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桜井愛( 42 ♀ dtkYnb )
19-03-07 15:21(更新日時)

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1976年、8月。

看護師や医師が、父に言った。
「出産に当たり、母体の命とお子様の命、どちらかになる可能性が高いです。どちらを助けますか?」
父は言った。
「母体を助けてくれ」と。
更に医師は言った。
「最善を尽くします。最悪、どちらも失う事を覚悟して下さい」と。

こうして、未熟児で産まれたのは私だった。

幸い、両方無事だったが、私が危なかった。

仮死状態で産まれ、直ぐに保育器に運ばれた。

原因は、妊娠中の母の喫煙でした。
脳に頭に酸素が行かず、仮死状態となった。

私が産まれてから1ヶ月間は、保育器で、母は産後から回復が遅く、暫くは父が母の母乳を瓶に入れ、私の居る保育器の管理している看護師に渡した。

こうして、私は誕生した。


やがて、スクスクと成長した私は、次第に保育器の、手につけていたさくが小さくなっていき、私の手が傷つき、血が流れた。

母は怒鳴り付けた。

私の左手首にその痕が今でも残っていた。


保育器からようやく出た私は、早速病が襲った。
今でも発症しやすい、側頭葉てんかんだった。

身体中が真っ白になり、死んだように動かなくなった。

姉が何回も救急車を呼び、病院に搬送された。

これが私が聞いた乳児期だった。

No.2806005 19/02/27 13:48(作成日時)
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No.1 19-02-27 14:00
桜井愛 ( 42 ♀ dtkYnb )

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この頃、父はロクに仕事もせず、麻雀、パチンコ、競馬に遊び、借金をしていた。

深夜、母が私が母乳飲んで眠ると、姉に、「愛は、暫くは起きないわ。その間に仕事に行ってくるね」と、私を姉に任せ、深夜のレストランで働いていた。



やがて、時は過ぎ、私が3歳の頃。
側頭葉てんかんの症状が、この頃から出ていた。
近所に大屋さんが住んでいて、空いてる家に私達は住む事になった。

しかし、私は、攻撃的になり、その大屋の方に、「出ていけ!!」と怒鳴り付け、ドライヤー、ブラシ等を投げつけた。

そんな事が何回も起きる様になりました。

暫くすると正常に戻り、大屋の方に謝りました。

家でも暴れた。
ガラスを割り、母からお尻を叩かれ、雨の中、裸で外に出された。

これは今で言う側頭葉てんかんの症状で、攻撃的、または悲観的になるという。

最近解り始めたが、この頃は、当然解らず、子供のワガママ……としか理解されていなかった。

No.2 19-02-27 18:40
桜井愛 ( 42 ♀ dtkYnb )

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>> 1
4歳か5際かは覚えてない。
だけど、母は、父が働かないので、布団のセールスになった。

私は、幼稚園、保育園にも行かせて貰ってなかった。

母の会社の同じビルに、児童施設があり、そこに居た。

そこで、言語的な障害が出た。
「お片付け」が言えず、「おたたづけ」と言っていた。

そして、斜視もこの頃から出ていて、私は、施設の子供に避けられた。

それだけじゃなかった。

知能、運動にも他の子供より遅れていた。

何時も話易い男の子にグループに入れて貰い、何時も1番後ろにくっついていた。

そんな事が半年~1年続いた。

そして、やっと母が会社を辞めて、洋裁を習い、既製服を作る仕事が貰えた。

この頃からやっと父は働き始めた。

保育園に半年程通っていたが、やはり、私に寄ってきたり、遊んでくれる子供は居なかったので、先生が色々イベントに着いた。

やがて、また引っ越す事となり、私の保育園は、1週間に1回になり、1人で本や、ぼんやり音楽を聴いていた。

No.3 19-02-28 14:16
桜井愛 ( 42 ♀ dtkYnb )

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>> 2
やがて、小学校入学の時。
母の手作りの洋服で普通に入学式を済ませた。

すると、いきなり校長室に私と母は連れて行かれた。

そして、そこで校長が言った。
「愛さんを特殊学級へ移動させる」と。
そこで母は怒った。
「ふざけないで下さい!確かに愛は人より遅れています。しかし、普通の子です!!それを見た目だけで特殊学級はないでしょう!?こうしましょう!担任に任せましょう。担任がもし、特殊学級と判断した際には従います」と。

こうして、担任に私は委ねられた。


しかし、こんな事も……。

担任を決める際に、私の顔写真などのデータを見た時に、誰もの先生が私をクラスに呼ぶ事を避けたという。

そこで、引き受けたのが、私に規律を教えてくれた先生だった。


私のクラスは、何人か学力等に遅れていた子供が何人も居た。

そして、半端じゃなく厳しかった。

今では問題とされていた、暴力なんて平気で振るっていた。

しかし、私は、ここでもてんかんの病状が出ていた。

男子を箸箱で殴って泣かしたりしていた。

保育園の頃、スコップで男子の頭を殴ったりとかもしていたが。

そして、更にこの頃からてんかんの前兆発作、そして、倒れたりしていた。

No.4 19-02-28 14:33
桜井愛 ( 42 ♀ dtkYnb )

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>> 3
更に悲劇が母や私達に襲った。

父が母に、「百万、どうしても欲しい」と言ってきたので、母は稼いだ百万を父に渡した。

……そこで、明らかになったのが、父の浮気だった。

母から貰った百万を、愛人に貢いでいた。

母は怒り狂い、時間の秒数まで忘れられなくなっていた。

この頃から、母は私に酷く当たる様になっていった。

「アンタなんか産まなきゃ、お父さんと離婚できたのに!」とか、「何で愛には出来ないの!?お姉ちゃん、お兄ちゃんは出来るのに!!」と私は、その度に泣いていたが、傷つく事も慣れて、涙すら枯れていた。

完全に麻痺していたのかも知れない。


しかし、学校は楽しかった。
新しく出来た友達で、楽しい毎日を過ごしていた。

特に、出版した本にもあるが、Nさんが何よりの支えとなった。

クリスマスに飾り付けしたり、Nさんの家や私の家で遊んだりと、本当に楽しい毎日を送っていたが、母は、Nさんの母と祖母を嫌っていた。

理由は、生活保護を受けていたから。

仕方なかった。

彼女は、数年前までは、普通の家庭だった。

しかし、交通事故をお越し、彼女の父親は亡くなり、母は、首に重症、一生働けなくなっていった。

そして、彼女の家は創価学会だった。

母は嫌な顔をしていたが、Nさんは悪くない。

だから、私は彼女を親友として慕っていた。

No.5 19-02-28 18:47
桜井愛 ( 42 ♀ dtkYnb )

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>> 4
しかし、私は、「あいうえお」すら書けなかった。

大体の子供は幼稚園等で字を習う事もある。

しかし、私は、実際に保育園には半年~1年位しか行けなかったのと、やはり、未熟児という事もあり、他の教科書も国語以外は全く解らなかった。

スポーツもビリだった。

しかし、友達が減っても、Nさんだけはシカトも何もせず、私には凄く優しくしてくれていた。

それから、人とのコミュニケーションがまるで解っていなかった。

それで起きたのは悲惨なイジメだった。

ある日、1人の男子が給食の時に、かなり汚い食べ方をしていた。

そして、母に言うと、直ぐに母は担任に電話した。

しかし、言われた方は私を憎んだ。

私は、鼻に指を少し入れただけで、「汚ねー鼻くそほじってる!」とその子は騒ぎ始めた。

やがて、クラス中に広まった。

そして、その私を憎んだ子供は、兄が居た。

その子は、私の悪口を兄に言いふらし、聞いた兄は、自分のクラスに私の悪口を言いふらした。

やがて、クラスの男子がその子と同じく兄弟等に言いふらし、私は、学校中に「汚い女子」と言われていた。

母は怒り、私を憎んだその子の母親に自宅まで殴り込んだが、遅く、更に私は、暴力等も振るわれ始めていた。


No.6 19-03-01 14:11
桜井愛 ( 42 ♀ dtkYnb )

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>> 5
やがて、その規律を教えてくれた教師は、産休に入った。

私は、あの頃、Nさん以外の人、親や姉兄にも私の存在を解って欲しかった。

そして、起こした行動は、父親を見て思った。

反抗的になる事だった。

私は、母の言葉や、先生の言葉にわざと反抗的になった。

初めはわざとだったが、次第に癖になり、結婚した今でも残っている。

しかし、更に嫌われる事となり、Nさんも私には距離を置いていた。


変化はもう1つあった。
今まで、自分の机や部屋は掃除を毎日していた。
そして、母が起こす30分前には起きていた。

母は偉く誉めていたが、反抗的になってからは、自分の部屋を掃除する気にもなれなかった。

しかし、母には好かれたく、母の台所は掃除をしていたが、母に言われた。

「自分の所を掃除をしない愛に、いくらお母さんの所を掃除されても、嬉しくない」と。

馬鹿馬鹿しくなった。

寝坊している姉や兄は、母は何も言わない。

それに2人は、部屋も汚い。

もう、頑張るのを止めていった。

No.7 19-03-01 14:27
桜井愛 ( 42 ♀ dtkYnb )

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>> 6
やがて、小学2年になった。

母がある近所の方と仲良くなり、その姉妹と私は、仲良くなった。

特に妹の人は私より2つ年上で、凄く優しくしてくれて、良く森の探検などをしていた。

てんかんで弱かった私の身体が良くなってきて、今まで出来なかった鉄棒の前回りが出来る迄になった。

そして、出たのがファミコンだった。

その人にファミコンがあったので、夜の7時まで遊んでいた。

本当に楽しかった。

そして、登校班もその人と一緒にしてもらった。

しかし、私は、Nさん同様に、かなり依存してしまった。

次第に私のしつこさに、その人も距離を置いていた。

母が、「あんなにベッタリされたりして、彼女、嫌がっていたわよ」と言われていた。

私は、反抗的にまたなっていったが、ここでは、余り態度には出なかった。


誰もが距離を置く、母や家族すら嫌がる……誰も居なかった。

そこで、母の働く姿、父の遊ぶ姿を見て、今の私の考えの基盤となる物が出来た。

何と言って良いのだろう。
誰が社会で成功するのか、失敗するのかが見えた。

私は、更に自分が許せず、嫌いになり、そして、人を平気で見下す考えがここで生まれた。

この考え方は、旦那と結婚するまで続いていて、治すのはかなり苦労した。

No.8 19-03-01 18:47
桜井愛 ( 42 ♀ dtkYnb )

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>> 7
しかし、てんかんの発作は起きていた。

学校では倒れませんでしたが、出先で、いきなり腹痛が起こり、立ってられない程になった。
そして、猛烈な吐き気と耳鳴りがして、気がつくと倒れていた。

腹痛、吐き気等は前兆発作です。
更に倒れたのは発作です。

母は私が何故ここまで倒れるのか、疑問に思い、大きい病院へ、脳波を撮った。

しかし、異常は見つからず、病院を5~7ヶ所程まわった。

最終的には国立病院まで行き、脳波を撮った。

そこで言われたのが、「自律神経失調症です」だった。

私は、中学まで倒れていた。


同時に、猫を飼い始めた。

私は、動物にはかなり癒された。

学校の帰りに、私の声がした瞬間、玄関先で待っていて、何時も私に抱っこされていた。

私は、猫がこの頃から大好きになった。

野良猫にも可愛がり、本当に猫を心から好きになった。

それは今でも変わらない。

No.9 19-03-02 15:21
桜井愛 ( 42 ♀ dtkYnb )

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>> 8
やがて、小学3年になった。

この頃から、母がエホバに狂った。

私がまだ赤ん坊の頃。
父方の実家に行くと、親戚中が集まり、そこの隅に、ある女の子が居たと言う。
その女の子は、親戚が浄土真宗に対して、エホバの証人だった為にキチガイ扱いされ、親戚一同からハブにされていたと言う。

母は、その女の子を助けようと、エホバを勉強したが、母自体がエホバに取り込まれた。

そして、小学3年の私に、聖書やら、端末誌だの教えてきて、疑問を持たない私は、どんどんエホバにのめり込んだ。

作文も書いてクラスの皆に発表したが、冷やかしで終わり、先生も、「良く解らない作文ね」と言われた。

その先生も若かった。
若干23歳で担任を任されたが、母親も呆れる位にノーテンキで、勉強だけの先生で、柔軟性も何もなかった。

当然イジメには無関心な先生で、母も更に呆れていた。

No.10 19-03-02 15:35
桜井愛 ( 42 ♀ dtkYnb )

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>> 9
そして、更にイジメはエスカレートした。

私はNさんにも、誰も帰る友達が居なく、1人で学校から帰ると、いきなり泥が飛んできた。

そして、次々に泥が飛んできて、避ける間もなく私に当たった。

中には石が入っていて、目に当たり、身体中に当たり、傷だらけ、目が開けられない状態だった。

そんな中家に帰ると、母がビックリして、急いで傷の手当てと共に、学校へ連絡した。

しかし、担任は、若い。

手の打ち様がなく、1週間程、泥だらけで帰る事になった。

そこで、私が自分でもう自分の身を守るしかないと思い、嘘泣きをした。

それ以来、泥は投げて来なくなったが、目のオカシイのは社会人になるまで治らなかった。

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