生きて来た道
老婆の長い人生を歩んで来た足跡を刻む日記です。
むかーし、ある片田舎で一人の赤ちゃんが産声を上げた。
赤ちゃんは右足太ももの外側がプクッとふくれていた。
近所のヤブ医者で切ってもらったらしい・・
物心ついた時には傷痕があり学校の体操服を着ると
ギリギリの所で見えていた。イヤでイヤでたまらなかった。
祖父は戦争で息子の一人を亡くして国から支給される
お金で自分だけぜいたくしていたようだ。
両親は朝から晩まで馬車馬のようにコキつかわれて
いた。後ろ姿を見て育った私は祖父が憎くかった。
子供心ながら孫もわけへだてしているのが理解できた。
兄が一人の四人暮らし。
貧乏生活だったが両親は優しく家族は何の問題もなかったが
回りの大人たちが悪すぎて、小さい頃から一歩下がって
人を観察する子供になっていた。そのために友達の母親からは
「可愛げがない」と言われたことがあり今でも忘れられない。
いま思えばきっと姑小姑たちにいじめられている母親を見て
いて、自分が早く大人になって親孝行してあげなければ、という
思いが強すぎて子供なのに大人びて見えたのかも。
つづく。
15/06/06 08:57 追記
~三歳年下のよっちゃんへ~
あの日あの時は本当にごめんなさい。
あからずっと・・今でも・・
そしてこれからも死ぬまで
よっちゃんに対してやった罪を
懺悔しながら生きていきます。
許して下さいとは言いません。
よっちゃんが今を生きているならば
ただただ幸せでいてほしいと
願うばかりです。
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~NO148のつづき~
しかし別居しても義姉は変わらなかった!
姑にとってこんな次男の嫁は不満の塊だった。
姑は貧しい農家で産まれ幼い頃から子沢山の長女で
大変な苦労したらしいので人格が出来ていた。
なので高齢でもあるし痴呆などになったら可哀相だし
長生きしてもらいたい、と
一人で勝手に思い、毎日毎日顔を出すようにしたのだ。
が、嫁の悪口を毎日まいにち行くたびに聞かされて
数年後はウンザリしてきた・・
私の口をはさむ暇もないほど一気にしゃべり続ける、、
ところが、その悪口の張本人が入口に入ってくるなり!
コロッと口調が変わり、それはそれはご機嫌な姑になる!
「〇〇さんも一緒にお茶飲みなさい~」
姑にとったら跡取り息子の嫁だから
一緒に暮らす限り良くしてもらいたいという姑の根性がすごいと逆に感心した。
色々な食料品を買ってお土産に毎日持って行っていた私に帰りには必ず畑に一緒に行って野菜を採ってくれていた。
ある日、
帰ろうとするといつものように野菜を、と。
まだあるからいいよ、と言うと
畑の柿を自分で採って行きなさいよ、と。
柿は好きだから、笑、数個もらって行こうかなと
外に出たら、義姉が庭でウロウロしていた、、笑
自分の悪口を二人で言ってるんじゃないか?
そんな知恵だけはあった・・爆。
言わなきゃいいのに、私もバカ正直だから、
「義姉さん、柿をもらっていい?」
義姉 「あんた達が毎日来て採るからもう
残っていないよーぉっ!」って怒られた!
私は一回も採ったことないのに・・
姑の長女が採るのだろうね、。
柿など買えばいいんだから!誰がもらうもんか!
と怒りが・・
姑に言われたことを言った
あの柿の木は昔、舅が植えたんだから嫁がそんなことを
言うことじゃない、と。
じゃぁ、すぐ義姉にそれをそのまま言えばいいジャン!
言えないクセに・・
はぁ・・
どっちもどっち!
段々、私の気持ちが変化してきていた。
人のいいのもいい加減にしないと自分にトバッチリが来るよ、と自分で自分に言い聞かせていたが、
これがまた出来ない私だった。
つづく。
~義実家~つづき
こんなこともあった。
いつものように畑で野菜を採ってもらって帰ろうとしたら、すぐ近所に住んでいる義姉(長女)にも野菜を持って行ってほしいと・・
私は昼過ぎから夕方までおしゃべりに付き合っていて
時間も遅くなり、子供たちのこと、仕事のこと、
家事、夕食の支度など気持ちはあせっていた・・
義姉の家は義実家から帰って来ると、私の家より先になるので、冬だし、明日の朝、持って行ってあげようと
思って、車の中に積んだままにした。
思っていることをサッサと済ませないと何も出来ない私の性分だから、翌朝、わざわざ野菜を届けに行った。
そのことがのちのち、義姉の口から聞かされた・・
「母が(姑)、〇〇ちゃんは野菜を持って来てくれたか?」と聞いた、と。
それを聞いて、姑の人格を疑った瞬間・・
二十数年も付き合って来ていて
私のこと、信じられないのか!?
はっきりいって、少々の野菜など貰わなくても結構、だった!心から。しかし、姑の気持ちを考えてあげて!
有り難く頂いてやった!んだと!
そんな私の性格や気持ちなど二十数年付き合っても
結局、理解できる姑ではなかったということが
やっとわかった出来事だった。
ショックだった!
義姉へと持たせた野菜さえ、私が横取りした?
許せなくなった、そんな気持ちが!
どんどん、私の心が壊れていった。
つづく。
- << 160 野菜のタイミング 昨日のうちに持って行っていたなら、、、 でも、その日は届けなかったのは事実。 朝いちで届けたのに義姉は留守だった。 裏口に置いて帰った・・ その頃、義姉はめったに行かないのに、 実家で姑とお茶飲み中。 「母が(姑)、〇〇ちゃんは野菜を持って来てくれたか?」の会話になる! (*追記・・姑は私のことを〇〇さん、と呼んでいた、ちゃんは間違い どうでもいいけど 爆) 義姉にとったら昨日は届かなかったんだから、、、 勿論、「イヤ、持って来てないよー」 ということになる。 長女に持たせた野菜まで私が横取りしたと思った姑。 ま、それならそれで結構。 もうどうでも良くなっていたからその頃の私は・・ つづく。
~義実家~つづき
最初から私は姑の病院の送迎や薬取りなどを一人で
やってあげた、二十数年間。
今もそうだが昔もやっぱり大勢の年寄りが病院に
通っていた。
朝一、病院へ順番取りに行って、
時間になったら、義実家まで姑を迎えに行って
手取り足取り状態で車の乗降さえ大変だった。
何時間も一緒に待って診察室にも入り、トイレへも付き添い、薬の処方まで待ち、終わるとうちに連れて行き、
お昼ご飯を用意して食べさせて、
そしてまた義実家まで送り届ける。
これが二十数年続いた。
最初は「良くやってくれる嫁」、
次第に「〇〇さんがやるのが当たり前」
に、、なった。
何でも私だった!
難しいことも、
「うちの息子は出来ないが〇〇さんなら出来るから」
長い間、生きて来たから
なかなか、根性が出来ていた。
悪知恵が働く、という。
すぐ近くに住んでいる義姉もやはり家業をやっていたので結構、多忙だった。
なので、たまにしか実家に行かなかった。
たまに実家に行った時、姑から薬の袋を渡されて、
薬をとって来てくれ、と。
その汚い破れてボロボロになった薬の袋を
うちに持って来て、
「私は忙しくていつ病院に行けるか分からないから、
〇〇ちゃんに行ってもらった方が早いから置いていくね~」だって!
いつもそうだった、二十数年、、。
結局、私は翌朝、一番で薬を取りに行くのだった。
いいように「こき使われてる」
まるで幼い頃の両親と同じことされてる?
もう、イヤだっ!
どんどん怒りが増えてしまった。
つづく。
~義実家~つづき
義実家の跡取り息子の(義兄)長女が就職して
お盆休みで帰って来るというので
私に電話が来た。
要するに義兄は空港まで運転して行く自信がないから
私に行ってくれ、、?
私も多忙過ぎて無理なんだけど、、
もうその頃は私の心はだんだん冷めていってたから。
それでも、恒例になっていたから、
結局、行った。
うちが真ん中、空港とは反対側にある義実家に朝、わざわざ義姉をお迎えに行き、途中でガソリンを入れようと
ガソリンスタンドに寄った。わざとしたのだ、義姉の反応を試したって訳。
だがムダな行為だった!やっぱりね!
気が利かない義姉、しかも、免許なし、車のことなど
理解できるわけない、、。ガソリンを入れないと車は走れない、、わからんかぃっ!馬鹿者!
目の前で財布を出してお金を払う私を助手席にチョコンと
座ったまま見ていた。馬鹿みたい。
しかもしかも、
空港デッキへのチケット代、
空港での三人でランチ代金、
空港での駐車料金、
全て私が支払う、、、、。
はぁ・・
そんなことばっかりだったが、
最後の最後ですごいことになる!
私が一世一代の持ってる力の全てを
使い果たしたような出来事が・・起こる。
つづく。
~義弟家族帰省~
関東に住んでいる義弟家族が帰省するから
空港に迎えに行ってくれ!
またかよっ!(ってその頃はまだハイ喜んで。)
しかも、義実家より手前にあるため、
うちで昼ごはん夜ご飯付き・・
ガヤガヤワイワイ充分過ぎるほどやってから
やっと義実家に送り届ける。
帰省の期間中、どこへ行くからここに行くから・・
お抱え運転手に徹する。
この義弟にも、何とかしてくれるかも?
だが、期待しただけ損した結末に・・なる。
大勢の兄姉弟妹たちにいいように使われた二十数年。
同じ県内の県庁所在地にいる長男の義兄も
しょっちゅう来る。
義実家に用事があって来るのではなく
うちに来たいから来る。そしてなかなか帰らない。
泊まることはなかったが。
性格が、真面目一筋なので頭も考え方も固い。
この義兄にも最後の最後で結局、裏切られることになる・・・。
長女である義姉には最初から最後まで愚痴の聞き役に徹して、最後の最後に私の愚痴を今度こそ聞いてもらおうと決心して行ったのに、、
私の顔を見たとたん、いつものように愚痴。
「早い者勝ち」!?
長い間、義家族たちの愚痴の掃出し役だった私。
「感謝」という言葉を知らない義家族。
それでも、最後まで愚痴を聞いていた・・私。
つづく。
~舅の交通事故~
舅は老齢なのに若者が乗るような自転車に乗っていた。
どこに行くにも自転車。
道路は坂道ばかりの義実家。
急な坂道の下りにもスピードを落とさない。
義家族はみんな乗らないように言ってたが
ガンコ昔人間、、聞く耳持たず。
ある日、
ブレーキもかけずに下り坂を・・
そこに目の前の交差点を左から右に軽トラックが走り抜けようとした・・
もし舅が少しでもブレーキをかけていたら
なんなく軽トラックが走り去っていた、、
のに・・・
後部にホンの少し当たった!
舅は投げ出されて意識不明・・
救急車で運ばれて、、今夜が峠だと。
つづく。
~舅の交通事故~
知らせを受けて私は関東や関西に住む兄弟妹たちに
長距離電話で知らせた。
そしてお弁当を20個買って病院へ急いだ。
多分、長くなるだろうと思った。
その通りで二か月位は意識不明の状態だった。
兄姉弟妹家族それぞれが当番で付き添った。
みんな仕事があるのに大変だからと、
長男の発案で、義実家の義姉に看護料をみんなで払って
付き添ってもらうことにした。
不安だった、やっぱり!環境が変わったので
嬉しそうな義姉はファッションショーしたり、キャンキャンしたしゃべり方がローカ中に響いて、、
病院内ではしゃいでいたし夜はパジャマ姿に。
最後は結局、病院から追い出されて。
軽トラックは車検を受けたあと、自賠責保険を解約していた・・あってはならないことをしていたヒドイ整備工場と
持ち主。
結果、保険は下りない・・当たり前!
そこで長男と姑が親子悪知恵を働かせた!?
私にお願い事があると、、なぜ私?
ダンナではなく?
テキパキしているから、だって。
自動車保険会社にお願いしてもらい保険をかけてあったようにしてもらってくれ!?
そんなこと絶対無理!出来ない!
断固、断った!泣いて言われる、泣いたって!
私は任意保険の資格も取得していた以上、そんなことできなかった。
毎週集金に来てくれている会社の人に相談した。
あってはならないこと、、として、、
(今となっては時効だから、記する)
まず病院でレントゲン写真を100枚提出。
あと保険請求の手続きなど諸々の書類作成と
提出など。病院へ頭を下げて責任を持って
返却しますとの誓約書を書き送った。
ふぅ・・
しんどい、今、思い出すだけでも。
私は二週間位、それだけに時間を費やして他の
仕事も何も何もできなかった。
全てをほったらかして。
つづく。
~舅の交通事故~つづき
三か月位過ぎてから、
いつもの保険会社の担当が来た時、
聞いた、保険金はまだ?
「あれ!?とっくに振り込まれましたよーっ、
知らなかったんですか?」
!!
ビックリ!
あれほど泣いて訴えた姑そして義兄姉たちも
知ら~ん顔していた。
自賠責保険満額手にしていたのに、
「おかげさまで下りました、ありがとう」
一言あってもいいんじゃないの!?
って、ま、理解出来ない義実家人間たちだから
そういうことか?
納得したがね。
ダンナがやっと義兄に口を開いた!
?
関西や関東に住んでいる家族たちは家族そろって飛行機代や運賃出して大金を遣って来たんだから、考えろよ!って。
しかし、義兄も負けてはいなかった!
あの無口の黙ってニコニコしていた義兄のバケの皮がハガれた
瞬間だった!
「俺は今まで高校に行きたくても行けず長男の代わりにあのガンコ爺ぃに我慢して我慢してずっとずっと今まで尽くして来たんだ!
なぜ保険金をもらって何が悪いんだ!?」
って!
驚いたね、二十数年間、バケていたんだね、
ニコニコしていたのは作り笑顔だったんだ! 爆。
貧乏人が大金を手にしたら一気に人間性が表れるんだ・・
せめて「ありがとう」の一言位は言って欲しかった。
姑も黙っていた。
義兄ももちろん、義姉も。
幼い頃から周りの大人たちはロクデナイばっかりだった。
だから、せめてこの義実家の人たちはいい人だろうと
信じて疑わなかった自分が悪い。
やっぱり、自分が大人になっても回りはやっぱり
ロクデナシばっかりだった! 悲。
そして、私はその日から尽くすの、
やめた・・
その夜から眠れなくなった。
つづく。
~義兄の爆発事故~
結局、舅は意識回復することなく死んだ。
生命保険も結構下りたらしい。
そしてこの少し前には
関西に暮らして、大企業で働いていた義兄がニュースにもなったような大事故に巻き込まれて、亡くなったばかりだった。
私がのちのち知ったことだが、、
⇊
大企業だったので遺族にも莫大な慰謝料や保険金が支払われたと。
そして親でもある舅姑にも十二分な慰謝料が支払われた・・・と。
私は年金だけでは苦しいだろうからと仏壇の金の下にそっと置き続けた一万円札、、二十数年間続けたあの
大事な一万円札は、、、結局、姑にしたら
ハシタ金だった!
しかもしかも、長女が置いてくれたと最後まで
思って、、いたし。
ま、貴重な経験をしたという教科書代だと思えばいいや、と自分に言い聞かせた。
**追記
私が幼い頃、
義実家のために大勢分の料理を作っていたが、
私も義実家の義姉の代わりにいいように
コキ使われていた。
盆、正月、法事などあらゆる行事のたびに大人数の食事を作った!
多い時で50人分も!
前日から行って!
全ての料理を一人で作った。
(その間、義姉は?障子の掃除するマネしたり 爆)
庭で炊き出し状態。
冬の寒い日も、夏の暑い日も。
それでも、喜んで作った。
バカバカ!
来客がご馳走の味を義姉に言う
「〇〇さん、何もかも全部美味しいねぇ~」って。
すると、何というか?と黙って聞いていると、
「あらぁ、そうぉ~♪」って。それだけ。
バカバカ!自分!
二十数年も良く頑張ったね、!自分。
って自画自賛した、
仕方なく 泣。
*追記
こののちのちも、二束三文の山の中の田んぼ、、が
官公庁が買い取った!?
やっぱり、お札は寂しがり屋だったんだね、笑。
お金がいっぱいある所にしか行かないんだってこと!
もう私の気持ちは別のところにあった。
つづく。
>> 152
~義実家~つづき
こんなこともあった。
いつものように畑で野菜を採ってもらって帰ろうとしたら、すぐ近所に住んでいる義姉(長女…
野菜のタイミング
昨日のうちに持って行っていたなら、、、
でも、その日は届けなかったのは事実。
朝いちで届けたのに義姉は留守だった。
裏口に置いて帰った・・
その頃、義姉はめったに行かないのに、
実家で姑とお茶飲み中。
「母が(姑)、〇〇ちゃんは野菜を持って来てくれたか?」の会話になる!
(*追記・・姑は私のことを〇〇さん、と呼んでいた、ちゃんは間違い どうでもいいけど 爆)
義姉にとったら昨日は届かなかったんだから、、、
勿論、「イヤ、持って来てないよー」
ということになる。
長女に持たせた野菜まで私が横取りしたと思った姑。
ま、それならそれで結構。
もうどうでも良くなっていたからその頃の私は・・
つづく。
~義姉へ~
二十数年間の尽くした気持ちが無駄だったことに
気づいた私はもう余力は残っていなかった。
まず近所にいる義姉に本心を聞いてもらおうと出かけた。
が、義姉にとって私という存在は何でも話せる友達感覚で、
グチの吐き出し相手だったから、
当然、私の顔を見るなり、グチを言い始めた。
延々、と・・
黙って聞いていた私は、、「失礼しますっ!」と帰った。
いつもの私ではないとそこで気づいた義姉、、
あとでダンナに「何かあった?」って。
ダンナ「イイヤ、何もないよ」
そりゃぁそうでしょ!
ダンナには一言も気持ちを打ち明けていないから。
まず義姉でもあり長女でもあり第一に同じ女性として
本心を打ち明けてみようと思って行っただけだから。
まず一人目撃沈す。
つづく。
~義兄へ~
二番目は長男である義兄の所に行った。
毎日、県庁所在地にある車検場に車検に
行っていた帰り道。
お寿司を三人前持参で。
義兄と義姉と三人で
お寿司を食べ終わってから
「実は、、」と
自分の今の気持ちを打ち明けた。
すると黙って聞いていた義兄が
言った
「いくら自分の兄弟でも言えないから、ねぇ。」
って!
私はその一言を聞いたら「失礼しますっ!」
と即、立ち上がった。
今までの長い間、「自分たち大勢が世話になったから
今度は私たちに出来ることがあれば何でもするから」
と口だけでもいいから
そう言って欲しかっただけ、
なのに。
簡単に二人目撃沈す。
つづく。
~義妹へ~
お次はこれは最初から問題外だったが
ま、一応、帳面が消えないからと思って。
義実家の義姉にもらったであろうマズい古茶を
これまたヌルいお湯で淹れたから超マズい、、。
で、一応、自分の気持ちをかいつまんで話した。
何も言えなかった義妹。
言えるわけがない。
ダンナと育った環境は同じく中途半端な位置に
産まれた義妹だったから他の兄弟からも問題外
扱いされていたし。
一応、似たようなダンナと夫婦になり
二人の男の子と四人家族でいたが。
二十数年間、何ひとつしてもらったことはなく、
かえってしてあげたばかりだったから。
いてもいなくても同じような義妹だった。
義姉として、ずっとずっとお小遣いまであげていたんだし、、爆。
馬鹿みたい・・
お土産と時間の無駄だった。
超簡単に三人目撃沈す
つづく。
~関東の義弟へ~
長男が東京で就職した時、ハガキを出した。
近くに就職するので何かと迷惑かけるかも
知れませんがよろしくお願いします、と。
家族揃って帰省した時もいつも空港の送り迎えや
実家へは行かずうちにばかり来ていた義弟家族。
その後、長男に電話でも来たか?聞いたが音沙汰なしと。
そんなもんなのかなぁ?
気持ちがイヤだった。
だけど同じ穴のムジナと思ってあきらめた。
何もせずに四人目撃沈す
つづく。
~夫婦の最後の会話~
もんもんとして悩んでいた
ある日、
二十数年毎日のように
顔を出していた私のこと、
あの義兄の言った言葉から、
急に行かなくなったので姑が
様子を見に来た・・バスに乗って。
事務所で一人で休憩していたダンナに
「〇〇さんはどうして来ないのっ!?」
と大きな声で聞いている声が二階のリビングのソファで
休んでいる私にも聞こえた・・
イヤだなっ、、来たんだ・・
はぁ、、、
イヤだイヤだ!
そう思っていたら
黙って音もなく上がって来ていた!
「〇〇さん!どうしたの?」って!
慰めるとか、体調を気遣ってとか、
優しく気遣うとか、
そんな言い方ではなかった!
根性の悪いイジワルバアサンのような言い方だった!
まるで先日の義兄のタンカを切った時のような言い方!
激しい言い方!
急に来なくなって!
私はあんたが来ないと困るの
わかってるでしょ!みたいな!
責める言い方。
私は返事もせず!
さっと立ち上がり、バッグを取って
すぐ階段を降りて車で出た・・・
行先は実家。
大好きな母がいる実家。
父はとうに亡くなっていた。
兄も義姉も共働きしていたから留守だった。
実家では最初から庭に二軒の家を建てて
家は別々に住んでいた。
だから、私も行きやすかった。
結婚してからあまり行くことはなく、
義実家の方だけ毎日行っていたが。
久し振りの母の顔があった。
嬉しそうにすぐお茶を出してくれた。
おいしい。
昔からの母が淹れてくれるお茶の味だった・・
お菓子なども色々、テーブルに並べてくれた。
母には義実家のことは何ひとつ話していなかった。
なので、
私が悩んでいることなど知るよしもなかった。
心配させたくなかったし。
何気ない会話をしていたら、
そこにダンナが来た!
(歩いて帰る途中の姑を車で送り届けてから
実家にやって来たのだ)
つづく。
~夫婦の最後の会話~つづき
母に挨拶もせず玄関先で私の顔を見て言った!
「うちのバアサンは何も知らないんだよ!」
ってか!?
はぁっ!?
何も知らない?訳ないジャン!
どっちかというと張本人ジャン!
何言うか!
追っかけて来てまで言うか!
自分の母親をかばうダンナ!
じゃぁ、私の母は?
母の方こそ何も知らないのに・・
目の前で言う!?
母は何事かと、、驚いた。
不安そうに見ていた・・
仲良しだと思っていた娘夫婦が目の前で
急に夫婦ケンカ!
すぐ車で家に戻った。
ダンナも車で家に戻った。
もうここではっきり言うしかない、、
ダンナには最後の最後でいいと思っていたが。
ダンナが自分の母親の味方するなら
もう覚悟が出来ていたから・・
家のリビングで話しがある、と私。
8歳年上のダンナは下を向いて黙っていた。
私が言った
「私は二十数年、一生懸命あなたの親兄弟姉妹の
世話をして来たんだけど、もう疲れた・・」
ダンナが言った
「恩にきせて言うなっ!」
それを聞いて愕然とした・・
8歳も年上の無口なダンナは、
「これほどまでに自分の親兄弟の
世話をしてくれてありがとう」と
口には出さないけど、
心の中で思ってくれてくれてるもの・・・
そう思っていた・・ずっと長い間。」
大きな勘違いだった!
そう心の中で思った瞬間、
その次にダンナが言った・・
「オレにどうしろって言うんだ!?」
だって!
私はとっさに言った・・
「いいえ、どうもしてほしくありません・・」
と言って立ち上がった。
つづく。
~次男と高校と離婚届~
甘えさせてくれるかも?
8歳年上のダンナ・・
大きな間違いだった・
甘えさせてくれるところか
逆に頼り切ってきた・・
もう背負いきれなくなっていた
三級整備士の資格を持っていたため、
車検整備もできてこれから来るであろう
自動車の全盛期に向かって頑張ろうと
ハッパをかけて盛り上げた。
義姉の土地に小屋を建てて借りていたため
バイパス道路脇の土地を買い店舗付き住宅を建てた。
ダンナが車検整備を済ませた車を私が県庁所在地の車検場まで往復する日々が続いた。
そんな中に起きた義実家の金騒動・・
人間の汚い部分が表面に現れて
どうしようもなくなった。
私にはそんな汚い人間たちのために尽くすなど
もうゴメンだった。
とうとうダンナの本心も知ってしまったからには
もう終了するしかない。
決心した。
離婚を。
ただ無口なダンナに離婚届をいきなり出すと
怖かった!
どうなるか!?
包丁でも取り出すのではないか!?と。
そこで
同じ町に住んでいた義姉の親戚の若い夫婦に
仲に入ってもらおうと一人でお願いに行った。
一部始終を話し終わったら
若い夫婦は理解力があり、
分かった!
いいよ、私たち夫婦があなたが留守している時に
行ってあなたの気持ちを話して来るから、、と。
すぐ実行してくれた。
ダンナが言ったと。
離婚届に印鑑は押すけど
提出する時期は
次男が大学を卒業して
就職が決まった時点で
提出してほしいと・・
**
次男はちょうど高校三年生卒業前で
夏頃にはすでに推薦入学が決まっていた。
・・・私の母校で、しかも昔、私が推薦してもらった
時の関西の大学だった・・
すごい縁を感じて感謝した**
今では片親の学生は多すぎるほどだが
当時は片親だと就職先に響くと
思われていた。
それには私も納得した。
若い夫婦のお蔭さまで
簡単にことが進んでほっとした。
恩人ができた。
いつかこの恩返しはしないといけないと誓った。
つづく。
~大型免許~
あれから家を出た。最少の荷物だけ持って。
母の故郷の町に賃貸の一軒家を借りた。
そして自動車学校に入校した。
東京に出て男の人並みに稼ぐには男の仕事を
するしかないと考えて大型免許を取得するためだ。
だがそのためにはお金が必要だ。
家賃と生活費と自動車学校費用。
ちょうど入校した日に知り合った喫茶店を経営している女性に帰りに
コーヒー飲みにおいで、と。
早速、行って身の上話をした。
非常に興味を持ったらしくて、妹さんと二人でその後色々な面倒を見てくれた。
母も自動車学校に連れて行った時のこと、
大型車で実技運転している私が
外のイスに座っている母に向って
運転しながら手を振ったことがある。
助手席の先生も大笑い
母も大笑いしていた。
あとで母に真面目にやりなさいと怒られたけど。
今はもういない母だけど楽しい懐かしい想い出。
最後は苦手な深視力検査。
遅くまで何回も深視力検査の練習に先生たちみんなも
付き合ってくれて応援してくれたっけ。
学科も実技も合格して
いよいよ住所の場所の試験場に。
いつも母と一緒だった。
深視力検査がダメだった!翌日、再度挑戦して合格。
晴れて大型免許取得。
やったね。
つづく。
~上京前のバイト~
一円でも多く稼ぎたいと言う私に喫茶店のオーナー姉妹が
警備員がいいんじゃない?と!
そうだ!いいかも!
早速、紹介してもらいバイトを初めた。
ここでも初めての仕事だったし、
毎日違う場所で私にはとても
楽しい仕事になった。
季節は正月前の寒い毎日だったけど、
通りがかりのオジサンが助手席の窓から熱い缶コーヒーを「ほぃ」って
手渡してくれたり、助手席の窓を開けて可愛い小さい手から熱い缶コーヒーを毎日手渡してくれるし、この子には最後の頃、お菓子を箱いっぱい入れて今までのお礼をしたっけ。パパが優しいから子供も優しいんだね。
ある日は、オバアチャンがうちになってたからとみかんを袋いっぱいくれたっけ。
ある日は新しい家の棟上げだと餅まきがあって警備員さんみんなと
拾いに行ったら、上から見てた建て主さんが大きな餅を私めがけて
投げてくれたっけ。
その沢山の餅を仕事帰りのオジサンが窓から
私を見て持ち投げ行きたかったけど間に合わなかったか!
と残念そうに言ったので
拾った餅全部を喜んで上げたっけ、私餅嫌いだし 笑、
そしたら翌朝、仕事に行く前、
わざわざ昨日のお礼にと持って来て
(何か?忘れたが・・)くれたっけ 爆笑。
本当に母の故郷の町はどれほど沢山の人たちに親切の気持ちを頂いたか・・ありがたい。
つづく。
~高校卒業式までのバイト~
ある時 同じ警備員さんの若い女の子が貸家のうちに電話してきた。(電話機も喫茶店のオーナーが貸してくれたんだ。他にもいっぱい貸してくれた。)
用件は何?
その日、非常にやりにくい場所(複雑に入り混じっていた大小の交差点)で
一人のオジイサン警備員と二人派遣されて、、
車の免許も持たずほとんど素人で。
結局、私が一人でテキパキ(爆)笛を吹きながら紅白の旗を
交互に振りながら一日仕事をやった、、
それを見ていた近所の独身の散髪屋さんが
あの人とお見合いをしたい!?(爆笑)
私の返答は「私は次男の高校の卒業式の翌朝には東京に行くから。ごめんね」
(爆・爆・爆)
そうなの!
私の気持ちはすでに東京へと飛んでしまっていた(爆笑)
つづく。
~占い~
NO;167に出てきた仲に入ってもらった若夫婦の
奥さんが隣町で家督さんという良く当たると
いうところに
行って私のことを聞いて来るからと電話をもらった。
私のためにわざわざ商売していて多忙なのに。
気持ちがありがたかった。
夜、再び電話をもらった。
「〇〇さんの生年月日と名前を言ったら、
(-この人にはもう都会に行く道ができている。
そして、いい人たちとの出逢いがあるー)
そう言ってたよ。」と伝えてくれた。
有りがたかった。
どんな言葉よりも力が出る言葉だった。
それが嘘だとしても、
それだけは信じたかった。
*追記
やっぱり、よっちゃんのことを
想い出した・・
石切さんに連れて行ってもらい
よっちゃんとのことを占ってもらった。
二人はうまくいかない・・。
ホントだった。
当たったんだね。
つづく。
~母の妹夫婦~
警備員の仕事は毎日違う場所だった。
住所を聞いて車にで向かう。
車のカーオーディオにいつも流れている曲は
東京で就職している長男がテープに録音して
送ってくれたモノだった。
大人になってからの私は洋楽ファンだったが
その当時流行っていた邦楽はポップ調で
佐野元治など何十曲も入っていた。
長男の優しさが嬉しくて往復いつも
聞いていたしお昼休みには車で
手作り弁当を食べながら聞いた。
色々なことを想い出して涙が出たことも。
そんなある日、
ほとんど車が通らない田舎道で警備していた。
一台の車が珍しくやってきた。
助手席をふと見ると、ナント!母の妹だった!
孫を抱っこしていた。
私を見てニコッっと笑った。
運転席はダンナの叔父さんだった。
乳牛をいっぱい飼っている酪農家だった。
跡取り息子だった次男を病気で亡くしていた。
町まで買い物に行ったと思った。
その数時間後、またやってきた。
行きと同じく孫の手を振っていた・・
それだけ・・
?
エェっ!?
見ず知らずの赤の他人さえ缶コーヒーなどを
くれるよーっ!
赤の他人以下の叔父叔母だった・・
子供の頃から母に連れられて
色々な手伝いに行っていた姪だよ!
しかも、私が結婚してからもうちにも
団体大勢で何回も遊びに来てご飯を
食べて帰ったりしてたでしょ!
離婚して可哀相に警備員をやってるワ、、
位にしか思わなかったの?
それが叔父叔母?
母方の親戚はみんないい人と信じていたのに。
そんな薄情な人間だったの?
信じられなかった!
イヤイヤ、何も物が欲しい、何かをくれと言ってるんではない!
せめて車を先に停めてから車から降りて声をかけて欲しかったんだよ!
ようは気持ちが欲しかったんだよ!
心が!普通の幸せな主婦じゃないんだよ!
あなた方が見た姪は!叔父さん叔母さん!
気が利かない、、そうなんだよね、
分からないんだよね、叔父叔母は。
他人以下だった・・
世間の人たちは本当に優しい親切な人たちが多かった町なのに。
もういいわ!どうでも!
その時、
悲しかった!
寂しかった!
母にはこのことは言わなかったが。
また人を信じられなくなってしまった。
でももうどうでもいいもんね、この人たちのことは。
わたし、、春になると東京へ行きます 爆。
つづく。
~ダンプのお兄さん~
警備員をしていると色々なダンプが砂利や砂などを
いっぱい積んでやってくるので
その誘導も大事な仕事だった。
その中の一人のお兄さん?オジサン?がいたが
いつも来る度に熱い缶コーヒーを手渡してくれた。
高いダンプの運転席から手を出して・・
「ありがとう~」
嬉しかった!気持ちが・・(またソレカイ 爆)
本当にその時の私には人の優しさ、
気持ちに飢えていたんだね。
困った人に差し伸べた手を
その次に
また困った人にそっと差し出す
そんな人と人の助け合いみたいな・・
そんなことを期待していた。
理解不能になってきたし 笑。
で、そのダンプのお兄さんが(感じが)
真面目で面白くて恥ずかしそうにはにかんだ。
私の仕事場ではない時でも、道路を通る時には
必ずいつもの缶コーヒーを差し出してくれた。
私とコンビの人の分まで用意してくれていた優しさ。
つづく。
~ダンプのお兄さん~つづき
ある日、すごい山の中での現場仕事の時があった。
そのお兄さんもダンプでやって来た。
そして昼休みになって私の車を貸して、と言ったので
いいよ、どこ行くの?と聞くと
現場のオバチャンたちがたき火しているので
サツマイモを買って来るよ、焼き芋食べるでしょ?って!
(実は、私、焼き芋嫌いなんだって言えなかったし・・)
わざわざサツマイモを?驚いた。
しばらくしたら大量に買って帰って来た 爆。
早速、たき火に中に入れた。
そしてまた仕事が始まって・・
その間、オバチャンたち大勢が美味しそうに焼きあがった焼き芋を全部食べてしまって・・・爆。
三時の休憩に急いで戻って来たそのお兄さん、、、
ポカーンとしてたっけ 大爆笑。
みんなで大笑いしてた・・バカバカ!
ひとつくらい残しておけよな!
焼き芋を見ると今でもそのお兄さんを思い出す。
そして
いよいよ、次男の卒業式の前日が最後の仕事になった。
その日は
そのお兄さんは現場の仕事ではなかったようで
ダンプに乗って来なかった。
そのお兄さんだけには最後に挨拶して帰りたかったけど。そう思っていたら、終わり前に偶然にもやって来た!
良かった!
私はダンプの所まで駆け寄った!
高い運転席に乗って待っていてくれた!
「私、今日で終わりです。あさって東京に行きます。
今までありがとう、お世話になりました!」
と言うと
一瞬、さみしそうな顔をしたけど
「そうかぁ、元気でね。また会おうな」って 爆。
それっきり会えないけどね。
つづく。
~コンビの男の子~
その子と初めて会ったのはその日の現場だった。
早めに来ていたのか、現場の建物の下に腰を
下してうつむいてジィっとしていた。
何だか寂しそうな感じの男の子だった。
今日の現場のコンビらしい。
細い体で背が高くて顔も小さかった。
警備員の制服を着た格好もなぜか不似合だった 笑。
声も小さくて低い声でおとなしいしゃべり方した。
無線を持ってお互いが見えない場所で
交互に誘導するのだが
最後の車のナンバーを言ったり
少ない時には車の車種を言ったりする。
いくら国道といっても田舎町のこと、
都会のように車もしょっちゅう通るわけでないので
お互いに無線でおしゃべりしたりして
その子もドンドン打ち解けておしゃべりさんになった!笑。
16歳?だったかな?忘れたけど。
よっちゃんを想い出すような感じの子だった。
私が次男の高校卒業式までで
翌日は東京に行くんだよ、と言うと
「いいなぁ~」ってポツンと言った。
東京にあこがれている田舎の男の子だった。
その時、その子が無線で突然叫んだ!
んっ?
なにごと?
つづく。
~コンビの男の子~つづき
「オレのオヤジだ!オヤジが通りまーすっ!」
「了~解」
見ていると、間もなく一台のトラックが見えて来た。
運転席を見るとその子のオヤジが(笑)
笑顔で私を見ていた!
我が子が仕事をしている前を通る父親ってどんな
気持ちだろうな、とふと思った。
そして次の日もその子が言った!
「またオヤジが通りまーすっ!」笑。
待っているとそのオヤジが!?
車を少しだけ速度を落としたと思ったら、
ナント、前もって窓を開けていたのだろう、
運転席から熱い缶コーヒーを
私めがけて
ポーンと投げてくれた!
流石の元ソフトボール選手だった私も
あまりにも突然の行為だったので
予期せぬことだったので!
キャッチしそこねて、ガッチャーン!
道路に落としてしまった!
缶が少しへこんだだけだったけど・・笑。
拾いながらすぐオヤジの顔を見ようとしたら
とっくに通り過ぎていたっけ 笑。
すぐ無線した!
「そのオヤジが缶コーヒーを投げてくれましたぁ~♪」
すると
即、返事が返ってきた!
「エェェっー、嘘ぉ!まさか!オヤジがぁ!?オレには?」
信じられないと言った感じだった!
爆笑~♪
笑いました、、お互いに。
楽しかった。そんな時間が。
近寄り難かった暗い性格だと感じたその子も
本当は素直でいい子だった。
一日で可愛くてたまらなくなった。
息子みたいに思った。
翌日からは
弁当を持ってこないその子とお菓子や
お弁当も分けっこして食べたっけ。
一回はちょうど現場の目の前に食堂があったので
一緒に行って定食?を食べながら将来の夢などを
語り合った。親子みたいなのにまるで恋人同士みたいな
会話だったりして・・爆。
そして、
だんだん次男の卒業式の日が近づいて来ていた。
つづく。
~コンビの男の子~つづき
その子にも東京行きを話した。
その子はいいなぁ、と言った。
お土産を買って来るよ、何がいい?
「ジャイヤンツのジャビット!」って!爆。
それじゃぁ、
東京ドームまで行かないとね、と
私が言ったら、
一緒に行きたいなっ、って 爆。
東京へ行く前日にその子に行って来るね、
と言ったら、やっぱり寂しそうな顔をしたっけ 笑。
つづく。
~仕事探しのための上京~
ー順番間違えたー
だんだん卒業式が近づいて来ていた頃に
警備会社に休みをもらって東京に行くことにした。
数日だったかな?覚えていないが。
仕事を探しに行く予定だった。
大都会の東京で年をとったオバサンがどんな仕事すれば
まずまずの生活ができるのだろう?
未知の世界だった。
東京へは観光や親せきの家へ数回行ってはいたが、
生活するとなると一円からのお金がないと生きては
いけない東京。
田舎なら隣近所から畑の野菜を一本からでももらえるが
東京ではそんな人などいない。
ネギ一本からお金を出して買わないと生きていけない。
まず仕事探しだった。
東京には長男が二年前に就職して社会人として暮らしている。
だからと言って東京に決めたわけではない。
長男は自分で決めた道をしっかり一人で歩いている。
だから迷惑はかけたくないという気持ちが強かった。
が、最初はどうしても母親が心配でたまらないだろうから、
数日は一緒にご飯を食べたり寮に案内してもらったり
しようと長男と相談して決めていた。
さてさて、どんな仕事があるのかな?
この頃でも、不安よりも期待の方が大きかった私。
楽しみでもあった。
待ち遠しかった。
つづく。
~母の気持ちと子供たちの気持ち~
仕事探しのために東京へ行く日が来た。
賃貸の一軒家を出る前に
実家の母に電話した。
そうそう、電話と言えば、
毎日毎晩、母に電話すると約束していた。
仕事から帰るといつも喫茶店のオーナーから
借りている電話機がピカピカ光っていた。
母がいつも留守電に声を残してくれているのだ。
仕事頑張ってねー
今日は寒かったねー、体大事にねー
お風呂わかしているからおいでー
お煮しめ沢山作ったからおいでー
とか 爆。
休みの日には顔を見せに帰った。
帰りにはタッパーに沢山の母の味を
詰めて持たせてくれる。
仲良し夫婦だと信じていた娘が
年とってから離婚して
そして、大阪よりもっと遠い遠い東京へ
行ってしまう、、、
母の哀しみと寂しさを
思うと心が折れそうだけど、
もう決心したのだ!
今度こそ、自分の幸せのために東京へ行くと!
母に行って来ますと電話で言うと
「気をつけてね・・」
と言った。
私は賃貸の一軒家に停めている車に乗り自分の実家
の方へ続く国道を走った。
旧道の方に誰が立って手を振っている?
母だった!
私が家を出る時間と母の実家の側を通る時間を予測して
待っていたと思う。
懸命に手を振る小さく見える母の姿を見ると
涙が出てきた、、
イヤイヤ、自分は泣いたらいけないんだ、
笑って仕事探しに行かないとダメでしょ!
そう思って、助手席の窓を開けて
母に大きく手を振った!
だけど、母の気持ちを思うとまた胸が痛んだ。
バイパスを通ると懐かしい子供たちと暮らした家が見えてきた。
平日だから次男は学校だ。
次男もどんな気持ちでこの数か月を過ごしたのかな?
可哀相だった。
でも、男の子だし、高校卒業まで頑張った母だから、
許してくれるよね。
最初、長男にも次男にもキチンと話した。
すると二人共、小さい頃から私のことしっかり見ていてくれたから
「今までは人の世話ばかりして来たでしょう。
だから、今度は自分の幸せだけ考えていってほしい。
好きなように生きて行ってくれたら俺たちはその方が
嬉しいよ」って。
ありがとう、ほとんど抱っこもして上げる暇もなかったのにこんなにいい子に育ってくれたんだね、と
感謝した。
涙をふいて、、空港へ向かった。
つづく。
~仕事決まる~
久しぶりの東京だった。
離婚を決意したあと長男が私と母と父を
招待してくれたのは数か月前。
その時はホテルを連泊で予約してくれていた。
今回も予約してくれた。
羽田空港まで長男が迎えに来てくれていた。
まず食事をしてから
原宿や渋谷などに遊びに連れて行った。
今までの田舎の世界が嘘みたいに
思われた。
田舎での暮らしは時が止まったようなそんな日々。
だが東京は人と車と高層ビルが隣立して道路が
より狭く感じる。
翌日、履歴書持参で検討をつけていた会社へ
行った。
履歴書には嘘を書いた・・爆。
大型ダンプに乗って働いていました、、と。
イヤイヤ履歴書の嘘はいかんでしょ!爆。
東京の隣街の運送会社。
女性は採用していないがもし良かったら
働いて見る?
と人事担当の中年の女性が言う。
「ダンプに乗ってたんだったら大丈夫よね?」
私、、「はっ、はい、大丈夫です・・」
声が小さくなった・・爆。
大体の来社日時を決めた。
いきなり大型車に乗って大丈夫?
長男が心配した。
車検で色々な四トン車には乗っていたし
何でも乗れる自信はあった!
好きこそものの上手なりってか!
いきなりの採用で驚いたが、
これでやってみるしかない。
お給料も結構良かったし。
男も女も差はない職業。
免許が証拠だった、まだ待遇が良かった時代。
イチかバチかやるしかなかった。
あとは遊び回った。
色々な所へ。
まず東京ドーム。
お約束のお土産を買うために。
試合はなかったがドーム内に入ると
ちょうど人口芝の張り替え作業中だった。
面白そうに見ていると職人さんが
芝の切れ端を高く上げて「いる?」って!
コンビの男の子にいいお土産だぁ♪
30㎝角?位のを数枚?記憶にないが。
もらったが、、重かった!爆。
あとジャビット君ぬいぐるみや、色々なグッズを
買った、
喜んでくれるかな?笑。
あとはどこに行ったかな?
記憶にない・・ゴチャマゼになっているし 笑。
数日を東京で過ごして飛行機で帰った。
次男の元へ。
待ちに待った卒業式までもう少し。
つづく。
~バイト最後の日&母との最後の夜~
明日はいよいよ卒業式。
最後のバイトになった。
コンビの男の子にお土産を渡すと喜んでくれた。
良かった。元気で頑張るんだよって約束して別れた。
今頃、オジサンになったかな?笑。
しばらく暮らした家の掃除や荷物の片付けや東京に送る物など引っ越しの手伝いをしてもらうために
母を迎えに行った。
精いっぱい掃除をしてくれたり料理を作ってくれたり
母は元気だった。
娘が時間の経過と共にドンドン離れて行くのに・・
きれい好きな母で良かった。
私一人ではとうてい無理だった。
ピカピカに掃除してくれた母に感謝。
大家さんも喜んでくれた。
喫茶店オーナーに借りた物もきれいに掃除してくれて
返しに言った。お礼をしようとしたら、
「あなたが東京で元気でいてくれるだけで嬉しいから。
連絡してね。」って。
お世話になりました。
母の故郷の町は第二の故郷になった。
数か月だけのバイトだったけどみんなが親切だった。
本当に情のある人々と一期一会があった。
ありがとうございました。
大好きな第二の故郷。
大好きな町。
大好きな海。
実家で母と水入らずで最後の夜を過ごした。
時間が静かに流れていく・・。
母はきっと眠れなかったんだろうな。
*追記
このバイトのお給料日振り込みはひと月後だったため、
通帳と印鑑を母に渡した。振り込まれたら高速バスに
乗って銀行で全額下ろして通帳を削除してもらい
お給料は母へのお給料として頂いて下さいと伝えると
母は笑った。結構な金額になっていたし・・爆。
楽しく仕事できておまけにお給料もたくさんだと
嬉しいよね。今では大変な時代になったけど。
つづく。
~高校卒業式~
長い間、待ち続けたこの日。
自分の母校、懐かしいあの高校生の頃。
色々な思い出が次々に浮かび
早くも涙が出てきた・・
体育館に卒業生が拍手と共に入って来た。
次男の姿も見えた。
恥ずかしそうにうつむいていた。
次々に式次第が進み、卒業証書授与。
「夢をあきらめないで」の曲が静かに流れて・・
クラス代表として受け取るために次男の名前が呼ばれた。
ビックリした・・隣の席で友達もビックリしたのか私の顔を見た・・
何も聞いていないし教えてもくれない次男。
そして子供の頃からの顔や様々な想い出が走馬灯のようにグルグル回り涙があふれてきた・・
代表で受け取る姿もしっかり目に焼き付けた。
今までのように普通の家庭ではなくなるのだ。
余計に感無量になった。
明日は親子で旅立つ日。
本当にこの日をどれだけ指折り数えて待ったか
人の世話をするために結婚したのではないのに
苦労が報われなくて残念な結末になったが
もう明日からは自分ひとりだけの心配だけで
して生きていけばいいだけのこと・・
そう思うと心が軽くなった。
卒業式が終わると次男を家に迎えに行ってから
母も乗せて昨日までバイトした母の故郷、
私の第二の故郷の町にお祝いのご飯を食べに行った。
懐かしい第二の故郷よ、さようなら。
一期一会の人々ありがとう。
*追記
卒業式に流れた曲「夢をあきらめないで」は
数年前にイルカのラジオ番組の募集でこの曲を書いてハガキを
出したことがある。
それがラジオで流れたようだが惜しくも聴いていなくて、、後日、お米や色々な物が届いて驚いた。
時々、ひとりカラオケに行くがビートルズやマイケル・ジャクソン、
エリック・クラプトンを歌う合間の箸休めとして
この曲もたまに歌うことがあるが、
やっぱりいつ歌っても何年たっても
涙があふれてしまう。
今では懐かしいあの日あの時の卒業式。
想い出はいつまでも消えることはない。
つづく。
~親子で旅立ち~
翌日、親子二人がタクシーで空港へ向かった。
まず関西にある次男のマンションに行く。
三方が一面の広いガラスの明るいワンルームで最高だった。
次男が秋頃に一人で決めたのだった。
全てを揃えてあるのでやることはないので
私は一人で街をブラブラしたり二人で食事に行ったり
楽しい一週間があっと言う間だった。
明日は新幹線で東京へ行く日。
いよいよ、私のオマケの人生、おつりの人生が
スタートする。
さてどんな人生になるのだろう?
不安より期待の方が大きかった。
「男やもめにウジがわく」
「女やもめに花が咲く」
本当だなって実感した 爆。
つづく。
~おまけの人生~
あの日からひと月後には会社の近くにワンルームマンションを
借りた。
初めての仕事は大型車でケミカル関係や劇物などを扱う
大型タンクローリーに乗り始めた。
最初に感動したのは、
早朝の首都高湾岸線の横浜ベイブリッジまで来ると右手に横浜みなとみらいが見えた~!憧れていた風景・・
そしてその上に大きな真っ白な富士山が~!
「キャーア~!」
一人で大声を上げて感動した!
乗用車でもなく軽トラックでもなくエス6でもなく四トン車でもなく、、、10トン車だから運転席が高い位置にあるから余計に景色が良く見える・・
あの光景は今でも忘れない。
大好きな車に乗れて一人で仕事をしている自分が
嘘みたいだった。
だって、
つい、この前まで、ド田舎の狭い範囲の中で年寄りや親せき連中の世話に明け暮れていたのだから・・
それを自分が死ぬまで続けなければならなかったんだ、、よ!
イチかバチかの分かれ道だったんだろう、
あの金問題が・・
人生の岐路と言ってもいいほどの出来事だった。
田舎で死ぬまで住み続けるということは
人間関係のしがらみに死ぬまで抜けられないという意味だ。
だから、良かったんだ!これで・・・。
今は、自分ひとり。
なんて、身軽なんだろう~。
運転しながらわざと大声で叫んだ!
「ありがとう~っ、
私は東京に出て来て良かった~っ」って 爆。
毎日まいにち、行先が違うし、
全てが高速チケットを会社からもらえるし
大好きな運転出来て、良いお給料も頂けて、、
なんて自分は恵まれているんだろう、って思った。
つづく。
~楽しい毎日~
人のためにほとんどの時間を費やしていた今までとは
大違い。
遠くでは栃木県佐野市、群馬県藤岡市など。
あと関東近郊。
楽しかった!
面白かった!
いかにも働いているんだっていう実感があった。
昔から体を動かす仕事の方が楽しくてたまらなかった。
走っているとやっぱり一期一会があったし、
同じ会社の関西方面のタンクローリーと高速上でバッティングしたこともある。
多分、私より大先輩だと思うので
右手をあげて敬礼すると、向こうはビックリしながらも
笑顔で返してくれたり、大渋滞の中だから
しばらくは動かなかったり、、ね 爆。
千葉県木更津に行った時、
同じ荷卸し元に別の会社のタンクローリーが来ていて
運転手さんが俳優の永島敏行にそっくりな人が
いてビックリ!本人かと思った!爆。
色々、お互いの会社の話しをしたりして面白かった。
帰りは一緒になり前後して湾岸道に入ってから
しばらくは同方向だったが方向帯レーンになった所で
私は左方向に永島敏行さん?は、まっすぐ行くのだが
その時、お互いに敬礼したりして・・爆。
こんな人と人との出会いがあるのはこんな仕事をしているからこそ、、。
昔から飽きっぽい自分にはこの仕事が合っていると
つくづく思った。
ま、この頃も、職業としての女性ドライバーはまだまだ少なかったし、
特に、マンネリ大渋滞首都高辺りでは、
大型トラック運転手さんたちがジロジロ見るのがイヤだったけど・・
つづく。
~走行中にお弁当?~
東北道方面に走る時は、ジャンクションごとに大渋滞するし、
その間に手作り弁当をハンドルの上に置いて、東京ディズニーランド(まだディズニーシーはできていなかった)を見ながら
パクパク食べたけど、、、
交差する大型トラックの運転手さんたちがもっとジロジロ見たりしてた、、爆。
ある日は、
そんな大型トラック運転手さんの中で同じ会社の運転手さん同士が知り合いで、しかも、無線を積んでいて無線で即、連絡網が張り巡らされて、、、逐一報告、、されて。
夕方、会社に帰ったとたん、みんなに言われた・・
「葛西ジャンクションの大渋滞の所でご飯食べてたでしょ!?」って 爆。
本当にご飯も食べられないよっ! ジロジロ見られて・・
だ・か・ら わざと男のように黒いキャップの帽子かぶっているのに・・・!
女性用の制服を作ると言われたが男性用で充分だと言って同じ作業服なのに、口紅もつけずに。
ほかに、私はやっぱり走りながら音楽を聴いていたので
曲に合わせて体を揺らして踊るように運転したりするので、その現場を目撃、笑、されてやっぱり、無線交信されて、、会社でまた、報告された・・もうっ!
一回だけ大型ダンプカーに若い女性が運転しているのを見かけたことがあるけど、いかにも女性ですよ~って
パーマかけた長い髪を大きく垂らしていた!
その女性は女性ですよーって大きくアピールしたいのね。
私が若くてもそんなの無理無理!
でも人それぞれだからいいけど・・笑。
まだまだ女性の進出が出遅れていた、ね。
もっともっと活躍してほしいと思った。
こんな楽しい仕事なのに。
と簡単にいうけど、私の仕事内容は、
結構、危なかった。
ちょっと間違うとエライことになる。
内容が劇物、毒物などだし、
タンクローリーからホースで荷卸しする時は勿論、一滴でも
顔や体にかからないようにヘルメットやメガネで防止していた。
それでも
やり甲斐のある仕事だったから面白かった。
つづく。
~パトカーが~
ある日、
群馬県藤岡に行った時のこと。
会社からは一番遠い場所だ。
首都高回りで来るのでやはり大渋滞。
やっと到着したと思ったら
急に雨が降り出した・・
荷卸し作業中にびしょ濡れになった・・
白いTシャツの替えがあったけど、
面倒臭くてそのまま上信越道に乗ったが
体が気持ち悪くてどうしようもなくて、、
本当はダメなんだけどあと数百メートルで
本庄児玉PAだったけど、、
路側帯に停めて、、運転席で
作業服を脱ごうとした瞬間、
助手席の窓ガラスが音が!?
ん?
見たらヘルメットをした高速機動隊!
ワァッ!びっくりしてあわてて
着た!ボタンもハズシたまま!
手短に訳をはなして、、
すぐにPAに行きますからと
言うと、、
「お願いします・・」って。
もうっ!
三分もあればさっさと出発できたのに!
PAに入り一番近くに停めて
さっきのように脱ごうとして
パッと右側を見たら、、
さっきのパトカーを遠くに停めて
二人、、ジッとこっちを見て、、た・・・。
バカバカ!見てたら脱げないジャン!
(濡れた作業服の上とTシャツを脱いで
替えのTシャツだけ着て帰るつもりだったから)
私もそのまま、ジッと見てたが、、
右手で、あっち行けっ!と合図した!
すると、、ゆっくり立ち去った!バカバカッ!
もうっ!
だから、男に生まれたかったんだよ!怒!
女なんて大っ嫌いだ!
つづく。
~けん引免許取得~
朝は早い仕事だけど、その日の行先次第で
タイムカードを早く押して帰れる日もあった。
ワンルームマンションに帰っても別に何もすることもなくて
一大決心してけん引免許を取りに行くことにした。
どれくらいの日数がかかったのか?
忘れたが無事に取得できた。
会社側はけん引免許所持者が少なかったため
重宝してくれた。
大型タンクローリー(タンク車)より
大型トレーラーがの方が、よりお給料がいい。
お給料というより、
走行先の距離や何回仕事をやったかによって
お給料が決まってくる。
トレーラーは、トレーラーヘッドのカプラーにトレーラー(連結する車)のピンをつなぎ連結して走る。
ひとことでいえば、ただの箱を引っ張って走る・・だ。
なので、普通の車のようなバック方法とは全く逆になる。
初めてのトレーラーの走行時は埼玉県だったがさすがに
一人では不安だったので、プロ中のプロの大先輩に
助手席に乗ってもらった。
面白かったのは、、
片側一車線の交差点を左折する時だ。左折ウインカーを早めに出す!
交差点の向こう側には歩行者が青信号を待っている・・
青に変わったとたん、歩行者は歩き出そうとする・・
だいぶ右側にふくらんでから(もちろんサイドミラーを見ながら!内側車線分が開くので車が来ないことを確認!)
その歩行者の直前まで、ハンドルを全部切って待機・・(頭を突っ込む!)
その時自分のいる運転席は歩行者用信号の目の前!
そこで待機する・・
歩行者が渡ったのを見届けてから
アクセルを踏みながら目は左サイドミラーを見ながらハンドルを反対側に切る!
注意しなければいけないのは
左折する側に赤信号待ちの
車がいるか?いないか?
この違いでも、ハンドルの切り方が違うし
かなりその場その場で状況が変化する!
いまだに、体で覚えてはいるが書いて説明って難しい・・が。
説明が間違ってたらゴメン 爆。
あとは荷卸し場でのバックだけだ。
これは経験数と共に体が覚えてくれる。
でも、頭で考えようとしたらいつまでも
うまくはならない。
つづく。
~大型タンクローリートレーラー運転~
一回だけ、高速道路上でジャックナイフしている事故現場に遭遇!
急ブレーキか急ハンドルを切ったのか!?
ヘッドとトレーラーが「く」の字に折れ曲がった状態を「ジャックナイフ現象」というが、
(これは折りたたみナイフに似ているから)
助手席の先輩が教えてくれたが
⇊
特にトレーラーに荷物が積んでいない空っぽの時に良く起きるから運転には充分注意して。
⇊
トレーラーは「トラックの王様」だから、
ゆとりを持ってゆったりとした
王様の気持ちで運転して、って 爆。
なるほど納得。
この先輩とはこの日一日だけだったが貴重な体験させて
もらい色々指導してくれて感謝だ。
*追記
この大先輩はこの時は、スキーに行って骨折してしまい休業中だったが会社からの依頼でわざわざ乗って来てくれて
片足太ももから足先までグルグル巻きの真っ白い包帯と
松葉づえが痛々しかった。
後日、仕事帰りに焼き鳥屋さんに誘ってくれてご馳走してくれたことがあった。
とても優しい親切な先輩だった。
運転手仲間先輩同僚みんなで何回も飲み会に行ったり
して和やかな雰囲気の会社だった。
さすが大手会社。
つづく。
~先輩運転手さんの事故~
毎日楽しく仕事する日が続いていた
ある日
社員みんなで東京湾に船に乗って魚釣りに
行くイベント開催日。
私は不参加だった。
すると、当番が回ってきた・笑。
その日の当番は先輩運転手さんと私の二人だけ。
当日の朝、先輩としばらく事務所で雑談したあと、
先輩が笑顔で
「では気をつけてね~」
と手を振ってくれた。
そして
私の方が一足先に出た。
その日は大型タンクローリー(タンク車)。
会社から10分程の荷積み場で積んでから
確か?神奈川県茅ケ崎?だったかな?
積み終えてから首都高湾岸に入ろうと
しばらく走っていたら・・
後ろからライトをしきりにピカピカ光らせている車が!
?
ん?
なんだ?なんだ!?
なにごと?
つづく。
~先輩運転手さんの事故~つづき
?
なにごと?
なになに?
グングン、私のタンク車を追っかけて来る様子だし
助手席の男性が手をしきりに私?を見て
振っているようだ!?
全く理解できなかった!
しばらくゆっくり走りながら様子を見ていると
やっぱり私に急用があるような感じに受け取ったので
路肩に停車した。
するとすぐ追いついて来た!
乗用車の二人の男性があわてて降りて来て
私の元に駆け寄った!
あわてていた!
大声で言った!
要は、
先輩が事故した!
事故現場に遭遇したその車の男性たちに
私の車を追っかけて私に事故のことを
伝えてくれとお願いした?!
(会社のタンクローリー車は全車全く同じ車)
その人たちに事故のことを教えてもらったのは
私が会社を出てから40分後位だったと
記憶している。
と、いうことは先輩は会社を出てすぐに
事故した?
つづく。
~先輩運転手さんの事故~つづき
わざわざその人たちはずっとずっと
私のタンク車を探し回って
(直後は荷積み場に行っていたので道路を探しても見つからなかった!)
責任感から色々探し回ったであろう、
やっとタンク車を発見したのでスピードをあげて追っかけてきたのだ!
ありがとうございます!おかげさまで助かりました。
あわててお礼を言って引き返した私。
焦った!
つづく。
~先輩運転手さんの事故~つづき
あわてて引き返した!
走りながらどういう状況か全くわからないので
まず事故現場に行ってみないと進まないし
東京湾で船釣りを楽しんでいる頃であろう
上司に連絡しないと!
会社の近くに来たら、先輩のタンク車が見えた!
壮絶な事故現場だった!
想像した以上の!
パトライトを光らせたパトカーが数台見えた。
救急車は見えなかったからとっくに怪我人?を
乗せて病院に搬送したあとだったのだ。
沢山の警察官に囲まれている先輩をチラっと見ながら
会社の狭い駐車場に入れた。
走って先輩の所に行った!
先輩はいつも日焼けした黒い顔で笑顔でいる人だったのに顔色が悪く(当たり前!)泣きそうな顔で私を見ると
「ごめんね」と言った!バカバカ!謝る所じゃないのに。
「怪我しなかった?」
そう聞くのが精いっぱいだった。
私はつとめて落ち着いて
上司にはちゃんと連絡するから大丈夫だから、
とかなんとかこんなことを
言ったような?
事務所の鍵はどこにあるのか?
それもそうだがいまだに事務所の電話を
使ったことなかったので
果たして上司に電話できるか?
もう時間の無駄だった!
自分の携帯電話があるのを気がついた!バカバカ!
タンク車に戻り助手席のバッグから携帯電話をとって
まず貸し切り船の店に電話をしてから
船の無線で連絡してもらった、、ようだった。
記憶にないが、確かそんな流れだった。
時間はかかったが何とか上司の声を聞けて事故の連絡がとれた。
船釣りのみんなが急きょ会社に引き返して来た。
先輩と上司がお見舞いに行った・・。
その夜、事故相手の方は死亡・・。
それからのこと、、。
その先輩とはその後一度も会うことはなかった。
今でも、いつも笑顔だった先輩の顔は覚えている。
どうか元気でいてほしい。
つづく。
~母との約束~
年をとってから遠い東京に行くなんて、、と
母は強く反対した。
母にとったら東京は遠い・・笑。
(その当時は特に、、ね。)
就職した関西にずっと住んで
いずれ結婚生活もここで、と
思っていたが
親孝行だと思って仕方なく田舎に帰った。
そして結婚。、、、失敗。
今度こそ自分自身の幸せのために、
上京決意した。
勿論、母のことも考えた。
出来るなら母も一緒に東京で暮らす、
それも考えた。
だが無理な話。
そこで考えたこと、
遠いと思っているなら、
毎晩8時に必ず電話しておしゃべりできる。
母は夜8時になるのを
楽しみに待つし、
期待するだろうし、
毎晩いくらでもおしゃべりしたら
距離などは感じない。
むしろ同居している親子より
もっといい関係かもしれない。
同居していても何日も顔を合わさない親子なんて
いっぱいいるし・・。
そして上京してすぐに
携帯電話を買った。
ちょうどDOCOMOから携帯電話が
少しだけ小さくなって
発売された時だった。
電話機と付属品合わせて20万円近く。
そして
定額料金 毎月1万円。
プラス電話かければかけるだけバカ高い通話代。
それでも、母と約束したから。
いつでもどこでも夜8時になったら
電話をかけられる便利さには料金など平気だった。
頑張って働けばいいだけのこと。
ワンルームマンションに固定電話もあるし、、。
いつでもつながっていられる安心感。
それにしても、その携帯電話、
黒いし
厚いし
重いし
アンテナも中途半端な長さだし
プープープープーとなかなかつながらなかったし
電波状況も最悪だったし 爆。
渋谷の街中でバッグに入れている携帯電話が鳴った時の
周りの人たちのビックリした顔!
それくらい誰も持っていなかった。
外回りの営業マンさえポケットベルも時代だった。
こうして母と私の約束は一日として欠かさず
電話した。
なんて親孝行な娘!
自画自賛、、
誰もわたしのことほめてくれないから・・爆。
つづく。
~「〇〇ちゃんを守る会」?~
大型タンクローリーを運転して色々な企業に行った。
ある日は食品会社。
ある日は石鹸会社。
ある日は化学製品会社。
ある日は栄養補助食品会社
ある日は石油会社、、と
さまざまな所で使用されるケミカル部門。
とても多忙な日々だった。
ある日
数回、行ったことのある会社に到着。
荷卸しが終わると必ずそこの会社の
担当者に押印してもらうのだが
初めて見る人が二人やって来た。
新しい担当者らしい。
荷卸しを終えたホースをタンク車に積んでいる様子を
じっと見ていた担当者の一人が
聞いた、、
「出身はどこ?」
?
方言まじりの私のしゃべり方で!爆。
やっぱりね、!
言われると思った!
自分でも悩んでいたし 笑。
〇〇です
やっぱりね!そうだと思ったよ!笑。
オレは隣の〇〇県だよ!
そうですか!
って会話になり、
しばらく賑やかな立ち話しになった。
年とったオバサンが作業服着てヘルメットかぶって
大型タンクトレーラーに乗って来た!
って不思議だったんだろう 笑。
不思議というより面白い!?
珍しい者見たさ!?
コワイ者見たさ!?
ってか!?
そこでちょっとだけ身の上話し。
本当はまだ離婚が成立したわけではないので
「バツイチ」ではないが「バツイチ」もおなじ。
(今ではバツイチって当たり前のように、むしろ流行りのようになったが、当時はバツイチってまだ珍しかった。
バツイチの方がかえってモテた位だった 笑。)
いきなり担当者が言った!
?
「これから悪い虫がつかないように 「〇〇ちゃんを守る会」 を発足しまーすっ!」 って!!爆笑。
というわけで発足していただきました 爆。
♡ココ重要ね ⇒ ホッ ホントはその時には・・・
もう悪い虫がついてたんデスけど 爆。
つづく。
~〇〇ちゃんを守る会~つづく
というわけでわざわざ私めごときのために会を
発足していただきまして誠にありがたく存じます 笑。
と次週の日曜日に料理屋さんに
席を設けていただきました 爆。
そこの会社の上司数人、
その担当者、
もう一人の担当者、
それにそこの会社に何か?を卸している企業担当数人。
早くいえば接待だった!爆。
接待の席に便乗~っ。
最寄の駅に着くとベンツでお迎え!
もう一人の担当者がベンツの持ち主で
隣県出身担当者が
後ろに座って待っていた 笑。
あまり覚えていないが
早い話、、
もう一人の担当者、ベンツの持ち主は
実家がお寺で、、独身で、、
要するに、、
お嫁さんが欲しかった! 爆!爆!爆!
というわけでご馳走だけ頂いて無事に帰りました 笑。
つづく。
~タンクローリーの左サイドミラー~
前述の「~パトカーが~」事件の時の
群馬県藤岡にまた行く時のこと。
高速を走り慣れている人間から見てもどこのジャンクションでも
わざと渋滞させるような作りになっている感じだ。
が、大都会のまして狭い空き地空知に1964年東京五輪に間に合わせで
急きょ作られたからしかたないのかもしれないが。
このままでは2020年東京オリンピックにはもっと大大大大渋滞になる!
1号横羽線2車線と11号台場線2車線が合流~
少し進むと都心環状線外回りが左2車線
都心環状線内周り2車線が分離~
↑わかりにくいから
↓
わかりやすく書けば・・
↓
その少し先が左側2車線が都心環状線外回りとの合流~
2車線と2車線が合流してそのまた少し先で2車線に!
最右端車線から最左端車線に合流したい車と
最左端車線から最右端車線に合流したい車とが
複雑に入り混じってどうにもならないジャンクション大渋滞、大混雑!!
(怒!どこがわかりやすいんジャ!?
よけいわからん!書いてる本人も訳わからん・・汗)
ようは、
ひとことでいえば
最終的に合流部分の車線を1本多くするだけでスムーズになるんちゃうの?
逆に1本減らすから大渋滞するのあたりまえ!
つづく。
~タンクローリーの左サイドミラー~つづき
なぜ、ゆっくり&スムーズに なおかつ安全にテキパキと
合流&分流できないのか!?
その日、私は
横羽線から来て
その浜崎橋ジャンクションを左方向に銀座方面に行くので
1本左車線に行きたくて方向指示器をあげて
少しハンドルを左に切り
入りたい左車線の車の通過を待っていた・・
ノローノローと大型トラックが通り過ぎ、、た?
かと思うと、
最後の最後で保冷車の最後部分が数ミリほど出っ張った部分があったらしくて・・
私のタンク車の左サイドミラーにあたった!
鏡部分だけが「バリバリ!」とヒビが入って!
スローモーションで見ているような!
鏡だけ地面にバラバラに落ちた!
サイドミラーの黒い枠だけは残ったが・・
なんの意味もなし!
汗汗汗。。。
右サイドミラーは、なくても平気だけど、、!
左がないと走れないでしょ!
その保冷車の最後部分があたったので
運転席部分はずっと前にあるので顔も見えず!
知らーん顔してたんだろっ!
あまりにもスローモーション的だったから
むしろ、その運転手さんは気づかなかったかも。
ま、しょうがない・・
その運転手さんが悪いのではないし。
ガッカリした、、
帰り道ならまだいいが、
これから長い距離走らないといけないんだから・・
はぁ。
仕方がないので
左サイドミラーなしで走るしかない。
やっと渋滞を抜けてから走りながら
携帯で部品屋さんに左サイドミラーを注文してくれるように
上司に電話した。
私は昔から車の運転するときは、
左サイドミラーとルームミラーだけは常に見るようにしている。
そうでないと走れない。
その日は本当に走りづらかった!
危なかった!
会社に帰庫した時はどっと疲れが出た!
後方が見えないと危なくてしょうがない。
前だけ見て運転していたらいい、ってことじゃない。
突きあたられないように後ろにも注意しながら走るから。
くれぐれも注意散漫にだけはならないよう。
運転するってそういうこと。
はぁ・・。
つづく。
~16歳年下の既婚男性~
会社の近くで一人の男性(中田さん)と
顔見知りになった。
ほとんど毎日顔を合わせるうちに
いつも立ち話程度なのに、
すぐ冗談を言うまでになった。
私の身の上話しにとても興味を持ったらしい。
そりゃぁ、普通の家庭環境ではないし、
普通ではなく例外だし
しかも男と同じ仕事しているし。
興味を持つかも。
相手は既婚で小さい男の子が一人で
奥さんは専業主婦。
元々、親友の彼女だった。
その親友と別れてから寂しくなって
その親友だった男性を頼ってきて、
可哀相だから色々、
親身にするうちに仲良くなって結婚した。
世の中、良くあるケース。
別にその奥さんに不満があったわけではないし
ごくごく普通の家庭だと感じた。
私も別に付き合いたいとか、
そういう考えもなかったのに。
なのに、いつの間にか?(他人事みたい)
ご飯食べに行ったり
コーヒー飲みに行ったり
ちょっとそこまで
都心ドライブ。
既婚男性と最初から分かっているのに!
断ればいいのに!
なぜか?
なぜだったのか?
暇つぶし?
ちがう。
淋しかった?
ちがう。
なんで?
わからない。
*追記
三歳年下のよっちゃんとは
たったの三歳年下なだけだったのに。
こだわった自分。
なのにその数十年後には
16歳年下と!?
私ってどういう人間!?
やっぱり馬鹿なヤツだった!
これが同じ人間が生きて来た道だった。
つづく。
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