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神社仏閣巡り珍道中・改  東北路編(ふたたび)
神社仏閣巡り珍道中・改
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No.305 19/08/24 05:55
旅人
あ+あ-

こちらの境内はそれなりの広さです。もともとの廃寺以前の土地はもっともっと広かったようで、さらには隠居された僧侶はさらに土地持ちであったようでその小作料の上がりで生活することができたようです。また、こちらのそばに石川という方がおられ、お坊さまの面倒をみていたようで、こちらにあったお寺も【石川山西福院多門寺】といったようです。
廃寺となったのは、御本堂が火事で焼失してしまったことと、僧侶の妻帯が認められるようになったこと、それが明治維新の頃と重なり、政府のすすめる神仏分離もあり、ぽつんと観音堂だけが残ったということのようであります。
それでも、七観音さまの熱心な参拝者は絶たれることなく現在にいたっています。あくまでも仏事であり、子供が飛び回るようなお祭りでもなく、的屋の屋台が居並ぶわけでもありません。昔からの伝統の行事を伝承者たちが守っているといった御開帳日です。

なんでも前日には大きな長い念数珠玉をみんなでもって回しながら念仏を唱えるような行事を執り行ったということで、御開帳日の夜には紙を貼って作った四角い灯籠に灯をともし、池の水を掛けるといった行事もあるようです。
うーん 現在時刻はやっと二時。その夕刻行われる行事にはあと四時間半もあります。
しかも入院中の母親のところに夕方には行くつもりでこちらに出向いてきております。今年は無理だなあ(*T^T)


また、こちらの近くの川にたどり着いた川流れの方や、天明の浅間の大噴火で亡くなってやはり川で流れてきた方々を、こちらで懇ろに葬ってその方たちの墓を建て、またその方たちの位牌を一つ観音堂のなか、七観音さまたちのお足元に祀ってあります。
こちらの地域にお住まいの方々は、昔から情に厚く、深い信仰心が血として脈々と流れている方々なのかもしれない。
みなさん、穏やかであたたかい笑顔で談笑なされていたのが印象的でした。


 ※ちなみに、こちらには墓所はなく、その歴代の和尚さまと川で亡くなられた方々のお墓があるだけです。江戸の時代にはお寺さんに墓所はなかったのがふつうだったようですし、こちらは隠居された僧侶のお寺なので、もともとがそういったお寺というより庵の要素が強かったので。

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