番外編のつぶやき
いつも綴っているものに、あまりにもタイトルとかけ離れた内容が増えたので、番外編を設けることにいたしました。
小さな小さな呟きです。
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馬鹿なのは自覚している。
馬鹿だということを宣言して、そこに甘んじるつもりもないつもりだ。
けれど。
「はあぁ?嘘でしょ?そんなん中学の歴史で習ったことだよ?」
…実際は習っていない。
物持ちのよい私は、自分の教科書と、子どもの教科書を確認した。
「嘘でしょ?そんなことも知らないの?」
「俺のこと、「忘れた」って責めるけど、お前はいい加減あれもこれも忘れるよな?
だったら何も忘れるなよな」
そんなことを日常的に言われると、一人になると涙が出て止まらなくなる。
自分の存在を恥じて、外に出ることも怖くなる。
でもそう言ったというと、
「俺が?そんなこと言うわけないじゃん。話を作るな!」
その時のことを紐解くように理路整然と話すと
「たしかに似たようなことは言ったかもしれないけれど、言い方がまるで違うはずだ。良いように話を盛るな!」
動悸が止まらない。
震えも止まらない。
早期退職して一緒に旅行に行きたい?
子どもに、一緒に旅行に行こうと言われていることすらが苦痛で、苦痛で仕方がない。
消えてなくなりたい。
〝おむすび〟
そして
〝あんぱん〟
なんだぁ?
食べ物シリーズ?
ふーん
やなせたかしさんの
奥さまがヒロインってことだったか。
あんぱんまんのあんぱんね。
よしよし!
おお、
河合優実さんも出るか♡
良いなぁ。
よしよし♡
親身になって打ち込んでいるメッセージ、なのであろうことは想像することはできる。
ただ的外れなものは、ヒヤヒヤしてならない。
もともとの性格もあろう。
ポジティブな人。
ネガティブな人。
ただ心病む人は一応にしてみなネガティブな思考に捉えられる。
病んだ人にただ明るくさせようと振る話題も的外れほど恐いものはない。
ましてやこの時期、物価高で食べるものすら握りしめたお財布と相談して相談して、買えるものも少なく途方にくれる人だっている。
生活すらを逼迫する物価高なことを知らない層から、消費で心を明るくさせようとする話題は避ける方がいい。
生活のためにお金を使うことにすら苦しくてつらい若い層も増えている事実を知らない人もあろう。
時折、ヒヤヒヤするメッセージを送る人がいる。
悪意は全くなくて、その人のためを思ってのものなのは第三者としては理解できる。
理解できるが納得などできない。
その証拠に返レスが途絶える。
気づいてあげてほしい。
真面目な人は、真面目な人ほど、自分を追いつめる。
金銭面から食べるものもセーブしたりしてしまうときなどには、医者にかかることだって敷居が高くなってしまう。
精神を病むということを知らずに安易な言葉がけはやめた方がいい。
いや、…やめてほしい。
ついこの間、誕生日を祝わなかったあと、ふとした拍子に何を血迷ったのか洗濯物を干そうとした夫。
詫びのつもりかもしれないが、洗濯物に手を出すことは御法度としているわが家。
しわくちゃのまま、袖がはいっていようとお構いなしに干すから手を出してほしくないのだ。
もちろん理由を言ったところで直らない、直せない結果に出された禁止令だ。
それを今日もまた手を出してきた。
何枚か干してある。
自分のものだけではなく私のものにも手を出している。
干し方にこだわる女性は多い。
禁止令を破って手伝った気になる神経が理解できない。
イヤなものはイヤなのだ。
しかもきのう洗濯物を干しているのをみていたにも関わず。
干す時どれだけの工夫がされているかを見ていてなお、今日の洗濯物もハンガーに吊るすだけであった。
シワをまったく伸ばさない。
「してもらったことに黙って感謝できない?」
…できないレベルの干し方に我慢できずに出した御法度、ですよね。
はあぁ…。
「どこか寄りたいところとかある?」
ずっと行ってみたかった甘味処と同方向、夕食の準備にかかる時刻でもない。
「〇〇って甘味処さんのパフェが食べてみたい」
先だっての私の誕生日、ケーキひとつなかったのもあり言ってみた。
「はあぁ?そんな回り道はちょっとなぁ」
は?車で10分とかかりませんが?
「千五百円とか千八百円とかするから?」
「そんな高いの?百円の今川焼きにしよ、好きでしょ?」
誕生日おめでとうの一言すらも言わず、一年に一回の日を台無しにしたことなど彼の心の中にはかけらも残っていないようだ。
ていうか、百円の今川焼きでもなく、あの日にたったひとこと、おめでとうのひとことでよかったのに。
墓穴を掘ったのは私、だね。
おめでとうのひとことを言うのも惜しい女には百円の今川焼きですら惜しいであろうに。
そしてその今川焼きすらも買わず帰宅する男。
「浮気もしたことないし、ギャンブルもしない、俺は誇れる夫だと思うけど?」
かつての賜った彼の言葉だ。
新婚一ヶ月経たないうちにやばい店に行って帰って、酔って泣きながら詫びたおとこのくせに?
浮気でなければ遊びなら良いのか。
その代金の方が千五百円とはケタが違うと思うが?
こいつがやばい病気を拾っていないか恐ろしかったのを忘れない。
…梅毒って何十年も経って出るんだよな。
脳にも障害が出る。
いつも等身大でつぶやくため、暗いもの、不快なものもう書かれていてごめんなさい。
今日のものはとても暗くて、不快です。
ただ書かずにいるとつらいのです。
とてもつらいので書いています。
これ以降はお読みにならずにお閉じください。
今朝、けたたましい鳴き声がして驚いて外に出た。
先ほどよりはその声はだいぶ離れた所に移動しているように思う。
そもそもなんだろう?
あまり聞かない、緊迫した鳴き声にも思えるけたたましさだった。
ふっと鳥が飛んでお向かいの隣、文具店の屋根に止まった。
おっ?
あれか?
いやいやあれはカラスだ。
カラスのそばにも小さな鳥の姿?
もう一羽カラスが飛んできた。
…ま、まさか?
ど、どうしよう。
だが人の家の屋根に何か投げつけるような事はできない。
…生きるためにはしかたないんだ
こんな事夫にも言えない。
なんとか気も落ちつき、夕方、洗濯物を取り込んだ。
ふと見るとジョウロの中に大きな枯葉がある。
(えぇっ…冷たいのになぁ。
風そんなに強かったっけ?)
ん?
か、枯葉じゃない!
ど、どうして?
ジョウロの水入れるとこそんな大きくないでしょう?
てか午前中水を入れたときには間違いなくいなかった。
な、なんでだよ〜っ。
。゚(゚´Д`゚)゚。
あんなに、取り憑かれた?と思うくらいにやっていたゲームの名がわからないようだ。
まぁ、取り憑くようなキャラクターも数多く出てくるゲームである、それが堕ちてくれたのかもしれない.などと脳天気には到底考えられない。
確かにゲームなんてものは始めてしまえばタイトルなんて忘れても全然平気だし、なんなら私などは過去にやったゲームに初めて感を抱けるほどお得な人間だ。
でも、そのゲームアプリの正式名称を私が言っても、
「違う気がする。違うと思う」
へっ?
やってはいなかったけれど社会的にも話題になったゲームだ、私とて名前くらいは知っているアプリだ。
自信満々に
「思い出せないけれど、それは違うと思う。違和感しか無い」
という夫。
ええっ?
すごくヤバい…。
念のため検索をかけた。
やはり私のいうゲーム名であろうとしか思えない。
派生したものもあるが、最初に出た、社会的に老いも若きもがやったゲームといえばこれだ。
自分で調べしかも復唱して、なんとなく(これかも)と思えたらしい。
いよいよ困った。
私だって思いっきりボケたいぞ?
ボケたくは無いが、認知症介護はもうたくさんだぞ。
誕生日になんの言葉も無い、
マックフライドポテトが食べたいと言ったのに、平気でマクドナルドの前を通り越して行く人。
ケーキも無い。
子どもたちからは続々とお祝いのメッセージが届く。
夫もメンバーのグループLINEにだ。
別に通過点の一日に過ぎない。
それは自分でもそう思っているくらいなのだが…。
夫はもう自室に戻ってしまって寝る支度も済んだようだ。
こんな一日が過ぎていく。
生まれてしまったことも
出会ってしまったことも
みな
無かったことにしたいと思う。
おやすみなさい。
法律上だけ夫の他人さん。
〝空と君との間に〟
最近聞き出したラジオから流れてきた。
♩ 君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる〜
…胸に突き刺さる。
私は生涯こんな人に出会うことはない。
夫はそういう人間では無い。
悪になって欲しいわけでは無い。
彼は悪になるどころではなく、味方にすらなってくれないのが痛いほどわかっているからつらいのだ、哀しいのだ、寂しいのだ。
私が悪いなら、味方になって欲しいなどと思ったりはしない。
むしろその正しさにありがたいと思う。
…彼は私が正しかろうと、それをわかってもなお、その対象が親であれば、正誤も善悪も無く、親につくのだ。
何度離婚の危機を迎えただろう。
せめて彼が私の心に寄り添ってさえくれれば、くれていれば、未だ癒えない心の傷を抱えることもなかったし、
亡くなってなお恨み憎む存在は居なかったであろう。
許せないと思う気持ちを抱える自分を責めることもなかっただろう。
彼が定年を迎え退職する日が近づくと、耐えがたい日々が待っているようで涙が出てくるのだ。
離婚したいと思う。
彼もまた許せないでいる私。
何か変わるだろうか。
義母はもうこの世には居ない。
その墓を守ることも無く、仏壇を守ることも無いことには救われている。
…逆の発想をしよう。
お前は夫が笑ってくれるなら
悪にでもなれるか?
テレビのニュース報道を見て目を疑った。
耳を疑った。
それは。
障害のある生徒がトイレの個室に入るのを確認して、わざわざ追いかけ動画を撮影、しかもあろうことかSNSに動画を投稿して拡散したという、ありえない、考えられない行為を伝えるものであった。
併設する県立高校と特別支援学校、併用するトイレで起こったことのようだ。
人を人とまったく思っていない。
こんな人権感覚が欠如した行為は犯罪でしかない。
いじめなどという括りで対処・対応すべき事案ではない。
対象とされた被害生徒はそれ以降登校できずにいるという。
その心情を思うといたたまれない。
なんのためにトイレは個室化され、施錠ができる環境にある?
現在いじめ重大事態として認定されているというが、もはやそのようなレベルの話ではないと私は思う。
私のように法的に無知な人間は、時々ハムラビ法典を、とすら思う。
加害者の生徒は
「以前イヤなことをされたから」と言っているとかいないとか。
ならば自らが犯したことがどんな事かを体験してみたらいい。
…私は過激な発言をしているのだろうか。
そうかもしれないが、それを撤回しようと思えない。
「お風呂出たよー」
お風呂の前で大きな声で。
今の時刻、一軒家とはいえ、こんなぼろ家、ご近所に丸聞こえだというのに。
常識もない。
真夜中でもお風呂で歌を歌う。
咎めると
「島分の家の風呂で歌を歌ってなにが悪い!」
ご近所に迷惑だといえば、
「そんなことは知ったことはない。ここは俺の家だ」
私はいまだにレスキューの薬が効いてくれず、食事もとれていないというのに、風呂に入れと?
この異常なマイペースと異常な頑固さは、…認知症ではないだろうか?
若年性の認知症ほど悲劇的なものはない。
体力があるから…。
いろいろ困ったことばかりだなぁ。
…気圧配置がまた大変な事になってるんだろうな。
そう体感した。
十四時くらいから悪化の一途をたどる呼吸苦。
夫が帰宅した頃にはレスキューを使っても効いてくれず苦しかった時だった。
彼は…。
彼はたまたまついていたテレビを見て、全身を大きくゆすって、
…踊った。
苦しんでいる事には気づいていながら、まさに目の前で平気で踊ったのだ。
私は…この人と生涯共に生きなければならないのだろうか。
これは一体何の罰なのだろう。
離婚には応じないが、もはやそこには人としての最低限の優しさすら無いというのに。
イルミネーションでも有名な栃木県の足利フラワーパークがある。
足利市にはよく行くのだが、このフラワーパークには実はまだ一度も行ったことがない。
夜のイルミネーションも、藤の時期も、人混みがきらいな夫婦はいまいち重い腰が上がらないのだ。
今年一歳になったばかりの孫はもうすでに私が知っているだけでも2回も行っているというのに、だ。
送られてくる写真を見るとそれはそれは綺麗なものだ。
ちなみに息子の住むところより、よほど私の住むところの方が足利市に近い。
「どうする?行ってみる?」
と言ってみた。
「うーん、寒いしなぁ」
今冬もデビューには至らないようだ。
現在の時刻23:37。
三十分以上前から、お向かいのお宅の方から結構大きな音がする。
何をしているかはわからない。
音としてはドリルで穴を開けているような?
一昔前のケルフィヤーを使っているような?
植木の剪定用のトリマーを使っているような?
まぁありたいに言えば不快である。
しかも明々と、煌々と
電気をつけて磨りガラス越しに見るとはなく見える感じでは、な、なんと家の前の公道も一部使っていそうだ。
非常識にもほどがある。
まぁ、いつものことと言えばいつものこと。
こんな時刻に爆音の外車をかなりの時間をかけて、それこそ二十分以上暖機運転し、その後凄い勢いで走行して行くのだ。
もちろん午前様と呼ばれる時刻に同様の音をたてて帰宅する。
その外車、アストン○ーチンとかいう車は自慢の車らしいが、周りに住む家は迷惑でしかない。
まだ音は続く。
病院で扱う公的な、健診や予防接種などのチケットが、シール化されていることがある。
しかももうかれこれ十年以上経つかもしれない。
この〝シール〟という言葉を医療の現場で聴くと、なんと煌めきが失われた、魅力のない言葉に変化してしまうのだろう。
〝シール〟であることになんら間違いはない。
現代の子どもはシールなどではあまり心をときめかせることなどないのかもしれないが、私の子どもの頃などはそれこそたった一片のシールにすら心をときめかせたものだ。
握りしめた硬貨で1シートのシールを買えたときの幸福感といったらなかった。
大人になり、その大人という年代を重ねると、あんなに煌めいた感情を抱くことなどほとんどなくなってきてしまっている。
いやいや。
いつになっても、いくつになってもきらめきやときめきは大切。
まぁ、シールにときめくことはもう無いであろうけれど。
むしろそうなったら危険かもしれない。
左手の指の付け根の結構なかゆみで目を覚ます。
昨日の夕刻より嘔気・嘔吐があり、食事もとらずに薬を飲んだ。
気づくとおでこもかゆい。
じんましんか?
目を覚ますほどのかゆみは目を覚ましたことで余計に痒い。
痒み止めをつけよう。
付けてすっかり目が覚めた。
キーン
あ、蚊?
蚊なのおぉ?
いくら昨日が暖かかったとはいえ、もう十一月だよ?
はあぁぁ。
台風、気圧の変動の影響をもろに受けるのをイヤというほどに体感するようになった私。
それでもこの歳を迎えるまで定期的に受診を必要とすることもなく、薬を毎日飲むこともなく過ごせたことには感謝しかない。
昨日は酷かった。
特に夜になって酷かった。
食事も摂れず、レスキューを使ってもなかなか効果が現れなかった。
そんな体調が悪いと言いながら、ゴジラを観られているのだから、まだまだ軽い方なのだなぁ…などと思いながらも。
それでも少しづつ、内服した薬やレスキューの吸入が効いてきた。
ゴジラの中盤は結構呼吸の楽な状態で過ごせた。
ならば食事をしろよ、と、自分でも思うのだが、それは無理だった。
そしてゴジラで何度か目の大きな見せ場が訪れた頃、また呼吸が苦しくなってきた。
…そう、今日はずっと呼吸の閉塞感が続いていたのだ。
すぐに救急で受診するほどではないが、もはや万策尽きたというのに酷くなってきていた。
「あ、台風は?」
接近してる?
「温帯低気圧に変わったみたいだよ、徐々に落ち着くんじゃない?」とは夫。
そっか。
朝。
少しだけ楽になった。
…少しだけだが。
テレビをつけた。
記録的短時間大雨警報で避難指示が出ている地域が?
温帯低気圧になってもこれほどの影響が…。
該当される土地に住まわれる方々のご無事を心よりお祈り申し上げます。
ゴジラ-1.0のタイトルに付けられた-1.0には、
『戦後、無(ゼロ)になった日本へ追い打ちをかけるように現れたゴジラがこの国を負(マイナス)に叩き落とす』
という意味をもたせてあるのだという。
まさに、意図したとおりつくられてました。
完敗です。
脚本も
構成も
出演者さんの演技も
全てが相まってまさにパーフェクト。
戦争の恐ろしさ、虚しさ。
戦争によりもたらされるトラウマ。
苦難。
助け合い。
復興。
それをまた恐怖のどん底に陥れるゴジラ。
そしてまた自己を犠牲にしても戦い抗おうとする人々。
最後に浜辺美波さんが演じた典子さんが生きていたことがわかってホッとした後に、仕掛けられていたゴジラの胎芽を見させられる。
ゴジラ-1.0の〝-〟よりもある意味恐ろしいものが
あの、Gの字に仕込まれていたとは。
二人の主役級の俳優さんたちがともに出演していた朝ドラと、同時に撮影が進行していた、であろうゴジラを、
気持ちの整理がつかないからと、観に行かなかった私。
…行ったらもっと怖かったな。
今日は新幹線の中で、通路を隔てた隣の席に素敵な男性が座られていた。
先に座られていた方と合流されたようで、ずっと終始笑顔で語られている。
お若い方とお見受けされるのにお顔に笑い皺が深く刻まれるくらい。
ずっとそうやって笑顔で、そして周りも笑顔にしてきた方なのだろう。
走る新幹線。
あっという間に街が流れ去り、あっという間に新たな景色をその窓に映し込んでは、またあっという間に流し去らせる。
「もうすぐでそっちの窓に〇〇城が見えてくるよ」
そう小さく話しかける夫。
私が失礼にはならないくらいに身を乗り出すようにして、そちらを見ると
「ああ、〇〇城ですね。うんあれは美しいお城ですものね」
と私たちにも笑顔を見せて話してくださる。
「騒がしくしてごめんなさい」
というと
「旅は楽しんだ方がいいですよ、一緒に楽しみましょう」
とおっしゃってくださった。
この方は食べることもお好きな方のようで、お弁当を二つ、その他にお好み焼きをお持ちになっておられた。
それを一度に食べるのではなく、少し間をあけては食されていた。
その度にお箸を両の手に挟んで、小さく手を合わせ、にこっと笑って
「いただきます」と頭を下げる。
その姿のなんと可愛らしくて尊いこと。
降りる時にも周りの方に頭を下げて、
「どうも」
と挨拶をされていた。
また一つ素敵な出会いをいただけました。
旅先はどこも外国からのお客様たちでいっぱいだ。
朝食のあとのコーヒーをと、席を立ちコーヒーをおとしていると、笑顔の素敵な、栗毛色の巻き毛のチャーミングな女性が声をかけてきた。
「あ、コーヒーの落とし方わかりますか。私にも教えてください」
なんて流暢な日本語であろうか。
きっと日本を愛してくださり、一生懸命日本語を勉強して訪れてくださったのだなぁ。
コーヒーのマシーンの使い方を教えている私の方がよほど片言の日本語な気がする。
ずっと目を見て、そして笑顔で話してくださる彼女に、笑顔の花束をいただいたような気がするくらい、心が晴れやかに、幸せな気分になれた。
この日はもうここを後にして、横浜に向かうのだと彼女。
「もっとここにいたかったの」
と心から残念そうにおっしゃっておられた。
「横浜もとても良い街ですよ。よい旅を」
と言うと
「そうよね。あなたもいっぱい楽しんでくださいね」と。
ところが。
その後もまたホテルの中で、そして駅でも、偶然彼女に会えた。
彼女も私に気づいてくれてまた一言二言話して別れた。
もうこのあとは一生涯お会いすることはできないのだろう。
それを思うと寂しさをすら感じる、本当にチャーミングな女性だった。
まさに一期一会。
貴女のおかげで良い旅の思い出の一ページが増えましたよ。
ありがとう。
今日も同じ空の下、です。
電車での移動はほとんどと言って良いほどない。
電車どころか公共交通機関の利用もほぼない。
典型的な群馬県民だ。
これは行政にも責任がある。
公共の交通機関がもはや異常なくらいに整備がなされていないのだ。
まぁ、それはさておいて。
そんな私が大きな荷物を持って電車に乗り込んだ。
空いている席から笑顔で
「ここが空いていますよ」とお声がけくださった女性がおられる。
その隣の女子中学生も同じように笑顔で私を見上げている。
お二人はたまたま電車で隣の席となっただけのようだ。
優しい人たちだ。
娘に譲ろうとするとまた違う席から声がかかった。
「こちらをどうぞ、私が席を移りますから」
と、前の席に移動してくださった。
男の方の隣、斜めに座られていたのでそうした距離感を望んでのこと、であったであろうに…。
ありがたい、なんてあたたかな人たちばかりであろう。
ありがとうございます。
それもあって本当に良き旅となりました。
ゆるやかな傾斜の続くステーションビルでのこと。
車椅子の方がその上り坂ぎみの道をそうこうされていた。
歩いているとさほどでもないこういうゆるやかな傾斜も車椅子の方や、足の不自由な方には結構な負担になる。
上りも、そして下りも。
慣れておられるのだろう、普通の顔で走行されていた。
と。
うしろから来た青年が横から声をかけた。
声までは聞こえない。
そのすぐあと、車椅子を押しはじめた。
ああ、ありがたい。
車椅子の男性も嬉しそうに笑顔ではその青年と話しておられる。
良いな。
こうした人の、さりげない優しさにふれるととても幸せな気持ちになれる。
ゆるやかな傾斜が終わると車椅子の男性が
「ありがとう、もう大丈夫です。本当に助かった、ありがとう」
とおっしゃるのが聞こえた。
「よろしければまだお手伝いできますよ」
と青年がこたえる。
「ううん、もう大丈夫、ほんとありがとう」
にこやかに笑顔でこたえて二人はわかれた。
私からもありがとう。
車椅子の方へのやさしさと、
私のこの心の暖かなときを。
…ここ一週間で震度3以上の地震が3回起きている。
震度からいうとさほど大きなものではないが、特に十三日のものと先ほどのものは、茨城県南部が震源地、内陸で起きているものだ。
十四日にもやはり震度3の地震があり、これは千葉県北西部が震源でやはり内陸が震源だ。
まあ、私にわかっているのはこれだけだし、これ以上の考察などは到底できないものだが。
群馬県では板倉町が震度3であったようだ。
この板倉町には雷電神社がある。
板倉町の雷電神社は雷電神社の総本社格であるが、ここは地震除の御利益もあるとされる神社だ。
御守りや御札もあるが、なまずさんとよばれる石像が祀られていて、撫でると地震を除けるとされている。
雷電神社の宮司さん、どうかなまずさんをいっぱいいっぱい撫でてくださいな。
新しい朝の連続テレビ小説が始まってしばらく経つが、毎日思うこと。
橋本環奈さんの高校生ぶりの完璧なこと、完璧なこと。
まーったく違和感がないのだ。
こまい身長もあるかもしれない。
童顔なお顔もあろう。
大人になってからの演技が放映されるころ、その答えは出るであろうが、演技力もあるであろう。
こんなに違和感のない高校生時代を演じる人を初めてみる。
…まぁ、今までそんなにドラマを観る余裕のない生活を送ってきていたので、それを語るほどのものをもってはいないのだが。
私は夜中の地震の直前に目を覚ますことがよくある。
もちろんただ単に偶然、途中覚醒するだけである。
ただそういったことが確かに何度も重なっていることも事実である。
今日の地震もそうであった。
そして夫は震度2くらいの地震では目も覚まさない人間で、朝起きて地震があったといったことすら信じてもらえないので、そんな偶然についても語ったことはない。
レプリコンワクチンであちこちで大きな騒動を巻き起こしているようだ。
そもそもかつては日本の予防接種って、海外で認可されて初めて認可するようなものだったのに、今回のこのワクチンは日本のメーカーが開発し、日本が世界に先駆けて認可したものだ。
世界中を恐怖に陥れた新型コロナウイルス感染症により、ワクチンの開発が急がれ、治験も無く、直に打たれる…、国民に接種しそこからデータをとるような形となり、それがワクチンの開発にあたる界隈では当たり前なものとして認識されたいったのだろう。
治験だってそこに人がいる。
人の心まで病ませた新型コロナウイルス感染症。
私は他の感染症と同様な感覚で受け入れるにはまだまだ時間を必要とする。
昼からのテレビでぽかぽかというものがある。
特に好きな番組ではない。
MCの三人も好きなタレントさんではないし、内容がどうも思いつきで採用された案をぶっつけ本番でとりあえずやってみている感が私にはどうしてもいなめないのだ。
そんなぽかぽか、今日は投扇興をやっていた。
また何か新しい競技をと思いついたのであろう。
そこで気になることがあった。
参加者のほとんどが靴を脱がずに座布団に座るのだ。
生放送だから時間がかかることを考えて、なのか?
ブーツの方はたしかに脱ぎ履きが大変ではあろう。
お座布団も靴が当たれば傷むし、洋服に靴がつく。
何より作法としてどうかと思った。
そんな中、岩井さんという人物は靴を脱いで座っていた。
しかも座布団の真横とかでなく、離れた位置に靴を揃えて脱いでいる。
座布団からの距離も隣とかではなく、数歩歩いて座るくらいに離れておいている。
こうしたところに生きざまがあらわれる。
育ってきた歴史があらわれる。
好きなタレントさんではなかった。
でもこうしたことで彼をとても見直したのはたしかである。
今年五月、群馬県の国道で三世代の親子三人が死亡した事故を覚えておられますか。
テレビで大変痛ましい映像が流れました。
対向車線に飛び出したトラックに正面衝突され原形を留めないほどに大破した車。
投げ出された子どものおもちゃ。
しかもこの事故を起こしたトラック運転手からは基準値を超えるアルコールが検出され、さらに驚くべきことに、乗務前の呼気検査ではアルコールは検出されていなかったという事実。
つまりこの、トラック運転手は、
トラックの運転を生業とする、いわゆるプロのトラック運転手は、検査をクリアしたのち、飲酒してトラックを運転業務についたのです。
亡くなってしまった三人の尊い命は戻らない。
当然この事故は危険運転致死罪になるであろうと誰もが思ったと思うのです。
が。
起訴内容は過失運転致死罪。
運転直前の飲酒、アルコール反応。
後続していた車のドラレコには急加速や蛇行の様子が残っていたりとしてて、
それがなんで、過失だって言うんだよ!!
ご遺族はさらなる悲しみ、さらなる怒りに襲われながら、今、起訴罪名を変更してほしいと活動されています。
義父、夫、息子亡くされた女性は、失意の中出産され、乳飲み子を抱え、苦しみながら訴えています。
ネットで、デジタル署名ができるようです。
ご賛同され、可能な方はご協力ください。
私は直接署名に行きます。
昨日に続いて雨。
しかもどしゃ降り。
しかも昨日よりも10℃近く寒い。
…このくらいでどしゃ降りという表現を使ったら申し訳がない気がする昨今ではあるが。
とりあえずこんな天候だと喘息がでてしまいきびしい。
朝食後に飲む薬を飲んで、朝食後の吸入を施しても楽にはならない。
レスキューの吸入、だな。
このような天候の中、長いこと仮住まいを続けておられる被災者の方々のご健康をご祈願申し上げます。
決して秘密にしていたわけではない。
ふなっしーを見かけること自体がほとんど無くなってしまっていたから、であって、私の中のゆるキャラナンバーワンは、そう、誰あろうふなっしーなのだ。
ゆるキャラ人気自体がゆるくなったのだろうとは思うが、それでもついこの間、群馬県の県庁には全国のゆるキャラが集結したようだ。
(昨年もだった気がする)
そんなゆるキャラ好きな群馬県民(?)。
群馬県にぐんまちゃんというゆるキャラがいて、各市町村にも結構ゆるキャラが存在しているようだ。
しかし。
私のハートをとらえたのはぐんまちゃんではないのだ。
ふなっしーなのだ。
まぁ大人なので、かつてあったというふなっしーランドなるものには流石に行きはしなかったが。
何を朝からふなっしーで一人盛り上がり騒いでいるかというと、あるペットボトル飲料のCMにふなっしーが採用されて放映されたものを観たから他ならない。
やっぱりふなっしー人気は続いていたのだな、とドキドキワクワクしているおばさんが一人。
明日からこの時間にはふなっしーに会えるのだ♡
朝から胸がいっぱいだ。
虎に翼が終わるから、ではない。
…確かに始まる前まで、すでにロス感が半端ない自分がいた。
そうではない。
尊属殺人について、全身全霊をかけ弁護にあたる弁護人二人、弁護士『山田よね』さんにだ。
一言一言に、心打たれ、正座して、指を握りしめる自分がいた。
このドラマに出会えたことに感謝している。
この山田よねさん役の『土居志央梨』さんの演技力にも感動した。
普段の可愛らしさ、声色まで異なる。
可愛らしい土居志央梨さん。
またそのお姿を拝見したい女優さんだ。
六曜…、大安とか友引とかいう記述のあるカレンダーをお持ちでしょうか。
かつて自スレで一度書いたのですが、今日は何にあたるかご存知ですか?
…仏滅、なんです。
なんだ縁起でもないと思われたらごめんなさい。
実は十五夜は暦の上では〝必ず〟仏滅にあたるのだといいます。
初めてそれを知ったとき、素直に信じられずスマホで何年か分の十五夜を確認した私でありました。
何年か分ではありますが、確かに『仏滅』があたっていました。
まぁ、それが書きたかったわけではなくて。
うさぎの画像を貼り付けたくて。
それがメインでありました 笑。
今日は中秋の名月、十五夜です。
義父に教わった〝片見月〟がイヤだからともう長いことお供えせず、ただ空を見上げお月さまを愛でているだけの私であります。
ススキが手に入らなかったことも原因の一つでもありました。
『方見月』とは十五夜、十三夜のどちらか一方の月しか見ないこと。
『十五夜にお供えをしたら十三夜の月にもお供えしないと縁起が良くない』などといわれるのだといいます。
私のようなうかつ者は単に忘れてしまうこともあります。
(ならば十五夜、中秋の名月もお供えせず、お月さまを見上げて感謝するだけにしよう)
…なんと自分に都合よく解釈する人間でしょう。
そんな十五夜。
日本の国ではお月さまでうさぎが餅を搗いているという民話が伝わります。
家には子どもたちが小さな頃、大切にしていたうさぎのぬいぐるみがいて、その子を未だに捨てることのできない私。
今日はそのうさぎのぬいぐるみを洗ってあげました。
バケツのお風呂に、おしゃれ着用の洗剤を入れて、赤ちゃんを洗うかのようにやさしく手洗いし、さらには季節限定の〝金木犀のかおり〟の柔軟剤で仕上げて。
これで今夜、真っ白になった身体で十五夜さんを見上げさせてあげられます。
虎に翼は若い人の間で『とらつば』と呼ばれ人気があるという。
とらつば?
略せばカッコが良い風潮なのか?
あ。トレンドって言うんだよな。
とらつばって…そぐわない?
わずか二文字略しただけなのだけれど、そうしたいんだ?
若者のことば、若者の流行り、理解できなくなったくらい歳をとったということ?
まぁ私は私。
今年は驚くくらいに桔梗が咲いた。
紫陽花は地植えのものですら暑さで葉を萎れさせているというのに。
娘にもらった鉢植えの紫陽花は、ご近所の方に
「過保護」と笑われたくらいに、日中の暑いさなかは家の中に避難させている。
そんな中、か細いくき、か細い葉なのに、暑さに負けず大きくなったサギソウがなんとつぼみをもった。
何年もお願いしても決して寄ってもらえずにいた川場村の道の駅に、息子のおかげでようやく行けた今年、買ってきたものだ。
そうそう、ネジバナが今年は二度咲きそうだ。
小さな小さな幸せだけれど、私にはちょうど良い。
三十℃超えはもう当たり前のよう。
朝起きた時からすでに三十℃を超えてさえいる。
八月だからなぁ。
真夏だからなぁ。
私が子どもの頃など、「今日は三十℃にもなった」
と皆で語り合うほどで、小学生はそれを毎日付けなければならない夏休みの宿題に記録したものだ。
異常な暑さは、異常な天候を産む。
というか暑さ自体が異常な天候か。
記録的短時間大雨特別警報やら…同じことなのかも知れないがゲリラ豪雨やら。
#にこの世の終わりとまでつけられるほどの集中雷雨。
竜巻警報が十数分ごとに送られてきたり。
しかもそれが一週間のうちに繰り返されたり。
…それでも季節は確実に移ろっている。
日の昇るのが確実に遅くなったし、なんだかんだで日の暮れるのも早くなってきている。
彼岸花が咲き始めている。
すすきが穂を垂らし始めた。
とんぼが飛び回る。
季節の移ろいはまだ日本にも訪れるようだ。
(続き)
とはいえ…いまと違って『ザ・先生』だったけど。
自分の感情で理不尽に怒ったり、地元の実力者の子供にあからさまな贔屓をする先生もいた。
いじめだって見て見ぬふりをした先生もいた。
泣きながら「助けてください」という声を無視してすぐそばを通り過ぎる先生。
人間不信という感情を教えてくれたのも先生だったの今思い出した。
でも。
中学の先生方は抜群のチームワークで、私たちによい学生時代を過ごさせてくれた。
五クラス一学年、午後の授業を全て課外学習と称して、
隣の学区の山まで歩いて行く、そんな突然のサプライズもあったし。
河原の土手を(勝手に)貸し切って、思い思いに過ごす時間を作ってくれたり。
男の子は走ったり、水面で石切りをしたり。
女の子は仲の良い子と土手の斜めの地べたに座って、歌番組のこと、ドラマのこと、好きな子の話、いろいろ話したり。
黙々と四つ葉のクローバーを探したり。
今の学校ではどれもありえないこと。
かけがえのない思い出である。
そんな良い経験をしてきた、思い出を持つ先生方が、今の学校制度の中で、許される限りの企画をしてくださっているのを、子どもたちの行事をみては、感じ、感謝したものだ。
そしてそれをまた、今、先生となったかつての子どもたちが、児童生徒に伝えようといろんなしがらみと格闘して子供の教育にあたっているんだよな。
ありがたい。
今私がいる部屋と、玄関の窓、玄関の戸まで開けて、ただ今三十一℃。
私が小学生のとき、決して友とは思えない【夏休みの友】なるオール科目の詰め込まれたドリルと格闘していた夏は、たしかに遠い昔であるけれど、
そのおぼろげな記憶をたどると、何の意味があるのか、毎日の天気と気温を書くものがあった(気がする)。
その気温、たしか「今日は三十℃あって暑かった」
「今日は三十一℃もあったので大変暑かった」
と書いた記憶がある。
蝉の声がして。
大人が気が向くと氷の入ったカルピスや、家の真ん前にあった和菓子屋さんから練乳がたっぷりとかかったかき氷をとってもらって、
(ああ、暑かったけどこんないいこともある)
なんて思ったり。
気がつくと畳の上で目を覚まして、(あ、寝ちゃってた)なんて思いながら、畳の匂いを楽しみながら、しばらくゴロゴロと過ごしたり。
学研の科学や学習の付録をいじったり。
小学館の学年雑誌をパラパラめくったり。
そうそう、学校のプール!
いまと違って毎日あったし、レベル別にしっかりとした指導をしてくださって、夏休み明けに行われる水泳検定でびっくりするほど級が上がってたな。
おかげで私はキロ単位で泳げる。
学年を超えて指導にあたってくださっていた、小学生時代の諸先生に感謝しかない。
こんな時刻に目が覚めた。
タイマーを使って電灯を消すので、常夜灯もつかない真っ暗闇だ。
何時だろう。
昨日一昨日と時間をかけて大がかりな部屋の模様替えをおこなったものだから、自分の部屋なのに旅のしとねにいるような感覚。
カーテンの隙間から明るい光源が見える。
あ。
お月さまだ!
まんまるのお月さまがちょうどベッドに座った目の高さにおられる。
ああ、なんて幸せな。
また、少し眠れそうだ。
今、山の中を散策すると聴こえる鳥の音が聴こえる。
あ、もちろん気のせいとかではない。
そして確実に近くから、ちゃんと鳥が鳴いている。
なんという鳥だろう。
そういう知識を持てる人になりたいと思うのだがなかなか険しい道のりだ。
録音してここで公開して詳しい方にお聞きできればと思うくらいだ。
擬音化するのはたいそう難しい。
きっと探せば音を録って検索すると鳥の名がわかるアプリとかもあるのかもしれない。
まぁ、あっても、私のスマホの契約ギガ数は最低限のものなので、外では使えないのであってもダウンロードすることはないのだが。
あまりにも近いためスマホ片手に外へと飛び出した。
その姿を撮ることができるかもしれない。
あ、いた!
お向かいの立派なナツツバキのてっぺんで囀っている!
写真は…無理だな。
せめてカメラを手にしてくれば違ったかもしれないけれど。
散歩されている方が少しだけ不思議そうに私を見る。
…もちろんちゃんとワンピに着替えてあります。
えっ?
年齢的にそのワンピこそが引っかかっている?
いや、私は私の着たいものを着る。
その姿が葉の隙間から見えている。鳩よりは若干小さいが、しゅっとしまった体つきだ。
色は…茶色?
あ、飛び立ってしまった。
朝のほんの五分たらずの避暑地気分。
良い朝となりました。
…という暑い日。
静岡市駿河区では 13:21現在、39.3 ℃を記録したようだ。
人生で初めてこれだけの熱を出した去年、頭痛がひどかった。
これが本体(人体)ではなくて気温。
しかもまだ七月始まったばかり。
群馬県も二市ランキングを果たしているが、まだこちらは平熱レベルだ。
これって、お見舞いを申し上げるレベルですよね。
暑い!
誰もが感じているであろう今日。
おまけに午前中ジムなどに行ってきたものだから余計に暑い…かもしれない。
生まれて初めてのジム、だから、その比較ができない。
とはいえ無理のないトレーニングくらいです済ませた、つもりなのだが…。
トレーナーさんがやたらとついてくださる。
放って置けないほどひどいのかもしれない。
受付で「初めてですっ!」とか言ってしまったものだから余計だろうか。
いくつかのマシーンを渡り歩いて。
隣の、同じマシーンを使う方からお声がかかった。
「これはどうやって使うものなの?」
…?
…いや、ちゃんと使いこなしておられるが?
これ以上の何を?
それはもうこのミクルの中の他スレの主さんにお聞きしていただきたいものだが、あいにくそうはいかない。
それなのでトレーナーさんにヘルプを願い出る。
よくよく見れば私よりだいぶお姉さまのよう。
お靴がトレーニング用ではなく、ご高齢の方が歩きやすさを求めて履かれる茶色い人工レザーの、スポッと履ける靴だ。
うーん、凄い!
よくここへ来て運動をしようと思われたものだ。
私など嫌々来ている。
娘に誘ってもらっている旅行で足手まといにならないためにとデビューしただけだ。
うーん見習わなくては。
…どうかな?
楽しかったけれど。
継続が力なのは知ってはいるけど。
夫の家はまさにこの頃の時代を今なお継続している。
民法改正以前の『家』だ。
新たな家長、長男は義母の死去する前に全額預貯金を自分の口座に移動していた。
…そうしたことができちゃうんだね。
銀行に勤めていると。
びっくりだけど、真実だから。
銀行って今さらながらまったく信用ならないな。
ダブルでチェックしないのかなぁ。
これじゃあ、横領起きるよな。
それって明らかに法に触れるはずなのに、夫は口を閉ざす。
ま、彼の遺産相続なのだから私は関係ないけどね。
形見分けも無く、勝手に義兄と義姉が金目のものを持ち去っていて、四十九日にはもう捨てるしかない家具と布団しか残っていない。
すげーな。
おじろく制度みたいだよなぁ。
そこまでではなくとも、近いものはあった。
義親の存命中にも感じてたけど、それはさすがに法が許さないと思ってた。
たしかにいつも黙る存在だった。
親が間違っていても、その味方につく存在だった。
親の過ちになど気づきもしない人間だった。
長男たる義兄が勝手に懐に入れた親のお金は、もう遺産とは言えないのだろうか?
今黙っていると取り分を本当に失うのではないか?
大丈夫か?
夫よ。
びっくりすることばかりの朝。
朝の連続テレビ小説のこと。
前作の主人公の名前が出たところからコラボはあるだろうと思っていたけれど。
茨田りつ子さんとくるとは。
これ、脚本家の方も、スタッフの方も、視聴者の反応想像して、さぞ早く紐解きたかった回だったろうなぁ。
その帰り道に見かけたカップルに主人公たちよりも視聴者の方が衝撃を受けたはず。
そ、そうくる?
そ、そんなぁ…。
母のはしくれである私、今、これほどないショックをさらにさらに噛みしめている。
大好きな母を裏切った父の愛人、お妾さんと、
唯一まっすぐに育てられたと思っていた息子が恋愛関係にぃ?
こんな展開、これ以上ない。
あー、これが女の世界かぁ。
ま。今も変わらないって言えば変わってない。
というかむしろやっぱりドラマ。
こんなドロドロした家族が、あんなにスパッと遺産相続問題解決しちゃうなんてありえない、ような気がする。
梅子さんのとった行動はむしろさばさばしていて尊敬する。
私なら二分の一相続できる権利を放棄しないなぁ、たぶん。
でも縁を切れる対価としたら安いものかも。
あー良いなぁ。
今まで観た朝ドラの中で一番好きだ。
でもできるなら優三さんにもっと生きてて欲しかったなぁ。
寝ぼけたままスマホを探した。
暗闇の中、時計を見ようと手にしたスマホの画面に、喧嘩している夫からLINEが届いていることを示すものがあることに気づいた。
…夢だった。
いつものように何事もなかったように、謝りもせず日々を送ろうとしている。
人は過ちを犯す。
だからそれを認めてちゃんと謝ればいい。
謝って済むことではないことなどなくはないが、それでも謝ることか第一歩だ。
男のプライド?
彼は今の時代においては化石のような存在だ。
プライドだけは高い。
口先だけ謝ることなどはもってのほかだ。
とにかく謝れないのだ。
私はそうしていつもなし崩しに許してきてしまった。
ねえ?
我慢ばかりだと心は壊れるし、ただただ私の我慢だけで許すということで崩れてきてしまった信頼や愛情というのは、その砦が決壊すればもう戻るのは難しいものなの。
夢、だった。
夢だった。
これは今現実に起きていることです。
ただ今の時刻は三時。
十五時ではない、さ・ん・時だ。
外からザッザッと音がする。
(なんの音?)
何か硬質な入れ物を移動する音も時々混じる。
ごぞぞ、ごぞごぞ。
…そ、掃除してるぅ?
世が世であれば今の時刻はまさに
『草木も眠る丑三つ時』だ。
ええっ?
…なんかヤバい病気を発症した?私…?
なおも音は続く。
少し水を含んだアスファルトを箒ではく音と、乾いたアスファルトをはく音と…。
怖いよぉ〜
怖いよぉ〜。
箒の音ではなくて、小豆をとぐ音?
いやいや妖怪ネタにして自分を誤魔化してはいけない。
あそこの家かぁ…。
こんな時刻に爆音を響かせてアメ車を転がす痛い大人が住んでいるのだ。
警察沙汰になるくらいの爆音なのだ。
でもなんで掃除?
掃除をしないことでも有名な人だ。
草がぼうぼう生えていてもクルマさえ走れば大丈夫、という考えの人なのだ。
なんだよぉ〜怖いよぉ〜。
ゴミ箱に(…私が想像するゴミ箱っぽいものに)ゴミを入れるような音。
箒の音が止んだ。
こんな時刻と思わない人種なのは知っている。
でも掃除もしない人種なのも知っているのだよ。
なんなのだろう。
窓を開けることなどできない。
ヤダヤダヤダ。
今度はホースで水を何かに掛けてる音がするよぉぉ〜💦
明日六月十九日は 作家・太宰治の
七十六回目の『桜桃忌』。
太宰の墓のある三鷹・禅林寺では
法要が催される。
私は中学・高校・大学と太宰が好きだった。
手に入れられる作品は全て持っていたし、何度も読み返した作品も多々ある。
娘の旦那さんがやはり太宰が好きで、しかも彼は筋金入りだ。
太宰治記念館の『斜陽館』に何度も何度も足を運び、館長さんに顔を覚えられていたくらいなようだ。
一度だけ一緒に行ったお母さんがあまりに親しげに話す二人にびっくりしたと話してくださった。
「太宰なんてねぇ、なんか暗いよね、大丈夫かねって娘と話したくらい」と一言。
…すびません。
わたしもそうなんですが…。
とはさすがに言えず。
何年か前のちょうど六月十九日に娘夫婦と会う機会があった。
だいぶ太宰熱は冷めてきていたようだった。
一抹の寂しさはあったけれど…。
彼のお母さまに言わせれば健全ということになるのだろうし。
私も…。
このコロナ禍をこえ、withコロナの時を迎えて。
物価の上昇とか生きづらい時となって。
太宰は少し重たくなっている。
あ。
でもですね。
明るい作品もあるんですよ。
ええ。
ただ暗い作品ばかりを好んで読んできた私は、こんなどんよりとした薄寒い日には、ちょっとな〜って思う。
思うようになった。
今朝何気に使った食器。
スプーンがあたると、まるで風鈴の音のように軽やかで爽やかな音を奏でることを、初めて知った。
これは嬉しい。
これは楽しい。
食事が楽しくなる。
えっ?
音を立てて食事するのは品がない?
安心してください。
元々品がありません。
…いいのか、それで?
少し前、雨の音で目が覚めた。
あっ、娘からもらった紫陽花が!
多少の雨ならよいのだけれど、なにやら強い雨になるとか夕方のテレビのニュースで言っていた。
むくっ、と起きて玄関へ。
内心こんなことで真夜中に起き出すなんてちょっとした馬鹿だよな、と自分で自分を笑う。
でも大変な思いをして働いたお給金で買ってもらったものだから…。
しないで後悔するならば、今移動した方がいい。
炎天下で葉が萎れると、慌てて玄関の中に紫陽花を移す。
日に何度移動されているというのだろう。
多少背中を濡らしたものの、無事に軒下に移動した。
安心したのと、(こんな夜中にたかが紫陽花の花のことで雨の中鉢を移動するなんて、なかなかいないよな)と自嘲しつつ、ふとんに戻る。
ダーっ!!
すっごい音だ。
よくバケツをひっくり返したようなというが、そんなじゃない、
まるで洗車機だ。
よかったあぁ♡
雨で枝でもおれたら大変!
(…と、これは2時くらいのこと、投稿せずに眠ってしまっていた。今は雨音すら聞こえない)
本日の今の時点での全国の気温を見てみた。
1位は群馬県の桐生市 35.4 ℃
2位も同じく群馬県前橋市 35.3 ℃
5位にも群馬県高崎市、6位にも群馬県 伊勢崎市。
気温の高い順で群馬県がトップクラスを占めている。
…熱いはずだ。
メダカの日除けをするため外に出たら、外に出ただけで皮膚が痛い。
今までの暑さではずっとケロッとしていた紫陽花の葉がしおれている。
それだけ熱いんだ。
まだ六月のそれもようやく半分来たとこだぞ。
外から工事なのか、大きな金属を落としたような音がする。
ビスを打つ音もだ。
外での作業をする人、
車で移動しては停めて、熱くなった車内に戻ってまた移動する仕事の人、
これは恐い熱さだ。
暑さ、なんて言葉じゃない。
レモンバーム。
ちょっと調べてみたら、なんと、挿し木ができるようです。
レモンバームの茎を7〜10cmほどの長さで切り、下の方の葉を落とします。切った茎は水につけておき、根が生えたら土に植え付けるのだそう。
その他にも株分けもできるのだとか。
レモンバームの根元を掘って、優しく引っ張って自然に分かれそうな場所をハサミで切り分けます。ひとつの株に茎が数本ずつになるように根を分けるとよいそうです。
し・か・も。
記憶力を高める効果もあるとされ、認知症予防としても期待されているのだとか!
鎮静・鎮痛効果もあり、ドイツでは神経性不眠症や消化器系にも有効だと正式に認められているほどなのだそうです。
素敵♡
知らずに育てていたし、知らずに飲んでみてもいたけれど。
これからは毎日かかさず飲もうっと。
そのほかに発汗作用、抗菌作用、消化の促進や、
肌をきれいにしてくれる✨、
といった効果があるとされていました。
それからレモンバームの精油には虫の嫌いな成分【シトロネラール】が含まれており、虫除けとしての効果も期待できるそうですよ。
葛の花ティーのことを書いていたら、庭のレモンバームを思い出した。
そうだ、レモンバームティーにしよう。
庭に行って何枚か葉っぱをちぎって、カップに入れて。
お湯を注いで少し待つ。
レモンに似た爽やかな香りがかすかにひろがる。
レモンバームティーは爽やかで、庭から摘んできた葉っぱにお湯を注いだだけのものとは到底思えない。
爽やかで上品で、大好きな飲み物だ。
去年何かのかげんで絶えてしまったレモンバーム。
ハーブの売り出される時期を狙って買ってきた二代目だ。
そういえば。
ハーブティーだから、何か効能もあるのかも。
調べてびっくり。
『レモンバームは神経系に働きかけて気分を落ち着かせる作用があるため、神経の緊張からくる不安や不眠、パニック、ヒステリーを抑える効果が期待できます。抑うつ状態を改善する作用があるため、気分が落ち込んだ時や意欲が低下した時などにもおすすめです。』
お腹の不調にも、生理痛にも効くのだとか。
これは!
生理痛のつらい娘に勧めよう。
だけど…。
もうハーブ、売っていないかも。
朝の連続テレビ小説。
思わぬ再会を果たした、主人公の寅子とかつての恋仲にあった花岡。
昔のようにお弁当を並んで食べて。
戦争の終わった時代を形こそ変われど、また歩み出すのだと思っていたのに。
花岡の死。
しかも仕事上、闇市で売られた食べ物を拒み続けての餓死。
歴史の授業で戦後そうした死を遂げた方がおられたことをまなんではいたが…。
でも、ずっと登場せず、生きていてほしいと願っていたよねと轟が登場したことに少し救われた。
もう、今までで一番のめり込んでいる朝の連続テレビ小説である。
このドラマ、主題歌はあるのだが、私の心の主題歌は
🎵うちのパパとうちのママが並んだ時〜
である。
…でも。
もう、どのパパとママも並べなくなってしまった。
運動嫌いな私だが、動けなくなるのも困るし、ボケるのもこわい。
まぁ、ボケているのはもうすでにかなりなレベルな気がするが…。
そんなわけで散歩を始めてしばらくが経つ。
主に民家の生活道路を通って、上り坂あり、階段あり。
何より時期の花々がいろいろな彩りを添えてくれる。
歩きながら手の運動も加える。
そんな散歩道。
高台から大きな葉、太い蔓が伸びてきている。
まるで妖の世界にでも誘うかのように感じる。
これは葛。
もう頭を撫でようとするもの、足を掴もうとするもの、かなり人の歩く道を侵食してきている。
この花がまた見ようによってはグロテスク。
だがどうやらこの花、湯呑みに入れてお湯を注いで飲むと美味しいらしい。
葛根湯と呼ばれる根をもつ植物、健康にも良いらしく、あの水戸黄門も好んで飲んだとか。
よしよし。
花が咲いたら摘んでこよう。
犬のなにぞのかかっていない、人さまの土地のものでないものを。
また、耳を疑う事件が起きてしまった。
わずか二歳の男の子の首が人の手によって切られ、しかもそれは保育士の犯行だったという。
胸が痛むばかりだ。
なぜ?
なぜ。
私はその事件を今朝のニュースで知った。
どきどきが止まらない。
二歳の男の子。
まだまだ大人が抑えれば、全身を抑えこめる小さくて華奢な身体だし、そのクビはか細いものだ。
その後、現場は園の玄関であったという報道がなされた。
もう人目すら気にしないほど、そうした行為に走る精神状態だったということか。
怖い。
二十一歳、まだ資格を取ってそう経験も積んではいない。
追い詰められたのか、
もともとそうした欲求のある人物であったのか。
怖い怖い。
この先この子は何を信じて生きていくのだ。
二歳児、大きな記憶はしっかりと残る年齢だ。
あの日以来、燕が全く来ない。
わが家へ、ではなく、近所を飛びまわる姿も、鳴き声もパタっと止んでいる。
自分のそばに来なければ、…いや違うな、自分めがけてさえ来なければ、嫌いも苦手もない。
ちなみに恐い苦手くらいなので、追い払うことなどできやしないので、
そういったことは一切していない。
でも。パタっと来ない。
近くの空を一羽も飛んでいないのだ。
それを夫に言うと、
「お礼を言いにきたんじゃない?」
そうか。
良いこと言うじゃん。
はて?
なんのお礼?
わが家は花が多い。
当然それに群がる虫もいるし、土があるので地を這う虫もいる。
それ?
それとも…来年はここに巣を作るぞって、最後にマーキング(鳥が苦手なので、鳥の生態が全くわからない。マーキングができるか、するものなのかもわからない)に来た?
そういえばその何日か前から、花の多く咲く庭の、すぐそばの軒下に、何をするでもなく、とまって佇んでいた。
まるでその姿はくつろいでいるかに見えた。
えっ?
ら、来年の予約〜っ?
ぜひやめていただきたい。
そんなことを打っていたら、玄関先から元気な元気な燕の声がする。
…燕は戻ってきた。
(〝燕は戻ってこない〟をもじっているつもりの〝哀しい〟おばさん)
二階に備蓄しているペットボトルを取りに行っていたとき、あのアラートが階下から鳴り響いた。
そのときスマホは台所のテレビの前、階段からはかなり離れたところに置いていた。
(こんなに聞こえるんだ)とあらためて思ったものの、煮込み料理をしておりガスの火がついている。
今後に起こるかもしれない大きな揺れに注意を払い、気をつけてきをつけて階段を降りた。
夫が台所の入口でオロオロしている。
「ガスを止めないと」
…入口で言っているだけでは止まらないよ。
ところが、だ。
口頭で「電気をつけて」というと音声で付けてくれる電灯は、あのアラートの音に反応して電気をつけたらしい。
賢い!
なんと賢いのだろう。
これからただただボケていき、身体も動かなくなるばかりの私ども。
電灯にこんなありがたい機能が搭載されていようとは。
思わず拝んだ。
ありがとうと声に出して言っていた。
八千円もしなかった電灯だ。
新しいものを取り入れていく柔軟性だけは失わずにいなければいけないな。
まさに世間一般か目覚めの頃、あのJアラートが鳴り響いた。
急いでテレビをつける。
ああ、また能登か…。
五ヶ月が経ったというのに、現地ではまだ復興どころか倒壊した建物の撤去も進まず、ライフラインすらが復旧していない所があるという地に。
彼の地の方々は、遅々のして進まない復興にも負けることなく、前に進もうとしておられる、そんなさなかであるというのに…。
それでもニュースによると、今のところ火災の発生もないようだといい新たな倒壊等の情報も聞こえていないという。
少しだけ、ほんの少しだけホッとした。
取り急ぎ、心よりお見舞い申し上げます。
六月二日は、
おむつの日、
オムレツの日、
甘露煮の日、
日本重症筋無力症の日、
無痛分娩を考える日、
横浜港開港記念日・長崎港記念日、
横浜海軍カレーの日、
ローズの日、
ロープの日、
・
・
などなど実に二十ほどの〇〇の日であったようです。
この中に
〝裏切りの日〟というものがあって、ドキッとしました。
えっ、なになに?
あっ、本能寺だ!
天正十(1582)年(旧暦、になりますが、ね)、本能寺の変で、織田信長は明智光秀に裏切られ、本能寺に宿泊しているところを襲われ、自害した日とされる日でありました。
たしかにそういわれればそうですが、このネーミング、ブラック(ユーモア)というか、なんというか。
横浜はあいにくの大荒れの天気となってしまったようですが、待ちわびる観衆にこたえるように、たくさんの花火があがり、ドローンによるショーも繰り広げられたとか。
そう、こういう明るい話題が良いですよね。
忘れてはならない負の出来事も記憶するため記念日とするのは大切だと思っています。
でもなぁ…。
〝裏切りの日〟はなぁ…。
(続き)
追記するならば、この雨水は晴れたら速やかにメダカの替え水にしたり、植木鉢の花たちにあげている。
出来るだけ速やかに。
…溜め水には蚊が子を産むのだ。
名も書けない、書きたくないくらいに嫌いな蚊の子供が産まれてしまう。
それこそほんの少し水が溜まっているだけで、だ。
蚊も嫌いだが、蚊の子供はもっともっと嫌だ。
自分とて自然界の生き物のひとつだというのに、やたらと好き嫌いを言う。
来世は我が身かも知れないというのに…。
あ、また燕が玄関に戻ったようだ。
泣。
(続き)
話を少しもどす。
そうそう、昨日天気が良かったものだから、雨垂れの落ちるところにバケツ置いていないことを思い出した。
口をすすいで、顔を洗って、外に出る。
雨音通りの降りっぷりだ。
空を見上げる。
まだ暗い。
いや、この時刻には大抵起きているので、今日は厚い雨雲のために暗いようだ。
メダカを軒下から出していると燕の声がする。
声の方に目を向けると電線に燕がとまっている。
(こんな強い降りなのに…。全身ずぶ濡れで大丈夫なんだ?)
思えば昨日、うるさいと思うくらいに庭や、庭や玄関の軒に、燕が来ていた。
そうしてみると、今日の雨の予報をしていたのだろうか。
そんなことを考えていると、玄関の軒下にいる私に向かって燕が飛んできた。
やめてくれ〜っ!
…私は鳥が苦手なのだ。
あわてた私は玄関の戸を開けて急いで中に逃げ込んだ。
雨水を受けるバケツの設置にも行きたいのだが、燕襲撃のショックでなかなか外へと出られずにいる。
…別に向かって飛んできただけだ。
羽が触れたわけでもなければ、つつかれたわけでもない。
鳥の苦手な私にはそれでももう充分〝襲撃〟なのだ。
玄関にはいなくなった気配だ。
出るか。
…いや、今から向かおうとしている庭にいる。
燕の鳴く音はまさに庭からのようだ。
うーん。
目が覚めると、結構な雨音。
いや、もしかしたら雨音で目が覚めたのかもしれない。
ケチケチ生活を送る私は雨水をバケツに貯めている。
が、もちろん、大掛かりに雨樋から大きなバケツに雨水を貯めるような手の込んだことをしているわけでは無く、普通のバケツを雨垂れの多い場所にポンと置くだけだ。
若い頃は貧乏暮らしを脱却したいと思っていたものだが、染みついた貧乏はどうやらなかなか抜けないらしい。
加えて貧乏性というか、ケチケチ感覚・ケチケチ精神、良い言葉で言えば節約精神は抜けないどころか、さらに研ぎ澄まされるもののようだ。
…といっても、反面物欲も強くてすぐに無駄遣いはするし、美しいシンプルライフにもほど遠いし、傷んだ洋服を綺麗に直すことも苦手だ。
さらには先人のように不要になった肌着とかを切り裂いて紐を作るとかは、無い。
それで作った草鞋は履き心地が良いと聞いても、貧乏を厭う気持ちから、そこへはいけない。
もう少し悟りでもひらけば、そういった雑念一切を払拭できるのだろうが、そんな人格者ではないので、一生貧乏はいやだと言いながら貧乏で暮らすのだろう。
そこには心の豊かさが関係しているようには思う。
貧しくとも心は豊かなら、美しいシンプルライフを送れるし、創意工夫して楽しんで暮らせるのであろうが、まぁ染みついたものを払拭するにはそれだけの覚悟はないし、…めんどくさいのだ。
心配していたことが現実になった。
しかも心配していた以上の大きさでだ。
夫が仕事を辞めたいという。
それも、いつくらいにと、かなり具体的に。
定年までがんばれと言っても、真剣に食らいついてくる。
「なんで?もういいでしょ?」
この物価高、年金はどんどん支給額を下げている。
何を以てもういいと考えるのだろう。
…いや、何も考えていない。
何も考えられないようだ。
母を亡くしたあとの彼を、かねてから危惧はしていた。
九十二歳。
世間的には大往生と思われる年齢ではある。
昔的に言えば、嫁いびりと呼ばれた言動でよく泣かされた。
義母はさらには姑いびりもしたし、七人いた兄弟姉妹からも縁を切られていたような人だった。
ただ…世間様に向ける母は別人だった。
夫は姑いびりをする母の姿に心痛めて、大学進学を機に家を出ていたくらいだ。
だが。
母への愛はそれとはまた別だった。
無償の愛であった。
嫁いびりでは、あまりの酷さにその一時的舅が味方につくくらいであっても、夫は母側に立って私を罵倒した。
もう共に歩くのは無理だと思ったことも何度もある。
夫は今回も母が入院したといえば泣き、物が食べられないと言っては泣いていた。
でも。
仕事を辞めるほど心を病むとは正直思ってはみなかった。
義母は息子の心を待って、あの世へ旅立ってしまったようだ。
ご近所に薔薇を育てておられる方がいる。
その方がまたとても可愛らしいのだ♡
定年退職されて何年か経つ方なので、私よりちょっとお姉さんなのだが、いつもゆるやかなソバージュで、淡くてやさしいピンク系のメイクをされ、いつもエプロン姿でお手入れをされている。
日の当たるところを選んでなのか、日の当たらないところを選んでなのか、日に何度か植木鉢の場所を変えている。
いくつもあるからそれはそれで結構な手間なのだろうに。
私に薔薇は似合わない。
〝ばら〟と書いても〝バラ〟と書いても似合わない。
ガサツなおばさんと薔薇はどうにも似合わない、似つかわしくない。
どうやら手もかかるようだ。
さらに以って合わない。
…それはどの花も同じ気がするのだが。
猫のそれよりもさらに狭い、ねずみの額のようなわが家ではあるのだけれど、実はそんなわが家、紫陽花が何げに多い。
今まさに花の季節を迎え、わが家の庭も彩りがある。
水色のもの。
うすきみどりのもの。
紫のもの。
…実に七種。
今年の母の日に娘からもらった、私の宝物の紫陽花は、グラデーションがあるうえに、花の色を変えながら咲くものだ。
枯れる前の花すらがもったいなくて、押し花にした。
時間と手間をかけて、丁寧に作った押し花をパウチして額に飾ってみた。
元々花が素晴らしいので、なかなかの出来栄えだ。
これを自画自賛という。
仕事をしていた時分に、とても愛らしい花に出会った。
初めて出会う花で、その花の色はまさに群青。
近づいて見るともう少し紫に近いことに気づく。
ひょろひょろとしたか細い茎、小さな丸い葉に、小さな花だ。
花の色が濃いので気づいたようなもの。
繁殖力は強いようで、アスファルトとコンクリートの隙間のようなところからも顔を出している。
名も知らない花。
仕事を辞めて数年経った。
なんと。
その花が去年あたりからわが家の庭に咲くようになったのだ。
…いろいろつらかったけれど、仕事自体は大好きな仕事だった。
この仕事につけて幸せだと、何度も思ったくらいだ。
反面のつらさも大きいのだけれど、それでも生きる力を与えてくれるような仕事であった。
だから辞める時の葛藤はこの上なかった。
ただ体調がどうにもその仕事を続けるには難しかった。
まあ、仕事を辞めた理由は一つではない。
そう、コロナだ。
コロナもその大きなきっかけだった。
…コロナ禍が無ければ、私は強い薬に頼ってでも仕事をしていたかもしれない。
仕事を辞めて…ややもすると抜け殻のようになる時がある。
それが…まさに今なのだ。
そんな私に寄り添ってくれるかのように、その花が庭に咲いてくれた。
その花の名は、キキョウソウ。
キキョウソウと紫陽花が、今、空っぽの自分に寄り添ってくれている。
(続き)
そうした暗い題材の作品をはなから書こうと思って書いたかもしれないし、筆を進めるうちにそうなっていったのかもしれない。
実際、題材として選ばれたものが暗い、重たいものである作品もある。
書き始めてそこに登場させた人物たちが、人格が形成されいき、運命を織りなすようなこともあるかもしれない。
そうした作品を再読、再再読するような人物がいるから、そのニーズに応えて、…ということもあるかもしれない。
暗いし重たいし、なかなか読み進められない。
読んだことがあるから先もわかっている分それはことさらだ。
…答えは出ない。
だが、こうした作品を含めて、この世に小説というものがあることに私はとても感謝している。
その表現にしても、初めて出会うような言語に出会うこともあるし、こんな表現があるのだなぁと感心することも多々ある。
そんな言葉を織り、あるいは編んで、生み出してくださる小説家の方々を心から尊敬し、感謝している。
それにしても、…暗い。
重たい。
私はいちどきに何冊かの本を同時進行で読むことが多々ある。
そのときどきの気持ち、気分に合わせて読む本を変えるのだ。
だからこの今読んでいる暗い本は置いていかれることが多い。
この暗さが私に共感できるものだから、読まずにいられないことに気づいている。
だから人には薦めない。
で、また読み進める。
再読する。
小説というのは何を目的?目標?として書かれるのだろうか。
人類の長い歴史の中、いつ頃から小説というものが書かれるようになったのか、…日本においてでもかなりの昔から書かれている。
今の世に残っている作品以外にも無いとは言いきれはしないかもしれない。
外国との…とは言っても日本は島国であるので、最初は中国…など、であった。
など、と書いているのは、当時日本は今のように一つの国ではなかったので、あるいは埋もれた歴史があったりするかもしれないからだ。
中国とのやり取りがあったから産まれた文化があり、その中の一つが漢字で、さらにそこから平仮名であるとかカタカナであるとかが産まれている。
中国を通してさらに違う国の文化も伝わっている。
当然その中に小説もあった。
それから触発され書いた人がいて、少しづつそれが広まって、個々の思いで書かれた小説が生まれてくる…そんな世となってきたのであろう。
今読んでいる、というかこのところ立て続けに読んだ本が暗い。
それこそ救いが無いくらいに暗い。
なんでこんな小説を書こうと思ったのかと思わずにいられないほど暗いのだ。
つらさしか残らない。
だがその小説、ともに再読、再再読なのだ。
はて。
まぁそこはとりあえず置いておき、何故このような暗い内容の小説を書くに至ったのか…。
続く
いまLINEに、〝母〟というワードをいれて送信すると、画面がピンク色になってカーネーションを持ったクマが現れるんだ。
はあ。
私は娘が子供を産んで、
お嫁さんが子供を産んで
からは母というとこの二人のことを思うようになった。
懸命に子育てする姿に思わず涙が出そうになるくらい。
幸せにと祈らずにいられない。
いろいろ時代が変わり、私の子育てをしていた頃に比べたら、さらに厳しく難しいとも思える。
ありがとう二人の母たち。
ありがとう全世界の子育て中のおかあさんたち。
多くの幸あらんことを祈ります。
…年かなぁ、ばぁば。
やたらと感傷的で涙もろいぞ。
宇野昌磨くんが引退すると発表があったようだ。
そうか…。
彼の笑顔とスケーティング、好きだった。
…いろいろ悩んだろうな。
手離す辛さもあるだろうし。
アスリートは引退する年齢が速い。
まぁスケートはやめないのだろうが。
彼に幸あれ。
…切ない。
連日テレビのニュースでも報道されているが、群馬県の国道で起きた痛ましい事故。
今朝の新聞のお悔やみ欄にみたことのない長さのご芳名があった。
三人連名の訃報ゆえの長さであった。
その年齢のお若いこと。
お若い年齢に胸が締め付けられる。そして2歳という年齢に涙が止まらなくなってしまった。
…ご冥福をお祈り申し上げます。
交通事故は本当に悲惨で、無情だ。
(続き)
そのお米が美味しいと、友人に「一口ちょうだい」とねだられ、その友人がそのお米を口に含むと何度も頷きながら噛みしめていたこと。
そんなことが書かれていた。
そしてそのお米が皇室献上米に選ばれたこと。
いつも食べていて当たり前の味だったお米が人から褒められて誇りであったものの、さして気にとめることはなく食べ、祖父亡き後も伯母さまからそのお米が届いていたことが書いてあった。
ところが後半、ここまで微笑ましく読んできたものが一転する。
この方が心からこのお米のおいしかったことを気づかされる時がくるのだ。
…東日本大震災だ。
しかもそのお米が作られていた田は、福島県双葉郡大熊町。
原発事故の放射能の影響でたべることも、生産することもできなくなってしまったからなのだと綴られていた。
おいしい米も。
見渡す限り続いていた水田風景も。
育んでくれた人々も。
みな、あの時に失われてしまったのだ。
涙が出て止まらない。
なんと切ないおいしい記憶であろう。
夫が起きてくる前で良かった。
あと二、三時間は起きては来ない。
そして。
もはや新聞は手にすらしなくなった夫なので、切り抜いてスクラップノートに貼り付けてしまおう。
この方のおいしい記憶は、私も記憶しておきたいから。
朝から泣きそうになった。
それは今朝の新聞の片隅、CM欄にある『おいしい記憶』というコンテストに寄せられたエッセイだった。
祖父母の作るお米のおいしさの思い出を一人の女性が綴ったものだ。
文才も、何より語彙力の無い私がこの素晴らしいエッセイを要約することは難しいを超えて不可能であるのだが、全文を載せることはそれはそれで、この方、いやこういったコンテストにおいては主催者、か、…要は著作権もあろうのでそれもまた許されない。
しかたないので、文才の無い私が要約するが、全文をお読みになりたい方は、第十四回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」と検索していただきたい。
その方のものは一般部門で読売新聞社賞を受賞されたものである。
幼いころから食べていた米農家だった祖父母の作るお米。
祖父から
「米一粒も残してなんね。ばちあだっからな。」
と言われて幼心にそれが怖く感じて、一粒も残さないようにきれいに食べたこと。
米の蓄えがあるかいつも気にかけてくれ、米袋を必ず車に乗せてくれたこと。
続く。
(続き)
まぁ表記はどうあれ、これもことわざ。
つまりこの【虎に翼】の副タイトル、慣用句であったり、ことわざであったりするようだ。
そもそも前のレスで熱く語っていた
『女賢しくして牛売り損なう』にしても、賢いからではなくて、さかしいから。
『利口ぶった女性は目先の利益にまどわされ、かえって物事をやりそこなう』ということ。
『女は、利口のようでも大局を見通す力が無く、目先の欲にとらわれて、かえって事を仕損じる』というたとえであると辞書にある。
…賢い(かしこい)女性、というものではなかったものの、やはり根底には女性蔑視の精神が見え見えであるのは間違いない。
利口ぶった、であるとか、利口のようでも、とか、女性全体を下に見ようとする意図が見て取れる。
きーっ、である。
女性蔑視もさることながら、まんまとNHKの意図するところにすっぽりはまってしまったところが、たいそう悔しい。
ま、まぁ、とりあえず、毎週毎週副タイトルはこうした慣用句やことわざなどから選ばれるようだ。
…というか。
そもそもタイトル【虎に翼】だって立派なことわざではないか。
【虎に翼】は、中国の法家・韓非子の言葉で『鬼に金棒』と同じく
『強い上にもさらに強さが加わる』といった意味であり、な、なんと!日本書紀の中でも引用されていることわざですあるのだという。
これは勉強になるぞぉ。
前回、NHKの朝の連続テレビ小説『虎に翼』の副タイトルについてやたらと熱く語ったが、その件の副タイトルであった『女三界に家なし?』の前の週は『女三人寄ればかしましい?』であった。
このときは(ああ、そうよね、よく言われることよね)と思っただけであった。
その前の週は、…。
そうそう『女賢くして牛売り損なう?』だった。
これも
(は?賢い女性をこうまでして下に見たい時代であったことを副タイトルつけて表してみたの?
たしかにそういった時代であったろうけれど、…毎日この副タイトル見るのなんか不快。)と賢くないおばさんは少し憤慨していたものだ。
賢いと牛を売り損なうなら、私などは売って売って売りまくる、稀代の牛売りおばさんになれるじゃない!
ん?
そもそもが賢くして?
はて?
(ヒロインの「はて?」がすっかり気に入って、やたらと使う 笑)
…女さかしゅうしてだった気がする。
まあ、さかしゅうしてと入力すれば賢しゅうしてと文字変換されるのだから意味は同じことなのだろうが、これはあえて、『賢くして』と現代で使っている口語の方が伝わりやすく、そうした方が私のようなおバカなおばさんがよけい憤慨してより効果的であろうと考えた効果、みたいなもの?
いや、そもそもこの『賢くして』はかしこくしてではなく『さかしくして』と読むのである。
(続く)
(続き)
『女は三界に家なし』をことわざで調べると、
『女は、幼少のときは親に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従わなければならないものであるから、この広い世界で、どこにも安住できるところがない』
とほとんど同じく書いてあります。
つまり、実母や義父母が言って聞かせたのはこのことわざとして使われていたもの。
出典とは真逆のものであります。
まぁ、言葉というのは往々にしてそのようなことも起きます。
つまりはこのことわざで人を抑えつけようようとする人間は、三界にすみかを見つけた者、住んでいる人物ということとなりますか?
幸せに暮らすところは三界を超えたところにあると、そしてまたそういったところに住まえとお釈迦さまは説いておられるのですが?
ま、その辺はおいておくとして。
男子は外に出たら七人の敵がいると言われているし。
『とかくこの世は住みにくい』
ということ、ですかね。
(続き)
『…仏陀は、衆生の苦しみ迷いを超えた世界を説いた。
その苦しみを超えることを、三界を超え出るという。
仏陀の世界である浄土は「三界の道を勝過(しょうか)す」とも説かれるのだという。
仏陀が、幼少の蘇陀夷に声をかけられたのは、おまえはどこで幸せに暮らしているのかと、その子の安否をおたずねになったに違いない。
ところが年端もいかない子から、「三界に家なし」、三界のどこにも本当に安らぐことのできる場所はないと、まことに本格的な答が返ってきたのである。
仏陀がそれをよしとした喜びようは、まだ二十歳になる前に具足戒(ぐそくかい)を受けた比丘(びく)としてお認めになったことからも十分に伺える。
老いも若きも、まして男であれ女であれ、みな本当に安らぐことのできる場所は、三界を超えたところにこそ求めよ、ということである。』
えっ?
『三界に家無し』って、…仏陀、お釈迦さまに褒められるような良いことなの?
私が親たちに説かれた内容とは違うということ?
(続く)
(続き)
さて、『女三界に家無し』であるが、この『三界』仏教の言葉である。
由来となる話がある。
『昔、蘇陀夷(そだい)という子がいた。
七才のとき、「おまえの家はどこにあるのか」と、仏陀がおたずねになった。
蘇陀夷は「三界に家なし」と即座に答えた。仏陀はこの答えに喜び、まだその年齢に達していないのに受戒させて僧伽(さんが)に加えられたという。
三界とは、『欲界(よっかい)』・『色界(しきかい)』・『無色界(むしきかい)』の三つをいう。
欲望につながれて苦しみ迷うものを〝欲界の衆生〟といい、
美しい形にとらわれているものを〝色界の衆生〟といい、
美しさへのとらわれは超えているが、なお迷っているものを〝無色界の衆生〟というのだそうだ。
この三界の中に迷う衆生を、
地獄・餓鬼・畜生・人・天にわけて、地獄から人までと天の一部が欲界の衆生であり、
色・無色界の衆生はみな天といわれる。
人に生まれたという苦しみが、それだけにとどまらずさらに深く重く地獄や餓鬼や畜生の苦しみにまで及ぶものであること、
また神々にまでなろうと望むほど人の欲望の果てしなきことを物語るのである。
(続く)
(続き)
この【虎に翼】はフィクションとしながらも、モデルとなった女性が存在する。
日本初の女性弁護士の一人であり、初の女性判事で、初の家庭裁判所長であった方である。
私は歴史にも疎く、この虎子というヒロインが大学に入学したのが昭和一桁なので明治生まれの設定かと思い込んでいたが、モデルの三淵嘉子さんは大正生まれであった。
明治生まれと大正生まれでも、時代背景は移り変わるものであろう。
まぁしかしながら、そうした違いもよくはわからないのが私なのであるが…。
そうそう、その、まさに明治・大正の女性のおかれた時代背景は、まさに〝三界に家無し〟であったろうと思われる時代である。
儒教の教えとして説かれていた『三従』、嫁ぐまでは父兄に従い、嫁いだ後は夫、そして婚家に従い、夫の死後は子に従え、といったものだ。
…とはいえ、昭和一桁の親を持つ私などは、その時代よりはかなり緩いものであったにしても、親に従うこと、婚家に従うことを結構強く強いられたものだ。
だから、この今は死語のこの『女三界に家無し』という言葉を聞いて瞬時に意味を理解したのである。
まさにその言葉を使いあれこれを強いる親であり、義父母であったので。
ヒロインの口癖、
「はて?」
が心地よい。
親たちに言えなかった私の心の内に秘めていた思いを代弁してくれているかのような心地がする言葉なのである。
(続く)
NHKの朝の連続テレビ小説にはまっている。
もともとヒロイン役の伊藤沙莉さんが好きなこともあって始まる前から楽しみにしていた。
ヒロインの虎子のひたむきさが良い。
明るさが良い。
時代の中に埋もれたくなくて足掻いて、もがいて、一筋の道を、茨の道を歩み出した虎子。
その茨の道で出会った同志たちがまたとても良い。
そんな【虎に翼】の第三週にあたる今週の回のサブタイトルが『女三界に家無し』であった。
ああ…たしかに。
この時代の女性のおかれた社会はまさに〝三界に家無し〟であったであろう。
と、このレスを書かながら〝さんかい〟と入力しても〝三界〟という言葉は出てこない。
予測変換されないのだ。
この言葉はすでに名実共に死語となっているのであろう。
それは喜ぶべきことで、虎子の望んだ世にほぼ近い時代となっている、ということであろう。
当時の女性の置かれた社会的地位がいかに低いものであったかをこのドラマでもところどころに描かれる。
結婚した女性は無能者であると、法の書にはっきりと書かれていた時代なのだ。
まだまだ女性が〝もの〟であり、人身売買もあった時代である。
…今とてそれに近いものが世に存在していることは悲しいかな現実ではあるのだが、法はそれを違法としている時代とはなっている。
そしておのれの財産すらが認められていない。
(続く)
芥川龍之介が所蔵していたフランスの小説の本に、恋心を表す花言葉を持つ押し花が挟まれていたことが調査で分かったとニュースで。
思わず笑ってしまった。
文豪はうっかり押し花一つも残せやしないんだなぁと。
押し花は、龍之介の遺族から寄贈されたおよそ2600冊の蔵書の調査で、フランスの恋愛小説「赤い百合」の英訳版から二点見つかったとのこと。
しかもこの押し花を植物学の研究者が調べたといい、そのうちの一つは「オオマツヨイグサ」という黄色の花で、同じ仲間の「マツヨイグサ」の花言葉が〝ほのかな恋〟。
主人公の恋愛が成就し、「I love you!」と叫ぶ場面に挟まれていたということです。
押し花の台紙には1914年7月12日と記されているといい、当時、芥川は二十二歳。
この時期、思いを寄せる初恋の女性との手紙でも、この本について言及していたことから、押し花は女性とのやり取りの中で芥川が挟み、女性に本を貸した可能性もあるとみられているといいます。
…いや、まさに〝見られている〟なぁ。
こんなに時を経て、自分が二十二歳の頃、どんな人とどんなやり取りをしていたらしいぞって、大々的にニュースにされてしまうのだから。
一般人でよかったなとは思ったけれど、それでもやっぱりうっかり変なものを残しておかないように気をつけておくようにしようっと。
(続き)
とにかく、かのWikipediaを見ると怒りにガソリンが投下されるかのような人物である。
もはや全てなど読めない、読みたくもない。
今回の問題だけを受けて、ならばせめてこの人物に不買運動を!
とか一瞬思ったのだが、この人物にだって家族がいよう。
家族には罪はない。
それにこうしたお偉さんは自ら買い物をするようなこともないであろうし。
私がここで何を言おうと、彼には届かない。
彼のいうシンクタンクにいない人間の発言など、たとえ目に触れるところに書いてあろうと、見もしないだろう。
せめて今、シンクタンクと表現されたところに入職された方がこれ以上イヤな思いをされませぬよう祈ります。
これ以上、彼がバカな発言をしないことを祈ろう。
何かしでかさないことを祈る。
いつか、生きている間に自分の誤ちに気づく日が来ることを祈る。
人の尊さは心にある。
そこから生まれる行動にあらわれる。
(続き)
はあぁ?
…国とか県とかのトップにある人物の一部は、私腹を肥やすことには異様に長けているのだろうか?
大切なことなので、その部分強調するが、あくまでもごく一部の人物たちだ。
…そう信じたいが?
信じて良いですよね?
もう一度書いておく。
あくまでも『一部』の人物のこと。
国のトップにはリコールできないようであるが、県のトップならリコールできるはず!
もう私、静岡県に一時移住したっていいくらいにリコール欲にかられた。
そうした法にもめっちゃくちゃ弱いので、移住したってリコールする権利が得られるかどうかも定かではないのだが。
そこでまた、私の縮小しまくった脳が引き出しをカコカコ開けようとする音を聞く。
もしやこの人物、あの〝コシヒカリ発言〟でリコールするだのしないだのになったのではなかっただろうか?
Wikipediaによると
『県議会に静岡県政史上初の辞職勧告決議が提出された。採決の結果、議長を除く自民会派の39人と公明会派の5人、無所属の3人の計47人の賛成で可決された。(一部略)
辞職勧告決議の可決を受け、自身の冬のボーナス約315万円と12月分の給与計約440万円の返上を表明したが、返上に必要な条例改正案は12月21日の議会閉会日まで提出されず、結局、全額支給された』
…ずっとダメなヤツなんじゃん。
誠意の欠片もない人物なんじゃん。
(続き)
応援演説か何かで、〝コシヒカリ発言〟をして物議を醸したヤツではないか?
そう気づいてからも、そいつの(またこの表現をしている)経歴とか調べる気になれない。
怒りに油を注ぐ気がする。
まぁ、この怒りは一生消えない。
消えることはないし、消したくもない。
それはこの人物個人に対してではなく、全ての、こういった発言、言動に対して向ける怒りの火種だ。
…やはり少しでもこの問題に触れようとすると、怒りがまるで炎となって燃え上がるようだ。
そもそもが私もともと語彙力がない、知識もない人間なのでうまく表現できないし。
…何か書けるのか?
この人物、この発言に対して、その後二度ほど会見をもっている。
一度目などしらを切ろうとしただけだった。
二度目だって取ってつけたような口先だけの謝罪を、それも何度も問われてようやくしただけで、この問題とされる発言は撤回しないと明言している。
しかもその席で、「辞めます」。
は、はあぁ?
責任感すらないの?
そりゃあ気持ちとしては今すぐ辞めて欲しいけど、それで業務に支障は無いの?
行政という業務にまるで支障をきたさないくらいの仕事しかしてなかった人物なんだ?
それはそれであきれた。
さらにその後知ったことにまたまた私の怒りは燃え盛った。
さすがに〝今すぐ〟ではなかった。
ボーナスもらって辞めるのだった。
怒りがピークにある内は、あまりそれを口にしない方が賢明であるということは長くもなってきた人生において、学んだ、…というよりはそれを心に置いて置こうと学んだことである。
このたび、まさに怒り心頭に発することがあった。
いや未だ以って過去とはなりえない。
とはいえ、まぁ、政府のやっていること、内閣総理大臣のやる事いう事一つ一つが、ほぼ毎日それではあるのだけれど。
本来なら権利どころか義務であろう国会中継を観る、あるいは全容を知る事が、もはやもう拒否反応とすらなってきているくらい。
一々キィーキィーカリカリして、おかげで病的低血圧が、もはや正常血圧を超える高さとなってしまったくらいだ。
それは四月一日のニュースを観てのことだった。
そもそもが怒りもあるが、そいつの言った言葉を書くことすらが、人としての良心に咎めることで、おそらくは一生ここに書くことはない。
それくらい、人としてありえない発言をしたヤツへの怒りである。
何度も繰り返されるニュースに映るそいつの顔を睨みつけている内に、(こいつの顔、前にもどこかで見た記憶があるんだけど…)。
そいつ…さすがにこの言葉もいい加減人としてどうかと思うようにもなってきたので、その人物の活動の場に記憶を寄せてみた。
あ、あいつだ!
そいつと書くのをやめたはずが、舌の根も乾かぬうちから〝あいつ〟呼ばわりしているが、そう思った。
…などと、いかにも介護の現場を知ってるような書き方をしてしまったが、私の介護の現場は実の祖母であり、実の母親で、真の(?)介護の現場では働いてはいないのだから、ちょっとそれは違うぞと、気づいたのでちょっと書きにきました。
介護に携わってくださっておられる方々には本当に感謝して、頭が下がります。
ありがたくて、尊い。
寄り添う気持ちが強い方々がこの現場で働いてくださっていることに、かつて私は深く深く感動したのでありました。
スタッフ間でも優しい言葉をかけ合いながら、
優しさに満ちた介護をなさってくださっていた。
別にこれから入居を希望する家族として見学に行ったわけではない。
家族として面会に行ってのことではない。
だから、私によく見せようとしての行動ではない。
介護の現場って、想像する以上に大変。
対象者さんからのパワハラもモラハラも、セクハラもあるんです。
綺麗ごとじゃない。
殴られたりもあるし、女性に胸やお尻をハードタッチする男性だっている。
…行政の方々って、おむついじりって言葉、真の意味を知ってるのかなぁ。
あ、私は介護のお仕事をした人ではないけど。
それを書きに来たんだった。
それにしても…いつも以上に書き散らかした文章ですみません。
滋賀県が、近江八幡市の特別養護老人ホームにおいて、虐待にあたる不当な身体拘束をおこなった疑いがあるなどとして、二つの事業所に対し、新規利用者の受け入れを半年間停止する処分を行ったという。
身体拘束の具体的な行為としては、認知症の男性利用者に対し、通常ではない下着と服で自由に行動できないようにしたというもの。
認知機能が低下すると「おむついじり」をすることがあり、この事業所は、おむついじりをしにしくくする下着や、上下つなぎのオーバーオールを着せたいと家族に相談。
家族もそれに同意し、下着を提供したうえで、男性に着用させていたということです。
しかし本来そうした行為は、『施設で委員会を開いて、身体拘束が妥当かどうか検討しないといけない』とされるが、その事実がなかったとして、滋賀県は虐待行為にあたると判断したということ。
施設側は、
「行動抑制のレベルなら、委員会を開かなければならないとは考えていなかった」としています。
そもそもご家族の理解と同意を得ていて、それでも〝不当な身体拘束〟で行政処分が下る…。
委員会を開けばいいって?
それが介護の現場でどれだけ大変かどうか。
こうした処分を下す立場の人たちは、実際の現場で実習してみるといい。
これはあまりにも介護の現場を知らなすぎる。
会議が仕事の人たちは『委員会』とか簡単に言う。
はあぁ…。
(続き)
…ところがだ。
引退の日のスズ子が映される辺りから、その趣里さんの演技、というか引退するスズ子になり切った趣里さんの演技に全身全霊を奪われた。
失礼なことに洗濯物を干しながら観ていたのだが、いつのまにかテレビの画面の前にひざまづいていた。
パンパンと振ろうとしたタオルを握りしめたまま。
それに気づいたのは、自分がボロボロ泣いていたことに気づいたときだった。
歌も凄かった。
本当に本当に世紀の歌い手だった。
でもそれはやっぱり、私にとっては福来スズ子ではなく趣里さんだった。
バラードのような東京ブギウギ。
それを見守りながらピアノを弾く草彅剛の演技も心打たれた。
あのずっと福来スズ子を育て、そしてずっとずっとともに歩んできた人物の眼差しだった。
そして、茨田りつ子のコマ切れに映される表情の変化に私の涙腺は崩壊した。
凄かった。
本当に素晴らしかった。
趣里さんという存在を、この福来スズ子役で初めて知った私。
途中で夫に言われなければ、知らぬまま、趣里さん、だった。
世の中では親の七光りなどという表現があるが、この方は間違いなく、自らで光り輝いた方だと思う。
またお昼の再放送、観ようか、このまま封印して、余韻を楽しもうか。
本当に良い作品、良い俳優さんたちでありました。
朝の連続テレビ小説を観るようになって三作目。
その三作目が今日最終回を迎えた。
「次回作はたぶんそんなに観ないんじゃないかな」と前回作が終えたとき、夫に言った私。
昭和初期の芸能界に興味がないし、ブギというものもあまり好きだとは思えなかったからだ。
でもやっぱり、丁寧に描かれた一人の人間の生き方や、その方を取り巻く人たちの生き方にすぐに惹かれていったのだった。
でも、見方がどこか冷めていた。
むしろ主人公役の人の演技だとか、それはそれはびっくりするほどにアップしていった歌唱力であるとかに、目を向けているところが多かった。
そんなあるとき、夫から、
「この主人公、水谷豊と伊藤蘭の娘なんだって?」
と言われてたいそうびつくりした。
ちなみに夫はこの朝ドラをほとんど観てはいない。
どうせ毎日目の前にいる私の顔すら見ないで繰っているスマホの、Yahoo!ニュースによるものに違いない。
私はそういった芸能情報にたいそう疎いのだ。
本当は夫婦ともに疎いはず、なのだが、最近の夫は目を見張るものがある。
テレビに映る、私などは全く知らない若い女性タレントさんのことをフルネームで呼んでいるのだ。
閑話休題。
そんな、ともすれば近所のおばちゃん的な見方をしていたものだから、私は今日、最終回が始まったとき、やはりどこか冷めて観ていた。
(続く)
(続き)
しかも新聞紙上では子供たちの心の傷はどうフォローしていくかは述べられていない。
保育園というのは0歳児から在籍しており、自分の受けた虐待を言葉として訴えることのできない存在もいるのだ。
虐待に関与したとされる保育士は三人。
たまたまこうした残虐な性格の方が集まってしまったのであろうか。
そしてこの保育士たちはまたこの資格を活かして新たな職場へと転職することも可能なのだ。
人は反省して変わることのできる存在であると信じているし、信じたい。
だが、こうした転職の際、一切こうした情報は伝わってはいかないのも事実だ。
刑事処罰には至らないため、前科などは一切つかないのだ。
もちろん、この保育士たちにやり直しの機会を与えるなと言っているわけではない。
保育士さんたちは、本当に本当に細やかな神経を張り巡らせ、子供たちにそれはそれは温かな対応をして、愛を注いでくださっておられる。
それは公園で遊ばせる姿を見るだけでも、その公園の行き帰りにすれ違うだけでも伝わってくるものです。
人としてあり得ないごくごく一部の保育士による虐待は、悲しいかな、毎年のように報告されている。
どうか、どうかこのあまりにも哀しい、あってはならない虐待が一刻も早くに無くなりますように。
そして虐待を受けてしまった園児の心が癒される日がきますように。
新聞を広げていて、息を呑み言葉を失った。
群馬県の高崎市の保育園で園児の虐待があったことを大きな見出しで書かれていた。
小見出しには複数の保育士関与とある。
高崎市の保育園の複数の保育士が、懲罰と称して部屋の内外に一人にし、【心理的虐待】を行ったといい、また、園児が食べこぼした際などには大声で威圧的に叱ったり、園児の手や服を引っ張ったりするなど、『心身に有害な影響を与える行為』を継続的に行ったという。
市は匿名の情報を受け、聞き取り調査を実施。
保育士らはこれらの行為を認めたという。
高崎市は「子どもの安全・安心に最も配慮されるべき保育園であってはならない重大な事案だ。勧告が確実に実施されるよう厳正に指導したい」とコメントしている。
改善勧告を受けた理事長は非常勤であったといい、園に行くのは年二〜三回のみで虐待を把握できていなかったことを謝罪し、虐待に関する研修を行うことを約束した上で、三月いっぱいで辞任するといい、園長は辞職、虐待に関与した保育士は退職するとしているという。
いかなる処分がなされたところで、子供たちの受けた心の傷は一生癒えることはない。
それを保育士という資格者が、集団で…。
おそろしいことだ。
しかも虐待である認識がなかったと述べているという。
保育士の学校の教育は実に高度なものだ。
それは嘘だとはっきり言おう。
ショッキングなニュースだ。
『東武動物公園において3月26日(火)、17時10分頃、動物園エリア「リスザルの島(ボリビアリスザル)」の飼育小屋より火災が発生しました。
17時20分頃、スタッフの消火活動により鎮火し、その後、警察、消防による立ち入り調査を行いましたが、出火原因は不明です。
なお、この火災により飼育していたボリビアリスザル全9頭が亡くなりました。お客様やスタッフには怪我人はおりません (以下略)』
火を持たない動物が、自力で外に逃げることができない状況下に置かれて、その全頭が命を落としてしまっている。
なにがあったかは、これからの調査によって明らかになろうが、失われた命は戻っては来ない。
この尊い命に冥福を祈る。
大河ドラマとは
苦しきもの、切なきものとおぼえたり。
切ない。
なんでドラマを観てこんなに切ない思いにならなければならないものか。
前々回の鎌倉殿しかり、前回のどうする家康しかり。
今回はまひろの〝手〟の演技に魅了され心打たれた。
土の付いたか細い手。
震える愛しい指。
それを演技した女優さんも凄いし、それを活かすべくした監督も、
それをみごとなまでにとらえたカメラの方も凄い。
仕事をしているときは、ドラマなど観ている余裕が無かった。
今、ドラマを観られる喜びを知ったし、それを楽しめる心を喜んでいる。
…囚われていた自分を少しずつ解放しているようで。
指宿の回をもってブラタモリが終了。
時々、ん?と思うこともあったけれど、それは良くも悪くもNHKらしさだと思って、それはそれは楽しみに観てきた番組でした。
正直タモリさんという方に好感を持てたのはこの番組。
お笑いとして出た頃はその芸風等々、とてつもなくイヤで嫌いでありました。
それが笑っていいともで、あれこの方の素顔って、こんななんだ?とか、いろいろな顔を知って嫌い感は拭われたものの、好感までには至らず。
ま、名もないおばさんの好感度など💨ほどのものでもないでしょうが。
この番組で、地質とか地形とか、歴史とか、その土地その土地の新たな発見をさせていただき、いろいろな知識を得られたり。
実際にその地へ出向こうと思うきっかけ作りともなったことなど、
社会的な貢献の大変大きな番組であったことはたしかなことでありましょう。
タモリさんという方が、引き時を知っておられる方、だからでしょうか。
そこが…余韻を残すとでもいいますか、感心するくらい大変見事な方ですので。
あの番組はタモリさんならではの番組。
まぁ、NHKに造られて苦笑されている場面も多々ありましたけれど。
またいつの日かはタモリさん次第。
ありがとうございました。
あさきゆめみし』×『日出処の天子』展
―大和和紀・山岸凉子 札幌同期二人展―
お二人の代表作、まさに漫画史に残る名作の原画が共に並ぶという。
その数モノクロ83点、カラー45点の原画 …まさに夢のような展覧会の実現です。
が。
札幌…。
札幌同期二人、だからこその彼の地なのでしょうが、あまりに遠い。
好きな人はどこへだって出向く、それこそが推し、…なんでしょうけれど、同じ道内だって、遠い方は遠い、それが北海道。
ま、札幌です。
飛行機でビューン、あっという間に札幌、なんでしょうが。
…私はその飛行機に乗るまでが大変な田舎に住んでるので。
ああ、こんなとき都会は良いと思うこともしばしばあるけれど…。
都会は遠くにあって思うもの。
田舎県の田舎でぼーっと暮らす。
それが私イズム。
今日は国際女性デー、なのだとか。
1904年3月8日にニューヨークで、女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こしたのが発端だといい、今年ちょうど120周年です。
そして今日はミモザの日とも呼ばれ、この日に女性にミモザを贈る習慣が外国にはあるようで。
これはもともとイタリアで男性が女性に感謝の気持ちを伝えるために、
贈っていた風習を引き継いだようです。
…いいじゃん。
わが家のように、義理チョコのお返しを(めんどくさいなぁ)なんて思いを抱えながら、悩んで外すよりよほど良い。
今朝、やたらと機嫌悪く起きてきた夫。
具合でも悪いのかと思って何度も聞いたくらいにテンション低く、明らかに顔に不機嫌が出ている。
昨夜はなんともなかったじゃない〜。
一体なんだっていうんだ。
帰宅しても靴をそろえる習慣がない人で、何度言っても治らず、毎回毎回靴を揃えているのだが、もはやそれが当然。
食事しても食器を下げることもなく、すぐにスマホでゲームを始める。
ごちそうさまとか言うはずもない。
ま、それが〝おかあさま〟の作られたお食事だと「ごちそうさま」と言って食器を下げるし、ご実家に行けば、靴もそろえる。
…あれ?
なんか愚痴になってるぞ?
まぁ、感謝してとは言わないけれど、朝一理由も分からず機嫌悪いのを隠そうとすらしないのはやめてほしいよ、ほんと。
明治三十七(1904)年創業で、国内外で高い評価を得ているマフラーブランド【KNITTING INN(ニッティングイン)】を展開する【松井ニット技研】か来年二月末をめどに廃業するという。
その名があまりに有名なため、『桐生八木節まつり』を訪れた際、ついでといっては語弊があるが、その場所を探してみたがなかなか見つからない。
その住所から祭りのメイン会場から本当にごく近くに存在するはずなのに。
…方向音痴で地理音痴のわたしだから?
歩いている路地でふと素敵な日本家屋を見かけて失礼がないくらいに見てみると、!
【松井ニット】と書いてあるではないか。
小さな小さな町工場であった。
たしかに。
『小さな町工場、世界に 』
的なタイトルて新聞紙上で取り上げられていた。
役員や従業員の高齢化で事業継続が困難と判断したという。
松井ニットの、さまざまな色の繊細な細い糸を使って織りなしたマフラーを私もいくつか持っている。
初めて手にした時、あまりにも細い糸を使ってのニットのマフラーに、感嘆したものだ。
少し値が張るといえばたしかだが、このマフラーを男性がスーツやコートに軽く巻くだけで、とてもおしゃれに見えるのだ。
というか、おしゃれな男の方だからそこに目がいくのかもしれないが。
おしゃれとは全く縁のない夫は
「うーん、巻くタイプのマフラーはめんどくさいんだよな」
はぁ。
今朝、『公立高校の入試問題と正解』が新聞の折り込みで入ってきていた。
…解けない、というかもはや文字が小さすぎて読めないのだ。
まずそこ。
ああ、そんな時を迎えたか、私。
まぁ、今のところ老眼だけなようだから、これでも良いほうであろうと思うが…。
仕方ない。
拡大鏡を使うか。
『亭子の帝の御ともに、おほきおとど…』…。
えっこれ中学生の解く問題だよね?
『大和物語』って、ずいぶんとまあ渋いところを。
私はこの高校入試問題を見るのが好き。
見る、と言うところがすでに逃げ腰で、そもそも数学と地理問題ははなから諦めているのだけれど。
今日の楽しみができたぞ。
まぁ、当人であった頃はとにかく、見守るしかなかった親であった時分には見ることすら封印したくらい、どきどきハラハラの折り込みであったものだが。
…そうか。
この折り込みって、自分が中学生の頃からずっとの、長い付き合いのあるものだったってことか。
うん十年経つ。
今年は遠く離れて住む中学時代の同級生が私に会いに帰省してくれるという。
そしたらこれ、持っていこうかな。
彼女は頭の良い子だから、今でも全教科スラスラと解きそう。
さぁて、彼女が帰ってきたら、どこへ行こうかな?
まずは彼女のご実家のお寺さんへ。
それから彼女のお祖父さんの祖先が建てたというお寺さんへも行って。
あれ?
お寺巡り?
彼は死に近き母を想い涙する。
そこから離れようとあれこれしようとも、結局離れることはできず、それはさながら振り子のように。
日の終わり、彼の思いは古い振り子時計の振り子のように真ん中で止まる。
それに本人は気づくこともない。
真ん中で。
一人座って…その日一日を終える。
その別れの時が来たとき…彼の心はどこへ行くのだろうか。
このところ立て続けに怒りで震えるくらいの子供の虐待死が報道されている。
体内から車の不凍液って何?
どうやって体内に?
飲ませたってこと?
そもそも不凍液って一般家庭に普通には置かれてはいないし、車に疎い私などはどんな物かもわからない。
それをまたテレビが丁寧に解説する。
書きたくもない。
保育園では何日も同じ服、おむつを替えていない、髪がベトベト、誰がどう見てもネグレクト。
しかもご近所さんはその子の存在を知らない方が多かったという。
何度も児相には報告されていたというのに。
いつもこれだ。
真冬の青森で、冷水のシャワーを浴びせたのち冷めきった湯船に放置したぁ?
言葉にならない。
これも児相には報告されており、転居してエスカレートしてのこの悲劇だったようだ。
一歳の弟には虐待の形跡は無いという。
児童虐待防止法とか作られても、虐待死は無くならない。むしろ増加しているよう思う。
虐待による死亡事例は年間五十件を超え、単純計算で一週間に一人の子供が命を落としている。
嫌いなら、虐待するくらいなら手放して!
そもそもそうやって殺害してしまった自分たち、いなくなれば幸せになるって思っているの?
殺人者として捕まって?
虐待防止法、児相をもっと変えていかないと!
法律作るなら、もっと現実に照らし合わせて!
何かあれば速やかに変えていって!
国会中継を観ていて。
あの総理が『我が国』というたびに、イライラもやもやする。
私たちが使う『我が家』という表現。
彼の使う『我が国』という言葉には、『我が』という表現に含まれる愛おしい、かけがえのないという感情をかけらも感じられない。
むしろ私物化し、自由自在にしてよい〝もの〟、という『我が』という表現に感じられてならない。
本来なら時間がある限り、自分の耳で目で、国会中継を観るべきなのだが、最近はイラついて観ていられない。
義務、仕事と思っても、あの上っ面だけの美辞麗句で誤魔化してばかりの茶番はもう見ることが、…できない。
まぁ、今は裏番組の【救命病棟24時】が観たいのも多分にあるのだが 笑。
(続き)
群馬県東吾妻町出身のもう一人の『そうさく』氏は、【石坂荘作(1870〜1940)】氏。
初めて知る名前です。
今日の読売新聞にこの記事がありました。
日本統治時代の台湾・基隆市で、日本人と台湾人が無料で学べる『基隆夜学校』や、後に市立図書館となる『石坂文庫』などを建て、現地では【基隆聖人】と呼ばれたといいます。
教育を受ける機会の平等を強く主張し、学校建設には、自らが製本業やタバコ販売業などで蓄えた私財を投じたといいます。
群馬県東吾妻町が、というより群馬県が、いや日本が誇る教育者でありましょう。
東吾妻町ではこの二人の偉人を顕彰する動きが高まっているとのこと。
ここミクルで一人でも多くの方にこの『そうさく』氏たちを知っていただけたらと思いレスいたしました。
…自分だって今日初めて知ったばかりだというのに 笑。
今また【窓ぎわのトットちゃん】がアニメ映画化されて、しばらく前には【続・窓ぎわのトットちゃん】が発行され、トットちゃんがまた脚光を浴びているなか、あのトットちゃんが愛した『トモエ学園』の設立者であり校長先生である【小林宗作】氏が、群馬県出身であることはあまり知られていないのではないでしょうか。
音楽教育やリトミックに携わる方々はご存知であろうかと思うのですが…。
トットちゃんを初めて読んだとき、私もこんな学校に通いたかったと、心から思ったもの。
そのくらいに、このトモエ学園は理想の学園であり、今なおなかなか存在していない理想の学園であったと思うのであります。
小林宗作氏(1893〜1963年)は群馬県の東吾妻町の出身で、上京して小学校の音楽教師を務めたあと、ヨーロッパに留学しています。
帰国後の1937年、自宅の売却などで得た資金で、トモエ学園として、幼稚園・小学校を設立し、音楽に合わせて体を動かす【リトミック】を取り入れました。
十代後半に上京して、ほとんど故郷には戻らなかったため、地元での知名度は低くて、私などもそれを知ったのはトットちゃんを初めて読んでからだいぶ経ってからのことでありました。
実はもう一人、同じ東吾妻町出身の『そうさく』さんで、やはり教育に大きな功績を残された方がおられたことを知り、それを書こうと思います。
続く。
もろ手を挙げたニュースがありました。
4日に投開票された前橋市長選で、元群馬県議で新顔の小川晶氏(41)が、4選を目指した現職の山本龍氏(64)との一騎打ちを制し、初の女性市長となったというものであります。
保守王国群馬において、自民県連、公明県本部が推薦し組織を固めた現職を、新顔が大差で破った結果に、思わず私はもろ手を挙げたのみならず
「よしっ!」
「やった!」
と声まであげた。
【確定得票】
当 小川 晶氏 60486
山本 龍氏 46387
圧巻の大差であります。
県議だった小川氏は立憲民主の会派に所属しながらも無所属で活動したていたといい、今回の市長選でも、現職との対立軸として、政党の推薦を受けない「市民党」を掲げて臨んだといいます。
国を滅ぼすかという勢いの政府に、一地方が大きな一石を投じたこのニュース。
涙が出そうなくらい、嬉しい嬉しいニュースでありました。
元日の能登半島震災での災害廃棄物が、珠洲市では57.6万トンあって、それは市の年間排出量の132年分にあたるとのこと。
気の遠くなるような年数に、そこに含まれる多くの人たちの暮らしの一部であった家具家電、何よりもかけがえのなかった思い出の品々といった、本来は廃棄されるものではなかった物であるという重みを感じ、また切ない思いにいたたまれなくなります。
石川県内の災害廃棄物の推計量が244万トン。
これは県内の年間ゴミ排出量の約7年分で、被害の大きかった半島北部・奥能登地域の2市2町が推計量の約6割(151.3万トン)を占めるといいます。
これを受け、石川県は県外を含めた広域処理を進める方針で2025年度末の処理完了を目指すとしているといいます。
いまだにインフラが復旧しない地域もあるといい、急ピッチで進められてきている仮設住宅も、避難されておられる方々に行き渡るものではなく…。
でもこれに関しても、内装は温かみのある木材を多く使用したものとし、少しでも仮設住宅生活をされる方々に寄り添う努力がなされているといいます。
これは今までの仮設住宅生活から生まれた課題にしっかりと取り組んだ結果。
やはり人は優しい。
今週の少年サンデーという雑誌で
高橋留美子さん、青山剛昌さん 、満田拓也さん 、久米田康治さんという、私でも名を知る、…なんならその方の代表作、今連載中の作品タイトルまで言えるほど著名な作家さんたちがこぞって休載されているとか、いないとか。
子どもの頃から馴染みある出版社さんであるのだけれど、このたび、この会社の一部、そしてそこで大きな力を持つ方は〝小さな学び〟しかできない方たちが多いのだと学ばせていただいた。
不買運動に走りたいところだけれど、それは作家さんに不利益なことともなり、それはわたしののぞむことではなく。
そしたらどうしたら、この一おばさんの怒りをこの会社に伝えることができるのだろうか。
過去にはある連載作家さんの原稿を失くしたという、ありえないことをしでかした会社であることを、私はまだ忘れてはいないんですよ。
ここの会社の発行した漫画、一体どれだけ家にあるのだろう。
大切な家宝まで含まれているくらいなのに。
大切にすべきは何か、学んでください。
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ねことの日常0レス 122HIT 匿名さん
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愚痴だからさ1レス 119HIT 匿名さん (♀)
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毎日のささえに(*‘’∀`)。*゚+*°4レス 199HIT 初心者さん
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恋人がいる人生を5レス 222HIT 匿名さん (30代 ♂) 年性必 1レス
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ユタポン🍀スレの皆様✨こんばんは✨ お疲れ様です✨ ユタポン🍀…(仲良しパンダさん25)
324レス 18380HIT おにー (♂) -
🐓日記
ゆたさんこんばんはm(_ _)m お疲れ様です✨ 15000羽…(仲良しパンダさん1)
27レス 2279HIT 匿名さん -
つぶやき日記
そうなの?! タイヘン!!ごめんなさいねぇ💦 そんなに悪いと思…(通りすがりさん126)
128レス 4230HIT 匿名 -
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うん、ログインはできてるが 匿名さん377は 嫌かな ナリスマシと…(匿名さん377)
383レス 23028HIT 東子 (♀) -
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今日も 良い日だった ありがとうございます おや…(匿名さん0)
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なんとかの朝ってどんな朝('_'?)(通りすがりさん1)
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ふふーんだ( ・∇・)(匿名さん0)
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不要な機関
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