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No.155 16/04/11 20:13
匿名
あ+あ-

元小学校教諭の朝鮮半島回想録 ありのまま後世に 福岡

■「私、どんな日本名にしようかしら」創氏改名で同僚の教師

 日本統治下の朝鮮半島で小学校教師を務めた上野瓏子(ろうこ)氏(96)による『おばあちゃんの回想録 木槿(むくげ)の国の学校』が出版された。
日本人と朝鮮人教師が手を取り合って子供の教育にあたる様子や、創氏改名で楽しそうに日本名を選ぶ朝鮮人教師−。
上野氏が伝えるありのままの姿に、「日本人=加害者、朝鮮人=被害者」という図式は当てはまらない。

 ◇

 上野氏は大正9(1920)年、朝鮮半島全羅南道羅州郡で生まれた。父親の西見省三氏は、西見家が所有する農園で、綿花の栽培指導や農業振興に取り組んだ。記念碑が建立されるほど慕われたという。
 上野氏は高等女学校を卒業後の昭和14年、19歳で全羅南道の栄山浦南小学校の代用教員として採用され、後に正規教員になった。
 同小学校に通うのは、半島出身の子供だった。教職員は日本人も朝鮮人もいた。校長は日本人、教頭職は朝鮮人だったという。

◆争いなかった

 教師同士の関係は良好で、校内で大声で冗談を言い合うほどだった。
 「日本人でも朝鮮人でも、すばらしい先生はすばらしい」と振り返る。正規の教員資格取得に向けた講習会では、半島出身の教諭とともに1カ月間、合宿した。

 ただ、教頭は日本の朝鮮統治に反感を持っていたという。上野氏は「この先生の前では、特に言動には気をつけるように心がけました」と記す。日本人教師の方が、配慮していた様子が分かる。

 回想録は、朝鮮総督府が昭和14(1939)年に出した創氏改名にも触れる。「朝鮮名と日本名を持つことが許された。もちろん、自主的なものでした」と説明する。
 職員室で「私、どんな日本名にしようかな」と楽しそうに談笑する同僚の姿も鮮明に覚えているという。「日本が本当に嫌いであれば、自ら日本名を名乗るということはなかったはずです」と断言した。

当時、住んでいた町の様子についても、日本人と朝鮮人が争っている場面を見たことは一度もないという。
 「軍の命令による朝鮮人の強制連行といった話など、私の周りではまったく聞いたことはありません」「植民地という言葉は使われても、同じ人間として平等であったし、皆仲良く暮らしていた」

続きます

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