不倫日記

レス20 HIT数 3066 あ+ あ-


2018/01/25 21:12(更新日時)

アラフォー子なし主婦。
セックスレス7年目…

1ヶ月前から人生で初めて不倫を始めました。。。

18/01/24 16:40 追記
ご意見スレです

http://mikle.jp/viewthread/2592797/

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No.2592167 (スレ作成日時)

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No.1

私41歳、旦那50歳。
結婚7年目。

結婚して…私達夫婦は1度も夫婦生活がない。。
旦那がEDだからだ。
病院の薬やサプリを試したけど効果は得られなかった。

でも彼だってなりたくてなったわけじゃな。気にしてる。

給料は安いけど真面目に働いてくれてる。
性格だって優しい。
身体の関係がなくても生涯なくても
心が繋がっていれば私は幸せだ。

そう思ってたのに、、、

No.2

優しい性格だった旦那も月日が流れ
私を本当の意味でほっとくようになった。
私も煩いところがあるので
それが原因かもしれない。
自分を改めることにした。

控えめに話しかけても次第にキレるようになってきた。
怖くて涙が止まらない。
仕事が忙しくなったから仕方ない……

でも気が狂ったかのように
キレる旦那を見てこんな1面があったのかと動揺した。



No.3

キレるのは私が話しかけるからダメだと言われた。
会社で何かあった?そんな心配からの言葉をかけただけだったけど
気に触るみたいなので気をつけるようにした。

いくら控えめになっても私達夫婦は私がリードする関係。
道を歩いていても近所の人間関係も、物事の提案も話を提供することも。
最初は自分主導で良いかと思っていたけど、、、

  • << 6 旦那は車の免許を40歳で遅くとったこともあり、運転が荒く未熟だ。 私はドライバー歴も長いので、運転は大方私がしていた。 でも4年前に私が体調を崩してしまい 彼が運転するようになった。 運転が荒くて、また気をつけてと言うとキレるので色んな理由から、吐き気や頭痛で寝込んでしまった。 私は4年前にうつ病を発症した。 激しく落ち込むことがあった。

No.4

>> 3 お辛い気持が良く分かります。
このままずっとセックスレスだと
何のために結婚したのか分からない。
彼氏は優しくしてくれれば
主さんも癒されたい気持も分かります。
此れから離婚を考えていませんか?

No.5


http://mikle.jp/thread/2587481/
これの主さんと似てますね

余計な御世話だけど自分しか書き込み出来ない設定にした方が良いと思います

じゃないとまた無駄に荒れそうな予感

No.6

>> 3 キレるのは私が話しかけるからダメだと言われた。 会社で何かあった?そんな心配からの言葉をかけただけだったけど 気に触るみたいなので気をつ… 旦那は車の免許を40歳で遅くとったこともあり、運転が荒く未熟だ。
私はドライバー歴も長いので、運転は大方私がしていた。
でも4年前に私が体調を崩してしまい
彼が運転するようになった。

運転が荒くて、また気をつけてと言うとキレるので色んな理由から、吐き気や頭痛で寝込んでしまった。

私は4年前にうつ病を発症した。
激しく落ち込むことがあった。

No.7

それは最愛の弟の死。

3年間、脳腫瘍と闘い、闘い抜いて彼は35年の短い生涯に幕を閉じた。

弟は独身で両親や私が献身的にかれを支えた。
病状は予想を遥かに超えて残酷だった。。。

それでも私は治ると信じていた。
治してあげたかった。
代わってあげたかった。

頑張って…弟の身体を擦りなら奇跡を信じた日を昨日の事のように思い出す。

No.8

しかし死の1週間くらい前に
生かすことが本当の優しさなのか…?
こんなに苦しんでいるのに…

もう、、苦しませたくない、、
ある日、朦朧とする弟に
もう頑張らなくていい…

そうささやいて手を握った。

手まで癌細胞に侵されやせ細っていた…

弟は腫瘍が目の奥にも転移し片目が見えなかったけど見える片目で私をしっかり見つめ、ホロホロと涙を流した…

胸が張り裂けそう……
息が苦しい……
辛くて辛くて仕方ないけど
1番辛いのは弟だ。

No.9

数日後、弟の病室に行った。
誰もいなかった。

ぐっすり眠っていて、私も疲れていたので眠たい目で窓の外の景色を眺めていた。

雨が降っていた。

寂しい景色…

静かな雨音…


そして、弟の呼吸の間隔が長くなって行った。

私は震えた。震えながら弟の手を握った。

弟の心臓に手をあててみた。
ドクン…ドクン…

動いている、ちゃんと生きている……


失いたくない、やっぱりたった一人の愛する弟…

呼吸の間隔がまた長くなる…

冷や汗が出てきた。


失いたくない……!


そう心で叫びながら彼を見つめていた。


ハァー……


頑張って呼吸をしている。



ハァー…ハー…



ハ……




やがて
弟は静かに呼吸をやめた………




No.10

私は発狂した。
こんな雨の日に最愛の弟が死んでしまった。。

一人で逝って寂しくないかい…
いや、ほんとはどっかにいるよね?
何処にいるの?
どこ!?どこなの!?

半狂乱になってこんなに涙が出るものなのかと言うくらい泣いた。

冷たくなって行く弟の顔を撫でながら…
「今までよく頑張ったね」
その言葉をかけたくてもかけられなかった。


弟の死を認めてしまうようで。。



悲しみに暮れていても無情にも時は流れる。
葬儀が終わり、数日後、部屋のソファで抜け殻状態で私はボーッとしていた。


すると壁掛けのオルゴールが急にメロディを奏で初めた。
星に願いを。。。


弟が数年前に旅行のお土産にくれて
大切に壁に飾りたまにメロディを聴いていた。


操作してないのに何故??


もしかして弟なの??


正直、死んだらどうなるのかはわからない。。
でも何かが残るような気がしてならなかった。



弟が傍にいたのかもしれない。

姉ちゃん、元気出してくれよって。



No.11

その出来事から徐々に、心の中で
弟に本当によく頑張った…例え姿がなくなっても永遠に家族だからね、と伝えることが出来るようになっていった。


でも眠れない日々が続いた。
1日2時間位しかウトウトとしか出来ない。
旦那は目を瞑れば眠れるからとさほど気にしていない様子だった。

睡眠不足が続き、次第に身体中が痛くてベッドから身体を起こすにも身体が重くて、何だろうか?と不安になった。


No.12

仕事を休む日もあった……
何とか仕事に行く日があっても
身体の痛重さ、睡眠不足からの頭痛で
仕事中に泣いてしまうことがあった。

事務員が二人で、一人はコピー機のとこにいたので涙を知られなかったけど…。


営業の男性Kさんとは歳も近く
割となんでも話す中だった。

Kさんに心療内科を勧められた。

何なら一緒に行こうか?

そう言ってくれたけど旦那と行きますからと、余った力で何とか笑った。

No.13

旦那は心療内科に偏見があった。
お酒やホットミルクでも眠れないのか?などなど
どれを試したけどまったく効果はなかった。


けっきょく一人で心療内科へ行った。
身体の痛みはともかく、もう眠りたかった。。
睡眠薬を処方してもらおうと診察室に入り症状を医師に話すと
典型的なうつ病と診断された。

うつ病でも心に現れるタイプと身体の不調に現れるタイプがあると説明を受けて、うつ病?まさか…


半信半疑で抗うつ薬を飲み、数日後、
身体の痛みは軽減し少し眠れるようになった。

うつ病がこんなに辛いとはと…うつ患者の人の苦しみが理解出来た。


年々軽減したものの、痛みはたまに出ることもある。


このような理由で車の運転は旦那がすることになった。
4年間の間に子供が欲しくて不妊治療のクリニックにも行ったけど、金銭の理由で断念せざるを得なかった。



No.14

検査結果、私の卵子は通常よりたくさんいて卵子年齢も若かく何の問題もなかった。
うつについては妊娠に影響のない薬を処方されていたらしく
うつでも出産する人は山ほどいるようだ。

でも私には相手がいない。
旦那は射精が出来ない。

ごめんね、私の卵子…
産んであげられなくて。。


子供も望めない
セックスしたこともない
スキンシップさえない

普通に助手席に座ってドライブも出来ない。
旦那は話から逃げるから話し合いも出来ない。
私が背が小さいから届かないのに電球さえも変えてもらえない。
雪かきもしてもらえない。

でもわたしも悪いとこいっぱいあるしお互い様。

夫婦なんてこんなものだよね?

No.15

そう受け止めて前向きに旦那と生活していた。
洗い物をしてくれる時もあるし
細かいことは言わない。
良いところだってある!

ただ話に向き合わないところは正直もやもやしたりイライラが募ることもあった。


弟を亡くして、何故難病は弟を選んだのか?
何故弟だったのか、、
答えの出ない疑問を自問していた。

40までには結婚して落ち着きたいと言っていた。

多趣味で闘病中も野球の大会に出られないのが悔しい、目が眩んでゲームが出来ない、仕事を失ったのが悔しい、、たくさん嘆いていた。

無念だっただろう…

私は何もしてあげられなかった。

思いつめて、旦那に話を聞いてもらうと意外な答えが帰ってきた。


No.16

私の重たい気持ちに対して、旦那は
まさか死ぬとは思わなかったよね!と…若干微笑んで言った。

まさか死ぬとはって…
もちろん助かって欲しかった、、
でも亡くなる半年前に余命3ヶ月と宣言されていたのを旦那も知っている。


それでも、元気そうだったしょ?
と、無関心に言った。


旦那は話に向き合わないところがあるけど、まさか生死を賭けた闘いを遂げた病についてまで中途半端に捉えてるとは思わなかった。


No.17

その頃から深い話を旦那にするのは極力避けていた。

弟のことを思い詰めると苦しくなるので、浸すら折り紙で鶴を折っていた。

普通、鶴を折るのは生前に願掛けですることなのはわかってる。


亡くなってしまったけど、あの世があるならば、どうか幸せに弟が過ごしていますように、という願いと気を紛らわすために、しばらく鶴を折り続ける日々が続いた。

そんな私を旦那はかなり病んでるな、と言った。


No.18

もちろん実際病んでいたし、1番身近な人にも思いが伝わらなくて
通院している心療内科でカウンセリングを受けることになった。

誰しも環境の変化や大切な人との死別、裏切り、挫折などで心が病むことはある。


カウンセリングを受けるにあたり長年つきまとっていた被害妄想についてもカウンセラーに聞いてみることにした。


私は小学生の頃いじめにあっていた。

今は治療してないけど、顎に小指の爪程のアザがあり、虫がついているとクラスメイトにバカにされた。


もちろん顔にアザがあっても性格が強くて明るければいじめもエスカレートしなかったのだと思う。


でも生まれつき命に別状はないけど心臓に持病があり体力もなく、それもあり自信もなく性格が弱くて大人しかった。

いじめる側はいじめ甲斐を本能で確認するのだと思う。

いいターゲットだった。


給食も私だけくばってもらえなかったり、清潔にしていてもキモイ、汚い、触ったら手が腐るなど、害虫のような扱い。

靴やコートも何度も投げられた。

高学年になってからは早く死ねと挨拶のように言われていた。

遠足へ行ってもお弁当を一緒に食べる人がいなくて、担任の先生が
どこかのグループにお願いしたりだった。


No.19

小5の時、中年の男性の担任は最悪だった。
暴力を振るうのだ。

特に私なんて、最下段から恐る恐る周りを見渡している子だったので、声が小さかったり、掃除をするのが遅れたりするとビンタされたり髪の毛を鷲掴みにされた。


席に着いてる時は机の脚を足で蹴られたり、気性の激しい先生が怖かった。


あまりに酷い時は、隣の教室の担任が、私達のクラスに訪れて、やりすぎですよ!と、注意を促しにきた。
隣の教室にまで尋常じゃない先生の声がいつも届いていたのだろう。



でもこれが俺の教育ですよ?と。
大人になって思うのは、そこまで子供に出来るのは彼自身コンプレックスがあり、病んでいたのかもしれない…


No.20

中学生になり、初めて制服を着ると大人になれた気分になった。

早く大人になりたかった…
子供でいたら辛いことばかりだし
大人になったら学校も行かなくていい。
その大人までに少し近づいた中学校の生活は、同じ小学校だった人が
私が虐められていたことを、知らない人に広めたりした。

まぁ予想通り。

相変わらず、汚いもの扱いされたり、距離を取られたりしたけど、
私と似たように小学校でいじめられっ子だった女子がいて友達になった。


小学校ほどではないけど、居心地の悪い場所であることは変わりない。


でも友達がいたから。
それなりに満たされる時間もあった。


そして親にお願いして、顎のアザをレーザーで切除した。


アザがなくなっても、私は私だけど、、


クラスメイトが
あいつホクロ取ったけど小学校のアルバムに本当の顔が残ってるからな(笑)と私に聞こえるように雑談していた。


何を思い、何を考えいたのかは覚えていない。


ただただ早く大人になりたい、、、


高校は進学したくなかったけど、親に許して貰えなく自宅からバスで20分ほどの高校へ進学した。


私の過去を知る人物が、数名居た…





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