スペースシャトル

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2009/05/15 13:50(更新日時)

結婚して夫と子供達と過ごす毎日

周りから見たら たぶん

どこにでもいる普通の女性


そんな女性の生い立ちから現在までを書いてみたいと思います


初めての挑戦なので、小説とは言えないと思いますが頑張って書いていきます

事実をもとにしていますが名前は仮名に、地名、地域は一部変えています

内容上、不快に思われる方はスルーお願いします
知識不足から間違いもあるかと思います

よろしくお願いします

No.938865 (スレ作成日時)

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No.251

子供たちも大きな病気や怪我もなく育っていった

お義父さんも、よっちゃんとは話さないが、私や子供とは普通に話すようになった

ただ突然、無視が始まるのは今だに理由がわからないままだが



長女が一歳直前、電話が鳴った

私は手が離せなかったため電話に出なかった

その後も何回かかかってきたが、子供と公園に出かけていたからでなかった

公園から帰り、玄関を開けた瞬間、電話が鳴った



もしもし?

麻里ちゃん!やっとつながった
お母さんが救急車で運ばれたのよ
○○病院にすぐ行って!



この日は父が旅行に行って何日か留守だった

母は出かけた先で具合が悪くなった

なんとか家に帰ったが、どうもおかしい

自分で救急車を呼んだ

No.252

救急隊員が、本人だけでは救急車に乗れないと言ったそうだ(そういうシステムなのか?)

近所の親しい人を呼んでもらい、事情を話し一緒に病院まで付いてきてもらっていた

母は軽い脳梗塞だった
(病名は記憶があやふやです、すみません)

手術はしなくても大丈夫だったが、容態が落ち着くまで近所の人が付き添い、私に連絡をくれたのだ

私はよっちゃんに電話して病院に向かった

病室にいくと母は起きていた

まだボーッとしている感じだ

私は医師に話を聞きに行った



二、三日、入院して様子を見たほうがいいが、母は自宅に帰りたがっている

自宅で安静にしてれば大丈夫だろう

後日診察に来てください

そう言われて、母を連れて帰ることにした

No.253

私は父が帰ってくるまで、実家にいることにした

よっちゃん達が帰る頃、一度、宮原の家にいき子供の着替えや必要なものを取りに行って、状況を話すことにした

電話をくれたおばさんに、昼間のお礼を言い、私が出てる間、母のことをお願いしてきた

よっちゃん家でみんなに母の様子を話したところ、心配してくれ、付いていてあげなさいと言ってくれた

ただ
この人たちには

共通の口癖がある



たいしたことないんだろ



自分の身内の時は、こちらがびっくりするほど大騒ぎするくせに

たしかに母は手術も入院もしなくて済んでいる

だが、片方の手が少しマヒしていた
会話は出来るが今のところまだ何となく話しづらそうだ

私にはわからないが、症状としては軽いのかもしれない

でも、口では偉そうにさも心配してるように言い

そして



たいしたことない



私は怒鳴りそうになったがさっさと支度をして実家に帰った

No.254

車のなかで



たいしたことないってなに!?



イライラした



何がたいしたことで、何がたいしたことじゃないのか

母は意識不明じゃないし、自宅にいられる

救急車と聞いて、もっと深刻なことを想像していた私も、思った程じゃなくてホッとしたのも事実だ

だからたいしたことないのか?

私ならこの状況でそんな言葉は言わない

それとも私が間違っているのか?

考えてたら、わからなくなってしまった



実家に戻り、近所の人にお礼を言った

母は得に変わったこともなかった

よっちゃん家をすぐ出てきたので、子供たちに簡単な食事を作りお風呂に入れた



これが綾ちゃんなら

甥っ子の面倒をみんなで見て、なにもかも周りがやるんだろうなぁ

私は一人で二人の子供を風呂に入れるのに…

ひがみとわかってても、そんな風に考えてしまう

No.255

甥っ子が風邪をひいたと聞けば、義父母は仕事帰りに毎日アパートに向かう

食事の支度や必要なものを買っていき、綾ちゃんがあとは寝るだけ、になると帰ってくる

あまりに甥っ子の様子がひどいと、実家に連れてくる

大抵、長男がその後、同じになるのだが…



熱のある子を連れて、買い物するのは大変なのはわかる

義父母が心配してるのもわかっている



ただ、私が同じ状況の時

熱冷ま🌕ートやポ○リス🌕ット、食欲が無くても子供が食べれそうな物を、病院の帰りに買って帰った

よっちゃんはやってくれるが、仕事帰りだとドラッグストアも閉まってるので、私も頼まなかった



同居しているから私は贅沢なのか



自分は、ひねくれてると思った

No.256

母は容態も安定してるみたいだ

片手がうまく使えないが、ききてでなかったから、食事も自分でとれた

実家で長女は一歳の誕生日を迎える

実は母と長女は誕生日が一緒だ

予定日よりかなり遅れたので、甥っ子とは違う誕生日だった

母も付きっきりじゃなくても平気みたいだから、小さなケーキを買いにいった

夕食もおわりテレビを見てると



麻里!ほらほら!



長女が床に手をつき立ち上がる



とことこ………



ほんの二、三歩だが歩いた


つたい歩きから、一人で歩いたのだ

一度出来れば子供の力はすごい

しりもちをつきながら、キャッキャ、キャッキャしながら歩いてる

おむつを替えるのを忘れていて、タプンタプンのお尻をプリプリさせながら歩く

その姿が何とも言えない(笑)

よっちゃんには悪いが、母が最初に見れて良かったと思った

No.257

それから数日して、父が帰ってきた

私は状況を話し、病院に行くように頼んで、宮原の家に帰った



まだ長男が産まれて数か月の頃、父が入院したことがある

そして今回は母



義父母は一度も顔を出さなかった



その後も数回、うちの両親か入院するが
お見舞いに行くわけでもなく、これ渡しといて、何ていうのもない 



一度も………



私の母は若い頃から服飾関係の仕事をしていた

この頃は趣味でやる程度だが、それがリハビリにもなった

年も年だし、若い人と同じにはいかないが、マヒも残らず回復していった

私は二人の子供に付き合いながら、バタバタする毎日


そんな時



お義母さんが



この家は私達にゆずり、自分とお義父さんが出ていくと言い出した

No.258

理由は

お義父さんとよっちゃんの不仲だ

相変わらず二人とも話さない
子供も二人いるし、家も手狭になる



私達もここを出てアパートを借りようと考えていた

だから義父母はここにいればいい

よっちゃんはそう言った

私もここに残るのは嫌だった

一番の理由は
智之の家も近所だから

それにこんな田舎じゃ、親が出ていき私達が残れば、何を言われるかわかったもんじゃない

よっちゃんに話したわけじゃないが、同じ理由でよっちゃんから言われていたのだった



お義父さんはこれが気に入らなかったのか、また私達を無視し始めた



そして、私の実家でも…



母が倒れてから、年も年だし二人の故郷に戻る、という話が出ていた

親の兄弟もみんなそちらにいる

私ももう心配ないだろう

そう思って、引っ越すことを決めたそうだ

No.259

そんな話を知らない私は、実家に遊びに行った時、引っ越そうと思ってることを両親に伝えた

すると

ここを残していくからお前達が住めばいい
アパートで家賃を払うんなら、ここなら必要ない

思わぬ展開だった

ここを処分すれば、両親だって老後の足しになるだろう

だが、売らずにそのままにし、あとはお前にやるから

父はそう言った

築年数も経っている
ここを直してもいいし、他に家を建てるならここを売ってそのお金を使えばいい



私は言葉が出なかった



法律関係はよくわからないが、父は詳しいしその関係に知り合いもいる

なにかやり方があるのだろう



有り難く思うと同時に自分が情けなくなった

No.260

同居だから家賃はない

食費を出し、全部じゃないが公共料金の支払いもしている

節約とは無縁の人たちだから金額が半端じゃなかった

そして、税金

三人も大人が働いていれば、国保は限度額の一番高い金額、約九万だ

義父母はそれ以外の税金も払っていない

よっちゃんは長女が産まれてから、それまで乗っていたVIPカーといわれる車を売っていた

先のことを考えて車のローンを貯金にしようとしたのだ

私の乗っていた軽はローンじゃないから、たいしてかからない

私からすれば、自分と関係ないお金をずいぶん出している

どんなに自分達で考えても、貯金なんて微々たるものだ



父は自分の車も置いていくといった

軽じゃ狭いだろうと言って………



私は



申し訳ない気持ちでいっぱいだった

No.261

よっちゃんにこのことを話した

よっちゃんもうちの親に感謝してくれた

本当なら自分達でしっかりやらなくてはいけない

でも、このままここにいても状況は変わらないだろう

親の申し出を有り難く受けることにした



そして



私は三人目を妊娠した



自分でもびっくりしたが、嬉しかった



よっちゃんも喜んでくれた

予定日が私の両親の引っ越したあとなので、それが残念だったが、両親も驚いたのと嬉しいのと両方だった



友達には
まさか麻里が三人のお母さんになるなんてねぇ

と言われてしまった





お義父さんは



何も言わなかった



そして

またお義父さんは仕事を辞めた



私は昼間お義父さんがいるのが嫌で、子供と毎日出かけていた

No.262

お義父さんも同じだろう

綾ちゃんたちがまた来るようになった

来いと言ったのだろう



出かけて帰ると、綾ちゃんたちがいる

そんなことが続いて、私はイライラしてばかりいた

時々、家に一旦入り、実家に行ってくると言って、またすぐ出かけたりした

そのうち自分の子供に八つ当りをする

子供たちは悪くないのに…

お腹の子にもよくないだろう

わかっていても日に日にイライラが募っていった



綾ちゃん一家とみんなで夕食をとっている時、お母さんから突然言われた





お腹の子を堕ろしなさい





信じられないことに

よっちゃんも同じことを言った





私はおかしくなったのか?

それとも周りがおかしいのか?



そのまま部屋に行って布団にもぐった

No.263

妊娠中だから不安定なんだろう
どんどんひどくなるから、だったら…



お義母さんとよっちゃんが話し合ったらしい



私のストレスの原因も知らないで…



お義父さんや税金のことなど不満はある

だけどそれだけじゃない

私がイラついているからと子供二人と一緒にいさせないようにされていた

大声で怒鳴ってしまうのは私が悪い

それ以上はしていないが、よっちゃん達がいない時に私が何かするのでは

そう思っていたようだ

だからみんながいると、子供たちと私を離す

あからさまにされて私は余計にイラついていた



私も余裕が無かったんだろう

だけど、原因も聞かず、一方的に出した答えが

子供を堕ろせなんて





私には





子供を殺せ



そう聞こえた

No.264

まさか

よっちゃんまで…



涙が止まらなかった



喜んだのは嘘だったのか

確かに二人の子供には可哀想なことをしてしまった

でも、お腹の子も私達の子なのに…

何度頼んでもダメだった



反対されて産まれてきたらこの子は可愛がってもらえないのかな

そんなことばかり考えていた

4ヶ月に入っていたのに、こんなことになるなんて



私は病院に行くことにした


その日に限って、たまたまなのかわからないが、よっちゃんもお義母さんも家にいた



私は病院に行くことを告げ家を出た



このままどこかに行ってしまおうか

涙が止まらなかった

でも二人の子を残してなにか出来るわけじゃない

泣きながら病院の近くまで行くと





お腹の子が蹴った





これがお腹の子の初めての胎動だった

No.265

嘘のような話だが本当のことだ

その後も何度もお腹を蹴る


私は車を停めていた



この子だって産まれたいはず



私がしっかりしなきゃ



あんな奴らには文句は言わせない



私が三人の母親なんだから





私は病院に行くのを辞めた

すぐ家に帰るのも嫌だったから、ぶらぶら時間を潰して家に帰った





帰ると

よっちゃんもお義母さんも何も言わなかった

私が堕ろしてないのがわかったんだろう

私はそのまま部屋に行った

少ししてよっちゃんがきた

私は胎動を感じたこと
この子を産むと言った

よっちゃんは話を聞いてリビングに行った



それからは何もなかったかのように過ぎていった





そして





私の両親の引っ越す日が近づいてきた

No.266

この日、よっちゃんは伯母から

嫁さんの両親を見送って、感謝の気持ちを伝えてきなさいと言われ、休みをもらっていた

だが、おバカはやっぱりおバカなのか?

よっちゃんは前の会社の人から偶然その日、ゴルフに誘われていたた

私には隠せないので話してきた

私は



キレた

さすがに暴れなかったが(笑)



予定日まで一ヶ月強

妊婦の私と子供たちで見送り?それもいいだろう
だけどうちの親の恩を仇で返す気か?



呆れて好きにすれば、と言った



よっちゃんもゴルフがOKされないのはわかっていたが、私に聞いてみたのだろう


どこからか伯母の耳にも入り、こてんぱにやり込められたらしい(笑)

そして

引っ越し当日

両親がこれからも私のことをよろしくと、宮原の両親に挨拶にきた

No.267

お義父さんは外にいて、私達が車から降りるのを見て奥に消えた

お義母さんが呼んでも来ない

うちの母が
出産後はお義母さんに世話をかけるので、これを使ってくださいと………



餞別と書いた袋に十万包んだものを渡した





餞別?
うちから?逆では???

私は何となく思った
(こういうことは、いまだによくわかりません、すみません)



そして私達はよっちゃん家をあとにした



お義父さんはうちの親も無視した



頭に来たが、親の旅立ちを壊すわけにはいかないから我慢した

途中、食事をして



みんなで両親を見送った



それからは毎日実家に行き、掃除をした

引っ越すから荷物はないが、掃除は私がやると言ってあった

近所に挨拶に行くと、みんな年を取っていた

当たり前だ、私が小さい頃から知ってる人達

あれから何十年も経つのだから

No.268

私が小学校にあがると同時に、この家に引っ越してきた

高校卒業までこの家で過ごしていた

柱には私の背の高さに鉛筆で線が書いてある

がらんとした家は変な感じだった

両親二人なのにどう見ても今の私達より、荷物が多かったから(笑)

両親が引っ越したことで、私は近くに頼る人がいなくなった

何かしてもらうわけじゃなかったが、いて当たり前の人がいないのは

心に穴があいた

そんな感じだった



臨月間近の私がする掃除なんて、それこそ!

「たいしたことない」が(笑)

空気の入れ替えと掃除機をかけ、簡単な拭き掃除をするくらいだった

毎日、実家に来るのも、お義父さんと顔をあわせなくてすむから、いい気分転換になる

No.269

予定日の二週間前

いつものように実家にいると、お腹がキリキリする感じがした

その日は早めによっちゃん家に帰った

次の日もその次の日も、なんかキリキリする

まだ早いけど、そろそろ産まれそうな気がした

ここで陣痛が始まっても、正直困る

子供が昼寝から覚めたので、よっちゃん家に戻った



よっちゃんに、変な感じだから予定日より早くなるかも、と言った二日後の朝

お尻の辺りが気持ち悪くて起きた

布団を見ると、敷き布団の下半分が真っ赤だった

破水したことがなかったから、これは破水したと思った

破水は体の中だから、血も混ざるんだろうと勝手に思って

でも、病院に着いてから破水したので、破水じゃなかったら一体………😱

お義母さんは起きてたので、よっちゃんを起こし着替えて病院に電話した

No.270

そのまま入院の用意をしてよっちゃんに病院まで送ってもらった

診察してもらうと今日か明日だね、と言われた

陣痛もなく出血😱も治まった私は、テレビを見ていた

二年前の長女の時は、サッカーのワールドカップがテレビでやっていた

海外だから夜中に中継があり、消灯時間が過ぎて見回りが終わると、テレビをつけてこっそり見ていた

他の病室のママさん達も同じだ

一緒に入院してた人は、みんな寝不足だった(笑)



お昼ご飯を食べて、夕食もしっかり食べた

夕食の時、よっちゃんが来てくれた

キリキリしてるが、はっきり陣痛という感じじゃない

面会時間が終わり、よっちゃんが帰った五分後



二人目と同じ………



陣痛が来た

うちの子は、よほどパパが嫌なのか?

No.271

前回は本当に痛かったのでまだまだ余裕だ

五分間隔になった頃、隣のベッドに他の人が来た

様子から初産の人らしい

あまり隣で私が絶叫したら、きっと怖くなってしまうかも…そう思って、叫ばないようにした

痛いのは痛いが、まだ長女に比べれば半分くらい

これからが大変、と思うのと同時に、なにかで読んだ事を思い出した

陣痛の痛みは、赤ちゃんも産まれようとおりてきてる痛み

そんなことが書いてあった

不思議と赤ちゃんが下の方に来てる気がする

この子は、一度は諦めようとした子

無事に出産してみせる!

そう思ったら、痛みも何のそのだ

まだ時間が掛かると思ったら、ナースから分娩室に移るように言われた

産まれちゃうよ
宮原さん早く!!!と(笑)





そして、次男が生まれた

No.273

次男が産まれても、お義父さんとの仲は変わらない

退院したら、今度はよっちゃんの家に帰る

私も昼間出られないから、お義父さんもいるのが気になった



退院の日

よっちゃんの家に着くと、お義父さんがいない

仕事を始めたようだ

お義母さんが上の子供たちの相手をしてくれるから、数日は私ものんびりできた

上の二人はお義母さんが大好きだし、私も安心して任せられるけど…

やはり、私と近付けない

私が朝リビングに行くと二人を連れて出かけている

昼に帰ってきて、また夕方まで出かける

家にいてもリビングに上の子を来させない

理由は妊娠中と同じ、今度は出産したばかりだから、イライラしてると思ったらしいが…

私はお義母さんの考えにイライラした

No.274

夕食が終わったら、上の子供たちはお義母さんの部屋にいく

私やよっちゃんは、上の子と話さない日もあった

子供たちもお義母さんといれば、何でも出来るから楽しいのだろう

二週間ほどそんな状態が続いた

私はお義母さんに、もう大丈夫だから、仕事に行ってもらうことにした



お義母さんが仕事に行った日

朝早く出るから子供たちはお義母さんと会わなかった

子供と朝食を食べている時、お義父さんか仕事にいこうとしたら…

長男が泣きながらお義父さんに行かないで、と言っていた

お義父さんは相変わらず無視だ

長男は玄関でしばらく泣き叫んでいた

私は長男の様子を見て、ショックを受けた

入院中も退院してからも、ほとんど一緒にいないせいもあるが子供にあたっていない

でも数週間であまりにも変わってしまった

No.275

その後、すぐに私も子供たちも元の状態に戻った

妊娠中に子供のことでイライラしたのではないが、あたってしまったことに反省した



この頃、よっちゃんが次男の名前に悩んでいて、まだ出生届を出していなかったった

私は1ヶ月検診もあるのでその日に市役所に行くことにした

よっちゃんに休みを取ってもらおうとしたけど、その頃は仕事が忙しい時と重なるらしい

休めるかどうか、はっきりしなかった



そして検診の前日

仕事から帰ったよっちゃんから

明日、ゴルフ行くから!と言われる

私はよっちゃんが、何考えてるかわからなかった

子供のことは、出来なくてゴルフは行けるのか?

お義母さんも同じ職場なのに知らなかった

お義母さんもさすがに呆れていたようだ

結局、検診の日はお義母さんに休んでもらい、上の子達をみてもらうことにした

No.276

検診を終え市役所に行き、出生届を出す

そのあとに出産祝い金の手続きをすると、担当の人が



こちらにあてるので、祝い金は出ません、と言った



市役所の人が何を言ってるかわからなかった

上の二人は私の社会保険から祝い金がでていた

今回は国保からもらうのだが、税金を滞納してるため祝い金でそれを補填するというのだ

私は言葉が出ない

私が知っているかぎりは払っていたし、祝い金を他の税金にあてるなんて思わなかった

確認してみると、私達が同居する何年も前から、義父母は払っていない

そこまでは私達に関係ないし知らなかったから、私も払っていなかった

今まで何百万も立て替えて払ったのが無駄に思えた

なんで、私達がこんなことにならなきゃいけないのか

もう考えるのも、怒る気力もなくなった

No.277

後日、市役所から出産祝い金を他の税金にあてたと通知が来ていた

封が空いていたから、お義母さんは読んで知っているのに、私やよっちゃんに一言もなかった

孫のお金がそんなことに使われて、何とも思わないのだろうか

私に言えなくても息子のよっちゃんに一言ごめんと言ってくれれば、こちらの気持ちも少しは違ったかもしれない



それから一ヵ月

私達は私の実家に引っ越した

引っ越しといっても、服や子供のオモチャだけだ

電化製品はうちの親が全て置いていってくれた

よっちゃん家に行くとき、お義父さんと顔を合わせたので、声をかけようとしたがスッといなくなったのでそのまま実家に行った

No.278

引っ越してから、バタバタしっぱなしの毎日だ

住所変更や日用品、食品の買い出し

まだ二ヵ月の次男や上の二人を連れての外出は、1人で行くのとは違って大変だった

長男の入園手続きも終わった頃、次男の夜泣きが始まった

夜泣きは半年ぐらい続いて、入園式も寝ないで出席したほどだ

三人の子供も大きな怪我や病気もなく、義父母とも離れたせいか関係はよくなった

お義父さんとよっちゃんも私達が引っ越してから一年くらいは、お互いに口もきかなかったが、いつのまにか話すようになっていた

貯金も毎月万単位は無理だったが、少しずつ貯めていくことも出来た

だけど、ある程度貯まると不思議とその金額丸々出ていくようになる

No.279

今更だが、つくづくお金に関しては、縁遠くなってしまったようだ

長男が小学校、長女も幼稚園に入園すると、家を建て直すか新しく建てるか、よっちゃんと話すことが多かった

色々考えた結果、別の場所に新しく家を建てることにした

それから土地を探すが、なかなか見つからない

よっちゃんの条件に当てはまる場所がないのだ

小学校の学区ないだと、見つけるのはかなり難しい

それでも、ある土地を見に行ったとき、その不動産やから別の土地を紹介してもらう

よっちゃんも気に入ったようだ

土地代はかなり安い

建物を合わせても、分譲住宅とかわらない金額で出来そうだった

だけど何千万という買い物だし、私はもっと色々考えたかったが、よっちゃんが決めてしまった

No.280

毎月のローンの金額を見て
私が「ちょっとキツくない?」

と言っても、よっちゃんはなんとかなると思っている

結局、次男が入園したら私がパートをすることにした

働くといっても、十年近くブランクもあり義父母も働いているので、子供が具合が悪くても頼める人がいない

子供がいない短時間で働ける、家から学校の間のコンビニで働くことにした

次男の入園、長女の入学式が終わってすぐに働き始めた

今まで三食昼寝付きの生活から、ほんの数時間でも働くのは慣れるまで大変だった

職場としては、あまりいいところではなかったが、同じ時間帯のパートさんが同年代で話もあったのと、家を建てるという目標があったから続いたのだろう

私のパート代は、ローンを払ってるつもりで毎月貯めていた

それをあんなことに使われるなんて、この頃は考えてもいなかった

No.281

新年は新居で

そのつもりで荷物の整理も少しずつやりたかったが、なかなか進まない

パートの時間を少し延ばしてもらったりしていたので、平日は帰ってから夕飯の支度や家事に追われていた

秋になり長女と次男の七五三の写真を撮った

写真はうちと義父母、私の両親に渡す分も用意した

何パターンかの写真を三件分だと、結構な金額になる

同じ頃、家具屋から長女の学習机のことで電話がきていた

家が建つまで店で預かってもらっていたから、いつ頃搬入していいかの確認だ

机は義母が買ってくれるはずだった

内金を払い、搬入の時に残金を払う予定だったが…



義母が入院、手術をすることになったのだ

調子が悪いと病院に行き、検査をして手術が決まったそうだ

No.282

この頃から、歯車が狂い始めたのか………



病気になったのはお義母さんが悪いわけじゃないし、それを責めるつもりはない

でも…

お義母さんがよっちゃんに病院代を出してほしいと言ってきた

よっちゃんは私にそれを話した

お義母さんは一ヵ月前に仕事を辞めていたけど、それまでは夫婦二人で月に50万以上の収入だ



貯金はないの?



不謹慎かもしれないが、私はそう思った

急なことで立て替えでもなく、お金がないから出してほしいって事だった

一ヵ月後には引っ越しもある

まとまったお金は出来るなら出したくない

でも事情が事情だから、うちで病院代を出すことにした

入院の準備にと、お義母さんは綾ちゃんにそのお金を渡し頼んでいた

No.283

よっちゃんが、そのお金を退院するまであまり使わないように言った時、綾ちゃんが不思議そうな顔をした

あとで知ったが綾ちゃんはうちが病院代を出したのを知らなかったらしい




そして手術当日

前年に同じ手術をした伯母さんが
「子供たちも連れて大勢で励まさなきゃ」
と言ったからと、よっちゃんはみんなで行くと言い出した

私の帝王切開とは違うけど体にメスを入れるのだ

術後もすぐに今までと同じとはいかないのに…

まるでお祭騒ぎのようだった

手術は朝一で行われる

その前に病室によっちゃん一家が集まった

励ますどころかみんな無言で葬式のようだ

私がでしゃばって話してもいいが、なんか違う気がして廊下に出ていた

手術室に行くまで無言

これじゃ励ましにもならない

ストレッチャーにのったお義母さんに
「成功するから、頑張って」

私は小声で言った

No.284

そして

手術室に入る直前

「頑張れよ!」と

よっちゃんは大声で叫んだ


無事手術も終わり、執刀医から説明を受けてから、ICUにいるお義母さんのところに行った

麻酔から覚めたら病室に移るそうだ

今日は誰かついていてほしいということだったので、私達は交替で病室にいることにした

その後、順調に回復し退院が決まった

私と綾ちゃんで病院に行きよっちゃん家に戻った

お義母さんは元々じっとしてる人ではない

家にいても無理していたと思うが、今までとかわらない生活

術後も何ヵ月に一度、検診に行けばいいということだった



その頃、私達は引っ越しの準備にも追われていた

長女の机が運ばれると、いよいよという感じだ

七五三の写真も取りに行きたがったが、引っ越して少しの間は物入りだから、落ち着いたら行くことにした

No.285

私の実家にいた時も大きな家具は、長男の学習机とダイニングテーブルくらいだったから、自分達で荷物を運んだ

今年もあと数日で終わる頃私達は新居に引っ越した

家を建てるというと大抵は奥さんの希望が優先される気もするが、うちはよっちゃんのほうがこだわっていた

家のことで喧嘩もしたけど、私や子供達のために建ててくれた家だ

私は心からよっちゃんに感謝した



でもね、よっちゃん

今はこの家が嫌いだったりもするよ…



引っ越しそばでもないが、新しい家で段ボールに囲まれて年越し蕎麦を食べた

大晦日まで私は仕事だったが、三が日は休みをもらっていたから、のんびり荷物整理をするつもりだった…

元旦

朝の七時に義父母が来た

何しに来たかと思えば、庭をかまいたいらしい

やりたきゃ自分の家をやればいいし、元旦の朝っぱらからやらなくても…

私は気分が一瞬でおちた⤵

No.286

義父母も嬉しいのだろう

家を建てれば一人前、みたいな考えだと思う

気持ちもわからないではないが、私は落ち着かない

お構い無くと言われても、そういうわけにいかない

お雑煮を作り、洗濯をしてお茶の時間

冷蔵庫もまだ空っぽだ

年中無休のスーパーに急いで買い物に行った

お茶が終わって少ししたら昼食の用意

昼食が終わり片付けをして段ボールを開けていると、やる事がなくなったのか義父母が家に入ってきた

二人の前で荷物を出すのが嫌だった私は手を止めた

持ってきた段ボールを見てお義父さんが、あれこれ言ってくる

正直言って、さっさと帰ってほしかったが無理だった

よっちゃん家の人は、来ると長い

夕飯時までいるだろう

私の予想は当たった

夕食の食材まで買ってなかったので、外食することにした

No.287

この義父母の訪問は三が日続いた

その内一日は、昼からよっちゃんの実家に年頭に行った

私は荷物整理もあまり出来ず、少しイラついた

手伝いに来てくれるのだろうが、庭を好きな様にしていっただけで、手伝いをしてもらった覚えはない

それに庭だって私達で色々考えてやりたかったのに、それも出来ないほどやっていった

言っても仕方ないから我慢した

次の日、仕事から帰る途中よっちゃんから電話があった

綾ちゃんたちが家に来るという

普通、引っ越し直後の家には一ヵ月ぐらいしたら行くと思うが…

家に着いたらもう綾ちゃんたちが来ていた

甥っ子達にお菓子といっても何もない

私はまたスーパーに買いに行った

夕方になっても帰る気配がない

結局また外食

そして翌日

仕事から帰るとよっちゃんの仕事の後輩が来ていた

怒鳴りたかったけど、また我慢した

No.288

よっちゃんの会社は、普段あまり休みがないから、正月休みが長い

後輩と飲みに行くといわれた

昼間、荷物を片付けてくれるわけでもないが、それは私がやればいいと思っていた

だけど毎日誰か来てたらやりたくても出来ない

夜に片付けといっても、一日で終わるわけじゃない

よっちゃんはそれをわかってくれなかった

私が何もやらない、人が来ても段ボールがまだあるのが気に入らない

よっちゃんは不満に思ったのだ

二日後、よっちゃんはこの前と同じ後輩と職場の他の後輩も呼んで、新年会も兼ねて飲みに行くと言った



私は変な感じがした

昔、祖母が亡くなった時と同じ感覚

胸騒ぎとか虫の知らせとか………

私の勘は当たった

この日、行かないでと言ってれば

なにがなんでも、止めていれば

悲しい思いをしなくて済んだのに

No.289

この日、よっちゃんはある居酒屋に行った

そこの店主が以前、他の店をやっていた頃から知り合いらしい

私も行ったことはないが、場所と名前は知っていた

そこで飲んでいる時、別のテーブルで飲んでいた女性のグループの一人から、よっちゃんは声をかけられる

小澤実咲だ

近くの飲み屋で働いてる人だった

実咲はよっちゃんに携帯の番号を教えていた

自分の店に来てくれれば、客になる

私にはわからないが、もしかしたらそんな始まりだったかもしれない

家に帰ってきたよっちゃんは上機嫌だった

この時点でおかしいと思った

いつもと違う…
何かを隠しながら…

よっちゃんは、よくしゃべった

嘘をつく時、ごまかそうとする時は必ずそうだ

話のつじつまが微妙に合わない

女の人も一緒だった

私はそう思った

No.290

それからの行動はわかりやすい

私もよっちゃんとは不倫だったから…

正当化しようとしても、不倫には変わりない

よっちゃんのすることは、私がよっちゃんと付き合いだした頃と同じだった

一つ違ったのは、お金の使い方だけ

実咲とのこともあるが、それとは関係なく金遣いか荒くなった

もともと小遣いだけでやってくれる人だった

大きな買い物は私と金銭感覚が違うが、普段は無駄遣いもしない

自分は我慢しても子供達にジュースの一本でも、という人だ

家を建ててから、金持ちになったかのようだった

実咲と会う以外でも大盤振る舞いだ

引っ越し前、私のパート代を貯めて、新居で使う物を買うはずだった

それをするなと言われた

必要な物は月々の生活費から出すように言われたのだ

No.291

家具など値が張る物は生活費からなんて無理だ

引っ越したらこういうものが欲しいとか考えていた

私が勝手に買ってしまえばそれで済むかもしれない

結果的にそんなことは出来なくなったけど………



その月は車検もあった

車検代として十万を渡した

八万くらいだったが、残りは返してくれなかった

引っ越してから一ヵ月

その最初の一週間で、思わぬ展開になってしまった

二日に一回は実咲の店に行くか、会ってたんだろう

帰りが遅いよっちゃんを、子供達もおかしいと思い始めた

「パパいつも遅いね」

子供にこう言われても、まさか本当の事は言えない

私は
「お正月が終わって仕事が忙しいんだって」
「新しいおうちに引っ越したから、パパ頑張ってるんだよ」

こんなことを言うのが精一杯だった

No.292

私は引っ越してから一冊のノートを買った

日記を書こうと思っていた

そのノートは今でもあるがとても見れたもんじゃない

よっちゃんと実咲の事

それに対する私の気持ちが書いてあるから

書く事でなんとか自分を、落ち着かせたかったんだと思う

週末は午前様になった

最初は家に帰ってから飲みに行ったが、仕事帰りにそのまま行って帰ってこない

なんとか子供の前では普通にしなきゃ

それも一ヵ月もたなかった

よっちゃんは家にいても私を見ない

用がある時に話してくるだけ

話し掛けた時、私はびっくりした

私を見る目付きが、もう、それまでのよっちゃんではなかった

私は何も考えられなくなってしまった

私が何もやらないから気に入らない

それはよっちゃんの態度からわかっていた

No.293

仕事が終わって私が帰ると子供達が帰ってくる

子供達が遊びに行くと買い物に行ったり、家事をしたり荷物の片付けをしていた

夕食の支度をして食べ終わったら、お風呂に入り寝る

最初は気も張っていて何ともなかったけど、疲れも出てきたんだろう

私は家事以外は横になるようになっていた

座るのもつらい

起きていられなくなった

それでも、無理してやっていれば少しは違ったかもしれない

だから週末に買い物に行ったり、用事を済まそうとしたがダメだった

義父母が来て朝から夜までいたのだ

それに私が出かけてる時も庭をいじっていたようだし、時間関係なくいきなり玄関を開けて入ってきて、夜の八時九時までいたりもした

よっちゃんは何も思わなかったみたいだった

誰の家なのか…

私は家にいるのも嫌になった

No.294

そんな状態で一ヵ月が過ぎよっちゃんの給料日

よっちゃんが
「これからは俺がお金の管理をするよ、だから銀行のカードは俺が持つ」

理由はもっともらしい事を並べていた

給料が振込まれる口座のカードを渡せば、どうなるかわかっていた

実咲に会うためにはお金が必要だから…

私は生活できなくなってもいいと思った

勝手な思い込みだがこの家に来てから、何も嬉しいことがない

だったらここに住めなくなってもいい

そんなことを考えていた

よっちゃんは日曜以外は、実咲と会っていた

店以外でも



問い詰めればいいのかもしれない

でも、出来なかった

情けないが惚れた弱みだろうか

私はどんなことよりも、よっちゃんと別れるのが一番つらいことだった

No.295

よっちゃんに対して愛情もある

いて当たり前でもドキドキすることも多い

もしかしたら執着なのかもしれないけど、自分でもよくわからない

私がよっちゃんと会うまでの事を全部知っている

よっちゃんは

だから何?

そんな感じだ

私なんかじゃなくても相手はいるだろう

なのに私とずっといてくれた

浮気や不倫、ギャンブルも今までなかった

ついていけない時もあるが、いつも家族のために頑張ってくれていたのもわかっていた

許すとか許さないとかじゃないけど、言ったら最後、離婚だと思っていた

よっちゃんは浮気をする人ではない、というより、そうなったら本気だろう

自分が女を作ったから、俺か出ていくと身一つで本当に行く人だ

だから聞くのが、認めるのが怖かった

No.296

よっちゃんは気付いてないが、カードでお金をおろすと通帳を記帳したらわかる

そんな事もわからないぐらいになっていたのだろう

この頃から数ヶ月、私はあまり記憶がないというか、今日が何日とか、何をしたかとかをよく覚えていない

夜寝られなくなり、体調も崩していた

朝も子供を起こした後、横になる、気付くと上の子は学校に行った後だ

数少ない覚えている出来事

バレンタインデーの日
子供の分とよっちゃんのチョコを用意して待っていた

よっちゃんはやはり実咲と会っていたようだ

子供達が私のチョコを渡したが、見ることも受け取ることもなかった

もう、ダメなんだと思っていた

それでも子供達には態度が変わらなかったから、まだ期待していたのだろう

銀行に行って通帳を見てびっくりした

ほんの数日の間に何十万とおろしていた

No.297

私は仕事が終わり次男を幼稚園に迎えに行くと、洗濯物を片付けて横になる

夜、よっちゃんが帰ってくると起こされる

毎日その繰り返しだった

そんな日が続いたある日、よっちゃんと喧嘩になった

私はだらしないと言われた

家のこともやらずに寝てばかり、いい加減嫌になると言われてしまった

やりたくても体が動かない

服が肌にあたるだけで電気が走ったような痛みがあった

夜も寝られない

食事も摂れなくなっていた

何でこうなったかもわからないくせに、私はそう思ったが体に力も入らないし、言い返す気力もなかった

よっちゃんは余計イライラしただろう

それにまさか私が感づいてるなんて思ってもいなかったから

No.298

日に日に帰りが遅くなる

それでも、私が知らないと思っている

とうとう貯金が底をついた

わずか一ヵ月半の間に百万近く使われた

よっちゃんは悪気もなく、こう言ってきた

「もう金無いんだけど」

何でそんなに無いのか、聞かれたらどうする気だったんだろう…

税金だって月々の支払いだってある

生活費も…

無いものはどうしようもないが、払わないわけにいかない

私は

「クレジットカードから借りられるけど」

そう言うと、これからはそれで生活してくれと言われた

それがどういう事かわからない人だ

あとで大変になっても自分のせい

そうならなきゃ、わからないんだろう

とりあえず生活費を、よっちゃん名義の銀行のローンカードからおろして、そこから小遣い分を渡した

No.299

税金や公共料金は私のへそくりでなんとかなった

実咲の店にオープンからラストまで

一人の時もあれば、誰かを連れていく時もある

支払いは全額よっちゃんだろう

食事に行ったり買い物に行ったり、それもよっちゃんもちだ



そしてホワイトデーの前日

朝の五時に帰ってきた

私は夜寝れないけど、起きてるのも嫌でいつも寝た振りをしていたから、帰宅時間はわかっていた

この日は朝九時に伯母さんの家に行く予定があった

よっちゃんの祖母の法事があったのだ

朝帰りして酒臭い

起こしても起きない

行く時間が過ぎてやっと起きて支度をした

この日は雨が降っていて、玄関前がぬかるんでいた

私はなるべく足元が良さそうな場所に車を動かした

その場所が気に入らなかったのか、

「何でこんなとこで乗らなきゃなんねえんだよ」

よっちゃんはすごい剣幕だった

No.300

この時はさすがに頭にきたが、私は何も言わなかった

言う気にもならない

女と朝までいて真っ赤な顔して酒臭い

まだ酔ってるんだろう

好き勝手にやって文句言われる筋合いもない

行くのをやめようかと思ったが、行かなければまたあれこれ言われて、余計に面倒になるのは目にみえていたから、我慢していた

伯母の家に着き、よっちゃんは座敷で親戚と飲んでいる

私はずっと別室にいた

子供達は従兄たちと遊んでいる

お坊さんも帰り他の親戚も帰っていった

ここで帰るのが普通だと思うが、この人たちは違う

結局、伯母が夕飯に寿司をとってくれ、みんなで食べることになった

座敷でお義母さんや他の伯父伯母、綾ちゃん夫婦が食べていたが、私は子供達とテレビを見ていた

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