存在価値
私が育った家庭環境を描いた自伝小説です。
駄文極まりないですが、お読みいただけたら幸いです🙇
多分長くなりそう…(笑)
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それは25歳の初夏のある日。
職場の電話が鳴った。
とある会計事務所で事務員をしていた私は、電話に手を伸ばしかけてやめた。
向かいの席で後輩がその電話をとる。
最近入ったばかりの彼女には、とりあえず電話対応から…という上司の方針。
しかし、ついつい手が動いてしまう。
私は1人で苦笑しながら、PCで資料作成の続きを始めた。
「少しお待ちください…」
(少し、やなくて少々、とちゃうかな…)
後輩の対応に、意地悪やろか?と思いつつもそんなことを考えていると、目の前から当の後輩が顔を覗かせた。
「木綿花さん…」
まさか心の声が聞こえている筈もないが、少し焦ってしまった。
「…な、はい?」
「多分…おばあ様からやと思うんですけど…」
「え、電話?…私?」
私は大阪にある母の実家で祖母と暮らしていた。
祖父は既に他界。両親は東京にいた。
私も数年前まで両親と共に生活していたが、大学で大阪に戻り、その時から母の実家にいる。
2つ上の兄も同じく関西の大学に進んだが、彼は就職で再び東京に出ていった。但し両親とではなく、会社の寮にいるが。
祖母からと聞いて、私は軽くため息をついた。
(またしょうもないことで掛けて来たんちゃうん…)
以前も祖母は職場に電話をして来た。
携帯ではなく職場に?とどこか緊張して電話口に出ると、
「もしもし木綿ちゃん?」
「…どないしたん?」
「今日ね、ガレージにシズ子おばちゃんの車停まってるから、気ぃつけなあかんよ」
「…は?」
私は家から駅まで原付に乗っている。
家にはガレージがあるが、私が持っているのは原付免許だけ。
80近い祖母も当然運転などしないため、我が家には車がなかった。
そのため私の原付がガレージの主となっていた。
シズ子とは祖母の妹で、夫婦で遊びに来たものの、帰り際にうっかり車をぶつけてしまったらしい。
ごく軽くぶつけただけだったが、すっかり怖くなって運転する気になれず、やむなく置いて帰ったという。
「木綿ちゃん帰るん夜やから、知らんとバイクで突っ込んだら危ない思て…」
「…分かった…」
職場だったから何も言わなかったが、帰宅してから祖母に携帯番号と留守電の入れ方を再度教え、
「急がない時は携帯に掛けてな…留守電後で聴くから」と釘を刺した。
「もしもし?」
今度は一体どんなつまらんことだ?とはなから決めつけている私には、何の緊張感もなかった。
「木綿ちゃん、落ち着いて聞くんよ」
「へ?」
祖母の言葉に、一瞬戸惑って、間の抜けた声を発してしまう。
しかし同時に、私は思っていた。
(誰かに何かあったんやな…)
時間にしてみればほんの数秒だったと思う。そんな短い間に先刻までのだらけた感じは一掃され、頭の中で色々な思いが駆けていた。
(お母さん、ではないな…)
まずそう思った。何故なら祖母の声はその言葉の割にしっかりしていたから。
母に何かあったのなら、祖母がこんなに落ち着いて電話など掛けられる筈がない。
(じゃあ誰…)
「お父さんが、亡くなったんよ」
祖母の声はやはり取り乱す事もなく、受話器の向こうからはっきり届いていた。
私は無意識に、手元のメモに
《おとうさんがなくなった》
と走り書きをしていた。
私の受け答えが気になっていた様子の同僚が、何気なくメモを見て、え、と小さく声を上げて私を見上げた。
同僚と目が合った。何か言おうと思ったが、言葉が出て来ない。
「もしもし木綿ちゃん、聞いてる?」
祖母の声は相変わらず取り乱した様子はない。
「…イタズラやないん」
やっと私は声を発した。
「何ゆってんの!さっきお母さんから電話掛かって来て…」
「事故?」
「そんなん知るかいな!お母さん病院からてゆってたし。お兄ちゃんにも電話して、また後で掛けるからてそんだけ…」
「私帰らなあかんよな?」
この期に及んで、私はまだ惚けた反応しか出来ずにいた。
「当たり前やないの!…お母さんから電話あるからおばあちゃんこんなんしてられへんわ、とにかく帰っといで。あ、原付置いて駅からタクシー使いや危ないから」
一方的にそう捲し立てられ、電話も切られた。
何が何やら分からない。
ただその時は、最後まで祖母の声が元気そのもので、しまいには笑っていたような気がして、それだけが頭に残っていた。
「木綿花さん…?」
受話器を持ったままの私に同僚が恐る恐る声を掛けて来た。
「あ…私、帰らなあかんねん」
独り言のように呟いて、私は上司の所へ向かった。
「父が亡くなったみたいで…帰らせて頂いて良いでしょうか…」
上司も周りも驚いた様子で、とにかく早く帰るようにと急かす。
「あ、帰ると言っても家に…父は東京で…」
「分かったから早く帰りなさい…」
どこまでも上の空といった私に、上司は同行を申し出てくれたが、かろうじて断り、事務所を後にした。
駅までは徒歩5分。
いつもの道が、妙に長く感じる。
見慣れたはずの景色が、全く別のものに映る。
行き交う人々。世界は何も変わらない。
ただ独り、私を除いて…
ホームに入って来た電車は殆ど無人に近かった。
ふと時計を見ると夕方の4時。
ああまだ帰宅ラッシュ前やもんね…
ふらふらと乗り込み、窓に映った自分を見た。
茶色く染まった髪にハッとする。
(まずい…茶髪じゃ東京行かれへん…お父さんに怒られるやん…)
かと言ってどうしたら、と思った所で気がついた。
「そのお父さんが死んだんやんか」
思わず口に出していた。
動き出した電車に揺られながら、急に涙がこぼれそうになる。
私は携帯を取り出し、片っ端から友人にメールを送った。
手が震えてボタンが上手く押せない。
それでも私はメールし続けた。
お父さんが死んだんやって…私の、お父さんが…
何で私、泣いてるんやろか…
手の震えは治まりそうになかった。
最初の記憶―
それは多分夜だったと思う。
小さな私は母の実家の玄関に立っている。
まだ幼稚園の頃だったか…
田舎にあるその家は典型的な日本家屋で、やたらと玄関が広い。
私がそこから見ているのは、父の背中。
お巡りさんに両脇を抱えられて行く父の背中だ。
部屋には母とその両親、つまり私の祖父母がいた。
3人とも無言で座り込んでいる。
部屋を囲む硝子戸があちこちで割れ、隣の部屋にある大きな掛け時計が見えている。
幼い私は柱に手を掛け、部屋に入ろうとした。
「木綿花、危ないから入ったらあかんっ!!」
母の大声にビクッとして、私はその場で立ちすくむ。
母も、祖父母も、疲れきった顔をこちらに向けている。
そして皆、泣いていた。
私は何も言えず、けれど何か恐怖に似た気持ちになり、視線を落とした。
すると、祖父の足が目に入った。
破片で切ってしまったのか、親指の爪のあたりが赤く染まっている。
その赤が、ここで何があったのかを私に強く印象づけた。
おとうさんが、またあばれた…
父は短気な人だった。
…一言で表現するならこれに尽きる。
短気で怒ると手がつけられない…そんな人間は珍しくはないかも知れない。
父もそうかも知れない。
そんなのどこにでもいる…と言われてしまえば終わりだ。
けれど、私は色んな父親がいた訳ではない。その父しか知らない。
その父がいる家庭が全てだった。
大人になった今なら、少しは広い目で物事を捉えることが出来る。
それが出来ない子供の頃は、自分の家は特殊なのだとしか思えなかった。
何でうちはこんな家なんやろう?
きっと世界でいちばん不幸や。
こんな家、うちとこだけや…
そんなことばかり考える子供だった。
怒ったら手がつけられない。
暴力、暴言…昔のドラマのように、テーブルをひっくり返すなんて日常茶飯事だった。
言葉の暴力も半端なものではない。
そして何より私が恐れたのは…怒りに火を点ける「きっかけ」。
父の場合、お酒を飲んで暴れるといったような、分かりやすい理由がなかった。
つまり、何をしてはいけないのかが判らないのだ。
しかもそれは日替わりで変化する。
前には怒られなかったことで今日は怒られる。
そして…どんな些細なことでも滅茶苦茶に攻撃される。
母は食事の際に皿をコップに軽くぶつけてしまっただけで父の怒りを買い、前歯を折られた。
私は寝起きで、よく寝たかと聞かれたのに気付かずにいたら目の前でテーブルをひっくり返された。
次第に私は、父の顔色ばかり伺うようになった。
元々大人しい部類の性格が、さらに無口になっていった。
迂闊なことは言えない。
これはやっても大丈夫だろうか…
私にとって家とは、到底安らげる場所なんかじゃなかった。
私の家族は両親と兄が1人。
当初は母の実家で祖父母と同居していた。
実家があるのは小さな田舎の町。
自然に囲まれた、のどかな風景が広がる。
私が通った幼稚園は、そんな町から少し離れた、ミッション系の私立の幼稚園。
家から歩いて行ける町立の保育園を通り過ぎ、私と兄は毎日バスに揺られて通っていた。
それは父の方針で、母も祖父母も反対はしなかった。
…もとより反対出来るはずもなかった。
「なんでゆうはみんなとちゃうようちえんにいくん?」
幼い私の無邪気な問いかけは、母や祖父母を困らせたかも知れない。
そんな私も、父には同じことを尋ねた記憶はない―
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