傷ついた子ども時代のこと

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2012/03/11 00:56(更新日時)

傷ついている子ども時代の私へ。

怖れ、傷ついた記憶に向き合うことで、子ども時代の自分をやさしく抱きしめてあげたいと思います。

幼い頃から擦り込まれた自己否定感、不安感が、今の苦しさに繋がってると思うので。

思い出したときに記していきます。

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No.1689196 (スレ作成日時)

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No.1

小さな頃から、父親が無条件に優しくしてくれたり、甘やかしてくれた記憶がない。
怒りやすい人で、怒り方も激しかった。「げんこつ」「たんこぶ」と言えばかわいらしいかもしれないが、頭が腫れ上がるくらいの強さで叩くことは珍しくなかった。幼稚園の頃だったか、洋服の襟を掴み上げられ、床にたたきつけられたことも。父親いわく、それらは愛情ゆえのしつけ。本人は本当にそのつもりだったのだと思います。
親から怒られるってことは、強く怒鳴られたり叩かれたりすることだと思っていた。家族間でも「諭す」という叱り方が存在すると知るまでに長い年月がかかった。

父親が私をほめたり認めてくれるときもあったけど、それは「評価に値することをしたとき」という条件付き。

安心して膝の上に座ったり、抱っこされたりしたかったな。無条件にかわいがってほしかった。存在を愛し大切にしてほしかった。

No.2

学生の頃。
急性胃腸炎になり、二階の自室の床にうずくまり嘔吐しながらも、私はなんとか携帯電話のメールで一階にいる母親に助けを求めた。
二階に上がってきた母親はうずくまり嘔吐する私を見て、ひと言。「用事は何?」。
吐いて苦しくて答えられない。というか見たらわかるでしょう…。何に困っているか…。
「用事は何?!」
母親は答えがないことにイラつき地団駄を踏んだ。「意味わかんない!バカじゃないの?」
階段を降りて行ってしまった。悲しい……

「大丈夫?苦しいんだね」って心配して理解してほしかった。優しく介抱してほしかったんだ。

No.3

弟の友達には芸能活動をしている子が何人かいた。弟自身もちょっとした活動をしていたから。

中学生の頃。まだデジカメなんてなくて、インスタントカメラが主流の頃。
弟のカメラは母親が現像代を出してくれる。私のカメラは、私のお小遣いで現像。
お小遣いだってかぎりがある。納得できなくて、お願いしてみた。「私のカメラも現像して!弟のはしてくれてるんだから…」。
母親の回答。
「弟の友達には、将来芸能人や有名人になる子がたくさんいるの。その子たちが写ってるカメラなの。現像してあげる価値があるの。……あんたの友達に、そんな人いるの?いないでしょ?」
涙で目がいっぱいになった。
母親を好いてくれてる私の友達もいたのに。母親だってそれらの友達をかわいがってくれているように見えていたのに。そんな言い方をするんだ。
そもそも、周りの人間ごときで子どもの扱いにそんなに差をつけるんだ。私はしょせんその程度の存在なんだ。泣けてくる……。

周りがなんて言ったって、なんて評価してたって、お母さんはあなたたちを平等に愛してるよ!というサインが私には必要だったのかも。

No.4

社会人になって、一般社会に出られてよかった。

家族は一番小さな社会の形と言われている。だから、我が家のやり方・私の存在の仕方で社会にも適合できるんだと、無意識に思っていた。延長線なのだ、と。
しかし、実際に一般社会に飛び込み、今まで擦り込まれてきた絶対的基準が絶対でないことを知りました。
もっと自分に優しくしてもいいこと。嫌なことは嫌だと言ってもいいこと。無理なことは無理、わからないことはわからないと言ってもいいこと。それらのことをしても、嫌われたり愛想を尽かされることにはならないこと。自分の機嫌は自分でとるのが大人の条件である、ゆえに、ある人が不機嫌にしていてもそれは私のせいではなく、その人自身の問題であると考えてよいこと。

パワーゲームによらない健全な人間関係の築き方を、私は社会…つまり、会社の先輩、上司、お客様に体験を通して教えていただいた。
はじめは、どこまで自分に優しくしてもよいものか計りかね、とても苦しかったです。今でもよく戸惑います。心の矯正中ですね。自尊心を高めたいです。

No.5

幼稚園の頃。
母親に何かで叱られた際、「あんたみたいな子が自分のお腹にいて産まれたんだと思うと本当にやだ!」と言われました。何で叱られていたのかは忘れてしまいましたが、そのセリフだけは幼いながらにとてもショックだったので覚えています。
存在否定です。
産んだこと、お腹にいさせたことすら嫌だと言っているのですから。
ショックで頭がガーンとするばかりで、逆に涙は出ませんでした。そんな頭で「母親にとっては軽い意味の言葉だったのだ」と考えていました。

それから数カ月経って、また何かで母親に叱られることがありました。私は単に対抗するつもりで言いました。「お母さんのお腹から産まれてきたと思ったら本当にいやだ!」

母親は泣き、そんな言葉を吐いた私をののしりました。あまりにも激しくののしられるので、「この間言われたことがショックだったので、そのまま言い返しただけだよ」と伝えましたが、「私はそんなことなんか言っていない!幼稚園の分際で母親に向かってそんな言葉を思いつくお前はおかしい!!」と激しさを増します。

そんなひどい言葉、幼稚園の分際で言われたことがなければ知らない。言われたから知ってるんだよ。そうでなきゃ、想像すらできない。断言できる。

自分が言われて泣くような破壊力のある言葉を、子どもに向かって言ってはいけないよ…

No.6

そういえば母親はよく、私が周囲の人に褒められるようなことがあると「…あんたって、本当にいいフリこきだよね。外面だけ良くするの、得意だよね。」と言われたもの。昨日、立て続けにお客様に褒めていただくことがあり、思い出しました。人から褒められるといつも心の中で母親が上記の言葉を吐きます。
褒められたら本当は嬉しい。自己嫌悪するのでなく、素直に感謝する自分になりたい。

また、欲しいものを欲しい、したいことをしたいと言ったときには「あんたから言ってこなきゃ、やってあげようと思ってたのに!…図々しいっ。やる気なくなる、やめた!」と言われるのがお決まりだった。そして、本当にへそを曲げてしてくれない。
そうして私はストレートに希望を口にすることができなくなった。「図々しい、おこがましい、逆に叶えてもらえなくなる」と思い…。そのうちに、自分のニーズ・気持ちの不感症になった気がします。今は自分の気持ちを感じる訓練中です。

No.7

>> 6 母親は、幼い私がストレートに希望を述べることを嫌がった。
しかし、はっきりと希望を述べないことにも腹立たしさを感じていたようです。
「本当にあんたは遠まわしにしかモノを言えない、いやらしい人間だ」と。

No.8

父親はいつ、何で怒るかわからない。そして怒り方が激しい。

小学校3、4年生頃だったと思うが、家族揃って自宅で夕食を食べていたときのこと。
私が一番先に食べ終わり「あぁ~✨美味しかった✨❗」と伸びをしながら言うと、隣の父親がかなりの強さでテーブルに拳を打ちつけた。


👍ドンッッッ❗❗❗❗💢💢
🔥

叩きつけられたテーブル。すごい音が鳴り、私は飛び上がるほどビックリした。
父親がひと言。

「まずは『ごちそうさま』だろぉが💢⁉んあ゙💢⁉」

…………ぇ?

完全に意味不明。。
むしろ、そういった挨拶類は家族の中では私が一番よくできてたし、逆に父親は「いってきます」「ただいま」「ごちそうさま」など、自分からは全然言わない。
そのときだって、「美味しかった✨」の後にすぐごちそうさまと言おうとしていたのに。

私はビックリしたのと、怖かったのと、納得できなかったのとで、泣きました。

No.9

母親は「それ」「あれ」「そっち」「あっち」が多い。しかも前置きなしにいきなり「それをあっちにああして」みたいな指示の出し方をする。
「それってどこ?どこ?」一発で理解しない私に対して母親の感情はヒートアップしていく。自分の頭の中が相手にも見えていると信じているみたい。だから、そんな指示の仕方じゃ幼い私が理解できないということが想像&理解できないんだろうな。

No.10

食事のとき「おかわり。普通に一膳の量で。」と父親から茶碗を渡され、つぎにいく。
それを持って行き渡すと、

ある時は
「これ多いだろっ❗お前は本当に食い意地張ってんな💢俺はお前と違うんだよ💢」

ある時は
「これ少ねぇだろっ❗お前は本当にケチくせぇ女だな💢」

父親も母親同様、自分の頭の中が相手に見えていると思っているみたい。
相手(この場合、私)の対応が自分の思い描いていたものじゃなかったときの感情の高ぶり方が激しい。
人格否定は頻繁。

No.11

父親は料理をしても片付けない。切りっぱなし、開けっ放し。自称、料理上手。

幼稚園児だったある日、料理番組を見ていたら講師が「片付けも料理の一部。本当の料理上手は片付けもきちんとします(^_^)」と言っていた。
たまに料理をする父親にさっそく教えてみた。「お父さん❗お料理が上手になるにはお片付けも大切ってテレビで言っていたよ(*^o^*)ノ」。料理がわりと好きそうな父親のプラスの情報だと思った。
しかし、父親の反応。
「………関係ねぇよっ、そんなの❗❗💢」

幼稚園児に向かって対抗…
子どもだなぁ。。。

自分の行動を変える(片付けるようになる)かは別にして、いち教育として「そうだね、片付けは大事だよね😃」くらいのこと言えてもよいと思うのですが。
寂しいものですね。

No.12

母親の仕打ちは大人げなく、残酷。

小学校4年生のとき、私の目の前で

「この子、生理になったのよ!」(嘘)

とご近所さん数人に言いふらされた。
恥ずかしい思いをさせる罰らしい……。
この人は、スイッチが入ると何をするかわからない。

発した言葉は元に戻せず生き続けるということを知らないのか?考えが及ばないのか?

No.13

母親の差別。

弟の習い事は、幼い頃母親自身もしてみたかったことだから、力を入れて応援。それに付随する習い事などへの投資も優先的に行う。
私の取り組んでいたことは、母親の興味対象外。
人前でバカにする態度などとられていた。母親曰わく「その場を盛り上げるため」らしいですが。

No.14

何をしても、親に十分に認められない=満たされない=安心できない。私の育ちの方程式のひとつ。

私はあるスポーツ(個人競技)をしていて、高校最後の大会で県大会の決勝まで進みました。
私はこれまでの数年間、全国大会出場を目標に、本当に努力しました。部活が休みの日も自主練習に励み、辛く孤独な練習に何度も弱気な心が芽生えそうになりましたが、自分を奮い立たせてきた。県大会決勝の結果、残念ながら全国大会には進むことができませんでしたが、目標が叶わなくても本当にやり切ったときにはこんなに晴れ晴れとした気持ちが残るものなんだと思いました。とても満足していたのです。それは、今まで本当にがんばったから、文字通り「悔いがなかった」というです。顧問の先生も「お前には、全国大会に行かせてやりたかった」と言ってくれ、とても嬉しかった。全国大会出場に値するくらいの努力をしてきたことを先生が認めてくれたと思ったからです。

ほくほくした気持ちを胸に抱きながら帰宅。

「全国大会はダメだったけど、こんなに晴れ晴れとした気持ちになれていることがすごく嬉しい❗本当にがんばったって、自分でも胸を張れるんだ❗😃」と、両親に報告した。

父親「…そうかぁ??俺には、あんまりがんばってるようには見えなかったけどな🚬(-.-)もっとがんばれたんじゃねぇの??」

私「え💦すごくがんばったよ❓💦」

父親「そんなことねぇじゃん。〇〇ちゃんとかさ。すごいがんばってるじゃん。あの子くらいがんばるとかしなかったろ?」

私はすごくすごく悲しくなった。ちなみに父親の言う「〇〇ちゃん」とは、中学の頃から常に県のトップで全国大会の常連、高校(私とは違う学校)もこのスポーツのために推薦入学して活躍している子。1年後には全国大会で優勝した実力と素質の持ち主。
〇〇ちゃんはもちろん努力している。でも、それと私の結果を比べるのは違うと思った。学校教育の一貫で行われている部活動。その最後の挑戦を終えた子どもに、「潰す」言葉をかけてどうする?

悲しすぎた。
私は何をしても認めてもらえないんだ。

県大会に進めた女子だって、部活じゃ私ひとりだったのに。誉めてくれたっていいじゃないか。結局、私は至らない点しか親から追求されない。極端な話、世界一にならなきゃ親に存在やがんばりを認めてもらえないってこと?
本当に嫌になる。
俗にいう「親バカ」な親を持つ子が羨ましい。

No.15

彼ら(とくに父親)は感情的になることが「人間的」であり、「価値のあること(人)」だと決めつけている。
父親の指す感情とは、主に怒りや批判(罵倒)、暴力。本人は気づいているかわかりませんが。
それらの言動をとっている(私に言わせれば、『とっている』でなく『陥っている』)人を評価します。「あいつは見所がある」というような具合に。
そして彼自身、それらの言動をとる時、自分に魅力や力が宿ったように錯覚しているんでしょうね。

No.16

両親は本を読まない。
もう少し詳しく述べれば、母親は半年~1年に1冊買うか買わないか。ちゃんと読んでいるのかは不明ですが、上記のペースで買ってはいるみたいです。
父親はまったく本を読まない。本を手にしている姿をみたことがない。
前のレスにも通ずるのだと思いますが、だからこそ父親の思考、発言、行動はすべて自前の勘、経験、感情。自前では範囲が狭すぎますし、しかもオール感情論ときたから困ったものです…。
また、父親も母親も基本的に専門家や研究者の理論を軽視&拒絶する傾向があり、話になりません。

私が健全な親子関係の理解を得られる日はくるのかな…。難しいだろうな…。

No.17

幼い頃の両親それぞれの誕生日。
父親の誕生日のときは、昼間に母親が買い物に連れて行ってくれてプレゼントを買って渡していた。
母親の誕生日のときはといえば、父親は日中仕事なのでプレゼントを買いには行けなかった。
だから、私は毎年、折り紙を切って輪にしたものをつなげた首飾りを作ってプレゼントしていた。

ある年、母親が言った。

「なんで私の誕生日だけ、毎年こんな折り紙だけなの」

今思えば、それは私にというよりも父親に対する不満の言葉だったのかもしれない。

だけど、今思い出しても悲しくなる言葉のひとつだ。
彼女は、子どもから何がほしかったのだろう。
何を望んでいたのだろう。

No.18

母親は私が「間違った」ことをしたとき、激しくののしり、馬鹿にする。

「こうするとよいよ。こうしてごらん。こうするんだよ」と説明してくれたり見せてくれたりするのではなく、
開口一番で
「そんなこともわからないお前は馬鹿だ!普通教えなくてもわかるでしょ!?💢あぁ、本当にセンスがない!💢もういいわ、あっち行って!💢」

料理の盛り付け、味付けから始まり…その他いろいろそんな感じです。
幼稚園の頃、キャベツとレタスの見分けがつかなかったときも上記のセリフでののしられ続けたっけ…。
どんな小さなことでも、間違うことへの恐れがとてもとても大きいです。
見捨てられる、と思ってしまいます。

No.19

>> 18 ちなみに、何度か母親に「あの時、~と言われたときはすごく傷ついた」と打ち明けたことがあるけど、そのときも「はぁ⁉⁉あの言葉を真に受けるお前は本当にバカだ❗❗」みたいなことをひたすら言われ続けました。

心理的な虐待って、本当に怖いですね。
見えるようで、見えない。
気づくようで、気づかない。
この社会のそこいら中に、そんな心理的虐待があふれている。

大人たちの心無い態度、言葉によって子どもはじわりじわりと、
しかし確実に傷つき

そうして、自尊心や自己受容感のない子どもが“生まれる”。

あとは不幸のバトンリレー。

私に渡されたバトンは、私で終わりにします。

No.20

悲しい子供時代だったね。
両親は足りないけど
あなたは利発だったのでしょう。
利発ゆえに、年齢にそぐわない発言があったりして、足りない両親にとってはそれが生意気だとしか とれず、かわいいと思えず嫌われていたのでしょうね。
合う子、合わない子はあります。
親だって人間ですから。
私も子供に心理的な虐待をしていると思います。
うちの子供は、繰り返し同じ悪さをします。子供は二度三度ではわからないものと思い直し、その度に言い聞かせ、諭して来ましたが何度も同じことをされおまけに嘘も巧妙化するうちに叱らなきゃいけない場面でどうしようもないくらい感情的になり「何度言ったらわかるんだこの馬鹿!」「最低な奴」「お前なんかいらない!出て行け!」と…

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