過去があったから今の気持ち

レス107 HIT数 2183 あ+ あ-


2025/06/14 19:04(更新日時)

事情が変わり、ここに戻ってきてしまった。

やっと二世帯住宅から旦那のお陰で出られたのに 気持ちとは裏腹に2年後の今、また出入りしてしまっている😓
ごめんね、旦那。

でも旦那にも物言いたい気持ちもある。
けど、亡くなってしまった旦那には、もう直接は言えない。

『過去と現在』
『過去より現在』で日記を書いていました。

嫁は、ある時は他人扱い、またある時は家族扱い・・・自分をしっかり持たないと!


日記をやめると言いながら 復活してしまいごめんなさい。

No.4175948 (スレ作成日時)

新しいレスの受付は終了しました

投稿順
新着順
主のみ
付箋

No.1

平成に入って旦那から 親から同居の話があるけどどう?みたいなことを言われたが、昭和生まれの私には、旦那は一人っ子だし そのうちそうなるだろうと覚悟はしていた。

平成8年
2階にも台所を作って欲しい、それが出来ないなら同居は出来ないと 喧嘩になったが私は通した。
だって旦那は、その3年前から20代で糖尿病1型になって食事の管理を考えると とてもじゃないけど姑舅の食事に気を使えないのだもの。
何が好みかも自信がない。



のにち最近、シングルマザーの次子に『お母さんは、カレーライスでも おかずを並べていた』と言われた(お母さんみたく出来ない と落ち込んでいた時だ)
私は全然思い出せなかったけど たぶん旦那がカレーライスは糖質が多くて食べずに避けていたから お酒を呑む旦那におかずでお腹が満たされるように そしてインスリンを打っているので糖質が摂れるようにと皆にもおかずを並べていたのだろう。

まるっきり覚えが無かったが、その時、その時で出来ることを私はやっていたのかぁ
覚えていないけど・・・😅

でも、あの二世帯住宅での暮らしは、台所を別々に作って間違ってなかったと思う。
だから26年間、色々な思いもありながら なんとか居られたと思う。

台所は私にとって大切な場所でもあった。

No.2

>> 1 色んなことがあった。

旦那と付き合い出した当初から 私は完全に姑から嫌われていたと思う。
何故だろう?
旦那を元彼女から 横取りしたと思われたのかな?
旦那は、理由は知らないが(教えてくれないので 敢えて突き詰めなかった)高校を一度やめて 次の年に受験をして ひとつ下の子たちと高校生活を送っている(それは子供たちも知らない)それを支えてくれたのが、元彼女だったのだろうか?

でも声を掛けてきたのは旦那だ。
私にも付き合っていた人はいた。
入社してほんの数日後、最寄りの駅に歩いていたら脇に車が止まり 最寄り駅まで送って行くよと窓から顔を出したのが旦那だ。
社の方の顔は、なんとなく分かるようになってきたが、まだ名前は覚えきれていない時だった。
旦那の名前も知らなかった😅

そんなことが続き(その中で彼女から 5日生まれの旦那の誕生日プレゼントが、後部座席にあった)そして、いつしか最寄り駅に向かいながら 旦那の車の気配が気になるようになった。



昔、昔のはなしで 私と旦那の始まりのはなし。
懐かしいようで・・・
それがなかったら お互い別の人と一緒に暮らしていたのだろう。

旦那が、亡くなる数週間前に『あんなことしてごめんね』と言ったのは、この事かな?と思ったり・・・
何が?と訊かなかった。

言葉が交わせるうちに中々言わない旦那の想いを 分かったふりをせず聞けば良かった。

No.3

本当に結婚生活36年、色々なことがあり 2年前に旦那が亡くなった。

昔、私の妹に『良い人なのか悪い人なのか分からないね』と言われたが、うん、そうかもしれない。

私が具合の悪いのが2、3日続くと怒り出し 蹴飛ばされた時もある。
それから熱があっても 私は自分の具合を気にしないように体温計を使わなくなった。

でもいつしかから旦那は、私が鼻声になると 早く薬を飲むようにと・・・気遣ってくれ
人のお世話が分からないから 人が具合が悪くなるのがプレッシャーになり嫌だったのだろう。旦那なりの精一杯のやり方だ。





No.4

>> 3 かなり端折るが、二世帯住宅での生活が始まり 車の免許を持たない私は、買い物に出る度に姑に買ってくるものがあるか?と尋ね 頼まれて2キロ先のスーパーへ歩いて行った。 
自分宅の分は3日ほどの買いだめなのだが、姑から頼まれた九州産の味噌を3つも頼まれた時は、重いので自分宅の買いたい物を何度か減らしたこともある。
娘と買い物をして帰宅した時には、姑に頼まれた物を渡すと「孫ちゃん、ありがとうね」と姑は娘にお礼を言っていた。
すごく悲しかった。
ある時は、私の隣にいる娘に「おばあちゃんが歳を取ったらお願いね」と私のことは眼中にないような扱いに悲しかった。

またある時は旦那と喧嘩をして「私ここを出ていきますから」と言えば「子供達は置いていってね」と姑に言われ・・・
私は嫌われていたのだ・・・

その後、私が39歳の時に子供のスポ少のために 車の免許を取ることにした。
反対する旦那に「免許を取ればお母さんとお父さんを通院や買い物に連れて行けるよ」と言えば「俺の親はお前の世話にはならねぇ!」と怒鳴られた。
最後には勝手にしろと言われ 翌日、旦那に突き放された状態で向かう教習所へは足が震えた。

No.5

>> 4 免許を取ってからすぐの事だ、姑は花を摘もうとして土手で転び 旦那から整形外科に連れて行って欲しいと頼まれた。
このあとも色々あり・・昔に言われた旦那の言葉、姑の言葉は無かったことのように忘れたふりをして 通院も買い物も入院も手伝った。

2015年、姑が亡くなった。
それからは舅の手伝いをした。
生前の姑が「嫁ちゃんだって忙しいのに そんなに具合(通院)が悪ければ入院したら?」と舅から言われたと愚痴を零していたことを 舅は私が知らないと思っているのだろう。
私と買い物や通院に行くようになり 舅は自前の自転車は処分していた。
お空の姑が知ったら何て思うだろうか

2022年
旦那が他界した。
29年間、糖尿病I型と闘ってきたが、それとは別の病気で逝ってしまった。
糖尿病のことも何も分からず 舅も亡き姑も1型って?という感じだろう。
何も知らなくて何もしなくて あなたたちは幸せだろうな。

No.6

>> 5 2022年12月、この二世帯住宅を私は出た。
迷ったよ、旦那が亡くなる前まで迷った。
旦那からも「家を出るって言ってくれ」とまで言われた。
決断できたのは、旦那は私を守ろうとしてくれたのに 舅は最後まで私を家族として扱ってくれなかったこと。
お金、云々じゃなくて そこに本心が見えたこと。
そして家の鍵を舅に返し「お元気で」と言ったけど 舅に無視された😅

それからは、舅の近所に住む私の娘に買い物は頼っていた。
シングルマザーだから 娘に申し訳ないと思ったが、娘は旦那に似てメリハリが出来るので 舅は完全な寄っ掛かりは出来なかっただろうけど 私が抜けたから助かったと思う。

No.7

>> 6 そして、それからの2年間は私の娘を頼りに乗り切っていた舅だ。
今年2024年の9月、舅から私の娘に 買ってきて欲しい物を頼む電話がきたが、その中で具合が悪く吐いていると言われ 娘は心配だが自分の子供のスポ少があり困り 私にスポ少の送迎を頼みたいと私に電話があった。
でも道音痴の私には、孫を預かって見知らぬ場所に送ることが不安、そしてお互いに舅のことも心配だから私が舅のところへ行くことにした。

舅の家に行ったが、鍵が閉まっているし 私も鍵を返したから持っていない・・
でも知っている、あそこが開いていることを。
そこまで辿り着くまで 何これ!?何で!?と思いながら靴のまま踏みつけて進み そこを開けた。

「お義父さん、お義父さん!」と呼びながら まさかのそこを開けた事に警戒しないように呼びながら開けた。

舅は台所に横たわっていたが、意識があった。
私がきた事に驚いて「まさか嫁ちゃんが・・来てくれた」と言っていた。

No.8

>> 7 横たわった舅はズボンが濡れていたが、舅の威厳のため気が付かないふりをし 買ってきたお茶を口にあてたら少しづつ飲んだが動けない。
救急車を呼びますよと言ったが「俺は乗らない」と言うばかり。
心配して来たのに!と何度か説得したが「乗る」とは言ってくれなかった。
でもどうにも出来ないので了解を得ず救急車を呼び 救急車が到着すると私はわざとそこから離れた。
すると何の抵抗もなく舅は、車内に運ばれて行った。
隊員さんが、色々な病院をあたってくれ 今時なのか??私が運転がどこまで大丈夫かきいてくれて 私が行きやすい病院に入院が出来る事になり とても本当に助かった🙇‍♀️
舅は病院に運ばれたが、今日のうちに帰れると言われたのだが、点滴を打ちながら舅の腰のあたりのズボンを看護師さんが掴み支えながらトイレに向かう舅を見て 無理でしょ?と思った。
舅は一人住まいで帰宅しても誰も看る人がいないと訴えて 一週間の検査ということで入院させてもらった。

No.9

>> 8 そして舅は入院し病室で「嫁ちゃんが来てくれるとは・・」と泣いていた。
嫌だ、この空気に飲まれるのは・・と話題を変えると泣きやんだ😅
でも帰る時には握手を求められて😅握手して病室を出てから 前の入院の時に怒っていたからテレビカードとお茶を買って 少しばかりのお金を置いて舅の病室を退散。

前々から私の娘が、介護認定を受けたら?と言っても渋っていた舅に 入院中に私が了解を得て動き始めた。
市へ介護認定のお願い、かかりつけのクリニックに意見書のお願いをし 先生は、本人の主張より見たまま(悪く)を書くと言ってくれた。
宅配弁当の見当もつけたし 市との繋がりもつけた。
この病院は、あまり病床を埋めたくないようで 舅の入院中に個室で事情をはなしても「宅配弁当を頼んだなら1日1食は食べられるから大丈夫」「週に一度電話すれば大丈夫だわよ」とか他人事だった。
看護師さんと向かい合った私の目の前のパソコンだが、看護師さんが立てた画面の裏に貼り付けられた病床目標の表が見えているわよ😓

だめだ、この病院。
でも一週間、入院させてもらってありがたく思う。

No.10

>> 9 退院の日も迎えに行き それから数日毎日舅のところに通った。
舅が入院中に少し部屋というか腐りそうな物を片付けたのだが、薬をケースに分けているようだが、同じ薬がタブって入っていたり 服用してなかった日が窺えたので その病院からは退院して一包化してもらっていたので 私が袋を作り日付を書いて1日分づつを朝、昼、夕を一袋にまとめて分かりやすくした。
そして退院後、数日して病院の薬を飲むようになってから体調が良いという舅。
いや、前の病気からと同じ薬ですよと言った。が、それよりも前の薬よりひとつ減ってますよとは、なんとなく言えなかった😅
やっぱり薬を飲んだり飲まなかったりなのだろう。

落ちいた頃は、舅のところへは週3回通い買い物やお墓参りにも行ったが、食品の買い出しの検討がつかないのか 床に置いてあり袋を開けてカビが生えた焼き栗?がそのまま袋から出たようにいくつも転がっていたり 納豆の3個パックやゆで卵のパックなども台所の床に置いてあるしなので 買い物は週2回に減らした。
でも舅の家に向かう前には、ペッボトルのお茶2リットルを3本やレンジで使える紙皿や使い捨てのスプーンや割りばしを買って持って行った。
私の腰が悪いから買い物の手伝いをして お茶を箱で買われても困っちゃうからね。

No.11

>> 10 その後、舅から買い物は10日おきでぐらいで良いと言われた。
気を遣ったのだろう。
でもその時、私は反感が過った。
指図されたことにだろうか?いや同居から姑に対しても いつも私が先読みしてお願いされることもなく私が動いてしまうことに当たり前に思われこと。そして当たり前に動いてしまう自分を省みてだ。
「いつ行くのが良いですか?」舅に決めてもらおう。
舅は答えない、何度きいても答えないから「じゃ買い物の時は電話下さい」と言ってアパートに帰宅した。

すると夕方に舅から電話がきた。
自分が言った10日に1回を撤回した。
そして嫁ちゃんが言う日に買い物に行くと言われ それは私が先回りして勝手にやっている風になるのは嫌だと繰り返し拒んだら やっと「じゃ(10月)31日」と言われたが、私の言っている気持ちも意味も分かってないことに納得がいかなかった。

そして、また私から電話をして 私が先回りしてやることは、もう嫌だと伝えたが、謝るばかりだった。
いじめたいわけではない、人としてみて欲しい、家族と思われなくても都合よく扱われるのが嫌なの。

No.12

>> 11 そんなこんなで また2年ぶりに9月から舅の買い物や通院の手伝いなどをしてきたが、舅の9月の入院中から市の方へも相談に行っている。
舅の了解も得て介護認定もしてもらったが、元気に歩き、足も高く上げたりができ支援1の結果だった。
最初は、あまり支援が受けられないことに落胆したが、心配だけど歳のわりには元気だという判定だと思うことにした。

色々、今も葛藤していた。
年老いてひとりは心細いだろう、誰かに頼りたいだろうって。
自分に置き換えたら そう思うから。


でも今日、市の方から電話があって 舅のところに「一人住まいの方を訪問してます」って様子を窺いに行ってくれたと。
舅は「困っていることはない」「買い物は、孫にやってもらっている」って答えたんだって。

それを聞いてショックだった、そして頭にもきた。涙が溢れた。






  

No.13

>> 12
ここを見て下さる方がいたら隠し事は嫌だから 9月に20万と30万、10月に30万、舅からもらった。
お礼だって、それから何も頼めなくなるからだって。「じゃ何も頼まないで下さい」って言ったけど 何十年と姑と舅の好きな家族より私は仕えたし 何もしなくても同じくらいもらえる孫もいることだしと思いもらった。
それからは、またお金を渡そうとしてきたけど 5回続けて断っている。
もう貰い過ぎだわね。

この時間は、もう24日なんだね。
買い物に行ってから お墓の掃除をして仏花とお茶を供えて整えて。
25日は舅をスーパーに連れて行く約束だから 今月もお墓参りも行きたいと言ってたし いつもの様にスーパーの前に参りに行こう。




  

No.14

>> 13 あの二世帯住宅から2分とかからないところに住んでいた娘親子は、2年前に私が出てから舅の買い物を手伝っていたが、家を買って先週に市外へと引っ越しをした。
淋しいのもあるけど 舅のそばに一番近い私が置いてきぼりなった想いもあったが、そんなことは言えない。

でもショックだわ、舅は嫁の私ではなく孫にやってもらってると言うなんて。
25日に舅のところに行くけど 市の方とちゃんと繋がり支えてもらう段取りまでは、それは知らないふりをする。

No.15

>> 14 昨日は自分の買い物をして一旦アパートに帰宅。
お線香、着火マン、掃除道具を持ってお墓へ行った。
お墓には前回と違う花が供えてあった。
長子夫婦だと思う。
先日、私のアパートのドアノブに長子夫婦からのプレゼントがさがっていたから お墓参りもしてくれたのだろう。
霊園の事務所で私も仏花を買ったから 長子達からのは元気そうな花だけを抜き 私のに足して供えることにした。

長子たちが来てくれて良かったね。
姑も旦那も喜んだと思う。

これで準備万端だ。

No.16

>> 15 そして今日は、舅から買い物に行きたいと言われた日。
お墓参りも行きたいと言っていたので誘うつもりだ。

私のアパート近くのスーパー(歩いて5分だが、今日は車)で舅用のお茶2リットルを3本と 百均で紙皿5パック、割り箸を買って舅宅へ。
これは毎回、私が舅からお礼としてもらったお金から出している。
私の生活費は使えないから😅
買い物が終わり舅に「これから行く」と電話をしてから舅宅に向かった。

アパートで日付ごとに振り分けてきた舅の薬を 置いてから まずお墓参りへ。
お線香を新たに供え 手を合わせるだけになっている。



No.17

>> 16 お参りが終わりスーパーへ向かう途中で「嫁チャンも忙しいのにすみません」と謝られたが、「いいえぇ」と答えたが、本心だとは受け止められなかった。

スーパーに到着。
このスーパーなのだが、私が舅宅に行く前にお茶を買ったアパートのすぐ近くなのだ。
このスーパーが舅は良いらしく 毎回ここに来る。
だから舅を迎えにスーパーを過ぎて 舅を乗せてこのスーパーへ。そしてまた舅と荷物を送りスーパー近くのアパートへ帰るのだ。
2往復しているようなものなので ガソリン代も以前に舅から貰ったお金から出している。

私は買い物は無いのでスーパーの端で舅を待ち 30分以上して舅がレジに現れるのを待った。
そこから私の出番だ。
舅から無言でポイントカードを差し出され それをスキャン?して 今度は一万円を渡され精算機で精算。
今日は一万円では足りず サッカー台に行ってしまった舅に「足りませーん」と少し大きめの声で呼んだら舅は来て また一万札を差し出した。
何故か今度はずっと私のそばにいて お釣りが出てきたら 手がクレクレ状態だった。
私がウソをついているとでも思ったのかしら?

そんなことはしないわよ!

No.18

>> 17 舅と荷物を舅宅に送ったら ちょうど宅配弁当屋さんがお弁当を届けに来てくれたとこで受け取ってから 買い物の荷物を運び入れ「鍵は閉めていきますね」と舅宅を出た。
鍵は9月の退院後「持ってて」と舅に言われ それから預かっていた。
『持ってて』という言い方・・腑に落ちなかった。
だって自分のために 私に持っていて欲しかったのだろうだからね。

アパートに帰宅してすぐに舅から電話があった。「嫁チャンにはお世話になっているから渡したいもの(お金)があったのに」と言われたが「もう私は要りませんから」と断った。
これで6回連続の断りだ。
それよりも『お世話になった』と言うけど 先日、訪問してくれた市の社会福祉士サンには「買い物とかは孫がやっている」って答えたんじゃないの?
嫁の私は何もやってないことにしてるんでしょ?と言いたくなったけどやめた。
それを言ってしまうと社会福祉士サンが、私に話した事がバレてしまう。
これからお世話になる社会福祉士サンを 舅が警戒して相談しなくなってしまうのは、舅にとって良くないだろうし。

来年、早々に社会福祉士サンに舅宅に来てもらって 舅には「これからの相談」と言って その場から私は、舅から離れるつもりだ。

外に繋げる、私が出来る精一杯の気持ちだ。

No.19

>> 18 そういえば今日、一緒に舅と行動したけど 先日に社会福祉士サンが訪問したことを 舅は何も言って来なかった。
何故だろう?
私からもその話しは、しないようにしようと思っていたから それで良かったのだけど。

今日の帰宅後、舅から電話があったけど 来月の買い物の予定日も言われた。
1月10日、17日、24日、29日。
29日は「通院もあるんだけど・・」と言われた。いつもより早く来てということなのだろう。
買い物の予定日を聞いてから「10日以降はちょっとわかりません。10日は行きます」と言うと「以降がダメだったら先に連絡して」と言われ電話を切った。
私がいなくなったら困るだろうな。
それは年老いた自分に置き換えて考えてしまう。
でも舅はお金を持っているしプライドを捨てたら 私よりもはるかに楽かもしれない。
嫁を格下に見て過ごしたのだから 私もこれ以上は出来ない、したくない。

No.20

>> 19 そうだ、先日の社会福祉士サンからの電話で玄関の土間?に箪笥が置いてあったとビックリしたように言われた。

それは2年前に私が出て行った後、舅が1階の納戸?ウォキングクローゼット?から引っ張り出し 玄関の上りから降ろした物だ。
その箪笥は、まだ姑が生前だった頃に 旦那から箪笥を1階の納戸に入れたいと言われ 1階は、姑、舅の所だから私が出入り出来ないと反対したのだが、旦那は意見を聞いてくれず「それなら私は(旦那の)衣替えはしないよ」という約束をして旦那が運び入れた物だ。
約束通り、それからは旦那は自分の衣替えをしたが、酔っ払いながらやった時は、階段から落ちたことがあった。
可哀想だからその時は手伝ったわ😅

そんな事情も知らず舅は、私が出て行った後に私に腹が立っていて引っ張り出したのだろう。
力持ちだわ🤭
あ、この間は冷蔵庫の裏を火事が心配だからと 動かして埃を払ったと言っていた。
上着に埃が付いていたのだけど ファミリーサイズの冷蔵庫を動かせたのはすごいわ。

No.21

>> 20 と思うけど反対に私と2人きりの時は、弱く見せるときがある。

今日も買い物から帰宅後、玄関のまでの階段の3段が上れないのは知っているから 脇の場所に車を着けて そこから上がれば1段で済む。
だが、1度で上がれなくてやり直りして2度目で声を出しながら上がっていた。
私だから(わざと)見せているのか?それとも本当に?

昨年は旦那の納骨の前に お墓を私に継承してもらった。
始めに娘と舅宅に行ったのだが、和室で話して普通に立ったりしていたが、その3日後に継承が済んだ書類を持って私だけで行ったら 立つ時に隣の壁に手を当てても立ち上がれず 向きをかえ私にお尻を向けて 畳に手をつき立ち上がろうとして4回目で立ち上がっていた。

年老いて動きが悪くなるのは、当たり前のことだ。
でも人をみて使い分けているように思ってしまう。

No.22

>> 21 好かれたい、家族になりたいなんて この家族にはわからなかったのかな。

旦那も私が具合が悪くて 動けない私を困り腹を立てた過去はあるけれど 旦那の死因となった病気を知ってから私が一人でも生きていけるように考えてくれた。
だから姑が亡くなって7年も経ってから 舅に姑の遺産について意見をしていた。

姑が亡くなって遺産整理のために 舅は私に旦那の実印を貸して欲しいと千葉駅近くから電話をしてきた。
旦那から承諾を得て?事後報告?だったか忘れたが、車でそちらに向かい舅に実印を渡した。
旦那に実印を貸したことは話したが、怒られなかったことは覚えている。

遺産整理後、姑からの遺産ということで百万円を旦那が受け取り私にくれた。
私にくれたのは、宝くじの3等を学費や生活費に使って 自分のために何も使って無いだろうと言われた。

その後、舅から「俺に何があったらこれで」と言われお金を預かった。
その時に旦那に「お前の名前で通帳を作れ」と言われた。
そんなこと出来るわけないでしょ、お義父さんが納得するわけないでしょ と言った。

後から姑の遺産相続に納得していなかった と分かった。

No.23

>> 22 宝くじは私が買ったもの。
それを生活に使ったことが、旦那は気にしていたのだろう。

でも元手は旦那のお陰で運は私。
それからも福引や色々当たった。
それを娘にあげると 何でいつも持ってるの?と言われた。

結婚前から母親からも あんたの名前で出すと当たると言われたこともある。

だから私は大丈夫。

No.24

>> 23 昨日、来月1月の買い物予定を舅から電話で言われ 10日は了解したけどそれ以降は分からないと返事をしたら 舅から「その時は前もって教えて」と言われた。
だよね、予定していてドタキャンでは舅は困るもの。と思いながら あの家にいた頃を思い出した。

姑が亡くなり私が自ら舅の夕飯を用意することにし 数年は普通に運んだのだが、5年も過ぎた頃だろうか?下拵えが済んだ夕方になり「今日は要らないから」とか 一緒に買い物に行った帰りに「要らないから」と言われた。
たまになら仕方ないと思えていたのだけど 2、3日おきとか1日おきとか段々と増えていき 最悪な時は2021年の1月は2回しか食べず『要らない』と言われた。
最終日の31日も「要らない」と言われたので 「もう作るのやめて良いですか?」と訊いたら「じゃあ、ちょうだい!」とキレ気味に言われた。

何でそんな偉そうに言えるのか?

No.25

>> 24 それからは、また毎回、夕飯を出すようになったが、また段々と急な『要らない』が増えていき 翌年の1月に頭にきて「もう夕飯はやめて良いですか?」と訊くと 舅が何を言っていたかは忘れだが、ニコニコしながら答えをはぐらかしたので 何度も同じ質問をしても舅ははぐらかし そのやり取りを2階で勘違いした旦那が下りてきて「くれると言うなら 貰っとけよ!」と私に怒鳴った。
私が舅からのお礼のお金を断っている と勘違いしたのだ。
以前から渡されるお礼を断っていたのは事実。
(毎回渡されるわけではなく 年に3回?金額は2、3万)
舅を置いて出て行くことを迷っていたのだもの。
舅も舅で孫やひ孫は何もしなくても特別で 私には、舅ひとりきりになる生活が嫌での事だと思っている。

そもそも「作るのはやめて良いですか?」と舅に言ったのは、旦那が冷蔵庫の中を見て「俺の(働いた)大事なお金を無駄にするな!」と怒られ理由を言っても聞いてもらえず それで今回は舅に「旦那に怒られるし」とも言ったのだけど そんなのはどうでも良いのだろう。
私に対しては、食べ物が無い時の保険だったと思う。

話が昔のことに飛んだが、ドタキャンは相手が困ると思う。
だから先日の買い物予定日を舅から言われ 来月は10日は確約したのだが、舅から「以降がダメだったら先に連絡して」と。

自分のことしか考えられないのだろう。

No.26

>> 25 二世帯住宅での同居の時、私が呼んだ救急車で舅は入院して 私が翌日に行くと「何も無いんだもの」とムッとして言われたことを思い出し 今回(9月)は、お金とテレビカード(冷蔵庫も共用のカード)3枚、ペットボトルのお水を数本を置いてきた。
面会は出来ないが行く度に 同じ物を看護師サンに渡して置いてきた。
それから入院中に舅に介護認定の了解を得て かかりつけのクリニックを訪問して意見書をお願いしたのだが、診察代としてお金が発生した。
同居時は病院の会計時は、私は次の予約日が聞こえるようにだけ立っていたから 舅の医療費が2割負担だということを初めて知り私が支払った。
高齢で2割って・・すごいなぁ。



No.27

>> 26 その後退院し帰りにスーパーに寄ったが、舅は車から降りず私が代わりに買ったが代金はもらえなかった。
そしてATMに行きたいとも言うので付き添いのつもりが、舅は操作が出来ず暗証番号を言われ私が引き出した。
これは、ギリギリまで下ろしたので 私に見られてもいい通帳なのだと思た。
そしてその中から 私にお礼としてお金をくれた。
ここまでで私の生活費を使っているのだもの 貰う他はなかった。

翌日は、舅宅に行く前に電話で買ってくる物があるか?訊いたら「寿司」と言われ他にも食べられそうな物を買って舅宅に行った。
この時も代金はくれなかった。
ん?もしかして前日にもらったお金は、私へのお礼じゃなくて 舅のために使った代金、これからのも私が支払うために渡された物だったのかしら?
私へのお礼だと思って (舅からみて)孫やひ孫と同じ扱いかしら?と馬鹿みたいに思っていたが、違うんだ。
段々、また良いように家族扱いされているんだと腹が立ってきた。

でも、あの金額はお礼も含まれているのは確かだと思うし?でも舅のために使った代金は別。
私の生活が掛かっているのだもの。


No.28

>> 27 9月の入院中も退院後も 舅の必要な物を買って行っても 一回も代金をくれたことが無い。
だからとて私が勝手に買ってきた物だから『下さい』とは言えず 最初の頃は『なんで?』と思いながらも 節約生活の身だから段々腹も立っていたが、本当に毎回だから次第に『もういいや、舅からもらったお礼の中から出そう』と思うことにし そう決めたら腹が立たなくなった。
9月の退院時で舅のために2万近く使っているし それからもずっとだから・・・私の生活費から出すのは痛いから 割り切ることで気持ちが落ち着いた。
だから舅からのお礼は、丸々私の懐に入っているわけではない。

2年前にあの二世帯住宅を出る時に タクシー会社や役所の相談口の電話番号、民生委員サンの電話番号など 舅が少しでも困らない様にと9項目を書いたノートを渡したが、結局は舅は自分から行政に繋がる様な動きをしなかった。

来年の舅に頼まれ一緒に行く10日の買い物以降に 社会福祉士サンに来てもらい私は舅から離れるつもりだ。
外に繋げたら安心出来るし 私は本当にあの家から卒業したいのだもの。

No.29

>> 28 買い物がしたいと言われ約束した10日の日は、頼まれた訳ではないが舅用にお茶2Lを3本と 電子レンジで使える紙皿を5パック買ってから 舅宅に向かった。

それを渡してから舅をスーパーへ。
やはり私の住むアパートから歩いて5分のスーパーが良いらしく 舅宅へ行っても自分のアパートのすぐ近くに戻る様で変な気持ちだ。
舅の近くにも車で5分のスーパーがあるのだが、近所の方がレジで勤めているし 他の近所の方に会うのが嫌なのだろうか?

前々から通り私に無言でお札を突き出し(ポイントカードも)私に精算をさせ 舅宅に帰った。
行く時から舅宅に着くまで 何度も私に「悪いね」と言っていたが「いいえぇ」と無機質な返事をしたが、私には精一杯の返事だ。
『何とも思っていないくせに』の気持ちが、私の心の中にも頭の中にも ザワザワと占めていく。

もう本当に舅のことは信じていない。

No.30

>> 29 続き

舅宅で荷物を降ろし 私が作った日付ごとに分ける袋に 舅の薬を分けるために預かり帰ろうとしたら また茶封筒を私に「これ持っていって」と向けてきた。
お金だ、もうずっと断り続けて この日で7回目だ。
そして今月の買い物をしたい日のメモも一緒に その茶封筒に乗せられていた。
「(直近が)17日ですね、都合が悪かったら連絡します」と逃げるように玄関を出て車に乗り込むと 舅は玄関から出てきて車にいる私に茶封筒とメモを ガラス越しに何かを言いながらユラユラと差し出していた。
『それは要らないです』のつもりで掌を舅に向け頭を下げて車を出した。

舅の最期まではできないのだもの。
これでいいのだ。

アパートに帰宅してから 社会福祉士サンに電話をした。

No.31

>> 30 次の買い物の約束をしてしまうと 私のことだから守ろうとしてしまう。だから確実な返事をしないことで自分の気持ちを守った。

社会福祉士サンには、舅のこれからのことで相談に来て欲しいことを伝え その日は私も同席するが、これで舅から離れることを伝えた。

昨年の12月、舅宅を訪問した社会福祉士サンは、舅から買い物などは孫にやってもらっていると言う舅のウソを 社会福祉士サンは知っているから私に同情してくれたのか?私が舅から離れたいの言葉に 私を責める言葉はなかった。

14日の午後に社会福祉士サンの2人が来てくれることになった。
手間を掛けてしまうこと 私が退くことを申し訳なく謝った。

でも、もう何とも思わない人に縛られたくない。私の人生をゆっくりしたい。

No.32

>> 31 その前に明日は、舅の薬が16日までしか置いて来ていないので その後の日付ごとに分けた物を舅宅に置いてこないといけない。
そして14日に社会福祉士サンたちが来ることを伝えようと思う。

その前準備として今日は、以前からのミクル日記とノートに記してきたメモをまとめた。
言いたいことは山程あるが、社会福祉士サンの時間を無駄にするのは申し訳ないので 最後に一言、言わせてもらうことにした。
『もしもの話しですが、もしも舅が、私がお金を取ったとか盗んだと言ったら それは鵜呑みにしないで下さい。証拠もありますから』と。

舅は私と2人きりだと何を言い出すか分からないから 旦那が寝込んで一階に降りられなくなってから尚更警戒して タオルに携帯を包んで動画を回し録音していたのだ。
だから、あのお金の振り分け(半分づつ)を確認した音声もある(私は立ち合っていないが、でも本当は、旦那と舅の話し合いで舅の方が少ないのに知らん顔だった)
でも私には渡したくないのが、見えていたので それは全部、私の子供たちに振り込みをした通帳記載も舅に見せた。

変なウソをつく舅だから 私が居なくなったら何を言うか分からない。
だから社会福祉士サンたちには、舅の前で『もしも』の話しをするつもりだ。
自分を守るため、自分を悲しい存在にしないために。

No.33

>> 32 訂正

『それは全部』は語弊があった。
舅と半分づつにした あのお金を全部を子供たちに振り込んだ。

明日も舅に飲まれない様にしないとな。

No.34

>> 33 今日、預かっていた薬を日付ごとに分けた袋を 予定通り舅に届けた。
2022年にあの家を出てからというか 昨年、舅が入院した時から また私は舅と関わるようになり その9月から舅宅に行く前に 舅の携帯を3回コールして切り、すぐに家電に電話をして舅と対話をする。
それをしないと電話に出ないと思ってなのだ。

あ🤭思い出したが、昨年の11月だったかな?舅の買い物を手伝って アパートに戻って暫くしたら舅から電話があった。
「電話あった?」と舅が言うので「どこからですか?」と訊くと「〇〇(私の子供)が倒れて船橋の病院に運ばれたって言うから 嫁チャンの電話番号を教えたんだけど」と舅に言われた。
しかし、船橋の病院からもどこからも電話は、かかってきていないし それどころか〇〇は、都内住みの都内勤務だし?
舅は詐欺未遂にあったようだが、私の電話番号を教えてしまったことに不安になった。
しかし、その後も私に変な電話は無いから大丈夫だと思う。


続く

No.35

>> 34 続き

話が戻り、舅に電話をしたら在宅していたので 薬を届けに行った。
やはり、また私に茶封筒を渡そうとしてきた。最期まで一緒にいられない気持ちから 受け取れない、受け取りたくない。
断っていたが、何度も何かを言っていた。
それを背に受けながら 分けてきた薬の整理をしながら舅の気を背けるため 明日、社会福祉士サンの訪問があることを告げた。

茶封筒のことは舅の頭の中で 後回しになったようでホッとした。

No.36

>> 35 続き

明日の介護福祉士サンの訪問時間を私に確認しメモをしている舅に また茶封筒のことにふれる隙が無いように私は念押しで告げ 急いで舅宅を後にした。
これが舅に出来る精一杯のことだ。
介護福祉士サンには伝えているので 舅と会うのは明日が最後。
舅には、明日伝える。

子供の頃からナイチンゲールのような人になりたいと思っていた。
分け隔てなく関われる人になりたいと思っていた。

家族の一員になりたかった。
頑張ったつもりだが、『つもり』だっただけのようだ。
舅だけではない、姑にも 私の存在は何でもなかったんだなぁと思う。

だからこれで良いんだ と思うようにしたい。

No.37

>> 36 今日は、社会福祉士サンに 舅のこれからについて相談にのってもらうため 舅宅に行くことになっていた。
舅に顔を見せることなく 舅宅前で車に乗ったまま社会福祉士サンを待っていると そろそろ時間だと思っていたら 舅が玄関を開けて外を覗いていた。
昨日、薬を持って行った時に 今日の社会福祉士サンの訪問を伝えたので 舅は気になったのだろう。

車から降りて舅に話しかけている間に 社会福祉士サンたちが到着した。
しかし舅は、玄関先で話したかったのか中に入るように言わないので 舅に和室で良いですか?と確認を取り中に入ってもらった。

和室は布団が敷き放しで いつも通り散らかっていた。
ちゃんと昨日『これからの相談』と話してあったのに 玄関先で終わる話しだと勘違いしていたようだ。

続く

No.38

>> 37 続き

社会福祉士サンには話してあるが、きちんと舅には話していない。
先陣を切らせてもらい 私は今日で舅宅の出入りは終わりにすることを舅に伝えた。

舅は寝耳に水だったかの様に ションボリしている。
いや、いや、昨年の9月から緊急で また舅を手伝ってきたが、ちゃんと私は最後まで手伝えないと舅に伝えている。

社会福祉士サンが色々な提案をしてくれても 舅は、うんともすんとも言わないので 話が先に進まない。
しかし施設の話しを持ちかけてくれた時は、嫌だと答えていた。
えっ?私には、家を売って施設も考えているって言ったじゃないの?
やっぱり、あれは私への脅しだったのかな・・・
家を売れば嫁(私)の帰る場所は、無くなるよっていう脅しだったのだろう。

結局、1時間経っても舅が何も返事をしないから 社会福祉士サンは、2つの施設のパンフレットを舅に渡していた。
入居しなくてもデイで食事やお風呂、買物もしてくれるとか 通院の支援も受けられるそうだ。

でも舅は、それさえも嫌なのだろう。

続く

No.39

>> 38 昨日の続き

あの時(2022年)と同じに もうここには出入りしないという意味で また舅に鍵を返した。
昨年の9月、舅が救急車で運ばれた時に「持ってて」と言われ預かった家の鍵。
あまりにもションボリしているし 手伝いが無いと大変だと想像が出来て ごめんなさいと謝ったが、舅は鍵を見つめるばかりで返事がなかった。

社会福祉士サンたちと玄関に向かうと 和室から「嫁チャン、たまには電話して」と舅が私に声が届くように言っていた。
「はい」と返したが、中途半端なことをしてしまうと また情に持っていかれてしまうと思う自分がいた。

靴を履いていると 歩幅が小さく、摺り足で急ぐ様に舅が玄関に向かってきた。
右手は私に向けて差し出している。
歩くのが不憫そうだ。
それが演技か本当かは分からない。
介護認定の時に その歩きだったらもっと認定は違っただろう。
靴を脱ぎ、舅に歩み寄り握手をした。

ダメだ、また流されてしまいそうだと思い 振り返ることなく玄関を出た。
あの時みたいにムッとしてくれていたら もう少し私の気持ちが軽くなっただろうに・・・

社会福祉士サンが、明日(今日)舅に電話をして 一晩考えた舅の気持ちを聞いてくれるそうだ。

No.40

>> 39 今日、社会福祉士サンに電話をした。
介護サービスを使うことを 敬遠していた舅の気持ちが決まったか気になっていたからだ。

舅はもう少し考えたいと言ったそうで 社会福祉士サンは、本当に困らないと決められないんでしょうねと私に話してくれた。
そして「そんなに返事を急かされると いい気持ちがしない」と舅から言われたとも言っていた。
それを聞いて えーってビックリしちゃったわ。
折角、忙しい中 心配して訪問や色々と提案をして下さってもらっているのに 何故にそんなことを言えるのだろうか。
舅らしいといえば舅らしいが😓

今のところ舅が介護サービスを使いたがらないので 社会福祉士サンは、毎日来て下さる宅配弁当屋サンに連絡をして下さったようだ。
お弁当を舅に直接渡すか、返事がなければ中まで入って安否確認をしてもらう段取りをつけてくださった。

困ったもんだわ😓

No.41

>> 40 昨日、約1年半ぶりに長子と会った。
色々と話しは聞いていたが、元気そうで良かった。
ちゃんと食べているか、ちゃんと暖かく過ごしているか、寂しくしていないかと毎日、心配で遺影の旦那に 長子の力になってくれるように祈っていた。 
それに他の2人のことも そして他にも色々と毎朝、お線香を焚きながら旦那にお願いしている。
私のお願いが多すぎて旦那も大変だろうけど 怒ってはいないと思う😊

ある場所で長子と4時間、色んな話しをしたが、やはり未だに長子とのお金の価値観が違い過ぎた。
長子は既婚だが、この先どうしたらいい?と私に訊くが、一緒に住もうか?とは、どうしても言えなかった。

長子に また昨年の9月から舅の手伝いをしたが、先日に社会福祉士サンにお願いをして舅から離れたことを話した。
やはり嫁の私が、舅のお世話をするべきなのか?と訊くと 長子は「普通はそうじゃないの?」と言う。
実母も 嫁の私が面倒をみるのが、普通の話しのような言い方をしていた。

あの家での26年間は、家族になりたかったし してもらいたい想いでいたけど 私のことは便利屋としかみてもらえてなかったと最終的には思った。
それでも嫁が最後まで手伝わないと行けないのだろうか?

旦那がいない今は、頑張れない。
そんな気持ちになれないのも 今までがあり時間は戻らない。


分かってもらえないのが淋しい

No.42

>> 41 先日、長子とある場所で色んな話しを4時間したと書いたが、含み過ぎだったかな?
長子とは、幕張のイオンで会った。
お昼前に会ったのだが、長子からは『お昼食べる?』と言われないし 私からも『お昼食べようか?』とも言わなかった。
何故なら長子の身体を想ってのことだった。

でも、アパートに帰宅後 長子との会話を思い出しながら もしかして長子は私を想って『お昼食べる?』と言わなかったのかもと思った。
私が節約していることを話したから 気にしたのかな?と。
私としては、節約しているのは勿論だけど 節約は、長子の金銭感覚についていけないから牽制のつもりもあるし 期待されても何も出来ないから素直に話したのだ。

長子が我慢しているところは分かる、ワンチャンたちに癒しを求めるのも分かる。
けど、ワンチャンたちは自分のことが出来てからじゃないと お互いが辛いことになると思う。

帰り際に長子に少しだけど お金を渡そうとしたら断られた。
せめてもと想い受け取って欲しかったが、長子は拒否した。
最後には、「次に会う時の交通費に取っておいて」と目に涙を溜めて長子は言う。

私のことを想ってのことだろう、ごめんね。

会いたいと言ってくれて ありがとう。







No.43

>> 42 旦那が残してくれたから 一応、お金はある。
遺産分割しなくても良いらしい(死後)退職金と旦那の会社が掛けていた保険金、そして旦那が私名義の通帳に入れてくれたもの。

でも、それは最期に子供たちに残したい。
もしかしたら老後の私が、施設に入って使ってしまうかもしれない。
子供たちに負担は掛けさせたくない。

介護は、赤ちゃんのお世話とは丸きっきり違う。
大人の人格があるから尊重しても それでもやりきれず、違うと反論すれば相手は自分を卑下するあまりに気を煩わせるような とんでもない行動をしたり・・・大人に寄り添うのは、私は、もう疲れた。

疲れたけど 心配で毎日考えてしまう。
舅のことも今だに考える。

姑、旦那が羨ましいよ。

ごめん、旦那は健康な身体で もっと生きたかったかもしれないのにね・・・ごめんね、でも羨ましいの。










No.44

>> 43 この日記の数日後、長子から電話があった。
長子が困っていることを話していたが、話しの成り行きで あの頃の話しになった。
長子は言い難そうに 何故あの頃に家出を繰り返したのか話してくれた。
私も旦那もそんなつもりはなかった。けど、そう捉えるなら そうなのだろう。
ごめんなさいと謝ったが、長子はそんなつもりで話したわけではないし 怒っているわけでもないと言う。
その時の自分の気持ちと理由を話したかったのだ。

どうなのだろうな・・・
夜中に出ていかないように長子の部屋の床で寝ていたこともある。捜索願いも出して探した。
しかしフラッと帰ってきては、当たり前の日常のよう過ごして また何気なく出て行ってしまうの繰り返し。
その時に何故、家出をするのか?と聞けば (夜)遅く帰れば怒られるけど 何日も帰らなければ怒られない と返された言葉が今だに忘れられない。

親が悲しむより きっと外の世界が楽しかったのだろうと思ってしまう。
そうなったのは親のせいだろう。



でも、だったら今だに困った時だけ親に頼らないでって気持ちになる。
しかし、やはり自分の子供、毎日考えてしまう。

No.45

>> 44 私達が知らない間に長子は結婚をしていた。
しかし、その翌年に長子が大怪我をして病院に運ばれ 旦那と共に他県に駆けつけた。
何時間もの手術、そして一日おきに私は3時間かけて病院に通った。
そんなに行くことはないだろ と旦那に怒られた。
一ヶ月も過ぎると頻繁に看護師サンから電話があり 長子の行動に看護師サンも困り果てていた。
そしてなるべく長い時間、病院に留まって欲しいと言われ 下の子達のこともあるので 夕飯を朝のうちに作って ギリギリまで病院に居て トボトボと暗い夜道を駅に向かった。

そんな中、あちらの親と話しになり 長子たちは離婚をすることに決まった。
これは、こちらの意向であり あちらも反対することもなかった。

そして長子は、私たちの県内の病院に 追い出されるような形で転院となった。

そして転院先でも色々とあり 追い出されるような形となった。

迷惑はかけられない 致し方ないことだった。

No.46

>> 45 中途半端だが、ここらで今はやめておこう。
また寝られなくなりそうだもの。

最近、嬉しかったことは、次子親子は家を買って引っ越しし 孫は大好きだったスポ少をやめたが、また違うスポーツを始めたそうだ。
週に4回も通うほど好きだったスポ少をやめることになって 次子には言えないが、孫を不憫に思っていた。
だが、また新たに楽しめることが見つけられて嬉しくもあり安心した。

シングルマザーの次子は大変だろうけど 次子も子供を想ってのことだろう。

No.47

>> 46 お正月に次子親子も顔を見せに来てくれたが、数日後、孫だけが泊まりに来た。

そして今日は、孫は娘に送られ また遊びにきてくれることになり ショッピングセンターで待ち合わせをした。
会うなり1枚の絵をくれた。
白い紙には、ぎっしりといくつもの固体が描かれていた。
ひとつひとつが、スライムのような形 動物ビスケットのような形で 目と口が小さくあった。
孫曰く、色を塗ったらジィジとバァバの色になったからあげる と。

そう、ジィジは緑が好きだものね👍
覚えていてくれて ありがとうね😊

私は、ピンクが好きになっているらしい
あつ森では🎮️、ピンクを基調にして服を着ているが、リアルで出来ないからなのよ😅


好きな色は、空の色

その上に居るのだろうか
それとも その下の
私のそばにいてくれているのか

ジィジはね と孫が旦那の真似をしていた
覚えていてくれていて嬉しかった

嬉しいね、旦那



No.48

>> 47 私自身は、節約しながらでも暮らしていけている。旦那のおかげだと つくづく本当に思う。

先日、子供たちに 家の味は?と訊くと
次子がご飯を揚げた物と言う。
冷えたご飯に片栗粉を少し入れて 混ぜながらご飯を半殺しにし ひとつひとつを売っているさつま揚げぐらいにまとめて油で揚げるのだ。
熱々のそれを 醤油と砂糖を混ぜたタレに付けながらカリカリとモチモチを ホフホフ言いながら食べる。
それが、思い出の味なのか・・・

あぁ、それなんだぁ
色々、作ってきたけど それなんだぁ

私の母が、おやつに作ってくれた物だ。
真似して私も作った物だった。

しかし末っ子は、それはおばあちゃんじゃないの?と言う。
おばあちゃんとは旦那の母のことだった。
違う、私の母、そして私が子供たちに作ったものなのよ。

後日、長子にも家の味を訊いたら やはりご飯を揚げた物と言っていた。
色々作ったんだけどな💧

でも、やはり長子は、あれはおばあちゃん(姑)じゃなく私が作った物と覚えていてくれていた。

嬉しいから母にも言おう

No.49

>> 48
幸せってなんだろう

No.50

>> 49 今日は旦那と姑のお墓参りに行ってきた。

ここまでの道のりは、旦那の運転の横に私がいたのに いまだに自身が運転していることに違和感と寂しさを持ってしまう。
そんな気持ちながらも ここ、あの台風の後に通ったよね(この道に雑木林の木が、電線にもたれて倒れていて)怖っかったよね。と話しかけるが返事はなく ただの独り言に。

霊園に着き事務所で仏花を買おうとすると 扉の前には猫サンが居た。
茶トラの猫サンは寛いでいるのに 私が事務所に近づいたら慌てるかしら?と思いながらも 隣の自販機で供えるお茶を買っても逃げずに居たので ゆっくり事務所の扉に近づき番をしている様な猫サンに触れない様に扉を開けてが逃げない。
事務所で花を買って 事務員サンと猫サンの話しをして霊園に向った。
すると猫サン、ニャーニャー言いながら 私についてくる。立ち止まれば足元に体を擦り寄せる。
野良猫のようだが、人慣れしすぎでびっくりだし可愛いすぎだ。
しかし撫でても逃げず嬉しそうだったが、墓地の入り口になると そこからは一歩も寄って来なかった。
私が進んでも こちらを見てニャーニャー言うばかり。
それまでの猫サンに旦那の化身か?とも思ってしまったが、違うか🤭


お墓には、また新たに先月とは違うお茶とビールが供えてあった。
長子だ
自分も大変なのにありがとうね。

No.51

>> 50 先月の2月、来た孫に「この間〇〇君(末っ子)とバアバは、💩飲んだの?」と訊かれ 思わず吹き出してしまった。

お正月に集まった時、末っ子に『ウコン飲む?』と言いながら手渡し 私も飲んでいたからだろう😅
その時は何も言わなかったのに あれから一ヶ月以上も ずっとあれを💩だと思っていたのかしら🤭💦

もう旦那が居た頃よりは呑まなくなったし ちゃんと計算して呑んでいるが、人が来て楽しくなってしまうと ちょいと多く呑んでしまう。
なので翌日の予防に 生前の会社の飲み会に行く旦那の真似をして飲んでみたら 全然、朝が違うので 末っ子が来た時は二人して飲むのだ😅



旦那も子供達と呑みたかっただろうな
きっと、旦那も楽しくて呑みすぎたかな





No.52

>> 51 しかし楽しく日が過ぎるわけでもなく 毎日、毎日あの人のこと、あの子のことを考えてしまう。
二人は私を必要というか 私が居れば少しは楽になるだろうと思うが、私の方が精神的にも経済的にも体力的にも着いていけないと思い 自分が壊れてしまうと やる前から分からない未来に躊躇してしまっているのだ。
今までの経験があるから警戒してしまう。
でも何も出来ない罪滅ぼしの様に 毎日祈っているばかりだ・・・

旦那が居てくれたらなぁ

桜が咲く季節になったね
『春夏秋冬』あの年、よく歌っていたね
サビのところだけ🤭そこしか私も知らないわ
術後、一ヶ月もしないのに 歌詞とは違うけど秋に海ほたるで海を見に連れて行ってくれた。

翌年の春には、千葉城にバスに乗って桜を見に。

結婚する前、映画や遊園地さえもなかった。
デートらしいデートは、車のオーディオからサザンのテープを聴きながら海に一度、行ったっけ・・・嬉しかった

病後、副作用もあったと思う。それなのに何度も一緒に歩いてくれた川沿いの散歩 本当に嬉しく楽しかった。
あの頃は、逝ってしまうなんて思っていなかった


暖かくなってきたし
また今年も川沿いの桜の散歩しよう







No.53

>> 52 4、5日前から また思い出した様に あの家のことが気になり夜は考えない努力をして床に着いていている。

あの家は二世帯住宅で土地は舅名義、建物は舅と旦那名義だったが、固定資産税は、私が知らないうちから舅世帯が払っていた。
元々、私は何も言えないし 相談もなかった。

旦那が亡くなった時は、家の名義のことなど頭にも無く 兎に角、住処の2階を旦那に言われた通り『すっからかん』にし 諸々の手続き等をして あの家を出ることしか頭になかった。

出てから暫くして そういえばあの家の名義について思い出したが、たとえあの家を出る時に分かっていても 嫁の私からは、舅に何も言えなかった。
家を出るだけでも葛藤して 結果、家を出るのだもの。
それに欲しくもないし戻りたいとも思っていないもの。

と言っても 相続の問題がある。
色々、調べたら 誰か1人が住んでいたら そのままでも問題が無いとネットで見つけた。
私が欲しかった答えだったから 都合よく少しばかりの安心をした。

でも本当に これが正解なのか
二世帯住宅で世帯主が別々になっている。
それで、何故かまた思い出したように あの家のことを考えてしまっているのだ。
あの家、欲しくもない権利もいらないのだけどなぁ。


No.54

>> 53 そんな事を日に何度も考えているところに 先程、次子から電話があり相談をした。

前にも次子に相談をしたら やはり『誰か1人が住んでいたら大丈夫』と 私がネットで見つけたことと同じ事を言っていた。

次子もあの家はいらないと言う。
シングルマザーながら、昨年に子供と住む2人用の家を買ったからだろう(鍵はくれたけど知らない道が怖くて まだ一度も行ったことがないけど😅)
次子は要らないと言うと思っていた。
末っ子も もう地元には帰らないと言っているし あとは長子だ。

次子が、そのままでいいんじゃない?と言う。
どの道、払うものは払わないといけないし 今、関わりを絶っているのに 連絡もしないといけないだろうから と。
それでいいなら それでいいけど・・・
ただ後々、旦那の亡き後に放置していたことで 無い袖を振ることになったり 舅にもしものことがあったら手続きが複雑になりそうで考えてしまう。 

取り敢えず今日も考えないようにして寝よう。

No.55

>> 54 ↑一昨日のこの日記のあと 考えないように床に着いたが、寝られず 最後に時計を見たのは夜中の1時過ぎだった。
それで無理して頑張って楽しい事を考え いつの間にか眠りにつくことが出来た。

そして眠りの中、音に反応し 止めなきゃ止めなきゃと目覚まし時計のオフボタンを押したが、音は鳴り止まない。
一瞬、エッなんで?と覚め切らない頭で音の正体を聞き分けたら スマホが鳴っていた。

鳴り止まないスマホ、急いで眼鏡を掛けて画面を見ると なんと舅だった。
そして応答ボタンを押そうとしたら 電話が切れた。
朝の5時51分だ。
なにかあったのかしら?と思いながらも 1月に舅と社会福祉士サンを繋げてから 舅とは話しをしていない、でも知らん顔をするのは怖い。
思い切って折り返し電話をすると すぐに出たが聴こえてくるのは、けたたましいテレビの音だった。
あ、ダイニングテーブルの椅子に居るのだろうと思った。
そして「もしもし」と話しかけた後、すぐに電話は切られた。
それからすぐに 2度かけ直したが『この電話は出られません』のメッセージに切り替わっていた。

さぁ、どうしようか?
舅宅まで行ってみようか?
いや、最初に電話を故意に切ったようだから スマホをいじっていて 間違えて私にかけてしまったのかも?
前にもあるからなぁ・・少し待とうか・・

No.56

>> 55 やはり、ここで舅宅に顔を出してしまうと また情が出てしまう自分が怖く 行きたくなかった。

毎日、午前中に舅に届けてくださる宅配弁当サンが、社会福祉士サンからのお願いで 舅の健在を確認してくださり 何かあれば宅配弁当サン→社会福祉士サン→私に連絡がくることになっているので様子をみることにした。

そして、この日は何も私に連絡は無かった。
やはりスマホをいじっていて 私に電話をかけてしまったのだろう。

翌日の今日も 社会福祉士サンからの連絡がない。

間違えたのなら間違えたと 舅、言ってくれればいいのになぁ。
あの時も言わなくて 慌てて2階からおりて舅の様子を見に行ったもの😓

なんでだろう?


No.57

>> 56 今日も社会福祉士サンから連絡が無かったから ちゃんと宅配弁当を 舅は受け取っているようだ、少し安心した。
高齢の独り暮らしは、これまでの事を思うと大変だと想像がつく。
でも、あの家を出る時に その道を私も選ぶことにした。
分かっているから迷惑は掛けたくない。
でも、どんなに頑張っても 最期はお世話になってしまうのだろう。
申し訳ない、なるべく手を煩わせないようにしときたいものだ。


週末から孫が泊まりで遊びにくる😊
もう春休みが始まっているが、それまでの数日と うちに宿泊した後の数日は、孫は自宅でひとりでお留守番。
転校先でお友達もでき 下校後、遊ぶ友達もいるようだが、春休みが始まった今、今日はどうしているのかな?お友達と遊んでいるのかな?と どうにも出来ない心配をしている。

あ、そうだ。
来月すぐに旦那の誕生日だし 孫とケーキを食べよう。
旦那も一緒に食べようね😊







No.58

>> 57 二泊三日で孫が遊びに来てくれた。

次子が一昨日の夕方に孫を連れてきた。
次子は日曜で仕事が休みだというのに 気を使って 夕方、お風呂も夕飯も済ませた孫を送って来たのだ。

夕飯が早かっただろうから 早々にお腹が空くだろう・・・
自宅の目の先は、コンビニで孫と出かけることにした。
パジャマの下だけを着替えて 上着を羽織りレッツラゴー!


翌日(昨日)は、ショッピングモールへ。
節約生活だから決めた金額で遊び 私が決めた金額で孫も欲しいものを計算していた😅
その中でクレーンゲームをして 計算した残りで欲しかったワイヤレスイヤホン(ダイソーのやつ😅)も買って満足してくれて良かった。
大したことが出来ないので ごめんねなの。

孫が嬉しいと言ってくれたから 
バアバは内心、ほっとした🤭💦ヨカッタ

No.59

>> 58 続きを書いていたが消えた(途中でラインがきたせい?)ので もう今日はやめとこう。

孫がきて いつもより色々食べているはずなのに体重が減った😂

兎に角、私が出来る範囲で 孫を楽しませたい。
祖父母は、私しかいないのだもの。
それから、心ばかりだけど節目には包んで。

私の親は、何も無かった。
親戚からの結婚祝いも 親は、会った時に渡すと言っていたけど 渡されなかった・・・
何も言わない、忘れた振り・・

そう考えると こちらの親は、子供たちに色々やってくれた。



寝よう、おやすみない。




No.60

>> 59 布団を敷いて 二日ぶりに現実に帰った。

やはり、さみしい。



でも、仕方ないこと。

自分で楽しみを見つけられないとなぁ



No.61

>> 60 孫が帰った翌日から もう淋しい。
淋しい・・

今年は一度も川沿いの散歩に行っていない。
昨年は寒くても1月から散歩をしていたのに 今年は行く気になれない。
旦那と一緒だったから あの散歩が楽しかった、嬉しかったのだろうな。

それでも昨年までは、思い出とともに散歩が出来た。

・・2年半待ったけど やはり帰って来ない。
当たり前だ、帰って来ないんだ。



でも強く生きないと せっかく旦那が用意してくれた生活だもの



No.62

>> 61 今日はお墓参りに行ってきた。

いつもの外出する時と同じように 出る前に遺影に「行ってくるね」と声を掛けたが、はて?旦那はここで留守番?それともあっちで待っているのだろうか?
もしかしたら私と一緒にアパートを出て お墓まで来るのだろうか?と考えてしまったわ😅

お墓の最初の入り口を車で抜けると桜並木、そして霊園の旦那と姑のお墓のまわりにも桜の木々だ。

川沿いの散歩に行けてないから ギリギリ今年も一緒に桜が見れて良かった😊

No.63

>> 62 最近、見知らぬ番号から いくつか電話がかかってくる。
その度に電話には出ず切れた後、番号を検索すると詐欺電話らしいことが分かった。

そして今日の午前11:00頃にも また見知らぬ電話が・・調べたが詐欺の口コミが無く 一般の電話番号らしい?が、警戒して折り返し電話をしなかった。
もしかして昨年の10月、舅に詐欺電話があって 舅が私の電話番号を教えたから?と頭を過っていたからだ。

午後になり寛いでいると また電話が鳴り画面を見ると今度は、あの家のお向かいサンからだ。
慌てて出て「(舅に)何かありましたか?」と思わず尋ねてしまう。

この時間になっても舅宅の玄関ノブに宅配弁当が下っていて お向かいサンは心配になったとのことだった。
・・どうしょう、ここで私が舅のところへ行ってしまえば また私はただの便利屋になってしまう。だからとてお向かいサンは心配をして電話をくれたのだし お向かいサンの気を煩わせることは出来ない。

また私が舅に関わることを お向かいサンが心配してくれたが、私から社会福祉士サンに電話を入れると言い お礼を言って電話を切った。

No.64

>> 63 社会福祉士サンに電話をし 宅配弁当のことを話すと対策を話し合った後、折り返し電話をくれることになった。
私の事情を分かっているからだ。

電話を待つ間、舅の様子を私が見に行った方が早いと考えるも 躊躇ってしまう。
30分後に折り返しの電話がきて 様子を見に行ってくれることになった。
私は鍵を舅に返してしまったが、玄関の鍵が締まっていたら あそこから中には入れるからとお願いをした。

それからまた数十分後、社会福祉士サンからの電話で舅の健在が知らされた。
良かったと思った。
話は出来るが、立てないし動くことも出来ないらしい。
しかし、舅は救急車を呼んでも 乗らないと言っているらしいのだ。
いつもそうなのだ😓

一番最初は、まだあの家の同居前のことだ。
別居だった40年弱前のこと。
姑が救急車を呼んでも 乗らないと拒否していたが、結局乗って運ばれた。
そして転院になる時も救急車で移り 救急車から院内に運ばれる時は、担架に舅は正座をして運ばれたと姑から聞いた💧
まるで昔の河渡りみたいだったと 姑が思い出して笑っていたのを覚えている。

人に弱みを見せるのが嫌なのだろう。

No.65

>> 64 社会福祉士サンからの電話で(私が今までに3回)救急車を呼んでも いつも乗らないと言うし 来てくれたのに(そのうち1回は)帰ってもらったこともあると答えた。
そして急遽、私が駆けつけた昨年も同様だったが、私がその場からわざと離れたら 大人しく運ばれたと話し 救急車を呼んでくれることになった。
そして電話の最後に社会福祉士サンから もしかしたら救急隊員からお義父さんの支援が出来るか訊かれるかもしれないが「支援は出来ないと言って下さい」と言われた。
負い目を感じているから 有り難い言葉だった。

その後にお向かいサンに電話をした。
舅に何かあったかも?と思いながら その後を気にしてしまうだろうと思ったからだ。
よくよくお礼と謝罪をし電話を切った。

その後、電話が鳴り 知らない番号だったが、舅関係で今度はどこから電話があるかもわからないので出ると 宅配弁当サンからだった。
今日はインターホンを鳴らしても玄関先に舅が現れなかったからだ。
成り行きを説明して電話を切った。

後から電話番号を照らし合わせると 午前中に私が出なかった電話番号と下一桁が違った。
一応、お弁当屋サンの固定電話の方は登録してあるので、個人個人で持たされているらしい番号からだったみたいだった。
舅は、少なくとも午前中から異変があったということだ。


社会福祉士サンの言う通り 夕方、舅宅にいる救急隊から電話があった。

No.66

>> 65 隊員サンの電話は、やはり舅は病院に運ばれることを拒否していると。
そこにいる社会福祉士サン達も隊員サン達も 舅ひとりに時間を使うわけにはいかないのは、想像できるだろうに 舅は、自分のプライドの方が大事なのだろう。
申し訳ないと思わないのだろうか?
病院に行けば身体も楽になるだろう。
食事だってきちんと食べられるだろうに。

そして、やはり隊員サンから舅の支援は出来るか?と訊かれた。
「はい、出来ません」と返事をして謝る度に 「いや、いや」と返してくれ 私の気持ちを汲んでくれた。

人としてどうなのだろうと自分で思う。
でも長い年月があったからこそ 私が最終的に決断できたことだ。
もう戻りたくない。

No.67

>> 66 舅のその後が気になるが、社会福祉士サンに電話を入れることに躊躇う。
そんなに気になるのなら 私が舅の手伝いをすればよいことだもの。

でも、舅はどう考えているのだろうか?
もしものことがあっても 知らん顔でいいやと思っているのだろうか?
それとも、後のことを託したいが、言えずにいるのだろうか?とも思ったりするが・・
性格からして多分、前者かな😓
疑心暗鬼な性格もあると思う。
亡き姑だってサラリーマン時代の夫の給料を知らないのだもの。

しかし困るのは、遺された者たちだ。
私は関係無いが、血縁の孫である子供たちが困るだろう。
しかし、そうは言っても許される範囲で 私が率先して動くことになると思う。
子供たちは自分の生活で時間が一杯だもの。


どんなに頑張っても 最期は手を貸してもらうことになるのになぁ
子供たちに残したいことをまとめて 隠しておこう。
そして隠し場所は子供たちに伝えるつもりだ。










No.68

>> 67 昨日は舅のことで何時間も どうにも出来ない時間を過ごした。
えっ?と自分で自分に驚いた。
私の手が震えてるいるのだもの。
旦那が居てくれたら 心強かっただろう。

そして今日は、あの子からの3ヶ月ぶりのメール。
私と一緒に住みたいらしい。
これで2回目の打診だ。
私がここに越すまでは、そんなことは無かったのになぁ。

メールには自分の月の収入が書かれていた。
私の遺族年金(+寡婦年金)の2.5倍だ。
しかし、そのうち確実なのは、私と同じくらいの金額だと思う。
そして自分のことは、全部出来るとも書かれていた。
ペットがいるから 私はここを出ないといけない。
共倒れになることが、目に見えている。

家出ばかり繰り返し 何かあれば私は、あっちこっちに謝罪で頭を下げた。
土下座をしたこともある。
その時は、旦那は家に居たが、私と一緒にくる気配が無くて 私が怒って無理矢理一緒に行ったのだった。

昔のことだ。
でも、あれだけ親が悲しもうが困ろうが、なんとも思わなかったのに 今になってと思う。

今回の2回目の打診も断った。
あの子は、ごめんねと返信をくれた。
私こそ ごめんなさいだよ、ごめんね。

No.69

>> 68 一昨日の舅が倒れた件で 昨日も今日もどこからも連絡が無かった。
搬送を拒否しても後のことを考えて 舅は病院に運ばれることに承諾したのだろうと思った。
そう思うことで一安心が出来た。

が、先程、次子から電話があった。
次子の仕事中の午後に 舅から電話があったそうだが、仕事中で電話には出なかったと。
その電話は、舅宅の固定電話からだ。
ということは、舅は家にいるらしい。

一昨日、動けない状態で発見されて 今日は家に居るということだ。
一昨日、病院に搬送されたのか?それとも最後まで拒否をしたのか?それか、治療を受けて帰宅したのか?
どれか分からないが、病院で身体が落ち着くまで お世話になった方がいいのにな。

まわりに心配をかけなくて済むのに。
自分の好きな様にしたいなら 何故に次子に電話をかけたの?

そうしたら昨年みたいに 誰かが飛んでくると思って?
そう疑いたくなってしまった。

何かあれば毎日届く宅配弁当サンが、私にではなく 今度こそは社会福祉士サンに連絡してくれるだろう。
それから、舅と社会福祉に繋げ私は退いたことを 今回、あの家のお向かいサンに話したから お向かいサンも社会福祉士サンのセンターに連絡してくれると思う。

まわりが心配しているのに どうして自分の気持ちが優先なのか 私には分からない。





No.70

>> 69 あの家を2022年の12月に出て ここに越して『天国みたい』と心から思った。

なのに時折に心を揺さぶることが起きる。


旦那が用意してくれた自由なのになぁ・・

節約生活だけど それでも嬉しい。
お風呂(シャワー😅)も好きな時間に入れる。
食事だって気を遣うこともない。
外出も自分のタイミングで行ける。

何も多くは望んでいない。
あ、宝くじに また当たりたいかな😅
そうしたら必ず皆に分ける😊👍

みんな頑張って、私も頑張るから。




No.71

>> 70 一昨日、仕事中の次子に舅から電話があったと 次子から聞いたが、その後が気になり昨日、次子に電話をした。
その後は舅から電話はなかったそうだ。
舅は、どうしているのだろうか・・

もしも舅が次子に頼み事をしていたら シングルマザーの次子には、気も体力も休む暇が無くだろうと考え そうなれば次子に代わって 私が動かないとって思っていたから 舅からの電話が無いと聞きホッとした。

気になるけど やはり介護というものが辛いのだ。
もうしたくない。
旦那は10日ほどだった。そして辛くもなかった。
それより前のこと、別の家族・・
その時は辛いよりも 私がやらないとの思いで一杯だった。
導尿は、日に14回とかで 素人の私は本人が希望するから希望に応じていた。
摘便もあったり、数時間ごとに身体の向きを変えたり 本人の通院や買い物等も力を使うことだった。
でも、それはごく普通に親が子にやることにすぎないことの感覚でもあった。
体力的には大変だけど 赤ちゃんのお世話をするような時と同じ感覚だ。
しかし、精神的について行けなかった。
そこで機嫌を損なわせてしまうこともあり まわりに迷惑をかけ その度に私は気持ちが落ちた。
ついには、除籍したいとも言われた。
そこで反対をすれば腹いせの様に またまわりに迷惑をかけること そして私たちもそれに伴って動くことになることを懸念して 私が役所の前まで送った。

No.72

>> 71 ひとりで手続きをして あの子は役所から出てきた。
どんな気持ちだったのだろう。
清々しく感じたのか?それとも、ここまでやっても親は反対しないのか?と複雑な想いでいたのだろうか・・
その時の私は、本人の言うままに動くことが本人の気を損ねないことだと思っていた。
そして、まだ下にも二人いて 荒立てないことが一番重要だった。
家に、いく度も救急車や警察が来るなんて 大人でもそうだけど やはり子供ながらにまわりの目に萎縮してしまうだろう。

10年以上も前の話だ。

今となっては、本人は無かったことの様に その頃のまわりのことなどを改めて思い出すこともないのだろう。

今は、別に暮らしているが、不自由ながらも家事は全部ひとりでやっている。
頑張っていると思う。
まぁ色々あるが・・

介護をしてきた経験があるから 気持ちが無いと介護はとても辛いものとなる。

舅が福祉に頼り、美味しいご飯、温かいお風呂、会話がある毎日を穏やかに過ごして欲しいものだが・・舅次第だわね。

No.73

>> 72 私がこのアパートに越して 翌年にあの子が夫婦で県外からこの市に越してきた。
そして普通にやり取りが出来るだろうと楽しみにして あの子が階段の手摺を使って上れるように滑り止めがついた手袋、あの子の車椅子を車に固定できるように括るゴム紐も用意した。
これは誰にも言っていないし 今も抽斗にしまってある。
でもその年、久しぶりに車椅子を持ち上げたが、その高さだとトランクに届いてないとあの子に言われた。
旦那の介護の時に腰を悪くして 目一杯でそれ以上高くは持ち上げられなかった。
歳を取ったのもあるのだろう。
だって昔は、灯油のポリタンク2個をいっぺんに2階まで運べていたのだもの😅


会いたいと言われれば会う。けど一緒に住めない?と言われれば体力も経済もついていけないので断る。
だから先日、断った。

老いて行くことって 身近にいないと感じないのだろうな。

No.74

>> 73 だから舅も姑も分からなかったのだろう。
自分たちの親とは、一緒に住んでもいないし遠く離れていたから。
血縁を大事にするのも当時の感覚なのだろう。

血縁よりも もっと私を大事にしてくれたら、軽く扱われなかったら 私は家族として果たしたのかな?

ん・・・

もしも旦那が居たら家族もなにもへったくりもなく あの家に居てそのまま舅の手伝いをしていたと思う。
思うじゃなくて していた。
しかし旦那は私に借りが出来たようで 私が愚痴を溢せば怒るだろうけど😅

あの家を出てから社会福祉士サンに繋げて良かった。
宅配弁当サンも契約して良かった。

あ、宅配弁当、高いのよ。
毎日届けて下さるけど 1食が900円近い。
でも安心料も含まれるから とても有り難いです。





No.75

>> 74 今日は買い物から帰宅して 荷物を片付け終わったと思ったら携帯が鳴った。
しかし取る間もなくワン切りで電話が切れた。

画面を見ると舅からだった。
どういう意味で電話をしてきたのだろう、しかもワン切り。
私に心配させて 家に来るように仕向けているのでは?と考えたり・・

それとも昨年の舅の入院を切っ掛けに また舅の手伝いを数ヶ月して1月を最後に舅と離れたのに 先月、舅から突然、電話がきたが取る前に切れて悩んだけど やはり心配になり折り返し電話をしたら すぐに出たのだが、テレビの音がガンガンに聴こえてきて「もしもし」と声をかけたが切られて またかけ直したけど その後の2回は『・・出られません』の拒否の音声に変わっていた。  
そんなことがあったので 今日になって私の着信を消すために携帯をいじっていて 操作ミスで私に電話をかけてしまい慌てて切ったのかも?と思ったり・・

取り敢えず、宅配弁当を受け取っていなかったら 宅配弁当サンから社会福祉士サンに連絡がいくし 先週の舅が倒れていた件からお向かいサンも宅配弁当が数時間ドアノブに掛かっていたら 今度からは、社会福祉士センターに連絡してくれると思う。

気になるけど、やはり私はこれ以上は手伝えない。






 

No.76

>> 75 久しぶりに今朝の夢は、旦那が登場した。

私が車を運転していたが、途中で戻らないといけなくなり振り返ると 道は車が1台通れる道幅で車をバックさせないといけなかった。
しかも、その道は長い。
バックで行けるだろうかと躊躇っていると 何故か私は助手席に そして運転席には旦那がいた。

旦那は助手席の背もたれに左手を添えて 右手はハンドルに添え 助手席と運転席の間から後ろの道を見ながら 意図も簡単に長い道をバックさせていた。
車をバックさせている時の 旦那の仕草が私は好きだった。

その時の近くに寄った旦那の顔が、昔の感覚を想いお越し 夢の中だが、久しぶりにちょっとドキドキした🤭

夢の中の旦那は、相変わらず運転が上手だった。
懐かしい想いにふれられた夢だった。

次はドライブに行きたいな

  • << 79 私も病気で主人を亡くしました。 主さん初めまして。 車の運転?バックする時 本当にドキドキしました。 私もふと思い出して涙しました。 ご主人との思い出と共に頑張っていきましょうね。 レスせずにいられなかった通りすがりより。

No.77

>> 76 そんな夢を思い起こしながら起床して いつものルーティンをしていると携帯電話がなった。

時間は8時半過ぎ・・
恐る恐る画面を見てホッとした。
しかし何故に 母からこんな時間に?と思い 何かあった?と訊くと「昨日はごめんね」と母が言う。
何の事だろう?とよくよく訊くと 昨日、母が私との電話で少しだけ妹の事を愚痴っていて それを私に話したことで 私が気に病んでいるだろうと愚痴った事を謝ってきたのだ。
母は妹夫婦にお世話になっている。

妹からも極たまに母の事を聞くが、ちょっと母が可哀想だなと思ってしまうこともあるが、一緒に住んでいるからこその妹の愚痴だと思う。
その愚痴をわざわざ私は母に言わないし 妹が母に対して言ったことを私が知っているとなれば 母は惨めな気持ちになるだろう。
だから母も私には、妹が言ったことを 今だに何も私に言ってこない。
だから私は知らない振りで話しを聞くのだ。

妹は潔癖症だから(妹に負けるが、私も人のこと言えない)母に所々で制限をかけている。

昨日の母との電話で「私の所に来る?」と聞いたが、母の返事は無かった。
しっかりした妹夫婦の安泰の方を選んだようだ。
気が楽になるだろうから、いつでも愚痴は聞くからと電話を切った。

妹は母の通院や買い物、食事は別々だが偏食な母のために好きな食べ物を買ってきたり作ったりしてくれている。

No.78

>> 77 今日も舅関係のところからの電話は無かった。

どうしているのだろうか、社会福祉士サンのお世話になっているのだろうか・・
気になるが、ここで中途半端なことをしてしまうと もう後戻りが出来なくなる自分が目に浮かぶ。

昨年の9月に舅が倒れて あの家を出てから2年9ヶ月ぶりに舅に関わったが、その入院中に社会福祉士サンのセンターにも何回か相談に行った。
舅の兄弟を訊かれ舅の兄妹は、兄は亡くなっているので 妹たちは皆80歳を過ぎて九州の方に居ると答え、それでおしまいだった。

私達の子供、舅にとってみれば孫だが、舅の血縁にあたるが存在も何も訊かれなかった。

今時なのかしら?
プライバシーの尊重なのかしら?

昔とは違う風潮を 確かに今は気をつけないといけないと私も意識するようになった。 

先日、母が『家族じまい』のテレビを観たと言っていたが、私も同じテレビを観ていた。
そして「昔は(人との繋がりも身近な環境も)良かった」と母が沁み沁み言っていた。

『家族じまい』悲しく聞こえる言葉だが、色んな経緯があっての選択なのだろう。

その気持ち、私にも分かる気がする。

  • << 80 また舅に関わるようになったのは、2年9ヶ月ぶりは間違いで1年9ヶ月ぶりだった💧 GWに末っ子がお正月ぶりに来てくれるそうだ。 小学生の頃なんて一緒に買い物さえ嫌がり 車で待っていると言われたし、幼稚園の参観日だって「来ると余計に頑張れない」と言われたこともあった。 それが、私がひとり暮らしになってから 気に掛けてくれている。 雪が降れば外階段気をつけてとか 地震がくれば大丈夫?とメールをしてくれる。 夢を持って東京に行ったが、(旦那が亡くなった後)諦めたのか?就職して ここに来る度に私にお小遣いをくれる。 それは断るが、使えないから取ってある。 お正月の時も駅まで送る車の中で そっと車の小物入れに置く袋(お年玉を入れるような袋、なんて言うんだっけ?思い出せない😅)に気付き断ったが、末っ子を駅で降ろしてから 違う所に置いていったのが分かったが、もう車は帰り道を走らせていた。 私は牛か?と自分で思うくらい「もー。もー。もーぅ」と言いながらアパートへの家路へ。 子供達には、お金は自分のために使って欲しい。 私なんかより子供達の老後の方が大変だろう。 どう頑張っても 子供達の老後を見届けることは無理なのだもの。 贅沢出来なくても 暮らしていける老後になっていればいいなと願う。

No.79

>> 76 久しぶりに今朝の夢は、旦那が登場した。 私が車を運転していたが、途中で戻らないといけなくなり振り返ると 道は車が1台通れる道幅で車をバ…
私も病気で主人を亡くしました。

主さん初めまして。

車の運転?バックする時
本当にドキドキしました。
私もふと思い出して涙しました。

ご主人との思い出と共に頑張っていきましょうね。

レスせずにいられなかった通りすがりより。

  • << 81 通りすがりサンこんばんは、初めまして😊 車をバックさせる仕草、簡単に操作していてカッコいいし顔が近くなるし ちょっとドキドキしますよね。 同じ気持ちの方がいて下さって嬉しいです😊 私と同じで 病でご主人を亡くされたのですね。 旦那の病床中、旦那は絶対に亡くならないという気持ちと 矛盾して覚悟も決めていたりと心は入り混じっていました。 『過去に戻りたいなら目を瞑ること』 これ、あつ森のゲームの言葉なのですが😅 旦那を思い出したい時、私は瞼を閉じて過去を思いだします。 沢山、喧嘩をしたけど 自分が自分で居られた人でもありました。 語彙力、文章力が無く恥ずかしいのもありますし ログインをしていないので 期間が開くとこの日記に入れなくなるのを危ぐし 度々、閉鎖をしています。 そんな書き方の日記にお声を掛けて下さり 目に留めて下さりありがとうございました。 同じ空の下に同じ想いの方がいて 嬉しかったです。 私も頑張ります😊ありがとうです。

No.80

>> 78 今日も舅関係のところからの電話は無かった。 どうしているのだろうか、社会福祉士サンのお世話になっているのだろうか・・ 気になるが、こ… また舅に関わるようになったのは、2年9ヶ月ぶりは間違いで1年9ヶ月ぶりだった💧

GWに末っ子がお正月ぶりに来てくれるそうだ。
小学生の頃なんて一緒に買い物さえ嫌がり 車で待っていると言われたし、幼稚園の参観日だって「来ると余計に頑張れない」と言われたこともあった。

それが、私がひとり暮らしになってから 気に掛けてくれている。
雪が降れば外階段気をつけてとか 地震がくれば大丈夫?とメールをしてくれる。

夢を持って東京に行ったが、(旦那が亡くなった後)諦めたのか?就職して ここに来る度に私にお小遣いをくれる。
それは断るが、使えないから取ってある。

お正月の時も駅まで送る車の中で そっと車の小物入れに置く袋(お年玉を入れるような袋、なんて言うんだっけ?思い出せない😅)に気付き断ったが、末っ子を駅で降ろしてから 違う所に置いていったのが分かったが、もう車は帰り道を走らせていた。
私は牛か?と自分で思うくらい「もー。もー。もーぅ」と言いながらアパートへの家路へ。

子供達には、お金は自分のために使って欲しい。
私なんかより子供達の老後の方が大変だろう。
どう頑張っても 子供達の老後を見届けることは無理なのだもの。

贅沢出来なくても 暮らしていける老後になっていればいいなと願う。


  • << 82 今日は探し物をしていて あるならここだろうと押し入れから袋を引っ張り出した。 ここに越してくる時にまとめた袋。 畳んだ毛布が1枚入るくらいのビニール製の袋は、半分も入っていないのに思ったより重かった。 中には、旦那が買ってくれたアクセサリー箱、そして記念日に買ってくれた小さな置物たち(仲が悪い時の数年は無かった😅)、子供達が幼稚園で作ったコップなど。 あ、これも入れていたのか・・忘れていた。 旦那が生前に仕事で取った顔写真付きの免許類、ボールペン、そしてお財布も。 1枚、1枚と免許証の顔写真を見ていて 旦那はこの世に存在していたと実感した。 いつも一緒だったから年月が経つと 本当に旦那は存在していたのかな?と不思議な感覚に襲われることがあったのだもの。 そしてお財布、引っ越しの時に中身を確かめて袋に入れたと思うが、忘れていた。 中には福沢諭吉サンが1枚入っていた🤭 得した気分になってお札を取り出した。 休職中に「これあげる」と私に五百円玉を1枚掌にくれたことがあった。 休職中は、お小遣いも要らないとも。 旦那が取っておいたお金なのだろう。 確かに旦那はこの世に居たのだと お札から伝わってくる。 そして諭吉サンを旦那の財布に返した。 いつか、子供達が見つけるかも😊

No.81

>> 79 私も病気で主人を亡くしました。 主さん初めまして。 車の運転?バックする時 本当にドキドキしました。 私もふと思い出して… 通りすがりサンこんばんは、初めまして😊

車をバックさせる仕草、簡単に操作していてカッコいいし顔が近くなるし ちょっとドキドキしますよね。
同じ気持ちの方がいて下さって嬉しいです😊

私と同じで 病でご主人を亡くされたのですね。
旦那の病床中、旦那は絶対に亡くならないという気持ちと 矛盾して覚悟も決めていたりと心は入り混じっていました。

『過去に戻りたいなら目を瞑ること』
これ、あつ森のゲームの言葉なのですが😅
旦那を思い出したい時、私は瞼を閉じて過去を思いだします。
沢山、喧嘩をしたけど 自分が自分で居られた人でもありました。

語彙力、文章力が無く恥ずかしいのもありますし ログインをしていないので 期間が開くとこの日記に入れなくなるのを危ぐし 度々、閉鎖をしています。
そんな書き方の日記にお声を掛けて下さり 目に留めて下さりありがとうございました。

同じ空の下に同じ想いの方がいて 嬉しかったです。
私も頑張ります😊ありがとうです。

No.82

>> 80 また舅に関わるようになったのは、2年9ヶ月ぶりは間違いで1年9ヶ月ぶりだった💧 GWに末っ子がお正月ぶりに来てくれるそうだ。 小学生… 今日は探し物をしていて あるならここだろうと押し入れから袋を引っ張り出した。
ここに越してくる時にまとめた袋。
畳んだ毛布が1枚入るくらいのビニール製の袋は、半分も入っていないのに思ったより重かった。

中には、旦那が買ってくれたアクセサリー箱、そして記念日に買ってくれた小さな置物たち(仲が悪い時の数年は無かった😅)、子供達が幼稚園で作ったコップなど。

あ、これも入れていたのか・・忘れていた。
旦那が生前に仕事で取った顔写真付きの免許類、ボールペン、そしてお財布も。
1枚、1枚と免許証の顔写真を見ていて 旦那はこの世に存在していたと実感した。
いつも一緒だったから年月が経つと 本当に旦那は存在していたのかな?と不思議な感覚に襲われることがあったのだもの。

そしてお財布、引っ越しの時に中身を確かめて袋に入れたと思うが、忘れていた。
中には福沢諭吉サンが1枚入っていた🤭
得した気分になってお札を取り出した。
休職中に「これあげる」と私に五百円玉を1枚掌にくれたことがあった。
休職中は、お小遣いも要らないとも。

旦那が取っておいたお金なのだろう。
確かに旦那はこの世に居たのだと お札から伝わってくる。
そして諭吉サンを旦那の財布に返した。

いつか、子供達が見つけるかも😊



No.83

>> 82 今日は5%引きの券があったのでというか、土日に買い物をするとその券が貰えるので 計画して先週20日(日)に買い物をして券をゲット。
そのうえ、その20日も殆どの品が5%OFF!
その時は、GWに末っ子が来るから日持ちが良い食料品を買った。

カレンダーを見ては、どうやったら節約に結びつくか計画、頭の体操をしているみたいだ💧

そして今日、その券を持って買い物へ。
1週間分の食料とGW用を買い足し、両手に荷物を持って車に向かう途中、こんな私の姿を旦那が見ていたら 不憫に思うのかな?と想うと自分で自分が悲しくなった。
こんなの何でもない事だと分かっている。
普通に荷物を持って 車に向かっているだけの事だもの。

どうにも出来ないと見て見ぬふりをして それを心に鎮めているから ちょっとした事で自分で自分を悲しく思ったのだろうな。

助けて欲しいな






No.84

>> 83 本当は土日、祝日などの休みの日は買い物に出たくない。
夫婦や家族連れが多いのだもの。
しかし平日は、ご高齢の夫婦を目にする。
誰かと一緒は、羨ましい。

あと、テレビで 中古品の店や売りに来る人のコーナーが始まるとチャンネルを替えてしまう。
ここに越す時に沢山の物を 処分してしまったからだ。
越して間もない頃、末っ子から「グローブ捨てた?」と訊かれた。

それも処分してしまった。
旦那が亡くなり、人って居なくなってしまうんだと当たり前のことなんだけど そう思ったら私が居なくなった時に 誰が片付けるの?と考えたら 出来るだけ物を減らそうと思った。
でも、グローブのひとつくらい取っておけば良かった。
そして旦那が大事にしまっておいたレコードも。
あれもこれも処分してしまい後悔をしている。

この家には椅子も無い、ソファーもベットも無い。
平均寿命まで、まだ何十年とあると思いながらも どうせ、いつかは私も居なくなるのだからの気持ちの方が勝っていた。
お皿も殆ど処分してしまい、子供達が来て足りない時は紙皿で対応していた。

明日は、お皿を何種類か買いに行こうと思う。





No.85

>> 84 翌日、お皿を買いに行った。
物を増やしたくないが、旦那が亡くなって私もいつか居なくなるという気持ちから 今は、もう少しこの世に居るのかもの気持ちが、少しづつ思える方に傾いている。
椅子やベット、今は無くても平気でも これからもっと歳を取れば助かるだろう。
そこは追々、考えようと思う。
私の部屋は一階ではないから 数年後に引っ越すことも考えているから。

買ってきたお皿、そのうちの2枚がシール跡が残って😓
剥がす時に無理だわと思いつつ 面倒で最後まで剥がした。
頭の中では、ドライヤーにあてたらいいかしら?とか思いながら😅
案の定、ベタベタと痕が残った💧

消しゴムでやるといいとも聞いていたが、お皿に消しゴム💧私はいいけど使う人を想うと一瞬、考えてしまったが、シール痕が残るお皿よりまだ良いか😅💦

あっちの家から持ってきた消しゴムでゴリゴリ擦った。
消しカスは、お皿から離れる事なく まとまって・・お皿にこびりくっついている。
消しゴムの名は、まとまるクン。
確かに、まとまった💧

その後、スポンジでゴシゴシしたら なんとかお皿から離れ、お皿は綺麗になった。

百均のお皿だが(百円ではないが😅)探していた軽いお皿が買えて良かった。



No.86

>> 85 GW中に来る末っ子。
この季節、お布団はどんな用意がいいのか?

先週に押し入れから布団を出して 干すために用意。
道路の近くだから干し物は室内干しだ。

GW中って言ってもいつだだろうか?と思いながら 羽毛布団にカパーの8ヶ所の結びをして干したが、来る頃は熱いかも?と思い 敷き布団をクールシーツにしたが、チグハグだ😓

考えを巡らせ色々、想定して 羽毛布団を春〜秋用の少ーしだけの羽毛の薄い掛け布団に替えてカバーを移し替えた。
紐を外して薄い掛け布団に結び直しだ。

でも翌日、気温が下がり また冬用の掛け布団にカバーを掛け直した。


そして昨日、やっぱり🤔
薄手の掛け布団にカバーを移し・・・何回も何やってるんだ私💧

夕方、末っ子から連絡があって 日にちが決まったようで2日(平日だから有休?)に来てくれる。

多分、薄い方の掛け布団で正解だと思う。
今まで、どうしていたっけ?
忘れてしまったわ😅


No.87

>> 86 予定通り末っ子は2日に来た。
時折、激しい雨が降るので末っ子は、駅からタクシーで行くよ と言うが、運良く雨は小雨になり無事に迎えに行くことが出来た。
末っ子の手には、手土産が入った紙袋。
色々な種類の土産が入っていた。
旦那が好きなサツマイモ系の菓子、旦那が仕事中に買ってきてくれたことのある焼売、その他にも色々入っていた。

末っ子と話していても所々で 私の口から旦那の思い出がポロッと知らず知らずにでてくる。
喧嘩ばかりだったから 末っ子に不思議がられていないだろうか?と後から思った🤭

夜はテーブルを挟んで布団を敷き テーブルの上にはお酒が入ったグラスが2つ。
同じ部屋で就寝だ。

子供の頃は私と一緒の行動を避けていたのに 今は一緒に買い物や飲食店での食事もしてくれる。
こんな日が来るなんて思ってもいなかったよ。

次はお盆の頃に来ると言っていたが、大変だからそんなに気にしなくて良いのに。
手土産もいらないよ。

No.88

>> 87 明日は買い物に行こうと思ったが、天気次第になりそうだ。
明日はポイント5倍の日だから行きたかったのになぁ・・ギリギリ雨は止むかしら?駐車場が混むから午前中に行きたい😅

先週、末っ子が一泊二日で来て 用意し過ぎたようで残り物が出て 冷凍が出来る物は冷凍した。
明太子、焼き鳥も冷凍、小腹が空いた時用のお握りも残ったので冷凍庫へ。
数年ぶりに春巻きを作ったので 余った皮も冷凍。
冷蔵庫にも数点残っていた。
春巻きの皮以外は1週間かけて私が食べた😊💦
勿体なくて捨てられないもの。
途中、体重が増えたが😅今は元に戻った。

春巻きは簡単春巻きだったが末っ子が、美味しいねと言っていた。
あの家を末っ子が出てから作るようになった旦那の好きな薩摩揚げを末っ子にも作りたいが、材料が余りそうだし このアパートで魚をまな板の上でトントン!トントン!・・!も憚れる気がする💧
それに、この家に味付けの味噌が無いんだわ😅
今は、ひとりだから使い勝手が良い無難な調味料しかなく 使い切れなくて捨てるのは勿体なくて。
あ、ソースも無いわ😅

明日の天気どうなるかなぁ
天気次第で明後日にしよう、明後日は、来週に使える5%引きの券が貰えるし😊

セコセコしているが😅ここに越してきて本当に良かったと 毎日、感謝している😊



No.89

>> 88 予想外に小雨だったので買い物を決行。

10時前に到着して入店、食品売り場はもうとっくに開店しているのだ。
小雨が降っているというのに 意外と混んでいた。
皆、ポイント5倍があるからだろう、私もそのひとりだ😅

焼きそばも冷凍が出来るとネットで知って 先々週、昔からの焼きそばを買おうとしたら ここ最近の値上がりで思った以上に高くて😅特売の名も知らない焼きそば(3食入り)を買ったが、子供の頃から食べていた焼きそばとは違く🥲でも勿体ないから 消費期限までに3食食べた。
だから今日は、あの昔からの焼きそばを買う決心(大袈裟😂だが実情)して売り場に行くと なんと安くなっていて さらにボーナスポイントまでが付いていた🎶

ご夫婦が多い土日は買い物に出たくないが、仕方ないこと。

明日、買い物すれば 来週に使える5%割引の券が貰えるが、今日も貰えるのだ。
だから今日はポイント5倍も貰えって その券も貰えたので 無理して買い物に行って良かった😊

焼きそばは特殊な物ではない。マークの顔がニッコリして舌をペロっと出している どこにでもある焼きそばだ😅

しかし、なにもかもが高くなったわね。



No.90

>> 89 お金は旦那が残してくれたから あるにはあるのだが、やはり先のことを考えると無駄には使えない。

出すところは出す。
昨年の次子の新築祝いも包んだ。
少なかったかな?と思ったが、先程 相場を調べたら〇〇〜〇〇円らしい。
その真ん中だった。
それと同時に他の2人も引っ越しを考えていた時期だったので 次子と同じ額を振り込んだ。
皆、平等にしたかったからだ。
しかし次子にしたら 新築祝いと引っ越しを同等に扱われたら嫌だろうと思い 次子には内緒だ😅💦

でもこのお金は、子供たちに残したいお金の一部なので 一部を先渡したようなもの。

しかし子供たちに残したいと言っても この先に私が施設入所で使ってしまうかもしれない。

だから今は、出来るだけ倹約したいのだ😊




No.91

>> 90 昨日に買い物に行ったので 今日はお墓参りに行くことにした。

用意をしていると 長子からメールが入っていることに気がついた。
言葉は無い、絵文字だけのメールだ。
文字での遣り取りは、4月を最後にしていない。
長子の話しは、私が気に病んでしまうから それでも繋がっていられるように 絵文字だけのメールを遣り取りしていた。
絵文字からは、気持ちいっぱいの花束を贈くってくれたことが分かる。

ありがとう
そして、ごめんなさい・・・


いつの日か、また会いたいよ
この気持ちに嘘はないよ



No.92

>> 91 お墓参りに出発🚙

今は車で15分程で行けるが、車を手放したら徒歩、電車とバスで1時間以上はかかるだろう。

私の住むアパート近くにも 新しく霊園が出来た。
歩いて10分もかからないと思う。
この先、私がこのアパートから離れても バス停から歩いて行ける。
樹木葬もあるし ここにお墓を移せたらと思うが、一応、舅から私がお墓を継承したけど、それは舅に相談した方がよいことなのだろう。
また、いつか考えよう。

霊園に到着し管理事務所で仏花を選んだ。
カーネションが入っている物を選び いつも通り対で買ったら それぞれに菊の花を2本づつ、サービスで増やしてくれた。
お花が増えて嬉しい😊故人も嬉しく思ってくれることだろう。

お墓に向った。
お墓の様子から先月は、長子たちは来なかったことが伺えた。
来れなくても良いの、でも来た痕跡があれば 私が少しホッとするのだ。


車、いつ手放そうかと悩み中。
39歳で免許取得した時は、60歳までと思っていたが、やはりあると便利だし 今度は自分自身のために走りたいと思ったり・・・

でも今の車は2016年からだが、走行距離が1万7千キロも走っていない🤭💦

No.93

>> 92 今の霊園は徒歩2キロ弱(バスも多数ある)→電車→バス。
そのバスが、土日、祝だけで それも前もって予約して最寄り駅まで迎えに来てもらうのだ。
そうなると二の足を踏んでしまいそうで💧
だから舅ひとりで行くのは大変だろうと思う。
帰り道、舅にごめんねと呟いていた。

近くの霊園に移せたら どこに住んでも千葉駅から公共バス一本で来れるのだけどな・・

霊園から帰宅し私は母に電話をしたが出ず、折り返し電話がかかってきた。
それもビデオ電話だ😅
お互い歳を取ったなぁ。
で、なるべく見栄えが良いように 私はスマホのカメラを高めに上げて 上から映すように自分の顔を向けた😅
何もプレゼントは贈っていない。
身体に気をつけてと最後に電話を切った。

その後、末っ子からのメール。

今日はお花のサービスや子供たちからのメールで 有り難い気持ちと幸せなんだとも思った😊



No.94

>> 93 一昨日は次子と電話でダラダラと 1時間半、話した。
そして昨日は実妹と久しぶりに電話で話した。

二人とは色んな会話をしたが、何故か二人とも「おじいちゃんは?」と舅の近況を尋ねてくる。
少し胸がチクッとする。

先月の舅の救急車騒動以来、社会福祉士サンとは連絡を取っていない。
救急隊の方から電話があっても『私はお世話は出来ませんと言って下さい』と社会福祉士サンから言われたと実妹に話すと そんな常識?があるの?と言わんばかりに初耳のようで驚かれた。
私達の年代なら 義親のお世話をするのが普通のことだろうと思う。
旦那が居たら 今も私はあそこに住んでいて 舅の手伝いをしていたことだろう。

私に舅のお世話をさせたいという意味ではないが、旦那が亡くなる少し前に「死ぬ順番って大事なんだな」と言っていたことが、思い出される。

No.95

>> 94 今日は末っ子から「紅茶、送ったよ」とメールがきた。
私がいつも飲んでいる2リットルの無糖の紅茶だろう。

その紅茶は、歩いて5分のドラッグストアで買っている。
私が知っている限りでは、そこが一番安い。
しかし例え車で買いに行っても 箱買いが出来ない、また腰を悪くしそうで買っても2、3本だ。
そこにカルシウム入りの牛乳を入れて 紅茶の味が薄くなるが😅お茶代わりに飲んでいる。

この間、台所に並べてあった未開封の紅茶のペットボトル2本を見た末っ子に「なんでこんなにあるの?」と訊かれ(冷蔵庫にも入っている)そう話したから 気にして紅茶を送ってくれたのだと思う。

明日届くらしい。
暫く買いに行かなくて済みそうで有り難いが、やはりお金は自分のために使って欲しい。
私は旦那のお陰で生活が出来るが、子供達の老後の方が心配だもの。

No.96

>> 95 今日、末っ子が送ってくれた紅茶が届いた。

◯時〜◯時に届くとメールをもらっていたので 待機して待っていた。
車の音がしたら窓から確認して 老眼鏡を掛けて印鑑を持って玄関に 届いた紅茶は箱で届くだろうから重いので引き摺って あっちの部屋に運ぼう・・イメージトレーニング😅 
しかし重い箱を抱えて末っ子は、配送店まで運んだのかと思うと申し訳なく思った。

インターホンが鳴った、急いでイメージトレーニング通り行動し玄関に出た。
えっ?えっ?
配達してくれ有り難く対応したが、配達員サンの手には・・2リットルの紅茶が2、3本くらい入りそうな紙袋。

それでも重さはあるだろうと思いながら 受け取ると予想以上に軽かった😂
袋を開けると予想に反して 人気のある紅茶の箱が入っていた。私が使い易いように茶葉ではなくティーパックだ。
そしてもう一つ、綺麗な花の化粧箱。
箱を開けてみるとオールインワンの保湿クリームだった。
えーあの末っ子が?化粧品を私に?
どんな顔で選んでくれたのだろうと想うと 想像が出来なかった。
よほど私の顔が劣化して 不憫に思ったのかしら😂なんて思ったら笑えてきた。

『ゆっくり飲むね』『大事に使うね』と末っ子にお礼のメールをした。
気にかけてもらえて嬉しかった、けど『嬉しい』と書いてしまうと次への負担になってしまいそうでやめた。


ありがとう、嬉しかった😊

No.97

>> 96 今年は朝顔の種を蒔かなかった。

2022年、孫から前年に学校で育てた朝顔の種をもらったのでプランターに種を蒔いたら 旦那が、俺もと百均で種とプランター、ジョウロを買って 二人してベランダで育てた。
やがて、採れた種を横になっている旦那に見せると「繫がる」と言っていた。
その時は深く意味を考えていなかった。
旦那とずっと、まだまだ一緒に居られると思っていたのだもの。
しかし、その年の9月下旬に旦那は逝ってしまった。

翌年(一昨年)採れた朝顔の種を旦那のプランターに蒔き 旦那が選んだ緑色のジョウロで水をあげた。
そして小さな種が出来た。

また翌年(去年)その種を蒔いたが、小さな花を咲かせたが、種が出来る前に枯れてしまった。
なので2022年の種を試しに慌てて蒔き、栄養剤も注したが、花は咲いても種は出来なかった。

なので今年は諦め、先日、思い出があるプランターとジョウロを処分した。
収集車の音が聞こえたので窓に駆け寄り 緑のジョウロが入った袋を職員サンが収集車に入れ込むまで目で追い、車が見えなくなるまで窓辺で見送った。
プランター、ジョウロに何度もごめんと謝った。
そして遺影の旦那にも。

でも、後々のことを考えると 少しでも子供達の手を煩わせたくなく致し方ないことだった。

プランターとジョウロは写真におさめた😊


No.98

>> 97 先月の舅の救急車騒動で 様子を見に行って救急車を呼んでくれた社会福祉士サンからの電話の最初の言葉は「ゴミに埋もれて倒れていた」だった。

元々、片付けが出来ない人だったが、昨年の9月に次子から舅の具合が悪そうだと聞き駆けつけて 社会福祉士サンに繋げるまでの4ヶ月、舅宅に私は出入りしたが、ばっちくて😅途中からクイックルワイパーとシートを買って拭き拭きしてからあがっていた。
でも日が経つと舅は、自前のモップで掃除をしたようで 私に見えるようにか?玄関の上がり付近にそのモップは立てかけてあった。
部屋も段々と片付け 床に置いてあるものが減った。

しかし、離れてしまうと人の出入りも無く 元の様になってしまったのだろう。
体力的にも面倒だろうと思う。
高齢者と暮らしたことが無いから 想像がつかなかったのもあるのだろうな。



No.99

>> 98 夕方に孫から『2リットルのペットボトルある?』とラインがあった。

・・・数日前に紅茶が飲み終わって 昨日、資源ゴミで出したばかりだ💧
冷蔵庫にある飲みかけは、2、3日ないと空かないだろう😥
しかし、孫も次子も無いと困るだろうし・・協力したいので『明日には空くよ』と嘘つきの返信😅

なので、いつもなら自宅で作る麦茶で焼酎を割っているが、今日は紅茶で割って呑んでいる😅

日に呑む杯数は決めているので 今日はこれでおしまい😊
明日の昼間は、いつもの牛乳で割って飲めば 間に合うだろう😊


身体が動くうちに こまめに処分していかないと。
後々に、子供達の手を煩わせたくないもの。



No.100

>> 99 先日、次子と孫が2リットルの空のペットボトルを取りに来た。

来る前に 先日に末っ子から送られてきた紅茶の箱とオールインワンのクリームを隠した。
次子が見たら気にするだろうと思ったからだ。
私の気にし過ぎかもしれないが、見たり聞かされたりしたら気になるだろうと思ってだ。

妹夫婦と同居してお世話になっている母が、私の弟夫婦から何をもらった、お小遣いをもらったとか嬉しいそうに話すが、何も出来ない私は気にしていた。

妹が母の通院に付き添うことも 母は私に毎回、話してくれる。
しかし数ヶ月前から母から通院の話しを聞かなくなった。
たぶん、母から聞く度に私が妹に感謝のお礼をメールするから 妹から母は『お姉ちゃんに言わなくていい』と注意を受けたのだと思う。
兄妹3人いて妹だけが、母の手伝いをしてくれているのだもの 申し訳ないし感謝するべきだと思っている。

今、あの人は心から 私の存在を想ってくれているだろうか
いや、逆に恨まれているかも😅

でも、私が出来ることはやったつもりだ。


No.101

>> 100 最近ニュースであった患者サンが医師を・・・っていう病院、私が3年前に運ばれた病院だった。
あの家からは、公共交通を使ったら乗り換えが多く 車でもいつだって こちらから行けば渋滞で時間が掛かる場所だ。

旦那は病院嫌い、少しの間でも病院に留まることも嫌がっていた。
3人の子の出産の時でさえ送ってはくれたが、一度も産まれた時には居なかった。

なのに3年前のあの時は、ストマながら毎日 病院に来てくれた。
コロナ禍だったから下のロビーで会った。
ひどく私を心配していたっけ。

私が病院に運ばれる前に 旦那が食べても大丈夫の量のご飯をラップに分けて包んで たまたま冷蔵庫に数回分があり、そのご飯を食べていると聞いた。
おかず無しで それだけでは足りないだろうと思った。
それで、あそこにお金があるから使ってと言ったのは覚えている。
でも旦那は使わなかった。


私が具合が悪いと機嫌が悪くなる旦那だったが、あの時の旦那は、私の先を考えてのことだったのだろうな








No.102

>> 101 その入院前から食べ物の飲み込みが悪かった。
噛んでも噛んでも食べ物が飲み込めなかった。
その中、旦那と喧嘩をして 食べることをストライキ、焼酎だけを呑んでいた。
心配してか旦那がピザを買ってきが、それも食べなかっなかった。
そして3日後、意識不明で病院に運ばれた。

処置をしてもらい気が付き 病室に入ってから胸のあたりが痛いと思い見ると青くなっていた。
それを見舞いに来てくれた旦那に話したら AEDもしてもらったとのことだった。

退院する前に 救急車で運ばれたから、その日の治療分は無料ですと聞いた。
馬鹿な理由で私が税金を使ってしまったと思った。

それからは、ちゃんと3食を食べている。








No.103

>> 102 旦那が亡くなり ここに越してきて炊飯器も持ってきた。
一緒に買いに行ったよね、子供達が巣立ったから5合から3合炊きを選んだ。

あの時空間を覚えているよ。

最近、私は旦那の茶碗を使い始めた。
大事に持ってきたけど しまい放しより私が使う方が良いと思って。

子供達が巣立って夫婦で 1合で4食分(2日分)だったが、今は3合を炊いて10食分。

て、前よりお米の量が増えているわ😅
でも、おかずと一緒に。

やはり、ご飯はおかずと食べると美味しい。







No.104

>> 103 淋しい

帰ってきて

No.105

>> 104 このアパート、空きがでるようだ。

先日、アパートのゴミBOXに捨てに行ったら満パンで、透けた指定の袋から引っ越しの方がいるのだろうと思った。

都内に住む末っ子が泊まりに来た時『隣が引っ越して淋しい』と言っていた。
『えっ?交流あったの?』と訊けば『無いけど なんとなくね』と言った。

末っ子は純真だな・・
いじられキャラ(私が思うだけかも😅)だけど 根を張って頑張って欲しいな。

それで、このアパートを検索したら 募集の家賃が2千上がって管理費も五百円上がっていた。
来年が2回目の更新、どうか、どうか、今のままで上がりませんようにお願いします🙏





No.106

>> 105 数日前にひとつ歳をとった。
旦那より2歳年下だったのに 私のほうがひとつ年上になってしまった。 

その日、起きていたから大丈夫なのだが、あと数分で6時になる頃にラインが鳴った。
母からだ😅
多分、時間を見計らったと思う、でもちょっとフライング気味にラインを送ってくれたのだろう😊
そのあと、妹からもラインがあった。
そして平日だというのに 次子と孫(たまたま行事で学校が半日)が午後から来てくれた。
孫の手紙に泣きそうになった。

寂しい毎日だが、まわりが気にかけてくれるお陰で 寂しい気持ちから掬ってもらえている。

いつかあっちで旦那と逢えた時、私ってわかるかしら?なんて思ったりするが、あっちの世界では自分がなりたい歳の姿になると聞いたことがある。

なら図々しく18歳でお願いします🙏💦



No.107

>> 106 そして、その翌日の午後 インターホンが鳴った。
そっとモニターを見ると 胸の前に花束を持っていた。
一瞬、えっ?と思ったあと たまたま前日が私の誕生日だったから子供から?と思ったり。
モニターをよーく観察すると 下げた左手には書類らしき物を持っていたので怪しい、居留守をつかうことにした😅

すぐにスマホで検索。
顔モザイクの画像まで出てきたが、どうも子供向けの教室の勧誘だったらしい。
そして検索通り また数時間後にインターホンが鳴った。
その歳の子供はいないと断ればよいのだが、また居留守をつかった。
余計な情報は控えたかったからだ。

しかしモニターに映る花束を見て 危うくインターホンに出そうになってしまったわ💦
あの手この手を考えるのね、気をつけよう。


投稿順
新着順
主のみ
付箋

新しいレスの受付は終了しました

日記掲示板のスレ一覧

携帯日記を書いてみんなに公開しよう📓 ブログよりも簡単に今すぐ匿名の日記がかけます。

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少
新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧