少しだけ不幸な私/独り言

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ライカ( 6Rs31 )
12/07/12 07:40(更新日時)

産まれてから
現在までの私。


誰にも聞いてもらえない。

話したとしても
誰も真剣に聞いてくれない。

カウンセリングや
心療内科に行く勇気は無い。


少しだけ、不幸です。
特別どん底ではありません。

「生ぬるい」人生ですが、
読んで頂けたら、幸いです。



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No.1766230 12/03/20 01:39(スレ作成日時)

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No.51 12/03/23 03:26
ライカ ( 6Rs31 )

>> 49 私達は、父親に引き取られたが… 実は、私は 母親から見捨てられたのだと、 父親から知らされた。 母親は 「仕事だけをしていたい」 「自… ※補足※

母親から
見捨てられた話を

父親から聞いたのは
18歳以降です。

母親と別居して、
直ぐではありません。

読み返してみたら、
分かりづらかったので
補足させて頂きます。


No.52 12/03/23 03:55
ライカ ( 6Rs31 )

小学四年生から、
私はまた、
違う学校へ通うことになった。

3年生のクラスのみんなで
私のお別れ会を
開いてくれた。

私は、嫌われ者だったから
お別れ会なんて…
多分 開きたくなかったろうね。

いや、むしろ
「ライカとは
もう二度と会わなくて済む」
と、クラスみんなで
喜んでいたのかもしれない。


春休みに入って、
引っ越す数日前。

相変わらず私達は
祖父母宅に居たが、

小学1年生の時に
お世話になった児童館と、
ハヤシシタ君の家に
行くことにした。

小学校1年生で
転校して、引っ越してからは、
ほとんど通わなくなった、
児童館。

それでも私は、
館長に、どうしても
挨拶がしたくて。

祖父母に断って、外出。

かなり遠い道のりだけど、
独りで頑張って歩いた。
(両親は仕事で不在)

ハヤシシタ君の家に
着いた時には、
日が暮れたばかりで、
空は紺色だった。

児童館からの帰り道の途中から、
粒の大きい、
ベチャベチャ雪が降ってきていた。

ハヤシシタ君の家の
居間の窓を コンコンと叩いた。

ハヤシシタ君は
私を見るなりビックリ。

「お前、どうしたんだよ!」
「ちょっと待ってろ!」

傘を持たずに
歩いていた私は、
全身ベチャベチャに
濡れていた。

ハヤシシタ君は
私にバスタオルを貸してくれた。

「風邪引くぞ!」
「これで拭いて!」

私は、ハヤシシタ君に
「ありがとう」
と言ったあと、

今まで、
私と遊んでくれたお礼と
最後のお別れを言った。

「おう!元気でな!」
「またな!」

ハヤシシタ君とは
元気にサヨナラをした。
不思議と、
寂しい気持ちは無かった。


両親が帰宅している
時刻だったので、
祖父母宅ではなく、
そのまま自分の家に戻った。

この時は、
先に母親が帰ってきていた。

「おばあちゃんから聞いたよ」
「迷わずに行けた?」

色々報告すると、

「きちんと帰ってこれたね」
「遠いのに、よく頑張ったね」
と、母親に褒めて貰った。


No.53 12/03/23 04:22
ライカ ( 6Rs31 )

「私のことを知る人間が居ない
新しい場所で、またやり直せる」

「叔父からも、
やっと解放される…」


小学2~3年の間で
一番苦痛だったのは、

やはり
叔父からの性的虐待であった。

「私は、悪いことをしてるんだ」
と言う“罪悪感”が、
堪らなく苦しかった。

かなり遠くに引っ越すので、
祖父母も、叔父も、

私達に、
なかなか会えなくなるのを
とても寂しがった。


今でこそ、祖父母には、
とても感謝しているけれど、

当時の私は、
兎に角【両親との触れ合い】に
飢えていた為、

祖父母の存在は
とても薄かった。

あんなに世話になったのに、
じいちゃんっ子
ばあちゃんっ子には
全くならなかった。

むしろ、
殆ど娯楽が無く、
「質素」を「美」とする
家だったので、

「なんてつまらない場所なんだ」
と…

感謝の気持ちなんて
全く湧かなかったし、
何より
「あの」叔父が居る家だから。
嫌で嫌で、
仕方がなかった。

「つまらない家」
「叔父からの虐待」
「祖父から勉強の催促」

…色々溜まると 爆発して、
悪戯の限りを尽くした。

三角定規を使って
障子全面に穴をあけまくる。

ママゴトで、弟に、
本当に砂を食わす。

ロリコン叔父のメガネを隠す。

祖母のパンツを隠す。

ロリコン叔父の
タバコ(シケモク)を吸う。

ライターで
何かに火を付けて遊ぶ。

他にも沢山、
迷惑をかけた。

その度に、
祖父母からの雷。
祖父に、柔道技で
ブン投げられた時もあった。


No.54 12/03/24 00:56
ライカ ( 6Rs31 )

数少ない友人の家に
遊びに行くと、

友人の母親が、我が子に
「おかえりなさい」を言い、

遊びに来た私に
「いらっしゃい」と言う。

友人と一緒に
ゲームをしたり、
人形遊びをしていると、
友人のお母さんが、
お菓子やジュースを
振る舞ってくれる…。

私の「憧れ」だった。


私も 自分の家に、
堂々と友人を招きたかった。
(両親不在の為、
友人を家に上げるのは
絶対禁止だった。
事故があったら、
責任取れないから)

私が持っていたオモチャで、
友人と遊びたかったし、
オモチャの貸し借りも
してみたかった。
(物の貸し借りも
絶対禁止だった。
弁償の事態になったら厄介だから)

お母さんが出してくれるお菓子を、
友人と楽しみたかった。

友人が自宅に帰る時は、
私のお母さんが
「またいらっしゃい」
と見送る。


…些細なことですが
私の夢でしたし、
友人の母親を見ては
「いいなぁ…」と
とても羨ましく思った。

でも結局、
私のささやかな願いは、
一度たりとも
叶うことは無かった。


母親が、
「母親」ではなくなってしまったから。


No.55 12/03/24 01:42
ライカ ( 6Rs31 )

四年生からの学校は、
かなり「都会」だった為、

私は半年間、
「なまってる~」
「なんか喋ってみて」
と笑われた。

バカにされていると言うより、
方言や訛りが
物珍しいと言う感じだったので、
悪い気分にはならなかった。

半年経つと、訛りは
すっかり消えてしまったが。

担任の先生も、
良い先生だった。

男の、ヤマモト先生。

授業を、面白おかしく進める。直ぐに脱線して、
関係無い話になってしまう。
(主に図工・体育・道徳の時間)

兎に角
「楽しくやろう!」
がコンセプトの先生だった。

図工の時間に、
「プラモの車を作ろう!」と、
クラスの生徒全員に
「予算1000円」までの
プラモを買ってこさせ、
授業中に組み立てる。

…なんて授業を
受けたこともあった。
(勿論、ヤマモト先生のクラスのみ)

ヤマモト先生のクラスで、
親友も出来た。

シバタさん。

家も凄く近かったし、
部活も一緒。
登下校も殆ど一緒。
遊ぶのも一緒。
習い事(水泳)も一緒。

だいたいは
一緒に過ごしたし、

シバタさんの、
お父さん・お母さん
お祖父さん・お祖母さんにも、
随分とお世話になった。

仲が良かった、男友達。
ツカダくん。

ツカダくんとは、
シバタさんも交えて、
公園の遊具や、木登りや、
「男っぽい」遊びを沢山したし、
ツカダくんの妹さんとも
遊ぶことがあった。


私の父親はと言うと、
昼間はバイトを掛け持ちし
(弁当の配達・飲食店・コンビニなど)
夜は、整体の学校へ通った。

父親は、
私が学校から帰る頃には
家に居るようにして、
私達に「おかえり」を
言えるようにしていた。


No.56 12/03/24 02:11
ライカ ( 6Rs31 )

後から聞いた話だが、

この頃の父親は、
自分の兄弟姉妹
(正確には、兄弟姉妹の伴侶)から、
随分と疎ましく
思われていたらしい。

「男独りで、
子供2人なんて
絶対に育てられない」

「何かあっても、
ウチは頼らないでくれよ」
(金は貸さない、と言う意味)


父親は、
相当悔しかったらしく、
「見返してやりたい」
と言う気持ちが、
かなり強かったらしい。

だから、
整体の仕事も成功させたいし、
子供達も「まとも」に
育てたいと。

かなり躍起なった時期らしい。


夜の7時に、
通学の為に家を出る。

帰ってくるのは朝。

学校が何時に終わるのかは
知らないが、
学校が終わった後、
深夜はコンビニで
バイトをしていた。

私達に朝食を作り
見送った後、
数時間寝る。

寝た後、
今度は昼間の仕事。

それが終わったら
直ぐに帰宅して、
学校から帰ってくる私達に
「おかえり」を言う。

日曜日は、
学校も仕事も休み。


父親の生活は
こんな感じであった。


No.57 12/03/24 02:22
ライカ ( 6Rs31 )

小学四年の一年間は
友人達や、担任のお蔭で
凄く楽しく過ごせた。

最悪だったのは、
小学5~6年生の時。

弟の小銭を盗んだり、
万引きしたりは、
この頃には無くなっていた。

その前に、
一度 万引きはバレて
(親が買い与えていない物を
私が所持していた為)
両親にメタクソに怒られたし、

弟の貯金も、
調子に乗って 盗み過ぎて
母親が、弟の肝油缶に
100円を入れてやる時に、
「なんか、少なくなってる気がする…」
と言っているのを聞いて、

「バレたかも」
と怖くなって。

それからは、
めっきりやらなくなった。

叔父とも離れたので、
性的虐待も無い。


何が最悪だったか、
それは「友人関係」であった。

前のように、
「触るとカビ生える~」
と言った嫌われ方ではなく、

私自身の性格の悪さのせいで、
悉く 嫌われた。

何の謂われも無い理由で
「虐められた」のではなく、

私自身が原因で
「嫌われた」のである。


No.58 12/03/24 02:26
ライカ ( 6Rs31 )

小学5年生に上がると、
クラス替えがあった。

このクラス替えが、
私にとって 良くなかった。

ツカダくんや、
シバタさんと 離れた。

さほど仲良くもない人達、
全く知らない人達と
一緒のクラスになってしまった。

私は転校生なので、
「四年一組」の生徒しか
知らない。

他のクラスの生徒とは、
全く交流が無い。
赤の他人。


私は、必然的に 孤立した。


No.59 12/03/24 02:34
ライカ ( 6Rs31 )

最初から、いくつかの
「輪」が出来ていた。

私は、輪に入ることが
なかなか出来なかった。

クラスメイトと打ち解けるには
どうしたら良いだろうか?


私は、そう考えるうちに、

友達欲しさに、
悪口・陰口・イジメを
やるようになった。

●さんと仲良くしたいから
●さんが嫌う、□さんを、
●さんと一緒になって
虐める。悪口を言う。


…我ながら、
最低最悪であった。


No.60 12/03/24 02:57
ライカ ( 6Rs31 )

イソップ童話の
「卑怯なコウモリ」と一緒。

昔、鳥の一族と獣の一族がお互いに争っていた。その様子を見ていたコウモリは、鳥の一族が有利になると鳥たちの前に姿を現し、「私は鳥の仲間です。あなたたちと同じように翼を持っています」と言った。

獣の一族が有利になると獣たちの前に姿を現し、「私は獣の仲間です。ネズミのような灰色の毛皮と牙があります」と言った。

その後二つの一族間の争いは終わり、鳥も獣も和解した。しかし、幾度もの寝返りをしたコウモリはどちらの種族からも嫌われ、仲間はずれにされてしまい、やがて暗い洞窟の中へ身をひそめるようになった。

↑Wikipediaより抜粋。

まさに私は
「コウモリ」だった。

童話のコウモリと同じく、
最終的には、孤独になった。


休み時間、
皆がグラウンドで遊ぶ中、
私は、独りでずっと
机に突っ伏して過ごした。

5年生の途中から、
転校してきた
ナカムラさん。

ナカムラさんは
私とは違い、人気者だった。
容姿も良かったし、
スポーツや勉強も出来た。

このナカムラさんから、

「ライカさんって
いつも“孤独”だね」

と、ハッキリ言われ、
笑われたこともあった。

担任の先生からも
「お前は遊びに行かないのか?」
と聞かれたが、
自分のしてきたことを思うと、
先生には何も言えなかった。


ナカムラさんを見ていて、

同じ「転校生」なのに、
この違いって…。

どうして「転校生」なのに
あの「出来上がった輪」の中に
スンナリ入れたんだろう…

随分考えたし、
とても羨ましく思った。


No.61 12/03/24 03:14
ライカ ( 6Rs31 )

私は、男子からも
嫌われていた。
疎まれていた。

私は、容姿も悪かった。

痩せていた時期が無い。

当時で
159センチ・56キロ。

今からすれば
「普通」なのかもしれないが、
小学生の男子から見たら
「デブ」だったのだと思う。

水泳を長くやっていたので、
肩幅も広い。
余計、体格が良く見える。

母親からの遺伝と、
一輪車や縄跳びと言った、
脚がメインの運動をしていた為か、
脚もゴツい。


父親に育てられたせいもあり、
「お洒落」が出来ない。
服のセンスが皆無であった。


黒地に、小さな白い花を
散りばめた模様の
ゴムスカートの中に、
英文がプリントされている
白いTシャツを
インさせている。

髪型はショートだが、
癖毛を気にして
かなりペトンとしている。
癖毛を伸ばしたくて、
整髪料のようなものを
髪に塗り付けている。

…そんな自分が写っている
写真を見つけた。


一週間、
風呂に入らないなんて
ザラにあった。

母親が居た頃は、
少なくとも
2日に一度は入浴していた。

でも、
母親が居なくなると、
そこら辺がテキトーになった。

父親から
「風呂に入りなさい」と
うるさく言われなかったから、

風呂を沸かしても、
「面倒臭い」と入らないまま、
何となく
やり過ごしてしまうのが
殆どだった。


No.62 12/03/24 03:39
ライカ ( 6Rs31 )

「デブサイク」
「よく分かんない服」
「気持ち悪い髪型」
「不潔(臭い)」

男子に煙たがれて
当たり前(笑)


これだけでも最悪なのに、
「卑怯なコウモリ」をやってのけ、

その上、
父親の性格が私にも移って、

「自慢屋」で
「自信家」で
「仕切り魔」だった。


大して出来もしないことを、
さも「得意技」のように言う。
(実際やらせてみたら
全然出来ない)

字がヘタクソなのに、
「私に書かせなさい!」
「私に任せれば大丈夫」と
周りからの反対を無視して
学級新聞の記事をムリヤリ書く。

歌が下手なのに、
ソロパートを任された
生徒に向かって
「もっと上手い人が
“ココ”に居るのに…」
と呟く。

軽蔑されたくなくて、
嘘も沢山ついた。

提出してない作文を
「もうとっくに提出したよ」
と言ってみたり、
やってない宿題を
「もうとっくに終わったよ」
と言ってみたり。
(後から嘘が全部バレた)


No.63 12/03/24 03:45
ライカ ( 6Rs31 )

オマケに、ドジ・間抜け。
クラス全員の給食を、
廊下に全て
ブチまけたことがあった。

調子に乗って、
ハイスピード(早歩き)で
給食が乗った配膳台を
押していたら、

クラスの男子が
「通せんぼ」をしてきた。

私は「きゃー」の悲鳴と共に
配膳台を急ストップさせる。
給食は、前に滑って行き
全て廊下にドン。

普通にゆっくり押していたら、
給食が、前に滑って
落ちることは無かった。

他のクラスや
他の学年から、
給食を少しずつ
分けて貰った。

クラス総出で
「給食乞い」をする羽目に。

私一人のせいで、
クラスみんなに
恥をかかせてしまった。



…当時の私に、
是非聞きたい。

何故、そのような
“痛々しい考え”に
至るのか。

「当時の自分」を
思い返してはみるが、
全く分からない。

「虚言癖」と
言うヤツだったのだろうか??


嫌われて、当たり前。
自業自得。


ちなみに、
他のクラスに行った
シバタさんと
ツカダくんの2人は
同じクラスになった。

彼らは彼らで、
新しいクラスで
友人が出来たので、

私の相手ばかりを
する訳にもいかず。

クラス替えがあってからは、
遊ぶ回数は
極端に減った。


No.64 12/03/24 03:53
ライカ ( 6Rs31 )

小学校を
卒業する時に作った
「卒業文集」

その中のアンケートに
「クラスで一番目立った人」
と言う項目があったが、

私が一番になった。


でも

【ライカさんは
“悪いこと”で目立ってるから】

【そんな一位は無し!】

と、ハッキリ言われ、
私の「一位」は
無かったことにされた。


クラスの男子達が

「え~っ」
「ライカがダントツだろ」
「なぁ?」
「ああ。」

と言う会話を交わした。

男子達は、
私の「一位」を
面白がっていた。


私もさすがに
「悪いことで目立った」
と言うことは自覚していて、

男子達には
「いやいやいや、
 一位取り消しでいいんだよ」
と言った。


No.65 12/03/24 18:24
ライカ ( 6Rs31 )

5~6年生の時の担任も、
ちょっとイッちゃってる先生だった。

ヨシダ先生。

変にテンションが高い先生で、
いつも「便所タワシ」を片手に
持っていた。

女子が
ミニスカートを履いてくると
妙なテンションになっていた。

「あ~~~っ!」
「○○が、ミニスカート履いてるぅ~っ」


……なんだ コイツは。


ドン引きすることが
多かった。


この担任の趣味が
「裏ビデオの視聴」だった。
これは、ヨシダ先生本人が
そう言っていたのだから
間違い無いだろう。

トラックの
ダブルタイヤに挟まれた
子供の轢死体。

飛び降り自殺で飛び散った
脳ミソの様子。

こと細やかに
生徒に説明していた。
勿論、それを
私も聞かされた。

やはりドン引きした。


そして
「給食は絶対残すな」の
先生だった。

何が何でも、
無理矢理食わされる。

食べるのが好きだった私は
別に構わなかったが、
少食の生徒は
とても苦労していた。

釜に給食が残っていると、
やっと食べ終わった生徒の
空になった器に
容赦無く 盛り付けてくる。

「この一口で、
何人の、恵まれない子供達が
救われると思ってるんだ!!」

これが口癖。

…そう思うなら
釜に残った給食抱えて、
貧しい国に
行ってこいよ。

やっと食べ終わった生徒にまで
無理矢理おかわり盛り付けるなんて…
嫌がらせでしかないだろ。

一食分を、
一生懸命残さず食べたんなら、
そこまででいいだろ。

っつか
テメーが全部食え。


毎日毎日、そう思いながら
給食を
無理矢理盛り付けられる
クラスメイトを見ていた。


No.66 12/03/24 20:46
ライカ ( 6Rs31 )

小学校5~6年生の時期、
輝いていたのは

体育の時間と
部活動の時間だった。

体育は、
走る競技以外は
割と得意で、

特に、マット運動と
縄跳びが得意だった。

他の学校の先生が
何十人も
体育の実技を見に
私の通う小学校に
訪れたことが
何度かあったが、

その実技会に
模範生として、
私は必ず呼ばれた。


部活動は
「一輪車クラブ」
が設立されたので、
迷わず入った。

顧問は校長先生。
私が5年に上がるとき
新しくやってきた
校長先生だった。

校長先生自身は乗れないが、
教えるのが得意と言うことで、
校長先生自ら
一輪車クラブを設立した。

一輪車クラブには
シバタさんも一緒だったし
私は部長も勤めた。

部長を勤めたのは、
私の、父親譲りの
「自信家」「目立ちたがり屋」
の性格から、
自分から立候補してなった。
誰かの推薦ではない。

私より技術のある生徒が
居たにも関わらず(笑)
自分から部長に
立候補するなんて。


今の私には
考えられない行動。


No.67 12/03/24 21:21
ライカ ( 6Rs31 )

体育の話に戻るが、
(打ち忘れた)

私は球技も“得意”だった。

何故なら、
私は嫌われ者だったから
相手にされない。

だから、バスケやサッカーでは
私は ゴール付近で
ポツンと独りで居ることが殆ど。

大抵の人間が、
私がプレイに
参加していないことに
気付かない。

たまに気付く生徒が居て、
ゴール付近に
独りで居る私に、
ボールをパス。

周りに誰も居ない中、
私はのんびりシュート。

周りに誰も居ないから
気持ちは落ち着いてるし、
大抵はゴール。

シュートに失敗しても、
落ち着いて
もう一度やり直し出来る。

得点率だけは
随分と高かった。

でも、
ドリブルしたり、
ボールを奪ったり
奪われたり

そう言ったチームプレイは
殆ど したことが無い。

所詮、小学生の
「なんちゃってバスケ」

人気がある人間には
沢山パスが回される。
嫌われ者の人間に
パスは回さない。

やれ
「○○さんが足を踏んだ」
「○○さんがぶつかってきた」
違うクラスの対抗戦でも
同じクラスの中でも
必ず揉めた。

「女って、面倒クサッ!!」
「レベル低っ!!」
「私から願い下げ!!」

ゴール下に
独りポツンと居るのは
嫌われているのもあったが、

私から敢えて
そうしていた部分もあった。

そう言った
くだらないイザコザに
巻き込まれたくなかった。

私は嫌われ者だから、
何かあったら
絶対に恨まれる。


ドッジボールも同じだった。

誰として、
私にボールをぶつけてくる
人間は 居ない。

だから 大抵、
私は「最後の独り」になる。

「ラスト○人に
なった時点で負け」
と言うルールが敷かれる時は、
私は、逃げることも
ボールに触ることも無く
終わってしまう。


団体戦が
大嫌いだった。

だから
私が頑張った分
そのまま評価される
個人競技が
大好きだった。

私が、
マット運動や縄跳びが
得意だった理由は
そこにあった。


No.68 12/03/25 04:26
ライカ ( 6Rs31 )

「嫌われ者」も
エスカレートして行き
孤立が限界に来たとき、

私は、
更に最低の行動を
取るようになる。


【自作自演】


「上履きの中に異物」
「上履きが無くなる」

これらを
私自身が行って、さも
“私は虐められてます”
“私は可哀想な人間です”
と、被害者ぶって
メソメソしてみせる。


自作自演をやる切欠は…

私の机に【馬鹿】と
イタズラ書きをした
男子が居た。

名前はハヤセくん。

ハヤセくんは 前日、
委員会の話し合いの時に
たまたま私の机に座った。

その時に、
つい「おふざけ」で、
特に深い意味も無く
書いてしまったと。

私よりも先に
登校していた女子が
「誰よ!?
こんなイタズラ書きしたのは!」
といきり立っていた。

イタズラ書きをした
ハヤセくんと、
同じ委員会をやっている女子が、

「昨日、ライカさんの机、
ハヤセが使ってなかった?」
と、ハヤセくんに詰め寄り…

ハヤセくん、自白。

「書いたのはオレだけど、
特に意味は無いんだって!」
と慌てて弁解。

女子、ハヤセくんを
責めまくる。

「酷い!」
「ハヤセ、最低ー!!」
「ライカさんに謝んな!!」

私に向かって
深々と頭を下げ、
「ライカ、ごめん!!」
と謝るハヤセくん。

私は、
ハヤセくんの性格を
何となく分かっていたので、
「悪気無く」「何となく」で
イタズラ書きをしてしまったのは
本当だろうと思って、
全く傷付かなかった。


でも、私はこの時、
ハヤセくんの
「何気無いイタズラ」を
利用した。


No.69 12/03/25 04:33
ライカ ( 6Rs31 )

全く傷付いてないし、
全く気にもしなかった。

でも、私は

「ハヤセ、酷い!」
「あんまりだよ!」

と 泣いてみせた。
泣くのは簡単だった。

このイタズラが
「悪意の塊」だったら………
そう想像するだけで、
涙は簡単に流れ出て来た。

更にハヤセくんを責める
クラスの女子達。

そして、
「気にすることないよ、
ライカさん!」
と、励ましてもくれた。


私は、
ハヤセくんの
イタズラ書きを利用して
「悲劇のヒロイン」に
なってみせた。


この一件で、私は

「もっと虐められたら、
もっと同情して貰えるかも」
「もっと、温かな目線が
集まるに違いない」

そう思ったのだった。


No.70 12/03/25 04:41
ライカ ( 6Rs31 )

まず手始めに、
「上履きに異物」を
実行した。

登校中、ずっと手の中に
「画鋲」を隠し持つ。

学校に到着し、
上履きに履き替える時、
バレないように、
画鋲を上履きの中に落とす。

そして、
少し痛いのを覚悟で
上履きをはく。


「いたっ…!!」

周りに居た、
同じクラスの女子数人が
「ライカさん、どうしたの?」
と詰め寄る。

上履きを脱いで
逆さまにする。

画鋲が数本、ポロリ。


クラスメイトの女子、
「こんなイタズラ、酷いよ!」
「先生に報告しよう!」


先生に報告。
先生は
「また何かあったら
直ぐに報告して」
と私に言った。


画鋲くらいでは、
そこまで大事にはならない。

最初は
「こんなもの」で
良いだろう。


私は 次の
「自作自演」を
考えた。


No.71 12/03/25 04:50
ライカ ( 6Rs31 )

「上履きの中に異物」の
自作自演を
二度と程繰り返した後、

今度は
「上履き消失」を実行。


学校から帰ろうと、
下駄箱に行くと
私の上履きが無い。

その時、
数人のクラスの女子も居た。

「上履きの中に異物」の件で
私を心配するようになった
数人の女子が、
私の下駄箱を
気にしてくれるようになっていた。


数人の女子、大騒ぎ。

「ライカさんの上履きが無い!」
「探してみよう!」
「まずは先生に報告を」

担任の先生、私、
クラスの女子数人で、
私の上履き探し。

私は、テキトーに
夢中(なフリして)に探す。

先生が、
焼却炉行きの
大きなゴミ箱に、
私の上履きが
捨てられているのを発見。

勿論、私自身が
そこに隠したワケだが。


そして次の日、
ホームルームの時間。

先生が、クラスみんなに

「ライカの上履きの中に
異物(数回)」と
「上履き消失」の件を話す。


クラス全員、
「犯人を探そう」と
一致団結。


No.72 12/03/25 05:04
ライカ ( 6Rs31 )

正義感の強い男子、
数名は
「ライカさん、犯人を
絶対に捕まえてやるからな!」
と意気込んだ。

味をシメた私は、
今度は

「上履き破損」

を実行。

上履きが無くなった上に、
見つかった上履きは、
カッターで ズタズタに。

「これは酷い」
「ここまでくると、ちょっと…」
「一体誰がこんなことを」

私はますます
同情をかうことが出来た。

上履きを1組、
ダメにしたと言うことで、
父親にも話が行く。

「上履き、ズタズタにされた」
「新しいの、買って欲しい」

父親も、かなり私を
心配していた。


犯人の特定が出来ないまま、
結局卒業を迎える。

犯人特定が出来なくて
当たり前。
だって【自作自演】だから。


この時の私に、
自作自演で
周囲を振り回している
ことについて、

「罪悪感」なんてものは
一切無かった。

むしろ
「優しい言葉をかけて貰える」
「みんな私を見てくれる」
と、ほくそ笑んでいた。


この時期の私は、
【病気】だったんじゃないかと
思える程、
頭の悪い行動ばかりをしていた。


No.73 12/03/25 05:13
ライカ ( 6Rs31 )

■中学生■

父親が、
整体の学校を卒業し、
開業することになった。

開業は、
父親の生まれ故郷ですると。

…私達はまた、
違う場所へ引っ越し。

小学校→中学校なので
転校ではないが、
全く知らない人間しか居ない
中学校へ入るわけだから、
転校と一緒だった。

親友の シバタさんや
シバタさんの御家族に
きちんとお別れをした。

3年間、お世話になりました。
色々、ありがとう。
また、いつか会おうね、と。

車で2時間程の場所へ
引っ越しなので、
会えない距離ではないが、
シバタさんに再会するのは、
18歳になってからであった。
(再会については後程別記)


  • << 314 小学4~6年生時期の親友だった シバタさんについて すっかり書くのを忘れていたので 今更だけど書いておく。 シバタさんに再開したのは 18歳の時。 漫画の学校へ通うのに、 小学4~6年生の間住んでいた、 「都会」にある寮(女子学生会館)に 私が移ってきてからである。 シバタさんの住まいを 覚えていた私は 公共の乗り物を使い シバタさん宅へ向かう。 いきなり訪問は 少し 気が引けたので、 手紙を新聞受けに入れてくる。 「久し振り、ライカです。」 「良かったら、ここに連絡ください」 「会ってお話がしたいなぁ」 …数日後、 シバタさんの携帯から メールが届いた。 「久し振りだね、元気してた?」 「私は学校の先生してますよ」 「今度会おうね」 私は早速、 会う約束にこぎ着けた。 ○月×日、 ◇時に、△△のバス停にて 待ち合わせ。 私は シバタさんに再開出来る日を ワクワクしながら待った。

No.74 12/03/25 05:37
ライカ ( 6Rs31 )

中学生になってからも、

相変わらず私は、
嫌われ者であった。

流石に、自分の性格の悪さには
気付いてきていて、
自分を出さないように
謙虚に過ごしていたつもりだったが、

ところどころで
ボロが出て…。


私を一番毛嫌いしていたのは、
私と同じく、
転勤族の、セガワ レイカさん。
一人称は「レイカ」であった。

最初は、
家が近いのもあって
かなり仲良くしていた。

でも、とあることを切欠に、
私は 虐められるようになった。

その切欠とは、

私と セガワさんが
同じ男子を好きになり、
その男子も、
私のことを
好きでいてくれたからだった。

私の、この時の容姿が、
身長160センチ・体重63キロ。

春休み中だけで
一気に7キロも太った。

引っ越しで
土地を離れるのと同時に
習っていた水泳も
外で遊んだり等の運動も
一切止めてしまって
春休み中は
親戚の家でゴロゴロしていたから

太るのは 簡単だった。


そんなズングリ容姿の私に、
まさか「負ける」とは
思っていなかったのだろう。

私との両想いを知った途端、
私を仲間外れにするようになった。


No.75 12/03/25 05:45
ライカ ( 6Rs31 )

私と両想いだった男子

名前は ハセガワ モトキくん。

ボンタンに、短ラン。
所謂「不良」であった。

別に、不良に
憧れたワケではない。

この時期の私は
ただの「面食い」で、
中身はあまり関係無かった。

ハセガワくんの容姿が、
私の好みだったから。

好きになった理由は
ほぼ、これだけ。


ハセガワくんは、
「ライカの優しいところが好き」
だと、言ってくれたのに…。

そりゃあ、
好きな男の子には
優しくもなるって。

純粋に
「優しい」わけじゃない。

初恋の相手ではないが
(初恋の相手は忘れた)
ファーストキスの相手は
ハセガワくんであった。


※厳密に言うならば
ファーストキスの相手は
「ロリコン叔父」になるが
カウントしないことにしている


No.76 12/03/25 06:02
ライカ ( 6Rs31 )

中学一年生の
6月か7月頃。

天気は曇り。

両想いだと知って、
私は、ハセガワくんを
自分の部屋に招いた。

お互いに、
異性での「こういうの」は
初めてで、

ただただ 緊張していた。

話の流れは忘れたが、
「キス」の話になる。


ハセガワ
「キスって、どんな感じなんだろうな」
ライカ
「さぁ、したことないし」
ハセガワ
「…なら、してみっか!」
ライカ
「……… は???」


ハセガワくんは、
「これなら恥ずかしくない!」
と、目にハンドタオルを巻いて、
私のベッドに 寝そべった。

「さぁ、こいっ!!」

ハセガワくんは
口を一文字に結んで
私を待っている。

私は、
心臓がバクバク言って、
口から出てきそうだった。


何度も何度も

深く深呼吸をし、

口付けしようと
体を倒し………


ああ、でもやっぱり
ちょっと待って!

の繰り返し。

ハセガワくんの
「頑張れ!」
の一言で決心。

思い切って、
キスしてみた。


あの時の感触は
今でも忘れられない。


温かくて、とても柔らかい。
フワフワしていた。


ロリコン叔父とのなんて
ムリヤリ口をこじ開け、
舌を侵入させてくるキスで、
ただただ乱暴なだけ。
柔らかいもヘッタクレも無い。


そんな、嫌な経験をしていたから
尚更だと思うが、
忘れられないものとなった。


キスだけで、
特に何も無く。

恥ずかしかったのだろう、
ハセガワくんは
「帰るわ、じゃあな!」
と、颯爽と帰ってしまった。


No.77 12/03/25 06:12
ライカ ( 6Rs31 )

でも、
キスの幸せは
長くは続かなかった。

これも
「私自身」が招いた
自業自得であった。


ハセガワくんは
キスのことを
あまり知られたくなかったと思う。

キスの相手が、
私みたいな不細工だろうが、
絶世の美少女だろうが、

キスしたことが
知れ渡れば、
多分 冷やかされるだろうから。

でも 私は
嬉しさのあまり、
親しい友人達に
言い触らしてしまったのだ。


クラスの女子から
「キスってどんな感じ??」
「“続き”はしなかったの?」
など、色々聞かれた。


ハセガワくんは、
それが気に入らなかったのだろう。

夏休み明けから
突然、私を

「糞デブ!!」

と言うようになった。

当時の私には、
何故、ファーストキスの相手が
突然 そうなってしまったのか
全く理解出来なかった。

メチャクチャに、傷ついて
散々泣いた。

私とすれ違う度に
「邪魔だ 糞デブ!!」

私が話し掛ける度に
「黙れ 糞デブ!!」
「うるせぇ 糞デブ!!」

もう、
ワケが分からずに、
ひたすら泣いた。
ただただ泣いた。


No.78 12/03/25 06:31
ライカ ( 6Rs31 )

ハセガワくんと親しい男子
フクダ君に、

「何故ああなったのか」

聞いてみました。
でも、フクダ君は

「あ~…」
「色々あったんだよね…」
「もう、触れないでいてあげて」

と 言うばかりで、
理由は一切、教えてくれなかった。


ここからは
私の想像になりますが…

ハセガワくんは「不良」で、
ハセガワくんのお兄さんも
有名な不良だった。

ハセガワくんは、
お兄さん繋がりで、

先輩の不良とも
頻繁に連んでいた。


同じクラスの友人
他のクラスの不良仲間
先輩の不良仲間

みんなに
キスの話が広がって…


からかわれたり、
冷やかされたり、

辛い経験を
沢山したのでは?


フクダ君の
「色々あった」とは
こういうことなんじゃないかと…。


結局「糞デブ」は
中学2年の終わりまで
続きました。

中学2年で
クラス替えがあって、
ハセガワくんとは
クラスが離れましたが、

クラスが離れてからも
「糞デブ」は
約1年間続きました。

私も、ワケが分からないまま
そのようなアダ名を付けられ
悔しくて。

「糞デブ」に対して

「うるせぇ 糞チビ!!」
と 言い返すようにしていました。

(私より背が低かった)

ハセガワくんから
「糞チビ」と
呼ばれるようになってからは、
とても辛い毎日でした。

早く2年生になりたい。
そうしたら、
クラス替えで
別れられるから。



No.79 12/03/25 12:24
ライカ ( 6Rs31 )

>> 78 ※訂正※

❌ ハセガワくんから
「糞チビ」と
呼ばれるようになってからは、
とても辛い毎日でした。

⭕ ハセガワくんから
「糞デブ」と
呼ばれるようになってからは、
とても辛い毎日でした。


No.80 12/03/25 12:49
ライカ ( 6Rs31 )

やっと
中学1年が終わった。


私を嫌うようになっていた
レイカさんは、
また 転校していった。

レイカさんの登校
最後の日に、
クラスの女子は
レイカさんに
花束を渡していた。

花束を受け取った
レイカさんは
「レイカ、嬉しい!!」
と、泣いて喜んでいた。


レイカさんが
転校して行ったあと…

クラスの女子が
レイカさんの悪口を
言い始めた。

「実は嫌いだった」
「性格、最悪だったよね」

そして私は、
嫌な事実を聞かされる。

「レイカさんね、
ライカさんに
“禿のハーちゃん”なんて
あだ名つけて、
バカにしてたんだよ」


“ハーちゃん”

私は 何度も
聞いたことがあった。

「あぁ、ハーちゃんね…」
「最悪」
「クスクス…」

私の前で堂々と
悪口を言うために付けていた
私の本名とは
全く関係の無いアダ名だった。

私の名前を
かすりもしないアダ名だから
全く気が付かずに居た。

この話を聞いて、初めて
「自分が禿げている」ことにも
気付かされた。

後頭部を
合わせ鏡で見てみると

分け目のクセが出来ていて、
その分け目から
地肌がモロ見えだった。

後頭部が薄いのは、
親戚曰わく
「父親の家の血筋」
らしく、
父親の兄弟姉妹はみんな
生まれつき
後頭部が薄いのだとか。


「嫌いなら、
何で友達やってたの?」
と、元レイカ取り巻きに
聞いてみた。

「だって、レイカさんの
側にいないと、
みんなから仲間外れにされるから」



…。




陰口や悪口で
「オトモダチの輪」を作る
典型であった。


No.81 12/03/25 13:15
ライカ ( 6Rs31 )

時間が前後するが、
私は「(軟式)テニス部」に
入っていた。

「帰宅部」が無く、
部活動には
必ず入らなくてはならない
学校だった。

父親が
「運動部はいいぞ」
「きっとお前を
歓迎してくれる」

そう、強く言うから
取り敢えず 入ってみた。

でも、
全く歓迎なんか
されなかった。


最初は ボール拾いから。

ネットに引っかかった
ボールを拾っていると、

先輩が乱打していた
テニスボールが
私の顔に直撃。

「ああ、君ね~…」
「体デカいから、邪魔!(笑)」
「ネット側はいいから、
コートの後ろで拾って」

顔にぶつかったのに
謝りもせず。
挙げ句「デカいから邪魔」だと。

多分、先輩からは
「何しに来たんだ?」
「このデブは」
「使えなさそぅ~」
と、思われていたんだと思う。

あからさまに、
辛くあたられた。


先輩と、校内の廊下で
すれ違う時、
必ず「礼」をしなくてはならない。
無言で、軽く会釈。

運動部は、特に。
「厳守」であった。


でも、私が礼をしても、
先輩は必ず無視した。

嫌な顔をしながら
無視するので、

「私から礼をされるのが
嫌なんだろうな…」

と思い、
礼をするのを辞めたら、
今度は

「アイツ、礼しない」
「生意気」

となり、
廊下ですれ違う度に

【礼しろや!!礼!!】

と 怒鳴り散らされた。

私はビックリして、
礼をするように戻したが、
やはり無視された…。


私が
礼をすれば
無視するクセに、

礼を辞めれば
怒り狂う。



…私は そのうち
テニス部には行かなくなり
幽霊部員に。

他の部活へ
移りたいと思い
(掛け持ちが出来ない)

テニス部顧問に
退部届を 提出した。

運動部はもう
懲り懲りであった。


No.82 12/03/25 13:32
ライカ ( 6Rs31 )

中学2年生になった。

ハセガワくんとは
クラス替えで別になったが

廊下ですれ違う度に
「糞デブ」と言われた。

でも、もう
クラスが別なので
そこまで
気にしなくなっていたし、

私が「糞チビ!」と返すと
身長が低いのを気にしてか
少し怯んでいた。


レイカさんが
居なくなったので、
もう少し 居心地が良くなる…

と思いきや、
レイカさんより
最悪の生徒が出てきた。

レイカさんの取り巻き
No.1だった、
マツハシ イズミさん。

この子も、
一人称は「イズミ」
(自分の名前)であった。

レイカさんのように、
陰でコソコソと
私に分かりにくいように
馬鹿にするのではなく、

イズミさんはもう
「あからさま」であった。

私にそのまま
ストレートに言う。

「私、コレ嫌だから」
「ライカさんが
やればいいよぉ~!」

「ライカさん、気持ち悪ぃ~!」
「こっち来ないでぇ~ん!」

この、独特な語尾が
尚更私をイライラさせた。


こんなイズミさんだが、
レイカさんと同じく、
友達は 多かった。


No.83 12/03/25 13:50
ライカ ( 6Rs31 )

最悪な生徒。

男子は、フジサキくん。

フジサキくんは、
私のことを
「人間扱い」せず。
「家畜」のような
扱いをしてきた。

クラス替えで
初めて一緒になった
男子であった。

始業式の日
私を見るなり
第一声が

「あのデブ、誰?」

であった。

フジサキくんも
あからさまに私を
毛嫌いしていた。

私が近づこうものなら
どんどん逃げて行く。

私の側を通らないようにする。
まるで、私の周り
半径1メートルに
バリアでも
張っているかのように。

「このバリアに
触れたら死ぬ」
みたいな。


委員会を決める時、
フジサキくんと
やりたい委員会が
かぶってしまった。

フジサキくんが
「お前は人間じゃないから」
と、私を見ながら
腕を「バツ(×)」に交差させて見せた。

担任の先生が
「フジサキくんと
ライカさんで
委員会やればいいじゃない」
「男女一人ずつなんだし」

と言ってくれたが、
そこまで拒否されては…。

「フジサキくんが
嫌がっていますので」
と、辞退した。


くじ引きで
私とフジサキくんが
同じ班になってしまった時は、
それはもう、
くじ運の悪さを
散々 嘆いていた。

散々嘆いた挙げ句、
担任の先生に
「人間と、同じ班に
なりたいのですが」
と、私を左手で指差しながら
右手で(ムリムリ!)と
振って見せた。

先生は呆れた顔で
「そう言う理由での
席替えや、班替えは
認められません」
と、淡々と言った。

フジサキくん、まさに
「orz」←この体勢。

私も、
ここまで嫌われては
さすがに居心地悪いし、
席替えを 認めて欲しかった。


No.84 12/03/25 14:12
ライカ ( 6Rs31 )

でも、フジサキくんが
ぞんざいな扱いをしたのは
私だけではなかった。

フジサキくんは
「痩せていて可愛い女子」
の存在しか認めず、

「それ以外」は
人間扱いしなかった。

だからか、
フジサキくんは
女子からは
猛烈に嫌われていて、

「メガネ猿」なんて
あだ名まで付けられていた。


でも、
フジサキくんの好みの女子は
フジサキくんからは
優しくされていたので、

容姿の整った女子からは
モテていたようだった。



私が嫌われたのは
同級生だけではなかった。

私は
中学3年の 不良先輩(女)からも
かなり毛嫌いされていた。

クロサキ先輩。

ボブカットの茶髪。
ロングスカート。
短ランならぬ
「短ブレザー」。
ガッシリした体格。
(デブではない)

所謂「目を付けられる」
と言うヤツだった。

私は、
生まれつき 髪が茶色く、
ウェーブをあてたような
流れのある天然パーマで、
肌も白かった。
(レイカさんからは
“白豚”と呼ばれていたが)

茶色い髪
天然パーマ
白い肌

これらが災いし、
一個上の不良先輩から

「染髪してる」
「パーマあててる」
「化粧してる」

と思われてしまい、
辛い毎日を送る羽目に。

廊下ですれ違う度に
「髪、黒く戻せや!」
「デブのクセにパーマかよ(笑)」
「化粧落としてこい!」
「生意気なんだよ!」
と、散々言われた。

私が目を付けられる切欠は、
不良であるハセガワくんと
色々あったせいだった。

ハセガワくんから、
私の存在が
クロサキ先輩に流れたのだった。


No.85 12/03/25 16:24
ライカ ( 6Rs31 )

クロサキ先輩から

ペンのような物
(何か忘れた)を
強引に、売りつけられた。

「私、今カネ無いんだよね~」
「1000円で、買ってくんね?」

一本、しても200円程度であろう
そのペン(のようなもの)を

1000円で
買わされた。


私が「お金無いです」
と言うと、

「財布、見せてみろよ」
「カバン中、入ってんだろ?」
と。

クロサキ先輩の
取り巻き(男)に
カバンを取られ、

ムリヤリ財布を
奪われ、中身を確認される。

「お前、ナニ嘘付いてんだよ」
「3000円も入ってんじゃん!」

3000円は、当時の私の
1ヶ月の小遣いだった。

「コレ、買うよなぁ?」
「…なぁ!?」

情けない、ヘタレな私。
脅しにビビってしまい、
1000円を 渡してしまった。


悔しかった私は
担任に相談。

担任は、クロサキ先輩達に
注意はしたものの、
生ぬるい忠告だけで終わった。

挙げ句、
「お前、先公にチクったべ?」
「私が“買うか?”って聞いたとき
お前“はい”っつったべぁ!!」
「お前、はんかくせぇな(笑)」

散々怒鳴られた挙げ句、
最後は「はんかくさい(馬鹿くさい)」と
あざ笑われた。



どこまでも
嫌われ者の 私だった。


No.86 12/03/25 16:43
ライカ ( 6Rs31 )

「糞デブ」の
傷心も癒えてきて
落ち着きを
取り戻した頃、

また 別な男子を
好きになった。

名前は、サイトウくん。
あだ名は「ユウ」。

ユウは、
根っからの野球好き。
勿論、野球部で
頭もスポーツ刈り。
(坊主ではなかった)

凄く、綺麗な字を書く
男の子だった。
平仮名や片仮名なんて
明朝体、そのもの。

ユウは、
私とごく普通に
接してくれた。
普通に話してくれた。

ただ、それだけで
嬉しくて。

いつしか、
恋愛感情が
湧いてきていた。


ユウから、
「野球の試合、
見に来てくれよ!」
と、言われたこともあった。

迷いながら球場に行って
だいぶ遅刻してしまったが、
ユウのヒットは
見ることが出来た。

私は、ユウをこっそり応援。

試合が終わると
こっそり帰宅。

次の日学校で…
ユウ
「昨日、ライカ来てたか?」
ライカ
「うん。途中からだけどね」
「ユウのヒット、見たよ」
ユウ
「なんだよ~」
「俺、ヒットの前に
ホームラン打ったんだぜ~」

私に見て貰えず、
残念そうにしていた。


No.87 12/03/25 17:04
ライカ ( 6Rs31 )

中学2年生から
私は演劇部に入った。

演劇部と言っても、
3人しか居ないので
同好会である。

3人なので
劇などはせず、
発声や、滑舌の練習のみ。

しかも部員は、
2年生しか居ない。
先輩も後輩も無い。

演劇に興味は無かった。
ただ、「先輩が居ない」
と言う理由での入部だった。

違うクラスの
アベさん(女)に、
「一緒にやらないかい?」
と誘われたのが切欠だった。

アベさんとは、
同じ趣味の繋がりがあった。


それは
【同人活動】

所謂「オタク」「腐女子」

私は、
絵を描くのが大好きで、
前からずっと、
憧れていた。

自費出版に、
同人誌即売会の参加。

もの凄く
憧れていた。


絵を描くのが好き、
と言っても、
この頃は、「自分の絵柄」
と言うものが、まだ無くて。

ひたすら、
好きな漫画家の
絵柄を「模写」していた。

私はこの「模写」に
凄く後ろめたさを
感じていた。

ただ、真似をして
描いているだけだ。
自分の作品じゃないと。

でも、
漫画の知識のある
アベさんから

「最初は、それでいいんだよ」
「漫画家さんも、
そうやって真似して描いて
自分の絵柄を、
確立させていくみたいよ」

と、教わった。


No.88 12/03/25 17:37
ライカ ( 6Rs31 )

イズミさん一派や
フジサキくん一派からは

相変わらず 見下され
馬鹿にされ、

クロサキ先輩からも
廊下ですれ違う度に
「お前、生意気だ」
「礼しろよ!」
と怒鳴られ…

(部活一緒じゃないから
礼する必要なんて無いし)


でも、
好きな人(ユウ)と
楽しくお喋りが出来て、

最初 興味が無かった演劇部も
3人で、和やかに楽しく
過ごすことが出来ていた。

同じ部員で、同じ趣味。
でも、
クラスは違うアベさんから
友達の輪も広がって、
違うクラスに、
何人もの友人が出来た。


「ファンロード」に載った
同人誌を通販で購入。

私が買った同人誌を
違うクラスの友人達で
回し読みするのが
好きだった。

通販での
同人誌購入方法を
教えてくれたのも、
アベさんだったし、

同人誌即売会が
この田舎町でも
開催されることがあることを
教えてくれたのも
アベさんだった。


アベさんと知り合って、
私の世界は
もの凄く広がっていった。


No.89 12/03/26 06:58
ライカ ( 6Rs31 )

同人にのめり込むのと同時に、
テレビゲームにも
ますますのめり込むように
なっていった。

私がメチャクチャにハマった
テレビゲームの同人誌も、
爆発的に売られていた。

この時期のテレビゲームは
スーパーファミコン。

スーパーファミコンは
離れて暮らす母親から
ある日突然、
小包で届いた。

今回は、
誰かに強請ったり、
普段から「欲しい」と騒いだりは
していなかったので、

父親に怒鳴られたり、
殴られたりは しなかった。


あまり良い顔は
していなかったが。



学校に行けば
クラスメイトや先輩から
煙たがれる。

家に居れば、
ゲームやったり
同人誌を描いたり、
同人誌を通販で買って
届くのを楽しみに待ったり。


同じクラスに
好きな男子が居たり、
他のクラスの友人が出来たりと、
学校で 楽しいことが
無いわけではないが、

「嫌われる」
「人間扱いされない」
「見下される」
「先輩から目を付けられて
あらぬ因縁を付けられる」

これらの方が
はるかに辛く感じていて、


私は徐々に
学校に 行かなくなっていった。


No.90 12/03/26 07:11
ライカ ( 6Rs31 )

学校生活で
特に辛かったのは
「給食の時間」だった。

給食は、仲の良い人同士で
机をくっつけて食べていた。


私は、誰にも
相手にされることなく、
教室の片隅で
独りで給食を食べることが
多かった。

私が、5~6人の
グループで給食を食べようと
机をくっつけようとすると、

「え…?」
「なんでライカさんが
くっ付いてくんの??」

と、イズミさんに
ハッキリ言われた。
あからさまに、嫌な顔。

私は内心
(それも、そうだよね…)
(私、嫌われてるしね)

と思い、
教室の隅に移動。
独りで、ボソボソと食べる。

さすがにこう言う時は、
私に「普通」に接してくれる
ユウも、

「一緒に食べよう」
とは、ならない。

多感な中学生時期。
そんなことをしたら、
周りから
どんな目で見られるのか…
想像がつく。


私は、独りが辛くて、
恥ずかしくて。

給食も
食べなくなっていった。
給食の時間になると
教室から消える。
トイレで過ごした。

誰一人として、
担任でさえも、
私が居なくなったことには
気付かない。


No.91 12/03/26 07:27
ライカ ( 6Rs31 )

私にとって
「学校祭」も辛かった。

一緒に
校内を回る
友人が居ない…。

他のクラスの友人たちは
やはり
他のクラスの友人同士で
見て回るし、

出し物や催し物が
各クラスでバラバラだから
違うクラスの友人たちとは
自由時間が、かぶらなかったりする。

学校祭で
食べられる物は
あらかじめ
学校から渡される
「食券」を使って
購入するのだが…


中2の時の学校祭で

私の食券が

無くなる事件が起きた。



No.92 12/03/26 07:33
ライカ ( 6Rs31 )

今回は、
自作自演でも
何でもない。

本当に 無くなった。


一枚の色画用紙に
コピーされた食券は

不正出来ないように、
食券一枚一枚、
表には担任の印鑑と、
裏には学校名の印鑑が
押されている。

再発行は不可。

私は、食券を
教室で渡された時、
その場で直ぐに切り離し
一枚一枚をバラバラにし
輪ゴムで括って
巾着に入れてしまっておいた。

無くなったのは
体育の時間だった。

体育の授業から戻ると
カバンの中に
しまっておいた
巾着と一緒に、

食券が 消えていた。


No.93 12/03/26 07:41
ライカ ( 6Rs31 )

体育の時間中
無くなったので、

クラスメイトの
仕業ではない。

見学していた生徒も
グラウンドに居たし。


私は直ぐに
担任の先生に
相談した。

食券は 間違い無く、
体育の授業の前には
カバンの中にあったことも
説明した。


先生は
「原則、食券の再発行って
出来ないんですよね」
「ライカさんも、
本当にどこにも無いのか
もう一度、探してみてください」
「先生も、落とし物で
届いていないか、
聞いて回ってみるので」
と言った。

私は「わかりました」と…
取り敢えず家に帰った。


家中探してみたが
やはり見つからなかった。


No.94 12/03/26 07:55
ライカ ( 6Rs31 )

食券が見つからないまま
一週間ほど過ぎた。

先生は相変わらず
「原則、再発行は不可」
とし、私はもう

「どうでもいい」
「なんかもう、面倒臭い」
と、学校祭を
欠席する気マンマンで居た。


そんな時、突然
学校の玄関の側にある
「落とし物置き場」
のガラスケースの中に、

食券を入れた巾着が
届けられていた。

一週間も…
どこに行っていたのか。

私は、食券の無事の確認の為、
担任の前で
食券を出してみせる。


食券は、
ズタズタに切られ
メチャクチャになっていた。


先生は
「事情が事情なので、
再発行して貰いましょう」
「先生が、食券担当の先生に
頼んでみますから」
と、言ってくれた。


食券は無事、
再発行して貰えたが…

食券を渡された時、
何故か校長先生も側に居て。

「無くしたアナタが悪い」
「再発行なんて特例、
もう二度と有りませんから」
と言われた。

明らかに、
第三者の仕業なのに。
私が悪者にされた。

校長の、
あの面倒臭そうな顔。
私は今でも忘れてません。


No.95 12/03/26 09:56
ライカ ( 6Rs31 )

食券が無くなった上、
ズタズタに切られた件の
犯人は、

クロサキ先輩とされた。

クロサキ先輩達は、
学校の授業を頻繁にサボり、
校内をウロつき、
グラウンドにもよく
屯していた。

担任の先生は、
私が
「クロサキ先輩に脅され
高値で物を買わされた」ことを
よく覚えていたらしく、

クロサキ先輩達が
普段から、
私を目の敵にしていて、

尚且つ
食券が無くなった時、
授業にも不参加で
校内をウロウロしていた
クロサキ先輩達が
犯人に違いないと。


担任の先生と
クロサキ先輩達の担任と
他数名の先生が

落とし物置き場の
ガラスケースの側で
クロサキ先輩達を
取り囲んでいた。

先生
「あなたがやったんでしょう」
クロサキ
「は?お前何言ってんの?」
先生
「犯人はあなた達しかいません」
クロサキ
「はぁ?知らねーし!」
先生
「あの時間帯、授業サボって
校内ウロウロしてただろ」
「お前達しか犯人居ないんだよ」
クロサキ
「ざっけんなや!!」
「アイツ(ライカ)の持ち物なんて
興味ねーよ!!」
先生
「前に、ライカさんのカバン
ムリヤリ開けて
財布奪ったことあったろ!!」


私は、遠くから
それを見ていた。
下校時間だったから
帰ろうと
一階に降りてくれば
イヤでも目に入る。

先生達の声も
クロサキ先輩達の声も
廊下に響き渡って
よく聞こえていた。


「お前達がやった」
「いいや、やってない」
の繰り返し。

結局、クロサキ先輩側が
「知らぬ存ぜぬ」
を押し通した形になった。

校内をウロウロしていただけで
犯人と決め付けるのも…

とは思ったが。


私はぶっちゃけ、
犯人なんて
どーでも良かった。
誰でもいい。

ただただ、
学校祭が憂鬱で
面倒臭かった。


この一件がまた
面倒なことを巻き起こす
切欠になった。


No.96 12/03/26 10:15
ライカ ( 6Rs31 )

学校祭当日
やはり私は独りだった。

独りだったから、
件の「食券」を使う
学校の食堂は
利用すること無く。

食券で買ったのは、
アップルパイ一個と
牛乳のみ。
(折角再発行して貰ったのにね)

食堂は利用せず、
アップルパイと牛乳を持って、
演劇部の部室へ行き、
独りでボソボソと食べた。

適当に廊下を歩き回った後
私は することが無く 退屈で
再び、演劇部の部室に戻り
窓から外を眺め、
ボンヤリと過ごした。

校則なんて破って、
漫画でも
持ってくれば良かったと…。

あの頃は、
ニンテンドーDSや
PSPなんて勿論無い。
携帯も無い。

私のように、
孤独な人間にとって、
「独りで暇な時間」ほど
苦痛なものは無かった。

給食を食べず
トイレで過ごす時も、
やることが無く、
暇で暇で。

携帯一台あれば
「おひとり様」も
全く苦痛じゃない
今の時代に産まれてきたかったと
つくづく思う。


あまりにも
退屈過ぎて、

次の日の学校祭は
ズル休みして
家で好きに過ごした。


No.97 12/03/26 10:31
ライカ ( 6Rs31 )

登校拒否が増えたのは、
中学2年生の 夏頃から。

父親に
「学校行きたくない」は
全く通用しない。

何故、私が学校へ
行きたくないのか。
聞きもしない。

兎に角「学校へ行け」
それだけだった。


まず、
学校へ行く。

学校に着いたら、
校舎の目立たない場所で
8時25分の
チャイムが鳴るのを待つ。

チャイムが鳴ったら、
家に戻る。

家に戻ると、
まだ父親が居るから、
家の陰に隠れ、
父親が出社するのを待つ。

父親が出社したら
家に入る。
ソッコー、学校に電話。
「風邪で休みます」

途中、忘れ物などで
父親が帰ってくると
マズいので、

玄関から靴を上げ、
2階の自室に隠し、
しばらくはベッドの中で
漫画などを読みながら
おとなしく過ごす。

朝10時頃から、
ゲームや同人活動スタート。
好きに過ごす。

基本、
学校の下校時間(15時頃)まで
2階の自室から出ない。
出るのはトイレの時だけ。

父親が帰って来た時、
一階に居たら
誤魔化しが利かなくなるから。


この方法で、
出席日数ギリギリになるまで
ズル休みをした。

脇の下に カイロを挟んで
熱があるのを装い、
早退も かなりした。


No.98 12/03/26 14:04
ライカ ( 6Rs31 )

でも、ズル休みが
父親にバレた。

学校から父親の職場に
連絡が入ったのだ。

「最近、随分お休みされますね」
「ライカさん、大丈夫ですか?」
と。

余計なことしやがって…。

父親、仕事から帰宅後
私を問い詰める。

「お前、学校行ってないんだって?」
「どうして行かないんだ!」

私は無言を徹する。

父親は、
私が何と言おうが、
私がどんな目に遭っていようが、
結局は、ムリヤリにでも
学校に行かせるに決まってる。

「無理に学校には行かなくていいぞ」
なんてセリフは
絶対に出てこないことは
容易に想像が付いた。


私の読み通り、父親は

「お父さん心配だから
頼むから、学校へ行ってくれ」

と、そう言った。

私の気持ちは無視。
父親が辛いから
学校へ行けと。

この頃になると、
私はすっかり
父親には心を閉ざしていて
何も話さなくなっていた。

父親に対して
最初から、何もかも
諦めていたから。

「父親に言っても
どうせ変わらない」
「怒鳴られて終わり」
「殴られて終わり」
「私が損をするだけ」
だと。


学校へは、
父親が車で送るようになった。

でも、私は変わらない。
校門で 車から降りた後、
学校の陰に隠れ、
チャイムがなったら自宅へ。
父親が出勤したら
家の中へ入る。
学校へ電話。
好きに過ごす。

幸い、学校から
父親に電話が入ったのは
その一度のみであった。

私も、
休むペースをセーブして、

まとめて3日くらいを
たまに休むようにした。


出席日数ギリギリなのは
変わらなかった。


No.99 12/03/26 15:26
ライカ ( 6Rs31 )

中学2年も
終わろと言う時期、

私は、何かで表彰された。
何で表彰されたのかは
スッカリ忘れてしまった。

私の他にも
違うクラス
違う学年

何人か居た。

賞状を受け取る度に
全校生徒からは拍手。


私の番になった。

壇に上がって
校長先生から
賞状を受け取る。
















私は静かに
壇から降りた。

全校生徒みんなで
打ち合わせを
したかのように、

誰一人として
拍手をしなかった。

先生も 生徒も
みんな、しなかった。


私の次の生徒からは
拍手再開。

私だけ 無かった。



とても
些細なことだけど、
私の心に
深い傷として
今でも残っています。


No.100 12/03/26 17:02
ライカ ( 6Rs31 )

食券の一件から
恨みを買われてしまった私。

ますます
嫌がらせは
エスカレートした。

教室で
普通に授業を受けていると

クロサキ先輩一派
5~6人が、
私のクラスに向かって

給食で余った
牛乳パックを
思いっ切り、ぶつけてきた。

寒い時期で、
みんな、学校指定の
冬用コートを着て来ていた。

冬用コートは
廊下(教室側の壁)のフックに
掛けておく
決まりになっていた。


クラス全員の 冬用コートは、
クロサキ先輩一派が投げつけた
牛乳の 餌食になった。

私のコートは
飛沫が少しかかったくらいで
済んだが、
グチャグチャに濡れてしまった
コートも 何枚かあった。

クラスメイト達は、
何故、先輩達が
このような悪戯をしてきたのか
理由を知らない。


理由は勿論、
食券のことで
先生と私を、怨んでのこと。

私の食券のせいで
こんな目に遭わされたと
知ったら、

怒りの矛先は、
クロサキ先輩達ではなく、
私に向かっていただろう。


私は担任に
「何とかならないんですか?」
と聞いた。でも担任は
「こうやって
仕返しされると困るから」
「もう、何も言えませんね」
と、淡々と言った。


学校の先生が
舐められる理由が
分かった気がした。


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