生きて来た道
老婆の長い人生を歩んで来た足跡を刻む日記です。
むかーし、ある片田舎で一人の赤ちゃんが産声を上げた。
赤ちゃんは右足太ももの外側がプクッとふくれていた。
近所のヤブ医者で切ってもらったらしい・・
物心ついた時には傷痕があり学校の体操服を着ると
ギリギリの所で見えていた。イヤでイヤでたまらなかった。
祖父は戦争で息子の一人を亡くして国から支給される
お金で自分だけぜいたくしていたようだ。
両親は朝から晩まで馬車馬のようにコキつかわれて
いた。後ろ姿を見て育った私は祖父が憎くかった。
子供心ながら孫もわけへだてしているのが理解できた。
兄が一人の四人暮らし。
貧乏生活だったが両親は優しく家族は何の問題もなかったが
回りの大人たちが悪すぎて、小さい頃から一歩下がって
人を観察する子供になっていた。そのために友達の母親からは
「可愛げがない」と言われたことがあり今でも忘れられない。
いま思えばきっと姑小姑たちにいじめられている母親を見て
いて、自分が早く大人になって親孝行してあげなければ、という
思いが強すぎて子供なのに大人びて見えたのかも。
つづく。
15/06/06 08:57 追記
~三歳年下のよっちゃんへ~
あの日あの時は本当にごめんなさい。
あからずっと・・今でも・・
そしてこれからも死ぬまで
よっちゃんに対してやった罪を
懺悔しながら生きていきます。
許して下さいとは言いません。
よっちゃんが今を生きているならば
ただただ幸せでいてほしいと
願うばかりです。
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~義妹のみかん農家~つづき
こんなただ働き手伝いが何日も続いた。
最後の一個のみかんを収穫するまで・・
今思い出しても気が遠くなる。
日当はもちろんなし。
お昼と夜のご飯も粗末な物。
しかし、みかん山で食べる麦飯おにぎりは
お腹空かせていたから意外に美味しかった記憶が。
それ以外はちっとも楽しくなかった。
もう少し大きくなってからここの伯父が
早々に自動車を買って一回だけ乗せて
くれたけど・・前述のとおり
これは人生に大きな刺激になった。
帰りにもらうのは出荷できないクズみかん。
しかも、伯母たちさえも食べないような
クズのクズ。
母はいらないと言えず(バカバカ!)
義理でもらって帰っていた。
重いだけなのに・・
大きな背負いカゴを背負ってディーゼルカーの
キップ代さえ出してくれないのに・・
それでも、重い思いをしてまでも持って帰る
理由は自分の住む町はみかんが出来ない土地。
近所のゴウツクジジィたちはそんなクズみかんでも
大喜びで当たり前のようにもらっていた。
人に上げるためだけに・・バカバカ!
大きくなってから母を見る目が違ってきたのは
母が近所の目を非常に気にするということ。
ある程度の近所付き合いならいいが。
県境のひとつ隣町であっても
そこは風習も土地柄も全く違った土地だったからこそ
若かった母も必死で付き合ったのだろう。
でも、その頃から私は
人は人!
自分は自分!
そう思っていた。
祖父筆頭にロクデモナイ人間たち。
ケチで人の痛みなど思いもしないできない人間たち。
人を妬みうらやみ取れる物は何でも取る・・
幼い頃から母の背中を見て大きくなったので
人の心の動き、考え、人柄などを
いち早く察知できる可愛げのない子供、
それが私だった。
つづく。
~中学校の放送の声~
時代は一気に中学生に飛んでしまうが思い出した時に
記さないと忘れてしまうから・・
中学校何年生か?忘れたが、
昼休み、ガヤガヤみんなで遊んでいたら担任が
私の方に歩いて来て全校放送で何か?読んで
ほしいと・・?
全く記憶にないのだが、
書かれた物を読み上げる・・
なぜ?
なぜ、私?
意味もわからないまま、
放送室に行った。
放送室も初めてだしそこにあった機器類も初めて見る物ばかり。
あとで理解できたのだが、生放送ではなく、
いったん吹き込んでから
後日、全校放送するということだった。
なので、
その自分の声をみんなと一緒に教室で聞いたことになる。
全校放送が始まった!
文の内容も全部覚えている物なのに・・?
この声は誰?
あれぇ?私が吹き込んだハズなのに、、なぜ?
誰が言ってるの?
不思議だった!
本当に不思議な体験だった!
そのあと、しばらくしてから?
だいぶたってから?
それも記憶にないが 笑
自分のしゃべる声は自分の耳から伝わってくる。
生まれた時からしゃべっている聞きなれた自分の声・・
しかし、
機器を通して聴く声は全く自分の声とは違って聞こえる・・
不思議な体験、不思議な経験だった。
つづく。
~小学校の学芸会~
小学校三年生の時のこと。
女の担任が私の所に来て学芸会のことを伝えた。
学芸会で六人選んで着物を着て踊りをする?
私は幼稚園からずっとお遊戯、踊りは嫌いだった!
「イヤです」と断った!
無謀過ぎる!
担任にはっきり断るなんて!笑。
他の五人は即・オーケーしたらしいが。
困った担任は家まで来て母に頼んだらしい?
母も貧乏で着物さえ買ってやったことないと
断ったらしい。
しかし、
担任も負けてはいなかった!?
食い下がった!?笑。
どうしたかと言うと竹藪を攻めて来たゴウツクジジィの
その先の隣家の、、いわゆる私と同級生の女の子の
家に行き、その子の着物を借りてきたのだ!
もうっ!どうしてそこまでして!?
私はそこの母親も大嫌いだったのに!
いっつもうちに来て何時間も延々と人の悪口言い続ける
汚い自分たちさえ良ければいいという汚いオバサンだったから。
そこの家のオバアサンもこれまた汚い人間だったし、
それはまた後日、記するが。
小学校三年生だった私は人に借りてまで着て踊りなど
絶対やりたくなかった!
イヤだ!イヤだ!駄々をこねた!
自分の着物ならまだしも・・
母は買ってまではやれないのはわかっていた。
たった数分踊るために着物を買うなんて馬鹿げていたから。
あとのいきさつは記憶にないが、、
結局、大嫌いな家から着物を借りて学芸会で踊る私がいた!
前に三人、後ろに三人。
のちに女の担任が写真を撮ってくれていて、
その写真をもらったけど
前の三人が腰を下ろして
後ろの三人が立って振袖の袖を重ねて胸で合わせている写真。
前で腰を下ろして
「ふてくされた顔の自分」が写っていた! 大爆笑。
サテサテ、着物を借りて学芸会が終わったまではいいが、
あとのお礼に母は大変だったらしい・・が
何をお礼にしたのかまでは覚えていないのが残念。
貧乏って心まで貧しくなるのかな?
だけど、のちにジャズダンスやヒップホップダンスを年を重ねてからやる自分がいた・・けどね。笑。
要するに和の物が嫌いで洋の物が好きだったってことのちに判明する。
つづく。
- << 58 追記 おんなの先生は担任ではなかった! 他のクラスの担任で 学年全体の体育の担当?だった。
~竹藪の隣家のその先の隣家のバアサン~
前述の~小学校の学芸会~に出てきた着物を借りた家の
バアサンのこと。今、覚えているうちに記する。
私がもっともっと幼い頃、うちは数年間だけ?
父が豆腐を作っていた。
いわゆる豆腐屋さん・・ちっぽけな。
町で一軒だけの米屋さんで大豆とニガリを買ってきて
早朝から父が豆腐を作っていた・・
豆腐を作り終えた父はまた別に仕事に行っていた?
その辺は定かではないが、母もいつも留守だったから
多分、両親とも働きに行っていたのだと思う。
?
と、すると、、?
当然、作った豆腐は?
売りに行ったのか?
ただ家の玄関を入った内庭にガラスケースに入れた豆腐を
並べてあったのを覚えている。
その日に作る豆腐はその日に売り切るので
一ケースだけだったかも?
豆腐の数え方は一丁、二丁と数える。
当然、幼い私はそんなの知らないし、
豆腐自体も好きではなくて・・
ほとんど食べたことがない。
仕事の片手間に作っていた父だから
何年続けたのか?定かではない。
本題に戻ると、
私が一人で留守番?
それとも、一人で遊んでいた?
そこにあのバアサンが、、
竹藪の隣家のために竹藪を切り崩して通れるようにした道を
通ってうちに来た。庭の反対側の玄関から入って来た。
つづく。
- << 67 ~豆腐つながりで~ 4、5歳の私に父はある日、無謀にも買い物に行かせた。 記憶しているのはお金(小銭?)を父から受け取り 「豆腐のニガリ」を買いに行った。 幼い子供の足で家を出て小学校の前を通り歯医者さんと薬局を 通り過ぎると目的地の米屋さんがあった、およそ10分くらいかな。 米屋さんに着いてからお金を見たら? あれ?お金がない!? 小さい手に握りしめていたのか? ポケットに入れたのか? 記憶にない・・ その前後も記憶にないけど 引き返して父に落としてなくした、と伝えて またお金を受け取り再度買いに行った記憶がある。 父ちゃん、あの時はごめんなさい。 父は怒りもせずにまたお金を渡してくれた優しい父。 だけど、 だけど、 まだ幼い子供におつかいはマズイでしょ!?笑。 ホント、幼い頃から良い思い出どころか悪い思い出ばっかだよ! つづく。
~竹藪の隣家のその先の隣家のバアサン~つづき
黙っ~って見ていると、、
向こうは幼いガキが留守番していることをいいことに
シメシメ?と思ったかどうかはわからないが、
豆腐を二丁(あるいは三丁だった?)持ってきたザル?に入れて、
上がり口で見ていた私の所に来て
コタツの上にお金を置いた・・
そこまでは覚えている。
これからあとのことは全く記憶にないが
母から聞いた話しになるけど、、
⇊
夕方になり両親が帰って来た時に私が説明したらしい。
母が見たものは、コタツの上には小銭が三か所に置いてあり、
これはどこどこのオバチャンが置いた!
これはどこどこのオジチャンが置いた!
これはどこどこのオバチャンが置いた!
と。
(本当はバアサンだけしか記憶にないのだ・・あと二人来たのに。
それだけ強烈な印象があったからだと思う。)
残った豆腐と置かれていた小銭は計算が合わなかった・・
私が指さしてそのバアサンが置いた小銭が!?
犯人はあのバアサンだった!
あきらかに少なく、
いわば、一丁分にも足りない小銭だけだった!
幼い子供だから計算などできないからと!
お前の方が計算できないってことジャン!ねぇ?
憎っくき大人!
あくどい人間・・
本当に自分の周りの大人たちはロクデナシばっかりだということ!
良いお手本の大人なんて皆無の子供時代・・。
つづく。
~小学校四年生の担任~
「地図事件」と「二度目の家庭訪問」
に登場したあの担任。
同級生のある女子のオジサンになるらしくて、、
その女子と友達をその担任がオートバイに
三人乗りしてどこかに遊びに行った友達が言ったことがある。
その担任、結局卒業までの三年間担任していたが
四年生のある冬の寒い日のこと。
これも、前後を全く覚えてはいないが、
急にクラス全員、外に出ろ!?
その時間はどこのクラスも体育がなくて
広い校庭には自分のクラス全員だけ・・
地理的にとても寒い地方で
冬でもマイナス15度にはなる日があるくらいだが
その日も、校庭の土には霜柱が立っていた!
ブルブルブルっ。寒っつ。
体育の時間でもないのになぜ、校庭に出ろ?
担任が来た!
つづく。
~小学校四年生の担任~つづき
「全員、クツを脱げっ!」
えぇぇぇぇぇっー!
クツを脱ぐ?
なぜゆえに!?
逆らってはいけないあの頃の生徒と担任の関係は
軍隊並みに担任には絶対服従だった?
私もみんなも、ブルブル震えながら霜柱の立つ校庭で
裸足になり横一列で整列させられた・・・
(「した」、ではなく
「させられた」と言ったほうが正解みたい。笑)
どのくらい裸足で立ったままあのクソ寒い底冷えのする朝に立っていたか?
本当にこれも定かではない、
記憶にはない、
覚えていない、
裸足で校庭に立たされた理由はすでにしるよしもない(マタカイッ!)
誰かが悪いことした罰として全員が犠牲に?
わからない・・
今ならPTAが大騒ぎするのに!
モンスターペアレントという言葉さえ世に出てきて
久しいけど。
なので自分から見ると昔の先生たちは本当に良い時代だった
ということ。
今の先生は可哀相な気がする。
全く逆になってしまったからね。
そんなこともありあの担任の気持ちが
全く理解できなくなってしまった!
少し変わった先生だったのか?
ワンマンだったのか?
それとも、生徒たちの将来を思いやっての優しさだった?
イヤイヤいらないでしょ!そんなのが優しさだと言われても。
将来は自分自身が築くもの、
長い人生のたった一年、二年、三年の短い期間に
担任したからって!
結構です!って思う、、今はね。
だけどその時はそんな先生の指導が当たり前だと思い込まされて
いたから、ね。
それが六年生の卒業まで同じ担任だったのだ。
はぁぁ・・。
つづく。
~ぽんぽんせんべい~
笑・・父は豆腐もやったし、
あと
私が赤ちゃんの時に自宅で撮った一枚の写真がある。
ちょこんとお座りした丸々と太った赤ちゃん、
私、、なんだけど、、なにかぁ? 笑、、
手に何かを持っている?
なにかな?
ぽんぽんせんべいだって!
小さな手に大きなま~るいぽんぽんせんべい。
(何か古めかしい機械に米の粉を?入れてテコの原理で
圧力がかかり熱を持ち「ぽんっ!」と大きな音を立てて
せんべいが焼きあがる?。
今でいう塩せんべいだったのかも。
他に同じ理屈で焼きあがるのが米一粒一粒がそのままバラバラに
なってできるのもあるけど、それの名前はわからない。
砂糖を少々ふりかけるので少し甘かった。
昔はそんなおやつしかなかたったのかな?)
そのぽんぽんせんべいも、両親が。と言うより父がやっていたらしい?
豆腐はその数年後、で?
豆腐の留守番?店番?していたのは四歳?五歳?位って
母が言ってたようだけど。
そんな小さな子供を置いて仕事に行った両親って!?
でも、私が今でも一人が好きなのはその時の留守番の影響?かも(笑)
中学生位になった頃ぽんぽんせんべいを作る機械はどうしたのか?
父に聞いたことがあるけど、
二束三文で誰かに譲った?
譲ったと言うよりなかば強引に横取りされた?のかも。
もったいないっ!
是非、「ぽんっ!」としてみたかった、、な。
つづく。
~中学校の生徒会長選挙~
中学校何年生か忘れたが、
自分がなぜか学級代表で生徒会長の選挙に立候補されてしまい
アレヨアレヨと言う間に講堂で立候補者全員の演説?になった。
私が物心ついた時から周りはロクな大人たちしかいなかったので
人嫌いになってしまって、
一人が好きな子供になってしまっていたし、
孤独がほっとするし、
団体が嫌いだし、
集団が嫌いだし、
気を遣い過ぎて精神的に疲れるし、
だから、一人が一番好きだ。
だから、なぜ私なのか?
理解に苦しんだ。
それになぜ、自分もはっきり断らなかったのだろうか?
断る勇気さえなかったのか?
断ることもできない弱い人間だったのか?
全然覚えていない。
とにかく、イヤだ!という気持ちだけ強かった。
つづく。
~中学校の生徒会長選挙~つづき
講堂の舞台の中央にあった演台の前に立った時、
大勢の生徒たちと縦に長く座っている先生たちが
見えて、
全校生徒ってこんなに大勢の人数だったんだ、と
改めて、、
全く違うことを思っていた。
適当に書いたメモを読み上げるだけで
別に生徒会長になりたいわけでもないし
全く興味がなかったし(ある意味ふてくされ?笑)
読みあげたメモは多分極々簡単なモノだった。
一瞬で終わったから、(笑)
そして選挙当日、
各教室で立候補者の名前を書いて先生の机に置いてある
小さな投票箱に入れるのだ。
私は勿論、自分の名前を書くわけがない!
適当に他の立候補者の名前を書いたっけ。
自分の名前だけは絶対書きたくなかった!
前代未聞?
それで結構。
小学校からずっとずっとイヤだった大嫌いだった夏子が投票箱に
入れて戻って来た時、私にそっと耳打ちした・・?
「〇〇ちゃんに入れたからね、」
嘘!
絶対入れるわけがない!
他の人の名前を書いたのに私にそういう嘘を
わざわざ言う根性だけはすでに大人の考え方・・
嫌い・・キライ、大嫌い!
母親もそして夏子も妬みが激しい親子だったから。
私が生徒会長などになってもらったら絶対困るからだ。
ま、どうでもよかったけどそんなこと。
結果は?
勿論、
落選!
当然のことだよね(大爆笑)
つづく。
~小学校で初めての野球~
これも小学校何年生だったのか?覚えていないけど
四年生?五年生?(コレばっか)
ある日、クラスで男子も女子も混じって一緒に試合をすることになった。
私はガキ大将の兄と一緒に男の子の遊びばっかりしてきていたが
野球だけはやったことがなかったかも!?
むしろ、野球よりプロレスの方が好きだったし、、笑。
それで、いきなり私が一番バッター!?
バットを握ったのも初めて!
し、しかも、構え方さえ分からず!
バッターボックスに適当に立った!
立った時、後方で誰かが何か言ったような気がしたので
振り返ったら・・・
私のすぐ後ろに同級生の男の子がいて、
その子が恥ずかしそうに、それでもそっと正確な構え方を見せてくれた!
バットを持つ手の位置、体を倒す体制、完璧だった!あとで理解したけど。
わぁおーありがとっ!
嬉しかったね、
そんな優しい気持ちが私の心をあったかくしてくれた瞬間だった。
親切に教えてくれたのに、、、
それなのに、
それなのに、、
私ったら、、、
私ったら、
ストライクの意味もボールの意味も理解していなかったので
投げられたボール全てをバットを大きく振ってしまって
空振りさんしーーーーーーーーーーーん!
ボールを見てないし、見えてないし・・
へたくそっ! 笑。
むしろ、三振の意味さえ知らなかったんだもの!?バカバカ!
三振したくせにいつまでもバッターボックスに立っていたので
先生が交代って!笑。
野球そのものを知らなかったんだからせめて打順を最後にしてくれていたら
それなら、少しは人のやっていることを見て学んだハズ?
違うか!?
それにしても、すぐ後ろで無言で教えてくれた〇橋君ありがと。
とても有り難かったよ、その気持ちが。
なんのことはない、小学校で野球部だったのだから。
他の男子よりも体格が良かったからね、納得。
その後、中学生、高校生になってからバラバラになってしまったけど
高校生のある日、その子の関係者(同級生)から手紙が届いた。
この話しはまた後日に。覚えていたら、ね。
それなのに、こんな私は高校に入ってからはソフトボール部に・・・爆笑。
つづく。
~体育の高跳び~
またまたスポーツで思い出したことがある。
これもまた失敗した苦い記憶・・
小学校5年生?
市内の体育大会の選手を選ぶのにまず全員を跳ばせた。
高跳びも初めての経験・・で。
これは、右側から跳ぶ者、左側から跳ぶ者に別れて・・
自分の効き足の違いで跳ぶ位置が違うから・・?
しかし、自分は、、どっち?
っていうより、どっち?って何?って感じ。
跳ぶ順番はたぶん名簿順?
みんなが左右から次々に飛んでいく。
左右どっちから跳んだらいいのかさえ分からずに
これも、いつもの
適当に、右から跳んだ!
なぜかというと、
左側の人数が多かったし
右側が少なかった?から、
集団嫌いの結果?
何回かは跳べた!
そして、高さが徐々に高くなり、
最後に数人になった時にミスった!汗。
市の体育大会の選手には選ばれず。
これも当たり前・・
何だかこれだけは結構、悔しかったかも?
不思議なんだけど。
適当人間だと思っていたが実は負けず嫌いだったんだと
もう少したってからわかってきた。
それに、自分の効き足は左側からということが判明!
なぜなら、のちの体育の授業で高跳びがあった。
今度こそ!と思って
反対側つまり左から跳んだら一番最後まで残ったモン!笑。
そういえば、前述の「-遠足の写真ー」でも書いたが
ゴム跳び、、確かに右側から跳んでいたわ(笑)。
って遅い!
遅過ぎる!
つづく。
~高校の運動会~
(小学校時代から急に高校時代へと飛ぶがスポーツつながりで)
今の高校での運動会は多分体育祭とか言うのだろうが、
昔は高校でも運動会だった 笑。
で、
地元で一番大きな普通校で盆地である小さな市には
市内の多くの各中学校から通っているので
地域意識が強くそれぞれが対抗心に燃えた。
私の住む町は昔から特に対抗心が強かったらしく
毎年のように優勝していた。
競技は勿論のこと、応援団もすごかった!
先輩方のお蔭でとても面白い応援が受け継がれてきて
他の応援とは群を抜いて点数が高かった。
その応援団にも私がいつの間にか?入っていて、
友達から「やろうよー入ろうよー面白そうだよー」と
強引に申し込まれて・・
応援団に入ると放課後、部活も休んで応援の演技の練習を
暗くなるまでやった。
ヘトヘトになって駅まで少し歩きディーゼルカーに乗って家に帰るハメに
なるところだったが、
ラッキーなことに先輩のきれいなお姉さんが車で迎えに来てくれていて
毎日乗せてもらって助かった。
きれいなお姉さん、ありがとう、自分は降りる時にお礼を言ったのか?
まさか、黙って降りたってことないよね?笑。
つづく。
~高校の運動会~つづき
いよいよ、運動会の日。
競技の合間にもそれぞれが応援合戦したが
午前中の競技が全部終了したあとと
午後からの全ての競技が終了して
最後の最後に一番注目される花形的
応援合戦が繰り広げられるわけだ。
点数が入るという応援競技が始まった。
勿論、一番注目を浴びたのは私たちの応援。
応援衣装は女子も男子と同じ黒い学生服。
みんなが黒い学生服。
白組なので真っ白のハチマキ。
長いハチマキを頭に巻いて足元まで伸ばして
その真っ白なハチマキが心地よい風になびいて
とても気持ちが良かった。
後日、写真を数枚撮ってもらったのを
頂いたけど、
みんなもカコ良かった!
そして自分もカッコ良かった(自画自賛)
この応援歌はずいぶん古くから受け継がれてきたものなので
他の地域の人々には多分もう飽きられていたかも?笑。
字で説明するのはかなり難しいが、
音楽も?リズム?もかなりひょうきんな感じで
一瞬、沈黙・静か・停止の場面があり
リズミカルな本当に伝統的な最高の応援競技だった。
応援団員も最後は先輩後輩みんなが一つになれて
楽しい思い出の一つになった。
誘ってくれた友達に感謝だね、ありがとね。
そうそう迎えに来てくれたきれいなお姉さんがたまに
回転焼きやさんや、ラーメン屋さんでご馳走してくれたっけ。
ご馳走様でした、きれいなお姉さん。
あんなお姉さんが欲しかったな・・笑。
この応援・・高校生活の中で一番のいい想い出かも?(ってサミシ)
だって、三年生最後の思い出としての修学旅行にも
関西だったけど、笑、貧乏で行けなかったし・・。
だから、卒業後就職したのが関西だった!?笑。
つづく。
~高校の運動会~つづき2
あと、笑えたのは
各クラス、担任に様々な衣装などを着せて競う担任仮装大会。
私の組も何にするか何回も協議を重ねたが
やっぱり、高校生と言えど昔はまだまだ子供だったのか、
何と、「オバケのQ太郎」に決定! 大爆笑~!
担任は昔では珍しかったデップリ太った腹の突き出たオジイサン。
実家はオモチャ屋さんだったし、体格的にもお似合いだし。
衣装は超簡単、
白い布を切って縫うだけ。
当日、担任にかぶせるだけ!
当人は内心どう思ったかな?笑えるわ。
副担任は女性だったから妹のP子! 爆笑~!
これも超簡単。
審査の結果は最下位!はははっ、。当然の結果!
審査した先生方が結果理由は超簡単~
⇊
⇊
⇊
「中に入っているのが誰がわからなかった」
大・大・大・大爆笑~♪
えこひいきするオジサン担任だったからクラスみんなから担任への罰?
副担任の女性の少しだけ歳を重ねられた?先生がちょっと可哀相だったな、
申し訳ない、ごめんなさい。
自分のクラスのことが精いっぱいで他のクラスのこと全く記憶にない、笑。
何はともあれ、スポーツつながりで一気に高校時代へ飛んだが
これだけは、いつ思い出しても笑える。
つづく。
>> 54
~竹藪の隣家のその先の隣家のバアサン~
前述の~小学校の学芸会~に出てきた着物を借りた家の
バアサンのこと。今、覚えているうちに…
~豆腐つながりで~
4、5歳の私に父はある日、無謀にも買い物に行かせた。
記憶しているのはお金(小銭?)を父から受け取り
「豆腐のニガリ」を買いに行った。
幼い子供の足で家を出て小学校の前を通り歯医者さんと薬局を
通り過ぎると目的地の米屋さんがあった、およそ10分くらいかな。
米屋さんに着いてからお金を見たら?
あれ?お金がない!?
小さい手に握りしめていたのか?
ポケットに入れたのか?
記憶にない・・
その前後も記憶にないけど
引き返して父に落としてなくした、と伝えて
またお金を受け取り再度買いに行った記憶がある。
父ちゃん、あの時はごめんなさい。
父は怒りもせずにまたお金を渡してくれた優しい父。
だけど、
だけど、
まだ幼い子供におつかいはマズイでしょ!?笑。
ホント、幼い頃から良い思い出どころか悪い思い出ばっかだよ!
つづく。
~中学校の仮装行列で~
(「仮装」で思い出したので忘れないうちに
記する。)
高校時代から逆に中学校へと戻るが。
運動会の仮装行列が毎年あった。
と、言っても多分?女子だけだったかな?
定かではないが。
これも前後の記憶はないけど、
事前に友達たちと集合して何をするか?
色々持ち寄ったりしていたのは覚えている。
確か、友達のお姉さんが地方都市でバスガイドを
していたので、、お姉さんの制服を二人分
借りて同じバスガイドをすることにした。
みんなそれぞれの仮装でゾロゾロ校庭を二周位
した。
靴も借り物の白いパンプスを履いて
バスガイドの恰好で歩いていたら何だか本当に大人に
なったような気分だった。
早く大人になりたかった頃だった。
古いオンボロな着物を来たオジサン風、
父親の背広上下を来たサラリーマン風、
割烹着を来ておもちゃの赤ちゃんを背負った母親風、
バスガイドも二人・・笑。
これも行進しているところなどの写真を何枚も頂いた。
仮装行列が終わって着替えてから
一人でトイレに行ったら
ちょうど、校長先生?副校長?
忘れたが
名前だけは覚えていて、、
瀬〇〇先生と
一緒になった!
その先生が声をかけた
「〇〇さん、とってもお似合いだったよー。
まるで本物のバスガイドさんみたいだった。
本当に素敵なバスガイドさんだったよー」
って!汗。
きっと可愛げのない中学生だったから
大人びて見えたのかも?(苦笑)。
楽しい中学校の思い出。
つづく。
~教育実習で来た先生~
またまた学年は定かでない・・汗。
何週間かの教育実習で
若い男の先生が小学校にやって来た。
多分、数人だと思うが。
私のクラスに来た先生は一番若かった。
なぜかその先生が泊まっている旅館にも
数人の女子たちと遊びに行ったりしていた。
その先生が教育実習を終えるまで
毎日遊びに行ってたような気がする。
全く、迷惑千万なガキたちだったね 汗。
ある日授業で手紙を書くという宿題が出された。
手紙など書いたことなかったと思うけど、
先生宛てに懸命に書いたかも?
書いた手紙を父の実家に独身で数人いる一人の
母にとったら小姑、私にとったら伯母。
まだ独身だったから〇子姉ちゃんと呼んでいたが
その伯母に
家で書き終えたものを見せに行った。
のどかな昼下がりだった。
祖母やみんなが大勢いる中で
伯母は声を出して読み上げた・・
内容はひとことで言えば、ラブレター!?笑。
自分自身でも記憶しているのは
「先生に会って天にも昇る気分でした」!?笑。
伯母は大声を上げて笑い出した!
ひどい!
見せに行かなければ良かった!
なぜそんなことを書いたのか全く記憶にない。
その先生が好き、とかいう気持ちはなかったのに。
物心ついた時からずっと周りにいた大人の男の人たちは
田舎者のガサツでロクデモナイ男ばっかりだったから・・
特別な感じがしたのかな?
初めて見るタイプの大人の男の人、、
という違う目で見ていたかも。
それでも、冷やかされたようなその手紙を
提出したら、
先生もみんなへそれぞれ宛てて
ていねいな返事をくれた。
何か?
優しい気持ちの手紙をくれてありがとう。
先生も〇〇さんと出会えて楽しい想い出が
できました・・みたいな?
嬉しかったな。
少し大人になったような
そんな気持ちを抱かせてくれた一期一会だった。
つづく。
~〇橋君のこと~
「~小学校で初めての野球~」に書いた〇橋君とは
中学校でもクラスが違ったし私は地元の高校に進み、
〇橋君は県庁所在地の私立高校へ行ったと聞いた・・
と言うよりすっかり記憶から消えていた〇橋君(ゴメン)。
楽しい?楽しくない?高校生活を送っていたある日、
学校から帰りついでにポストを見ると
知らない名前の人から私宛ての手紙が届いた。
誰?
誰かな?
住所は県庁所在地の都市だ。
ん?
なんだろう?
開けた。
便箋一枚?二枚?三枚?
覚えていないが、
きっったない字だった!笑
そう言えば封筒の字も汚い字だった!
内容は私の高校の一年生の時の集合写真を見たそうだ。
女子クラスなのに?
高校も違うのになぜ、
よその高校の
しかも、
女子クラスの集合写真を!
誰が見せたんだよっ!
男子もいるのなら男子が見せたってこともありうるが。
女子クラスなのに、、女子の誰が?
手紙の主と〇橋君は同じ高校の同級生・・
〇橋君は県庁所在地の私立高校に
行っていたんだって
その手紙で初めて知った。
今ならメル友になろうよ~♪って感じだが
昔はそんなのないし、
手紙しかないし、
電話は固定電話だし、
要するに文通しましょ?ってことだったかな。
私は、、全くあとから考えたらバカだと思うが、
その時は、純情な何も知らない女学生だった(バカバカ!)から
ほっとけば良かったのに・・
ごていねいに返事を書きましたと、さ。
内容は今、部活と勉学に必死なのでごめんなさい、と
それはそれはごていねいな文で書いた、とさ。
それっきりだったけどね。
〇橋君が私の返信を見てゲラゲラ笑ったに違いないと思うと
顔から火がでそうな位、マヌケなことをしたもんだ、と反省。
地元に帰ってからも、一回も会うことはなかった。
元気なオジイサンになったかな?
青春時代の淡い想い出のひとつ。
つづく。
~青い運動くつ~
小学校の時に買ってもらっていた雑誌
「なかよし」か「りぼん」の懸賞に
応募してもらったことがある。
忘れた頃に当選しました、、と届いた。
赤いくつを希望したハズなのに、
なぜか青いくつ・・・
私は男かぃっ!?笑。
履いたら、
小さかった!
はぁ・・・
応募する時にはピッタリだったかも知れないのに、
あまりにも遅かったので
足の方が伸びてしまって・・汗。
青いし、、、。
小さいし、、。
「母ちゃん、私の青い運動くつはどこに行ったんでしょうね」・・大笑。
つづく。
~大嫌いな祖父~
歩いて10分の家から祖父は毎日うちにやって来ていた。
何しに?
当然、ご飯を食べに!
頑固ジジィのケチ人間、良くこんな人間に育ったものだと逆に感心する。
自分の家では粗末な飯しか食わせてもらえないから
毎日うちに食べに来る。
母は貧しくてもやりくり上手で、しかも気遣いが半端じゃなかったので
祖父にとったら一番居心地の良い場所だったのだ。
が、私にとったら祖父がいるその時間が一番居心地が悪かった!怒。
そんな不満気な態度を知っていたからか、
祖父は幼い頃から私には絶対に話すことは皆無だった。
可愛がってもらったこともないし、
優しい言葉をかけてもらったこともない。
ただ兄だけには、男の孫だったから可愛かったのだろう、
兄に対しては普通の祖父と孫という関係に見えた。
それでも、私から見たらうらやましいとも思わなかった!
早くいなくなればいいのに、、、幼い頃から思っていた。
が、これがなかなかこんな根性悪ジジィは簡単には死ななかったのだ。
成人してからも、散々迷惑をかけられたし。
後日、記するが・・。
コツコツコツコツと杖の音がすると、母が笑いながら「ほら、おじいちゃんが来たよ」と。
挨拶などしない、
黙ってさっさと汚い足で上がってコタツに座る。
いつものクセであるコタツを指でせわしなく
コツコツコツコツ叩き続ける。
年寄りのクセに落ち着きのないジジィ・・
次に言うことは決まって「玉子二つ!」
味噌汁に玉子を二個入れろ!
バカヤローっ!
このオイボレ!
年寄りのクセにご飯もおかわりするし、
腹いっぱいになったら黙ってさっさと帰って行く。
ただ飯食い逃げジジィめっ!
優しい母に世話になっているからと普通の人間なら良くするだろう?
だが、このジジィは全く人間の皮をかぶった怪物だった(怪物に失礼)
こんな環境下では真っ白な心で生まれた子供も
健全な育成とか情操教育とか問題外!
なぜ、こんなクソジジィの孫で生まれたのだろう!?
恨むことしかない。
つづく。
~近所の子供と柿~
うちには門の所に小さな柿の木があり秋になると美味しい柿の実が
なり腹ぺこ兄妹のいいおやつだった。
兄が登って柿を落としてくれるのを下でキャッチする。
兄妹並んで柿を食べる。
たくさん実るので食べきれない年もあった。
食べきれないから熟してくる・・
兄が小学校三年生で私が幼稚園の頃のある日、
いつものように兄妹で立ち食いしていた。
「ん?」
何かの視線を感じてフト振り返ると、
近所の幼い子供がジィっと見つめていた・・
うぅーっ、視線が熱い!笑。
柿を食べたいんだ、と思った兄はその子に
「食べる?」と聞いた。
その子は黙ってうなずいた・・
兄はまた枝に登って柿を一個ちぎった(もいだ)
私はじっと兄を見ていた・・
すると兄は柿を持った手をそおっと前後した・・
その子に投げるよ?という合図・・
その子も両手を救う手の形にした・・
完璧に受け止める体制・・?
小学校三年生と幼児・・
まっまさか!?
私は一瞬だが危険を察知した!
が遅かった!
熟した柿が兄の手元から離れたっ!
・・・
。。
・
「ベチャッっ!」
つづく。
~近所の子供と柿~つづき
兄が熟した柿をその子に投げた!
「ベチャーっ!」
にぶい音を立てて熟した柿は
両手を
構えて待っていたその幼い男の子の顔を直撃!!
私も兄も固まった!
熟した柿がつぶれてその子の顔は真っ赤になった!
その子も
固まった!
(何事が自分に起きたのか理解できなかったんだろう)
が、すぐに
「わぁーーーーんっ!」
泣きだした!
兄はその子の所に駆け寄って
汚れた顔を
汚れた兄の手で
拭きながら、、
「ごめねごめんね」と謝った。
が、
ワンワン泣きながら家の方へ走って行った・・。
その後何事もなかった・・
きっと、その子の親が怒って来るかも?と思ったが。
道路に立っているその子に手渡せば良かったのに・・
考えがなかったんだね、兄も私も・・反省。
柿の木と言ってもそう高くはなく、
あとで思うと、
兄が投げた場所からその子の所まで一mちょい位?
それでもダメじゃんねっ!投げちゃいかんぜよ!
柿を見るたびにその子のことを思い出す・・
きっと、あの子も柿を見るたびに
あの日あの時の、、ことを思い出しているかも?
イヤな思い出として・・可哀相に。
本当に可哀相なことをしてしまった。
ごめんね・・。
幼い子供の頃のちょっぴり切ない想い出。
つづく。
~おおみそか~
家族四人の大晦日は忙しかった。
幼い私にまで母は色々手伝いをさせた。
大晦日が一番のピークだった。
父はうちの竹藪の竹を切り角松を立てたり
門からにかけて庭に砂利を敷いたり
外のことをやっていた。
母が一番やることが多い。
家の中のあらゆること。
おせちを作る準備が一番大変だったようだ。
うちは別に離れている所帯なので
実家でもなく来客はいないハズなのに
なぜか父の実家大勢来る!(逆だろっ!)
そして母の実家からも姉妹全員の家族たち・・
母があまりにも人がいいので
ご馳走があるし精いっぱいもてなすので
みんなが楽しみにして来るのが恒例になっていた。
はぁ。
なのでおせちといっても
家族四人だけの量ではない。
大量に作るのだ。
(この大量に作る料理、、
これを大人になってからの私が
同じことをやるハメになるとは
この時は夢にも思わなった・
またコレカイ!)
その頃は冷蔵庫もまだなかったが
土地柄寒さは尋常ななかったので
大量に作り置きしても全く問題なかった。
当然、幼い私にも台所で野菜の皮むきなど
手伝った・・というよりイヤでも手伝わされた。
兄は父の手伝い。
昔の子供たちはみんな良く手伝っていたようだ。
おせちが終わると母は家の中の掃除。
大体の掃除は終わってはいたが
きれい好きな母は納得がいくまでやっていた。
部屋の中をあっちへ行きこっちへ行き
していた?
コタツに潜り込んでいる私に
母が何か言ったようだ。
それを聞いて・・
だって朝からずっと手伝ったから
疲れるの当たり前でしょ?
っと文句を言ったような言わなかったような?
夜遅くなってからやっと年越しそばを食べる。
地鶏やかまぼこなどが入った年越しそば。
めったに食べられない刺身、おせち用の煮しめ
などがたくさん並んで食いしん坊の私は
嬉しくてお腹いっぱい食べた。
幸せな家族だけの食卓。
またひとつ年をとるんだよ、と母。
私は早く大人になりたーいと言った。
つづく。
~おおみそか~つづき
余談だけど・・・
幼い私はおせち料理を手伝わされた、、
と書いたが、
急に思い出したことがあった。
それはもう少し大きくなった小学校低学年?
の頃、
お盆に母の実家のほうから大勢が
ディゼルカーに乗って楽しみにやって来た時の
こと。
母からお使いを頼まれて
みかんを近所のお店に買いに行った。
母がきれいに洗ってみかんを半分に切ってと、
「はーい」
返事だけは良い。
だが、
幼くしてすでに
白か黒か?
という性格になってしまっていたから?
テキパキと沢山のみかんを半分に切った・・
それから従妹たちと遊んでいたら、
台所から母の驚いた声がした!
っん?
なにごと?
母が私の名前を呼んだ・・
行った・・
?
母は怒ったような顔だったが
半分は笑ったような顔だった?
要するに、
みかんを半分に切る・・
まな板に置いたみかんを縦に切るか?横に切るか?
そこの違い・・汗。
私の切った縦半分は
みかんを食べる時、手で半分に割るのと同じ。
面白くもきれいでもなかった!
ごく普通、
一人一人の分の真っ白い大皿に
色々な手作り惣菜を盛りつけたあとに真横に切った
きれいなみかんを添える・・
これがいつもの母がやることだったんだけど、、
それをずっと見て来ていた私なのに、
何しろ、小学低学年?だったから
何も考えずにテキパキ切ったという失敗(汗)。
え?
そのみかん、、どうしたのって?笑
またお金をもらってみかんをお店に買いに行って
母から一個だけお手本を見せてもらってから、
今度こそ、笑、と 考えながら念入りに横半分に
切って一件落着。
ふぅ。
大量のただ半分に切ったどうしようもないみかんたち・・
ご馳走のあとの子供たちの食後のデザートになった、とさ。笑。
その後、みかんを見ても
普段はあまり思い出すことはなかったけど
今、急に思い出した・・私の失敗談のひとつ。
つづく。
~わたしと遠足とリンゴの匂い~
父が果物の中で一番好きだったのはリンゴ。
そうだからか
私も大好きだった。
なんといってもリンゴの匂いがたまらなかった。
特に遠足の時、
前夜からリンゴを早々に
他のオヤツと一緒に
リュックに
入れて置く。
なぜかというと
リュックの中がリンゴの匂いでいっぱいになるから。
嬉しくて寝るまでリンゴの匂いをかぎたくて、
リュックを開けたり閉めたり。
それを見ていた両親は大笑いしていた。
そんな私を見て笑う父だって!
服を入れるタンスの一番上の二つある小さい引き出しに
リンゴを入れていたし・・・爆笑。
一緒じゃん、、ねぇ、、笑。
こういうのを似た者親子っていうんだね。
それにしても当日、遠足でリンゴを食べたという記憶が
全くないのは・・?
なぜかなぁ?
私と遠足とりんご、、いつも一緒だった。
つづく。
~家族だけの元旦~
幼い頃からお正月には大勢の客が来るので
ゆっくり家族だけで楽しんだことはない。
だけど、
元旦だけは家族だけでのんびりしたいからと
母がみんなに伝えていたので
元旦だけは嬉しかった。
元旦の朝も母は早起きして
料理の準備をする。
全てが整ったら母はよそ行きの着物に着替えて
私たちも上等?の服を着せられて
顔もよそ行きの顔で、笑、
足のついた一人一人のお膳の前に
これまた客用の座布団にちょこんと座ると
父が挨拶をする。
母も挨拶をする。
「あけましておめでとう」と言うだけだけど・・笑。
仏壇の前に両親が並んで座っている。
私と兄は両親に向い合せて座る。
家族だけの美味しくて楽しいゆっくりした時間が過ぎて行く・・
毎年こんな感じで母が良い想い出を作ってくれたこと感謝している。
決して美人じゃないけど若くて優しい母が自慢だった。
母に似た兄も今でいうイケメンだった?笑。
えっ?
私?
私は誰に似たって?
誰にも似てない・・し、
ブスだし・・(フテクサレ・・)
顔も取り換えたかった!笑。
家族だけの元旦、
両親はもういなくなったけど、
あの頃に戻りたい・・泣。
貧乏でもいいから・・。
悲しいけど、時は取り戻せない。
つづく。
~マイケル・ジャクソンの2曲♪~
「生きて来た道」・・ここらでちょっと休憩。
来月6月25日はマイケル・ジャクソンの命日。
最近、またマイケル・ジャクソンの曲を聴くようになった。
偲びたい。
いっぱい好きな曲があるけど、
やっぱり、
We Are The World
Heal the World
この二曲に尽きる。
淋しい時、
悲しい時、
いつ聴いても
心が癒される。
歌詞もも歌声も本当に心にしみる。
人間って
なぜ、いい人が先に亡くなるのかなぁ?
長生きする人の大半は、
どうでもいいような人
悪人、
根性悪、
(語弊があるかもしれないが
自分の周りで若くしていい人ばかり
亡くなっていく・・
今まで生きて来て実感している。
つくづく思うもの。
当然、自分も性悪だから長生きするだろうきっと)
・・・
早く亡くなる人は神様が
「あなたはもう充分修行をしたから
もう終えていいですよ」と?
この世が人生修行の場であるならば
いい人だけ修行を終えて
卒業して行くことは死ぬこと?
悪人はまだまだ修行が足りないから
ずっと修行のために長生きする?
なら悪人が喜ぶばかり、修行など
するハズないし。
私は全く逆だと思う!
神様がこの世をより良くするために
良い人ばかりにしようと
悪い人を病気などで早死にさせてこの世から
全ての悪人を早々にいなくする・・
残された人は良い人たちばかりになり
やっと世界が平和に・・なる。
これこそ本当の神様が
しなければいけないことなんじゃないのか?
みんなが平和で幸せになれるように
みんなの愛で世界を癒そう良い場所にしよう、
そう言ってるよ。
戦争のない平和を願うのはいい人たち。
利権利欲人は逆に戦争を願う。
宗教戦争もそう。
マイケル・ジャクソンは莫大な寄付を世界中にしていた。
もっともっと長生きして世界中の人々に
愛を届けて欲しかった。
かなしい・・
さみしい・・
なきそう・・
We Are The World
Heal the World
一日中、寝る時もウォークマンで聴いている。
優しい声でしっとり歌う・・
繰り返し繰り返し。
エンドレスで・・
つづく。
~母と私とバスとカルミン~
母の実家にバスに乗って行った想い出。
商店街のバス停の前の食料品店で
かならずカルミンを買ってもらった。
いつもいつもカルミンだった。
ふつうなら幼い子は甘いおやつを
欲しがるハズなのに、、
なぜかいつもカルミンだった。
それが一番楽しみだった。
バスに乗ってから開けて口にぽん!と入れたら
ほんのり甘くてミントの味がして(その時はミントなんて
知らないが)大好きだった。
バスに乗るということとカルミンを買ってもらうことと
何といっても大好きな母と一緒だから嬉しかった。
追記。
この楽しい想い出の中のカルミンは今年3月で販売終了になっていた!
知っていたら絶対お店中を探し回っていたのに・・
もう一回お口に入れて想い出を味わいたかったのに・・
さみしい。
かなしい。
ざんねん。
売れなくてもいいから?(ダメでしょ!)
あと6年販売していたら
100年だったのに・・
なぜ?
でも、思い出をありがとう、だね。
つづく。
~雀の卵~
昔のおやつつながりで・・
バスのお供にはカルミン。
うちでのおやつは雀の卵。
今、ちょっと検索してみたら
鹿児島と福岡の豆屋さんの二か所があった。
私が食べていたのはどっちかな。
白い割烹着を着てメガネをしたオバサンが
大きな丸いガラスに入った雀の卵を
銀のスプーンで一個二個と数えながら
小さい紙の袋に入れてくれた。
店を出たらポリポリ食べ始めていたような?
昔の店といってもそう種類は多くはなくて
選択肢はほとんどなかったかも。
ある物で済ませられていた時代。
カルミンはなくなったし、
雀の卵も何十年も食べたことないし、
・・
そうだ!
明日は雀の卵を買いに行こう~!
そして
懐かしいあの頃の想い出を味わうことにしよう。
って・・
今、歯科治療中につき、
抜歯したて、、だった!
雀の卵は固いし、
噛めないし、
治療が終わったら
買いに行こう、、
って、
雀の卵まで、、
販売終了になったら、、?
イヤイヤそれはないでしょ!
実際、チラ見しただけでも二カ所あったし・笑。
つづく。
~中学校時代の井〇〇先生へ~
中学校入学。
小学校の時は一回も同じクラスに
なったことのなかった、まりと
初めて同じクラスになった。
夏子とは中学校でも同じクラスに
なったことはなくて良かったと思う。
まりとは三年間いつも一緒だった。
体が細くてモヤシみたい?
で、とんでもないお転婆さん・・笑。
大人しい啓子と三人いつも
一緒だった。
ある日の昼休みに
教室で遊んでいた・・
教室には三人だけ・・
遊ぶ?
笑
まりが黒板に大きな字で担任の体型を面白がって
色々悪口を書いている・・
私と啓子は笑いながらそれを面白がって見ている・・
勿論、まりは黒板の方を向いて必死に書いているわけだが・
私と啓子は黒板の方を向いている・・
ふと背中に何か異様な感じが・・
?
つづく。
~中学校時代の井〇〇先生へ~
なーんか、後方に変な気配を感じて私が振り向いた・・
ギャァ~~~
たっ、担任が!
すぐ後ろでジ゙ィーっと見ていた!
多分、ずいぶん前からソォーと教室に入って来てずっと
見ていたのだろう、きっと。
「キャー!先生っ!」
私が声を上げたのでまりもビックリして振り向いた!
「ギャーーーーーーーーっ!」
三人は一斉に教室の前の出入り口から逃げ出したっ!
担任は「コラっ!待てぇー!」と追っかけて来た!
三階建ての三階の教室から
二階の階段を駆け下りるまりのあとを
私と啓子も必死でついて走った!
まだ追いかけてくる!
「コラァー待てぇっ!」
声が聞こえる
まりは二階からまた三階へ・・
三階から今度は屋上へ・・
丸々としたおデブさんの担任も必死だったのだろう、
体型や声まで侮辱された言葉を
黒板に大きく書かれていたのだから。
怒るのも当然。
必死だった?
とうとう屋上の片隅まで追い込まれて・・
「ごめんなさいごめんなさい!」
私たち三人は必至で
頭を下げて担任に謝った。
このあとの担任の言葉も
その後どうしたのか?
全く記憶にない・・笑。
この場、、(どの場じゃ?)を
お借りして謝らせていただきます。
あの時の担任の井〇〇先生、
本当にごめんなさい、
申し訳ありませんでした。
悪い生徒たちでした・・。
反省。
若気のいたりだとは決して思っていません。
性格の悪さ、、だと思います。
あの時若かった先生・・
今もお元気ですか?
中学校時代の苦い想い出。
つづく。
~中学校時代の井〇〇先生へ~つづき
追記。
📌このあとの担任の言葉も
その後どうしたのか?
全く記憶にない・📌
と、前述に書いてから、
外出して
大型ショッピングモールのスタバでコーヒーを飲みながら、
外の花屋さんと目の前のアナベルの素敵なグリーンを
見ていた・・・ら・
すると・・
思い出したっ!
担任は
私たち三人に罰を与えた・・
罰?
?
そう、罰とは、
教室の後ろの片隅にある掃除箱の中に「
入っていなさい!」
?
えぇっ!?
ホーキやチリトリやバケツ、雑巾などを入れてある掃除箱・・
、
そこに三人も!?
そう、三人でくっついて入った・・
入ると担任はトビラを「バターン!」強く閉めた・・
汚いし、
臭いし
狭いし
暗いし、
最初はイヤだと思って
三人共沈黙していた、、
が、
あとからは何だか冒険しているみたいで
面白くて
クスクス三人で笑ってしまった・・。
どれくらい入っていたのか?
記憶にないが
担任がまたトビラを開けてくれてホッとした。
その担任のことはそれだけ覚えていて、
三学期終了までの他の記憶が全くない。
なぜかな?
罰ならもっとヒドイことをしても
いいのに、、精いっぱいの
生徒への抵抗だったのかも、
可哀相に。
でもでも、あの日あの時のことは
申し訳ありませんでした。
中学校時代の苦い想い出。
つづく。
~中学校時代の井〇〇先生へ~訂正事項
📌夏子とは中学校でも同じクラスに
なったことはなくて良かったと思う。📌
と前述に書いたが、さっき思い出した・・
やっぱり夏子とは
小学校、
中学校とずっと同じクラスだった!
ゆえに
あの日あの朝、
たった数分、いや数秒で
遅刻した残念な過去。
なのに、、夏子を忘れているとは。
はぁ。
今、思い出しただけでも疲れる。
家も目と鼻の先。
学校でもずっと一緒、、しかも、同じクラス、、。
夏子の存在を忘れていたということは
わざと
まりと啓子といつもツルむことで
夏子をシャットアウトしていたのかも知れない。
つづく。
~高校時代~
いよいよ高校生。
前述で運動会のことは書いたが、、。
普通高校で
女子だけのクラス。
男子だけのクラス。
完璧に分かれていた。
?
市内唯一の普通高校で各市町村から
大人数の生徒が集まって来た。
ディーゼルカー通学の者。
自転車通学の者。
徒歩の者。
色々だった。
私はディーゼルカー通学。
駅前なのでディーゼルカーの運転士?は
駅に走り込んで来る私の姿を見ると
時間は過ぎているのに待っていてくれた・・
そんな優しい時代だった。
そして東京オリンピックが開催。
当時はラジオで中継されるのを全校で聴いた。
東京で開催なのに、冷めた目で見ていたのは
なぜ?笑。
部活はソフトボール部。
部活と勉学にひたすら励んでいた?笑。
つづく。
~教育実習で来た先生~
小学校の時にも教育実習に来た先生に憧れた。
そして高校にも教育実習に数人が来た。
この地元から東京世田谷にある大学から
母校にバスケットボール部の顧問そた・
ちょっとだけ憧れたっけ。
都会の匂いがする人に憧れただけだったのかも
知れないけど。
三年間同じクラスだった親友と二人で先生を見たくて
ウロウロしていた・・笑。
あまりにもウロウロしている怪しい二人に
ある日、
体育館のバスケットの休憩でベンチに座っている姿を
遠くから見ていたら、
「お茶を淹れてくれないか?」
って!
何で私たちがお茶を淹れないといけないの!?
ちょっとおかしかったので
笑いながら二人で逃げた・・(良く逃げるヤツじゃのぉ・・)
たったそれだけのこと・・。
のちにその先生がベンチに座っている写真がうちにあるのは?
なぜ?
全く記憶にない、笑。
それから十数年後
先生らしい?人がテレビで放映されているのを
たまたま観た。
顔も姿も変わっているハズだから
本当にその先生だったのか?
放映されたのは生放送で
居酒屋のオーナーで
取材に答えていた・・
年をとるとあんな感じかな?と思った。
それよりビックリしたのは
私と同じ街だったから・・!
しかも、
数キロも離れていないし、
良く行っていた商店街・・
今、私は別の街に引っ越してしまったけど・・。
一回はお店に行って
確かめたら良かったかな、と
思ったこともあったけど、
もうすでに過去の人になったので
ガッカリしたくなかったし、
これで良かったんだと・
今思う。
純情な?女子高生の甘酸っぱい想い出。
つづく。
~青い日立レコードプレーヤー~
高校入学祝いに母にお願いしまくって
日立レコードプレーヤーを買ってもらった。
その当時は各家々ごとに町の電気屋さんがお得意さんを
もっていた。
貧乏なうちにも一応、日立専門の電気屋さんの営業マンさんが
入れ替わり立ち代わり来ていた。
勿論、遊びがてらにおしゃべりに来て
何か不満なことや電気製品などの相談などで
アドバイスしたりしていて、
私が西郷輝彦が好き、とひとこと言っただけで
翌日、カタログを色々持参して
あれがどうで、これはどうで、と説明される。
細かい部分は忘れたけど、
青と白のツートンカラーのちょうど流行したての
レコードプレーヤーを注文。
早速、高校の帰り道、楽器屋さんへ直行して
レコードを数枚買って来て、
レコードプレーヤーが届くと同時に
聴いて感激したものだ。
どのくらいの値段だったのかも記憶にないが
最前線の物だったのは確かだ。
友達がみんな羨ましがっていつも
うちには人が集まっていた。
それ以後は電気製品ほか新発売されたら即買うほどミーハーだった、笑。
ちなみにずっとあとだけど、
プリントごっこ、ワードプロセッサ、携帯電話などなど。
母ちゃん、あの日立レコードプレーヤーはどこに行ったんでしょうね、笑。
つづく。
~西郷輝彦コンサート~
高校入学してすぐの頃、
西郷輝彦が隣接県のある町でコンサート開催と小耳にはさんだ。
その頃は知る情報やチャンスやニュースがほとんどなくて、、
しかも、普通高は規則が厳しくて
そういうエンターテーメント類は
全て禁止。
映画も許可制・・汗。
頑固できゅうくつな時代だったと思う。
若者のやる気をなくし、
羽ばたこうという時に羽根をもいでしまう、
昔ながらの年寄り教師たちの
「右に同じく!」的な考え方、
「例外は認めない!」
本当に教師万歳時代だったと私は思う。
で、
私はどこでそれを知り、どこでチケットを手に入れたのか?
チケットはいくらだったのか?
どう考えても思い出さない・・
曜日は多分日曜日?
ディーゼルカーで隣町の、どこかの?体育館?みたいな広い場所。
時間前なのに体育館の外には大行列。
板張りの床にじかに座る。
勿論、指定席などないから入場した順に適当に座る。
私はほとんど後ろの方だったかも。
しかも、私の座った前には座高の高いオバサンが、
しかも、そのオバサンの頭は髪を高くアップにしていて、、
座ったと同時にガックリした。
しばらくしたら
何やら会場の外が異常に騒がしくなった・・
?
西郷輝彦が会場入りしたからかな?
なんて一人で思っていたら、
急に大きなアナウンスが!
?
「〇〇高校と〇〇工業高校と〇〇〇学園のの生徒はみんな外に出なさいっ!」
つづく。
- << 103 追記 ~これを読み直してみたら また思い出したことがある・・ このあと十数年後、私の二人の子供が 小学校か中学校になった頃、 ハウンド・ドッグコンサートが同じ体育館で開催されたようだ。 その時にも学生たちは急きょ学校側に反対されて コンサートを観られなかった!? まだまだ教育委員会は手ごわい存在だったのだ。 それでも、ハウンド・ドッグの大友康平さんは ずっとずっとあとになってからだけど その時、観られなかった学生たちを 無料招待したと聞いたことがあった。 さすが大友康平さん・・えらいねっ。 私もその後、 紆余曲折ありの 波瀾万丈ありので 最後は上京するのだが 長男が西武球場(のちに西武ドームに)での ハウンド・ドッグコンサートに連れて行ってくれて大感激した。 その後も、新木場でのコンサートにも行ったり 第二の人生、おまけの人生、おつりの人生を 大いに楽しんだ。 このあとも波瀾万丈の人生の連続中・・
~西郷輝彦コンサート~つづき
ドキッ!
急に心臓が破裂しそうだった!
わぁ、どうしよう・・
自分の高校の名前を言われたらどうしよう!
ドックンドックンと心臓が!
あちこちから立ち上げる高校生の姿が・・
ゾロゾロと出て行くのが見えた・・
だいぶ入っていたみたい・・
この地元の市内の高校だけの呼び出しだった。
この生徒たちは結局、
見ることができなかったんだね、
可哀相に・・
隣県で良かったぁ、とほっとしたのを覚えている。
隣県まで来ていて良かったぁ!
しかも、自分の高校からは私一人だったかも?
だって友達にも誰にも言わず内緒で来たし、、笑。
あれから考えると
良く一人で行ったものだ、と我ながら驚く。
それだけ西郷輝彦を見たかったんだね。
「いつでも~♪いつでも~ぉ♪君だけぇお~♪」
わぁーい♪
始まった!
拍手大喝采~♪
嬉しくて
鳥肌がたった、笑。
胸が躍った!
バックコーラスは女性グループのシュークリームス?だったかな?
三人が同じ服を着てとても可愛かったな。
女性として憧れた。
でもでも、、、
西郷輝彦がそのオバサンの頭の辺りに、、
しかも、小さく、、。
前のオバサンの頭の動きと逆の方へ自分も頭を動かさないと
ほとんど見えない・・し。
なぜかカメラを持って行っていた?から、
パチパチ撮影した。
翌日、地元の写真館へ持って行き現像してもらったら
そのオバサンの頭がほとんど・・汗。
たまに西郷輝彦の全身が写っていたが
小さい、、、し、
顔など見えないし、
ほとんど真っ白な上下スーツだけしか確認できず。
一枚の写真の大方はそのオバサンの
高過ぎる頭が・・
あの時からも・・、
現在も・・・いつもタイミング悪い自分の人生。
ずっとずっとあとになって西郷輝彦と同じ街に住んでいたけど
街で見かけることはなかったな。
って、遠い遠い高校時代の淡い憧れの一コマ。
つづく。
~父と松ちゃん~
高校生の頃のこと。
父は優しくて親切で思いやりがあり誰からも好かれていたので
うちにはいつも人の出入りが多かった。
昼間は働いているので夜遊びに来る人も多くて
夜来てもそう長くいる人はいなかったらしいけど
中に一人だけ遅くまで話しこんでいる人がいた・・
その人の名前は「松」ちゃん。
名字か名前か知らなかったが
父は松ちゃん、松ちゃんと呼んでいた。
小さい家の中、玄関を入った広い内庭から上がった部屋の
コタツで父と松ちゃんがボソボソと会話している・・
母と私はその隣の部屋にいつも通り寝ていたが
ある夜、得にいつまでも帰らなくて、、
母は昼間の肉体労働で疲れ切っているので布団に入ると
すぐスヤスヤと眠った。
が、
私も勉強や?部活でかなり疲れているハズなのに
全く眠れなくて困った!
今さら隣の部屋に行って電気をつけて勉強するなんて
イヤだし、、かと言って眠れないし・・
眠ろうとすればするほど、
父と松ちゃんのボソボソしゃべる声が気になりだした・・
まったくぅ!
そうするうちにいつの間にか睡魔が襲ったのか?
ウツラウツラ眠っていたのか?
瞬間、また目が覚めた・・
?
ん?
何だか静かだな・・
枕から頭を持ち上げて耳をすます・・
?
静かだ・・
ボソボソ声が聞こえない・・な?
?
やっぱり静かだ・・
声が聞こえない・・
私は父に声をかけた!
つづく。
~父と松ちゃん~つづき
ボソボソ会話が聞こえなくて
やけに静かだったので
てっきり松ちゃんは帰ったと思い込み、
念のために父に聞こうと思って、、、
聞いたのだった・・・汗。
「父ちゃん、、
松は帰ったぁ!?」
・・・
父の返事がない・・?
ん?
静かだ?
あれ?
父もいないのか?
どこに行ったんだろう?
そう思ったとたん、
ボソボソしゃべる声がした!
ドキっ!
ワァー、
しまった!
まだいたんだ!
汗。。。
松ちゃんのこと、
「松」と呼び捨てにした!
父も「松」なんて呼び捨てにしたので内心ビックリして
声が出なかったんだろうな
。
何より、
松ちゃんが一番驚いただろうな、、
自分の名前を呼び捨てにされたんだから。
大きな声で・・
イヤイヤ驚くというより
怒りの方が強かっただろうな。
男尊女卑のまだ色濃い時代のおんな、、に、
しかも尻の青い高校生から呼び捨てにされて・・
松ちゃんはいい歳のオジサンだったし。
それからもしばらくボソボソと話し声が聞こえていた、、が、
私もバツが悪いので心の中で「失敗したなぁ」と後悔。
そのあとは
松ちゃんが帰ったのを記憶していないから
寝たんだな・・きっと。
優しい父だったがこの時ばかりは
私のこと腹が立ったかも?
それでもそのことに対しては翌日も何も言わなかった。
きっと、私のこと信じているので反省しているだろうと
思ったから何も言わなかった?
いまとなっては知る由もない・・
松ちゃん、
あの時あの夜、、呼び捨てにしてごめんなさい。
夏子の母親が幼い私に言った「可愛げのない」・・
やはり正解だったかも。
高校時代のミスったあの日あの夜のこと。
今さらですがザンゲします。
つづく。
~ブルマースと足の傷~
「オギャ~」
産まれた時に右足の太ももの外側が
小さくプクっと膨れていた私。
両親はデキモノだろうと思って
気楽に近所のヤブ医者に連れて行ったら
麻酔なしで膨れた部分を切り取り
縫った!?
今ではありえない!
この時から長い人生と医師の関係も
タイミング悪かった・・、
相性が悪かった・・
母から聞いた話しだったが
聞いただけでも痛みを感じる。
ヤブ医者だったので
ぷくっと膨れていた時より
大きな傷になってしまって・・
母は胸が痛んだそうだ。
年頃になると母も私の太ももを見ることは
なくなったから
とっくに忘れたかも知れない。
が、
本人は非常に怒り心頭だった!
ずっと!
ずっと!
小学校では体操服はブルマースだった。
ブルマースといっても、スッキリしたブルマースではなくて
ちょうちんを膨らませたように丸く大きいブルマース・・
名付けて「ちょうちんブルマース」。
大嫌いだった!
だって、ブルマースギリギリに傷が見えているから・・
出来るだけブルマースを下げていたが
どうしても、見えてしまった・・
だから、体育は好きだったけど、
ブルマースが大嫌いだった!
中学校になって
やっとトレパン(トレーニングパンツ)という
今でいうと白い長ズボンをはくように
なってとっても嬉しかった。
その傷が年を重ねたある時から
痛みを感じるようになるのだが・・
(傷のこと、医師たちとの相性なども後日記するが)
悲しいね、
おんなの子に傷なんて・・
自分は
小学校に入ると同時に
すでにハンディキャップ(不利な条件)を負っていることを
子供心にも気づかされた。
つづく。
~田植えと指のイボ~
田舎の田んぼが懐かしくて
今、都内からわざわざ田んぼが見たくて
車を走らせて田園風景をドライブがてら
見に行っている私・・・。
季節は巡り、また今年も田植えの季節が
やってきた。
昔見た田植えの風景とは全く違い
あっと言う間に機械で植え付けるので
翌日走ってみるとすでに田植えが終わっている・・。
小学校の頃に戻るが、
うちにも狭い田んぼがあった。
小さいのに手伝いだけは大勢だったが、
私も一回だけ、従妹たちに負けじと
田んぼに入って田植えを手伝ったことがある。
手伝うっていうより大人のジャマだったけど、笑。
その時、ちょうど自分の親指に大きなイボができていた・・
ちょうど先っぽがイソギンチャクのような・・?
生ぬるい田んぼの水につけながら苗を植えて行く、、
あっというまに終わった。
うちに帰り、きれいな水で手を洗おうとしたら・・
?
あれ?
イボが無くなっている!?
なんで?
あんな大きなイボがとれるの!?
嘘みたいだけど、、
ホント、、
無くなっていた・・
しかも、イボがとれた跡形もなく、、
不思議な子供の頃のこと。
田植えを見るとそのイボのことを思い出す。
母ちゃん、私のあのイボはどこにいったんでしょうね 笑。
つづく。
~母のお供で田植え手伝い~
「田植え」つながりで・思い出したこと。
何でも母の言うことは素直に聞いた。
母が大好きだったから。
勿論、父も大好きだったが
特に母は舅姑小姑にイジメられてきたのを
背中で見て大きくなったから
特別に大事にしなければという思いが
強すぎて・・。
好き、という気持ちより可哀相だった。
「親孝行しなければ!」と
母が生きている間、ずっと思い続け
そして実行し続けた私。
一回だけ、母の知り合いの家に
田植えの手伝いにお供して行った。
あとで考えるとなぜ、知らないよその家まで
手伝いに行かなければならなかったのか?
疑問が残った。
全く知らない人ばかりの中でまして、
田植えなど子供の頃、「イボ事件」の時のたった一回だけ・・。
勉学と部活に明け暮れている高校生なのに・・
日曜日ごとに遠征で、
折角の遠征のない大切な日曜日・・
その時には少しだけ心の中で「いやだな」と思っただけ。
あとあと、大人になってからわかったが
母はあまりにも人が良過ぎた、、だけ。
馬鹿みたい。
あの日のあの大事な一日を返して~っ。
つづく。
~雀の卵~つづき
あれから、
都内や隣接県の色々なスーパーや駄菓子屋さんを
回ったけど(ヒマじゃね?笑)
どこにもなかった・・
歯科治療中だけど、
終わってから昔を懐かしむつもりで
買い置きしておきたくて・・。
しかたがないから、
ネット注文するしかないのかな?
面倒くさいな、と
思いつつ、
最後の賭け(オーバー、笑)で
昨日、銀座のアンテナショップに行ってみた。
ちょうど20周年祭とやらを開催していた。
いつもは少々、静かな店内、外のお祭りで
とても賑わっていた。
そんなお祭りなど目もくれずに
一目散に売り場へ!
ありましたよ~♪
ありました!
しかも、色々な種類の雀の卵が並んでいた。
今は好みも色々工夫しないと
流れに乗っていけないのだろうね。
昔、食べたであろう雀の卵、
小袋が14袋入っているのを購入。
やっと手に入った。
しかも、簡単に。
でもでも、今は食べられないし・・汗。
昔から欲しい欲しいと思っていたモノが
いったん手元にくるとそれだけで
大満足していた私・・
歯科治療が終了しても
小袋ひと袋食べたら満足するだろうな・・笑。
「雀の卵」と、「雀の玉子」とで製造元が違うようだ。
最初検索した時には鹿児島と福岡にあると書いたが
それは「雀の卵」の製造元。
「雀の玉子」は大阪の製造元。
うーん、、昔は袋に書いてある字までは確認しなかったな。
はてはて、
昔、食べていたのは三つのうちのどのたまご?
ま、どっちでもいいけど、、笑。
これにて「すずめのたまご」は一件落着ってことで。
つづく。
~就職~
いよいよ高校卒業になる、、早っ。
三年の担任は大学推薦を勧めてくれたが、
うちの経済事情では大学どころじゃない。
その時代は男子でも何割か?大学進学するのは。
わずかだった。
ましてや、女子はほとんど少数だったかも?
今の時代に生まれたかったな、、笑。
高校だってやっと行けたくらいだから。
母がやりくりしてくれたお蔭だと感謝している。
このとき、担任が関西方面の大学を推薦してくれたこと、、
まさか、自分の子供が!?いいほうの因縁?
夢にも思わなかったが。
(これも後日、記する)
で、
母はある意味、ほっとしたかと思う。
三年間出費していたモノが無くなるのだからね。
前述の高校の修学旅行は関西だと書いたが。
親友も行こうと誘ってくれたし、
行きたくてたまらなかったが行けなかった。
何しろ、田舎から一歩も出たことがなくて、、汗。
(小学校の修学旅行は隣県だったし)
なので、
そう意味でもなぜか関西方面の就職を希望した私、、笑。
なぜ東京ではなかったのか?
修学旅行に行っていたら多分?
就職は東京だったかも。
当時は色々な会社から人事担当がわざわざ高校まで
出向くような時代だった。
それだけ、良い若者を引き抜きたかったのか。
田舎の若者はスレていなくて純情だというわけだ。
(決して都会の若者が悪いというわけではないが)
私は、、というと
今は、様々な職種がありマスメディアが発達していて
選択肢は選び放題だけど、
昔はほとんど知らないし無いし、
結局、、
男子は大小の会社。
女子は事務員。
成績が下の者は地方公務員。
(成績が下の者は町の有力者に依頼して
町役場などに大体が就職していた時代)
そんな簡単な選択肢しかなかった。
のちに自衛隊という手もあったか、と
すぐ後悔したけど、、遅っ、笑。
当然、私も事務員希望、、
なんて簡単な!
大体の会社に目をつけていたが、
ある日、
どの会社よりいち早く、
関西の料理旅館の社長が、
初めてお目にかかる外車、
ベンツで参上。
それに目がくらんだ!?私は、、
ベンツの後部座席に乗せてもらい
町で繁盛している料理屋さんへ
連れて行ってもらった。
食い物にも目がくらんだか!?笑。
つづく。
~就職~つづき
ベンツの後部座席に社長と並んで座り
お抱え運転手付きで
最初向かった所は今でいうハローワーク。
手続きを済ませたような?
あまり詳しいことは記憶にないのだけど。
次は、料理屋(お寿司屋)に
連れて行ってもらい
ご馳走になった。
お寿司と刺身が大好きな私は
エサに釣られた魚だった!?爆笑。
ご馳走になったからには
断れない!?
そんな馬鹿なっ、、
だけど何も知らない田舎娘の私は
考えも浅はかだった。
今では考えられないことばっかり・・。
関西の問屋街と避暑地にある観光旅館を
経営する会社だった。
担任は本当にそこでいいのか?
念を押した。
クラスで一番に就職決定・・。
春になり卒業したら田舎を出られる。
不安より期待の方が大きかった。
つづく。
~社会人~
それから卒業して関西へ。
避暑地でもある山頂にある政府登録国際観光ホテル。
その事務所で経理担当の仕事。
同じく日本各地から高校卒業して来た
同僚たちが多数入社して一気に若返ったようだ。
社長がベンツで各地へ飛び回りエサでつり上げた成果?
中には社長の姪とやらも一緒だった。
閉鎖的な土地から広い世界へ?飛び出せた解放感で
毎日が楽しかった。
ひと月後の初めてのお給料。
その頃で二万円也。
大卒で三万円だったかな。
現金支給。
たった二万円、
されど二万円、
私にとったら
初めて二万円という大金?を
手にして感激した。
早速、現金書留で一万円を母に仕送りした。
就職する前に約束していたから・・。
全て親孝行のために、、
幼い頃、自分に誓ったこと。
寮生活だし食事代もわずかなものだし
ほとんど遊びに出ることはなくて貯金ができたくらい。
一週間後、母から無事に届いた、ありがとうと手紙が届いた。
その頃は手紙が唯一の連絡方法だった。
たまーに、電話したら十円玉を多量に用意してからかけないと
ならなくて、「ガチャっ、ガチャッツ」と十円玉が落ちて行く音。
しかも、遠くで母の声が聞こえるくらい感度が悪かった。
母の声を聞くと、急に会いたくなって田舎に帰りたくなってしまった。
って、お盆には帰っていたし、、たった半年で。
しかも、馬鹿高い飛行機で・・
しかも、母方の親戚四軒にお土産を買って
重いのに、、
そのお土産と言うのは
関西だったから
等身大のお人形みたいな?
プラスチックの箱に入っていて、、汗。
飛行機やバスを乗り継ぎ、
大変な思いをした・・貰う側は当たり前で
大変な思いをしたとは知らない・・し。
馬鹿みたい、、
なぜ大阪のお菓子とかあったんちゃうのぉ?笑。
あったま悪いんちゃう?私。
折角貯めた貯金あっと言う間になくなった・・笑。
つづく。
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