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神社仏閣巡り珍道中・改

No.156 20/07/26 15:59
旅人さん0
あ+あ-

群馬県桐生市の観音寺さんについて、ネットで検索していると、今まで見たことのない石塔┉石幢が存在するとのことを知りました。
考えてみれば、お寺さんにおいてよほどのことがなければ墓所にはいりこむことはありません。
こちらのお寺さんでは、山門をくぐり、鐘楼のわきを通って、御本堂にお参りし、弁天池の鯉を恐々覗いて、それで参拝を終えていました。庫裏の前に広がる明るい墓所と、御本堂の裏にある墓所。
大きな垂れ桜の枝の蔭にある、石仏さまと古い墓石。
石幢って┉どこにあったの?
気になると、気になって気になって。でも、桐生市の観音寺さん、どこどこのついでに行くようなところにはないのです。
行こう!
いつ? お地蔵さまの御縁日、二十四日に、山門のお地蔵さまにお会いしに行こう。

タイサンボクの花の香の香る山門のお地蔵さまにご挨拶をして。
御本堂まえの香炉にお線香をたむけて。
御本堂横の、いつもは行かない御本堂の側面に目をやると、右横の垂れ桜の奥には、竹藪があり、さらには古い墓石が並んでいました。
┉なぜ今までこちらに目をむけることがなかったのだろう。
墓石群のおくに、その石幢はありました。


石灯籠の室、すなわち身部に相当する部分に、小さな七体の御仏が彫刻してあります。安山岩でつくられ、高さは私の身長より少し低いくらいの150cm。

この七仏塔の中央に刻まれている竿石の銘文は右に「大日本国上野州山田郡須永郷下仁田庵住」中央に「奉為逆修功徳主妙春霊位」左は「于時永正九天壬申三月五日啓白」とあるのだそうです。
石幢のそばにまで寄ることはできるのですが、だいぶ風化しており、渡しにはほとんど読むことはできませんでした。


この頃は桐生助綱公の治世。
特に銘文に「大日本国」と刻まれているのも例がなく、さらに「須永郷」と刻まれているのは、この地が古く須永の御厨といわれ、いつかその名がきえて、須永郷と呼ばれるようになっていたことの有力な証拠であるのだそうです。


すぐそばには御朱印で有名なお寺さんが二つ。
江戸時代の茅葺きの山門を持ちながら、田舎寺と謙遜される御住職さま。

ウグイスが鳴き、猫が呼びあうお寺さんの境内には澄んだ空気が充ちています。
そんな境内に立ち、あらためてこちらのお寺さん好きだなぁと思った、私でありました。

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