【私と母】~私の半生日記番外編~

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2010/02/22 13:56(更新日時)

【私の半生日記】の番外編、【私と母】です。



私と母の関係をメインに
私が結婚に至った経緯、母としての私、現在の私を記していきたいと思います。


【私の半生日記】ほどドキドキハラハラはありませんが
お付き合い頂ければ幸いです。





毒女

No.1162892 (スレ作成日時)

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No.121

うーん、やはり主さん文才ありますね。

ずっと思ってたんですが磯部部長から受けた暴力を許せる(?)って凄いですね。俺なら付き合ってる人からそんなことされたら、もう何があろうと絶対顔を合わせることはないですが…。仮に顔合わせても、たぶん即行で帰ります。

主さんの生気の強さに感動しました。

No.120

主様 小さいうちから壮絶な人生を歩んできたんですね😢

自分の中の葛藤…本心… いろんな思いをした主さんは 月日はかかったけど やっと 安住の地を見つけたんですね👍

一時はあんなひどい暴力までした人と将来を誓いあって 素敵な笑顔をくれる お子様が2人もできたんだから 自分の…家族の幸せを一番に 頑張ってくださいね⤴

お幸せに🔔❤

No.119

毒さん、全部拝見致しました。色々な思い解ります☆

今は磯部部長と幸せに過ごしているんですね☆感動もしました☆

毒さん体に気をつけて有難う御座いましたm(_ _)m

No.118

毒女さん
今 どうされて居ますか?
今朝方カラ初めて読ませてもらい 考えさせられました。
ワタシと娘の関係…。

No.117

>> 116 ■ちゃむさん■

長期間に渡りお付き合い下さいまして、本当にありがとうございました。


私も、ここで書き綴ることで
母との関係を整理できたと思います。


ありがとうございました。

No.116

毒さん、お疲れ様でした。前作、そして番外編と読ませていただき色々考えさせられました。感想スレが有るのにすみません、つい感動してレスしてしまいました。

No.115

そして昨年の10月。


母が二度目の脳梗塞を起こしました。



すぐさま駆けつけた私を見た母は
朦朧としていた目を開け、そして言いました。



「お母ちゃん、ごめんな。
お母ちゃん・・・ごめんな。

本当にごめんな


お母ちゃんの子供で良かった・・・


大好きやで…お母ちゃん・・・」



母は、私をお母ちゃん(私の祖母)と勘違いしているようでした。



私はそっと母の手を握り



「もういいよ。
謝らなくていいよ・・・。
私も大好きやで…」





母は涙を流しながら、目を閉じました。




母はその後、奇跡的に一命を取り留めましたが
もう、私は二度と母を面会することはないでしょう。





朦朧とした母は、私と祖母を勘違いしていたけれど


母から聞けた
「ごめんね」
「大好きやで」の言葉。





もうその言葉だけで、私の中で全ての争いに終止符が打たれた気がします。





しかし、母にはもう二度と会う気持ちはありません。


また傷つけられるのが怖いから。



「大好きやで」



母からのこの言葉を、最後にしたいから…












No.114

広島のオカマちゃんに言われた

「しない後悔より、する後悔」


この言葉は今も鮮やかに蘇ります。


母に会いに行かなければ、きっと私は後悔するだろう。



許すのは、憎み続けるよりずっと簡単なことです。

憎み続けるには、かなりの膨大なエネルギーが要ります。
許してしまえば、もうそのエネルギーは必要ない・・・


分かってはいても、私は許すことが出来ずにいました。





「子供たちの為に、母とは関わりたくない」




次第にはそれが建て前なのか、本音なのかも分からなくなりました。

No.113

だから尚更
「一回だけ会わせて」
その言葉が許せませんでした。


子供は、あなた(私の母)の都合で動く人形じゃない。


感情もある。
記憶もある。
考える力もある。


自分の都合で
「抱くのも汚らわしい」だの「会わせて欲しい」だの
子供まで振り回すのは止めてくれ!!

私だけなら構わない。

でも、私の子供たちまであなたに振り回されるのはまっぴらごめんだ!!



私はそう思いました。



私は鬼かも知れません。



多分、
親に対する恩も愛情も感じない鬼と言われるでしょう。



でも、鬼になってでも
私には守るものがあるのです。

No.112

手紙を受け取った時、長男は幼稚園生でした。

祖父母がいない息子には、
おじいちゃん=老人
おばあちゃん=老夫人

という概念がありましたが


幼稚園では「おじいちゃん」「おばあちゃん」という本当の意味も教わって来ます。


幼稚園で聞いたけど、なんでボクにはおじいちゃんとおばあちゃんが居ないの?


なんでお母ちゃんとお父ちゃんには、両親が居ないの?
全員死んじゃったの?
そんなの、寂しい!!
ボクもおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に遊びたかった!

そう言って泣く息子に、胸が張り裂けそうになった記憶があります。


ごめんね…
タックン(息子)には、おじいちゃんもおばあちゃんも居ないんだよ・・・



本人はそれから二度と言わなくなりましたが、
私の胸には今も息子の涙が焼き付いています。

No.111

この手紙を読んだ瞬間、私はすぐさま破り捨てたい衝動に駆られました。



かろうじて気持ちを落ち着け再読するものの、
最初に感じた嫌悪感は増す一方でした。



私自身が「子を持つ親」でなければ多分、母からの手紙の内容に涙したかも知れません。


しかし今の私は、子を持つ親。


母の文面こそ丁寧ですが、内容は一環して
「自分はつらかった」
「自分は困っていた」
「自分は戸惑った」
ばかり。




捨てられ、暴力を受けた私の気持ちになんて、一切触れていない。


全ての文面が「自分は・・・」



私はこの手紙で、改めて母の愛情のなさを感じました。



しかも、
「最後に一度だけ、毒ちゃんの子供に会わせて欲しい」



私の子供は、人形じゃない。

母が何度も私を捨てたような、野良犬じゃない。


「『一度だけ』と言うのは、言葉のアヤやろ・・・そんな風に揚げ足を取るなよ」


手紙を見た夫は言いましたが、
私には最も許せない表現でした。

No.110

母からの手紙には、こう記されてありました。


毒ちゃんへ


(前文略)

毒ちゃんは、自分は母親に憎まれていると思っているでしょうね。


でも私は、毒ちゃんのことを憎んではいません。


ただ、どうやって付き合えば良いのか分からなかっただけなんです。


不良グループと付き合い、冷めた目で私を見下ろす毒ちゃんに戸惑い苦悩した私の気持ちも分かって下さい。


あなたはずっと私のことを、「母親ではない」と思っていたでしょう?


私は、それがつらかったんです。



(中略)



次、脳梗塞を起こせば、多分もう私の命はないと思います。


毒ちゃんとの関係をこのまま終わらせるのは、悔いが残ります。


私がつらかったことを、どうか毒ちゃんにも理解して欲しいです。
そして最後に、毒ちゃんと毒ちゃんの子供の顔を見させて下さい。





こんな内容の手紙でした。

No.109

母が倒れたという知らせを受けた3年後、

母から手紙が届きました。



その手紙は、達筆な母からのものとは思えないほど乱れたものでした。


脳梗塞の後遺症で、文字が上手く書けなくなったのでしょう。


母からの手紙には、こう記されていました。

No.108

無事に長女を出産した私は、産休を使い切ってから会社を退職しました。


「せめて幼い間ぐらいは、子供のそばに居てあげたい」


それが、私達夫婦の共通した考えでした。






あれから5年。


この春、下の子供も小学校に上がります。



100点満点ではないけれど、
自分が憧れていた「お母さん」になりつつある私。


小さなトラブルはあるけれど、
私が欲しかった「幸せな家族」を手にした私。



今に至るまでの人生は、悲しみの連続だったけれど
全ての悲しみは「今の幸せ」を得るために必要だった道のり。


数々あった試練のうち、もしどれかひとつでも欠けていれば
今の幸せはなかったのだと思っています。



そして、あの時に悩み抜いて出した答えは
全て正解だったのだとも思えるようになりました。



しかし、


私にはあとひとつ、下さないといけない決断が残っています。



それは




「母と私」について・・・

No.107

「うん、分かった」

私はそう答えましたが、行く気はさらさらありませんでした。


いつ陣痛が来てもおかしくない体だから。

そんな正当な理由を建て前として考えていましたが
もう母と関わり落胆したくないのが本音でした。

最後の最後まで私を罵倒する為に、私を呼んでいるのかも知れない。

「もうこれ以上、母に傷付かせられるのは嫌だ」
そうまとめれば、綺麗に収まる。


でも私の本心は
「母なんて、もう知ったことではない。死ぬなら勝手に死ねばいい。
死に際になってようやく私とね和解を求めるなんて、自分勝手過ぎる。後悔しながら死ねばいい」


心の底からそう思っていた私は、
弟からの再三に渡る連絡にもかかわらず
母には会いに生きませんでした。

No.106

出産までの日々は瞬く間に過ぎました。
予定日ギリギリまで仕事をしていた私の勤務中に、その連絡は入りました。






「お母さんが倒れた」



弟からの電話でした。





「今は落ち付いてるけど、お母さんはうわごとで毒ちゃんの名前をずっと呼んでいた」



弟はそう言いました。


詳しく聞くと母は昨夜、脳梗塞を起こしたそうでした。


一命を取り留め今は安定したものの、朦朧とした意識の中でずっと私の名前を呼んでいた・・・と。


「無理にとは言わないけれど、良かったら会いに来てやってくれないかな」
弟は、遠慮がちに言いました。



「うん。分かった」

No.105

翌日、私はエコー検査を受けました。


医師は
「おめでとう。

えっと・・・



妊娠・・・5ヶ月半ですね。

今まで全く気付かなかったなんて(笑)」

医師と私と夫は、顔を見合わせて爆笑しました。




長男を母乳で育てていた私は、生理が来ないまま妊娠。


慌ただしい毎日に追われ、妊娠に気付かないまま日々を過ごし
過労と貧血で倒れたようでした。


しかし、赤ちゃんは至って健康。

しかもたった4ヶ月後には、もう出産。


会社にはまた迷惑を掛けてしまうけれど、
新しい命を心の底から喜びました。

No.104

ガラガラガラ・・・


病室の扉を開き戻って来た磯部部長の顔には
満面の笑みが浮かんで居ました。



なに?
なに?



それは、余命の短い私を勇気づける為の笑顔なの?


そうなんでしょ?



パニックになった私は、磯部部長が口を開くより先に泣き出してしまいました。


驚く磯部部長に、私は聞きました。


「私、重い病なの?
もう死ぬの?

お願い・・・はっきり言って!!」




泣きながら言う私に、磯部部長は声を上げて笑いながら言いました。



「毒は全然死なないよ(笑)

死ぬどころか、産まれるんやて♪」




「産まれる?」





「毒、妊娠してるみたいやで♪」

No.103

私の産休明けと同時に、社長のご好意で
磯部部長が九州に転勤となりました。


家族3人で過ごす九州での生活はとても幸せでしたが、
家事と育児とハードな仕事の両立は非常に大変でした。

もちろん磯部部長も手伝ってくれましたが、睡眠不足のせいで疲労感は溜まる一方。


息子が1歳を迎えたある日、私は仕事中に倒れ救急車で病院へと運ばれました。



点滴を受け安定した私は、看護師の様々な質問に答え
血液検査と尿検査を受けました。

しばらくして、
病院まで同行してくれた磯部部長が担当医師に呼び出されました。


私の居ない場所で、磯部部長と医師が話をするのは何故?

もしかして、私は重い病なのかも…


私は病気なんかになるわけにはいかない!!


神様・・・
息子と夫を遺して、死ぬわけにはいかない!!



磯部部長が戻るまでの数10分は
永遠にも感じる長さでした。

No.102

>> 99 しかし、母は不在でした。 私は、息子の写真を印刷した出産の報告をハガキを母に出しました。 そのハガキが到着したと思われるころ … 「とにかく」

母は一呼吸置いてから続けました。


「あなたの子供になんて、一切興味がないから。
不倫で生まれた子供なんて、抱くのも汚らわしい。

お父さんも、生きていたら同じ事を言うでしょうね」



パパ・・・


本当にそう言うだろうか・・・


「分かりました。
今後一切連絡はしませんので」


私はそう締めくくり、電話を切りました。



私の喋り声も気にせずに、すやすや眠る息子を見ながら


ごめんね・・・
ごめんね・・・
私は何度も呟きました。


息子には、
可愛がってくれる祖父母は、一人も居ない。

でも、その分を補うような愛を
私と磯部部長があげるからね。


ごめんね…

No.101

>> 99 しかし、母は不在でした。 私は、息子の写真を印刷した出産の報告をハガキを母に出しました。 そのハガキが到着したと思われるころ … 「野良犬以下」
「可哀想な子供」
「ロクな人生を歩めない」

母のその発言を聞いた私は、無意識のうちに言葉が出ました。


「何度も私を捨てておいて・・・あなた(母)にとっての私は、もともと野良犬同然だったんでしょ。



でも、私の息子は
「可哀想な子供」ではない。

両親に愛されていれるから。

私はあなたみたいに、子供を捨てたりしません!!」


堰を切ったように出た私の本音を遮り、母が怒鳴りました。

「ほらね。やっぱり出たよ、あなたの本性が!!

あなたは『誰も恨んでません』って健気ないい子ちゃんぶりながら、本当はそうやって親を憎み続けてたんでしょ?

こっちの苦労や事情も知らずに!!

腹黒いあなたの本性がやっと出たね!!」


「親の愛を求めて好かれるように振る舞うことを、腹黒いって言うの?」


「親の愛?
あなたがそんなモノを求めていたようには見えないけど?

グレて、家族に悪影響を与えただけじゃない!!」

母はヒステリックに叫びました。

No.99

しかし、母は不在でした。


私は、息子の写真を印刷した出産の報告をハガキを母に出しました。



そのハガキが到着したと思われるころ



母から電話がありました。



私は、胸を弾ませて電話を取りました。





母からの言葉は
お祝いの言葉とはほど遠いものでした。




「不倫した挙げ句に、子供まで産んだのか?


お前は野良犬以外やな。


可哀想な子供やね。
不倫で産まれた子供なんて、ロクな人生を歩めないに決まってる」



そんなような内容でした。



私の腕で微笑む息子が
涙で霞んで見えました。



その数日後、
出産報告のハガキは返送されてきました。

  • << 101 「野良犬以下」 「可哀想な子供」 「ロクな人生を歩めない」 母のその発言を聞いた私は、無意識のうちに言葉が出ました。 「何度も私を捨てておいて・・・あなた(母)にとっての私は、もともと野良犬同然だったんでしょ。 でも、私の息子は 「可哀想な子供」ではない。 両親に愛されていれるから。 私はあなたみたいに、子供を捨てたりしません!!」 堰を切ったように出た私の本音を遮り、母が怒鳴りました。 「ほらね。やっぱり出たよ、あなたの本性が!! あなたは『誰も恨んでません』って健気ないい子ちゃんぶりながら、本当はそうやって親を憎み続けてたんでしょ? こっちの苦労や事情も知らずに!! 腹黒いあなたの本性がやっと出たね!!」 「親の愛を求めて好かれるように振る舞うことを、腹黒いって言うの?」 「親の愛? あなたがそんなモノを求めていたようには見えないけど? グレて、家族に悪影響を与えただけじゃない!!」 母はヒステリックに叫びました。
  • << 102 「とにかく」 母は一呼吸置いてから続けました。 「あなたの子供になんて、一切興味がないから。 不倫で生まれた子供なんて、抱くのも汚らわしい。 お父さんも、生きていたら同じ事を言うでしょうね」 パパ・・・ 本当にそう言うだろうか・・・ 「分かりました。 今後一切連絡はしませんので」 私はそう締めくくり、電話を切りました。 私の喋り声も気にせずに、すやすや眠る息子を見ながら ごめんね・・・ ごめんね・・・ 私は何度も呟きました。 息子には、 可愛がってくれる祖父母は、一人も居ない。 でも、その分を補うような愛を 私と磯部部長があげるからね。 ごめんね…

No.98

長男と二人きりで家に閉じこもっていると、

まるで世の中が止まっているような至福を感じました。


「今頃、社内朝礼の時間だな」と思いながら、長男を抱いてうたた寝をし


「終業ミーティングの時間だな」と思いながら、授乳をする。


慌ただしく働き続けた10年とは比べようもないぐらい、ゆったりと充実した日々。



息子を抱いていると、不思議な自信が湧き
「この子が居れば大丈夫。
何もかもがうまくいく」
そんな錯覚を起こしていました。



私は息子を抱きしめながら、
実家に出産の報告をしました。



大丈夫よ。
きっと喜んでくれる。
きっとおばあちゃん(私の母)も、あなたに会いたいと言ってくれるよ。



息子にそう囁きながら受話器を取り、
実家の電話番号を押しました。

No.97

遠距離で入籍し、
その2年後、遠距離なまま私は長男を出産しました。


陣痛が来たのは、産休に入ってすぐの週末で、私が広島に行く準備をしている最中でした。


駆けつけてくれた磯部部長は、ぎりぎりで出産に立ち合うことが出来ました。


その後磯部部長は一週間の休みを取り、また広島へ戻りました。


私は、九州での1人育児をスタートしました。



身寄りも夫も居ない土地での育児。


磯部部長や会社の方は、すごく心配してくれましたが
私には至福な時間でした。


2度目の出産なので戸惑うことは少ないし、何よりも「子供を抱ける」という幸せ。

保育器に入り、触ることさえ制限のあった「さくら」。


そんな育児しか知らなかった私には
好きな時にいつでも抱ける長男の育児が幸せでなりませんでした。

だから、1人切りの育児も大変なんて感じなかった。


産休中の短い間、私は長男と寄り添って過ごしました。

No.96

プライド高い磯部部長が、
自分の彼女の居る支社に負け続けている。

その私に会うために、磯部部長は毎週末九州まで通い夕食を作っている。


あぁ・・・
なんて酷な事をさせているんだろう。


広島で受けた暴力も、キッカケは社長が私を可愛がったことから。

そんなに自尊心が強い磯部部長に対して、私は何も配慮していない・・・

きっと、かなりの我慢をしてくれているんだろう・・・



自らの愚かさを知ると同時に、
磯部部長の愛情の深さを知ることが出来ました。



その翌週、
私からお願いして
入籍の手続きを取りました。

No.95

神戸と広島の遠距離恋愛から
広島と九州の遠距離恋愛へ。

距離的にはさほど差はないものの、新店舗開設にはかなりのプレッシャーが掛かります。

私は休日出勤が続き、帰宅は連日深夜でしたが
磯部部長は毎週ごとに九州まで足を運んでくれて、手料理を並べて私の部屋で待っていてくれました。
そんな半年で、私より料理が上達した磯部部長。


そして会社の売り上げは、九州が常にトップをキープしていました。


ある週末、
二人で料理をしていると磯部部長が言いました。

「俺の居る広島は成績が落ちてきたし、毒の九州はトップやし…

このまま九州に居て、毒の専業夫婦になろうかな」


私は九州支社の部長。

磯部部長は、広島支社の部長。


新店舗開設で突っ走って来たので深く考える暇がなかったけれど
私達は、違う支社を持つライバル同士。

磯部部長は、かなりのプレッシャーと劣等感に戦いながら
私に会いに来てくれていたんだと始めて気付きました。

No.94

その後はまた、就職活動の傍ら磯部部長との順調なお付き合いが始まりました。


なかなか理想の就職先が見つからずに困っている時、
熊谷社長から呼び出されました。


熊谷社長は私に、再び新店舗である九州支社への誘いを下さりました。



私は正直に、今も磯部部長と付き合っていることを明かし
それでも採用して貰えるのかを尋ねました。


「別に、何の問題もないさ。

逆に聞きたいんやけど・・・



遠距離恋愛の覚悟はOK?」



相変わらずの社長・・・


私は、再び熊谷社長の下で働かせて頂くことにしました。



磯部部長も、私の復帰を喜んでくれました。

No.93

わざわざ広島から来てくれた磯部部長を追い返すことも出来ず、
結局は私のベットの中で、朝まで色々な話をしました。


「磯部部長のお母さん」という大きな課題はありましたが、
私は素直に磯部部長の気持ちが嬉しくもありました。



根拠なき自信家の磯部部長は私の頭を撫でながら
「いつかは絶対認めて貰えるよ」と
朝までも繰り返していました。


根拠がないことは百も承知でしたが
マイナス思考の私でさえ、そんな希望が持てるぐらい心強い言葉でした。



いつか、認めてもらえるよね…


不倫でも、いつか許してもらえるよね…


私も、そう囁きながら眠りにつきました。

久しぶりに得た、深い眠りでした。

No.92

「分かった。
じゃあ認めて貰おう。
今じゃなくてもいいやろ?

俺らが結婚して、幸せな家庭を築き上げてから認めて貰おう。

それでも無理なら、可愛い子供をたくさん産んで、孫を見せて認めて貰おう」


手を変え品を変え口先だけの戦術で、なんとか私を頷かせようとする磯部部長。


納得は出来なかったけれど愛しさがこみ上げて来ました。

No.91

別れを口にした私に
磯部部長は、
「俺は、親を捨てる覚悟もある。
毒と一緒になる為なら、その覚悟もある」

そう言ってくれました。

普通なら、そこまで熱い気持ちに揺れ動くのが女心。


でも親に捨てられた私は、
「家族を捨てる」本当辛さを知っている。



そんな思いを、磯部部長にさせたくない。


きっと必ず後悔する時が来る。



捨てるなんて、軽々しい言葉で済ませたことを
絶対に後悔するはず。


私はそう告げました。

No.90

私を心配してくれる人が居る。

甘えて飛び込みたい気持ちはあるけれど、素直にそれが出来ない私。


生い立ちが悪いとか、親からの愛されなかったからだとか、
そんな風にまとめるのは簡単。


そういう風にまとめることが出来れば、私もラクになれただろう。


でも実際は、
「ここは甘えて、胸に飛び込まなきゃイケナイんだろうな」
冷静にそう考える自分しか居なくて、でも絶対に出来ない自分が居て。



「もう別れよう」


そう口にして居ました。

No.89

「何があったんや?」


私がドアを開けるなり、磯部部長は言いました。



「会社・・・辞めたんやろ?
何で話してくれへんねん?
毒が仕事を辞めるなんて、よほどのことがあったんやろ?

辛いことがあったなら、なんで俺に話してくれへんの?


俺らの関係って、一体何やねん…」



磯部部長は、そう一気に言いました。

No.88

無職のまま数週間が経ち
焦りと不安と、自分への苛立ちが募っていました。


早く働かないといけないと思う反面、
何も手につかない自分。


無職であることを磯部部長には内緒にし、
「仕事が忙しいから」
と嘘をつき、恒例になっていた毎週末のデートも断り続けました。


このまま別れた方がいい・・・


そんな気持ちは、強まる一方でしたが


それに反比例して、磯部部長は頻繁に連絡をくれていました。


電話に出る回数を減らし、週末デートを3回キャンセルした日


磯部部長は、突然私の部屋にやって来ました。

No.86

しかし私は・・・


私は、それほどショックを感じていませんでした。



何故なら、
私は自分の母親にすら長年受け入れて貰えない。



そんな私が磯部部長のお母さんに受け入れて貰えなかったところで、大した傷ではありませんでした。




しかし、謝り続ける磯部部長。



本当に傷ついているのは、彼自身なはず・・・


私と出会い、前妻さんと離婚していなければ
磯部部長とお母さんの関係もこじれなかったのに・・・



私の方が、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。



私と磯部部長が別れれば、
磯部部長はお母さんと和解出来るだろう。

母親から拒絶される悲しみを知っている私は
磯部部長と別れることも視野に入れながら、
磯部部長と距離をあける覚悟を決めました。

No.85

奈良から大阪へ帰る間、磯部部長はずっと私に謝り続けていました。


和解したての父を亡くし、落ち込んでいる私を励ます為に進めた「結婚への一歩」


それがこんな形になってしまったことを、ひどく申し訳なく思っているようでした。

No.84

仕事上、初対面の挨拶や取り入る術は身に付けていた私でしたが、
磯部部長のお母さんは、あからさまに敵意を剥き出していました。



私達は即座に追い返されました。



「絶対に許さない!
お前ら二人共、野垂れ死ね!」



玄関にあった花瓶を投げつけられ

靴を脱ぐこともなく私達は退却しました。


磯部部長が何度も呼び鈴を鳴らしましたが
応答すらして貰えませんでした。

No.83

1月中旬の祝日。


私は磯部部長に連れられ
奈良にある磯部部長の実家を訪れました。



磯部部長のお父さんは既に他界しており、
女手ひとつで子供3人を育て上げたというお母さん。


60歳を超えているのに、現役で生命保険の外交をされているとのこと。



「うちのオカンちょっと気が強いから、キツい事言うかも知れんけど・・・ごめんな。
でもやっと毒に会う約束を貰えたんやし、結婚の報告をだけでもしような」


私の為に頑張ってくれた磯部部長。



「うん。大丈夫。
キツい事を言われるのは覚悟してる。
お母さんが怒るのは仕方ないことやから」




私は磯部家の門をくぐりました。

No.82

私が父の死を知った時には、既に父の葬儀も終わっており、

私は年の瀬に墓参りだけを済ませました。


父の死を告げてくれた妹を、信じなかった私。


そんな私の態度が、母や妹の逆鱗に触れたのか
私は父の月命日にすら参加させて貰えませんでした。






年が明けた1月。



父が亡くなり、無職になった私を励まし続けてくれていた磯部部長が
磯部部長のお母さんと私を顔合わせさせるセッティングしてくれました。



今はそんな気分ではない・・・


それが本音でしたが、私の幸せな結婚の為に、一人で着々と難関を乗り越えてくれていた磯部部長。


その気持ちを無碍にしたくなくて
私は磯部部長のお母さんと対面しました。

No.81

今から思えば


私は強かった。


悲しいぐらいに強かった。


親からの暴力
我が子の死後すぐの離婚
知らない土地での仕事
恋人からの暴力
やっと分かり合えた父の死・・・


どの過程でも私は精神的に病むこともなく
一人で生き抜いた。

病んでしまいたいとさえ思った。


病んで、自殺未遂でもして

周りの人に【私はこんなに苦しいの】
とアピールしたかった。



でも、実際には自制心と将来設計が頭から離れない私。


己のタフさを、ひどく憎んだ時期でした。

No.80

>> 78 私も、今までの気持ちが爆発してしまい 「りえちゃんは、どうして私をそんなに嫌うの?」 言っても良いかを考えるより先に、 言葉が出てしまい… 家族って何だろう?


愛情って何だろう?




私は、疫病神なのか?



心を通わせた愛する人間を
次々に失っていく。



私は疫病神・・・






もう、何もしたくない



突っ走るのを止めたい。





もう、外で戦うのは嫌だ。



自分の家族を持ちたい。



私を敵視する人から身を隠して、
穏やかな生活をしたい。




結婚を【逃げ場】と考えていることも


【現実逃避】であることも分かっていたけれど


私はもう、疲れ切っていました。



社会で戦うことに。


私を嫌う家族に、立ち向かうことに・・・






翌日、私は
勤め先の証券会社に辞意を伝えました。

No.79

ようやく親子関係を取り戻せた矢先に、父を失った。


母や、りえちゃんの言う通り
私は家族にとって疫病神なのかも知れない。


りえちゃんは、こうも言っていた。

「毒ちゃんは善人ぶって、【誰も恨んでません】的な態度をしているけど
私たち家族のことが憎くて憎くて仕方ないんでしょう?

当たり障りのない態度をしていても、毒ちゃんは心底では家族を憎んでいる。
だから毒ちゃんが家族に関わるとみんながおかしくなるねん!」

りえちゃんは、私が家族に【呪い】を掛けているとでも言いたいのだろうか?



でも・・・
そうなのかも知れない・・・

私は家族を憎んでいるのかな?


憎むって、何なんだろう?


確かに私にとって、彼らは家族ではない。


しかしそれが【憎む】という感情に繋がるのか?



私は父と、長年一緒に過ごしたわけではない。


それでも悲しみはある。


しかし私の悲しみは、多分母や妹弟たちの比ではないはず。

母や妹弟より悲しみが小さいのは、
私が父や家族を恨んでいる証なのか?


何もかもが分からなくなり
何もかもが嫌になりました。

No.78

私も、今までの気持ちが爆発してしまい
「りえちゃんは、どうして私をそんなに嫌うの?」


言っても良いかを考えるより先に、
言葉が出てしまいました。



りえちゃんは答えました。

「昔からお母さんも言ってたけど、
毒ちゃんが私たち家族に関わるとロクな事がないねん。

今回のお父さんのことだって・・・


とにかく今、お母さんのケアをしているのは私やねん!


毒ちゃんは好き勝手に生きてお母さんの面倒すら見てないんやから、
母さんの心を引っ掻き回すのは止めてよね!
お母さんのヒステリーに付き合う私の身にもなってよ!
二度と私達に近寄らないで!」

りえちゃんの言う通りかも知れない・・・


私は黙って電話を切りました。

  • << 80 家族って何だろう? 愛情って何だろう? 私は、疫病神なのか? 心を通わせた愛する人間を 次々に失っていく。 私は疫病神・・・ もう、何もしたくない 突っ走るのを止めたい。 もう、外で戦うのは嫌だ。 自分の家族を持ちたい。 私を敵視する人から身を隠して、 穏やかな生活をしたい。 結婚を【逃げ場】と考えていることも 【現実逃避】であることも分かっていたけれど 私はもう、疲れ切っていました。 社会で戦うことに。 私を嫌う家族に、立ち向かうことに・・・ 翌日、私は 勤め先の証券会社に辞意を伝えました。

No.77

自宅に掛けた電話には、案の定りえちゃんが応対しました。
母に代わって欲しいと告げても、
「今更、なに?
私が毒ちゃんにお父さんの死を告げても
『あっそう』としか言わなかったくせに!」


私は事情を説明しましたが、当然りえちゃんは怒るばかり。

「私がそんか不謹慎な嘘をつくなんて、思ってたんだ!
とにかく、お母さんは、毒ちゃんとは話したくないと思う。
お母さんは最近ようやく落ち着いてきたのに、また掻き回すのはやめて欲しい」

と、全く取り合ってくれない妹。



実際、母に電話を代わってもらったところで、母に掛ける言葉すら見当たらないのだけれど
何故か無性に母と話しをしたかった私は、妹に対して非常にイラ立ちました。

No.76

その日の午後は、
仕事が全く手に付きませんでした。



長い長い就業時間が終わるのを待ち、
私は弟に電話をしました。



父は、勤務中の交通事故で亡くなりました。


父の死後、取り乱している母の精神状態を考慮して、弟は私に報告出来なかったそうです。


そんな中、弟に
「私が毒ちゃんに、パパのことを伝えたから。
毒ちゃんは『あっそう』と言って電話を切っただけだった」と、りえちゃんが言っていたと言う弟。


弟も、私に事実確認をしようとしていた矢先だったと言いました。



私は、不謹慎ながらも
「パパが死んだなんて、りえちゃんの嘘だと思ってしまって・・・」と、弟に言いました。


弟は黙り込んでいました。




弟との電話を切った私は、
放心状態のまま無意識で、実家に電話を掛けていました。

No.75

週明け、
仕事の合間に私は父のスタジオに電話をしました。


電話に出た女性に、父に取り次いで欲しい旨と、娘であることを名乗ると
長い沈黙がありました。




「娘さん・・・ですか?」




「父の携帯が解約されていたんで、こちらに掛けさせて頂いたんですが・・・」
私はそう言いながら、
電話口での異様な気配を感じました。



まさか・・・



本当に?




いつの間にか電話の相手は男性に変わっており、




その男性は私に





父の死を告げました。

No.74

父は、私が家を出てすぐに
お父ちゃん(私の母方祖父)が紹介した仕事を辞めていました。

過去のコネを使い、父は自分で写真スタジオの経営を始めたそうです。


雑誌向けに、料理や商品を撮るスタジオ。


過去にしていた分野とは違うけれど、
同じ【写真】という仕事を始めていた父は、本当に生き生きとしていました。



父のスタジオを探し当てた私達は、
受話器を取りました。




呼び出し音の後に続く留守番電話。



「今日・・・土曜日やから休みみたい・・・」



電話がつながらなかった事に少し安堵を覚えました。



「週明け、一人で電話できる?」
心配そうな磯部部長。



父にまた冷たくされたらどうしよう…

再び傷付くのは、もう嫌だな…

逃げたい気持ちが大きかったけれど

しかし、いつまでも父からの連絡を待ち続けるのも辛い。


「うん。大丈夫!!」



私は自分に言い聞かせるつもりで
力強く返事をしました。

No.73

しかし、父とは一向に連絡が取れないままでした。


留守応答が続いていた数日後、
父の携帯は解約されていました。


【父が亡くなった】

そんな考えは毛頭にもなかった私は

『また父に嫌われてしまったのではないか』


そう考えるようになっていました。



私はその週末、
泊まりに来ていた磯部部長に相談しました。


磯部部長は
「もし本当に亡くなったのなら、
必ず弟さんから連絡があるはずだよ」



やっぱり嫌われたのかな・・・
それしかないよね…
私、調子に乗りすぎて父にウザがられたのかも…
苦笑いする私に


「それは違うよ、毒。
もしかしたらお父さんは毒との関係を、家族…お母さんや妹さんに…何か言われたのかも知れない。

とにかく、電話をしてみよう。


家族に確かめれないのなら、
お父さんの会社に電話をすればいい!」


私たちは、私の記憶を頼りに、父の経営する写真スタジオを探し出し
電話番号を調べ出しました。

No.72

妹との電話を切ってからの数時間は、
弟に連絡を取って真相を確かめたい衝動を押さえるのに苦労しました。



年末試験の前で大変であろう弟に、
「パパが死んだって、りえちゃんが言ってたけど、本当?」なんて、
バカバカしい電話は出来ない。


もし本当なら、弟が必ず連絡をくれているはず。


なのにそんな事で、わざわざ裕太郎に電話をしたら、
まるで
『りえちゃんがこんな意地悪をしたの』と
告げ口してるみたいではないか。


裕太郎とりえちゃんが揉めるのは嫌だ。


そもそも、嘘に決まっている。


父には、また後日電話を掛ければいい。


無事に父と電話が繋がり、全てが私の杞憂に終わるに決まっている。



自分に言い聞かせながら、
私はその日を終えました。

No.71

『亡くなった』


妹の言葉は、全く真実味がありませんでした。



真実味・・・それどころか、
即座に『妹の嘘に違いない』と思いました。


同時に、【亡くなった】なんてタチの悪い嘘が言える妹に愕然としました。



何故私に対して、そこまで嫌がらせをするの!?



パパが亡くなるったなんて、
絶対に有り得ない。


もし・・・
もし万が一、父に何かあったのなら、弟が必ず私に連絡をくれるはず。


そんな嘘まで吐いて、私を除け者にしたいの!?



その手には乗るまい!



私は
「あら、そうですか。また改めます」
そう言って電話を切りました。



あの時の私は
父の死を受け入れたくなくて、妹の言葉を嘘だと思いたかったのではなく、


本当に、『妹が嘘を吐いている』と思っていました。






この出来事をキッカケに、私と母の絡まった糸は





二度とほどけなくなってしまいました。

No.70

私が鳴らした父の携帯は、
すぐに留守番電話に切り替わりました。
留守番電話に伝言を残しすと、
すぐに鳴った、私の携帯。




「パパ・・・今、忙し」



「りえです」



妹の言葉が
私を遮りました。



一瞬、私の頭をよぎったのは


【りえちゃんは、私と父の関係を快く思ってないんだな…
また関係をこじらせようとしてるんだろう】

という、ひねくれた考えでした。



私は、
仕事中であろう父の携帯に、妹が出たことを少し疑問に感じながらも
強く言いました。


「パパに用事があるんやけど、パパは?」



「・・・いない」



「いない?」
携帯を忘れて、会社に行ったのかな?


「じゃあ、電話があったことを伝えておいて下さい・・・じゃあ」


私が電話を切ろうとすると


「・・・伝えれない」

りえちゃんは、ボソリと言いました。



どこまで意地の悪い妹なんだろ?



「じゃあ結構です。
こちらからまた電話しますから。」


精一杯強い口調で私が言うと


りえちゃんが言いました。



「パパ・・・亡くなったよ。



先月に。」

No.69

しかし、考えれば考えるほど堂々巡りを繰り返し
なかなか答えが出なかった私は

ある人に話を聞いて欲しくて、電話をしました。



その【ある人】は、私のことをこう表現しました。



『毒は、女の姿をした男やな。
弱々しい男が多い中、毒はそんじょそこらの男より立派な男や。
俺はこんな立派な息子を誇りに思う(笑)』




その【ある人】とは、父。



あの焼肉屋以来
空白の時間を埋めるように、こまめに連絡を取り合っていた私と父。



私のことを知ろう知ろうと努力してくれていた父は、
私の本質と現状を理解してくれるまでになっていました。



私の憧れていたような、【父と娘】の関係。




父に話を聞いて欲しい。



もちろん、相談しても決めるのは私自身。


でも、
やっと理想の関係になれた父に、私は甘えたかった。



【父に相談出来る】ことを少し嬉しく思いながら、
私は父に電話しました。




恐ろしい現実を
知りもせずに・・・

No.68

温泉に行こうという約束を父と交わしてから、ちょうど5ヶ月後の12月。




30歳の誕生日を目前にした私は、大きな岐路に立たされていました。



証券会社で正社員に登用された私は、
年始にも名古屋支店への転勤辞令が出るという話を受けていました。


また、
以前勤めていた会社の熊谷社長から
【4月に福岡支社をオープンする。もう一度、一緒に仕事をしないか】とのお誘いも受けていました。


そして…


お母さんとの和解に向けて着実に進んでいた磯部部長が、
【そろそろオカンに会ってみてくれへんか?】と持ち出してくれました。



まだまだ平社員だけれど、上場企業での新たな出発か

それとも
以前の会社で気の合うメンバーとの、
やりがいのある仕事か。


どちらにしても、磯部部長とは今より遠くに離れてしまう…

そんな事情を知らない磯部部長が持ち出したのは、
具体的な【結婚】の一歩。




仕事を捨てて家庭に入るか
磯部部長と更に離れてまでも仕事を続けるか。



私は、人生を大きく左右する決断を迫られました。

No.67

父は、何度も何度も頭を下げました。
「全て俺が悪い。辛い思いをさせて、本当に申し訳ない・・・」


自分の怒りを毒にぶつけて暴力を振るい続けていたことを、許して欲しい・・・と。


お母さんが毒に冷たいのも、全て俺のせいだ…と。

父は何度も何度も頭を下げました。


頭を下げる父が急に弱々しく見え、
私は胸が痛みました。


「もういいよ、パパ。」



「本当に申し訳ない、毒。


これから取り戻そう。

家族の時間を取り戻そう、毒。」



私が聞きたかった言葉。



両親に言って欲しかった言葉。




それを言ってくれた父に胸が熱くなり
私は涙が溢れました。


感じていた憎しみは瞬時に消え失せ、
父からの言葉に胸がいっぱいになりました。


「母さんと毒と俺。
三人で温泉とか行きたいな…」
別れ際にそう言った父。








しかし・・・







それは叶うことなく、










父はこの世を去りました。

No.66

「毒が友達(奈緒ちゃん)の、家出幇助(ほうじょ)をした」


「今日、毒がコンビニで万引きをした。学校から連絡があった」


「毒が大金を持っている。クラスメイトの財布を盗んだからだ」


「テレクラのティッシュを大量に持っている。毒はテレクラで働いている」


・・・



ありもしない嘘を父に告げ、
父の暴力を私に向けていた母。



なんで母は事実関係を私に確認せずに、父に告げ口するんだろう?


当時感じていた疑問が、やっと私の中で解決しました。



母にとっては
理由なんて何でも良かったんだ。

その理由が偽りであろうと、真実であろうと、母には関係ない。


母はただ、父の暴力を私に向かわせたかっただけだから。



モヤモヤしていた過去に、答えが出た気持ちでした。

No.65

敗北感、慣れない仕事のストレス…


「お母さんに、暴力を振るってしまった時期があってな・・・」
父は言いました。


止めよう止めよりと思っても、

母のイヤミの一言でキレてしまい、母を殴る父。


そんな暴力が日常的になりつつある頃に、私は迎え入れられました。



父は、母のことを
一切悪く言いませんでしたが
私には、当時の母の魂胆がなんとなく分かりました。







母は、私を身代わりにしたかったんだろう。



母が受ける父からの暴力の、身代わり。
それが私の役目。



その役目を果たす為に、私は実母のいる家庭に迎え入れられたんだ。



真実はいまだに分からないけれど、
父の話を聞いた時の私はそう感じました。



また、そう考えることで
過去の合点がいきました。

No.64

新しい仕事は、
お父ちゃんの親友が経営する会社でした。


今までの写真家とは、全くかけ離れた仕事。


自分より10歳以上も若い社員に呼び捨てにされ、
指図される毎日。


写真家としては「先生」と呼ばれていた父にとっては、
辛い日々だったことでしょう。



しかし父は
家族の為に頑張りました。



でも…
会社での父の頑張りにも、すぐに歪み(ひずみ)が生じました。



歪みの矛先は、










母でした。

No.63

敗北した気分で帰国した父に
容赦ないお父ちゃんの言葉。

一家の主としてのプライド、社会人としてのプライドを失った父は
さぞかし傷付き、情けない気持ちになったことでしょう。


その頃、父はまだ31歳。


「当時の俺は、自分のプライドや体裁しか考えていなかった。
写真家という夢を半ばで諦めた自分が可哀想。

家族の為に夢を諦めた自分が可哀想。

そんな俺を罵倒する義父が憎い。

そんな事しか頭になかった」

父は、過去をそう振り返りました。




しかしながら、
貯金も底をついた状態で帰国した父とその家族は
誰かを頼らざるを得ない状態でした。



結局父は、お父ちゃんに仕事を紹介してもらい
そこで働き初めたそうです。

No.62

■Agehaさん■

お久しぶりです♪
引き続き読んで下さり、そしてとても温かいお言葉、本当にありがとうございます。

もうお孫さんがいらっしゃるんですね☺
可愛いだろうなぁ❤

感想などや温かいお言葉は、【私の半世日記】と共用させて頂いていますので、
そちらをご利用頂ければ幸いです❤



■ゆみんさん■


私の説明不足のを補って下さり、お気遣いを頂いてありがとうございました🙇

No.61

私が中学に上がる12歳の年に、
私の両親と私の妹弟は海外から帰国しました。

海外では写真家として名を馳せていた父。
しかし仕事のオファーは次第に浮き沈みが激しくなり、
遂には海外で滞在することが難しくなってしまったそうです。


自由も融通も利かない海外で、家族5人を養うのが難しくなり、
父は写真家を断念して日本に帰国しました。


日本での仕事のアテもなく、負け犬のような気分で帰国した父を待っていたのは、
お父ちゃん(私を育ててくれた、母方の祖父)でした。



お父ちゃんは、容赦なく父を罵倒し罵りました。


「毒を捨てた挙げ句、家族5人を路頭に迷わすつもりか!?

親の反対を押し切り結婚し、子供を捨ててまで選んだ道の結果がコレか?」



お父ちゃんの怒りは、凄まじいものだったそうです。



「今では、お義父さん(お父ちゃん)の怒りが、よく理解できるけどな」
父は、そう過去を振り返りました。

No.60

「お父さんとお母さんのこと、憎んでるやろうな…」
返答を待つ父に対して、


「よくわからんねん…」
と曖昧に答えた私。


父は言いました。


「全ては、俺の責任なんや…。
全て、俺が悪いんや・・・
許してくれな…毒。
パパが悪かったんや…」



父は過去を語り始めました。

No.59

父と交わす、初めての乾杯。


嬉しい気持ちと、少し気恥ずかしい思いを隠すように
私も父も、早いピッチでビールを飲みました。

互いの仕事や社会情勢について当たり障りのない会話をしたあと、
父は居住まいを正しました。



「毒…

お父さんのこと、お母さんのこと…毒は、さぞかし憎んでるやろうな…」



ごく最近、裕太郎にも同じことを言われた私。



私はずっと、
【私は両親を憎むほど、両親に対して愛情を持っていない】と思っていた。



でも今日、
12年ぶりに会った娘を追いかけて来てくれなかった母。


私の悲しみや苦しみも知らず、活気があり若々しい父。


初めて、両親に対する憎しみが湧いてきました。



初めての憎しみを感じると同時に、
本当の私は両親の愛情を求めている事実に気付きました。



親に2度捨てられても、必死に前を向いてきた私。


捨てられたのに、
怒りも、憎しみも、感じる暇がなかった私。




でも
【本当の私は両親の愛情を求めている】


その事実に気付いた時から、私の本当の悲しみが私を襲いました。

No.58

Agehaさん
ここは感想のスレではございません。違うところにスレがあるので、其方にお願いします

No.57

毒女さんお久しぶりです。以前書き込みしたAgehaです!楽しみに読ませて頂いてます。親子関係って難しいですね!!あたしも色々あり再々婚してます。孫も可愛いですよ。 毒さんも子育て大変でしょうが、今年も残り少ないし忙しいので無理の無いように更新して下さいね。
お身体御自愛なさって下さいませ

No.56

父は大阪市内まで車を走らせ、
韓国風情が並ぶ街の一角にある焼肉店に入りました。


「あら社長!
今日は若い美人連れ?」

オーナーの夫人であろう、韓国人女性が歓迎してくれました。

「娘や、娘!」




当時の私は29歳。
父は48歳だけど、どう見ても48歳には見えない若さ。


オーナー夫人の好奇心旺盛な視線を受けながら、
私たちは個室へと案内されました。

No.55

「疲れてるのに、すみません」



「ああ…」




それ以降、車内では重苦しい沈黙が続きました。



駅までの15分、
【何かを言わないと】と思う気持ちはありましたが、
結局何も言えないまま駅に着きました。


父もまた、終始無言でした。




「ありがとう。
お母さんと裕太郎に、よろしくお伝え下さい」


そう言って車を降りようとした時



「お母さんとは、ゆっくり話出来たんか?」


父が唐突に聞いて来ました。



中腰なままの私が無言でいると、



「飲みに行こうか、毒」



父は、私が再び腰を下ろすのを待ってから
車を発進させました。

No.54

「パパ…」



車から降りてきたのは、父でした。




「帰って来てたんか?」

パパは、私に聞きました。



「うん…」




「もう行くんか?」



「うん…」



しばらく沈黙が続いたあと、



「乗り。駅まで送るから」




父は、助手席のドアを開けました。




「ありがとう」


色々な考えが渦巻いたけれど、
私は素直に従いました。

No.53

もちろんそこに母の姿があるわけはなく、
半開きになったままの門だけが、遠くに見えました。



溢れ出しそうな母への思いをまた胸の底に飲み込み
私は前を向きました。



喉につかえるような、大きな悲しみと落胆。



それらを飲み込むように、大きく息を吸った時
前方から一台の車が来ました。




車はゆっくりと近付き、
私とすれ違った瞬間に止まりました。






振り返る私の視線が
サイドミラー越しの男性の視線とぶつかり合いました。




ゆっくりと車のドアが開き、男性が降りてきました。







「毒…」

No.52

私は小走りでバス停に向かいながら


【お母さん、私を追いかけて来るかな…】


追いかけて来て欲しい自分が居ることに気付きました。




叱られてもいい。
殴られてもいい。

それでもいいから、母との関係を次に繋げるキッカケが欲しい…


今からでもいい。
母と娘の時間を、取り戻したい。


「お母さん…」



今まで蓋をしていた、本当の自分の気持ち。


私は足を止めて、


【お母さん…追いかけて来て。
私を追いかけて来て!!】


そう祈りながら、
ゆっくり後ろを振り向きました。

No.51

「今日は、その件を謝りに来ただけなので…今日はもう失礼します。

ご迷惑を掛けて、本当にすみませんでした」



本当は、もう少し和解に近付けるかと思っていたけれど、
この場ではもうこれが精一杯・・・



即座に程のいい退席文句が口からスラスラと出て、
私は鞄を掴み玄関へ向かいました。



「毒ちゃん!!」
弟が追いかけ来ました。




「ごめんね…久しぶりの帰省やのに、台無しにしちゃって…」



「俺の方こそ、ごめん…
俺、りえちゃんに謝るから、毒ちゃんはお母さんとゆっくり話をしたら?」



「今日のところは、もう失礼するわ。
場を濁してしまってごめんね」



「じゃあ、今度はりえちゃんが居ない時にでも改めて…」



「うん。そうさせてもらうね」


「絶対やで。毒ちゃん。」


「うん。絶対。
裕太郎、ありがとう。」

思ってもいない事を約束し、
私は実家を出ました。

No.50

「そう言うりえちゃん(私の妹)は、家族とうまくいってるんか?
え?
あ…俺が言いたいのは、りえちゃんが築いた家族のことやで」
弟も、負けじと言い返します。



なるほど…
この妹は別居中なんや…

他人の家庭事情を知ってしまったバツの悪さを感じながらも、喧嘩の発端が私であることに気付き、
「裕太郎…やめて。りえちゃんの言う通りやから…」



しかし
妹は止まりません。



「前の会社だって、どうせ不倫してクビになったんでしょ?」


あらら…
妹も知ってるんや…


「それが一体何やねん?
責任を取って退職して、自分で引っ越しして、新しい仕事見つけて。
毒ちゃんは誰にも迷惑掛けてないやんけ!」



「不倫相手の奥さんに迷惑掛けてるやん!
お母さんにまで電話があって、お母さんも大迷惑やわ。
10年も会ってない娘に恥をかかされて。
それを誰にも迷惑掛けてないなんて…裕太郎もまだまだ子供やな」



黙る裕太郎に対して、妹は勝ち誇った笑顔を見せ
そして私を睨み付けました。



「その件は、ご迷惑を掛けてすみませんでした」


私は頭を下げました。

No.49

私が住んでいた12年前と、ほとんど変わっていないダイニング。


かつて私が座っていた席には、
甥っ子のベビーチェアーが置いてありました。



「毒ちゃん、ここに座り」
弟が勧めてくれた椅子に私は腰掛け、
テーブルに並ぶ豪勢な料理を眺めました。


会話の主導権は弟が握っていました。

弟は、自分の夏休み中の予定を報告したあと、
私のことを話し始めました。


広島から神戸に戻って来たこと。

今は証券会社で働いていること。

もうすぐ、正社員登用されること。

弟自身も金融関係に勤めたいと思ってること・・・


「毒ちゃん、ホントにスゴイよな。
一人でここまでやってきて、本当に尊敬するわ」


無反応な母と妹。



「こんな立派な娘を持って、母さんも鼻が高いやろ?」



妹が口を開きました。
「一流企業で働くことだけが立派なことと違うと思うけど」


「働いたこともないりえちゃん(妹)が言うと、
ヒガミに聞こえるけどな」
弟はニヤニヤしながら切り返しました。


「家族という小さい社会ですら、うまく付き合えない人間が、
本当に社会で成功してるとは思わんけどね」
妹は、ますます牙を向きました。

No.48

週末の夕食時に合わせて実家に帰省した弟と、
それに同行した私。

玄関を開け
「ただいま~❗」と弟が言うと、

台所から飛び出して来る、母の足音。



「裕太郎?
連絡をくれたら駅まで迎えに行っ・・・」



私の姿を認めて、
立ちすくむ母。


母の異変に気付き、玄関に姿を見せる妹と妹の息子。


【なんでアンタが居るの?】

と、言わんばかりの母と妹。



凍りつい空気を
弟が打ち破りました。


「毒ちゃん今さ、俺の大学の近くに住んで、実は何回か行き来をしててん。

今日は俺が誘ってん」


「さ、メシ食お。
唐揚げ?」


弟が玄関を上がりリビングに入ると、
それに付いて母と妹もリビングへと消えました。


玄関に残された私。


このまま帰りたい気持ちを押し込めて、
私も靴を脱ぎました。





「おじゃまします…」



無意識のうちに呟いている自分に気付き、思わず苦笑いが出ました。

No.47

週明け、私は弟に連絡を取りました。


「両親と会って話しがしたいんやけど、取り持ってくれる?」

弟の裕太郎は、快諾してくれました。


「前もって約束をするより、突然訪ねた方がいいと思うで」

母を良く知る裕太郎が言うのだから、その方がいいんだろう。
異議があるはずもなく、私は弟に従いました。


間もなく大学の夏休みに入る弟の帰省に合わせ、
私は弟と共に実家へ行くことにしました。


母と会って会話をするのは
お母ちゃんの亡くなった日以来、実に10年ぶり。


喜びも嬉しさ期待もなく、ただただ不安でしかありませんでした。

No.46

読ませて貰ってます。

勉強になります。

No.45

私ひとりなら、両親と和解なんてする必要はない。

労力を使い、嫌な思いをしてまでわざわざ和解しなくても
私はひとりで立派に生きている。






でも…





私が家庭を持つとなれば、また事情が変わる。




私だって、磯部部長のお母さんに会ってみたい。
磯部部長ともし結婚するなら、それを認めて貰いたい。



反対され、憎まれたまま結婚するのは嫌だ。


磯部部長も同じ気持ちだろう。




「私…まずは両親に歩み寄ってみる。

だから、磯部部長もお母さんと和解して。」



「うん。まずはそれからやな」



週明けに、各々が自分の両親に連絡をする約束をし
その話は終わりました。



ゆっくりと、回を重ねれば認めてもらえるだろう。


安易に考えていましたが、
現実はそう甘くはありませんでした。

No.44

【決断したら即行動】の磯部部長は、翌週
新婚旅行のパンフレットを持って神戸に来ました。


あーでもない、こーでもないと、散々パンフレットをかき回した挙げ句
磯部部長は急に神妙な顔をして言いました。



「俺は3回目の結婚やからもういいけど、せめて…毒の両親には毒の花嫁姿を祝福して貰いたいな…」



「いいよ。私も次で2回目やねんし(笑)」

笑いながらスルーする私に、磯部部長は食い下がりました。


「毒の為にも、俺らの将来の為にも
土下座をしてでも、毒の両親には許して欲しいな。結婚を認めて欲しいな。
今後は円滑な付き合いがしたいな…」



そんなこと、叶うわけがない。



そう思いながらも、磯部部長の気持ちを無碍にしたくなくて「そうやね」
と、曖昧に答える私。


頭の片隅に、弟の言葉が蘇りました。

「両親と和解したいなら、俺が間を取り持つよ」

No.43

毎週末に神戸に来てくれた磯部部長。


最初はぎこちなかったものの、数回会うと二人の距離はすぐに縮まり
とても心地よい関係が続きました。


春が過ぎ6月には、雪子と大槻さんが無事に入籍し、
大槻さんの実家がある京都で盛大な結婚式が催されました。

式の帰り道、
シンプルなグレーのドレスで結婚式に出席した私を見て


「振り袖を着てた女の子、多かったなぁ。
毒もあの振り袖を着れば良かったのに」


磯部部長は、お母ちゃんが遺体のそばに遺してくれていた着物のことを言いました。



「あの着物は、自分の為に着たいから」



深い意味は全くなく、
ただ、お母ちゃんの遺品である着物に対する私の率直な気持ち言ったつもりでしたが、
磯部部長は





磯部部長は・・・






完全に勘違いしたようでした。




「よし!俺らも結婚しよう!
毒にあの振り袖を着せてやる」



単純で影響されやすい磯部部長に、笑いが込み上げながらも、
私は愛おしく感じました。

No.42

唐突な私の発言に磯部部長は驚き、
しばらく見つめ合いました。





「俺のこと…許してくれるん?」




正確には私の中では「磯部部長を許す」という感情より
「万が一、磯部部長を失って後悔するのはイヤ」
という気持ちの方が強かった。


当時の私は、それほど【死】が身近なものであると同時に、最も恐ろしいものでもありました。



私が黙っていると



「ごめん・・・そう簡単に許せるわけないよな。
でも、もう一度、俺にチャンスをくれるってことやろ?

絶対に後悔させないから。
毒、絶対に幸せにするから!」


磯部部長はゆっくりと私を抱きしめてくれました。


懐かしい胸に抱かれ、私は安堵の溜め息が出ました。


こうして、広島と神戸の遠距離恋愛がスタートしました。

No.41

>> 38 イタリアレストランを出た後、 私たちは行き場に迷いました。 大槻さんは 「せっかくの神戸やねんから、ショッピングでもしようや!!」 と提案… お母ちゃんやさくはらは、もう助けれない。


でも…磯部部長のことは、まだ助けれる。


なのに、何故
私は手を差し出そうとしないのか。


その理由はもちろん、磯部部長から受けた暴力。



私が、【一度だけの暴力を許す心】を持てれば、磯部部長を救えるのではないか。


もう後悔するのはイヤ。


私のせいで、また誰かを亡くすのはイヤ。


いま、磯部部長を許さなければ
私はまた一生後悔するだろう…








「私ら…やり直せる?」








無意識のうちに、
私は磯部部長に聞いていました。

No.40

>> 38 イタリアレストランを出た後、 私たちは行き場に迷いました。 大槻さんは 「せっかくの神戸やねんから、ショッピングでもしようや!!」 と提案… 磯部部長は
私と出会ってしまったために、家族を失った。

私と出会わなければ、幸せな生活を継続していたに違いない。


いや…出会っていても、私と不倫さえしなければ
こんな風にはなっていなかっただろう。



もしも時間を戻せるのなら…


もしも時間を戻せるのなら、私には、やり直したい過去がたくさんある。



お母ちゃんを助けたい


さくらを助けたかった。



そして
磯部部長を救いたい。



沈黙の中、そんな事を考えているうちに


私はある考えにたどり着きました。

No.39

>> 38 続きが気になります

No.38

イタリアレストランを出た後、
私たちは行き場に迷いました。

大槻さんは
「せっかくの神戸やねんから、ショッピングでもしようや!!」
と提案しましたが、
3月の寒空の下、妊婦の雪子を連れ回すわけにはいかない。


私は
「良かったら、うちに来る?」と、
みんなを誘いました。


スーパーに寄り、大量の酒とアテを買い込み、私の自宅へと向かいました。




互いの仕事のこと、
私の新しい生活のこと、
雪子と大槻さんのこと…話は尽きず、あっという間に夜になりました。


大槻さんは夕方ぐらいから眠ってしまい、
雪子は「お腹がすいたから、スーパーに行く」と、一人で出掛けてしまいました。


磯部部長と二人きりになると


「大阪じゃなかったんやね」


磯部部長が言いました。


広島から引っ越しをする際、磯部部長には
「大阪へ引っ越しする」と言っていた私。


「うん…」



それ以上会話が続かず、沈黙が続いていました。



会わなかった、たった3ヶ月の間ですっかり痩せ細った磯部部長。




胸が痛みました。

  • << 40 磯部部長は 私と出会ってしまったために、家族を失った。 私と出会わなければ、幸せな生活を継続していたに違いない。 いや…出会っていても、私と不倫さえしなければ こんな風にはなっていなかっただろう。 もしも時間を戻せるのなら… もしも時間を戻せるのなら、私には、やり直したい過去がたくさんある。 お母ちゃんを助けたい さくらを助けたかった。 そして 磯部部長を救いたい。 沈黙の中、そんな事を考えているうちに 私はある考えにたどり着きました。
  • << 41 お母ちゃんやさくはらは、もう助けれない。 でも…磯部部長のことは、まだ助けれる。 なのに、何故 私は手を差し出そうとしないのか。 その理由はもちろん、磯部部長から受けた暴力。 私が、【一度だけの暴力を許す心】を持てれば、磯部部長を救えるのではないか。 もう後悔するのはイヤ。 私のせいで、また誰かを亡くすのはイヤ。 いま、磯部部長を許さなければ 私はまた一生後悔するだろう… 「私ら…やり直せる?」 無意識のうちに、 私は磯部部長に聞いていました。

No.37

「えらい長いトイレやったな(笑)」

席へ戻ると、磯部部長が言いました。

「まあね(笑)」

ニヤニヤしている私達を見て

「【女の連れション】お前らは中学生か(笑)」
大槻さんも笑いました。

私が大槻さんに微笑むと
「なんやねん。その不適な笑みは?」


「まぁまぁまぁ…
改めて乾杯やね♪」


「なんや?コイツ?」


久しぶりに味わう、幸せな時間でした。

No.36

「私の方こそ、迷惑掛けてごめんね。
でも雪子、幸せそうで良かった…」

私が言うと


「毒ちゃんは?
彼氏できた?」


「雪子、ちょっと太ったけど
妊娠してんじゃないの?(笑)」


男連中には聞かせたくないトークの花がトイレで咲き、


「あぁ~…
やっぱり男連中を連れて来るんじゃなかった(笑)」
雪子が笑いました。


「え!?もしかして…雪子、おめでた!?」


雪子は、ニヤリと笑いました。
「まだ、大槻さんには言ってないんだけどね。
今朝、妊娠検査薬で調べたら、【陽性】だった♪

大槻さんには、今日中に報告するつもり」

No.35

雪子が初めて我が家に泊まりに来た2ヶ月前、


「磯部部長が、毒ちゃんの連絡先を知りたがっているんだけど・・・」と
雪子から報告を受けました。


神戸に引っ越した後すぐに、携帯番号とメールアドレスを変えた私。


目的はもちろん、磯部部長との関係を断つ為でした。




「磯部部長には教えないで」
2ヶ月前、私は雪子に頼みました。



雪子は言いました。

「私、磯部部長に言ってやったのよ。

『散々傷付けておいて、磯部部長は今更毒ちゃんに何を求めてるの?
毒ちゃんが仕事を捨ててまで磯部部長から去った決意の意味が分からないの?』ってね。

でも磯部部長は、
『あと一回だけ、毒の元気な顔が見たい。そしたら諦めるから』って、大槻さん経由でも攻めてきてね…


【毒ちゃんの連絡先は教えれないけど、1回だけ4人で会う機会を作る】って条件ことで、今日に至ったわけ。
勝手なことをして、ごめんね毒ちゃん・・・」

No.34

雪子と大槻さんのラブラブな姿を見ながら、話も弾む中
私はトイレのために席を立ちました。


「私も!!」


と、慌てて追ってくる雪子。


テーブルから離れると、雪子は言いました。



「ごめんね、毒ちゃん・・・」



磯部部長の事を言っているのだと、すぐに分かりました。

No.33

「なに?なに!?
このメンツ!?
来るなら言ってよ~!!」


予想もしていなかった男二人に私は驚きながらも、
懐かしい気持ちでいっぱいになりました。


知らない土地で、またイチから頑張っていた私は、
懐かしいメンバーの顔を見て、一気に肩の力が抜けました。



雪子がずっと片思いしていた大槻さんが、彼女と別れたことは雪子からは聞いていました。



4人でイタリアレストランに入り、


「実は私たち、付き合ってま~す♪」


雪子と大槻さんの発表に、


「聞いてないって!!
私が広島を離れてから3ヶ月の間に、一体何があったわけ!?
最初から全部話してや!!」


おどけて見せながらも、私もとても幸せな気持ちになりました。

No.32

雪子は
「今週末、泊まりに行かせて~」


神戸フェチの雪子が我が家に泊まりに来るのは、これで3度目。


私は雪子とのガールズトークに胸を弾ませながら、週末の日を迎えました。




新神戸駅へ雪子を迎えに行くと、

雪子は二人の男性を連れていました。




一人は、
広島で私の同僚だった大槻さん。





もう一人は・・・










磯部部長でした。

No.31

弟との再開によって

【なぜ私から、両親に歩み寄らないといけないのか】


という、両親に対する怒りがフツフツと湧いていました。



「両親との和解のチャンスを逃してもいいのか?
弟の申し出を無碍にしていいのか」

少しの迷いはありましたが、
とりあえず私は怒ることを優先し、


その怒りを全て仕事へとぶつけました。


派遣という限られた時間でも狂ったように働き、
フルで働く正社員以上の成績を出していました。



そんなある日、
広島でワインバーを営む雪子から連絡がありました。

No.30

ここまで一人でやってきた。


お母ちゃんを亡くした後の一人暮らし、
さくらを亡くした後の一人暮らし。

磯部部長の暴力と別れ、無職で来た新しい土地。


全て一人で乗り越えてきた。


励まして欲しくて、誰かに泣きつきたい時も、私の選択肢に【両親】はなかった。


どん底の時も、一人で乗り越えてきた。


誰にも頼らずに、自力で這い上がった。


ここまで一人で孤独に耐えたのに


「お父さん、お母さん、和解したいんです。これからは私と家族の時間を取り戻しませんか?」


なんて言う必要が、どこにある?



私にはもう、家族は要らない。



当時の私は、そういう結論を出しました。



弟の申し出を無碍にするのは胸が痛んだけれど、
自分から歩み寄るなんて、私のプライドが許しませんでした。


【自分の家庭】というものを全く知らない、社会人としてのプライドでした。

No.29

私の実両親は私のことを【娘】だと認識しているから、
私に対して罪悪感を持っている。


でも私は?


私は実両親を【親】とは認識していないから、
憎みも恨みも…傷付きすらもしていない。


突き詰めて考えるうちに、初めて答えが出ました。


…私は両親に対して、愛情のカケラもない…




私の過去を知る、元姑の寿恵子さんや、磯部部長によく言われました。


「実親に何度も捨てられたり、暴力を受けるのって…一生消えない、深い傷にを受けたんだね。辛かったね」と。


でも実際の私にとっては、大した傷ではなかった。


私はかなりタフなんだろうか?
そう思った時もあったけれど、
やっと答えが出た。

両親はDNA上の実親であっても、私の中ではただの他人だから。


捨てたのも他人。
殴ったのも他人。



だから、大した傷もつかない。




【私は親に愛されていない】

思春期の頃はそう思っていたけれど、


私も両親を愛していない。
愛するどころか、
今も昔も他人としか思っていない。

だから阻害や暴力もさほど傷つかなかったんだ…

No.28

弟が帰宅した後、
食事の後片付けも手につかないまま
私は何時間も考え続けました。



弟の言う言葉が真実ならば、私の両親は、
【娘(私)を二度も捨てたことに罪悪感を感じている】
ということになる。


一度目は、1歳の私を祖父母に預けた時。

二度目は、高校生の私を追い出した時。

これらの出来事を私が恨んでいると
両親は思っているらしい。


果たして私は、実親に二度捨てられたことを恨んでいるのだろうか?



自問自答してみた。





答えはNO。




全く恨んではいない。


恨むどころか、傷付きもしていない。



私が傷付いたのは、
祖父母が私を、実両親の元へ行かせた時だけ。


何故なら【私の家族】は、今も昔も、お父ちゃんとお母ちゃんだから。


私の中では【実家族と過ごした5年間】
ではなく

【他人宅に居候していた5年間】に過ぎない。


だから、高校生3年の時に両親に追い出された時は「両親に捨てられた」なんて思ってもいなかった。
むしろ、「やっと祖父母宅に帰れた」とさえ思った。

No.27

「ごめん、毒ちゃん…辛いこと、思い出させてしまったね…」


弟は、私の涙の意味を履き違えていました。



「毒ちゃんは、厳しい環境の中でも頑張っていい大学に入り、
自力でよい就職先を見つけ、
今は自立して立派に働いてる。

生ぬるい環境にいる俺とは比べものにならないぐらい、
辛くて大変だったと思う。


頼りたい時に誰にも頼れなかった毒ちゃんが、
もし【今更もう家族なんかいらない】と思っているのなら、それはそれで当然とも思うよ、俺は。


でももし毒ちゃんに、両親と和解したい気持ちがあるのなら、俺が力になりたいなと思って…


もちろん、今すぐに結論を出さなくていいよ。

ゆっくり考えて許す気持ちになれた時には、俺に電話して」



この会話から8年が過ぎた今も、
私は答えが出ていません…

No.26

話の最後に弟は、ある提案をしてきました。


「毒ちゃんにもし、両親を許す気持ちがあるのなら…


俺が手伝うよ」



「許す?
私が何を許すの?」
私は聞き返しました。



「毒ちゃんが…長い間おばあちゃんに預けられてた事や、たった5年でまたおばあちゃんの家に戻らされた事…」


許すも何も、
私はそんな事で両親を恨んだ覚えはない。

弟は、少し勘違いをしているようでした。


「両親も、心の底では毒ちゃんと仲直りしたいんやと思う。
でも、やっぱり自分からは歩み寄りにくいんじゃないかな?

だからもし、毒ちゃんが両親を許す気があるのなら、俺が橋渡しをしたいなと思って…」



弟の温かさに、涙がこぼれ落ちました。

No.25

弟は続けました。

「この話を聞いて、毒ちゃんは【理不尽だ】って思うやろ?
俺もそう思う。

でも、毒ちゃんの話になると
母さんはいつもこんな感じになって怒り出し、最後は泣いてしまうんだよね。

本当は、母さんも分かっているんだと思うよ。自分が悪いって。だから泣くんだよ・・・」


私を嫌う家族の中に身を置きながら、
第三者的な意見を述べる弟。
話の内容よりも、そんな弟の気持ちが私には嬉しかった。


「妹たちは?」
私は聞きました。


「姉さん二人はもう結婚してるし、孫の世話や金銭面で母さんに頼りまくってるから・・・母さんの気持ちを逆撫でしないように、母さんに従い【毒ちゃんに関しては禁句】を貫いてるよ。」


「裕太郎は、私と会っても大丈夫なの?」


「別にいいんじゃない?兄弟だし。
【毒ちゃんに会うな、関わるな】って言う母さんの方がおかしいんだし」




弟は、頼もしいぐらいあっけらかんとしていました。

No.24

弟は言いました。


「【毒ちゃん】って言葉自体がもう、家族の中では禁止ワードみたいな感じになってる」と。


「毒ちゃんと一緒に住んでいた時の俺はさ…まだ小さかったから、毒ちゃんと母さんの間に何があって、毒ちゃんが何故急に出て行ったのかも全然知らなくて。

それで、俺が毒ちゃんと同じ大学に入った頃ぐらいかなぁ…家族に毒ちゃんの事を色々と聞いてみたくなった時期があってね。


でもさ、みんな余り話してくれなくて。

『毒ちゃんだって、俺らと同じ血を分けた家族やろ!?』ってみんなに言ったことがあるんだけど、

『血を分けていても離れている時間が長いと、分かり合うのが難しい場合もある』って言われてね。


毒ちゃんが家族と離れていたのは母さん達の都合なくせに、
俺、頭に来てさ。
色々と言い合いになったんだ。


すると母さんは
『毒は悪くないのかも知れない…でもあの子がいると、私たち家族がおかしくなってしまう。

昔は、毒ちゃんの影響で、りえちゃんがグレてしまったし、
現に今も…裕太郎がお母さんを責めてるじゃない!』
ってね」

No.23

>> 22 書くところが違いますよ。
半生日記のスレに書いてくださいね。
主さん
ゆみんです

No.21

弟と向かい合ってお酒を飲むのは、とても不思議な感覚でした。


私のよく知る【子供】であったはずの弟である反面、
私の全く知らない【大人】になっている弟。


この不思議な感覚が、楽しくもありました。


空腹を満たし、すっかり【くつろぎモード】になった弟は、ようやく本題に入りました。

きっと、あらかじめ話す内容をまとめていたのでしょう。


弟の話は端的でありながらも、家族の【私に対する気持ち】がよく分かる内容でした。

No.20

靴下を脱ぎ捨て、
すっかり【くつろぎモード】の弟。


弟と向き合って飲むのは、とても不思議な感覚でした。


よく知っていた子供のはずなのに、
全く知らない知らない大人の一面を持つ弟。


弟に対して、【子供】を見るような気持ちと、
一人の男性を感じる気持ちな私。


こんな不思議な感覚が、楽しくもありました。



空腹を満たした後、弟は話し始めました。


きっと弟は、話す順序を考えて来たのでしょう。


弟の話は端的でしたが、それでも私に対する家族の心境がよく伝わってきました。

No.19

約束の日、弟は私の家に訪れました。



私が一緒に暮らしたのは、弟が3歳から8歳までの5年だけ。


いつも鼻水を垂らしながらゲームボーイをしていた弟は、今や20歳。


私より身長が伸び、正義感の強そうな立派な男性に成長していました。







「裕太郎・・・大きくなったね」
私が言うと





「毒ちゃん・・・歳」食ったな(笑)」
弟は笑いました。



私の母校に通う弟と、当たり触りのない学校の話で盛り上がったあと、
私は本題に向けるべく話題を変えました


「私のメールアドレスは、りえちゃん(私の妹)から聞いたん?」


弟は居住まいを正し、私に質問返しをしてきました。


「毒ちゃんって・・・




飲める人?」




「20歳の若僧には負けないよ」




弟が近所のコンビニにお酒を買いに行ってる間に、
簡単な『アテ』を何品か作りる私。


私の家に長居をするつもりである弟。


初めて味わう【家族との飲み】に、私は胸が弾みました。

No.18

私が18歳で実家を出た時、弟はまだ7歳のでした。


私が弟と暮らしたのは、弟が2歳から7歳までの5年間だけ。


弟は私を覚えてくれているんだ・・・


弟にとって、私はどんな存在なんだろう・・・



そして、一体どういうメールなんだろう・・・


私は不安いっぱいになりながら、
メールを読み始めました。







【久しぶりやね、毒ちゃん。

俺、もう大学生になったで。

いつも毒ちゃんに、トミカのミニカーで遊んで貰ってた俺が・・・大学生やで(笑)


ほんでもって、俺は毒ちゃんの後輩。つまり、俺は今、毒ちゃんと同じ大学に通ってる。

姉さんから聞いたけど、毒ちゃん、神戸に住んでるんやって?

明日、学校の帰りに寄ってもいい?】




弟と会うのは、
お母ちゃんのお葬式以来・・・実に10年ぶりでした。

No.17

次に私が会いたかったのは、
やはり母でした。


しかし数ヶ月前に不倫がバレて
「顔も見たくない」と怒鳴られたばかり。


私は妹にメールをしました。


【いま神戸に住んでるんやけど、会える?
甥っ子の顔、見たいな】




しかし待てど暮らせど、
妹からの返信はありませんでした。




妹にメールを送った数ヶ月後、
私の全く知らないアドレスからメールが届きました。




メールのタイトルは


【毒ちゃん、元気?裕太郎です】



私の10歳下の弟からでした。

No.16

4年ぶりに再会した真治さんは、
開口一番こう言いました。



「慰謝料の請求期間は過ぎてる」




今の自分には、新しい家庭と守るべき娘【ももちゃん】がいることを矢継ぎ早に話す真治さん。



「毒の時にはしなかった婚式も、今の妻とは盛大にした。
子供も産まれて、もう金もない。

弁護士に相談してきた。

離婚の慰謝料請求が可能なのは3年。
もうその期限も過ぎてるはずや」



なんて滑稽なんだろ、私って。


私はただ、真治さんに謝りたかっただけ。


なのに、【慰謝料を請求しに来た】と思われたんだ。



しかも真治さんは、嘘までついている。


離婚の慰謝料請求に『3年』という期限があるのは、離婚原因が【配偶者の不貞行為】の場合だけ。



どこかで聞きかじったであろう間違えた知識で、真治さんは私を威嚇してきました。








私は真治さんに謝罪したかっただけ。




1ケ月半しか生きれなかったさくらの唯一の父である真治さんと
さくらの話をしたかっただけ。





なのに…





私はもう、真治さんの家族に危害を与える【敵】と見なされている・・・



それはとても悲しい現実でしたが、
私は一歩前に進めました。

No.15

>> 14 前作があるんですよ。
それ読んでください。
「私の半生日記」で検索してみて。

No.13

【うやむやにしていた私の過去に向き合いたい】


神戸に住んでから時間に余裕ができた私は、そういう気持ちになりました。



私はまず、真治さんと会う約束を取り付けました。


さくらを失った悲しみは真治さんも同じなのに、真治さんだけを無言で責めた私。


真治さんの意見や弁解も聞かず、一方的に離婚届けを突きつけた私。


お世話になったお礼も言わず、黙って家を出た私・・・



真治さんに謝りたい・・・。





真治さんと離婚してから、4年目の再会でした。




真治さんに指定された待ち合わせは、夜7時の喫茶店・・・
夕食の時間帯に、あえて喫茶店を指定した真治さん。


約束を取り付けた時点から、真治さんは私に対する警戒心が満載でした。



それもそのはず、



真治さんは再婚していました。



しかも、お子さんがいました。



名前は




「ももちゃん」・・・

No.12

8年前…



磯部部長と別れ神戸に移り住んだ私は
すぐに証券会社で契約社員として働き始めました。



今までの正社員とは違い勤務時間の拘束や残業もなく、毎日5時には帰宅できる毎日。




当時の私は29歳。



神戸での1年間の生活は、過去の人生で最も自分と向き合えた時間でした。




お母ちゃんのことを考え、
さくらのことを考え、
両親のことを考え、
真治さんや寿恵子さんのことを考え

そして磯部部長のことを考え・・・




今まで仕事にかまけて後回しにしていた
【向き合わないといけない罪と悲しみ】

神戸では、それとしっかり向き合いながら過ごしました。

No.11

母の言った言葉は、
【不倫をした女性】に対する、ごく一般的な意見であることは分かっています。


でもそれを、実親から言われました。


しかもたっぷり愛情を貰った親ではなく、親子関係にシコリがある上での言葉。


私が心の奥底で、愛情を求めていた母からの言葉。


そして私だけではなく、息子までも拒否されたという気持ち・・・



私は過去の暴力よりも傷つき、
深い悲しみを感じました。

No.10

母は言いました。


「不倫の挙げ句に結婚して、
図々しく子供まで作ったの?

お前は、そのへんの野良犬や野良猫と一緒やな。


不倫でできた子供は、ロクな人生を送られへんよ。

可哀想な子供だこと」



私は、涙が止まりませんでした。




私は構わない。


野良犬呼ばわりされようと、私は構わない。



でも・・・



この世に生まれたことが楽しくて、
毎日ニコニコ笑っている息子に

「ロクな人生を送れない、可哀想な子供」なんて・・・




ひどすぎる…



その翌日、
私が実家に送ったハガキは封筒に入れられて
返送されてきました。

No.9

私の不倫が母の知るところとなり、



「二度と私の前に現れるな」




母にそう言われたのは、今から8年前。




その後、私は
1度だけ母と言葉を交わしました。


それは、私が磯部部長と結婚し、
長男を出産した翌月のこと。



結婚と出産の報告を兼ねて、私は一枚のハガキを実家に送っていました。


心のどこかで、
【私を許して欲しい】
【我が子を母に見てもらいたい】
そういう淡い期待を込めて送ったハガキでした。


そのハガキが到着したであろう日に、
母から電話がありました。

No.8

私が、母を含む実家族と暮らしたのは
中学1年生から高校3年の夏までの、5年半でした。



中学3年までの私は親を憎んで反抗し、
悪い遊びに手を染めて荒んだ毎日を送っていたので、
自分のことに夢中で母に対しては無関心でした。




私が母を【同じ女】【一人の人間同士】として母の存在を意識し始めたたのは
高校に上がってから。


私の記憶にある【母】のイメージは、

いつも何かに怯えていました。

そして、異常なまでに私を敵対視していました。



母は一体、何に怯えていたのか・・・


何故そこまで私を敵対視していたのか・・・


今なら母の心の闇が、分かる気がします。

No.7

若干17歳で双方の両親の反対を押し切り出産に挑んだ私の母。


私自身が苦難の時期にある時は、
「浅はかで中途半端な考えで子供を産み、放置するぐらいなら、
私を中絶してくれた方が良かったのに・・・」

と、母を憎んでいた頃もありました。



しかし私自身が母になった今、

「浅はかで中途半端な気持ちでは子供を産めない」
そう実感しています。


若い自分の可能性を諦め、親の反対を押し切ってまでも産んだ私を、いとも簡単に手放し、
そして11年以上も戻って来なかった母。


母に一体、何があったのか…



私も同じ【母】となり、子育ても一段落したいま、
私は自分の母と、向き合う時間を過ごしています。



向き合う…


そう言っても、
実際には母と向き合うチャンスはもうありません。



私の心の中で
向き合っているだけですが…

No.6

半生日記の方にコメントをお願いします。
毒さんのファンが次の事を待っているので

No.5

邪魔してすみません💧こちらも楽しませていただきますね。

No.4

>> 3 お母ちゃんも担任も、首を傾げるばかりでした。


担任との面談以後、母のアザはほとんど見かけることがなくなり、
たまに足や腕に青タンがある程度。


「ぶつけた」



そういう母を信じて、お母ちゃんはあまり気にしなくなったそうです。



その一年半、
母は妊娠しました。


妊娠を告げられたお母ちゃんは、
母の相手がまだ大学生だということを知り、産むことを反対しました。



両家の両親を交えて何度も話し合いの場を持ちましたが、
父と母の意志は固かったそうです。




話し合いを重ねるに連れ、我が子を説得出来ない互いの親同士の間にも深い溝が出来てしまい
両家の親が会う度にイザコザが起きる始末。


結局話し合いはまとまらないまま母は安定期へと入り、出産することとなりました。

No.3

もちろん母は、答えるはずもありません。


【学校でイジメに合っているのかな】


お母ちゃんの心配をよそに母は一切口を開かず
また、母の傷は日に日に増えていきました。



「学校にも相談に行ったんだけどね」


お母ちゃんは当時を思い出し、
私に語ってくれました。



「こちらも、ご家族にお話をお聞きしたいと思っていたんです」

母の担任は言ったそうです。


「律子さん(私の実母)の顔のアザ…私も気になっていたんです。ご家庭で、何かトラブルでもあったのかと思っていたのですが…

律子さんのお母さんがご相談に来られたと言うことは、
ご家庭でのトラブルではないんですね…」


まだ若い女性担任は、お母ちゃんが教員であることを知ると萎縮してしまったようでした。


「学校ではイジメがあるとは思えません。律子さんは美人で利発で活発で…クラスでも中心的存在ですから。
何か他の交友関係ではないでしょうか?」


母も担任も、首を傾げるばかりでした。

No.2

母は大阪では有名な、プロテスタント系のお嬢様高校に通っていました。


母は、同じ路線にある有名男子高校に通う父に一目惚れしたそうです。


毎朝同じ電車、同じ車両に乗り合わせる父と母。


次第に顔馴染みとなり二人が恋に落ちたのは
母が15歳の高校1年生、父が17歳の高校3年生の春でした。


父は甲子園にも出た野球部の部員…その中でも美男子で有名だったそうです。


母の通う女子高でも、父はその美貌ゆえに沢山のファンが居たそうです。


父と付き合い出してからの母は、
顔に青アザを作って帰宅するようになりました。


心配に思った母の母親(私のお母ちゃん)は、母に聞いたそうです。



「一体どうしたの?その傷・・・」

No.1

「この人殺し!!」


そう叫んだ母の顔は、今でも脳裏に焼き付いています。



警察官からの連絡で、お母ちゃんの自殺現場に駆けつけた母。


放心状態の私に向かい、
「全て、お前のせいや!!
お前が殺したんや!!」
と、叫び続けた母。

警察官に促され別室に連れて行かれた後も、叫び続ける母。


「あの方が…毒さんのお母さんなんですよね?」


哀れみと困惑を交えた表情で、私に訪ねる警察官。



「全てお前のせいや!!
お前さえいなければ!!」



叫び続ける母の声は、今でも鮮やかに蘇ります。




今になって思うと、
お母ちゃんの自殺が、私と母の決定的な溝になったのかも知れません。

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