の所はわからないが、納得出来ないこともない。
自分で建てた「人生」と自分で設定した数々の「乗り越えるべき試練」
生まれる前のことなんて忘れちゃってるけど、自分で考えた苦難なら…と想像すると「やってやろうじゃないか」で乗り越えられることもあるだろう。
「何故こんなことに?」「選択間違えた?」と激しく後悔したこともある。でも時の経過と共に、これもまた「乗り越えるべきことの1つ」なんだと思えるようになった。
そうなれば出会う人々との関わりも意味を持つ。いま周囲に居る人々とも前世で繋がりがあったのかもしれない。嫌な奴も自分を成長させる為に存在するのかもしれない。
「感謝される人になりなさい」尊敬出来る人の考え方や行いを真似て変わっていくのも魂の昇進に繋がる。こんな世の中で、どう生きるか、関わっていくのか。
他人を「魂」のレベルで見たり考えたりして、まだまだ修行が足りないな…なんて。そういう風に考えると世界はまた違って見えてくる。
最近スズメ達が、つがいで行動している(ように見える)子育ての時期なのかな?
犬の散歩中に人目を忍んでムキ餌をばら蒔き始めて数ヵ月。私を「餌撒き人間」だと認識してくれたのか、最近私を見掛けるとスズメ達が騒ぎ出す気がする。気のせいかもしれないけど、木の枝からフェンス(私の横)まで飛んできたり戻ったりを繰り返したり、さえずりがザワザワに聞こえるくらい騒がしかったり。
近寄ってきて「早く食べ物くれよ」と言っているように、さえずったり(何故「早く食べ物ちょうだい」とならないのだろう😅口悪いな自分…💧)
人間より動物の方が純粋だから、動物に好かれるのは嬉しい。ペットとは、また違う感覚。
道端でスズメが1羽近寄ってきたので餌撒きすると、ついばんでくれた。
遠ざかり、振り返ると2羽になっていた。夫婦かな?温かい気持ちになれた。有難う。
ここのところ寝不足だ。
休日の朝も愛犬達の薬をあげなくてはいけない。
冬は枕元に置いておけたから、あげたらそのまま昼まで寝れたけど、夏は(傷んでしまうから冷蔵庫)起きなければいけない。
薬をあげたら、そのまま散歩へ。
些細なストレス、やりたいことを妨げられたり、人間関係のストレスがジワジワと溜まってきて寝不足と合わさって精神がヤバイ状態だ。
頭はボーッとするし、目蓋が重いのに脳は「やらなきゃいけないことあるだろ、寝るな💢」と寝るのを拒否するし、だらだらと過ごす時間が長くなり、家事が疎か(おろそか)になってきた。
そんな自分が嫌で、またストレスがジワジワと溜まっていく。悪循環。
本当にメンタル弱いな自分…お盆休みまで連休は取らないと決めたけど、来月一度連休貰おうかな…?
そろそろマジで整体にも行きたい。首が痛い。頭痛がする。股関節が痛い。たまに足首や膝も痛い。
もう少しで愛犬達の薬の服用時間調節がうまくいく。だからそれまでは整体は我慢(金銭的な問題)と言いながら、もう1年くらい経過したな…。
心も体も…(;_;)
もう少し。もう少し。
本当にもう少しのところまで来てるから。もう二度と、ふりだしに戻る裏切りはしないでほしい。
見たことない蝿?を見た。体は黄緑と黄色の縞模様、黄緑色の目、羽はコバエのように畳んでいたが胴体より細く「それで飛べるの?」と心配になるくらい(笑) 数回手を擦り合わせて(蝿は、この仕草が可愛い)飛んでいった。
この前は真っ黒なトンボを見た。大きさはシオカラトンボくらい。腹巻きしてるように黄色の線が一本あった。
「カゲロウ?違うな。トンボだな」と冷静に観察する自分と「うわ~すげ~初めて見た、こんなん」とテンションアップする自分が同時に居た。
私は人間より動物とか珍しい虫(全種類では無い)に興味があるらしい。難しいことは考えずに「ただひたすら生きている」そんな姿に惹かれるのかもしれない。人間みたく、うらおもて(裏表)なさそうだし…。
もし叶うなら、昆虫の研究者?になって毎日数人の助手を連れて色んな虫を探しに出歩きたい。
触れないから観察するだけ(笑)
なんだかんだで明け方まで起きてて3、4時間しか寝ずに仕事へ行く日もある。
でも何だか平気。
…逆に怖い。
早めに起きれた日は余裕があるから、つい無自覚にのんびりしてしまうのか、最後はバタバタ。
「せっかく30分早く起きたのに、家を出る時間はいつもと変わらないじゃないか」数回同じ失敗を繰り返した自分を「本当ダメな奴だな」と責め始めたその時、「じゃあ、どうすればいい?」と頭の中に『問い掛け』が浮かんだ(…この感じは守護霊様?)
失敗を責めるだけじゃ何も変わらない。自分に出来る、自分なりの解決策を考えた方が自分を「好きになる」「自信を付ける」方へ導ける。
自分を責める癖が付いてしまってるからな。
悲しい癖だな…
守護霊様、有難うございますm(__)m
仕事中だったり、家だったり…ふと昔のことを思い出して泣けてくる時がある。「なぜ言い返せなかったんだろう?」
「なぜ言い訳(または説明)しなかったんだろう?」
悔しい気持ちが甦る。
今日は職場で扱っている古新聞で毒親の記事があり、読んでみた。記事によると私の母は毒舌、平気でののしる「ジャイアン母」タイプだ。
幼い頃は、よく躓いて転んでは大泣きしていた。
「唾付けときゃ治る」と母の唾を付けたハンカチで傷口を拭いてもらった。
でも本当よく転んでたからな。その度に大泣き…段々「これくらいの怪我で泣くな。恥ずかしい」と言われるようになった。
そんなことを思い出してしまった。
涙を堪えて…
あっこぼれた…
急いで涙を拭いて…
「仕事に集中しなきゃ」と気持ちを切り替えて。
他人にされたり言われたりしたことよりも、母の言葉がより鮮明に甦る…
母親のこと…大好きなんだな~と気が付いた。
大好きなのに…沢山甘えたかったのに弟が生まれてからは「お姉ちゃんでしょ」と我慢を強いられ、拒絶され。物心ついてから人見知りが始まり、非社交的な私をますます母は「なぜあんたは~なの?」という言葉と態度でダメ出しするようになってきた。
言葉の刃で心が傷つけられる。私という個性を否定される。
気持ちをわかって欲しいのに理解してもらえない。
伝えたくても勇気がない。共感してもらえない。
欲しい言葉も…愛情も
辛かった記憶ばかりが甦る。楽しかったり嬉しかったり、そんな記憶も確かにあるのに。思い出してもすぐにすり抜けていってしまう。留まり続けるのは嫌な記憶ばかり。
「辛かったね。悲しかったね…」現在の自分が、泣いている幼い自分を、母の代わりに優しい言葉を掛けて抱き締めて慰めてあげよう。悲しかった記憶や無念を少しずつ成仏させてあげよう。
今日は七夕。
七夕といえば小学生の頃は短冊に願いを書けば叶うと本気で信じていたし、サンタクロースも信じていたし、大人の言う事は「正しい」のだと疑わなかった時期もある。
絵本も信じていたな…キツネやタヌキは化けて人を騙す動物。キツネはコ~ンと鳴き、タヌキはポンポコポンとお腹を叩く。クジラは絵本に描かれている形(真ん丸)なんだと。(テレビで見た時は「何だこれ…どこが目か口か分からん」とショックを受けたものだ)
我ながら純粋と言うか馬鹿と言うか。
キツネやタヌキは化けたりしないし、大人も間違うことはあるし…
現実を知る度に何かが壊れて、バランスがおかしくなっていった。
この世界は夢や、おとぎ話みたいな心地好い世界なんかじゃない。
このギャップが人見知りや親交拒絶の始まりだったりして…?
ここ数ヵ月、見たいテレビ番組、ドラマがあまり無かった。
食事時は録画した番組を見ながら食べていたけど、この数ヵ月はテレビをつけずに黙々と食べている。
でもそれによって、おかずを目で、舌で、味わう楽しさを知った。
平日夜食は宅食だから、味わいながら「この味付けは何を使ってるんだろう?」と考えたり「こういうレシピもアリなんだな」と学んだり。
食べ終わった後は「食べられること」に感謝する。
日曜祝日は旦那と食事を共にする。この日ばかりはテレビをつけずにはいられない。旦那が録画した番組を見ながら食べる。
でも、黙々と味わいながら食べる方がいいと感じるようになってからは、テレビ番組をBGMに黙々と食べたいのだが、目の前に旦那がいることに耐えられない。だから仕方無くテレビ番組を見て気を紛らわし、サッサと席を立つようにする。
たまに作る手料理。
旦那に「おいしい?」と聞けず「まずい?」と聞いてしまう。
「大丈夫」と答える旦那。「おいしい」と言ってくれたら、また頑張って料理作る活力になるのに…。
美味しくないけど言えないのか?不味くはない、大丈夫。という意味なのか?
突っ込んで聞けない自分。未だに、よそよそしい夫婦。このイライラは自業自得。
間違いに気付いた時点で自分を変える新しい道へのスタートラインに立ったことになる。
「何故あんなことしてしまったんだろう?」
「あの時ああしていれば…」と後悔しても仕方無いけど、気持ちや考え方をすぐに切り替えて進めるほど強くもないし器用でもない。
間違えたり、迷ったり、後悔したり、わかっているのに止められなかったり…
人間てそんなもの。
神様(守護霊様)は知ってる。だから黙って見守って下さる。
転んで泣いている我が子を離れた場所から「さぁ泣き止んで。もう一度立ち上がってここまで歩いて来てごらん」と両手を広げて待ち続ける親のように。
転んだら、また立ち上がればいい。
失敗を繰り返すなら、違う道を探すことも考えよう。
頑張れないなら回復するまで休んでいいんだよ。
自分のこと(ちから)を信じてみよう。
掛け持ちバイトの方で、いつも仲良くお喋りしている2人の女性がいる。
「気が合うんだなぁ…私もそういう相手欲しいなぁ」と眺めていたが、ある日私と2人っきりになった時に「ちょっと聞いてよ、あの人ったらねぇ…」と愚痴というか悪口というか…吐き出された。よほど溜まっていたのか作業もせずに10分程延々と。
こんなに鬱憤が溜まっていたのに表面上はあんなに楽しくお喋りしていたのか…。私は気持ちが態度に出てしまうから、はらわた煮えくり返っていても(^-^)でいられる人種は恐ろしい。皆他人の「悪い面」を受け入れながら付き合ってるんだな。
私は自分の悪い面を、まだ受け入れられない瞬間がある。「なんでこれくらいのことが出来ないの?」自分が情けなくて腹立たしくて仕方なくなる。
自分の悪い面を受け入れられないなら他人の悪い面を受け入れられるはずがない。だから態度に出てしまうんだろうな。
フランスの哲学者の言葉「もし他の人が自分をどう言っているかをすべての人が知ったならば、この世には4人の友達をもつ人もいなくなると私は断言するよ」
そうですか…独りに慣れてしまった私は、そんな騙し合いのような対人ストレスには耐えられそうにないです。きっと、疑い疲れて引きこもる😢
某スーパーで流れていた「家族の為のお買い物…」という言葉。繰り返し流れていたから聞いてて、だんだんしんどくなった。
同居している家族…今の所私には旦那しかいない。
『旦那の為のお買い物』に脳内変換してしまったのだろう。
「旦那の為の」では無くて「自分の為の」買い物の量を2倍にしているだけ。
自分の為のお弁当、おかずを『倍の量』作っているだけ。精神が参っている時はそう考えないと心が壊れそうになる。
養われている身分で冷たいようだが、そう考えないとまた軽い鬱状態…憂鬱病になりかねない。
自分の精神守る為に今まで通り『うん…それでいいよ』と言ってあげよ。
結果的には作ってるじゃん。心の中で何を思おうが問題無いんだから。
『私って、こんな(脳の)クセあるよね』
精神が参っている時は、こんな考えは出来ないから。元気な時に、なるべく自分の悪い部分、ダメな部分を認識しておく。
劣等感に襲われても『それが自分じゃん』と個性として認める。そのうえで「自分に出来る範囲の」対策を考える。
元気な時に無気力…家事したくない病に掛かった期間に苦しんだことを思い出すようにする。
そうすれば無気力になっても『疲れが溜まってしまったのかな?「いま」は仕方無いよ』『回復したら出来るようになるから「いま」は安静にしてて』と責めずに時の流れに身を任せられる(心の回復を静かに待てる)ようになった。
回復した時には『元気に、こなせること』に感謝。
『人間はまだ自我が芽生えないうちから仮面を被せられる。成長すると更に色んな仮面を被せられる。やれ子供らしく、男の子らしく、女の子らしく…。でもそれ…自分じゃないよな』
他人から見た自分の性格。「自分は◯◯が苦手、好き。自分はこんな性格」
そんな『自分らしさ』という『思い込み』を捨てる。
人間は常に変化している。昨日と今日、明日の自分はそれぞれ違う。
その瞬間、瞬間を生きる。「いま」を大切に生きる。今できることを精一杯やる。感謝されることをする。そして自分の心が暖かくなることを感じる。
いま、この一瞬をどう考え、どう動くか。それが『自分』である。
決め付けない。自分で自分を縛らない。
自己肯定感が低い男性が主人公のドラマ。
自分と同じような感覚の持ち主を映像…第三者目線で見られるので「自己肯定感が低い」という意味も見ているうちに理解できたし「あるある」や「あぁ…それ気持ちわかる」を毎週味わい、時には応援しながら楽しんでいた。
飲み会で、モテるイケメンに主人公が「あなたと僕は違う」と感情的になった場面で「皆違って、皆イイ」と言った同僚達。
「皆違って、皆イイ」
「みんな100点満点」
「生きてるだけで素晴らしい」
今まで、それらの言葉になかなか納得できなかったけど、その瞬間に「なるほど」と合点がいった。
皆それぞれに良いところ、魅力があるのに、本人は気付いていない。または肯定、認識できていない。
わかっているようで、きちんと理解できていなかった。
「皆違って、皆イイ」理解できた自分に言ってあげると涙が止まらなくなった。
…また、少し救われた。
自己肯定感が低い人はプライドが高いらしい。
言われてみれば確かに。
「自分は自己肯定感が低い。そしてプライドがバカみたいに高い」そう自覚して意識して、少しずつ意識改革をしていくのがいいらしい。
ネット検索して載っていたこの言葉にハッとさせられた。
「価値ある自分になるために今までの自分ではない別の自分になるために頑張る」ことではありません。
どんな自分も無条件で許し、認めてあげる。好きになる。その努力をしなければ、いつまで経っても生きづらく、苦しいだけらしい。
とても難しい。コツがいるな。
自己PRを作成…長所と短所を書きだし、こんな短所があるけど、こんな長所だってあるんだとカバー(自分をフォロー)する。
過去にあった出来事で例えば「下ばかり向いて歩いてしまうけど、他人の落とし物に気付き、拾って届けて喜ばれた😄」
無口で、じっとしているのが好きだから、気味悪がられることも多いけど…
「場所(図書館)によっては得意分野」
「お喋りな人(Aさん)と私が二人きりになった時。皆は絶対に見ることは無いであろう静かなAさんを見ることができた」等
ダメな部分もいいことに繋げたり、ポジティブに考えてみる。
ドラマで「仕方ないじゃない。俺そういうキャラだもの」という台詞があって、これは決め付けた悪い意味にも取れるけど、見方を変えれば利用価値はあるなと思った。
職場や公共の場で『どうしても…やっぱりムカついてしまう人』に対して「この人は、こういうキャラなんだ。プログラミングされてしまってるから他人は変えられないんだ」と頑張って考え、許す。
そして「相手を変えるのは難しい。だから自分が変われば良い」の法則?を持ってきて距離の取り方を考えたり「この人は、こういうキャラなんだ」ムカつく度に何度でも言い聞かせると苛立ちも段々小さくなってくる。
『相手が自分ができないことを、やってのけるからムカつく』ということも、たまにあるから、それに該当するなら「このムカつき、苛立ちは錯覚なの。本当は相手を羨ましがってるんだよ」と言い聞かせて自覚する。
前月に続いて今のところ「躁鬱病」でいう「躁」の状態が続いている。お弁当のおかずを大量に作っては小分けにし、一晩で数日分が完成。
基本、栄養バランスなんて気にしない。適当に野菜と肉、たまに魚を入れて彩り重視。気にしだすと精神が病むから仕方無い。
大人なんだし大丈夫でしょ…で何とか10年やって来た。「何作る気にもならない。今日は、お惣菜買うか」そんな日でもスーパーに行って売り場を歩けば「あっ◯◯作ろうかな」と思えたりするから分からない。
…でもやっぱり作る気になれないで材料を腐らせたことも多々ある😢
躁状態で冷蔵庫にあるもので適当に作り、彩りや栄養バランスが気になってしまった時はスーパーへ行き、おかずを買い足したり、冷凍食品で追加したり。
昔の人は大変だったろうな。「作りたくない」「作る気になれない」なんて言ってられなかったよね。
そんな時代の人間(嫁)じゃなくて良かった。便利になった世の中に感謝、感謝
(>ω<。)
世の中も「なんで?もっとこうすればいいのに」ということが沢山ある。
自分を含めて上手くいかないことだらけ
「自分なんて居ても居なくても同じ」
居なくちゃ困る人の方が少数派でしょ。
一体どれだけのことが出来るってのよ?
「自分なんて何の役にも立たない」
買い物したらさ…「お買い上げ頂き有難うございました」って御礼言って貰えるよね?買うことで、お店の役に立ってるんだよ。
誰かの役にも立ちたいけどボランティアなんて出来ないよね。ボランティア同士とか、被災者の方々とか。人とのコミュニケーション苦手だし。
◯歩きながら街中のゴミ拾う
◯放置されている犬の糞を処理する
◯雀や鳩にエサあげる
それもボランティア。
私にもやれること。
出来る人がすればいい。
苦手なら他人に任せて自分が出来ることを探してすればいい
置いといても誰かがしてくれる。
でも気付いてしまったからしようかな?
出来るならそうしましょ。
それでも生きていく…
「未来」の自分の為に。
他人と和気あいあいなんて出来ないから、いつも独り離れてるから…
たまに視線を感じたり、噂されてるように感じたり。
そんな時、自分を恨めしく思う。
でも人の輪の中に居るだけで苦痛、お喋りだって続かないし、精神的に疲れるから。私は、こうするしかない。仕方無い。
誰かが好きなことが自分の好きなことと一緒じゃないのは当たり前。
自分の性格を理解して、認めて…選択する、行動する。
「私は、こうする方が楽」を選択して行動しているんだから。迷惑を掛けていないなら、どんな目で見られても「これが私という人間なんです。この性格は直らないんです。付き合って生きていくと決めたんです。これからも命ある限り生きねばならんのです」と開き直りを込めて強く思う。
そう。自分の命は自分が管理しているから。
自分が死を選択しない限り「生きる権利」はある。
たまに「死んだら何も考えなくて済むのかな?楽になれるのかな?」と死の誘惑が訪れても「未来」には何が待ってるか分からないから。
「未来」に向かって生きていく。
「生きてて良かった」
「あの時死ななくて良かった」
小さくても、そう思える瞬間がきっと待ってるから。「未来」の自分に喜びを味わって貰えるように。御礼を言って貰えるように。
いまが我慢時。人生の試練、山なんだと思って耐えてみよう。
一人で遊びたい性格なのに「皆と遊びなさい」大人は口を揃えて言った。
「○○ちゃんは、できるのに。なんで あなたは、できないの?」
そんな風に周囲の子と比較されて責められて。
劣等感を感じ始め、自己肯定感が低くなった。
「こうするのが当たり前」とか「普通」とか。
「普通って何?」と言ってやれ。
「私という『個性』を見て」って言ってやれ。
私にだって「良いところ」があるんだ。
少し違ってても、はみ出してても、歩調が合わなくても。
それが『個性』だから。
他人と比べる方が間違ってる。
「それが自分なんだ」
自分を理解して認めて受け入れる。
子供時代に受けた「大人からの洗脳」を解こう。
他人と仲良くなれないのは自分が相手に心を開いていないから。それも原因のひとつ。
対人恐怖症の人は他人が怖いんじゃない。自分が「どう思われているか」が怖いんだって。
経験しないと分からないし、人として成長できないし、考え方や視野が狭くなり、凝り固まってしまう。
でも面倒だ、怖い、疲れる…って。わかっていても、そっち(楽な方)の道を選んでしまう。
「それでいいんじゃない?今は…」
自分がやる気にならなければ変われないって分かったから。
自分なりに頑張ってみても「なんか違う」「やっぱり駄目だ」と感じて動けなくなる。
「本気で変わらなければ」という強い意思や「死ぬほどの覚悟」みたいなのが必要なんだろう。
そんなの無いし。今の性格で何とかやってこれたし。
もう、うるさく言いたくないし、自分を追い込みたくない。
だったら「それでいいんじゃない?今は」
自分の決めた選択に自分で責任取ればいい。選んだ道を背負って生きればいい。途中で間違いに気付いたなら素直に修正すればいい。
時間は皆平等
悩まなくていいことに悩む時間が勿体ない。
仕事をしていると、たまに自分のトロさに劣等感を感じて悲しくなる。
でも「それが自分やん?悲しんでる時間が勿体ないよ」って、なだめる。
子供時代に言われてきた言葉が甦る。
「はぁ…情けない…」
「しっかりせぇよ」
亡霊が罵る。
冷静になって自分が亡霊を作り上げて自分を責めてるんだって気付ければ「劣等感を感じてる時間が無駄な時間だよ『皆違って皆イイ』でしょ?」って切り上げられる。
大丈夫。習慣になってしまってるだけだから。
他人は他人、自分は自分。皆で足りない所を補い合えばいいんだよ。助け合えばいいんだよ。
変なとこで自分を責めたらあかんよ。
今まで興味を持たなかったこと。やってみたいと思わなかったこと。読んだり、観たことなかったジャンル。無意識に避けてたこと。
やってみたら意外と はまるかもしれないし、面白いかもしれない。
「何だコレ?」「何故だろう?」「どうなってんの?」「面白そう」「楽しそう」「自分にもできるかも?」少しでも気持ちが動いたら「それを知る為やる為」取り組んでみよう。
ネットで調べたり、テレビを見たり、街に出たり、お店を覗いたり。人に聞いたり。資料本を読んだり。
情報は沢山溢れてる。
毎日が退屈で、つまらなくて…それが辛くて嫌なら、やってみたらいいんじゃないかな。
新しいこと、知りたいこと見つけたら人生また輝きだすよ。
規則正しい生活(適度な運動も含む)をしていないと体だけじゃなく精神バランスも崩す原因になるらしい。『なぜ生きる?』『何のために生きてる?』なんてモヤモヤ考えるのは人間だけ。
地球上の人間以外の生命体達は皆ただ生きてる。悩むことなんてない。多分。
食べて寝て。外敵から身を守って子孫を残す。寿命が尽きるまでずっと。
モヤモヤを感じたら、彼ら生命体の真似をしてロボットになったつもりで何も考えずに食べて寝て働いていればいい。刺激や情報を得て『生き甲斐』『目標』『夢』等が見つかるまで。
「生きる屍」「ただの肉塊」「人間のクズ」自分でも他人から見ても思える程、堕落してなければ、まだ底じゃない。大丈夫。
最近気付いた。私は愛犬に対しても心を閉ざしている。いつも真っ直ぐに純粋に思ってくれているだろう愛犬の愛情を私は受け入れられずにいる。
誰かと愛し愛され…すら怖くて叶わない。永遠に変わらない愛情なんて無いと思っているから。他人も自分の気持ちも信じられない。
皆の雑談をラジオを聞くように聞いている。
どこに行っても、人の群れ…輪の中には入れない。
皆、時の経過と共に仲良しグループを作っていくけど…私だけは、いつまでも独りぼっち。まるで出来損ないの人間、異物みたい。
目に見えないウイルスだって人間に嫌われてるけど生きてる。微生物だって植木鉢の下にいる虫たちだって、ひっそり生きてる。なんだか親近感。仲間だね。
ドラッグストアにて。
母親の自転車から降りた女の子が先回りして店の入り口でカゴを持って待っていた。気が利く子だな…と思ってたら母親が女の子の名前を呼びながら歩いてきて「1人で駐車場の方に行っちゃダメだって言ったでしょ」と注意していた。
「駐車場じゃなくて店の入り口じゃん。ていうか彼女カゴ持って待っててくれてたのに…気付いて一言お礼を言ってあげてよ」
そういえば私達、母娘もこんな感じだったな。私の本心に気付いてくれない母に何も言えなかった。父は論外。両親を見限ったというか段々期待することをやめてしまった。未だに両親に対して悩み相談が出来ない。
他人に対してもそうだ。
「私は、こうしようとしてたんです」って言わずに、あきらめてしまう所がある。もう一歩、踏み込まなきゃ。わかってほしいなら口に出して伝えなきゃ。相手に自分の考えや本心を理解してもらえるように。
惨めな気持ちにならないように。自分を助けてあげなくちゃ。
…あきらめちゃダメだ。
生きているだけで疲れる。社交的な人達からはパワーを感じる。
彼等が鍛え上げられた体なら、私は病弱な人。メンタルも脆い。
家から一歩外へ出ると薄い壁を作る。少し緊張。職場の休憩時間はなるべく皆の視界に入らぬよう。
とにかく精神的に疲れる。皆の「当たり前レベル」ができないんだから仕方ない。ストレスを溜めすぎるとメンタルまでヤられる。
食生活、睡眠時間、適度な運動等見直し、基礎作りを心掛けよう。
生きていれば色々ある。精神的大打撃を食らう時もある。他人と比較して落ち込んでしまう時もある。ストレスや心の傷は避けられない。しかもダメージが長引く。更にダメな自分を責め始める癖あり。だから鬱に傾きやすい。
動けない、できない時は辛い。辛いけど「自殺をしない」ことだけは守って。
自分を責めるのは症状を悪化させるだけ。
「私は現在精神的に弱ってます」と紙に書いて目につく所に貼り、自分を責め始めたら「こんな状態なのは精神的に弱ってるからだ」と気付いて止めよう。
楽しいと感じることをする。自分をおだてて、プラスの言葉をたくさん掛けてあげる…弱ってる心への薬になる。
できたこと、嬉しかったこと、楽しいと感じたこと…小さなことでいいから毎日ノートに書き出す方法も良いらしい。
(思い付かなければ「今日は何事もなく過ごせました。」でOK)
コツコツと継続することが大切。パワーを少しずつ溜めていくイメージで。
自己啓発本に書いてあることに納得も理解もできず、もがいて悩んで考えて回り道して、ようやく「本が正しかった」と納得し「あれは、こういうことだったのか」と理解する。
聖書で悪魔が神に背く行為を働いた時、神様は罰を与えるでもなく、消滅させるでもなく「気が済むまで自由にやりなさい」と悪魔の好きにさせた(現在も、させている)と聞いたことがある。
「神様。悪魔なんか、さっさと消滅したったらいいのに」神様を軽く恨んだりもしてきたけど、頭ごなしに説教したり抑え込んだりじゃなく、本人に自由にやらせて考えさせて「あぁ自分は間違っていた。神様の方が正しかった」と悪魔が思い知らなきゃ意味がないってことだったんだね。
自分が納得するまで、やってみる。考える。
年齢なんて関係無い。
自分の問題の解決を他者に委ねていては、いつもうまくいくとは限らないし、その他者がいなくなるという不安に怯えることにもなる。他人に頼り続けることで自分自身を支える力も弱ってしまう。
うまくいかないことがあった時、他人のせいにするのをやめてみる。うまくいかないことがあった時こそ自分を強くするチャンス。失敗と挫折のストレスに耐えることが、その人を強くする。
寂しさを他人で紛らわすのをやめてみる。孤独に耐える力が、その人を強くする。
何か欲求不満が生じた時、それをすぐに解消しようとするのをやめてみる。その人は、そう決断できた自分の力を手に入れて、みるみる自分が変わっていくことを実感するはずだ。
結局自分を変えるのは自分にしかできない。その人自身が自分の辛さを自分で引き受けて、どうにかしようと思った時、その人は変わり始める。本当は、その人の中には、そうする力が眠っていることに気付くだろう。
もちろん苦しい時は助けを求めたらいい。だが、相手がうまく助けてくれなかったから自分が苦しいのだとは思わない方がいい。相手も疲れて気持ちに余裕がなかったのかもしれないし何か苦しいことを抱えていたのかもしれない。でも、きっとうまく助けられなかったことを相手も気にしているはずだ。
もし、相手が気分をうまく変えられるアドバイスをしてくれたら、その心地よさに甘えるのではなく、そのアドバイスを心に刻み付けることだ。
その場その場で人との関係を消費してしまうのではなく、絶やさない灯火にしていくことで、その人の人生は繋がっていく。そして、その人が周囲の人に素直に感謝することができるようになれば、その人は、もう癒され始めているだろう。
「自分は今幸せだ」と自分に嘘をついてはいませんか?
そんな言葉を本で読み「旦那と離婚して一人暮らししたい」の願望が再来。
愛犬の世話、収入から現実的に無理なので頭の中で離婚、別居を実行してみた。
不要物が多い、衝動買いが多い、食費の見直し…色々問題が出てくる。一人暮らしを想像すれば節約することができると気付いた。
旦那が何かしてくれてなくても「今一人暮らししているんだ」と考えればイライラも抑えられる(食器関係は難しいが)
- << 330 食器は、どうしても2人分になる。 旦那の分を見てイラッとしてしまった時に「5分後の自分が、また見てイラッとしないように今片付けてしまおう」と思った。 片付けた後、再び台所へ行った時、何も残ってない流し台を見てスッキリ。 嫌なことは後回しにしない。イラッは1回で終わらせたい。
詩 「子は親の鏡」
けなされて育つと、子どもは人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込み思案な子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世はいいところだと思えるようになる
職場でふと寂しさを感じる。上司が私に話し掛けるのを躊躇し始めた気がする。
そんなことから、私という人間をどこへ行っても、多くの人々に受け入れてもらえずに来たことを思い出し、辛くなった。
「辛いなら変わらなきゃいけない」と思う自分に「私は自分にも受け入れてもらえないの?」と精神が参り始めた。
苦しくなっては考えるのを止め、辛く寂しいと感じたら、また「変わらなきゃ」と思い詰め…ぐるぐるしていた。そして今日「改良」と守護霊様が囁かれた。
「そうか、自分の良い所は残して悪い所だけを変える努力をすればいいんだ❗」と気が付いた。0か100か…の極端な考え方に、またなってしまっていたようだ。
お喋りしろとまでは言わないし、向いてないのは分かってるから。
「声の音量を上げること」を自分の変えるべき所とした。あとは変えなくていいからね。
今までは「まぁいいか」で諦めてきたけど、自分をより良くする為に反省と激励しながら意識し続けよう。
憎しみ、敵意、怒りを抑圧すると基本的に不安になる。不安から身を守るには服従すること、譲ること、言いなりになること等の方法がある。心の不安な人は心理的に一人立ちできず保護を必要としているから奴隷のように従順に振舞い続けなければならない。
自分の利益、感情、個性、誇り、魅力、それらを守る為に戦わない者は軽んじられる。自分を守る為に戦うことに罪の意識を持たされてしまった者は他人になめられ利用されるだけである。自分を守る為に戦うことは決して悪いことではない。あなたが奴隷であることで最も利益を得ているのは誰か?自分の周囲、過去を腹を据えて見つめてみること。
なぜ他人は自分を守る為に戦っていいのだ。なぜ他人は、あなたの利益を害してもいいのだ。なぜ罪の意識もなくあなたの利益を害することができるのだ。その暴君と戦うのに、あなたが罪の意識を持つのは、絶対におかしい。もし罪の意識を持つとすれば利益を害されても従順なままでいるあなたではなく、あなたの利益を害する相手であるはず。あなたが罪の意識を持つのはおかしい。逆である。自分を守る為に戦わないことこそ、罪である。
そしてこの戦い(暴君と服従依存の関係を結んでいる奴隷…という関係を断ち切る)を徹底的に戦い抜かなければ、あなたは人を愛することのできる人間にはなれない。
小さい頃、その人を必要としていたから、どんな扱いをされても、どうしても憎むことができず自分を憎んでしまった。もともと外に向くべき憎しみのエネルギーが自分に向いてしまった。自分で自分を憎んでしまった日、心理的成長が止まった。
確かにあなたは幼かった。相手は強大だった。そのように敵意を抑圧する以外に生きる方法はなかった。
しかし、今必要なのは、自分が目を背けていた源のところをしっかりと見つめ、その日自分が負けたということを認めることなのである。
それと自分の周囲にいる人間をしっかりと見据えること。彼らも決して力強い巨人などではない。彼らを巨人にしているのは、あなた自身の心の恐れなのである。あなたが勝手に周囲の人を力強い巨人と思い込んでいるだけなのである。
力強い巨人と弱々しい小人という関係を作ったのはあなた自身。だからその関係を壊すのも、あなた自身。素直な気持ちで周囲の人を見ればいい。
裸の王様に「王様は何も着ていない」と言った子どもの目が今あなたに必要なのである。
自分で自分を憎んでしまった人間は小さい頃、抑圧された憎しみを持つ人間に自分を同一化してしまった。だからこそ自分で自分を受け入れ、愛することができるようになる為には、同一化した人間から心理的に離れるしかない。
運動をしなくては、と思いウォーキングマシンを買うか、外を歩くウォーキングにするかで迷った。結局「ウォーキングなら電気代使わなくて済むし景色や地面の感触、人や物を避けることで脳にも刺激になる」という考えが上回り、保険でウォーキングマシンより安い、足踏みステッパーを購入。
でも「寒い」「面倒臭い」「時間無い」等言い訳だらけで数える程しかウォーキングしてないし足踏みステッパーもほとんど仕舞いっぱなし。
今じゃ「ウォーキングマシンならテレビ見ながらだってできるし、家の中だから途中離脱して用事もできる」とウォーキングマシンを推している。
「やらなきゃいけないんだから頑張れ」で買っても実際にやらなきゃ意味が無いし、買い損。
「できるはず。頑張れ」でも実際に行動できなきゃ駄目だし。
期待して裏切られて、またひとつ自分を知る。「私って、そういう奴だったんだ」と。まぁ今回は「やっぱりね…」だったが。
「自分を責めない」を実践してたら「楽」を優先してしまう自分が露わ(あらわ)になった。
他人は他人。自分は自分。自分が本気で「変わりたい」と思わない限り、このまま。「楽」優先。
『仕方ないじゃない。これが「私」なんだもの』あれこれ悩んで考えて、こんな考えに行き着いた。
自分育ては子育てと同じ。もし間違っているなら、間違いに気付くまで、気付くキッカケに出会うまで、自分を責めずに黙って見守ろう。
通販で高値の魚沼産のコシヒカリを試しに買って食べてみたことがある。旦那は「味が違う」と言ったが、私には普段食べているお米との違いが分からなかった。
私って味音痴なのだろうか?いや、肉はさすがに分かるけど…炊きたて御飯を並べて食べ比べれば分かるのかも知れない。
そう考えた所で「個性の大切さ」と「比較するから差が出る」という問題に気付いた。
私みたいなトロくて非社交的な人間には、なかなか職場で出会わない。だから沢山の「テキパキ行動、社交的な人間達」の中で働くことになる。足引っ張ってしまうから申し訳ないし、迷惑掛ける度に辞めたくなる。でもクビにはならないから「居てもいい」と言われてる気がしてくる。
他の人が気付かないことに気付いたり、皆やりたがらないことを苦無くやれたりと、こんな自分にも皆と違うからこその「良いところ」もある。
『皆と違うからといって決してダメな人間なんかじゃない。比較して劣等感を感じ、自分にダメ出しして責めたりするのは間違ってる。個性を大切に』そこをしっかり押さえて、努力しても皆の足手まといになってしまうマイナス感を少しでもプラス側に持って行きたい。
「1人1人違う」「皆オンリーワン」「僕らは世界にひとつだけの花。1人1人、違う種を持つ。その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」
最近ラジオから流れてくる「世界にひとつだけの花」を聞いて励まされた。
学生時代の修学旅行等で友達の居ない私は、いつも決まったグループに強制的に加えられた。楽しい思い出を作れなかったであろう、そのグループの子達には未だに申し訳なく思う。
「何故友達を作る努力をしないの?」と誰かに言われたこともある。
教師も「何故あんたみたいなのが、うちのクラスに居るの?」と言いたげな態度。
そんな苦い経験から「私は悪者」と思い込むようになった。
個性。性格。皆違って皆イイ。十人十色…
そうは言っても協調性を求められる場面では、どうしても悪者、邪魔者扱いされる。
友達を作る努力をしない私は悪者。
皆の輪に入らない、コミュニケーション取りにくい私は邪魔者。
学校って所は地獄…教室では毎日同い年の子達との差を見せつけられ、自己卑下しまくる。更に自分の殻に閉じ籠って…毎日二重の檻の中。
12年間ずっとそんな状態だったから、自分に自信が持てない、自己肯定できない人間になった。社会に出ても池が湖に変わっただけな気がする。
人間関係が辛ければ退社。逃げられるようになっただけマシか。
「皆努力してるんだ」「うまく立ち回れよ」なんてドラマで言われてた。
自業自得なのだけど。
不器用なのか?ただ努力しない甘ちゃんなのか?
…そう突かれると辛い。
向き合わず逃げてしまう自分が情けない。
情けなくても弱くても生きていくしかない。
生きているだけでも強いんだよ。偉いんだよ(^-^)d
「あなたは、どんな言葉を掛けられると嬉しいですか?」という質問に中々答えが思い浮かばなかった。
数ヶ月経ち、「いいよ」が浮かんだ。
「~してもいい?」「いいよ」の「いいよ」
私は他人からの許可が欲しいらしい。
根っこに「私は欠陥人間」「私は邪魔者、悪者」「怖がられる」「拒絶される」みたいな悪いイメージが染み付いているから、自分の存在に「確実に」OKを出して欲しいんだな。
「色んな人がいる」知識としてはあるけど、他人から拒絶されまくってきたから「自分を否定する自分」が自分の中に居座っている。色んな人達と関わって話して「受け入れられた」って実感できないと、きっと消えてくれない。でも、それは難しい。
「本当は嫌なのに無理して私と話してるんじゃないか?付き合ってくれてるんじゃないか?」なんて相手を疑ってしまうから。
だから、この辛さは一生つきまとう😢
心の病…ぶん殴りたい
人間は誰でも欠点がある。その欠点を見て自分に40点をつけると40点のような気分になって40点の行動をするから40点の人生を送ってしまう。自分は40点だと思い込んでいると、いくら努力しても40点を50点にするのは不可能だ。
自分に100点満点をつけよう。
「自分は40点だな」と思っていても無理をして100点満点をつけていると自然に自分の古い殻が破れて新しい自分に変わる。
「自分は40点だと思い込んでいる自分」を50点に押し上げるのは不可能だけど、100点の窓から自分の手をとって、さっと引き上げれば容易に上がる。
もともと自分は、そのままで100点満点。その100点満点を基準にして気付いたことを手直ししながら生きていこう
ドラマや世間の人々を見ていると、皆「自分」を持っているなと感じる。
私は、まだ自分がよく分からない。やや利己的なんだろうな…とは思う。
幼い頃になりたかった職業「ケーキ屋さん」と「お花屋さん」は今考えると「好きなものに囲まれていたい」という希望が感じられる。大人になってからは「飼育員」「牧場で働く」職業に憧れた。相変わらず対人は皆無。
独り暮らしを夢見てるのも他人と暮らすストレスを感じているからだろう。
とことん人間が嫌いな人間なんだな…私は。
周囲の人々に嫌な思いをさせてしまうから、できるならなるべく人間と関わらずに生きて行きたいものだ。
考えが、とても甘くて打たれ弱く、脆い人間。
人間が嫌いで、恐ろしい。
「もっと🌕🌕しなさい‼」母親や厳しい先生からよく言われた言葉。
その頃は、ずっと他人目線で見るとイライラするから言われてるんだと思って「何故私を否定するんだろう」と悲しくなっていた。でも社会人になって数十年経ち、昔言われてた「🌕🌕しなさい」が私の為でもあったんだと気付いた。
他人をイライラさせるのも勿論だが、私が「それくらいのこともできない人間」と見られてしまうのだ。つまり年齢不相応な人間。
実際その通りだと思うから悲しくもなくなったのだが。時々「情けないな…」とは感じる。
たまに「悔しい」とも思うから、そういう時は直す努力をしていきたいと一念発起するのに、続かないから問題だ⤵
通販をよく利用するから宅急便のドライバーさんに顔を覚えられている。外を歩いていると車窓から「こんちは」「後で行きますね」等声を掛けられる。
ドライバーの中に茶髪で気さくなお兄さんがいて「こんな人が『お兄ちゃん』ならいいのに…」と少し恋心に近い感情を抱いている。
今朝犬の散歩をしていると「あっ❗🌕🌕さん、荷物積んできてるんで今から行ってもいいですか?」と声を掛けられた。見ると「お兄さん」だ。近くに車を停めているらしく荷物だけ抱えて追いかけてきて「ワンちゃん暑そうですね、うちのも暑そうにしてますもん」と話し掛けられた。
普段話を振られることが無いから軽くパニック。
「犬飼ってはるんや…」と、せっかく話し掛けられたのに心の中で終わらせてしまった。「犬飼ってはるんですか?」口に出して言えば会話になったのに…😢
先日ツアー旅行に1人で参加。子供連れの家族が多かった。子供は親が自分の話を聞いてくれるまで「ねぇねぇ、ねぇねぇ」と訴え続ける。そんな頃があったのかな?私にも。
点呼の時、周囲から「あの人、1人参加?」みたいに見られても、もう萎縮しない。「1人ですが何か?」誰にも合わせることなく自由行動できるってのが気楽✨なんだもの。
往復の新幹線で私の隣には添乗員さんが座った。
お喋り好きな方で、楽しく会話できた。でも添乗員さんが途中で席を立ち、ひと仕事終えて帰って来られた時「お疲れ様でした」「大変ですね」等、声を掛けられなかった。
過去に、ある程度会話して「受け入れられた」と思って更に話し掛けたら「こいつ、また話し掛けてきたよ…」という表情で見られたことを思い出し、ブレーキを掛けてしまった。
逆に変な違和感というか、印象を添乗員さんに与えてしまったよな😢
添乗員さんとは、その日限りの付き合いなんだし、そんな顔されないだろうし…。
職場では「私に話し掛けられたら嫌だよね、迷惑だよね」と気兼ねしてしまう習慣がある。
人の心って見えないから。なかなか勇気が出せない。
時々、頭がおかしくなる。普段存在感が無いせいか、自分を幽霊化してしまう時がある。そんな時、人数を数えられて自分も入れた数を言われると、ちょっとビックリする(汗)
職場では迷惑を掛けてしまった。1度大幅に寝坊してしまった日「どうせ私が居ないことに気付いてもいないだろう」なんて連絡せずに出勤すると「遅刻するなら連絡してね」と、すかさず言われてビックリするやら嬉しいやら。
「私は幽霊じゃない‼私は、ちゃんと皆の目に映ってるんだ」そんな、ごく当たり前のことを無性に確かめたくなった危ない時期。
いま思うと「大丈夫か?」と心配になるが、確かめて安心できたんだから良かったね…な出来事だ。独りで居すぎるのも危険なのかな?
私は、どうやら楽に金儲けをしようとするとダメになる運命らしい。せっかくコツコツ貯めたお金が無くなってしまった。ショック過ぎて茫然自失。
そんな時、いつも神様は「泣ける本」を読むように仕向けて下さる。泣いて泣いて…頭が、心が、落ち着きを取り戻す。
同じ被害者で「全財産を預けていました。これからどうすればいいのか…」と書かれているのを見付けて「私はまだ働ける年齢だからまだマシだな」と思ったり「親しい人が居なくて良かった。もし誘って一緒にお金を預けてたら、その人にも多大な迷惑掛けるところだった…」と考えたり。
落ち込んでいても仕方無い。人生勉強だと前向きに考えたり、今からできることをやっていくしかない。
「今までコツコツ貯めれた」という実績がある。もうあと数年しかないけど、これからも少しずつできるだけ貯めていこう。
「自分を責めずに反省し、これからの自分を信じる」ことができたのは今回が初めてかもしれない。
毎晩ダラダラと過ごし、夜寝るのが遅くなり、朝が起きれない。
毎日5時間から5時間半しか寝てない。
そんな日が続いており「このままではいかん」と思いつつ、お尻に火が着かないと行動しない性格だから、どうしたものかと悩んでいた。
すると来月までに朝早く起きる習慣を身に付けなければならなくなった。導火線に火が着けられた気分。
時間管理が苦手だから逆算する。1時半には寝たい。なら12時半までには家事を終わらせねばならない。いつも1時までダラダラと過ごしていたから、少しストレス。これから毎日こんなリズムになるのか…少し憂鬱。
でも6時間は寝れるよ? 嬉しいね😉健康に良いね😉怠け者だった自分との戦いに挑戦します👍
婚活している時に気付いたこと。「自分の性格は変われない。でも見た目は変えられる」
現在の私は性格は変わらないと諦めた。人間が怖いのだから無理して付き合うことは無いと。
でも残りの人生、何も変われないのは寂しいから。
何か小さなことでも成長したいなと思った。ドラマで生卵を片手だけで割る男性をよく見掛け、やってみることに。
殻が硬くて中々難しい。両手で割る時より強くぶつけないといけない。たまに殻が入るし。もう10個以上割ってるが成功したのは3回だけ。
「こうすればいい」と対策を考えても忘れてたり実践できずに同じこと、同じ過ちを繰り返している。
失敗を何度も繰り返さないと脳に浸透しにくいのかな?
ドラマより
一番大切な愛は自分に対する愛。
ラッキーカラーやパワーストーンに頼ってたら幸せになっても全部それのお陰になっちゃうよ。それでいいわけ?あんたの頑張りとか努力とか関係無いわけ?
「自分には人に胸を張れることなんて1つもない」って思ってるかも知れないけど、それ違うから。そんな人間この世界には一人もいないから。
誰にでも必ずあるんだよ。自分にしかできないことが
頭の固いブスより柔軟なブス
手を貸さないブスより手を貸すブス
暗いブスより明るいブス
愛想が悪いブスより愛想のいいブス
性格が悪いブスより優しいブス
自分の欠点をちゃんと受け入れる。そしてそれを少しでも直す努力をする。
周りの目を気にするより自分自身を見つめ直すの。
私の心は真っ黒な鉄の壁に囲まれた小さくて真っ暗な部屋(金庫の中に居るみたい)に籠っているイメージ。窓が無いから光も無いけど狭くて落ち着く。
部屋の外では、ガヤガヤ話し声。バタバタ足音。正直落ち着かないけど、部屋の中に居れば大丈夫。誰も入ってこられない。
話し掛けられるのは、誰かが扉をノックするイメージ。でも殆ど開けることはない。居留守を使う、または扉越しに会話をする。
気分が上向きな時や、何かやり取りをしなければならない時は、ほんの少し扉を開けて顔を見せる。
そんなイメージ。
誰にも心を開く(扉を大きく開く)ことは無い。
最近「自分の殻に閉じ籠っている人」という表現を読んだ。金庫のような部屋は「殻」だったんだなと。
扉は分厚く重たい。だからあまり開けたくない。
現実は…進んで人と関わりたくない。ってことなんだろうな。
人生案内より
自分に芯がなく、人が普通にできることができないと悩んでいる相談者への回答。
人ができることができない人は逆に人ができないことをできるもの。ぜひ、それを見つけて下さい。それがあなたの芯になります。
評価を気にしないようにするのではなく、自分に芯を作ることに心を集中するのです。その為には「人には評価されなくても努力するのが苦痛ではないこと」を見つけ、今の生活の中に少しずつ加えることです。何でもいいのです。自分が少しでも進歩していることを感じ続けると、いつかそれがあなたの芯になります。
一方、他人が普通にできるのにあなたは苦手なことも投げ出さずに続けてみて下さい。いつかその苦手なことと、あなたの中で育った芯の部分が融合すると「あなたしかできない」ことができる人になるはずです。それは時間が掛かりますが一生のテーマになるものです。
100%に近いほど、他人に心を閉ざすと他人に興味を持たなくなる。他人から、どう思われようが気にしなくなる。まさに「我が道を行く」状態。
今まで何人か「完全に心を閉ざした(らしい)人」に出会ったけど、成れの果てというか、開き直った姿というか…。
私も、そっちに行きかけている。自分は「人間嫌い」と分かって、もう変われないと諦めつつあるから。
でも仕事上のコミュニケーションは取れるように、これからも努力していきたい。黙って勝手にして後で混乱を招くような迷惑は掛けたくない。
現在できていることは、やり続けることにしよう。
それと「もう少し努力してみよう」と思う気持ちも捨てずにいたい。
まだ「成れの果て」には、なりたくない。と足掻く自分を応援したい。
最近自分について気付いたことがある。
他人の前から早く立ち去ろうとしてしまう、ということ。指示を受けても、相手からしたら「理解したのかな?」と思われるような応対をしてしまう。以前から掲示板を見たり、掛け時計を見たりも周りに誰かが居ると遠慮して見に行けないし、見れない。
誰かと目が合いそうで怖い。行けば「何か来たよ…」って思われそうで…今度は対人恐怖症を何とかしなくては。
自己肯定本を卒業した次は対人心理の本を買い集めた。独りで心のステップアップ。
普通の人達は読まないであろう本を読み、心を強化する。何してるんだろう?って情けなく思う。でも少しでも楽に生きられるようになりたいから。生きることが不器用な私には必要なことだ。
職場で嫌なことがあると辞めたくなる。
他人と関わるから嫌な目に遭う。でも人里離れた場所で独り暮らしとか無理だ。自給自足は簡単じゃないし、年も取る。他人の協力や助けがないと生きていけない。
仕事辞めたい…と思って憂鬱になっていた時に、ふと「あぁ今まで何度もこんな風に憂鬱になったことあったよな。これ2、3日過ぎたらまた復活するよ。大丈夫」
そう。何度もこんなこと経験してきたんだ。そして乗り越えてきたんだ。
自分を観察して「こういうところあるよな」と気付いてきたから、憂鬱になっても「大丈夫」って思えた。
普通の人達にとっては何てことないだろうが、私にとっては小さなトラブルが発生し、「どうしよう」と悩んだ時も解決案を数個考え出したら何度も「どうしよう?大丈夫かな?」と沸き上がる不安に「解決案があるから大丈夫。落ち着いて仕事に集中しよう」言い聞かせることができた。
対人が苦手。でも人々と関わっていかないといけない。「自分よ、頑張れ」
自分が言った言葉が全て相手にちゃんと伝わっていると思っていたのに、そうじゃない時があった。
相手は聞き取れていないのに「多分こう言ったんだろう」と想像して「あぁ、そうなんだ」と返事をしたり、対応していたのだろうか?過去の皆を疑ってしまう。
ここ数ヶ月はマスクをしているから余計に聞き取り辛いだろう。
聞き取れなかった時に「ん?何?」と耳を寄せてくれる人の方が信じられる。
「大きな声で」とは思うけど、何年もの付き合いの人を相手にしても、喉がつまる。対人恐怖症は、なかなか手強い。
「今日はできる気がする」と少し大きな声で挨拶してみようと思っても…いざとなるとできない。声量アップはまだハードルが高いのかな?
頭を下げるだけの時があるから、それを「声に出して挨拶をする」に。まずはここを達成できるようにしたい。
最近、仕事先で、お喋りな年配の方に話し掛けられる機会が増えた。
相手が話すことに相槌をうってばかりだけど、たまに「○○って○○ですよね」とか自分から言いたくなることがある。
「でもこれを言うとまた話が長くなるな…」とか「こんなこと言ったらマイナスイメージだよな」等考えてしまい、言葉を飲み込む。
飲み込まずに言った時は、「そうそう😄」と相手も相槌をうって下さる。自分はいま、人と会話をしているのだ、対等な関係なんだと実感する。
思っていること、感じていることを発言しあうことで、お互いのことを理解しあえる。
前にリーダーから作業の意見を聞かれて「私は○○が苦手であまり長い時間やりたくないんですよね」等、意見のつもりで不満をぶっちゃけるとリーダーは「何か話してくれて…○○さんの気持ちを知れて凄く嬉しいです❗」と喜んでいた。
リーダーは私のことを嫌っていると思っていたから「嬉しいです❗」発言に驚いた。
よく言葉を飲み込むから、話し掛けてくださった相手は私のことを「知りたいのに…」と、もどかしく感じていたのかもしれない。
他人に心を閉ざし過ぎてて、そんなことにも気付けなかった。これからは、なるべく飲み込まずに言ってみようと思う。
先日「打首獄門同好会」(バンド名)のMVに出ていたペンギンが打首~のオリジナルキャラではなく「コウペンちゃん」というキャラクターで既に数冊本が出ていることを知った。
あれって皇帝ペンギンの雛なんだということも、ついでに知った(笑)
「🌕🌕して えら~い」と 「当たり前だろ…」と思うことに誉め言葉をくれるコウペンちゃん。本のレビューを見ると疲れた人には癒しになるらしい。元気な時にはイラッとしてしまうだけだけど…
休日の前には「しんどいけど…明日少しでも楽できるように、やっとくか」と家事をすることが多い。
ふとコウペンちゃんを思い出して「疲れてるのにお皿洗って、えら~い(^-^)」と心の中で言ってみた。なるほど…癒される(-ω-)
先日電話で、とある作業を依頼した時「なんか…めちゃくちゃ声小さい人ですね」と言われた。
前の自分なら傷付いてただろうけど、大丈夫だったし「失礼な人だな…」とさえ思えた。実際に会うとチンピラみたいな人で「あぁ…あんなこと平気で言いそう」と思ったし、作業もいい加減で見た目通りだった。
対話も電話での会話も緊張するから、より声が小さくなる。挨拶もしてるつもりだけど相手からしたら聞こえてない?から「あいつは挨拶もしない」と、声の大きい人には言われたりする。
対人関係は「苦手、できない項目」だから文句言われても仕方無いと割り切っている。その代わりできることは精一杯取り組んでいる。そうやって精神バランスを取っていると、他人からの言葉のナイフの刺さり具合は浅く、傷の回復力は早くなってきた。
人のなかに楽にいるためには…心穏やかで豊かな人生を送るためには…あるがままの自分を受け入れること。性格を変える戦いをするのではなく、傷つきやすい心も含めて、あるがままの自分を受け入れること。
「自分の素直な心で人と接する」
他の人といると、つい本心とは裏腹な行動をしてしまう。演技したり仮面を被ってしまう…それでよいのです。そのように演技してしまう自分も自分。そうでないようにしたいと思う自分も自分。どちらも自分。どちらでもよいのです。できるところでやってみる。辛ければ無理に努力しない。そのときどきの自分の心にまかせればよいのです。
誰でも人前では多かれ少なかれ演技をし、仮面を被っています。
ずるく立ち回ろうとする心もあります。真の自己と偽の自己との分裂もあります。人間の心は曇りなく澄みきったものではありません。人のなかにいるのが苦痛な人は、こうした自分のなかの葛藤に敏感すぎるのです。そして過度に自分だけ潔癖であろうとしていることが多いのです。
そうではなく「いつでも本当の自分でなければならない」等という「かくあらねばならない」という考えを捨て去ることです。
こうすると気持ちが楽になります。
「自分の好きなことを始めてみる」人間関係に無意味なエネルギーを使わず、充実感を持って日々を生きるためには自分が、これだと思うものに熱中すること。成長の過程で抑圧されてしまったものを解放してあげるのです。そうすると行動から心へと自然に変化が起きてきます。
悪循環(今)
好きでない、得意でないことをやってきた→(だから)熱中できなかった→力がつかなかった→自信が持てなかった→人の目が気になった→消極的、防衛的になっていた→安心が得られなかった
↓
好循環
好きなこと、得意なことをしている→熱中できる→力がつく→自信がつく→人の目が気にならなくなる→積極的、解放的になれる→喜びと安心感に満たされる
「好きなことが見つからない」という人は、子供の頃に熱中した遊びを思い出して。…馬鹿馬鹿しい、意味がない、無価値だ、など社会的価値の観点から判断しない。自分がやってみたい、面白そう、楽しそう…と感じたことをやってみる。好きなことをするのは他の人から評価される為にするのではない。
自分には無理だ、始めたら途中で投げ出せない… そんな考えも捨てましょう。競争ではないし、色々なことに自由に挑戦すればいいのです。
「強制してやるのではなく楽しむことが大事。決して苦しみながらやるものではありません」
じわじわと「他人との共同生活」に並みならぬストレスを感じるようになってきてネットで周辺の空き部屋を検索するようになった。愛犬達が旅立ち、ストレスが限界突破したら出ていこう。今年に入ってから本気で考え始めた。
そんな時、旦那が諸事情で出勤時間が早まることになり、お弁当は私の分だけ作ればいいことになった。
少し負担が減った。晩御飯も宅食が多いし、洗濯は個別でしてるし、一緒にいるのは愛犬達の世話をするためだけのような気もしてきた。
携帯。今は旦那名義なので自分のスマホを契約するため、楽天スマホを購入。色々調べて、1年後に格安スマホに変更しようと決意。すると数週間後に近くのショッピングモール内に、その格安スマホを取り扱う店舗が入ると広告に載っているのを見つけた。
これは…?
決意したことに対して立て続けに追い風が吹いているように感じる。(時々こういうことが起きる)
この先、どうなるのか?
希望通りに別居できるのか?気持ちが変わるのか?私か旦那、どちらかの身に何かが起きるのか?流れに身をまかせてみたいと思う。
職場でストレスチェックをした。毎回「相談相手の有無」の部分で回答に困る。
私には相談相手どころか世間話する同僚すら居ない。「そんなあなたは普通じゃない」と突き付けられる感じがして毎回気が沈む。
ワイワイ話している人達。その輪に入りたいとは思わない。
でも帰宅中の学生達が2人で話しながら歩いてたり、自転車で並んで走っている姿を見ると羨ましくなる。友達…1人でいいから居たらいいな…でも一緒に出掛ける時の服装に頭悩ませたりするから面倒…相手を待ったり合わせなきゃいけない。なら1人で行動する方が気楽。
結果的に「独りがいい」となる。
群れない人間が居てもいいじゃない。ちょっと変わってたっていいじゃない。
人類滅亡させないように色んな人間が存在するんだよ。
金欠なのに…ストレスが溜まると、つい習慣でネットや通販のカタログを眺めては「これ欲しいな…ここ行きたいな…これ可愛いな」と物欲が湧いてくる。
もうペットは飼わない、というか飼えない。それが現状なのに時間ができるとネットで保護犬をチェックしてしまう。
その度に「現状を理解していない馬鹿」「決めたことを守れないクズ」「本当ダメ人間。情けない奴…」と烙印を押し、心に傷を付けてしまう。
でも見てただけで行動に移してないよね?実際に「買う」までしてないよね?ならまだセーフだし。
誘惑に負けそうになるのが人間ってやつなんだよ。
人間そんなに強くない。
「買う」って、一線を越えなければ、「欲しい」と思うくらい許してあげようよ。我慢できた自分に「偉いぞ」って言ってあげようよ。
誰にどう思われようが、これが私の仕事(性格)だから。ドラマにそんな台詞があった。
「こんな風に思われただろうな」「こうすべきだったのかな?」「本当はこうしたいけど…」
自分の行動、発言に対して他人がどう感じるかを、他人にどう思われたかを、つい気にしてしまう。
考えてもわからないのに考えてしまう。
反省はしてもいいと思う。次同じようになった時はこうしよう…と考えてもいいと思う。
ただ遠慮しすぎて、いつも自分の本音、自分らしさを隠し、押し込めすぎるのは良くない。
『怒っていい。泣いていい。言い返してもいい。疑問をぶつけてもいい。
その権利は皆平等にある。いつまでも感情を押し込めすぎてると心が死んでしまうよ』って本にあった。
言いたいなら言ってみよう。やりたいならやってみよう。自分はこんな奴なんです。本当はこう思ってたんです。思い切った行動に引かれたり、拒否られたりするかもだけど、そんな人ばかりじゃない。
「意外だね」と面白がったり、喜んでくれる人もいる。
皆と仲良くとか皆から好かれるなんて全人類が不可能なことだから。
最終的には「それでも付き合ってくれる人と仲良くすればいい」のだ。
やってみたい。言いたい。他人にどう映るか、ではなくて自分がどうしたいか。
「やりたい→できた」そんな成功体験を増やしていきたい。
たまに変な夢を見る。
教室に後ろのドアから入り、自分の席を探し回るのだ。制服の感じからして高校生か。
休憩時間らしく皆お喋りに夢中。クラスメイトに知ってる顔は無く、ここは私のクラスなのか?まず不安になる。「私の席ってどこだっけ?度忘れしちゃって」と気軽に聞けるわけもなく、ここは自分のクラスだと信じて自分の持ち物が掛かっている机を必死に探して歩き回る。
1人焦ってキョロキョロしながら歩き回る私を皆がスルーしていることに、ふと「もしかして私は幽霊?透明人間?」と更に不安になる時もある。
ただ時間だけが過ぎていき、結局見付からず先生が来てしまう。
「はい皆席について~」で一斉に座るクラスメイト達。私だけが立っている。空いてる席を見付けて座ると「え?そこ◯◯の席…」と言われる。今日休みの子の席だったらしい。慌てて見回すと離れた所にもうひとつ空いてる机。
シーンと静まり返った教室で皆から不審げな視線を浴びながら着席する。何事も無かったかのように先生が授業を始める。
自分の席を見付けた安心感と気まずい空気。
私はクラスの「異物」だったな…と、ふと思い出して消えたくなる。
そこで目が覚める。夢の中でも精神的に疲れる。
1.自分にできること(長所、得意なこと)
2.努力、勇気を出せばできること
3.どうしてもできないこと(怖い、不得意)
何かあるごとに、自分に問いかけ、この3つに分類して、もし3なら「仕方無いよね。無理だもの、怖いもの」で自分を許す。
2かも?と思ったら精神的に余裕がある時には「今の自分にできる範囲でやってみる」ことを心掛けてみた。
現実の自分を見ようとしないで理想ばかり描いていた頃は「どうしてこれくらいのことができないんだ」と責めてばかりいた。
自分のダメな…イヤな…嫌いな…見たくない部分を目を背けずに見つめて分析して「これが自分なんだな」と知る。認める。
できなくても責めることを減らし、「ドンマイ!次は頑張れるといいね」自分を励まして許すことを増やして行く。
勇気を出してみた時は「良くやった!」褒めてやる。得意なことをした時には「これが自分の良いところなんだよ。忘れないでね」再認識する。
この体験を増やしたことで自分の芯がまた少し太くなった気がする。
自分で自分を認めたり、褒めたりすることの大切さを実感。
加藤諦三さんの本を買い集め、今は「言いたいことが言えない人 恥ずかしがり屋の深層心理」という本を読んでいる。
ズバリ自分のことが書いてある。ということは個人差はあれど他にも大勢同じ性格の人が居るってことだ。日本だけではなくて世界中に。
今まで生まれ持った性質のせいでこうなったと思っていたけど、この本によると幼少期の環境(両親や周りの大人達)のせいだったらしい。
幼い頃に助けてくれる人、信じられる人が居なかった。母性的保護を母親から期待できなかった。誰からも積極的に関心を持たれなかった…
人見知りだったこともあり、余計拗らせたかもしれない。
誰とも仲良くなれる人や、穏やかな性格の人を見ると愛されて育ったんだな~と羨ましかった。貴方の育った環境で育ちたかった…なんて思ってしまう。
私は他人が怖くて仕方ない。心の開き方がわからない。優しい人に出逢えても他人との心の距離感?みたいなのがわからないから、踏み込みすぎて引かれてしまった過去を思い出して親しくなれない。
ドラマでアルコール中毒の人が「アル中が治ることはない。飲みたいという欲求は消えることはない。我慢してるだけ」と言っていて、そうか!欲求が消えることはないのか!と「治る」と思い違いをしていたことに気付かされた。
性格は治らない。別人になんてなれない。催眠術にでも掛からない限り。
どういうきっかけだったか忘れたけど、Instagramをインストールした。インスタ映えって流行ってたから写真しか無いんだと思ってたから動画があることにビックリ。
色々見ていると、とある飲食店の2代目社長さんと愉快な従業員達の面白動画にハマる。ある日その社長さんがTwitter始めます!と発表したので、私もTwitterをインストールする。
今ではインスタを毎日見ては笑っている。
色んな面白い動画を見つけて、その人の過去の動画も見て。テレビよりインスタを見てる方が多い。
Twitterも色々お知らせが届き、今まで知らなかった世間の裏?事情が情報として入ってくる。Twitterをインストールしていなかったら今も私は無知なまま何も疑わず、投票にも行くことなく生きていたのだろう。
社長さんTwitter始めてくれて有難う!
自分への失望「こんなこともできないのか?」を「どうすればできるようになる?」に変えて何度も試行錯誤
自分への叱責「ほらまたやった…何でお前はそうなんだ?」を「やっちゃったことは仕方無いよね。次は、できるといいね」「また同じようなことが起きたら次はこうしてみようか」と何度もシミュレーション
自分との戦い→勝てば勝つ程自分に自信が付く。
自分の感情のコントロール→責めるのは程々に。
残念だったね…どうすれば良かったかな?
幼児に語り掛けるように優しく「過去の失敗した自分」と一緒に策を練る。
まずは自分を大事にする。自分を認めて愛すること。
子供の自分(できない自分)に寄り添って二人三脚で歩くイメージで、ゆっくりゆっくりできる範囲で成長していこう。
今日嬉しい事があった。
10分以上歩くと膝が痛み始める為、整体に通い始めた。しかしなかなか治らないので駆け込み寺的存在のカイロプラクティックへ。
いつも挨拶と今回の症状の確認&施術後の「じゃあこれで様子見て下さい」しか言わない寡黙な先生が今回は症状が謎らしく施術中 沢山話しかけてきた。
「これは痛いですか?」「大丈夫です」「じゃあ〇〇じゃないね」等、施術中8割位の時間先生と会話することができた。そして今回はあまり痛いことされなかった(笑)
股関節と膝、スネの痛みが出ている為、長年続けた今の仕事を辞めなければいけなくなった。
腰痛悪化防止の為、重い物はもう持てないし、次の仕事すぐに見つかるのか?続けられるのか?収入はキープできるのか?色々不安はあるけど、次の仕事の選択肢があること、新たなスタートを切れるワクワクもあり何とかなるだろうと少し楽観的にもなっていた。
少し前に変な夢を見て夢占いで調べると不安を表す内容だったから やはりワクワクより不安の方が強いらしい。
仕事を辞める日までに何とか足の神経痛は治したい←この不安が今は1番強い
新しく通い始めた整体院の担当の先生はとても気さくで お喋り好きな若い男性。
施術開始、一言目が「この部屋蒸し暑くないですか?もう僕汗だくなんですけど」だった。
穏やかな雰囲気の方で沢山話しかけて下さるので私も話しやすい。
初めは先生の話を聞くばかりの聞き役に徹していたけど、何回か通ううちに自分からも話を振れるようになった。
でも分からない言葉が出てきても「それどういう意味ですか?」と質問出来ないし、話を広げるチャンスがあっても黙ってスルーしてしまったりと時々まだ遠慮がち。
犬の散歩中に出会う、同じく犬の散歩をしている人。
犬同士が気が合って じゃれ合っている間、相手が穏やかな雰囲気の人だなと判断できた時、思い切って相手の飼い犬の年齢や性別を聞いてみたり、可愛いですね!と声かけしてみた。すると相手も質問してきて少し会話ができた。
うん…少し自信がついてきた。
穏やかな雰囲気の人と出会えて、会話する機会ができたなら、次からも できる限り話し掛けてみようと思った。
ユーチューブで運動初心者向けの筋トレを検索しまくってたらカーブスの広告が出てきた。
徒歩で行ける所にあるので何回も前を通ったことはあるが、女性だけの30分運動…という情報しかなく、どうせ30分間皆で体操するんだろうくらいに思ってネットで調べるとちゃんとジムのように機械があるらしい。
自分だけじゃ筋トレは続かないし、7月は5回まで無料で試せるキャンペーン中ということで1週間悩んだ末、申し込むことに。
トレーナーさんは2人居て20代〜30代くらい。トレーナーさんに苗字じゃなく下の名前で呼ばれるから少し…(。ŏ﹏ŏ)
でも全員の顔と名前を把握しているようなので、ただならぬ努力家である。
運動しに来ている方々は50代くらいの方が多い。皆タオルを首に巻いて黙々と汗をかきかき運動している。
まだ体験2回目。30秒毎に移動しなきゃいけないから慣れるまでは慌ただしい。でも今後も続けて通いたいと思っているし、やる気は十分だ。
ひとりで家で筋トレは無理だけど、カーブスに通うことで運動を頑張っている人達の仲間入りすることができる。
仲間って良いな…ふと思った。
カーブスでよく「もう少しペース上げれますか?」「もっと速く動かせそうですか?」とトレーナーさんに声を掛けられる。
私はいつも何でもマイペースでやってきてたなと、気付いた。
運動なのだから少しキツイくらいでやらないと効果が出ない。
仕事時も15時の休憩時間に「お腹空いた〜」と何か食べてる人が居るけど、私は夜までお腹空かない。あの人達は代謝が良いんだな…と思っていたけど、実はペース上げて頑張っていたのかもしれない。
今まで人付き合いしてこなかったせいもあってマイペースでボ〜っと生きてきた。
これからは意識して少しペースを上げる努力してみようと思う。発声も意識しなきゃいけない。
慣れないことすると頭疲れるけど、これからは絶対必要なこと!!習慣付けてこ。頑張れ自分!
仕事していて、こうすればいいのに…と思っても主張できないし、多数の人間がそうしている場合は「長いものには巻かれろ」ではなく「郷に入っては郷に従え」と考えると気が少し楽になる。
悶々としてしまうけど「他人を変えるより自分が変わる方が早い」で自分の考え方を工夫するしかない。
なるべく人間と関わりたくないから。揉め事なんて避けたいのが本音。
「もっと、こうしなさいよ。こうすればいいのに」と注意してくる人の意見は自分が「改変しなきゃ」と思えることなら聞き入れるし、努力する。無理なら聞き流す。
次に同じ事言われたら「自分なりにやってるんですけどね…」とか「私には無理です」とはっきり言う。
どうしてもその職場の人達とうまくいかなかったり、居心地が悪くなれば「ここは自分に相応(ふさわ)しくない」と辞めたくなるけど、逃げるみたいで自己嫌悪になるから我慢して自分なりにうまく立ち回ってみる。
それでも我慢の限界が来たら「もうここで学ぶことはないって神様が仰ってるんだ」と考え、転職を決意していいと思う。
カーブスの月刊誌で衛藤信之さんという心理カウンセラーの存在を知る。
YouTubeのQRコードが載っていたので見てみると、とてもアクティブな方で関西人のようなノリで話も面白い。
今までの私の中の心理カウンセラーのイメージをぶち壊す、新しい感じがした。
5年位前から動画があるので毎日チビチビと気になる動画をチェックしているけど、衛藤先生自身も大変な経験をしており、だからこそ辛さがわかる強みも持っておられるし、心理カウンセラーだけど、普通の人間で、決していつも平常心でいられるわけじゃないということを体験を交えて話しておられて、心理カウンセラーという職業に偏見を持っていたことに気付かされた。
ひすいこたろう さんの恩師でもあるらしいので繋がりにビックリ。
色々自己啓発本を読み、少し自己肯定感が上がったけど、動画を見ながら、もう少し心理学の勉強をしていきたい。
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