ダンスときどき恋 in USA

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2012/08/08 23:28(更新日時)

ある日、彼女は成田空港にいた。
ダンスを勉強するためにアメリカへ行く。
初めての海外、期待と緊張が入り混じっているが
若い彼女には緊張さえも楽しく感じられた。



ちょっぴりフィクションで書いていきます。
よろしくお願いします。

No.1760760 (スレ作成日時)

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No.51

翌日、アイは午前のジャズダンスクラスが終わる頃にスタジオに顔を出し、
イレーヌや顔見知りの生徒たちに帰国の挨拶をした。

挨拶を済ませてスタジオを後にしたアイを、ブライアンが追いかけた。
2人は駐車場の隅で話し始めた。というよりブライアンが一方的に何か言っているようだ。

ショウとナツは2人の様子を遠くから見ていた。

「ナツ、この前のブライアンの秘密はこれなのかな」

「これだとしか思えないよね、好きな人が誰だか私らに言わなかったのも、わかるよね」

「さすがにアイ先輩のこと好きだとは言えないよね~」

「ショウ、ブライアンの恋はうまくいくと思う?」

「さあどうだろ、でもアイ先輩にはブライアンは子供っぽくないか?」

「確かにね~」

アイとブライアンはしばらく話していたが、ブライアンがうなだれて足早に去っていく様子が見えた。

「あ~ブライアンが泣きそうになって帰っていくよ」

「ナツ、こんど会ってもあんまりブライアンからかっちゃダメだよ、あれは深刻だよ」

「うーん、わかってる、ブライアンすごいいい友達だし、優しくしたいけど、ついからかいたくなっちゃうんだよなぁ(笑)」

「自分のときはビービー泣くくせにさぁ、友達のこととなったら笑いの種にしちゃうんだからね~、ブライアンにどんだけ助けてもらってるかわかってる?この性悪オンナ!(笑)」

「わかってるよ~(笑)」

アイ先輩の帰国後、誰もブライアンの恋には触れなかった。
ブライアンはしばらく落ち込んでいたが、ゆっくりと立ち直っていった。




No.52

課題の期限まであと2日。しかしナツの状態は最悪だ。

ピルエットを回るときの軸足は爪先立ちだ。バランスよく立ち続けるには微妙な感覚を必要とする。
それがどうしてもつかめない。

焦りとイライラでナツの気持ちはどうにかなりそうだ。

午後のバレエクラスにフェルナンドが来ていた。
ナツは相変わらず2回転に挑戦しては転んでいた。
転んだナツにフェルナンドが手を貸した。

「グラシアス」

ナツはフェルナンドにスペイン語で感謝を表したが、表情はさえない。

「ヘイ、ナツ、笑顔をどこに置いてきたの?」

フェルナンドは明るく話しかけたがナツには答える元気もなかった。

レッスンが終わると、フェルナンドが話しかけてきた。

「ナツ、マクドナルドでコーラ飲もう。おごるよ。ただし一杯だけ」

そう言ってウインクするフェルナンドの明るさに引っ張られるようにして、ナツはフェルナンドについていった。

彼は言葉通りにコーラ一杯しかおごってくれなかった。
ナツはそこに友情を感じて、かえって嬉しかった。

「ブライアンから聞いてたけど、ナツがそんなに苦しそうな顔でレッスンやってたとはね。」

「ブライアンも励ましてくれて、一度は気持ちも落ち着いて頑張ってたんだ。でも…」

「でも、どうしたの?」

「あと2日なのに全然できないんだ、できないどころか、下手になってる気がする」

「ナツ、ビデオカメラある?」

「ないよ」

「残念。まあ僕も持ってないけどさ。もしナツがビデオカメラを持っていて、毎日の練習を撮影していたら、今のナツについて気が付くことがあるはずなんだ。」

「今の私について?どこかダメな所があるとか?悪い部分を見つけるってこと?」

フェルナンドはナツの質問に驚いた表情をして、すぐに笑った。

「悪い部分?驚いた!ナツは本当に気が付いてないんだね!」

「え?なになに?どーゆーことなの?」





No.53

スレ主です。ここまでお読みくださり感謝です。

感想スレを立てますので良かったら書き込みよろしくお願いします🙇

自分でも時々、裏話など書き込みたいと思っています。

では引き続きよろしくお願いします🙇

No.54

フェルナンドは話を続けた。

「ピルエットの軸足のバランスが少しずつよくなってきてるのがわからない?
それだけじゃないよ。ウォーキング、ステップ、ほかにも、とにかくすべての動きがよくなってきてる。
ピルエットダブルも時間の問題だよ。
ナツのダンスは変わったよ、良くなったんだ」

フェルナンドの言っていることがよく理解できないナツはポカーンとした顔でマクドナルドの壁を見つめた。

上達してるって?私が?
自覚もないのに?

「フェルナンド、私のダンスが変わったって、いつから感じていたの?」

「アイが日本に帰る前の日だったよ。あの日突然にナツが変わったのがわかったんだ」

「まだ理解できないなぁ。全く実感がわかないよ」

「ナツは友達の言うことも素直に信じないタイプ?
それとも、こういう類のことは実感がわくまで時間がかかるのかな?」

「さあね、わからないよ。私が疑り深い性格なのかも(笑)」

「まあいいさ。ナツが実感ないなら、それがナツにとっての真実なんだろ」

「うん、まあねぇ」

「だとしても、君はあまりにも簡単に落ち込み過ぎだよ。
練習、練習、練習の毎日を送っているのは君だけじゃないよ」

「そうだね、フェルナンドの言うとおりだね」

「目に見えるものを欲しがってそのために努力するならサーカスのクマと一緒だよ」

「え~そこまで言わなくても…(汗)」

「もっと高度な喜びのために僕らは踊ってるはずだよ。
それを忘れなければ小さなことでクヨクヨしない。」

「厳しいなぁ~」

「あと2日って言ったね」

「そうだよ」

「ポウルの前でチャレンジが成功したら、そのとき何かわかるかもしれないね。
ポジティブな気持ちで練習すればいいよ。恐れないで、ナツ」

「ありがとうフェルナンド。あと2日、信じて練習してみる」

「次のときのコーラはナツが支払いする、いいね?」

「もちろん、フェルナンド、グラシアス!」

ナツは飲み干したコーラの紙カップの底にたまっている氷を、ストローでグルグルかきまわした。



No.55

「OK、僕は帰るよ。君は?」

「私も帰る。あと2日練習しなくちゃね」

2人はマクドナルドを出てそれぞれ帰った。

ナツは帰宅するとすぐにピルエットの練習をした。
その日は夜のイレーヌのストレッチの授業までは、ほかのレッスンには出ず、ひたすら家で練習を続けた。

練習しながら、ナツの頭の中でフェルナンドの顔がチラチラした。

いいヤツだな。フェルナンド。

ブライアンもいいヤツだけど、フェルナンドはなにか違う。

「もっと高度な喜びのために」と彼は言っていた。
あの瞬間、ナツの心の中で小さな事件が起きていた。
しかしナツ自身もそれがどんな事件なのかわからない。

なんとなく、なんとなく気になるんだよな、フェルナンド。
ほかの友達とは違う、不思議な気持ち。

ナツは心の中のつかみどころのない気持ちをどうすることもできずに、黙々と練習を続けた。




No.56

ポウル先生と約束の日。

ナツは前日の練習を思い出していた。
ピルエットを完璧な状態で2回転するには軸足でバランス良く立ち、重心をキープしなければならない。
昨日の練習でも100%成功とはいえない出来だった。
それでも、軸足(片足)で立ったときの重心の感覚が、つかめてきたような気がしている。
ポウル先生にそれが伝わるだけでも大きな進歩だ。

深く息を吐き出してナツはスタジオへ入った。ポウル先生が待っている。

他の生徒も何人かいたが、いつものポウルのクラスにしては少ない。

緊張しないわけではなかったけど、緊張を超える感慨がナツの心からあふれていた。
中身の濃い2週間を過ごした。イレーヌも協力してくれたし、ブライアンやフェルナンドが励ましてくれた。

そうだった。フェルナンド…

ナツはフェルナンドのことを思い浮かべてボーっとなりかけたその時、
ポウル先生の声がスタジオに大きく響いた。

「OK、ナツ、楽しんで!」

いつものポウル先生の授業が始まっていく。
フロアでのウォーミングアップ、ストレッチ、筋トレ、
それからダンスシューズを履いてウォーキングや足挙げや回転などをする。
スタジオの隅から対角線上の隅まで歩いたり、いろいろな動きをしながら進んでいく。





No.57

スタジオの後方の隅から、前方の隅へ向かう対角線上を、ポウルが手本を示しながら移動していく。
皆が2列になってポウルの手本通りにカラダを動かして進む。
前方の対角線上の隅にたどり着いたら、そちら側の後方の隅へ歩いていく。

こうして何周も移動しながらいろいろな動きを手本通りにやっていく。
このエクササイズが終わると、ポウルの短い振り付けが始まって、音楽に合わせて踊る振りをみんなが覚えていく。

ポウルは振り付けを始めるときに、ナツの立ち位置を、一番前の中央に指定した。

「ナツ、come here」

いよいよだな、とナツは思ったが、自分の緊張を誰にもさとられたくなかった。

ポウル先生は、振り付けの中にピルエットの要素を必ず入れてくるはずだ。
落ち着け。ただ振り付けを覚えて踊ることに集中しよう。

案の定、ポウルは振り付けにピルエットの要素を入れてきた。
しかも曲の中で一番盛り上がるところでピルエット。
振り付けのクライマックスの部分だ。ポウルの意図はナツにはじゅうぶん過ぎるほどわかる。
しかも、ピルエットにとっている間が長い。
これでは、1回転じゃ絶対に間がもたない。せめて2回転以上回らないと不自然になる。

まわりにバレたくないと思っていたが、ナツの緊張はピークに達していた。





No.58

ポウルは生徒たちを2グループに分けて交互に踊らせた。

ナツは2番目のグループ。

1番目のグループが踊る。ピルエットの部分は、それぞれが思い思いに、2回転や3回転をしている。

そうだ。この人たちの中で私は踊るんだ、生半可な気持ちでは振り落とされてしまう。

ナツがそんなことを考えているうちに、2グループの番がきてフロアに並んだ。

ポウルに言われなくてもナツは一番前の中央に位置をとる。
腹が決まった。やるしかないという気持ちになった。
そんな思いが湧き上がるとともに、胸の内に余計な緊張や心配がなくなって、スッキリした。

2グループのダンス。
ポウルがうなった。ナツの踊り方が急に変わって表情が豊かになっている。

クライマックスのピルエット。

「oh!no!」
ポウルが叫んだ。

「どうしたんだナツ!」

ナツのピルエットは2回転半になってしまい、ナツは他のダンサーと反対方向に、後ろ向きになってしまった。

しかしナツはめげずに、すぐに向きを前に変えて、最後まで踊りきった。

「何が起こったんだ?
でもいいよ。君はやり遂げたよナツ!」

ポウルは片手をあげてナツに近づいてきて、ナツとハイタッチをした。

2回転半してしまったことが、嬉しい反面、悔しさもあって、ナツは複雑な気持ちだった。
ただ達成感だけは、はっきりとしていた。




No.59

レッスンが終わると、ナツはすぐにポウル先生に近づいて、何か言おうとしたが、言葉がでなかった。

ポウルはナツをねぎらった。

「グッジョブ!ナツ。君はやり遂げた。この2週間で何かが変わったよ。」

「ありがとう、ポウル先生。なんだか、ピルエットだけでなくダンスのどんな動きをしても、今までと違う感覚なんです。」

「わかるよ。当然のことだ」

「どうしてですか?私は確かに練習したけど、ピルエット以外の練習は何もしてないのに。」

「ナツ、ピルエットの練習ってどんなことをしたの?」

「軸足でまっすぐに立つ練習です。」

「それだ!」

「それって…」

「ナツ、私たちが普段の生活をしていて、片足または両足で完全にまっすぐ立つことはほとんどないと思わないか?」

「それは…そうですね」

「普段まっすぐに立つことをしないのに、ダンスをするときに急にまっすぐに立つことができると思う?」

「ん~できない。」

「しかしダンサーがまっすぐに立てなければ踊りが美しくはならないよね。」

「はい…」

「つまり、ピルエットで2回あるいはそれ以上回転しようとして、軸足でバランス良く立つ練習は、ダンスのすべての動きにつながるんだ」

「ほ~なるほど!」

「つまりナツは、ピルエットの練習をしたつもりだったが、その練習が他のすべての動きにも効果があったんだよ」

「じゃ、先生は最初からそれを期待して…」

「もちろんだ。私の出した宿題が間違いないことを、君が努力して証明してくれたんだよ。
今日のナツを見て、私は私の考えが良いアイデアだったとわかったんだ。本当に素晴らしいことだよ、ナツ、ありがとう」

「あ、ありがとうございます…今、本当の意味がわかって嬉しいです」

「明日の3時のクラスに出てみなさい。私から話しておくよ」




No.60

レッスンを終えてスタジオの外に出ると、不意に声をかけられた。

「ナツ、頑張ったお祝いに、コーラを飲みにいこう!」

「フェルナンド!」

「いい表情してる。うまくいったんだね。」

「もちろん!いや、回り過ぎてダブル&ハーフになっちゃったけどね」

「ナツらしいね」

フェルナンドは屈託なく笑う。この笑顔にいつも友情を感じていたはずなのに…

ナツは戸惑っていた。

フェルナンドはナツの肩に手を回して

「OK!マクドナルド!」

と言うと、ナツからサッと手を話して歩き始めた。

一瞬のことだった、しかしナツはポカーンとしてしまい、少しの間動けなかった。

いやまてよ。
奴はメキシコ人だし、ここはアメリカだ。
友だちにもこういうことするよね。驚くようなことでもない。

必死に自分に言い聞かせながらフェルナンドの後をあわてて追いかけていく。




No.61

マクドナルドで2人はコーラを飲み、フェルナンドはナツをねぎらった。

「僕は信じてたよ。ナツはダンスを愛しているからね」

「そんなこと、わかるの?」

「ナツを見れば多くの人はそう思うよ。」

「フェルナンドもダンスを愛してるの?」

「そうだよ」

「ダンス以外には何を愛してるの?」

「どういう意味?」

自分でも思いがけない言葉が口から出てしまったナツは、困ってしまった。

「どういう意味って…その…」
言葉を探す。
「人とか、それ以外の何かとかいろいろあるでしょ」

「ナツ、自分以外の他人を愛するという意味なの?」

「ま…まあね。そうだね…ただそれだけじゃなくってさ、人じゃなくても何かとか…」

「僕はメキシコを愛している、生まれ育った町を愛してるよ」

「あ、うん。そうだろうね」

「それからメキシコの家族。特に母親。とても愛してる」

「そ、そうだろうね、だよね」

「それで全部」

「それで終わり?」

「もちろん、他に何かあるの?まったく考えもつかないけど」

「いや、つまり、フェルナンドが言っていた、家族とかママとかじゃなくてさ、その、つまり本当の他人とかさ」

「ナツ?」

もう、自分でも何いってるかさっぱりわからなくなってしまったナツ。





No.62

フェルナンドが話を続けた。

「ナツ、人が誰かを愛するとしたら、それは命がけなんだよ、簡単にはできないよ」

「そう…そうなのか。」

「それとも日本人は家族以外の他人にも命がけで愛するの?」

「わからないけど、そうでもないかな、愛って言葉が命がけっていう強い意味があるとは思わなかったからさ」

「ナツは何を知りたいの?」

「その…つまり、フェルナンドはいつもみんなに優しい、日本人の私たちにも親切だから、つまり、愛しているのかと…」

ナツは、ここ数日のなんともいえないザワザワした気持ちを、うまく話すことができない。
コーラを飲んでも喉の渇きがいやされず、ナツはすでに飲み干してしまっていた。

「オー、ナツ、僕はみんなのこと好きだよ、だから喜んだり笑ったりしてほしいだけさ」

「あーloveじゃなくlike…」

ナツの心の中にあるザワザワとしたものが、少しずつなくなっていく。

フェルナンドはいつも通り平然としている。

「そうだよ」

「つまり友情…」

「そうだよ、命がけで愛することはできないにしても友情は素晴らしいものだよ、だろ?」

「もちろん!」

「友情はいつも対等だよね、そこが素晴らしいんだ」

「だよね~わかるよ」

「ナツと僕もそういう素晴らしい友情の中にいる」

「あ…ああ、そうだね…」

ナツのザワザワはほとんどおさまってきた。
ガッカリのような、ホッと安心したような…

「まあ、君はほかのコとはちょっと違うけどね」

おさまったはずの鼓動が急に高くなる。

「違うって?」

フェルナンドはいつも通り屈託なく笑った。

「君がスペイン語をほんの少しでも話してくれるからね。スペイン語を話すとなんだか元気が出る。」

一瞬意識したことが恥ずかしくなって、ナツは力なく笑った。

「あ…ああ、スペイン語ね…」

「君のために僕も少し日本語を話すようにするよ、きっと君の仲間も喜んでくれるよね」

ナツは自分の独りよがりの滑稽さが急に笑えてきた。
思わず吹き出して笑った。

「何?どうして笑うの?」

「なんでもないよ、知らない国に来て、わからないことがいっぱいあって、無駄な心配ばかりしていたから、それがおかしくてさ。」

「そっかぁ、僕は地続きの国境だけど、ナツたちは海を越えて遠い国から来ているからね」





No.63

ナツとフェルナンドはマクドナルドを出た。

「ナツ、明日は上級クラスに行くの?」

「行くよ。ポウル先生がプッシュしてくれたからね。明日、誰だっけ?明日の3時の先生に私のこと話しておくってさ。」

「そうか、いつものナツでやればきっとうまくいくよ。」

「OK。ベストを尽くすよ!」

「じゃ、帰るね。またね」

そう言ってフェルナンドはナツを抱きしめた。

これも友達の挨拶か。

ナツは自分でも気づかないうちにフェルナンドに期待してしまっていたことが残念だった。

勝手な期待…フェルナンドに失礼だよなぁ…

気持ちを切り替えて明日のレッスンに備えなければならない。
今日のポウル先生のレッスンで得た、ピルエットの感覚を、何度も思い出しながら、
ナツは再び練習に打ち込んでいった。





No.64

翌日の午後3時のクラスに合わせて、ナツがスタジオに行くと
ポウル先生とジェイミー先生が話していた。

今日はジェイミー先生のクラスだったんだ!

ナツの緊張は一気にMAXになってしまう。
ジェイミーは上級クラスの中でも格別にレベルの高いレッスンをする。
レベルの高いプロのダンサーが最も多く集まるクラスだ。

ポウル先生は真っ黒な肌から真っ白い歯をニーっと見せて、笑顔でナツに声をかけた。
「ナツ、ジェイミーに君のことを話したよ。」

マイケル・ダグラス似のジェイミーもナツを笑顔で迎えた。

「ナツ、今、君の話を聞いたところだよ、歓迎するよ」

ジェイミーはナツに手を差し出し握手をした。

「先生のクラスに出ることができるなんて、本当に嬉しいです、ありがとうございます。」

「ありがとう、私のクラスで君がベストを尽くしてくれるよう祈るよ」

こうしてナツは極度の緊張の中でジェイミーのクラスを受けることになった。

スタジオを見回してみる。
ジェイミーのクラスということは、あの人は来ているのかな、
あの人と一緒にレッスンできるなんて…夢のようだ。
来てるかな、あの人…





No.65

あの人…ナツのあこがれの女性ダンサー、「ブーツの人」

彼女は膝まで高さのある茶色い皮のブーツを履いて踊る。
皮のブーツは使い込んであり、とても年期の入っているようなシブい光沢。踊る彼女の足に、しなやかにフィットしている。
彼女のダンスはメリハリがきいていて押し付けがましさのない美しい動き。

「いた!やっぱり来てるんだ」
ブーツの人がスタジオの壁に脚を上げてストレッチをしているのが見えた。

ナツはさりげなく彼女に近づいて、隣でレッスンを受けられるように場所をとった。

ジェイミーのクラスがいよいよ始まった。最初はシューズをはかずにストレッチ。
両手を大きく動かす深呼吸、首のストレッチや肩の上げ下げ、どれも桁違いに美しいジェイミーの動き。
まだウォーミングアップの段階なのに、ナツは、ジェイミーのひとつひとつの動きに感動してしまう。

人間ってこんなに、しなやかに美しく動けるものなのか。
私もこんな風に動けるようになるのかなぁ。

ふと隣を意識すると、ブーツの人もジェイミーに劣らず美しい動きをしているのがよくわかった。

ウォーミングアップが終わるとジェイミーの声。

「put your shoes on!」

すると皆がジャズシューズを履く。もちろんあの人はブーツを履いた。




No.66

シューズを履いたらフロアの対角線上をいろんな動きで移動していく。
ジェイミーのお手本の動きは実に優雅だ。それでいて情熱的でもある。

ダンサーたちは2列になって、ジェイミーのお手本を真似て動いていく。
最初はウォーキングから。
ナツも、最高の緊張を味わいながら必死になって動く。
動きが少しずつ複雑になっていくが、何とかついていける。
しかし、何か違和感がある。それはジェイミー先生の目線。
ジェイミーはダンサーひとりずつを丁寧に見てくれる。
しかしナツの方をいっさい見ようとしない。
ナツの手前の人までは丁寧に見ていながら、
ナツの方だけは目線を外し、
ナツの後の人になると再び丁寧に見る。

最初は気のせいなのかとナツは思っていたが、次第に気のせいではないことがわかってきた。
フロアエクササイズが終わり、振り付けが始まると、ジェイミーはナツにハッキリ言った。

「go back」

それは、スタジオのいちばん後ろのいちばん隅へ行け、という命令だった。
あたかも、俺の視界に入るなと言わんばかりの態度だ。

レッスン前の、あの優しい言葉は何だったんだろう。

ブーツの人は、ジェイミーに指定されて、いちばん前の中央で振り付けを受けている。
いちばん前の中央は、ブーツの人の決まったポジションのように見受けられた。





No.67

ナツはジェイミーの振り付けに必死でついていこうとしたが、ほとんどうまくいかなかった。
しかも、踊っている途中で派手に転んでしまった。
ジェイミーがナツを後ろの隅へ行かせた理由がわかってきた。

レッスンが終わり、ナツは挨拶をするためにジェイミーに近づいていった。
ジェイミーはナツに気が付いて彼の方から声をかけた。

「このクラスにはいいダンサーが多く集まっている、彼らの邪魔にならないようにしてくれ。意味わかるよね。」

ジェイミーの冷静な口調と言葉の内容に、ナツはたじろいだが
すぐに気を取り直して
「わかりました。先生のクラスにこれからも来ます」

そう言ってすぐにスタジオを出て行った。

うまくいかなかった。何もかもうまくいかなかった。
それは自分の力不足以外のなにものでもない。

ナツは自分の不甲斐なさに思いが集中していた。
ジェイミーに無視されたことは少しも気にならなかった。
緊張と敗北感からくる重い疲労がナツを支配していた。





No.68

重いカラダを引きずるようにしてナツは家に帰ってきた。

上級クラスのレッスンを受けているのはナツだけだ。
他の先輩2人も、後輩の十代の2人の女の子たちも、上級クラスには全く興味がない。
しかも、レッスン以外の時間はあまりダンスのことは考えていないようだ。
ナツの同室のショウだけは違っていた。ナツほどのチャレンジはできないけど、コツコツと努力を積み重ねるタイプの上昇思考を内に秘めていた。
そして、ショウは本気でナツを応援している。

今日の上級クラスがジェイミーのクラスであることも、ショウは知っていて、期待と心配を繰り返しながら家で待っていた。

「おかえりー!ナツ、3時のクラスどうだった?」

「ああ、ただいま…」

「どうした?ジェイミーにやられた?」

「やられたって何のこと?」

「何ってさ、無視されたりしなかった?」

「ん!なんでわかる?」

「ブライアンがさっき来てたんだけどさ、今日、ナツが3時のクラスに行ったって話したら、ブライアンがジェイミー先生のこと教えてくれたんだ」

ショウの話によると
ブライアンはジェイミーが日本人嫌いであることを話してくれたという。
ジェイミーは過去に日本で振り付け演出の仕事をしたが、失敗を笑ってごまかすダンサー達に腹を立てて、その仕事をキャンセルして帰国してきたのだ。
その事があるために、いまだに日本人のダンサーを信用できないらしい。

「ふ~ん…」

「相当ダメージ受けてるね、かなりいじめられた?ものすごい日本人嫌いだっていうしさ、もうジェイミー先生のクラス行かない方がいんじゃない?」

「さあね、心配してくれてありがと。ちょっと寝るわ、晩ごはんいらないから」

「ありゃあ~これは重症だね、まあゆっくり寝なさい」

ナツはベッドに寝て目を閉じたが眠れるわけでもなく、ただ何度もジェイミーの冷たい表情と声を思い返していた。




No.69

ナツと仲間たちは夕食を当番制で作っていたが、朝食と昼食は各自それぞれ、別々に食べている。

ナツの朝食は毎日同じメニューと決まっていた。
日々工夫して違うメニューを考えることはナツには苦手なことだった。だからワンパターンに決めている。

朝食は、白飯、ブロッコリーの味噌汁、そして1ドルで売られている薄い牛肉ステーキ。
胃腸が丈夫で規則正しい生活をしているナツにとって、朝からステーキを食べることはごく自然なことだ。

そして、ジェイミーのクラスを受けた疲れで夕食抜きで寝てしまった翌日の朝は、
いつも以上の空腹を感じて、ステーキを2枚焼いた。

ナツより少し遅く起きてショウがダイニングルームへ来た。

「おおっと!食欲旺盛だね、もう立ち直ったわけ?」

「さあね、昨日の晩ごはん抜いたからおなか空いちゃったよ」

「ナツの生命力すごいよね。あんたきっと長生きするよ」

「願ったり叶ったりだよ、もしそうなったらね。どうせなら思いっきり長生きして有名になりたいもんだ」

ステーキの2枚目をたいらげながら笑うナツを見てショウは

「なんか、心配して損した気分だな~」

と、呆れ顔だ。でも内心は、元気なナツの姿が嬉しかった。

「それで、ナツはこれからどうすんの?またジェイミー先生のクラスに行くの?」





No.70

食べ終わった食器を台所の流しに運びながら、ナツはショウに答えた。

「行くよ。やめる理由なんかないじゃん、別に。」

「え~?だって、ずっと無視されることになるじゃん、それでもいいの?」

「無視されるのは慣れてるから別に大丈夫だよ、それより、せっかくポウル先生がキッカケ作ってくれたのに、やめたらもったいなさすぎ。」

「いや、そうかもしれないけどさ、教師に無視されて受ける授業って、成り立つのかな?意味あんの?」

「意味があるかないか、やってみないとわかんないんだって、教師に無視されるからそのクラスに行かない、なんて言ってる場合じゃないんだよ。」

「そうかなぁ?」

「うまくいくからやるんじゃなくて、もっと高度な目的のためにやるんだよ、なんてね。これは、フェルナンドの受け売りだけどさ。
ジェイミー先生やレベルの高いダンサーを見るだけでも、かなり勉強になるし、とにかくあの場所でカラダを動かしてみたいんだ。カッコ悪くてもね。」

「ふぅ~ん、あんたって面白い人だね、ホント、変わってる」




No.71

ショウに言った言葉通り、ナツはジェイミーのクラスに通い続けている。
それだけではなく、午後3時のハイクラスにすべて行くようにした。

最初はナツを心配していたショウも今は全く心配しない。ナツの覚悟を理解したのだった。

自分の実力が全く追いつかないレベルの高いクラスで、知力体力と気力を尽くしてカラダを動かしていく。
今のナツにはそれしか方法がなかった。それでも、上級クラスに行く意味があると、ナツは確信していた。

スタジオに出入りする一部のダンサーたちは、ナツに
「ストレンジ ジャパニーズ」(奇妙な日本人)
というあだ名をつけて噂した。実力もないのにずうずうしく上級クラスに毎回やってくる日本人は、
彼らの目には確実に奇妙に映っていたのだ。

ジェイミーはナツを完全に無視し続けた。
ジェイミーのクラスにおいてはナツは、あたかも存在しないかのように扱われたのだった。





No.72

6人の日本人の女の子が暮らす家は、日本語と日本の文化であふれている。
管理人のKさんやその知り合いの人たちからもらう物もある。
本棚にも本がたくさんあった。
日本の連続ドラマのビデオもたくさんあった。

Kさんは、日本の知り合いから、お笑い系の番組やドラマの録画ビデオをたくさん送ってもらっていて、見終わるとナツたちに貸してくれていた。

仲間たちが特に楽しみにしていたのは、トレンディードラマだった。
中でも、「101回目のプロポーズ」はみんな夢中になった。
ナツもこのドラマは好きで、次に送られて来るビデオを心待ちにしていた。

主題歌もすっかり覚えてしまった。チャゲアスの「Say Yes」が頭の中でグルグル回る。

家の中では、まるで日本で生活しているかのようだ。
ナツはこのムードを物足りなく感じていた。

「なんか足りない気がする…でもいったい何が足りないんだろう、何だろうなぁ…」





No.73

「映画が見たい!」

ナツは、以前見たことのあった映画を、また見たいと思った。
中学生の時にみたフットルースや、高校生の時に見たコーラスライン。
ほかにも昔の名作のミュージカル映画。

ナツは、レンタルビデオの店を探すことにした。

まずは、スタジオで会うダンサーたちに話を聞いてみる。
「映画のビデオを見たいんだけど、ビデオを貸しているお店を知ってる?」

女性ダンサーが
「movie&pizza」という店を教えてくれた。
ダンススタジオに面した大通りをひたすらまっすぐ行けばいいという。
ナツはそれを聞いて、すぐに歩いていこうとした。

「ちょっと待って!ナツ!歩いていくつもりなの?」
店を教えてくれた女性ダンサーに呼び止められた。

「うん、歩いて行くよ。」

「遠いよ、歩いたら2時間はかかるよ、大丈夫?」

一瞬迷ったがナツは行きたい気持ちが強かった。

「大丈夫、2時間くらい。子供の頃は一日中歩いたもんだよ。
教えてくれてありがと。」

ナツは笑って彼女にバイバイと手を振って、歩き始めた。
彼女の言うとおり、2時間以上かけて「movie&pizza」にたどり着いた。

「映画のビデオを借りたいんです。これ、パスポート持ってきました。」

ナツは身分証代わりにパスポートを見せた。

店員はパスポートを受け取らない、そしてすぐに、奥に入ってしまった。

どうしたんだろう、パスポートじゃダメなのかな。

ナツは店員が戻ってくるのを待った。





No.74

しばらくすると、店員が受付に戻ってきた。

「すみませんが、IDカードを持ってない人には、会員カードを発行できません」

アメリカ合衆国の国民か、この国に永住権を持っている人が持っている身分証、IDカードが必要なのだ。

しかし、ナツは全く引き下がる気持ちになれない。

「確かに私は観光ビザで来た旅行者みたいなもんだけど、3ヶ月同じ家で暮らしてるんです、
住所と電話番号を書きます。ここに確実に私は住んでいます。だから会員カードを発行してください。」

「ダメです、先ほど言ったとおり、IDカードがない人には発行できません。」

「ほら、見て、これが私が今住んでいる家の住所、そしてこれが電話番号。
ここに確実に住んでいますから絶対にちゃんと返しますから」

「ダメ。パスポートは身分証の代わりにはならないんです」

「だって、本当にここに住んでいるんですよ。レンタルしたまま逃げたりしないから、必ず返すから、本当に、お願い!」

店員は困って、再び奥へと入っていった。

No.75

しばらくすると、店員が受付に戻ってきた。

「すみませんが、IDカードを持ってない人には、会員カードを発行できません」

アメリカ合衆国の国民か、この国に永住権を持っている人が持っている身分証、IDカードが必要なのだ。

しかし、ナツは全く引き下がる気持ちになれない。

「確かに私は観光ビザで来た旅行者みたいなもんだけど、3ヶ月同じ家で暮らしてるんです、
住所と電話番号を書きます。ここに確実に私は住んでいます。だから会員カードを発行してください。」

「ダメです、先ほど言ったとおり、IDカードがない人には発行できません。」

「ほら、見て、これが私が今住んでいる家の住所、そしてこれが電話番号。
ここに確実に住んでいますから絶対にちゃんと返しますから」

「ダメ。パスポートは身分証の代わりにはならないんです」

「だって、本当にここに住んでいるんですよ。レンタルしたまま逃げたりしないから、必ず返すから、本当に、お願い!」

店員は困って、再び奥へと入っていった。





No.76

今度は、お店のボスらしき男性が出てきた。

「ハロー、もう一度お話聞かせて下さい。」

「私は、ビデオレンタルの会員カードを作って欲しいんです、
ここにパスポートがあります。住所と電話番号を書きます。
この住所の家に確実に住んでいます。だから作って下さい。」

ボスは忍耐強くナツの話を聞いてから、少しため息をつき、ナツを説得しようとした。

「映画のビデオを貸すためには私たちは、その人を確実に知っていなければなりません。
だから、私たちは、IDカードを持っているお客様だけに、会員カードを発行します。
先ほどから、店員がそのことをあなたに説明しました。
それ以上のサービスはできません。わかって下さい。」

ナツも引き下がらない。

「お話はよくわかりますよ。
でもパスポート見て下さい。
住所も電話番号もちゃんと書きます。ビデオも必ず返します。
どうしても会員カード作ってほしいんです。」

ボスは再び穏やかに説明する。
「あなたはアメリカ人じゃないから知らないかも知れないが、
私たちにとってIDカードは非常に重要なものなんですよ、
身分証としては実に確実なものです。パスポートとはちがうんです。」

「わかります、わかりますよ。でも私にはパスポートしかないんです。ただの旅行者かもしれないけど、でも信頼してほしいんです。
絶対に迷惑かけるようなことはしませんから。約束します。」

「なんと言われても無理なんです、お帰り下さい。」

「いえ、帰りません。会員カードを作って下さい。」





No.77

お店のボスとナツの押し問答はしばらく続いたが、ボスが黙り込んでしまい、しばしの沈黙。

そしてボスが再び口を開いた。明るい笑顔のボス。

「OK、会員カードを私の責任において作ります。そのかわり、
あなたはこの店を絶対に裏切らないでほしいんです。
それから、この特別なサービスを言いふらさないで下さい。」

「本当ですか?ありがとう!必ず言われたとおりにします!
ありがとう!本当にありがとう!嬉しい!ありがとう!」

「ところで」

ボスは再び神妙な顔つきに。

「店の看板見ました?」

今、大喜びしたナツも、つられて神妙な顔に。

「ええ、見ましたけど…あの、movie&pizzaって。」

「そう、映画のビデオ貸すだけじゃなく、ピザを売ってます。
そして、会員カードを作った記念に、ピザをプレゼント!」

そう言ってボスはイタズラっぽく笑った。

「オー!いいの?」

「あなたのような奇妙な日本人に、初めて会いましたよ。
だから、その記念に、ピザをプレゼントすることにしました」

そう言ってボスがウインク。

「わーステキ!」

「ピザのメニューから好きなのを選んで下さい。」

「じゃ、トマトとベーコンのピザにします!やったね!」

「OK、これからピザを焼くから映画ビデオを選んで下さい。」

「あ、そうだった…」

交渉に夢中になりすぎてビデオを選ぶのを忘れていたナツだった。

こうして、ナツは会員カードを手に入れ、ビデオを2つ選び、
トマトとベーコンのピザをプレゼントされて、タクシーで帰宅した。





No.78

こうして、ナツはダンスのレッスンも、余暇の時間の過ごし方も充実して過ごした。

movie&pizzaには自転車を使って行くことにした。
家にガラクタと化していた古いスポーツタイプの自転車があったのでそれを使った。
ビデオを借りる時はピザを必ず買った。わりと美味しいのだ。

子どもの頃に見たミュージカル映画や、もっと古い、
ジーン・ケリーやフレッド・アステアの名作と言われるもの、
ダンスや歌のある映画を次々と借りては見た。

日本で借りるビデオと違って日本語の字幕がついていない。
それで英語のセリフを必死に聞くので、英語の勉強になる。

家の中の、まるで日本にいるかのようなムードからも解放されてナツは充分に楽しんだ。





No.79

季節の行事が近づいていた。それはハロウィンだ。

1990年代、日本でハロウィンのイベントは広まっておらず、
ナツもナツの仲間たちも全く知らなかった。
ブライアンが、ナツたちの家に来て教えてくれた。

「カボチャを君たちの人数分買うよ。くりぬいてランプを作るんだ。」

ナツたちはブライアンと一緒に近くのスーパーマーケット「アルバートソン」へ行った。

カボチャの代金はブライアンが支払ってくれるという。

「みんな、自分の好きなカボチャを選んでね。」

ブライアンの声が明るい。何週間か前に失恋したとは思えないほど。

「すっかり元気じゃんブライアンさぁ。次の恋でもしてるのかなぁ?」

ショウがナツに小声でささやいた、ナツは吹き出したくなるのをこらえるのが精一杯。

みんな、めいめいにカボチャを選んで、カートへ入れた。
ナツは小ぶりだがしっかりと重さのあるカボチャを選んだ。


ハロウィンか。何のお祭りなんだろう。


考えてもわからないし、ブライアンに質問する気もおこらないが、
日本では体験したことのないイベントを味わうことが、ナツは嬉しかった。





No.80

家に戻ったら、さっそくみんなでカボチャのランプ作りが始まった。

カボチャの中身をスプーンで削り出して、外側から思い思いの形にくりぬいていく。

ナツも張り切ってスプーンを駆使し、カボチャの皮が誰よりも薄くなるようにした。
目鼻口もうまく形ができた。興奮している上に大満足なので
かなりテンションが高い。

「OK、カボチャのランプは庭に出して乾かしておこう。」

ブライアンの指示に従って、みんな自分の作ったランプを庭に置いた。

次は料理だ。
ブライアンが小さな冊子を取り出した。

「この本を見ながらみんなで協力してカボチャ料理を作ろう」

普段は料理をしないというブライアンが精一杯の準備をしてきてくれた。
料理に必要な、カボチャ以外の材料も買ってきてあるという。
さっそくエプロンをして張り切っているブライアンを見て、
みんなも楽しくなってきた。

カボチャのクッキー、カボチャのプディング、カボチャシチューを料理した。

「おっと忘れてた!お菓子を買いに行かなきゃ!」

ブライアンが慌てているので、みんなもワケがわからないなりにも、慌てて一緒にお菓子を買いに行った。





No.81

「夜になると子供たちのグループがいくつか訪問してくるよ」

「へぇ~子供たちが?」

ブライアンは説明を続けた。

「みんな仮装してくるよ、子供たちが訪ねてきたら、お菓子をあげるんだ」

「それでお菓子を買いにきたっていうわけね」

「けっこう大勢いるからね、子供たちは。ひとりずつあげなくてもいいんだよ」

「じゃ、どうすんの?」

「代表の子が箱か袋を持ってるから、そこにお菓子を入れてあげるんだ」

「なるほどね~」

「彼らは、あとでお菓子をみんなで分けるから、なるべく小さなお菓子をたくさんあげる」

「小さなお菓子って何?」

「キャンディとかチョコとか、一個ずつ包んであるやつさ」

「なるほど、わかった!」

みんなスーパーマーケットの売り場に散らばって思い思いのお菓子を買った。

ブライアンがナツの隣に来た。

「ナツ、お菓子少ないんじゃないの?」

「あ、ブライアン、いや、イベントとはわかっていても、
知らない子供にお菓子をあげるなんてもったいないからさ」

「ふ~ん、ナツはおおらかな性格だと思ってたけどね」

「けど?」

「けっこうケチなんだね」

「ま、ケチと言われたらケチかもしれないね。」

「子供の頃からケチなの?」

「他人に何かあげるのがイヤなの。どうせ子供たちは、あちこちでいっぱいもらうでしょ。
私がいっぱいあげなくてもいいよね。」

「ショウが家で待ってるんだから、ショウのぶんも買っていってあげたら?」

ショウは腰が痛いと言って家で休んでいる。

「それはブライアンがやってよ、私はそこまでやらない。」

「本当にケチだな、ナツは。」

No.82

ナツたちとブライアンは、それぞれ買ったお菓子を手に、帰宅した。

「ただいま~ショウ、ブライアンがさぁ、お菓子買ってきてくれたよ、ショウ?」

リビングルームのソファに横たわっているショウの様子がおかしい。
額に汗がびっしりと見え、表情は苦痛にゆがんでいる。

もと看護師のリカがただごとではない様子を察して駆け寄る。

「ショウ、ショウちゃん!どうしたの!?しっかりして!」

途切れながらも答えるショウ。

「息が…苦しい…息が…できない…お腹が…焼けそう…」

「ショウ…なになにどうしたのさぁ…」

オロオロしながらナツもそばに行った。

「お腹が…熱い…熱くて…焼けそう…」

ショウの両手が押さえているのは胃のあたり。

「熱い?熱いの?水、水飲んだらどうかな…」

水を持ってこようとするナツをリカが強く制した。

「水飲んだらダメ!よけい悪くなるよ!」

そう言いながらも辺りを見回して、リカは事態の原因を探っていた。

「ショウちゃん!あんた…まさか…」

テーブルの上には、ショウが先日診療所から処方された、痛み止めの薬があった。
そして傍らには、セブンナップという炭酸飲料。

「あんた…まさか…薬をセブンナップで飲んだの?」

リカの問いかけにショウがかすかにうなずいた。

「たいへん!病院にいかないとダメだ!誰かKさん呼んで!」

ナツの仲間のうちの2人が管理人のKさんを呼びに走った。





No.83

ショウは管理人Kさんの車で病院へ行くことになった。
ブライアンがショウを抱きかかえて車に乗った。

「ナツ!」

車の中からブライアンがナツを呼んでいる。

「え、私でいいの?リカ先輩が行った方がいいんじゃ…」

リカがナツの言葉をさえぎる。

「私は何もできないから、仲のいいナツが行きな。」

リカはナツの背中を強く押す。

「ほら、急げ!」

ナツはオロオロしながらもあわてて車に乗り込んだ。
ブライアンはすぐに助手席に乗り換えた。
車の後部座席に横たわるショウの頭を膝で支えて、ナツはどうすることもできない。

車は静かに走り出した。
ショウが先日行った診療所に向かっている。
ショウは相変わらず苦しそうな息をしている。

誰か人の様態急変を目の当たりにするのは初めての経験で、ナツは心底オロオロしていた。
自分が無力なのはわかりきっているけど、それだけじゃない、平常心でいられない弱虫…

ショウちゃん、ごめん。私すごいオロオロしてるよ。

心の中でショウに謝りながら、ナツはショウの髪を撫でた。

神様…どうかショウちゃんを助けてください、私の大切な友達を助けてください。

ナツは心の中で、何度も何度も祈った。





No.84

車は診療所に到着した。

まずKさんが診療所の受付に行って交渉をする。
救急の対応をしていない診療所だが、交渉次第ですぐに診てもらえるという。

ナツもショウもその診療所をすでに利用していた。
ナツたちは医療保険がないので診察や処方の全てが自己負担になる。
そういう時はまず最初に100ドル前払いしなければならない。
今は急いで診察してほしいのでもっと多く前払いしなければならないかもしれない。
Kさんはその交渉に行ったのだった。
ほどなくしてKさんが診療所のスタッフと一緒に出てきた。
診療所のスタッフがストレッチャーを持ってきた。
スタッフの人たちはなぜか、それぞれ変わった格好だ。
腕や足にヘビのオモチャを巻きつけていたり、頭に斧が刺さった風だったり、アフロヘアのピエロだったりする。
そんな格好などまるで構わない様子で彼らはテキパキと動く。
ショウは診療所のスタッフによってストレッチャーに乗せられて、すぐに診察室に入っていった。

「良かった、すぐに診てもらえるんだ。それにしてもあの…」

ナツは、スタッフの変な格好とその事をまるで気にしない様子をいぶかしく思っていた。

「ナツ、今日は何の日か覚えてる?」

ブライアンが平然とした口調でナツに問い返した。

「え…ハロウィン!?」

「いかにも」

ブライアンはいたずらっ子っぽくニヤリと笑った。

そこへKさんが

「診療所の中に入ろう。しばらく待つかもしれない。」

と言ってきたので、ブライアンとナツはKさんと一緒に中に入った。





No.85

診療所の待合室の光景に、ナツは目を見張った。
ドクター、ナース、掃除スタッフから事務職までみんな仮装している。
セサミストリートのキャラクター、ドラキュラやフランケンシュタインなどのモンスター系、
バルーンアートや様々な動物系の仮装もある。

しかも、彼らは仮装していることを全く忘れているかのように普通に仕事をしていた。

ナツはKさんの交渉のことが気になっていた。

「Kさん、ショウの診察の手付け金はいくらだったの?」

「今すぐ診察してくれって言ったらダメだって言うから、300ドル出した。それであっちも
コロッと態度が変わっちゃってさ、すぐに診察ってことになったよ。」

「300ドルかぁ…高いなぁ」






No.86

ショウがナースに支えられて待合室に出てきた。歩けるまでに回復したようだ。

「ショウちゃん!」

ナツはショウに駆け寄った。

「ナツ、ありがとう、心配かけてごめんね。」

ナースはKさんに何か説明している。

「ショウ、ゲンキナリマシタ、ヨカッタデス!」

ブライアンが日本語でショウに話しかけた。

「ブライアンありがとう、せっかくのハロウィンなのにごめんね。」

「モンダイナイ!ハロウィン、マダ、オワテナイ!」

ショウがブライアンの日本語を聞いて吹き出して笑った。
ナツもブライアンも笑った。

ナースの説明を聞いたKさんが会計カウンターへ行き、診療費の精算をした。

「ショウちゃんは急性の胃けいれんをおこしたそうだよ、処置は点滴で済んだみたいだね」

「Kさん、すみませんでした。いろいろやっていただいて…」

「大丈夫だよショウちゃん。でも、もう炭酸飲料で薬は飲まないでよ。こっちの薬は強いから特に危険なんだよ。」

「はい…すみません。」

ショウは事の責任を感じたのか沈んだ様子だ。
そんなショウをKさんが優しく慰めた。

「そんなにしょんぼりしなくていいよ、さあ、みんな待ってるんじゃないか?
ハロウィンはまだまだ終わりじゃないからね。」

「もちろん!」

Kさんの言葉にブライアンが答えて、ショウとナツの顔を見てウインクした。





No.87

ショウが帰宅したので仲間がみんなで出迎えた。

「ショウちゃん、良かった!」

もと看護師のリカがまず最初に声をかけた。

「リカ先輩、心配かけてすみません、みんなも…ごめんなさい。」

「まさかセブンナップで薬を飲むとはね。もう懲りたよね。」

「はい…気をつけます」

ダイニングには夕食の支度が出来ていた。
今夜はみんなで作ったカボチャのシチューとピザだ。

ショウも、胃に優しいものなら食べてもいいので、シチューを食べることにした。

Kさんは帰宅し、ナツたちとブライアンは一緒に、楽しい夕食の時を過ごした。

それから、カボチャランプを外に並べ、ローソクを入れて火をつけた。
暖かい光が広がって、みんなは優しい気持ちになった。

そして、午後6時頃から子どもたちがやって来始めた。

玄関のチャイムがなるたびにみんなで玄関へ走っていく。

ドアを開けると10数名の仮装した子どもたちが口々に何か言っている。
代表の子どもが、デコレーションされたかわいいバケツを差し出す。

ナツたちは思い思いにお菓子を入れた。





No.88

ショウの体調もひとまず落ち着いて、みんなハロウィンを楽しんでいた。
家の外回りに置かれたカボチャのランプも、暖かい光で今夜のイベントを演出している。
しかしナツは時計が気になってしょうがない。もうすぐ午後7時になろうとしている。
ショウがナツに声をかけた。

「ナツ、行ってくれば?」

「え、何?行くって…」

「金持ちリゾー先生のレッスンだよ。行くつもりだったよね」

「あ、うん。でもショウを置いて行くのもなぁ…」

「なに、心配してんの?」

「まぁね、今日の今日だし」

「私なら大丈夫だよ、ナツがレッスンに命かけているのは、私がいちばんよく知ってるし」

「うん…」

「私の体調気にしてとか、みんなに気を使ってとか、そんな理由でレッスン我慢するの?」

「いやあ…」

「行きたいんでしょ、もじもじしてるなんてナツらしくない」

「うん…久しぶりの金持ち先生だし、ホントはショウと一緒に行きたかったけど」

「私は今日はゆっくり休むからさ、ナツ、行きなよ。」

「ん、そうと決まれば急いで支度だ!」

ナツは大急ぎで支度をして、自転車に乗った。

今夜のレッスンが代理のマルコスにならないよう祈りながら。




No.89

ナツは大急ぎで自転車をこいで、7時ギリギリにスタジオに着いた。

ハロウィンのせいなのか、ダンサーたちも数人しかいない。
その中にフェルナンドがいた。

ナツとフェルナンドはいつものようにスペイン語で挨拶を交わした。その後の会話は英語だ。

「今日は私たち、ハロウィンの行事をやったんだよ。料理もしたよ。フェルナンドは?」

「今夜ハロウィンのイベントがあるって友達に誘われたんだ。でも今日はレッスン優先だ。」

「やっぱりね。金持ち先生のレッスンは最近なかったよね」

「そうだね。リゾーのレッスンにショウが必ず来てるはずだけど、今日は一緒じゃないの?」

「ショウは体調がよくないんだよね。彼女、今日は急病で診療所に行ったんだ。」

「そうか、早くよくなるといいね。ショウがいないとリゾーも心配するんじゃないかな。」

「そうだね。ショウはリゾー先生の個人レッスンも受けてるからね。」

ナツとフェルナンドは会話をはずませながらもストレッチをしてレッスンに備える。
他の2~3人のダンサーたちもストレッチしながらレッスンが始まるのを待っていた。

しかし、リゾーは来ない。

「あ~あ、いつもの遅刻かな、それとも代理かな。」

「ナツはマルコスが来ると、はっきりと嫌な顔するよね。」

「え、そうかな~」

「ナツは無表情を装ってるかもしれないけど、はっきり顔に出てるよ。気をつけた方がいい」

「そうかぁ、気をつけるよ」

時計の針が15、30と進んでもリゾー先生はあらわれない。





No.90

レッスンが始まる時間を30分以上過ぎた頃、ダンススタジオのスタッフがやって来た。

「先ほどリゾーから電話があって、今日のレッスンは中止だと言ってきたよ」

みんなさほど驚いていない。金持ち先生のいつものドタキャンには慣れている。

ナツは、代理のマルコスが来ないので、そのことにホッとしていた。

「スタジオは8時まで自由に使ってくれ。8時に閉めるよ。」

スタッフはそう言って去って行った。他のダンサーたちも帰っていった。

スタジオのフロアを自由に使えるなんてめったにないチャンスだとナツは思った。
だから時間ギリギリまで、不得意な動きを練習した。
フェルナンドも同じように何か練習していた。
それぞれ自分の練習に没頭して会話もしないほどだった。

時間になって。スタッフがスタジオの施錠に来た。

2人は外に出た。

「あ~あ、久しぶりの金持ち先生のレッスンだと思ったのに、残念だったな~」

「そのうち、またリゾーのレッスンがあるさ。ナツ、空を見てみなよ、今夜は星がはっきり見えるね。」

フェルナンドに言われてナツは空を見上げた。彼の言うとおり空は晴れて星がきれいだ。

「ホントだ。ここに来て夜空を見上げたのは初めてかも。空に星があることさえ忘れてた。」

「まさか!ホントに?」

「ホントだよ。アメリカに来て星を見上げたことなかったよ。一つのことに夢中過ぎて。」

「オー、ナツ、君っておもしろい人だね。」

フェルナンドの左手がナツの右手を握った。





No.91

フェルナンドに手を握られてもナツは驚いたりドキドキしたり緊張もしなかった。
それはあまりにも自然な状況で何の感激もないくらい。

2人とも黙ってしばらくそのまま立っていた。その沈黙さえも至って自然だ。

ナツは、ただ夜空の美しさに心奪われていた。
そして、今日の充実した1日を思い返していた。

朝からハロウィンの準備でカボチャのランプやカボチャの料理を作ったり、
お菓子を買うためにスーパーマーケットに行ったり。
そして、ショウの急病で診療所へ行き、ハロウィンの仮装に驚いたり。
ショウが無事で本当に嬉しかったし、安心感で心がいっぱいになっていた。
そして、どうしても金持ち先生のレッスンを受けたくてスタジオに来たのに、無しになり。

なんだか怒涛のような1日だったよな。

ナツがそんなことを思い返していたら、フェルナンドが突然、沈黙を破った。

「ねえ、車で送ってあげるよ」





No.92

「車で…?」

ナツの頭の中でいろんな思いが駆け巡っていく。
しかし自分でも何をどう考えたらいいのか、よくわからない。
それに、今日はハロウィンのことや、ショウの体調のことや、
リゾーのレッスンが中止になったことなどが、ナツの頭の中で
大きく幅をとっていて、今のこの状況をうまくとらえられない。

フェルナンドの親切は嬉しい、でも、自転車をここに置いていくことは
できない、とナツは思った。

「うん、ありがとう、でも、今日は自転車で来てるから。」

フェルナンドは黙っている。

「ね、自転車で来たから、自転車で帰るよ。
 はやく帰ってショウの顔が見たいし。」

フェルナンドがナツの手を離した。
聞こえるか聞こえないかくらいの小さなため息をナツは感じた。

「OK,サヨナラ。」

そう言って、フェルナンドはナツのおでこにキスをした。
そしてあっという間に車に乗り込んで帰ってしまった。

ナツは突然胸騒ぎを覚えたが、その胸騒ぎもすぐに過ぎ去り、
ショウのことが気になって、急いで自転車をこいで帰宅した。




No.93

「ただいま~」

ショウはベッドルームでのんびりしていた。顔色もよさそうだ。
ナツはホッとした。やっぱり急いで帰ってきてよかった。

「ナツ、おかえり、金持ち先生元気だった?」

「ショウちゃん、彼は来なかったよ」

「マジで?じゃあマルコスは?」

「代理のアイツも来ない。レッスン中止。」

ショウがベッドから起き上がる。

「あれ、じゃあ今までなにやってたの?」

「ん、スタジオ解放されたから練習した。フェルナンドもいたよ。」

「そうだったのかぁ、残念だったね。」

ナツは突然フェルナンドの顔が思い浮かんだことにちょっと戸惑う。

「それでさ…」

「うん、どうした?」

「ん~…やっぱりいいや。」

「なにさ~言いかけたんだから言っちゃいなよ!」

「うん、フェルナンドが車で送るとかって言ってきて」

「お!じゃあ、自転車置いて車で帰ってきたんだ、だよね?」

「なんで!自転車置いてなんて帰ってこれないじゃん!」

「は?なに言ってんの?ナツ!」

ショウが半ば怒り口調になった。
ナツはショウの態度の理由がさっぱりわからない。

「ショウちゃんこそなに言ってんの?そんなコワい顔して。」

「なにって、あんたフェルナンドが何言ったかわかってる?」

「なんでもないでしょ、車で送るって言っただけだよ。」

「それだけだと思ってんの?本気?」

「ん、たぶんそれだけだろうと思ってるけど。」

「信じらんない!バカじゃないの?」

ショウの語気がさらに荒くなった。







No.94

ナツの心の中に、フェルナンドが去っていった時の胸騒ぎがよみがえる。

「ショウちゃん、ホントによくわかんないんだよ、私はどうすれば良かったわけ?」

あ然とした顔でナツを見つめていたショウが、顔を伏せて大きなため息をついた。
フェルナンドの小さなため息がナツの頭をよぎる。

「あんたはダンスへの情熱とかは最高だけど、それ以外はホンットにボンヤリだね」

「そうかなぁ…」

「ナツ、今までのフェルナンドとの中で、一回も意識しなかったわけじゃないでしょ?」

「そりゃあ、まあ、そうだけどさ…でも自分のひとりよがりだと思ったからさ…」

「なんていうか、そーゆー勘がニブいのね、あんたは。」

「…」

ショウはゆっくり諭すようにナツに語りかける。

「誰が見てもフェルナンドはナツのこと大好きだってわかる、そんな感じだったよ」

「ふ~んそうだったの…」

ナツの返答には力がない。

「シャイなフェルナンドが勇気振り絞ってナツを誘ったんだと思うよ」

「…」

「車で送るよって、それが彼の精一杯の告白だったかもしれないよ」

「あぁ~…それでかなぁ?」

「なに?」

「私が断ったら、おでこにキスして、サッと帰った。」

「うわ~!完全に告白だったじゃん!バカだねぇナツは!」

ナツは自分の胸騒ぎの理由がだんだんわかってきた。





No.95

「あぁ~…」

こんどはナツが深いため息をついた。ナツは自分のベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。

「いくらあんたでも、さすがに彼の気持ちくらいはわかってると思ってたよ」

「うぅ~…」

ベッドにうつ伏せになったままナツはうなり声をあげている。

「もっとはやくフェルナンドのこと話しとけばよかったなぁ」

ショウも心を痛めている。

「もうダメだ。私がボンヤリしてたからダメになったんだ~」

「ちょっとちょっと~絶望するなって、次に会ったらなんて言うか考えときなよ」

うつ伏せていたナツが突然起き上がった。

「そうか!次!」

「そうだよナツ。次会ったら最初の一言が大事だよ。」

「あ~うまくいくかなぁ~」

ナツは再びベッドに倒れこむ。

「ダンスに向かう情熱がちょっとでもこっちに向かえばいいのになぁ、残念!」

ショウはベッドに横たわり、うなり声をあげているナツを見つめていた。

ナツにとって、信じられないほどの長い1日だった。




No.96

一夜明けて、いつものように朝が来て、仲間はそれぞれ自分の朝食を作っている。
ナツもいつものように起きて朝食の用意をした。
相変わらず、毎朝、1枚1ドルの薄い牛ステーキを焼き、みそ汁を作っている。

「あきれた、食欲とかはなくならないわけ?」

ショウは朝の挨拶もすっ飛ばすくらい、ナツの様子に驚いた。

「なんで?色恋沙汰と食欲は無関係に決まってるじゃん。」

いつもと変わらずステーキを美味しそうに食べるナツ。

「昨日あんなに落ち込んでいたのにねぇ。」

「ショウちゃんこそ、大丈夫なの?昨日は急病人だったけど」

「私は胃に優しいものを食べるよ、助けてくれたみんなに感謝しつつね。」

「ショウちゃん元気になって嬉しいよ、無理しないでね。」

「ナツも元気だし言うことなしだね、ナツ、昨日はアリガト。付き添ってくれて」

ほかの仲間もショウの回復を喜んでいる。

「ショウちゃん、なに食べてるの?お粥作ってあげようか?」

「リカ先輩、ありがとうございます。でも大丈夫、カボチャのシチューが食べれるから」

キッチンの大鍋に昨日のカボチャシチューが残っていた。

「そっか、私も食べよっと。」

ほかの仲間たちもシチューを食べて、鍋は空に。

「さて、今日は朝イチからレッスンに出るぞ」

ナツは誰にともなく大きな声で言って、素早く支度して早めに家を出た。

「なに、朝イチから出るっていっても、まだ早すぎるけど、どうしたんだ?ナツ?」

リカが不思議そうに呟いた。

「あいつはたぶん、朝から夜までずっとスタジオにいるつもりなんじゃないかな」

ショウには、ナツの思惑がわかっている。

「一日中スタジオにいるつもりなの?どんだけレッスン好きなのよ?」

「レッスンじゃなくて、他の目的があるんですよ」

ショウも内心は祈るような思いなのだ。

2人がちゃんと会えて話をする事ができるように。

No.97

ナツは一日中スタジオにいた。
昼食と夕食はマクドナルドで大急ぎで買ってきてスタジオで食べた。

ナツはフェルナンドが現れるのを待ったが、彼は来ない。

今日最後のレッスンも終わり、家路につく。
何か予感めいた悲しみがわきあがり、涙がでそうになる。

ダメ、今泣いたら、あきらめたことになっちゃう!

ナツは必死に涙をこらえた。





No.98

一週間待っても、フェルナンドは来なかった。
それどころか、フェルナンドの知人友人さえも、彼に連絡がつかないという。
ダンススタジオのオーナー兼バレエ教師のイレーヌも心を痛めている。

ナツは寂しさと悔しさと自己嫌悪で胸がいっぱいだ。
しかしそのことをあまり表に出さず、懸命にレッスンに励み、明るく振る舞っていた。

「一週間だね」

ショウの語りかけは、短い言葉でもナツには深い意味が感じて取れた。

「まあね~」

ナツは平静を装った。

「もういいの?」

「いいも悪いもないじゃん、彼は来ないわけだし。」

「ナツはあきらめられる?」

ショウが心底、ナツのことを心配していることがわかる。
フェルナンドのショックで胸が痛んでいるナツには、ショウの優しささえも苦しい。

「あきらめられるかどうか。
どうでしょうねぇ~」

ナツはおどけてみせたあと、ベッドにうつ伏せた。
もう動けない。流れて止まらなくなった涙を誰にも見られたくなかった。
ナツは声も出さずに泣いた。

ショウがそっとささやいた。

「しばらくはお一人でどうぞ」

そう言ってショウは部屋から出て行った。

ハロウィンから一週間がたっていた。





No.99

「ナツ、人が誰かを愛するとしたら、それは命がけなんだよ、簡単にはできないよ」

ナツはフェルナンドの言葉を思い返していた。

フェルナンドはアルバイトしながらダンススタジオに通っていた。
決して裕福でもなく、いつも仕事やレッスンに追われていた彼が、
ナツやナツの仲間のために、貴重な時間を割いてくれていた。
ナツのチャレンジには、いつもフェルナンドの視線が後押ししてくれた。

短い2ヶ月。だけど、この濃い2ヶ月の間に、ナツとフェルナンドの間には
ほかの誰とも結べない絆が結ばれていたのかもしれない。


フェルナンドの言う命懸けの愛ってなんだろう?


ナツは必死に考えたが答えはでない。

マクドナルドの看板が秋の日差しを反射して光っている。
そのまぶしさが、せつない。





No.100

スタジオの駐車場から見える、マクドナルドの看板を眺めながら、
ナツはしばらく思い出に浸り、そして家に帰ってきた。
フェルナンドのことは、なんとなく吹っ切れるような気がしてきていた。
ここに来た本来の目的に集中できる。そう思った。
冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップについで、好物のバナナマフィンにかじりつく。

「ナツ、電話だよ」

リカがナツを呼びに来た。

「え?電話?」

「国際電話だから、はやく!」

リカに急かされてナツは電話の受話器をとる。

それは日本の所属事務所からの電話だった。

「ナツ、急だけど、来月の仕事決まったから、来週帰ってきてくれる?」

「えぇ~~~~~~!?」


ナツが電話のそばで叫んだ声が大きくて、リビングの仲間がみんなナツを見た。

「そんなぁ…来週って…」





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