幸せになりたい。幸せってなんだかわからない

レス7 HIT数 2107 あ+ あ-

sky( 20代 ♀ 61pHh )
08/11/18 23:21(更新日時)

小説ってほどのものではありませんが。
私は過去の出来事から境界性人格障害、パニック障害、鬱病と診断を受けましたが未だ受け止められません。
懺悔したいことも沢山あります。
自分を見つめる為に幸せになりたいが為ですが整理したく書いてみようと思いました。

『1983・11』
私の人生は始まった。

No.1158840 08/11/17 23:01(スレ作成日時)

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No.1 08/11/17 23:18
sky ( 20代 ♀ 61pHh )

産まれた時は覚えていない。
アルバムを見た限り私は凄い可愛がられて溺愛されていたと思う。
記憶は幼稚園から…
物心ついた時には私は広いマンションに住んでいた。15階まであり、密集地で15階から18階のマンションがアルファベット順にならんでいる場所にいた。
部屋が4つカウンターキッチンのリビングが1つその奥に絨毯を敷き詰めた20畳ほどの部屋、隣りに同じ位の和室。
私は朝の支度が遅かった。私には姉がいる。姉はキチッと用意し母に怒られることはほとんどなかった。
グズグズ支度をしていると母にいつも『バスに乗り遅れて幼稚園に行けないよ!』と毎朝怒られていた。
私が支度がノロくバスには姉しか連れて行かず本当に何回も休んだことがあった。ギリギリで走って追いかけても間に合わず途方にくれて立っていると同じマンションに住む同じ幼稚園のお母さんが送ってくれたこともあった。そんなことがあると帰宅時怒鳴られて怒られるのが必ずだった。

No.2 08/11/17 23:35
sky ( 20代 ♀ 61pHh )

母は支度が遅くても手伝ってはくれなかった。けど愛されていた。『頭動かさないで!』と怒りながら必ず髪を可愛く結ってくれた。母のお手製のいかにも女の子って服を姉とお揃いでいつも作ってくれていた。そのおかげか幼稚園では凄い可愛いと人気物だったのを覚えている。ご飯もお風呂も毎日、姉と3人で笑いながら遊んでいて幸せだった。ただ母の機嫌が悪い時と具合が悪い時は苦痛だった。父はあまり記憶にない。母はいつも幼稚園から帰って来ても居なかった。父なんてもっと居なかった。幼稚生の時はいつも居なかった。観光バスの運転手でめったに居ることはない。だから家に帰るとたまに居る。居るとわかると、どうしていいのかわからなかった。とある日、父が家にいた。お酒を飲みながら野球を見ていた。父は野球ばかり見てる人だった…私はその飲んでいる酒を見て絶句していた。母はレトロな物やアンティークや珍しい物が好きで家は日本ぽくなく外国みたいだった。その…珍しい小さな瓶に入っているお酒たちを飲んでいる…ガラスケースから容赦なく出したらしい…

No.3 08/11/17 23:44
sky ( 20代 ♀ 61pHh )

私と姉は絶対に触ってはいけない。見るだけだからね と教えられていた。
母が色々な物を凄く大切にしていたのに…
その時、私は焦っていた。どうしよう と…私は父に小さな声で『ママが飲むものじゃないって触ったらダメって言ってた。ママのだよ…』と、びくびくしながら言ったのを覚えている。すると父は『パパはいいんだ。〇〇1つ取ってくれ』と言ってきた。私は黙って渡した。
その時、母が泣くと思った。けど父が怒ると思ったから従った。
姉はいつも、そういう時は誰にも近づくことはなかった。なぜか私は近づいてしまっていた。
そして姉は黙って私を連れて部屋に行ったり外に遊びに連れて出て助けてくれた。


母が帰ってきた…
案の定、『何を飲んでんの!!!』と怒鳴った…
始まった。また始まった・・・

No.4 08/11/18 22:24
sky ( 20代 ♀ 61pHh )

一気に全身の血の気がひく…


けど、この時は父は怒りながら出て行くだけだった。


母と父が喧嘩する時は理由なんて私にはわからない。ただ怖かった。部屋のドアが開かないことだけをいつも祈っていた。
私の記憶にある両親の喧嘩

母は夕飯の支度をしながらカウンターテーブルの所にある食卓テーブルに新聞を見ながら座る父と何かを話していた。私は父の前の椅子に座っていた。
突然、父がカウンターテーブルに並べてあった野菜の入ったお皿をはらってキッチンに飛ばした。私は体が硬直して動けなくなった頭の中でお皿が気になったのを覚えている。
《割れてなければいいな…ママはこのお皿大好きだから…》そのお皿は何枚かセットになっていて、とても大きなお皿も付いていた。お皿の縁が紫色で波々になっていてスミレの花が所々に描いてあった。
ふっと母と目があった。母は部屋へ行くようにと目で合図した。私は姉がいる部屋に行くと、姉は察知したように部屋から出ないよう言った。

No.5 08/11/18 22:44
sky ( 20代 ♀ 61pHh )

声が微かに聞こえいる。静かになったと思って母のいるキッチンへ姉と顔を出した。母は調理台の上に手を置き左手に包丁を握りしめ泣いていた。声をかけようとしたら母は手首に包丁をあて倒れた。私と姉は気が狂ったように泣き叫び必死でママ!ママ!としがみついて揺らしていた。父は慌ててうろたえているようでキッチンにはすぐに入って来なかった。しかし、ふっと母が目を開け『しーだょ。大丈夫だから部屋に行きなさい』とニッコリ微笑んだ。私は呆然していると姉が私を引っ張り部屋に連れて行った。この後の記憶はない。また、ある日の夜遅く喧嘩の声で部屋から出ると母と父が取っ組み合いの喧嘩をしていた。廊下で…姉と二人で訳わからず泣きじゃくっていた。私は母が殴られるのを見て、何を思ったか『ママを叩かないで、いじめないで』と、しがみつきに行った。母が姉に『〇〇を連れて行って!』と、私を離すように言っていたが姉も『喧嘩しないで』と、しがみついていた。父は姉に手をあげた。

No.6 08/11/18 22:59
sky ( 20代 ♀ 61pHh )

姉は床に崩れた。
母はとっさに姉を抱きしめ私を引き廊下の端まで行った。
私は母の手を振り払い父に突進しに走っていた。何かを泣き叫びながら…
父に到達した時、体が中に浮くのがわかった。
その瞬間 薄暗い廊下の壁が目の前に見えた。が、それが母の腕に変わった。
私は父に投げ飛ばされ母が受け止めたようだった…

こんな気が狂いそうな恐怖の喧嘩を見るのが時々あった。

基本 父は家にいない。いないことが当たり前で居る意味さえも考えたこともなかった。
父が母のいない時に姉と私を車に乗せパパの寮を片付けると連れてかれた。その時、父が灰皿代わりにしていたコーヒーの缶を間違って勢いよく飲んだのを覚えている。
だんだんと山道を走り始め、なぜか私は山に捨てられると恐怖を感じ姉に小声で言うと『バカ』と言われた…
小学生になり、ふと父のことを思い出した。それは小学2年生の時。
夕飯の支度をする母に『パパ帰って来ないの?』と聞くと、『離婚したからね』と、あっさり答えた…なぜか意味が理解できた。
そして、とても嬉しかった。

No.7 08/11/18 23:21
sky ( 20代 ♀ 61pHh )

小学校は楽しかった気がする。
いつも仲良しの女の子といた。みんなで外にいる鯉や金魚を見てウサギ小屋に草を持って行き食べさせ、フラフープをして遊んでから帰るのが日課だった。
休みの日は母が仕事で居ない時は姉とリュックを背負い母からお小遣いを貰いリス園に歩いて行っていた。姉とリスにエサをあげてポップコーンを買って2人で食べるのが楽しみだった。
けど、今思うと結構な距離を歩いて行ってたようで帰り道はグズグズと姉に疲れたと言い困らせていたような気がする…
母が毎日働いていたので夜遅くなると寂しくて姉と2人でパジャマでマンションの玄関で待っていることもあった。母は待っている私達を見て、優しく頭を撫で、『危ないから絶対に家から出たらダメだよ』と良く言っていた。


小学校2年の終わり引っ越しをすることになった。
母はそのマンションが嫌いだったと…それに、1人では家賃を払いきれないと…引っ越した家はアパートだった。キレイだけど凄く小さくて狭いアパート。

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