天皇は売国奴

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2021/08/12 09:24(更新日時)

日本人は天皇によりアメリカに売られたのではないか?

戦後の公害…原爆症…誤解のあった様々な病…薬害…

しかし行財政は国民を助けはしなかった
放射性物質による被害もだ

先日NHKでアメリカの水爆実験により日本国内にも放射性物質が降り注ぎ…福竜丸以外にもマグロを捕っていた船は数百あり…それらのマグロは検査し…ある場所では廃棄…ある場所では消費され
被爆者は漁師だけでも千人単位…計測はされたが何の手当ても受けず次々とガンで死んでいった…
天皇家は自身の存続の為にアメリカに国を、国民を売ったのではないのか?

14/08/15 04:01 追記
戦争で負ければ
奪われ殺され犯される…のは人類の歴史
アメリカは原爆でたくさんの日本人を殺した非情な国

日本人のように天皇家が特別な人間…とは考えてはいない

後の統制の為に生かす…ことは理解できるが無条件ではあるまい?

それが戦の歴史だ

歴史を知らぬ者に答える資格はない

国民は長く人体実験の材料になっている

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No.2127149 (スレ作成日時)

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No.151

>> 150 あれは、原文は掲載されてませんし、日経が本物と主張してるだけで(専門家に頼んで調べてもらったそうだが、どこが本物とする決め手になったのか?という質問には口を閉ざす)、
真贋のほども定かでない。
極東軍事裁判で東條が開戦の責任も敗戦の責任も自分に有ると認め処刑されてるのに、米を恐れて責任逃れをするとは考え難い。

日経が全文を公開していない以上、臆測の域を出ていない。

新潮はほぼ偽物と断定しています。

結局、原文で分かってるのは靖国参拝に関するメモくらいです。

No.152

>> 150 長文らしく? 読んでないんですか? 一つおききしたい!
あなたは、如何なる機器で検索しているのですか?

前レスでも述べたように、ある程度までクリックしたら、それ以上はクリック出来ないんです。だから、長文では?と思っているわけです。

あなたは、小生に何をのぞんでいるのですか?

捏造と仰るが、何ゆえに小生がそのような事をする必要があるのですか?

  • << 155 >捏造と仰るが、何ゆえに小生がそのような事をする必要があるのですか? ウィキペディアにも、天皇が戦争責任を回避し続けた という記述は無いし どこにも、ありません 朝日新聞の従軍慰安婦問題捏造から、世論を鎮めるために、話題を逸らす工作員なのかと、思ってしまうので

No.153

上のレスを弁護するつもりも
ソースを断定したい向きにも、それ程関心無いがー。

だいぶ前のレスに
それ程の秘密結社で?秘密にプロジェクトを進めているなら
漏れた時点で、握り潰すだろうから
どうせ、ネットに出てくるような物は捏造だ、とか
それに近いような、子供の作文級の
分析で世の真実を見極めようとしている
幼稚さに、思わず吹き出しそうになった。
絶対に、こんなことを平気で信じる単純さん達は
情報操作のイロハも知る必要の無い
ランランランドに、生まれ、育ち、それが世の中だと信じる
白雪姫城の住人で、人生すんだ幸せな人達。

いいなあ、日本って。
今日まではね、少なくとも。


No.154

>> 153 失礼ですが、日本の方?
全く文章がまとまってないから、全然伝わらないです。

真面目に読むレス内容でもないのかな?

No.155

>> 152 一つおききしたい! あなたは、如何なる機器で検索しているのですか? 前レスでも述べたように、ある程度までクリックしたら、それ以上はクリック… >捏造と仰るが、何ゆえに小生がそのような事をする必要があるのですか?

ウィキペディアにも、天皇が戦争責任を回避し続けた という記述は無いし

どこにも、ありません

朝日新聞の従軍慰安婦問題捏造から、世論を鎮めるために、話題を逸らす工作員なのかと、思ってしまうので

No.156

>> 155 小生も、Wikipediaは検索しました。昭和天皇に対しての悪意は、有りませんね。さらに「富田メモ」に対する、信憑性にも?ですね。歴史の真実は、一つしかないのに…

ただ、小生は昭和天皇は超A級戦犯だと思っています。軍人の最高位‘大元帥’であり、陸軍、海軍の双方からの作戦情報を把握出来、軍人作戦にも関与したと云います。

終戦後の9/10米議会で、昭和天皇を戦犯として裁く決議案が提出されました。

9/27昭和天皇は、米大使館公邸にマッカサーを訪れ、通訳と二人だけで35分会談しました。その会見内容は、公式に発表されていません。

  • << 162 探査船‘ちきゅう,が地震発生に関与したなどと、アカマ小説クラスの発想をする小生君。重箱の隅を突くより、歴史を振り返えたまえ。 『勝てば官軍』てな言葉を知ってるか?言い換えれば、勝てば正義。 明治維新が成功したからこそ幕末の志士は英雄。しかし冷静に考えればただのテロリスト。 また日清、日露戦争で勝利したから良かったももの、敗戦ならば皇家を巻き込んで、戦勝国と日本国内の連中が戦犯捜しに躍起になっとるw さてと、昭和初期の日本。対中戦争での状況の中、アメリカの要求をイケイケ国内世論を考えれば呑めれるか? しかも世界3強の一角を占める海軍を保有してるなかで‥。まさか原爆まで投下されるなどと夢にも思わんやったやろうから。 まっ、結果を知ってるから正義づらをしてドウタラ、コウタラ言うだけの話し。
  • << 163 信じるか信じないかは貴方様にお任せしますが、 バワーズ少佐(マッカーサー元帥の通訳官)の証言なら、ありますよ。
  • << 166 政治上の責任は負わない人というのは憲法上でも決められていました。 大日本帝国憲法では、天皇は統治権の総攬者であり、総帥権を有す元首であるにしても、個別の責務については国務大臣が、軍務については参謀総長・軍令部総長が補弼あるいは輔翼して責任を負うこととされていました。 天皇が閣議決定を覆したり誘導すること、すなわち政治権力を行使することは、当時から事実上禁じられていました。 唯一政治権力に関わった事例が、ポツダム宣言を受託した時です。これを受託したのは天皇です。もし天皇に政治責任があるとしたら、最後の終戦の決断をされた時です。本来なら政治に携わってはならないはずの天皇が携わったわけですから、終戦を決断された政治責任はあるかもしれません。 昭和天皇ご自身は日米開戦に反対でいらっしゃいました。これは、すでに数々の史料で明らかとなっています。
  • << 167 では、どこからその天皇が戦争責任を回避し続けたという、富田メモを読んだのですか? やはら、捏造?
  • << 168 なぜ陛下は戦犯として裁かれなかったのでしょう。 一般的な見解でなく、貴方の意見をお聞かせ頂けませんか。命乞いとか、責任回避の懇願で判決が変わってしまう? そもそも戦犯って…何?

No.157

日本にA級戦犯なんていないよ。

超A級戦犯はフランクリン・ルーズベルト。

No.158

たとえかが変かもだけど、会社の幹部連中が、このプロジェクトは絶対に成功します、社長ハンコください。

と、無理矢理ハンコ押させて、見事にプロジェクトは頓挫、会社は倒産。

御前会議の記録とか見るとこんな感じかな。

No.159

>> 132 所詮利用される側の日本人。 別に分かる人に、解ればよいし。 どうでもいいわ。手遅れ。 私は、あなたの警鐘を無視する気は無いですし、理解も出来ます。私なりな研究や所感もあります。しかし、彼らの今日の動きと、終戦における、天皇の動きやその後への影響は分離して論じなければ。freemason以上の存在を否定はしません。しかし、最高度レベルの組織を直接、終戦の諸問題と絡めるのは、ここでのテーマには無理があると感じます。
ワシントンが恐れたのは、大東社系と呼ばれる結社の流れ。アメリカには、既にスコッティシュライト系が深く根付いていた。現代の諸問題については、私のスレで御待ちしています。タグ・severeです。

No.160

>> 128 アメリカは大きな道具、しかし日本ももちろん 小型だが道具。なんでも利用。 しかし、検索って日本語? 英語位できたら、と言っても かな… 特に、これらの問題について私は、 英語、フランス語以外での検索はしていません。
情報操作は、従属する者に対してではなく抵抗する者、にこそ目的があります。私のスレで御待ちしています。

  • << 164 Cher, Fin H が スペル的に一番良いのかな? やはりあなたは、その辺りのニンジン、ゴボウ連中と知識レベルが違うと 思ったよ。 いやあ、この文章 the second phrase 私は感嘆した。 日本でも、アタマと根性を備える新世代が 存在する。戦後の日本における民主教育は 全くもって、勉強すら出来ぬ、金太郎飴作製の プロセスを強めたに過ぎぬと 勝手な悲観をしていたことを 思い知った。 流石、自由に焦がれる真の人間性は 完全に潰すことは出来ぬ。あなたが 燈火をかかげ、暗闇を歩いたプロメテウスと 日本でなられるようご健闘を祈る。 我々の、理解するレベルは それこそ南京かぼちゃには、全くもって絵空事に 当国では響くのか。と、他国との違い 文化の決定的違いを思い知る みくる体験であった。 あなたのホームページお尋ねするかも知れぬ。 下記にタグは可能ですか? 大東社はパリ、ブラッセルのロッジを中心にした、私の読んだ範囲では ナポレオンの遺産の山分け組?確かに、米ではスコットランド系が 強烈ではあるものの、様々な闘いに気付かざるを得ないね。 後は、後日。

No.161

天皇「君臨すれども統治せず」

No.162

>> 156 小生も、Wikipediaは検索しました。昭和天皇に対しての悪意は、有りませんね。さらに「富田メモ」に対する、信憑性にも?ですね。歴史の真実… 探査船‘ちきゅう,が地震発生に関与したなどと、アカマ小説クラスの発想をする小生君。重箱の隅を突くより、歴史を振り返えたまえ。


『勝てば官軍』てな言葉を知ってるか?言い換えれば、勝てば正義。


明治維新が成功したからこそ幕末の志士は英雄。しかし冷静に考えればただのテロリスト。

また日清、日露戦争で勝利したから良かったももの、敗戦ならば皇家を巻き込んで、戦勝国と日本国内の連中が戦犯捜しに躍起になっとるw


さてと、昭和初期の日本。対中戦争での状況の中、アメリカの要求をイケイケ国内世論を考えれば呑めれるか?
しかも世界3強の一角を占める海軍を保有してるなかで‥。まさか原爆まで投下されるなどと夢にも思わんやったやろうから。

まっ、結果を知ってるから正義づらをしてドウタラ、コウタラ言うだけの話し。

No.163

>> 156 小生も、Wikipediaは検索しました。昭和天皇に対しての悪意は、有りませんね。さらに「富田メモ」に対する、信憑性にも?ですね。歴史の真実… 信じるか信じないかは貴方様にお任せしますが、
バワーズ少佐(マッカーサー元帥の通訳官)の証言なら、ありますよ。

No.164

>> 160 特に、これらの問題について私は、 英語、フランス語以外での検索はしていません。 情報操作は、従属する者に対してではなく抵抗する者、にこそ目… Cher,

Fin H が スペル的に一番良いのかな?
やはりあなたは、その辺りのニンジン、ゴボウ連中と知識レベルが違うと
思ったよ。
いやあ、この文章 the second phrase 私は感嘆した。
日本でも、アタマと根性を備える新世代が
存在する。戦後の日本における民主教育は
全くもって、勉強すら出来ぬ、金太郎飴作製の
プロセスを強めたに過ぎぬと
勝手な悲観をしていたことを
思い知った。
流石、自由に焦がれる真の人間性は
完全に潰すことは出来ぬ。あなたが
燈火をかかげ、暗闇を歩いたプロメテウスと
日本でなられるようご健闘を祈る。
我々の、理解するレベルは
それこそ南京かぼちゃには、全くもって絵空事に
当国では響くのか。と、他国との違い
文化の決定的違いを思い知る
みくる体験であった。

あなたのホームページお尋ねするかも知れぬ。
下記にタグは可能ですか?
大東社はパリ、ブラッセルのロッジを中心にした、私の読んだ範囲では
ナポレオンの遺産の山分け組?確かに、米ではスコットランド系が
強烈ではあるものの、様々な闘いに気付かざるを得ないね。
後は、後日。

  • << 173 ありがとうございます。宜しくです。

No.165

Monsieur,

Fin H...
取り敢えずさよならだが
私は⚪︎指を上に。貴殿へ。

No.166

>> 156 小生も、Wikipediaは検索しました。昭和天皇に対しての悪意は、有りませんね。さらに「富田メモ」に対する、信憑性にも?ですね。歴史の真実… 政治上の責任は負わない人というのは憲法上でも決められていました。

大日本帝国憲法では、天皇は統治権の総攬者であり、総帥権を有す元首であるにしても、個別の責務については国務大臣が、軍務については参謀総長・軍令部総長が補弼あるいは輔翼して責任を負うこととされていました。
天皇が閣議決定を覆したり誘導すること、すなわち政治権力を行使することは、当時から事実上禁じられていました。

唯一政治権力に関わった事例が、ポツダム宣言を受託した時です。これを受託したのは天皇です。もし天皇に政治責任があるとしたら、最後の終戦の決断をされた時です。本来なら政治に携わってはならないはずの天皇が携わったわけですから、終戦を決断された政治責任はあるかもしれません。


昭和天皇ご自身は日米開戦に反対でいらっしゃいました。これは、すでに数々の史料で明らかとなっています。

  • << 169 大日本帝国憲法第三条ですよね。

No.167

>> 156 小生も、Wikipediaは検索しました。昭和天皇に対しての悪意は、有りませんね。さらに「富田メモ」に対する、信憑性にも?ですね。歴史の真実… では、どこからその天皇が戦争責任を回避し続けたという、富田メモを読んだのですか?

やはら、捏造?

No.168

>> 156 小生も、Wikipediaは検索しました。昭和天皇に対しての悪意は、有りませんね。さらに「富田メモ」に対する、信憑性にも?ですね。歴史の真実… なぜ陛下は戦犯として裁かれなかったのでしょう。
一般的な見解でなく、貴方の意見をお聞かせ頂けませんか。命乞いとか、責任回避の懇願で判決が変わってしまう?

そもそも戦犯って…何?

  • << 170 名無し80です。昭和天皇とマッカーサーが会見した日に、戦争責任を問わない話し合いが行われたのだと思います。 当時の国民にとって、天皇は絶対でした。 もし、戦争犯罪人として裁いた場合、マッカーサーの占領政策に支障をきたす懸念があったのだと思います。

No.169

>> 166 政治上の責任は負わない人というのは憲法上でも決められていました。 大日本帝国憲法では、天皇は統治権の総攬者であり、総帥権を有す元首であるに… 大日本帝国憲法第三条ですよね。

No.170

>> 168 なぜ陛下は戦犯として裁かれなかったのでしょう。 一般的な見解でなく、貴方の意見をお聞かせ頂けませんか。命乞いとか、責任回避の懇願で判決が変… 名無し80です。昭和天皇とマッカーサーが会見した日に、戦争責任を問わない話し合いが行われたのだと思います。

当時の国民にとって、天皇は絶対でした。

もし、戦争犯罪人として裁いた場合、マッカーサーの占領政策に支障をきたす懸念があったのだと思います。

  • << 180 すみません、正直な感想としては、期待外れのレス内容でした。 敗戦国である日本に、そんな配慮が必要でしょうか?仮にあの時、陛下が戦犯として処分されていたとしても、反論する力が日本には残っていましたか? 結果、マッカーサーなる人物は、十分な日本占有が出来ましたか?植民地化もできたでしょうに。生ぬるい占有でしたね。 「ゴメンなさい。許してください」で判決逃れできれば楽なものだったのでしょう。 もう一度書きます。戦犯って何ですかね。

No.171

元からそのシナリオだった
可能性が濃厚。昭和天皇に知らされていたかは
別問題。
悪いけど
日清、日露勝ったとのこと
脳天気この上無いね。
次のでかいのに誘い込む、小型のブースター兼
邪魔な帝政ロシア、清国の弱体化促進及び
憎しみが憎しみを生む構図利用で
アジア人を対立に誘い込む、甘いわな、等々かな?
昭和天皇にどんなに責任があろうが、なかろうが
彼に実はシナリオが強制されていれば
関係ない。
それだけですが。

No.172

>> 171 いや。私は、日本が、真の意味で、日清日露に勝利したとは考えていません。当然、その後に来るアジアでの戦争のシナリオは、作られていた、そう、観ていますよ。完全なる陰謀論は否定しますが、日本の正義は更に否定します。戦争は戦争。

No.173

>> 164 Cher, Fin H が スペル的に一番良いのかな? やはりあなたは、その辺りのニンジン、ゴボウ連中と知識レベルが違うと 思った… ありがとうございます。宜しくです。

No.174

日露戦争の意義は、「日本防衛の為の自衛戦争」です。これは、今日、誰も否定できないでしょう。

もしあそこで戦争に訴えていなかったら、日本に対し領土の割譲を要求したに違いありません。北海道や九州などは日本本土から切り離されていた可能性は非常に高い。沖縄はまず間違いなく日本から切り離されていたことでしょう。

そして、もうひとつの大きな意義が白人のロシアという大国に、非ヨーロッパ文明圏の小国日本が戦いを挑み勝ったということです。

白人国家に打ち勝った日本を見て、アジアやアフリカなど植民地化された多くの民族に、「自分たちも日本に倣おう」、「もしかしたら自分たちも白人に打ち勝てるのではないか」という希望を抱かせたわけです。日露戦争とは、そういう文明史的意義を持った戦争だったのです。

No.175

「日露戦争が大東亜戦争の原因」「日露戦争以後、軍部が暴走して軍国主義になった」
こういった議論は、大東亜戦争の敗戦につなげて評価しようとする典型です。
つまり、結果から見て、勝手に意味を後付けした議論であり、歴史を見る場合、決して犯してはいけない誤りです。

日露戦争は1905年には終わっているのに、大東亜戦争が始まるのは1941年。40年近い開きがあります。世代でいっても一世代以上経っています。
こんなに離れている歴史的出来事を全て前の出来事が後の出来事の原因になっているというのでしたら、極端に言えば邪馬台国が日露戦争の原因だったとさえ言えるかもしれません。

百歩譲って日露戦争が軍国主義を生んだのだとしても、1920年代に一度完全に断絶されています。
大正デモクラシーの時代があったわけですから。
この時代は、軍人は制服を着て街を歩けない程忌み嫌われ、社会主義思想が非常にもてはやされた時代です。
国際強調主義で米英と一緒にワシントン海軍軍縮条約を結び、建造されたばかりの戦艦をわざわざ海に沈めてまで軍備軍縮の歩調を合わせているのです。

  • << 196 微細な指摘はしたくないのですが、大東亜戦争{裏に英仏蘭米]は、所謂支那事変からだと。その日中戦争が、1941年太平洋戦争に拡大。第二次大戦は、ドイツの対英戦からだとすると、日露、第一次大戦、と各20年前後の開きですが、確かに大正democracyや関東大震災による幕間、を含みますね。ルール違反はごめんなさい。だけど仮説無くしては、昭和天皇の弁護が出来ないので。ご理解ください。

No.176

>> 175 おはようございます。貴方のその指摘は鋭く間違いはありません。ただし、例え百年を開ける大事業には、大きな枠組み(目的)は、時を超えて別々に見える小さな礎(事件や人々)を列べて集めて、石(歴史)を積み上げて繋げる事で(作業)、より壮大な建造物を完成させていく。その為に、グランドデザインが成されているとは、云えなくないでしょうか?太く大きく長い意思を貫ぬいて秘密を保持しながらの策動が、全く無い、とは 断言出来そうにはありません。

  • << 179 日露戦争と大東亜戦争とを牽強付会な論じ方をする論調に異議を申したのであり、策謀が全く無かったとは言ってません。 策謀の有無については、冷戦後に各国から公開された史料からも、あったということは明らかです。1920年代に日本が対中戦略を間違え、英米両国に疑心を抱かせたことが、後の日米開戦の足掛かりになったことは確かでしょう。 しかしながら、物事を論ずるに、「日露戦争があったから大東亜戦争につながった」というような、結果から見て意味を後付けしてはなりません。 物事を巨視的に見たいというのなら、少なくともペリー来航(1853年)まで遡る文明史として論ずるべきであり、歴史を見るときは牽強付会なものの見方は厳に戒まなければなりません。

No.177

>> 176 初心者、というか
暗闇に灯火無しで歩く者にとり(この意味をわかる人は、我々と88だけか^_^)
あなたは、何と分かり易い、親切な説明を行っているか。
私にはその文才はなく、根気も尽きた。
なぜ大きな図が、見えないのか不思議です。
結局得した裏のグループを、知らない、認めたくない、そんなはずはないとの子供じみた幻想に
庶民は踊らされる。
あなたはプロテメウスに相応しいのか、やはり。

No.178

>> 124 フィナンシュさん イルミナティ、大変、私は興味あります あと、フリーメイソンなど.... 私は議員の中に潜り込んでるやつも…

こんにちわ!!挨拶交わせるスレがあります。仕事場からの報告、兼ねて。仕事>金>severe 宜しくです。

主さん、すみません。良かったら見に来てね♪

No.179

>> 176 おはようございます。貴方のその指摘は鋭く間違いはありません。ただし、例え百年を開ける大事業には、大きな枠組み(目的)は、時を超えて別々に見え… 日露戦争と大東亜戦争とを牽強付会な論じ方をする論調に異議を申したのであり、策謀が全く無かったとは言ってません。

策謀の有無については、冷戦後に各国から公開された史料からも、あったということは明らかです。1920年代に日本が対中戦略を間違え、英米両国に疑心を抱かせたことが、後の日米開戦の足掛かりになったことは確かでしょう。

しかしながら、物事を論ずるに、「日露戦争があったから大東亜戦争につながった」というような、結果から見て意味を後付けしてはなりません。


物事を巨視的に見たいというのなら、少なくともペリー来航(1853年)まで遡る文明史として論ずるべきであり、歴史を見るときは牽強付会なものの見方は厳に戒まなければなりません。


  • << 181 当然のことです。 日本の真の独立は ペリーと共に崩れたというのは普通だと思いますが。 徳川の終焉時、当然日本は食うのに精一杯の状態でしたよね。 どっからか、何かを担保と言うか、口約束だったかもしれないが 密約があり、金を貸した海外グループがいたでしょう。 多分、ロンドンあたりに、そしてベルギー、パリ。。。 この辺り、ふぃなっしゅ氏フォローして下されば。。。 そして、日清の頃には借金は多かったが 輸出品も成功し始め、調子が上がってきた。 日露に関しては、シフという有名な方が 日本政府にお金を貸したのは余りに有名。 詳細は調べられるよ。何処の誰だか、云々。 今も元気で、アルゴアとかいうファミリーと親類だったかな。 思い過ごしかな? 深いんですよ。すごく。深淵は。 もう霧がというか、切りがないからここでバイ! ところで、借款って凄く怖いんだよね。 個人レベルですら。
  • << 183 確かに、歴史学の見地からは、牽強付会な視点は厳に戒めるべきだと、私も思います。しかしながら、壮大な人類学、という別な視点から解析すると、エジプトやローマ帝国、フェニキアから、中華の勃興には、至るところに不自然な共通項が見え隠れしています。ヨーロッパ史においても単に事実だけを冷淡に記すだけでは、未来に活かせない様々な暗符めいたリズムを感じませんか?あなたも何かを感じられるけど、歴史に、たらればいみのあとつけ、は禁忌だと束縛していませんか?ギボンの、ローマ帝国興亡史、をただ読破したところで、人間の息使いは伝わりません。後付け意味付けにはなりますが、そこに人間の喜びや悔しさや、悲しみを感じ取らなければ。だとすれば、記録は記録でありながらも意思を持ち編集や後史主導者が、歴史の監督者として、様々なオマージュやキャスティングや演出を施しつつ、更に後に続くべき場面への指導書なるものを受け継がせてゆき、実現させてきた、という見方は許されませんか?実際、繋ぐ、という技あればこその重大な間違いや一抹の成功も無きにしもあらずでは?歴史の節目におけるレギュラー策動者陣やシリーズ的な策謀の有無、成功や失敗の可能性を探るのも、主体である我々一般市民の密かなる抵抗ではありませんか?歴史は創られているのは確かです。
  • << 220 おはようございます。先日の私めのレスに、誤りがあり、恥ずかしいので訂正しますね。ギボン ローマ帝国 衰亡史 、を ギボン ローマ帝国 興亡史、と書いてしまいました! どうやら、銀河帝国 興亡史と取り違えてしまいました。 では、また宜しくです。

No.180

>> 170 名無し80です。昭和天皇とマッカーサーが会見した日に、戦争責任を問わない話し合いが行われたのだと思います。 当時の国民にとって、天皇は絶対… すみません、正直な感想としては、期待外れのレス内容でした。
敗戦国である日本に、そんな配慮が必要でしょうか?仮にあの時、陛下が戦犯として処分されていたとしても、反論する力が日本には残っていましたか?
結果、マッカーサーなる人物は、十分な日本占有が出来ましたか?植民地化もできたでしょうに。生ぬるい占有でしたね。
「ゴメンなさい。許してください」で判決逃れできれば楽なものだったのでしょう。

もう一度書きます。戦犯って何ですかね。

No.181

>> 179 日露戦争と大東亜戦争とを牽強付会な論じ方をする論調に異議を申したのであり、策謀が全く無かったとは言ってません。 策謀の有無については、冷戦… 当然のことです。
日本の真の独立は
ペリーと共に崩れたというのは普通だと思いますが。
徳川の終焉時、当然日本は食うのに精一杯の状態でしたよね。
どっからか、何かを担保と言うか、口約束だったかもしれないが
密約があり、金を貸した海外グループがいたでしょう。
多分、ロンドンあたりに、そしてベルギー、パリ。。。
この辺り、ふぃなっしゅ氏フォローして下されば。。。
そして、日清の頃には借金は多かったが
輸出品も成功し始め、調子が上がってきた。
日露に関しては、シフという有名な方が
日本政府にお金を貸したのは余りに有名。
詳細は調べられるよ。何処の誰だか、云々。
今も元気で、アルゴアとかいうファミリーと親類だったかな。
思い過ごしかな?
深いんですよ。すごく。深淵は。
もう霧がというか、切りがないからここでバイ!
ところで、借款って凄く怖いんだよね。
個人レベルですら。

  • << 185 私は、鎖国中にも海外の密かなる助力はあったものと考えています。更に云えば戦国に突入する直前、種子島に鉄砲が伝来し、時をほぼ同じくして宣教師来日。ザビエルは何をしに日本に来たのでしょう?本当の目的は?ザビエルの所属は当時有力な修道士会でテンプル騎士団の流れです。鉄砲は堺で橘屋又兵衛という人物が種子島で直接買い求め、日本人により大量生産に成功した。鉄砲が戦場で、またキリスト教が戦国から信長・秀吉に複雑な効果をもたらしたか?日本国内での布教を禁じて弾圧し、数十人もの殉教者を出した、その影響はヨーロッパに大きな衝撃を与えたに違いない。 鎖国完成後263年の間、ヨーロッパではプロテスタントの力が勃興し、大航海時代以来の大商人の力がオランダを作った。 そのオランダと明とだけは商取引を行っていたのに、鎖国、である。空気の抜けた風船だ。オランダ、とさえ名乗れば、実際の所は出島を窓口にしてイギリス人やフランス人などあらゆるヨーロッパ人が往き来していたことになる。シーボルトもそう。そうした実際には海外の密かなる助力が見えないように浸透していたし様々な商人を通じて影響力が大名や寺社、幕府要人にももたらされていたはず。公認しなかっただけで情報はヨーロッパに筒抜け。ならばロスチャイルド以前のヨーロッパ大商人の子孫はアメリカに渡った後に、いつかは日本を取引先として想定したはず。英仏はヨーロッパでの覇権に疲れてオランダに主導権を奪われたあげくにアメリカ独立戦争で更に疲弊。残るはアジアに撃った楔、東インド会社。東インド会社は商社であると同時に軍事力を持つから、当然のことながら日本を戦略的に分析していたことは確かだし資料もある常識だ。 新規参入したアメリカを含めた各国は中国に集合しつつ、日本へのknockを繰り返していた。中国に進出したのも日本への足場だった。商取引を始めるにあたり日本の帝に謁見するには、用心棒兼執事である幕府が邪魔だ。 ならば、幕府を取り払え!執事はクビだ!執事幕府を支える使用人=各藩を突き崩せ!かくして攪拌を各藩に対して始めたとしても不思議ではない。

No.182

>> 181 元気って元の本人ではないよ。
当たり前だけども。

No.183

>> 179 日露戦争と大東亜戦争とを牽強付会な論じ方をする論調に異議を申したのであり、策謀が全く無かったとは言ってません。 策謀の有無については、冷戦… 確かに、歴史学の見地からは、牽強付会な視点は厳に戒めるべきだと、私も思います。しかしながら、壮大な人類学、という別な視点から解析すると、エジプトやローマ帝国、フェニキアから、中華の勃興には、至るところに不自然な共通項が見え隠れしています。ヨーロッパ史においても単に事実だけを冷淡に記すだけでは、未来に活かせない様々な暗符めいたリズムを感じませんか?あなたも何かを感じられるけど、歴史に、たらればいみのあとつけ、は禁忌だと束縛していませんか?ギボンの、ローマ帝国興亡史、をただ読破したところで、人間の息使いは伝わりません。後付け意味付けにはなりますが、そこに人間の喜びや悔しさや、悲しみを感じ取らなければ。だとすれば、記録は記録でありながらも意思を持ち編集や後史主導者が、歴史の監督者として、様々なオマージュやキャスティングや演出を施しつつ、更に後に続くべき場面への指導書なるものを受け継がせてゆき、実現させてきた、という見方は許されませんか?実際、繋ぐ、という技あればこその重大な間違いや一抹の成功も無きにしもあらずでは?歴史の節目におけるレギュラー策動者陣やシリーズ的な策謀の有無、成功や失敗の可能性を探るのも、主体である我々一般市民の密かなる抵抗ではありませんか?歴史は創られているのは確かです。

  • << 199 私自身に、歴史に「もし」を用いることに抵抗はありません。というのも、大東亜戦争に至るまでの経緯を紐解けば、たらればを言い出せばきりがない程、幾重にも重なった巡り合わせの不運があるからです。 勿論、そこにあった日本の戦略的な愚かさなどは大いに反省しなければなりません。 各国が策謀を張り巡らすこと自体は普通のことです。それがシナリオ通りにいくとは限りません。むしろ、失敗したシナリオの方が多いぐらいです。 ソ連のコミンテルンにしてもそうです。コミンテルンは世界各国で知識人や労働者を組織して共産主義の革命団体を世界中につくり出し、全てをモスクワからの指令によって動かし、各国の内部を混乱させ共産革命を引き起こそうとしました。 その手始めとしてヨーロッパでの共産革命を目指しましたがことごとく失敗しています。先進国革命は難しいと判断したソ連は、非ヨーロッパ圏のインドに狙いを定めますが、同じく失敗します。そして最終的に行き着いた先が、ご存知の通り中国だったのです。 初めから中国に狙いを定めてシナリオ通りにいったわけではありません。 後の中華人民共和国成立の産声を上げた瞬間でした。英米は気づいていましたが、日本だけは全く気づけませんでした。このとき、1923年は関東大震災が起こった年であり、皇太子暗殺未遂事件内閣は崩壊を繰り返し、中国どころではなかったからです。 ストーリーのあるシナリオ通りに歴史が作られているというよりかは、歴史の悲劇的な巡り合わせの妙といったところでしょうか。 「そこに人間の喜びや悔しさや、悲しみを感じ取らなければ」という点においては同感です。 大東亜戦争を概括しますと、悲惨な戦争ではあったけれど、決して邪悪な戦争だったわけではない。 また、確かに愚かな戦略によって戦われたが、決して邪悪な陰謀によって引き起こされたものではないのです。悲惨な結果をもたらしたのは、ひとえに指導者層の愚かな戦略によるものでした。 しかし、それでもなお、多数の日本人が示した偉大な精神的エネルギーは、後世必ず日本史上においても賞賛されるべきものとなるでしょう。

No.184

私には
ボンビーの頂点にいた明治政府の
担保はあれだけかって採れた、キンだったとしか思えません。
しかし、明治政府の型をなす以前に
それ関係の、密約は当然あったでしょうね。
それ以外、何か担保が?
ここではっきりしていることを一つ。
頂点の実働隊は必ずいかなる状況でも
担保をとります。
それから、もしご存知で無ければ。
帝政ロシアは殊にロシア鉄道開発の利権を
踏みにじり、独り占めにしました。しかし、これはむこういわくですが、当然。
それだけでなく、ことごとく、某某の怒りに触れることを
行い、今日の今日まで
この流れが。共産主義の導入はニューヨークに子飼いにされていた某達と
スイスにいたあの坊主頭が、某某の手引きでロシアで活躍。
スイスでスポンサーした某は、シフ家の出身フランクフルトのご近所の
あの方のご家族、だったかな。
今はウクライナにて、対決。報道されているより
よっぽど深い事情が、色々と。

No.185

>> 181 当然のことです。 日本の真の独立は ペリーと共に崩れたというのは普通だと思いますが。 徳川の終焉時、当然日本は食うのに精一杯の状態でし… 私は、鎖国中にも海外の密かなる助力はあったものと考えています。更に云えば戦国に突入する直前、種子島に鉄砲が伝来し、時をほぼ同じくして宣教師来日。ザビエルは何をしに日本に来たのでしょう?本当の目的は?ザビエルの所属は当時有力な修道士会でテンプル騎士団の流れです。鉄砲は堺で橘屋又兵衛という人物が種子島で直接買い求め、日本人により大量生産に成功した。鉄砲が戦場で、またキリスト教が戦国から信長・秀吉に複雑な効果をもたらしたか?日本国内での布教を禁じて弾圧し、数十人もの殉教者を出した、その影響はヨーロッパに大きな衝撃を与えたに違いない。 鎖国完成後263年の間、ヨーロッパではプロテスタントの力が勃興し、大航海時代以来の大商人の力がオランダを作った。 そのオランダと明とだけは商取引を行っていたのに、鎖国、である。空気の抜けた風船だ。オランダ、とさえ名乗れば、実際の所は出島を窓口にしてイギリス人やフランス人などあらゆるヨーロッパ人が往き来していたことになる。シーボルトもそう。そうした実際には海外の密かなる助力が見えないように浸透していたし様々な商人を通じて影響力が大名や寺社、幕府要人にももたらされていたはず。公認しなかっただけで情報はヨーロッパに筒抜け。ならばロスチャイルド以前のヨーロッパ大商人の子孫はアメリカに渡った後に、いつかは日本を取引先として想定したはず。英仏はヨーロッパでの覇権に疲れてオランダに主導権を奪われたあげくにアメリカ独立戦争で更に疲弊。残るはアジアに撃った楔、東インド会社。東インド会社は商社であると同時に軍事力を持つから、当然のことながら日本を戦略的に分析していたことは確かだし資料もある常識だ。 新規参入したアメリカを含めた各国は中国に集合しつつ、日本へのknockを繰り返していた。中国に進出したのも日本への足場だった。商取引を始めるにあたり日本の帝に謁見するには、用心棒兼執事である幕府が邪魔だ。 ならば、幕府を取り払え!執事はクビだ!執事幕府を支える使用人=各藩を突き崩せ!かくして攪拌を各藩に対して始めたとしても不思議ではない。

  • << 188 ザビエルの所属した、イエズス会、今ジェズイットと、英語で 世界的に呼ばれる、彼らは ローマ法王の海外派兵部隊でございました。何しに来たかなんて 問う必要もないでしょう。 日本の独立のヒビはザビエルから?深い。

No.186

幕府を倒したい側、支える側にちょっぴりづつ居た尊皇派を、開国派に転向させるのはインド・ムガール割拠で学習済み。今度は英仏は裏で手を組み幕府の裏を掻いた。有力な藩に様々な指導や武器を供給して、朝廷でも邪魔な人物は始末してゆき、明治に備えた。英仏は各藩から抜擢した伸びそうな人物、たとえ公使館を焼き討ちした人物でも、名前を変えさせて明治政府の中央に置きエージェントとした。自分等の意図を最小限にするために、憲法はプロシアに倣わせ、刑法はフランス、監獄はイギリスの真似をさせる。監獄は秘密資金の金庫でもあったから、設計から関与すれば、いざというとき使えるね。英仏はアメリカにも工作者を潜り込ませて、じわじわと民主化を迫った。それが議会設置と選挙に繋がった。まだまだ先の日清日露だが、この頃から軍備増強は、南下中のロシアを意識していたはずである。まだまだ続きます。

No.187

お見事、ふぃなっしゅ!

ここで我々が言いたいことは
昭和天皇は、せきにんを問われるには、余りにもお気の毒ということでないでしょうか?
色々お考えで、できる範囲のことをなさった方、
戦争に打ちひしがれた国民を、自分の悲劇に重ね
さぞ、御心痛めであったかと思わざるをえません。

No.188

>> 185 私は、鎖国中にも海外の密かなる助力はあったものと考えています。更に云えば戦国に突入する直前、種子島に鉄砲が伝来し、時をほぼ同じくして宣教師来… ザビエルの所属した、イエズス会、今ジェズイットと、英語で
世界的に呼ばれる、彼らは
ローマ法王の海外派兵部隊でございました。何しに来たかなんて
問う必要もないでしょう。
日本の独立のヒビはザビエルから?深い。

  • << 192 そうです。イエズス会は、日本の独立を揺るがした事は確かだと、私は、{ポルトガル船員による種子島鉄砲伝来]と{イエズス会宣教師の来日・ゴアからマニラを経由して] が、特別に気に懸かる出来事でした。更には、大量の殉教者。これは、ローマ法王から観たら天皇の監督不行き届き。後世に遺恨を遺したでしょう。天皇にすれば、先祖の因果を先の大戦で購いしたとも云えます。

No.189

>> 188 ピッタリです。見事に私が潜ませた暗譜を解いてくださいました。ありがとうございます。そう、密約は在ったはずです。日本から視たら不平等条約を幾つも結ばせて反抗を誘いつつも、天皇家には密約を更新させてきた。やがて剣を交わす時に備えよ、と。二つの軍縮による損失分は何パーセントかの金利として相殺させた。期限を迫りつつ、包囲陣を張り巡らす。花札で云えば。。。。あれだよね。

No.190

イエズス会は今この瞬間法王の居城を護る
スイス兵の属した?属するかな?ー
確かにテンプラーズの三派の一派ですね。
だから、ザビエルはメガネを掛けてた?でも、ボンベイの港で落っことし、
蟹が抱えて上がってきて届けたという話まで。

  • << 193 よく御存じですね。

No.191

昭和天皇のご冥福を
祈らざるを得ません。

  • << 194 はい。私も昭和天皇の比類なき広い心と、悲愴なまでの国民への真心を感じてご冥福を祈ります。 売国奴などの汚名は論外です。

No.192

>> 188 ザビエルの所属した、イエズス会、今ジェズイットと、英語で 世界的に呼ばれる、彼らは ローマ法王の海外派兵部隊でございました。何しに来たか… そうです。イエズス会は、日本の独立を揺るがした事は確かだと、私は、{ポルトガル船員による種子島鉄砲伝来]と{イエズス会宣教師の来日・ゴアからマニラを経由して] が、特別に気に懸かる出来事でした。更には、大量の殉教者。これは、ローマ法王から観たら天皇の監督不行き届き。後世に遺恨を遺したでしょう。天皇にすれば、先祖の因果を先の大戦で購いしたとも云えます。

  • << 201 失礼しました、訂正があります。 ゴアからマニラ経由で、ではなく、ゴアから江門経由でした。また、鹿児島に着いたのは聖母被昇天日の8月15日、日本は聖母マリアに捧げられたのです。以上です。ではまた。

No.193

>> 190 イエズス会は今この瞬間法王の居城を護る スイス兵の属した?属するかな?ー 確かにテンプラーズの三派の一派ですね。 だから、ザビエルはメ… よく御存じですね。

  • << 195 でも、そうそう、ゴアで落っことしたんだよ。 ゴメン。 メガネの事を何故言ったかというと 彼らが東方、ここではペルシャ、中央アジアそうサマルカンド辺りで 技術が進んだ、望遠鏡の技術の応用を いかに深く知っていたか。 しかし、日本は先方に借りを作らされながら 長く保ったね。中東程取るべきものはなかった、遠方すぎた等の理由だろうが さぞ、徳川の延々と続いた幕府に腹を立てたかは簡単に想像つく。 反キリスト教、つまり入り込む理由がない。軍隊で襲う理由もなかった。 金は充分南米から流入したしね。

No.194

>> 191 昭和天皇のご冥福を 祈らざるを得ません。

はい。私も昭和天皇の比類なき広い心と、悲愴なまでの国民への真心を感じてご冥福を祈ります。
売国奴などの汚名は論外です。

No.195

>> 193 よく御存じですね。 でも、そうそう、ゴアで落っことしたんだよ。
ゴメン。
メガネの事を何故言ったかというと
彼らが東方、ここではペルシャ、中央アジアそうサマルカンド辺りで
技術が進んだ、望遠鏡の技術の応用を
いかに深く知っていたか。
しかし、日本は先方に借りを作らされながら
長く保ったね。中東程取るべきものはなかった、遠方すぎた等の理由だろうが
さぞ、徳川の延々と続いた幕府に腹を立てたかは簡単に想像つく。
反キリスト教、つまり入り込む理由がない。軍隊で襲う理由もなかった。
金は充分南米から流入したしね。

  • << 197 さすが、明解です‼
  • << 198 ありがとうございます。なかなかの見識に脱帽します。今夜は遅くなりましたので、また後日、私のスレにも来ていただいて、いろいろとお話を深めましょう。仕事場からの報告、タグはsevere、です。宜しくお願いします。 主様、ありがとうございました。また来ます。

No.196

>> 175 「日露戦争が大東亜戦争の原因」「日露戦争以後、軍部が暴走して軍国主義になった」 こういった議論は、大東亜戦争の敗戦につなげて評価しようとする… 微細な指摘はしたくないのですが、大東亜戦争{裏に英仏蘭米]は、所謂支那事変からだと。その日中戦争が、1941年太平洋戦争に拡大。第二次大戦は、ドイツの対英戦からだとすると、日露、第一次大戦、と各20年前後の開きですが、確かに大正democracyや関東大震災による幕間、を含みますね。ルール違反はごめんなさい。だけど仮説無くしては、昭和天皇の弁護が出来ないので。ご理解ください。

No.197

>> 195 でも、そうそう、ゴアで落っことしたんだよ。 ゴメン。 メガネの事を何故言ったかというと 彼らが東方、ここではペルシャ、中央アジアそうサ… さすが、明解です‼

No.198

>> 195 でも、そうそう、ゴアで落っことしたんだよ。 ゴメン。 メガネの事を何故言ったかというと 彼らが東方、ここではペルシャ、中央アジアそうサ… ありがとうございます。なかなかの見識に脱帽します。今夜は遅くなりましたので、また後日、私のスレにも来ていただいて、いろいろとお話を深めましょう。仕事場からの報告、タグはsevere、です。宜しくお願いします。

主様、ありがとうございました。また来ます。

No.199

>> 183 確かに、歴史学の見地からは、牽強付会な視点は厳に戒めるべきだと、私も思います。しかしながら、壮大な人類学、という別な視点から解析すると、エジ… 私自身に、歴史に「もし」を用いることに抵抗はありません。というのも、大東亜戦争に至るまでの経緯を紐解けば、たらればを言い出せばきりがない程、幾重にも重なった巡り合わせの不運があるからです。

勿論、そこにあった日本の戦略的な愚かさなどは大いに反省しなければなりません。

各国が策謀を張り巡らすこと自体は普通のことです。それがシナリオ通りにいくとは限りません。むしろ、失敗したシナリオの方が多いぐらいです。

ソ連のコミンテルンにしてもそうです。コミンテルンは世界各国で知識人や労働者を組織して共産主義の革命団体を世界中につくり出し、全てをモスクワからの指令によって動かし、各国の内部を混乱させ共産革命を引き起こそうとしました。

その手始めとしてヨーロッパでの共産革命を目指しましたがことごとく失敗しています。先進国革命は難しいと判断したソ連は、非ヨーロッパ圏のインドに狙いを定めますが、同じく失敗します。そして最終的に行き着いた先が、ご存知の通り中国だったのです。

初めから中国に狙いを定めてシナリオ通りにいったわけではありません。

後の中華人民共和国成立の産声を上げた瞬間でした。英米は気づいていましたが、日本だけは全く気づけませんでした。このとき、1923年は関東大震災が起こった年であり、皇太子暗殺未遂事件内閣は崩壊を繰り返し、中国どころではなかったからです。

ストーリーのあるシナリオ通りに歴史が作られているというよりかは、歴史の悲劇的な巡り合わせの妙といったところでしょうか。

「そこに人間の喜びや悔しさや、悲しみを感じ取らなければ」という点においては同感です。

大東亜戦争を概括しますと、悲惨な戦争ではあったけれど、決して邪悪な戦争だったわけではない。
また、確かに愚かな戦略によって戦われたが、決して邪悪な陰謀によって引き起こされたものではないのです。悲惨な結果をもたらしたのは、ひとえに指導者層の愚かな戦略によるものでした。
しかし、それでもなお、多数の日本人が示した偉大な精神的エネルギーは、後世必ず日本史上においても賞賛されるべきものとなるでしょう。

No.200

>> 199 はい。見事な観察眼です。ありがとうございます。

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