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神社仏閣巡り珍道中・改
神社仏閣珍道中・改
神社仏閣巡り珍道中・改  東北路編(ふたたび)

神社仏閣巡り珍道中・改

No.148 20/07/20 06:38
旅人さん0
あ+あ-

こちらのお寺さんの開山は1306年。十四歳で仏門に入り、比叡山等で修行されさらには中国にまで渡って修行された方が、帰国後足利義満公の帰依を受けて、この地に大きな寺を開創されたのが始まりのようです。当時よりお寺の名前は寶林寺さん、だったようです。

ですが時代とともにこちらのお寺さんも廃れゆく時があったようで、一時期は無住とまでなったようです。
規模が大きいお寺さんであったこともあり、それをもったいないこと、口惜しいことと思う方がおられ、江戸時代となり、世の中がようやく平穏な時代を迎えた頃、こちらのお寺さんをなんとか復興しようという動きが起こります。

時を同じくして、中国の僧【隠元禅師】が教えを広めようと弟子二十人とともに日本を訪れ、【黄檗宗】を伝えていました。
黄檗宗は後水尾法皇と徳川四代将軍家綱公の崇敬を得、京都の宇治に九万坪の寺地を賜り、黄檗山萬福寺を創建させていました。禅師の教えは大いに隆盛を極め、道俗を超えて多くの帰依者を得ます。
その黄檗宗の修行を受けた一人【潮音禅師】は、開山の寺二十余、弟子を六四名持つ名僧でありました。
ここ寶林寺さんの再興を強く願った小山市の方、熊本市の方を中興開基とし、当時館林城主であった徳川綱吉公の帰依を受けた潮音禅師がここ寶林寺さんを黄檗宗の北関東初の道場とされたのが、現在に綿々と連なる教えとなっています。

当時は大きな寺地をもち、さまざまな堂宇があったようです。
度重なる火災により当時の面影は一切残されておりません。

ですが、黄檗宗本山の御仏をおこした運慶の流れを汲む仏師の手による仏像は、その一部を欠くことはあるものの現在もこの寶林寺さんの本堂に安置されています。
本山である京都【萬福寺】さんのパンフレットの表紙を飾る布袋さまがおられるのですが、その布袋さまを造仏した仏師が彫りおこした布袋さまがこちらの御本堂にも安置されています。すべてを模したのではなくお顔の大きさやお口の開き方などを変えて造られたようですが、見比べてはじめてわかるくらいの相違であります。
息をのむほどにお美しい観音さま。
お美しいスッとしたお顔立ちの韋駄天さま。
お顔だけになられた達磨大師(あえてお顔だけ彫られたのかと思うくらいに大きなもので、御体があればそれは大きなものであったと思われます)。

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