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ファミサポで預かってもらっていたのですが・・・。
エールをください
余裕を持った行動はしないのでしょうか。

日本を巡る気になるニュース3⃣7⃣

No.253 15/03/09 10:05
匿名さん
あ+あ-

≫252

《【暴力的破壊活動を展開(昭和20年代)】

(1)占領下での勢力拡大

 第二次世界大戦終了後、公然活動を開始した日本共産党は、敗戦直後の国民生活の窮乏と社会不安を背景に党勢の拡大に努め、昭和24年1月の衆院選では35議席を獲得し、10数万人の党員を擁するようになりました。

(2)「51年綱領」に基づく暴力的破壊活動を展開

 日本共産党は、同党の革命路線についてコミンフォルムから批判を受け、昭和26年10月の第5回全国協議会において「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」と、「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を決定しました。そして、この方針に基づいて20年代後半に、全国的に騒擾事件や警察に対する襲撃事件等の暴力的破壊活動を繰り広げました。しかし、こうした武装闘争は、国民から非難されるところとなり、27年10月の衆院選では、党候補は全員落選しました。

 ところで現在、日本共産党は当時の暴力的破壊活動は「分裂した一方が行ったことで、党としての活動ではない」と主張しています。しかし同党が20年代後半に暴力的破壊活動を行ったことは歴史的事実であり、そのことは「白鳥警部射殺事件」(27年1月)、「大須騒擾事件」(27年7月)の判決でも認定されています。

【「51年綱領」の廃止と現綱領の採択(昭和30年代)】

(1)「51年綱領」の廃止

 日本共産党は、昭和30年7月の第6回全国協議会(6全協)で、20年代後半に行った武装闘争を「誤りのうちもっとも大きなものは極左冒険主義である」(=革命情勢がないのに武装蜂起した)などと自己批判しました。そして、33年7月の第7回党大会で、暴力革命唯一論の立場に立った「51年綱領」を「一つの重要な歴史的な役割を果たした」と評価した上で廃止しました。

(2)現綱領(当時)の採択

 同大会では、「51年綱領」に代わる党の新綱領が「党章草案」(綱領と規約を一つにしたもの)として示されましたが、現状規定や革命の性格等について反対意見が多く、党内の意思統一を図ることができませんでした。そうしたことから、草案の綱領部分は引き続き討議することとし、この大会では規約部分のみの採択となりました。

続きます

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