彷徨う罪
一番…罪深いのは誰ですか?
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「どういう意味だ?」
零と芽依の関係は、河野の所で想像した通りの事でほぼ間違いないだろう。
でも、何の目的があって…
澤田は、その詳細を知っている。
だから、敢えて問う。
「レイという女は、何者だ?
芽依と、どんな関係がある…!」
脳裏に、零が思い浮かんだ。
俺の知っている彼女は、負けん気の強いじゃじゃ馬娘…
足癖が悪くて、オマケに言葉使いも悪い。
意外と泣き虫で、臆病者で…
たまに見せる笑顔が可愛くて…
「亮君。やっぱり君は、もうレイと会ってるんだね。」
澤田の声にハッとして顔を上げた。
奴は監視カメラを気にしながら、鉄格子に指先をトントンと軽く叩く様な仕草をした。
最初はその動作に意味など無いと思っていたが、一定のリズムをとって動く指先に目を奪われた。
『トンツー』
つまり、それは澤田からのモールス信号だった。
小平や警護の警官…ましてや、カメラレンズの向こう側の人間に知られたら不都合な内容を、メッセージにして俺に伝えようとしているのだ。
トンと一瞬で離したり、少しだけ離すタイミングを遅くしたりする指先を読む。
モールス信号は、そのリズムの連動で文字が作り上げられる。
BO・KU・RA・HA・KOPI-―
『僕らはコピー…』
『芽依と零の元になった、オリジナル細胞は双子の姉妹。』
衝撃的な告白に、俺は込み上げる異物を感じて口元を覆った。
吐き出さないようにと、必死で息を整える。
前屈みで堪えつつも、澤田の顔に強い視線を送った。
奴は…そんな俺を見て、ニッコリと微笑んでいた。
遂にはその口から、「あははっ…!」と笑い声までが漏れる。
「…何が可笑しい!」
「ははっ、可笑しいよ…。
だって、君…僕達を気持ち悪いと思ったんだろう?
その目…それは、化け物を見る目だもの。
可笑しくて、笑っちゃうよ…!」
俺は思わず、鉄格子に手をついていた。
「笑えねぇんだよっ!」
澤田の襟を掴んで、引き寄せた。
後ろで小平が声を荒げる。
「全然、笑えねぇから…!」
血管がキレそうだった。
今まで出した事のない様な、ドスの効いた声で澤田を掴み上げていた。
そして、そこで初めて…澤田は俺を睨み返したんだ。
悪くない目つきだと思った。
能面みたいな顔よりも、ずっと人間味のある…血走った目だ。
「澤田、零がお前の妹というのは本当か?
殺人事件を起こして、解放を要求したのはお前自身の意向か?ああ!?」
「ぐ…っ‥ぁ、放せっ…!」
澤田は、締め上げられた苦しみで眉をしかめる。
芽依の苦しみは、こんなもんじゃなかったはずだ…!!
「高瀬さん!!
駄目です!落ち着いて下さいっ!!」
小平と警官が駆け寄って、俺の身体を取り押さえた。
解放された澤田は、激しく咳混んでその場に倒れた。
俺は、小平達の手を振り解こうともがく。
「オラ、立てよ!
さっさと俺の質問に答えろっ!!」
「やめて下さい、高瀬さん…っ!」
「答えろ、澤田っ!!」
怒鳴りつけたと同時に、澤田がふらつきながら立ち上がった。
凭れながら鉄格子に手を掛けて、俺を見上げる。
切れた息で、口を開いた。
「レイとの血の繋がりなんてないさ…妹?
フッ…何が妹だ…。 レイは…誰からも、認めてもらえない命だった…この世に産まれた形跡を与えてもらえず…じきに殺される運命だった。
そして、例え命を奪われたとしても死んだ形跡すら残されない…そんな人間だよ。」
涙を流しながら、澤田は泣き笑う。
生まれた形跡がない…
死んだ形跡も残されない…
「零は…無戸籍なのか?」
「そうだよ…。
戸籍上の僕の母親が産み落とした、使用されないはずのサンプル(細胞核)がレイさ。」
…そうか、解った。
つまり…
澤田の母親が代理出産という形で零を産んだ。
でもそれは、産み落とすべき細胞核ではなかった。
出生届を出さなければ、赤ん坊はこの世に存在しないのと同じ…。
だから、始末もし易いって事か…?
同じ母体から産まれた澤田と零は、血の繋がりはなくとも一応は兄妹になる。
澤田は、ずっと零を守って生きて来たに違いない。
寄り添うように…ずっと側で、消されそうな命を守って来たんだ。
「ねぇ、亮君…レイはどんな風になった?
芽依に似てる?」
「全然、似てねぇよ…!」
芽依と零は似てない。
俺から見れば、あいつらは…全くの別人だ。
「亮君は、嘘が苦手なんだね…。
良かった…足に付けた傷を辿らなくても、簡単にレイを捜せる…。」
ふざけるな…。
「ふざけんじゃねぇよ…お前は、一生この檻の外には出れない!
零を捜す…?
はっ、そりゃ無理な相談だな!
俺が、絶対にお前を自由になんかさせねぇーから!!」
宣戦布告とも捉えられた澤田のセリフに、本気で腹が立った。
こんなに腹を立てたのは…
「亮君は、レイが好きなんだね…。」
腹を立てたのは
俺が零を愛しているから…。
「図星でしょう?
だけどさ…君は、レイを知る前に芽依を知るべきだったんだよ…。
君は、芽依の事を何も知ろうとしないで逃げた…その結果、彼女を失う事になった。
亮君…君は芽依の何を見て来たの?」
澤田に問われ、言葉に詰まった。
その言葉達は正しい。
俺は…芽依から逃げて彼女を知ろうとしなかった。
澤田の瞳に吸い込まれそうになる。
芽依を殺したのは、もしかしたら俺自身だったのか…?
頭がぼーっとする…
澤田が霞んで見えて来た…
が、目を覚ませと言わんばかりに携帯が静寂を破って鳴りだした。
同時に俺を押さえていた警官が、その腕を下ろした。
自由を得た俺は、ポケットから携帯を取り出す。
液晶画面を見て、まどろみが一気に取れた。
表示には、岩屋の変顔と突き出された中指が俺に向けられて立っている。
『岩屋様から電話だよ♪
早く出ないと撃たれるぞ♪』
ふざけたオリジナルの着信音と画像に、ブチ切れ寸前だ!!
『岩屋様から電話…「はい!高瀬っ…てテメェ、岩屋っ!!」
「修也の瞳を長く見て話すなよ?
軽く洗脳されてヤバくなるぞ。」
岩屋は、一方的にそう告げると電話を切った。
洗脳…?
『岩ホ』を片手に、澤田を見た。
奴は頭を掻いて小さな溜め息を漏らす。
『もう少しだったのに…』
そんな感じの態度にも見えた。
あぶねぇ…
澤田の容姿に騙されて、奴が危険人物だという事を忘れてしまいそうになる。
油断禁物を肝に銘じなければ喰われてしまう…。
俺は、額の冷や汗をスーツの袖口で拭った。
「亮君、君は僕に何度も訊いたよね?
‥なぜ、芽依を殺したの?って…。」
それはね‥と澤田は続けた。
不敵な笑みを浮かべながら
「芽依が、君を愛していたからだよ。
そして…僕は、そんな芽依を愛していた。
僕が芽依を殺したのは、彼女への愛情の証さ。」
「芽依の気持ちが、自分には向かないから殺したのか?」
違うよ…と、澤田がかぶりを振る。
「僕は、芽依の苦しみを解放してあげたかっただけ…。
永遠の眠りを与えて楽にしてあげたんだ。」
澤田とは、まともな会話が出来ない。
奴は『殺人』を自分の勝手な思い込みで美化しているだけだ。
その証拠に、核心をつかれた質問には答えない。
裁判の時と同じだ。
本当は、狂ったフリをしているだけの確信犯なのではないか?とさえ思ってしまう。
「高瀬さん、そろそろ時間になるので…。」
小平が、面会時間の限りを促した。
肩に手を添えられて、「行きましょう」と踵を返す。
俺は、後ろ髪を引かれる思いで澤田を見た。
澤田は『またね‥。』と口パクで言って、ほくそ笑んだ。
時間がない…。
俺は直感的に、澤田の解放が現実的になりそうな予感を走らせる。
早く、事件の収束のメドをたてないと
恐ろしい出来事が起きてしまう‥
そんな予感だった。
小平とはロビーで別れた。
入り口まで、同行していた警官2人に見送られる。
「ご苦労様でした。」
無機質な敬礼。
一律不動な2人に、俺はカマをかけてみた。
「上司があんな、おちゃらけた奴でお前らも気の毒だな。」
心底同情するぜ、と言わんばかりに2人の肩を叩く。
制帽の中を覗き込むと、微かに口元が緩んでいた。
間違いない‥。
コイツらも、岩屋の部下だ。
「お疲れさん!」
後ろ手をヒラヒラさせて門に向かう。
改めて、公安の根の深さを思い知った。
捜査網が、毛細血管の様に張り巡らせられている。
あの電話‥岩屋も澤田に会ったに違いない。
アイツは、零の事をどこまで知っているんだ?
澤田の事をどこまで知っているんだ?
あまりにも、こっちの情報が少ない。
時は一刻を争う。
「参ったな。」
苦笑いを浮かべて、タバコに火を付けた。
空を仰ぎながら煙りをスゥーっと吐く。
俺は『岩ホ』を取り出して、暫く考え込んだ。
岩屋の名前をスクロールして、通話ボタンを押すか押さないか…
情報の提供を求めたい気持ちはあるが、俺のプライドがそれを許さない。
迷っている最中に、表示が『河野』からの着信を知らせた。
いきなりでちょっと、ビクついたが直ぐに通話ボタンを押した。
「もしもし、高瀬か?」
河野は少しだけ慌てた様子だった。
「あぁ、どうした?」
「ちょっと、例の件で関連資料を集めてみたんだ。
今から、こっちに戻れるか?」
例の関連資料…
とっさに、その一言が示す意味を察知する。
「すぐに戻る。」
電話を切って、俺はまた河野の研究室へと戻って行った。
研究室は既に人払いがされていた。
ドアに内鍵をかけて、完全なる密室になった。
室内は俺と河野の2人きりになった…って、なんだか妖しい表現だな。
言っておくが、俺には『そっち』の気は無い。
無論…河野も同様だ。
「どうした、高瀬? 考え事か?」
「いや、別に。
ちょっと、変な事思っただけだから。」
「は?何だよ、それ…いやらしい奴だな。」
いやらしくなんか無い。
俺は、ギャグめいた思考を巡らせただけだ。
本気で、俺らのアバンチュールを考えるヤツなんかは、世の中に腐女子と呼ばれる女だけだろ。
まぁ…いたとして、河野とならば最悪許さない事もない。
だけど、もし相手が岩屋だとして想像なんかしようもんなら…
ぶっ殺す!!
「はぁ…大丈夫かよ。
高瀬お前、相当疲れてるな。」
ぼけっと、珈琲カップを見つめる俺に河野が言った。
「あぁ、確かに疲れてるな…」
最近、色々とあり過ぎて思考回路がおかしくなってる。
「まぁ…疲れてるのは分かるが、これが一連の資料なんだけど…。」
並べられた膨大な資料に、目が眩む。
『クローン技術に関する研究資料・報告書』
見出しに記された題目に、伸ばした手が小さく震えた。
「河野、俺は文系なんだよ。
だから、分かり易く…でも、大事な要素は砕かないで教えてくれ。」
真剣な眼差しを河野に向けた。
彼もまた、そんな俺に「うん。」と力強く頷いて説明を始めたのだ。
「まず、『クローン』とはDNAを含む細胞核を未受精卵に移植する『核移植』の事を示すんだ。
1997年にマウス翌年にはウシ…その後も、ネコ・ウマ・ヤギ・ラクダに至るまで多くの哺乳類動物で、体細胞由来のクローン作成の成功例が報告されている。
つまり、今じゃ簡単にクローンの作成が可能になっているって事だ。」
確かに河野の言う通り、報告書の成功例は後を絶たない。
クローン羊が出来た時、それは世紀の大発見みたいな盛り上がりを見せていたと思ったが、現状ではその技術も容易くなったって事だ…。
「例えば、それは人間でも容易に出来るって事か?」
俺は、意を決めて河野に訊いた。
「実は…ヒトのクローンが一番、容易に出来てしまうんだ。」
河野の真剣な目は、俺の背筋を冷たくした。
「ネコや、ウマなんていう事例があるけど、哺乳類動物の中でもヒトの卵子が傷に強い性質があるから、人間はクローン作製に最も適している。
いくつかの研究グループにクローン人間作製の噂があるけど、真偽は依然として不明だ。」
クローン人間は容易に出来てしまう‥。
そんなの、SFの世界だけだと思っていた。
「まぁ…実際にiPS細胞の研究が進んでる訳だし、クローン技術は日本でもかなり高い実績はあるよな。
その裏で、人間が作られても不思議じゃない。」
iPS細胞?
自身の臓器の細胞を取って培養し、クローン技術で健康な臓器を作って移植する…ってあれか。
「河野、クローンで作られた動物達に何か異常性は無いのか?」
澤田が本当にコピーだとしたら
奴が歳をとらない理由が、そこにあるんじゃないか…?
「これを、見てみろよ。」
河野から手渡されたのは、『クローン実験のエラー報告書』だった。
かなり分厚いファイルだ。
「ご覧の通り‥昨今に致まで、ほぼ全ての動物のクローン体は何らかのエラー報告がなされている。」
例えば‥と、河野はページを捲っていく。
「ここだ、クローン体には『テロメア』という細胞分裂に必要な遺伝子が短いとの報告がある。
テロメアの長さが短い事で実に短命だ。 それは、癌になりやすいって事と関連しているな。」
癌か…確か、澤田も癌に侵されていると小平が言ってたな。
「身体と精神が成長しない‥なんて事もあるのか?」
河野は顔をしかめ、「う~ん‥」と唸る。
「なんせ、人間での実験報告がないから何とも言えないよな‥。
ただ、遺伝子に異常があるのなら未知数の可能性は否定出来ないだろう。」
「そうか‥この、仮説では同じ人間の遺伝子を使っても、全く同じ人間は出来ないと言ってるのはどういう意味だ?」
俺は、資料の一節を指差した。
「それは、簡単。
同時に『せーの!』で生まれても、育った環境が違ければ性格も変わるし知識だって違ってくるだろ?」
「それだけ?
なら、双子の技術で産んで同じ環境で育ったら?」
俺の問いに、河野は「まず、それは不可能だけど」と失笑しながら人差し指の腹を突き出した。
河野の指の腹を眺めながら、頭に幾つもの?マークが浮かんだ。
「これが、俺の認証だ。
刑事のお前なら解るだろ?
この世に、二つと存在しない個人の認証。」
つまり‥
「指紋か?」
河野は真っ直ぐに俺を見つめて頷いた。
「指紋だけは、クローンでも同じにならない。
俺はそれを、この技術に抗う命の抵抗だと思ってる。
作り出された命に、オリジナルもコピーもない。
それを示す唯一の証だと思うんだ。」
俺は自分の人差し指の渦を眺めた。
この世に二つとして存在しないもの‥
個人の証。
その渦を眺めながら、俺は河野の考えに深く賛同した。
例え、零が澤田と同じ(コピー)だとしても、俺の気持ちは変わらない。
零に出逢えた奇跡に感動して、あいつを作った人間がいたとしたら、俺はそいつに感謝さえする。
零の出生がどんなだろうと構わない。
そんな事は関係ない、零が好きなんだ。
一個人の男の本音はこうだ。
ただ‥俺は刑事だ。
刑事として零を見れば、出生の謎を野放しには出来ない。
色恋沙汰で、不都合な問題から目を背けて、綺麗事を並べる訳にはいかない。
愛だの恋だの言って、甘い蜜の中に浸る事は許されない。
寧ろ‥刑事には、邪魔な感情ですらある。
零への愛情を断ち切らなくては…
でも、あいつは‥?
あいつは、俺を想い続けるんだろうな。
バカみたいに、一途に‥
どうせなら、あいつの想いも断ち切ってやりてぇな…。
傷付けて、傷付いて
そうでもしないと、俺はこの先‥とてもじゃないが、刑事を続けて行く事は出来そうにない。
『高瀬‥っ!』
こうして、瞳を閉じると零の顔が浮かぶ。
耳に残った、彼女には似合わない高めな声。
美しい風貌からは、想像も出来ないくらい、乱暴な言葉と態度にガッカリもした。
それでも、あいつは俺の心を掴んで離さなかった。
強い眼差しに映る光に惹かれて、焦がされた。
『そんなあいつを諦められるのか?』
もう、一人の自分が問う。
俺は、吐息をついて答える‥
『そうするしかないんだ。』
俺は‥刑事だから。
何よりも、そのプライドが大切なんだ。
「本題に入るが、彼女は今どこにいる?」
河野が指す『彼女』とは、もちろん零のことだ。
俺は、閉じた瞳を開いてカップに手を伸ばす。
珈琲を一口だけ啜って、「公安に持ってかれた。」と伝えた。
「公安か…ヤツらも、彼女の事を知ってて連れて行ったのか?」
「‥多分な。」
そう言った俺の目は、河野には虚ろに見えたんだろうな。
河野は「う~ん‥」と考え込んで顔をしかめた。
「公安が彼女を調べるとしたら、行き先はNRIPSだな。」
「科警研か?」
科警研は、警察庁の付属機関だ。
科捜研が、各都道府県警察本部の刑事課に設置されてる専用機関だとしたら、科警研はその大元だ。
いわば、公安の支配下にある機関とも言える。
河野も、簡単には調べを尽くせない場所だとうなだれた。
俺はゆっくりとカップを置いて立ち上がる。
「高瀬、どうした?」
「行くよ。」
「行くって、どこに?!」
慌てて後を追う河野に、軽く微笑む。
「まさか‥柏に行くつもりか?」
科警研は千葉の柏にある‥河野は、俺にそこに行くのかと訊ねた。
俺は首を横に振って答える。
「他に、行く所があるんだ。」
心配そうに俺を見つめる河野に、もう一度だけ微笑んでドアの内鍵を開けた。
このドアの向こう側にある真実を求めて歩いて行く。
タバコの空箱を潰して、振り向かずに後ろのゴミ箱へと投げた。
ポスッ‥と、箱に入る音が聞こえると満足げに笑って脚を前に進めた。
岩屋には掴めないであろう情報を俺は求める。
――…
パイプオルガンと、軋んだ床の歪む音。
目の前には、十字架に括り付けられた真っ白なキリスト。
私達が恐れた神と呼ばれた男。
「神よ‥この罪深き子ども達を許し賜え…。」
毎日、祈りを捧げて赦しを請うの…。
毎日毎日‥生まれて来た罪を懺悔する。
「何で、神父様は私達を罪深き子どもと言うの?」
中庭の大きな樫の木に座って、本を読む修也に訊いた。
彼は私に微笑んで、「隣においで」と地面を叩いた。
促されるまま、私は横に行って体育座りをした。
「僕には罪はあるけど、レイ‥君には罪なんて何もないよ。 あれは、ここに住まう儀式さ‥だから、レイは何も気にしなくて良い。」
「どうして、修ちゃんには罪があるの?」
私が尋ねると、彼は本をパタリと閉じて泣き出しそうな顔して笑った。
修也は、いつもそうだ。
本当は泣きたいのに、笑う‥常に物悲し気な笑顔を浮かべている。
『泣いても良いんだよ?』
大人になった私なら、彼にそう言ってあげられたんだろうか…?
「本当の僕は、随分前に死んでるんだ。 今、此処にいる僕は偽物‥幽霊?
それとも‥加工品とでも言えばいいのか。
とにかく、僕の存在自体が神の怒りに触れる罪そのものなんだってさ…。」
なんだって‥さ。
幼い私にでも分かる。
修也は怒っているのだと。
罪の子‥
生まれて来た事で背負わされた、いわれなき罪に‥彼は、腹を立てていたのだ。
その怒りは、修也の腹の中で静かに増殖して行った。
やがて、それは
彼の腹を突き破って、悲痛な吼こうをあげながら暴れ出す。
「レイ、君は僕を愛してる?」
修也の求める『愛』が、何だったのか‥それは今でも解らない。
だけど、修也が居ない世界では私は生きられない‥彼は私にとって、かけがえのない存在。
そういう意味でなら、私はもちろん彼を愛していた。
修也は私の兄で、たった一人の家族だったから…。
「僕を愛してる?」
「修ちゃん、大好き!」
幼い私は、『愛』と『好き』の違いなんて知らない。
私は、一度も修也に「愛している。」
と言った事は無かった。
それでも、彼は嬉しそうに私の頭を撫でて
「僕も、レイが大好きだよ。」
と、抱きしめてくれた。
その日は、朝から嫌な予感がしていた。
学校に行く時間のはずなのに、修也は肩掛けのスポーツバックに荷物を詰めていた。
自身の着替えならまだしも、その中には私の下着類も入れられていた。
「どこかに行くの‥?」
訊ねる私の手を引っ張って、修也は険しい表情で修道院を出た。
歩いて歩いて‥
足がもたついて、息が切れる。
「どうしたの?」
「どこに行くの?」
「足が痛いよ!」
どんな声を掛けても、修也は無言で足早に私を引いた。
そして、疲れ果てた私は、遂に修也の手を振り解いてその場に座り込んだのだ。
「レイ‥?
頼むよ、歩いてくれ!」
彼は、ふてくされる私の腕を取って、何とか立ち上げようとする。
私は、唸りながら頑として動かない。
「お願いだ、レイ! 良い子だから‥!」
「イヤだ!足が痛いもん!
修ちゃんなんかキライっ!!」
つい、口から出てしまった言葉だった。
小さな子供のふてくされ文句。
だけど、拒絶される事を何よりも嫌い、恐れる修也にはキツい言葉だったに違いない。
「‥そんな事、言わないでよ…」
くぐもる彼の声にハッとして、顔を上げた。
修也の頬を、幾つもの涙が伝って流れていた。
胸が痛んだ‥
そこには、いつものあの笑顔は無かった。
私は、立ち上がって彼の手を引いた。
トボトボと、靴擦れた足で歩く。
「水の匂いがする‥。」
駆け出した私達は、緑の丘を登って長い河原に出た。
修也が好きな天の川…
「キレイだね…レイ‥」
触れ合った手を互いに取って繋いだ。
修也は、ニッコリと笑って白い歯を見せる。
多分‥それが、私が最後に見た修也の屈託のない笑顔だった。
それから‥謎の男達に捕まって、私達は監禁された。
どのくらい?少なくとも、1年くらいだろうか…。
光の届かない場所で、息を潜めながら一日一日を生き凌いでいた。
修也は、男達から『仕事』を言い付けられると、檻から出されてどこかへ連れて行かれた。
仕事から戻った修也は、とても疲れた様子で顔色も悪かった。
服は、血や泥や葉っぱが所々に付着していて酷く汚れていた。
何をさせられていたのだろう…?
あの頃は知る由も無い。
今だって、本当の事は解らない。
だけど…彼が、人を殺めていた可能性はあると思う。
お姉ちゃん‥
そうだ、芽依を殺ろした時に言ってた。
「これで、自由になったね…。」
修也は、仕事が終わって帰ってくると、「彼女は自由になったんだ‥」
とまるで呪文の様に繰り返して呟いた。
私達の他に、監禁された人間がいたのだとしたら…
修也は、その人達を殺して捨てたんじゃないだろうか…?
でも‥なんの為に?
何の為に、修也は人を殺してしまったの‥?
「うぅ‥ぅぅ…」
頭が割れそうに痛い‥!!
『ちゃんと頭で覚えろ!!
ぶっ殺されてぇのか!?』
頭に突き付けられた銃口‥。
「イヤだ‥やめて…!」
ちゃんと‥覚えるよ?
忘れないように、一生懸命覚えます…!
だから、殺さないで下さい‥!
修ちゃんを連れて行かないで…!!
「あっ‥あぁ‥ぁ‥」
『さっさと、今日のクライアントの名前言え!この、くそガキ!!』
お腹に走る痛み‥
恐怖・絶望…苦しみに、悲しみ…
「い‥いずみ、よしはる。
はっ…はっ‥はせがわ、かずお‥」
私にも『仕事』はあった。
聞かされた人の名前と住所と連絡先…。
無数にいるそれらを頭で覚え、管理しないと暴力を振るわれ食事を抜かれた。
それは、一緒にいた修也も同様だった。
私は、修也を守りたくて懸命にそれを覚えた。
私の頭は、名簿の役割を果たしていた。
あ‥あっ‥あぁ‥ぁ
ダメっ‥!思い出しちゃダメだ!!
「レイ、全部忘れるんだ‥!
良いか?これを覚えていると、君も荷担者になってしまう‥!
全部忘れて、僕が迎えに行くまで普通に暮らすんだ!
良いね?僕は、レイ‥君を必ず見つけて迎えに行くから!」
光るナイフの刃先が、私の足に赤い線を付ける。
皮膚を割いて朱色のインクが滲み出る。
痛みで気が遠くなりそう‥
「痛いよ…!」
啜り泣く声にかぶせて、修也は言った。
「愛するって事は、痛みを伴うものなんだよ…。」
刃よりも冷たく、妖しい光を秘めた修也の瞳‥
私は、この時に初めて修也を怖いと思ったんだ…。
「ばいばい‥レイ。」
首筋に射された注射液。
足の傷の痛みとは違う、鈍く重たい痛みが首筋に走る。
「気持ち悪い…」
激しい目眩に吐き気がした。
グルグルと回る修也の顔‥
フッ‥と目の前が暗くなって、私は『無』になって行く。
「レイ‥またね。」
最後に聞いた修也の声。
私の空白の数年間は、記憶を取り戻した後でも謎が残った。
幼過ぎたからか
受けた拷問のショックが大きかったからか…
私は、修也の事も自分の事も、ましてや、芽依の事なんかも何も知らない。
取り戻した記憶に、何の意味も無い。
これじゃぁ…高瀬を救えない。
修也の口から真実を聞き出さなきゃ、誰も納得しない。
『またね…』
あの声を聞くと、全身が冷たくなっていく‥。
私は、修也を恐れている…。
指に付いた私の血を舐めた修也の顔が、気味悪く笑っていた。
怖い‥
「怖い‥っ!」
来ないで…触らないで‥
息が出来ないの…!
震えが止まらなくて
喉がカラカラに乾く
助けて‥苦しい…!
目を開けると、真っ白な光が飛び込んで来た。
無数の黒い人影に、あの男達を思い描いた‥
伸ばされた手に恐怖が迫って‥
私は悲鳴を上げた。
――…
「いやぁぁぁぁっ!!」
覚醒した零が暴れ出す。
身体に付けられた幾つもの配線を引きちぎってパニックを起こす。
点滴の管を引きちぎった零の腕から、勢いよく血が跳ねて俺のYシャツを赤く染めた。
「落ち着け!零っ!」
手足をバタつかせる零の身体を固定して 、点滴の針を抜いた。
「安定剤を早くっ!」
前田が慌てて研究者を呼ぶが、俺はそれを阻止した。
自白剤が抜けた恐怖感に支配されて、撹乱しているだけだ。
薬が完全に抜ければ落ち着くはず。
「あぁ‥ぁ!うっ‥!」
唸りを上げて、苦痛に抗う零を止める為、俺はベッドに上がって彼女の身体に馬乗った。
乱れる呼吸で、零は怯えながらも俺を睨み付けた。
「はっ‥はぁ‥はぁ‥う‥」
「零?」
様子がおかしい‥。
呼吸数が上がって、引きつるような声で苦しみもがいている。
その症状は、過呼吸だった。
「おいっ!誰か、紙袋持って来い!!」
ペーパーバックで、二酸化炭素を吸わせればひとまず治まる。
「「紙袋?!」」
周りがパニクりながらも、紙袋を探し始めた。
チッ‥早くしろよっ!
こうしている間にも、零の身体は強張って酸素を求める。
「ったく!」
痺れを切らせた俺は、片手で零の両手首を掴む。
もう片手で彼女の鼻を塞いで、深く酸素を吸い込むと、そのまま零の口に息を送り込んだ。
人間の吐く息は二酸化炭素だ。
俺は、何度も口移しで零に二酸化炭素を送り込む。
その行為を、その場にいた連中は驚きながらも黙って静観していた。
時折、溜め息混じりに「羨ましい‥」と漏れる声を背中に受けながら…
俺は、零に口付けし続けた。
次第に、零の肩から力が抜けて、柔らかな呼吸のリズムが戻ってきた。
「落ち着いたか…」
赤く充血した瞳から、泉が湧き出るかの様に水が浮かぶ。
ゆっくりと閉じた瞼から溢れて、それは大きな粒となって流れる。
声を殺して静かに泣く彼女の姿に、胸が締め付けられた。
額に張り付いた絹糸を思わせる髪が‥
首筋を伝う汗が‥
その汗が行き着く窪んだ鎖骨が‥
こんなにも悲痛な痛みを与えたのが俺なのだと語っていて、どうしようもなく胸が痛んだ。
掴んだ零の手首を放して、両手に絡め繋ぐ‥
そして、顎まで伝った涙を唇で掬い上げながら‥俺はもう一度だけ、零の唇にキスをした。
このキスは、救助に見せかけただけの邪な欲望だった。
それを見破っていたのは、零の虚ろな、この瞳だけ…。
覚醒した零を部下や研究員達に任せて、俺はボスに報告書を提出する為に『公安部長室』へと赴いた。
「これが、例のリストで間違いないんだな?」
薬を打たれた零が、うなされながら口にした男達の名前。
「はい。
その中には、先日殺害された被害者の田口の名前や、金子の名前も入っています。
当時住んでいた住所も、彼女の自供通りの場所で登録されていました。
それが、例の『顧客リスト』で間違いないと思います。」
『連続婦女暴行殺人事件』の被害者少女達を金で買った男共のリスト。
事件当時は消えたリストとして、加害者達の消息を掴む事は出来なかった。
完全なる証拠隠滅だ。
だが、まさか‥そのリストが零の中にあったとは…
どうりで、見つかるハズがねぇ訳だ。
「ご苦労だったな、岩屋。
よくやった。」
俺はボスに軽く頭を下げて、少しだけ遠慮がちに口を開いた。
「澤田 零を今後、どうしましょう?」
「彼女の使い道が他にあれば、自由に使えばいい。
なければお役御免‥解放しろ。」
その言葉の意味が分かるか?とでも言いた気なボスは、光るメガネを下げてジロリと俺を見た。
修也‥もしくは、柳原の『撒き餌』になるならば使え―と言う事だろう。
「分かりました。
彼女の事は、俺に一任させてもらいます。」
ペコリと頭を下げて、ボスに背を向ける。
「岩屋、ちゃんと身だしなみには気を使えよ?」
放たれた捨てセリフで、自分の胸元に視線を落とす。
細い筆で、漢字の「一」をなぐり書いた様な鮮血が滲んでいる。
零の腕から弾かれた血液…
俺は、ボスに背いたまま顔を横に向けて、再び頭を下げた。
本部から出て、 車に乗り込んだ所で携帯が鳴った。
ディスプレイを見ると、その電話は科警研からだった。
「はい、岩屋です。」
「もしもし、岩屋くん?」
その声で、相手は所長の「恭子さん」だと分かった。
「今は、まだ霞ヶ関?」
「ええ…今から戻ります。」
携帯を耳と肩に挟んで、クラッチを入れる。
「彼女なら、順調に回復してるから心配いらないわよ。」
見透かされているようだ。
恭子さんは、敏腕の研究者で43歳という若さなのに科警研の一切を任されている。
優秀なのは、並外れた頭の良さだけでは無い。
人を見る目‥というか、人間観察力が長けていて、その思考や動向までも把握し、的確なアドバイスをおくる事が出来る人なのだ。
無論、俺も新米の頃から恭子さんには何かと世話になっていた。
彼女の前では、隠し事は出来ない。
「急いで戻るんで、零をよろしくお願いします。」
「任せてよ!
岩屋くんが、熱烈なキスを授けたお嬢さんなんだから大切にしてあげるわよ。」
「何言ってんスカ‥!」
彼女の冗談に笑って、携帯をハンドフリーに繋ぐ。
「あら?私が気付かないとでも思って? 甘いわよ、こっちは花婿候補の1人を失って、軽くショックだったんだからね!」
花婿候補って…
「恭子さんは、独身主義だろ?」
前々から、飲みに連れて行かれる度に「男は恋人の状態が一番」なんだとか、「結婚なんて人生の墓場だ」なんて、結婚生活に疲れた既婚男性みたいな物言いをしていたのに。
「私だって、良い男がいたら結婚も考えるわよ?」
「へ~、じゃぁ‥俺は、その良い男の1人に選ばれたんだ。 恭子さんに選ばれたなんて光栄ですよ。」
恭子さんは所内でも、震いの『イケメン好き』なのだ。
俺は自分に自信があるけど、良い女の代名詞を持つ恭子さんに選ばれるって事は、それ以上のお墨付きを貰ったようなもんだ。
「自惚れは御法度! あなたと並んで、もう1人‥私を魅了する男がいるわ。」
この間、ホテルのラウンジで知り合ったっていう年下のイケメン医師か…?
「誰?」
とりあえず、訊いてみる。
それが、この会話の流れだったから訊かないのはマナー違反だと思った。
彼女は「うふふ‥」ともったい付けた様に笑う。
少し間をあけて
「高瀬くん!」
と奴の名前を言った。
「高瀬って…」
「捜一の高瀬くん、有名人よ?」
よく知ってるさ。
逆に‥本庁の中で、あいつを知らない奴なんて居ない。
「あいつのどこが良いんですか?」
「もちろん、ルックスよ!!」
彼女は躊躇なく嬉々として答えた。
―ルックスか‥まぁ、確かに悪くは無いよな。
だが、何だか納得がいかない。
「何で、俺と高瀬が天平に掛けられて並ばないといけないんだよ‥!」
口を尖らせ、ついた言葉に恭子さんはクスクスと笑いながら 、
「だって、画になるもの!」
と言った。
俺には、そんな画なんか想像出来ない。
「岩屋くんは、器用で要領もとても良いけど、高瀬くんは不器用じゃない?
女って、そういうダメな男に母性本能をくすぐられる生き物なのよ。」
母性本能って…奴はドSだぞ?
高瀬に惚れる女は大抵ドMかと思っていたけど‥。
実は、そんな高瀬を可愛がれる女の方が強いのかもな。
「恭子さんに飼い慣らされる高瀬が見てぇな!」
高いピンヒールに跪いて、ネクタイを手綱の様に引かれる高瀬を想像した。
白衣を靡かせ腕組む恭子さんを、羨望の眼差しで見上げる高瀬…ヤベッ!楽しい!
「んもぅ!岩屋くんたら、本っ当に底意地が悪いんだから…!
あんまり人をイジメちゃダメよ?」
「え?」
笑いすぎて、袋に溜まった涙を人差し指の背で拭う。
「三河よ!
あの子、高瀬くんの事でヒドく傷付いていたわ…あなたが仕向けた事でしょ?
自分に気のある女の子を利用しといて、意地悪を言うなんて最低よ?
今は、高瀬くんに本気になってしまったけど‥元々はあなたに報いたくてやった行動なのよ?」
「分かってたでしょ!」
強い口調で、そう続けた彼女に俺は口を閉ざした。
三河は、大学の2年下の後輩だった‥。
学生の頃から、俺を慕っていてくれた事は分かっていた。
だが、その頃の俺はテロリズムに駆られてて、純粋な女の恋心を受け入れるなんて無理だった。
三河は、警察庁に入った俺を追いかけて同じく公安に所属した。
今度は、忙しさにかまけて「本気の恋愛など出来ない」‥そう言って三河の気持ちを拒んだ。
それでも、彼女は俺を一途に想い続けた。
しばらくすると、ある事件で刑事課と捜査がかぶった。
そこでは、敏腕の高瀬が名を馳せていた。
その頃、俺はまだ警護課にいたし、直接的に事件の捜査には関わっていなかったが、奴の傍若無人な捜査のやり方は公安部に大きな揺さぶりをかけた。
検挙率を上げたいのは、刑事課も公安部も同じだ。
敵対する、二つの部署の火花を散らす対決は、高瀬が率いる刑事課に軍配が上がった。
その一件から、公安部では高瀬を毛嫌い、特別視している。
事件の案件が被りそうな時は、特に奴の行動を注意深く警戒していた。
移動になって、『藤森 芽依』の写真を見た時‥
直感的に俺は、高瀬とはいずれ対決する日が来るだろうと確信した。
その時の為に、奴の動向や性格‥心理描写に至るまで、細部に知り尽くしておく必要があった。
俺は、執拗な性格だ。
どうしたものかと考えた末、俺の脳裏に三河が浮かんだ。
美人局‥とは、よく言ったもんだ。
三河は、意外にアッサリと高瀬の懐に入り込んだ。
数年かけて、高瀬という破天荒な男の素性を、三河を通して知る事が出来た。
そして‥改めて、思い知るんだ。
高瀬の‥
高瀬 亮という男の力量を…。
「もしもし?!
岩屋くん、聞いてる?!」
再び、強い口調の恭子さんの声が耳に噛みついた。
「すいませんでした。
その事は、大人げなかったと反省してます。」
「本当ね?
三河は、数少ない女署員なんだから特別に可愛がってるのよ‥。
あれで、繊細な所もある子なんだから、もうイジメないでやってよ?」
「…はい。」
恭子さんが俺に連絡してきた一番の理由は、三河に対する仕打ちのお説教だったのか…。
本当なら、直接会って頭の一発でも叩きたかったに違いない。
しかし、零の事でゆっくりと説教する時間もない‥だから、仕方なく電話で済ましたのだろう。
「恭子さん、ごめんね。
あいつ(三河)の事、宜しく頼みます。」
電話越しでも、俺はぺこりと頭を下げた。
「やだ‥ちょっと、可愛いじゃん。」
これ以上は何も言えなくなっちゃった‥と、ウブな少女の様にはにかんで恭子さんは電話を切った。
耳に掛けたイヤホンを外して、両手でハンドルを握る。
強めにアクセスを踏んで、夕日を浴びた高速道路を突き進む。
「主任、お帰りなさい。」
車から降りた俺を待ち伏せてたのは、柳原の所で一緒に潜入捜査をしていた二ノ宮だった。
金髪だった頭は黒髪に戻され、派手な柄物シャツからスーツへとシフトチェンジされていた。
「お前の印象が変わり過ぎてて笑えるな。」
「そうっすかね?」
二ノ宮は、全身に目をやって、一回転してみせる。
「よく戻ったな、二ノ。
俺が急にORIONから姿を消したから、あっちは大騒ぎだったんじゃないか?」
「そっすよ!
挙げ句、零さんの行方も不明なもんだから、柳原も怒り心頭で…逃げてくるのも命懸けでしたよ!」
苦笑いを浮かべて、冗談半分で言ったつもりかもしれないが、強ち冗談でもないだろうと思った。
騒然とした組織から、怪しまれずに抜け出すのは容易ではない。
「無事で良かった‥。俺だけ先に戻って、本当に悪かったな。」
苦労を労うように、俺は二ノ宮の肩に手を添えた。
「ただいまっす!」
二ノ宮の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「お帰り、ニノ。」
その一言に堪えきれず、二ノ宮は嗚咽を漏らして泣きだしてしまった。
まだ、新人だった二ノ宮を潜入捜査員にしたのは俺だ。
初っぱなから厳しい環境に置いて、誰よりも早い成長を施してやりたかった。
実際、逃げ出さずに本当に良く此処まで付いて来てくれた。
彼が涙したのは、命からがら逃げて来た安堵感からではない。
自分の誇りに掛けて、一つの任務を遂行した達成感からだと思う。
「ヨシヨシ!もう泣くなよ‥。
中、入ろうぜ!」
俺は二ノ宮の頭をグシャグシャと撫でて微笑んだ。
先に歩みを進めて、遠隔操作キーで車にロックをかける。
後ろから「主任~、待って下さいよ!」と、嬉しそうな二ノ宮の声が聞こえた。
――…
見慣れない天井を仰いで目が覚めた。
額に当たる、冷たい感触が気持ちいい…。
「零、気分はどうだ?」
「…店長?」
穏やかに微笑む、岩屋の顔がそこにあった。
額に浮かんだ私の汗を、冷たいタオルで優しく拭ってくれている。
「ありがとう…。
もう、平気だよ‥。」
額のタオルに手を伸ばして、岩屋の手に添える。
「『ありがとう』なんて言うな‥。
俺には、お前からそんな礼を言われる資格なんて無いんだ。」
悲しみに満ちた岩屋の顔が、私の胸に痛みを走らせた。
岩屋の愛情に気がつかなければ‥きっと、感じる事の無かった痛みだ。
高瀬に求めた愛情が、岩屋にはある…。
岩屋に惹かれながらも、何故…目の前にある顔が高瀬ではないのかと、落胆する自分がいて自己嫌悪に陥るのだ。
その自己嫌悪から逃れようと、私は身体を起こして岩屋の胸に飛び込んだ。
彼のシャツに付いた、赤い染みに頬を当てて「ごめん‥」と呟く。
「‥零、帰ろうか。」
私の背中をさすって、囁くように言った岩屋に「うん…」と頷いて返事を返す。
『帰ろうか‥』
どこに?
そんな質問さえ愚問に思えて、あえて訊かずに返事を返したのは、私が弱かったからだ。
1人じゃ怖い‥。
人の温もりが欲しかった。
寝ても覚めても繰り返される悪夢に怯えて、とても1人じゃ堪えられない‥。
チラついて離れない、修也の残存を振り払う事が出来ない。
記憶を取り戻した私は、身を小さくして肩を震わせた臆病な7才の子どものまま…。
少し前の、負けん気の強い自信に溢れた私は、もう‥そこには居なかった。
岩屋に連れて来られたのは、車で30分くらいの場所にある古い平屋の家だった。
平屋だけど、割と大きくて味のある良い雰囲気の家だ。
「佐々木…?」
塀に掲げられ名前に、疑問を浮かべて頭を傾げた。
「ここ、ウチのばーちゃん家。
随分前に亡くなって今は空き家だけど、たまに隠れ家として俺が使ってるんだ。」
促されて中へ入ると、室内は意外なほど綺麗な状態に保たれていた。
たまにしか来てない割には…と、いつもの余計な勘が働く。
だが、ここで変な探りを入れるのは止めよう。
それにしても…
この古風な家には似つかわしくない数台のパソコンや、それらを繋ぐ配線がごちゃごちゃと居間の場所を占めている。
パソコンの本体だけでも5台‥さらに、ノートパソコンが4台…血管の様に連なった配線を数えるのは気が遠くなりそうで止めた。
コテや、ドライバーに、ペンチなどの工具も散乱している。
岩屋って、本当に素性の分からない男だ。
「食うもんが何もねぇなー‥!
零、何が食いたい?」
台所から戻った岩屋が、頭をかきむしりながら問いてきた。
「何でも‥。」
「何でもって‥」
質問を投げ出されて困惑しながら、岩屋はパソコンを起動させた。
「ネットでピザでも頼もうぜ。」
キーボードを叩く速さと、マウスを滑らせる動きがなんとも鮮やかだ。
「ついでに、ZOZOで自分の着替えも買っておけよ。」
ホレ、とパソコンの画面を向けられた。
「でも…」
私は躊躇って、なかなか画面を覗く事が出来なかった。
「遠慮すんなよ。
お前にかかる費用は、全部経費で落とせるから。」
経費…
そうか‥私は岩屋に助けられているのでは無く、警察に保護してもらっているだけなんだ。
勘違いしてた。
なんだかそう思うと、急に虚しく腹立たしくなった。
私は、パソコンの前に座って画面をスクロールしながら、次々とカートの中に商品を入れて行った。
「良いねぇ‥零ちゃん、その調子だ。」
ほくそ笑む岩屋をキッと睨みつけて、どんどんアイコンをクリックし続けた。
翌日、大量の荷物が届けられた。
ダンボール箱が3箱‥流石にやり過ぎたと反省する。
岩屋に留守を預けられた私は、その中から適当な着替を取って風呂場へと向かった。
昨日は、あの後すぐにパソコンを抱えて眠ってしまったようだ。
買い物の確定ボタンを入れたのは、岩屋だろう…。
ご丁寧に、お急ぎ便指定までしてさ。
途中、両腕に抱えた着替えやバスセットが落ちそうになって、慌ててバランスを整える。
脱衣所に荷物を置いて一息ついた。
そして、真新しいシャンプーの箱を開ける。
高瀬の家にあった、使われていなかったあのシャンプーと同じ物だ。
その香りを嗅いで、今度は鮮明に思い描くあの人の顔…。
「お姉ちゃん…」
これは、芽依の香りだ。
私を抱き寄せた時に、漂ってきた彼女の香り…。
「お姉ちゃん…なんで‥?」
なんであんな事…
ジワリと涙が浮かんだ。
あの人の、憂いを秘めた優しく儚げな微笑みを思い出す。
誰よりも、私に暖かな温もりを与えてくれた人だった。
「会いたいよ…」
そう呟いた途端に、ポロポロと涙の粒が床に落ちた。
「会いたいよ‥お姉ちゃん…」
洗面台の鏡に覗く顔…。
涙を拭って、微笑んでみた。
真っ赤になった目に映る顔に、手を伸ばす。
泣き笑いの『彼女』に、私は胸を押し潰されそうになって、浴室へと駆け入った。
熱い湯を頭から浴びて、身体を抱き締める。
何で私…彼女と同じ なの?
私と芽依は…どんな繋がりがあったの?
私は誰‥?
この身体は、誰の物なの?
お姉ちゃん…
私…何で、お姉ちゃんと同じなんだろう‥
全身を綺麗に洗った。
ナイロンで皮膚が赤くなって、痛みが走っても力任せにこすって洗った。
何故だか、自分の身体が汚らわしく思えてならない。
いつまでも、修也がこの身を抱いている様な感覚に捕らわれて離れない。
後ろから‥羽交い締めに抱かれている。
「いやだ…!」
私は、修也の残像を振り解いてタオルでグシャグシャと髪を拭いた。
なるべく鏡を見ないように、ルームウェアのマキシワンピを頭からかぶって着る。
着替えが終わると、急いで居間に戻った。
鏡にガラス‥ついていない真っ黒なテレビの画面…自分の顔が写りそうな物から全て目を背ける。
すると、サイドテーブルに置かれたスマホが視界に入った。
『近所なら、自由に出歩いても構わないい。
その代わり、常にコレを持って歩けよ?』
今朝、出掛ける祭に岩屋に言われたことだ。
私は、携帯を持った事がない。
「操作方法とか分かんないなー。
持ってるだけで、良いのかな?」
スマホを手に持って、預かった一万円と一緒にポシェットの中に入れた。
夕飯を作って待ってよう‥
そう、思いたった私は近所の商店街へと繰り出した。
夕方の賑わう商店街は、私を開放的な気分にしてくれた。
八百屋で人参やジャガイモなどカレーに使う野菜を買った。
サラダも作ろう‥!
肉屋で牛肉を頼んだら、おじさんがオマケにコロッケをくれた。
熱々のコロッケを頬張りながら、町を散策する。
行き交う人々との世界を隔てた壁は無かった。
それは、錯覚で一時的だと分かっている‥だけど、それでも嬉しかった。
一度で良いから、誰かの為に買い物に行って食事を作り、その人の帰りを待っていたいと願っていた。
その願いが叶ったみたいで、世界が輝いて見えたのだ。
岩屋のおばあちゃん家に戻って、早速夕食作りを始めた。
髪を一束に纏めて、手を洗う。
料理は施設に入ってから今まで、ずっと作ってきたから手慣れている。
まぁ‥味の良し悪しは別としてね。
野菜をリズミカルに切って鍋に入れる。
肉は別で焼いてから、野菜と一緒に煮込んだ。
立ち込めるカレーの良い匂いに、「岩屋は喜んでくれるかな」と期待しながら、かき混ぜる。
用意が終わったのは、午後7時をまわった頃だった。
警察が何時に終わるかなんて分からないが、高瀬は7時過ぎには帰って来てた。
同じなら、岩屋もそろそろ帰ってくるかも。
‥ところが、それから3時間経っても岩屋は帰宅しなかった。
期待し過ぎたんだろうか‥?
ワンピースについたカレーの染みに目を向けた。
きっと、煮込んでた時に跳ねたんだ‥。
「卸したてなのに…」
私は肩を落として再び、適当な着替えを持って浴室へと向かった。
不安になると、身体が虫を這う様にぞわついて洗い流したくなるのだ。
風呂から出て、一応部屋を探してみるが、やはり岩屋が帰った形跡はない。
チッチッ‥と鳴る時計の針が耳につく。
「もうすぐ、11時か‥。」
ダイニングテーブルに座って顔をうつ伏せる。
考えてみたら、高瀬も岩屋も『仕事』で私を囲ってたんだよね。
三河の言う通り‥いつかは二人共、私の側から居なくなるのだ。
それは呆気なく、まるで何事も無かったかのように‥。
あの二人の優しさは、まやかしだ。
「じゃぁ‥何で?」
どうして、高瀬は私を抱いたの?
いくら私が芽依に似ていたからって‥それだけで、高瀬が好きでもない女を抱くはずがない。
岩屋のあのキスは…?
全部、私を繋ぎ止めて置く為のパフォーマンスなの?
そこには、愛情なんてないの?
「解らない…」
私には、大人達の考えなんて解らない。
大嫌い…。
みんな、みんな‥全部嫌い。大嫌い…。
卑屈な自分が一番
大嫌い…。
―睡魔に襲われて、霧の中を彷徨った。
川の向こう側で、誰かが私を手招く。
狐のお面を被った、白いシャツの男。
「誰‥?」
真っ白で、その姿がよく見えない。
一歩脚を踏み出した瞬間‥私は、あの屋上から真っ逆さまに地面へと向かって堕ちた。
「きゃぁぁっ‥!」
自分の悲鳴で、私は夢の世界から現実世界へと引き戻された。
顔を上げると、岩屋の驚いた顔と目が合った。
「お前‥っ、ビックリさせんなよ!」
肩にタオルをかけて、髪から雫をたらしながらスプーンを喰える岩屋。
彼のさらけ出された、美しい裸の上半身に身体中が熱くなった。
「あっ‥ごめん。」
ドキドキと高鳴る心臓を押さえて、立ち上がる。
コップを手にして、冷蔵庫から麦茶を取り出して注ぐ。
「このカレー旨いよ!
零もまだなんだろ? 一緒に食おうよ。」
麦茶を一気に飲み干して、私は後ろを向いたまま岩屋に
「その前に、上になんか着てよ…!」と言った。
「あ?だって、風呂上がりで暑いし‥あれ?」
「あれれ?」と、悪戯な笑みを浮かべて、岩屋が私の側に寄って来た。
「零ちゃん‥もしかして俺の事、男として意識してんの?」
下はスエットで、紐を縛り止めたウエストがスッと締まっている。
その細いウエストからは、不釣り合いなほど盛り上がった腹筋の筋肉‥。
華奢に見えた肩幅は意外に広くて、鍛え上げられた背筋へとつながっていた。
岩屋の身体は芸術品‥綺麗過ぎて、思わず目を奪われてしまう。
「俺に、欲情してる?」
突如として岩屋の放たれた一言に、私は全身から火が吹き出そうになった。
「なっ‥!
バカじゃないの?! もう、いいっ‥!
知らない!!」
余りの恥ずかしさに、その場から立ち去った。
火照る顔に手をあてがい、居間の隣にある部屋へと逃げ込んだ。
寝室に使えと言われた客間に、布団を敷いて頭から綿毛布を被った。
『俺に、欲情してる?』
そう言った彼の表情が‥
とても妖しく光り、何とも言えぬ色気を放っていた。
私は、欲情してるんじゃないの。
そうじゃなくて‥怖いんだよ…
生身の人間の身体で
私を求めようとする
その澄んだ、あなたの瞳が…
怖かったの…
――…
「もう、知らない。だってさ…」
可愛いなー…
閉ざされた襖の前で、ニヤケた口元を押さえる。
零は高瀬との事で、確実に『女』として覚醒していた。
異性を意識して、恥じらうのがその証拠だ。
冷たく吊り上がった目つきは、いつの間にか穏やかに下がって、優しい目元になっている。
頬を紅潮させて、上目づかいで見つめられてみろ…
理性がぶっ飛んで、あいつをメチャクチャにしてやりたくなる。
「でも…」
あいつがそうなったのは、高瀬の手解きがあったからだ。
零を女に変えたのは、高瀬だ…。
そう思うと…零の色香に惑わされそうになればなるほど、俺は高瀬に嫉妬して、余計に零を手中にしたくなるんだ。
俺の胸の中で、悶える零の顔を見てみたい。
俺の耳元で鳴く零の声が聞きたい。
あの細くて長い脚が、俺の腰に絡み付く圧迫感はきっと極上だろう。
そんな…めくるめく想像で、憂いを秘めた吐息が出てしまう。
下心剥き出しの、厭らしい想像だろうか…?
いや、違う。
これは、自然の摂理だろう?
好きな女を抱きたいと思って何が悪い。
俺は健康な成人男性だ。
寧ろ、この考えは健全な証拠。
そうだよ、零を抱きたい。
思いっきり彼女を感じたい。
歯止めが利かせられなくなった俺を、お前は軽蔑するか?
スッと、伸びた手が襖の戸ってに掛かる。
俺を拒絶するならすれば良い…
スーっと開いた襖の奥に、足を踏み入れる。
「零…?」
暗闇の中で、俺はお前の名前を呼んだ…。
返事は無かった。
規則正しい寝息と、時折聞こえる魘(うな)され声が静寂を支配している。
「…もう寝てるよ。」
このごろの零は、起きている時間の方が少ない。
襲いくる睡魔に勝てず、浅い眠りにつく。
悪夢に魘されて、深く眠る事が出来ないのだろう。
「零…?」
頭から綿毛布をかぶった零は、繭に籠もる蚕のようだ。
その綿毛布を捲って、顔を覗こうとした時‥
腹に衝撃が走った。
「ぐぁ‥ッ、痛てぇ~!」
勢いよく寝返りを打った零の脚が、俺の胃に直撃したのだ。
「~この…っ!」
太腿をひっぱたこうとした掌が、空中でさまよう。
俺は、息をのんで零の脚を見入った。
「何故‥パン一で寝る…?」
ハーパンとか履いて寝るだろ‥普通。
ノーブラは良いとして、何故…何も着ない?
普通は、Tシャツとか着るだろう!
ホクロや、シミ一つない真っ白な背中は、艶びいて光って見える。
どうやら、零の眠るスタイルは半裸らしい…いや、ほぼ全裸に近い。
俺が入って来ないと思って、気を抜き過ぎなんだよ。
ウブで鈍感な女は最低だ。
これが計算で俺を誘っているなら、可愛気のある最高の女なのに…。
「それにしても…」
滑らかな曲線を描いた、脚や背中に釘付けになりながら
なんとも美味しそうだと思った。
あの曲線をなぞる様に唇を這わせたい。
白い肌に幾つもの赤い花を咲かせて、俺の痕を付けたい。
さらに…もっと、卑猥な事をして泣かせてやりたい。
「…ダメだ。」
なんて事を考えてるんだ…俺は!
まるで変態だ。
変態ポリスメーンだ!
悶えながら畳に頭を打ち付けて「健康過ぎだろ…」と自身を抑制した。
それでも、どうにも治まらずに俺は零ににじり寄って、目を伏せながら綿毛布をかけ直した。
そして、ヘッピリ腰のままスエットのパーカーを羽織って外に出た。
足首を回しながらジッパーを上げて、すっぽりとフードを被る。
「10キロコースだ!」
軽くジャンプをして、駆け出す。
邪な考えを振り払って、深夜のジョギングに集中した。
警官になって8年…俺は1日も欠かさず、毎日10キロのランニングをした。
身体もだが、脚力を鍛えなければ逮捕術を上げる事は出来ない。
それは、万が一犯人が陸上選手だったら…なんて事もあるかも知れないし、大抵は車に乗り込まれても、ある程度までは追える様にしておく為だ。
武術に関しても、かなりストイックな訓練を受けた。
警察学校で数カ月間、みっちりとシゴかれたものだ。
どうせ公安部に配属になるのだから、出世街道を歩みたかったし、手っ取り早くそのレールに乗るなら警護課(SP)になるのが一番だと思った。
尖鋭部隊のSATに並ぶ、キツい訓練を受けた。
まず、剣道や柔道は、3段以上持ってないといけない。
俺は、ガキの頃から剣道と空手をやっていて元々有段者だったし、さほどコレに関しては苦労しなかった。
問題は、『射撃技能』だった。
SP採用試験を受ける条件として、射撃技能は5メートル先にある直径2cm程の的を拳銃で、10秒間に最低でも5発以上は命中させないといけない。
もちろん、この技能試験は一発試験で、直前の練習も許されない。
特殊部隊志願以外の、他の訓練生と同じ時間数・同じ弾数で射撃訓練を受ける為、生まれもった才能やセンスが問われた。
ここを何とかクリアーして、晴れて配属が決まれば、今度は特殊部隊訓練に送り込まれて浸すら地獄の様な特訓を受けさせられる。
おかげで射撃の腕前は、本部でも群を抜いて秀でていると思う。
だが、的を狙い撃つ癖があるから時々外そうと狙っても、逃げ出した犯人の脚や腕を掠め撃ってしまう事もある…それは、ご愛嬌で許して欲しい。
公安部は左翼グループや、組織犯罪などの過激派を相手に取り締まりをしている為、常に危険度が高く命掛けで取り組んでいる。
マスコミに発表をしていない銃撃戦だってあった。
基本、刑事課の様には捜査内容をマスコミなどに発表しない。
捜査費用も、国に開示しなくていい。
その義務が無いのだ。
公安の国家予算を掲げたら、国民は揶揄するに違いない。
だが、これは国を守る為…国民を守る為には、必要経費だと思っている。
そこに疑問など抱いたら…きっと、公安にはいられなくなる。
高瀬のいう通り、汚いやり方だと罵られても…自らのやり方を否定したりはしない。
それが、公安の信念…プライドだ。
明朝、まだ眠っている零を起こさないようにして家を出た。
朝食には、梅干しとおかかのおにぎりを作って置いといた。
零の血液検査と、脳波の検査結果が出たと連絡を受けた俺は、まっすぐに科警研へと赴いた。
「血液検査は問題ないわ。
至って健康な19歳ね。」
「良かった…。」
安堵のため息を吐いた横で、恭子さんはもう一枚の書類に眉をしかめた。
「彼女…ずっと、記憶を無くしてたのよね?
それは、神経性ショックで?
それとも…外部性のショックで?」
「外部性ショック…と言うと、誰かに頭部を殴られたとかですか?それは、考えにくいですよ。」
MRIの画像には、頭部を外傷された形跡は写らなかった。
と、いうことは外部性ショックは無いと判断出来る。
「そうよね…でも、記憶を司る器官の脳細胞が一部で昏睡状態…つまり、活動してないの。
これは、今の科学では考えられない。」
表情を曇らせて、額に手を当てる恭子さんに俺は、ただならぬ気配を感じていた。
彼女がここまで、頭を悩ませる原因が零の中にあるのだ。
「それは、現代医学的に有り得ない症状…と言う意味ですか?」
俺は、なるべくゆっくりとした口調で恭子さんに訊ねた。
「医学じゃない、科学よ。」
『科学』とそれを強調するように、恭子さんは答えた。
「どういう事?」
「つい最近‥MITで発表された化学物質があるの。」
「化学物質?」
恭子さんは目線を逸らさずに、ウンと頷いた。
*「PKM ZETAという、脳細胞を抑制する化学物質。
簡単に言うと、記憶を消し去る薬よ。」
「記憶を?!」
そんなもんが世の中にあるのか?!
俺は、俄かに信じられない思いで恭子さんを見つめた。
しかし、彼女の瞳の奥にある鋭い光が、それは真実だと語っている。
「まだ発表されて4年しか経ってないのに、13年前の‥しかも日本に試験用のサンプルがあったなんて考えられない!
有り得ないわよ!!」
「…でも、その検査結果にはその『答え』が出てるんだろ?
零は元々、世界の常識では考えられない出生を遂げている。 今更…彼女を取り巻く闇の組織が何をしていたとしても驚かないさ。」
「彼女は、人体実験のサンプルだったのかも知れないのよ?」
そうだろうな…
零は、人体実験のマウス…サンプルだ。
誰が、零にそんな仕打ちをしたのか…俺は、そいつが許せない。
許すつもりもない。
必ず、この手でワッパ(手錠)をかけて、法の裁きを受けさせてやる。
零が受けた苦痛を、その身を持って教えてやるよ。
「恭子さん、そのPKM…何とかっていう化学物質の詳しい資料を入手する事って出来ます?」
「う~ん、そうね…公安の名前でCIAに要請すれば可能だけど‥そうすると、彼女を庇いきれないし、国家を揺るがす事態にもなるわよ?」
この忙しい時に、アメリカの相手は勘弁だ。
零の事が世間に公になれば‥彼女を好奇な目に曝すばかりか、柳原の一帯にも逃げられてしまう。
「内密に入手する方法は無いかな?」
さらに訊ねた俺に、恭子さんは腕を組んで「う~ん…」と考えを捻らせた。
そして、一筋の光を見いだしたかのように口を開いた。
「この間知り合った病理の先生に、同級生でMITの研究者がいるって聞いたの思い出した!
その研究者に内密でアタックして、捜査協力するようにお願いしてみましょうよ…!」
「…上手く行きますかね?
MITって、多分野の研究をしている人達でひしめき合ってるでしょ?
面識の無い研究者に、大事な資料を易々渡すとは思えないんですけど…。」
「一か八かよ!」
恭子さんは、『あなたの好きな言葉でしょ?』と続けて微笑んだ。
一か八か…か‥よし!
「分かりました。
その方向で、アタックしてみて下さい‥!」
「了解!警部補殿!」
警官でもないのに、敬礼してみせる恭子さんに吹いて、俺達は互いに声を出して笑った。
恭子さんに資料収集を頼んだ傍らで、俺も『PKM‐ZETA』について可能な限り調べた。
2008年論文にて、マウスによる実験の成功を発表している。
マウスは、罠を仕掛けた餌場に一度は嵌る訳だが、記憶力が長けている為、二度目以降は絶対にその罠には嵌らない。
規則正しいルートで、何度も餌を取りに行く。
だが、同じマウスにPKM-ZETAを投与すると、完全に記憶を無くして呆気なく罠に嵌ったと言うのだ。
しかし、この薬は一部分だけの記憶を消すと言うよりは、脳細胞全域を抑制してしまう為に、全ての記憶を消し去ってしまうと言うのだ。
そして一度失った記憶は、二度と戻る事は無い…と。
もし、零がこの薬のサンプルを投与されたとして‥記憶を取り戻したと言う事は、恐らくそのサンプルは失敗作だったのだろう。
まだまだ未熟な危険度の高い薬を、人間に投与するなんて‥考えただけでもおぞましい。
俺は、パソコンを閉じてメガネを外すと、疲れた目頭を押さえた。
イスに凭れ掛かって、天井を仰ぐ。
蛍光灯の光が目に刺さって痛い。
「お疲れですね、主任。」
「おぁ!びっくりした。」
紙コップを両手に持って、前田が俺の顔を覗いた。
手渡された紙コップには、ブラックコーヒーが入っていた。
「あっち!」
「主任、猫舌ですもんね。
俺が、フゥフゥってしてあげましょうか?」
「いらん!」
つまらない冗談にイラついて、イスを半回転させながら前田のスネを蹴った。
前田はサッとそれを避けたが、その反動でスーツのズボンにコーヒーをこぼした。
『熱い!』と悶える前田を横目に、俺はのんびりとコーヒーを啜った。
すると、軽快なヒップホップのリズムが胸ポケットから響いた。
『ドS野郎から電話だYO!
仕方ね~から出てやれYO!Hey Sey Hello♪』
「なんつ~、着メロっすか…。」
前田の冷たい視線を感じながらも、涼しい顔で通話ボタンを押す。
「Hello?岩屋です。高瀬さん、何か用っすか?」
相変わらず俺のノリを無視した、低くて落ち着いた声が耳に届いた。
「高瀬さんの方から、連絡を貰えるなんて嬉しいなぁ。
どうです?その後、何か進展はありましたか?」
「白々しいんだよ。 俺の行動は全部把握してんだろ?」
俺は携帯を片手に、もう一口だけコーヒーを啜る。
「えぇ、把握してますよ?
だけど‥昨日は、携帯を本庁に置いたまま、今朝まで一度も触ってませんよね? 一体、何をしてたんです?」
「お前には、関係ねーよ。
つーか、お前は俺のストーカーか?
そんなに俺が好きか?」
互いに馬鹿にした様な口調で、揶揄し合う。
「大好き!
…って、ハートマークでも付けてメール送りますよ。
それで満足ならね。 所で、要件は何ですか?」
「科警研にある、零の資料を刑事課に提示しろ。」
高瀬の直球な申し出を鼻で笑った。
「刑事課から情報を貰っても、こちらから情報を与える事はありませんよ。
高瀬さん、あんたキャリアだろ?
なら、どんな手を使ってでも自分でなんとかしろよ。
早々に、甘えてんじゃねーぞ。」
「…そうか、ならそうさせてもらうよ。」
プツリ、と切れた携帯を耳に当てたまま‥高瀬の態度に、変な違和感を感じた。
高瀬が俺の挑発に乗ってこなかったのは、確かな思惑があるからなんだ。
本当に情報の提示を求めるなら、あんなにアッサリと食い下がる訳がない。
「…何を考えてる?」
ポツリと呟いて、通話ボタンをオフにする。
「主任って、携帯何台持ってるんですか?
それ、いつも使ってるやつじゃないですよね?」
高瀬に渡したスマホは、通常回線から外した別の回線で繋いでいる。
外部による電波ジャックを防ぐ為だ。
ヤツの情報は、俺にしか入らない仕組みにしてあるが、その逆も然りで下手をすれば俺の情報もヤツに漏れる可能性がある。
情報量の高い自分の携帯に、ヤツの回線を繋ぐのは危険だ。
だから、
「コレは、高瀬の専用の携帯。」
にしてある。
「彼カノかよ!!」
前田は、思いっきりどん引きして身体を仰け反る。
確かに、二人専用って…アレだ。
その相手が高瀬なんだから、気持ち悪いのなんのって。
あぁ!想像しただけで胸くそ悪りぃ!
前田にイラついて、俺はもう一台別のスマホを手に掲げた。
俺が所有する携帯は、全部で3機ある。
自分専用
高瀬専用
そして、3台目は…
「あっ、また見慣れない携帯じゃないですか!
それは、誰の専用ですか?」
掲げた携帯を、怪訝そうな顔付きで見て前田が言った。
俺は、ほくそ笑んでワザと前田に見えるように画面をスクロールする。
「まさか…それ…」
指先を震わせて、前田は画面を見入った。
「そうだよ、お巡りさん好きの女子(の連絡先)しか入ってない携帯だ。
メモリー限界ギリギリまで入ってます。」
「うわぁ!マジっすか!!
すげぇ~!
良いなぁ、ちょっと分けて下さいよ!」
「ヤダね!」
「え?!見せびらかしただけっすか?! ヒドいっ!
しかし…こんなに沢山、どうやってゲットしたんですか?」
それは…この仕事してたら簡単だろ。
「職質(職務質問)したんだよ。」
『お嬢さん、おキレイですね。
この辺りは物騒なので、お家まで送りましょうか?
名前と連絡先教えて下さい…え?僕?
僕は、お巡りさんです‥だから安心して?
僕が、貴女を守ってあげますから。』
…ってな具合で、声をかければ良いのだ。
「主任、それ…ただのナンパですね。」
「立派に業務を遂行してるだけだよ。」
「家まで送った後の事まで業務に入ってるんですか?」
「…残業だな。」
もちろん、この場合はサービス残業だ。
「最低…っ!ケダモノですよ!!」
そうだよ、俺はそうなんだよ。
満たされない零への想いを、他で吐き出すしか能がないケダモノだ。
俺はずっと、誰かにそう罵って欲しかった。
でないと、いつまで経っても彼女への想いを断ち切れないんだ。
温もりを求めた直後に襲われる虚しさ…
それでも尚、俺はまた新たに他に温もりを求める。
埋められない欲望を吐き捨てたかわりに、虚しさを胸に詰め込むんだ。
「え?ちょっと、主任どうしたんですか?!」
メダカの泳ぐ水槽まで行くと、その携帯を水面に落とした。
底にゴトリと落ちたそれは、静かに電源をオフにさせて役目を終えた。
「勿体ねぇ~…」
水槽に張り付いて嘆く前田を置いて、俺は部屋を出た。
清々しい気分だった。
何となく、つき物が落ちたような…
そんな、晴れ晴れとした気分だった。
――…
湿った夜の風が、雨雲の存在を知らせる。
嵐の前の静けさ…
もうじき、雷を放った真っ黒な雲が、こっちに向かってやって来るだろう。
「…ここだ。」
手にした紙と、目の前の家を交互に見て、目指した場所を照らし合わせる。
…間違いない。
佐々木 三治邸
岩屋の祖父母の家だ。
三治さん亡き後、奥方である幸恵さんが維持してきた立派な民家だ。
岩屋は両親の離婚をきっかけに、父方の祖母である幸恵さんに引き取らて、大学生活をこの家で過ごしている。
岩屋の親権は母親にあるが、それは「事件の被害者遺族」である佐々木姓を消す為だった。
実際には、岩屋の母親に子育ては不可能だった。
娘を失った喪失感で、精神を病んでしまっていたからだ。
まだ、18歳だった岩屋に
「なぜ、犯人は無罪なの?
なぜ、人を殺してもその罪は許されるの?
許されるなら…それなら聖くん、お母さんを殺して!
殺して!」
そう…毎晩の様に懇願して迫ったらしい。
次第に追い詰められていった岩屋の心…
暗い闇に堕ちた岩屋を救ったのは、空港で起きた事件だけではない。
警視総監の恩義だけでもない。
岩屋‥お前がまだ、誰も住んでいないこの家を維持しているのは…
大切な、ばぁさんとの思い出があったからなんだろう?
家族を失ったお前を暗闇から救い出したのは、6年前に亡くなった祖母の幸恵さんなんだ。
そうだよな?岩屋。
だから……
そこに、零を連れて来たんだろ?
「零は、ここに居るよな?」
俺は、インターホンを睨み付けながらそのボタンを押した。
玄関先のライトが照って、ガラガラと引き戸が開いた。
目が合うと、驚きを隠せない様子で、そいつの瞳が大きくなった。
「びっくりした。
よく、ここが分かったね…高瀬さん。」
口角を上げて、冷めた笑みを浮かべるクセ…。
俺は、こういうカッコ付けた態度のコイツが嫌いだ。
端正な顔立ちで、切れ長の目や、スッと通った鼻筋は、男の俺でも惚れ惚れするほどキレイな奴だと思う。
俺は、パッチリ二重だから余計に羨ましく思った。
「零に話がある。」
「呼んでくるけど、その前に…どうやってこの場所を突き止めた?」
公安の捜査員は、警視庁の職員名簿には載らない。
公安本部の上層部のみが管理する名簿にしか記されないのだ。
多分、どんな天才的なハッカーでもそれを盗み見る事は出来ないだろう。
だが、何もパソコンだけが答えを出してくれる訳ではない。
「お前の経歴を洗ったんだよ。
大学から、昔住んでた家…その近所の人達から、お前のばぁさん家の話を聞いた。
親切に、この場所まで教えてくれたよ。」
「聞き込みやがったな?
さすが、捜一の刑事だな。
やっぱ、足で稼ぐ男は違うね~!」
「本業だ、バカ。
刑事ナメんなよ?
いいから、さっさと零を呼んで来い。」
「へ~い…!」と、うなだれながら、玄関の奥に消えた岩屋を見送って、俺は靴脱ぎ場の縁に腰掛けた。
どことなく、防虫剤の匂いが染み付いた室内に懐かしさを覚える。
「不思議と落ち着くな…」
奥の部屋からは、零を起こす岩屋の声が聞こえる。
…あいつ、いつも寝てるよな。
「いい気なもんだ。」
これから、俺がお前にする仕打ちなど知りもしないだろう…
目覚めたら、泣くことになるとも知らないで…
呑気なもんだ。
岩屋に促された零は俯きながら目を擦って、何やらブツブツと文句を言っている。
俺は、座ったまま上半身だけを後ろに振り向かせた。
そこで初めて、顔を上げた零と目が合った。
零は俺の顔を見るなり、サッと岩屋の背中に隠れる。
岩屋のTシャツの裾を掴む手に、嫉妬心が湧いた。
「零。ちゃんと、高瀬さんと向き合って話せよ。
今のお前なら、キチンと自分の気持ちでケリを着けられるだろ?」
「でも……っ」
「大丈夫だから…。 お前がどんな答えを出そうと、俺はお前の気持ちを尊重するから。」
岩屋が優しく零に微笑んで、あいつの髪を撫でる。
(…触んじゃねーよ!)
零の潤んだ大きな黒は、じっと岩屋を見つめる。
(…他の男をそんな目で見るな!)
二人の間に流れる穏やかな空気に苛立ち、沸々とした嫉妬心が心を焦がす。
そんな資格など無いと解っているのに、この衝動を抑える事が出来ない。
「行くぞ、零!」
俺は、土足のまま縁を上がって零の腕を掴んだ。
「ちょ…っ、待ってよ!高瀬!」
『高瀬!』久しぶりに聞いた、零の俺を呼ぶ声…。
戸惑う零を引っ張って、玄関の引き戸を開けた。
チラッと後ろを振り返ると、岩屋は立ちすくんだ状態で眉をしかめていた。
淋しそうなその瞳は、零の背中に向けられたまま‥結局、最後まで俺を見る事は無かった。
「痛いって…!
引っ張んないでよ‥高瀬っ!」
「うるせー!」
「ちょ…っ、なんなの?!」
腕を掴んだまま、早歩きで車まで行って、抵抗する零を社内に押し込んだ。
「何でいつも、あんたは、そうやって人を強引に連れ出すの?!」
「お前が、大人しくしないからだ。」
「あんたが、いつも自分勝手だからでしょ!?」
睨みを利かせて、真っ赤な顔で怒鳴る。
そんな零の瞳には涙が浮かんでいた。
一滴でも落とさない様にと、懸命に耐える姿が『彼女(零)』らしいと思った。
「黙れよ…っ!」
思わず‥零の肩を抱き寄せて、彼女の『への字口』の唇にキスをした。
後ろに引こうと、仰け反る肩をしっかりと抱いて、零の唇を支配する。
「ん…っ!」
酸素を求めて開く唇の隙間を狙って舌を潜らす…
甘くて柔らかい世界の入り口を剥いで、俺は零を求める。
このまま…何も考えずに、零と禁断の渦に呑み込まれたい。
好きだ…
愛してる…
そんな言葉が刻み込まれた詩の世界で、お前と一つになって果てたい…
その全部が、儚い妄想…幻だ。
現実はこうだ
この口付けは単なる戯れ…
幻の中で生まれた
醜い欲望にしか過ぎない。
「高瀬…?」
俺は、零の唇から離れると、エンジンを掛けて車を走らせた。
15分ほど走って、バイパス沿いに出た。
軒を連ねる、煌びやかなネオン街に入って車を停めた。
「降りろ。」
「…高瀬?
何…?なんで…こんな所に来たの?」
「いいから、来い。」
不安げに周りをキョロキョロと見渡しながら、零は俺の後をゆっくりと付いて歩いた。
適当に部屋のボタンを押して、カード口から出たカードキーを手に、エレベーターへと乗り込んだ。
「高瀬…ここって…」
「ラブホだよ。
なんか、文句あるか?」
怯えた様子で訪ねた零に対して、酷く冷めた口調で放った。
零の縋るような視線を感じても、俺は彼女を見なかった。
俺の恋を終わらせる。
お前の恋も終わらせてやる。
人としての情を無くしたいんだ。
でないと…優しさにかまけて、大切だと思っていた人達に厳しい追及を施せない。
甘い部分があると、心を鬼にして立ち向かう事が出来ないんだ…。
「この部屋だ。」
カードキーを差し込んで、ロックが外れるとドアを開いた。
安い壁紙の匂いと、換気の行き届いていない籠もった空気。
部屋を占領するキングサイズのベッドと、ガラス張りのバスルーム。
正に、セックスだけを目的に作られた滑稽な部屋だ。
俺は、背広を脱ぎ捨ててネクタイを緩めた。
Yシャツのボタンを外しながら、ドアの前から動こうとしない零に近づいて行った。
「私…嫌だ。
したくない…」
零は、白い丸首のシャツの胸元を押さえて、俯きながら小さな声で呟いた。
「…お前に、拒む権利なんてねーよ。」
「高瀬…、ごめんね!」
唐突に、深々と頭を下げて、零は俺に謝り出した。
一瞬、何を謝っているのか解らず面を食らった。
「ごめんなさい…。 修也が芽依にした事…謝って済む問題じゃないけど…でも…でも‥ごめんなさい…!」
長い髪がスルリと垂れて、零の表情は伺えない。
だが…悲痛を交えた声が、お前の心の叫びを伝えている。
良いんだ…零。
お前が悪いんじゃない。
そんなに、俺に対して罪の意識を持たなくて良いんだ…。
「こっちに来い…!」
俺は、その細い手首を引っ張って、ベッドの上に零の身体を乱暴に沈めた。
「やめてよ…っ!」
「『やめて』だ?
いつもの男勝りなお前はどおした?
たった何回か、俺に抱かれたくらいで女に目覚めたか?」
「…違う!」
「どう違うんだよ! …本当は、俺が恋しくて欲しくて溜まんねーんだろ?
今更、ウブな女なんて演じるな。
初対面の男に飄々と裸を曝して、すぐにキスをして、セックスも受け入れて…お前みたいな尻軽な女がそうやって拒んだところで、そそられねーんだよ!」
馬乗りになって、両手首を押さえつけながら罵った。
なるべく、零が傷付く様な酷い言葉を必死で探した。
「本当は、俺とが初めてじゃなかったんだろ?
その前から、散々ヤリまくってたんだろーが!」
「‥やめてよ……」
零の澄んだ瞳に涙が溜まる…
何度、彼女の涙を見て来ただろう。
一緒に過ごした短い時間の中で、数え切れないくらい見て来たはずだ。
出来る事なら、たくさんの笑顔を見たかった。
無邪気に笑う、最上級クラスの愛らしい笑顔を、俺に向けてくれよ…。
「私…ほんとに、高瀬が…っ」
頼む‥その先を言うな…
「高瀬が…「黙れ、売女!」
被せ放った一言で、零の涙が頬を伝わり始めた。
決壊したダムのように、次々と涙が溢れる。
そして、とうとう堪えきれずに声をあげてシャクり泣く。
子どもみたいに泣きじゃくる零を見下ろして、互いの恋心を砕く最後の仕上げをしようと覚悟を決めた。
零の白くて細い首筋に手を掛けて
少しずつ圧迫しながら絞める。
「あ…っ」っと苦しみに喘いで、俺の腕を掴む。
「零、苦しいか?
苦しいよな?
コレが、お前の兄貴が俺の恋人与えた苦痛だよ!
『ごめんなさい』って謝まられてもなぁ、全然救われないんだよ!
お前らの罪は消えねーんだよ!!」
更に腕に力を入れて、罵声を浴びせた。
痛む心が張り裂けて、目元が熱くなった。
「謝るくらいなら、本当に‥兄貴の代わりに罪を償う気があるなら、芽依を返してくれよ…!
俺の愛した女を返してくれよ!」
俺の雫が、零の堅く閉じた瞳に落ちた。
一滴‥二滴…と落ちた雫は、零の涙と混ざって彼女の頬を滑る。
細胞の溶け合いを眺めて、零と一つになれた気がした。
最後に交わり溶け合えた幸せを、しっかりと噛みしめた。
これで‥さよならだ零…
「芽依を返せないなら…お前が、代わりになれよ。
お前が芽依になって、俺が抱きたい時は素直にヤらせろ。
お前には、それだけの価値しかないんだ。」
掴んだ腕の力が抜けて、その手が俺の頬にそっと触れた。
赤くなった瞳が、ゆっくりと開いて俺を見つめる。
その表情や態度が、俺の不条理な命令を受け入れたと語っているようだった。
内心、『嘘だろ…?』と思った。
零は俺を憎むどころか、未だに愛情を持って最低な俺を受け入れようとしている。
やめろ…
やめてくれよ…
これ以上、お前に酷いセリフを吐きたくない。
思ってもいない事を言って、お前を苦しめたくないんだ。
首を絞めた手の力が抜けた。
「芽依。これからは、お前を抱く度にそう呼ぶよ。」
零は、酸素を求める事も無く唇を閉じたまま、口角を上げた。
…驚いた。
芽依と呼ばれても、零は俺に微笑んでみせたのだ。
俺の頬を一撫でして、
「亮…ごめんね…」
そう言うと、スッと意識を失った。
零が、俺を『亮』と呼んだ。
あれは、芽依に徹した零からの返事だ。
罪を償おうと、自身を殺した瞬間だったんだ。
俺は、気を失った零を抱き上げて泣いた。
大声で叫ぶように、零の名前を何度も呼んでは泣いた。
これが最後だから、お前の体温を感じられる最後の包容だから…
もうしばらくは
このまま…
このままで、いさせてくれ…
もう、その唇には触れないよ。
だから、せめて言わせて欲しい。
この唇で、お前への愛の言葉を…
「零…愛してる。」
――…
目が覚めると、高瀬の姿はもう‥なかった。
喉にまだ、締め付けられた違和感が残っている。
脱力感でいっぱいの身体を起こして、大きな鏡張りの壁に映る自分を見た。
泣きはらした惨めな姿だが、何故だか鳥肌が立った。
じっと、こちらを見つめた瞳が、あまりにも美しかったのだ。
そのまま…うっすらと笑ってみる。
そこには、芽依がいた。
淋しげに‥儚く微笑む、あの美しい彼女だ。
私は、鏡の中の彼女に怯えながらテーブルに置かれた硝子の灰皿を手に取る。
そして、冷たくてゴツゴツの重たい灰皿を、その鏡に思いっ切り投げつけた。
彼女の顔に罅が入って、鋭く私を睨み付ける。
私は負けじと彼女を睨み返して、中指を突き立てた。
パラパラと崩れ落ちる硝子の中の世界は、壁から剥がれてキラキラと光を放つ。
芽依が消える…
私を睨みながら、粉々になって消える…
「バイバイ…芽依。」
私の中に、『芽依』はもういない。
高瀬を苦しめた、修也が憎い。
修也を人殺しにさせた自分自身が憎い。
だから、約束を果たしに行こう。
あの遠い日に交わした、彼との約束を…。
固い決意を胸に抱えて、私はこの部屋を後にした。
雷を伴った激しい雨が、アスファルトを打ち付けている。
髪も服もびしょ濡れだ。
真新しいサンダルが、濡れた皮膚で擦れて痛む。
足を引きずって、ヨタヨタとガードレールに腰掛けた。
サンダルを脱いで、星型の傷を眺める。
「…憎い。」
憎い…憎い…憎い、憎い!
こんな傷なんかなければ…っ!!
あんたさえいなければ…!!
泣きながら、憎しみを込めてサンダルのヒールを傷痕に叩きつけた。
滲んだ血が、雨に混ざって流れる…。
「あんたなんか…! あんたさえ、いなければ…!
あんたなんか…」
私さえ、いなければ…。
そうやって、何度も何度もサンダルを叩きつけた。
足の甲が血に染まる…。
雨で落とされながら、ドクドクと溢れて流れる。
その傷が痛むんじゃない。
この痛みは、心の痛みだ。
溢れて流れる真っ赤なこの血は、心から出血しているのだと思った。
一滴残らず流れてしまえばいい…
身体中から無くなってしまえばいい…
汚れた血
修也と繋ぐ、忌まわしい血なのだから…
「こんな傷…っ!」
振り上げた腕がピタリと止まって動かない。
頭上には黒い傘。
ゆっくりと、その傘の中にいる人の顔を見た。
「あ……っ」
岩屋だった。
白いシャツを着た肩が、雨で濡れている。
走って来たんだろうか…?
「どうして…?」
「高瀬から連絡をもらった。
零を迎えに行ってやってくれって…。」
岩屋はそう言うと、しゃがみ込んで私の手からサンダルを取り上げ捨てた。
「お前、何してんだよ…!
こんなにして、どうすんだよ…っ!」
彼は、今にも泣き出しそうな顔で私を抱き締めた。
傘が落ちて、コロコロと風に煽られて転がる。
私は、岩屋の背中に腕を回して泣いた。
溢れた感情が、寂しさが、痛みが、とめどなく渦巻いて激しく岩屋を求めた。
誰も居ない、車1つ通らない深夜の外道沿いで、私達は雨に打たれながら抱き合った…。
岩屋におんぶされながら、家路に付いた。
二人で、頭からバスタオルを被って和室に座った。
「ひでぇな…」
足の傷口を見て、岩屋が眉間にシワを寄せる。
私の足を、胡座をかいた自身の膝の上に乗せて怪我の程度をマジマジと観察していた。
「消毒するけど、痛むぞ?」
彼のキリッとした眼差しに、覚悟して『うん』と頷いた。
消毒液を含んだ脱脂綿が傷口に触れた。
その瞬間、身体が飛び跳ねるくらいの痛みが全身を巡った。
岩屋は、痛みから逃げようともがく足をグッと押さえて、消毒を続ける。
手際良くガーゼを当てて、包帯を巻いて行く。
「とりあえずは、これで良い。
後で、ちゃんと医者に診てもらおう。」
「ありがとう…」
「…なぁ、零。」
そっと‥岩屋の手が、私の頬に触れる。
「傷痕は、ちゃんと綺麗に消せるから‥だからもう、こんな風に自分を痛め付けるような事はするな。」
悲しそうな岩屋の瞳に、胸がチクリと痛んだ。
こんな私を、本気で心配してくれる人がいる。
また、涙が溢れた。
「泣くなよ…」
頬を流れる涙に、岩屋がそっと‥キスをする。
「店長…?」
「もう‥店長じゃねぇよ。」
岩屋の唇が、頬を撫でて首筋へと移動して行く…。
戸惑うのに、私の身体は彼を拒否する事を拒む。
「今更、何て、あんたを呼べば良いの…?」
薄暗い部屋の中…
私の心は、ドキドキやズキズキと鼓動を打って騒がしい。
「セイジ…聖二って呼べよ。」
「聖二…。」
呟く様に、その名前を呼んだ。
「良くできました。」
岩屋はクスっと微笑んで、私の唇に軽くキスをする。
もっと、して…
彼の笑顔に、そう思う私はきっと、最低な女なんだろう。
誰でも良いから私を温めて欲しい…
愛して欲しい…
必要と言って
生きても良いと言って…
誰も…?
嘘だ。
私は、岩屋 聖二を求めてる。
彼の愛情は、私自身に向けられているからだ…
芽依と言う女性では無く、『澤田 零』である私を見てくれている人だから…
だから…
愛おしいのだ。
「早く寝ろよ?」
私の頭を一撫でして、立ち上がった岩屋の手を掴んだ。
「…行かないで。」
心臓が破裂しそう。
「行くなって意味‥分かって言ってんの?」
背中を向けたままの岩屋は、いつもとは違う低いトーンの声だった。
「分かってる…」
怖かった。
岩屋は、こんな私を軽蔑するに違いない。
高瀬から言われたナイフの様な言葉も、否定出来ないと思った。
私は…尻軽なんだ。
それでも、冷めた身体を
冷えた心を温めて欲しい。
私は、生きた人間なんだと思い知らせて…
「聖二…?」
振り向いてくれない岩屋に、私は彼に失望されたのだと思った。
きっと、ガッカリさせてしまったのだ。
深い後悔と恥ずかしさで、目をギュッと瞑る。
彼の手を放して、虫の鳴くような小さな声で「ごめん」と謝った。
「謝るな。」
「…え?」
恐る恐る目を開くと、目の前に岩屋の真っ直ぐな瞳があった。
「優しく出来ないかも…」
そう言って、私の唇に自分の唇を重ねる。
両頬を捕らえられながら、深い口付けに支配され
頭の中が、甘くとろけていく感覚…
その片隅に、高瀬の顔を思い描いて消した。
さようなら‥高瀬…
高瀬への想いを、一滴の涙に溜めて流す…。
さようなら‥私の最愛の人…
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ニコニコワイン
あんぱん 昨日から 泣かされ続け そして 戦争が終わって …(旅人さん0)
431レス 16734HIT 旅人さん (20代 ♀) -
20世紀少年
野球 小3ぐらいの頃は野球に夢中だった。 ユニフォームも持って…(コラムニストさん0)
36レス 951HIT コラムニストさん -
こちら続きです(;^ω^) フーリーヘイド
キマッたっ!!!!!!!!!(;^ω^) いやぁ~~~~!!我な…(saizou_2nd)
347レス 4103HIT saizou_2nd (40代 ♂)
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20世紀少年
2レス 116HIT コラムニストさん -
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フーリーヘイド ~読む前の注意書きと自己紹介~
500レス 5781HIT saizou_2nd (40代 ♂) -
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おとといきやがれ
9レス 290HIT 関柚衣 -
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ウーマンニーズラブ
500レス 3254HIT 作家さん -
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やさしい木漏れ日
84レス 3709HIT 苺レモンミルク
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20世紀少年
1961 生まれは 東京葛飾 駅でいうと金町 親父が働いて…(コラムニストさん0)
2レス 116HIT コラムニストさん -
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ウーマンニーズラブ
聖子の旦那が有能な家政婦さんを雇ったおかげで聖子不在だった機能不全の家…(作家さん0)
500レス 3254HIT 作家さん -
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フーリーヘイド ~読む前の注意書きと自己紹介~
やはり女性は私に気が付いている様である。 とりあえず今は、 …(saizou_2nd)
500レス 5781HIT saizou_2nd (40代 ♂) -
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今日もくもり
たまにふと思う。 俺が生きていたら何をしていたんだろうって。 …(旅人さん0)
41レス 1334HIT 旅人さん -
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おとといきやがれ
次から老人が書いてる小説の内容です。(関柚衣)
9レス 290HIT 関柚衣
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心広くなったほうがいいかな?
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5年付き合っている彼氏とのこれからに迷っています。 私は30歳、彼は32歳。 同棲2年目で、お互…
11レス 237HIT 社会人さん (20代 女性 ) -
何をしてもゴキブリが出てきます
賃貸に住んでますが、ゴキブリが毎年出てきます。 生ゴミはすぐに処分し、掃除もしてます。 …
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