両親と私どっちが正しいのでしょうか?

レス9 HIT数 433 あ+ あ-


2021/11/26 20:19(更新日時)

私は障害があり体の一部が不自由です。なのでよくネットでそのことを調べ同じ障害の人のブログを読んだりしています。すると「こういう手当を受けている」「こういう仕事に就けている」などの情報が入るのでとても為になります。

しかし両親は私のそういう行動をとても嫌がります。
私が障害枠で働くのもよく思っていないようで、「一般就労すればいい」「手当を受けようなど思うな」などとよく言われます。
とにかく私に障害があることが嫌なようです。私が障害のせいで普通の人にできることが自分にはできないことを悩むことも否定し、「悩んでもしょうがない。明るいことだけ考えて生きたほうがいい」と言われます。
私が見ている同じ障害の方のブログや情報など、そういうのも一切見ないほうがいいと言われました。
「障害ではなく、個性だ」と言われます。

両親のいうことがやはり正しいのでしょうか?

No.3422271 (スレ作成日時)

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No.1

どっちも正しいと思いますよ

考え方の違いなだけだと思います

No.2

>> 1 ありがとうございます

障害ではなく個性だ
と言われてしまうのは私にとってはとても辛いです
悩むのが甘えだと言われてるようで・・・

No.3

>> 2 主さんの心を軽くする為に、障害じゃなく個性だと私達は思っているよ
って事だと思います

主さんは、個性として自分を受け入れるよりも障害を持っているんだから障害者として生きていく方が心が軽くなると思っているんですから、親御さんにそれを理解してもらうように話すしか無いですよね

別に悩むのが甘えだと親御さんは言ってはいないし思ってはいないと思いますよ

No.4

どちらも正しいです。

個性だと思ったほうが楽な時もあると思います。

悩むのは甘えではないですよ。誰だって普通に悩みます。それをいったら世界中の人が甘ったれになってしまいます。もちろん、主さんの両親もです。さらにきついことを言わせれば主さんはハンデを背負っている。健常者にはそのハンデはないです。にもかかわらず悩むのです。どっちが甘ったれなのかって、話になってしまいます。

両親は主さんに障害者だから……を言い訳にして、甘えてほしくないのだと思います。戒めなのかもしれません。自分に厳しくなれよという。
そして、悩んでも仕方がないことに囚われるより、前向きにいてほしいのかもしれません。


ネットで他の人はどうしているのか、知ることはとても大切だと思います。生き方のヒントにもなるし勇気も貰える。

自分ができること、できないことを知るのは大切だと思います。
できる事はやる。何かを頼らないと駄目なときは頼る。

みんなそうやって生きていると思います。


No.5

障害を個性だという人、私はあまり好きじゃないです。

特に身体的なものは、本人の苦労が大きいと思います。
その苦労を個性だと言われても、五体満足だったらしなくて済んだ苦労なのに無理矢理ポジティブ変換する必要は無いと思います。

苦労することが普通の身体の人より多い分、受けられる福祉は受けた方が良い。
その方が本人の為になるし、生活しやすい。

同じ苦労を知る人達との方が、仕事もしやすいと思います。

本人が一般就労を望んでいるならまだしも、望んでいないのにあえて苦労する道を選ばせようとするのは親のエゴだと思う。

それこそ、自分が五体満足だから不自由な人の苦労がわからないのか?って思う。
親こそ、一番の理解者であるべきなのに。

No.6


ご両親から見ると主さんは不自由なところはあっても、日常生活は送れるし、多分学校の授業にも問題はなかったんじゃないですか?

一般就労で社会人になる能力はある。と思ってる。実際に可能なんじゃないですか?
でも障害は隠せない、そのことでイジメられたり、嫌味を言われたりするかもしれない。それを跳ね除ける強さをもってほしい。
そういう気持ちなんじゃないのかな?と思いました。

障害なんて持たせて生んでしまってごめんね。という気持ちと
でも、負けないで健常者の中でも強く生きてほしい。
自分を障がい者だから、ここまでで良いとか、仕方ないでしょ、という気持ちを持たないでほしい。
という気持ちじゃないのかな?と思いました。

私も障がい者の母親なので、そういう気持ちがあります。
でも、個性というのは違うと思います。不自由な部分や生きずらさはあるんだから、そこは精神論ではどうにもならない。
そこは認めて、助けてあげてほしいです。

No.7

貴女の母親の年を教えて欲しいと思います。

理由は、熊本県で市役所に勤務をした両方の腕が、生まれつき無い女性ですが、足で字を書いたり、市役所でも普通に、働いた女性が居ました。
その母親は、普通の学校で同じように、育てて公務員に、成っても普通の恋をして普通の結婚も出産も子育も普通にする女性が居ました。

貴女のスレを読んで、あの時の母親の厳しい態度で、育てた強い母親の思いを思い出しました。
貴女の母親は、間違って無いと思います。
貴女は、自分に甘えてると思います。
貴女よりも、もっと辛いのは、貴女の母親と理解を出来無いのが、悲しいと思います。
貴女を産んだ事を誰よりも苦しんだ母親の真の心を読めないのですか?
貴女の母親は、誰よりも貴女を愛して心配をしてる趣旨が解りませんか?

No.8

学生時代に指定難病に罹り、後遺症として今も軽度の運動障害がある身から、私の経験談を語らせて頂きます。

私も、最も症状が重く車椅子生活をだった時に、医者から障害者手帳の取得を勧められましたが、親が難色を示しました。
理由としては、障害者として差別に遭ったり就職で不利になる事が怖いとの事でしたが、恐らくは自分の子供が障害者である事を認めたくない心理もあったと思います。
手帳の申請はいつでもできると後回しにしている間に、幸いにも日常生活に支障が少ない程度まで回復したため、手帳の申請はやらず終い。現在は一般雇用で公務員として就職し、希望の職種で働いています。

事実として、障害者枠の雇用と言っても狭き門ですし、職種もかなり限られます。
今現在、日常生活に支障がないならば、将来の選択肢を増やすためにも、障害枠とか考えずにおいたほうが良いでしょう。

何より怖いのが、障害者として支援される状況が「普通」になる事が怖いです。
私の病気は再発性があるため、いつまた車椅子生活に戻やもと不安はあります。
しかし、そうなったら支援してもらえると救いの道がある事で不安を和らげています。
支援してもらうことが普通になったら、悪化したときのことを考えると…

結論。本当に必要な支援なら遠慮なく受けるべき。
でも、まだ自分で何とかできるなら、奥の手は取っておいたほうが良い。

以上、体験談からの意見でした。

No.9

(追記)
私は、障害者のブログ等を見ることは悪いことだとは思いません。
万一の場合に備えることにもなりますし、自分の励みにもなったりします。

ただ、主さんの書き込みを拝見する限り、それらに感化されすぎて、自分で自分を諦めているように見受けられます。
せっかくの可能性を自ら放棄しているような、傍から見ていて非常に勿体ないです。


「悩んでもしょうがない。明るいことだけ考えて生きたほうがいい」
これは事実です。我々に出来ない事がある。それは事実なのでどうしようもありません。
悩んでも解決できないなら、悩むだけ無駄です。別のことを考えたほうが万倍マシです。

100mを9秒台で走れる方と比較して、私には100m9秒台は無理だと悩んでも馬鹿らしいでしょう。
また、100mを9秒台で走れる方でも、パソコンのブラインドタッチがいつまでもできずに悩んでいるかもしれません。
人それぞれ、できる事・できない事が違うのだから、他の人ができる事を羨むだけの行動に意味はありません。
ならば、できる事(明るい事)を考えていきましょうよ。

薬がなければ病気は治りませんが、薬は摂りすぎても毒になります。
あまり感化されすぎないように、程々が大切です。

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