注目の話題
他人が剥いたリンゴ食べれる?
デブの彼女って嫌ですか?
婚約者と別れました

🎭ある暗黒卿の気紛れな呟き🎵+⚡✒🐱

No.195 17/10/04 16:04
Rudolph-v.Oesterreich ( 40代 ♂ MLdWxe )
あ+あ-

≫194

フランク王国自体は、辛うじて西ローマ帝国を名乗れたが、しかし東ローマ帝国やイスラム帝国との格差は絶大で、これは各国の首都の規模見ても分かる。

イスラム帝国アッバッス朝の首都バグダードが100万、東ローマ帝国のコンスタンティノポリスが50万、イベリア半島に建国したイスラムの後ウマイヤ朝首都コルドバが20万人。

対するフランク王国の首都アーヘン(現在のドイツ西端)は3万。これでもフランク王国最大の都会だった!


つまり5世紀に西ローマ帝国が滅亡してから、13世紀以降ルネサンスが始まるまで、西ヨーロッパは混乱と低迷の時代で、文盲率もメチャクチャ高かった。


ローマ司教(失礼、もう教皇か?)は、流石にギリシャ語、ラテン語が読めたが、各地の司教らはラテン語がやっと、ギリシャ語はダメ、更に一般神父には文盲が多かった。

騎士の文盲はそれ以上酷かった。


ここで問題浮上!

本来、正統派キリスト教は、沢山の異端は排除した結果、信仰ヶ条がかなり長文のギリシャ語で定められ、ニケア・コンスタンティノポリス信条と言った。


東ローマ帝国はギリシャ語母語であったし、そこの正統派教会(正教会)から後に布教、翻訳されたロシアやルーマニアその他の正教会では、ニケア・コンスタンティノポリス信条がそのまま伝わった。

だが西方のローマ司教(教皇)が治める地域(西ヨーロッパ)では、次第にギリシャ語が分からなくなり、この信条のラテン語訳のみ使う。

そして9世紀頃フランク王国辺りで、信条の途中の「聖霊は父から発する」に「子から」を意味するラテン語フィリオクェがつけ加えられた。

ギリシャ語圏の東ローマ帝国は、次第にこれに気付き、ローマ司教に抗議(公会議の決定事項は勝手に変えてはいけない鉄則があるから)。

ローマ司教(教皇)は、勿論フランクにこれを止めさせようとしたが、ラテン語しか分からず、またかつて他のゲルマン族にアレイオス派が多かった経験もつフランク王国は、逆にローマ教皇に圧力かけ、フィリオクェを無理やり挿入させて、ラテン語のクレード(信仰ヶ条)を成立させた。

ここに神学上、東ローマの正教会と、西欧のカトリック教会の分裂が始まる。
(正確には正教会から西方カトリックの分離が始まったと言うべきか!)


今日はここまで✋


195レス目(500レス中)

新しいレスの受付は終了しました

つぶやき掲示板のスレ一覧

日常のつぶやきはこちらで。日々の中で感じた事をポツリとつぶやいてみませんか❓

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少
新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧