上海リリ2
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どうぞよろしくお願いしますm(__)m
それはそれとして、屋台では何を食べようかな?
というより、私の手持ちだとお粥くらいしか買えないな。
靴音に紛らして、小さく溜息を吐く。
まさか、この二人が奢ってくれるとも思えないし、この二人がそこまで新入りの私にしてやる義理もないだろう。
そう思うと胸がまた縮む心地がして、何とはなしに先を歩く薇薇(ウェイウェイ)と莎莎(シャシャ)の背を見やる。
後姿だと、莎莎は蒼白い旗袍(チャイナドレス)の上からもそうと窺い知れるほど痩せ細った背中をしていた。
ハイヒールで一歩一歩踏み出す彼女の足首は、格好良く引き締まっているというより、そもそも肉と呼べる肉がほとんど付いていない。
私も同じ様な脚をしているけれど、多分、後姿は、莎莎よりもっとみすぼらしいんだろうな。
「今日は何食べよっかな?」
薇薇のウキウキした呟きが耳に入る。
この子だって、そうお金はないはずなのに、何を食べたらこんなモチモチした体つきになるんだろう?
>> 3
二胡(にこ)の哀しげな調子とは明らかに違う、楽しげな絃の調べ。
竹笛(たけぶえ)に似て、どこか肌合いの異なる音色。
銅鑼(どら)の様で、もう少し厚みを備えた響き。
恐らくはどれも西洋の楽器の音が向こうから絡み合って聴こえてきた。
というより、もともとバラバラに耳に入っていた音の流れが、源に近づくにつれて一つの形を成して響いてきたのだ。
「もうバンドの人たちが来てるよ……!」
薇薇(ウェイウェイ)が莎莎(シャシャ)に耳打ちする声が私の耳にも届く。
そういえば、総経理(しはいにん)の部屋で挨拶した時も、達哥(ダー兄さん)が蓉姐(ロンジエ)に「そろそろバンドの連中が来る」と説明していた。
菱姐(リン姐さん)と階段で擦れ違った時に上から聴こえてきたのも、恐らくはそのバンドが奏でた音だったのだろう。
さっき達哥が鋼琴(ピアノ)を調律してい
たのと同じで、これも多分、弾いている姿を確かめれば全員中国人なんだろうな。
「ふふ」
ちょっぴり安心して、妙に可笑しくなる。
だが、次の瞬間、耳に飛び込んできた歌声に度肝を抜かれた。
“L'amour est un oiseau rebelle Que nul ne peut apprivoiser”
何なの、これ?
私たち三人は、まるで申し合わせた様に、全員ピタリと足を止める。
“Et c'est bien en vain qu'on l'appelle S'il lui convient de refuser”
廊下を流れてくる歌声は、一瞬、小鳥の囀(さえず)りかと思わせて、しかし、もっと艶やかな厚みとうねりを備えている。
“Rien n'y fait, menace ou prière L'un parle bien, l'autre se tait”
これは一体、どこの国の言葉なのかな?
漠然と洋人が話す言葉だろうとしか見当が付かない。
昨日、公寓(アパート)のエレベーターで会った眼鏡の男が気取って話していた言葉とも響きが違う気がするから、多分、洋人の言葉にも何種類かあるのだろう。
同じ中華民国に生まれ育っても、私たちがそれぞれ蘇州や浙江の訛りで、北方の巻き舌喋りで、あるいは広東語を引き摺って話す様にだ。
“Et c'est l'autre que je préfère Il n'a rien dit, mais il me plait”
と、すぐ前方で互いに出方を窺う様に顔を見合わせていた薇薇と莎莎が私を振り返った。
“L'amour L'amour……”
莎莎(シャシャ)がチラと目配せする様に私を見やると、薇薇(ウェイウェイ)がゴソゴソと自分のバッグを探り出した。
“L'amour L'amour!”
「……んたさ、これ、持ってってくれない?」
薇薇が小さな箱を私に差し出す。
「え?」
私は思わず問い返した。
「あんた、これ、向こうのホールに持ってって」
返事を待たずに、薇薇のぷっくりした手が私の掌に箱を押し付ける。
フワフワしてる様で滑らかな、短く切り揃えた毛皮みたいな手触りがした。
これは洋人の品で、かなり高級な物らしい、とは漠然と察せられる。
“L'amour est enfant de bohème Il n'a jamais, jamais, connu de loi”
「お願い!」
莎莎が拝む様に、私に向かって手を合わせる。
「あんたなら、怒られないわ」
二人に背中を押され、私は胸に箱を捧げ持つ格好のまま、歌声と楽器の音色と灯りの漏れてくる出口に足を踏み入れた。
>> 6
“Si tu ne m'aimes pas, je t'aime……”
「あ……」
私は思わず声を上げてから、固まった。
二胡(にこ)や笛や銅鑼(どら)の遠縁らしき西洋の楽器を奏でていたのは、予想通り、中国人の男たちだった。
まるで申し合わせたかの様に、黄色い顔に黒い髪を撫で付け、小明(シャオミン)が着ていた服よりは上等だが、偉哥(ウェイ兄さん)や達哥(ダー兄さん)と比べると明らかに質素な洋服に身を包んでいる。
しかし、男たちの中央に聳え立っていたのは、他でもない、黒揚羽(くろあげは)の翼さながら瑠璃色に輝く旗袍(チャイナドレス)を長身の体に纏い、濃い栗色の髪を波立つ様に縮らせた、蓉姐(ロンジエ)だった。
>> 7
「何」
彫り深い眼窩の奥で、私を見下ろす茶緑の目が冷たく光る。
「えーと……その……」
私が口ごもる間にも、醒めた苛立ちが姐さんの目から顔全体を凍らせていく。
楽器をめいめい手にした男たちも、演奏途中で手を止めたまま、よそよそしい目をこちらに向けている。
中でも琵琶を小さくした様な楽器を顎に当てた男は、恐らくは二十歳くらいで、ここにいる男たちの中では一番若く見えたが、斜め向きの流し目じみた格好のまま、冷ややかな目を投げ掛けていた。
結局、ここで一番場違いなのは、他でもない私なのだ。
「これを、姐さんに……」
うなだれて差し出すが早いか、姐さんの白い手が箱を奪う。
天井からの灯りに照らし出されたのを目にして、初めて、今まで手にしていた不思議な手触りの箱が、真っ黒ではなく深い藍色だと気付いた。
パカッ。
卵の殻が割れるのに似た音がして、蓉姐の手で藍色の箱が上下に開いた。
あれ、途中から二つに割れる仕組みの箱なのか。
妙な驚きに駆られる私をよそに弾き手のない鋼琴(ピアノ)の上に姐さんは箱を置く。
天井からの灯りを浴びて、キラリと眩い二つの輝きが顔を出した。
艶やかな緑色だが、翡翠とも明らかに異なる、氷の様に透き通った石。
全体としては雫(しずく)の形をしてはいるものの、表面に角張った切り込みを入れられているため、切り込みの面ごとに微細に色彩の異なる、正に玉虫色の光を放っている。
姐さんが白い手で耳飾りを取り上げて、ほんのり桃色に染まった耳朶に下げると、緑の輝く石は、一層燦然(さんぜん)たる光を放って揺れた。
と、姐さんの姿がこちらに迫ってきて、頬に鈍い衝撃が走った。
>> 8
「いつまで、そこに突っ立ってんのよ」
姐さんの目と、耳飾りの、四個の緑色の光が私を見下ろしていた。
「練習の邪魔すんじゃない」
打たれた頬が、遅ればせの様にゆっくり熱くなっていく。
先程まで小さな琵琶じみた楽器を顎に当てていた男がちらと目に入る。
いつの間にか楽器を膝に下ろして、「くたびれて肩が凝った」とでも言いたげに首を左右に捻っていた。
他の楽士たちも空々しい面持ちで、それぞれ譜面を捲ったり、あるいは楽器の吹き口を拭ったりしている。
「はい」
私は返事と同時に踵を返す。
さっさとこの場から立ち去りたかった、
「今度同じことしたら、承知しないわよ」
背中に姐さんの低い地声がまた突き刺さる。
「……はい」
ー―あいつは気まぐれで動くからな。
達哥(ダー兄さん)の言葉が頭の中に蘇って、また胸を刺す。
私の足音を掻き消すように、また、演奏が始まった。
“Et si je t'aime, prends garde à toi
Prends garde à toi……“
暗い廊下に戻ると、薇薇(ウェイウェイ)と莎莎(シャシャ)が立っていた。
まるでそう言いつけられでもした様に。
「返してきたよ、耳飾り」
泣きたくなかったのに、終わりの方が涙声になってしまった。
「これで、いいんでしょ」
あんたたちが又貸しし合った耳飾りを言われるまま姐さんに返しに行って、あんたたちの代わりにぶん殴られた。
「ごめんね」
薇薇がふっくらした手で私の背を擦った。
「あたしたちが行ったら、ビンタどころじゃ済まないと思ったから」
あれでも、まだ手ぬるい方なのだと薇薇は言いたいらしい。
「お昼、奢るわ」
莎莎はそれだけ告げると、私の答えを待たずに足を速めた。
表に出ると、眩しい光と、行き交う人や車の足音と、そして、この街特有の香ばしい匂いが一度に押し寄せる。
吸い込む空気は相変わらず埃(ほこり)っぽくて少し噎(む)せそうになるが、頬を微かに撫でる風は梅雨の湿り気を含んでいる。
雨が降りだす前に食べ終えて戻らなきゃ。
莎莎(シャシャ)の薄青の旗袍と薇薇(ウェイウェイ)の石榴(ざくろ)色の旗袍の背中を追いつつ、私は案じる。
日に当てられて余計に暑くなったせいか、薇薇の背中はさっきより丸く濡れた分が大きくなったようだ。
これからますます暑くなるから、この子は衣装の洗濯が大変に違いない。
私はと言えば、この一張羅(いっちょうら)をどうやって長持ちさせるかが問題だ。
梅雨の晴れ間に照りつける陽の光を避ける様に、不慣れなハイヒールに痛み出した足は、知らず知らず舗装された道の端に寄っていた。
>> 11
「おいしそうだね」
前を行く薇薇(ウェイウェイ)と莎莎(シャシャ)に向かって頷きながら、私は居並ぶ屋台の看板を見回す。
我ながら田舎くさい挙動だと思ったが、どうせおのぼりさんなんだから、素寒貧(すかんぴん)なんだから、それでいい。
そう思いつつ、八百屋の屋台の中に蓮の実を見つけて、ほんのちょっと安心したりする。
上海でも同じ果物を食べるんだな。
「こっちだと同じ物でも何でも蘇州より高いのよ」
不意に耳元で囁かれ、思わず目を向けると、莎莎(シャシャ)の蒼白い顔があった。
「こっちの蓮は、高いだけで苦いわ」
透き通った薄青の石を耳元で微かに揺らして笑う顔は、何だかこちらを憐れむ様な、自分が諦める様な、力のない気配が漂っている。
「洋梨はこの前食べたけど、美味しかったわよ」
薇薇ははち切れそうな頬に笑窪を浮かべて言った。
「阿建(アジェン)と二人で分けたんだけど、最後の一切れで喧嘩になっちゃった」
話しながら、薇薇の顔が赤くなる。
「阿建?」
私は思わず聞き返す。
まさか……?
「あ、莉莉(リリ)はまだ会ったことないわよね」
薇薇の代わりに莎莎が気付いた様に応えた。
「ううん、蓉姐(ロンジエ)の部屋で一度会ったわ」
「そうなんだ!」
薇薇は目を輝かせている。
「挨拶くらいで、まだちゃんと話したことはないけどね」
取り敢えずは、そういうことにしておこう。
「はい、別嬪(べっぴん)さん三人」
三人という呼び声に釣られて目を向けてから、微妙に恥ずかしくなる。
少なくともダブダブのお下がり旗袍を纏った私は「別嬪」に当たらない。
「茘枝(ライチ)、安くするよ」
声を掛けた果物屋台の主人は肥った浅黒い顔の二重顎を震わせて笑った。
それだけなら気のいいおじさんにしか見えないが、左の頬には黒く引き裂かれた様な傷がある。
これは堅気じゃない。
直感で知れた。
「美人さんにピッタリの果物だ」
この顔は、越南(ベトナム)人かな?
浅黒い肌と大きな二皮目を見開いた顔つきから、何となく私たち中国人とは微妙に異なる血筋がほのみえる気がした。
「お一つ、いかが?」
相手は淀みのない上海語で告げると、兜じみた固い赤茶色の皮を剥いて滑らかに白い果実を差し出した。
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