損な私のひとりごと。
人生思うようには成らないし
今更、どうしようと言う目標もなく
今が平凡であれば、それが1番と思うようにしています。
欲を言ったらキリがないし
あの人もこの人も苦手と思ったら
回りがみんな苦手になってしまうから
常に頭の中を空っぽにして
顔で笑って中身はアカンベェして
それが私流、今日も損な自分と
戦って日が暮れて
そんな大根役者の私です。
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なんか、焦げ臭いと思ったら、煮物の鍋に火をかけていたのを思い出し慌ててキッチンに、お鍋の煮物は焦がさずに無事だったけど煮詰まってしまってました。
これだからやんなっちゃう。
6時には孫を迎えに行かなきゃないけないし、あ〜ぁ、しかし眠い。
昨夜、千羽鶴を折りながら選挙結果を深夜まで見ていたがための寝不足なのだもの、昼寝しようにも買い物とリハビリで半日、午後からはずっと料理の下拵え、今夜は早く寝よう。寝るぞ❗
もうこのスレ部屋も終わりに近づいていたのね、おととい、な何気に6年前の自分のつぶやき日記を見てあの頃は雪国での一人暮らしだったけどそれなりに愛猫との二人暮らしは極貧だったけど楽しかった。口は悪い人ばかりの中で人に助けてもらいながら暮らしていて私は変な表現ですが凄く謙虚だったなぁと日記を見ながらつくづく思う.
都会に来てことば遣いも態度も身体も凄くデカくなって横暴になったように思う。いや❗なってしまってる❗
環境が変わると全てがその環境に染まってしまうものなんだとしみじみ思う。
やだやだ、私はナツちゃんに染められてしまったのだ。なんて言ったら、それは卑怯と言うもの、ゆうじさんもおっしゃつてたけど「縁は異もの味なもの」私も同感です。
気がつけばもうミクルに5日も来ていなかったのか、って言うよりもう5日も過ぎていたのね。
昔は専業主婦にあこがれていたけれど実際、専業ババァになってみたら忙しいの何のって同世代の仲間は、殆どが夫婦ふたり暮らしが多く好きなように旦那様と喧嘩しながらも自由に誰にも気を使う事なく寝たい時に寝て食べたいものを食べると言う暮らしをあちらこちらから聞くと羨ましいなぁと思う。反面、みんな身体のアチラコチラが老化してきて病院通いが仕事のようだと口を揃えて言う。
私も例外になく、アチラコチラに不都合がおきて、それでも家事をして孫の世話で明け暮れる。仲間は皆、孫の世話を卒業してたまに孫が遊びに来るくらいが丁度良いと言いながら息子夫婦と同居し孫をひとり占めできる生活が羨ましいと言う。実状は毎日が地獄なんだけどな、他人からはそうみられているのか、逆に私は好きなように日常を謳歌している仲間達が羨ましい。ほんとにね昼寝いっぱいしたい。欲を言ったら。きりがないか。
スマホ打ちながら眠気が料理も途中なのに。
ナツちゃんはとりあえず今、旅行中の息子に連絡を取ると息子からは「とにかくそれが本当なら今年の晦日には田舎に行かなきゃな」と返事があったと言う。
親が謝ってくるまで絶対帰らないと言っていたけれど事情が事情だから私情的な感情はもうないものとし親が生きているうちにできるだけの事をしてあげようとの息子の意見だそうな、私には全くそのような態度は滲んもみせてくれやしないのに伴侶の親は大事にするのだなぁと、まぁ、それが普通なのだから、私は息子を置いて飛び出した毒親だから仕方ないどころか、してもらえないのが当たり前なのだ。とにかく親子喧嘩は両成敗、詳しい話が全く分からないだけに、入院もしないで転移だの検査だのと全く話が要領を得ないし、なんで娘に連絡をしてきて葛飾にいる息子に連絡をしないのだろう。立派な息子がいながら嫁に出した娘とだけ連絡を取り月々の生活費から何からナツちゃんに無心する、それをずっと結婚後ずっと続けてきたのだ、それも5月の親子喧嘩で送金しなくなり途端にナツちゃんは、自分の為にお金を使いだし出した矢先だった。
親がガンともなれば又、振り出しに戻るのだろうか、どうなるのだろう。
たった今、ナツちゃんが私の部屋に孫と一緒に入ってきて片手にスマホを見せながら「実家の父が大腸がんで、転移しているかいないかの検査を明日してくると連絡があった」と言う。
何度も母親から電話があったけど又、愚痴を言うための電話だと思い出なかったそうだ。それで今度は母親はナツちゃんにメールで先ほどの内容を伝えてきたと言う。
確か去年の春には母親から父親の腎臓の数値が異常値に達してこのままで行くと人工透析になると医師に言われたとの連絡がありそれで孫を連れて2週間近く実家に行きまとまった現金を親に渡し去年の11月は父親と母親のそれぞれの誕生日祝いを最後の旅行になるかもしれないと親孝行のつもりで父親が指定してきた湯沢温泉に豪華な一泊旅行したのにその後、腎臓の話はとんとでなくなった。今年の5月の連休には両親と大喧嘩をして親が謝るまで実家には帰らないと意地を言い張っていた矢先である。
大腸がんなんて、ナツちゃんから聞く父親は大食漢で大酒飲みそれまで腸や胃に関しては至って健康だったと聞いている。それにナツちゃんの家系にガンは1人も出ておらずなんで父親が大腸がんになってしまったのか全くの初耳だと、こちらが心配しているのに当の娘のナツちゃんは「転移していたら手術は出来ないらしい」との母親の話らしい。
なんであまりにも急な話で、それまでベッドで眠りかけていたのに目がさえきってしまった。
夕食の準備は完了した。
孫の迎えまでまだ2時間ある。
ベランダから洗濯物を取り込み「相棒」の再放送を見ながら洗濯物をたたみ、合間にこうしてミクルに投稿。
何気ないこの毎日の繰り返しが実は幸せなのかもしれないと思うようになった。
気がついたら1ヶ月続いた腹部の違和感も、口の中の苦味も消えていた。
やっぱりストレスだったのだろうか。
だとしたらストレスほど怖いものはないと思う。
一人暮らしが長かったから慣れない都会と仕事や孫の世話、ナツちゃんや息子とのこれも慣れない全て慣れないないづくしで体調不備がつづいていたのかもしれない。その慣れない事が慣れた時、体調が普通になってしまった。人間の身体も又、摩訶不思議だと思う。
息子が1時に車で出発してから、やれやれやっと自由な時間が訪れた、少し昼寝をしようと思いながら貧乏症で、ずっとキッチンに立ちっぱなし、息子は明日の夜まで帰ってこないしナツちゃんは仕事が終わってから池袋の病院だし孫は6時まで迎えに行かなくて良いからいくらでも寝れるのにやっぱり寝れない。
今夜はナツちゃんの大好きなトマト丸ごと1個乗せたハヤシライスを作るために鍋で弱火でコトコトトマトを煮る作業しながらちくわの穴にオクラを突っ込んでマヨネーズとお醤油で和えたタレをちくわに塗り小口の輪切りにしてオープントースターで粉チーズをまんべんなくふりかけ焼いたり、黄色の食用菊に柿を混ぜて三倍酢にしたり、孫にはシーフドカレーとそれぞれのリクエストに応えて作るのがいつの間にか私の役目になりぶつくさ心中で不平不満を燻らせていた私もみんなが楽しんで食卓で話し合いながら食べてくれる「食」に対しての意識が私の、生き甲斐になってしまった。
人生とはどこでどうこうなるのやら本当に摩訶不思議ですね。
息子は今日は午後からスタッフを連れて行って撮影を兼ねた小旅行に午後から出かける一泊だけの伊香保温泉に自腹を切ってスタッフ仲間を労うと言う大胆なサービス精神。
ケチなナツちゃんは普通なら怒るんだけどこの頃では「ケチはケチとはうまくやれないと40になってやっと分かった。」と変なことをいい始めて最近では「銀ちゃんがケチでなくて良かった。」と噛みしめて言うようになった。
銀次郎達が子供ができるまでどう言う生活をしてきたかは、おおよそ4年も一緒に暮らしていると、全ては嫁の親からなるものだと感じつつあったけど、ここ最近、銀次郎夫婦と話すきかいが沢山あり、ナツちゃんがポツンぽつんと打ち明けてくれた。その内容があまりにも壮絶すぎてよくもまぁ、この子は、親のためだけに働き生きて来たのだと鬼嫁だの、なんだのと悪く思っていた事、実に申し
訳なかったと思う。
うわべだけの言葉と行動で自分の基準だけで相手を判断していた事を今は申し訳なく思いました。
西田敏行さんの訃報もさることながらピーコさんの訃報に70代世代が相次いで逝かれる事に私も来年は70歳に突入する。体調不良さながら訃報を聞くたびに更に胃の具合がおかしくなる。
昨夜その話を嫁としながらフッと嫁の両親が頭に浮かび嫁にそれとなく聞いてみた。「ナツちゃん、確か今月はお父さんの誕生日だよね、来月はお母さんの誕生日、共に78歳と72歳だよね、変な意地を張らんと今年の年の瀬は帰ってあげなさいね」と言うと嫁は吐き捨てるように「あの人達は死にわしないから大丈夫」と言う。去年の11月は湯沢のホテルで一泊二日の両親の誕生㊗️をしたばかりなのに僅か1年でこんな冷めた関係になろうなんて、いつもの親子喧嘩だと私も銀次郎も気に留めていなかったけど5月には帰省しなかったし親のオの字も言わなくなった。銀次郎自身も「そう言えば、親父さんから全然、音沙汰ないなぁ」なんて呑気な事をいってるし、「まっ、そのうち異変があったら何かしら連絡来るだろう」と呑気に構え当の嫁は「あっちが謝るまで帰らない❗思い知らせてやるんだから」と物騒な事を言う。なんで今更になって馬鹿なことを言っているのだろう。本当に今更なんで今更と、こっちらは迷惑千万なんだけど。
ずっとお腹の調子が悪く、それを引きずりながら日常に追われ、ようやく月曜日が訪れてくれた。
今日は月曜日で銀次郎も出社、明日明後日はこれまた銀次郎出張で居ないから日中は水曜日まで私のマッタリデーが続く。そう思った途端に心なしか、お腹の調子も少しスッキリしたような気がする。
胃や腸は自信あったのになんで今更、こんなに胃や腸に違和感を長く感じて一向に良くならないのだろう。
来月18日に市の検診の予約を取り付けたのでいずれ悪いか良いかは分かるはずだから今、体重も減らないし食欲もあるし痛みはないから多分、薬服用のせいか、ビールのせいか、まさかと思うけどストレスが原因なのか、考えるだけで吐き気が催してくるから考えるのはやめにした。とにかく食欲あるのに食べた後、スッキリしないこの不快感これが邪魔になって仕方ない。しばらく先生に無断で薬は中断。ビールもウイスキーもやめました。
今日は銀次郎が車で出社して行った。
あ〜ぁ、誰もいない我が家、掃除そっちのけで自分部屋のベッドに大の字に寝ながらミクルに投稿。
開けている窓から覗くくもり空と我が家を見下ろす高層マンション、私の大の字姿、誰かに見下されているかも、そんな事、もうこんな年になれば屁の河童というか、田舎育ちの私は窓を閉め切っている家々が今だに不思議と言うか慣れないのだ。生まれ育った田舎がいつもオープン窓だったからその習性が中々、私の中から離れず都会に移住しても嫁に注意されても開けっぴろげ、この窓から訪れる風が何とも新鮮で元気を貰えるのだもの。だからイイんだもんね。
窓に目隠しの為に植えた木の木の葉の隙間から我が家を見下ろすマンションのどなたかが私の姿を見てきっと笑ってるだろうなそんな人の姿を想像して私も笑う。変な人間なんですね。私、でもこの年になってかっこつけてらんないんだもん、自然に遊びながら楽しんで行きたいと思う。だから好きなように生きるのだ。あ〜ぁ、この静寂、嬉しい🤗
今朝は朝焼けが綺麗。
今日、水曜日は「骨粗鬆症」の週1の薬を飲む日、コレステロールや、筋痛症の痛み止めは多々、飲み忘れしても骨粗鬆症の薬だけは忘れず飲めるからいい加減な私だといつも思う。できたら薬は飲みたくないと思うけど私達世代になると飲まずには老いと共存できないようなそんな弱気になってしまった。
だからなのかなぁ、胃の調子がずっと良くなく、鯖やさんま、刺身など胃が受け付けなくなった。
嫁が土曜から、おかゆを大量につくってくれそれを冷凍にして小分けにして食べている。やたらに酸っぱいものが食べたく梅干しや酢の物ばかり家族には申し訳ないけど食卓には必ず酢の物が多くなり、美味しいと喜んで食べてくれ、残り物は自分のお弁当に詰め込んで持っていってくれる鬼嫁が今は観音菩薩みたいに思えるようになった。人間身体が弱ると気も弱くなるようで調子の良い自分が情けないけど身体が弱ると反省する毎日になってしまう。
変転して止まない日常、やたら身体が頑丈だと人の悪いところばかり見ていた自分に気づかせてもらった。
文句を控え感謝を口にするようきをつけよう。
今朝は何も洗濯をする事もなくただ、ボォーっとベッドにあぐらをかいて窓の外を見ながら外の景色を見ている。
水色の空に涼しい秋風、時折聞こえてくる野鳥の声や電車の音、今度は犬の吠える声。
時たま、カラスの独特の声が静寂な空気をかき乱しなんとなく日常の日々を思い知らされて笑ってしまった。
昨日は1日、寝させてもらった。
夜は宇都宮の健太餃子パーティーを嫁が開いてくれて最高に美味しい夜を過ごさせて貰った。
嫁は料理は苦手なのに餃子に関しては焼き方に凄いこだわりを持っていて、嫁に焼かせたら右に出るものがないくらい、嫁自身も餃子焼き方大会があったら絶対、優勝する自信があるというくらい、餃子を食べながら昨夜は普段は避けていたらしい話を沢山してくれた。
楽しい夜だった。
嫁は昨夜の帰りが23時半。
独身の友人1人とデズニーに遊びに行きしこたま遊んできて帰宅して「ありがとう」も言わず「母さん、寝ていいよ」だもんね。、孫の世話はほとんど銀次郎がやってくれたから私は料理に専念していただけで大変だったのは銀次郎だっただろうに、仕事をしながら孫をみてくれ私には、煩い息子にせよ嫁には申し分のないパートナーだと思う。
なんの弱みがあるかは知らないけどこれほどまでに嫁の好きなようにさせてやる男など何処におろうかと思う。
銀次郎がそこまでさせてやりたいのには訳があるのだろうと思うから年寄りは黙って見ぬふりに徹している。
しかしこんなに嫁に尽くしたら多分、銀次郎も私もそのうち干からびて先に昇天するやもしれない。
先のことなんぞ分からないし、分かったらやってられないから、知らぬが仏自分のやれることをやるだけ、そして楽しむことを忘れずに後は天に任せ私は私流で、この三連休過ごすのだ。
貴重な月曜日、残念だけと。
先月といい、今月と言い、世の中、3連休がやたら多いのに家を預かる老婆は大事な月曜日を台無しにされ不平不満が爆発寸前。
これが四年前だったら、祝日は大歓迎でるんるん気分で新宿の職場にスキップしながら向かったものだったな。
土日祝日勤務はあの広大な高層ビルで働く人数は3人だけ、何をしようが自由だった。
あんな天国2度と巡っては来ないだろうと思う。
あの仲間は今、都会の何処かでどうしているだろうな。
みんな沢山の運命を背負って徘徊しているひとばかりだった。
でも楽しかった。
みんな元気でいてほしい。
孫を迎えに行く6時までもう何もすることないから少し仮眠とろうかな。
朝まで泥のように眠れたらどんなにいいだろうな。
少し横になろう、再放送「相棒」を観ながらそう言えば、誰だったけ疲れて名前が出てこない(汗)趣里ちゃんと蘭ちゃんのお父さんであり夫のメガネかけた人右京さん役の俳優さん、この人も70歳だったのだ1度は長いセリフに自信がなくなったとかで相棒を閉めようかなどと言われたような、でも今月から又、相棒が再開される右京さんが頑張ってるのだ私も見習って頑張らなくては。
銀次郎がようやく出て行ってくれた。
渋谷でお客さんと会うのだとかで今夜もおそくなるそうな。
今日はずっとリビングで仕事をしていてその間、ずっと夕食作り、合間にちょこちょこ用もないのにキッチンに入ってきては出来上がったものからつまみ食いをする。毎回この調子だから、全品出来上がった時は所々、お皿に持ったレシピにつまみ食いの穴が開いてる始末。
これは嫁の夕食でもあるけれど明日の嫁の、お弁当にも入れるので銀次郎のつまみ食いでいつも足りなくなる。
口には出さなかったけれど私の態度には不満がありあり出ていたらしく銀次郎のやつ「これからは案件が成立する度にナツちゃんとお袋に1万ずつ小遣いやるからさ」などと言われたらたちまち恵比寿顔になってしまう。
現金な婆さんです。我ながら、だって人間だもん。
雨の降りが激しくなってきた。
洗濯物を乾燥室に干し、リビングに戻る、何時に帰宅したのやらリビングのソファーにパンツとランニングの姿で大の字に寝ているし、昨夜は新宿西口で商談のあとお得意様との接待とかで、接待が終わった後に後輩らと歌舞伎町に繰り出してバカはしゃぎしたに違いない、今日は渋谷で接待とかで又遅くなると言っていたっけ、しかし自分の部屋で寝てくれ〜と叩き起こしたいとこだけど、男は外に出たら7人の敵がいると先人が言うように銀次郎も戦っているのだ、家だけが息つける場所であれば好きにさせてやらねば、嫁と孫が起きてくる時間だわ、朝食の準備は完了しているけれど銀次郎のイビキが聞こえてくるリビングに戻らねば、雨足ますます強くなる。
孫の運動会予行練習もこの雨じゃ中止だわ。雨の被害なければ良いけれど。
今朝はあまりの寒さに4時前に目が覚めてしまった。
ずっと毛布1枚で寝ていたので、急遽、この秋、初めてのエアコンを暖房に切り替えた。
長い事、冷房に慣れ親しんで来たので「暖房」をつけたことで「小さい秋みつけた」なんて感傷ぽくなってしまう。
外は秋雨が降っているし私らしくもない。秋のせいにしよう。
昨夜の銀次郎に頼まれた嫁へのサプライズ買い過ぎた感はあるけれど予想以上に嫁の場合「以上」でなく「異常」が合うのだけど、これは決して皮肉ではなく彼女は本当にささいな贈り物でも異常に狂喜する。それは育った環境から来るものだろうけど家事が一切出来ない嫁が料理やプレゼントは全部尽く飛び跳ねんばかりに喜ぶ様を見て銀次郎は、それが励みになり嫁を喜ばせる事が生き甲斐になったそうな、同居したばかりの頃は異様な振る舞いに「こんな人間と一緒には居られない、この嫁にしてこの銀次郎ありと」いっときも早く出ていく隙を狙っていたけれど4年過ぎた今では嫁も又、親の持ち物として家庭環境からこう言う性格になったのだと同情するようになった。人は育った環境で人格形成に大きな影響及ぼすと言われるけれど、それは嫁に関してだけでなく私自身も別れた元、夫も私の3人の息子にも言える事なのだから縁あって出会ったならそう言った互いの環境を考慮し、改善できるものは改善しあいそれで培われて行き本当の家族になっていくのではないかと思うようになった
銀次郎が副収入が入ったとかで、お小遣いを貰った。
一万円、やったぁ~
自分の年齢を考えて言葉に出さず表情もグッと抑えて「えー(・_・;)いいの❓
」とクールに、つかさず息子が財布から又、1万出して「これでナツちゃんの喜びそうなものを買ってやってくれ、俺とお袋からのサプライズとして」と1万渡され朝10時から大宮に来てプレゼント選びに歩き疲れてしまった。
思いっきり孫や嫁の喜びそうなもの、値段など気にすることなく、日頃のストレスを一気に発散させてもらった。
結局あれもこれもと買いすぎて1万で足りなく私が貰った1万を崩す羽目になり気がついたら2千円しか残っていないし、一気に疲れがドバっと吹き出して大宮駅内の喫茶店でアイスカフェを飲んでいる。
だから私はバカだっちゅうの。
いやいや元々、銀次郎のお金だからいいのだ、それで喜んで貰えるならそれはそれで私も嬉しいから。損、得関係なく考えればもう自分に使うものなど医療費だけ、医者に充分かかれればそれが今の私のしあわせ。動けることが最高の幸せだと思っているから。そろっと帰ろうかな。
やっとやっと完全1人になれた。
ありがた過ぎて涙が零れそう。
でも感涙にむせぶ暇なく、やっぱり寝てられない。昔、宇野千代さんが言ってられた「生きる事は行動すること」今その言葉が身体がどんどん老化の一途を邁進しているだけに痛切に感じる。
ある人が69歳まではなんとかなっていた身体も70歳に入ると病とのたたかいになると言っていた。80歳に入ったら病は当然の如く共存していかなければならないと、まるで私の事じゃない、そう思ったら来年70歳に突入したら今よりも更に老いが追い打ちをかけてくる、もしかしたら70代を生き抜けれるのか考えたら不安になってしまった。
要するに私は愚痴こぼしながらまだまだ生に執着しているのだと気づいた。
楽をして寝ていたいそれが定着したらおそらく私はどんどん動けなくなるに違いない。宇野千代さんは老いの身に「衣冠
束帯」と口ずさみながら背筋を伸ばし自分の足で自宅ビルの6階までエレベーターを使わず歩いて登ったと言う。
その時、宇野さん90歳、今それがいかに簡単なものではないということ先人達の偉大さを身につまされ私も「衣冠束帯
」を号令に重い足を休ませず動かしている。
洗濯、リビングだけだけど清掃終わり、朝食の用意終わり、後は皆が起きて来るのを待つだけ。
時間ができたので少し書こう。
昨日、早朝に昔の職場仲間から変なメールが来る。私が「光る君へ」を観る度に、艶ぽい和泉式部が登場する度に、昔の職場に骨抜きクラゲみたくイケメンと見ればクニャクニャする女性がいた。
今回変なメールをくれたのはその和泉式部似と言っても和泉式部と似ているのは姿形でなく「男好き」というところ。
社内でも有名だった。そのエロ式部からのいきなりの早朝メールいきなり「明日は卓也の誕生コンサートがあるから当日券を買って観に行こうと思うんだけどさ前情報で前売り券は完売らしいんだよね、でさ、時間あるからお昼一緒にたべない❓」だって、ハァ❓あのバカ、エロさが頭に昇降してますますバカになったのだろうか、それとも誰かと間違ってメールしたのだろうとこちらは思い、「誰かとまちがってるんじゃない。❓
」と送信したら間を置いて、エロ式部から返信が来た。あっ、皆が起きてきた続きは後で書こう。
今朝は暗くて風が冷たい。
気がついたら10月に入っていて、もう3日になるのね。銀次郎のライフスタイルが突然家型思考になってから私の役目が増えて前のように日記が書けなくなってしまった。
以前は御前様型の猛烈会社員だったのに今では完全なリモートワークに切り替え自宅から部下に指示を送り何か支障があれば車で出社し終われば直ぐに自宅に帰宅するようになった。
夜の付き合いも全くしなくなり毎晩、家で晩酌をし今では帰宅が一番遅いのは嫁になってしまった。
毎日毎晩、銀次郎が家で仕事をするため1日じゅう食事を作らねばならなくなり、私の1日は銀次郎、嫁、孫のそれぞれのメニューを作るのが日課になってしまった。それが以外と苦にならず自分でも不思議なくらいこの頃では生き甲斐の範囲になり昨夜は、孫の好きな赤飯に茶碗蒸し、嫁の好きな柿と食用菊の酢の物に煮魚、銀次郎の好きな中華炒めとメニューはバラエティー、半分は失敗作になったけどそれでも食卓を囲んで賑やかに食べてくれるそれが私の喜びに変わった。今日は今日のメニューを頭に浮かばせながら何となく心が弾む、こういうスタイルが定着できたら良いのにと思う反面人生って常に変転してやまないから何が起きるか分からない。今は今の状況を楽しみたいと思う。
一応、嘔吐が治まってから、すっかり気分が凹んでテレビ東京の「あなたの家について行っていいですか」をゲッソリしながら元気なく観ていたら、元歯科医師だったと言う肝硬変からガンになり余命1年ないし3年と告知されながら5年生きていると言う男性の人生が放映されていた。
離婚し3人のお子さんを引き取り育て今は一人で、廃業した病院も買い手が無いまま、最期は沖縄の蒼い海を見ながら終焉の地にと2ヶ月後、その男性は本当に沖縄に移住された。
沖縄に着いたと同時に倒れ緊急搬送されながら一命を取り留め一週間の入院で又、元気に取材を受けてテレビに出ておられた、そして言われた言葉にハンマーで頭を砕かれたくらいの衝撃を受けた。
「どうあれ俺の人生は俺のものだから」
なんか、なんかね涙が溢れた。
そうですよね。自分の人生は自分のものだ本当にそうですね。
だから私自身も踏まえて嫁の事、嫁の親の生き方云々、ネチネチ、粘着テープがまいの陰湿なグチはもうやめよう。
みんなその人の生き方があるのだ、そしてみんな一生懸命生きているんだ。
お互い様なのだ。
この、元男性医師の言葉に「魔人間」から「真人間」に目覚めさせてもらいました。ありがとうございます。
ヤッパ、良いババァになろう。
幸いにも嫁は「光る君へ」に夢中で何度もトイレに駆け込んでも全く無関心でテレビの平安の世界に惹き込まれて悦に入っているので気づかれずホッとしながら番組が終わり早くリビングに戻っていってくれと思いきや、紫式部と清少納言の二人だけの場面で来週の続きになった事に不平不満のありったけをグチグチこぼすその長ったらしさ、こっちは嫁が焼いてくれた鯖が原因で又、吐きそうな気配だって言うのに、本当にこの子は変人のくせにドラマにハマるタイプで特に「光る君へ」は孫を銀次郎にさっさと放り投げて姑の部屋に、お菓子持参で図々しく入ってくる厚かましさ、しかし考えて見たら私だって嫁や銀次郎の愚痴を毎日ミクルにタラタラ呟いているではないの、お互い様だよね~
で、やっと9時ちょっと前に退出してく
れて先程、またトイレに「オエッー
」と吐く始末、一体、私の身体どうなっ
ちゃったんだろう。😢
バチが当たってしまったのかもしれない。
不貞腐れて今日は部屋に引きこもっていたけれど夕飯は嫁が作って、お盆に載せて持って来てくれた。
スーパーで買ってきたのか鯖の蒲焼と、アサリの味噌汁、白ご飯の真ん中にほんの少しイクラがのっかっていたものと、アボカドとゆで卵のマヨネーズ和え
仮病を使ったわけでもなんでもないのだけどこうして、お盆にのっけて持ってき
てもらうと凄い罪悪感を感じてしまった。アサリは買ってきてそのまま味噌汁に入れたらしく、ジャリジャリしてやばいと思いながらせっかく作ってくれたのだからと無理をして食べてしまった。
後で便とともに出るだろうと安易に考えていたけれど、食べ終えた所で嫁が8時になったからと「光る君へ」を見せてくれと部屋に入ってきた。孫がユーチューブで「サンサンキッズ」を観てテレビを独占しているため私の部屋に駆け込んで来たのだ、いつもの事だけど、しかし一緒に「光る君へ」を観ている途中に急に気持ち悪くなり慌ててトイレに駆け込むと土石流のように激しい嘔吐が、食べた鯖がをほとんど吐いてしまった。
今でもまだ嘔吐は続きよほど体調がまだ不完全だったのか鯖が合わなかったのかそれともバチかな😔
腹痛と下痢が無いだけ有り難いと思わなければ、吐くなんて6年前にノロウイルスにかかって以来だったことを思い出した。これは絶対、バチだと思う。
宝くじには当たらないのに。
まぁ、いつもなら嫁の下手な魂胆は分かってはいても私も身体が調子が良いし孫が可愛いいから1日孫の世話をしていたけれど、ちょっと虫の居所が悪くてモヤモヤしていた所に今朝も孫を使って下手な演技をしてくるから等々、ブチギレては腹の中の私の感情だけどそこはぐっと抑えてにこやかに言ってやった。
「分かった❗って事は明日は保育園を休ませて小児科に連れて行けばいいんだね、でもナツちゃん、もうずっとナツちゃんの為にここ1週間、ほぼ暇なしに家事、育児、銀次郎の世話を掛け持ちでやり抜いてきたから流石の私もかなり身体も精神もやばいよ、明日👶を病院に連れて行き1日見るとなると私の方が倒れてしまいそうだから明日の為に今日は1日、休ませて貰うね、それに断捨離したばっかりで、もうギブアップだからさ」と言って2人に退出してもらった。😜
所が所がである追い出して、ザマァ見ろとばかり悦に入ってた私をよそにドアの外で孫と嫁がキャーキャーはしゃいでいるのだから、何事かとドアを開けて覗くと断舎離した4袋のゴミ袋を無断で広げて「これ、もったいない、私が貰うね」
何ぞとゴミ漁りを孫も一緒になって楽しんでいるではない。何でも捨てる私に対し嫁は捨てられない人間だから本当に根本から違うので結局は捨てても嫁と孫が持ち帰ってしまう。困ったものだと思う。
今日は、普通にやろうと思ったけれど、洗濯をし、ベランダに干し、掃除を済ませ味噌汁を作り、エノキとほうれん草の塩昆布和えを作り終えた所で銀次郎が起きてきていつものようにパソコンを操作する。時間を見ると9時半、確か今日は孫のトランポリン教室が11時にあるはずだけど、いつも遅刻スレスレにともすれば遅刻など気にしない子だから嫁が起き次第、銀次郎が車を出すのだろうと、銀次郎に朝食を出しそのまま私は思う事あって自分部屋の断捨離を始めると宣言して掃除機、ダスキン、45のゴミ袋5枚持って、ずっと部屋から出ないで今も
自室のベッドで寛いでいる。
掃除なんぞとっくに終わったし、嫁は11時過ぎに起きてきて元気な孫を連れてきて「お母さん👶が、お熱があるから今日はトランポリンに行かないと言うので熱を計ったら37度あったから休ませる」と言う、37度くらい寝起きの幼児には当たり前の平熱、要は自分が行きたくないだけなのだ、それで孫を私の部屋に連れて来たって事は、私に孫の世話をして欲しいと言う意思表示なのだ、もう4年も一緒に住むと嫁の気持ちなんぞ手に取るように分かるようになった。
この頃では私も図太くなって嫁の先を訓むようになった。
目覚めるとすっかり秋の空気
ベランダでの洗濯干しが汗ばむことが無く秋風が気持ちいい。
毎日色々あり過ぎて最後の投稿から4日過ぎている。
4日前の投稿を見ると、いつもの事だけど恥ずかしい。
何とも感情的になって悍ましい、乱文乱筆、珍文、奇文、誤字脱字暇なし、見直さない、そんな余裕なく、されとて改めようとせずくり返す、汚い言葉や感情はそれが本当の私なのだと思う。そして私の人生そのもの、いくらリアルで本音と建前を使い分けようと一人で書く日記には相手を拒んで遠慮なく書くのだから、だから本音だけがでる。
誰にも煩わせられる事無く本心が吐き出せてもらえる、有り難いと思う。私が死んだら、いずれ銀次郎夫婦に遺すつもりだから正直に遺して置こうと思う。
縁とは不思議だね。息子が3人もいるのに、何で一番私を憎んで殺したいとまで言った銀次郎に捕まりこうして家族しているのか、人生とは本当に小説よりも奇成りだとしみじみ思う。
さてさて掃除始めよう。
疲れた〜
なんでこんなに自分の息子に気を使わなきゃならんのだろう。
とにかく3時に銀次郎は今夜は泊まりで出て行ってくれた。
明日の夜の8時過ぎまで帰ってこないから明日はなんとか私の天下。
銀次郎を送り出すまで朝昼の食事の他にコーヒーだのお茶だのと出て行くまでリビングでパソコン相手に仕事をしているから台所仕事をする私には邪魔で邪魔で仕方なくもう本当に疲れてしまった。
夕食の準備は終わったけれど後20分したら孫を迎えに行かなければならない。
あ〜ぁ、面倒くさい。
嫁の親に来てもらえばいいじゃないかと、汚い言葉で言えば超!嫁の親がムカつく、私だって人間なんだから綺麗事ばっかり言ってられないわ。
銀次郎の本心は嫁の世話に手がかかるから私を呼んだのだ孫が産まれると理由をつけてまんまと乗せられてしまった。
愚痴グチこぼしてたらもう迎えの時間だ。
クソ嫁、仕事するだけ寝る時に孫の世話をするだけの嫁なんてよそ様の嫁さんもみんなそうなんだろうか。
今日は芯から疲れた。
心が心底、汚くヘドロが渦巻いている。
人間だもん言いたいことくらい言わなきゃやってらんねぇわ。
長い長い、2週続いた3連休が終わり
ようやく普通の暦の日常に戻れた。
もしかして嫁が体調不完全なので今日はやすむかと思ったけれど流石に仕事人間と言うか休むと自分の居場所を取られる事を常に懸念しているから普通に出社して行った。
しかしこの3連休、朝から晩まで寝て通し一切何もせずただひたすら寝て過ごした嫁、今まで寝込むなんてただ一度も無かったのでよほど辛かったのだと思う。
されどとにかく銀次郎も1ヶ月続いた咳がどうやら峠を越えて今朝は週の始めなので出社して行った。
大人達が体調不良で苦しんだ役、1ヶ月、孫だけは不思議と元気にしていてくれたから助かったけど、所が今朝、リビングに起きて来てから咳をし始めたから、もしかすると今度は孫かなぁ。
看病に食事の世話に孫のお守りに流石に疲れてもうだめ。
しかし嫁いわく「茄子とピーマンの味噌甘酢炒めが食べたい」とリクエスト、
そう言えば、銀次郎も嫁も孫もあれが食いたいこれが食いたいと休みの間、冷蔵庫と格闘していたのだった。冷蔵庫の野菜室は空っぽ、牛乳も味噌も魚も肉もな〜んにもない。
チッ❗寝てらんない❗
早めにスーパーに行かなきゃ。
でも寝たいなぁ。
遅刻は私だけかと思ったら、まだ遅い親子がいた。孫と同じクラスで一番の仲良しのユウ君、孫を教室に届けて園を出る時にドア越しに、ユウ君母子が入ってきて、ユウ君ママに「遅刻されたんですか❓珍しい」と言われたから正直に「出かけ際にウンチなんて言うもんだから、おまけにウンチが硬くてでなくて」と言ったらユウ君ママ「あります。あります。うちなんて家から園が遠いから自転車で向かう途中でウンチなんて言うから、なりふり構わず野グソさせてます。」ど豪快に笑うのに私もつられて合笑したけど、ユウ君ママ実はすごい美人でやりてママと評判ママで役員は率先してやっている人、最近、園からかなり離れた所に新築の家を買いそこから自転車で40分かけてユウ君を乗せて通園してくるのだ。だからなのか遅刻が毎日の美人ママ、役員を常に引き受けているから先生方に一目置かれ遅刻も家が遠く自転車なので先生方も容認されてるらしい。その美しいお顔から「野グソ」と言葉がでたもんだからびっくりしてしまったと同時にこのママさんが大好きになりました。
二人して笑いながら思った事、ユウ君ママは故山本陽子に顔も性格も似てると思った事。顔はすごい美人なのに性格は
、まるで男(笑)大好きだなぁこういう人。爽やかな朝のはじまりでした。
今日は超!嬉しい!
息子が1日会社に出かけて夜は遅いとか。
あ〜ぁ、嬉しい。これで6時まで私の天国だ😄
ワッハッハ笑いが止まらんわい。
孫のやつドア開けていざ「出発」って時に「ウンチ出る」などいいおって慌てて抱きかかえトイレに、なかなか難産みたいで「ウンチでないでない」と騒いで腰や背中を擦ってやりそして考えた、ウンチが硬いって事は野菜が足りてないって事だとあらためて自分の料理のやり方を反省、野菜が高いからと青物を減らしたり緑黄色野菜が食卓にあまり添えなかった、きのこばっかりに集中してたっけ、わりいわりい、孫の便秘は私に責任がありました。クソババ反省して今朝は嫁に連絡し嫁の方から保育園に10分遅刻の連絡をしてもらいました。
ベランダ越しのレースのカーテンの外が急に暗くなったような気がして外を見ると今にも降り出しそうな雨雲。
急いで干してある洗濯物を中にいれる。
朝からずっと料理で午前中、会社に出勤した銀次郎は「昼には帰ってくる」と言うからお昼の用意をしていたのに12時過ぎに帰宅した銀次郎は「車の中で食ってきた」と、なんと腹の立つ事。
だったら食べて来たと連絡の一つくらい入れたってバチがあたらないだろうに。
まぁ、夕食のおかずに回せば良いことだからその分、楽ができるじゃないと思いながら、嫁は出勤する前に「タラのムニエルが食べたい」と注文つけて行ったし、相撲が始まる3時までに終わらせちゃおう。
銀次郎が自分の部屋に引き上げてくれたから少し一息。
後、1時間パバッパと済ませちゃおうっと。
長い3連休だった。
来週も3連休あるかと思うとため息が出るけど暦の理には逆らえない、これは自分の勝ってというもの、みんな色んな人がそれぞれの環境で家庭で連休や祝日を喜ぶ人がいれば、早く連休が終わればと願う人も又、多忙で連休を取れないでため息ついている人もいるだろうな。
そう自分に言い聞かせて考えると私は無職だし居候の身だし、私には暦など今は関係なく毎日が定休日みたいなものだから、暦通りに働いている我が銀次郎夫婦、祝日、連日は彼らの好き放題にしてあげなくてはと思っている。
1回目の3連休が終わり、ようやく普段通りの日常が、しかし我が家は、三人が三様に身体の不調が長引き、なんとか私は元に戻りつつあるけれど、嫁の胃カメラの結果がこの土曜待ちで銀次郎と言えば長引く咳がどんどん酷くなり、会社でも我が家でも迷惑この上なく、今日は無理矢理有休を取らせ南浦和の内科に強引に行かせた。
今夜は全員が夕食に揃うので嫁の好きな、貝蘚類の浜焼きを楽しもうと、これから買いに行く所、さて出かけるかな。
今日も外は暑そう。
洗濯物を乾燥室に干したけど、高層マンションのベランダには数軒、既に洗濯物が並んでいるのを見ると、ちょっと悩んでスマホを覗く。こんな時、嫁に聞けば即、YESかNOとお天気博士の嫁ドンが決断してくれるんだけどまだ寝ているしね、起こすのもなんだから自分でお天気アプリ検索してみた。降水確率40%だって、40なら大丈夫と嫁が言ってたから、乾燥室からベランダまで持ち運び今なら、2Fのベランダに干し終えて一端、自分部屋でミクルに小休止。
たとえ雨が降っても、お留守番婆さんな私がいるのだから、いい運動になるわ。
そう言えば5月からの身体の不調が嫁に勧められて渋々行った耳鼻科にかかって、薬と「鼻うがい」を続けていたら、あれよあれよと身体が軽くなって今はすこぶる快調。
専属にしている内科では風邪と言われ風邪薬と咳止めを処方されながら常に身体がだるく重く特に左側に不調が現れていた。左肩が上がらないし左目からやたら涙が垂れて左目だけがゴロゴロする。
左手の手指までが湿疹ができたりかぶれたりその都度、皮膚科に行き眼科に行き
特に異常なく薬を処方されても今日まで改善されなかったのに、嫁に言われ渋々、耳鼻科に行ったら「副鼻腔炎」で結構重症だと言われそれから「鼻うがいい」を1日6回を決行して今日で6日目、咳は止まり左目左肩ゴロゴロ感、痛みは消え左目から涙がモタレなくなった。
目覚めると外は雨が降っている。
息子家族はまだ起きてこない。
今年は三連休が2つもあるのに我が家に
いつもなら嫁が孫を連れて、いつ死ぬか分からないと題目のように唱えている母親の心の重荷を救うために自分の楽しみを抑え帰省していたのに今年の5月のGWに2週間実家に帰省してから嫁は豹変してそれ以来一切帰らなくなった。
銀次郎は「本人が一番、心を病んでるから自分から実家の事を言い出すまで、お袋からは絶対、聞かない事」と言い渡されているので私の方からは一度として聞いたことはない。聞かなくとも、銀次郎が家で仕事をする事が多いため銀次郎の食事の世話をしているうちに、銀次郎の方から嫁の親の事をポツリポツリと話してくれるようになった。
嫁の行動や、一切、世間と交わらない嫁の兄などを見ると普通じゃない家庭だと思っていたけれど何故か憎いながら嫁とは波長が合うので4年も暮らしてきたけど、銀次郎や時々、話してくれるのを繋ぎ合わせると、奇異だと思っていた嫁が可哀想に思われてならなくなった。
今朝もゆっくり寝させて上げよう。
私の1日のスタート。
洗濯をバスルームの乾燥室に干したから朝食の準備にとりかからなくては。
「腹が減っては戦ができない」でなくて
「腹が減ったら笑顔が減る」そう、我が家はたらふく食べて常に笑う事にしているのだ。
それぞれの育った環境がそのまま身につき週間になって成長して行く、やがて結婚して全く違った環境と親子関係で育った者同士が縁して夫婦になる、最初のうちはお互いに熱く燃えてるから気にならなくともやがて熱も覚めてマンネリ化してくると違いの差で色々、摩擦が生じてくる。
私も元、夫とそうだった。
今ならお互いを思うなら我慢する所は我慢し合いながら容認し尊重しながら2人のライフスタイルが確立して善い家庭が築けるのかもしれない。
銀次郎夫婦をみると銀次郎は言いたいことはいっぱいあるだろうが100%嫁の実家を尊重しお金儲け以外興味のない嫁を好きな様に盛り立ててきた。
私は要するに、そんな嫁のためだけに定年退職後、家政婦として無理矢理、強引にここに連れて来られた訳だけど4年も一緒に暮らすと、同一化してしまう。
要するに大変な息子夫婦の家庭なんだけどなんでだろう、文句を心中で言いながら、今朝もベランダに洗濯物を干しながら回りの高層マンションを見上げながら、心地よい風を受けながら、すっかりこの生活に定着してしまった。
そして思う私は家政婦でもいいや「家政婦は見た!」「家政婦ミタゾノ」だったかな現実版として私自身が楽しんでいる。それもこれも体調が回復しでやっと本調子になれたのも嫁の病院、薬狂信に救ってもらったのだから。薬も大切なんだと言うことを教えてくれた、
ありがとう嫁ちゃん。
今朝はオレンジ色の朝明けが綺麗だった。
三連休2日目、嫁が少しづつ変わってきた。休みになると遊びに出ない日は夕食を作ってくれるようになった。
昨夜は高菜チャーハンに、サーモンの刺し身、鮭のムニエルそして前日、私が作った味噌汁の残り。孫にはピザと氷牛乳
銀次郎には、ピザとサーモンの刺し身と高菜チャーハン、嫁はと言うと作りながら食べるクセがあり私達に夕食を配膳する時には嫁は既に完食している。
そしてそれぞれが一皿食べ終えてお皿がからになると即、洗い場に持っていく。
最初の頃は、このアンバンラスな献立と、食べる後から食器を持っていく気忙しさに食べてても食べている気がせず、良く銀次郎が怒らないなぁと思ったけど後で銀次郎の話によると嫁の母親が潔癖症で、何でもかんでも作ってはテーブルに並べるのに食べる後から片付けて行く人なんだそうな。銀次郎も結婚したての頃はゆっくり食べれないと心の中で嫌だなとおもったらしいが孫が生まれず15年の嫁との二人だけの生活の時、盆正月暮れ、毎月の祝日には必ず嫁の実家に泊まりに行くのが定例で15年もそんな生活をしてきたのですっかり慣れたそうだ。
そうだったのか、嫁の所作は全ては母親の行動そのものなんだとそれからは気にならなくなった。
今日は銀次郎も嫁も会社にいかない日なのだった。
自分のことばかりぶつくさ言ってすっかり忘れていた。
どんな事があっても会社は休まず数々の病院に行く時だって仕事の終わり時間に通院している嫁が実は1週間前、婦人科で検査を受けている時に甲状腺機能が低下していると言われ内科で検査を受けたら甲状腺は心配はないが胃にポリープがある事が発見されて急遽、都内の大学病院で胃カメラ検査を今日は受ける日だった。
今回は仕事終了時だとはゆかないそで有休を使い今日は朝の8時40分に東京に行く日だった。
何でも今は胃カメラをするのに全身麻酔をかけるそうで嫁は昨夜は9時以降水以外は食事してはいけないといい昨夜は残業して7時半に帰宅して8時半までたらふく夕食と私が昨日、病院の帰りに赤羽の理容店に行きその帰り道、嫁の大好きな口福堂の五穀米お萩を買ってやったものを3個食べきり満足して「9時以降明日も水だけだから」と大満足の顔で2時間もお風呂に浸かっていた。一緒に入っていた孫はあまりの長風呂に耐えられなくなったのか茹でダコみたく真っ赤になってリビングに上がって来て大笑いしたものだけど、胃カメラは初めてだそうだから初めての経験楽しみだと言いながらやはり不安なんだろうなと思う。良性のポリープでありますように。
今月の定期検診、異常なく血圧も上が121で下が56、脈拍数79だった。
コレステロール値も正常範囲で目標の1万歩も身体が不調でない限りは続けているのと毎日のストレッチも成果に繋がっていると言われた。
ただ一つ気になったのは先生の「薬さえ忘れず飲んで入れば大丈夫」とさり気なく言われた言葉。と言う事は薬を止めたら元に戻ると云うことなのだろうか。
私は結構、薬の飲み忘れしているのだけど、結果は良好だとお墨付きをもらったけれど何となく体力、気力確実に落ちているんだけれど、このまま死ぬまで今の薬を飲み続けろって言うのだろうか。
考えると不安になるので薬に関してはもう頭から切り離そう。
後、血圧に関してはこれも至って正常だと言われたけれど先生が「高齢で血圧が正常値なのは血管年齢が若いから」と言ってもらったけれど、それに対して又、「はて…」と疑問が、血管年齢は若いのに骨は「骨粗鬆症」でボロボロと云う相反してるのが考えるほど頭がパニックになる。先生に質問するには面倒くさいし、項目が1つ2つと改善しているのだからそれを良しとして先生に聞くのは止めた。「薬を飲んでいれば大丈夫」の言葉がどうにも不安材料になって消えないのだもの。嫁が「薬があれば安心、病院があるから大丈夫」と常日頃言っているのが逆に私には病院に洗脳されてるように思えてならない。
あ〜ぁ、もう分からないから寝よう。
今日も1日が無事終了した。
息子夫婦に後を任せ私は退出、お風呂に入って今、自分部屋でミクルに投稿している。
薬って本当に効くもんなのね。なんて言うと変な人(実際、自分でも変人だと思っているんだけど)と思われるだろうと思う。だって離婚してから15年本当に病院など行かなかったから行かないのでなくて行けなかったのだもの。
それで大概、なんとか切り抜けて今があるけれど、昨日の耳鼻科の先生の話だと、私みたいに鈍感な高齢者は珍しいと笑われてしまった。
笑われるくらいだからまだしも私は大丈夫なのだろうけど明日は月1の内科の定期検診だった。
ただ血圧を測って聴診器をかけられ今月はどんな具合だったか聞かれるだけ、そしていつもの薬を貰い、それで4千円近くかかる。昨日の耳鼻科だけでも7千円近くかかった。そういえば半年ぶりに眼科の目薬が切れたから今月の初めに薬を貰いに言ったら半年の期間が過ぎているから再検査をさせられそれも五千円近くかかってしまった。今月だけでも医療費が有に1万円の支出。一人暮らしだったら当然、病院に行く余裕なくもしかしたら私は寿命が来ていたに違いない。
そう思うと良いように息子夫婦にこき使われても病院に行くよう勧めてくれるからありがたく思わなければいけないと思う。息子の扶養で医者に行けるのだから。
検査の結果なんと嫁と同じ「副鼻腔炎」
だった。それもかなりの重症で鼻の中は膿で溢れていたそうで担当医師に「良くまぁこんなになっても平気でいられましたね」とあきれられてしまった。
複数の薬の他に「鼻うがい」とか言うサンプルを渡され、これをずっと続け暫く通院するよう言い渡されてしまった。
しかし思うのだけれど嫁と同じ「副鼻腔炎」なのに嫁の薬とは違うし嫁は鼻うがいなど言われたかったそうだ。
って事はよっぽど私の鼻の中は汚かったんだと思う。薬辛抱者の嫁に鼻うがい一緒にする❓と聞くと「私ダメ❗片方の穴に液をいれてもう方っぽうから出すなんてそんな器用な事出来ないし怖い」だって。笑っちゃった。
でも私も自信なくてまだしてない状態でしなきゃなって思いながら面倒くさくてするのが嫌だなぁ。しなきゃ咳は止まらないし。やだなぁ。😔
でも人間の身体って不思議だと思ったのは、鼻水も鼻づまりも一切ないのに咳だけが烈しく出るのだから、私は嫁のように痰を吐き出すのが全くできない不器用な人間で全ては飲んでしまってたことが菌が繁殖してかなりやばかったみたい。
それでも気づかず毎日、あるき続けたのだからどうして私はバカがつくほど鈍感なんだろう。自分のバカさ加減に泣けて仕方なかった。
家についたら車庫に車が無かった。
と言うことは車で通勤したに違いない。
銀次郎は今、仕事で1つの難関を抱えていて無呼吸症の治療もさながら銀次郎も又、咳が続いていて一向に良くならず、医者に行く時間が勿体ないと一向に行かずマスクもせず、コンコン咳をする。嫁も7月から咳を時々していて、孫を除いて大人3人が家の中で咳き込む日がほぼ一ヶ月、何より病院が神様の嫁は耳鼻科に行き「副鼻腔炎」と診断され咳は副鼻腔炎から来ているものだと言われて処方された薬を飲み続けていて一度は治ったので残った薬を私と息子に分けてくれた。病院嫌いの私達親子は熱もなく食欲もあるのだから自然治癒で治すと言いながらさすがに一ヶ月つづくと私もどんどん衰弱していくのを感じこのまま自然に任せて死んだら死んだで、この家族から解き放たれるなどと薬を拒否していたけれど銀次郎までもが咳き込むのを見て責任を感じ仮に私が息子に感染させたとしたら親としてまずは私が病院に行かなきゃと昨日、嫁に話したら狂喜して病院に送り出されてしまった訳で、でも行って良かったと今は嫁に感謝している。
家まで後200Мくらいなのに、通り道の小さな公園で又、小休止。
ここの砂場の支柱の囲いは藤のツルで覆われてちょっとした自然の洋館その下に置かれたベンチにいつも買い物途中で初休止しながら来月には藤の花で又、楽しませて貰える。
今は公園のグルリをサルスベリの木
にピンクの花が満載で青空と白い雲とピンクの花が絶妙のコントラス、あ〜ぁ
風が汗ばんだ身体に心地よい。
今くしゃみが10連発出て心地よさを瞬間かきけされたけれと実は、この連続のくしゃみは50代からずっと続いていた。
埼玉に住むようになって、くしゃみと咳が、一度出ると一ヶ月続く私を嫁が普通じゃないと昨日、強制的に耳鼻科につれて行かれた。
そしてそれを放置し続けていたら肺炎になり危うく死ぬ運命だったそうだ。
あの体調の悪さの原因は「鼻」だと診断された。
昨日の今日の事だけど嫁に救われたのだろうか。
まだ生きててほしいんだなぁと思いつつ。まだ利用価値があるからなんて姑根性で考えてしまう嫌な自分。
これも感謝しなきゃいけないのだろうか。
くしゃみも止まったし家に今度こそ帰ろう。
体重2キロ減量しながら2キロ以上の野菜や食材をリュックに詰めトコトコ午前中かけて1万歩は良いことなのか悪い事なのか、それはともかく今週は駅前の商店街までの買い物は今週は始めて。
なんだかんだと買い占めてリュックパンパンに、エコバッグ方肩にぶら下げて、あっちで一休み、こっちで一休みして、今、家路に向かっている所。
ありがたいことに銀次郎は正午から会社に行くのでとにかく昼食を作らなければ、後は6時まで私の自由時間、頑張らなきゃ。
ようやく遠出の買い物ができるまでに少しは身体が回復した。
ありがたい。
健康ほどありがたいことはないとしみじみ思う。
早く帰らなきゃ。
茄子ピザが良い具合に焼けたので小休止してメイクをバッチシしてきた。
やっぱり塗ると元気が出る。
すっぴんだと、自分の顔を見ながらどんどん年齢が覆いかぶさってきて押し潰れてしまいそう。
化粧は身だしなみとしてやはり最低限、日常の一端としてやらなきゃいけないと、このごろ面倒くさいが定着している自分に喝を入れるためにしなきゃね。
あ〜ぁ、もう迎えに行かなくっちゃだわ。
もっと早く起きればよかったかな。
今日は掃除も何もせずリビングでずっと横になりながら午後からテレビ東京「ジョーズを」観ながら後半に寝てしまったようで目が覚めたらテレビ予約をしていた相撲中継が始まっていた。
炎鵬も頑張っている、大関から関脇に降格になった貴景勝も霧島も辛いだろうな。みんな頑張ってる砂掛け場の席に整形美容の高須院長とパートナーなにさんだったっけ去年、四国お遍路旅で高知に行った時に嫁から、高須院長の彼女さんが高知出身でその方が書かれたと言う大きなイラストを思い出した。
いつもペアロックで同じ砂掛けの前の席で仲良く鑑賞されてる。全身がんなのにね。
今茄子ピザを作りながら6時に迎えに行くまで何品作れるか、やっぱりね、料理は下手くそでも作るのが楽しい、料理一つ一つの素材に感謝しながら色んな感情は美味しいものを皆で囲む事でいつの間にかチャラになる。
はてはて料理の合間に久しぶりにメイクしてちゃんとしょう。なにせ病み上がりだから回りに暗い印象を与えちゃしつれいだもんね。
金・土・日と多忙を極め孫を送り届けてから普通ならリハビリ兼ねて2時間くらい駅前の商店街に出かけてスーパー回りをするのだけど今朝はそんな余力なく。孫と別れてから速攻に家に帰り忙しすぎて2日間入浴しそびれたので即、バスタブに湯を張り入浴シャンプーをしてベッドで横になっていた。
疲れすぎて逆に神経がビンビン冴えきって二度寝できず、それでも無防備に何も考えず天井見つめて横になるだけでも随分、身体も心も楽になった。
いくら嫁に協力しているとは言え、土日、暇なしに朝早く出て深夜帰宅はあまりの図々しさ。
息子いわく嫁は外を飛び歩くのが好きで家にじっとしていると鬱になるというタイプらしい。だからって目の手術から急に美意識にお金を使う様になり同時に休みになると一人で繰り出して行く。金曜は映画とショッピング、日曜はコンサートに昨夜など深夜の12時半に帰宅する有り様。朝は一番遅く起きてきて、息子の方が先に出社して行った。
さすがに腹がたち起きてきても口も利かず無視しようかと思ったが嫁から「お母さん、おはよう」と寝ている孫を抱いて挨拶されると不貞腐れるって訳には行かないし「おはよう」と無理してにこやかに交わしいつものように会話が弾み気がつくとお喋りに夢中になってしまう。
何なんだろう私と嫁。腹が立って腹わた煮えくり返ってたはずなのに今は普通になってる私。どこまで私は今生良しなんだろう。情けない。自分のバカ
すっかり夏の陽射しが弱くなったとは言え、まだまだ続くこの汗ばみ早朝の洗濯物を2Fのベランダに持って上がるだけで全身汗ビッショリ。
しかし文句言わない。担当医に、階段の上り下りそれも適当な洗濯物を、ダンベルと思い毎日良いリハビリをさせてもらっているのだと感謝できる事は実に人生息子さん夫婦に感謝できたら貴方、最高じゃないですかぁと私と同世代の女性院長はいつも言う。
この先生を終活の私の最期をおまかせすると決めてから良い婆さんになるよう全ては修行と捉えて抗うことなく実行に移している。
しかし堪えるほどに愚痴はうなぎのぼりにミクルにでっくしちゃうけど、それでさっぱり出来て毎日楽しく過ごせるのだからいいのだ。
今日も快晴だって。洗濯物が楽しげに揺れている。さてさて今日は銀次郎、静岡に行くのだ。皆の朝食つくらなくっちゃ。
それで医者に行け行けと言う嫁に芯から嫌気が指してついやり返してしまった。
「頼むから寝かせてゆっくり寝かせて寝たいだけ」そして孫の送迎も何もかも2人におまかせして自室に篭りひたすら寝て過ごしたけれど毎日毎日、百貨店の弁当とヤオコーの惣菜の出来合いばかり食べさせられて、私の方が音を上げてしまった。
これじゃ益々変になっちゃう。
それに寝ていられなくなってしまったのだ。銀次郎が金曜から静岡に出張になってしまったから銀次郎に頭を下げられて床上げをすることにした。
そんなバカな毎日過ごしてるから薬なんか忘れてしまう訳で、そんなもん大した問題じゃないのだわ、私が問題にしているのは嫁が早く実家の両親と和解して盆暮れ正月いつものように長期滞在してほしいだけ。嫁の親もうざいけどこうなってしまうと全部負担はこっちに来るから実家に帰ってもらったほうが私はのびのびできるのだけど嫁も嫁ならその親も親だと思う。どちらかが折れればそれでハッピーエンドなのに、業たれ親子目が、いい加減にせいってば。
「骨粗鬆症」の薬を昨日飲み忘れた事に気がつき今朝起きがけに飲もうと袋に手を入れたらなんと1週分、飲み忘れがあった。
どの週に飲むのを忘れたのだろう。
7、8月は嫁に振り回されてすっかり体調を崩してしまった。
ずっと微熱が続いて咳が止まらず、嫁が病院に行くよう勧めても行く気サラサラなく、自暴自棄になっていっそこのまま自然に任せて死んだら死んだでその方が楽かもと本気でそんな気持ちにかられたほど体調気力共に萎えてしまっていた。
そんな状態だったから薬なんか飲んだり飲まなかったり、しかし不思議と飲み忘れている割にコレステロールは下がっているのだからこれは一体どういう事だろう。銀次郎の家に同居してから、嫁のせいですっかり薬漬けにされてしまって、どんどん自分の身体がだめになっていくような気がしてならず、加えて毎年、暑くなるこの異常気象、自分から好きてこんな所に来た訳じゃないのに、薬なんざどうでもいい飲み忘れたからどうなるってもんじゃないし忘れたら思い出した日に飲めば良いのだ。今は銀次郎の扶養になっているから医療費がかかるほど税金対策で金ゴンの嫁が喜ぶだけだから。
いつの間にか薬漬けにされてしまった。
なんの因果でこういう風にならなきゃならんのだろう。
免疫力はやっぱり衰えている。
又、風邪がぶり返してきた。
史上最強の銀次郎が一昨日から咳き込み始め「寒い寒い」と言い出し長袖のカーディガンを着て背中を丸めてパソコンに向かっている姿を見て、これはヤバいなと心配しているうちに見る見る顔色が土色になり目の下にクマができ、パソコンに食い入る形相が狂気じみていて思わず「病院に行けって!」と叫ぶと「うるさい!病院に行く時間が勿体ない、今丁度最高のアイデアが降臨してきたんだ!病院なんか行ってられっか!」だって、咳も機関銃の如く口から噴射しマスクをしろと言っても全くする気無しリビングは銀次郎の菌の飛沫で汚染されている。せめて自分の部屋で仕事をすればよいものを体調が悪いときほどリビングで仕事をする、どうにもこうにもこの2日、狂った銀次郎と日中過ごし気がついてたら私も重症化してしまった。
今朝は銀次郎の世話をするのが嫌で銀次郎のいない所で散々、嫁にボヤき私は自分の身体がやばいから後は嫁に任せる宣言をして自分の部屋に籠もった。
本当に銀次郎は別れた亭主にクリソツになってきた。あの頑固さ強情さ、先程、本社から連絡があり出かけていったけどなんと車で出社して行った。よほど体調が悪いのだと思う、人混みの電車より1人で運転する方が気が楽なのだと思う。
木曜の夕方から39度の高熱が出てから、全て放棄した。
無理をすれば孫を迎えに行けるけど外は台風の影響で雨だったし、孫を濡らしてはいけないし雨の日は更にはしゃぐ孫だから付き合っていたら自分が肺炎になる事が怖かった。
いつ死んでもいい、こんなに銀次郎夫婦にこき使われるくらいならいっそ早く死んだ方が楽と思いながら、いざこうなると苦しんで死ぬ覚悟がない。
私はやっぱり口ほどにもない人間なんだと朦朧とする頭の中で思いながらナツちゃんと銀次郎に熱が急に上がったから孫を迎えに行けない事を告げると意外な反応が、ナツちゃんからは「それは大変!分かった👶は6時まで延長して貰うよう頼むから、私もこれから直ぐ帰る。お母さん、寝てて」と思いもよらない言葉、息子も飲み会を断って8時には帰るとこれも予想外の反応だった。
なにもしないでいいそれがわかったら全身の力が抜けて以来今日まで泥のように眠り続けた。今朝、体温を測ると36度4分、やっと平熱になってくれた。倦怠感、節々の痛み、目の中の熱さ諸々の苦しみから解放されて思ったこと、やっぱり疲労とストレスから自分が自ら招いた病なんだなぁと痛切に実感する。
いよいよ熱が40度に来たら病院に連れて行ってもらおうと思ったけどなにもしないで寝ているだけで治ってしまった。
まだ私の身体は免疫力は衰えていない、確信が出来てやっぱりこれ以上、薬を服用しないで良かったと思う。
魚をおろしていてフッと韓流王朝ドラマの「哲仁王妃」の王妃の身体に入った現代人の一流シェフが宮廷内厨房に入り色々、自分のやり方で王朝時代には考えられないような料理さばきをして回りを魅了する。そのシェフが魚をさばきながら言った言葉凄くショックとそして感動のため息がでてしまった。
彼が言うには中国の秦の始皇帝は出された魚を食べて骨があった事に激怒してそれを作った料理人の首をいきなり跳ねたそうだ。たまたまその日、新人として厨房に入ってきた見習いは「あ〜ぁ、いつか自分も殺される」と恐怖におののいて震える手で魚を包丁でトントン叩いてできたのが今でいう、練り物、つまりはさつま揚げや蒲鉾になったのだという。
つまりは調理人は命がかかっているから知恵が出るとか言う場面が強烈だった。
なるほどなぁと私も作るばかりで自分は気がついてたら残り物を食べている。
「残り物には福がある」っていうか、全てを良い方に変えて、つまりは余計な感情を全て取っ払い、バカになる事を心懸けている。さて今夜も昨日と同じ中華もの。ハッハッハ
韓国の宮廷料理に感化されている馬鹿者であります。なんか話がグチャグチャになっちゃいました。m(_ _)m
このまま寝ていたいと思ったけど楽をすればそれだけ老いた身体が重くなる。
適度に身体を動かさないと骨も弱くなる。素人判断でその言葉を今日は寝ていたいと思う日に呪文のように自分に喝をいれる。
昨日は1万歩を超えて5件のスーパーを見て歩きそれぞれのスーパーで、家族のそれぞれの好み品を買う。
いつも後悔するのは、リュック一つで間に合わなく予備に持ってきた袋に、これ又パンパンに詰める。
重たいリュックを背負い重たい予備袋を方肩にぶら下げて炎天下の道を歩きながら徳川家康の「人の世は重たき荷を背負って歩くが如し」本当にそうだなと思う。
徳川家康さんが背負う荷物は国を背負って尚且つ坂道を上がる過酷な道を歩いたに違いない、そんな立派な人と私のスーパーの荷物は比べるのは次元が違うけどでも私の背負ってるリュックの中は
家族の命を預かっている重さなのだ、「こんちくしょう、こんちくしょう」と思いながらキッチンに立つと俄然、元気になる。そして喜んで貰える笑顔が、毎日の買い物の愉しみとリハビリになっているのだ。
しかし体重2キロ減らしたのに2キロ以上の荷を担いでたら、減らした意味ないわよね。これって余計、膝に負担かかるんじゃない。でも、まっ!いいや
私も密かに食べたいの買ってきたから。
嵐の前の静けさなのかしら。
なんとなく静かすぎる。
11時前に銀次郎が出て行ってくれたのでそれで静かに感じるのかも。
体調ますます悪くなる一方で平熱なのに咳が止まらず、咳き込む事で体力が消耗しているような感じ。
昨夜、夕食を囲みながら銀次郎が自分のプロジェクトチームは部下に任せて俺は自宅を拠点にし会社の仕事以外に本来自分のやりたかった分野に更に力をいれて
いずれそれを本業にして独立したい旨を宣言して、喜ぶ嫁を尻目に私自身はがっくり、それまでなんとか気力で支えていた力がガクーンと失せてしまった。
ヤバい、銀次郎が家に居座るとなるともう僅かな空間も余暇も自由に出来なくなる。自由な時間は夜、寝るときだけ。
そんなの嫌だわ。私は息子に殺される。
私のこの重たい身体は、体重のせいじゃなく、1日中、銀次郎の世話をする事で疲労しているのだと思う。
孫の面倒を見ている方がどんなに楽だろう、孫の世話はそれはそれで大変だけど、いやみんな大変で嫌になる。
もし10歳若かったらなんの苦にならなかったかも知れない。
もう来年70歳に私はなるのに、老人に労りどころか更に自分の欲を私に課してくる。
嫁は嫁で2人目妊活に奔走してるし、
私の年齢を考えろやと叫びたくなってしまった。
どうにもおかしな気候で体調がすぐれない。
夕食を作りながらキッチンで立ちっぱなしがシンドくて一品作る事にソファーに横になる。こう言う日は料理が面倒くさく何も作りたくない。
一休みするたびに冷蔵庫から、ナツちゃん用のイチジクのヨーグルトを先ほど食べそして今は孫のヤクルトを一本頂戴した。
食欲なくて今朝は朝昼兼用の、にわかそうめんだけしか食べてなくほぼ空っぽの胃袋にヨーグルトやヤクルトなんか飲むから腸活著しく、そんなに食べてないのに💩が出るってこれから良いのか悪いのか。人のせいにはしたくはないけど、どうも息子が1日在宅勤務だと3度3度の食事の世話でついつい作る方に神経が集中して自分の食事を疎かにしてしまう。だから食後に飲む薬を飲んだり飲まなかったりこれじゃ病院に行っている意味ないよね。ハァ~
しかし体が重い。もう一踏ん張りして作り上げたら孫のお迎えだし、今日は早く寝よう。いつも早く自室に入るんだけど韓流ドラマを知ったがために体調のリズムがおかしくなってしまったのだと思う。今夜は観ないぞ。絶対観ない❗
日差しが幾分、和らいだように思ったのは錯覚だったみたい。
9時半に買い物に行き11時半に帰って来たけれど残暑どころか、もう酷暑としか言いようがないほどもうヘロヘロ😩
歩き疲れた、毎日毎日、歩いているのに今日の暑さ芯から疲れた。
歩く事は苦にならない私が、シンドくて弱音を吐いたのは実は1週間寝不足😢
夏ちゃんがスマホに入れてくれた
「NETFLIX」寝る前にたまたま開いて何気に見た韓国の宮廷ドラマ「哲仁王后」
これが最高に面白くて以来、宮廷ドラマにぞっこんハマって毎日寝不足。
もうほぼ中毒にかかってしまった。
しかも私は頭が悪いから、同じものを面白いものほど3回は見ないとその宮廷内の複雑な人間模様が飲み込めなくて3回目くらいで納得しては改めて感動すると言う自分でも訳わからない鈍くささ、そんな感じでハマってるものだから、寝不足で体力の消耗がひどいのだと思う。
そう言いながら帰宅して買ったものを冷蔵庫に入れ終えてからソファーで横になり、今度は韓国の「キングダム」を観ている。日本の「キングダム」と同じ系列だと思ったら、ヤダ全くっ違う宮廷内にゾンビと言うなんともまぁおぞましいドラマ、しかししかし主役の世宗が2枚目で格好良くて魅いいってしまい、これも2回目の鑑賞。男嫌いだけど韓流の男優さん、素敵、皆がハマるのが分かるようになった。こんな事してたら私、倒れてしまうかも。😩
もう毎日が物忘れと早とちりで愚痴を綴る暇もなく8月はもう後半に来てしまってる。なんか8月目まぐるしく早く時計が回ってる感じついでに私の目も回りっぱなし回らないのは私の頭だけ。
今朝は6時半と寝坊して慌てて洗濯機を回しリビングを清掃。
そう言えば今日は銀次郎が大阪に出張だったのだ。
2番目に起きてきたナツちゃんが、寝グセの髪に寝起きの一番ブサイクな顔して、まぁ出るわ出るわ銀次郎の愚痴。
昨夜12時半にしたたかに酔っ払って
寝ているナツちゃんと孫の部屋に入りいきなり寝てる孫に絡み始め「おーい、パパ帰ったぞ〜、明日はパパ大阪に行くんだ〜👶や〜い、起きろ〜」と言って抱き上げリビングに連れて2時まで孫をそばに置いて迎え酒をしていたそうな。
私は銀次郎が帰宅したのはタクシーの音で目が覚めて分かったけど、わざとイビキをかいて狸寝入りを演じてその場をまんまと逃げたけどナツちゃんと👶はそりゃあ大変だったに違いない。嫁の愚痴を聞きながら一緒に銀次郎をこき下ろし嫁が8時に出社してから、起きてきた銀次郎の朝食の卵焼きに輪ゴムを入れてやった。🤭
本当は面と向かって怒りたかったが、10時には大阪に向かう銀次郎には怒れなかった。だから卵焼きに輪ゴムを入れて成敗したつもりが逆ギレされて「俺を殺す気かぁ」と怒鳴られたが、まぁ怒らせてやったのは私の銀次郎への労いでもあ
るのだ。頑張ってな。銀。
で、今朝は生ゴミ出して来てからお天気アプリを見た。降水確率。40、湿度96、曇マークが並んでて雲から雨降ってる絵は無いから今朝はベランダに出せるな。しかし早とちりは私の生まれながらの性格だけど70才目前にして早とちりと物忘れ日増しに度数が増える。
昨日は、孫のプールの道具を忘れるし
孫を送り届けたその足で病院に行き帰宅してからも全く気づかず孫を保育園に迎えに行ってから先生に言われ忘れた事にようやく気づくありさま。プールの道具がない場合は園ではプールに入らせないという暗黙の了解があるので先生からは連絡が無かった訳でプール大好き孫にはプリプリ怒られまくって、バツとして、コンビにで千円のトミカのオモチャ買わされてしまった。
あっ!洗濯が終わった。
干してくるかな。ベランダに。
今朝は寝坊しちゃつた。
銀次郎が何時に帰宅したのかも全くわからず先ほど生ごみを出しに外に出ようと玄関に行ったら銀次郎の革靴が無造作に脱いであったから深夜に帰宅したに違いない、玄関開けたらすぐ目の前が私の部屋でいくら寝ていても帰宅するドアの開ける音で目が覚める私なのだけど全く分からなかった。
それより何より昨日はナツちゃんには爆笑された。
昨日は降水確率98%ってお天気アプリに掲示してあったからバスルームに干したのに起きて来たナツちゃんがスマホで調べると「やだなぁ、お母さん、今日は曇りだけど降らないよ。降水確率98って湿度だよ。雨は40だから、逆に見間違えたんだね」って大笑いされた。
98%だったらとっくに朝から雨が降っているとゲラゲラ涙うかべて笑うしさ、そんなに笑わなくたっていいじゃんねぇ。で、せっかく干した洗濯物を2人で2階のベランダまで持っていき干し直し、階段上り下りしただけで全身汗ビッショリになってしまった。しかしナツちゃんは夏が大好き人間だから汗かかないでスッキリした顔してるから若いなぁと嫁の若さが眩しく羨ましかった。
洗濯機を回してきた。
まだリビングに上がるには早いから6時までミクルで呟こう。
ちなみにナツちゃんの影響で「光る君へ」を毎週一緒に見始めてから私の方が大河ドラマにのめりこんでしまって図書館から「源氏物語」を始め「蜻蛉日記」
「枕草子」「和泉式部日記」など何かが憑依し始めたのではないかと自覚しつつ片っ端から読み漁り、それまでの私の69年の人生で、これらの物語や作者など目にして知っていながらも、こんなにも奥が深いものだったのかと生きている間に深く知る事が出来て千年の昔に想いを馳せながら、憎き嫁されど縁深き嫁と、成さぬ仲とはいえ、偶然に出会ったのではないと確信みたいな気持ちみたいになっている。「腐れ縁」などと悪態ついていた私だけれど、それなりにこうして一緒に心の中の燻りを隠しながらも趣味がほぼ似ている事、なによりも男嫌いの人間嫌い、だけど全く嫌いではなく合う人間、いい男性がいなかっただけの事、
なんか訳の分からぬ事を呟いたけど、もう面倒くさく無理に回りに合わせるのがアホくさくなっただけ私やナツちゃん、銀次郎はそう言う価値観が全く同一化しているから波動が合うのだと思う。
平安時代に遡り当時の人は「〇〇日記」などとそれらを読むにつけ私もミクルで日記を綴って良かったと思う。
もう400を超えたからここらで卒業しようかと思ったけど藤原実資の「小右記」等に感化され私も日記続けよう。
今朝はいつもより早く目が覚めた。
4時前から目が覚めて一度、横になりながら「光る君へ」からなるユーチューブの「歴史に学ぶ」をずっと見ていた。
気が付くと雨粒の音、遠くでゴロゴロ雷の音がしている。
今日は降水確率95とか言っているから雨の1日になるのだろうなぁ。
ようやく長い長いお盆休みが終わる。
今日から通常の1日がスタートする。
いやぁ長かった。うちは今でもずっと我が家は嫁のナツちゃんに合わせて全てが動いている家だからこれからもナツちゃん次第でこの家は栄えて行くのではないかと考えさせられた2週間近いお盆休みだった。
盆正月、GW全てナツちゃんは孫とともに実家に帰り全てはその流れで私もちょっとした骨休みならね夏休みになり息抜き出来ていたけれどこの夏のお盆からは180度変わってしまった。
皆が皆んな同じ家にいてそれぞれが好きな事をして過した2週間、最初はやだなぁとマユをしかめた前半だったけど途中で台風で家族全員がリビングで昼夜過した折に色々語り合うタイミングになり初めて色んな事を知る事になった。
これは転機なのだろうか。
あ〜ぁ、とうとう本降りして来たわ。
今日は月1回の定期検診の日だったのだ。雨の通院もたまにはいいかな。
さて洗濯から始めよう。外はすっかり明るくなった。
洗濯物を干し終えて生ゴミがいっぱいになって蓋が閉まらずにいたので入れ替え明日が生ゴミの出す日なので一旦、車庫の奥に置いてきて少し自分部屋で休息。
やけに今朝は野鳥の声が賑やか気がする。蝉の声も賑やかだし埼玉は東京に劣らぬ都会だと思っていたのに、こんなにも高層マンションの混み合う隙間から蝉や野鳥の声が賑やかに聞こえるなんて、田舎とは違う新鮮な感動を感じでなんかホットな気持ち、それにしても今朝は混合大合唱だわ。
3階で寝ているナツちゃんと孫部屋は、高層マンションの隙間にある神社側に直接面した部屋で寝ているからもろに響くだろうにと思うけど今だに起きてこないのを見ると全然聞こえてないのだろうか、アッ!そっかぁ二重サッシで防音装置してあるから聞こえないのだ。
昨日もリビングに干してある洗濯物を雨が降っているのも全く気づかず夫婦で談笑してたっけ。
私だけだよね昔人間で少しでも穏やかだと窓開け放って外の景色をたのしんでいるのは。外の景色たって高層マンションばっかしだけど。
今朝は鈍よりしている。
天気予報は降水確率10%とあるから
徐々に晴れるのかな。
昨日は体調不良と称し1日、自分部屋でベッドの上で高校野球を観ながらダラダラ過ごさせてもらった。
私のこの頃の口癖は、70歳になったらいつ死ぬか分からないから、見たいものを見て行きたい所に行きたいを銀次郎とナツちゃんに言うのが口癖になった。
やっぱり「嫁」と呼び捨てにするのはやめよう。
私が仮に死んでこのスマホをナツちゃんが見たら、やっぱり良い気はしないだろうから。止めたわ。
なんだかんだ言っても、ナツちゃんとは成さぬ仲でも銀次郎とナツちゃんが結婚する前からの仲だもの実の息子より居心地いいし、何より昨日も嘘ついて仮病装って「いつ死ぬかわからないから」を言っては部屋に籠もるものだから案外これがナツちゃんには効くらしく昼、夜とご飯やおやつを部屋に運んでくれた。そして思う。人から作ってもらうご飯のなんと美味しいことか、それってナツちゃんの料理が上手くなったんだなぁとしみじみ思う。
あんなに二言目には実家が実家の母がと言っていた嫁がなぜ急にこんなにもバッサリと「実家」を口に出さなかくなったのか、銀次郎も知っている風なのに、あえて面倒くさがり触れようとしない。
時たま嫁がポツリポツリと話してくれるのを繋ぐと、親は自分を親の私物化とし、やることなすこと否定し続け孫に対しても、あ〜ァだこうだと自分達の昔の
育児のやり方を押し付けて強制してくるのだという。初めは親の教えと思って聞いていたけれど行く度に説教され他人と比較し頭ごなしに否定論を浴びせるので嫁は帰るたびに疲労感が増すのだと言っていた。今まで帰ったのは口うるさい父親の世話をしている母親が心配で孫を連れて行けば涙をこぼし迎えてくれるからそれだけが張り合えで母のためだけに帰っていたのだという。
その母親から「近所のなになにちゃんは、あんたとは大違い、あちらはいい娘だよ、うらやましいよ」と言われてから、キレたのだと言う。そして嫁は初めて親に口ごたえしたそうだ。
「私達はずっとお金を出し続けてきた。なのに、父さんも母さんも何一つ親として何もくれない。何処にそんな両親がいる」とどなったらしい。生まれて始めての親への反論だと聞いて私はびっくりしてしまった。
試合は負けたけど良い試合だった。
銀次郎は観戦の途中に新宿に仕事の打ち合わせが入り出ていった。
マッサージに出かけた嫁は未だに帰って来ない。
ショッピングを楽しんでいるのだろう。
この時間に帰ってこないって事は孫の保育園が5時に終わるのでその時間に合わせショピング散策を楽しんでいるに違いない。お盆中は保育園は休みでないのでその間は嫁も仕事が休みなので自分が孫の送迎をすると言ってくれたけどよくよく考えたら大人は皆んなで家にいるのに何も孫を保育園に行かせる必要にないのにと思うけど嫁も銀次郎も好きな事がしたいのだと思う。
これって今風の親のライフスタイルなのだろうか、私は今日は寒気がしてそれを理由に自室にこもらせてもらっている。
いつの間にか雷も雨も止んで蝉の声が鳴りだしている。
長い盆休み、早く終わらないかしら。
テレビでは今、甲子園で我が故郷、新潟産業大学付属高の野球部が京都国際と熱い熱闘を交わしている。
偶然なのか、はたまた奇遇なのか初戦の対戦相手は埼玉の花咲徳栄だった。
「花咲徳栄」と文字が目に入っただけで、こりゃあダメだ!と初っ端から銀次郎とため息をついたが、どちらが勝とうが負けようが私達家族は全員、新潟出身で現在、住んでいるのが埼玉なのだ、此れも何かの「縁」だよなぁ。
「両方、応援しようや」と実に敵味方無しでホットな気持ちで観戦したものだった。もっぱら銀次郎は仕事でパソコンに食いついていて試合など見ていなかったけど、産付が勝った時はまさに落雷ものだった。産付の地元は柏崎だし私の結婚生活はこの柏崎から始まってて27年も暮らしていたのだった。
銀次郎は自分の母校ではないけれど、
ナツちゃんと寄付を送ったらしい。
試合が始まるなり雨に雷なんてね。
京都国際強い!頑張って欲しい。
雨が降ってきた。
朝ベランダに並べた洗濯物に嫁は気づいてないに違いないと、リビングに上がると案の定、リビングでは外の雨に気づかず銀次郎と愉しげに話をしていた。
私が「ナツちゃん外は雨が降ってるよ」と教えると夫婦でびっくりしてベランダ側のカーテンを開ける、びっくりして銀次郎が慌てて洗濯物を取り込む。
間一髪だったため洗濯物は濡れずに済み、洗濯物は既に乾いていた。
嫁は2時からかかりつけのマッサージに予約を入れたから出かけるのだという。
先ほど出かけていったけど外は土砂降り雷が鳴り始めたし、明日に延ばせばいいのにと思うけど嫁は面白い子で雷や雨が好きときているから逆に雷と雨のシンフォニーを楽しみながらマッサージに向かっていると思う。
嫁が昨夜は何時には帰ってきたのから分からなかった。
寒さで目が覚めたら時刻は6時、玄関見たら、嫁の靴があるから夜遅く帰ってきたに違いない。
洗濯機の中を見ると洗濯物がいっぱい、バスルームは昨夜の湯が張ったままだし、最後に入ったのは嫁だと思う。
我が家は最後にバスタブを使ったものが掃除をすると暗黙の了解になっているけれど、嫁は疲れて掃除どころじゃなかったにちがいない。
ディズニーに一人で予行演習に出かける神経も理解できないが、朝5時に出かけ深夜帰宅って今の都会の嫁さんは皆さんそれが当たり前なのだろうか。毎年毎年、ディズニーに行きながら今年も又、10月に二泊三日でディズニーに親子3人で泊まりに行く予約をしておきながら、何もその前に自分だけ予行演習なんて、やっぱり普段、ドケチに徹しながら遊ぶ事、食べることになると俄然、大枚を使い豪遊豪食する。
子供がいない身なら理解できるが一児の母なのだ、孫より母親がディズニー教でこれは年々、派手になって行く、やっぱり理解しようと努力はしたけど出来そうにないような気がする。
そう言えば、うちの嫁の実家も半農半漁の小さな町で嫁の実家は元農家だと嫁から聞いた事がある。嫁の実家も本家だそうでそう言えば元夫の実家も本家だった。本家だの分家だの、今の時代、昔ほど言わなくなったけど昔はそれが普通のようで本家は絶対的立場にあるのだから、なんか綴っているうちに横溝正史の世界に引き釣り込まれるようなドロドロ感で新鮮な朝が汚染されそうでもう止めた。
嫁の実家も今日が墓参りなのだ本家と言っても息子は全く無く実家に帰らずその分、うちの銀次郎と嫁が18年欠かさず盆正月GWは実家に行き行くと必ず旅行に行き帰るときは10万のお金を両親に渡すと言うルールがもう当たり前の風習みたいに行われていたのだそうだ。
実家に行くと必ず30万単位のお金は軽く出ていき、銀次郎も嫁もそれなりの収入があり子供が出来なかったからいつの間にか嫁の両親は娘にぞっこん依存して恩義を感じている銀次郎が一生自分たちを裏切らないと思っていたのだろう自分の息子に頼むより何かあると銀次郎を頼るようになった。その息子が孫が生まれてからは嫁と孫だけ実家に新幹線で帰らせ、迎えに行く時だけ車で迎えに行くと言う形に変わったのだった。
銀次郎自身も疲れたのだと思う。
子供ができてようやく自分の意思で嫁の実家に対して行動ができるようになったのだ。私には威張りん坊の鬼の銀次郎だけど。
今日は12日。
田舎では今日が墓参りなのに。
13日の地域もあるけれど。別れた元夫の所は同じ新潟でも東蒲原で福島寄りにある小さな集落だった。
あそこは山一帯が墓所で昔は土葬の地域だったと元夫は言っていた。
その昔、山一帯が動くような大地震があって殆どの墓が崩れ土葬されていた遺体が散乱してそれは大変だったみたい。
墓は古く天正時代からの墓はまであったそうで村を上げて大掛かりな山の修復作業の際には聞きつけた東京の学者さん達が見に来られたような事を話してくれた。あの人の村の、お盆は2回お墓参りが行われていた。13日と17日、ご先祖様を迎えに行くのが13日で、お送りするのが17日と教えてもらったものだったけど同じ新潟でも地域によって、お墓参りは千差万別なのだと初めて知ったものだったけど。結婚してからの、夫の実家の風習には耐え難い精神的苦痛で一時期、鬱になりかけた事があったものだった。なんたって、先祖を送る17日まで夫の実家にいなきゃならないのだから、たとえ夫陣が仕事で先に帰ったとしても嫁同士は残り義父母と共に山に赴き先祖送りの墓参りをしてそして嫁達はようやく帰路に着けるのだから、しかし哀れなのは長男の嫁さんで、他の兄弟の嫁さんが帰っても長男の嫁さんは20日過ぎまで義父母の面倒を見て家の清掃をしようやく帰るそれを聞いて長男の嫁なんかなるものじゃないとしみじみ思ったものだった。
短大仲間は亡くなった友をのぞいて二人だけだけと、嫁自身がゆう事にはこの短大の仲間だけは同じ郷土ではなく都内の短大で知り合った全員が地方出身、趣味が一致しているだけでずっと続いているのだそう。その趣味とやらは無学な私はさっぱりで、難しい事は尋ねない事にしているので省略するけれど一致する数ある趣味の中で無知な私でも名前だけは知っている作家の村上春樹さんの信望者らしい。うちの嫁なんか結婚して15年めにやっと恵まれた孫が男の子だったと云うことで狂喜して名前を字は違うけど「はるき」にしたぐらいだから。
同じ名前を名乗るにあたって嫁は丁重に村上さんに、お手紙を差し上げている。
返事は貰えなかったらしいけど、嫁のユイツの勝手自慢、勿体なくて呼び捨てに出来ないと我が子を呼ぶのに「ハル様」と呼んでる。🤭
流石に人前では呼び捨てにしているけれど。
銀次郎夫婦の長ーい盆休みは昨日から始まったばかりなのに初日から悲鳴を上げている。
嫁は私がこの家に来た時から8月の10日は必ず欠かさず12年間続けていることがある。それは短大時代の友達の1人が3月に電車に轢かれて亡くなった友の祥月命日の墓参りと8月10日のお盆参りに2人の友と欠かさず続けている事。子供が生まれた20年だけは産褥で行けなかったが翌年から孫を私に預け続いている。
嫁はあまり友人を持たないタイプでありながら高校時代の幼馴染4人と短大時代の友人、亡くなった人1人を含めその友人関係は、ずっと現在でも続いているから、一旦、友になったらその付き合いは絶対、大切にすると言うか、その友人関係が信じられないくらい深いのには何かよっぽど嫁は過去世からの交わりの縁を深く持って生まれた子何だと思う。
現に高校の友人は皆、同じ郷土出身で幼稚園から中学、高校と一緒
だったのだ。結婚後も結束は強く全員が関東に在住していて、毎回、連絡を取っては遊びに出かけている。
他には友とよべる仲間はいず郷土仲間だけが不思議な友人以上のまるで結社みたいにかたくなにまでその仲間意識には感心と言うか私にはあり得ない羨ましいところでもあるけれど。
今日から長ーい、お盆休みのスタート。
誰も起きて来ない。
当たり前よね、二人共、ずっと働いていたのだから、仕事明けの初日は心行くまで寝ていて欲しい。
洗濯物は昨夜、寝る前に嫁が洗濯をしてくれたらしく洗濯機の中は空っぽ、一つ仕事が無くなったので私もベッドの上でミクルにのびのび投稿させてもらっている。
昨夜は地震で南海トラフの恐怖に皆で顔を見合わせ、そして嫁が咄嗟に口にしたことが「帰らないで良かった。」だった。えっ、新潟に帰ったほうが逆に安心だったろうにと内心、嫁の予想外の言葉に地震よりも驚いてしまった。
普通ならTVで全国に地震の速報がはいって真っ先に嫁の母親がメールしてくるのに今回はメール音はしなかった。
銀次郎から嫁に実家の事は禁句事項とされてるので聞きはしなかったが、犬も喰わない親子見学なんか南海トラフのトラップが流れているのだ喧嘩中でも親だったら咄嗟に心配でメールくらいしてくるだろうに、普通ならね、娘はどうであれ孫を案じて連絡してくるそれが、ジジババの心情じゃないかと思うけどね。
とやかく詮索しちゃいけないんだけど。
私はとにかく少しでも一人になれる時間が欲しい。それは贅沢な事とは重々、心得てはいるのだけど。
寝坊してしまった。
と言っても私は無職の身だから寝坊も何も関係ないんだけど自分の長年の身体の習性が4時起きなので6時など寝坊になってしまう。
しかし最近、こんなにも暑いのに関わらず爆睡出来るほど快適なんだと思うようになった。
昨夜も嫁は仕事の帰りにレデースクリニックにより帰宅したのが8時過ぎだった。孫にだけ先に食べさせ後は嫁が帰るまで銀次郎には待たせ飲むことも嫁が帰ってから飲むよう施した。
もしかしたら嫁が疲れて迎えに来てくれと言うかもしれないし、そう言うと銀次郎は「タクシーで帰ればいいんだよ」とのたまう。会社の経費で落としてタクシー使う銀次郎とは違うのだ。
嫁は絶対タクシーは使わない、どんな事があろうと電車かバスはたまた歩くとなればどこまでも歩く子だからそう言う所は私は嫁の事を尊敬している。
前日の朝にたまたま見てしまったテーブルに嫁が忘れて出しっぱなしにしていたレデースクリニックの書面、そこには「生殖機能補助再生計画書」とかなんとか、難しい事柄が書かれていてその下に「委任状」とあった。要するに夫婦同伴なのに銀次郎は拒否したのだろうと思う。書面を読むと嫁の病名は「機能不全」とあった。昨日の朝、銀次郎にサインしてもらってたから昨夜はそれを持って嫁一人で又長い戦いが始まるのだ、女の私が嫁の肩を持たずして嫁は倒れてしまう。仕事も絶対休まず終わってから行くのだから、嫁も疲れていると思う。
いきなりのゲリラ豪雨、保育園のお迎えヤバいと空を見上げていたら有り難い事に銀次郎が雨の音に反応して自分が👶
を迎えに行くと言ってくれてたった今、激しい雨の中、銀次郎が迎えに行ってくれた。
ありがたや
ありがたや
悪口言って申し訳ない
でも人間だもん、又、ゆうかもだけど
とにかく銀次郎ありがとうね。
夕食の準備は完了。
この完了した後の達成感が好き。
準備に入る前のイライラ感は、どうしても否めない。
嫁の母親がキッチンは嫁に来たときから姑に任せられキッチンが唯一無二、自分の聖域だと母親は言っていたそうだ。キッチンだけは家族の誰も入ることを嫌い娘にさえ洗い物一つさせなかったそうだ。だからって何もさせずひたすら自分の息子娘には勉強を強いていたんだそうだ。
嫁を見ているとそう言う潔癖な人に育てられると嫁のようになるのだなぁと4年間同じ屋根の下で生活して最初はあまりの堅物変人さに驚愕し、何度もこの要塞を出なきゃと真剣に考えて行動もしたけれど何故か分からないが嫁にキレるたびに嫁が素直に「だから私は嫌われる」と項垂れるのをみるにつけ憎可愛いくなって今は嫁に同情して、腐れ縁も深いからこそ続いているのだと自分に娘がいたらと考えを切り替えるようにした。そしたらこの変人嫁とやたらウマが合うようになった。
我が息子より気を使わないのが何より居心地が良いから、人生って本当に不思議。ドラマより奇なりだと思う。
暑いじゃなくて熱い。
昨日は、午前中、駅前まで買い物に出かけたけれど私一人だったので2時間横になってそんなに暑いとは思わなかったけれど、今日から銀次郎は完全なるリモートワークに入り土曜からお盆休みとなる。
リビングで仕事される事のなんと迷惑なこと。
イライラしてストレスたまり銀次郎の朝食作りながら頭の中にまでガスの火が引火して爆発しそうになった。
嫁は今夜は仕事の帰りにお盆休休み前の女子会があるとの事で帰宅が遅くなるとの事。
孫のお風呂は息子が引き受けてくれたので頭の炎は鎮火した。
嫁はお盆の休暇中、14日だけ一人でディズニーに予行準備のため下見に行かせてくれと頼まれるし銀次郎は15〜16日は新潟で中学の同窓会に泊まりで行って来るとの事の、どいつもこいつも40男と女が幼子がいるというのに好き勝手ほざいているし、もう、暫くはミクルに鎮静剤代わりに吐かせてもらおう。
ミクルさん、宜しくお願い致します。
銀次郎のやつ1時から6時までオンライン会議でようやく部屋に出払ってくれた。少し休憩入れたら夕食の準備しなくちゃ。
今日は曇りだそうだけど、ベランダに一応洗濯物を干し終えた。
干しながら回りの高層マンションのベランダを何気に見ると何処のベランダも洗濯物干してないし、ご近所さんも、お隣さんも全く洗濯物かかってないからヤバいかと思ったけどうちは洗濯物多いから一応外に干す。
ってか、バスルームから2階のリビング、階段上がるときからニンニクの匂いで充満しているし。
銀次郎のやつ昨夜も午前様で飲み会でニンニク物たらふく食べて来たに違いない。こんな臭い部屋に、室内干しなんかできなないよ。バカタレ息子。
そのバカタレも誰も彼も降りて来ないし。腹立つし、朝からマイナーな愚痴こぼし、あっ嫁が降りてきた。
一旦愚痴休止。
夕食の準備完了。
孫の迎えまで1時間20分ある。仮眠したいと思ってたけど眠気消えた。
料理しながら、ビデオ「キングダム 運命の炎」を観ながら料理してたら興奮して料理のテンション上がりっぱなし、多分、辛味香辛料多過ぎたかそんな事構っちゃいられない。
何十回見ても、たかが創作物だと思っても元気貰える。
王騎将軍役の大沢たかおさんの8年だか7年だか忘れたけど王騎役のためだけに体作りをし王騎役になりきる努力をされた事になんか思い入れのレベルに感動してしまう。大沢さんだけでなく主役の山崎君他出演されてる皆さん全員の熱演に計り知れない元気貰える。
たかが映画されど映画、もう眠気吹き飛んでしまった。頑張ろう。
頑張れるからやれるんだ。
ナツちゃんは、今年は実家に帰らない宣言をした。長いお盆休み家族皆で屋根の下、やだなぁ。
12時半着。
玄関ドアを、ソォっと開けて靴を 見る。
銀次郎の通勤用の靴無し。
やったねー!
全部エアコン消して行ったから暑いの何のって急いでエアコンをかけソファーに横になりかけてリュックの中の野菜や肉、冷凍物など慌てて冷蔵庫に入れる。
ようやく上着を脱ぎソファーに大の字に、お腹すいた〜
銀次郎がいるかもと思いお昼食べないで帰ってきたのだった。
少し落ち着いたらシャワーを浴びて軽くお昼作ってたべよう。
このまま寝たいけどそうはいかないし、さて誰もいないからと気を抜かないでやることはやって時間が余ったらゆっくり仮眠すればいい。
此処2〜3日、歩いても股関節痛が全く消えてしまった。
それだけでも暑い中、毎日、歩いている成果に自然と笑が浮かぶ、リハビリとストレッチ継続してこそだと思う。
その代わり薬はすっかり忘れて飲んだり飲まなかったり、この天邪鬼な性格直さなきゃ。
もう12時だ、買い物終えて帰宅途中、小さな公園のベンチに小休止。
いつからか買い物兼散歩の帰りはこの公園に一休みしてから家路に着く事が定着してしまった。今、公園の回りはサルスベリのピンクの夏の花が満開で夏風にピンクの花が、そよいでいて童心に帰り夏風の音が耳元をよぎる時はるか昔の懐かしい幼い頃を思い出す。
秋になると私が座ってるベンチの真ん前は幼児向けの砂場でそれを優しく包み込むように4本の鉄柱が藤のツルを支え藤の屋根に覆われている。
そう、秋には薄紫の藤の花が美しく垂れ下がりそれはそれで心を和ませてもらっている。
おまけに小さなドングリの木があるので孫が幼い時は、乳母車で良く連れてきたものだった。
今は、孫も少しづつ手が離れ孫は塾に体操にと忙しい日を送っている。
私は変わらず、リハビリを兼ねた買い物と散策でこの公園に足が歩けるうちはお世話になるだろう。
自然に感謝して田舎より都会の方が小さな空間で自然を大切にしているとつくづく思う。何かにいつも助けられ私も1日1日を過ごさせて貰っている。
今日は銀次郎が午前中、家で仕事をすると言うので洗い物を食洗機にかけただけで掃除機もダスキンも何もせず、さっさと駅構内の行きつけのカフェに一服しに逃げてきた。
嫁に頼まれた図書館の返却もあったから、それを理由に堂々と威張って掃除そっちのけで今、図書館より先に朝カフェしてる。あ〜ぁ、なんて平和。
どうせ銀次郎は自分の部屋で仕事をせずリビングでやるだろうから、息子と2人なんて掃除やりにくいし辛気臭😩
カフェの方がよっぽど新鮮な空気を満喫できるもん。
ここのモーニングは580円と高いけど充分な満足度。これから我が家は長い地獄が待ってるから、お互いに自分流の英気を養っとかんとね。
私が掃除そっちのけで外出するのは、お前のためでもあるのだ。
文句言わず感謝しろ。
そしてひたすらパソコンに向かって荒稼ぎして頂戴ね。(笑)
先ほど嫁からメールが来て12時半に家に着くと連絡が来た。
同時に写メも4枚送られて来たけれど
孫も銀次郎も疲れているように見えた。
嫁だけが元気と言うか、来週の土日もキャンプに行くのだそうな。
私の夏の骨休みは嫁と両親が喧嘩したことでパーになってしまった。
困るのよね、そんな痴話喧嘩、なんの得にもなりゃしない。
頼むから実家に長期帰省してくれないかなぁ。
「負けて得する」ってことわざあるじゃない。
「負けるが勝ち」も生きていくうえで戦略の一つかもと私は一人で生きていく過程で自然と身についたけど。
そもそもが謝る事ができない人間は
不利だと思う。
ナツちゃんも、謝りベタの子だった。
でも今では子供が出来たお陰で、孫と喧嘩すると自分が悪いと判断したら素直に「ママが悪かった。ごめんね」と健気に変わってきている。頭を下げない親に育てられれば自然と子供もそうなるのだと思う。「子は鎹」とは昔から言われる言葉だけど本当にそう思う。
ナツちゃんよ、ここは親はもう先が短いんだからたとえ悪くなくとも形だけ頭を下げたほうが得策だと思う。
お願いだから実家にゆっくり泊まって来てほしあなぁ。
予定の9時より1時間かかってしまったが10時半に全部完了した。夕飯の、おかずから味噌汁、昨夜スーパーで買った半額の鯖ニ尾、生姜が残っていたから鯖の生姜味噌煮を、チンタラ作ったのが、これが今まで作った鯖味噌煮の中で最上の出来栄えになった。
この事が引き金になって元気印を貰い、
自分の部屋と銀次郎の部屋は後回しにして嫁と孫部屋を徹底して掃除をさせてもらった。いつだったかクーラーの洗浄で業者が来るという日、嫁は慌てて掃除をしたと言ったけど全然、片付いてるどころか尚更、乱雑放置になってるし、クローゼットが半開きになっていたから閉じようと取っ手を触ったら中から凄い崩れの山が床に崩れ落ちて来て益々散らかり収拾がつかなくなる有り様。
だから嫁に掃除を頼まれてもしたくないんだよね、尚更足の踏み場がなくなるんだもん、こういう時、いつも思う、完璧主義の、両親に育てられ嫁は勉強するのが仕事と教えられ育ったそうだが、だったら嫁になんか出すなよ。
うちの銀次郎だから続いてるようなものでこれが仮に普通の一般家庭の男性と結婚したら絶対相手の男性は別れてる。
そう、別れないのは銀次郎を育てた私や別れた夫も嫁の親と同様かなり変人の類いだから続いているのだと思う。しかし私も変わり者だけど嫁の親とは次元が違う。腹立つけど10人十色、顔が違うように育った環境も様々お互い様でやっていかなければと想うけど家の嫁、疲れる〜
いけない、もう朝だ!
銀次郎達が昨日、朝8時に出かけてから私は朝の涼しいうちに買い物を済ませ、1日何もせず、食べたいものを食べ飲みたいビールを飲み、食っちゃ寝を随行し、オリンピックやビデオを観まくり昨夜、寝たのが深夜の4時だった。
今、目が覚め、もう彼らが帰ってくる。
その前に酔っ払ってお風呂に入らなかったから朝バス朝シャンして湯を抜きバスタブを掃除をし、嫁と孫と銀次郎のシーツとベットカバーを洗濯機で回しながら、その間にドライヤーで髪を乾かし、朝食を摂ってから大掃除に入るぞ。
9時までになんとか完了したら、彼らが帰って来るまで仮眠しよう。
孫が帰ってきたら今度は私が孫の世話をしなければならないのだ、あ〜ぁ
しかし調子こいて缶ビール500を2本飲んでしまった。
一旦、止めたつもりのビールだけど、やっぱり完全にはやめられないんだわ。
しょうがない、なんかね起爆剤ないと気合入らんもん。
よシャー!!
散々、贅沢三昧させてもらったのだ
やるぞ~!2時間で終わらせるぞ。😤
たった今、銀次郎家族は一泊二日のキャンプに出かけていった。
銀次郎は昨夜は深夜ご帰宅で嫁は前々からキャンプに行くの分かってるのに飲み会はやめられないんだからと昨夜は孫を寝かしつけながら私に銀次郎の不平不満をのべつ幕なしに溢されたが、まぁ銀次郎の悪い癖だから嫁と一緒に実の息子の悪口を一緒になって吐き出して女2人盛り上がって気がついたら孫と嫁は仲良く寝てしまった。胸の内をぶちまけたら楽々したのか、なんといい寝顔。
眼鏡が必要に無くなった嫁は日増しに、顔がふっくらし目つきも、狐目から、オカメさんのタレ目に変わってきた。
眼鏡1つで人はこんなにも顔つきが変わるのだろうか、嫁の日々、穏やかになっていく様を見ると、ちょっとした今までの持っていたモノを取外したり捨て去る事でこんなにも変われるものなのかと考えさせられる。
まるで悪い憑き物が落ちていってるかのように嫁が良い方に変わってきているようなそんな錯覚、それとも一時的なのかは分からないが、今や女の味方は女
銀次郎を悪者にして昨夜は私もせいせいした。なんか嫁とは成さぬ仲なのに我々の腐れ縁は何なんだろうと思う。
多分、成さぬ仲なのだが互いに居心地良いから続いているのだろうと思う。
今日から8月、体調は相変わらず良くならず、夕食の準備できないまま、仕事の帰りに嫁に出来合いの惣菜を買ってきてもらいそれを夕食にして分け合って食べて今日で3日目。
今日も嫁の世話になりっぱなし、洗濯と孫の送り迎えだけはなんとか頑張ってしているものの細かい掃除などやる気力なく、とにかく横にならせてもらっている。もう3日もダラダラしているだけで持病の股関節が痛みだしてきた。
どんどん硬くなっているのが自分で分かるだけになんとかストレッチだけはと気力を振り絞り少しづつだけど初めている。嫁も今月は目の手術だの妊活の定期治療だのその他に、糖尿病の予備軍に入っているためというより嫁の両親もその亡くなった祖母も糖尿病の家族なのでもうほぼ糖尿病と断定されたようなもので次の妊娠に備え事前治療に通院しているありさま。その他には会社の健康診断で腎臓機能や甲状腺機能も悪い数値なのと今や嫁は薬づけ、病院づけで頑張っていると言うか、こちらの心配をよそに嫁は薬と病院に通っているだけで何にも心配してなさそう、むしろ薬と病院を嫁から切り離したら多分、嫁はとたんに元気をなくしてしまいそう。そんな嫁を見ると全部、親からの行き方そのまんまを受け継いでいるから何も言えないけれど、むしろ私は同居してからやたら私自身も薬の服用が多くなったように思う。
今朝、不思議な物を見た。
孫を送り届けてからの帰り道、目の前に白い物が横切って足元に落ちた。
その白い物体が地面を這うような熱風に浮遊しているような何とも気になるので目で追ってると綿毛のようなそうでないようなまるで白い長いクモにも似たとにかく奇妙なものだったけど写真に撮ろうと白い得体の知れない物にカメラを向けるんだけどこうこうと照りつける日差しが地面に反射して白い物体がアスファルトと同一化して、しかもこの物体、クネクネとちっともじっとしていないので、私も照りつける反射で視力がおかしくなりカンだけで2枚なんとかシャッターを押した。お陰で全身汗びっしょりになり動悸、息切れで命からがら(大げさでなく本当に)家に着くなり銀次郎に助けてもらい自室でずっと休んで今しがたようやく起きた所。
銀次郎は既に出社して、もう3時、2時間後には孫の迎え、もう外にでたくない夏だけは引き困らせてもらいたいとつくづく思う。
最後私の部屋の洗浄になった時、リビングに洗浄取り付けが終わるまでリビングに待機したけれどその間、リビングで仕事をしている息子と2人、久々にゆっくり話をする事ができた。
息子が業者から聞いた話だと今の所、1番エアコンが汚れていたのはリビングだそうでエアコンが取り付けてあるベランダ側の位置からキッチンは結構な距離なのに、キッチンで使う料理の油がエアコン内を結構、汚していたそうだ。後、嫁の部屋と息子の部屋のエアコンもそんな汚れはなかったとか、私の使用しているエアコンも綺麗だと言われた。
洗浄してもらっただけでなんなんだろう、部屋やリビングの目には見えないのに空気が凄く綺麗に新鮮に感じられる、ずっと咳き込んでコンコンやっていたからエアコン洗浄で殺菌してもらったような澄んだ感覚になれて急に元気が出てきた私って本当に単純、エアコンより私の心の方が垢にまみれていたのかも、素直に銀次郎夫婦に感謝して後1時間したら孫を迎えに行かなければ。
自分の体調不良ですっかり忘れていて今朝、嫁に言われて気がついたのだけど今日はエアコンを業者から洗浄して貰う日だった。
嫁が「母さんは寝てていいからね今日は銀ちゃんにリモートワークしてもらって業者に対応して貰うから大丈夫だよ」と言ってもらい、そうだった今日だだった
と気づく、珍しく出社ギリギリまで寝ている嫁がいつもより早く起きて掃除してくれたのはそのためだったのか。
孫だけ保育園に送り届けて家に帰ると銀次郎は起きていてもうパソコンに向かっていた。仕事をしながら「おふくろ今日は俺が対応するから寝てていいよ」と言ってもらったので言葉に甘えて自分部屋に戻る、ただ我が家はエアコン4台使用しているので上の階から順序やってもらうため1Fの私の部屋は最後に見てもらうので私の部屋の番が来るまでに業者がいつ入っていいように整頓してくれとの事、今日は有り難いなぁと2人に感謝。
そのエアコンの洗浄も9時から始まり正午には完了した。
完全な寝不足。
熱もなく食欲は普通に有るのに、咳の襲来にもうダウン寸前。
夜中の3時半から目覚めて咳は益々止まらず、もうこうなったら眠れないからテレビをつけオリンピックを観ながらコンコン咳と戦う。
銀次郎はいつ帰ってきたのか、トイレに行く時玄関を見ると、そのまんま脱いだ乱れた靴が、そしていつもの事だけど玄関クローゼット横のシューズボックスに銀次郎の財布が、何でいつもここに置いてリビングに上がるのか、意味分からん。これじゃまるで「お好きなようにお使いください」と財布が私を誘惑してるようなもんじゃない。な~ンて、そんなセコいことしないもんねぇ。
貰うんだとしたらケチらせずどーんと貰うもんね。
冗談はさて置いて眠い、なんか頭痛がしてきた頭の中にモヤがかかっているみたい。
洗濯機のスイッチを入れ部屋に一旦戻り、咳の苦しみで我慢していた市販薬の咳止めが少し飲んでしまった。
病院から出されてる定期薬の痛みどめと、コレステロールの薬を飲んでるから勝手に市販薬はどうかと躊躇して我慢したけどもうここまで来ると我慢もへったくれもなく飲んでしまった。
今気づく、いつの間にか咳が止んでる。
早く飲めば良かった。
もう私のような年齢になると頑固なこと言ってはいられないんだな。
薬も体を維持するためには飲まなきゃいけないのだと思うようになった。
しかし頭痛い。眠い。
2〜3日前から喉がヘン変と思っていたらとうとう風邪を引いてしまった。
嫁と孫から貰った風邪、当の嫁は0泊3日のコンサートに行き昨日の早朝に帰宅し、そのまま朝風呂に入り昼過ぎまで寝てしまった。
こっちは風邪を移されて孫の面倒をみさせられておまけに銀次郎に3度3度ご飯を食べさせもう限界。
キレそうになった瞬間にようやく嫁が爆発したような寝乱れの頭をして目をこすりながら起きてきて私の顔をみるなり「お母さん、ありがとう。あとは私がするから寝ていいよ」と言ってくれたので昨日の昼から部屋で寝て夜も嫁が作ってくれたご飯を食べ今朝は孫を園に送ってから掃除も何もせずひたすら寝させてもらった。夕方、お弁当を買ってくるから何も作らなくていいといいながらたった今メールが「5時に帰れなくなった、なんか作って👶のお願い」だって。
まったく、そんなことだろうと思っていたけど、どうしたらこんな嫁に育つのだろう。嫁よりそうした親に腹が立つ。
嫁は悪くない育てた親が悪いそう思うようにしている。
そうしないと私が爆発しそうになるから。
どうやら嫁と孫の風邪をもらってしまったみたい。
昨日から鼻水が出始め、やたらに冷房の風が冷たく感じられて昨日は、孫を迎えに行くまでエアコン無しで家事をしていた。
昨夜寝る時もエアコン無しで厚手の毛布をかけて寝たけれど、体調は昨日よりも悪い感じ、完全に喉がイガラっぽく、咳が出るようになった。それに伴いまた右肩から腕に関節痛が出始めたし、今日明日、嫁が新潟の湯沢で行われるフジロックに行くと言う朝に私の体調が最悪なんて情けないなぁ。
そもそも1週間前に嫁が持ち込んだ風邪、そして孫に移り2人で病院に行きようやく治り挙げ句の果てが最後にやはり私が貰ってしまった。
とんだ置き土産を嫁は置いて今日は普通に仕事をして一旦帰宅して夜の11時に送迎の深夜バスに乗りコンサート会場に向かうんだとか。
昨日まで竜巻の影響で突風や雨風だったのにうちの嫁はよっぽどめでたくできてるのか大事な日は必ず晴れにすると言う強運の持ち主、実に羨ましい限りである。
夕ご飯の準備は完了した。
相撲を観ながら保育園の迎えに行く時間までまったり、ゆったりヨーグルトを食べながら時間待ち、なんかカーテンの外が暗くなってきた。
もしかして昨日みたく突風の襲来が来るかも。
まぁ何が来ても、もう色んな事を経験したから別に慌てはしないけど出来たら孫を家に連れて来るまでは襲来しないで欲しいと思うけど、そんな手前勝手なこと天が聞いてくれるわけないわよね。
テレビの画面に今流れたテロップ
東京に竜巻だって、そろっとこちらも心の準備しとかなくちゃだわ。
昨夜の息子抜きの嫁と孫のではといつもの食卓で嫁が言ってきた。
「母さん、金曜日の深夜に出かけるから👶をお願いね。ほんとは今年はやめようかなと思ったけど目の手術で視力が物凄く回復したからよく見えるようになったこの目で感動を感じてきたいの」だってさ。子供が生まれる前から行き続けた、フジロック、孫が生まれてからもコロナでコンサートが中止になった以外、私と銀次郎に孫を預け二泊三日もフジロックに通ったじゃん。
今年は目の手術をするためコンサート行かないと言ってたくせに、チケットは私しゃ銀次郎に内緒でだいぶ前に勝手に予約していたらしい。
銀次郎は嫁を自由に泳がせているので私も内心はムッとしたけど嫁の自由奔放はこの4年間散々味わってきたから今更もう屁の河童でむしろ居ないほうが私も好きな事が出来て良いやと思うようになった。ただしうるさい孫がいるけどしかし孫はやっぱり憎可愛いいし、銀次郎は思い切り仕事に打ち込めるし、いつもの我が家の流れだもんね、しかし嫁が今回は「0泊3日」と言う意味が分からなくて0泊なのに何で3日なのかと訪ねたらフジロックが用意する送迎のバスの中で車中泊するから0泊3日なんだそうだ。
もう40歳で2人目妊活の身で良く行くわよねぇ。嫁がバースデーで放った言葉「私の人生は40から」と意気盛んに豪語していた。こっちは年を取るばかりなのに嫁どんよ、どこまでこの年寄りにムチを与えるのだよ。
今朝は涼しい朝だ。
昨日は珍しく嫁が早く帰宅して6時に私が孫を迎えに行き保育園を出た所に嫁が私達を迎えに来て孫も私もびっくり、いつもこんなに早く帰ってこれるなら毎日、嫁は一体何をしているのやら、毎日毎日、残業しているわけではないだろうに、でもそれはもう黙認している。
15年の銀次郎とふたりきりの生活が長く互いに好き勝手に生きてきた夫婦だからその習性は治らないと私は諦めている、まぁ、子供ができて少しづつ母親としての自覚が芽生えつつあるから、昨日のように突然早く帰ってきても、普通に笑顔で迎えた。嫁曰く昨夜は夕食の準備も手伝ってくれて夕食後の後片付けも、洗濯物も夜のうちに全部してくれたので、今朝は楽ちん、暇を持て余して、投稿をしています。
野鳥の声が時折聞こえて来て今朝は一段と幸せだなぁと思う。
思う自分になっている。
自宅に着いてつくづく思った。
玄関開けるなりなんと涼しい別世界。
銀次郎と嫁から外出してもエアコンは切らないで良いと言われた。それでは電気代が勿体ないのではと私が遠慮したら銀次郎曰く、エアコンのスイッチを切ったりつけたりする方が電気代が高くなるのだそうで切らないままその代わり外出時は温度を27か28にして出るように言われてたのでその通りにして出かけたけど今日は全身汗でビッショリ、玄関に倒れ込んだ瞬間、心地良い冷気に鬼夫婦と思っていた我が銀次郎夫婦、仏に思えちゃつた。
感謝しながらシャワーを浴びそのまま、ソファーで横になり目が覚めたのがもう4時、ありがたいことに月曜日は園で6時まで英語教室があるので、相撲を見終えて迎えに行くつもりです。
今日は命の危険を真から感じた日でした。
今日は月1の定期検診の日。
10時予約で孫を園に届けてからそのまま炎天下の中を歩いて行ったわけだけど朝からこの熱さ、普通なら20分で着くのに水を飲みながら休みながら40分かかってしまった。
検診の結果、異常なし血圧は、あんなに汗だくで歩いた割に最高血圧124、最低血圧49、脈拍数81だった。
これは院内に入ったら個人で測った数字だけれど、病室に呼ばれ先生から測ってもらったら116になって先生からお墨付きを頂いた。
1日7千歩の歩行と毎日のストレッチを休まず実行しているのでその成果もあるそうでお陰で股関節痛が今の所収まり、坐骨神経痛も、お尻の肉が柔らかくなったおかげで今のとこ克服、「継続は力なり」は身を持って感じ死ぬまで続けようて思う。しかし、しかし、有頂天になっ
て帰り道、ちょつと寄り道したら、迷路にはまって帰り道、更に炎天下の中をぐるぐる回って1時間、もうだめだ、倒れると思った瞬間、近くにローソンの看板、命からがらたどり着いてローソンの店員さんからタクシーを呼んで貰い無事自宅に。助かった〜
やっぱりまだ死にたくない。
全ては修行。調子にのるのをやめて謙虚に過ごさなきゃ。反省です。
魔の1週間が終った。
特に日曜日は嫁の誕生日だったので、忙しさは倍増。
私には大きな孫が1人増えたような目まいのした先週だった。
あ〜ぁ、ようやく平和な月曜日が来てくれた。
しかも月曜日は6時までお迎えに行かなくて良いので大好きな相撲を最後まで観る事ができる。幸せな月曜日、毎日が月曜日だったら良いのにな。
嫁曰く、昨夜のファミレスの誕生日の乾杯の後で放った言葉が忘れられない。
「きょうから40才、これからが私の本当の醍醐味の人生だ❗」だって~
良くゆうわ毎日醍醐味人生してるじゃん。
誕生プレゼントに千疋屋の果物、嫁の大好きな葡萄のピオネ一房1万1千円のプレゼントを贈ったのに一晩でペロッと食べやがるし、なんとまぁ、おそろしい人間だろうか。普通はドケチの鬼なのに人からただで貰う高級品は惜しげもなく食べるし使いまくるのだから。
まぁ、いいけどさ、お金は銀次郎に内緒で出させたから。ハッハッハッ😂
そう言う我が家の銀ちゃん家族、深夜帰宅したナツちゃん、前々から喉をやられていて、それが寝起きを共にしている孫に感染したみたいで起きて来るなり孫がコンコン咳き込んでいる。
明日から孫が待ち望んでいた保育園のプール開きのため早めの処置してもらおうと日曜日にもやっている最近、出来た新しい駅前の小児科に親子3人で出かけていった。元は母親のナツちゃんが持ってきた風邪、母親が先に健康管理に気を使ってたら感染することもなかったろうに、全く風邪きみで深夜まで遊んでくるんだかいくら頭脳明晰とは言えやってることは幼児そのまんまなんだよね。
それを今朝、銀次郎にキツく説教されてナツちゃんがうなだれながらこたえた言葉が「だって銀ちゃん、私はそういうとこ分かんないんだもん。怒らないでよ」などと素直に謝っていた。この嫁の破天荒な性格の割には銀次郎に叱られて素直に認める所が銀次郎には嫁を大事にしている由縁なのだと最近、このバカ夫婦の在り方が理解できるようになった。
その銀次郎親子、孫の診察が終わり今3人で軽い昼食を食べてると写メが送られてきたが、何がぁ、軽いちゅうしょくだわよー。
豪勢な昼食がテーブルいっぱいに並べられているじゃん。
まぁ今日はナツ殿のバースデーだから仕方ないとは言え朝の嫁に説教しておきながら、このご馳走の甘さ。
だめだぁ~銀次郎は、やっぱあさ、笑うしかないわ。(笑)
今朝は昨夜の破天荒な大荒れとは打って変わって眩しいくらいの夏の陽光と窓を開けたら今年初めて聞く蝉の声、埼玉に来てまさか蝉の声が聞けるなんてと思ったけど、新潟のアパートに住んでいたところよりここ埼玉の方が蝉の声が賑やかに鳴いている。
周りは高層マンションだけど我が家の直ぐ裏手には古い神社がありその神社はジブリにでてくるような小さいながら歴史を感じる小さな森になっていて、鬱蒼と巨大な樹木とドングリの木に囲まれていて数種類の狛犬、狛狐、狛兎などの石像が立っている何でもナツちゃんが聞いて来た話だと数種類の神様が祀られているんだそうな。良く神様同士が喧嘩しないものだなぁと私的には不思議の7不思議の1つである。そのジブリ神社の森に蝉が密集するからその賑やかなセミコーラスは立派なもの。夏が来たなぁとしみじみと言いたいけれど年がら年中こう暑いと今更、夏が来たなぁなんて感嘆でいられないわ。今年も熱さに生き残りたいと切に思う。
昨夜は梅雨明けの雷が烈しく驚く一夜だった。
ナツちゃんは朝8時に家を出たまま夜の23時まで帰宅しなかったので、銀次郎と丸一日、家の中で過ごし夜は、家の窓から稲妻の閃光と爆音に4歳になった孫は息子に抱かれながらその激しさに怯えながらもワクワク小さな胸をときめかせ「ママが帰るまで起きてる」と頑張っていたけれど息子の胸で寝てしまった。
時計を見たらもう22時半、孫が寝てしまったのを幸いにみんなでそれぞれの寝室に入った。
ナツちゃんは、目の手術をして昨日が丁度、1週間になったので術後の検診を兼ねて東京に行き午後からはナツちゃんのバースデーを祝ってくれるという友達1人とディナーを楽しみ、夕方には帰ると宣言したのに全く連絡なく、こんなことは日常茶飯事の我が家なので、孫に合わせて私も早々にあとは銀次郎に任せ自室に戻り止めたはずのビール500缶を1缶開けて飲み干してしまった。
おそらく都内も稲妻が轟き烈しく雨が降っているだろうに、息子の話だと友達と別れて映画でも観ているのだろうと笑っていたが確か今月に入ってナツちゃんは既に3回映画館に行っているではないか。何をそんなに観る映画があるのだろうか4歳児の幼児がいると言うのにナツちゃんの兄も映画好きらしく要するに嫁の親からして自分の好きな事をやり通すのがライフスタイルらしくこれは習性治らない血なのだからと銀次郎は笑ってる。
4日ぶりの投稿です。
今、さいたま新都心の映画館に来ています。
「キングダム 大将軍の帰還」の予約チケットをナツちゃんがスマホで予約購入してくれたので、早々や雨の中、電車に乗りチケットをゲット、時間までロビーの椅子に座って時間待ちしています。
この4日間、我が家は私が切れまくって、真剣に出ていく宣言をしたのが発端になって、とにかくいろいろありましたが結局、銀次郎夫婦とは縁が切れませんでした。
ナツちゃんは、一昨日、一泊二日で都内の日本橋にある眼科クリニックに眼球にコンタクトを植え付ける手術を受けて昨日、無事帰宅しましたが、別人のように目元優しい別顔になって戻ってまいりました。それで、孫の面倒等で世話になったからと私の大好きな「キングダム」の予約チケットを購入してくれたのですが、4年間一緒に暮らして「ありがとう」と頭を下げて礼を言われたのは初めて。
単純な私は人として当たり前の最低限の事をしてもらえばそれで良い訳で今までの事はもう水にながします。
今はこれから始まる映画の事だけ、上演間近なので一悶着あった修羅場を忘れて来ます。
調子に乗って次から次へと私の口からヘドロ言葉が出てきて書いてるうちに長文になる。
3つ投稿したはずなのに、そのうち2つが反映されていない。
つまりあまりのヤクザ文章にミクルでは却下されたのだろうと思う。
ならそれで良かった。
それほど酷いことを感情の抑制が効かなくなって勢いに任せた気持ちの鬱憤。
ミクル側もこれは酷すぎるとの判断に違いない。
あ~ぁ、でもおかげさまでスッキリした。
でも私はもう年からしてあとどのくらい生きられるやら。
我慢はこれまで、私は良くやったと自分で思う。
我慢してうまくやれてまわりが皆ハッピーになれるなら我慢のしがいはあるけれど、利用されての我慢は私の残りの人生、そんな諦め我慢はしたくない。
まわりに従って生きるためとは言え、自分までそいつ等と同じ色に染まって天寿を全うなんて私しゃ嫌だわさ。
私の人生は私だけのもの、最後は私の勝手にさせてもらうわ。
うちの嫁はもうだめだと私なりに判断した。所詮、カエルの子はカエルなのだ。
親があれだけ強欲だからと嫁に同情して嫁に尽くしたがもうそれもやめたわ。
好きなように、あんたら生きて行けばいいさ。あんたらの人生だもの。
私は親子であろうと一緒に染まるのはやだからね。
朝からストライキを決行しちゃつた。
決行は結構な事だ血行も良くなるかも知れない。
抑えてばかりでは血の巡りが悪くなる。
私だって人間だわ。
堪忍袋の尾が切れたら申し訳ないけど、それでも戦前のような「我慢は美徳」だのなんて、やってらんねぇわ。祖母と母が言っていた家訓「三従」
の教えなんぞクソ喰らえだわ。
悪いけど育てて貰った大恩に、これで3つめ「子に従え」を消去する。
恩に報いるためにはと頑張ってきたが我慢にも限界がある、我慢できる人は大勢いるだろうが、悪い事に対しての我慢はやり通したら多分、己も糞人間になってしまう。嫁の実家の母親もおそらく、「三従の教え」を親から浸透させられ、あの地獄の鎖国のような小さな田舎町に嫁に行かされずっとクソのような下品な姑に使え暴君のような粗暴な荒くれバツイチ夫に従って44年も生きてきてあのような、友達もつくらない、世間を知ろうともせず、ただひたすら家から離れず夫だけが頼り、趣味もなく嫁に聞くと夫と子供が生き甲斐の人だと言う。
だったらなぜ、手塩にかけた息子は家に寄り付かず、娘はこんなモンスターに育つのだろうか。
ばかくさいったらありゃしない。
16時15分からの父兄の面談会にようやく銀次郎が出て行ってくれた。
なんと長く忙しい時間だっただろう。
朝昼の食事の世話だけでも本当に神経使う。なにせ料理は銀次郎の方が腕前はプロなのだから、何でこの年になってこんな専業主婦みたいな事をしなきゃならんのか、1人の時がふと懐かしくなってくる。運命とはどこでどう転換するかわからない。本当に分からないのが人生だと思う。この我儘な私が家の家事をするなんて私の選択肢には全く無かったし私には家事、孫の世話などできないと思っていたのにしかも憎まれてる長男と共に今、運命共同体していることが本当に信じられない。面談は15分だけ16時半には終わるのでついでに孫のお迎えも頼んだ。
つかの間の休息、コーヒー飲み終えたら夕食のメニューづくりの続きをしなきゃ。
銀次郎が今日は1日、家にいるから、嫌だけど外に繰り出すか。
今日は昨日ほどカンカン照りじゃなくむしろ鈍より空模様だから、歩くには丁度よいかも、仮に雨が降ったとしても銀次郎が家にいるから取り込んでもらえるしな。
昨日ちょつとムッとした。我が家には大蔵大臣、今は財務大臣と呼ぶらしい、その財務大臣が2人いるから、まぁ一番力を果敢なく発揮しているのが嫁財務大臣だけどその嫁財務大臣何をあろうか、勝手に11月の旅行を長崎に決めてしまい仕事中に来たメールには3泊四日で飛行機からホテルの予約を完璧に取った自慢メールが、息子は全てナツちゃんに専任しているから司令塔のナツ殿から指令が家にくだればそのように有休をとりスケージュル似合わせるという我が家の、あ・うんの連携プレー
11月と言ったらナツちゃんの母親の誕生日で去年もそれで母親の誕生会を湯沢でやったんじゃねぇの。私抜きにして。
何であろうことか実家の親と喧嘩したからっていきなり3泊4日も長崎に家族旅行に決めてしまうのだろう。
このことをしったら向こうの親は面白くないに違いない。いやぁ立場が私だったら私は憤慨すると思う。まるで親に対する嫌がらせにしか思えない。
こういうことを自分の意思だけで瞬時に決めてしまうこの子の性癖は、実に鼻につく。向こうの親に問題はあるとは思え汚いなぁと思う。どうしてもそういうところは血なんだろうと思う。
そこは引いてしまう。
そうだ今日は16時から保育者面談があるそうで夏ちゃんは僅か30分足らずの面談のために仕事を早退できないからと息子が行くことになったのだった。
普通なら母親が行くのにうちは父兄参観は夏ちゃんがさも苦手にしていて、殆ど子供の行事は私と息子に代人させる。
しかしそんな夏ちゃんも子供が生まれて3年目から母親業に目覚めて息子のフォローを受けて少しづつ保育園の行事に参加するようになった。ママ友も2人できて我が家に招くようになってから、凄まじくナツちゃんが変わり始めた。目の手術を受けるのもメガネで自分の顔が人にキツイ印象に捉えられるからと今回の直接、目にコンタクトを植え込む手術にふみきったのだという。母親が極度の近眼でナツちゃんもその兄も母親からの遺伝で度の強いメガネをかけているため子供の時から、コンプレックスになっていたのだという。だからって極端にそんなお金のかかる手術なんかしなくても良いのに。外見を変えた所で内面が変わらなきゃたとえメガネをかけなくなっても人は寄ってこないよ。でも変わってきたのだ、だんだん人間らしくなってきたのだ。 だから思う子供の存在とは偉大だなぁと。孫の愛嬌が鬼嫁のナツちゃんを菩薩へと導いている。孫の力って凄いとつくづく思う。
昨日は暑さで1日、家の中でエアコンをつけたままほぼダラダラして過ごしてしまった。万歩計を見たら2千歩しか歩いていない。情けない。
ソファーで寝ながらつけっぱなしのテレビのワイドショーから新潟の水害が報道されていた、慌てて新潟の仲間にメールすると誰もが大雨で何処にも出かけられないとボヤいていた。
同じ日本なのにね、太平洋側と日本海側こうも違うのだから不思議。
でもちゃんとした気候の流れの理由があってこうなるらしいけど無学な私はテレビの説明を聞きながら分かったようでまったく分からないのが私、私流に解釈すれば日本海側がと太平洋は真逆でどちらかが晴れるとどちらかが雨って事なのかなぁとでも思う事にしてる。で表裏一体、何で私、小賢しいこと考えるんだろう。朝から変な頭の体操して、いつの間にか洗濯機も終了しそう。
昨夜は寝てしまってお風呂に入りそこねたので先ほどバスルームに行くとバスタブの湯がそのまま、朝シャワーを浴びてついでに湯を抜きバスタブの清掃を済ましてきた。今日は銀次郎が1日家にいるからもう昨日見たくゆっくりしてられないぞ。さぁ、頑張ろうね。私。
近所のスーパーに出かけたけれど、昨日よりも数倍の炎天下、命の危険を感じて引き返して来た。
今日は孫の迎えに行く以外、外出は控える事にした。
まだ死にたくはない、それも躰は徐々に復活の兆しを見せてくれているというのに熱中症で死んでたまるもんか。
少しづつ欲みたいな感情が起きてきて、まだまだ知りたいこと見てみたいもの行ってみたい所が芽生えてきたから、買い物や散歩に行って簡単に昇天しましたなんて田舎の中間等に笑われたくないもんね。
とにかく炎天下は家にいさせてもらおう。いやぁ〜半端なく暑かった。
「熱い」の文字が正解かも。
保育園、1分遅刻してしまった。私にとっては楽園だけど、土日休みが終った月曜日は、孫の壮絶な保育園イヤイヤ攻撃が始まるから、保育園送り届ける迄が実に戦争ごっこ。
なだめすかして、ほうぼうの手でそれでもだめで最後は、オンブして階段を必死の思いで降りて乳母車に乗せ、しかも今日は週始めの荷物が多いのに英語授業がある日なので更にカバンが1つ増えて計4つの荷物を抱え乳母車を押して超!ダッシュ💨
なんとか1分だけで時間は免れたが無事に教室に送り届けてから気がついた。
私、走って来たのだ。
心臓パコンパコン脈打って甚だ息ぐるしいながら足腰まったく痛み無し。
嬉し〜い❗
やったねー😄
家に着いたとたんにバッタンキュー
🥱眠くなり、そのままソファーに横になって寝てしまったみたい。
贅沢させてもらったから11時から近所のスーパーに買い物荷物を行ってこよう。外は熱そう。😥
魔の土日がようやく明けた。
とにかく月曜日だけが唯一無二の私の楽園。
洗濯機回しながら、散乱したリビングを片付けて掃除機は彼らの睡眠の妨害になるからかけず、さっと拭きしなんとか整理整頓して私とナツちゃん用のトイレだけは掃除して、なんだかんだと動き回ったら全身汗ビッショリ。
今、洗濯機終わりベランダに、持って行くまでの時間自分部屋で一息ミクル。
今日は月曜日だから張り切っている。
早く全員出て行ってくれ〜
サウナに入ったみたいにとにかく汗が吹き出す。
そして思った。だから体重が3キロ減で維持できているのとスッピンで家事しながら汗をかくから毛穴の汚れも出してもらってるのかもしれない。
銀次郎とナツちゃんが逆に顔色悪く不健康に見えてきたのは、不健康なライフスタイルをしているからだと思う。
なんとなくね、そう思えるようになったのは私の体が徐々に活力を取り戻しているのではないかと自惚れている。
さてさて、うる星やつらが起ききるまでに洗濯物を干して朝食の準備しなきゃ。
で、結局、買ったのは、孫のものナツちゃんのものばかり、ナツちゃんと孫ように新札5千円2枚用意していたけれど、キャラクターストリートのプラレールの店で先月新作が出たという新幹線「はやぶさ」のシンカリオンを買ったらなんと新札2枚吹っ飛んでしまった。
ナツちゃん用の新札は孫に消えたので仕方ない、あとは大丸百貨店でスイカで何かを買おうと赴いたら、これはいいと手鏡を買おうとしたら、なんと手のひらに乗るようなあんな小さなものが8千円だって、まぁしかたないかとお店の人に買い上げしてラッピングお願いしようとしたら、スイカは使えないとの事、現金と大丸規定のカード支払いしか出来ないってことで後日改めて来ることにした。
スイカだって同じカードじゃんね。
しかし新札5千円2枚の他に確か現金一万円、財布の中に入れて来たはずなのに財布の中には現金まるで無し、あれ❓何に使ったんだっけ、しかし私の両手にはしっかり手提げ袋3つ抱えている。
そうだ、ストリートと東京構内回ってるうちに嫁がメールしてくる品物を買ううちに一万円全部消えたのだ、なんだよー
今月で40にもなる大人が限定販売の、ちいかわの東京バナナ買って来いとかさ、神戸コロッケのニャンココロッケだとか、杏みつだとか、嫁の食べ物ばっかり一万円消えたのだった。
アホンダラ嫁。
昨日の1年ぶりに行った東京はあまりの人の多さに驚いてしまった。
私が今まで東京に行った中で昨日が一番の人の数だったように思う。
あの頃はコロナ最盛期の時期だったからだけれど、これが本来の東京なんだろうなぁと年甲斐もなく人の波に揉まれながら何故かウキウキして、その人波に紛れてお忍びの有名人いないかなぁなんて探したけどこの混雑さじゃ全くわからない結構、気づかず素通りしていたかもしれない。
病み上がりで少々、東京行きは自信なかったのだけれど10時に着いて東京を出たのが16時ずっと歩き通しだったけど、足腰の痛みはなく人の数に酔うことも無く、最高の食事をしてずっと嫁の下僕に身を挺している我が身に贅を尽くさせてもらった。光る君の道長の辞世の句ではないけれど「我が世の春」ならぬ「我が世の夏」でありました。
バカ言ってんじゃないよ。調子に乗って後で痛い目に遭わされるぞと自分を戒めての昨日でした。
今日は、これから1人で東京に行く宣言をして丸一日、東京をブラブラするのだ。都内はまさに灼熱地獄だと言うのにバカと思われるかもだけど、ナツちゃんと孫が揃いも揃って7月が誕生日なのでそのプレゼントを買うのが目的で出かけるのだ。来週の孫の誕生日13日はナツちゃんが目の手術で都内の病院に入院するため今日しか出かける時間がないのだもの。
新札を使っての二人へのプレゼント、そう言ったら気前よくナツちゃんがニコニコして「お母さん、今日は夜までゆっくりしてきて👶は私が1日頑張ってみるから」だって、やっぱね、この子ヘン❗自分の子を毎日見るの当たり前じゃん。どうせ1日子供など見れないで銀次郎に助けを求めるのが目に見えてるけど
たまにはこういう日があったほうが嫁のためでもあるのだって。(笑)私ももう、そんな嫁に慣れたわさ。
さてさて皆が寝ている涼しい間に、ソロソロ出かけよう。
先ほど気づいたのですが、こんな根性曲がりの変態ばあば部屋に共感押してくださった方38番さん、ありがとうございます。毎日、その日の感情で1人で憤慨したり泣いたり笑ったり感情に支配されておりますので来てくださる方がいても気が付かないことがありお礼が疎かになったり知らず通り過ごしたりしていたかもしれません。
もし、そうだったらお許しください。
いつも良いニンゲンではいられないのが常でリアルでは仕方なく合わせて好々婆さんを演じてるのでミクルでは正直に自分の本音をぶちまけてリアル戦争を生きています。
こんなクズ年寄りに有りがございます。
毎日が忙しく、気がつくと今週が終わる。外は暑く、倒れそうだけど、家にエアコンがある事で我が命、繋がっているのだと思う。
4年前まではエアコン無しの部屋で夏を過ごして居たのが今ではエアコン無しでは夏は私は生きていられないと思う。
いや、もしかして埼玉と新潟では暑さの質が違うから田舎の暑さには耐えれていたのだろうか、とにかくエアコンを知ってからは、たとえ新潟に戻ったとしてもエアコン無しでは生きられないと思う。
贅沢を知ると躰は贅沢に慣れて前のようには体がそのようになってしまうのだろうか、この埼玉でもエアコン無しで生活していられる高齢者の人が近所におられるというのに、いつの間にか文句を言いながら銀次郎夫婦の生活空間にどっぷり浸かってアグラをかいている私がいる。
謙虚にならなきゃ、私はこうやってわがままを言わせてもらっている。
悔しいけど銀次郎、ナツちゃん、ありがとう。ここだけのお礼で強情婆さんです。
あ〜ぁ
疲れた、9時に出かけて今、帰ってくるなんて、おまけに一番手だと思ってたら3人のお年寄りが、こぞって「私が一番だ」「俺は、じゃあ2番目だ」と名乗り図々しく割込んでくるし、そのまた連れだと名乗る輩が現れ結局、私は5番目になってしまった。
そんな事は、どうでもいいのだ。
たかが順番くらい、とにかく熱い疲れた。
家に着くエアコンを22度に設定して冷たいお茶とアイスを食べる。
あ~ぁ、倒れず我が家に到着した。
今日は掃除も何もせず2時間後の孫の迎えまでソファーで寝ていよう。
ナツちゃんの、勝手な頼みで孫を送ってから、りそな銀行に新札を両替にやってきたはいいけど、くそったれナツちゃんめ、9時から正午までの時間帯などと嘘八百。
銀行に来てみたら両替の時間は13時からなのだそうだ。行員の人もまだ新札は届いてない状態で説明してくれた幹部らしい人が「実は私も新札をみてないのですよ」と言われた。ただし13時までにはかなりの長蛇の列になるかもなのでお急ぎの方はお早めだそうで、これから帰って掃除をしたりしたら疲れるばっかしだから仕方ない時間迄ブラブラして、一番手を狙うことにした。
ナツちゃんから両替用に一万円札を3枚、5千円札を1枚、千円札を12枚と
りそなカードを貰ったけど銀行カードなんて息子と同居してから使った事ないから、返したがもしもの時にと嫁名義のキャッシュカードを持たされたがそんなもん使うもんか、簡単なようで面倒くさい。何でもナツちゃんの父親は昔、2千円札発行の折に2千円札は価値があるからと50枚買って今だに使わずそのまま金庫にしまってあるのだという。
バカ臭、金がない金がないとほざいておいて毎月毎月、ナツちゃんに送金させ、実家に帰ればかかった費用の何倍もの現金を親に渡してきたのだそうな。
その50枚の2千円札を使えばいいじゃん、初孫の時でさえ、一切合切何も送って来ないで、まぁ、見事に孫には何もお金を使わない人達だった。見事と言うしかない。
その、嫁どん、来週の土日、目の手術で都内の病院に入院する。
子供ができてから子供から「メガネバババァ」と言われたくないからと最初はコンタクトにしていたのに続かなく、面倒くさいとかで眼球に直接コンタクトを植える手術をすることにしたんだとか。
その手術が出来る病院が都内にしかなく東京まで通っていたのだった。
嫁どんの眼球に合うレンズがなくてアメリカから取り寄せなくとはならずそれで時間がかかってしまったとかで、来週の運びになったけど、そんなにしてまでお金をかけるほどの美貌の持ち主ではあるまいし、しかしたしかに今までの、ナツちゃんは、キツネ目のメガネだったから、そこにもってかなりのキツイ性格だったから、外見で人が引いてしまうタイプだってことを子を持ってから気づいたようである。だからと言ってそこまでお金かけるほどの意味があるのだろうか。
それで性格がいい子になってくれれば、それにこっした事はないんだけど、性格がいまいちなのに自分にばかり投資はヤッパリ、親から来ているんだなぁと思う。やりたいことをやればいいさ。
それでまともになれるなら。
1週間に1回飲む薬を忘れないように枕元に置いて寝たのに、目覚めた瞬間に喉が渇いて一口、ペットボトルのお茶を飲んでしまい、ハッと気づいて飲むのを止めた。今日は週1の薬を飲む日、起きて直ぐに空腹に飲むのだった。
どうしてこう忘れるんだろうなぁ。
ナツちゃんに言わせると私には薬嫌いの一面があるからだと言う。
ナツちゃんの実家の両親は何を置いても薬大切主義で薬を飲むためだけに3度3度の食事をきちんとやり、薬と食事だけは、ボケてもこれだけは習慣で忘れないと豪語してる親らしいけど、そんなの、私からみたらただの薬と依存だとしか思えない。ナツちゃん自身が医者大好き、薬大好きと、薬とお金があれば安心していられるという人間だから、これはもう直しようがないかもしれない。
そんなにしてまで人に迷惑かけ、ばい菌撒き散らしてまで長生きしたいなど私は生き恥晒しているようなものだと思う。
でも、薬嫌いとは言え、徐々に年と共に、どうしても飲まなきゃならない薬と言うものが出てくるから、逆に事前に防げる予防の為に最小限、飲まざるを得ない「骨粗鬆症」なのに毎回、忘れてる。
情けない。
そうだ、今日は7月2日だったのだ。
生みの母親の祥月命日なんだった。
何で子供を産んで勝手に、死ぬかなぁ。
母親が生きているうちに私は生後2ヶ月で養女に出されているから、そんなもんずっと気にもしなかったが、この齢になって私等、姉妹3人を産み捨ててサッサと逝くような母を私は今だに引津っている。大正生まれにして貧しい家の出だったにの出張で新潟に来ていた父に見初められて当時としては玉の輿とか騒がれて千葉で何不自由ない専業主婦の暮らしの中で、突然、父に死なれ、鬱になり実家に帰り私を産み2ヶ月で里親に出すなんて、何で生きようとしなかったのか、あの当時はみんな大変な中誰もが必死に生きていたというのに、だから私は男しか頼れない女の生き方が大嫌い。
子供の事を思ったらなりふり構わず必死で生きて欲しいとそれは今でも思う。実親の祥月命日に餞の言葉ではなく、こんな悪態つくのは道徳的にいけないことだかもだけど私は生みの親なんぞくそくらえである。私が死ぬときになっても感謝の言葉は言えないと思う。
保育園は目と鼻の先なのに送って来ただけでシャワーみたいな汗に心臓バクバク
ヤバいと思い即、冷たい麦茶の一気飲み、今からこんなでこの夏を超えられるだろうか、私の生みの父親は31歳で脳卒でた亡くなったと聞いているのでもしかしたら私もそっち系で逝くかもしれない、なんとなくそう思う。
ポックリ逝けるならどんなに、良いだろうでも世の中、ウマくは逝かないのはこれまで生きてきて知っているから、それは天しかご存知ない訳で凡夫の私は生きとし生かせてもらうだけ、ただ若い時はそんなセンチメンタルな考えに至らず若さに蒔かせて随分、大胆な生き方をしてきた。この齢になってあ〜ァ言う生き方はもうできないし、その結果が今の姿なんだろうと思う。あれ❓何で話がこうなるの❓とにかく息ぐるしい、体が落ち着いたら掃除始めなきゃ。
朝、目覚めた瞬間に、背中からベタベタ感の汗が、ん~😮💨
身体が重い。重い体を引きづってリビングに上がると、リビング、テーブル、フローリング、玩具、食器、飲み残した、ウイスキーの空ビンや、お菓子の散乱、
たっくー😡
片付けている最中、汗が吹き出し呼吸が苦しくなってきた。
温度計を見ると気温26度に対し湿度78だもんね。
道理で身体が思っ苦しい訳だ。
エアコンつけ冷たい水を飲み、身体が正常に落ち着いてから、奴らが起きて来ないうちに片っ端から片付け、食器をバンバンと食洗機に放り投げ掃除機は憎き詐欺夫婦と言えど働いてくれているのだから起こしてはならないと思いダスキンで掃き拭いして次は溜まった洗濯物を洗い今朝は雨だからバスルームに干し乾燥スイッチをかけてきた。
6時半に詐欺夫婦は起きてきて慌てて支度をし、眠っている孫をリビングのソファーに寝かせ図々しいバカ夫婦は出社して行った。
孫はまだまだ目の前で寝ているけれど、エアコンが効いて、そして静寂、体も楽になった。このまま「虎に翼」を見たら孫を起こそう。
10時すれすれにまずは(嫁)を訂正して又ナツちゃんと読み替えします。
お調子者の私、自分に都合いいと「嫁」から「ナツ」ちゃんになる。
私も私、でもね、成さぬ仲と言えど15年も銀次郎は私を許さず親子関係は銀次郎に関してはもう諦めていたのを、ナツちゃんが何故か私に懐いてくれて銀次郎は別にして埼玉と新潟からラインのやり取りはずっと続いていたのだった。
夏の花火になると夏ちゃんは一人で花火を観に私の6畳一間のボロアパートに泊まりに来ていくれたのだった。
エアコンもなく冷蔵庫もなくTVも洗濯機もない原始的な私の生活空間に、なんの躊躇もなく嫌な顔一つしないで泊まりに来てくれたのだ。その後銀次郎も加えてのグループラインを夏ちゃんがはからってくれて以来、15年ぶりの銀次郎と繋がり、TV、冷蔵庫、洗濯機をヤマダ電機で購入してくれた。そして2年後に孫が生まれナツちゃんの方から私の同居を頼まれての現在があること、忘れてはならぬのだった。同じ屋根の下に住むと互い汚い部分があからさまになるから、ついつい「鬼嫁」とか「クソ嫁」なんて、あ~、やだね私の性分、どうしようもない度汚い姑根性。
性根を入れ替えなきゃ。
銀次郎家族は孫のトランポリン教室に出かけて行きました。
昨夜は夕方6時に最近、ママ友になったと言う孫の仲良しのママ夫婦を何を有ろうか我が家に飲みに招いたのだけど相手の旦那さんは、20代の若さというのもあったのではないかと思うけど恐縮して来られなかった。代わりにママ友が瓶ビール5本とおつまみいっぱい持って子供を連れて6時丁度に来訪してくれたけど私は飲み会の場合は、接待がきりがないから一切、手を貸さず自室で好きに過ごさせてもらった。
所が時間を追うごとにどんちゃん騒ぎで2階のリビングが落ちるのではないかと思うぐらいハチャメチャの騒音。
やっとママ友が帰ったのが夜の11時、住んでるアパートは50Мもない近さなのに旦那は迎えにも来ない、こんな時間までいくら家同士が近いからと言え、普通なら心配して連絡するか迎えに来るのが常識と思うけど、今は時代が変わったのだろうか。お陰でリビングはゴミの島、息子夫婦、今だに起きず11時から孫のトランポリン教室があるからそれまで寝ているのだろうと思う。
ホンに今の若い人は解放区だよねー。
今世代の若いご夫婦は皆さんそうなのかなぁ。とにかく今朝の掃除はやりがいがあったぞ。いい運動になったわ。
今朝は曇り掃除、洗濯、トイレの掃除も完了、息子夫婦のトイレだけは嫁に任せている。いくら息子と言えど、あやつの使ったトイレは、これでもかこれでもかと、噴射花火つけるから、掃除するのを止めた。嫁ちゃんに任せた。普段、掃除も料理も家事一切しないんだから自分の亭主の使用したトイレくらい掃除をするくらいバチあたらないと思うよ。
嫁ちゃん、いわく「お義母さんはトイレを差別している」と変な事を言う。
一階のトイレは掃除するのに三階のトイレは全くしないから差別だと言うのだ。その癖、自分達のトイレは嫁は使わずわざわざ一階の私のトイレを常用しに来るのだから図々しいにも程がある。
憎まれようが何されようが銀次郎の使ったトイレは一切、掃除しないと決めた。
そこまで私はマザコンじゃないし、そのくらい言わなきゃ銀次郎には汚している自覚無いのだから、ほんとは銀次郎がすれば良いのだ。しかし殆ど酔ってるから自分が汚したなんて100%思ってないんだから、それくらい面倒みてよ。
お嫁殿、本当に家の嫁さん、さん付けより殿が似合う現代版「女城主、景虎」なんだから。景虎さんの方がまだ女性らしいかなぁ。🤔
でも今朝は、身体が凄く楽。
銀次郎は、昨日は午後に出社して5時からバーベキュー大会とかで遅くなると言って家を出ながら帰って来なかった。
朝、洗濯物を干しながら起きてきた嫁に聞くと銀次郎は嫁にも何にも連絡しなかったそうだ。嫁の話だといつもの事でバーベキューのあとは二次会3次会と続き結局酔っ払ってどこかのビジネスホテルに泊まるのだそうなるとしかも全部会社の経費で落とすから何にも自費はかからないんだとか、それが嫁には不満らしく飲み会と称してそれは男どもの口実でこれよがしに飲み会=男の解放区、酔いが回ってるから好き放題楽しむらしい。
聞いていて昔の亭主にそっくりだとヘンに嫁の言分に肩を持ちたくなり二人して銀次郎の悪口を言い合い朝から気分が盛り上がって楽しい朝だった。会話が盛り上がってる最中に銀次郎からメールが来て「昨日は酔っ払って千葉まで乗り過ごしてしまった。今日は、このまま会社に行くから夕方には帰る」だって。
来なくてもいいわ。洒落臭い。
高温多湿の日がようやく終った。
今朝は気温25度の湿度48だった。
今までの私は気温や湿度など全く無関心だったのに、最近では言いようもない胸苦しさや倦怠感を感じる日は何気に気温をも見ると高温多湿の日が多いのにようやく気付いた。
一昨日なんか朝から気温31の湿度70なんだもの、おまけに銀次郎がここずっと家にいるものだからしかも自分の部屋で仕事をしてくれるのならまだしもほとんどリビングで仕事をしているものだからやりにくいの何のって、息苦しいから横になりたくてもなれず結局は休む暇なくだるい体を引きづりながら1日をやり過ごしたけれど、この一番息苦しいから季節時に嫁は敏忙期だのと言って毎晩帰宅が9時過ぎだし、この老いた母親にこの鬼夫婦は私を早く死なせるためにこき使ってるのかと身体が不調になるたびあらぬ妄想が炎のようにメラメラしてきて「どうにも止まらない」妄想ババアになるのであります。
嫁が息子がこの頃では毎晩のように嫁の実家の話が中心になってきた。
私の方から聞きたくて聞いている訳でない。むしろ何故か黙って聞いて相づち打ってるだけなのに、逸れが良いのか悪いのかは分からないがやたら話を広げて来るようになった。
今更に内情を知った所で驚きも何もあったもんじゃない。
嫁と4年も暮らしていれば嫁の行動で大体が親の姿が分かる、それは私と息子にも言える事だけどうちの場合はむしろ放任だった。親子と言えどそれぞれの人生は別なのだから、お互いに束縛はせず、悪い事でなければ互い好きに人生を生きようと。なんて言ったら綺麗ごとになる。実際は私達親子も修羅場を幾度となく踏み越えての苦い経験があるけれど、それなりの世間一般の常識、道徳は持っている。でも嫁の話だと私の思っていた以上に嫁の両親はハンパなく異端児親、そんな親がいまだ現存していたんだなぁと同じ郷土で同じ世代、情けなくて泣けてきた。
私も変わり者、頑固者だと人から特に田舎で評価された人間である。むしろ少し変わっている人の方がウマがあってウマくやれたものだった。それは今でもそう、だから嫁とウマくやれてたのだと思う。しかし実情を知って
なんだか私は普通だったのだと真剣に思うようになった。
人生いろいろ、どれが良い悪いの基準なんか計れるものじゃないし決めつけるものではないけれど、人に違和感、不快感を与える事だけはしたくないと思う。
今朝は10時まで寝させてもらった。
息子夫婦は、11時に孫をトランポリン教室に連れていくため出かけて行ったので1人のんびり自室の窓から見える緑と網戸からから入って来る涼風に癒やされている。
あ〜ぁ、疲れた!
何回この言葉を繰り返すのだろうなぁ。
ここにいても田舎で1人の時も独身時代も数え切れない数字で「疲れた」を言い続けてきたに違いない。
どんなに良い環境に入っても「疲れた」が口から出るのだから。
ただ感じたこと「疲れた」の言葉の質が違う事に気付ついた。
若い頃の「疲れた」は口癖のようなものだった。そう吐き出せばなんとなくホッとして一晩寝れば元に戻ってたけどそれは50代までだったと最近思う。
今の「疲れた」は、切実。
そう考えると若い頃は実はそんなに沢山疲れていなかったのだと今になって思う。読み年70の現在「疲れた」の言葉を言うのを忘れるくらい夢中になれるもの何かないかなぁ。
嫁は休日出勤。
帰宅は毎晩夜9時過ぎ。
今日も1日、孫の世話を覚悟してたけど、有りがたい事に息子が孫を車で連れ出してくれた。
助かった。今、誰もいない部屋で掃除と買い物だけは済ませて、ソファーで一休みしている。
まじで私の躰は自分の意志とは反対に動かなくなっている。
弱ったなぁ、来年70歳になってまっしぐらに老境にころがって行くのだろうと思うと、情けないやら、なんやら泣きたくなってくる。でも負けたくない、老いは仕方ないにしても、このまま諦めて変に納得したら益々、躰は固くなっていく、老いは止められないけど毎日の努力を怠らなければ足腰や、筋肉、運動で対処していかなければ弱気の自分に且つを入れ
家事の合間に筋トレやっています。
息子から電話、孫が遊び疲れて寝たからこれから帰るだって。
早すぎる〜
夕方まで帰って来ないとおもったのに、
さて呟いてらんなくなった。
( ´Д`)=3
昨日は銀次郎が仕事で京都に行くためバタバタしていて、嫁は嫁で寝坊してとにかく忙しい朝で家族皆を送り出して、やれやれと一息ついた時点で週1の「骨粗鬆症」の薬を飲むのをすっかり忘れていた事を思い出した。
この薬は起きたと同時に180mlの水で飲まなければならないもので、飲み忘れたからといって慌てて直ぐに飲めば良いものでなく、次の日に延ばすしかなく、今朝は5時に起床して即、服用。
30分は横になったり二度寝してはならないので、ミクルに投稿している。
銀次郎は、深夜に帰宅すると言っていたけれど滋賀にいる高校時代の親友に十年ぶりに会ってくると言って今だに帰宅せず、なんとも幸せな男だろう。
家に年寄り嫁、子供平気で残して、まぁだから全国好きなように回れる仕事が出来るのだから少しは嫁や私に感謝してほしいものだわ。だから留守を預かる女同士、成さぬ仲の嫁姑を超えていつの間にか我々は不思議な連帯感が出来てしまったように思う。
10時の新幹線で銀次郎はやっと居なくなってくれた。
誰も居ない静寂な散乱としたリビングで、食洗機だけはかけて、あとは散らかったリビングのソファーで大の字になり休んでいる。
あ~
平和、幸福、こう言う束の間の空間があるから私もやっていけるのだ。
昨夜、宅配便が届き嫁が受け取りに言ってリビングに上がってきて、いきなり包装されたものを、ドンと投げ捨てるようにテーブルに置くので送り主を聞くと
一言、無愛想に「実家」からだと言う。
開けると新潟の「安田ヨーグルト」の豪華詰め合わせセットだった。
多分1万円はしたにちがいない。
私が、この家に来て初めての嫁の実家からの贈り物である。ケチで初孫が生まれてもコロナだからと見にも来ず孫のお祝い一切贈らないご夫婦が何で今になってこんな豪華な物を、銀次郎は笑いながら「いよいよ、親父さんらも、反省して送ってきたんじゃないか」と言ったが嫁は、吐き捨てるように「兄ちゃんの、お金で送ってきたんだよ。これは父のお金じゃない」と言う。よくよく聞くと、5月のゴールデンウィークに帰省した時に猛烈な親子喧嘩をした時に嫁は今までの抑えていた感情が爆発して、ついに言ってしまったそうだ。「子にお金を貰いながらを更に子の私生活にも土足で踏み込み、いい加減にまともな親になれ」
と怒鳴ったそうだ。それを聞いて私は腰が抜けなかったけど抜けそうな程、驚いてしまった。
世の中いくら社会が変わったからといえ、何で家に仕事を持ってきて大の男が家の中に1日いるんだろう。あ〜ぁ、煩わしいったらありゃしない。お陰でこちらは朝からずっと動きぱなし、昼食べさせ、そして今度は夕食の仕度、あと1時間したら孫のお迎えに行かねばならない。しかしありがたい事に明日は銀次郎、仕事で京都に行くので明日はやっと1人になれる。そう思ったら嬉しくて、今夜は奮発して色々、料理の品数を増やして今、イカの煮物が終了して「相棒」を観ているところ。
明日はもう何もしないで大の字になって昼寝するぞ!
だから今日は更に頑張る。
外は大雨、しかし私はこの雨の中を2回買い物に出かけたのだった。
1万歩目標既に達成。
歩けるってありがたいと思う。
今朝は、やや大降りの雨、今朝は銀次郎が1日家にいるので、雨の中、むさ苦しい思いをするよりは外の空気を吸ってリフレッシュしようと孫を送り届けてから
嫁に頼まれた食材を買いにそそくさと出かけて、今カフェで珈琲を飲みながらメールの着信音がなっていたので見てみると、いつもの昔の大御所からの愚痴メールと嫁からのメール、保育園の七夕の飾りが26日までだったとかで至急、七夕用の折り紙の創作頼むだって。
今年こそ自分で作るからと先月から図書館に10冊以上の折り紙の本を借りて置きながら見ることを忘れ延長にして今更、思い出したように会社から電話してくるなんて、いつもの事だから慣れてるとはいえ孫より手のかかる嫁さんだから、参ってしまうなぁ。まぁ、でもある事を除けば、そう言いう所が私と似ているから憎可愛いでウマが合うのかもしれない。百均で折り紙も買って行こう。
嫁からメールが来て、今日から末まで残業にるから帰りが8時頃になるという.夕食は残業が終わり次第、軽くマックで済ますから帰宅したら、素麺を作っておいてほしいとの事。薬味は、ミョウガと大葉の千切りと横浜 光悦のチーズハンペンのフライを1枚買ってきて欲しいとの事、これから毎日、嫁はマックと素麺を夕食メニューにするそうである。
そうめんには油物が欠かせないから1日置きに、光悦のチーズはんぺんと和光のイカフライを毎日買いに行かされる訳で、まぁ足の訓練に良いから楽しみながらやることにした。
糖尿病なのに、その食癖、仕事が敏忙期になると嫁は悪いものを食べないとパワーがつかないのだ。
薬さえあれば心配ないと言う薬依存症は親が親だから治しようがない。
それで妊活しているのだから、古きものは黙して従うしかないかな。😮💨
病院の検査の結果、あれだけ高かったコレステロールの数値が正常値になっていた。私的には、先生も驚かれたけれど本人の私が驚いてしまった。
4月から飲み始めた、コレステロールと骨粗鬆症の薬、実は複数の薬を飲む事に不安を感じ一週間前からコレステロールの薬は止めたのに゙数値が正常値ってどういう事なんだろう。
体重も2キロ減で骨密度も徐々に良くなっているそうで7千歩の歩数から一万歩目標を許された。っていうか、その前から毎日、一万歩は歩いている。
先生に「こんなに薬が効く患者は珍しい」 と褒められたけど薬は一週間前に止めたのに、それはさすがに先生に言えなかったけど、薬を飲まなくても結果が正常値ってことは食事を全く切り替えたこと事が原因ではないかと思う。
いい加減に不貞腐れた感情で病院に行って結果が良好だった事が凄い自信になり帰ってからエアコンをかけて寝てしまい2時間も昼寝をしてしまった。
掃除しなきゃ、夕ご飯の準備しなきゃ、健康ってありがたい。本当にありがたい。
唯一、1人になれる月曜日が来た。
月曜だけは銀次郎は出社しなければならないので出ていってくれるし、孫も5時がお迎えの時間何だけど保育園の英語教室があるので6時の延長保育になる。だから今日はのんびり誰もいない部屋で醍醐味できるのだけど月に1回の病院に行く日だった。
先月受けた血液検査の結果が分かる日で、今日はどうしても行かなきゃならないから、もう面倒くさいなぁ。
どうせ数値なんか、そう簡単に良くなる訳じゃあるまいし、薬も飲んだり飲まなかったりして曖昧にしている。死ぬまでこの複数の薬を飲み続ける意味が有るのだろうか、嫁や嫁の実家の病院好き薬好きを毎日見ているとヘドが出る。
薬を飲まないと安心できないという嫁の姿を毎日見ていると、人にこれだけ迷惑かけながら平然として、薬など飲まなくたってその図太い神経で100まで生きれるゾンビみたいな精神なんだから、それでも生と食欲に貪欲な姿を見ると私はそこまで生に執着しようなんて思えなくなってきた。嫁の父親母親は薬を飲むために食べるのだと言う。それにしては家族全員が糖尿病なんて聞いて呆れるわ。
それと一番の気力喪失感の原因は、1日中、家にいて、しかも息子が家で仕事をしているため、ほぼ1日家事と料理で自分の時間が取れないこと、我が息子と言えど1日中、家で仕事されてては息子は気楽でいいかもしれないが私にはストレスに追い討ちをかけられるだけ、孫も煩く息子は更に鬱陶しい!
頼むから1人にしてほしい。
掃除洗濯、買い物、料理その合間あいまに自分流に疲れたら一息ついてソファーで身体を横たえる事が出来たなら、こんなに疲れやしないとおもうのだけど、おまけに嫁までが実家の両親と大喧嘩をして今年のお盆は実家には帰らないと宣言するし、益々、私だけの自由な空間は狭められて行く。
あんなに実家、実家とほざいて親にお金をみつぎ、10日も2週間も帰ってこなかったのに何で今更、犬も食わない親子喧嘩なんぞしたんだろう。
少しづつだけど嫁が実家の話を話してくれるようになった。今までの嫁を見れば嫁の親は相当、変わってる奇人変人だとは想像はしていたけれど想像以上(異常)の人間なんだと改めて思う反面、それまで憎く肉しく思っていた嫁への感情が同情に変わってしまった。
しかしそれとこれとは別問題で頼むから盆くらい実家に帰ってくれ〜😩
年がら年中、いつも家族一緒なんて、私の方がおかしくなってしまいそう。
今、息子夫婦と孫は駅前の繁華街に食事に出かけて行った。
私は昨日からの暑さで体調がすこぶる不調で何をするにも体力気力が伴わず、このまま老化に拍車が止まらなくなるのだろうかと思うと尚更、気分が消沈してしまい、慕ってくる孫さえも煩わしくなってしまう。
それに反し我が家は嫁だけが暑さに強く夏が来て猛暑になるほど俄然、パワーが充満するタイプでさすが夏生まれで名前が「夏子」だけあると感心してしまう。
毎年だけど夏になると私は体力が消耗し半分死人のようになる。
事、こちら関東の暑さは年々、老体に拷問のようで、情けないけど我が家は息子も孫も暑さに弱く嫁の世話になる始末。
今日も暑いから夕食は外食になったのだけど外を歩く元気がないから私は家に残る事にしてみんなを送り出しエアコンの効いたリビングで横になっている。
とにかく眠たい、食欲はある事だけが救われている。あ〜ぁ、この夏、耐えられるかなぁ。自分の躰に段々、自信無くしていく、そんな自分が悲しい。
もう土曜日だ。
なんて1週間が早く過ぎるのだろう。
銀次郎から「仕事などもうしないでいいから家の事だけして欲しい」と宣言されてから、1日の流れのなんと早いことか。
昔、専業主婦の人が羨ましかった。
いざ自分がその境涯になったら、なんと仕事をしているより自由の無いことか。
しかも我が家の場合、息子が自宅を拠点に仕事をしているものだから、疲れたら好きなだけ昼寝をしてとはいかないから、非常に疲れる。
しかもこの年で、筋痛症になったり、挙げ句に骨粗鬆症の診断までされて今や月1の病院通いも兼ねて、このざまなんだから。
普通の優しい息子なら年老いた母親に「何もしないでいいから、休んでいなよ」と労り嫁に「お前もお袋の面倒もっとやれよ」と言ってくれるのがよそ様の現状なのにうちは違うもんね。
その逆だもん、死ぬまで夫婦で私を、こき使うのだから、しかし、じゃぁ何故、逃げないかって、それは私なりに不平不満内心込めながら、この生活が快適だから。じゃぁ黙って従ってよゐこ婆さんになりすましてれば良いのにそれができない私の、心根の汚さ。
お互い様だから、土曜日、キツネ夫婦はまだ寝てる。
洗濯終わったからベランダに干さなきゃ。
今日も暑くなりそうね。
あ〜ぁ、面白かった。
4時になる前に急いで嫁&孫部屋を掃除しに行く掃除機抱え階段をヒイヒイ言いながら銀次郎部屋を通ると、会話の声がまだ会議中らしい、静かに部屋を横切り嫁部屋を開けると、まぁまぁー😳
遠慮なく散らかしてくれること、仕方ない今がヤンチャな盛りの孫だから寝るまで騒ぎ散らかして嫁も疲れ果て一緒に寝てしまうのは仕方ない、会社勤めしているのだから、隣の銀次郎の仕事に差し支えないように、掃除機はかけず、玩具を整理して床をマイペットで拭くだけにして早々に引き上げてきた。
後、1時間したら孫を迎えに行かなければならないから、息子の夕食はひるに作ったものをそのまま出し嫁は素麺にイカフライ、イカフライは「和光」のイカフライと嫁は決めているのでそれも買ってきてあるから、素麺を茹でるだけ、孫もママと同じ素麺がいいと言うから、今夜のメニューは、有り難いほど超❗楽勝😝
洗濯物を畳みながら孫の送迎時間まで「相棒」の再放送見ながら畳んでいるんだけどさっき、改めて投稿を見ると、なんとも化け字、奇分だらけ、文章にも性格出るなぁ。(笑)
だから私は一人で気ままに吐くのがすきなのです。
バタートースト1枚とホット珈琲飲みながら、銀次郎がいないといつリビングに降りてきてもいいように2〜3品の軽食をパパっと手抜き料理して今テレビ東京の「ゴーストシップ」呪われた豪華客船を見ているんだけど、これが凄く面白く、できたらこの番組が終了してから銀次郎降りてきてほしいと願いつつテレビに釘付け、あれほど目まい立ち眩みがして身体がキツかったのに今はエアコンのお陰と更に恐怖映像に身体の不調が何処かに吹っ飛んでしまった。
なんて朝食人間なんだろうな。
そんな自分に呆れながらだって私も人間なんだもん、ありのまま、これで良いんだと勝手に納得して、番組は最終章の恐怖ピークの場面、外は灼熱なのに涼みながら恐怖映画なんて、凄い罪悪感。
終わったら又、一生懸命、老人力発揮仕様と思う。
梅雨入り前のこの暑さ。
嫁に頼まれたから図書館の本の返却と代わりに予約した本を借り、スーパーを2件回りながら買い物をして途中、休み休みしながら12時半に帰宅。
あまりの暑さにリビングに上がるなり、登りきった階段の上で腰をおろしてしまった。
猫の羌ちゃんは食堂のテーブルの下で、スルメイカみたいに伸び切ってるし、銀次郎は自分の部屋に上がったまま降りてこないので降りてきたら昼食を作ればいいやと投げやりになって何もせず、今だにソファーに横になっている。
エアコンの風が部屋満面に涼しい空気で充満させてくれ、そして思う。
エアコンって有り難い。こうして涼めるから暑さをしのげておられるのだ。
もう、4年前のようにエアコン無し冷蔵庫なし洗濯機なしのあの生活には戻れない。
冷蔵庫や洗濯機なしでも生きていけるけどエアコン無しは今の私には死活問題って言うより即死ぬ!
この幸せを感謝して今いる環境で私は生きていきたいと思う。
少し楽になったから、銀次郎のお昼の食事の支度でもするかな。
今日は曇りでそこそこに風があり、散歩には持って来いの気候なのに帰宅したら汗をビッショリかいている、シャワーを浴びクーラーをかけながらNHKの朝ドラ「虎に翼」の再放送を見ながらシャンプーした髪にドライヤーをかける、そして思う、こんな贅沢を普通にできるのは、息子夫婦のお陰だと最近では本心からそう思う。
健康体で新宿の高層ビルで働き早速と肩で風を切らせたりして格好つけていたあの頃の田舎出の馬鹿な私。
本当に馬鹿な私。あの頃から頭は悪いけど身体と体力だけは自信に満ちてそれでいい気になっていた。嫁の悪口をいい息子の悪口もはたまた気に入らない人の悪口を言ったり、それもこれも身体が健康体だったからいい気になっていた、あれから色々、嫁の世話になりフォローしてもらい、自分の意地汚さ不甲斐なさを痛感、老いに拍車がかかってから私は人生も考えも年齢相応に変わってしまった。
丸く納めるものは納めて調和を保って運命共同体家族していきたいと思う。
ほとんど日課にしている毎日の朝一番の夕食材料の買い物兼散歩、それで有に8千歩超えた。
自分でも日々自覚しているけれど歩くテンポが、どんどん遅くなっている。
医者に言われたけれど歩いていて、どのくらいで違和感を感じはじめるか、更に続けてどのくらいの時間頃に痛みを感じるか自分の身体のサイクルを知る事が必要だとアドバイスを貰ったので早速、初めて1ヶ月大体普通に歩いて1時間目あたりから右側大腿骨にチクチク違和感痛を感じるのでその都度、休憩を取りそして歩くを毎日続けている。
お陰様で痛みは今の所、感じることは無く毎日1万歩以内の歩行は欠かさずやっているけれど気候や気圧の変動で身体が重く今日も休みたいと思うことがあるけれど1日止めたら筋肉が拍車をかけて痩せていく、そう自分に喝を入れて、重たい足腰を動かしている。それが今の私のかせられた大事な仕事。もう年だからとかでなく自分の体で生涯、動いていたい。
ただそれだけ。
週1服用の「骨粗鬆症」の薬を飲み終え
30分は二度寝してはならないから、窓の外を見ながら日記を綴っている。
骨粗鬆症の薬は仕方なく飲むとしてもコレステロールの薬は飲むのを止めようと思っている。
40代からコレステロールのを数値が高く指摘されながら69歳まで放置していても私は今日まで生きている。
原因は、私の飲食が原因なのだからそれを改善すれば良いのではないかと思うようになった。
これからは「骨」を中心に考えていきたいから、これからはどんどん加速するであろう大腿骨や肩の関節痛など、そちらの痛みが来たら痛み止めの薬だけは飲まない訳に行かないから少しでも他の薬は飲まず食生活の改善に努力しようと思う。
痛みだけは私は耐えられない。痛みが襲って来ると途端に気弱になり何もする気力がなくなり、そしていつも思う、健康で痛みがない普通の生活が出来る事の有難みをしみじみ感じくだらない人間関係の煩わしさなんか、何でうまくかわせなかったのかとその度に思う。以来、私は痛みがなく普通に日常を過ごせる日は回りと上手く合わせながら余計なマイナスの感情を極力 セーブする事にした。
人間1人では何もできない。老いては子に従えとは、こう言う事を構えて世の先人達は言い残されていたのではないかと私個人は思うようになりました。
最近の私の安息日は月曜日。
普段、リモートワーク中心の息子だけど月曜日だけは社に入り浸りで帰りも遅い、嫁は早くても7時帰宅だし、なんたって5時お迎えのヤンチャな孫が保育園主催の英語教室に5時から6時まで習っているため月曜のお迎えは6時まで行けば良いので超ラッキー日が月曜と確定した。だから今朝は孫を園に送ってから、掃除も食器洗いも何にもせず、猫の羌ちゃんに絡まれながらまったりゆったらり、ダラダラしている。
あ〜ぁ、なんて幸せな今日だろう。
毎日こんなだったらなぁ。
でも良いことは長くは続かない。
いい気になっていたら、ある日、突然、ドーンと突き落とされる。
だからたまに巡り巡ってきたラッキーチャンスは自分だけのものにせず、回りに回そうと思う。それが大きくなって帰ってきてご褒美デーが回ってくる最近、人生の周期のようなものが分かってきました。さて、
晴れたからスーパーに買い物に行こうか。
羌ちゃんの内緒のオヤツ買い占めに行って来よう。家飼の羌ちゃんの何よりの楽しみは、食べる事だもんね。
カリカリだけじゃつまんないよね。
だからみんなに秘密の私と羌ちゃんだけの秘密のオヤツ買って来よう。
最近の私の安息日は月曜日。
普段、リモートワーク中心の息子だけど月曜日だけは社に入り浸りで帰りも遅い、嫁は早くても7時帰宅だし、なんたって5時お迎えのヤンチャな孫が保育園主催の英語教室に5時から6時まで習っているため月曜のお迎えは6時まで行けば良いので超ラッキー日が月曜と確定した。だから今朝は孫を園に送ってから、掃除も食器洗いも何にもせず、猫の羌ちゃんに絡まれながらまったりゆったらり、ダラダラしている。
あ〜ぁ、なんて幸せな今日だろう。
毎日こんなだったらなぁ。
でも良いことは長くは続かない。
いい気になっていたら、ある日、突然、ドーンと突き落とされる。
だからたまに巡り巡ってきたラッキーチャンスは自分だけのものにせず、回りに回そうと思う。それが大きくなって帰ってきてご褒美デーが回ってくる最近、人生の周期のようなものが分かってきました。さて、
晴れたからスーパーに買い物に行こうか。
羌ちゃんの内緒のオヤツ買い占めに行って来よう。家飼の羌ちゃんの何よりの楽しみは、食べる事だもんね。
カリカリだけじゃつまんないよね。
だからみんなに秘密の私と羌ちゃんだけの秘密のオヤツ買って来よう。
気分の良い所でチョイ書きしようと思う。今、我が家はちょっとした嫁のクーデターが起きて我が家は今までとは違った生態系(この漢字でよいのかなぁ)まぁ、どうでもいいや、誤字脱字等、当たり前で続けてきたのだから。
5月の連休に10日以上も孫を連れて実家に帰ってた嫁が帰って来てからガラリと人間が変わってしまった。
実家、実家と大型連休が来るたびに荷造りしてそわそわしていた嫁が今回の大型連休と言っても親の為に無理をして有休を使い果たしそれでも足りなく1日欠勤にしてまで孫を見せに行ったはずなのに嫁はゲッソリやつれて帰ってきた。
そしてリビングに入るなり「あ〜ぁ、自分の家が一番安らぐ、疲れた」と意気消沈して本当に疲れたのであろう、横になりたいと自分部屋に籠もってしまった。
息子に訳を聞くと11日間の滞在期間に、両親と一悶着あったらしく、息子曰く、「いつものことだから俺は別に今更と全然気にしてないけど、あいつは、あいつのやる事なす事否定され続けて切れてしまった」んだとか。
父親は特殊な人だから本当に今更と私は思ったけれど嫁は、そんな父親に翻弄されている母親が心配で実家に長期滞在していたはずなのに、その母親が父親より頑固になってしまったことが原因のようだった。あんなに一卵性母子だったのに。
今夜は孫の英語教室の日で普通なら私が送迎するのだけど息子が午後からリモートワークになったので車で孫の送迎を頼んだ。
次いでに授業が終わったら嫁を会社まで迎えに行ってそのまま好きな所で外食してくれるように頼んだ。私としては、そうして貰ったほうが買い物も夕食の準備もしないで済むのでこれほど有り難い事はないもの、と言う事で今夜はユックリさせてもらっている。
毎週金曜日、定例として3人で外食デーを提案しようと思う。
ってことで1人でニヤニヤしていたら息子からラインが入り嫁と合流して焼肉屋に向かっていると連絡が入る。
ユックリいっぱい食べて飲んで、車の代行代金は私が払うから連休前夜なのだから、ハメ外して呑んだくれて来なさいと檄を飛ばしてやった。
私には華の金曜日、あ〜ぁ、なんと幸せな時間だこと。一人の時間って「骨粗鬆症 」の私には本当の「骨休み」になるのだ。な〜ンチャつて。お粗松様でありました。
今朝は週1の「骨粗鬆症」の薬を飲む日なので忘れないうちに、先程、飲んだばかり、この薬を飲んだ後は30分横になっても寝てもならないし水以外飲んではならないので、私はその30分はミクルの日記に綴ることにしました。
その間に30分は経過するし横にもならず何も口にすることはないし、これを定期的に日常に取り入れよう。
いつだったか、町内の大工さんが主催のイベントに嫁と孫と出かけた場所である見知らぬ女性と会話していて「骨粗鬆症
」の話題になり、その方も「骨粗鬆症」だと分かり意気投合してお互いに年齢を聞くと相手の方は私より2歳上で71歳との事、私が週1の薬を服用していると言うと、その方はすかさず言われた「週1の飲み薬だけならまだ軽いんですね私なんかは」と切り出されて言われるには一本五千円の注射を週に2本、定期的に受けているそうだ、保険が効いて一本二千円とはいえ月に2万円の医療費がかかるそうでその費用捻出の為に3時間くらいのパートで働いているのだそうだ。
私などまだ軽い方なのだと、その女性の話を聞いて有り難いと思わなきゃと思いました。
平和な日曜日の朝が来た。
みんなが起きて来るまで時間があるので羌ちゃんと、まったり時間を過ごしている。ミクルを開いて自分が投稿した日を確認する、あれから3日が経っているのかぁ。投稿内容を見て笑ってしまった。
不平不満がピークになると、まぁ私のなんと本性丸さらけ出しどんどん超エスカレートしていくじゃない。
恥ずかしいと思いながら、さらけ出させてもらえる拠り所があるゆえに私は正気に戻して貰っておられるのだとミクルさんに感謝しております。
もうだいぶ前の事だと思うけど閲覧していて、あるスレ主さんが私のように自分一人だけのスレ立てに異議をとなえられていたのを見て、あ〜ぁ、誰とも交わらず締め切って自分の好きな事だけ利用させてもらっている投稿は、そう言う風に見られておったのかと思いながら、だからと言って私は私なりの生きていくための自分の修行の為に自分の好きなように綴らせてもらっている。だから批判、疑問視されようと私には自分修正の場所が好きなように嘘偽りなくその時の気持ちを吐き出させてもらえる場所がミクルなので、ずっとずっと多分、ミクルさんが閉鎖なされない限り自分だけの投稿させてもらいます。だから皆さん、わがままお許しください。ここで発散させてもらえるからリアルでまともに生きて行かせてもらっていると感謝しております。
前の投稿から何日過ぎたんだろう。
あらためて見てみるとなんだまだ5日しかすぎてないのか。
人生なんてこんなものかと不平不満発散したくて今日は思い切りぶちまけて、さっぱりするぞと思いながら自分の意思とは逆に日常はお構いなしに変化して行く。
我が家は嫁が実家から帰ってから、どうも私の方がイライラが募る一方で、しかし愚痴も何も吐き出せないまま日が過ぎていく。
そのくせやたらに眠たい。
しかし昼寝がどうしてもできない、なんて私は損な人間なんだろう。
だから書きだし思いの存分、ぶっちゃけてそれで空っぽにして又、一からやりゃぁ良いのだ。
なのになのに腹が立つやら、アホらしいやらバカらしいやら、うまく言えないだけに、余計腹が立つ、それも自分に、「損して得取れ」って誰からアドバイスしてもらったんだたけ。
とにかく損する私はどこまでも損するようにできているのだ。
コンチクショーと思わず天に向かって吠えてしまった。
「コンチクショー❗」やってらんねぇや。しかし命ある限り生きなきゃいけないのだ。
本を読みながら、寝落ちしそうな瞬間に時計を見た時の時間が確か12時過ぎだった。その時刻まで、嫁はまだ帰宅しなかったから、それ以降は私も深い眠りにはいってしまって嫁は一体何時に帰宅したのだろうか。玄関を見ると靴があるから帰宅はしたのだろうと思う。
基本、土日は家族全員ユックリ起きる事にしているので私は彼らが起きてからリビングに行く事にしている。
そんな訳で久々にミクルに投稿しています。今日は初夏のようなお天気、孫の歯科の定期検診がある日だと言っていたから嫁が連れて行くのだろうが、女子会としょうし朝帰り帰宅など、しかしうちの嫁が女子会、幹事などどうも府に落ちない。大体が会社の中に親しい仲間が居るはずがないしあれだけ疎まれて来た嫁が今更に女子会の幹事など絶対に、頼まれる人柄ではないことはもう4年も生活を共にしてトロイ私でさえも、そんな嘘はとっくに気づいている。
あっ、揃っと起きて来たな。
さて私も起きる準備をしようか。
どうせ、孫の歯科検診後はマッサージに出かけるのだろうし、又、孫の世話は私の役目になるのだから、時々考えるのは、私が子育てと仕事を両立していた時、旦那は、手伝ってくれなかったし、実家も近くではなく親も働いていたので頼めなかった。余裕もお金もなく、毎日が闘争だった。深夜帰宅やマッサージだのコンサートだの、はたまたジムやプールなどそんな事、一切できない時代だった。
何日ぶりの投稿かしら。
もう毎日が気がつくと過ぎていき、日にちも時間も曜日さえも時として分からなくなってしまう。
今日は土曜日だったのだ。
嫁は昨日は会社の女子会で幹事を引き受けたとかで深夜まで帰らなかった。
息子が午後からリモートワークに切り替えて正午に帰宅してくれたので金曜日の孫の英語教室の送迎を引き受けてくれたので、その分、夕食の準備に取り掛かる事が出来、相撲を観戦しながら、息子や孫の好きなものを作る事が出来た。
9時ともなると疲労困憊で瞼が重くなり息子に頼み寝室に引き下がらせてもらった。所がおかしなもので、あれだけ疲労を訴えていた身体が自分部屋に戻ると、とたんに眠気が消えて、めきめき元気になる、今、私の趣味はNHKの大河ドラマ「光る君へ」に感化されて「かげろう日記」や「枕草子」「吾妻鏡」などなど平安時代の事を読み耽る事に楽しみを見出している。家事と孫の世話は夜9時までそれ以降は私の時間としているから身体が9時になると異様にぐったりしてくれるから息子達も暗黙の了解で部屋に引き下がれる訳で読書しながらいつの間にか眠りにつくそれが今の私の1日の流れになっている。
昨日の嫁は朝10時から東京の眼科に出かけて行った。
どういう心境の変化か、メガネを外したいらしい。その為に目の中にレンズを植え付ける手術をするのだそうだ。
その手術をしてくれる眼科が都内にしかないとかで、昨日、早速に出かけて行った訳でなんで急に、そんな、お金のかかる事をするのだろうと内心ムッとした。
前は、確かメガネだと顔の印象がキツく思われがちだからと一旦メガネを止めてコンタクトにしたはずなのに一週間も続かず止めたはずだった。
なのにこのメガネを止めたいと言う強い心境は何なんだろう。
確か嫁の兄もメガネをかけていた。
母親が強度な近眼で度の強いメガネをかけている人で多分、遺伝なのだと思う。
孫もそのうちメガネをかけるのではないかと嫁は極度に心配をしていた。自分がメガネで随分、損をしているので孫にはメガネをかけさせたくないと言っていた。やたらにメガネに固執する嫁だけど多分、私が思うに職場で嫁の印象が、疎んじられているのではないかと思う。
それに数字に執着する姿は素人の私が見ても寒気がする悍ましさであるもの。
あれでよく人の輪の中に入って勤まっていると関心していたけれどヤッパリ、うまくいっていないのではないかと私は勝手に思っている。実家から帰って嫁が口にした第一声は「今週は仕事はダラダラする。もういい加減にする」だった。
そしてメガネを外す為にわざわざ都内の眼科に行くなんて。
投稿しなくなってもう6日になるのか。
嫁が孫を連れて10日も帰省して帰って来てから、例の如く忙しい毎日が始まった。
事あるごとに母親は嫁にメールや、電話をしてくるらしい。それが日を追って父親が日増しに弱り話す会話もおかしな事を言うようになった、とか腎臓の数値が人工透析の枠をいきそうだとか、しょっちゅう不安がらせる事を言って来るので今回も父親の寿命も長くはないと予想して会社もGWなのに、更に有休を使い長期休暇を取って規制したのに、なんのことはない息子の話だと、寿命があやぶいとか心配していた父親は、元気も元気、あんの上、身体は動かさず口だけは達者で、10日間、ほぼ娘である嫁のやることを否定し続け嫁と父親は口喧嘩が絶えなかったらしい。
何を否定され続けたかは知らないけれど、実家から帰ってきた嫁はゲッソリして、キツネのような目つきをしていた。
息子の話だと、今回は母親までもが父親と一緒になって、あらゆる人の悪口、嫁のする事、それは息子に対してでも否定の嵐だったそうだ。
昔からそう言う夫婦だから息子は別にどうにも思わなかったと言っていたが、嫁の方が神経がまいったらしい。帰って来てから嫁の様子がどんどんおかしくなっているのが私にも分かるので今はそっと好きなようにさせている。いつも好きなようにさせているけれど。
銀次郎からメールで「これから埼玉に向かう」と連絡が来た。
とうとう来るか、又忙しい日々が始まる。
迎える今日の天気がどうも怪しい。
こちらに着く頃は多分、雨が降るような気がする。
天が私の気持を代弁してくれてるかのように多分、彼らが埼玉に入る前に雨が降るのではないかと思う。
始まるわ、私の忍耐の日々が
さてもう人仕事するかな。
無呼吸症候群の銀次郎の診断結果は思っていた以上に最悪の診断結果だった。
レベルは最悪の命に及ぶもので放置していたら確実に2〜3年以内に突然死間違い無いと判定をくだされて5月の2日に病院からの依頼で屈託業者が設置器具をも持って来て下さった。
その医療器具の装着の説明を受けながら、この息子の状態を全く意にすることなく、自由気ままに好きな事をし、親があとわずかの命かもなんて行って連休となれば新幹線で孫を連れてさっさと実家に帰る、今回のGWは、実に10日間も実家に帰省しているのだ、所が孫が、自分の親に懐かず片時も嫁から離れないためいつも実家に帰ると3日もしないうちに息子に早く来てコールがかかってくる。今回は流石に無呼吸のレベルの報を嫁は知っているのだし業者が来るのだから遠慮するだろうと思っていたのに、とんでもない2日に医療器具の装着の様子を撮った録画を送ったらなんと嫁は「◯ちゃん、それ持って早く来てよ。こっち👶が暴れてたいへんなんだから」だって❗
ハァー😡このアホンダラ嫁は更にバカを通り越してこいつは人間じゃない、宇宙人だ。だからついうる星やつらが出てしまった。まだ「うる星やつら」の方があったかい血が通っていると思う。
もう、最高の眠りを愛猫の羌ちゃんに起こされてしまった。
時計を見るとまだ3時半じゃない、思わず「羌ー❗煩い❗」と声を荒げてしまった。
寝させてよ。後、数時間したら「うる星やつら」一族が帰って来るのだ。
でなくても嫁と孫が27日に実家に行き、今月3日に、ようやく息子が嫁の実家に出かけて行ってくれ、やっと私だけの我が世の時間を送れると思っていたのに、左腕が動かすと痛くて完全に上げ下げができなくなってしまった。
その1週間前から左肩が痛くて、湿布を貼ってしのいでいたのだけど息子を送り出しホッとした途端に激痛が、それから今朝まで激痛との戦いで、気がつけば今日の午後には「うる星やつら」要するにうる星人が帰還するのだ。
だから、もう少し寝ていたいのに、何だって羌ちゃんまで私に、いじわるするんだよ。なんのための3日間なのよ。
とにかく、この肩と腕は、腰痛の時に貰ったのみ残しの薬があったのでそれを服用しながら過ごした3日間、なんて私の運のなさ痛みより情けなさに泣いてしまった。
昨日の3時過ぎに孫と金ゴンは、新幹線に乗り実家に帰っていった。前の日は保育園を3時に早退させて英語教室に私が送迎し、昨日は朝早くから金ゴンは、池袋のレディスクリニックにさっさと出かけて行った。11時には孫のトランポリン教室を息子に頼みトランポリン教室終了後、駅で待ち合わせ大宮まで3人で行き構内で昼食を食べてから金ゴンと孫を見送って来たと銀次郎は言っていた。
自分の亭主が、いつ突然死しても可笑しくない危険な状態だと重々、承知のクセして自分の親が大事でさっさと帰っていく。帰るのに別に文句は言わないが、妻として女房としてやることやって、きちんと家の中を把握してから出ていけっちゅうの。金ゴンの出て行ったあとの孫と金ゴンの部屋の、そのまんまの散乱さ、洗濯物は汚れ物、放り込んだまま、キッチンのシンク内の汚れ物もそのまんま、そうさせた向うの親もそうだが、嫁にもらう時、向うの母親に「自分が姑で苦労したから娘には苦労させたくない。皿洗い1つさせたことがないので、その分宜しく頼みます。」とか言われたと言っていたが、宮家の姫様ならともかく、わが家と何ら変わらない貧乏人世帯の出じゃないの。姑で苦労したから娘には同じ苦労はさせたくないなの意味が、ここんちは意味をはき違えているか、ただの気違いとしか思えない。
母親も、豪垂れ亭主とヤクザな姑に仕えて精神がおかしくなったのではないかと思う。いや絶対そうだ。
今日が終われば明日から金ゴンと孫が実家に帰省する。来月6日まで帰って来ないから、ようやく休めると思いきや、我が家はとんでもない展開になってゴールデンウイークは息子と2人だけで過ごす羽目になりそう。
1週間前に孫を散歩に連れていき帰ってから孫も銀次郎も疲れ果てリビングのソファーにそのまま親子で寝てしまった。
2人一緒に寝てくれるなんてラッキーと思いきやとんでもない事に、銀次郎の凄まじすぎる騒音とも言えるイビキに、叩き起こして文句の1つも言わんばと思って近寄ったら、イビキが静止して、エッ😳呼吸が止まった❗瞬間、突然死が脳裏に浮かび思わず「銀次郎❗」と叫ぼうとしたら又、イビキがホッとしたのも束の間、又、呼吸が静止。
これがもしかして無呼吸症候群かもしれないと思い直ぐに動画を撮る。
撮って改めてみると確かに何回も呼吸が止まっている、目を覚ましてから銀次郎に動画を見せると「あっ❗確かに俺ヤバい、寝ても疲れ取れないんだよな。寝れば寝るほど疲れる訳が分かった」と映画鑑賞から戻った金ゴンに動画を見せると驚く風もなく「だって銀ちゃん、昔からイビキが凄くてそれで部屋を別々にしたんだもの、今更そんな事ないよ、お母さん、あれから17〜8年経ってんだよ」と笑う有り様。
今朝も寒い。
4時前に目が覚めたけど、筋トレ、スクワットし過ぎて右半身が、なんかおかしい。ホドホドと言うものが分からず、スイッチが入ると、とことん、やり過ぎてしまいいつも自分の身体をイジメてしまう結果になる。
本当に自分が情けない。
今朝は銀次郎、午前様のようで帰宅の気配なく。
3人でやっているグループラインに先程、5時半に3Fで孫と一緒に寝ている金ゴンが息子に「銀ちゃん、おはよう。無事ですか。❓」なんて、珍しく敬語のラインがはいっていた。
普通なら、帰宅しまいが全く気になどかけたことなく、帰宅しないのが当たり前と言うかその方が楽といった金ゴンなのに、なんか笑っちゃう。
今更、女房らしいことして、見え見えだって言うの。
金曜の夜に孫と2人で新幹線に乗り来月7日まで実家に帰省するから銀次郎に気を使っているのだ。気を使うことあったかしら。🤔
でも今までだって実家には2ヶ月半事に帰省しては長くて10日はいつも帰って来なかったのだから、今更、息子に敬語で気遣いするするなんて、遅すぎるのよ。でもようやく、普通の嫁さんの感覚の一歩に近づいてきたのかも、40歳の気付きにしては、いやぁでもなさそう。
そんな心配りのできる子ではないもの。
子供が何か欲しいものがあると急に良い子になるように40歳の子供のお願い事があるのだろうなぁ。ハッハッハッ。
今日は定期検診の日、朝から孫が、ゆう事をきかず遅刻するわ、帰りに現金(二千円)落とすらや、気分凹み、病院から帰って来てから何もせず、勿論、掃除も朝の食器の汚れ物は、食洗機の中にそのままに入れて、金ゴンが帰ってきたら、多分、マックを食べて来るのだろうが、それでも小腹が減って、今夜はカレーをしたけど多分、食べるだろうから、その食器も計算に入れて、あえてスイッチ入れないでそのまま。
孫の迎えは、今日は英語保育で6時までなので、その間に不満爆発しそうで、ちょいミクルにプチ愚痴投稿。
あ〜ぁ、やってらんねぇ。
しかしやるっきゃないのだ。
その負のエネルギーは、スクワットにかけなければ、さて行くか。
チビギャング様をお迎えに。😤
毎日同じ事を、つぶやいている私。
又、今朝も呟く。
晴れてるのに嵐のような風。
こういうのを春の嵐って言うのだろうけど、昔のような春の嵐とはもう言い難く、「ナニコレ春の嵐」と言ってしまった。
ベランダに干した洗濯物を室内に取り入れ、これから散歩方々、買い物に出かけようと思うけど、この激しい風に抗いながら歩くのは考えようには風の圧がストレッチ代わりになるやもしれないか。
徒歩のスピードがどんどん衰えて行くのを自覚しながら、何クソ、負けてたまるかと自分に活を入れる。
さて、春の嵐の中を一歩前進しようと思う。
ある日、突然、歩けなくなる恐怖を思うと、楽をしていたらその日が突然、現実になる、それならは、身体を動かす苦労は全部、自分の為に、何より息子夫婦に迷惑だけはかけたくないから、楽より私は苦を選ぶわ。
さてさて、出かけよう。
なんて奇妙な落ち着かない陽気なんだろう。
これじゃ、「陽気」じゃなくて「妖気」だわ。
暑くなったり寒くなったり、昨日はノースリーブでも汗をかいたのに、今朝は程よくまあまあの過ごしやすい陽気だったのに午後から一変して、嫌な空模様。
風は吹き出し始めるし空は暗雲が垂れ込めはじめるし、一体全体、地球は、どうなっているのだろう。
若い時は感じなかった、気圧と関節の関連性。
もろに感じるようになった。
右大腿骨、じわりじわり不快な痛みが、骨粗鬆症のストレッチをはじめる、結構、ストレッチは、痛みを和らげてくれるので、薬は平気でのみ忘れてもストレッチだけは忘れず、暇さえあれば行っています。
自分の足でできるだけ歩きたい。
自分の骨は自分で鍛えなきゃ、
ショックを乗り越え頑張ろう。
孫のお迎え行かなければ。
余談を先に書いてしまったけど、3月末から、言われるままに薬を飲み続け、スクワットも続行し、食事に100%気をつけて食べているのに、体重は減らず、日を追う事に、身体が重く、歩くのがしんどくなる。
大好きな散歩も身体が嫌がる感じで家でまったりしているのが日課になりつつあり、なんか変、なんかおかしいと思いながら、薬をのみ忘れて3日目(コレステロール)そして今日は骨粗鬆症の薬を、所が気のせいかなんかは知らないけれど身体が軽くなって、足腰が元に戻ったような気がします。
もしかして、身体のダルさや重さ、精神的な、ものぐさももしかして薬が原因なのではと思うようになりました。
元は自分の「食」と「暴飲」が数値を上げたのだ。
現にビールを2月から断酒してから、健診では肝機能は、引っかからなかったではないか。
暫く薬を止めてみよう。
死ぬほどの事がない限り、「医食同源」で全ては口から入る食から自ら病気を作っているような気がする。
飲まず食事に気をつけて22日の検診で様子をみよう。
もう、病院の薬は、死ぬか生きるかの大病と「痛み」の時だけ頼ることにしようと決めました。
これは私の勝手な妄想だけど、健診で骨粗鬆症と判断され、次いでに、高脂血症、コレステロールが高いからと、その場で薬を処方され、それから勝手に次の診察日を、こちらが予約もしないのに今月は22日と決められていた。
要するに、ずっと死ぬまでこの病院から数値との戦いで通院になるのだろうな。
高脂血症や、コレステロール値、肝機能の障害など40代の初め頃から上がりぱなしで、特に肝機能の数値は男性並みの数値だとか言われて、50前半の時に受けた病院の調理員の仕事を面接と筆記試験共に合格しながら健康診断で落とされた苦い経験があります。
「先ずは定期的に病院の治療を受けられて健康体になってください。」と、それだけで落とされてしまった。
それほど身体がが悪いと言われた事よりも内定しながら健診で落とされた事がショックだった。
しかし、病院に通う余裕がないから働き口を探している者に、病院はなんて冷たいのだろうとそれから病院を嫌いになってしまった。
肝機能の数値など原因は、ビールなのだ、コレステロールの数値は、飲んだ後にお腹が空くから白米をつまみ代わりに食べてた結果だと自負しています。
貧乏でおかずが無くても、味噌をつけてご飯を3杯も食べる私だったから。
離婚して初めて世間に飛び出したばかりだったからなぁ。
なんか、昨日はノースリーブに短パンで家の中を闊歩していたのに今朝は肌寒く長袖、一体全体、このヘンテコリンな気候はどうなっているんだろう。
気圧のせいか、毎日の忙しさのせいか何やかは分からないけど、今日は火曜日だったのだ。
昨日から、やんちゃな孫に振り回されて今朝は登園時刻ギリギリに、ホウホウの手で孫を園に送り届け昨日の孫の素行をお詫びして、やれやれと家に到着、リビングのソファーに、ドカッと座り、そして、ハッ😳と気付いた事。
今日は火曜日、週一回の骨粗鬆症の薬を飲む日だったのだ。
スッカリ忘れてた。
昨日の朝は、朝食後に飲むコレステロールの薬を飲むの忘れてたし、コレステロールの薬は自分が覚えているだけで3回飲み忘れているし、こんなのが生涯継続しなきゃならないのなら、もう、止めようかなぁと思いながら年の事を考えると、寝たきりにはなりたくないから、やっぱり飲むしかないのだ。まずは薬を3度のご飯と同じに生活のリズムに組み入れなきゃいけないのだ。
若い時にちゃんと生活していればこんな事にはならなかったと心では思いながらサラサラ反省してはいない。
だって、あの当時はビールなしでは頑張れなかったのだから。
夕飯の準備に取り掛かっている時、保育園から電話があり、うちの孫が同じクラスのY君に頭を噛まれたと連絡があり、よくよく聞いて見ると、うちの孫が、おもちゃをずっと離さずY君が貸せて頂戴とお願いしても絶対に貸さなくて、そのうち取り合いのケンカになり孫は強情なものだから絶対に離さず業を煮やしたY君が思わず孫の頭に噛みついたとの事、この頃ではワガママが度を越して昨日も公園で、玩具の車の取り合いで5歳の男の子2人を相手に孫は取っ組み合いのケンカをして年上の2人を泣かせたばかりで、昨夜は誰に似てこんな強情で、ケンカぱやいのだって話になり夫婦二人して金ゴンのの父親に似たと大笑いしたばかりでした。
昨日の今日で又、ケンカの連絡を貰いながら内心、頭を噛まれたのがうちの孫ので良かったとホッとしました。
おもちゃは貸さない挙げ句に相手の頭を噛んだなんて事になったら、Yちゃんのご両親に合わす顔がないもの。
流石の金ゴンも、今日は会社を定時に帰り自分が孫を迎えに行くと行ってくれて帰りにYちゃん親子に謝罪してくるとの事、息子曰く「二人目急がなくちゃなぁ、わがままになるばかりだ」とかゆってたけどそう甘やかせてるのは、あなた達2人じゃない。怒る事しないんだから。
毎日、忙しく日が過ぎて、気がつくとミクルの更新が日に日に延びがちになってしまう。
股関節の特に右側の大腿骨が歩行時間が長くなるほどにチクチク不快な痛みが走り、いつしか右足を心なしか、引きづるような感じがして歩行途中に、お店のウインドウとか、鏡とかに歩いている自分の姿を目で追うようになりました。
3年前から、仕事中に、この不快感が右側の大腿骨に感じるようになってから、今思えば、この時から骨粗鬆症は、とっくに始まっていたのだと思う。
無知故に、骨と足だけは自信があっただけに、ただの筋肉痛とだけ思い、満員電車に乗り帰りは新宿の街を豪歩し毎日、3万歩は、歩いていた。
休みの日は、孫の世話に明け暮れ、乳飲み子の孫を前抱っこ紐でくくり2時間も3時間も電車やバスを乗り継いで散歩に歩いたものだった。
良く圧迫骨折しなかったと、骨粗鬆症がわかってから医師に奇跡だと言われたくらい。
そう言われてから凄い恐怖を感じ、恥ずかしながら今までのような気丈夫な私にはなれなくなってしまった。
「病は気から」とは言うけど、これは病ではなく加齢と共に訪れるものだから、そうと分かってから私の考え方が変わり同時に生き方もガラリと変化しつつ人生ってほんとにね変転してやまないもんですね。
皆がそれぞれに出かけて、1人、至福のひとときを満喫しています。
あ〜ぁ、やっぱり1人が良いなぁなんて思いながら、もう今更、1人にはなれない、勝手ないい分かもだけど、身体がどんどん老いて行っている事を認識してから、考えが180度変わってしまった。
人間なんてそんなものかもしれない。
生意気に豪語していられるのは身体が比較的丈夫で動けるうちは人間、我を張って生きられるのだろうけど、気力はあっても身体が徐々にゆう事を効かなくなったら「老いては子に従え」従わざるを得ない、これはあくまでも私の判断。
悔しいも何もなく自然に、そういう気持ちになってしまっている。
就活に備え断捨離は完璧に済ませたし後は自分の死んだあとの火葬代や、私の亡き後、今、使っているこの部屋のベッドやテレビ炬燵やカーペット、あと、整理した後に私の匂いを一掃してもらいたいから、息子夫婦の好きなようにリフォームして好きなように快適に使ってほしいからその費用くらい残しておかなければと思う。
願わくば寝たきりにだけはなりたくはないので今は、スクワットや筋トレに励んでいる。
今は働くことよりも、転ばない身体作りと足腰に負担がいかないよう脂肪を筋肉に変えることだけに集中。
すっかり保守的になってしまった。
人間、往々に常に変転してやまず。
これからもどう変わって行くのやら、私の感情。さて掃除しながら筋トレだ。
曙さんの訃報を昨日、朝一番で知り、
深い悲しみに襲われた。
今、ユーチューブでは元、貴闘力さんの、相撲協会の裏話に、どっぷり浸かってしまって、テレビを見るよりユーチューブ釘付けになっていた所に、いきなりの訃報。
曙さんの場合は何故、プロレスラーに転向したのだろうか、お喋りな貴闘力さんがこれから少しづつ又何やかんやで持ち出すのだろうが、もうあちらの世界、知りたくなくなった。
私はただ、炎鵬が好きで田舎におったとき足繁く国技館に通った者だけど、炎鵬の師匠の白鵬があんな事態になってから、知りたくない事まで知ってしまって正直、ヘドが出る。
暫く相撲から離れて生命浄化しなきゃ。
でも曙さんは、本当になんであんなに
辛い事ばかりのしかし、逃げもせず突き進まれた精神は凄いと思う。
54歳あまりにも若すぎます。
涙が出てならない。
心から御冥福お祈り致します。
午前中に図書館に行き、骨粗鬆症やコレステロール、70歳からの筋トレなど本を借りてきた。
見るほどに元気が萎む。
見なきゃ良かった、けど知らないで、圧迫骨折などしていたら、そう思うと見ない訳に行かないし。
先生にも言われたけれど私の場合、閉経が44歳だったから、意外と早い時期に骨粗鬆症にも成っていた可能性があると言われてた。
それで、満員電車に乗り1日3万歩の働きをしていたのだから、リウマチ性多発性筋肉痛は、さておいて、良くその体で働き休みの日は子守をしていて圧迫骨折しなかったと驚かれてしまった。
先生に、足の方は痛くないですか❓
と問われ、そう言えば右側の大腿骨が歩くと違和感があり、長時間歩くと痛みが起きると言ったら、「充分に意識してすこしでも痛みが来たら小休止するように」と忠告される始末、情けない、とうとう恐れていた事が自分の躰に起きてしまった。😮💨
今日はすこぶる、良いお天気。
昨夜は息子も無事にご帰還、今朝は11時に孫のトランポリン教室に車で出かけて行った。
トランポリン教室の帰りに消防庁舎を見学して公園で遊び昼ご飯を食べて来ると言うから私はその間に、自分部屋の大掃除に取りかかった。
3月いっぱい寝たり起きたりの1ヶ月間だったので全く自分部屋の掃除せず、リビングだけは毎日せっせと掃除していたので、この際、体調も回復したことだし、鬼のいない間に徹底的に大掃除に取りかかった。炬燵を廊下に出すと何と狭かった部屋が広く立派に見える事。
しかしながら今暫くは炬燵は取り除けない。
でも、やっぱり部屋が綺麗になると体も心も爽やかになるから不思議。
身体が健康だから掃除ができるのだ。
毎日、掃除をする事は自分の身体や心も綺麗につながっているように思う。
掃除の度に勇気を持って、殆ど捨てる事にして今日も70㍑の袋に2つのゴミがでた。
部屋にあるのは、キングダムのアニメ本全巻と何着かの衣類、化粧品それくらいかな。
部屋がスッキリすると体も心もスッキリする。
さてさて掃除終わっての、お一人様の昼食は何にしようかな。
今日は、本当に春日和、心ウキウキです。
それで、98歳まで、その婆様は生きたのだから嫁の金ゴンの、お母さんの労力は大変なものだったろうと、聞いていて、お母さんに同情の気持ちになったけど、しかしね、このお母さんも、かなり変わってて、それだけ半生を強欲姑と旦那に費やされながら、その家から、その土地から離れたくないと言うのだから、同じ世代の私には、このお母さんの気持ちが全く持って理解できない。
とにかく、1日台所に、お母さんは入っていて、子供だった金ゴンさえ、台所には入れさせなかったそうだ。
だから掃除、料理何でもできない娘にしてしまったのだと思う。
しかしね、いくら料理ができようが、旦那さんの持病を聞くと恐ろしくなる。
糖尿病に、腎臓病、通風に、高血圧、白内障に、膝に水のたまる病気、体重、102キロで健在なのだから、金ゴンも糖尿病予備軍になっているし、いくら、料理しか能がないと自慢にしている奥さんにしては、この相方の生活習慣病のオンパレード、凄く違和感を感じ背筋に冷たいものがはしってしまった。
この2週間、息子不在で金ゴンと日夜共にしてきて色んな金ゴンの育った昔話を金ゴン自身が話してくれた。
金ゴンの、お祖母ちゃんと言う人は凄い人で、花札が大好きで、昼間っから夕方まで近所の仲間を呼んでは花札に講じていたという。金ゴンの、お父さんは実は再婚で最初の奥さんとの間に女の子が生まれたらしいけど子供を産みに里帰りしたまま、そのまま離婚になったのだそうな。
その後に、お見合いで金ゴンの、お母さんが嫁いで来たのだそうで、嫁に来たその日から専業主婦で家事、育児、自転車屋をやっていたから店の手伝いと、とにかく休む暇なく働きどうし、動き通しの人生だったとか、婆さんが豪傑で、花札好き、キセルを加えながら、近所の爺さん婆さん相手に小銭かけしてもうけていたっていうから、相当の婆さん何だなぁと聞きながらその血が金ゴンにも息づいているのかと思うと、何となくね、納得しちゃった。
それに加え、とにかく食欲旺盛で、金ゴンに言わせると貪欲なほどの喰い意地一家で、金ゴンのお母さんは1日、喰い意地のはった姑と旦那の食事の支度で1日が終わるそんな家だったそうだ。
金ゴンは孫の歯の定期健診に南浦和までバスで出かけているので、つかの間の1人の時間をたのしんでいる。
歯科検診後、お昼を食べて帰るとの事、その後は金ゴン、定例の週1のマッサージに3時まで出かけるため、その後は私が孫のお守役。
その間、束の間の癒やしタイムを自分部屋で、どっぷり堪能している。
炬燵に温もりながら開けてる窓から肌寒い冷気を受けながら、何となく、この感じと空間が好きと言うか懐かしい。
昭和の昔の子供時代、4月と言えばまだ雪が少し残っていたけれど茶の間の炬燵にあたりながら木枠の窓の外を眺めて、「早くあったかくならないかなぁ」なんて眺めてたっけ。
眺める当時の窓の景色は、裏の家の風景、平屋だったけど農家で地主さんの家だったけど広い敷地に、大きな木、椿の木やどんぐりの木や、柿の木何かがいっぱい植えられていて、鶏が放し飼いになってたけなぁ。
今、私が見ている外は見渡す限り高層マンションの輪。
見上げる空は灰色で見上げながら高層マンションの住人の人に見おろされて目があって互いに苦笑い、時代は、変わったのだなぁ。
銀次郎が2週間、出張でいないため、金ゴンと孫との3人の生活。
何故かしら❓銀次郎が在宅の時より、結構、呑気にやっている。
金ゴンは、あい変わらず朝7時に家を出て夜の7時に帰って来る。
病院のある日は、8時近くなるけれど、その代わり日中は私1人なので、掃除を済ませたら、ほとんど、ぬらりくらりと余暇を楽しんでいる。
病んでた時は体重が3キロ減ったのに今では、あっという間にリバウンド、元の体重に戻ってしまった。
おまけに+1増えてるし、普通なら嫁と2人になたら、気を使って体重減るのが当たり前だろうになんで体重が増えるのだろう。金ゴンも同じ事を言っている。
金ゴンも体重が増えてヤバいとか、そう言いながら昨日の夜は、孫を寝かしつけ小腹が空いて、孫のおやつの、どら焼きを食べてたら孫が目を覚まし金ゴンがどら焼きを食べてる姿を見て「ママがボクのどら焼き盗んだ」と言って大泣きの大喧嘩になったとか今朝の起きがけ寝不足でブーブ言っていたっけ。
寝る前に孫のオヤツを食べるなんて笑っちゃったけど、金ゴン曰く、「食い意地が張ってるのは、うちの家系だから食べ物と、お金はどうしようもない」と、あられもなくポロリと言う辺り、この子の憎めない所は、嘘がつけないって所かな。
この2週間で話を聞いているうちに鬼嫁は、実は鬼嫁ではなかったと、正直捨方便で可愛く思えるようになりました。
今朝も、鈍より雨雲。
今日も1日、雨だと金ゴンが言っていた。
今年は桜の開花も去年よりずっと遅く、
咲いてもため息の出るほどの感嘆もなく、なんて気候なんだろう。
だからか分からないけれど、体調が著しく何となく落ち着かない。
今まで鈍感にやり過ごして元気印で生きて来た私だけれど、関東在住になって4年、身体が定まらない気候の変化で、操り人形見たくフラフラしている。
なんで今更、こうなるんだろう。
引っ越して来たばかりの時は、3年も元気で新宿都◯の高層ビルで毎日、陽気に妖気仲間と仕事をして、終われば新宿の街を所狭しと遊び回っては1日有に、3万歩は歩いていたのに、それが仇になって今の不調に繋がっているのだろうか。
今は逆に家事と孫の世話で後は何もする事のない、平凡な中でやたら身体の事が気になりだして困ったもんです。
あっ!孫が起きた。
準備しなくちゃ。
今になって初めて知ったのだけど今、沖縄津波で大変な状況なんですね。
一週間前に、うちの銀次郎は那覇市に出張していたのだった。
そう思うと人ごとでなく不安が沢山胸をよぎります。
どうか被害がなく通り過ぎますように。
祈らずにおられません。
沖縄の出張から戻ったかと思えば今度は大阪に出張していくし、ここ2週間、銀次郎不在のまま、金ゴンと孫の3人暮らし、何故か忙しくてミクルに呟きに来る暇がなかった。
普段はリモートワークで息子がしょっちゅう在宅の時は、ブツブツ私は不満タラタラこぼしてたくせに、いざ長期間、不在になると、銀次郎の有り難みが分かるし、何て私は勝手過ぎるのだろうなぁ。
あ〜ぁ、疲れた。
日中、誰も居なくてユックリ休めてるはずなのに、これが何故かユックリ休めない、することが多すぎて、保育園の新年度は忙しくて、雑巾を持ってこいだの、手の余ったお方は、雑巾をできたら多くお願いしますと言われ、金ゴンのヤツ、自分が縫製できないからって、勝手に、お便り帳に「うちは母が洋裁好きなので雑巾は沢山寄付します。」と私になんの連絡もなしに放言したもんだから、ここずっと手縫いで雑巾縫い期限は明日。
今、縫っているので29枚、後1枚で30枚になるからそしたら止める。
ミシンぐらい置いとけよ。
とついにグチがでちゃつた。
銀次郎も最近、変わって来たように感じる。最近は出張が多くなり、沖縄から帰ってきたばかりなのに来週は火曜から大阪出張に行く事になったという。
孫がいたら休めないだろうと今日は私が1日、孫を外に連れ出すからと申し出たら「いやいや、俺が孫の面倒を見るよ。出張が多くて会えないから一緒にいられる時にいっぱい一緒に遊びたい」と初めて聞く銀次郎の父親らしい言葉。
それでさっそく、お昼過ぎに銀次郎は孫に催促されて隣町の大きな公園に車で出かけて行った。
思いもよらぬ、幸運に1人広いリビングで羌ちゃんと、のんびり、まったりすごしています。
しかし温かい。もうエアコンも床暖房もかける必要なく半袖になりたいくらい。
思えば3月ももう終わるのだわ。
3月はほとんど寝たきりで、正直、もしかして私はもう寿命なのかもと、自分でも覚悟を決めた矢先だったのに、何とか症状が改善した。骨粗鬆症などのお土産が増えたけど、これからどんどん増えるのだから、今更1つや2つ、今からビクビクしていたら気の方を病んでそのまま昇天するやもしない。
間違いなく「死」へと近づいているのだ。まともな人間になって死にたいと真剣に考えるようになりました。
一挙に初夏になったような快晴。
今日は朝10時半には金ゴンは埼玉アリーナである、何とかと言うコンサートに出かけて行った。夜の9時に帰ると言って、おでんだけ煮込んで行ってくれたから、この頃ではそれでもコンサートに行く時は一品作るようになったから、金ゴンも主婦らしくなってきたなぁと思うようになった。しかも出かける時は必ずスカートをはくようになったし、なんで今更と七不思議だったけど、どうやらその根源は孫にあったらしい。
孫が男の子なのに誰々のママは、綺麗だとか、誰々のママは、お洋服がキラキラダネとかの話になって、ある女の子がうちの孫に「なんで👶ちゃんちのママはズボンばっかりなの、なんでスカートはかないの❓」って聞かれたらしく、その日1日あったことを金ゴンは寝る時に孫に聞くのが習わしでそれを聞いて俄然、その夜は眠れなかったそうだ(笑)
それ以来、ロングのフレアスカートをはくようになって、今ではしわしわのズボンが見れなくなってしまった。
今の保育園の女の子の良く見ていること、その子のママが新年度のPТAの会長なそうな、なるほどなぁといつの世も
子供を持つ親は大変である。
私も散々経験しただけに、あまりそう言う事が苦手な金ゴン、これからずっとついて回る親の修行、始まったばかりよ。2人目妊活中なんだからこれからどうなるのか。やだけど、背中押してやるきゃないね。私も通って来た道だから。
そして思ったことは、まともに働いている人間が保険証がありながら病院にもかかれず、湯沸かし器、エアコンも買えず、冬の雪の日は早朝から雪かきをし、仕事をし終えて帰れば駐車場は雪で、埋まってるし、必死になって雪かきをしているのに生活保護者の1人は窓からそれを高みの見物してニヤニヤしているし、不思議な事は生活保護受けながら、エアコンを取付、湯沸かし器もあり、買い物や、病院をタクシーで行くと言う信じられない光景を見てどんだけこの街は、生活保護者を大事にしているのだろうと泣けて泣けて仕方なかった。
之じゃ働く者は、まるで馬鹿みたい、しかし私は生活保護なんか受けるくらいなら野垂れ死にしたほうがいいと本気で思っていたから何クソ、バカにしたけりゃすればいいと歯を食いしばって頑張って来た。あの元気さ、こちらに来たら、ゆったりしてしまっておまけに知らないで良かった隠れ病が続々でるし、まいちゃうなぁ。人生って本当に平らには行かないもんなんだ。それが人生なんですね。
今はようやく、自分が病になりして色々な方々の気持ちが本当によくわかる境涯になりました。
まんざら年を取るのも病気になるのも、素直な真人間にさせてもらう大切な要因なのじゃないかと思える自分になりました。
お天気が良くて気持ちいい。
窓から入ってくる、そよ風が心地良くて
1人ベランダ側のソファーに、よりかかりベランダで日向ぼっこしている羌ちゃんの影がカーテンに映し出され、それを見ながら「幸せだなぁ」としみじみ思う。
なんか病気して私もようやく病気と共存している高齢者の方々の気持ちが痛いほどわかるようになった。
50代の頃は若かったし1人生き抜く覚悟だったから身体の中はボロボロでも動ける事と痛みがないから自力で頑張って来た。離婚して15年、考えたら病院など行かなかった。歯医者だけは入れ歯にしなきゃだから2年通ったけど、それくらいかな。
ほんとは、ちゃんとした病院に行き、それなりの治療を受けて入れば、こんなに、惡くならなかっただろうに。
でも、あの時は行けなかったんだ。
行きたくても同じボロアパートの住人の8世帯のうち実に6世帯が生活保護でしめられていたっけ。逆になんで、あんたらがこんなとこ来やがるんだとか怒声浴びさせられたけど、50歳の女が離婚して住める所と言ったら、ここしかなかったのだ、離婚したことは一度も後悔はないが、このような対応をされるなんて本当に情けなかった。しかし離婚しなきゃアル中で廃人になってたことは間違いないから、生きるためには何を言われようが耐えるしかなかった。まさか生活保護の人に罵倒されようなんてあれは一生忘れない。
今年の3月ほど荒れ狂った3月はないように感じる。
今日は、3歳の孫の星組さんの最後の日。2時でお迎えにいかなければならない。それで4月1日から新年度に編入。
早いものだなぁ。生後9ヶ月でこの保育園に入りピーピー泣いてたのに3日後には新しい制服に身を包み、カバンを持って登園するのだから、ちょつと胸キュン。憎可愛孫ちゃん、やっぱり産まれたときからお世話したから胸に迫るものが、一緒に住むとだめね、離れられないや、情けない私。
もうお迎えに往かなきゃだ。
5時半には英語教室だし、ブーブー言いながら忙しいのは有り難いことなのだろうか何なのだろうか今は考える暇なしの日常が始まりました。
健康で人の為に動くのはしあわせなのかもしれない。時々、文句でるけど。
人間だものね。
沖縄の営業を予定より速く完了して今夜8時のフライトに乗り東京駅の終電に間に合うか間に合わないならタクシーで帰ると連絡があった。
金ゴン曰く、そんな無理しないでホテルに泊まって帰れば良いのにと言ったら息子は孫の顔が見たいから一刻でも速く帰りたいとの事。
今夜は寝ないで待つしか無いかな。
息子、銀次郎がこんなに、子煩悩になるなんて思っても見なかった。あんなに反抗期で、手のつけられなかった我が息子、銀次郎、なんかね、私ら夫婦がろくでもない夫婦だったから、反面教師に育ったのかもだしれない、それとも子ども嫌いの嫁の金ゴンも、子供ができてから徐々に人間性が変わったように思う。
いや完全に変わった。やっと宇宙人ぽさが消えたと言うか、日々、人間味が滲み出てきたような感がある。
子供って凄い存在だと思う。甘やかされなんの苦労もなく育ち孫は今のところ問題なく順調に育ってくれ家中、天使のような笑顔と、可愛いい声で所狭しと走り回りそれが今は我が家のかけがえの無い存在になっているのだけど、それは夫婦の感情で私の本心は孫は可愛さ余って100倍の感を持つ非常人間。
可愛い事は可愛いけど全部、この家族に自由を奪われて実はムラムラしてる私の気持ちなんか誰も知るよしじゃないのだから、知られてはまずいから好好婆してるけど、今日で我が世の天国終了。又、家政婦の忙しい日々が始まるわ。あと少し幸せ時間を満喫しよう。
昔の職場仲間のも色々人生歩んでいて、当時の戦友の1人また1人と退職していき連絡を貰いそのたびに退職した戦友にお祝を埼玉から送り届けて来た。
この20日に最後の大戦友が古希を迎えて70歳で見事な退職をされた。
それは丸さん、丸さんは実に大学卒業後入社して以来実に46年勤め上げた老兵さんです。ずっと営業で全国各地をまわり職場の商品を宣伝して来た業績は会社にとってどれだけ功績になったか計り知れないそうです。定年後は若い人の指導や、揉め事が日常茶飯事だった今でも揉め事のオンパレードだけど、その中の仲裁おじさんとして皆さんに笑いと涙を提供してくれた大事な仏のような丸さん、会社側は、居てくれるだけでいいと、言われ9時から5時勤務が4時になり3時になりして等々丸さん自身体の限界を感じで「これ以上続けると命の危険を感じる」と言って今月20日の退職になりました。それでプレゼントに、丸さん御夫婦の古希祝いのペアーのТシャツを名前入りで贈ることにして、それはネットで頼むことにし、うちの金ゴンに又また世話になりました。そのТシャツがネット側から直接送られ昨日届いたと丸さんから連絡があり、Тシャツを来た丸さん御夫婦の写メが届き嬉しかったです。
Тシャツの胸に「頑張り続けて70年」
の文字がプリントされてその横に互いの名前がプリントされてるТシャツです。
喜んで貰えて嬉しかったです。
今日は前の職場仲間の若い、サキちゃんの誕生日だった。
先程、サキちゃんのイメージに合わせて、ド派手なバースデーメッセージとイラスト動画をラインから一発打ち上げた。
サキちゃんは朝が弱い子だから、まだ寝ているのはじゅうじゅう承知だけれど、これが私流、サキちゃんだけでなく誰であってもバースデーの日は早朝から届けています。
今の若い世代は寝るのが遅いから0時に送ると喜んでくれるけど、骨粗鬆症になるほど骨がもろくなった今は夜はもう起きていられないから、早朝一番にお祝いすることがいつの間にか私流と言われるようになりました。
サキちゃん、私が定年になって退職する時だって自分の年齢教えてくれなかったけど、町子さんの話だと今年で35歳らしいという。あの時、当時6歳だった、サキちゃんの子供の女の子が今年、高校入学したと言うからびっくりです。
こちらが年を取るのも早いけど他人のお子さんの成長の何と早いこと。
ため息です。
こちらが益々、老いに拍車をかける「時」の酷さ 悲しいかな😮💨
投稿しながら寝てしまっていた。
もうお昼過ぎて一番。
なんでこんなに、眠たいんだろう。
午後の薬のまなきゃならないかったのだっけ。
お昼食べなくちゃね。
健診のショックから立ち直れなくて
ただ今、意気消沈中。
健診で思いもよらない結果を言われそれで死ぬまで病院通いを余儀なくされて、ヘタレてしまったのは自分「骨粗鬆症」
になっていたという事。
骨に関しては100%自信があっただけに、それが骨スカスカだなんてあまりのショックに、この眠気は、そのせいかもしれない。
骨粗鬆症の薬は週に一回の投薬だけど
規制があって、朝の起床時に180mlの水で飲む事。
飲んだ後は30分二度寝しないこと。
朝食も服用してから30分後に食べる事と規則があって、その後、寝るなと号令かけられると眠くて眠くて仕方なく、しかし朝一は、我が家は戦争の忙しさなので眠気どころの騒ぎてなくあっという間に30分はクリしたもののその後の1人の時間が睡魔との戦い、起きなきゃ、食べなきゃ薬飲まなきゃ、何なのこの全く無く今までの私のライフ・スタイルからこんな展開になるなんて😥泣きそう😮💨
孫を送り届けて1人自分の部屋で
コタツに入り小雨の滴る音を聞きながら、投稿しています。
とても眠い💤
薬慣れしていないためなのか、朝から2度目の投薬、しかも今飲んだのは2回で食後に何種類も飲んだからなのか、何もする気力なくただひたすら眠たい。
昨日は、人生一番ショックだった。
健康診断の結果なんかやっぱりききたくなかった。
1人暮らしだったら多分、意地でも行かぬ存ぜぬで通したのではないかと思う。
しかし今は息子夫婦と同居しているから
私がいくら行きたくないを通しても、私にもしものことがあった時、嫌でもこの夫婦に世話にならなければならないのだもの。
金ゴン曰く、「将来、寝たきりになってほしくないから病院嫌い薬嫌いの意識を切り替えて少しでもへんと思ったら直ぐに病院に行くこと」と念を押された。
私も父の介護で辛い思いをしたから金ゴンの言うことは心底分かるしましてや金ゴンには実家に大変な両親を抱えているだけに私も流石に負担をかけてはならないと、病院にお世話になることにしました。昨日がそのスタートの日。
死ぬまで呟きは自分との身体のことになるのではないかと思う。
とうとうそう言う年代に足を踏み入れたのだな😔
悲しいけどこれが現実。😮💨
今日から、銀次郎が沖縄に出張だったのだ。先程、カネゴンは孫の朝食を作り出勤していった。
銀次郎が沖縄に向かう前に孫を保育園に送り届けてから駅に向かうと言ってくれたので甘えてお願いし、私はと言えば、2週間になるのにずっとこの状態。
情けない。今日は3月初旬に受けた健診の結果が出るのでそれを貰いについでに担当医師の診断を受けて来ようと思う。
運が悪く今朝は小雨、普通なら散歩方々、徒歩で行くのだけど距離が20分かかるから、この体調不良で流石に徒歩はキツく贅沢だけどタクシーを使わせでもらおうと思う。
痛み止めの薬が効いてくれれば歩けるのだけれど、1週間、銀次郎がいなくなると、少しでも体力、温存しておかないと、金ゴンだけに負担をかけては申し訳ないし、ちょっと自分に気合入れなきゃなぁ。
情けない、本当に口では元気らしい自分をアピールしながら体がゆうことを聞いてはくれないのだから。
今一人で留守番しています。
孫のトランポリン教室に車で親子で出かけたからです。
お昼も食べて来るとのことで、帰りは2時頃になるのかな。
実は今朝は首から脊髄、背中にかけて痛みで身体を動かす事も出来ずベッドで四苦八苦していると丁度、金ゴンが、お粥を持ってきてくれて、抱きかかえて起こして貰ったのだけど起きるまでが痛みで
スローモーションでなんとかベッドの上でクッション何枚も壁際に立て身体を支えながらなんとか起きることができました。この痛みは紛れもなくリウマチ性多発性筋痛症だと昨夜から、じゃないかと感じていたけれど朝の激痛でハッキリ、断言できた。
そう言えば去年の診断で貰った処方箋、激痛が消えた時点でタンスの奥にしまってたのを思い出し、金ゴンに取り出して貰おうかと思ったけど薬に関しては金ゴンは徹底して厳しいので途中で服用を止めたのが判ったら、どやしつけられるので知らぬ顔して金ゴンが出ていってから
痛みと戦いながら這いつくばってタンスから薬を取り出して朝食終わってから服用すると、アラ😲やだ❗
痛みが嘘のように引いていくではない。
薬って凄いなぁ。
変人こき金ゴンの薬信者には違和感が強く尚更、薬には背を向けていたけれど、ここ1週間の症状と一昨日から始まった激痛には流石に薬嫌い返上しなきゃと思いました。
助かったぁ😮💨痛みのないことの幸せをしているとい痛切にかんじます。
目が覚めて、なんとか動けるようなのでリビングに上がり鍋に取り掛かる。こう言う時は、鍋料理は助かります。
何でもかんでも入れてしまえば良いのだから。
時計を見ると3時半、今夜は孫の英語塾だから送って行かねばならなかったのだった。今のこの身体で夜風には身の危険を感じていたので今日はタクシーの世話になろうかなどとボンヤリ考えていたら、お鍋もいい具合に煮えてリビング中に温かくて優しい香りが、ちょうど会議が終わったのか銀次郎が自分の部屋から降りてきて、「わぁ❗旨そう❗喰いたい。」と言うので、お碗にいっぱいに盛り付けて出すと、子供みたいにはしゃいで、うまいうまいと食べてくれて3杯もお代わりしてくれるものだから、お鍋の中は、あっという間に底が見えてしまう始末。
顔色も見る見る良くなり、息子が時計を見ながら「俺が👶の送り迎えするよ」と言ってくれたので銀次郎も熱があるのだろうにと思いながら、ここは銀次郎に甘える事にしました。
助かったのは駅前の塾までの送り迎え、たとえ、タクシーだろうと外の空気がもう躰に応えるので、今夜は命がけだななんて腹をくくってたけど、たすかった。
鬼嫁に洗脳されてもう正気には戻れないほど毒漬けされて私は息子はもう変わることはないだろうと私の中では諦めていたのだけれど、この時ばかりはまだ、当時の優しい心が残っているのだなぁと、嬉しくなった。やっぱり料理だなぁと思う。
金ゴンは、今日は上野にお花見に出かけて行った。当初は孫も一緒に連れて行くつもりだったらしいけど又、風邪を引かせてはいけないから家に置いて自分だけで先程、出かけて行った。
昨日、珍しく銀次郎が風邪を引いてしまい熱を計ったら38度あった。
リモートワークだったから、休み休みパソコンに向かっていたけれど、ウェーブ会議になると熱があろうが職務を全うしなければならないのでほとんど休まず見ていて辛くなり、栄養のある温かいあっさりした海鮮鍋でも作ってやろうと、何週間ぶりに食材を求め買い物に出かけたけれど、私の体が風の冷たさに極端に反応し、見る見る気分が悪くなり、なんとか買い物をして家につくと、立てないくらいの疲労感。買ってきた食材は冷蔵庫に入れる気力もなく出しっぱなしにして、部屋に戻りコタツとエアコン温度を上げ部屋が温まるまでこたつに身を横たえ、体温を計ると38度にあがっていた。「又、熱か❗」なんでこえなるのとか愚痴りながらそのまま3時まで寝てしまった。
今朝も寒く目覚め一番にエアコンを入れる。
体調、あいも変わらず毎日家の中でゴロゴロしているので筋肉痛でアチラコチラがカキコキ音がする有り様。
外の風が毎日、強風なので今の私の体には風が一番の妨げになり風の冷たさに身体全体がザワザワして拒否反応をお越し気分が一変してしまうので、もう散歩しなくなって1週間になる。
これじゃ行けないと思いながら、今はとにかく家の中で自由気ままに身体の回復に心がけています。
そんな折に昨夜、金ゴンから、もう5月のゴールデンウイークの予定を言われました。
「お母さん、悪いけど今年のゴールデンウイークは、めいいっぱい長く実家に行きたいから家の事お願い」と宣言された。何でも実家の父親の様子がどんどんおかしくなり、母親の方が鬱になりけて気分が落ち込み実家が危ない状態なので、ゴールデンウイークは、母親のために尽くして来たいとの事だった。
今更、尽くしたいなんて毎日のように、尽くしすぎるほど尽くしているじゃない。
それは娘として当然の行為だろうけれど、息子がいながら何で嫁の実家は娘だけを頼るのか43歳にもなって大学まで出して貰いながら、全く親が困ろうが呆け始めて母親が鬱になりけて娘に懇願しながら43歳の息子は全く無視、何なのこの馬鹿家族。
いちいち嫁に出した娘をとことん頼るなど、傍観していて私も今、病身の身でありながら無性に腹が立つ。
朝から申し訳ありません。
2年前にコロナにかかりその時に初めて発熱を経験して以来、考えて見ると光熱でうなされるという経験が全く無く私が幼児の時は良く熱を出していたと親は言っていましたが物心つく頃から熱でうなされるのは今回が初めてでした。銀次郎が病院に行こうと言ってくれたけど今どきの病院は、発熱外来に回され予約しても待たされるのが当たり前でそれが逆にストレスになるから、それならば、とにかく安静にして寝て過ごすと宣言してひたすら寝て過ごしました。
食事も上げ膳据え膳で、料理作ること事態がストレスの金ゴンが珍しくおかゆセットなど運んでくれたので、それさえも喉を通らず、ひたすら水分補給だけに努めました。おかげさまで熱も平熱になり
自分の力で歩けるようになったので、家族が買い物で車で出かけて留守の我が家でストレッチを始めています。
体重計ったら2K減になって思ったこと、熱は体力も気力も体重も奪うという恐ろしさ。増して70を目前になると高熱イコール肺炎に繋がるのではないかと流石に体力馬鹿を誇示してきた私も今回は慎重になりました。熱で妄想のさなか、こんなに家畜の如くこき使われるのなら、このまま死んで楽になるのも良いかもとなるようにしかならないしかし病院に行くくらいなら寝て過ごすと宣言しながらこの4日間の時間の止まったような静寂と見る夢は、早送りされたようなと言うか巻き戻されて行くような感じもした不思議な4日間でした。
土日月火そして今日も体調改善せず、全く何もしないで寝て過ごしている。
孫の送迎から買い物、3度の食事、全て銀次郎夫婦に任せ、ただひたすら、寝ては起きての、日々を過ごし熱のある時は、記憶が全く虚ろになり、ここは現実なのか夢の中なのか区別がつかないそんな日が3日間ありました。
その時の感覚は時間が止まったように長く感じ、とにかくうつらうつらと微睡むような浅い眠りで見る夢は決まって同じ夢、孫の様態がはっきりしなくて医者は2〜3日様子を見てはを繰り返して、貰う薬が一向に効かずまたは、病院に連れていき、じゃあ薬を替えて見ましょうと、それが実際に4回あり、そのたびに
又、薬が替わるを繰り返していたのでそれがそのままそっくり夢に現れて同じ夢を実に3日も連続して見続けていたものだから、変な言い方になりますが、この世なのかあの世なのか区別がつかなくなりまし。おまけに見る夢は、昭和の私流の言い方ですとビデオテープを早回しした感じで見てる夢の全てが早送りされてるような急速映像、なのにフッと目が覚めると時間が止まったのようなルーズさ、あれ時は熱に浮かされたのか自分の戯言で目が冷め、その戯言がリビングに響いたみたいで駆けつけてくれた銀次郎夫婦のあの顔は一生忘れないだろうと思うほど恐怖を顔に出していた。
それほど私が普通じゃなかったのだと思う。
銀次郎は銀次郎で金ゴンに弱みを握られているのでそのためだけに金ゴンに思い切り贅沢をさせているのだ。
ずるい奴だわ。そんなとこ別れた亭主にそっくりだ、いや、そっくりではないな、銀次郎の方が父親よりはるかに、魂胆はあるにしても、嫁や嫁の実家から受けた恩は、一生返さなきゃならないと思っている律儀な所が、いたいけ無くて、腹は立つけれど、協力しているのだけれど。それを当たり前のように調子に乗られた日には私も次の人生を、模索中。
長男には4年間で命を削って貢献したし、お金もそれそおうに蓄えの半分はやっているのだ、もうこれ以上は貢献する必要はないと、この3月に入って色々模索検討中。
孫も4歳になれば立派な大人だし、私の役目も終盤に来ているのではないかと思う。孫はたしかに可愛いけどそれは2歳まで3歳辺りから自我が芽生え、親を見て育っているから、困っしゃくれて、ワガママで、金ゴンをコピーしたかのような憎可愛さ。
これ以上は孫の人格形成を見る気ないから、引き際を考えている。離婚して家を飛び出して好き勝手に生きて来た事に対しての償いは、この4年間で充分に私は返したと思う。とは言え身体が資本の私が最近はあちらこちらにヒヅミがはいり、これが加齢というものなのかと思う左近、時は止まってはくれないのだ。
何かやり残した何かを必死に探している最近です。
何日ぶりの投稿かしら。
3月は私の誕生月だと言うのに、3月に、入った途端にろくなことが無い。
「3月は去る」と昔の人は言っていたけれど本当に去って欲しい。
2日の日にカネゴンゴンの短大時代の友達の1人の祥月命日と言うことで毎年、その友達の実家に女性3人組でお墓参りに行っているのだ。かれこれ10年近くなるらしいけれど、毎年行っている、今年は1人の仲間が家の都合で欠席をしたらしいけれど金ゴンは、多分、自分が1人になっても行くのではないかとおもう。だって墓参りと称して朝早く電車に乗り帰って来るのが深夜なのだから。
要するに墓参りのあとの女子会がメインなのだと思う。
その亡くなった友達の亡くなり方が普通の亡くなり方と少し違って、ホームで電車車を待っている時に誤って転落して亡くなったという経路なので、思い入れもひとしおだと思うけれど、そろっともう墓参りはしなくてよいのではないかと私は思う。人の付き合いが雑な金ゴンにしては友人の為に墓参りを続ける事は1年間の近況報告とか、何よりも食事をしてから映画を鑑賞したりショッピングを楽しむのがユイツの、目的なんだろうけど、結局は彼女達は家から離れて自分達だけの時間を楽しみたいだけなのだ。まったく、そのたびに孫の面倒を見させられる私や銀次郎の身にもなってほしい。
銀次郎は別に嫁可愛くてやっているのでは無いんだけど。
金ゴンの実家の、お母さんも風邪を引いたので病院に行ったら、コロナと診断されたそうで慌てて、夫も連れて行ったら、やはり、コロナだったそうだ。
ところが、いちばん、コロナを恐れていた夫の方が全く風邪の症状がなかったのに「陽性」と出て「なんだ、コロナなんか、こんなものなのか」鼻で笑って、相変わらず好き放題、食べて飲んで寝てのライフスタイルを貫き通しているそうだ。普段、健康な奥さんの方が、大事をとって外出も控えて寝ているそうだが、旦那がとにかく何もしない旦那だそうで、食事の支度や掃除も、コロナと言えど寝ている暇なく動き通しだそうで、良くまぁ、金ゴンのお母さんは、強欲姑に仕え、その息子の世話を未だに自分を犠牲にして嫁の鏡みたく仕えているらしいが、私にはとても真似できない。
そんな立派な嫁さんの鏡みたいな人の娘がなんで料理、掃除1つ出来ない娘に育ててしまったのか、全く世の中、理解し難いと思う。
しかも今になって初めて聞かされたのだけど、このご両親、金ゴンの扶養になっているのだそうだ。こんなバカな事があるのだろうか❓立派な息子がいるのにである全く世の中、あるわあるわの理不尽如き七不思議。
あまりボヤくと夢見が悪いから、寝るとしよう。おやすみなさい。
ちょっと寝る前に呟きたくなった。
私だけがそう感じるのか、3月に入ってから、なんか気候が可怪しく感じる。
このあやふやな天候で身体の不調が起きるのではないかと私自身の体調も踏まえそんな違和感が拭えない。
我が家は1周間前から孫が熱を出したり鼻血が出たり全ての検査をしても「陰性」と出るため、今日は息子夫婦は、南浦和の川崎病と判断を下してくれ、即、そのまま川崎病専門医に緊急搬送してもらい一命をとりとめて下さった病院に朝一番で予約を取り連れて行った。
今回も孫は左側に症状が出て川崎病が再発したのではないかと懸念したが全ての検査の結果、担当医師は血液検査の結果、今の所「川崎病の疑いはありません」と断言してもらった。
しかし、このまま今週は、自宅療養で様子を見て熱が下がらないようなら、もう一度連れてくるようにとのことで、もう1週間、孫と私だけの日中生活が始まる。孫の原因不明の様態に振り回されて我が家は全員が体調がおかしくなりつつ、この異様な天候にますます体調、気力共に萎えつつあります。
何はともあれ乗り越えなきゃですけれど、皆様も、お身体をご自愛くださいね。
孫の症状が長引くので息子夫婦も危機感をようやく感じ、夫婦で会社を休み息子の運転する車で夫婦で只今、病院に。
私は孫の風邪をもらったので長引かない為に早めに、かかりつけの病院に来たはいいけれど、風邪と言うことで平熱だとゆうのに発熱外来に回されて今だに順番待ち。
あらためて熱を計らされたら36・5だって言うにかかわらず風邪というだけで厳しい扱い、まいったなぁ、これじゃ来なければ良かったかなぁ。
しかし今のご時世、これが当たり前なのでしょうね。
健康のありがたみをしみじみ感じる。
早くここを出たい。😰
どうやら孫の風邪を貰ったような感じで喉の奥に風邪を引きはじめのあの独特の違和感が、私が孫から風邪を貰うと必ず長引くので、とことん気をつけていたのに、やっぱり無理だった。
1週間以上も二人で家にいたのだから感染しないほうが無理というものかもしれない。しかし回復したかのように思えた孫だったけどトランポリン教室から帰宅してから又、熱が出たとかで私が銭湯から帰って来た時にはリビングのソファーに真っ赤な顔をしてぐったり寝かされていた。
先週の金曜日もそうだった。治ったとばかり思って孫の希望で公園に連れて行ってから発熱し、それからずっと、良くなったり悪くなったりの繰り返しで、かかりつけに連れていけば、血液検査でなく、鼻の中に綿棒を入れるコロナとインフルの検査だけで異常ないと言われかえされるし、挙げ句に、又、熱が出てぐったりしている。昨日は私が帰宅した時には左の頬がまっかだった。
鼻血が出たのも左側だったし、川崎病の時も左側の耳の下が腫れていた。
今回も川崎病が原因じゃないのかと思うけど夫婦して川崎病は完治したはずだからと気にする事なく全く度外視するし、小児科にあえてカネゴンを休ませて連れて行かせればコロナとインフルの検査なんかで安心しているし、何故、小児科は血液検査をしないのか、要するに川崎病と診断され入院して治療を受けた病院に行けば一番安心できるだろうに、それがダメなんだそう。
2週間ぶりに市の運営する健康センターの銭湯に来ました。
ここは送迎バス無料だし、銭湯代も100だし、その分、食堂で思い切り好きなものが頼めるし、この世の謳歌です。
お風呂から上がり頼んだのは、海鮮定食とコーヒーこれで1200円なんだもの、この1週間が報われました。
孫も2週間ぶりに息子夫婦に連れられてトランポリン教室に今頃行っているはず、今月末にはマットの昇格試験が控えてるとの事ではりきって行ったみたいです。
早々、銭湯の体重計に上がったら2キロ減量してました。
家にいる時は、食事が喉を通らなくて、食べたり食べなかったりしていたし、ほとんど金ゴンが、買ってきた惣菜とつくってくれたものを食べていただけで2キロ減なんて、こんな事有りかしら❓
考えようには私が作る時は味見しながら食べるのと買い物帰りに必ず、お店に立ち寄り小腹満たして来るから太てっいたのだ、これがなくなっただけで1週間で2キロ減量するとは、私は、ある意味、贅沢三昧な姑だったのかもしれない。
少し反省。😣
爽やかな快晴の日曜日。
孫と引きこもりの1週間からようやく解放された。
あ〜ぁ、長かった。
しかし好奇心旺盛で人一番、お外好きのじっとしていられない孫にとって、病院以外一歩も外に出してもらえなかった1週間は、私よりも遙かに拷問に近かったのではないかと思う。
来月で4歳になる孫はもう、言えないことなどなく、幼いながら事細かく大人や周りを観察し、それを言葉にしてくるからさながら、私達、大人より鋭い感性をしていて、毎日、ドキッとさせられる。一昨日の事、鼻血がおさまらず病院に行く事になった日、孫がポツリと聞いてきた。
「バァバ、今日は、お注射するの❓」
って言うので「大丈夫だよ。お鼻を診てもらうだけだから」と言うと、孫が「ママね、お注射していたよ。だから僕も頑張らなきゃと思った。」と言うから、何のことかわからず、もしかして熱や鼻血で、譫言を言っているのかと思ったけれど、後で金ゴンに聞いてみたら、妊活で、寝る前にホルモンを促す注射をしているのだと言う。金ゴンも、孫が良く見ていることに驚いていたけれど、それを聞いて金ゴンも言えぬ苦労を独りで頑張っているのだなぁとおもったら、なんやら、同じ女性として愛おしくなってしまった。女の敵は女かもだけどでも同じ母親として子供を生みたい金ゴンの気持は痛いほど分かるので、サポートしてあげなきゃ、それができるのは同じ女の私だけしかいないと思いました。
昼寝から起きてテレビのスイッチを入れたら何と、鳥山明さんの訃報が、鳥山明さん、私より一歳、年下だったのか。
更にショック。
私もいつ死ぬか分からない老境に入ったのだ。
金ゴンのお陰で裕福な生活は一応させてもらっているから居心地良くていさせてもらってはいるけれど年事に体力が衰えて行くのが自分でも良く分かる。
10年前の50最初の時なら孫育ては楽勝だったかもしれない、しかし65歳からの孫育てはマジ、いくら大病しないからと言えど遙かにキツイ。
これで金ゴンは、妊活などと、あれは金ゴンなどでなく人間の顔した鬼畜にしかこの頃、思えなくなってくる。
来年は70歳なんだぞ、良くまぁ、自分の親と同じ同年代の私を容赦なく使うよね。と内心思うが、何なんだろうなぁ、怒りは一瞬で1つ言葉を交わすと怒りが消えて元にもどるのだから、要するに金ゴンと私は価値観が同じで似ているのだと思う。
悔しいが私も変人なんだろうなぁと素直に思う。
くそー☹️
金ゴンよ❗
1週間も孫と1日中、家の中で一緒に居ると、流石に心身共に疲労が半端ない。
今日は金ゴンが病院に行くために有休を取り池袋の病院に早々に出かけて行った。昨夜、孫が起きたのが10時である。いつものことだけど目が覚めて母親が居ないと猛烈に泣き叫びリモートワークで、たまたま家に居てくれる息子でさえ手に負えなくて泣き止むまでが苦汁の戦いで、泣き叫ぶ孫をあやしてリビングに連れてきてそれから1日、金ゴンが帰って来るまでが重労働。
保育園がいかに有り難いかつくづく思った1週間だった。
金ゴンは12時半に検査が終わったと連絡があり、帰って来たのが2時半だった。病院の日は自分へのご褒美で池袋の一番美味しい焼き肉を食べて帰るのが定例らしくその日も、食べて来たとかで、私にもお弁当を買ってきてくれたけど食べる気もなく礼は述べたものの、かなりキツイ事を金ゴンに言葉を放った。言った所で人の気持の半分も理解出来ないのだから、辛辣が日増しに強い口調になるけれどまったく屁の河童、「やだ、お母さん、何、イライラしてるの❓」と孫と戯れている始末。
そのまま孫を自分等の部屋に連れていきそのまま昼寝、それが3時だった。
私も自分部屋に昼寝をして起きた所だけどまだ昼寝続行みたいでリビング真っ暗。参りました。
久し振りに遅い時間帯に、呟こう。
銀次郎はまだ帰って来ないし、金ゴンは孫とリビングで戯れている。
孫は元気になったとは言え、まだ完全に完治したわけではないのだから、こう言う状況の時は早めに寝かしつけるのが普通ではないかと思うけれど、金ゴンは金融以外の事は全く理解出来ず全てが独断流で、言っても分からないのだろうし、分かろうともしない、この頃では少しづつ彼女が異次元の人間と私なりに把握できたので好きなように泳がせている。
毎日、金ゴンと会話する折りに、最近では実家の話を良くしてくれるようになり、聞くに連れ「この娘にして、この親あり」と内心、金ゴンの不可思議行動の性格や思考が、親が親なら娘も息子もこう言う風になってしまうのだなぁというか、なって当たり前に思うようになった。そう言う宇宙人を嫁にした我が息子も、そして、引き寄せられてしまった私も実は似た者同士、同じ穴のムジナなのだとつくづく思う。
腐れ縁なんだなぁ。なんだかんだと言いながら腐れ縁あってむらがっているかもしれない。互い不平不満があったとしても其々がやりやすいから繋がっていられるのだと思う。リビングが静かになった、金ゴン母子、どうやら寝室に引き上げたみたい。一挙に静寂。
いつの間にか部屋に入り込んだ羌ちゃんのイビキが、部屋に響いて思わず笑っちゃいました。
孫は昨日の検査の結果、インフルやコロナでもなく、もちろん川崎病の心配は全く無く、ただの風邪と診断され薬だけ変えて貰い、家に帰って来たけれど咳が止まらず、園の規則では咳は回りの園児に迷惑とかで咳が収まるまで今週いっぱい休ませる事になりました。
午前中、リビングの中、所せましとはしゃぎ回り、12時半に寝てくれて私も今ようやく一息ついている訳ですが、孫と一緒に寝れば楽なのに、これが寝れない性分なんですよね。
リビングを片付けることが出来るんですが、孫が起きれば又、散らかすし、同じだから散らかったまま、もうこのまま孫の好き放題にします。
考えようによっては孫に合わせて、散らかし放し、何もせず、孫だけ見てれば良いのだから楽々かも、夕食の準備とかもしなくても良いのだし、その代わり今夜も今週はずっと金ゴンの買って来る惣菜や、お弁当、店屋物などなど、めいいっぱい孫名目で、サボります。🤪
今日を持って、ちびっこ怪獣から解放されると、ルンルン気分で孫の仕度をしていたのに孫が「ババ、お鼻の中が気持ち悪い」と言うので鼻水でも出るのだろうとテイッシュを鼻に充てると出てきたのは鼻水でなく鼻血だった。
それも心臓側の左の鼻からだけ。
子供は男の子は良く鼻血を出すものだとは祖母や母が言っていたけれど、去年の春に川崎病を発症して発見が1日遅れていたら命が危なかったと言われた経緯があっただけに、ついつい神経質になってしまう。熱を計ると38度5分と高く、直ぐに出社した金ゴンに事の旨を連絡するも、金ゴンは仕事柄、株価の上がっている今、熱病にかかっているので、小児科に予約をいれるから、その時間が来たらタクシーの予約も入れるからお母さん頼むとのこと、リモートワークの息子は、こういう時は家に居ないという運の悪さ、しかし昼の1時までには帰れるとは言いながら、男親なんぞ居た所でなんの約にも立たないし、やっぱり母親に限ると思う。金ゴンは合理的思考で人間はそう簡単には死なないと思っている節があり川崎病を克服してから逆に免疫が強化したと勝手に思っているくらいだから今回も全く気にしている風でもなく、金融、株、数字に翻弄されている、でも今回は、鼻血と熱と長引く様態に一抹の不安があったので
呑気な金ゴンにメールで「今回は何かあっても私のせいにしないでよ❗」とキツく文字だけだけど物申し、帰って来て貰いました。
今朝は小雨。
私の誕生日から風邪を引いてくれた孫のお陰で昨日は孫を連れて小児科に行き今日も1日、用心の為に園を休ませる事に、孫は39度の熱がありながら病院から帰って来てから安堵したのか騒ぐ騒ぐ、騒ぎまくってくれた。
今朝は今日も園を休めるから安心して今だに起きて来ない。
金ゴン(嫁さん)は今朝は寝ている孫をそのままにしていつもより早く7時に出勤して行った。
夜はレディースクリニックに池袋に行くので帰りが遅くなるとのこと、申し訳ないから生ゴミは今日は自分が出すと言って出勤する時に持って行ったけれどゴミぐらい普通は出すの当たり前だと思うけど、そう言ってくれるのだから有り難く生ゴミ出してもらうことにした。
銀次郎(息子)は昨夜は夜中の1時半に帰宅、孫も銀次郎も轟音の鼾をかいて寝ているし、あの爆音の中で起きもしないで寝ている孫も大したものだと思う、幼児の時から、そう言う親の元に一緒に寝起きを共にしていると慣れるものなのだろうか。
金ゴンは、実家の父親の鼾を嫌い結婚してからは銀次郎の鼾で新婚の頃から部屋を2分して現在に至るのだけど金ゴンは、鼾を敵視しながらも鼾から逃げる事ができないのだ。書くて姑の私も実は鼾をかくみたいで自分ではわからないのだけど金ゴンに言われて気づきました
金ゴン曰く「私は鼾と縁がきれない、拷問だわ」と嘆くけど逆に言えば、いつでも縁を切ってもらいたいのはこっちの方だわよ
よりによって私の誕生日に孫が熱を出してくれ昨日はトランポリン教室を休ませ休日診療センターに駆け込み一応、風邪と診断、結局、今日は孫は保育園お休み、私が小児科に連れて行く羽目になった。11時の予約だからそれまで待機中、なんて誕生日なんだろうなんて思いながら、これが孫からのプレゼントだと思えば、まぁ、いっかぁなんてモード切り替えています。
誕生日と言えば嬉しかったのは、昨日の早朝から夜にかけて、次男、三男の他に田舎の元職場の悪友戦士達から続々メールを貰い年を取るのは孤独だけど生まれた日を祝ってもらえるのは実に嬉しいものだと思う。一緒に働いている時はそれが定例の一過性の儀式みたいでお互いやり取りしてたんだけど、こうして他県に来てバラバラになりながら4年も欠かさず悪友が祝って貰えるのは離れているだけに切実に嬉しいです。
祝いの内容は、相変わらず、イジられメールで悪態ついてくるけど、それが又嬉し涙がこぼれます。
家では孫に振り回されのバースデーだったけど、その間に立ち代わり入れ替わり送信してくれる悪友のなんとも有り難い発信音でした。
仲間って本当に有り難く思います。
会えば憎まれ口炸裂の仲間達なんですけどね。
69歳の新しい朝が来た。
私が44歳の時に母は68歳でこの世を去った。
それも、あっという間に。
仲の良いお友達と一泊旅行して帰って来て3日目の朝に、一緒に目覚めた父が母の顔色を見て思わず叫んでしまったと言う。
色白の母の顔が真っ黄色かったから。
それも眼球まで。
かかりつけの病院に慌てて駆け込むと、
医師は直ぐにレントゲンを取り、そのまま市民病院に行くように紹介状を書かれたそうだ。
亡くなるまで現役だった母は、着替えのためとお世話になった、家政婦所の所長さんや、近所の人、3日前に旅行に行った友達等に入院の報告をして、着替えや洗面道具など紙袋に入れて、オロオロする父をよそに、のんびりした感じでタクシーに乗り、まるで又、旅行にでも行くような感じで家を後にして母は、その1か月半に帰らぬ旅に逝ってしまった。
病名は「胆管上皮癌」何故、一滴もアルコールを飲めない母が肝臓癌にならなきゃいけないのか、それも、何故、余命1ヶ月なのか、即頭に浮かんだのは、キッチンドリンカーの私に対する天の仕置きだと、私を召すのではなく私の大切な母を天は罰をくだされたのだと、あの時の衝撃は一生忘れる事ができません。
私も68歳で死ぬ❗その呪縛の中で生きてきて去年の5月に倒れた時、腹を決めたのに、でも無事越えられた。
生かしてもらった命をこれからどう生きればよいのか。
とにかく69歳になることができました。
マンモグラフィ、まるで拷問みたいだった。ペッチャンコのオッパイを引っ張ったり伸ばしたりして挟むんだもの、挟んで撮影するまでの僅かな時間が、かなりシンドかった。
検査は、どんな検査でも大変ってことをしみじみ感じた2日間でした。
健康ほどありがたいものはないと、つくづく思いました。
全ての検査の結果は4週間後だそうだけど、結果がどうであれ、今後は反省して節度を守りもっと自分の身体を大事にしようと思いました。
今までよく、病院無しで生きて来られたよね、本当は危ない時の方が多かったんだろうけど、そんな考える暇がないほど「稼ぐに追いつく貧乏暇なし」をやっていたから、倒れたらそれでいいやと明日がどうなっても今を生きる事に必死だったから、良く生きて来れたなぁと思う。
今は素直に検査を受けさせてくれた、
萬田銀次郎みたいな息子と嫁さんの金ゴンに感謝しています。
イヤダイヤダと逃げながら受けた検査だったけど受けるほどに生きたい意欲が沸々と湧いてきました。
身体を大事にしたいです。
マンモの検査に浦和に来ています。
検査は3時からだけど、この前みたいに間違うから早め早めに、金ゴンの遠隔操作の監視下の元、今朝は10時半には着いて2番目乗り継ぐバスの時刻とバスを確認して時間でかなりあるので、なんとかと言う横文字の喫茶店に入ってコーヒーとナポリタンを頼んで先程、食べ終えました。
久しぶりに食べたナポリタン、期待はしてなかったのに一口食べたら、超❗美味しいってゆうか懐かしい味が、昭和のナポリタンの味なんですもん。幸せ〜
🤗
直感で入ったこのお店で良かった。
さて2時のバスまで何してようか。
ブラブラするのもたのしいもんですね。
ブラブラってゆったら私は今日はノーブラできたんだった。
外は快晴でもまだ寒いです。
私のノーブラの胸も寒くてなおさら、ちぢんでしまったみたい。
あ〜ぁ、行くのやだなぁ。😮💨
結局、明日、乳がん検査マンモに行く事になりました。
嫁さんの金ゴンに、お金全額払ってるんだから行くのが筋と説教されて、明日は孫の送迎は金ゴンがするとの事でして、今夜はしつこいほどにバス乗り場と何番線に何時のバスで着いたら、どのような経路でとか、くどくど言われ続け、ようやく今、解放されて、自分部屋に引き上げて来たけど、金ゴンに教えられた事、もう忘れてしまった。
だって、煩くて早く終わらないかなぁ何てことばっかり考えていたから全然、頭に入ってないし、金ゴン自分は若いのに乳がん検査まだやったことがないそうです。やったことがない者が、こんな年寄りに、執拗に行け行けと宣うのは変な事だとは思いませんか。😤
でも、行けと言ってもらえるだけ、有り難く思わなきゃいけないですかね。やだけど行ってまいります。
ペッチャンコのオッパイ恥ずかしいんですよね。😮💨
昨日、一昨日の暴風が嘘のような今日の快晴。
よりによって何で私の検査日が2日間ともに暴風だったんだろう。
まるで受ける資格がないとでも言われてるような気分。
今までちゃんとしてこなかったツケなのだろうか。ちゃんとしたくてもできなかったのだもの。
離婚と言うのは弱者の女にはこんなにも過酷なんだなぁとは百も承知の覚悟で分かれたんだけど予想を通り越して悲惨な毎日だった。不思議と分かれられたことが嬉しかったから、貧乏なんか、何も苦にはならなかった。
しかしながら病院にはかかる余裕がなかったから体調の悪い時は寝てしまうに徹して、いつの間にか自然治癒していた。50代は若かったんだなおとしみじみ思う。
流石に70歳を目の当たりにすると50代の時のような無茶振りは死活に繋がるのが良く分かったから、やっぱり母が言うように「老いては子に従え」は一理あるかもしれない。強いて言えば私んちの場合、我が子でなく「老いては嫁に従え」が正解だけど。😤
あ〜ぁ、疲れた❗
昨日は健診と大腸がん、肺がん、乳がん検査の触診、骨密度の検査一通り済んだけど、乳がんのマンモは浦和までいかなければならず今日の3時に受けるはずだったんだけど、なんせ田舎者でバス2つ乗り換えしなきゃならず2つ目のバスを乗り間違えてとんでもない所まで乗り継ぎ結局、予約の時間に間に合わず今回は見合わせる事にしました。
いやもう、受ける気なく、このままキャンセルしようと思う。
昨日今日ともの凄い暴風でそんな中を昨日も今日も一万歩有に歩き通し今日なんかは道に迷い一万なんか遥かに超えて万歩計をみるのも嫌になった。
昨日のバリュームが今朝まで腹痛を伴い、散々、ナツちゃんに、トイレがバリュームで詰まるとイチャねんつけられて、そのたんびに、トイレのラッパみたいな吸引棒でスコスコやって、通りを良くし、嫌な思いばっかししたつうのに、ナツちゃんのやつ、4月に健診があって40になったから今年からバリュームデビューをするんだと、飲めば人の気持もわかるとゆうものよ。今から楽しみ。笑笑
何事もやってみて初めてこういうものかと分かるのよね。まぁ、あの子は分かる
まで時間かかるだろうけど。いや、分からないだろうな、だって彼女は宇宙人だもの。金星からきた「金ゴン」だから。
ハッハッハ。
さて買えるかな、いっぱい食べまくったから。
まいったなぁ😮💨
朝食作っていて、味見して口に入れてしまった。😰
毎日の習慣はなんて恐ろしい
イヤ、もしかして習慣で無くて
すでに痴呆がでてるのかもしれない。
こちらの方が恐ろしい。
今日のレントゲン
少し口に食べ物入ったけど
ヤバいかも😓
起きて直ぐに2回目の検便を済ます。
昨日は二回目の検便をしながら、うっかり、おしりを上げてしまったら見事にウンチが流れてしまった。
今のトイレおしりを上げてしまうと自動的に流れてしまうのを考え事をしていて忘れてしまっていたのでした。
今朝は病院指定の検便用のトイレの中に入れる検便用の紙を昨日流してしまったので、孫の紙おむつを拝借してその中に用をたしてなんとか摂取、朝から、妙な気分でした。
今朝は雨も降らず、快晴。
助かった。歩いて20分の距離だから雨だと大変なのだ。
終わったら帰りは、いっぱい食べよう。
明日は健康診断とセットでガン検診
68歳も最後の年に生まれて初めてガン検査、怖い。
でももうこれからはどんなに気をつけようが節制しょうが確実に身体は老化し続けていく何も知らないよりは自分の身体の中を知る事は回りの家族にも心配かけないためにも必要なのだとこれからは定期的にきちんと受けることにしよう。
良く私の体持ったと思う。
アチラコチラの数値は上がり放しなのに無視し続け放置していた実は知るのが怖かった臆病だったに過ぎない。
明日の検査が終わって、数値は相変わらずでも持ち堪えられるなら、新たに何かに挑戦しようと思う。
68歳という年齢は母の亡くなった年齢でもあるので私ももしかしたら母と同じ68歳で死ぬのではないかと思ってきた。あと1週間で、誕生日が来る。
検診で、可もなく不可であっても特別悪くなかったら、生まれ変わったつもりで人生、新たに踏み出したいと思う。
明日全ては明日。
起きてると何かを食べてしまいそうだから今夜はこれで眠ります。
おやすみなさい。
なんかね~😮💨
又言い過ぎちゃったなぁ。
言っては反省し
書いては溜息ついて
どうしようもない私
なんで賢く胸のうちに
しまって耐えられないのかなぁ。
だって人間だもの
まだ反省できるだけ
私は自分に救われてる
へんな言い方ですが。
同居3年にもなると、ナツちゃんの実家のご両親の事が良く分かるようになった。とにかくお金や、物に対しては異常なくらいのどケチで娘の出産祝や初孫の誕生などその他諸々のたとえば、今の新築を購入した際も祝い金など全く出さない親だった。しかしながら金は無くて出せないが引っ越しの手伝いは俺が引き受けると、言いながら新幹線往復代金は、全てうちの息子がしはらったそうだというかそれが当たり前なのだとか。
手伝いに来てくれたは良いが、体重が100キロもある巨大でありながら、持病の糖尿病、腎臓病、通風、高血圧、膝に水が溜まる等のありとあらゆる病を持っているだけに少しでも動くと動機息切れ多汁し、かえってまわりの邪魔になり、外に気分転換に観光気分で自転車で外に出かけたら、途中でリタイア、タクシーで帰って来たそうだ。1週間滞在するつもりが、たったの2日で言うことには「俺の身体では、この家は狭すぎる。頼むから家に帰してくれ」と言ったそうだ。自分から金は無いから身体で力仕事を引き受けると言いながら、逆に身体が動かずしかしながら遠慮なく大食、大飲みだけはしてこれでは食い逃げじゃない。結局、暴飲暴食と自慢話だけして土産と切符代、引越の手伝いの礼金として息子は新幹線代金と別途で五万円渡したというから、まるで詐欺じゃない。
こんな人だからストレスなく生活習慣病複数抱えながら、しゃあしゃあと生き抜いているのだと思う。
今日も心良く、寝て曜日させてもらいました。寒く炬燵が部屋にあるこういう時期は自分部屋に入ったら炬燵に寝るのが一番、足元が温まると自然と寝てしまう。しかし昼寝すれればするほど、身体が動かなくなるような気がします。
寝すぎて頭はボォーっとするし、全然シャキッとしなくなっている自分に気づきました。やっぱりこれじゃ、惰性に陥って身体も心も衰弱してしまう。疲れたら少し横になるくらいが良いのだと今日ほど寝過ぎて思ってしまった。
そして寝ながら考えたのは健康健康とアチラコチラで聞くけれど体に良いものを食べて健康のために身体を動かし足を鍛えても、突然亡くなる人の何と多いことだろう。逆にナツちゃんちの父親は俺は死ぬ俺は先が短いと言いながら、一向に死なないじゃない。それどころか、長男を脅迫してお金を巻き上げ現金で何十万もする補聴器をつけ車を買い挙げ句に、ついでに白内障も手術して耳は聞こえる目は物凄く良く見え、ドンドン若返って元気になってるそうだ。
最近では新しいパソコンを買ったみたいでその操作の仕方を、家の息子にしょっちゅう聞いてくるのを見ていると、聞く相手はお金を巻き上げた自分の長男に聞くのが当たり前だろうにと思ってしまう。長男に送金させた2百万なんてこんな使い方していたらもうほぼないのではないかと思う。向こうの長男さんが「親父は金が貯められない男だ」とナツちゃんに愚痴る気持ちが良く分かります。
うるさい、ギャートルズ家族はトランポリン教室に車で出かけていった。
トランポリンが終わったあと、そのまま南浦和だか、さいたま新都心だかわかんないけどキッズの遊具が沢山ある、何とかというレジャーランドみたいな所に遊びに連れて行くと言ったから2時頃まで帰っては来ないから、やったね
私のお一人様時間ゲットでございます。
玄関まで、ギャートルズ親子をお見送りしてから、お弁当屋さんに直行、豪華な幕の内弁当を買ってコンビニでスイーツ買って今、食べ終えた所です。
おかげさまで胃の調子は1か月半かかってようやく完全に回復と私は自己診断しているのだけど、明日は健康診断とガン検診、今夜からは食事は摂れず水だけなんだから、ギャートルズが消えたあと、食べたいものを速攻買いに走った訳です。1時、胃の不調和音で食欲あまり進まなかった割に体重は減らず1か月半かかって通常になったってことは去年の暮から正月の間に、ギャートルズが実家に揃って居なくなってから、これ幸いに暴飲暴食挙げ句に飲み慣れない日本酒をガブ飲みした結果、胃が荒れたのだと思う。完全に修復するまで1か月半かかりました。明日は健診のだし、これで悪い結果が出たら出たで腹を決めればいいし、私は、どうなろうが、ケ・セラ・セラで行こうと思う。
しかし、こんな、しっとり雨の日は、なんかね~
昭和の何もなかった当時を思い出しちゃいます。
今、朝ドラの「ブギウギ」に傾倒しているから、それまで淡谷のり子さんなんて全然、興味無くて、現役で活躍されてる当時から私には苦手なタイプの方だった。威厳があって近寄りがたく、まるで妖怪人間ベムに出てくるあの女性に見えたものだったけど朝ドラを毎日、拝見するに連れ、凄い方だったんだなぁと今、ブルースにはまっています。
窓の外の、雨に濡れた景色を見ながらユーチューブでの淡谷さんの「雨のブルース」を聴きながら、その美しい歌声と、何と言ったって歌詞の内容に、一気に昭和のあの時代に引き戻され恍惚老人しております。だって歌詞がこうなんですもの。
「雨よ降れ降れ悩みをながすまで
どうせ涙に濡れつつ夜ごと嘆く身は
あぁ、帰り来ぬ心の青空、すすり泣く夜の雨よ。
暗い運命に裏ぶられ果てし身は
夜の夜道をトボトボと
あぁ、帰り来ぬ心の青空
降りしきる雨の夜よ」うーん
だけど今の私は、暗いの嫌いなんだ。
嘆いたら起き上がるのさ。
年とともに今は令和の時代だから。
今日は雨の日曜日。
我が家の嫁さんは、昨日は1人でスーパー銭湯に行き、今朝は早朝から寝ている孫を部屋に置き早朝からスタバに出かけていった。
いつもの事だけど、この1人行動の習慣は死ぬまで治らないのだろうと思う。
これから二人目が仮に生まれても続行するのだろう。
新婚の時から続けて来た瞬間なんだそうだから、まぁ、勝手にすりゃあいいさ。
1人の時間が必要なのは私も同じだから、しかし世の中の今どきの若いママさん方は皆さん幼いお子さんがいても、こんな自由奔放に好き三昧されているのだろうか。これが普通の今の世代だとしたら、なんて今の方々は有意義な子育て世代なのだろうと思ってしまう。
ナツちゃんは先程、帰って来たけれど、孫はまだ爆睡。そりゃあそうでしょ。毎晩12時近くまでリビングで、バカはしゃぎしておるのだから、朝は孫が起きれないのは当たり前だし、11時には孫のトランポリン教室に夫婦で連れて行くから、ナツちゃんが帰宅した所で私は自分部屋に戻らせてもらった。
早く孫を起こして準備すれば良いと思うけど年寄は口にチャックが一番。
子育ては若い2人、若くもないけどさ。
もう40夫婦だもんねー🤪
私は私の役目だけ、あとは好きな事をさせてもらいまっせぇ🤗
明後日、健康診断と全てのガン検査、それからB型肝炎や、骨密度の検査を受けることを決めたばかりで、まな板の鯉の心境で気持ちが弱っていた所に山本陽子さんの急な訃報…
この2日に「徹子の部屋」で高橋英樹さんと山本陽子さんがゲスト出演だったんですもの。
その時の山本陽子さんのお話を聞いて健康に人一倍気を使われ、1日一万歩は歩き、外出控えめの時はマンション内を、5千歩歩いていらしたこととか、東京を引き払い熱海の別荘を終の棲家とし、1日食事は二食、体に良い食材を自ら手料理して食べるのが日課にしているとご自分の手作り献立を公表されていたのに、訃報のショックは私には打撃でした。
歩くこと、行動すること等は、私が目標にしているだけに、どんなに健康に気をつけられていても、こうならざる現実に言葉になりません。
山本陽子さんが尊敬されて母親のように慕われていた故宇野千代さんもかっては「生きる事は行動すること」と言われておりました。
老いは足から来ると、宇野さんは青山のビルの6階のお住いに向かうにもエレベーターを使わず98歳の倒れられるまでご自分の足で階段を昇り降りされてました。山本陽子さんも、宇野千代さんの生き方そのものをモットーとされてたに違いないと私は思います。
山本陽子さんは多分、ご自分が亡くなったことさえ気づかず逝かれたような気がしてなりません。
心から御冥福をお祈り致します。
結局、2時間後に彼女は帰ってきたけれど、ちょっとどうかと思う嫁さんだけど孫に取ってはかけがえのない大好きなママなんですね。熱に浮かされながら嫁さんの顔を見たら「ママ、ママ」って目にうっすら涙を浮かべ甘えていました。
どんな母であれ子供にとって母親は一番大切な存在で母に代わる者はいないのだと、嫁さんへの苛立つ感情は消えてしまいました。結局、孫は発熱外来で検査を受けましたが、コロナでもインフルでもなく普通の風邪と判明し一安心しました。
気候のアンバランスが原因のようです。
孫はナツちゃんにお任せして、この3連休も私はゆっくり寝させて貰っています。外はお天気が回復して陽射しがカーテン越しから部屋にさして来ました。
今月は3連休が2回もある月で、息子家族と家の中で、過ごすきかいが多かったけれど、体調がずっとすぐれないので、とにかく連休は孫は息子夫婦に預け寝させてもらった。
今週も3連休だけれど金曜日の朝に、ナツちゃんが、寝ている孫を抱いてきて「お母さん、起こさないで連れてきた。保育園お願いね」と寝ている孫をソファーに置き出勤して行った。しかし目覚めた孫が元気がなく、食事も何も食べようとしないので額に手をやると熱い。
びっくりして体温計で熱を計ると38度9分もあるし、幸いにも息子がリモートワークで家に居たので車で送って貰えたのだけれど、小児科に着いて熱を計ると36度7部と平熱、医師は一旦、自宅で様子を観て再度、高熱が上がるようでしたら3時から発熱外来の予約を受付ますから来てください。との事、外は冬に遡る程の雪がちらつく極寒、しかも雨も風もという最悪な気候。
その中を孫を抱き外で待っている息子の車に乗り事情を話す、もし高熱が出たら、この天候だから私はもう連れて行かれない旨を伝え息子も了承してくれた。
自宅に帰り、そのまま孫を寝かせて、2時間くらい飲まず食べずで、ますますぐったりしているので熱を計ると39度、びっくりして会社にいるナツちゃんにラインを送ると、流石に慌てて「分かった帰るから、でも直ぐに帰れないから、急ぎの仕事終わらせて帰る」との事。責任職とはいえ、そこまで仕事やりますかしらね。
我が地域は班事に1週間づつの分担でゴミ置き場の清掃をすることになっている。今週は我が家で、清掃車が取りに来て引き上げた後に清掃をするのだけど、今週は雨や風の日が多く大変だった。
しかも曜日も分別も守らず1つの袋の中に、様々な物を突っ込んで出す人がいていつも迷惑をする。
今その分別をしてきて、これで我が家の当番は終了。都会も田舎も決まりを守らない人は何処にも居るのだなぁと思いながら、私が不思議に思うのは、その場合、袋に市から赤い縁取りの注意書きが貼られていても当番の人は誰も入れ替えもせず、そのまま放置して置く事、それがドンドン増えて、しまいには業者が持っていくそれが当たり前がこの地域みたいだけど、うちの隣のAさんは、50代の女性だけど、この方に次のゴミ当番の札を引き継ぎに持っていくと、そう言う置き去りが許せない人で、自分が当番の時は中を分別しないと腹の虫が収まらないタイプ、従って私もキチンとしないとAさんも納得しないので先程、分別を済ませ綺麗に整列させて今一度、ピカピカに路面を掃き清め水を打ってきた。
あとのノート記録と説明のAさんへの引き継ぎは、ナツちゃんの役目。
それくらいしてもバチが当たらないぞ。
たまには貴方もしなさいと思いながら、家に居るのは私だし3年間やった清掃の仕事の癖が行動になってしまう。本当に損な私。
今日の「徹子の部屋」のゲストは藤岡弘さんなんですが、ビックリしました。
お子さんが4人いらして、皆さん、凄い美男美女で、皆さん、偉ぶったところがなく凄く素直で凛々しく清純、いい御家族だなぁって思ってたら、藤岡さん、結婚されたのが55歳で現在78歳だそうです。
えー😳
凄すぎ❗と言うか、78歳なんて見えない。
何より御家族が皆さんとても素敵すぎる幸せなお顔されてる。
涙がジーンとこぼれました。
78歳か、年齢じゃないのだな、私、母が68歳で亡くしているから(産みの親は32歳)今は母と同じ年なので、これがずっとネックになっていて、2人の母が2人とも早く亡くしているので私も今の年齢を超えられないのではと弱気になっていたのですが、今日、藤岡さんを観て元気でました。やる気少しづつ沸騰してまいりました。
いつだったかしら、川崎麻世さんと、ガクトさんの対談で、この御二方、テキーラ祭りを豪語する最強酒豪者とお聞きしましたが、その酒豪と自ら名乗った麻世さんが、ある日、いつものようにグラス一杯のお酒を飲んでその場に倒れたんだそうです。たった一杯のお酒でです。
緊急搬送されて医師に言われた事が「麻世さん、60歳という年齢は、こうなるんですよ。」と言われた、ハッとしたそうです。自分は還暦にはいっていたんだ、俺はもう若く無いのだ。って、ガクトさん、笑っておられたけど、私には麻世さんの仰ることほんとにしみじみ良く痛いほどわかります。
笑っていられるガクトさんはまだ50代でお若いから、しかし逸れから10ネン後に必ず一気に訪れる、年代ごとの内臓の劣化。
私もね、調子こいて昨年の暮に、不平不満爆発抑えるために飲み慣れない贈答用に息子が頂いた、日本酒とウイスキー、チョイ飲みから始まって、ドンドン深酒になり、今年に入ってから胃腸の不調和音に苦しみ悶え1月半ばからずっと体調不良、原因がキッチンドリンカーしかも息子の物を盗み飲みときてるから、自分の身体も息子夫婦もだましだまし、1か月半過ぎてようやく胃の具合が戻りました。お酒は一滴もあれ以来のんでいません。今はアルコールの匂い嗅ぐだけで、オエッですから。それでて体重減らないから可怪しいとおもいませんか。
ねぇ。
考えたら私、健康診断は会社で受けて、それでおしまい。その時の結果で再検で病院に行くように言われても行った試しなし、ことごとく無視し続け、それで何十年過ごして来ました。
理由は一つ、生活苦で医者にかける費用がなかったから、ただそれだけ。
たまたま一緒になった、あの人が、あまりにも強靭な生命体で、具合が悪いなんて言おうものなら「おまえ、一体、どんなお嬢様育ちしたんだ。さして金持ちの育ちでないのに」と卑猥なことを怒鳴る人だったから、それからは、こたえていの不調は忙しさの中で忘れることにし、地獄の日常の中で気がついたら元に戻っていたという人が聞いたら絶対、信じては貰えないそんな結婚生活をしてきました。だからでしょうか、我が家の息子も医者嫌いで、歯医以外行っていません。仕事柄、暴飲暴食が多く身体の内臓は相当悲鳴を上げているはずなのに、私と同じで健診の忠告を無視しし続け、それで
日々、遊んでいるかのように元気で仕事に奔走しているのですから。人間の身体と言うものは不思議ですね。
しかしやはり、年を取ると若い時のようには行かない事を私は今になって感じ始めたので、ナツちゃんのすすめもあり、このさいだから、徹底的に検査お願いしてきました。結果が怖いけど、今更、どうなろうが、なったらなったで、なんとか生きれるような気がします。
昨日は立っているだけで汗が滲み出たほどの陽気だったのに今朝は、打って変わってこの寒さ。
実は昨日は歩いて30分の所にある、病院に市の健康診断の予約問診に行って来ました。
今思うと病院が遠いだけに晴天の昨日で良かったと外の雨音を聞きながらしみじみ思います。
今日は有り難いことに、リモートワークが主だった息子が会社に出向くようになり帰りもほぼ深夜が殆どで日中は、のびのび好きに活動させてもらってます。
とは言え、いつ息子が戻るかは分からないので、清掃と軽い食べ物だけは作り終えてそれからは、誰はばかる事なかれ我が身の贅沢をさせてもらってます。
今日のように雨の日は心が凄く落ち着くので自分部屋の炬燵に潜り外の春雨を眺めながら珈琲を飲みながら、昨夜、ナツちゃんが買ってくれた「桜どらやき」なるおやつを食べる所です。
こんな自分だけの静かな時間、数時間後には破壊されるから今日は時間いっぱい、スルメイカのように伸びて伸びて噛みしめて味わおうと思います。
去年の市からの健康診断、受けるの面倒くさいからそのまま放棄していて、もう忘れていたのに、ナツちゃんが、しっかり保存しててくれたらしく、3月いっぱいが期限が残っているとか、私ははじめから健康診断など無視していたので、もうとっくにゴミ処理されていたものとばかり忘れ去っていたのに、勝手に昨日、かかりつけの病院に申し込みの電話を入れられてしまった。
3月の7日ないし8日が空いているそうだけど、まずその前に、問診を記入しに来て貰いそれから受ける日の時刻を決めるとの事で今日の11時半に病院に行く羽目になってしまった。
病院も去年の5月に倒れてお世話になってから、通院するように言われていたのだけど仕事も辞めて家で静養してから普通に動けるのでそれ以来、病院には行っていない、どうせ行けば通院して治療を受けるようにと言われるのがオチだから、原因は分っているのだもの、その根源を断てば改善されるのは百も承知していながら、ちょっと良くなると又、癖が出るの繰り返しで今日まで生きながらえて来たどうしょうもない私。ナツちゃんの命令には背けないから仕方ないか、今日、問診行って来ます。
1年に一回、良くも悪くも自分の身体を知る必要も大事かもしれない。
嫌だけど行って来ます。
しかし、何でも大事に取っておく我が家の鬼嫁さん、まさか去年の私の受診の封書、取っててくれるなんて、そんなに私の身体の中を知りたいのかなぁ。
先週の金曜日に舞い降りた春の嵐の煽りをまともに受けて、私の致命傷、右股関節がチクチク痛みだしてヤバいかもと大事をとって3日間、何もしないで寝て過ごしました。
おかげさまでだいぶ回復し、先程、孫を送り届けて今、一休みしながらミクルを開いています。
寝ている間に息子が私の部屋のテレビに、Netflixとスマホからテレビでユーチューブを観られる機能をテレビに取り付けてくれたので寝ている間にユーチューブ観て過ごしました。ユーチューブと読みかけてそのままに放置していた読みかけの本を見たりでほぼ3日間過ごし、すっかり元気を取り戻しました。
なんの御縁か、黒柳徹子さんの事をあまり良く知らず「徹子の部屋」など一人暮らしの時は知るよしもなかったのに我が鬼嫁さんが、徹子徹子と神様のように奉るからいつか私も洗脳されて、同居してから観るようになってしまい、しまいには「窓際のトットちゃん」を図書館から借りてからすっかり感動し以来、ずっと徹子ファンというか生きていく上で学ぶ事が多く今では色んな事で私の生き字引になっています。
私はもう新宿には戻れないと半ば諦めかけています。
65歳から68歳の去年まで働いた高層ビルでの仕事が忘れられなくて働くなら又、新宿で働きたいそれが夢でしたが、やはり無理がもう利かない年齢になったのだと自分の体内老化をハッキリ自覚しました。
働いて居ると仕事に念を入れすぎて身体の内部で起こっている悲鳴を、いつもただの疲労と勘違いして更に頑張ろうとするから倒れるまでやってしまう私の無知さ。
最近では、息子夫婦に新宿行は死にに行くようなものだと説教されるまでに、ならば、悠々自適の隠居婆さんにしてほしいけど、息子夫婦にすれば、家に私を置いてたほうが何かと便利だから、何と言う展開だろうな。「年を取ったら子に従え」とは母が言い遺した遺言だけど、悔しいけど、もう身体がどんどん老いていく、死んだら自分の亡き骸の処理の事も含め考えるとね、やっぱり母のゆうように、老いては子に従えは確かに一理あるのかも。今は、自分のしたいことは出来ない不自由さはあるけれど、経済的になんの心配もしないで良いと言うのは、有り難いことだと思う。家事育児は孤独の戦いだけどそれなりに、自分の時間もいくらでも確保して好きな事をさせてもらえるのだから、臨機応変、これが一番の得策のように思えるようなこの頃です。
今朝は、ナツちゃんが早くから起き出して朝の7時前に出かけていった。
多分、経済新聞片手に株式のなんやらを集中しにスタバに出かけたのだろうと思う。去年の暮から、妊活やなんやらで、ずっと休日の早朝スタバ通いはご無沙汰みたいで土日の朝は10時まで寝惚けていた子が、最近、土曜の朝は息子に孫の脇に寝させて出かけ始めているらしい。
らしいとは、息子の話
孫が生まれない15年間二人だけで生活していた時は、毎週、休日の朝は、ナツちゃん、早朝から、スタバに自分だけの席を確保し2時間みっちりスタバで新聞、パソコン広げて有名顧客だったみたい。自宅では集中できないとかで、ナツちゃんの集中室はスタバと図書館、まるでオッサンだ。(笑)
なんて言ったら、息子に逆に怒られるに違いない。ナツちゃんの、このオッサン主婦が我が家の息子を出世させてくれて、恵まれた生活をさせてもらっているのだと最近になって変人奇人のナツちゃんのイメージを変人には変わりないけど「変人貴人」と私自身が称さぜれないほど、この頃では認めざるを得なくなりました。我が家は息子も言ってますが、女房の顔した男と人生のタックルを組んでるそうで全ての采配はナツちゃんの頭脳で司令が発せられ舵取りは息子だとなんとなく分かってきました。一旦、休んでいた早朝スタバ通い又、再開したってことは何かが始動したのじゃないかと思います。
昨日は春一番の嵐が吹きましたしね。
今、白髪染めをし終えて後、10分待ちしています。その合間に、チョコっと呟こうかなって、ミクルを開きました。
又、1人の方が共感してくださってて恐縮しています。
こんな自分勝手な破茶滅茶文章、それがそのまま私の人生を赤裸々にさらけてるのに有り難い事ですが、同時に申し訳ない気持でいっぱいです。でもありがとうございます。感謝でいっぱいです。m(_ _)m
今日は、掃除も何もせず1日寝て過ごすと宣言して先程、起きた所です。
身体のあちらこちらが痛く、このまま何も食べずひたすら炬燵に潜りながら寝て過ごす気でいたけど、食べなきゃ身体が弱るから先程近所の弁当屋さんで「海老カツ弁当」を買い、ついでにコンビニに立ち寄り、コーヒーゼリーとアイスを1個買い帰宅。
帰る途中、初夏を思わせるような清々しい陽光で、なんや、私、死ぬのが近いから、こんなに神々しい気候に感じるのではないかと変な感覚に陥ってしまった。
爽やかな陽気に、そんな風に感じるのは精神も肉体も弱っている時で、流石の強靭の私も昨日はダウンしてしまった。
お弁当を炬燵の上に広げながらまだ食べる気力無く、スマホ開いて、元気付けにミクルに毒を吐こうと自分スレ開いたら1人の方がいらして下さってた。今、死地に赴くような心境の中、共感してくださる人がまだいてくださる。そう思ったら少し回復してきました。ありがとうございます。m(_ _)m
この頃では3歳の孫はリモコン操作を完全にマスターしてリビングのテレビはユーチューブを自分で操作して好きな孫専用のアニメを1日中、かけまくって休みの日は、家にいる場合、夜寝るまで孫ユーチューブである。そのようにさせてしまった息子夫婦が悪いけど一番の原因は孫が物心ついた頃から、息子は自分の撮影部屋に孫を遊ばせユーチューバーの撮影現場を見せていたからすっかり孫は、毒されてしまったように思う。今では孫自身が息子の出張中に息子の部屋に入り息子と遠隔操作でマイク片手に出張先の息子にテレビ画面で遊びながら連絡しているありさま、世の中、こんなになるなんて私の子育ての時とは大違いなんだなぁとしみじみ感じながら時代に追いついていけない老いの自分にますます、孤独を感じる。そんな中、我が家にはテレビが3台しかないので1台は、息子の仕事専用で使えないから、私の部屋とリビングだけ。今やリビングは孫に占領されているため、ナツちゃんは観たい番組があると私の部屋に来るようになってしまったのだ😮💨
土日が終り、ようやく私だけの天国の月曜日が来たと思ったら世の中の今日は三連休なんだって。
早く起きて損をしてしまった。そう言えば、そんな事を昨夜、私の部屋にNHKの大河ドラマ「光る君へ」を観に来たナツちゃんがそう言っていたっけ。
言われて、あっ、そう。なんて返事しておきながら一晩眠って起きるともう忘れるんだから、私って自分でも呆れてしまう。しかし直ぐに思い出すからまだまだ呆けてはいないと胸を撫でおろす自分、
来月が来ると69歳になる。しかし数え年は70歳なのだから、これからは老境まっしぐらというより確実に「死」に近づいているのだ、そう思うとなんとも言えない気持ちになる。だからこそ日々、日常に追われ
ている毎日に救われているのかもしれない。
息子家族、お昼を食べてゆっくりしてくるのかと思ったら1時に帰って来た。息
それもお昼を食べないで即、帰宅😳
何でも、息子の云うことには、トランポリン教室では、8人の幼児生徒がいて中でも、我が家の孫が1番元気で、はしゃぎまくり、教えられた動きを全くせず無駄な動きが目立ち遊び感覚で孫は自分だけが主役の気でいるような、そんな感じに息子らの話を聞いて私はそう、直感した。
帰って来てからも、直ぐに玄関に入らず、「公園に行く」と泣き出し、息子が仕方なく車で広い公園に連れて行こうとしたら、近所の公園がいいと言い出し、それもママと行くとご指名、ナツちゃんは多分、息子が車で孫を連れて行ってくれるものと思いそしたら自分だけ、軽い昼食を取って直ぐに寝るつもりでいたのだろうけど「パパいや、ママがいい」と言われて渋々、孫と一緒に歩いて公園に出かけ先程、帰って来ました。
私は、今日は1日、寝ると宣言していたので昼食の用意も何もせず今でも自分部屋で寝転んで高見じゃなくて1Fの自分部屋から天井見上げながら2Fのリビングで繰り広げられている賑やかっていうか大騒動を犬も食わない爪楊枝的感覚で、長閑に堪能しながら炬燵のぬくもりに悦に入っております。
親子3人で、10時半から孫のトランポリン教室に出かけてくれた。
お昼は、何処かで食事してきて欲しいと、こちらからお願いして今日は1日何もしないで、ゆっくりさせてもらうことにしました。
外は快晴。雲ひとつない青空。
息子家族が出かけた後でリビングに上がると、脱ぎ放し、オモチャ散乱、キッチンはそのまま。
しかし、私も自分の身体が大事だから、とにかく誰もいない静寂の中で身を委ねる時間が欲しいから、今朝はわざと10時に起きて息子夫婦に宣言しました。
昨日の愛ちゃんママの無視の件で、かなり落ち込んでいるかと思いきや、ナツちゃん、昨日から、新潟の苗場で7月に行われる、フジロックコンサートのチケットが販売されるとかで2泊3日のチケットを早速ゲットしたと、先程の凹みはどこへやら、開催日は7月の26日から28日だそうで、又その日は、私と息子共同の家事育児合戦である。
まぁ、居なきゃ居ないで大変ではあるけれど、私の好きなように留守を任せてもらえるから考えようによっては気は楽かもしれないけれど、仮にもしかして二人目懐妊となっても行くのだろうか❓それで聞いてみたら、フジロックはずっと参加しているもの妊娠くらいでやめるなんてとんでもないそうだ。なんて翔んでる嫁さんだろう。嫁さんがしたいこと、息子がしたいことそれぞれが容認しあいそれが息子夫婦の人生のライフスタイルだそうで、だったら夫婦二人でやりゃあいいのに
結局、制服の細かい部分は男の息子では分からなかったらしく、ナツちゃんは、ぶつくさいいながら、たった1人のママ友達、孫と仲の良い女の子、愛ちゃんママに詳しい明細を聞こうと土日、我が家に来てもらおうと電話をしても通じずメールで伝えたはいいけれど、待てど返信のラインは来なく、今朝になって、ようやく返信が、それによると「土日は予定が入っているのでいけません。詳しいことは直に園で訪ねたほうが無難だと思います」とそっけない他人行儀の短文に、流石にナツちゃん、落ち込み、息子に「お前、仕事仕事で送迎も行事もみんな俺任せだけどさ、たまには送迎も行事も参加した方がいいんじゃない。愛ちゃんちは母子家庭で、あのお母さんが1人で何もかもやってんだぞ、お前、姿全然出さず、明細分からないから教えてくれって、嫌われるぜ」と、息子はとうとう本音を言ってしまった。
ナツちゃん、今朝は朝食から掃除洗濯物を全部してくれて、1時から、病院に出かけたけれど、考えると、このまま妊活をしながら1人の孫の送迎も逃げているナツちゃんに2人めができたらどうなるのだろうと思う。
孫も先程、昼寝をしてくれて、息子に添い寝を頼み私は自分部屋に。
これでナツちゃんが池袋のレディースクリニックから帰って来るまで、ゆっくりできる。
昨日は孫の保育園で4月から進級に伴い園指定の制服の寸法と試着、発注のある日で普通は母親が行くべきなのだと思うけど、ナツちゃんは懇談会が苦手のため、息子が有休を取り1時から出かけた。4時に終了し5時半には英語教室があるのでそれも息子が送ってくれ、帰りは息子と孫で焼き肉を食べて帰るからと私は何もしないで本当に有意義な1日を過ごさせてもらいました。ナツちゃんは、その日はサービス残業をして終わってから埼玉新都心で好きな物を食べてきたそうで皆が家に揃ったのは、9時近くなっていました。
揃ってからの、ナツちゃんの一言「で、今日の懇談会と制服どんな風だった」と切り出された息子が我慢していたのが切れた感じで「お前さぁ、制服とかって場合は普通、母親が行くのが普通じゃねぇ」ナツちゃんいわく、父兄参加は当たり前で今や母親の方が少ないからと急き立てられ行ったはいいが昨日の懇談会は父親は、息子一人だったそうで、他のママさんから「奥さん、お体具合悪いんですか?」とか、ある人は「もしかして2人め!?」とか聞かれて、とんだ恥をかいたと怒っていました。
都会を騒然とさせた雪も峠を超えたみたいで、一挙に春を飛び越して初夏がやってくるのかしら、そんな気がしてならない。
大都会は雪がピークを過ぎても、その後の交通機関とか物流関係の修復が尾を引くから大変なんですねぇ。
こちらに来て勉強になりました。
田舎のマナカ達は皆で異口同音に「もっとさ、雪で苦労を思い出しなよね。今はなんの苦労も無く、お婆ちゃま様々してんだからさ」😡だって。
ざけんじゃねぇよ。誰が、お婆ちゃま様々だって言ったよ。自分等が勝手にそう思って、囃し立ててるだけしゃねぇの。だから田舎のマナカの、そう言う勝手妄想、嫌味ブラックジョーク、大大大嫌い。じゃあ自分等もしてみなちゅうの。都会の息子さんだか娘だかしらんけど一緒に住んで家事、孫の世話諸々、専業婆婆してみろって。仕事しながら人の噂話してる、マナカ連中の婆婆、爺爺共に一喝してやりたいわ。
でもや〜メタ🤪
できないマナカだから、私はいじくられてやってるのだ。言わせておくのだ。てめぇら、有り難く思え❗
こちとらマナカ連中みたく、ぐぢゃぐぢゃ言ってる暇なんかねぇのだよん。
今、掃除終わって一休み。
コーヒー飲んだら、買い物に行ってこなくっちゃ。
先程「素の自分」と書いていて、ハッと閃いた、ししゃも、冷凍庫に、バカ息子の酒のツマミに大量買いストックしてあったのだ。
この、ししゃもを解凍して今夜は
ししゃもの酢(素)漬けにしようーっと。何で気づかなかったんだろう。
今夜は思い切り酸っぱくして食卓に出すぞ(笑)(笑)
息子よ嫁ちゃんよ❗
食べた瞬間の、酸っぱ顔が楽しみだわよん。本当、料理は作る方の醍醐味。
楽しくてやめらんねぇわ。
読み直したら、また文字打ち間違えてるっていうか指の少しの振動で瞬間移動して違う文字が出ちゃう。これ言い訳で無くて、ちょっと面白がって楽しむようになりました。先程の投稿を今、読み直したら「避難轟々」とありました。
本来は「非難轟々」と打ち出したつもりなのにです。ハッハッハ、笑っちゃった。非難されて避難してきた今の汚部屋かもだから、間違いも実は間違いではないのかも。私の人生、文字もそのもののような気がする。こんなはずじゃなかったのにと始まった私の人生実は間違いだらけのようで元をたどれば、間違いなんて気づかなかっただけ、振り返りゃ、ボケて噛まして間違ったわけじゃないんだけど、何故かそうなって後で、可笑しくて笑っちゃう。それが私の人生。どうせならボケ噛まして面白可笑しく過ごしたいと思います。乱文乱筆、誤字、珍文素の私自身と思い笑って許して下さいね。
都会の雪騒動には、何や気疲れしてしまった。
ようやく天候が落ち着いて今朝は穏やかな朝を迎えています。
今、気づいたのですが、2人の方々が、来てくださりありがとうございます。
毎日、殺人的な日々を過ごして息抜きと吐き出しの為に、直ぐに投稿するため自分の最初のスレタイを見ないので、共感してくださる皆様に常に気づくのが遅くなりお礼述べるのが遅くなりました事、誠に申し訳ありません。
いつも本音で自分の汚いことばかり書くので避難轟々、責め立てられたのでもう面倒くさくなって自分だけのつぶやき部屋にしています。生き抜くために吐き出している、汚部屋なので共感してくださる方々がこんなにおられるのが本当に不思議でなりません。ありがとうございます。
軽いお昼を食べながら「徹子の部屋」を見る。今日のゲストは安奈淳さんと大空眞弓さん、えー❗安奈淳さんが77歳も驚きでしたが大空眞弓さんが83歳なんて、しかもお話を聞くと若い頃に乳癌の手術を受け両方の乳房を切除されたのだとか、ショックと感動で食べていた食事がとれなくなりました。
皆さん、凄いなぁ、凄すぎて、私なんか、ほんとに苦労知らずだとしみじみ感じ入りました。まだまだ苦労も修行も足りない、若い時から逃げてばかりの人生だったからこの年になっても落ち着かない忙しい人生を送っているのじゃないかと安奈淳さんや大空眞弓さんの人生を聞いて反省しました。この年で動けること、嫌なんだけど、まぁ、息子夫婦の役には立っている働きができてるのは実は幸せなのかもしれないとさっき反芻しました。人生は色々、大勢の方の話を聞くたびに自分のしている辛いこととかは、実は苦労ではなくわがまま何じゃないかって今から考えを改めようか思案中です。外は相変わらず小雨交じりの霙雪。
思えば、暖かい部屋にいて、窓から雪の状況を、こうして長閑に見る事ができるなんて新潟に居たら想像もできない境遇でした。ともはあれ、死ぬまで忙しいお手伝い人生だけど雪掻きすることなく、冬道を命がけで運転する恐怖もなく、こうして天を仰いておられるのだから、鬼のような息子殿と鬼嫁様。
本当は慈悲観音様の化身の息子夫婦様と思うように日々、修練していきます。
ちょっと言い過ぎました。
ごめんなさい。で、窓の外を見たら降ってきました。雪が今年の初雪ですね。
道理でね、4日前辺りからリビングの暖房が中々な温まらないで、自分の部屋に避難してエアコンを付け炬燵に潜りながら、ひょっとして近いうちに雪を運んで来るんじゃないかと思っていたけれど、やっぱりそうだった。今朝は息子も、ナツちゃんも、この寒さは雪がくるね、今夜は早く帰るようにするよとは、息子とナツちゃんの言葉、それならば今夜の夕食メニューは、鍋にしようと早々、孫を送ってからスーパーに、野菜やお肉を買い午前中に戻ってきました。
帰る途中で小雨がポツポツあたってきたので慌てて小走りに自宅に戻り到着してから雨がふりそして今は雪に変わってきました。グッドタイミング、今夜は鍋だから、材料さえカットして、だし汁を用意しておけば、あとは皆が帰ってきたら何でもかんでも突っ込めば良いから、今今日は準備はゆったりです。鍋は有り難いです。
通常の忙しい月曜日になりました。
今朝は午後から雪がちらつく情報を大々的ににワイドショーで報じているけれど、都会というところは、降らないうちからフルフルとなんでこんなに偉い評論家だか、ゲストだか、話題にしているけれど、私がそういう光景が不思議ちゃんです。雨が降っていますとか、あっ、雪らしいものがなんて、それがどうだっていうんでしょうか、貴方は、番組が終わって帰るときは歩いて帰る訳じゃなし、お抱えの車やタクシーを移動して本当の寒さなんか私達より知らないだろうに、実際に中継されてる現場を人生しょって行き往来している人から見たら、ワイドショーでアレヤコレヤと批評してるのって高見の見物余計なお世話に見えてしようがない。自然は怖いんだから、特に雪の恐ろしさは知らない人からあ〜だこうだと頭で言われるのを聞くと雪で死ぬ思いで生きて来た弱者の私など本当に、尺に障る。御自分らも雪かきや凍結の苦労を現場で体験してから、評論してほしい。
何で今頃、そんな夢をみるのか、多分去年からテレビで、60代70代の訃報が相次ぎ、おまけに先週見た「徹子の部屋」でゲストの高橋英樹さんと、山本陽子さんの内容が、山本陽子さんなど70歳になってから就活を意識したなんて話が強烈なインパクトとなり、それで五十嵐さんの夢が画像化したんだと思う。
しかししかし、この今までなんの不審も抱かなかった五十嵐さんの夢なんですが今、五十嵐さんと近い年齢になってあらためてハットしたこと、五十嵐さんが何故あんなに自分が死んでからの墓のしかも前妻さんが怒こって意地悪されるんではないかなんて呟かれたのが、あの時は、私も若かっかったし子育てで忙しかったから感じなかったのですけど、その時に思った事は五十嵐さんは、おばあちゃんになっても可愛いい女性なんだなぁ、なんて優しい人なんだろうと素直に感動したもんでしたがあれから月日が流れ私も元は亭主の浮気や愛人で修羅場を踏み離婚してそれですっかり男嫌い人間嫌いになった訳です。この年になり、ハッと気づいた事、あの優しかった五十嵐さんが何故、死ぬ直前にあんなに、死んでから入る墓の事で、おびえたのか、まさか、まさか、五十嵐のお母さんは、先妻さんにやましい事したのかなぁなんてね。もしそうだとしたら、人生ってため息の連続、人生は深すぎますよね。
私は優しい五十嵐さんのイメージでしか接していなかったから、ちょっと考えたら複雑です。
五十嵐のお母さん、懐かしいなぁ。
五十嵐さんは、40代まで独身で都内で暮らしておられた方で、どういう事情で新潟の柏崎在住の男性と結婚されたのかは知らないけれど、五十嵐のお母さんが都内から一人暮らしの男性の所に結婚の為に引っ越されてきながら、その男性は僅か2年で亡くなられたそうです。
私達、家族が、この近所に家を買い引っ越して来た時には五十嵐さんのお母さんは既に一人暮らししておられました。
その時、五十嵐さんはまだ60歳になられたばかりだった。とにかく他所から引っ越して来た私達家族特に幼かった息子達を可愛がってくださいました。その五十嵐さんが70歳の時に肺がんになり亡くなられたのですが、亡くなる直前に言われてた言葉が今になって思い起こされるのもなんか奇異で😔
それは五十嵐さんは初婚だったけど旦那様は再婚で一人息子さんがおられ、息子さんは世帯を持って関西で生活されてました。五十嵐さんが自分の命がいくらでもないと悟られた時に言われた言葉、「死ぬのは怖くないんだけどね、私が死んで五十嵐の墓に入ったら、先に入ってる、あの人の先妻さんが怒るんじゃないかとそれが気が気でねえ」って、死の期限が迫ってるのに、五十嵐のお母さんは死の恐怖より墓に入って先妻さんに意地悪されるんじゃないかって、そちらを心配して亡くなられた事を。結局、五十嵐さんの遺骨は五十嵐さんの遺言で実家のご両親のお墓に納骨になりました。
4時前に妙な夢を見て目が覚めた。
いつもなら夢を見ても見た記憶は認識しているのに内容を全く覚えてないのが最近の私なのに、今日の夢ははっきり覚えている。
それも私が38歳の若い頃、同じ近所で同じ町内に住んでいた5件離れた一軒家に1人で暮らしておられた五十嵐さんと言うお母さん
息子達を可愛がってくださった方だった。何でずっと忘れていた五十嵐さんが今頃、夢に現れたんだろう。
その繋か、分からないけど実家の家まででてきて、父や母まで出てきて、それを今回は逐一、ハッキリ覚えていて目が覚めてからすっかり二度寝ができなくて5時半頃、コンビニに散歩方々、出かけて今、帰って来ました。
寝ている間に雨が降ったのか路面が雨で濡れていた。日曜日の早朝とあって、どこの家もマンションも灯りがついておらず、まだ薄暗い道を夢の回想しながらコンビニで無意識に買ったもの、白湯、ホットカフェラテ、納豆巻とネギトロ巻、何故か羌ちゃんのチュール。
何なのこの買い物、チュールなんて、ナツちゃんが箱買いしてあるって言うのに。とにかく帰って白湯を飲み干し、ネギトロ一本食べ終えて、いつの間にか部屋に忍びこんできた羌ちゃんに買って来たチュールをやりながら、ホットカフェラテを飲み見上げた時計が6時40分、今日は10時45分に孫のトランポリン教室入校の日で皆で出かけるんだけど彼らが起きるのはギリギリまで起きないから2本めお腹行😉
昨夜の続きですが夜の9時に孫とナツちゃんが帰ってきて即お風呂に入ってから息子からメールが来まして「今、1時間後に東京に着く、帰宅は深夜にかかるかも、死ぬほど疲れた」と女房は肉をたらふく食べて温かいお風呂に入っているというのになんかね、、可哀想になって、お風呂場のナツちゃんに、その旨を伝えスーパーに息子の酒のつまみでも買ってくるからと伝え夜のスーパーに、刺し身や鍋の材料、栃尾の油揚げに息子の好きなイカなど時間的に、半額が多かったので、あれもこれもと買ってしまい、帰宅すると、ナツちゃん達はまだお風呂、長湯のナツちゃんだから、1時間ではいつも上がらないのはいつもの事ですがこの日は寒かったせいもあって1時間半も孫とバスルームで楽しそうにはしゃいでいました。そのほうが私も調理しやすいので、鼻歌うたいながらようするに私は自分が好きな食材で楽しみながら作りました。野菜とネギ焼き豆腐、糸こんいっぱい入れて、鱈や鮭、海老、イカ、冷蔵庫に残ってた水ギョウザを片っ端からお鍋に放り込みまして鍋はだから簡単で大好きなんです。寒いから味噌味にしてできあがり。栃尾の油揚げにキムチと納豆を和えた物を詰めてオーブントースターで焼き、イカが少し残ったので輪切りにして戻したワカメとスライスした玉ねぎで青シソドレッシングをかけ上に、鰹節をかけて出来上がりました。アッ!起きてきたみたい
ナツちゃんと孫はあれから南浦和に行きあるショッピングモールの中の遊具広場で孫を思う存
分遊ばせてから、ケンタッキーでこれも思う存分プライドチキンを大量に食べてご満足だったとのこと。(笑)私は草食動物なのであんまり肉は食卓にのせないっていうか、お肉が食べれない人間なのでほとんど野菜中心の食卓なんです。肉食女子のナツちゃんは、休日の前日は必ず孫とケンタッキーでチキンを食べ日曜日の夜は息子と焼き鳥や焼き肉をたらふく食べるって言う変な家庭なんであります。
ナツちゃんが、チキンを食べる姿を見て、おったまげてしまったのは、あれは食べてるんじゃなくて、餓鬼のような、むしゃぶり、あさる、食いつくって、正に人間ではない獰猛な豹が憑依しているような肉食系、食べ終わったあとの、憑依が抜けたみたいなまるで別人の、満足した、しっとり感😌
「食」って正確とか育ちが出るもんだなぁと、ナツちゃんだけじゃないけど、「人のふり見て我がふり直せ」と気を付けています。
極寒で空も灰色デーだった昨日とは違い今朝は澄んだ青空、今、起きたばかりだけれど部屋の換気のために窓を全開にすると部屋中に黄金の光と共に、肌を突き刺すような冷たい空気。
でも昨日とはちがい、フレッシュな冷たさって感じ。
エアコンも必要なく炬燵の中だけで、この時間を過ごしています。
息子は昨夜、8時過ぎにメールをしてきて「ようやく全過程完了してきた、これから帰る」と連絡してきたっきり、何時頃に帰宅するのかも一向に連絡はいらず、一方、昨日、孫の英語教室で合流したナツちゃんとはそこで二手に分かれ私は孫をナツちゃんに預け、寒さもあって、なか卯で、イクラ丼をテイクアウトして速攻に家に帰る。テレビで「孤独のグルメ」を見ながらの、イクラ丼が物凄く美味しくて毎週金曜日は、食事の支度もせず夜は互いに好きな所で好きな物を食べるって最高じゃないなんて悦に入っていたら、ナツちゃんから「母さん、、これから帰るからお風呂スイッチお願い」だって途端に現実に引き戻され通常の1日がはじまりました。
しかし今朝は誰も起きて来ないので、羌ちゃんと、マッハたりゆっくり、おこたでのんびりしています。
どのくらい寝たのだろう。
久しぶりに昼寝をした。
確かテレビ「徹子の部屋」を見ていた。
今日のゲストは、高橋英樹さんと、山本陽子さん、お二人共に、今年誕生日が来ると高橋さん80歳、山本さん82歳になられるそうな。
お二人共、終活に備えて高橋さんは33㌧もの家具をせいりしたんだとか、山本さんは70歳に入って終活を始められたという。
感嘆しながら私はもう捨てるの家財はなにもないな、なんて思っているうちに寝てしまった。今4時だから2時間近く昼寝をしてしまったのだ。
これから孫を45分に迎えに行き、英語教室に送り届けたら、あとは会社帰りのナツちゃんと交代。
ナツちゃんと孫は、電車に乗って南浦和まで遊びに行き南浦和で食事をし私は、好きなお弁当を買って家に戻ります。それが金曜の私とナツちゃんの決まり事になりましたから金曜日は私には花の金曜日になりました。
そして明日は息子が帰って来る。明日からまた忙しい日々が始まります。
ゆっくりさせて貰った1週間でした。
たまにゆっくりできる日があるから、日々、頑張れるのだと思います、今夜はどんなお弁当を買って行こうかしら。
楽しみです。そろっと支度しなくちゃ。
今日は物凄く寒い。
床暖房もエアコンの温度も27度にあげても少しもリビングが暖まらないどころか、寒くて仕方ない。
又、風邪を引き戻したのだろうか、体温を計ると普通だし、今年に入ってというより、こんな日中になっても底冷えなんて私には珍しいくらい、故郷の冬を思い出したほどの冷えです。たまらず1Fの自分部屋に避難して、即、炬燵に潜る。同時にエアコンもつけて、あ〜ぁ❗ヤッパリ、何と言っても炬燵だわ。リビングから一緒に羌ちゃんも急いで降りてきたけど、家の羌ちゃんは、本当に変わった子で、炬燵にはいらない子なんですよね。でも人が居ないと、炬燵に潜るんですが、どういうんだか人が居ると絶対に入ろうとしない、本当に不思議ちゃん子です。
でも羌ちゃんを家族として迎えてから今、数えて見たら、まだ6ヶ月しかたっていないんですね。来た時から、この子は威嚇しまくり、手を差し出すと猫パンちで攻撃してくる気性の荒い子でした。トライアル2週間の期間中、何度も3歳の息子や、特に息子に噛みつく子で返そうかって息子が弱音を吐いたのですが何故かナツちゃんが、この子の生まれた境遇を考慮して「あんな環境でそだったらみんなこうなるよ。私達が飼ってあげなきゃこの子は何処に行っても引き戻される」そう言って覚悟の里親になったんですけどね。羌ちゃん、威嚇や猫パンチは無くなりましたが抱っこ嫌いで、今でも獲物を狙う怖い目をしたままです。
都会は雪があまり降らず、冬でも布団を干すのが、雪国育ちの私には今だに信じられぬ光景といえど2月は雪は降らねど流石に2月早朝の冷気は半端ない。
ベランダに挿し木に植えた寒椿を寒さに震えながら覗いたら健気にも3つ目の蕾が正に開き始めようとしている、言いしれぬ感動で思わず素足でベランダに飛び出し膝まづいて椿を見上げる。
今朝も美しい感動をありがとう。
年を取るほどに外見が日一日と、おばあちゃんになって行く。せめて美しいものを見て自分の心も洗浄してもらいたい。
黒柳徹子さんのお母様の朝さんが娘の徹子さんとの亡くなられる数ヶ月前の対談で徹子さんに言われていた言葉を思い出す。その時、95歳の朝さんは「90になるとこんなにシワが増えるもんなのね、自分の顔を見て驚く毎日よ。でもね、外見は必ずそうなるでも大事なのは、内面よね。外面は加齢でこうなるのはあたりまえだけど、だからこそ内側を磨いていかないとね。大事なのは内面よ」全くそのとおりだと思います。
外見が年老いて見にくくなるのに、心まで汚れていたらますます、荒んで行くのではないかと思うようになりました。
心の美しい人は、シワさえも光って見える綺麗な年の取り方を出来たらなと思います。しかしながら、一旦、1日がスタートすると色んな縁に触れて菩薩になったかと思うと修羅の心が彷彿したりこの世は修行ですかね。😮💨
アッ!いけない、もう3時だ!
今日はね、ナツちゃんが6時過ぎに孫を迎えに行ってくれるんです。
月曜日に、孫の事で若い女二人組の先生に、ちょっとトラブっていて、私が聞き間違いしたという風に持っていかれ、モヤモヤしていてこれ以上、おんなじ事を送迎のたびに繰り返され言われるのは、どうにも爆発しそうで、そうなると孫に飛び火が行くし、年寄りの物忘れでやり込められて泣き寝入りするので、ここはナツちゃんにお願いしました。
もうですね、あっちでもこっちでも毎日毎日状況が変転して、なんなんでしょうね、全ては笑いで済ませたい、しかし、事、孫になると、私は孫バカで見られてるから直ぐにねじ伏せられてしまう。
で、ナツちゃんに助っ人頼んだ次第です。これから、夕飯の準備します。
元々、子供嫌いで仕事が楽しく、上司が無能の人だったらしく、ナツちゃんをやたら気に入って何でもかんでも相談しては、ナツちゃんの意見を取り上げて決めていたそうです。
新人が入ってくれば、その評価をナツちゃんの判断に委ね、ナツちゃんが駄目だと言えばとばされたり、辞めていった人も何人にかいたようです。中に50代のお局様がいて、その人がユーチューブにナツちゃんの存在を大々的に批判した投稿を出したことが発覚して、その人が解雇されたり、好き放題やりたい放題で仕事を楽しんでいたようです。息子が40歳を目の前にして、どうしても子供が欲しいと頭を下げて、妊活に望んで生まれたのが今の孫な訳です。産前産後の育休を1年半くらい休んで職場に復帰したら、ナツちゃんのいいなりだった無能上司は左遷され違う人事から立派な方が上司になり、ナツちゃんが産後初めて職場に復帰したら、全く状況は一変して、誰も出産後、喜んで迎えてくれた人は1人もおらず、ナツちゃんは、それから倉庫の責任者として今でも倉庫内を取り仕切っていますが、なんのことはない倉庫という隔離部屋に押し込まれたに過ぎないのですが、私が関心するのは、ナツちゃんが素直に受け止めた事です。「自分がやってきた事の結果」だからって、たまに事務所で人が足りないときや急な欠勤があると倉庫からお呼びがかかって、助っ人にすっ飛んで行きます。
気がついたら、2月、早すぎる。
我が家は今、息子が居ないので、ナツちゃんと女二人だけの生活。
ナツちゃんも実は風邪気味で会社の帰りに内科に寄るといいながら、事務所の女の子が身内のお葬式で休んでいるため、その人の代わりに事務をひきついでいるため帰りが遅くなり病院に行けずじまい、それでも帰宅すると、夕食の洗い物は必ずしてくれて、孫をお風呂にいれてくれている。そうこうしているうちに風邪が治ったのか、寒いも言わなくなったし、喉のイガイガもいわなくなった。
自分の風邪を気にかけられないぐらい実は今、職場の休んでいる女性事務員の仕事に集中しているようです。
ナツちゃんも職場では色々あったらしく、子供なしの15年間、この職場に君臨し何人かのお局さんを追い出した強者で言い換えれば、恐れられてる存在だったようです。良く女性の身で出張していたし、息子と二人で裸1つで田舎から上京して二人で共働きからスタートして、ナツちゃんは直ぐに正社員として今の職場に入りメキメキ頭角を現し統括責任者まで登りつめた子ですから、一時期は、息子より収入が上でしたから、息子が大変な時はナツちゃんのフォローあっての現在なので、昔の感覚が目覚めたのかもしれません。
樹木希林さんの「120の遺言」の中に胸をグサッと刺される言葉がずっと私の脳裏から離れない。
それは夫である内田裕也さんと別れなかったのは「来世は一緒になりたくないから今世で完璧に尽くそう」と思われたんだとか。
見事だと思う。無学無知の私でさえ、本能として言われている意味が凄く浸透する。
私は自分から逃げたから多分、考えたくないけど死んだら又あの人と巡り合うような気がする。
希林さんの言葉に出会う前から、いつも逃げたほうが負ける。逃げたら又同じ所にたどり着くと人生どん底ばかり生きて来てしみじみ自分の中にはそう言う哲学ができあがっていた。だから、もう逃げることは止めた。現実から逃避するのは辞めてその中で生切る運命を自らの中で腹が決まった時から、逃げないが何処かで吐き出し汚い自分をさらけ出し吠えまくって又前に進む生き方に転換しました。悪い自分を曝け出すところそれがミクルさん。だから良い自分をリアルで演出させて楽しんでいます。
しかし私はあの人から逃げた、彼のお陰で芯から男嫌いになってしまったんだから。それが来世で又同じ、あの人と出会うとしたら、あ〜ぁ!やだやだ、これほどの地獄ないってば。😰
息子が出張に行ってから2日目、何ていうか、凄い幸せな時間を過ごしています。やはり日中、1人で過ごせるってなんて幸せなんだろう。
実の息子でさえも、毎日、家で仕事されてると本当に息が詰まるのに居ないというだけで、こんなにのびのび心が浮かれ放し、買い物に毎日、出かけていたのは少しでも1人の時間を求めていたからに過ぎないとあらためて気づいた次第。
昨日も今日も、必要な食材だけパパっと近所のスーパーで買って散歩する時間も、勿体なく直ぐに家に直行❗
昨日も今日も家の中で好き放題、楽しんでいる。
これが毎日だったら案外、私は専業主婦のほうが今の自分の気持ちに合ってるような気がする。こんな状況なら2人めが生まれても多分、イケるかも、しかしそれは現状、無理なこと、息子がこの家を拠点にしている限り叶えられない望みだもの。贅沢を言ったらきりがない。これからは息子出張が私の天国日になるそう思って張り合いにして頑張ろう。🤗
しかし、腰が、息子に、料理は息子に頼み今は寝ないで、ナツちゃんに頼まれた来月から、孫がトランポリン教室に通うので、そのユニホームの名札付けを、炬燵に入りながら縫っている。
明日から1週間、息子が留守になる。
家に息子が1日中、居たら居たでブーブー言ってる私なのに全くいなくなるとなったら、息子の有り難さが分かってくるし、なんと私は欲深い婆さんなんだろう、明日から一新触発しなきゃ、頑張ろう。今日は相撲の千秋楽、照ノ富士が優勝できますように。琴の若が大関になれますように、それがおわったら、ナツちゃんと孫が帰って来る。
随分と楽をさせてもらったから今夜を境に痛い腰を上げる事にします。
でももう無理はせず頑張れる範囲で頑張って頑張れないものは頑張らず、直ぐに休む事にしました。
ヤバい❗あまり身体を動かさなかったせいか、身体のあちらこちらが錆びたような感覚。おまけに、咳き込むたびに内蔵に響くのか胃が揺さぶられるためか痛みが、それは胃じたいに痛みがないのだけど咳こむたびに胃のあたりが筋肉痛みたいな感じで響くのだ、これいいったいなんで❓それに5日前に近所のスーパーの寒椿を庭師さんが剪定されてたので、その切り捨てられた枝を一折頂いて挿し木にしてベランダに置いてあるのですが、それを毎日、見るのが楽しみで、息子が孫とナツちゃんを車で送りに出た後でブランドを開けて覗いたら、何となんと4つも蕾が開き始めているではありませんか😳嬉し過ぎて思わず身を乗り出したら、やだなぁ!右側の腰がギグッとなって今、ぎっくり腰ならぬミニギッグリ腰状態😥
なんでこうなるの😮💨
70目前だとこうもガタが来るものなんだろうか、もう泣きたくなっちゃう。
今まで動いていた者が突然、動きを止めると、こんなに早く速攻に衰えるのか、恐ろしい😓
楽を望んで休んでばかりいたら我々の年代は一挙に老化が進んでしまう、動かなきゃ、楽を望めば身体の老化が進む、まだまだ現役を望むなら少しばかりの苦労は身体の為に良いのかも、「気」を入れ直そう❗
お友だちの家に行く事がもっと早く分かっていたなら、何か拵えて手土産に持たせたかった。あの子はナツちゃんには、手土産ていうものが不必要だと親からの教えらしくいつも、からてで行く子なんですね。人から物を貰うと返礼しなきゃならないからそうなるとどちらもお金がかかり過ぎ負担になると言う事でナツちゃんの家訓は、お金のかからない素の付き合いをモットーにしてるそうです。
私の実家は逆で親戚付き合い等は深く付き合わなくとも基本、盆暮れと新年の挨拶と新年、お盆の粗品は欠かしたことがありません。
それと遊びに行く泊まりに行くと言えば必ず相手が喜んでくださるものを持って行くように言われていたし家だけではなく地域全般がそれが常識だったけど、ナツちゃんのご実家に関しては、息子も言っていたけれど、贈り物は迷惑だし互いに気を使いたくないからとはっきり冷たくあしらわれてから何ひとつ物は持っていった事は無いと言うしかし、現金や旅行となるととたんに相好崩し、大いに喜んで遠慮なく当たり前に受けるという、なんとも分かりやすい人達、世間は色々だけど今だにこういう方々がおられるととは、だからなのかなぁ、ナツちゃんのケチな割には贅沢を当たり前にする無鉄砲さや一流大学出して貰いながら、家業の自転車屋を廃業にし実家に寄り付かず、都内で1人暮らしを続けて親を呼ぶこともしない長男さんの事を考えるとね、なんかね😔
二度寝をしていたら地震で目が覚め慌ててリビングに上がるとリビングでは既に朝食が済んでたらしく、ナツちゃんが外出用の服を来て孫に着替えさせている所だった。何でも板橋に住んでるナツちゃんの同郷で幼稚園から短大まで一緒で結婚後も同じ関東に住み家族ぐるみの付き合いをしている友達が、遊びに来るようお誘いがあって出かけるのだとか、息子も一緒にと誘われたらしいけど息子は明日から1週間、奈良、広島に出張なのでその準備が忙しく行けないので板橋まで車で送って行きました。
板橋のそのお友達家族は昨年暮れ家族揃って我が家に泊まりに来てくれたことがあり、その時に、めいいっぱいごちそうして帰りに御赤飯と五目おこわを手土産にあげたことを凄く感動してもらい、お友だちのご主人から、お店出せますよなんて褒めて貰ったら、凄い生き甲斐を感じて逆に調理師の資格を取りたいなんて本当に本を買って勉強してたのに風邪にかかってこの通り、それをナツちゃんから聞いたお友達がナツちゃんに「たまにお義母さんをゆっくりさせてあげなよ」と進言して自分の家にナツちゃんを誘ってくれたんだそうです。嬉しくて涙がでました。結局、ナツちゃんは午後に予約したマッサージもキャンセルしたそうです。友達に、孫見て貰って家事料理全部やってもらって、おまけにジムやプールなんて、ちょっと何様❓ってゆってくれたそうで涙が出ました。感謝です。
昨日は土日ゆっくり寝ていて良いって言ってくれてた息子夫婦だったのに、ナツちゃんの排卵日だか採卵なのか分からないけれどクリニックに行かなくならならなくなったとかで朝7時に池袋行の電車に朝食も取らず寝起きのまま出かけていったそうだ。
私は知らん顔して寝ていたのに、9時半頃になって息子が孫を連れてきて「お袋、申し訳ない、ギブアップ俺これかオンライン会議、昼間まで助けてくれ」だって😤寝ていていいと言ってくれたのは、貴方達じゃない、何が助けてくれよ🤬助けては、こっちが言うセリフよ❗ってなことで昨日は結局3時まで私が孫を見る羽目になりました。しかし不妊の治療は、こんなに頻繁に行われるものなのだろうか、確かつい先日も会社の仕事帰りに行って来ると言って帰宅は夜の8時半に帰って来たのばかりなのに1日過ぎたばかりで昨日は夕方まで帰ってこなかった、絶対、病院帰りに息抜きして寄り道してくるに違いない。仕方ないか、息子は本来は2人めの妊娠は望まないのにナツちゃんの切望で誰にも迷惑かけないから頑張らせてと泣きつかれ1人で通っているのだから、息子は仕方なく協力はするが付き添わないを条件でやっているだけに、結局は誰にも迷惑をかけないと言いながら、かけられている始末。こんなにしてまで、通い詰めて半年、絶対あきらめないナツちゃんの執念。
結局、今日も寝てられないな、今日は昼からマッサージとか朝から愚痴が続きます。
相変わらず平熱で食欲もあるけれど、今朝から咳が出始め、止まらないから、土日も自分部屋に引きこもりさせてもらうことにしました。
孫の同じクラスの大の仲良しの女の子のお友達、アイちゃんがコロナにかかったそうな、アイちゃんママからナツちゃんにお詫びのメールが入ったとの事。
それを聞いて、申し訳ないけど、孫の風邪を貰ってやっと治りつつあるのに、今度はコロナ感染を貰うなんて、想像しただけで、流石の私も気分が凹んでしまった。2年前の夏、ナツちゃんの誕生日に長野の美ヶ原に2泊3日でバースデー旅行に出かけた時に、そこでコロナに感染したらしく帰って来て一斉に全員がコロナにかかった苦い経験があったのだ。しかし1番、重症だったのは私で息子もナツちゃんも孫も寝ていたのは2日くらい、息子が1番軽く済んだようで4日めには陰性と出たのを皮切りにナツちゃんも孫も元気そのもので特にナツちゃんの、夏休みを楽しむかのような快活さに、不信感を抱いたのは当たっていて、この日の為に、保険大好きなナツちゃんは家族全員のコロナ加入にしていたのだそうな。道理で機嫌が良い訳で、2週間の休養中、1週間目で退屈して、孫を連れて日帰りでデズニーに出かける始末。
それを止めるのは息子だろうに息子は言っても聞かないからと止めもしなかった。
「義理と人情秤にかけりゃ義理が重たい」とか言う任侠の世界じゃあるまいしさ。😤
最近、涙もろくなって、1日数回、感動するたびに涙、苦労話を聞くたびに涙、どうして..こんなに涙もろくなってしまったのだろう。そう言えば1年半前、やたら左目の中がゴロゴロして、市販薬を買っても治らず、もしかしたら悪い目の病気にかかりはじめたのではないかと、医者嫌いの私でも、流石に目と歯と、そして痛みだけは恐怖で、早速、初めて眼科に診てもらいました。結果は加齢により出来た目の中のシワがゴロゴロ感じるのだということ。原因は、加齢による乾きとの医師の説明でした。
以来、目の中を潤す目薬だけは定期的に続けています。それ以来、ゴロゴロ感は一切無くなりましたからやっぱり薬の成果は凄いと思います。その原因の乾きがなくなってから、やたら見るもの聞くもの目頭が熱くなり涙が出てしまいます。
この年でやたら涙が出すぎるのも、はたまた悪い病気なのではないかと変な風に考えてしまう、これって年寄りの冷水というものでしょうか。それとも今ようやく身体のメンテナンスに気遣う余裕ができてきたからかもしれません。今までは働く事だけが必死で、こたいていの身体の不調は早寝早起きで悩む暇なく会社に行っていたから、そう思うと、私にもようやく老人として片足突っ込んで、自分の身体を思いやれる日常になったのだろうか、しかしながら現実は野暮用に使われるこの身体、たまに不調の時は堂々と寝る事が回復への近道と思うようになりました。
おかげさまで身体は回復しました。
ただ、今日は孫の英語教室があるので、わざと避けるため、治ったのに治らないふりをしてベットにつんもぐったままでいます。孫の送り迎えは息子がしてくれることになりました。息子だってリモートワークだからと言っても、そうちょこちょこ仕事を中断して孫の為に行動することは大変な時間の損失だろうに、ナツちゃんは、40日の有休を既に使い果たしているので休めないとの事。それより何より、ナツちゃんの考えは家に大人が2人いるのだから自分まで休む必要がないと言う考え、言われて見ればそうかもしれない、しかし息子の仕事は半端なく凄い、それを誰より熟知しているはずなのに、ナツちゃんは、普通の男とは違うから、状況が大変になるほど力が発揮できる男なんだとか、それは息子への賛辞なのか、はたまた惨事に捉えたらよいのやら、年を取るほど、変な妄想に駆られます。しかし申し訳ないけど今は息子に頼って今日もいっぱい寝させてもらいます。
ナツちゃんがね、この頃では自分の実家の話を良くしてくれるようになりました。それを聞いてると、そう言う環境で育てば、こういうふうに育つのだと、お金と薬を溜める事ばかり生きがいを感じるのが理解できるようになりました。孫が出来た今では、すっかり母性が彷彿し
、丸くなり優しさが滲み出るようになりまして子供の存在は凄いなぁと思います。そのナツちゃんの実家ですが、お婆さんが生きていらっしゃる頃、キセルにタバコを詰めて口に加えて近所の婆さん爺さんを集めて花札にお金をかけて遊ぶのが好きな人だったようで、このお婆さん、料理はからっきし駄目で全ては嫁であるナツちゃんの、お母さん任せ、ですから、ナツちゃんのお母さんは1日、台所仕事と暇さえあれば家と店(自転車屋)の掃除に明け暮れていたそうです。
ナツちゃんに言わせると、品もクソもない下品きまわりない、ガラの悪いお婆さんで、人の悪口、嫁の悪口、賭け事大好きで負け知らず、この婆さんの小金稼ぎはプロ級の腕前なんだそうで、そんな所に育てばこうなるのかと、至極、キマワリなく納得したものです。だから人生って面白いですよね。
息子の家に同居するようになってから、ナツちゃんの薬を好きには目にあまるものがあって、孫が生まれてからも、子供の医療費は無料を良い事に、何でもかんでも処方される薬は、理由をつけて多めにもらってくる。常にこの家は置き薬が多量にあるので、それを見ていると尚更、薬嫌いになってしまった。
これはナツちゃんのご両親の影響なのだと話を聞いて、納得したけれど、納得の裏には我が家がと言っても昔の暮らした我が家は今は空き家になって放置されたままだけど別れたあの人は極端の薬嫌いだった。その背景には、あの人が育った実家は、麒麟山と阿賀野川に囲まれた奥山の山間地帯で、しかも貧乏の子沢山で育った人だった。医者にはかからず、身体の弱い子はそれまでの寿命だと思う定めが風潮らしく10人兄弟のうち半数が幼児のうちに亡くなっています。そんな極悪な環境で育ったから、我が家の息子は、頭は良くないけれど身体だけは頑強になり、ほとんど薬など服用したことがない、酒は飲むけど薬は飲まない、これは我が家も変えなきゃいけないのですが、これも運命、どういう所に生まれどういう所に嫁いだかで生きていく形が出来上がっていく。
それはそれで仕方ないので全ては自然流、流れに身を任せて、全ては学びとなって私達家族は生かされています。
うまく説明できないのですが、要するに習慣が洗脳にならないようには気をつけています。
あ〜ぁ、良く寝ました。
息子達、いつ出て行ったのか分からないほど爆睡していた。
炬燵の上に、お盆に、梅干しと昆布のおかゆに、昨夜の夕食に私が作った、鱈の野菜鍋の残りと、輪切りにしたバナナに杏仁豆腐をかけたデザート、白湯にパブロンの風邪薬に咳止め、トローチに、イソジンのうがい薬がお盆に添えられてあった。ナツちゃんが置いて行ってくれたのだと思う。
10時に目が覚め、おかゆを頂く、美味しい、いつも自分が作っているだけに、たまに人の手でつくられたものが、新鮮に美味しい。市販薬は、たぶん薬好きのナツちゃんの常備薬なのだと思う。
熱を計ったら36度3分、熱がなけりゃ充分に休養すれば大丈夫と自分の身体は薬が怖いから、余程のことがない限り飲まない事にしています。主治医には怒られるけど、ある程度、飲んで身体が普通に反応したら途中でやめています。主治医には叱られるけど、自分の慣れはどうしょうもない。それでやってきて、自然治癒力で慣らして来たクセは、もう少しこのままで続けていこうと思う。
これから70代に突入したら、もうそうは行かなくなるのは分かっているけれど、もう少しもう少しとここまで長らえて来たのだもの、もう少しこの路線で頑張っていよいよ駄目な時は薬を頼ろうと思う。薬太りはしたくないもの。😔
そう言うわけで今夜は、ナツちゃんが全部引き受けてくれるそうで、早々に大事を取って自分部屋で養生させてもらっています。久しぶりになんにもせずベットのしたに寄りかかりながら炬燵に入りテレビを見たり、ミクルにこうしてユックリ投稿したり、何か凄く幸せな気分。
孫からのプレゼントの風邪は私には最高の天からの配慮かも。
本来ならこの時間は、家族の食事で大わらわなんですけどね、孫から貰った風邪となると、ナツちゃんの対応が神対応で、良くしてくれるので鬼嫁なんて、なりたけ言わないように気をつけようと思います。
調子の良い鬼姑です。
実は私が1番、性格悪かったかもです。
病気になると気が弱くなるせいか、素直に感謝できて今まで忙しく回りを見渡せなかった分、時間ができると、自分の素性の悪さが際立って見えて反省然り、元気になったら又、イジワル婆さんの根性が出るような気がします。直さなきゃです。有難う、ナツちゃん。
私としたことが、どうやら風邪をひいてしまったみたい。
熱は平熱だけど2〜3日前から、鼻水が出て今は喉がイガイガで、どうにも料理をつくるにも味覚、臭覚、全く鈍くなり今夜は、適当にさせてもらった。
家でぬくぬく過ごしている私が真っ先に風邪をひくなど申し訳ないと思ったけど感染経路はただ一つ、それは孫から直通で、これはもう、いつもの事。
孫の食事は私の役目だから食べさせながら残したり口から出すと、勿体ないと言っては食べてしまうから常に孫が風邪っぽいと私が孫から全部引き継いでしまう、不思議なんですが、うつした孫は、元気になって、もう、はしゃいでいます。しかしながら孫と言えど幼児の風邪は強力で結構、長引いて重くなるのですよね。元々、医者嫌いで風邪ごときで医者に行くくらいなら仕事していないんだから治るまで寝ていたいんだけど、医者大好きナツちゃんの厳しい指摘で明日、早速、行く事に、今は24時間、予約できるみたいで明日の朝1番に仕方なく行く事になりました。我が家は元々が別れた元主人が原始的な人で大のい医者嫌いだったから、私も息子3人も伝染病でない限り病院通いはしたことがあまりないです。しかし70歳目前にしてもうそんな融通は通らない、ナツちゃんに感謝して明日は嫌だけど行って来ます。
今朝はお天気が良く、只今、2度目の洗濯中。
息子が孫を保育園に送ってくれたので、掃除も早めに終了し、洗濯機が止まるのを待つだけ。
息子は孫を送り届けてくれて、遅い朝食を食べ終え先程、自分の仕事部屋に戻ってくれたので、洗濯物をベランダに干したら、散歩兼、買い物にでかけます。
その間の時間、ミクルに投稿しながら今夜の食材のメニューを図書館から借りて来た本を見ながら検討中。
来週は1週間、息子が奈良への出張でいないので、ラッキー。
これで来週は1週間、日中は私の天国。
考えるだけで1人ニヤニヤがとまりません。たとえ実の息子といえ1日、家にいられると本当に息が詰まるんですもん。
これが嫁と姑と実の息子と家族が1日中、一緒だったら私は多分、発狂すると思います。
しかしながらいたんですねぇ。
そう言う家族が、それは我が家のナツちゃんの実家。
夜の夕食の時、この頃では全員がテーブルを囲んで食事をするようになってから色んな話をするようになりました。
特にナツちゃんの生まれ育った実家の話が最近、食卓の話題になり色々話してくれるようになり、なるほどなぁ、そう言う家庭だったのかと、聞いてみないと分からないものですね。その土地の風習や習わしなどが関連して人はなりたくない人間に染まって行く、私もそうですが、人生とは何と過酷なレースだろうと、投稿しながら頭の中で色々考え納得したりしています。洗濯機が終了。
私が料理をするきっかけになったのは、ナツちゃんが、事ある事に実家のお母さんを持ち出し「母は、家事や料理は家族の誰にも手伝わせなかった。それどころか台所は母の聖域だから入って来ることも許されなかった」と自慢なのか私に対する嫌味なのかはわからないけど事ある事に、言っていたので耳にするたびに、口には出さなかったがだから、この子は、掃除や料理が全くできないのか、それで平然と、姑の私に言い切る厚かましさに、それを言わせておく息子にも嫁より腹が立ったけど、嫌われ者のナツちゃんでも次男や三男家族の中で、この長男夫婦に至っては断トツ、暮らしになんの不自由が無いほど優雅にやっているのを見ると、やはり、息子をここまで出世させてくれたのは、この一徹変わった嫁さんの手腕にほかならないと真筆にそう感じています。実家のお母さんと比べられるのは、甚だ迷惑で爆発しそうになったけど、息子を思えばこそ一心触発して、考えを変えました。私だって料理が下手な訳じゃない、忙しく手をこまねいて作れなかっただけだ。それならやってやろうじゃないかと仕事をしていない今、食材の買い物と、レシピに関する知識を頭と身体に叩き込む事で1日があっという間に過ぎていく毎日です。
日曜日の今朝は雨の音を聞きながら、趣味で始めた、調理師の資格習得の本を読みながらミクルに投稿しています。
金曜日の夜は、ナツちゃんは帰宅が深夜になり、代わりに息子が気にしてくれて、群馬での仕事を早く済ませ夜の7時に急いで帰ってくれたので、どれだけ救われたか。
息子も疲れているだろうに、気にしてくれている気持ちが嬉しく孫を息子に見てもらい、ちょっと奮発して、冷蔵庫にストックしてあるものをほとんど使い切って、何でもかんでも作ってテーブルにオンパレード。
騒ぎまくってた子悪魔的存在の孫も大人しくなり、息子のほうが歓声をあげて喜んでくれました。
料理って不思議ですね。場の雰囲気を一瞬で変えてくれる。
煩い声が止まり歓声に変わる、この喜びが、いつの間にか私の生き甲斐になり、そして人生の後半に来て、もしかして、このために私はここに来たのではないかと思うようになりました。
何よりも嬉しいのは息子が早く帰宅するようになったこと。
夫婦、特に私が働いていたいた頃は、土日祝日は決まって家族で外食していたらしいのですなそれが全く無くなったの事、土日と祝日しか全員揃う事がないので、いつしか食卓を囲み家族で色んな話をするようになりました。
料理は不思議ですね。
料理と音楽は心を幸せにしてくれますね。
久しぶりに自部屋の炬燵の中でまったりゆっくりくつろいでいる。
今日は息子は群馬の依頼の講演に出かけたし、ナツちゃんは、新年会に参加の為、夫婦2人9時過ぎまで帰って来ないので、気兼ねなく、過ぎ行く時間を楽しんでいます。しかしながら今日は金曜日、孫の塾の日だから4時半には保育園に向かいにいかなければならないからそれまでの時間は、私に与えられた唯一無二の貴重な時間。ミクルにこうしてユックリ投稿できるのが今は楽しみの1つ。
最近、毎日、家族の食事の支度をしていて、それが生き甲斐になりつつあります。全く料理が下手で、ただ働く事ばかり義務付けられて育ったから、私は働く事以外は、なんの取り柄もない人間としでした。しかしながら人生とはわからないもので料理下手な私が今は、ナツちゃんの実家の、お母さんの、掃除洗濯、料理完璧という話を聞かせられるたびに、まるで私がなんにも出来ない人間みたく、ただ金稼ぎ婆さんのように嫁に稼ぎをまくしとられる、まくしとられるなんて、それは私の言い過ぎだけれど、息子夫婦の家に私がこの3年で貢献したお金は、小さな平屋を1軒、建てられるくらい、それ以上だと思う。今はリハビリ兼ねて仕事はしてないけれど私は諦めた訳ではないのです。今度は自分の為にお金を使いたい、生命保険はかけない分、せめて次男と三男に、いくらか遺して人生を終わりたいと思っています。
長男家族には使いすぎました。
焦ると言えば、ナツちゃんも、今年で40歳になるので中々、妊娠できず焦り始めているようです。先週の土曜日は、摂取した卵と精子を子宮に入れる日で1人でクリニックに出かけました。
息子と私が孫と留守番をしている時にクリニックから息子に電話があり何かしらテレビ電話で、病院側と話していました。なんの電話か聞くと、摂取した卵子と精子を結合させて子宮に入れるさいに、旦那さんの確認の為の電話だそうで、確認が取れてその行程が実行されるという慎重さで聞いてびっくりしてしまいました。何でも過去に、ご主人が亡くなったことを隠し通して治療し妊娠してからその事実が発覚して大変な問題になったそうで、これからは、その都度、旦那さんが一緒に来院できない場合はスマホで顔を認証して治療が行われることになったのだとか、色んな事があるのだなぁと、あらためて思い知らされました。
今日も仕事の帰りにクリニックに寄って来るそうで、この頃では、2人めとなると私も覚悟がいりますが、涙ぐましい努力を見ていると、憎可愛の感情乗り越えて、励ましながら送り出しています。
ナツちゃんにすれば、実家のお母さんに、孫1人は可哀想だから2人目の孫の世話を母にさせてあげたいと頑張っているようです。
産んだあとは何ひとつ育児は人任せの嫁さんながら腹は立つけれど、孫の可愛さは私も手をかけてきて分かるので私だけがいい思いをしてはならぬと言い聞かせています
今、一休みして休憩中、お天気が良くまるで春みたいな気候。
毎日が忙しく気がつけばもう1月も半ばを過ぎました。
良く昔から、1月は行く。2月は逃げる。3月は去ると言われてきました。
それは雪で苦労する雪国の人達が冬が早く終わるように、それを合言葉にして励まし合って乗り越えて来た言葉です。
あまりにも豪雪が続くと「2月は28日しかない2月が過ぎれば、3月だ。雪が消える。春はもうじきだ」と、うちの父などは良く言っていたものです。
今、雪で苦労することが無くなったのに、この言葉を思い出し、かなりニュアンスが違うちょっと現在の私には恐ろしい言葉になりつつあります。
1月はもう終る。2月は短く3月に入ると、やだなぁ、私の誕生日です。
もう69歳になるのですもん。私まだまだやりたいことが山ほどあるのに、何もできないまま日常に追われ年齢だけがかさむ。何かちょっと人生後半に来て焦り始めています。別に焦らずともこのままで良いんですけどね。
そう言えば今日は、田舎で、働いていた元会社仲間の丸さんの誕生日だったので、早朝から早すぎて迷惑かもと思ったけど田舎の仲間は皆、バカがつくほど早起きだから遠慮なく先程、お祝いのメールをジャンジャン打たせて貰った。
丸さん、今日で70歳だって言っていた。
3月16日には退職するとも、元々、丸さんは営業マンだったのだけど60歳で定年退職してから、会社のはからいでパートとして9時から3時の間、働いていたおられた人です。
腎臓が悪く人工透析を余儀なくされながら、人柄の良さから皆のムードメーカーとして会社が丸さんを引き止め、それを恩義に感じて丸さんは、律儀に会社に貢献しておられたけど丸さん自身が身体に限界を感じて退職を願い出たそうだ。
あっ、そう言えば、来月の二十日は、あのジャイアンが65歳でやっと退職するそうで、皆んなはその日を首を長くして待ち望んでいると去年の3月に68歳で退職した町子さんが言っていたっけ。
なんだかんだと権威と威嚇でい続けたジャイアン、嫌われ者ながら最後まで彼女は残ったのだから敵ながらあっぱれだと思う。しかし丸さんは、上からも下からも慕われ惜しまれ辞めて行くのに対しジャイアンは今から辞める日をカウントダウンされ待ち望まれてるなんて考えるとつくづく可哀想な人だと思う。
しかしながら、パート歴32年も勤め上げたのだからそれは凄いとはおもうのだけど…
しかしねぇ😮💨
今朝の目覚めは寝たのか寝ないのか区別がつかないほど熟睡したという自覚無しでこんな時間になってしまった。
確か夜中に玄関のドアが開く音で目が覚め、息子が帰宅した事を確認して時計を見ると深夜の2時を回っていた。
それから又、枕に顔をうずめ眠りについたようなんだけど今度は羌ちゃんのドアをガリガリする音に起こされ、仕方なくドアを開けると羌ちゃんが逃げて来たのが納得。
2Fのリビングから息子のイビキの爆音、多分、酔っ払って帰って来て、ゲージを開けて羌ちゃんを出して羌ちゃんと戯れてるうちにソファーで寝てしまったのだろう。羌ちゃんは、あまりの爆音にたまりかねてゲージに戻らず私の部屋に避難してきたんだろうけど、この羌ちゃん、息子の爆音に興奮して、夜中、はしゃぎまくるし、たまりかねて羌ちゃんに帰ってもらったけど直ぐに、引き返してくるし、仕方なく又、部屋に入れて、それから、睡眠妨害されながら、結局、まんじりともせず、眠れなくなってしまった。
ったく、この家に私は召されてしまうんじゃないかしら。
ゆっくり寝てみたい。
それが今の私の悩みと願いです。
昨日、息子家族は保育園の主催するイベントコンサートに出かけてから、朝風呂に浸かり、この世の天国を味わっていたのに2時間で息子と孫が寒い寒いを連発して帰って来る有様。
皆で夜まで来ないものだとばかり思っていたから、こちらはお風呂から上がってから軽く掃除洗濯をして.テレビのNETFLIXで「孤高のグルメ」や「深夜食堂」を楽しんでいたのに、いきなり「ババァ、お腹すいたよー」なんて帰って来るんだから天国から地獄に突き落とされてしまった。それからが大忙し、我が家の孫は今や我が家では悪魔ちゃんと化してテレビは悪魔ちゃん独占、チャンネル切り替えられて、ブリッピーとかなんとかいうのにハマって、乗っ取られるし、とにかくそれからが大忙し、まぁいつもこんなもんだけど、なんだかんだで結局、昨日は、お一人様天国味わえませんでした。😤
要するに、コンサート終わってから、ナツちゃんは、レディースクリニックに出かけそこから息子と孫だけ別行動で公園で遊んでいたらしいけど息子のヤツ、孫のお守りにあきて逃げて来たに違いない。全く❗🤬
今年は毎朝、夢を見て目が覚める。
その夢の内容が全く何を見たかが分からなくて、ただ夢を見ていたのだけははっきり覚えていてその夢が決して嫌な夢ではないのは確かで目覚めた瞬間は、あぁ、母だとか、婆ちゃんだとか、今朝は確か父の顔で目が覚めたのは覚えているんだけれど、それがどういう夢だったかまるっきし記憶にないのだから、それだけ夢の中でこの頃では毎夜、昔の事を見ているのだと思う。それが別段、嫌な思い出とかでなくリアルと一体化して、もう、寝ると昔の日常が目覚めては現実が、それが定番になってしまったようです。しかし今朝は何を見たんだろうなぁ。父親が現れたのは覚えているんだけど、その父も笑っていたような気がする、まぁ、目覚めがいつもホンワカしているのは夢の中で昭和の生活を楽しんでいたのだと思う。先程、リビングに湯を沸かしに上がったけど誰も起きて来ないから、白湯をコーヒーカップに入れて自部屋に戻り羌ちゃんと、オコタでまったりしながら投稿しています。
何日ぶりかの投稿。
毎日、慌ただしく1日が過ぎていく。
今日は息子夫婦も孫も明日まで休みだけれど孫の保育園のコンサートだとかで、たった今、親子3人で出かけて行った。
コンサートが終わるのは11時半、ナツちゃんはそのあと、1人で池袋のレディースクリニックに行くという、こちらもハードスケジュール、お昼も夜の食事も、出かけついでに外食してもらうことにして、ようやく私だけの空間をゲット。
変な趣味ですが、皆が出払ったあと、掃除より即、私自身の身の掃除。
バスルームで1番湯に浸かり、身を清め、そして新鮮な朝のスタート。
これから朝風呂に入ってきます。
夕食のレシピを作りながら、テレビを見ていたら「徹子の部屋」で八代亜紀さんの追悼番組をやっていた。八代さんが、34歳の時と69歳の時そして70歳の時の画像が映し出され、特に70歳の時の黒柳さんとの会話には「70歳のこの年代に入って声が、のびやかにでるようになった」と明るく輝くような笑顔で仰ってたのにね、膠原病って確か、私の主治医が免疫を破壊する油断出来ない病気だとおっしゃってた、本当に、あんなにふくよかでお元気だった八代さんが、徹子さんとの70歳の放送の2年後に亡くなられるなんて、病名が私にもゆかりがあるだけに哀しくて辛くてやり切れない。おまけに、たった今、今度は65歳の山川豊さんが肺がんで仕事を休止する映像が出て又なみだ。
私達のこの年代はいくら気持ちが若くても体の中は常に老化の一途を進んでいるのだと真剣に考えさせられました。
今年は資格を取って、独り立ち老人を豪語してましたが、一挙に谷底に落とされてしまいました。アッ!お鍋の湯が溢れてしまいました。
八代亜紀さんの訃報を知って、愕然とし、その病名を知って打ちのめされる思いだった。八代亜紀さんの死因の病名は「急速進行性間質性肺炎」だそうだけど、「膠原病」の持病があったと聞き強い衝撃を受けています。
実は私も5月に倒れた時の病名が「リュウマチ性多発性筋痛症」と診断され、それを放置して更に無理をしたら「膠原病」に発展すると言われやむなく新宿での仕事を辞めた訳だけど、まさか八代亜紀さんが「膠原病」でいらっしゃったなんて。改めて八代亜紀さんの御冥福、心よりお祈り致します。m(_ _)m
1日、ミクルから離れると、目覚ましく変化があり2日3日と日があっという間に過ぎる。
ただ会社勤めをしていないだけで、1日何をしょうが好きなことができるはずなのに気がつくと自分のやりたいことはほんの少ししかできず息子は嫁、孫にほとんど従事している。最近では家事や孫の世話が当たり前になり、それはそれで慣れてしまえば別に苦にはならないのだけど、何と言うか、自主的に、こういう事を私が望んでいてやっているのではないだけに果たしてこのまま息子や嫁や孫のためだけに残りの人生使い果たして、寿命が来た時に虚しくならないだろうかと考えるようになった。
今の日常が生き甲斐としてやれているならば、こんな疑問にブチ当たらないだろうに、何故、私はキッチンで料理を作りながら、孫を見ながら、ちょいちょいスタミナ剤代わりに、料理に使う日本酒を盗み飲んだりするのだろう、息子が年末に色んな企業から日本酒や洋酒を歳暮に送られてくるたびにキッチンにはお酒の瓶が増えそしてついつい好きでもないのに日本酒を飲むクセがついて晦日の晩に1人になった時に体調が特に胃腸に異変をきたしてしまった。
あれ以来、お酒は止めたものの、胃腸不良は今も治らずじまい、これぞ自業自得だから仕方ないのだけど、そんなんでついつい考えるこの頃です。
ナツちゃん達が帰ってきてから、通常の慌ただしい日常に戻った。
実家に9日も居て、何不自由なく好きにお正月を過ごしてきて帰省して次の日の今日は昼の1時からマッサージに出かけて行った。
マッサージから帰って4時には、保育園の同じクラスの女の子のママ友達と埼玉新都心に遊びに出かけるし、全く、この嫁さんは、病的なくらい、出かけることが好きで、腹が立ちながら来年40歳になるのに体力あるなぁと驚きが優先して腹立たしさも消えてしまった。
しかし、ナツちゃんの事を憎いという感情に至りながら、いつの間にか憎しみが愛おしさに変わるその理由のわからない繰り返しの毎日だけど3年も一緒に暮らすと、そう言うわがままのような性格が、育った環境から来ている事が少しづつ息子の話やナツちゃん自身の口から、聞かされて、私も反省するようになりました。育った環境というものはどうしょうもない、私だって勝手に離婚して息子を捨てたようなものだから、特に、うちの息子は私を許さず私が離婚して15年の間、親の縁を切ると言われずっと連絡さえしてくれなかったんだから、それを取り持ってくれたのが、このナツちゃんなのだから、それを忘れてはならないの
だった。ナツちゃんに感謝こそすれ、貶すなどなんと私のほうが鬼畜な性分か、自分が情けない。反省の正月7日でした。
深夜の2時に息子帰宅。
私はと言えば、今は便利な世の中で、嫁が課金を払って登録してあるビデオには、ほとんど観たいものが観られるとあって私の正月お一人様デーは、地震があってから自粛し、買い物以外はほとんど外出しなかった。
それでなんとはなしに、ビデオをかけたら、あるわあるわ興味のあるものが、まずは「キングダム」の1作と2作を見終えてから、ビデオ熱に拍車がかかって、次は「深夜食堂」これを1日係で前作見終えて、昨日は、「男はつらいよ」の1作めから開始、懐かしいやらで次々と観ているうちに、息子殿ご帰還。時間を見たらなんと深夜の2時だった。
企業の「新春賀詞交歓会」に出席していた息子は、その後に夜の銀座に繰り出してバーなんぞでしたたか飲んで来たみたいでご機嫌最高、私は私で懐かしい寅さんのビデオを最初から見ていて笑って泣いて、1人で悦に入っている時に息子が上機嫌で帰ってきたから、その後、寅さん観ながら息子と朝まで盛り上がりました。
しかし寅さんのビデオは長いから5作目で休止、明け方4時に息子共々就寝。
今朝は8時に起きて、嫁と孫が帰って来るので清掃し、洗濯終わりベランダに干し、寝てる息子の朝食を作り、今、又、寅さんのビデオを見ています。
あっ、息子殿やっとお目覚め。
朝食か昼食かわからない食事の準備してきます。
虫の居所が悪いので今暫く、ナツちゃんなどと親しみを込めて呼ぶのは止める。😤
当分、怒りが覚めるまで「嫁」と呼ぶ、それも、さんをつけず、呼び捨てにする。これを見てられる日本中の、お嫁さん達の全部から非難轟々言われようが、いくら責められてもかまやしないし、いくらでも私の事、糞ババアと言ってくださいまし。屁のカッパでもござらんわ。
フン😤嫁のヤツ、あれからずっと寝てたみたいで、既読スルーのまま。
仕方ないから、私と息子のやり取りで、まずは息子の方から嫁の実家の地元警察に連絡を取り落とし物として届け、カード会社にも止めてもらうよう連絡をしようとした矢先、息子から財布があったとメールが写真入りで入って来た。
アホタレ息子のヤツ、背負っているリュックのパソコンの奥下の又下にあったそうな、(笑)マークがついてアホ息子はケタケタ笑ってたがジョークで済まされるか😤そのうちに私らのメールのやり取り音に、ようやく気がついたのか、バカ嫁が目覚めたのか、「えー❗朝から何やってるの、目が覚めちゃつたじゃん」だって、覚めて当たり前じゃん、もう11時だぞ。ずっと実家に入れ❗
長男が実家に寄り付かずいないものだから、うちの嫁は何かあれば有休を取り実家に孫を連れて帰る。保育園はもう始まっているというのに。しかし嫁の親も親だと思う、長男が嫁をもし貰っていたら、その嫁さんはきっと苦労したに違いない。
昨日、ナツちゃんの実家から先に帰って来た息子の今日は初出勤の日、朝7時に家を出ると言うので早朝から朝食の準備をし、朝食を食べいざ、出勤という段階で玄関まで息子を送りドアを開けた瞬間、思いだしたように、玄関に鞄を置き中身をさがしている。「無い無い」と呟くから何がないのか訪ねると財布がないって、正月早々、初出勤の日に財布がないなんて、情けない。
息子曰く、ナツちゃんの実家に忘れて来たかもしれないと別に慌てる風もなく、
確認の為、ナツちゃんに連絡するように施すと「あいつまだ寝てるから電話してもでないし」結局、私のお金を2万渡す羽目に、新鮮な朝を汚されていささか私の腹の虫が収まらず、寝ていようがなんであろうが、ナツちゃんにメールを送るも今だに既読スルー。
我が息子も息子なら、その嫁も嫁、いつもながら、朝が起きられない子だから、それが実家となれば1日中、寝ているに違いない。早く2万取り戻さなければ。
私は現金主義だから、息子や、嫁より札束が大事です。
正月早々、物騒な事を申してすみません。本音を言えるからミクルさん、大好き。ここだから言いたい事を言わせて貰える、極悪の汚い人間社会、笑って生きれるのだから。早く2万に利子つけて返して貰わねば。
今日は、息子だけ帰って来る。
私の僅かな休日は今日で終わり
息子が帰ってきてからの夕方から通常の多忙な日常がスタートする。
けどけど、楽しみにしていた私だけの、お一人様生活は結局の所、なんにも変わらなかった。
ナツちゃんったら、連休と同時に孫を連れてその日の内に実家に帰省したから、なんともナツちゃんと孫の部屋は散らかし放し、行く前にナツちゃんと息子との共同作戦で家全般の年末の清掃は私がするけど、夫婦の部屋は自分達でしてほしいと私の方で注文を出し、掃除嫌いな、ナツちゃんは、息子に託す事になり、息子は承知したはずなのに、ナツちゃんと孫にが29日に実家に帰った途端に、息子はリビングのソファーに寝転がり、そのまま、年内は寝て暮らしていた。
掃除を催促しても、起きてはやると言いながら結局、寝て食べて又、寝てを繰り返し、流石の息子も悪いと思ったのか、掃除に取り掛かろうとしたら、ナツちゃんから電話があり孫が「パパ、パパ」と言うからすぐに来て欲しいと連絡が結局、掃除せず帰省。結局、掃除は婆ばの役目
正月三ヶ日は清掃すると福の神を掃いてしまうから、と言う言伝えがあるから、正月3日過ぎたので、ナツ孫部屋に入ったら、
あまりの見事さに正月気分が失せてしまった。ここまで散らかしてまで実家に帰りたいのか、しかし、ドアを開けてしまって、惨状を見てしまった以上、するしかないか。😮💨
リビングで、ビデオ「深夜食堂」を観ている中に、こんな深夜になってしまった。深夜食堂の場所が新宿なだけに、懐かしくてついつい時間を忘れて観いいってしまった。又、明日、続きを観よう。
新宿裏通りにある場末の古く薄汚れたお店が場所で、新宿で働いていた時、Sさんを訪ねて訪れた歌舞伎町の新宿ゴールデン街のような雰囲気で懐かしかった。又、顔に傷があるマスターを演じる小林薫さんの醸し出す、何とも言えない渋く口が堅くそれでいて人世の酸いも甘いも噛み分け、黙って抱擁してくれる、このマスターがなんとも言えず惹き込まれてしまう。そしてのれんをくぐって入ってくる、客の背負っている人生がなんとも言えず、仲間意識を感じて私も又、客の一人として、のれんを潜ってカウンターに加えて貰ってるような心地良さを感じて、もう深夜の2時。明日まで留守番の身だから朝まで観ていらるのだけど、やはり夜更かしは高齢の身にはキツイです。はて、これから寝て明日は、駅伝観ながら、深夜食堂を観て最後の正月休暇を楽しみます。お休みなさい。
元旦に、津波が押し寄せるという緊迫感の中を大丈夫だからと帰る親父さんは、そう言う人だから今更、驚きはしないが、其れに合わせる家族って私には正直、理解しがたい。うちの息子はいくら、この親父さんに恩があるからと言え、悪いことは悪いとなんで言えないのか、自分の父親には刃向かって意見するのになんで、こんなわがまま怪獣の親父さんに物申さないのだろう。どれほどの立派な功績を残してきた訳じゃない、ただ本家の長男だからただそれだけで、家族を自分の管理下で意見を持たせないほどがんじがらめにして今でも君臨して、権威だけ振りかざしている、だから自分の息子が寄り付かないのだと思う。
その息子からまとまった現金を送金させながら、即、車を買い、補聴器を買い、簡単に、100万使い切る。孫に何一つ買うわけでなく、自分の物を直ぐ買う、これがこの土地の、男達の特権とか風習なら、そろっと、崩壊してもいいのでは、こんな男に連れ添えば、どんな良い女性だって、偏屈になるのが良く分かる。ナツちゃんの、お母さんも、生きるために従い逆らいもせず耐えて来たことは勲章ものだろうが、私は立派とは思えない。欠陥人間の私がそんな事を言う権限はないのだが、どうにも、言いたくなって零してしまった。
お正月を自分で汚してしまったなぁ。
今、リビングで1人でテレビ中継、箱根駅伝を見ています。
昨日は地震があって、こちらは命の縮む思いで一晩中起きて、ナツちゃん達の安否を気遣っていたのに、なんのことはない、避難したのはほんの1時間くらいで親父さんも、ナツちゃんも止めるのもきかず自宅に皆で戻り、そのままお酒を飲んで寝たんだって。
今朝は今朝で、息子が孫のお守りをして、ナツちゃんは、親父さんの車を借りて1人で長岡に繰り出した、映画とショッピングに出かけたと言う。
ナツちゃんにすれば、孫を連れて行くのが一番の親孝行で、とりわけ、お母さんが孫が来る前から泣き、来ては孫を抱きしめて泣き、帰る時はさみしいと言って又、泣くという泣いてばかりいるそうだけど、そのお母さんに孫をいっぱい可愛がってもらう為に毎回、長い有休を使って実家に帰るのに孫は、ナツちゃんのそばから少しも離れず結局は何も出来ないから息子を電話で呼び寄せ息子に孫の面倒見させ自分は好きなだけ羽根を伸ばす、埼玉の自分の自宅に居るときだって好き放題しているのに実家に帰れば、じっとしておらず親には孫が懐かないからと息子に預け遊び回ってる、なんかね~親が親なら子も子だと、これはもう治しようがないんだなぁとアホらしくなってしまった。地震で皆さん不安な一夜をあかされたというのに、この家族はド強い強運で余程の窮地を感じない限りは我が道を行くド根性型破り野人俗なんだとつくづく分った
ナツちゃんの実家が海沿いに家があるので今夜は村役場に避難したそうだ。
今夜は心配で眠れそうにない。
何が起きるか分からない覚悟はいつもしていながら、私だけが埼玉にいて、申し訳ない。
でも良かった、あちらは息子さんが全く実家に寄り付かなず地震があっても、一言も様子を聞くということもなく全く電話もメールをしてこないと言うから、親子なのに、こんな時は、親との確執など、突破らって、連絡して様子を聞くのが常識ではないだろうか。
とにかく、あちらはご両親2人だけでなくて良かった。
息子とナツちゃんがいれば安心だと思う。どうか無事に乗り越えられますように。
2024年、明けましておめでとうございます。
昨年は、私のような部屋に30人もの多くの方々、年明けて又、新しい1人の方がいらしてくださり31人もの多くの方々が訪ねて頂き本当に有難う御座います。
年末の昨日は2時から、お一人様の年越しをし、新年も、お一人様の年始を迎えました。
あっ!
でも正確に言えば1人でなく、愛猫の羌ちゃんがいるから、2人ですね。
羌ちゃんは猫ちゃんと言えど人間より人間以上の猫ちゃんですから、私には立派な家族の一員です。
ですから2人で、お正月を迎えました。
今朝は風が強く冷たいですが快晴です。
部屋の窓を全開にしベッドの上で窓際に背もたれてお正月1番の追風を受けながらスマホで皆様にご挨拶しております。
今年も、勝手気ままに言いたい事を吐きますので、目に余る方はどうか私を相手にしないでくださいね。こんな私ですが、宜しくお願い致します。m(_ _)m
今、大型スーパーのファミレスで、醤油ラーメンにフリードリンクのココアを飲んでいます。我が家は、一足先に、ナツちゃんが孫を連れて10時40分の新幹線で新潟の実家に帰って行った。
息子はと、言えば昨夜も午前様で深夜に帰宅して朝が遅いため、車で駅まで送るのが面倒くさいと言って歩いて二人を大宮の駅まで送って行った。
玄関で3人を見送りながら手を振っていたら孫がいきなり飛んできて「ばあば」と両手を広げて飛んできたのにはびっくり、なんか、冷めた目で孫を見ていた、クソババアの私なのに、こんな満面の笑みで懐に飛び込んで来られると、それまでの孫の暇なし攻撃はチャラになり、胸がキュンして、やっぱり乳飲み子の時から世話してきた可愛さが彷彿して、やっぱり、孫は可愛いい、あっ、でもいけないあんまり感情移入すると私は、ナツちゃんの、母親みたく修羅になってしまう。孫には孫の人生があるのだ、可愛いい、可愛いいだけでは育てられない。
そう心を鬼にして孫を抱き上げる痛い腰を我慢して待ってる息子夫婦に手渡して来ました。どうか楽しい年末年始をあちらのご両親と過ごせますように。
ココア2杯目お変わりしています。
孫を送り届け、一旦自宅に帰る、散らかったリビング、シンク内は食べたあとの食器が散乱、その前に、午前様の息子は今だに来たくないし、来るのか来ないのか分からないと、私の行動も始まらないので思い切ってメールしたら息子曰く、「今日は仕事納めだからこれからホテルを出て散髪してから会社に行く、朝飯も昼飯もつくらんでいいよ」ですって。
だったら早く言えちゅうの。😤
帰らないと分かれば、もうこの家は私の意のまま。リビングの掃除もシンク内の洗い物もそのまんまにして駅前に繰り出した。
コンビニのイートンスペースでカフェラを飲みながら、10時からのミスド3600円の福袋を貰いうけに行き、近くのショッピングモールの食品店で食材を買い、スタンプを押してもらって年末の福引をするのだ。いつもハズレだけど、気分転換に持って来いだもの、今朝はここからスタート、さぁ街に繰り出そう?❗
息子はと言えば今朝はまだ帰宅しておりません。昨日は家を出る時に、日本酒を堪能する会とかに招かれたから深夜か、もしかしたら泊まりになるとか曖昧な事を言いつつ何故か機嫌よく家を出って行った。昨夜帰宅したナツちゃんに、そう言うとナツちゃんは、ムスコから何も聞いていなかったらしく全く気にせず「年末は忙しい、きっと泊まって来るんじゃない」と全然気にしない。
まぁこの子は息子が浮気しょうが全く気にしない、相手が中国人の女性でなければいくらでも遊んでも構わないと豪語しているから、分かって放つ言葉なんでしょうが、何ともオモロイ夫婦です。
女遊びはしてもそれを仕事のバロメーターにするのであれば、女遊びはコケコッコーだそうで、今朝もナツちゃんとすれ違いに息子はご帰還なさるから、出たり入ったりを迎える婆あ婆は、忙しゅうございます。リビングから、羌ちゃんが私をお迎えにドアをガリガリやってるし、ナツちゃんがまだ寝てるから、餌を催促しに来たのだ。ナツちゃんがエサ係のはずだったんですけどネ。(笑)
。そして更に26日にはミスドの5900円の福袋、1つで収まらず3000円の福袋が今日、販売になるそうだけど、それを又、買いに行かされる羽目になった。5千円のドーナツ券のうち、買ったその日から毎日、ドーナツを買い既に千円分を使い果たしたと言う。3千円のドーナツ券は私と孫の分だそうだけど、ナツちゃんの目的はその中身のグッズだそうです。それは私に買わせる為の口実で、結局はドーナツ3千円分は、ナツちゃんのお腹に消えるのである。
しかもまだオマケがあって、マクドナルドの福袋の抽選に当選したとかの連絡が来て昨夜は大喜び、しかしこれは来年になるため、里帰りしてこちらにいないナツちゃんは、実家の新潟のイオン店で受け取る事にしたそうだ。なんなら私が家にいるんだからと言ったら、直ぐに欲しいから、新潟のイオン店にしてもらって私が受け取りに行くと言う、丁度その頃、息子も実家に行っているので、息子に頼んで車でイオンに連れて行ってもらうそうだ。ナツちゃん来年は40歳になるとゆうのに、まるで孫のような嫁。今の世代のお嫁さん達は皆さん、うちのナツちゃんタイプなのでしょうかねぇ。世代が違うから昭和生れの私は、そう言うものだと自分に言い聞かせ私も時代世代のニーズに合わせて楽しむように慣れるようにしてますが、ついつい、弱気の本音が時として文章に出ちゃうから困ったちゃんです。だからやっていけるんですけどミクルさんに感謝。
今朝は、息子夫婦の仕事納めの日、そして孫の保育園最終日。
園の先生方にとっても、こちらも仕事納めの日なので、できたら保護者の皆様に早めにお迎えに来て頂きたいとの事で我が家の孫は、婆婆の私が4時に迎えに行く事になった。
仕事治めのない私には、今日からが忙しくなる。うちの嫁殿ときたら明日から実家に帰るから、もう浮き足だっていて、
今日やっと実家に送る自分と孫の着替、孫のおもちゃなどの荷物を、自宅から送るため、私がその役を仰せつかった。
業者が荷物を取りに来るのは13時から16時の間だという。孫を迎えに行くのが16時ではないか。16時前に来てくれるならまだしも、年末は業者が遅れがち、早めに来るとは限らない、もし、すれ違いになったら、その時はその時だわ。そもそも息子が車で一緒に行けば、荷物を送るなんて事しなくても良いのに、無駄な荷物代金、新幹線代、嫁殿はケチの守銭奴の割には、豪快に自分の望むものにお金を使う。不妊治療にもお金がかかるのに、その反動なのかも知れないけれど、今年もうちの嫁さんは、好きなだけ贅を尽くしたと思う。
掃除も終わり、早めの昼食を食べ終えて今、リビングでまったりしています。
8日間のお一人様お正月休暇を、あれもしようこれもしょうと忙しい家事、孫の世話の間に空想を膨らませながら忙しさも張り合いに頑張ってたのに、その半分の4日間に縮小されるなんて、なんでこうなるのでしょうね。
😮💨ファ~
ガックリ、しかし息子夫婦、片方は新幹線で片方は車なんて、向こうの両親も変に思われないだろうか、息子に言わせるとちゃんと理由があって「初孫だから少しでも長くおいてやろうとおもってさ。他人の俺が一緒だと色々、気ぃ使わせるだろうしさ」とかなんとか言ってだけど本心は、息子も煩わしさから開放されたいのではないかと思う。
孫が生まれるまで15年という長い夫婦二人だけの期間、とにかく息子は、連休あらば嫁の実家に車で、泊まりに行きそこから家族旅行と称して向こうの両親の為に全国連れ回ったそうだ。それも全部息子持ちで、孫が出来た時点から少しづつ、息子の気持ちに変化がで始めたように思う、ナツちゃんも同じ事を考えているのではないかと思う。ナツちゃんの場合は不満と不安が入り交じってるのではないかと思う。
あ〜ぁ、やっと皆が居なくなってくれたぜ😎
な〜ンチャって、今朝は新鮮な朝から、ヤクザな気分になる。
何とも忙しく騒がしいこの1週間だったことか。良く目にする言葉を「クリスマス」を「クルシミマス」なんて、本当にそんな目まぐるしさだった。
そしてもう一つ、この、クルシミマスデーが過ぎて29日が来れば、ナツちゃんも孫も実家に里帰りしていなくなる。ついでに我が息子も一緒に行けば良いのに何故か息子は一緒に行かず、31日にようやく重い腰をあげナツちゃんの実家に行く。で、帰りも一緒に帰って来れば良いのに、何故か息子だけ先に帰って来る。今回も正月8日まで向こうの実家に過ごすと言ったので、私はもう最高に長い冬休みが取れるとワクワクしてたのに、今朝、ナツちゃんから「お母さん、帰りは8日のつもりだったけど、6日に帰ることにしたから、それから◯(息子のこと)ちゃんは、4日に一足早く帰るって」だって😮💨
なんなのよ、それって、途端にやる気なくし、皆が出て行ったあと、掃除もせず散らかったリビングでふんぞり帰っております。
今日は、ミスドの福袋売り出しの日。 6時販売開始の時間までに今年も行列1番を連覇したくて4時半から並んでいます。
実はこれ、ナツちゃんがミスドの福袋のグッズマニアで、私が埼玉に来て始めての年はコロナで中止になったけど、孫が生まれて次の年に開催になって育休のナツちゃんに代わって私が引き受けたのが、スッカリ今では私の役割になりました。始めてのミスド福袋を買いに行った時、既に行列で最後尾だった経験から2回目の去年は4時に起きて、先頭を狙い2時間寒さの中を待機して、トップバッター1番乗りを達成。
ミスドの店員さんに「ミスドの来年の福女さん、朝早くからありがとうございます」と言われ、その時の響きが最高に心地良くて今年も福女を狙いに1番席取っちゃいました。ナツちゃんが、直ぐにノリに乗っかってくる、ナツちゃんが、いつもは寝坊派なのに珍しく私が起きる前にキッチンで、おにぎりと卵焼き熱いお茶を用意してくれました。
実はね昨夜、ナツちゃんたら息子に「嫁のミスド福袋の為に年寄りを行かせるなんて世間が見たら年寄虐待の、お前は鬼嫁だぜ」なんて言われたもんだから、間に受けっちゃったのかな🤭
まっ、そんな事、気にする子じゃないけど、でも嬉しかったです。
ナツちゃんも、7時から妊活で病院に行くんですもん。私が手伝わなくちゃです。行列2人め表れました。3人目登場
です。寒い〜
ナツちゃんと、そのお友達が全く異質なのに深い縁で結ばれているのも不思議さを感じましたが、話していて、更に縁とはまことしやかに更なる不思議だと思ったのは、日本海の寺泊一番の鮮魚センターで、カニや魚を売りさばく名物おばさんで当時、お客さんに人気のあった方の娘さんだった事です。
それを聞いた時、「まぁまぁまぁ」とビックリして次の言葉が出なかったくらい。あの方ならよく知ってる、明るくて田舎弁丸出しでそして何よりジョークがうまく、そして、カニや魚をおまけしてもらったものでした。先程、私は、その方を、オバサンと言ってしまいましたが、よくよく聞くと現在、72歳だそうです。私と4歳しか違わなかったんですね。男並みに頭にねじり鉢巻きをしてゴム長靴に眺めのゴム製の汚いエプロンをされてでスッピンで顔は漁師さんさながら日焼けしてお顔が真っ赤でした。
それなのに私は4歳しか違わないのに、オバサンだと思うなんて本当に申し訳ないです。近況を聞くと、とうの昔に引退され今は病状に伏しておられるとか、今は兄夫婦の代になっているので実家には今年の年末年始は控えて行かないのだそうです。代がかわって実家に兄嫁さんがいると、そうなるのかもですね。
でも我が家の、ナツちゃんは、実家はご両親二人なので、しょっちゅう帰っています。今年も今月29日から来年1月8日まで孫を連れて里帰りします。
お友達にナツは幸せ者だって言われてました
皆を送り出して、掃除もしないで、自分部屋の炬燵に入り、まったりしています。空気は冷たいけれど、窓を全開にして、エアコンは付けず、炬燵だけの暖で凛と張り詰めた新鮮な冷気と足から伝わる炬燵の温もりが何とも調和が取れて心地良い。
今日は買い物も行かず、1日、家で過ごそうと思う。それほど、この3日間、買い物とキッチンで朝から晩まで動き通しだった。ようやく1人になれたのだから今日は、自分に休暇を与えようと思いました。
土曜日に泊まりに来たナツちゃんの、友達は、同じ同郷で保育園、小学校、高校、短大とずっと一緒で、結婚後も、何故か埼玉と板橋と近くに住み子供も、同じ男の子一人で、お友だちの子は4歳、我が家の孫は3歳で、よく行来しているけれど泊まりに来るのは初じめて、このお友だちと会うのは私も初めてでした。
手土産に、北海道の根昆布と、とろろ昆布、ガーリックのオリーブオイル漬けを貰いました。
お話を聞くと、旦那さんのご両親が亡く
なり、ご両親名義のマンションを引き継ぐ事になり、リフォームして住んでるそうです。ナツちゃんのお友達だから天然な女性なんだろうなって思ってましたが全然、違って知性的で物静かで、都会に洗練された感じの女性でびっくり、こんな美人があの半農半漁の因習深い町の出身だなんて、ナツちゃん自身が「私はいつも彼女の脇役だった。彼女は田舎で
は有名だった」とか、その友達を、自慢していました。
そんで私の悪い癖。
4時まで帰らないって言ったから、
散らかったリビングの清掃する前に、350ml缶ビールを冷蔵庫から失敬しちゃつた。昼間っからっての罪悪感あったけど、今回のはね、とにかく嬉しかったから、ヤケクソビールでなくて今は嬉しくて、自分にご褒美のスタミナ剤。
これ飲んだら、やるぞー
でも、1缶で済むかなぁ😅
自信ない。😜
でもウソでも喜んで貰えるのは
心底、嬉しいです。
昨日、家族で泊まりに来た、ナツちゃんの、お友達家族が、たった今、我が家の息子家族と連れ立って、帰って行った。お互い車で、ちょつと、遠出の公園に4時まで遊び、そのあと解散するとの事。
私的には、不眠不休の一泊2日の家事作業でしたが、本来、作るのが楽しいので最初は、ブツクサ言ってた意地悪婆さんでしたが、出来上がった料理に歓声が上がり、あんまり喜んでくれるので私の方が感激して、ますますはりきりました。
おでんや茶碗蒸し、菊と柿の三杯酢、白菜と柚子の皮と塩昆布の即席漬けや、胡瓜とチーズと塩昆布あえ、などなど、其れにケンタッキーのバケツサイズのチキンセットなど昨夜は二家族、飲んで歌っての宴が深夜まで続いていました。私は作るのが役目だから、婆さんが、中に入って一緒になっては楽しむのも楽しめないだろうと配慮して、料理を出し切って、彼らが眠るまで自分部屋で羌ちゃんと、のどかな時間を過ごさせて貰いました。
今朝は3時半に起きて、前の晩に下準備していた、もち米や栗、山菜などを入れて、赤飯と山菜おこわをつくりました。
これが物凄く喜んで貰えて、あんまり感激されたから、私の方が涙腺破壊して、我が息子家族に食べさせないで、そのまま、お重に詰めて、お土産に貰ってもらいました。見送る時、見えなくなるまで、あちらの御夫婦に頭を下げられ、なんかね~
私、もっといい婆さんにならなきゃなって思いました。
リビングで、二人でやっと掃除を始めたかと思ってあがっていったら、なんと起きてたのは息子だけ、ダイニングテーブルにパソコン3台置いて一人で仕事をしている。ナツちゃんと孫は炬燵でねているとか、やってらんねぇ、嫁の客は夫の、あんたがしなさいよと口には出さなかったけど皮肉たっぷりに「こちとら炬燵がないと身体が動かん、だから外に散歩に行ってくる。ついでにダイソーでヤカンのサビ落とし買ってくるわ」って言ったら息子のヤツ慌てだして「1時にはナツちゃんの友達が来るんだ、お袋今出られたら困る」って、ゆうから、「あんたがすればいいじゃん、私しゃ自分の役割は昨夜の中に全部やったじゃん、リビングや自分等の部屋は、あんた達の持ち分じゃろが、とにかく炬燵がないとこの家にはおられんって」って言ってさっさと飛び出してきた。息子曰く「炬燵は直ぐ返す、アイツラが帰ったら即、返す。すまん。」と言われたが、そんな事、言ってんじゃねえってば、自分等でやれっちゅうの、専業主婦で1日動き回って寝た姿を見たことないってゆうナツちゃんの立派な母親に、来てもらえばいいじゃねぇか。アホンダラ。
なんで専業主婦完璧な母おから、あんなグウタラな娘ができるんだや。😤
ブギウギ総集編、面白かった。
今、あの純粋な恋愛を見て、本当に愛しあう者同士って結ばれないのが多いのはなぜだろうかと想いを馳せた。
笠置さん、私が物心つく頃は、歌手の笠置さんの姿は知らなかったし、我が家に、TVが来たのは小学校1年の年でその頃は、美空ひばりがよう歌ってたから、歌ってる笠置さんの姿は一度も見たこと無かった気がするし女優としてのドラマも覚えてないなぁ、コマーシャルだけは記憶にあるけど「カネヨン」の洗剤だったかと思う。そん時の子供だった私の笠置さんへのイメージは、なにわのおばちゃん(すみません)だった。そんな馴染みの無い笠置さんをどうして名前だけは鮮明に覚えているかって言えば祖母や母が好きで、よく聞いていたからだと思う。今の朝ドラを見て思う、あの時代で、このような恋愛をして結婚もしないでシングルマザーで、よう頑張ったなって、こんな明るく波乱万丈を生き抜いてなんで70歳の若さで愛する人の忘れ形見を遺して亡くならないかんのかって、神や仏はいないように思う。
人生って厳しいもんなんやね。
なんかこの頃、ブギウギに系統しすぎて、自分の言葉がなんかへん。
あっ、あの子らやっと起きて来て、大掃除始めたらしい。まだ少し知らん顔しーてよっと。😛
ナツちゃんが、自分の部屋に、友達家族と言っても友達とその子供、4歳になる男の子だけど4人で炬燵を囲んで過ごしたいと言うので昨日、私の部屋の炬燵を3階の嫁部屋に持って行った。
ついでに、私は、スッキリした部屋をこの際と年末の大掃除を孫と羌ちゃんと遊びながら昨日のうちに済ませてしまった。なにかれなく、今年使用した、雑貨、書類等は、全部、ゴミ、嫁から貰った嫁のお下がりも全部ゴミ、部屋がお陰でスッキリした。
私がいつ倒れても、いつ突然死しても部屋だけは、特に私の部屋だけは、モノは増やさないように、特に内緒モノなど絶対に置かないし、日記などもう、当の昔に止めた。書くとしたら、ここだけ、私が生きているうち、このスマホだけは、見せやしないし覗かせはしないから、正直いっぱい不平不満を書いて置こうと思う。まぁ、見つけられれば大したもんだけど、あの子達に分かる訳ねぇしな。(笑)、って、ゆう事で、私の大切な炬燵が無い、床だけの部屋に、イヤなエアコンの暖房だけで過している。ナツちゃんは、炬燵に、スッカリハマり、夕食済んでから孫と炬燵ではしゃぎまくりそれで昨夜はリビングに降りて来ず息子が1人不貞腐れて飲んだくれてた訳で、しかし誰も起きて来ないなんてねぇ。昼の1時に、友達家族が来る中のにね。8時になる、ブギウギの総集編を見なきゃだわ。しかし、炬燵ないと、エアコンの温風で、干上がっちゃうよん。
もう、7時だ。
昨日は忙しすぎて、寝る前に洗顔の時に、メイクを落とした自分の顔を見て更に疲労が増した。
いつ昇天してもいいような自分の顔に更に疲労が増して、しばらく辞めてた、ビールを、350缶2本飲んでしまった。
やっぱり、こんな時はビールだけは止めらんないわ。
堂々とリビングにビールを取りに行ったら、ナツちゃんと孫の姿はなく、息子が一人でソファーに片手をもたげ足を組みかざして右手にグラスを持ちながらウイスキーを飲んでいた。
その顔も私に劣らず酷い顔、一緒に飲む気にならず、既に出来上がっている息子に「ビール貰うよ」って一応、ことわったら息子のヤツ「あ〜ぁ、遠慮なく持ってってくれや、お袋、今日もありがとな、明日も頼むわ」だって、ほざくなと言い返したい所だけれど、息子が一番昨日は疲れたはずだから、だって仕事人間の息子が有休をとって1日会社を休んだのだから。孫のクリスマス音楽会のためだけに、嫁はと言えば、自分の遊びの為に有休使いまくって無いため、息子がやむなく会社を休んだ訳だけど、因みに、息子は仕事を休んだからといえ、ずっと家ではパソコン、クリスマス会が始まるまで仕事をして、孫の世話はずっと私、
とにかく疲れた。今日は嫁の友達家族が泊まりに来るのだちゅうのに掃除もせずまだ寝ている始末。私は昨夜は今日の夜に出す、おでんの下準備は済んでいるので今朝は意地でも、客が来るまで行かんぞい。
今朝は、嫌な夢を見て目が覚めた。
いつも夢は見たのは覚えているんだけど内容はほとんど忘れている。
しかしイヤな夢だけは、しっかり覚えているんだから私の生き様そのものかも、イヤ違う違う、現実はイヤな事は、直ぐ忘れるようにしてきたではないか。
楽しいことがあると、良いことが続くと必ず次は落とされる、変な鉄則が68年の生き様に如実に実証積みだから、だから私的には、徳川家康さんの教訓の如く「人世は重き荷物を背負って歩くが如し」この年になってその言葉の重さが否応なく分かるようになった。
だから堪え忍べる毎日があってこそ
もしかしたら、それが確実な生き方というか欲と言う煩悩に支配されなきゃ、苦をば苦と悟り楽をば楽と悟、不自由をあたりまえとして生きて行けば、辛いと思う人生も、そういうものだと素直にも歩めるのではないかと思えるようになった。しかし、されとて私は凡人、分かり易い人間だから、ある程度、我慢したら、できない我慢はやっぱりできない、だから、いい人間になりすぎたあとは、はけ口はミクルに吐き出そうとおもっている。もうここしかない。だから、ミクルさん、
死ぬまでお付き合い願います。
もうここは私の集大成、臆する事なく
吐かせて貰って我が道を往く生かさせて貰おうと思います。
かなり調子に乗ってしまった。
凄く反省。自業自得なんだけど、
やっぱり私はろくでもない人間だわ。
腸の具合がかなりヘン。
原因は分かっている。息子の営業で関連のお客様から、年末の用に、洋酒や日本酒を頂いて、我が家のリビングは酒類でいっぱい、キッチンにも使うように息子から日本酒を料理用にもらったのは良いけど、どんどん増えて、料理に使っているうちに、ちびちび、日本酒を味見するようになりました。ビールしか飲めない私なのに、無理無理と思いながら、ついつい料理に使いついでに、烏龍茶や、緑茶に混ぜて飲んでるうちに、すっかりいい気持ちになって、ここ1週間、毎日、日本酒を飲んでいました。立派なキッチンドリンカーですよね、流石にお腹に来て昨日から胃腸がおかしい、トイレにばかり通う始末。
日本酒はやはり私の場合は身体が受け付けない、それなのに調子こいて息詰めて飲むなんぞ、情けない。もう飲まない。日本酒は体を蝕む。だからもう止めます。見えないとこで虚勢はっちゃいけないですね。身体が大事、今夜の料理は、冷蔵庫中の残り物をありったけ入れたカレー
なんか、汚い話だけど2〜3日、下痢気味なのにね、カレーなんて、シャレにもなりません。あ〜ぁ、シンド。
これから孫を迎えに行かなきゃです。
午前中の買い物途中、息子からメールが届き、部下からの連絡で急遽、社に行かねばならなくなり、今、家をでたばかりとか、ラッキー💗
私だけの時間が家で私を待っている。ダラダラ買い物していたけど買い物を切り上げ、猛ダッシュ💨して帰ってきた。
お昼も作らないでいいし、なんて幸せ〜
ソファーに横になり、迎えてくれた羌ちゃんに、キスの雨とローストビーフのパウチとチュール一本オ・マ・ケ。
土曜日、ナツちゃんの友達家族が泊まりに来るので、少しづつ準備をしなければならないのだった。
何で私が嫁の友達家族のホスト役をしなきゃならんのだろう。
なんでこの年末の忙しい時に家族総出で泊まりに来るんだってば😤
銭勘定と妊活から少しは手を抜いて、自分の客ぐらい自分が率先してやれよ。
と言いたいんだけど、以外と私、人間嫌いなんだけど人に振る舞うの好きなんですよね。この相反した私の感情、なんでこうなるのか分かりません。
雪国生まれで雪国育ちの、ナツちゃんは、暑さには猛烈に強いのに冬の寒さには猛烈に弱い、その為、冬は出社ギリギリまで起きれない子で最近は、遅刻するのではないかと思うほど起きてこず、私が部屋まで起こしに行くのが日課になった。ナツちゃんが言うには、不妊治療で服用する薬のせいで朝起きれなくなったと言う、そうだとしたら、これ又、可哀想で、寝ている孫だけそのままにして、ナツちゃんに先に起きてもらい、支度をさせ、朝は炭水化物を一切、摂らない子なので紅茶とサラダだけの軽食で7時半に送り出す。息子もナツちゃんも、ダイエットと称し白米は一切、食べない、しかし白米を食べないと言いながら、ナツちゃんは、ケンタッキーだのマックだのスタバだのと食べまくり息子と言えば飲み会だ接待だと言っては毎晩、お酒と料亭や居酒屋を巡る毎日、白米だけを敵にしてる夫婦の考えが分からないんだけど、貴方達。米の新潟生まれ、特に、ナツちゃんちは確か、実家は祖父母の代まで専業農家のはずなのにね。
ワケワカメです。
朝の冷え込みが日増しに厳しくなり、目覚めと同時に、エアコンを入れる。
日中は1日、エアコンをかけての日常なので、年寄の私は直ぐに肌が乾燥して、痒みが増すようになった。
その為、皮膚科の薬は欠かせない日々で保湿クリーム全身に塗るような日常、田舎では考えられない事だった。
自分の部屋では、なるべく、エアコンはつけず、窓を空けて常に換気し、炬燵の中での暖で充分なのだけど、早朝だけはエアコンをつけずには起きれなくなった。リビングでは、年末が、一番忙しい息子が、日中は家で仕事をし、午後から出かけ夜は接待と打ち上げで深夜帰宅になるため、帰宅と同時に、そのまま又、迎え酒し、ソファーで寝てしまうため、
起こすのも可哀想で6時過ぎに私はリビングに上がることにしている。あと15分で6時になる、私の部屋が温まった頃、そろっとリビングに、息子を起こし、お風呂に入ってもらい、自分の部屋で寝てもらうそんな流れの年末の日常。
今日も忙しい朝の始まりがスタートする。毎朝の自分への号令。
「今日も、顔晴ろう。\(^o^)/」
息子が家を拠点にしてから、忙しくなった。私の仕事は増えるばかりで、何故か体重も比例して増えていく。
恐ろしい。忙しいを口癖に、料理を作りながら、食べている、多分それが原因だと思う。その他に毎日の、食材の買い物帰りに、数件、色んなお店に入って、お店の雰囲気に浸りながら、これ又、食べたり飲んだり、これじゃいけないなって思いながら、仕事を辞めて7ヶ月間で5Kも増えてしまった。
しかし体重が増えてから風邪を一度も引かなくなった。家族の皆んなが風邪を引いても私だけは、平然としていたから利点もあるのよね。
ガクトさんが言っていたっけ、誰かが、ガクトさんに質問をした時の事を「ガクトさんのように素敵な体形を維持したいと日々ダイエットに励んでるんですが、ついつい疲れてたべたいものを食べてしまう。食べたくならないようにするにはどうしたら良いでしょうか」って、ガクトとさん、曰く「ダイエットは、生半可ではできない、ダイエットしてます。でも疲れた、食べてしまう、今度は絶対、食べないなんて言ってるやり方はダイエットじゃない、一生その繰り返しだ。ホントに維持したいなら、食うな、それができないならダイエットなんかやるな」と、私、目が覚めました。
私はとにかくもう痩せようと思うコトは止めました。とにかく体力が勝負だから、とにかく食べる。そして動く。
今日も1日、動きぱなし、もう1時間で孫のお迎だわ。今日も食ったわ
エアコンの温度で部屋が温まるまで炬燵で横になっていたら、いきなりの訃報、えっ❗錣山親方さんが亡くなられたなんて、まだ60歳ではないですか。
小さな力士を常に応援していた私には、千代の富士、舞の海、炎鵬、その中でも寺尾さん、大好きだったのに、哀しくて
今だに信じられずにいます。
御冥福、心よりお祈り致します。
今朝はあまりの寒さに身震いしてしまった。思わずエアコンのスイッチを入れベッドから跳ね起きて炬燵に滑り込む。
寝る時はエアコンのスイッチは切るけれど、炬燵だけはスイッチつけっぱなしにして夜中に目が覚めてもいつでも潜り込む態勢でいます。私の悪いクセ、ベッドよりも炬燵の中で寝ることが常で実は腰痛の本当の原因は、炬燵で寝るからではないかと最近、思うようになったので、この前から、ベッドに寝ています。やはり、当たっていたようでした。ベッドで寝てから右側だけに、感じていた鈍い痛みが嘘のように無くなりました。炬燵に滑り込み、そのまま右側を下にして寝るから、それが原因だと気づいてから、内部から招く痛みではないと分かって逆にに安心して、又、炬燵で寝てしまう。困ったちゃんです。
だって畳の部屋が恋しいんですもの。
畳の部屋で布団にくるまって眠る、産まれて65年畳部屋しか知らない私が、息子の家は全部フローリング、そしてベッド、どうしても下に寝るクセが身について、たとえフローリングの床でも炬燵の温もりが身体に馴染むのですもん。
炬燵で寝ると風邪を引くとよく言われますが、まだ一度も引いておりませんです。ベッドも、布団の上げ下ろしが無くて楽だけど、押入れの中から出し入れする習性と押入れと床の間は私の歴史、ドラえもんのポケットみたいな存在なのですよね。過去に執着するのはやめようて自分を戒めてはいるのですが。
ナツちゃんが、いくら不妊治療で大変だからとサポートしても遠慮なく甘えられすぎると今度は私の身が持たないし、かと言って家を仕事場にされて、土日祝日関係なく、リビングで、しか目面しながらパソコンとにらめっこしてる息子の奴隷にもなるのは御免被るので今朝は、ナツちゃんが孫と戯れ息子がパソコンと対面している、ちょっとした隙をねらてって私は私の用足を思いつき、脱出成功。
今、街に繰り出して年末の賑わう駅前商店街のミスドでコーヒーを飲んでいる。
息子と、ナツちゃん、それぞれが、「ヤバい」と思ったに違いないが、そんな事、知った事か。
私は来週の土日は、ナツちゃんの、友達夫婦が家族で我が家に泊まりに来るのだ、そのための、赤飯や、おでん、すき焼きなど仰せつかっているのだからその下準備を今から少しづつ、用意しなきゃならないのだもの、文句言わせてなるものか、小豆を量り売りしてもらい、栗を買って、あとは新潟米のもち米、既に買ったけど、まだまだ帰らないのだ。😛
年末の商店街の雰囲気、好きなんだなぁ。地方も都会も変わらない。この雰囲気の余韻を楽しんでいます。
「徹子の部屋」でゲストの、中村雅俊が言っていた言葉に爆笑した。
中村雅俊さんも、孫が沢山おられるそうな、そして言われることに「孫が来ると嬉しく、帰ると更に嬉しい」(笑)(笑)
あれ凄い名言だと思う。
ある時、あるSNSで子育て中のは若い女性が実家のお母さんが急逝されて、母の遺品整理に行った時に出てきた日記の中に書かれていた日記に自分達家族の事が書かれていたそうだ。
孫を連れて実家に帰るたびに満面の笑顔で迎えてくれた優しい母が日記には
「くそ、やっと帰って行きやがった❗散々、騒いで散らかして、金使わせやがって」の文章に母の知らざる一面を知ってショックを受けたそうだ。
でも私には、そのお母さんの、お気持ちが痛いほど分かる。
良い母親ほど溜まるストレス半端なく、そう言う自分だけの世界で吐き出し自分を慰め頑張って来られたのだと思う。冷静になって自分の書いた辛辣な日記を読み直しては、自分もなんて愚かだったのだろう、せっかく来てくれたのに私はなんて事をと反省しながら、又、来られると嬉しい反面その大変さに、色んな感情との戦い、そう言うものだと思う。
でも息子や娘その孫も目に入れても痛くないその愛情は変わりないのですから。
今朝は、ナツちゃんが1時から予約していたマッサージに出かけるので、それまでは孫を見てくれるので、今朝も、ゆっくり寝ていれるのだけれど、やっぱり早く起きてしまう。習慣って恐ろしい。
多分、私は寝たきりになっても、早く目が覚めるタイプなのだろうなぁ。
「早起きは三文の徳」と明治生れの祖母に言い含められて育ち祖母が亡くなるまで祖母と寝起きをしていたから早起きが身に染み込んで、目が覚めてしまう。
けど、ここに来て、目は覚めても身体は起きなくなってしまった。
ここんち、早く起きるほど、こき使われるから、三文の徳になるどころか、三文以上の損になるんだもの。
この頃では私もずる賢くなって、早く目覚めたら、直にはリビングには上がらないで、ミクルに投稿する時間に使うごとにしました。でも、老人力をバカにしちゃいけないよ。
息子と、ナツちゃんよ、「損して徳とれ」って言葉があるんだぞ。
な〜んてね。言ってる私が、ここで愚痴を吐いてるから、たとえ少しづつ、陰徳を積んでも、崩してる結果になるから結局、それが損してんだけど、黙って耐えて陰徳積み婆さんになりゃあ良いのに、人間駄者、しょうがないわ。
それが人間だもん、私はそう自分に言い聞かせています。要するに今が自分に充てがわれた人生で結構、我慢できて楽しい事もあるから続けていられるのだと、
そしたら少しでも楽しまなきゃです。
でも愚痴を吐く割には、私は家に入るようになってから5Kも体重が増えてしまった。無職になって、家事、孫の世話に明け暮れて、おまけに息子のは世話まで課せられて、いくら身内家族と言えど、あくまでも居候的身分だから神経は使っているし、なのになのに体重は増えてとどまる事をしらなくなってしまった。
何が原因かって考えるに、多分、好きな物を食べて発散しているのが原因だと思う。別に決して贅沢をしているわけではない、ただ家庭の食卓を一任されて毎日毎日、食事を作るうちに自分が作るものは、いつか作るのが一生懸命で、息子、嫁、孫に食べさせるだけで、自分は一緒に食事をしていない事に気付いたのです。食事の世話や片付けなどで同じテーブルに同席して一緒に食べると言う余裕が無く常に、孫に食べさせる手伝いや嫁や息子の、おかわりなどにテーブルとキッチンを行ったり来たりして、その世話で自分はいつも食べていない…?
ん🤔そうでもなかった。よくよく考えたら、作りながら、味見のつもりが、結構、食べまくっていたのでした。🤭
そして普段の日は買い物のついでに、小腹が空いて、ミスドや、なか卯、喫茶店などなど、お一人様食事を堪能してたんでした。それじゃ体重が増える訳ですよね。だからいいんだ、別に自業自得だもんね。ハッハッハ。
あ〜ぁ、なんと長い1日だったことだろう。息子は1日、リビングで仕事をし、ナツちゃんは、正午から病院に行き、不妊治療が大変だろうと、同じ女性として
、つい仏心が出て、「今日は、ゆっくりしてきていいよ」と言った事が本当にゆっくりしてきて、夜の8時に帰宅して来たではないか。病院が終わってから、ショッピングに出掛け、映画を見て夕食は、池袋で人気のあるラーメン店でラーメンを食べて来たとか、まぁ、ゆっくりして来いと言ったのは私だから、愚痴を吐くのは大人気ないが、しかし、少しは、気が咎めたりしないものかいな。
うちの嫁さんは。その間、息子ゃ孫にお昼を食べさせて、孫が公園で遊びたいと言うから外に連れだし5時近くまで、孫を公園で遊ばせて、帰ってからは、夕食の支度、息子の肴をつくったりで、ほぼ1日、立ち通し、そして動きぱなし、もう完全にグロッキー。
右側の堕胎骨が又チクチク痛み出して来た。ヤバい、この症状が出始めると、危険信号。しかし今は仕事はしていないのだから、時間は自由に使えるはずなのに、我が家の家庭内事情、大いに変革なりつつ、息子が自宅を拠点に活動し始めたから、全く自由があってないようなもの。それも自分の部屋兼スタジオありながら、リビングで仕事をするのには本当に参ってしまう。郷に入ったら郷に従えだけれど、息子の背負う責任の重さを考えると少しでも抱える荷物を軽くしてやりたいと思うのだけれど。
今朝は、私はゆっくりしています。
土日は息子夫婦も保育園も休みだから、土日だけは朝はゆっくりさせて貰って朝食もつくりません。
ですが、最近は土曜日が妊活の通院に定期的になりつつあり、隔週、1週間置きに土曜日は、妊活に池袋の病院に通っています。今日も11時から病院です。最初の頃は、何で今更、二人目なんて正直、70を目の前に二人目の孫の世話なんて、嫁の私に対する虐待かなんて、嫌らしい根性が頭をもたげて、随分、心の中で醜い感情と格闘していた私ですが、お風呂から、上がって裸のままリビングに上がってきて、薬を塗ってる、ナツちゃんの下腹部を見た時、驚いて声を上げてしまいました。元々が肌の真っ白い子で、かぶれる体質なのは知っていたけど、下腹部全体が、見るに耐えられないほど真っ赤に腫れ上がっているのです。聞いて見ると、病院からだされる、丸いパッチみたいな絆創膏をペタペタ貼らなきゃならないそうで、それが、かぶれるのだそうです。化膿どめの軟膏を塗りながら、その絆創膏を貼ることによって子宮に何らかの効用があるそうでそのための絆創膏なんだとか、その他に病院に行けば毎回、膣内に何かを入れら痛い思いをしていたらしい、それでもニコニコしながら、頑張ってる健気さで無関心な息子の前で言ってる姿を見ますとね、同じ女性として嫁の肩を持ってしまいます。今ではサポートする側になっちゃいました。
NHKの朝ドラの「ブギウギ」を見ていると笠置シヅ子さんの生い立ちが母や私に重なって涙します。
笠置さんの養父母をいつも自分と母と重ねながら、母が祖母が生きていたら、どんなに、このドラマを愛して止まなかっただろうと思いながら毎回、泣きながら見ています。きっと私の背後で母と祖母が泣きながら見ているに違いない、今では、この朝ドラを見ないと1日が始まらないくらい、そして思うのです。
アホらしいと思われて当然ですが、祖母が父が母がきっと楽しみにして、早く「ブギウギ」かけてくれやって、私の背後で催促してウキウキしているのが、
朝は登園前の忙しい孫との戦いの時間帯で孫のヤツ、「ユーチューブかけて、アニメの◯◯かけて〜」とかダダをこねて泣く始末、結局、それをかけさせられるので、お昼の再放送を見る羽目になります。しかし楽しみにして、お昼に見ようとすると在宅ワークだがなんだかと息子がリビングで仕事をしていて、ゆっくり見られないので、その時だけは、息子といえど容赦なく黙らっしゃいと黙らせて、堂々とテレビに、釘付けになっております。またまた余談になりました。
昨日は祖母の祥月命日だった。
祖母が亡くなって53年、実に半世紀たっているなんて、でも私にはつい昨日のことのように鮮明に覚えている。
76歳だったけど、ガンになどならなかったら祖母は90歳は有に生きておられたに違いないといつも思う。
祖母は子供のできなかった人で、私の母を養女に貰い、その母も子供ができず私を養女に迎え私の育った家は親子二代養女という言わば雑居家族でした。
戦前、私の育った昭和30年当時は、男性優位の時代で、妾だとか囲う男性が多く私の母は祖父が芸者との間に出来た子供だそうです。祖父には既に立派な本妻の祖母がおり祖母との間に5人の子供がいるというのにです。でも祖父は温情のある人だったみたいで母を認知して芸者から養女として引取ったそうですが、その母を5人の子供がいるというのに引取る祖父も祖父だけどその妻の祖母もかなりのお人よしだと私は今でもその不思議さを時代が進むにつれて、今の世では考えられないなって思います。
引き取った私の祖母は互いの家が近所だったので、その話を聞き、是が非でもと、母を貰い受けて自分の子として育てたそうですが依頼、母の腹違いの兄妹と
その養父母一家とは、ずっと親戚づきあいをしてきました。ちょっと昔話になっちゃったけど昔は私もだけど親のない子が沢山いたのですよね。
かなり余談になっちゃいました。
祖母や、母方の祖父母にも会いたいなぁ。
自分の事ばかり前置きが長くなって
申し訳ありません。寄り道から帰宅してミクルを開いたら、1人の方が、共感ノックをして入らしてくださった。
お礼が後回しになり本当に失礼致しました。そして有難うございます。
本当は皆様と色々、このお部屋で、人生を語り合いたいのですが、私が無知無学故に、皆様との会話に私が失礼をするに違いありません。
それで独り呟きにしております。
こんな変わり者の私ですが、有難うございます。これからも、どんどん自分がある意味、暴走するやもしれません。
他人の心が分からないように私は私の本質が分からないです。そんな訳の分からない私部屋に入室して頂き感謝しております。有難うございます。m(_ _)m
孫を保育園に送り、その足で8時半から開店の近所のスーパーに食材を買いに、
行きました。今日は新潟米の新米の、もち米が入荷すると聞いたので、もち米がメインで買いに行ったのに、その帰り道、お天気があまりにも良いので寄り道して帰宅したら、もう11時になる。なんてのは、毎度の事なんですが、しみじみ思う。毎日、平凡な毎日で毎日、同じ日々を過しているのに毎日ほぼ同じコースを通っているのに時間に追われず、気の向くままに、こうして景色をゆっくり見ながら帰れる、気がついたら、もう正午近くになるなんてね、考えてみたら、結婚して、離婚して私の半世紀、回りの景色をゆっくり見ながらの買い物帰りなんか一度もなかったように思う。そう思うと、自分の意志で関東に来た訳でないんだけど、今となっては、息子夫婦に感謝しなきゃかな🤔なんて日増しにその思いが況しています。
散々、詐欺師夫婦だの非人間なんて心で罵りながら、でも今が少しづつ、心に余裕が出来て回りを見渡し簡単に溜息つく自然との触れ合いが多くなり、私の毒された心が、氷山の1角の如く、氷がとけつつあるようなそんな心境の変化になっています。ですが人生は、そんな自分の思うようにハッピーエンドには行かないそれは理解しつつ。でも回りが眺められる日々の暮らしは感謝しております。
夕飯の準備終了。
息子の昼食も食べさせたし、本当ならそのまま自分の部屋で仕事してくれると思ってたのに、そのままリビングの食卓にパソコン設置して仕事しているし、いくら自分の息子といえど息が詰まるので私の方から自分の部屋に非難してきた。
あ〜ぁ、何で、テレワークなんかあるんだってば、お陰で少しも気が休まらない。
しかし良い事もあるのも事実、息子が家で仕事をする時は保育園の送迎を頼めるし、何よりも今日は孫を皮膚科に連れて行かなければならないので1時間早く孫を迎えに行かなければ成らない。しかし今日は息子の方から「病院には俺が車出すから連れていってやるよ」と言ってくれたので助かった。それまで時間があるので少し横になろうと思う。仕事している息子には悪いけど。疲れた、神経が、参ってしまいそう。少しだけ横になろう。いつになったら慣れるのであろうか、主婦生活。いやいや、専業家政婦。
外で働きたい❗これじゃあ、生涯現役どころか、障害現役だわ。😮💨
先週は、孫の世話で1週間、リハビリに通えなかったので今日は息子が1日、自宅で、テレワークなので朝は息子が孫を送ってくれると言うので朝一でリハビリを受けてきました。
リハビリも済み、駅前の商店街に来ています。10時開店をショピングモールの椅子に腰掛けて時間待ちしているのだけれど、椅子に座ってミクルに投稿している傍らで、年配者の清掃員の男女の方がお二人、一生懸命、働いておられる。自然と頭を下げてしまう。明るく笑顔で会釈を返して頂く幸せ、なんか私も頑張って社会復帰したいと真剣に思ってしまう。今はもう息子の扶養で家の事さえしてもらえればそれで良いと息子夫婦は言ってくれるけど、あの新宿で働いていた働き応えのある新鮮な喜びは家事をしている今とでは大違い。
もう働かないで良いのだけれど、境涯が楽になったら愚痴が絶え間なくでてしまう。これは何でこうなるのでしょうねぇ。やっぱり元気で現金稼ぎまくりたい。それが私には合ってるのかもです。
今日は快晴。
雲一つない青空。
今朝も、この駄部屋に、2人の方が共感ノックしてくださっていました。
本当に、その都度、恐縮致します。
有り難い気持ちと同時に申し訳無さがいっぱいです。
こんな相手にされない放置婆婆を皆様、有難うございます。m(_ _)m
こちらに来て、更に雨が恵みの雨と、何時の間にか天を仰ぐようになったのには私なりの切実な思いがある。
それは関東は1年じゅう乾燥していて、顔のシワが増えたばかりでなく気がつくと、身体中、痒みが増えて行く始末。
最初はビールの飲み過ぎで肝臓から来る痒みなのかと、これはヤバいなんて深刻に思い悩んだ時もあったけど5月に倒れて車椅子生活を余儀なくされ検査をした結果、肝臓は異常なしだった。
要するに、この痒みは加齢絡みに加えて乾燥した気候から来るものだと判明しました。
依頼、病院嫌いの私ですが、シワは自然の成り行きで気にはしないものの、この痒みは耐え難く皮膚科の薬は常備薬になりました。それから目の中も乾燥して常にゴロゴロするので眼科処方の目薬も片時も離せません。
しかしあれだけ全身が痒く目も、ゴロゴロしていたのに薬を出されただけで一発で効くんだから、薬の力は認めざるを得ません。
しっかり目薬、痒み止め、保湿剤お世話になってます。でも雨の日は症状も出ずお肌もしっとり感半端なくだから雨は
大好きです。しっとりした気持ちでこれからお買い物に行ってきます。
自分の口から言うのもなんだけど我が家は全員、ヘンナ家族で雨が何故か全員好きなのです。
雨が降ると、心が潤い、シットリして、
何故か妙に落ち着く。
それは孫も同じで、孫が産まれたのも7月の13日という夏の真っ盛りだったのに、あの日は豪雨に見舞われ雷まで鳴る荒れようだった。
そう言えば先月の、ナツちゃんの、お母さんの誕生日祝いを湯沢のホテルでお祝いしたのだけれど、埼玉は晴れていたのに湯沢は連日連夜、雨で一泊二日の間中、雨が降っていたそうだ。
面白いもので向こうのご両親も晴れよりも雨が落ち着くそうな。
要するに、動くのが嫌いだから雨が降ると誰はばからず、ゆっくり寝て温泉に浸かっていれるから雨の旅行だいすきなんですって。
まぁ人それぞれ好きな理由はあるものだけど、いくら雨が好きでも旅行に雨が良いなんて、チッとイミフ。
しかし人それぞれで雨が好きと言うのは全員一致しているからには私達、家族、並びに腹が立つけど、超変哲ご両親、深い縁あって意は合わせた運命共同体なのかもしれない。人間だもん、生きて行くのに綺麗事なんかゆってられない、人間の感情なんか秒刻みで変転してやまぬもの、ある時は仏になり、ある時は、修羅になりながらそれでも腐れ縁は続く、それは、やっぱり縁(えにし)なんだと思う。喧嘩しながら愉しくやるしかないのだ。「雨降って地固まる」我が家はだから雨が好きなんだと思う。
今朝は雨が降っている。
久しぶりの雨、孫は昨夜は早く寝た割には寝起きが悪く、少しした事で気に入らないと、仏頂面をして泣く始末。
ホテル泊りだと思っていた息子が、帰宅していてビックリ、聞くとタクシーで銀座から深夜3時に帰ったんだとか、私もナツちゃんも、全く気づかず爆睡してました。
ナツちゃん用に作っていた、お弁当のおかずと、お弁当用の、梅おこわ、全部なくなっていて聞くと、帰宅して「腹が減って皆んな喰ってしまった」ですって。
朝から、ナツちゃんと、喧嘩していました。(笑)
で今朝は息子在宅ワークでなく、8時半にはもう駅に向かって家を出て行った。
年末ともなると、命を削る商戦が続く、
出かけ際に「あの、おこわうまかった。」滅多に褒めない口数少ない息子に久々に云われて、ちょピリ嬉しい朝でした。
日付が変わって12日になりました。
いつの間にか外は雨の音が、ナツちゃんも孫も今夜は早く寝てくれました。
息子は今夜も午前様のようで、ホテル泊まりになるか深夜にタクシーで帰って来るのか、息子は仕事を終えた後、付き合いが長く一件の料亭ではすまず必ず何件かハシゴをするので、正直、息子には何を作っても張り合いがありません。会社持ちで接待と称し、会社の経費で結構、有名なお店で豪遊しているらしいから舌が肥えていて私が作るものなど、全然、当たり前、それ以下みたいな顔で食べるから、今では夜の食卓には息子の分は作らないことにしました。
ナツちゃんと孫だけが、出すもの全て満面の笑顔で食べてくれるから、食に関しては息子より嫁です。
さてさて昼寝が長すぎて眠れないでいるのですが、揃っと寝ようと思います。久しぶりに雨の音を聞きながら、皆様、お休みなさい。
今日は1日、ゆっくりさせてもらった。
買い物もせず、午前中は、自分部屋の炬燵で寝て過ごし午後からは、リビングに上がりテレビ「徹子の部屋」を見終えてから、ようやくキッチンにたち、冷蔵庫の中を整理するつもりで残り物で、思いつくままに、勝手気ままに楽しみながら結構、数種類、夕食のレシピが完成しました。
もち米が1合弱、残っていたので、おこわ炊きをし、食紅を微量入れて、ほんのり淡いピンクにして、カリカリ梅とシラスと白ごまのふりかけを混ぜ合わせ、仕上げに水で戻した塩漬けの桜の花びらを散らし、即席、梅おこわをつくりました。他に大根や人参、胡瓜、キャベツの残り物があったので、セブンイレブンで見かける、スティックサラダを思い出し真似て見ました。野菜をスティック状に切って、ドレッシングは味噌とマヨネーズを和えたものと、柚子が3個あったので、その1つを丸ごと皮事、おろし器でおろし、実は皮と種を取り除き実を絞り果汁にして、それに白味噌と、お砂糖と、みりんで敢えて少し火にかけ、トロトロしたら出来上がり、我が家は、ナツちゃんが、柚子は欠かせない子で、この柚子味噌、凄く喜んで大切に食べでくれます。日頃、なさぬ仲の嫁と姑ですが料理は、そんな感情を消し去り心から笑顔でお互いが家族が1つになる有り難いものですね。今夜も喜んで貰えて私も幸せです。
あ〜ぁ、
心底、疲労困憊。
我が家は、多分、私だけでなく孫も含め家族全員が疲労を感じているのではないかと思う。それぞれがそれぞれの持ち場で背負っているものが重くて疲れが日増しに重圧を感じているのではないかと思う。息子は仕事で、ナツちゃんは、妊活で、私は下僕の如く。
可哀想なのは、孫、親の行動に振り回されて親の付属みたいに突き回されてるから、いい迷惑だと思う。
自分等も大変だろうけど、孫の立場になって親としての行動を取らなければならないのではと思うのだけれど、私は親でないから言えないし、この夫婦に従うしかない。
あ〜ぁ、しかし疲れた。遅い朝食をとり、今、洗濯器を回しソファーに横になりながら
溜息をつく。先週1週間は、散々、嫁のザレごとに付き合わされ、風邪でもなんでもない孫を土日、我が家に泊まりに来る予定のナツちゃんの友達家族に、孫の体調を万全にして迎えるために保育園で菌を移されては困るとか余計な詮索をし4日間も園を休ませてお陰でその間、孫の世話に明け暮れて、いざ友達家族が来る3日前に、そちらも風邪をひかせたとかで、延期に、2週間後のクリスマスの土日と延びる始末。
嫁のやることなす事、その友達家族も、類は類を呼ぶで、マジやってらんねぇ。
しかし、やらねばならぬ運命に、流石に1週間の疲れが深く今日は寝込みの日にしようと思う。やっと1人になれたのだもの。今日は4時までダラダラするぞー💃
昨夜も夜の11時過ぎまで遊ばせて今朝は孫は、いくら起こしても起きず、寝ている状態で着替えさせ、寝ているままで乳母車に乗せて、月曜だから両手に大袋ぶらさげて、何とか遅刻せず、登園。
先生にカバンの中を確認され、スマなさそうに言われました。
「あのぉー、クリスマス会の衣装のトレーニングとタイツ今日までなんですが」
えっ❗入ってないって事は、ナツちゃん忘れてしまったらしい。
ナツちゃん、この頃、ヘン、いつも、変だけど最近はドがつくほど、ドヘンなんだけど、先ほどラインしたら、速攻に返事来て「しまった❗もうすっかり忘れてた。」だって、夜更かしはするは、休み事に暇なしに孫を連れだし遊び回ってるし、今は何かから逃げてるような、行動を、忙しく飛び跳ねてる。孫も自分も疲れているように思う。
原因は姑の私だろうかしら。🤔
いやぁ~
逆に私は虐げられて家畜同様だもん。
とにかく、食べるわ、忘れるわ、じっとしてられない、師走の女になりきってる。「女」じゃないけどねぇ。
あれじゃ、「女」と言うかオンナ辺にと、書いて「妖」だもんねー
私しゃあとは知りましぇーん。😛
今、気づいたのですが、2人の方が、この駄部屋に共感ノックして入らしてくださった。来ていただくた度に恐縮してしまいます。私、本当に自分でも認める駄目婆婆なのです。もし、リアルで皆様方が私を一目見たら、駄目のあとに「糞」が絶対、付けられるに違いない、それは確信持って言える事です。
でも、いいんだ、糞婆婆、駄目婆、阿呆婆婆と言われても、そんな人間ですので
、もう、孫にババと言われてから、慣れてしまって婆婆という響きが、クソ愛想に変わりましたわ。人生、生きてナンボ。何苦楚魂でやっとります。
楽しんだ者勝ち。「藁」」を噛むような悔しさがいつか「笑」になる、そう進化させるようにしてます。2人の方々、そして皆様、有難うございます。そして皆様も今日1日ご苦労さまでした。
今、東京テレビ「あなたのに家について行っていいですか」とか言う番組を見終わった所です。NHKの大河ドラマ「どうする家康」を見終えてから、いつの間にか東京テレビの「あなたの家に…」を見るのが定例になって1ヶ月、いつもこの番組を見る度に色んな人生があるんだなぁと、その深さを感じさせられて、色々、学びになっています。そして新たな勇気を提供してもらっています。
そして思う、私もその取材のスタッフの人に出会わないかなって、そしたら、直ぐに、OKするんだけどな。
我が家は息子が仕事柄、家に人を招くのが好きな人間だから、そうなったら、諸手をあげて取材を愉しむタイプ。それを自分の仕事に取り入れるだろうと思う。しかし、ナツちゃんがね(笑)そうその時の場面を空想したら一人で笑ってしまった。
常に取材が来るようアンテナ張って街に繰り出しているんだけど、電波が微弱なのでしょうか。中々、出会えません。
とにかく、この番組を見る度に、人生i色々、色んな人がいて色んな家族があって色んな出会いと別れがあり、それぞれ帰る家があってそこで皆さん頑張って生きておられる、私も頑張らねばと思いつつ、私は、もう頑張るのは止めました。もう適当にやってます。そう、気張らず頑張らず、テキトウが1番、そうじゃなきゃバカらしくてやってられませんもんね。🤭
そして更に驚いたのは、20年以上も飼っていて家族の誰もが猫ちゃんを抱っこしたことが無いと言う事実。
それを聞いて信じられなかったけれど、猫大好きな息子でさえ、猫ちゃんの方で抱かせてくれなかったそうです。
で、息子が言うには、同じ餌を与え、放任している方がストレスが全くなく長生きした要因ではないかと言っています。
しかし、飼い主の家族は、糖尿病だの高血圧だの腎臓病、通風だのと紛れもなく生活習慣病。ドケチの割には人間は病気暇なしペットには一貫性の貧食与えて健康長生きとは、恐れ多し、こんな種族見たこと聞いた事ねぇワ。
私はやっぱり私はやっぱり、合わせられないよ、そう言う人らは。
そう言う私が頑固なのかなぁ。
合わせる必要はないのだ。
でも関わり合いたくないのも事実。
絶対イヤ。
昨夜は、私も含め皆んな寝るのが遅かったから、まだ誰も起きてこない。
皆んなが起きるまで私も寝てりゃいいのにね、それが、ムズムズして寝てられないのですよね。だからと言って、年寄りの習性で1人、ワセワセ動いてたら、嫌味にとらえられるでしょうし、あっ、うちはそう言う事は全く無いから、勝手におきて掃除していいのだけど、たまには私も、ゆっくりしていよう。お腹空かせて羌ちゃんが部屋に入ってきたし、餌とトイレのお世話は、ナツちゃん専門なんだけど、それとは別に内緒で、私は、パウチ専門に買って時々やっているのであります。だって、ナツちゃんたらっ、カリカリしか与えてないのだもの、今の時代、カリカリだけじゃねぇ、チョツと可哀想過ぎやしません。いやかなり可哀想過ぎ。だから、私は、チュールとかパウチや、オヤツに猫ちゃん専門のカニカマ与えてるんですけど。
ナツちゃんが申すには、ナツちゃんの実家には犬と猫を買っていて、共に25年も生きていたんですって。それも一度も去勢以外は病気で病院に行く事無く老衰で亡くなったそうです。餌はカリカリしか与えなかったそうです。
これって凄い事はだと思いませんか。
日曜日の今朝は、ゆっくりしています。
7時に目が覚めて、今、ミクルを開いたら、新たに新しいお二人の方々が又、共感してくださった。
私は夢を見ているのでしょうか、何故❓こんな駄婆婆の部屋に❓私の人生、私の人間性、駄目烙印を押されて68年、こんなに、共感してくださる方々がいてくださるなんて、強気で生きて来た、この駄目婆さん、泣けて来ます。
最近、涙脆くて、楽しいにつけ、何にせよ、やたら涙が溢れる日々です。
駄部屋に来てくださった、お二人の方々、そして25人の皆様方、こんな嫌われ者の私部屋に本当に、有難うございます。
孫が起きると何も出来ないので、息子と孫が寝ている間に、掃除を済ませ今、自分部屋の炬燵の中で一休みしています。
あの、ナツちゃんが、本当に珍しく洗濯とお米だけは炊いていってくれたので、清掃だけで、あとは2人が起きて来るだけ私は有り難くも時間に余裕が出来て、のんびりさせてもらってます。
8時にNHKの朝ドラの今週の総集編を見終えて、またまた、嗚咽。
何度見ても、あの趣里ちゃんが歌う「大空の弟」は泣けてしまう。
笠置シヅ子さんって、物心つく頃は名前は聞いて育った世代だから知ってはいたものの、ブキウギを歌って踊ってる姿は一度も見なかった気がします。だって、あの当時はテレビがなくてラジオの時代だったから、それにしてもラジオから聞いた歌で「ブギウギ」を聞いた覚えがないのですよね。
昭和30年生れだから、ブギウギが流行った時は私は乳飲み子だったから、無理ないか。それにブギウギが下火になったのが34年と言うから、でも親から聞いてブギウギは知っていましたね。
改めてその笠置シヅ子さんの生き様を拝見して理由もなく涙が出ます。
特に養女だって事と私も養女でしたから、キバちゃん扮するお父さんが、私の父に重なって、泣けて泣けてしまいました。笠置シヅ子さん、凄いなぁ。演じる趣里さんも、凄い。しかし、キバちゃんは、自然体で素敵、リアルの生き方も自然体なんだろうなって思います。
亡き父に会いたいです。
お早うございます。
今朝もお天気良く、昨日は1日ミクルを開く時間無く、孫ではなく息子の世話に追われて、気がつけばもう土曜日。
今日は、ナツちゃんが、妊活で池袋の病院に8時半には自宅を出るので、半日、孫の世話をしなければならない、孫はかわいいけど、世話は疲れます。50代だったら体力もあって苦にはならなかったのだろうけどね、70歳を目前にしての、やんちゃな3歳男児は、こちらの命が縮む毎日です。それに追い打ちかけて、更に二人目が欲しいと妊活に励む我が家の鬼嫁さんは、先ほど病院に向かいました。孫と息子はまだ就寝中、起きたら、もうミクルを開いている余裕なし、今ちょっとね、1人になれたからミクルに立ち寄りました。我、駄部屋に新たなお二人の方々方が来訪してくださり、お礼述べるのが後になり申し訳ありませんでした。駄婆婆の私、出るのは愚痴ばかりが先になり、共感してくださる皆様を後にしてなど、こんな失礼ないですよね。されど、生きていく辛さが先立って愚痴吐きがどうしても、優先してしまって本当に申し訳ないです。これが私、綺麗事はリアルの中での社交礼辞、そうしないと回りと、うまくやっていけないですものね。共感していらしてくださった、お二人の方々、こんな嫌らしい私ですが、来てくださり有り難うございます。
今日は快晴。
孫を連れて、さいたま新都心にピックニックに行く事になりました。
月曜から休ませて実に今日で4日、既に私は、怒りマックスに達しながら、4日も一緒にいると、情に流され、すっかり孫バカに系統。
3日間、病院と家の中でずっと過していたので今日は思い切り孫と2人で、遊びまくり、ついでに私は自分ご褒美に食べたいものいっぱい食べて来ようと実はそれが狙いなんですけど。
わが家の大蔵大臣の、ナツちゃんから、2万のお小遣いを貰ったので、ウッシシです。
しかし我が家の大蔵大臣様は、私が何処どこに行くと言うと必ず、その地域のグルメを即、検索して、この日も新都心内にある有名なパン屋さんの、パンとクッキーを買ってきてほしいとの御所坊でしてそれで2万も渡された訳です。
4日間の孫の世話賃としての、手間賃みたいなものです。そうなると私って、現金なもので、さっきまでの怒ってたはずなのに、現金見て元気になりました。(笑)
良く言う「ゲンキンな人」とは、私のようなお調子者に向けられて言われるのかもです。
孫を連れて電車に乗ると必ず、大蔵大臣様が自分の食べたいスイーツなど欲しがるから私は、これをちょっと個人商売にしては、端数を貯蓄に回し結構、貯金になってます。「1円積もれば大金になる。」それが昭和を生き抜いた私の知恵です。「1円を粗末にする者は1円で泣く」本当にそうだと思います。
元亭主は、実の親子だから赦せるとしてなんで嫁の父親が、うちの息子を頼ろうとするその、そのだらしなさが、いかようにも腹が立って立ってしかないのだ。
自分が大事に家の財産継ぎ足してまで一流大学やった自慢の息子を頼れば良いじゃないか。
金の無心だけ、それも自分が頼まないで連れ合いの奥さんに云わせるという、ますます持って腹わた煮えくり返るバカ男。顔が父親似のナツちゃんさえも憎くくなる始末。
いけないいけない。
ナツちゃんの父親という人は、絶対に、すまないとか有難うを言わない一なんだそうだ。その人が今年に入ってから、やたら息子に、すまないのぉ、わりいのぉを繰り返すようになったという。77歳にしてである。その言葉を私の息子に言われるほどに腹が立つ❗
てめぇの立派な長男に言いやがれ❗
くそったれ😡
威張り続ける人生なら最後まで威張り通し、独りで死ぬ覚悟くらいみせれや❗
このくそったれ親父🤬
あ〜ぁ、やめた、自分が壊れる。
しかし、スッキリした。
朝、起きれば、リビングは、オモチャで散乱。
キッチンのシンク内は、昨夜、多分、深夜に食べ散らかしたであろう汚れた食器がそのまま。
私は流石に風邪気味でとは言え元気な孫を丸2日も見させられて、ようやく今日から孫を保育園にやれると、やれやれと起きて来たと言うのに、この有り様。
確か昨夜は、皆で盛り上がっていた。
色んな話をして、中でも、ナツちゃんの父親と別れた元旦那の話になって、最近の彼らの状況を聞きながら、威張って好き放題の男達も、70に入って、そんな変わり果てるものなのかと、同情する余地も私には微塵も持ち合わせなかった。
それどころか、好き三昧やりたい放題、人生を、生きて来て年を取り、身体が思うようにならずそれでも口だけは達者でしかも云ってることがハチャメチャらしい、二人共認知症の症状じゃないかと息子は心配していたが、そんな事、知った事か、そんなになっても、威張って息子を頼るなんて、あんたらみっともないと
言うところだったけど大人げないから止めました。
お早うございます。
今、気づいたのですが、1人の方が、又、この駄部屋に入らして下さった。
こんな、くだらない駄婆部屋に、申し訳ないくらい恐縮しています。
有難うございます。
実は今朝は、起きがけから、頭から湯気が立って、超❗マックス。
朝から爆発しようと思って、ミクル部屋を開いたら、新しい、お仲間が、なんか、嬉しいです。
共感など貰おうと思ってそもそもミクルに投稿してきた訳ではないのですが、今は15年前とは事情も、地域も住宅も家族も真新しく全てが変化しているゆえに、もうすぐ70歳を目前に、若い頃より年を取る今の方が修行が増して来て憤慨止まぬ日々、そんな中の来訪してくださった、21人目の貴方と他20人の皆様、有難うございます。皆様の人生のご苦労を考えたら私の背負ってるものなど、ヒヨッコの如くと思います。
それなのに、こんな婆さんの、ダサイ部屋に心からお礼申し上げます。
有難うございます。
先ほど気づいたのですが、2人の方々方、また、この駄婆部屋に共感して訪ねてくださいまして本当に恐縮です。
つまらないグチだけの下品部屋なのにですね、有り難い事です。
これからどんどん、駄婆部屋も、年末の忙しさに追い込まれ、私は山姥になって行きますので、おぞましくなられたら、どうぞ、遠慮なく、ミクル運営様に申出てくださいましね。
お礼述べるのが遅くなり申し訳ありませんでした。
そして有難うございます。
昨日から、風邪気味のため、孫を休ませて今日で二日目、それに伴い息子までが在宅で1日家にいて、今ようやく、孫が寝てくれて、息子も自分の部屋でウェブ会議が2時に始まるとかで、自分の部屋に上がってくれた。
これで、息子は、6時までリビングには、降りて来ない。問題は孫。
いつ目覚めるか分からないし、あんまり長く寝させては、夜に寝るのが遅くなるだろうし、とにかく、やっと静寂が来た。
流石に2日も1日中、孫を見るのは疲労が半端ない。
それに息子という、オマケつき。
あー、疲れたぁ
私もこのまま寝たいが、そうは行かないし。
世の中の孫を1日中、お世話されてる主婦の、お祖母様方、本当に尊敬します。
私は人生、途中下車させられてのにわか婆ちゃんだから、汚く言えば、拷問のような日々、しかし孫の寝顔を見ると疲れを忘れるのも事実だし、人間業、毎日が修行です。
しかし、疲れました。
さて、洗濯機が終了を告げたから、洗濯物を取り出しに行かなくては。
その前に昨日は良いことがありました。
昨日はリハビリの帰りに駅構内のカフェの隣接した本屋さんの店頭に、キングダム新刊のポスターが、その目下には新刊の、70巻が、ヤッター❗
あ〜ぁ、🥰
待ち遠しかったわ。
カフェでモーニングを食べながら一気に読破。我らが信ちゃんが羌瘣にプロポーズをついにしました。
信ちゃんが、票ちゃんと5歳の頃から住んでいたあの小さな小屋に羌ちゃんを連れてきて告白した時は私が、年甲斐もなく泣きました。回りの人達が見ず知らずの方々なのに、手にした、キングダムを見て泣いてる私の回りにいつの間にか2人の人が席を外してね、覗きに来られた、この都会で、棄てたもんじゃないですね。ここ、ダ埼玉、私には育ったいなかより、この埼玉大好きです。
キングダム、次回が楽しみです。
はてさて洗濯物を干して来ます。
窓を開けて見上げる空は雲一つない青空。
冷たいけれど空気が凛として気持ち良くて新鮮です。
なのに私ったら開口1番にグチを溢しちゃって、それより何より、駄スレ部屋に18人目のお客様がいらしてくださった。お礼も何も言わず、自分の溜めグチばかり申して誠に申し訳ありません。
こんな掃き溜め婆婆部屋に来てくださりありがとうございます。
お礼述べるのが遅くなり本当に申し訳ありません。
心からお礼申し上げます。m(_ _)m
今朝は、一段と冷え込みが厳しく、気がつけば、炬燵で寝ていました。
息子夫婦は今日も休みだからと気が緩み、孫と夜中の12時過ぎまでどんちゃん騒ぎ、私は早々自分の部屋のベッドで寝ながら、真上はリビングなので、酔って上機嫌の息子とリビングを走り回る音と、それを声でキャーキャー囃し立てる、ナツちゃんの声で、流石に寝れなく、炬燵に非難。
炬燵布団を被りながら、いつの間にか寝てしまい朝を迎えました。
あんなに夜中じゅう、騒いだのだから、バカ親子達は、まだ寝ている様子で、羌ちゃんが、お腹を空かせドアをガリガリ、今、羌ちゃんに、パウチと、おやつのチュールをあげました。
ナツちゃん、寝る前に、洗濯機を回す予約だけは抜け目なくやってくれて、結局はそれは私が干す役目、まぁ、それはいいんですけどね、あんだけ騒いで、今日は1時からマッサージの予約を取り3時までマッサージに出かけるんですから、何が遊んでマッサージ何でしょうかねぇ。
ナツちゃんが必要なマッサージは、ガチガチに固まった頭の方がマッサージ必要じゃないのかしらね。🤔
今朝は、息子を玄関で迎えてから年寄りの私は直ぐに寝させてもらった。
彼らは3時過ぎまでリビングで騒いでいたけれど私は、どんなに煩くてもベッドに横になれば寝てしまうタイプしかし、3時の時刻をおぼろ記憶して今朝、目覚めたのが6時だから、3時間しか寝てないわけだけど夢も見ず目覚めたから爆睡していたに違いない。
スッキリ目覚め目覚めた瞬間、いつもの快便、(笑)
私はいつも思うなんて単細胞の私なんだろうって。だから、何処でも定着できるのだろうなって思います。
ナツちゃんは今日は1日、自分が孫を見るから、お母さんは、1日好きなだけ寝て好きな事をして過していいと言ってくれたので今朝は、先ずリハビリに行き、朝の散歩方々、朝カフェしてこようと思う。息子夫婦はまだ起きて来ないから。ナツちゃんは、明日はマッサージの日だから半日、留守にするので明日は私が1日、孫の世話に携わるから、今日は1日、羽を伸ばして来ようっと。
昨夜は、深夜に帰宅した息子を、家族全員で寝ないで迎えた。
孫も土日休みだとは言え、孫もいつもと違う母親の超テンションの高さに、幼児ながら神経が昂って寝れなかったのだと思う。
ラインで息子から「今、駅に着いた❗帰るぞ❗」と連絡があり、ナツちゃんが、あんまり、ギャーギャー騒ぐから、渋々、眠い目をこすりながら、共に玄関に立っていたけれど、息子の報酬が多く成功した時に、限り深夜であろうが明け方であろうが、玄関でお迎え、バカらしいと思うけど、こうやって、息子は、登りつめて成功を収めて来た。息子もさることながら鬼嫁の、手綱裁きの凄さに、ここ3年見ていて、この夫婦は、普通の夫婦とは違い、凄まじい超、運命で結ばれた手腕夫婦なのだと、昨日はでなく、もう今日の日付の深夜なのだけど、それは確信に変わった。
私が詐欺師夫婦と息子夫婦を揶揄して皮肉ったのはそう云う狡賢さで揶揄と表現したのだけど、今やそんな事は言えなくなってしまった。夫婦2人で、個人経営しているような、認めたくないけど、上手いと唸るしかなかった。
極道ものの息子は今夜も帰宅せず、やっとラインが繋がったら、人生の師匠と称する会長さんが、勇退される事を打ち明けられたという。
無一文で借金抱えて独りで上京して、会長に拾われ底で人生のノウハウを゙叩き込まれたという。
1代で今の会社を起ち上げられての実力者のこの方が88歳にして、病に倒れ、勇退を申し出られたという。
会長さんが言われるには「年を取るのはなんの孤独も不安もない、しかし加齢と共に襲って来る病には流石に太刀打ちできない。悔しいが、退く事にした。」と、息子の気持ちがどんなに落ち込んでいるかラインの文章からよほど打撃を受けている様子が伝わってきた。
会長さんあっての息子、ここまで上場企業に活躍させて頂き、感謝の念に耐えません。命が長くないのだろう。
そう、私だって、会長さんと同じことを考えていました。
年齢など怖くない。ただ病が我が身にのしかかってきたら私も一緒に押しつぶされそうなその不安を常に隠して今日もいかせてもらっています。
息子が言った「ここまでしてくれた女は、ナツちゃんしかいない。」と言ったけど、ナツちゃんを女と見てないくせに、よく云うわ。
っていうか、ナツちゃんも、面白い発想の子で、私が離婚して二度と結婚したくない。別れたあの人のせいで世の中の男、全部嫌いになったわよと私が言った事に、ナツちゃんが、即、乗ってきて「お母さん、私も男大キライ」って言うから、じゃあうちの息子も嫌いなんじゃないってすかさず聞いた事がある。
ナツちゃんいわく、息子はお金を稼いでくれるから息子は大切なパートナーなんだそうな。そしてこういうのだ。
「私今度、生まれ変わったら絶対、男に生まれる、二度と女には生まれたくない」のだと力を込めて、喋りまくる。
そりゃあそうでしょうよ。ちっとも女らしくねぇし、お風呂から上がるのにスッポンポンでリビングに上がって来るんだから、こっちは目のやり場に困ってしまう。こんな感じだから、息子も女ととっくに見てないんだと思う。
ナツちゃんの、男嫌いと私の男嫌いは別ものなのだ。
それと私が根本的に、ナツちゃんと違うのは、今度、私が産まれ変わったら私はやっぱり女に生まれたい。男を頼らず仕事のできる女に生まれたい。まぁ、そんなとこです。
ここ1週間、息子の仕事に翻弄されて、忙しない、息子の行動に追い立てまくられと言っても私1人で気を使いあれこれしてしまってる訳だけど、あ〜ぁ、シンド。
この1日はTV局の取材が入るとかで、そのための企画や打ち合わせなどで、プレゼンターを務める息子の意気込みは、鬼気迫るもので、なんで、この子はこれまでして仕事人間なのか、それでいて、バカがつくほど子煩悩で、これじゃあ、命がいくつあっても足りないと息子と二人きりの時に、話をしたことがあった。
それにつけても、ナツちゃんは、何にも心配せず、夜は遅く朝も遅く、とにかく出かけるのが好きで自分のしたいことに夢中になっている。少しは亭主の健康面に気を使ってもバチは当たらないだろうにと思いながら、息子が浮気をしようが連絡なしに外泊しようが全然、気にも止めない。とにかく稼がせて大金を振り込んでさえくれれば、何をしても寛大な、ナツちゃん、財テクにかけてはズゴ手腕の彼女だから仕事が趣味の息子が思う存分仕事ができるのだろうが、これでは息子も私も嫁より先に死んでしまうような気がする。そんな話を息子にしたんだけど、息子いわく「だから俺は出世出来た、それに関しては、ここまでにしてくれる女はナツちゃんしかいない。あいつだから人が出来ない仕事を俺はこなせるんだ。」と、まぁね、それは認めるわ。嫁が息子の世話をしないのでなくできないのだと最近よーくわかった。
おはようございます。
今日から12月。最近、寝坊する私が今朝は、何故か3時に目が覚めてしまいました。
新しい方が、又、私の駄スレに共感してくださった。
有り難いのですが、お礼述べる前に、あまりにも共感してぐださる方がいると、私又、人間不信になるのです。
放置して見て見ぬふりして見てくださるほうが、気が楽なんですが、かなり変人奇人を自称する私の人間性、共感してくださる人は先ずいないと思います、ですが、お礼申し上げます。
でも、私の人生も後半にさしかかったので、いつどうなるかなんて私だって分かりません。
ただ、リアルでは、いい人間やり過ぎてるので、ここでは思いの限り、野生に戻って吠えまくってます。
それでスッキリ、空っぽになって、いっそう、回りと、うまくやっていける、そんな場所を与えて貰えて有り難いです。
そして御縁あって、共感ボチ押しってくださった16人の皆様の人生もたくさん、幸あられますように。
本当にありがとうございます。
4時に起きるはずが寝坊してしまった。14日の、「翔んで埼玉」のイベントの整理券を1番を取るために、前の晩からホテルに泊まり構えていたのに、寝過ごして4時に起きるのを6時半に寝坊して整理券を50番しか取れなかった。
ナツちゃんに、モーニングコールしてもらったらいいよって再三、忠告されたのにである、なのに又、やらかした。
意地張らず、人の忠告は素直に従った方が良い年齢になったのだと最近思うようになった。
4時に目が冷めなくなった。そんな自分が、ちょっぴり悲しいかな。
今朝は、来週の土曜日に子供を連れて泊まりに来るナツちゃんの、ママ友に、赤飯をナツちゃんから、頼まれたので今朝は、その練習サプライズを、ナツちゃんが起きて来るまでに、炊いて、びっくりさせてやろうと思ったのに、遅くなってしまった。
寒いと起きれない、ナツちゃんのこと、今朝は、うんと遅く起きて欲しい、
それより、赤飯、当日は失敗しないように、今から、暫くは、わが家の食卓は赤飯の試供品が続くと思います。
ナツちゃんの、お兄さんが、長男でありながら、全く実家に寄り付かず、実家や親の事など無関心で、17日の、母親の誕生旅行に20年ぶりに両親に会っても全く心配する風でもなく、逆に、大金を請求されて、ようやくこの12月で200万、仕送りが終わるので、長男さんは、それで自分の役目を果たした感じで、逆に、強制的に仕送りさせて置きながら、即、車を買い、補聴器を買い孫のためとか奥さんのために何1つ買うわけでなく自分のものばかり買い、買った内訳も一切合切、言わず、礼もない、長男さんは妹のナツちゃんに、「ったく、金が貯められねぇ人だよ。」と冷めた目で、皮肉笑いをしながらナツちゃんと息子に吐き捨てる感じで言い放ったそうだ。
親が死のうがどうなろうが、全く無関心というか、親を完全に見下しているように私には思えました。
とにかく長男の顔さえ見れば、グタグタ文句を言い続ける人で自分が死んだら、残された、奥さんの事を、自分の長男には頼めないから、うちの息子に宜しく頼むと誕生日祝の席で自分の長男を差し置いて、頭を下げて頼まれたそうだ。200万も長男に大金出してもらいながら、本人を目の前にしてよくそんな事が言えたものだと、父親の神経を疑ってしまったというか、私にはもうこういうタイプの人間は、愛想付き合いの無視に徹する事にしている。あまりにもおぞましく下品で人間として最低。ヘドが出る。イヤな連中に関わってしまったなぁ
明日で11月が終わる。
師走に入ったら、あっという間に新しい年に入ってしまう。
今日は、仕事から帰宅した、ナツちゃんから開口1番に、新潟の実家に29日から来年の8日まで里帰りすると報告を受けました。
ただし、不妊治療が、年明けの何日になるかまだ決まってないので、ナツちゃんの、排卵日が、早くなった場合は、卵を採集しなきゃならないから、5日か、4日までには帰らなきゃならないとか言われたが、私は逆に酷な言い方かもだけど、どうせ帰省するのなら、長く行って来なさいよ。お父さんがいつ逝かれるかわからないんでしょう❓悔いないように、正月と、お盆だけは、いっぱい孫と一緒に過ごしてきなさい。」と言ってやりました。これは正真正銘の私の切実な本音。
何かにつけて、お父さんがいつ死ぬか分からないを題目のように唱えている、変な家族、何がいつ逝ってもおかしくない状態か、意味不明、私より我儘し放題、好き勝手に老後を謳歌してるではないか。死ぬ死ぬと言って、早く亡くなる輩はたいてい回りにストレス蒔き散らし、回りが早く亡くなり、本人はダラダラ生きてるような気がする。まさしく、この父親は類い稀な、ブタゾンビみたいな男、下手したら、奥さんの方が先に逝くんではないかと思う。まぁ、この奥さんも、中々の人とお見受けしたけど、我が息子夫婦が詐欺師なら、ナツちゃんの、ご両親は、その上手を行く詐欺師のプロだと思う。
今夜は「相棒」が9時から始まるから、早めに自分部屋に引き上げさせて貰った。今や我が家は孫がテレビの指導権を握っていて、朝から夜まで、孫の観たいものばかり優先に観させているから、私など、リビングでは全く観たいもほなのは観られず、せめて夜くらいは9時になる前に部屋に駆け込ませて貰っている。
「相棒」先ほど見終えて、ホッコリ。
やっぱり、相棒は、面白い。できたらずっと続けて欲しいけど、水谷豊さん、70歳になられ、継続する事に難色を示されてるとか、耳にしましたが、俳優さんも年齢にはそれぞれ感歎の思いを試行錯誤されるのでしょうね。
出来たら、ずっと続けていただきたいけど、私自身も60の後半に来て、体力も意思も弱くなりました。
それだけに、水谷さんのお気持ちもはばかられて、こちらの欲は言えないですよね。ですから1作1作を、大切に観させて頂いています。夜9時は、孫にも邪魔されたくありません。
羌ちゃんは特別ですけど。
その羌ちゃんも、早々、我が部屋に来てもう私のベッドを占領しています。
身体が温まり、腰と肩に貼った湿布が効いてきて、炬燵の中があまりにも気持ち良くて、なんか凄く眠い。
誰もいなくなったから、急に安堵して眠気が襲って来たのかもしれない。
このまま少し寝ちゃおうかな。
睡魔の誘いにのっちゃおうっと。
凄く眠たい。寝ちゃおう❗
今週は家で仕事をすると行っていたけれど社から緊急な連絡が来て11時に息子は家を出て行った。
3日間は帰宅が遅くなるとの事。
それはともかく、そうなったらそうなったで、送り出すまでバタバタしてしまい、息子を無事に送り出してから、私のリハビリ午前中までで、午後は休診、明日は病院の定休日、リハビリ行きそこねてしまった。
仕方ないから、
バスタブに湯を張り、入浴しながら腰を温め温湿布を貼り、昼食を取りながら「徹子の部屋」を観る。今日は女優の上
野樹里さん、お姑さんが平野レミさん、いつも思うけど樹里ちゃんの天然ポイのナツちゃんにそっくり、そしたら面白い事に丁度、お昼時のナツちゃんからメールが来た。
ナツちゃんは「徹子の部屋」が大好きで、この番組を見たいがために人より1時間遅れて、ランチタイムをするらしい。
番組を観ていた、ナツちゃんから「平野レミ、お母さんにそっくり」だと。
何がそっくりかって聞いたら「喋り方が」だと😤
風は冷たいけれど、空は雲一つない青空。
掃除を早々済ませ、今は何もすることなく、自部屋の、炬燵に腹ばいになりながらミクルに投稿しています。
今又、気づいたのですが、新たに2人の方が共感してくださってる。
えっ!なんで、ダ埼玉に来てダスレしながらダ自分とダダグチこぼしてる、こんな、ダ婆婆の部屋に、本当に、皆様、ここ、変な部屋ですから、あんまり多くの方が来てくださると、ひっそり、ダダグチを楽しんでましたのに、やりにくくなりやした。でもいいや、どの自分もみんな素の今は酢の自分なのですから、こんな酸っぱい梅干し婆さん部屋に共感してくださりありがとうございます。
寝そこねて、目が冴えきってしまった。
頭は相も変わらず冴えるってことはないんだけど。眠くならないから少し、吐こうかな。この頃、毎晩、私の部屋を、羌ちゃんと、孫が立ち変わり入れ替わり忍び込んで来る。わたしたち家族は、それぞれが部屋を持っているが、全室、鍵なしなので、いつでもオープンドア。
だからプライベートもへったくれもない。そこに持ってきて、猫の羌ちゃんは、何故か夜になると、私の部屋のドアの前で爪を立てるので、要するに羌ちゃん用のノックなのだけど、開けてから、夜夜中は私のベッドを占領するようになった。羌ちゃんはまだしも、腹が立つのは、息子夫婦が夜遅くまで起きているので当然、孫も起きている訳で、息子夫婦と一緒で飽きると孫のヤツ、無防備に私の部屋をバーンと開ける、そうなると、もう、シッチャカメッチャカ、私が寝てようが、孫に叩き起こされ、睡眠を妨害される、まぁ、でも今は無職で毎日、家にいるから、いいんだけど、これが仕事持ったら私は癇癪起そうと思っている。
今は、孫よ、我慢してやるからな、ババは、ほんとは鬼婆婆なんだぞ。
羌ちゃんは、別だけどね。
ようやく、皆が寝てくれた。
寝る前に、何気なく、スマホを開きミクルの自分スレを開いたら、2人の方が、共感ボチを押してくださってる。
なんか私、どんどん、口汚く悪態つきまくって醜態さらしてるのに、それでも見てくださる人がいるなんて、信じられないです。でもありがとうございます。
そのうち、ミクルの異端婆で皆様、ここから呆れて去られるだろうな。
それが本来の私です。
損な私の駄スレに本当に感謝致します。
ありがとうございました。
やっと夕食の準備が完了。
今日から来月1日まで、息子が家で仕事だから、非常にやりにくい。
自分の部屋兼スタジオがあるんだからそこでずっと仕事をしてりゃいいのに、ほぼ、リビングの食卓にパソコンを持ち込んで仕事をしている。その後ろで私は今夜の夕食の準備で狭いキッチンを走り回っておるのだ。
何もキッチンの前の食卓にパソコン持ち込まなくたって隣のソファーの場所でゆっくりやりゃあいいじゃん、ったく😤
人がキッチンで忙しく、水仕事をしていると、眼の前で、パソコンで仕事をしている息子のパソコンの画面に流れてる、見知らぬ顔が、息子に、なんか言ってる、いきなり、息子が振り返って「お袋の姿がチラチラ画面に、登場して部下が気になるらしい」はぁー👿
なんじゃい、それ〜
キッチンは私の仕事場だぞ、ふざけんじゃねぇぞ、お前は自分の部屋でするのが当たり前だろうが、なんで、お前らの、マンマ作ってるのに、そんなふうに言われなきゃならねえんだと、怒りたかったがやめたわ。
変な話が、結局、その画面の部下らしき若い男性に挨拶したいと言われて、パソコンから「息子がお世話になっております。」と頭下げてしまった。
なんでこうなる訳、やってらんねぇわ。
で、変な世の中😤
訳わからん。
静かに、ゆっくり時間が流れている。
孫のせいでいつも見られないNHKの朝ドラを12時45分に見て、13時からの徹子の部屋を先ほど見終わって、今、自分の部屋に戻り炬燵の中で投稿しています。
朝ドラ、ギバちゃん演じる梅吉さんの、妻に先立たれた夫のやりきれない哀しみと辛さに、我が父を重ねて涙してしまった。
うちの父もそうだった。どうしても仲の良い夫婦は、特に妻に先立たれた夫は、そうなると思う。男親が残ったら、しかも住み慣れた場所を離れ、知らぬ土地に娘に伴われ間借りで生活するとなると、どんなしっかりした男性でも酒に入り浸ってしまうのは責められないと思う。うちもそうだった。人生って切ないね。だけどそれが人生、それでも「生き抜くんだ」ってフレディ・マーキュリーの歌が聞こえて来そう。
「生きるんだ、生き抜くんだ」それが人生なんだと68年生かせてもらっていながら、はい!そうですかとは、言えないへそ曲がりの私。だから、さんまちゃんみたく笑いに魂を売らなきゃ、今日の
私、何を愚痴って変なことばっかり言ってるんだろう。やだなぁ、私ったら。
何となく分かっちゃいるけど、愚痴と不満がでちゃうのであります。
今日は、買い物にも行かず、孫を迎えに行く時間まで、ソファーでのんびり過ごそうと思う。
今夜は息子は帰宅が深夜になるそうだし、ナツちゃんは、不妊治療の定期検査で帰宅が7時過ぎるそうだし、孫は、保育園の帰りに、中耳炎予防の耳の定期検査に連れて行かなきゃならないので、それぞれが夕食を゙外で済ませることになりました。
ですから今日は買い物一切せず、ゆっくり出来るわけで、病院に連れて行ったあと、孫と何を食べようか楽しみです。
朝から入浴して、軽く朝食を済ませ、そのままソファーに、横になっただけなのに、もう10分したら正午になる。
なんて時間は、早く過ぎるのだろう。
やっぱり昼間は眠れない。
誰がひょっこり帰って来るかわからないしね、ほんとに損な性格で自分が嫌になります。
土日は忙しくスマホを開く余裕すらなく、ただ唯一無二の私だけの月曜日、2日ぶりにミクル自分部屋のドアを開ければ、あら、まぁ、2人の方が共感してくださってる。
こんな、駄スレ吐き出し部屋に共感してくださりありがとうございます。
感謝致します。m(_ _)m
所が、お目当ての駅前開店の大型薬局は人の行列と店内、凄い数で入れないとの事、一緒に帰ろうと言うことになって、鬼嫁さん、物凄い勢いで私と孫を見つけ追いかけて来ました。
その時です。「おかあーさーん」と手を振りながら走ってくるナツちゃんの顔が
、薙刀振りかざして物凄い形相で走ってくる白鬼みたく、一瞬、ギョッとしたものでした。(笑)(笑)
ナツちゃんいわく「今夜のおかずなぁに」とのたまうので、すかさず「土日前は、何も作らくて良いってナツちゃん言ったじゃん」と返したら孫はが「ママ言ったじゃん」と思わず、可愛いい事を言ってくれるではありませんか。
ナツちゃん、「アッ❗そだったね、じゃ、皆でテイクアウトしに行こう」ってことで、私は、なか卯の「マグロのタタキ丼とキツネうどんのセット」ナツちゃんと孫は餃子の王将で、餃子4人前と焼きそばと、天津飯とエビチリ、それから、「力」で焼鳥10本、豪勢に買ってくれました。
北風に吹かれて帰りながら、不思議な事に、マグマは消え去り、3人3様、早く帰って食べたくて、さっきまでの殺気は、一体なんだろうなんて単純な私でありました。
昨夜は、孫を駅前の英語教室に、やっとの思いで連れて行き、授業が終っての帰路が体調が悪い時の私には苦で、3歳の孫はネオンキラキラが大好きでまっすぐには帰ろうとしてくれず、所狭しと人波をはしゃぎながら走り回り、ヨロヨロしながら孫を追っかけるこの苦行、所が昨日に限って、ナツちゃんが、早く仕事を終えて「今、駅に着いたよ。お母さん達どこ❓」って聞くから、「これから帰るとこだわよ」と腹わたはマグマで、煮えたぎってるんだけど声は、お上品に穏やかに応えてやった。そしたらなんと鬼嫁は、「お母さん、私、開店した◯薬局に行来たかったら寄って行くね。👶お願い🙏」だと😤腹わたマグマ噴出、しかし、そうわ行かず、ランランモードの孫の尻を追っかけ、早く帰ったのはそのためかと、そんな事だろうと鬼嫁ナツちゃんらしいやと笑ってしまった。
おはようございます。
昨夜は、どういう訳か、ミクルが全く稼働せず空白画面でした。
今朝は寝坊して今、目が覚め、やはりミクル稼働せずメンテナンスじゃないはずなのに、ユーチューブも稼働せずスマホついに壊れたかなとは思いましたが、位置か罰か、スマホを初期化しましたら、完璧に元に戻り、まずは胸をなでおろしました。
1人の方が又、我が、駄スレに共感してくださり、誠に恐縮です。ありがとうございます。
この頃「駄」と言う言葉を楽しんでいます。
「翔んで埼玉」の影響ですが、望んではいなかったのに、田舎から都会の埼玉に来て3年目に、なりましたが、まさに、詐欺師夫婦の元に強制収監された感じで私も遠い北国から、こんな南国に翔ばされてきました。でも埼玉が「ダ埼玉」「ク埼玉」「アオク埼玉」とデイスられてるのが、私の人生と重なって今では故郷、新潟より、埼玉が大好きになりました。
私、田舎者で、中卒で働くしか取り柄の無かった、駄目人間です。でも今は加齢とたたかいながら、この地で逆に元気をもらっています。デイスられ人間の私、それだから頑張るのだそれも苦しむのではなく楽しむようにそう言う意識にならりました。9「苦」人の皆様、宜しくお願い申し上げます。
今日は、リハビリから帰ってきてから、掃除機もかけず、何もする気なく、お昼に軽く昼食をとり、そのままソファーに、横になり、NHKの「ブギウギ」の再放送と「徹子の部屋」を見ながら、ずとっ寝ています。
身体が重たくて凄くだるい、夕食の準備もする気なく今なんとか起きたけど、4時半には孫を迎えに行き、5時半には英語教室に、連れて行かなきゃならないのに、なんか凄く眠い。
昨日は「翔んで埼玉」の初日公開の日でほんとはね1人で観たかったのに、23日、祝日と相成って、イヤな予感がしたんだけど、やっぱり的中、ナツちゃんが、ついてきてしまった。
ナツちゃんが予約してナツちゃんが、チケット代を全部払ってくれたので、それはそれで感謝しなきゃですけど、私にはストレスのそのもの、しかし一緒に行ったナツちゃんたら、終始、涙を出して笑い転げて映画が終わってからもその話で1人で喋り続け、こちらも一緒に笑ったけど、凄く疲れてしまった。
帰りは孫のお守りをしてくれた息子が孫を伴って車で迎えに来てくれたけど、珍しく私は車酔いしてしまいました。
昨夜は、ご機嫌のナツちゃんが夕食を珍しく作ってくれ、食卓を囲みお風呂に入るまで「翔んで埼玉」の話題ばかり、
体調は今1、不調ですが、ほんとに面白かった。今度は1人で内緒で観に行き思い切り笑って来たいと思います。
2日ぶりの投稿。
いつの間にか3人の方が、こんな、駄スレに共感してくださってた。
申し訳ないやら有り難いやら本当にありがとうございます。
今、リハビリから帰ってきました。
不思議なもので、1週間くらいつづいた鈍い腰痛でしたが、ナツちゃんに、くどくど言われ、しぶしぶ病院に行ったものの、不思議な事に、その日、処方された薬を飲んでから鈍い痛みがパッと消えました。薬は痛みが消えた時点で飲むのを止めましたが今だに痛みはなく、腰は爽快になりました。20分づつ計40分の、腰への電気マッサージは毎日、通っています。今は息子の扶養になっています。ま、とにかく私が寝込まれたら大変と、息子夫婦の方が神経質になり、なんか不都合な様子を見せると直ぐに医者に行かせられるようになってしまいました。でも、やはり行かせてもらって正解でした。気がつけば現在、3つの病院に通ってます。眼医者と、皮膚科と整形外科、整形外科と、それから内科もでした。全部、加齢絡みの初期症状。
普段、薬を服用してなかったせいか、服用すると一発で効きます。怖いくらいです。できたら薬は、最小限にとどめ自然治癒を願ってますが、確実に、体の内部は50代と違うとひしひしと感じています。しかし薬は効きますね。
こうやって私も薬に慣れていく、そんな自分が悲しいですが、これが老いというものなのですね。
息子が深夜に、それも2時過ぎに帰宅した。奈良から東京駅に到着した時点でまだ時間に余裕があったから、つい気が緩んで、部下と祝杯のビールを乾杯しているうちに、終電に間に合わなくて、東京駅から埼玉までタクシーで、ご帰還。
今朝は家で仕事を朝からやっている。
寝たのが3時過ぎなのにリビングに、降りてきてパソコンと向き合いながら、皆と朝食を取り、ナツちゃんが最初に家を出て、それから、孫の着替えと朝食は息子が手伝ってくれて、有り難いことに、息子が保育園に送ってくれた。
私はその間、掃除、洗濯、食器洗いを済ませ息子に、ことわって今日から毎日、リハビリと称して朝一で病院に通う事にした。腰を温め、電気マッサージのリハビリなんだけど私には丁度、家から離れられる絶好のチャンス到来で、これで家で仕事をしている息子に気を使うことが少し省かれ、一人ほくそ笑んでいます。
そして、カフェで、珈琲飲んでもう11時ですもんね。さて買い物して帰ってお昼の準備しなきゃです。
今、カフェで、モーニングのトーストを食べています。
珈琲を飲みながら、ミクルを開いたら、
私の捌け口スレに又、1人の方が共感してくださった。
非難、中傷されるのが当然の内容なのに、共感して頂き有難うございます。
多分、私の生き方は、どなたも理解してもらえないだろうし、してもらいたくて呟いているのではないにしろ、やはり、嬉しいです。
心から感謝致します。
有難うございます。m(_ _)m
チッ❗
3時からの相撲、国会中継のため5時からだってさ。😤
5時なんて孫を迎えに行く時間で、その後は孫は必ず保育園の裏にある公園に行く。あそこは若いママ達と園児のたまり場だもん。
結局、相撲みれないや。仕方ない、これも与えられた運命だ思えば、そうゆうもんだとその場に入って楽しむ事にしてる。皆、若いママさんが短いパートを終えて子供を迎えに行き、そして我が家の孫みたいに子供に公園に遊びたいとせがまれてママさん仕事終えて疲れておられるだろうに、子供を公園で遊ばせ、そして暗くなりマンションに帰って夕食の準備、聞いていて偉いなぁとおもう。
公園に行くと婆さんは、私だけなので、ママさん達が寄ってきて色々話しかけてくださる。それはそれで楽しくて孫をそっちのけでつい話し込みすっかり若いママ友が出来て園の情報を色々聞かせてくださり、それをナツちゃんに聞かせてあげるとナツちゃんにとっても有り難い情報のようで逆に感謝されてしまった。
ママ友情報で園長さんが私と同じ68歳で新潟は佐渡の出身なんですって。
女帝とアダ名され恐れられて、ここ3年で保育士さんが4人も退職されたんだとか、どんだけ新潟の女性は逞しいのかって若いママさんに、質問されたって、わかりませんよー
女帝と言われるのに出身地なんて関係ないでしょ。その人の実力なんだから。
我が家にも影の女帝がいますよな~んて、うっかりいいそうになりました。
ナツちゃん用に、鮭とトマトと、ペンネのクリーム煮を作り終えて、残ったペンネでカレー味のサラダも作り終えた。
あと、豆腐と冷凍してある海老とと小松菜で、あっさり塩味で、トロミをかけたもの、昨夜の豚肉と大根も残っていたから豚肉と大根の炒め煮でもしちゃおうかと今、一服しながら時計とにらめっこ。
3時になったら大好きな相撲始まるし、しかし相撲は孫を迎えに行くと、公園のお散歩で見れなくなるし、3時には夕食のメニュー済ませたいのだけど、作り始めるとスイッチが入って止まらなくなるし、結局、相撲観戦しながら料理仕上げなきゃ、その前にベランダに干した洗濯物をたたまなきゃだ。
家事って制限なく忙しい、誰も見てないんだし、隠しカメラがある訳でないのに、ズルできないんだよなぁ😔
損な性格。ナツちゃんの、お母さんは、それにあんな、ウザい旦那さんの世話をしながら1日同じ屋根の下に暮らしているんだからなぁ、そう思うと、なんだかんだと言っても、姑を見送り、いばりんぼうの旦那の世話に明け暮れ1日掃除をする生活ってどんだけ大変だろうと思う反面、逆にだから世間に出られないのだと思う。息子とナツちゃんいわく父親が亡くなったら、お母さんは、お兄ちゃ
んを頼れないから私を頼るはずだって。
冗談じゃない。そしたら私がこの家を出ようと思っている。頼る女は、大キライ❗
今日は夜遅く、奈良から息子が帰って来るので軽い、お夜食でも用意する意味で、息子の好きな、助宗タラの子の煮付けが先ほど終わりました。
私の育った田舎では、助宗タラの子を「だらみの子」と言っておりました。
祖母や母が、鱈と一緒に、だらみの子を煮るんですが私は、だらみの子の煮付けが大好きで亡き母は、孫の長男に良く食べさせてくれました。息子は、それ以来、深秋から冬になると、酒の肴に必ず、リクエストします。
料理が大嫌いなナツちゃんは、だらみの子を見るだけで、脳みそみたいで良くそんなもの食べられるなんて言うもんだから、その言葉を聞いて、はぁー😳
実家は確か海の出雲崎じゃない、ナツちゃんの、お母さんは、専業主婦でプロ前の料理をなさると聞いていたけど、これが脳みそだなんて、はぁー、なんてドケチな割には、一体全体、どんな贅を食卓に出されてたんやろうね。だから思う家族皆が糖尿病で高血圧、食生活がどれだけのもんだったんだろうなぁ、ってね。余計な詮索でした。
今日は朝から穏やかな天気、しかし
お天気とは別に孫を送ってから、ナツちゃんに、言い含められ、そのまま、かかりつけの整骨院に、持病なんて認めたくないんだけど、軽いしかし、鈍い痛みで、もう4日続いているのに。このくらいは疲労が溜まると必ず私の場合、腰に現れるようになり、これを放置していると、膠原病になると内科に言い含められたので泣く泣く職場を辞めたのだけれど、無職の今は1日専業無料家政婦のようなものをやらされてるから、家事の合間に、ちょくちょく安めば自然治癒するのだけど、息子とナツちゃんが異様に神経質になり今朝は早々、ナツちゃんに、グタグタ言われて渋々、病院に行ったけどなんてことはない、私の買い物がてらの散歩が長すぎて身体に負担を与えて招く腰痛とのこと。暫く電気のリハビリに通う事になりました。
電気のリハビリを終えて薬局から2週間分の薬を貰ったあと、食材を買いに、リュックの中に野菜をしこたま買い詰め込み、それでも入りきれなくて、両手にスーパーの袋をぶら下げ、結局、アチラコチラ散策して12時ジャストに我が家に着きました。こんなだから腰に負担かけるんですよね。分かってるけど、外気に触れる事が楽しいんですもの。
先ほど、奈良に出張の息子を玄関に送り出し、快晴なので窓を開け放って、清掃を済ませました。
秋風がと言っても冷たいですが風にカーテンが揺れて、1人の時間を満喫させてもらっています。
静寂の中に食洗機の音だけがこだまして、羌ちゃんも、私と同じで誰もいないこの家を、しかもピカピカに磨いたもんだから、片っ端から、走り回ってゴロニャンしています。
羌ちゃんは、都内のアパートで多頭飼い放棄されて、押入れの中から救出されたんだそうです。4匹生まれて発見された時は既に2匹死んでたそうです。
推定だそうですが発見時、生後2ヶ月はすぎてたのではないかとスタッフの方はおっしゃってました。尻尾が極端に短くてなんとも奇妙な尻尾なんですよね。
で、聞いてみると、多分、放棄されてた、猫にかじられたか、食べられたかしたのではと言われました。
だからスーちゃんは、バランスが取れなくて、走りながら、スライリングしてよく転びます。高い所に、ジャンプしても飛び乗る直前に失敗してよく落ちます。
今も走りながら、スライリングして、ひっくり返りを繰り返しながら、のどかなひとときを過ごしています。
両親と20年ぶりに対面した長男さんは、母親に泣きつかれて今年の1月から分割で計200万円を来月まで送金しているのだとという。
所が、父親が弱っていつ死ぬかわからない状態で医療費もかかるからと母親が泣いて頼むから毎月送金してきたのに、実際に会ったら、確かに父親は年を取ったが、生活苦と言う割には、いい車に乗って死にそうなどと、騒いでいる割には自分で運転してきてるのには驚いたという、しかも長男さんが、お金が無いのに車はピンクの小綺麗な軽乗用車、聞くと現金で57万で買ったのだという。
それは1月に1回目の送金50万を頭金にして残り7万円は2月の送金の50万の中から即、支払ったと母親から聞き出したそうな。
しかも3回目の送金で23万円もする補聴器を、これは奥さんに相談しないで勝手に買って装着して後で奥さんの知ることとなり、この事は奥さんは、亭主に直接、講義せず娘のナツちゃんに電話で、泣きながら愚痴ったそうだ。本当によくなくお方だこと。😤
長男さんが、息子に「だから、金なんか送りたく無かったが、お袋に泣きつかれれば知らぬ顔はできないし、車を買った事を怒ってるんじゃない。一言ぐらい言ってほしかった。つくづく金が貯められねぇ親なんだよなぁ」と呟いたそうだ。それを聞いて、この長男さんが好きに、なりました。
ナツちゃん、今日は1時からマッサージに行くので孫の面倒をいつもの事ながら頼まれた。息子は今日は1日、自分の部屋兼スタジオで仕事。
私達家族が旅行した場合は、息子は旅行先でもパソコンを開いて仕事をしているのだけど、向こうの両親の前だとパソコンは愚か仕事は一切しないのだそうだ。
昨日のナツちゃんの話だと1日中、向こうの父親に付き添い母親とナツちゃんと孫だけの空間を作ってやるために、ほぼ下僕のように動き回っていたという。
じゃあ、長男さんは何をしていたのかと聞けば、ほとんど自分だけの部屋にこもり単独行動をしていたとのこと。
ただ、今回2回目の孫との対面で、人見知り全くしない孫が長男さんの名前を呼びながらついて回って人付き合いの苦手な長男さんも孫だけは可愛がってくれたとのこと。
両親さんも初孫だけは無性に可愛いらしく、特に普段、笑わない、お母さんが、泣きっぱなし笑いぱなしで孫を可愛がってくださったとの事だけど、おもちゃ1つ孫には何も買ってくださらなかった。
ヤッパリ徹底しているこの御夫婦。
それでも孫は可愛くて、とにかく、お母さんは、孫に会った瞬間から泣き帰るまで泣き放しだったという。私にはそれが分からない。孫が産まれた時期がいくらコロナの時期だったとはいえ産まれた時の祝儀も何も一切お構い無しで、電話で世話を焼くだけ孫の誕生日も何にも送らないのだから。どこのご父母様にそうなのでしょうか。
今朝は、首から背中にかけて、鈍い痛みが、飲みすぎてバチがあたったと自覚。
昨日のレスを今、読み返して、まぁまぁ、なんと下品きまわりない、ヘドロ言葉を吐きまくってたのだろう。
缶ビール350を3缶飲んでたから、いい気になって、ついつい本性が出てしまった。この所、不貞腐れて毎日、ビールを飲んでたから、多分、その悪循環がついに身体に現れたのだろうと思う。
ビール止めよう。昨夜、旅行から帰ってきた息子夫婦の、向こうの両親の話を聞いたら、もう少し生きていたいと思うようになった。ビールで体を壊しそれが原因で死ぬなんてヤッパリ、みっともない。
私はお酒はビールしか飲めないけれど、比較的、お酒の中では優しいビールだったからこそ、ここまで身体が持ったのだと思う。日本酒やウイスキー、焼酎だったら、私はとっくに死んでいたと思う。
ビールだから、そこそこここまで永らえたのだと思う。そのビールでさえ、3缶飲むと翌朝、変調をきたすようになった。ビール直ぐには止められないが少しづつ規制していこう。
やる気が、うせた。
あと30分したら帰ってくる。
もっと遅く帰ってこいつうの。
それも夕飯つくらんでいいからとか、そんなもんとっくに作る気ねぇわ。
無性に腹が立つ、我が息子にも倍、腹が立つ。
一言ぐらい、親の口からこちらに礼を述べてもバチ当たらんだろうが、平気のへのカッパで、奮然と上座に座って我が世の秋みたく、大口開けてあのばあさま笑ってんだってば、あー腹立つ
つくづく新潟県人嫌いになる。
だから田舎は嫌いなんだ。
馬鹿らしい。
私は家畜じゃないか。
あっちは詐欺師だ。
ゆうだけゆった。
あー
せいせいした。
お下品でした。
「もう着くよー」だってメールが来た。
舐めんじゃねぇよ。
母親そっくりの、アホ嫁
帰って来んな。
バカ❗やってらんねぇわ😤
こちらは気持ちを切り替えて朝からスーパーに行き、昆布を大量に買い出ししてきた。以前から、昆布巻きに挑戦しようと思ってたから、この時こそ、挑戦のチャンスだと思い、お麸と昆布、生鮭を買ってきた。下ごしらえしている最中に、メールが3時に帰るだって、がっくり、なんで夜まで帰って来ないと思ったから、時間のかかる昆布巻きに挑戦してると言うのに、もう早すぎる。
さきほど、旅館にいる、息子家族とナツちゃんの、ご両親と、ナツちゃんの兄が揃った、写真が16枚送られて来た。
最高のホテル側の、おもてなしと人目で分かる、ゴージャスな一間を借り切って、盛大な贅を尽くした、お誕生宴会がそこにうっていた。
お母さんを中心に、お母さん専用のケーキとディナーが広いテーブルに用意され、まだ足越し丈夫な人なのに金襴の椅子が、お母さんだけに用意され、どれだけお金をかけての誕生ディナーだったか、こんなに贅を尽くしたのだから、私が出した祝儀のも10万もここに含まれているんだなと、豪華な満面の幸せそうな家族写真を見て、正直、自分が惨めになって泣けた。
まっ、そういうふうに思う私が、心が瀕しているのだと自分に喝をいれる。
今まで、笑った事のないという、家の中で夫に使えるのが自分の勤めと生きて来られたというお母さんが満面の笑顔で笑っている。
20年ぶりに親にあったという、六角さんにクリソツの兄も笑ってる。
だったら、費用の半分は、貴方、長男で大学まで出してもらって悠悠自適に独身貴族してんだから、少しは捻出しなさいよね。と醜い心が頭をもたげ写真に向けてついに本音を吐いてしまった。
汚いなぁ、私。
しかし、祝儀のお礼くらい言ってほしいなとちょっとね、ちょっとだけ言いたかったなぁ。この話題はもう忘れよう。
読め直したら、やだなぁ又、文字を打ち違えてるし「朝」と打ったのに「浅」になってる。見直すのも面倒くさくなって、これじゃいけないと思っても、ヤッパリ加齢かな。そう、何でもかんでも都合の悪い事は年のせいにする癖がついてしまった。昨夜は静寂な部屋の中で心行くまで読書を堪能し一冊読み終えたあと、何ていうかな、その本の内容があまりにもあたたかく、優しいお母さんに包みこんでもらったような、とても幸せなオブラートに包まれたような錯覚で、そのまま寝てしまったようだ。
羌ちゃんが、あんな事をしなきゃ、まだまだ深い眠りに浸透していただろうと思う。しかしなんでよりによって大事なスタンドを割られなきゃならないのだろうねぇ。正直、自分が買ったスタンドなら「コラー、羌〜」って怒鳴ったかもだけど、ナツちゃんが買ってくれたもんだし、そのナツちゃんは、昨日から湯沢にお母さんの盛大な誕生祝いをして、不思議にシャメ1枚も送ってくれず、音信不通、無しのツブテ。
息子が2枚ほど湯沢の「越後温泉」と看板が出た写メと湯沢の、吊るし雛をバックに撮った孫の写メを2枚程、送信してくれただけ。ま、私を仲間はずれにした事を気にしているのであれば、それはオカド違いというもの。とても私はあの仲間には浸かる事は出来ない、それは息子が1番わかっているはずだから。
苦労苦労の人生だったというナツちゃんのお母さん、幸せにしてあげてね。
今、気がついたのですが、私のスレに今日、新たに1人の方が共感してくださったのですね。その他に4人の皆様も、ありがとうございます。
毎日、感情を爆発させてもらってる唯一の場所なので、吐き出すことだけが目的で、共感してくださってる方がいても気づこうとしない非人間的な私です。正直、いつもバカがつくほど、道化を演じているので、溜まる感情を正直にここで吐き出しています。ですから文章も雑に荒れた文字使いになってしまいます。
気持ちが冷静になると共感の方がおられた事に気づき意識して丁寧な言葉に打ち直したりですね、どれが本当の私なんだろうと思ったりしますが、どれもみんな、正真正銘の私なんです。その時その時で感情が秒きざみに変化する、日常も社会も、これからもずっと寿命が来るまで、変転して止まない我が人生、だから少しでも貪欲に色んな事を感じ学び汚い自分の心を浄化したい、人生って、この繰り返しの戦いのように思います。
吐かせてもらえるから気張れる。
ミクルさんに感謝です。そしてこんなバカスレ見てくださる方にも御礼申し上げます。ありがとうございます。
あ〜ぁ、よく寝た。
なにか落ちる大きな音に目が覚めて音の方に目をやると、羌ちゃんが、写真のスタンドを落した音だった。
スタンドはガラスの入った額縁で、結構、高価なもので、ナツちゃんがプレゼントしてくれたものだった。
中に入ってる写真は去年の1月だったかな上野の森の美術館で開催された中国の「兵馬俑」が催しされていて一生、見られないと思っていた兵馬俑が上野に来ると言うので、ナツちゃんがチケットをプレゼントしてくれたものだった。
兵馬俑とコラムして原さんのキングダムの原画も展示されるので二重の喜びで観に行ったものでした。感動を乗り越えて、2千年もの昔に実際に作られた偉大な銅像1つ1つ見ながら、命がその当時に共鳴し浸透し、長い時空に引きずり込まれ深い感動と涙で身体が震えたものでした。兵馬俑の馬車の横で個人で希望すれば写真を撮影してもらえるので二千円支払って記念写真を撮ってもらった写真何だけど、ナツちゃんが、お母さんの一生1度の写真だからと、奮発して買ってくれた高価なガラスのスタンド、羌ちゃんが、明け方、騒いで落として割ってしまった。羌ちゃんが騒いでいるのも気づかず寝惚けていたなんて。あ〜ぁ、なんてこと。浅から縁起悪いですね。
散らかったリビングも、彼らが食べ散らかした食器も、何もかも後回しで、今はソファーに大の字に寝ている。
人間特に、煩いのと大声が大嫌いな羌ちゃんは、皆が居なくなって静寂が確実に訪れたと分かった途端に急に元気になり、散らかったリビングや、息子、ナツちゃん、孫部屋と、所狭しと走りまくっている。
今日と明日の夜まで、羌ちゃん、好きな三昧、のんびりしようね。
あ〜ぁ、このひととき、待ち望んでいた我が至福の日よ。
今夜は盛大に、のんびりさせてもらいます。
ようやくみんな出て行ってくれた。
なんと騒がしく、慌ただしかった事か。
たかだか一泊の旅行で近くだからといえ、ナツちゃんと孫は10時まで寝ているし、息子はといえば誰よりも早く起きてリビングでパソコンに向かって仕事をしているし、ナツちゃんの、お兄さんが葛飾から、こちらの駅に10時55分に着くと連絡があってから、ようやくナツちゃんが起きて来て、それからの家を出る11時までが戦場のような忙しさだった。間際まで仕事をしていた息子がナツちゃんの準備が出来たことを確認して、いざ車を出すという事になった途端、今度は車のキーが無いと大騒ぎとなり、家中、テンヤワンヤの大騒ぎ、孫は大人の大変さが面白く見えたようで、四つん這い状態でカギ探ししてる中を孫はハシャギまくり背中に乗って、お馬ごっことか余計に手間をかけさせるし、しまいに息子は、自分が悪いのに、癇癪をお越し「あ〜ぁ❗行きたくねー」なんて叫ぶし。マジにカギが無くて新幹線に乗るかという事態になった時に、なんとカギが、猫の羌ちゃんの、ゲージに入っていた。多分、羌ちゃんが、じゃれてゲージの中にいれたか、もしくは孫が何でもかんでもゲージにいれるので孫かどちらかだと思う。なにはともあれ、カギが見つかりようやく出て行ってくれてホッとしたのも束の間、家中、嵐が去ったあとのような散らかしよう。
本当にどうしょうもない連中。
だから、こんな荒れた天気になるんだわよ。
まだ皆、起きてこないから、この前書いたGACKTさんを初めて間近に御本人を見た時の感激を思い出に呟こう。
あの日、順番待の列に並んだのが朝の7時、10時に番号整理券を貰い、3時に、又並び3時半に特設会場に設けられた中にようやく入る事が出来て、それから更に2時間GACKTさん登場まで待たされ、寒い風の中、ほぼ1日立ち通し、68歳の身体には都会の風は骨身にこたえたけれど、ここまで来て弱音を吐けないと歯を食いしばって待つ事3時間、ついにGACKTさん登場❗
一目見たその感動は無教養な私には上手く文字にしては書き表せません。
とにかく、これが、格付けで常に無敗のGACKTさん、オーラーが凄すぎて、目が潰れそうでした。
全然ファンではなかったけれど田舎者の私には、その美しさに涙が溢れた程、
何故、涙が出るんだろう、今持って分かりませんが、分かれた旦那で世の中の男性が全部、汚く見え男なんか、金輪際、頼るもんか❗くそ食らえで、高齢婆さん1人で働きまくってきた我が人生、それが目の当たりにしたGACKTさんの美しさに、自分の心の汚れを浮き出させて貰ったようでした。迎えに来てくれた、ナツちゃんに「お母さん、肌が艶玉出てるよ」って言われて、お世辞でも顔面ポッとなりました。😅
息子家族はまだ起きて来ない。
だから私も起きて入るがリビングにはいかないでスマホに講じている。
昨夜、ナツちゃんに、今日の予定を聞いたら、湯沢の旅館には12時にはそれぞれが到着する事になってるそうです。
向こうのご両親は、お父さんが運転する車に、奥様を乗せて新潟から出発し、うちの息子家族は、ナツちゃんの、お兄さんに、こちらの最寄り駅まで来て貰い、そこからお兄さんを向かいに行き湯沢に出発する予定で、息子達が家を出るのは11時と言っていた。だからゆっくり寝ているのだと思う。
しかし、ナツちゃんの話だと、ナツちゃんのお母さんは、慎重派で、予定の時間よりも1時間は早く到着しないと、落ち着かない人らしく、出かける際になると夫婦喧嘩が絶えないそうだ。身体中、浮腫んでいるお父さんが運転するから尚更、心配性の気性に更に輪をかけて、今日なんか、荒天気だから今頃から、旦那さんにあれこれ世話を焼いてるに違いない。だけど母親が、病的な程潔癖なのに、其の娘のナツちゃんは、全く逆。
ナツちゃんは、父親に似たんだろうなぁ。どっちに似ても納得ですが。
雨の音で目が覚めた。
テレビをつけると、丁度、天気予報をやっていて今日は台風並みの荒天気だとか。これは全国的なのか、ここ、関東近辺だけなのか、今日は湯沢に旅行を楽しみにされてる、ナツちゃんのご両親、お父さんなどは毎日、湯沢の天気予報をチェックして「大丈夫。大丈夫。」とお題目のように唱えてらっしゃるそうで、大丈夫なんでしょう。お母さんなどは、1週間前から毎日、毎日6時間事に孫に風邪をひかせるなとか、風邪をひいてはいないよねとかナツちゃんにメールを夜は確認の電話をかけてくるそうで、ナツちゃんにはそれが嬉しいようであるけど、側で聞いてる私は、どんだけこの夫婦は、お暇なんだろうと懸念してしまう。
お金は出せないが口出しだけは機関銃のように噴射する。異常じゃないかと疑いたくなるような口調と態度に、これじじゃ息子が両親から離れるのは当たり前だと思うようになった。うちの息子の話だと、何をするにも親が口を挟んで来るので長男さんは無口になってしまったらしい。うちの息子いわく「義兄さんは、賢いよ、悟りを得て得道してる在宅の僧侶みたいな人だよ。俺は尊敬している。俺だったら、たとえ親であろうが、ぶん殴る」などと悍ましい事を言う始末。
うちの息子だったらそうするだろうと思う。実際に私はされたのだから。
話は前に戻るのですが、14日は「埼玉県民の日」だそうで、23日に「翔んで埼玉」の映画が上映されるそうで14日は、出演者のGACKTさんや二階堂ふみさん、益若つばささん、加藤涼さんなどが
来場されるということで、ナツちゃんは、3つのイベント先に応募してくれまして、県庁のイベント、映画の試写会は外れたけれど、コクーン2でのイベントには先着400名に参加券が貰えるという企画に、1着の券が取れるように前の晩からホテルを予約してくれました。
それなのに私はホテルでの1人の素敵な空間に高層のホテルから夜景を見ながら、興奮して中々、寝れず深夜3時までハッキリ覚えていたのですが3時以降から記憶がなく目が冷めたら早朝6時半を回っておりました。並ぶのは5時から、しまった❗慌ててホテルを出て、イベント場所に行くとすでに人が並んでおりました。それから券が配布になるまでの10まであの極寒の中ずっと立ち続けてようやく手にした番号が「50」でした。
寝坊しなければ「10番」内は確実でしたのに、ナツちゃんに申し訳ないと心底、自分のアホらしさに悔し涙でした。
こういう事を書くと、同郷の方が見られた場合、多分、反感、中傷されるかもしれませんが、ナツちゃんから実家のお母さんの話を度々、聞かされると、「三従の教え」が私達、昭和生まれの女性には根強く浸透して、死ぬまで、自分の意志では生きられない運命の人がどれだけいられるのか、ナツちゃんの、お母さんもだけど、田舎で働いていた前の会社でも、私の仲間のほとんどが、そのような生き方をしながら旦那さんと二人で暮らしている。
ほとんどが長男の嫁さんで、旦那さんに従い命令されて、それがもう当たり前のように暮らしている。
だからそこから動けないけど、そこにいれば辛くてもしっかり居場所があるし、安泰でいられるとの思いがつよいのだろうと思う。心では不満を抱えながら、諦めている人がどれだけ多いか。
私もその1人だったけど、「嫁いで、その親、夫に従う」なんて、従い方や従わせ方にも難があるように思う。
私は飛び出して今は本当に良かったと思う。強く逞しくなれたし、たとえ又、一人になっても、心構えは常に常備しているつもりです。二度と男など頼りたくない、本当に男は、因習の深い所で育った男は女性を駄目にする。生意気かもしれませんが私は私自身はそう思います。
最近、赤飯や、おこわづくりにハマっていて、何度かめの挑戦ののち、ようやく人並みに、炊けるまでになりました。
小豆や、金時、を前の晩から水に漬け戻し、その煮汁を入れて炊いたり、食紅を使って淡いピンクにしたり、ここ5日くらい、毎晩、我が家は、赤飯と、おこわで、息子もナツちゃんも、胃がもたれはじめたと苦情がで始めたので、当分もう、やりません。
っていうか、要領を覚えてしまうと、次、別の事に興味が行き、これから何にトライしようか、時間はたっぷりあるので、楽しもうと思います。
今は赤飯で使用した小豆が余ったのでそれを、コトコト似ています。
明日は、ナツちゃんの、お母さんの誕生日で我が家は息子夫婦と孫は、湯沢に出かけ私と羌ちゃんはお留守番です。
湯沢なんて言わないでもう少し遠く普段行けないような豪華な旅をされれば良いのに、向こうのお父さんが、新潟から1番近い湯沢なら自分が運転できると言い張られるので湯沢に決まったのだそうだけど、この期に及んでも最後の最後まで自分の因業を通されるなんて見上げたものです。
お兄さんにすれば来月まで送金が続いているのに、母親の誕生日だからって今更、家族旅行などサラサラ行きたくないと息子にだけ言ったそうだ。その事を昨夜、夕食の時にナツちゃんに話したのだが、ナツちゃんは別に驚く風でもなく、ナツちゃんが言うことには、
そんなことより今回は、こうでもしなきゃ兄は来ないから強行手段を取らなくてはならなかったから兄も父も言いたいことは山程あるだろうが、両親の面倒も、独身の兄の老後も行く行くは、ナツちゃんと息子が見なきゃならないのだ、1度みんなで、会って話すけじめを持たなきゃとナツちゃんにしては、珍しい正論をとなえていた。しかし義兄が、自分はこれだけ金を親に払ってる、行きたくもない旅行に仕事休まされて行くんだから自分の部屋代くらいは自分が親に送金してる金から支払うよう提案したそうで、そんな話しを聞いているうちに、金、金、金って、うんざりしてきた。
義理家族の3人分の旅館代金は私が払うことにした。息子の親として息子に花を持たせたく、祝い金として10万、熨斗つけて息子に、渡すよう昨日きまった。
グチグチ言うのはいい、金ごときで出し惜しみし、言い争うバカらしさ、そんなバカげた旅行に私はパスしてよかった。バンと惜しげもなく大金を目の前に叩きつけて騙せるほどの人間がここにはいないのだ。情けない。
あ〜
やだやだ😡
その嫌がる義兄を説得して、行くときは息子夫婦が義兄を車に乗せて行く事になった。それが今だに住んでるアパートに来てほしくないらしく自分から、こちらの最寄り駅に出向くと言うので、うちの息子が駅から乗せる事になった。
親は親で新潟から軽乗用車で父親が奥さんを伴って湯沢まで来るんだそうだけど、身体が弱って幾ばくもないと騒いでる割には、人より早く旅館の下見をしたり、あっちこっちでかけているらしい。
この乗用車は実は、義兄に母親が2年前から、生活苦で大変だから、大学にかかった費用の四分の一でいいから現金を送ってほしいと頼んだ結果2年後の今年1月にやっと分割で200万、送金が始まったのだそうだ。50万を2回、あと10万づつを10回の送金来月まで続いているのだという。ところが父親は50万の送金が届くなり速攻にそれを頭金にして新車の軽を買ってしまった。
それから今度は奥さんに内緒で、難聴機を23万現金で買ってしまったのだという。初孫には何も一切、くれないのに事、自分達の事になると現金が送られて来ると即使う、それじゃ義兄が、面白くないのは当然の事と思う。色んな家庭があり、私の離婚前の家庭も酷かったけど、こんな話を聞くと私の所は普通だったのだとしみじみ思う。
スーパーから、ヘアカラーを買ってきて髪を染めている。あと15分立ったら洗い流すのだけど、今日はいつものカラーより、ワンランク明るいカラーにした。
髪を染め終えたら、2時まで体を横たえよう。どうせ昼間は眠れないのだから。
昨夜は、ほろ酔い息子を中心に、ナツちゃんの実家の話をしてくれた。
ナツちゃんの両親は2人だけで旅行に行くようなことは全く無く、ほとんど息子とナツちゃんで、旅行に連れて行ったのだと言う。ナツちゃんの、それも旅費、ガソリン代はすべて息子と、ナツちゃんが負担してきたそうだ。ある時に、あまりにも、他人行儀で無関心な兄に「少しは親の心配したら❗会いたくないなら、せめてお金くらい少しは出してもバチがあたらないよ」と怒ったら、兄は他人事のように、「何で俺が出さなきゃならないんだ」と口調を強めて言ったそうだ。息子は義理兄と言っても1歳だけ義理兄が年が上だけでさほど年齢的には違わないが、この義家族の中で唯一無二、義兄を尊敬していて1歳しか違わない息子は彼を「お兄ちゃん」と呼んでいる。
しかし大学卒業して20年も実家に寄り付かず、仕送りもせず、ようやく今回の義理兄の連れ出しに成功したそうだけど、親とは一緒の部屋は嫌だとか一人部屋じゃなきゃ行かないとか、挙げ句に自分は行きたくないのに強制で行かされるのだから拷問だとか珍しくうちの息子だけにはぐちをこぼしたらしい。
ミクルを打っている間に洗濯機が終了を告げるメロデーがなる。
洗濯物を一旦、カゴに入れてリビングに、弱火でコトコト煮含めていた昆布豆が、丁度良い具合に消えて昆布を一口、味見すると、自分でも生意気と思われるかもだけど「旨い❗」お、豆も昆布も柔らかく仕上がって最高❗
炊飯器はあと15分で炊けると表示が出ているので又、一旦、部屋に戻り、炊けるまでミクルに呟こうと思う。
私の中のグツグツマグマは炊飯器のグツグツ炊ける音とそこから、漂う香りでいつの間にか治まってしまった。
しかしマグマにさせた1枚の見せられた写真はナツちゃんの両親の写真だった。
17日に行く湯沢の温泉なのだけど、あのお二方、待ちきれなくて、どんな旅館なのか昨日、2人だけで、その旅館を下見に行って来たとかで、その旅館の真ん前で、二人で満面の笑顔で写ってる写真だった。
何でわざわざ、下見にいかなければならないんだろう、普段は、ご両親取り分け母親は全く笑う顔を見せない人だと聞いていたけれど度の強い眼鏡の奥のいつもは人を刺すような冷たい目が、ナメクジのように曲線いや、蛇の如く眼鏡から覗いている。つくづく母親の顔は、まさに娘にそっくりだとしみじみ見ながらヘドが出そうなのをこらえて「あらまぁ、珍しいお母さんが笑ってらっしゃるねぇ
」と皮肉ってやりました。
今日は、埼玉新都心にホテルを予約して4時から泊まるので、今朝は早く起きて、昨夜から水に浸していた、もち米と、昆布を戻し、、炊き込み醤油おこわと、昆布と豆の煮物を作っている。
火にかけて出来上がるのを待つ間に、洗濯機を回している。
6時半にはすべての工程が終わるから、それまで自分部屋に戻り、今ミクルに投稿しています。
昨夜はまる1日、赤羽で寒い中、自分の時間を楽しませて貰ったから、孫に、ナツちゃんに、手土産いっぱい買って来たけれど、ナツちゃんに見せられた1枚の写真で、又また、私の中で汚い自分が顔を出してムラムラと心の中をマグマがフツフツと音を立てて彷彿している、ヤバい、抑え切れない、抑える方法はとにかくキッチンに逃げるが勝ち。
料理を作ることで出来上がった時に怒りがいつの間にか消えている。
憎き相手は喜び美味しいと笑顔になると、嬉しくなり敵が愛おしくなる。
料理は不思議です。本来は、料理が好きだったのにそれが出来ない環境にいて常に働かされ、料理はいつも手抜きだった。出来ない環境だった。
今は無職だから暇さえあれば好きなものを好きなだけトライできる状況に置かれてるから、これを気に料理と読書に時間をついやしている。守銭奴のナツちゃんは、日増しに太り私に働いてほしいとは一切言わなくなった。妊活で忙しいからだろうけど、私は働く日が来るまでここで学べる行程をクリアしたいと思う。
朝1番に、髪をカットしに、赤羽に来ています。
す、凄い寒い❗街は何となく師走の雰囲気を感じるのは、何故かしら。
髪を短くカットしてもらったら、尚更、寒さをひしひし感じてます。
特に刈り上げみたくカットした年寄のうなじには容赦なく、冷たい風が入り込み全身武者震い。
しかし、赤羽は東京なのに都会を感じない、新潟に似た雰囲気、庶民派のは感じがたまらなく懐かしくて寒いけど、ナツちゃんが、カットしたら首から寒さを感じるからと自分のマフラーを持たせてくれた、こんなじみなマフラー、絶対するものかと思ったら、ほんとに首筋が出ているだけで諸に寒さが全身を襲ってくる。マフラーをリュックから出して首に巻くと、あったかい❗
思わず「ありがとう」と心から感謝しました。
情けないかな、嫁を息子を、けちょんけちょんにこなしながら、息子夫婦に結局は感謝する。
この繰り返しです。
本当に寒い、新潟だったら、雪を運んで来るのではないかと思うような冷たい風です。
しかし、赤羽、歩いて見て回るだけで
心ブギウギしてしまいます。
孫は元気すぎて、少しもじっとしていない。一人で遊んでくれれば私も助かるのだけど、ババァ相手に、これでもか、これでもかと、遊びに私を使う。
料理も掃除もできたもんじゃない。
今日は雨が降ってるし、こんな中、いくら近いといえ歩かせて教室に行くのは実は、私がめいいってしまう。
嘘も方便だ。❗ナツちゃんに「又、熱が出始めた。外は雨だし、連れて行って又、ぶり返したら、来週の旅行に差し支えるかもだよ。ナツちゃんの、お母さんの大事な誕生日旅行何だから今から万全の用心しなきゃ」とメールしたら「分かった❗そうする。今日は休むように連
絡する。」と速攻に返事が来た。
フン😤バカ娘あればバカ母親あり。
孫は熱何んぞないよ。こんなに元気でも保育園休ませるんだから、英語教室も休むのは当然でしょう。
道理に反してるぜ、バカ母子。
誰が英語教室何ぞやるものぞ😝
暇人の云うことなんぞ一々、聞いていられるか、アホンダラ🤬
孫は、アッポん口を開けてヨダレを垂らして大の字に寝ているし、こんなワガママをさせて、人形のように大事に育て、何をしても怒りもしない、大変な時は私の手を最大限に使い、美味しいところだけかっさらって、自分はコンサートだの旅行だのマッサージだのジムだのプールだのと遊び回ってる、子供と2人だけのリビングより広い部屋に陣取り、私と息子は六畳の部屋、完全個室だから、ナツちゃんと孫はナツちゃんの思うままの母親の価値観で育っている。
どんな良い子でも、こんなやり方していたら孫はおそらく、ナツちゃんに、そっくりに育つだろうなぁ。
しかし私が口出す範囲じゃないし、孫が成人するまでは、おそらく私は此の世にいないから別に心配はしないし、孫はなんの苦労も無く母親の思うままに生きている。結果は謂わずとしれず、ナツちゃんちの、兄にそっくりに育つのではないかと思う「相棒」に出演されてた顔も姿も六角さんにクリソツなナツちゃんの兄は全く謎の人物、妹のナツちゃんより、理解に苦しむ人、何を言われてもニヤニヤし通し自分の意見も言わなきゃ、言葉も発しない、声を聞いたことがない。親の事も実家のことも全く無関心で謎の一人暮らしをつづけている。誰も住まいに行ったことがないって言うんだから、孫もそうなるのではないだろうか。
孫がまだ寝ているので、起きるまでに、少し、おやつを今のうちに作ってみた。
キャベツを千切りにして袋に入れその中にチーズハンペンと生卵を入れ袋の口を締めて、手で練りほぐし生地を作り楕円形にしてごま油を敷いたフライパンで焼く、両面に薄っすら焦げ目がつき中に日が通ったら出来上がり、マヨネーズと、ウスターソースと鰹節をまぶして出来上がり、ちょっとしたお好み焼きで、これはこの前の日曜日、近所のマンションに住んでる、孫の仲良しのアイちゃんって女の子がママと一緒に我が家に、遊びに来たので作って出したら大好評でした。
それから、もう一品、これは初めて今、トライしました。昨日、孫とNHKを見ていて子供向けの簡単おやつをやっていて、それを見ていた孫が、今度作ってって言ったので今やりました。
りんごを半月の薄切りにして、ホットケーキミックス粉と牛乳を混ぜた中にリンゴを入れ油で揚げるだけ、これ、結構美味しです。
これは👶より、ナツちゃんが喜ぶだろうから今夜も、これで手懐けよう。
ハッハッハ
みんな出ていった❗
とはいえ、孫を残して。熱も無く平熱なのに用心のためにやすませてあげたいのだそうな。保育園は休ませるが5時からの英語教室は通わせてくれだって。
来週の金曜日は実家の母の誕生日旅行で英語教室を、休ませなきゃだから、2週続けて休ませるわけには行かないから、
教室はどうしても行かせなきゃいけないんだと。😤
そのために大事とって保育園を休ませるのか😤
昨夜は、展示会で夜半11時に帰宅した息子の開けるドア音に目を覚ました孫をなだめて寝せる風も無くリビングに連れ出して遊ばせてはしゃいでいるし、息子は息子で、怒るどころか疲れて帰ってきたら寝ているはずの👶が起きて「パパ、パパだっこ」なんて迎えられたもんだから狂喜して深夜時刻など全く忘れ昨夜も0時過ぎまで騒ぎまくって、孫は今だ爆睡している始末。
嫁の親も親だけど私も私だよね。
しかし私は、これ以上、口を挟むと、私の性格上、大変な惨状にしてしまうから。あくまでも傍観。
ここで吐き出しながら体裁を保ち私は私流で楽しむことにしている。
それでいいのだ。バカボンに徹するのだ。
いつもいつも忙しいが、昨日は特に忙しかった。孫を1日休ませるとなると、尋常でない忙しさになる。
夜中に熱が出たと、朝になると、ナツちゃんは、念の為に小児科に連れて行ってほしい薬を余分に貰って来てと、自分の親でも無いのに遠慮なく頼む、とにかく、ナツちゃんは、薬があれば安心なのだ。しかし皮膚科は薬を余分にくれるが小児科は5日分しか貰えないのだ。他の小児科はどうかは知らないが今のかかりつけは、とにかく5日しか薬を処方してくれない。しかし、この(´(ェ)`)先生は、夜中に熱が出て朝には引く、心臓も肺もお腹も異常が無いのだから5日分で大丈夫、5日過ぎても同じならまだ、来診します。と言われているのに、ナツちゃんは薬が5日分なのが不安になるらしい。
ナツちゃんの父親が薬が無いと安心出来ない性格で、あれほど複数、大量の薬のお陰で長生きできているのだと、ナツちゃんは信じている。両親は薬漬け家族だそうな。
確かに私は、一人暮らしの時は病院にかかる費用も無く、大抵の病は自力で放置しながらいつの間にか治るを15年間やってきた。私が病院にかかるようになったのは、ここに来てからである。
私が倒れられると困るから、ナツちゃんはやたら病院を進めるが、元は、あなた達が私をこき使うからこうなるんじゃない。ナツちゃんの親みたく、食っちゃ寝、食っちゃ寝して薬に頼る生き方は絶対しねぇぞ❗腹立たしいったら有りゃしない。
息子は昨夜、愛媛から帰宅、今朝は休む暇なく始発で池袋の展示会に飛ぶように出社。
ナツちゃんは7時過ぎに、ようやく起きてきたかと思うと「お母さん、👶が又、熱だしちゃつた」昨夜はあんなに元気だったのに、息子が10時に帰宅してから、深夜過ぎまで、親子ではしゃいでいたから、孫も睡眠不足から疲労で知恵熱がでたのかも、結局、休ませる事に、10時半に予約を取ったので小児科に連れて行く羽目に。
忙しいスタートがはじまった。
しかし、ナツちゃんには、まいってしまう。なんて幸せな嫁だろう。
今、料理に勤しんでいる。
オリジナルの私だけの直感と、その日、出会った食材で、スマホの料理アプリを参考に今どんどんレパートリーが広がり、この前は駅前のスーパーで珍しく食用菊が店頭にあったので、ナツちゃんが黄色が好きだから黄色の菊を買い、それにナツちゃんの好きな柿を一つ買って、早速菊と柿の酢のものを作った。
お鍋いっぱいの水に酢を大さじ3杯入れて沸騰させて、その他中に菊を入れて15秒茹で水にさらし、固く絞って、皮を向いて細かく切った柿を入れて高知産の柚子ぽんで合えるだけ、私のはいつも簡単レシピだけど、調味料だけは今は高知産に凝っている。お遍路旅で高知に行ってからすっかり食が高知に依存して困ったものです。今では調味料などは何でも良かったのに、しかしこれが、ナツちゃんの好みにピッタリだったようで早速アンコール、最近トライしている訳です。
あと息子が夜半に帰って来るから豚の生姜焼、これも生姜は高知産を買ってきました。タラの野菜餡かけや、ポテトサラダ、手当たり次第、思いつくまま楽しんでいます。孫のおやつには、サーティーワンの、おさるのジョージのアイスクリーム、これには、おさるのジョージのシールがついているから買ったんですけど、今の私は、お家レシピ創作が張り合いになっています。
昨日、ナツちゃんと、17日の実家のお母さんの誕生日旅行の行程を確認した。行き先は、湯沢、理由は新潟からすぐ近くだからとのこと。向こうのお父さんが、新幹線は窮屈だから俺が運転できる範囲がいいと言うことで湯沢に決まったらしい。体中、薬の副作用でだるまのように浮腫んで特に足などは像の足のように浮腫んでいる。そんな足で車を運転させる方もおかしいが、この父親「俺はもう長くない、これが最後の運転になるから行くなら近くがいい」ってことで湯沢に決まったらしいが、部屋割りだって、自分達、夫婦は一部屋、長男は長男だけの一人部屋、そして私達4人は4人部屋、締めてかかる全費用は、母親の誕生日だからと全てうちの息子が払う。
いつもそうらしいけれど聞いていて、腹わた煮えくり返る。自分の親のガソリン代や部屋代くらい、自分の息子に出して貰いなよとつい口に出して言いたくなったけど、それを言っちゃあおしまいだから、言わない代わりに私は行かないとハッキリ断った。せいせいした。世の中色んな夫婦がいるが、こんな夫婦はいるっちゃいるんだろうが、どうも生理的にだめ、特に父親体は全く動かず口が機関銃の如く噴射する。1番、苦手なタイプ、
こんな人に付き添い、添い遂げてる、このお母さんも、娘のナツちゃんの生き様を見ると、こういうふうになって当然と、納得してしまった。孫もいずれはそうなるのかなぁと思うと、色々考えてしまう。
今日は孫を9時ジャストに送り届けた。ナツちゃんいわく、寝る前に孫がユーチューブを見るクセがついて、結局、寝るのが0時近くなるのだという。
そのクセをつけたのは、ナツちゃん本人じゃない。孫に合わせて直ぐ寝ればいいものを、孫と枕を並べて親自身がユーチューブなんか見るから、孫も見るクセがついたのだと思う。
困ったものだ、時々、考えてしまう、ナツちゃんの母親だったら、早く寝せなさいと娘に注意するだろうか、娘に勉強の他は料理、掃除一切させない人だということだから、孫の世話は娘の手をわずらわせず全部ご自分でやるタイプなんだろうなぁ。
だから最近、私も、ナツちゃんに良く言うのだ「私に遠慮は決してしないでいいから1日くらい、お母さんに切符代払って来て貰いなさいよ」って言ったら
ナツちゃんいわく「それはだめ、父を一人にして出かける事の出来ない人だから」だって、だから、あの父親を大事にし過ぎで糖尿病、腎臓病、高血圧、痛風、膝痛、白内障としてしまったのではないかと思う。ナツちゃんの、お母さんもナツちゃんも糖尿病何だから、生活習慣病の全てを背負って元気でいられるのは、各自で好きなこと好きなものを食べて、寝たい時に寝て、外出は近くても車の生活をしているから、長生きできるのだと思う。要するにストレス全くなしだから、そんなだから、枕が違うと寝れないとか、何だかんだと自己流的になり孤立してしまうのだ。
洗濯機をまわそうと思ったが洗剤が切れていたし柔軟剤もいくらも無いので、補充くらいはしてもらってもバチはあたらないだろうから今朝は洗濯機はまだ回さないで放置することにした。
8時には出勤しなきゃならないというのにギリギリまで起きてこず、やっと起きて来たかと思えば、孫はいつも寝ている。それを起こして保育園に連れて行くのは私である。最近では遅刻は当たり前になっている。時間に厳しい息子は2分の遅刻でも私や嫁に怒るのに最近では何も言わなくなった。自分も仕事やユーチューバー、それに加え精子精子と嫁にのたうち回られるから、もうどうでも良くなったのだろうと思う。
挙げ句に、毎週週末はマッサージに出かける嫁を見て、さすがの息子も限界に来ているようで、最近では些細な事で息子がキレるようになった。
子供ができないのはナツちゃんに原因があるだけに、いよいよ息子も、頭に来ているのだと思う。ナツちゃんいわく「子供ができるまでは◯ちゃんに、イクラ怒られても嫌われても我慢して頑張る」だから肩が凝るのだという。
なんと頭は優秀でも中身は幼児と同じではないか。孫の方がよっぽど大人に見えるのは、情けないかな。
今朝は息子もいないし、朝食つくたっところで、朝マックを食べて職場に行くのだから私は7時過ぎにリビングに上がる事にします。
今朝は暗くて寒い朝だ。
昨日までは、夏日のように蒸し暑く1日タンクトップで過ごし、夜でさえタンクトップでゴミを出して来た。
なのに今朝は、打って変わって風が冷たく目覚め1番に暖房をつけた。
昨日、愛媛から帰るはずの息子が、仕事が順調に行かず帰宅にならず1日延びた為、お陰で今朝はゆっくりしていられる訳だけど、息子の大変さは、いかばかりだろうと思う。
それなのに、不妊治療だと称して、いついつまでに精子採集してとか、ナツちゃんに強制されるのだから、息子だってイライラがつのるのは無理はないと思う。
元は子供なんかいらないと言ったのはナツちゃんだそうで仕事が面白く、お金を貯める事が唯一の生き甲斐だと豪語していたらしい。夫婦二人で共働きをし、それぞれが通帳を持ち部屋も別にして旅行やライブを楽しみ、海外旅行もナツちゃんは一人で何処へでも行く娘だった。
それが15年目に、どうせ妊娠できないと自然に任せていたら妊娠して今の孫が生まれた。喜んだのは息子で躊躇していたのはナツちゃんなのだ。
それが今はナツちゃんは孫に系統し、孫の可愛さから、欲目が出て今度は女の子が欲しいと息巻いている。それが中々、できなく、息子に排卵が近くなると鬼の如く迫るというのだから息子だって、うんざりするだろうと思う。息子から聞いて、今ねまではナツちゃん沿いだったけど、ハードな仕事に明け暮れている息子を見てると可哀想になる。
体の事について、今は仕事なしのじゆう人してるから考える時間がお陰様でいっぱいある。だからありすぎて、あれもこれもと今まで感じなかった些細な事がやたら頭をよぎる。
例えば、ナツちゃんの、お父さん、77歳だそうだけど、持病があり、その持病が半端ない。ナツちゃんから聞いたはなしだと、先ず糖尿病から始まり、高血圧、腎臓病、痛風、膝に水が溜まる病、難聴、最近では視力が大幅に視野が狭く周りが見えないとぼやいているから、おそらく、白内障じゃないかとナツちゃんは言っている。あんまり淡々と言い放ってるから聞いてる私が不安になり「それって白内障かもだよ」と遠慮深く言うと、他人事のように「それは父が判断することだから」と他人事のように言う。
そして次に口にした言葉「父は全部、自覚してるから、緩やかな自殺してんのよ」だって。最近では連れ添いのお母さんが娘のナツちゃんに「腎臓の数値が人口透析しなきゃならないレベルだって」と報告があったとか、それを聞いて、まるで、サスペンスドラマのリアル版を視聴させられてる錯覚に陥ってしまった。悍ましいというか、なんというか、この家族、私はやってられないとはっきり自覚しました。さてこれからどうするか、どうなるか、何でこんな年になって、こう難問が押し寄せてくるのか。
これも私の運命なら避けては通れない現実だから前に進むしかない。
まずは一休み一休み。
昨日、日中、ほんの一瞬だけど、停電をした。
検索好きのナツちゃんが、出かげ際に「今日は雨だから、お母さん、洗濯物、外に干さないで浴室に乾燥電源入れて干しといて」って言うか言う通りに干したけどその前に私は朝風呂済ませてから、洗濯物を浴室に言われた通り干したんだけど、あの後、即、買い出しに行き凄く疲れた。体が沈むが如く重く、ヤバい、買い物どころじゃない帰って寝たい❗思うはそれだけ、でも必要なものは買い占めいざ帰宅を急ぎながら、私はもう体力的にヤッパリ、無理が効かない年齢になったんだと、しみじみ思い知らされた。それから昨日を堺に朝風呂は止めました。
ヤッパリ、お風呂と言うものは、めいいっぱい働いて夜、お風呂に入り血の巡りが和らいだとこで寝床に入り体を労るというのが正しいお風呂の使い方だと実感というか、もう若いときには朝シャンだとか朝風呂してリッフレッシュ、いざや出陣なんて、息巻いていたけど、老体には逆効果と昨日、命からがら体感した。
どんなに今がしんどかろうが、まだ今は死にたくない。
生きて楽しみたいから、無茶振りは控える事にしました。
お天気回復して陽がさしてきました。
バスタブに浸かり、暫く瞑想に耽っていた。
今の場合「瞑想」より「迷走」って言ったほうが今の雰囲気にピッタリかしら。
私、スマホ操作中に、指の触れ具合やスピード、その時の感情移入で思わぬ、珍文。珍漢、同じ漢字で全く違う意味の文字が出ることがしょっちゅう。
そのたんびに、どうせ1人呟きだから、そのまんまにして、呟くだけ呟いて、そのまま、サラリと自分部屋を出る。
修正もせず、投稿分もリア人生も、ありのままで、それで良いと思っている。
今回も「瞑想」と打ったツモリが「迷走」と出て思わず吹き出しちゃった。
なんか知らんけど、何処かの目に見えない何ものかが私を、いじりに来たのかな❓はたまた、これはブラックユーモアを与えて、更に人生エンジョイしなさいとの天の励ましかななんて勝手に私のイメージが迷走してる。
そう考えると面白いね。まだまだ世の中、捨てたものじゃない。
濁悪のこの世を生き抜くためには、汚れてなんぼ汚されたら、バスタブに入って「瞑想」してサッパリ汚れを流すのだ。
あ〜ぁ、気持ち良い朝風呂だった。
首と肩と腰、サロンシップ貼ってさ、
窓辺の秋風に吹かれるこの最高の気分。
厭な人間には逃げるが勝ちですよ。
係わったら最後、同じ汚れがつく。
汚れが落ちる前に、新しい新鮮な風に吹かれに行こう。
孫の保育園、2分遅刻してしまった。
昨夜は12時過ぎまでリビングで親子3人孫と騒いでいたから今朝は孫は寝坊するだろうと覚悟はしていたけれど、両親が孫を興奮させて騒ぎまくっていたんだから遅刻しても仕方ないと思う。
遅刻とか時間に人一倍厳しい息子は、孫を遅刻させるなんて親の恥だと、厳しいはずなのに、出張の前の晩になると、しばらく会えないからとか途端に甘くなり0時を過ぎても孫と遊びまくってる。
以前も親が夜遅くまで孫を起こしてて寝坊させて、いくら起こしても起きないので、遅刻させてはならないと寝ている孫に着替えさせてそのまま抱いて登園した。
結果、先生に「そういう場合、遅れてもいいから食べるものは食べさせてください」と言われたから、今回は遅刻させても朝食はきっちり食べさせて登園させた。2分たかだか2分だけど遅刻させてしまった私は自分が許せないでいる。
それよりも何よりも、あのバカ親2人に、いっそう腹が立つ。
怒るに値しないバカ夫婦だから、子に寝坊させるのは親の責任、私の責任は、しっかり食べさせる事。孫の遅刻にはもう拘らない事にした。本来ならば私は部外者、夫婦二人で協力し合って登園させるべきなのだから。
もう私など当てにしてもらっては困るのだわよ。😤
いつもの事だけど、夜中になると、いつの間にか1Fの私の部屋に、羌ちゃんが寝に来るようになってから、羌ちゃんの目覚ましより早い朝起きに私も目覚めさせられる習慣が身についてしまった。
元々、目覚まし無しでも、5時には起きる私なんだけど、羌ちゃんの早起きは4時前だから、たまったものじゃない。
しかし私はもう、この家にいる限り、働く気は毛頭、無くなったので、昼間は昼寝は出来なくとも、いつでも体は休められるので、羌ちゃんに起こされる4時は別に苦にはならないのだけどね。
それは別にして今日は、愛媛に明後日まで息子が出張だから今日は、これから息子のために軽い朝食を作らなければ、ナツちゃんは、息子が出張で家を何日空けようが、自分も働いていることを理由に全く夫の支度をしたことがない女房さんだそうだから、とは息子が、そうさせたのだと言う。しかし、私は、そうは行かない、息子でなくても、他人の嫁のナツちゃんでも、朝は食べてもらわないと、同じ屋根の下で行動が別々なんて、そこからが、この夫婦の間違いの原点のような気がします。
私がここにいる限り、今は仕事を私はする気がない以上、ここでの日常は私が勝手にすることにしました。
実はナツちゃんが不妊治療を受けに行き、帰りに血の滴るステーキを食べたり、いつもより更に豪華な有名店で高級スイーツを食べたり、いっぱい買い物をしてまる1日遊んで帰ってきた時、風邪気味の孫を預けられ風邪どころか孫は保育園を休めた事が嬉しくて、小児科でも家でも、はしゃぎ回って好き放題、遊びまっくて、ようやく寝てくれた時、メールで治療が終わったホットしたとか言いながらステーキだ高級スイーツだとか贅沢三昧いつもしているけれど今回はついに頭に来て私も昼間っから、やっと寝てくれた孫をリビングに残し自分部屋でビールを飲んでモヤモヤしてる所にノックもせずいきなりナッちゃんが入って来たから、ついに頭に来て暴言を浴びせた訳なんですけど実はあの後に、ナッちゃんから事の真相を聞いて怒りが引いたのでありました。そしてナッちゃんと私だけの変な同盟契約を結んだのです。
アッ❗ナッちゃんが寝る前に予約した洗濯物が洗い終わったみたい。
昨日はいっぱい放浪させてもらったから、洗濯干してきます。
続きはあとで、
もう、7時半か。
今朝は曇り、息子が明日と明後日、愛媛に出張になった。
ラッキー🤗まる2日、1人でゆっくりできる。昨日は結局、ブツクサ言いながら、新宿の追分だんごと、孫の玩具に孫の大好きなクッキーを買ってしまった。
二人の喜ぶ顔を見ると、さっきまでの増悪の感情が消えてしまう。
自分でも自分が分からなくなる。ナツちゃんと言う子が、変な子なのだ。変なのか素直なのか、あの子は宇宙人なのか、はたまた要するにド天然なんだろうと思う。私も田舎では天然と言われていた部類だから逆にそれで難事を笑いで乗り越えて来た。でも、ナツちゃんの天然は、頭が良すぎて冷たいようで実はそうではなく笑顔が全くないようでいて、やらかす事が、プッと吹き出させる行動を本人は気づかずボケをかます子なのですから、ほんとに憎めなくなって、いつの間にか増悪の感情をチャラにさせてしまう変な子なのであります。
だからケンカしながらと言っても、キレるのは姑の私で、ナツちゃんは、決まってその時、「どうしよう。又お母さんが壊れた」とオロオロする。
3度目の今回もそうなんだけど今回は少し事情が違いました。
結局、新宿は◯遊のある地下ビルまでたどり着いたけど、そこにSさんの手書きの張り紙が2枚貼ってあった。
1枚は入場料千円、入館時間は12時で閉館は18時との説明書きを上下、ガムテープで貼り付けてあった。
もう一枚全く同じ内容だけど、これは降りていく階段の真横に黒縁の額に入れら掲げられていたが、何故か遺影の額縁みたいで妙な気持ちになってしまった。
しかし、ここまで来たんだからと勇気を振り絞って狭くくらい階段に一歩足を踏み入れ降りていく途中に、暗いトンネルの中に吸い込まれそうな錯覚になり入口まで来ながら引き換えしてしまった。
ごめんなさい。Sさん、お祝い差し上げなきゃならないのに、何もできなくて、いやしてはならない何かが誰かが目に見えないものがそう叫んでいるようで、行けませんでした。
ごめんなさい。
ナツちゃん、1度起きて洗濯機のスイッチを入れながら、リビングに上がって行った。休みくらい、たまにはナツちゃんが、洗濯すればいいとわざと、部屋でなりすましていたが洗濯機の終了ブザーがなっても降りてこない、そのうち、羌ちゃんがリビングに上がっていったので私もついて上がったら、リビングは、ガラーンと静寂。
洗濯機のスイッチ押しながら又、自分部屋に二度寝しにいったのだ。
仕方無しに、洗濯ものをベランダに干してる最中に息子が起きて来て、そして、ナツちゃんが降りて来た。
降りて来ていきなり「おかあさん、明日、マッサージ行くね。」だって、マッサージに1日かかるんかいね。
どうでもいいけど、それで腹が決まった。私もこれから出かける事にした。
行く先は別に何処に行きたいとかはないけど、思いあたって行くとこと言えば新宿のSさんの写真展しかない。
明日で写真展おわるらしいし、Sさんも、自分の最後の写真展と行ってるし、
全く気が乗らないんだけど、今はそこしかないや。
今支度中で。こんな気持で、あの過激な生き方をして来られた86歳のSさんに、本心は会いたくない。途中で気持ちが変わったら他に行こう。
今日は根無し草放浪日になるかも。
まだみんな起きて来ない。
昨夜は23時頃まで孫を中心に騒いでいたから今朝も多分、遅いのだろう。
私も土日祝日は息子夫婦が起きてからリビングに上がる事にしている。
仕事もしないで家に暇してると思われているのか居ないのかは知らないけど、私の家は息子が、殆ど家を拠点にし、部下に指示を送り常に家にいるから、家で昼寝など滅多に出来ない、殆ど丸一日、孫の送迎のあとに買い物を済ませ、息子の昼食、その後、夕食の準備、3時までに作り終えてから4時からのテレビ「相棒」の再放送を見るのが何よりの至福。
見終わる頃は5時で孫を迎えに行かねばならない。この孫もが真っ直ぐ帰ろうとしないで公園に行きたがるから仕方無しに孫の要望に応えて公園に行くけれど年寄は私だけ、皆さん若いママさんばっかりで、いつの間にか有名になってしまった。本当に送迎も婆さん私だけだし、送迎後の公園も婆さん私だけ、ここに、いらっしゃる若いママさん達は全部ご自分で家事育児されているんだろうなぁと思うと、これから帰って夕食の準備をするのだろうと思うと、偉いなぁとしみじみ思う。あっ❗やっと、ナツちゃん、起きて来たか、じゃあ、揃っと私も起きるとするか。今日は孫の歯の定期検診があると言っていたし、私も今日は、何処かに羽を伸ばそうかな。明日は、ナツちゃん、マッサージしに行くから孫のお守りを頼まれているから。
今朝も快晴だ。
フッと足元を見ると羌ちゃんがうずくまっている。この頃ではリビングのゲージで寝ないで、深夜になると、羌ちゃんが私の部屋に来るようになった。
深夜ばかりでなく日中もドアをガリガリと変な音がするので不審に思って開けると羌ちゃんが私を見上げている、その視線がいじらしく、それ以来、ドアを節目に開け放っている。
昨夜はいつ入ってきたのかわからないくらい私は深寝していたから足元が重いなって起き上がったら、羌ちゃんが丸まっていた。7月31日に初めて我が家に来た時は、鋭い目線と、シャー攻撃と猫パンチで丸2ヶ月、私達家族に全く懐かなかったのに、今では、こうして部屋を訪ねて一緒に寝てくれる、可愛いいものですね。まだまだ抱っこだけはさせてくれない羌ちゃんですが羌ちゃんの生まれた環境や事情を考えると無理ないこと、これから長い時間をかけて羌ちゃんの支えになって行こうと思います。
いや実は支えて貰ってるのは私かもしれません。この家族の誰よりも羌ちゃんは、私の癒やしになってくれています。
羌ちゃん、ありがとうね。
何缶目のビールを飲んだのかなぁ、酔が回っていい気分の時に玄関の開く音がし、ナツちゃんが、いっぱいお買い物袋を両手に持っていきなり私の部屋にノック無しで入ってきた。
完全に切れた私は、ビールを飲んでいる姿を見られても平然として言ってやりました。「ナツちゃん、いい加減にせいや。いくら能無しババァでも、人をこき使うのにも程があるぞ❗前にも言ったよね❗私にしてること、言ってる事を自分の母親にもできるかって、そしたらナツちゃん、出来ないって言ったよね。自分の母親にできないで私には、あけすけに家畜の如くできるのは便利な人間だからだよね。あんたらがやってることは犯罪だぞ、わかってんのか、このバカ嫁、むすこはもっとバカだけどさ。」と怒鳴っちゃいました。
いつかは言ってやろうと思っていたから、まぁ、それなりに私にもその後の事はそれなりに考えて言った訳ですが。
マジ、芯から疲れまくった。
寝せようと思ってこちらが努力すればするほど👶には、それが分かるかのように、寝せられてたまるかと、逆に目をギンギン輝かせて飛び回る、それが3時間くらい続いたあとナツちゃんから写メールが、治療が今終わったとかで、それがとても疲れて近くの焼肉店でとびっきりのステーキ定食を頼んで今、食べているとのメール。
「このやろう❗」人に何でもない👶を病院に行かせ散々、暴れまわって、こっちは昼食も取らず、振り回されてるちゅうのに、何なんだよ、このバカ嫁はと、マジ腹が立ちました。
そのうちに私も発散するかのように孫と羌ちゃんと、リビング散らかし放題で、メッチャクチャ走り回り散らかし投げ出し結局、私が1番、暴れまわりました。
ハッハッハ、結果、孫も羌ちゃんも疲れ果て👶と😺羌ちゃんは、イビキをかいて寝ちゃいました。
寝てる👶と😺ちゃんをリビングに置き私は冷蔵庫からビールを出し自分の部屋で、浴びるように、フテ腐れ酒したのであります。
「チョッちゃんは、もうじき100歳」
を読み終えた所で、ナツちゃんが部屋のドアをノックして孫を抱っこして入ってきた。「お母さん、これから👶を塾に連れて行って来るからね、帰りに買い物してくるから何かいるものがある❓」と聞いてくれたから「車で行くの❓」って訪ねたら行きは歩きだけど帰りは息子に車で迎えに来てもらうのだと言う。
最初から車で夫婦で行けばいいのに、ナツちゃんの本心は孫を塾に預けてからの夫婦2人きりになるのが嫌なのだと思う。ナツちゃんと孫が出かけたあと、息子は近所にある24時間やっているジムに出かけて行った。ジムをしている間に孫の塾が終わり次第、ナツちゃんが連絡をして迎えに行きその帰りに買い物をしてくるらしい。実はね、昨日はナツちゃんが不妊治療に出かけていったのだけど孫が急に熱を出したとかで保育園を休ませて小児科に連れて行くよう頼まれて、結局、又、1人になれなかった。熱があって下痢気味だって言いながら家から出る時に熱を計ったら37℃になっていたし、これじゃ、平熱じゃんと思いながら小児科に連れていき受付で計ったら更に熱は36℃に下がっていた。
一応、薬を貰ったが帰宅してからが大変、孫は元気で元気で家中、はしゃぎまくり、羌ちゃんを追い回しては羌ちゃんに逆ギレされ👶が逆に羌ちゃんに追っかけ回されたり、シッチャカメッチャだたった。😤
3連休の初日、今日は何もしないで1日、読書に耽っています。
黒柳徹子さんと、その、お母さんの黒柳朝さんの本、合わせて5冊、一冊読み終える度に次を合わせて読みたくなる。
特に黒柳朝さんの本を読み進むうちに、何なんでしょう、あったかいものが内から沸々湧き出て、しまいには感動で涙が溢れてしまう。何で、こんなに素敵な本を今頃、知って読んでいるのだろう。
元はナツちゃんが読書家で色んな本を365日、図書館から借りて来るので、たまたま家に居るようになって、何気に一冊、拝借して読んだのが、「チャックより愛を込めて」でした。
誰が作者なのかより変人な私はタイトルの、チャックと言う言葉がナツちゃんの口のように思えて、これってまるで
「ナツちゃんの、お口にチャック」と言ってるようだ、アッハッハなんて笑いながら本を開いたら、いつの間にか黒柳徹子さんの世界に引きずり込まれてしまった訳です。
それまでは黒柳徹子さんに全く興味なく「徹子の部屋」など全く見なかったのに、その事をナツちゃんに言うとおお喜びして昨日は病院の帰りに黒柳徹子さんと、その母親の黒柳朝さんの本を5
冊も借りて来てくれたのですから。
特に朝さんの本、楽しく書かれているんだけど私には泣けるんですね。
文面から朝さんの優しさが伝わって来てそれが説明のしようのないあたたかい涙にかわるんです。今日は良く泣いたな、
少し目に休憩与えなきゃ。
今日は文化の日なんだ。
無職で家に居ると年中行事も気づかず日常に追われている。
テレビで蕨街の立てこもり犯が86才の高齢者と知り驚いてしまった。
それも昔に起きた怨念を今更に蒸し返し人の迷惑も顧みず、あんな行動に走るなんて、痴呆も少しは絡んでいるのだろうか、しかしそんな行動力があるのなら、何故、良い方に使って余生を過ごそうと思わないのたろうか。
今の高齢者は体力があるように思う。
元々、体力ある人が家で不平不満をつのらせて家にいれば、ああいう行動に走るのかななぁ、だとしたら、これからの高齢者社会、益々、老人の犯罪が増えるのじゃないだろうか、特に男性が多いけど、こんなに体力あるんなら働けばいいものを、その体力と怒りの原動力をボランティアとして世の中に活用できたなら、老人力の要になっただろうと、つい思ってしまう。余計なお節介すみません。
これを書いてる老人の私も今は、良い子だけど
これから先どうなるかなんかは全く分からない。ただ迷惑になるのだけは避けたいと思います。
何故、新宿の写真展に行かなかったのか、主催者のその女性Sさんに昔、そう新潟のボロアパートで1人生きていた頃、偶然、深夜に目が冷めて、何気につけたテレビにNHKの「逆転人生」なるものをやっていた。
当時83才のSさんの生き様を放送していた。親のすすめる立派な金持ちの男性と19才で見合い結婚したけれど平凡な専業主婦が嫌で、飛び出し北海道から全く知らない東京に出て飛び込んだのが新宿、その新宿で露店なるものからスタートして歌舞伎町のゴールデン街に行き着き、そこがSさんの拠点になり、そこから色んな生きる戦いをして来られた方で、田舎で、それを初めて観た時、とっさに「定年退職したら、この人に合わなきゃ、この人の側で働きたい」と真剣に思ったものだった。
それから7ヶ月後、私はSさんに会いにゴールデン街のお店を訪ねました。
2020年の10月、当時はコロナ蔓延期でゴールデン街は殆どがお店を閉鎖していた。しかしSさんは、そこの狭いお店の中で寝泊まりしていたためついに会う事ができたのですが、人生色々、そこでやっと会えたその人は、う〜ん、眠たくなってしまった。明日は、夏ちゃん朝7時に池袋に行くのだ、寝なきゃ。
おやすみなさい。
今日は1日、息子夫婦から家事休暇をもらったので、朝一に新宿に、行くつもりで駅に向かったけれど気が変わって、北与野に行く事にした。
新宿は、昔、「歌舞伎町のジャンヌ・ダルク」と言われた、女性の写真展をやって居ると聞いたので、それを観に行くつもりだったけど、何故か新宿行の電車が目の前に停まった瞬間、反対側の「川越駅」に飛び乗ってしまった。
新宿までは25分かかる事と、その写真展のある新宿三丁目の◯遊を探すまで又、結構時間を要する気がして、たったそれだけで辞めてしまった。
とにかく寝不足で寝たいことと、探し回る元気が無かった事が理由。
それより近くの北与野、埼玉新都心で映画を観ながら映画館の中で寝たほうが楽ちんと客観的な思いつきだけ、しかしいざ映画館に着いたら観たい映画まったくないんだもん、その内、お腹が空いたので映画館の近くにあった海鮮料理店で、鯛の胡麻和えとシラス御飯と天ぷら御膳なるものを食べた、美味しかった。
満腹になれば眠くて、近くの、けやき広場の木もれ技の下のベンチに座り、数時間、昼寝をしてすごした。
こもれ技の隙間から漏れる秋の陽光を浴びながら何とも心地よい秋の風に、そよられながらヒラヒラと舞い落ちる枯れ葉を見ながらいつの間にか寝てしまいました。身体がつかれているのだろうか、それとも加齢からくる体力喪失感なのかな、自然の中で自然に身を任せる事の安堵感。とても素敵な1日でした。
昨日は、初めての皮膚科に行ってきました。今は何でもスマホから予約でスマホ操作全く出来ない私は、事ある如く、ナツちゃんの、お世話になっている。
今や、ナツちゃんは、私のマネージャ。
血の繋がりの息子は、なにせ短期だから、教えてもらっても一回で覚えられない私に業を煮やし、散々、悪態つかれるから、絶対、息子には頭下げても教えてなんか貰いたくないし😤
なんやかんや言っても、生さぬ仲の他人の嫁さんの方を頼ってしまう。
私に仮に娘がいたらこうはいかないんだろうけど幸いにして娘がいないから、この子に偏ってしまう。
そのナツちゃんに、皮膚科を予約してもらい昨日は本当に何十年ぶりに皮膚科に来診、耳の後、足の脛裏、親指の手の甲などが痒く、2週間過ぎても痒みがひどくなるばかりで、それで意を決心して行く事にしました。
診察の結果、加齢による乾燥肌で痒くなるんだそうで、保湿クリームと、耳、脛、肘用の塗り薬、飲み薬、いっぱい貰って帰ってきました。
先生の話だと新潟は雪国だから、しっとりしていて乾燥など無縁だったでしょうが関東は年中乾燥地域だから増して加齢と共に肌から症状が現れると言われました。
がっくり😓
こっちに来て3年、今初めてなっちゃったんだから、私、自分でもよく今日まで保ったと変な褒め方を自分にしております。(笑)
昨夜は、お隣、蕨街で立てこもり事件で犯人が逮捕されるまで深夜の0時近くまで我が家の上空を数台のヘリが飛来し、その騒音で睡眠妨害されてしまった。
眠れないから、ナツちゃんが借りてくれた本「チョッちゃんが行くわよ」」を読んで、一気に本の世界に引き込まれ全部、読破したら明け方だった。
だから今朝は寝不足。
でも有り難い事に今日は息子とナツちゃんがね有休を取り、川崎病の孫の2ヶ月検診に行く日。
だから私は今日は好きに1日、過ごしていいと言ってもらったけど、好きなこと、それは言うまでもなく、1日、寝て過ごしたいけど、家族の誰かが1人でも居ると寝れないタチなのよね。
眠るのはいつでも寝れる、だって私は仕事してないのだから。
今日は快晴だ❗久しぶりに新宿に出かけてこようかな。
只今、贅沢な、思案中。🤗
平和な月曜日の朝。
息子を送り、ナツちゃんを送り、そして孫を送り、今朝は、洗濯だけベランダに干して、羌ちゃんに、家族には内緒の特別高級なフードを与えて、私は、そのまま自分のベッドに横になった。
広いリビングで横になるよりも、この私だけの狭い部屋が今では凄く心地良い空間。
自分の部屋に入ると、全身の力、それも無駄な力が抜けていき、さざ波にユラユラ揺れているなんとも幸せな気持ちになる。
ここが定着しちゃつたのかな。
週初めの月曜日は今や唯一無二の固定した私だけの曜日になった。
先週は息子の険悪な空気でナツちゃんまで「私もう、無理かも」なんて吐かれるし、しかし、なんとか又、夫婦の危機は回避し、今朝は、それぞれが朝食を口にして穏やかに、出社してくれた。
家族が食卓に揃う日は朝と祝日、土日の夜しかないのだ。
まして私が新宿で働いていた時は土日祝日は一緒に食卓を囲む事なかったから全く気づかなかったけど、息子夫婦は土日は祝日は完全外食だったのだ。
これじゃね、こんな食生活を18年近く続けてきたのだから心もバラバラになって当たり前のような気がしました。
食卓は家族揃って食べてこそ、美味しいのだし、頑張れる源のような気がします。
我が家は、食改善は今始まったばかりですが。
ナツちゃんが8時45分頃、リビングに1人で起きて来て、孫がまだ寝ているから、起きたらお願いと頼まれたので、こんな、雷の日に教は最悪だねって何気に放った私の言葉が、どう取られたのから分からないが、珍しく慎重な面持ちで、
ナツちゃんが初めて告白した。
「お母さん、実はマッサージは嘘なの不妊治療に通っているの」妊活をしている事は知っていたし、息子がさほど望まないのに、ナツちゃん1人が一生懸命になっていたことも知っていた。
しかし不妊治療にマッサージと称して通っていたとは、この前の険悪な息子が怒り心頭して「俺は別居するぞ。子供なんか作らないぞ」と叫んで出て行った理由は次の妊娠が原因で、険悪になっていたらしい。今日の検査は、お腹の中に育ってる卵がどういう状況かの検査に行くのだそうだ、本来なら夫婦二人で行くのが鉄則なんだそうだけど息子は、仕事や出張と称して全く協力してくれず、ナツちゃん1人で通っていたらしい。
ナツちゃんが言っていたけれど、夫婦二人でいけない場合でも行かない夫の保険証を持って行かないと行けないらしい。
あっ、孫が起きたみたい❗
行かなくちゃ。
とうとう雨が降ってきた。
9時にマッサージに行くと言った、ナツちゃんはまだ起きて来ないし。
洗濯ものを今日はベランダに、干せないからバスルームの乾燥室に干すしかないか。
ナツちゃん、1時に帰って来るとは昨日はゆってだけど、私としては1日ゆっくりして来てほしいから、実は、孫を連れて東京に行く予定でいたのだけど、この、雷に雨じゃ行けないなぁ。
今日は家で孫と羌ちゃんと、プラレールごっこするしかないか。
しかし、お腹すいた。体重は仕事してないから増加の傾向を辿っているけど、一応毎日、買い物と散歩と称して1日一万歩は超えている。
医者に言わせると私の体は馬鹿になっていて私自身は気が付かないだけで体は悲鳴をあげてるんだそうだ。
だから調子に乗って度を超えた歩きはほどぼどにと忠告されているので、こういう雷雨の日は室内で孫と遊ぶのも足に休息与えて、なんぼなのかなぁとは思う。
体はね、生きているうち、行動あるのみで、家での仕事は枠や制限が無いから死ぬまで続く無料奉仕。
考えによっては、それを楽しめば、この家は私の掌中、転がしてるようなもんで楽っちゃ楽🦆
私は先ず先に腹ごしらえしなきゃ。
「腹が減っては戦はできず」肥ろうがなんだろうが食べなきゃエンジンかからないし、何より今は、自分が好きに料理できるのだから、こんなありがたいことはない。好きなものを作って食べて動く。
これが人生1番。
洗濯機を回して部屋のベッドに戻る、空気入れ替えの為に窓を全開にしているんだけど、空気が冷たくなりましたよね。
空は鈍より濁った乳白色、遠くの空から、ゴロゴロ鳴っているから、天候が一荒れしそうな気配。
こんな日にナツちゃん、マッサージに出かけ帰りはショッピングなんて、まぁ、外でなくてマッサージもショッピングも室内だから、察して気にならないのかも、明日はナツちゃんは池袋で友達数人と子供を連れて遊びに行くそうで、息子も偶然、日曜日だけど日曜にしか商談が取れないという、お客さんと仕事で池袋に赴くのだと言う。
だから明日は私が又、1人になれるのだ。嬉しい、1人じゃないか、羌ちゃんがいる。羌ちゃんも、面白い個性のニャンコで、自由奔放、抱っこ嫌いだし、男と子供が大嫌いみたいだから、凄く笑えるニャンちゃん。本当にキングダムの羌瘣そっくり。まぁ、この家に住めば皆、自由になっちゃうのかもね。
羌ちゃんは、本当に醒めた冷たい目で
我が家を眺めている。羌ちゃんと私は唯一無二の仲間だな。
羌ちゃんのほうが、我が家の誰よりも
立派だわ。
今日は土曜日、たった今、玄関の開く音で目が覚めた。
それまで私は淡い夢を見ていたように思う、何か昔の幼い時の夢のようなそうでないような、そんな時に、ガッチャって言う音で夢の中で「誰か来た❗」って思ったら夢でなくて、それは現実の今で玄関に息子が、「飲みすぎてしもうて、ホテルに泊まった」だって、ナツちゃん孫もまだ寝ている。
「お腹すいている❓お茶漬け作ろうか❓」と言うと「いや、腹はいっぱい。ただ、寝たい。」もしかして、ホテルに泊まらず朝まで飲み明かしての帰宅なのか、それにしては酒くさくないけど、そのまま、シャワーを浴びて自分の部屋に息子は戻って寝てしまった。
ナツちゃんは今日は9時から1時までマッサージに出かけるので孫の面倒を頼まれているし、それにしても、土日はいつも遅く寝ているとは言え、亭主が帰宅しても寝ていて出迎えないというのもねぇ。まぁ、そういう家庭らしいから、私は、私流で眺めているけれど。
ナツちゃんが起きてくるまで寝ていようと思ったけど、洗濯機の中に息子が着ていたものを脱いで放りこんだら中が満杯になっているので洗濯をすることにしました。
雲一つない秋晴れの青空、只今、キッチンで、料理に大わらわ。
孫は、この頃、一丁前に、夕飯の食べたいものを、注文するようになった。
今日の夕飯はイクラと卵のミックス丼だそうです。そんな高価なものパバやママにも出すなんて勿体なくて、孫だけの特別メニュー。
パパやママはそれ以上の贅沢を毎晩、各々が、お腹の中に入れて満足して帰って来るんだから、イクラは1人用の小パックを買いに行きたいのだけど、家出したかと思ったバカ息子が昨夜、帰って来て今、自分の部屋で、ウェーブ会議なるものをやっているから、バカ息子の、お昼用の昼食を作っている所です。
焼きビーフンは簡単につくり終えたけど、イカと里芋の煮物は、他にも大根や人参、椎茸など含めて煮るので時間がかかり、もう少しで終わる。
これが終わったら、テーブルに並べて、
スーパーに、イクラを買いに行かなくちゃ。
早く買いに行きたいのだ。この息子散々、好き勝手やって、そう思うと腹わた煮えくり返るかえるけど、ナツちゃんもナツちゃんだからなぁ。
どちらも腹が立つが、どちらの言い分もわからない訳じゃないから、孫のことも含めて、この家に必要なのは、先ず食生活から改善しないとだめのような気がしました。あっ、バカ息子が降りてきそう。
そしたら、食べさせて私は、やっと買い物と称して、自由行動が取れる。
今、気づいたのだけど、ナツちゃん、キッチンに、お弁当の味噌汁を忘れて行った。私は昨日の夜から帰らない息子の為に今朝は帰って来るのだろうと思って孫を保育園に送ったあと、近所のスーパーに寄り食材を買い息子の好きなものを、4品くらい作りラップをしてテーブルに置く、しかしいつまで立っても来ないし、3人でやっているラインメールも今日はどういう訳か全く全員音沙汰なし、多分、私も含め気になりながら各々がメールやり取りする気分ではないのだと思う。今回は本当に息子は怒って、ナツちゃんに「俺は別居したっていい、お前ら3人でやればいい。俺は働く張り合いも頑張る張り合いも難にもない」そう言った言葉が、帰って来ない一因なのか。
息子の放った言葉「お前ら3人仲良くやればいい」には私も恫喝したくなったが敢えてやめた。今更、そんな事、吐き出した所で本当に今更な事だもの。
私はこの家では立ち位置が違うから一歩も2歩も引いて、どちらにも付かず、やってきた。息子がナツちゃん可愛さで嫁と姑が仲良くやってくれてるのが俺は1番嬉しいと喜んでくれるからこそ、頑張って大根役者を演じているのに、仲良く演じれば演じたで、息子の口から出た言葉が「お前ら3人でやればいい」だって、情けないやらがっくり来るやら、かなり気骨のある息子だと私は内心、息子を頼もしく思っていたのに。
每日色んな事があって、あっという間に1日が過ぎて行く。
この前は夫婦と孫3人でディズニーに二泊三日も豪遊してきて満面の笑顔で帰って来たかと思えば翌日には険悪な空気になってしまうのだから。
今回は、その日の夕方は、息子の方から「今夜はみんなお疲れだから外に食べに行こう」と、有り難い提案をしてくれたのに。
ところが出かけ際に、孫が泣き出しぐずり始め、ナツちゃんが、なだめても泣き止まず、息子が孫を抱き寄せようとしたら「パパ嫌い❗あっち行って❗」と尚更、激しく泣き息子の顔や頭を叩く始末。
実はこれは今始まった事でなくて2歳の後半から孫は、息子を拒否するようになった。仕事が忙しく月の半分は出張、普通に出勤していても帰りは午前様でホテルに泊まるのが常だし、家でテレワークしていても、日中は孫は保育園でいないし、夜は部屋に入り浸りで、ユーチューバーなるものをやっている。
息子が孫に触れ合えるのはテレワークで家にいる日の朝だけ孫を園に送り届けてくれる事と土日は孫に付ききりで遊んでやるものの、父親の心、子は知らずで、每日、寝起を共にしているナツちゃんにベッタリで、どんどん息子から孫は距離を置くようになった。焦る息子は、少しでもコミニュケーションをはかろうと、抱きしめようとするのだけど、それが孫にはしつこくて嫌なのだと思う。
明日は孫の遠足、これから、ナツちゃんに頼まれた遠足のお弁当の材料を買いに行きます。
息子夫婦は昨日のあれから、👶のことで、一悶着ありまして、それはあとで愚痴る事にして、外は快晴だから、青空見上げながら散歩方々、買い物にこれから出かけます。
夫婦は夫婦の事、嫌なら別れれば良いのだ。
ナツちゃんにはナツちゃんの思惑があるだろうし、息子にも息子の思惑があるだろうし、私はあくまでも部外者、詐欺師夫婦に良いように操られている老害だから、好きなように人生すれば良いこと。
さてさて、外出して自然のパワー
人の「気」を頂いて、買い物と自然界楽しんで来ます。
一々、双方に関わってるほど私は暇じゃないのだよ。アホンダラ。
平和な月曜日の朝が来た。
少なくともここでは月曜は確固たる私の唯一無二の至福の月曜日。
誰にも邪魔されない。
会社勤めの時の月曜は当に修羅場だったのに、そう思うと、ここは贅沢な空間だと思う。
3日間、息子夫婦等はディズニーに居て、本当に幸せそうだったのに、昨日の夕刻から雲行きが天変地異してしまった。
ナツちゃんは朝からマッサージに行き帰りは映画を見てショッピングに行くと出かけていったので1日私が孫の面倒を見る事になり朝から孫とリビングでプラレールを広げ遊びにつきあっていた。息子は同じリビングでパソコンを広げ仕事をしていたがお昼前に寝てしまったので、ナツちゃんの部屋に連れて行き添い寝をしたら私もつられて深い眠りに入ってしまった。目が冷めて時計を見ると、もう3時、慌ててリビングに降りると息子は相変わらず仕事をしていて私に気づき言うことには「ナツちゃん、帰ってきて、俺の部屋で寝ているよ」だって、マッサージが終わってから気持ちよさから逆に身体が、がっくりきて、映画どころでなく早く家で眠りたいと言うので直ぐに帰ってきたそうだ。だったら孫と一緒に寝ればいいじゃないと言いたかったがあえて言葉を飲み込み、何も言わずベランダに干した洗濯物を取り入れ畳んでいたら息子が「おふくろ、ナツちゃんと👶が起きたら、みんなで、ファミレスで食べに行こうぜ」と言ってくれたのに…
アリスの谷村新司さんに続いて、今度は
モンタ&ブラザーズの、もんたよしのり
さんの訃報を先程知る。
共に70代、私の青春時代、どれだけ歌に勇気を貰い励まされた事だろう。
私も年齢が近いだけに、そういう方々の訃報を聞くたび力が抜けて行く。
私も考えたら、いつ死んでもおかしくない年代に入ったのだ。
谷村さんも、もんたさんも、こんなに早く自分が亡くなられるなんて御本人自身が思っておられなかっただろうと、どんなにか無念だろうと思いやられてしかた無いです。
私も最近、体力、気力の限界を感じつつ、無理が命取りになるような気がしてならない。だから無駄な無理はやめました。
もう充分、息子夫婦に貢献してきたから、これからは私も自由に泳がせて貰おうと思います。
これからは好きにさせてもらいます。
私は私の人生なのだから。
外は快晴。
又4人家族が揃った。
朝から洗濯、羌ちゃんの、朝ご飯に朝チュール、羌ちゃん部屋お掃除してから、
朝から肉じゃが作っています。
10時からナツちゃんは、マッサージに行くので、それは良いのだけど、ナツちゃん、中腰で降りて来たから、思わず、笑いそうになるのをこらえて「ナツちゃん、もしかして腰きたの❓」って聞いたら案の定、顔を歪めて、コックリと頷く。
そりゃあそうでしょう、まる3日間も孫を連れてディズニーとデズニーシーを所狭しと孫よりもはしゃぎ回ったらしいから、、息子は途中参加で途中抜けたりで正味、殆どはナツちゃんが1人で回ったのだから無理も無いと思う。
それでも余韻今だ覚めず、3日間を振り返っては感動して涙ぐんでいるのだから、孫はといえば、あの楽しいはずのディズニーにいながらにして夢中になったのは1日だけのようで二日目からは「お家に帰ってプラレールがしたい」そればかり言ってたそうだ。
孫はいま、プラレールに夢中で、母親は腰が痛い、父親はゴルフとディズニーの送迎で筋肉痛などとほざいているし、
今、筋肉痛の息子は腰痛の妻を駅まで車で送りに行った。見送りながら、散々、遊び回って金使って帰ってくりゃあ、このザマ、見送る婆さんの私がよっぽっど、しゃんとして見送られる側の若夫婦のなんてまぁ、老ろうしい姿よ。
孫はそんな親を全く無関心でリビングいっぱいに玩具やプラレールばらまいている
3日間もディズニーにいて、風が強くメインのパレードが中止になったとかで今日の夜パレードを絶対見るのだと、ナツちゃんが強引に頑張ってたらしいけど、残念ながら今夜のパレードも中止になったそうだ。
川崎にゴルフをしていた息子が5時にゴルフが終了したのでディズニーまで車で迎えに行く事になり、合流するまでに、ディズニーに飽きた孫が途中で逃げ出したりしたり、ディズニーに息子が到着しても車を停める場所がないやらで、ラインで夫婦でテンヤワンヤやっていたけれど、何なら明日は日曜日だし、今夜も泊まって来たらって、素気なくやったら予約無しでは取れないんだって、だったら、そこらのモーテルにでも、お泊まりなさいよと、茶化してやりました。(笑)
結局合流して今は、家路に向かってる最中ですが、車の中から嫁殿が云うことに「お母さん、私もうだめ、明日マッサージの予約入れたから、マッサージ行って来る、お母さん、
👶ちゃん、お願い🙏」だって😳
はぁ~、遊びに行って疲れたからマッサージだとぉ😤
そりゃあ年寄の私の方が行きたいわさ。
どうしたらこんな娘が育つんだろう。
ますます持って嫁さんの母親が、ますます嫌いになる。
あ〜ぁ、来月の旅行、マジ憂うつ😤
ディズニーにいる息子夫婦からメールが来て、息子は午後から神奈川で接待のゴルフに行かなきゃなのでナツちゃんと孫をホテルに残して今、車で神奈川に向かったとの事、ナツちゃんは、あまりにも楽しくて、このまま帰るのが勿体なくて、ホテルをチェックインしたあと、改めてチケットを買って遊びたいとの事、息子がいなくてナツちゃん1人で孫を抱えて大丈夫なの❓って聞くと「おかあさん、◯ちゃんは、👶ちゃんのためだけに来てくれたの、私はそれだけで凄く嬉しかった。凄くたのしかった。お母さん、今年はもう来れないから、私がどうしても行きたいとこあるの、だからもう少し遊んで行きたい」とメールだけど言われれば、イヤとは言えないし、帰りが遅くなるほど、私としては有り難いことこの上ないし、つい言ってしまった。
「あの気難しい息子が居なくなったんだから、ナツちゃん、今度は自分の為にいっぱい遊んでらっしゃい」とリズム感で言ってしもうた。
早く帰られても困るしされとて、遅くてもあんまりいい気しないけど、まぁ、よくよく考えれば、女の味方は女。
私はそう思っている。母が自分の老後の面倒はたとえ息子でも男だから細かい事はできない。味方は嫁だ。お前には娘がいないのだから、嫁を大事にせいよ。と母は病床のベッドで言っていた。母は「おれは、お前が娘でよかった。ありがとうな。だからゆうんだ、男はできない。嫁を娘より大事にするんだよ。
顔晴る
しかし、この私。
たった2日間だけなのに、食っちゃ寝をしていたら体重が、あっという間に2キロも増えて思わず叫んでしまった。
嘘❗何で何で2日で、47キロから49キロになるんだってば😶🌫️
あ〜ぁ、なんてこと😓
思い起こせば、この2日間、理不尽な食生活をしていた。
食っちゃ寝の大半は朝から、お風呂に入りバスタブに、浸かりながら冷えたビールを飲み、酔いが回った所で二度寝をして、目覚めたらお昼で食事を作る気もなく、お弁当それも豪華な幕の内弁当を買ってた又はビールを飲み、午後からは、1時からの「徹子の部屋」から始まって、科捜研の女、赤い霊柩車なるものを見て極めつけ4時には、相棒を見て気がつけば、夕方になっている、又、お弁当を買ってきてビールを飲みそのまま酔いつぶれて寝る。
夜目が冷めて深夜スーパーに散歩方々、出かけ半額の、お寿司屋、刺し身など買い漁り、それをつまみにしながら、お寿司や刺し身を食べまくり又、寝るを繰り返せば、そりゃあ、肥りますよねぇ。
そのおぞましさに流石にゾッとなって反省したけど、私だって人間だもの、どっかでガス抜きやんなきゃやってランねぇわ。
これでいいんだ。あと数時間もすれば又、現実がやってくる。体重なんぞすぐ戻るわ、っていうか嫌でも戻ってしまうのだ。しかし、もうビールはしばらく見たくない、やめようやめようと思いながら起爆剤で飲んでしまう。
目が覚め、窓を開けると風が強い。
今日は息子夫婦が帰ってくる。
皆が出かけて羌ちゃんと2人だけになったこの家での2日間はなんて幸せだっただろう。
この2日間、好きな事をして好きなものを食べようと思っていたけれど、結果、どこにも行かず、ただひたすら、お風呂に入り、寝て過ごした。
気がつけばもう夜には皆が揃う。
何もしないで、2日間寝て過ごす、この3年間、病で倒れて以来、こんなに寝て過ごしたのは初めてのように思う。
ナツちゃんから貰った4万円は、五千円使っただけで3万五千円残っている。
ナツちゃんの気遣いだろうけど、そのお金を置いて行かれただけで、遊ぶ気もなくなった、現金なんか稼ごうと思えばいくらでも稼げる自信がある。
ただ今は、もう働く「気」がでないのだ。
こんなはした金来月、嫁の親のためのいきたくもない旅行に付き合わされるその時に向こうの親は、とにかく、お金関しては初孫に関しても口は出して愛情らしいことは人一倍するが、お金は一切出さない人達だから、こんな、あの人等の娘がくれたお金なぞ、私が少し手を付けさせてもらった残りを熨斗をつけてくれてやるわ。
当たり前に礼も言わず受け取る下品さ、思うだけでムカツク。
ケチは、これまでの人生いっぱい見たけれど、ナツちゃんの親ほどドケチは見たことがない。
来月の事を考えると憂うつだなぁ。
そろっと起きるかな。
あ〜ぁ
平和で幸せな朝。
昨日は息子を送り出してから、ずっと家の中で大の字になって寝ていた。
キッチンに封筒が置いてあって現金4万円が入っていた。
夏ちゃんが、お小遣いと称して置いて行ってくれたお金をだけれど、逆に申し訳なくて使えない。
損な性格。
本当に私って変人こき。
素直に「ありがとう」と言って好きなように使わせて貰えばいいのに、結局このお金は夏ちゃんの、お母さんのものになるのだ、いつもそうだもの、しかし、良く向こうの、お母さんは、貰う現金を当たり前に受け取るよね。
プライドってもんがないのだろうか。
来月は向こうのお母さんの誕生日で、お父さんがもう長い事は無いからとか言って最後の旅行がしたいとぬけぬけとゆってくる図々しさ。
それも旅費やガソリン代宿泊費諸々
全部こちら持ちである。
いくら親のバースデーだからといえ、なにかにつけて「お父さんが長くないから」と前置きしては色んな要求をしてくる。全てあちら夫婦が主導権を握ってである。アホらしい、バカらしくてヘドがでる。今は高齢者と言えど働いている人が多いのだ。少しは娘夫婦を頼らず、自分等が働くか長男に頼れよなと言ってやりたい。
なんのための親なのさ、バカくさ。
ソファーで、あぐらかいて買ってきたモスバーガーに、カフェラテ、サラダを広げて楽しみにしてたテレビ東京の「悪の法則」を見てたのに車が車庫に停まる音、私より羌ちゃんの方がいち早く反応してゲージに入るのを見て、何でこんなに早く帰宅するんだろうと、食べかけたエビカツバーガーとサラダを片付けテレビを消し息子を迎える。
会社に行く前にゴルフの練習してきたんだって、お昼食べてきたのかと思ったら食べて来なかっただと、腹立つ😤
冷蔵庫からあるものかき集めてチャーハンに朝つくったナメコ汁、おかしな組み合わせだけど、それに常に常備してある茹で玉子、息子のやつチャーハンだけで足りなくて茹で玉子3つも食べてしまった。夕食のサラダに使おうと思ったのに又、最初から茹でなきゃじゃない。😤
そして今ようやく、シャワーを浴び着替えて出ていってくれた。今夜はお客さんと接待だから夜は遅くなるとの事、ドア越しに息子を見送り姿が見えなくなったのを確認、鍵をかけてダッシュ、テレビ東京をかける、話がもう分かんないじゃん。しかし、あ〜ぁ、ゃっと1人になれた。羌ちゃんも、やれやれと言う感じでソファーで寝ています。
買い物と長い散歩から帰ってきて家に着くと車庫の車がなく玄関に入ると、息子が通勤に使う革靴があり、その代わり普段、愛用しているスニーカーがない、と言うことは、又、帰って来るのだろうか。確か私が出かける際に息子が「俺は今夜は遅くなるから」と言っていたのに、一体どうなっているのか、まぁそれはともかくとして明日は、ナツちゃんは孫を連れて朝一で新幹線に乗るのだそうな。
息子はといえば午前中は会社で仕事の打ち合わせをして午後からディズニーにむかうんだとか、その日と金曜日は有休を取って休むそうで土曜日の帰路は、息子は営業の接客でゴルフ場に直行だとい
う殺人スケージュル、いつもの事なんだけど、ナツちゃんの旅行好きには限度があるように思う。
ディズニーは元々は孫よりもナツちゃん自身が大好きで子供の頃は連れて行って貰った事が1度もないのでその反動が子供が出来た事によって、弾けてしまったらしい。毎年行かないとパニックに陥るくらい、そう他にも毎年、フジロックなるものも行っているし、毎月毎月、訳の分からないあまり有名でもないアーティストのコンサートに出かけていく、そのたんびに孫の世話をさせられて、私が働いている時はナツちゃんのコンサートに合わせて休みを取らせられたものだった。今は仕事はしていないから、ナツち
ゃんのブレーキは壊れてしまったようで、どこまで暴走するのだろう。
明日明後日とナツちゃんと孫は二泊三日でディズニーCとディズニーランドにお泊りしまーす。
しかしながら息子は昔からディズニーランドが苦手で孫が生まれてからも1度も行ったことがありません。
息子いわく、行く先々で長蛇の列に並ぶのが何よりの苦痛で時間のムダだとか、その並んでる時間に仕事の策を練られるのにとか、とにかく並び待たされるたびにイライラが募り爆発するんだとか、だから昨年の夏、ナツちゃん1人で乳母車に孫を乗せて、日帰りでディズニーランドに行って来たくらいです。今回は孫も3歳になり園の友達がディズニーに行く話を聞いて、ナツちゃんが大興奮して、待ってましたと言わんばかり早急に泊まりでホテルを予約それも2日もお泊りなんて、当初、息子は、俺は行かんからなそれを条件でお前が好きにすればいいと言う話であれよあれよと決まった訳ですが、いざ明日となって急にナツちゃんが心細くなったのか「一緒に遊んでくれなくていい、◯ちゃん(息子の事)」は、ずっとホテルで仕事をしてていいから付いてきて」ってことで息子も行く事になりました。
完全なる木金は私の自由な時間が到来した。バンザイであります。
夕飯の準備は完了。
息子が今日は早く帰るとは伝言はあったもののまさか正午に帰って来るなんて、それも13時に😤徹子の部屋の谷村新司さんの追悼番組を、これから見ようと思ってたのに、何で、お前はいつもそうなの🤬と言いたかったけど、そこは大人げないので黙って顔はにこやかに迎えた。腹わた煮えくり返ってんだけど。
お昼食べてこなかったと言うので即ありあわせの手抜き料理をバッパッパーと作り食べ終えた頃は、徹子の部屋終わっていたし、息子はそのまま自分のスタジオに入り仕事に入る、今更、息子が家で仕事をしているのに私だけがテレビを見るわけには行かず、あと3時間もすれば孫のお迎えの時間、それならこのまま料理作りに入ろうとキッチンにたったら、スイッチが入って、あれもこれもと色々作りすぎてしまった。匂いに釣られ息子が、ちょくちょく降りてきては覗き、作る後から味見に来て初めはイライラしながらも、つまみ食いしながら「うまい❗うまい❗」と子供のように喜ぶから私も調子に乗って一品又一品とレパートリーが増える始末。
材料費、六千円分、お肉も野菜も今日買ってたもの今日のうちに無くなってしまった。先程、息子が私の代わりに孫を迎えに行ってくれ、公園で遊ばせてくれてるようで今ようやく1人の時間を満喫しています。
なんか、やっぱりね、作るものを喜んで貰えるって嬉しい。またまた、息子への怒りチャラにしました。
無職で家に居るほうが仕事をしていた時より忙しく、1日の殆どは買い物と料理であっという間に1日が暮れる。
これじゃハローワークに行く時間など全くないし、仕事探しのプロのナツちゃんでさえ何の音沙汰もなく今は今の状態をキープしています。
最近では、料理にハマってしまって、皆が出勤する前に、其々の食べたいのを聞いて、それを夕食に出すというパターンが出来上がってしまいました。10月に入ってから息子夫婦の帰宅が、バカ早くなってしまいました。
これは良いことなのか悪い事なのか、私の1日のスタートは孫を送り届けてからスーパーに行き散歩をして帰宅、それからら軽くバスタブで湯に浸かりシャンプーして軽く昼寝(寝れないけれど)して、それから孫を迎えに行く5時までに夕食の準備完了になる、昨日は孫がチーズとタラコの入ったコロッケを食べたいと言うので、ありとあらゆるものを入れて40個のコロッケをつくりました。
これが凄く喜んでくれて4個しか残りませんでした。今朝は残った4個のコロッケをタッパーに詰めてナツちゃんが、お弁当に持って行ってくれるので、それが張り合いになりましてとにかく料理に没頭しています。なさぬ仲でもつくったものを無邪気に喜んでくれるナツちゃんを見ると不思議と身内愛が限りなく湧いちゃまして、私ってなんて人がいいんだろうって思ってしまいます。
早朝、雨の音で目が冷めた。
昨日は孫の保育園で、大阪から帰宅した息子の運転する車で家族4人秋晴れの快晴のもと運動会の会場に出かけた。
新宿勤務の時は土日祝日をメインに働いていたので、孫の保育園の催しには全く参加しませんでした。今回は初の参加。
今は無職の身の上で体力も至って普通だったので、ナツちゃんに頼まれて、親子借り物競争に参加するはずだったんだけど炎天下のもと長時間見ているだけで疲れてしまい、息子が代わってくれると申し出てくれて難を逃れました。
息子はこの後も、父兄の綱引きや、先生と保護者のリレーに参加したり、大阪、奈良間の出張から深夜帰宅した翌朝1番での参加、それも車を運転する役目催し担ってである、どんなに疲れただろうと思うけど、元々、学生の頃はサッカーをしていたので体力には自信あるようで動いているうちに孫と夢中になり疲労感など忘れたように夢中になっていました。
1つくらい、ナツちゃんが参加すれば良いのにといつも思うのだけど、ナツちゃんは運動は大の苦手だそうでもっぱら観ている専門、他のママさん達は、色々参加されてるのに、全く参加せず、ただ写真を撮るだけ、今回は初めて運動会に参加したけれど、いつも動くものは全部、息子の役目だったのかと、改めて息子の大変さを認識しました。
いつもする散歩を今日は辞めてコンビニでアイスカフェラテを買って家に直行。
今日は孫を迎えに行くまで家に引きこもっていようと思う。
明日は孫の運動会だし息子も帰って来るしで明日は私も運動会に引き合いに出されるし、そうなればまたボトボト忙しい1日になるから今日は何にもしないで、マッタリ過ごそうと思う。
息子の奴、大阪で出張と称し送って来る写メは仲間と飲んでる写真ばっかし、それも結構、リラックスして家では見せないような輝く笑顔、こいつ、調子こいて遊んでいるなと母親と女の直感がうずく。
遊ぶんなら遊ぶで感づかれるような遊びは、すんなやと心で、苦虫潰す感情で写真を見ながら、ナツちゃんの様子をチラ見、ナツちゃん、残業で仕事から帰ってからが、孫からの「ママ」攻撃でそれどころじゃない様子。最近、3歳児の孫は夜泣きが始まって、ナツちゃんは寝不足気味、二人目もできないし、かなりのストレスが溜まっているように見える。
嫁の味方をしてるわけではないけど、息子のズルさ別れた亭主を彷彿させ、超、むかつく、この男、嫁に変わってどう、調理してやろうか、只今、思案中。
息子は好きだが男としての息子は
いくら実の母子と言えどヘドがでる。
孫を送って1人散歩、いつの間にか駅前まで来てコンビニのイートンスペースでカフェラテを飲んでいます。
今朝は息子が朝の7時に大阪出張に出かけたので、明日も私一人の天国、そんな時の散歩は凄く幸せ。
感情炸裂する日常の中で、こういう空間が巡ってくるから、何やかんや心中モヤモヤしても、いつの間にか流せて次を楽しめるのだと思います。
土曜日は孫の運動会だし今日と明日は、家の中で猫の、羌瘣略してキョウちゃんとまったり過ごすのだ。
キョウちゃんは1歳の8月に保護猫として我が家に来ました。名前はスーちゃんとして名付けられて来たんだけど、私的には、悲惨な状況の中で保護された仔猫だから、キングダムの羌瘣のようになって欲しくて。羌ちゃんにしました。
そう言えば、目が羌瘣そっくり、もしかして羌ちゃんがこの家で1番賢いかもです。
そんな、ぶつくさ言ってる私だけど、今とても楽しいことが1つ見つかったのです。それは今は仕事をしてないから8時から始まるNHKの朝ドラを見れる事です。
昔、「おしん」の連続ドラマを見たのが最後、あれから私はフルタイムでずっと働いてきたから朝ドラを見る時間には既に作業に入ってたから何十年も見れなかったし見る余裕もなかった。
それが今は、見れるのだから、それもたまたま何十年ぶりに目にした「ブギウギ」なるもの、笠置シズ子さんをモチーフにしたドラマじゃない。
なんか懐かしい。
これを期にせめて働くとしたら朝はゆっくり朝ドラを見てから悠々と時間には追われない短すぎるパートを選びたいと思う。
あるといいなぁ。しかし、探すのは、ナツちゃんだからどうしょうもない、まっ、いいさ、限りなく断りながら気楽にのんびり行こうと思う。
このまま家に家政婦してるよりマシだもの。
あ〜ぁ、しかし今日は朝起き1番から全然気力消耗してしまいました。
体力、気力共に衰える日々、年を取るってこういう事かと自問自答の日々であります。
あ〜ぁ、何と殺人的な連休明けの忙しさ。
孫の送り、1分遅刻した。
起きない孫にうち履き履かせて、月曜日は普段より多い孫の荷物を抱え片手に寝てる孫を抱え人目もはばからず園に駆け込む。両手に荷物抱えてるから首にかけてるセキュリティカードを取るのに時間かかりイライラして力をいれたら、セキュリティカードぶら下げてる紐が切れてカードが下に落ちるし、しゃがんで取るにも孫を抱えての両手に荷物だから、しゃがめないし、そうこうしているうちに、後から来た父兄にフォローしてもらい、なんとか入ったものの、セキュリティカードを持ってるカバンにとっさに入れたから登園時間をかざすのもセキュリティカードなくしては時間を示唆出来ないので、いったん寝てる孫を着地させて、かばんからセキュリティカードをようやく取り出しかざしたら、何と❗モタモタしているうちに、9時1分になってるじゃない😤
何で何で毎週月曜日、こんな拷問を受けなきゃならないのよ。
なんとか送り届け、今、自宅に帰って来て一息ついている。
やってらんないや、といいながら今週も一週間が始まる。
世の中、便利になったものの、カードカードで、こんな時はハチャメチャ時間をロスしてしまう。やっぱり便利過ぎて昭和の私には不便きまわりない。
ッタクーやってられません。
全く生きづらい世の中です。
一体どうなっているのだろう。
又、投稿できない。
私の投稿文一体なにに反しているというのだろうか。
愚痴を言うことが悪いのだろうか、今までだって随分と愚痴だらけの事しか書いてないのに何で今更、規制規制と牽制するのだろう。
投稿するたびに赤文字がでて却下されるって心が折れそう。
これもだめだったら、ミクルもう辞めよう。
まぁ、いいや、頭悪くても、頭の悪さで生きられないなんてこたぁ無いのだから。
それさえも更にバカになって楽しむようにしよう。
そしたら本当に楽しくなってしまう、それって不思議ですよね。
息子達もまだ起きて来ないし、昨夜は餃子食べまくって飲みまくって孫もはしゃぐだけはしゃいだから、皆様お疲れ(笑)
私は腹減った。腹が減ったら戦はできぬ。リビングに上がって腹ごしらえしてこよう。外は相変わらず大ぶりです。
こんな豪雨の中で家にいて食べたいものを作れて食べれること当たり前の事が実は最高の幸せなのかもしれません。
えっ❗私なんか、悪いこと書きましたか❓
投稿していていきなりミクルさんから、赤い文字とかで勧告がなされてしまいました。
雨の音が私には癒やしで幼い頃に雨の音が、どうして懐かしいか書いていただけなのに投稿禁止用語が入ってるとか、問い合わせくださいとか、でも、その問い合わせしたくとも難しくてできないのですよね、スマホの操作云々、苦手なもので
、世の中、便利になるほど私は操作についていけないのですよね。今更、覚える気力ないし、こういい事が高齢者の私には生きづらいです。
投稿却下されました。
悲しい。😢
たまたまミクルで目にした、高齢者は生きづらい世の中だと嘆いておられる方がいたけれど私は又、違った視点から、ちょっと変わった意見の高齢者なんですよね。実際に、その人のスレに投稿スレばいいんだけど、変人こきの私は自分のスレに来て頂く事を拒む者が人様のスレに匿名で、しゃあしゃあと入室させてもらうってのもねフェアじゃないなって変な考え持つ人間だから、ここでちょっとだけ個人的な呟き。
生きづらいのは高齢者ばかりじゃないような気がします。
こんな便利のようなそうでもないような世知辛い世の中、老若男女、年齢関係なく平等に生きづらいのではないかと思います。 でも私は田舎から都会に来て、いきなり新宿で働いてから、死に損なった魚が新鮮な水を得て元気になったように私は毎日が新鮮でした。
仕事を教えてくれた人が同じ新潟の人だったし、他に3人も同郷の人がいて共に60後半皆さん、良い人ばかりだったし生き生きされてた。他にも福井とか、宮崎とか秋田とか沢山いて、そのどの方も大変な人生背負って仕事もダブル、トリプルダブルと、掛け持ちでされてたわ。
そして底抜けに明るかった。こんな事、田舎では考えられないですから。65歳の定年迎えたら、使ってくれる所なんかそうそうないし、だから都会は私に取って逆に元気にしてもらいました。
実は先週の金曜日、2日に受けた面接の合否の結果が分かる日でした。
結果は落選、力を入れて探してくれた、ナツちゃんには済まないと思うけど落ちて内心、ホッとしています。
今回の仕事は小児医療センターの清掃の仕事だけど、なんとなくね、全然、気がのらないのです。自分でも分からないのですが、前の職場での壮絶な扱いが今も心の傷になって修復できずにいるからです。打たれ強かった私なのに、何故か前のようにノー天気になれず、顔は笑っているけれど凄い落ち込みが長引き、心の中、汚い自分とそうでない自分との葛藤で自分が自分に疲れています。
一昨日と昨日と秋晴れの中で心は疲労しながら身体は元気なので気は乗らないまま息子夫婦とでかけたけれど、でも不思議な事に、賑やかな外の世界に触れ自然の外気と人のパワーに混じり合う中で心がみるみる元気になって行くんですね。
自然の気、人の醸し出す気って、やっぱり大事なんだなって、人が嫌いなのに人の気で活気を貰う摩訶不思議。
要するに、良い気と悪い気の中で自分に取って元気にしてもらえる活気だけを私は残りの人生に取り入れたいと思うようになりました。そう、明日食べれないそんな切羽詰まった状況はもう皆無なんだから、これからの短い人生、遊びながら生きたい、それは息子にも言って貰った言葉なので息子の言うように遊びながら生きようと思います。
世の中、三連休の最終日、今朝は右の脹ら脛が吊って激痛では目が冷めました。
5月に倒れて以来、ずっと足が吊る事はなかったのに、久々の脹ら脛つりに、これはヤバいなと自分に言い聞かせながら、今ベッドの中、外は雨が降っている。
今日はずっと寝ていよう。
連休初日は、さいたま競馬場で「ふるさと ふれあいフェア」なるものがあり、
孫の大好きな新幹線の乗り物や動物の触れ合い、ポニーの乗馬、パトカーや白バイ、消防車の撮影会などのイベントに番取りの引き合いに付き合わされほぼ1日蛇長の列に並び番取り、昨日は、さいたま新都心駅の、けやき広場で「クラフト餃子フェア SAITAMA 2023」のイベントがあり、午前中はナツちゃんが、マッサージに出かけ、その間、私が子守を午後からはナツちゃんが孫を見て夕方、餃子フェアに出かけて来ました。
1日家のスタジオで仕事をしていた息子も30分遅れて到着、30種類の餃子を、ナツちゃんと息子と3人で、孫を見ながら交互で蛇長列に並び餃子を買いながら、並ぶのには大変だったけど餃子の美味しさに疲れも吹っ飛びました。
保育園が近所で150Мのすぐそこにあるとはいえ、13㌔の孫を抱いて保育園に駆け込むなんて、若い息子夫婦なら苦にならないだろうけど私には過酷、それでなくても3歳になった孫は走る走る、いくら、危ないと制してもババは疲れて死にそうだと必死に制止するため大根役者演じても賢い孫にはバレバレで、体力バカの私を孫は知ってるから逆に面白がって走るような気がする。孫は逐一、隙間なく大人を観察しているように思う。
私は頭はバカだけど体力だけは年齢以上に(異常)にあるらしいことを、それは夫婦で私を褒めるから「お義母さんは、若い凄い❗家の両親なんか、歩くの拒否してるから」息子もゆうことは「おふくろは、本当にすげぇー、俺たちより体力あるよな」なんて会話を孫はしっかり聞いてるから、ババやママよりいっぱい動いて遊んでくれると孫は私をそう評価しているようなそんな気がする。
とんでも無いよ。ババはホントは体力衰えているんだから、それを酷使して無理して頑張ってんだぞー
なんて孫には言えないし、喜んでくれる孫の笑顔を見るとヨボヨボの老体、不思議と元気になれるもんです。
不思議ですよね。
寝たままの孫を抱きかかえて、登園時間ギリギリになんとか間に合った。
園についてようやく目覚めた孫は、いつの間にか保育園にいて先生に抱かれている事が摩訶不思議な様子で、ポアンポアンしていた。
若い女の先生に「遅刻してもいいですから、朝ごはんしっかり食べさせて下さい」と怒られる始末。
何で私が怒られなきゃと、ムッとしたけど言われてみれば孫の送迎な私なんだから、責任持ってちゃんとしなきゃですよね。遅刻遅刻なんてそっちの方に神経集中して、朝ごはんしっかり拵えて置きながら、とにかく起きないから、起こす事に気が入りすぎて、それに寝ながらの着替えに時間がかって朝ごはんしっかり忘れてた。
昨夜は夫婦で孫と猫ととにかくリビングで天井が落ちるのではないかと思うくらい夜中の大運動会やっていたから、朝起きれない訳よね。
ったくバカ親ぷりの被害はみんな私持ちだから割が合わないわさ。
結局、園じゃ、バアバの甘やかしでしか見られないんだから。
そう言えば今朝、気になる言葉にハッとさせられた。
人間が身体を壊したり人生を壊すものは
。酒の飲み過ぎ
。タバコの吸い過ぎ
。暴飲暴食
しかし、それはほんの5%しか影響はないそうだ。
毎日、酒を飲み食べタバコを吸っても、それで体も人生も壊す影響は15%〜20%だそうだ。
残りの80%は、じゃあなんだかって言うと怒り、不平不満、文句、悪口、泣き言が原因で体に悪影響を与えるのだとか、いくら体に良い健康食品を食べ、恵まれた環境にいて好きな事ができても、毎日が不平不満で怒り、汚い言葉で罵り合い負の生活をしていたら体も心も不健康になり、そこにアルコールや暴飲暴食などしたらたちまち体も人生も悪い方に連鎖するのだと、なるほどなぁと、何処のどなたか分からないけど、本当にそうかもしれない、しかしだからって、人間だもん、そうそう辛坊強く更に忍耐して、容赦なくムチ打たれても、はい、頑張ります。痛みに耐えます。ってニコニコして打たれ続けられるなんて他の人にはできるかもしれないけど私はだめ。
辛坊しますよ。するけど心んなかでは、凄い暴れまくって「このヤロウ❗いい加減にせいやぁ、今に見てろ❗クソッタレ」って言いまくって、人には絶対言わんけどミクルさんの場所借りて、思いの丈を発散するよ。だから我慢と辛坊できて打たれてやってるのだ。
シチューが出来た所で、もう一品つくろうかと思ったけど、誰も居なくなったので自分にご褒美したくなった。
早速、バスタイム、ゆっくりバスタブに浸かりながら、こういう僅かな自分タイムがあるのだから、それはそれで私も素の自分にいくらでも戻れるではないの。
よくよく考えれば家賃や毎月の公共料金の支払いも車の税金やガソリン車検などで頭を悩ますことは無いのだから、いくらでも暑い時にクーラーを使いまくり、食事は今は私の役目になっているけれど、自分の好きなものを食べたいものを買ってきてそれを食卓に出す。、みんなが仕事から帰って来てテーブルを見て喜んでくれる、ナツちゃんなどは、半分残して翌朝それを、お弁当のおかずに持って行ってくれるんだから、なんというか、さっきまで嫁の悪口呟いてたのに、ナツちゃんが憎可愛くなっちゃって、又チャラに戻るといった、自分でも、どうしようもない単細胞。
いいんだいいんだ、お互い様だもんね。
でも毎日の事だから毎日、いい顔してらんないって人間だもんね。
本当にお互い様よね。
ゃっと息子が出社していった。
今の世の中、私には分からないけど、一端の勤め人が何で自宅と会社と好きなように自由に行ったり来たりしながら仕事ができるのだろう。
今は在宅ワークの時代とかで、これからは家で仕事をするのが当たり前なんだそうだけど、私としては、迷惑この上ない。何やかんやで掃除、洗濯朝食、昼食を食べさせて、それから食器を洗い、ようやく午後出勤していってくれた。
もう1時半過ぎたじゃない、ベランダに干した洗濯物を取り入れてたたみ、夕食の準備に取り掛かり終わる頃は孫を迎えに行かなきゃだし、クソぉ〜
何でこんなに忙しいのよ。
昼寝したい、できる状況なのにできない、1人だったらできるのに、時々なんの関係もないのに、ナツちゃんの実家のご両親に、猛然と憎しみが湧くのだけど、こんな感情になっちゃいけないんだけど、ナツちゃんと息子から向こうのご両親の事を聞きたくもないのに会話の中にその話が出ると、愛想笑いを仕方なくしながら心の中は俄然と「ふざけんじゃねぇ、よくもまあ、家畜のように私をこき使いながらのどかに暮らす実家の親自慢するよなぁ。働きもしないで、食ちゃ寝、食ちゃ寝して1日の大半は寝て暮らし生活費は困れば葛飾にいる長男に脅しをかけて「大学の出してやった学費の半分でいいから」なんて催促しては、お金の無心をしているとか、よくそんなみっともない内輪話をユーモア交えて食
卓の会話に出すよねぇ
今朝は雨だ。
雨の降りがだんだん激しくなってくる。
仕事をしていないから雨が降ろうが槍が降ろうが今の私にはさっして天候などどうでもいいや。
ただ孫の運動会の予備練習が今日行われるので運動着着用で8時半には登園するようにとの連絡だったけどが、この雨だと中止になるかもしれない。
しかし8時半までの登園は免れないから、送り迎えは私の役目、雨の送迎は孫との徒歩だから嫌だなぁ。
自分1人で雨の中を歩くのはなんてことはないのだけど3歳のヤンチャな孫は雨が大好きだから、チャップチャップランランなどと歌いながら水たまりをビシャビシャ歩くからなかなか園に着かないのだもの園は自宅から3分もかからない目の前にあるのにである。
仕方ないか、この世に誕生してまだ3年、見るもの聞くもの全てがピカピカで孫の目には好奇心でいっぱいなのだから
、少し小止みになったかな。
さてリビングに、上がって朝食の支度しなきゃ。
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