[クローバー]histoire[クローバー]🐤🐤
明け方の空。
真上に白い半月。
そんな景色を眺めながら今朝も走ってきた。
隣にはヤツ。
いつまで一緒に走れるかな…
日記も三冊目だよ。
さて、ゆっくりいきましょうか…
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2017年12月
義母、先月から入院中。途中、腹水が溜まったりしていよいよ危ないかもと思った私は
旦那のいとこ、義母の姪っ子にあたる乃々さんに連絡を入れた。
車で1時間かけて彼女は来た。
一緒に病院へ行き、私が顔を近づけて「ばあちゃん、〇〇だよ」と声をかけると
パチっと目を開けて私を見た。来たのかと言った後に乃々さんが
「お姉ちゃん、乃々よ、分かる?」と聞くと首を横に振り「わかんね」と言った。
病院の駐車場、車の中で乃々さんは泣いてしまった。
ひと泣きすると、ごめんなさい、ななみさんのことは分かるのに私のことは忘れてしまったのね。なんだかとても悲しくなっちゃって。
子どもの頃から一緒の家に住んで、義母が嫁に出てから、乃々さんの母親が癌になり亡くなると1年しないうちに継母が娘2人を連れて来た。
居場所が無くて高校を出るとすぐに自立したが、居場所のない時期に義母が里帰りで来てくれた時の嬉しかった事。
なんとも言えない気持ちなったといった。
義母の顔は見れたけど泣かせてしまって、とても申し訳ない気持ちになった。
2017年11月
義母、深夜呼んでも目を開けないとの事で救急搬送、入院。
前回の骨折後退院から食欲無くあまり食べないので好きな物を買ってきて食べさせて欲しいと施設から連絡ありお寿司など差し入れていた。
でも、あまり食べていなかったな。しかし、さつまいもをふかして持って行ったら食べた(笑)昔からお芋は大好きだった。
入院中の私のメモ。
今月途中からは介助があればご飯10割食べるとのこと。逆に言えば食べたくないという意識も消失したということ。
時々、様子を見に病院に寄る。
ばあちゃん、っと声をかけるが「これは、あんたが持ってきてくれたのかい」と、病院の白いカバーがかかった毛布を指差す。
私の事も誰だか分からないようだ。
今日も暑い。37度だって😅
2017年3月
義母、朝トイレで倒れおでこをぶつけたらしいので病院に連れていって欲しいと連絡あり。私は自転車で施設まで行きタクシーで病院へ。
CT検査異常なし。で、タクシーで施設に送る。
途中、ドラッグストアへ寄ってほしいとのこと。
いつも飲んでいる鮫軟骨のサプリメントを買っていた。
久しぶりに行きつけのドラッグストアでの買い物。少し楽しげに見えた。
2017年10月
朝、部屋で転んで右大腿骨頭部骨折。
外科のある病院に入院。
二週間で施設に帰される。長くなればボケてしまうとのこと。
車椅子のまま帰るので介護タクシーを使う。
入院中、またボケている。
しかし施設に帰ると不思議と意識がしっかり戻る。
有料老人ホームだからか、ヘルパーさんの声かけや対応が良いのだろうと
いつも感心する。
話を聞いてみると、彼女が不倫中に相手の家庭では第二子が生まれている。その時だけは腹が立ったと言っていたが、どうも私はその彼の奥さん側に立ってしまうようで、心から同意してはあげられなかった。
ホルモン補充療法をしていて、薬で生理をおこす。
確かに更年期がキツイ人には有効だろう。
彼女は半分は恋のためにしている。
まあ、それは人それぞれ自由だ。
簡単だよ。ぬり薬を腕にぬるだけだから。ななみちゃんもやったらいいよ。
うーん、私はやっと更年期の症状が落ち着いてきたところだし、性欲がキレイになくなって、やっと動物としてのさがから開放された感じで、清々しているのよ。
だから、いいわ。
でもさ、それって、女として終わってるって事でしょう?
…私は絶句した。
頭の中では、
じゃあ、いくつまで女としてエッチがしたいの?むかし、親くらいのいい歳した人がそうゆう事するとか、気持ち悪いって、言ってたよね?だいたい、何十年も連れ添った旦那とエッチしたいか?もう、そんな時は過ぎたし、私はもうそこにはいないんだよ。
などと、思ったがのみこんだ。
別に彼女は恋愛中だから仕方ないしね。
ただ
聞いていると、相手からしたら本当に浮気なんだよ。
「だから、不倫する人の気持ちとされる側の気持ち、両方分かるんだ。」と言う彼女に、○○ちゃん、プライド高いからそういう事にはならないと思ってたよ。
などと、つい言ってしまった。
恋は理屈ではないのだろう。
しかし、利己的だなあと思う気持ちと、人間そんなものかもね。と、言う気持ち、でも、もう少しのモラルが欲しいとか、グルグルと、色々な気持ちが渦巻く日であった。
おはよう
雨だね。
少し前に、久しぶりに次女の幼稚園時代のママ友と会った。
八年ぶりくらいか、お互い少し老けた感じ。
私も彼女も更年期前後で少し顔の印象が変わる時期だ。
不思議な事にある時、あっと気づくくらいに顔が老ける。それが少しづつ持ち直して落ち着く。
これを繰り返して少しづつ老けていくんだな。
なるほど。っと、老いる過程に納得したりする。
久しぶりに会った彼女とお互いの近況など話した。
彼女はずいぶん前に離婚していてずっとシングルだ。2人の娘達はおばあちゃんに任せてずっと働いている。
浮いた話は無いの?
と、聞くと「ないよー」と、言ってあたが、「世間の男は見る目がないわね」と、私が言うとおずおずと彼女が話し出す。
実はね、前に会った時の少し前に彼氏できてたんだ。でも、ななみちゃんが旦那の不倫で傷ついてたから言えなかったんだ。
その彼、奥さんがいる人だから。
どんな感じの人?と聞くと「爽やかな感じの人」と言って写真を見せてくれたが、どこがじゃ?と思った。が言わずにうなずいた。
恋は盲目だ。
こんにちは
義母はリハビリの為に掛かり付けの病院に転院になった。
転院してから1週間経過すると、最初の病院で何度も話していたおかしな話は忘れてしまっていた。
こんな事話してたのよ、と、言ってみたが…私はそんな事ない。と、言われた。
まあ、意識的には今の方がはっきりしているが、何度も不思議な体験を真面目に語る義母はどこへ行ってしまったのかと思ったりする。
4月の最後の日に無事退院した。
施設の義母の部屋で、荷物の整理をしていると他の部屋のおばあちゃんがニコニコしながら入ってきた。
○○さん、退院したんでしょ。これ。
と、言って黒飴を1袋もらった。
○○さん、甘いの好きだから。
なるほど、お互いにお菓子などやり取りをするのだな。糖尿病にはよく無いが、一つのコミュニケーションツールか。
義母はホールに居ると伝えるとその方は、くるりと歩行機の向きを変えて出ていった。
その後も、廊下を通る人が○○さん、帰ってきたの?と、声をかけていく。
本人はさんざん施設の不満をを言っていたが、何年かの間にちゃんとお友達ができているのだな。
そう思った。
パンフレットの中からだね。(笑)
誤字すいません(^ω^;);););)
手術して次の日くらいに旦那は仕事帰り病院に寄ったらしい。
でも、義母は非常にご機嫌悪く。文句を言われたらしく、病院行きたくないんだけど。と言う。
オイオイ、自分の親だろう。
と、思うが…とにかく洗濯物が有るからアンタは会わなくても良いから行こうよと何とか説得。
義母と少し話してから洗濯物を持って帰宅。
入院も2週目に入る。義母の意識ははっきりしているが、またまた変な話をする。
手術の日、娘が帰った後だよ。車椅子に乗せられて何だか川辺りみたいな所へ連れていかれたんだよ。川のところに人がいて、こんな感じの四角い物をみせられたんだ。
見たら、ガスみたいなのがブクブクしててね。次には果物屋さんの前にいたんだよね。
へー。
で、いつ帰ってきたの?と、聞くと、覚えてないんだよー。
また難解だ。
手術後はずっと点滴。
病院の近くに川はない。
火曜日、病室に着く。
義母は少しぼーっとしている感じだが、とにかく、ここはひどい。○○病院の方がずっといいよ。と繰り返す。
その病院とは地元のかかりつけ医だ。
内科しかないので、手術のためにここを紹介された。
少しして先生から経過の話があるからと診察室まで行って話を聞く。
そのご、医療相談室に行って担当の方と話す。
バンプレストの中から、1番大きなリハビリ病院に決めますと伝えた。
ついでに、義母のかかりつけ医に転院は無理かと聞いてみる。糖尿病の事もあり、本人も安心するので、できればそこがいいと押してみるが無理なんですと断られる。
まあ、仕方ないか。
その日はそれで帰宅。
数日後、また病院。
洗濯物を取りに行く。
義母と少し話す。
義母の話は少し変だ。
紙が下がっていて、何だろうと思っていたら、そこにあるのがスーっと、飛ぶんだよ。
それで、そこを見てみると何にも無いんだ。
んーわからん。
聞くと、飛んだのは窓ガラスで、覗いた先には何も無いが昼間なので明るい。でも、そこから冷たい風が入ってきて寒くて寒くて眠れないのよ。
と、言った。
夢でも見たんじゃないの?と聞くと、いや、夢じゃ無い。と、キッパリ言う。
じやあ、その時看護婦さん呼ぼなかったの?と、聞くと、やだよ、だって呼んだら私が壊したと思われるだろうよ。
こんな感じで、なかなか難しい会話になった。
こんにちは
北風が吹き寒い。
少し残った桜も散るだろう。
ちょいと振り返る。
3月の節句の日、義母は転んで大腿骨骨折。
夕方に施設から連絡が入り、バタバタと入院の手続きや準備で私と旦那の帰宅は夜10時頃。
その日作ろうと思っていたちらし寿司は次の日に。
当の本人は、思ったより元気な様子。
痛くて足は動かせないが、よくしゃべる。
外出してすぐに転んだらしいが、理由があって墓に行く途中だったらしい。
義父の入っている墓に親戚の人の遺骨を勝手に入れられているかも知れないから見に行くところだったという。
その親戚とは義父の弟の嫁で、何年も前に亡くなっている。
本人は、私の具合がよくならないのは勝手に墓をいじられているからだと。そんな妄想をいだく。
足が痛いのは歩かないからで、血糖値が下がらないのは本人の偏食のせいなのだ。
常識では考えづらい妄想にかられるのは、やはりボケてきているのだろうか。
こんにちは
先月の末、父の7回忌だった。
早いもので、父が居なくなってからもう6年経つ。
今年は年明けから急に寒くなった。
父の法事の予定日の前日から雪の予報。東京はギリギリ降らなくても墓のある茨城県はどうなんだと、やきもきした。
我が家は雪が降ると車が出ない。
チェーンの類いは無く、雪の日などは基本車での外出は無い。
すると、最悪電車で最寄まで行きタクシーか。
雪でタクシーがつかまらなければ墓にはたどり着けないが、会食の場所までは駅から歩きでもいけるかな。
などと、いろんな事が頭の中をぐるぐる回る。
旦那に、日にち変えられないのかと聞かれたが、まあ、会食の予約もあるから無理だろうし弟達は車で行けちゃう訳だし。
ウ〜ンと唸った。
すると次第に父に腹が立ち、全くなんでこんな時に雪の予報なのよ。そしたら行かれないでしょ!
などと頭の中で文句を言った。
まてよ。
そう言えば、墓に皆が参る時には不思議に雨があがったりする。今回も大丈夫じゃないかな?
うん、大丈夫だ。
父さんの7回忌だよ。
天気くらい変えられるよね。クスクスと笑った私は「お手並み拝見」と、言った。
先月の終の日、高野山のカレンダーを持って何ヶ月ぶりかに伯母宅へ行った。
久しぶりとか、懐かしいとか、そんな気持ちになるかと思っていた。
しかし、その道のりはいつもの通勤と何ら変わらず叔母宅の居間に座っても、いつもの居心地の良い場所だった。
本当に前に戻ったように話していたが、社長がネームを持ってきたので私は帰ってきた。
もう、仕事を手伝うことは無い。
ちゃんと線引きができた。
私の後ろ姿を見送った叔母は、凄く切なくなったと後のメール書いてあった。
私は、その切ないに共感した。
これからは、元の親戚として付き合っていく。けれど、
前よりはずっと気持ちが近い。
お互いに得るものの多い7年であった。
その後はお互いに音沙汰なくそれぞれの時間を過ごした。
でも私が叔母を好きでいる事に変わりはない。
少し前、一緒に久しぶりのランチに行った。
その日帰ってからのメールに、普通に話してくれてありがとうという言葉があった。
多分、私を追い詰めてしまった加害者意識から出た言葉だろう。
でも、そうじゃない。
被害者も加害者もない。
たた、私が引くべき時に引かなかったから。
だからこうなった。
それだけなんだ。
卑屈になっている訳ではないよ。
実は、そう思う裏付けがある。
突然、カメラのシャッターが降りるようにその場面が1枚の画像になり記憶される時がある。
それが、叔母宅で何度もあった。
まず、社長が品物を持って叔母と話している時、ミシン屋さんがどうもと言って部屋に入ってきた時、最後は帰り際、ミシンに座った叔母が「また、お願いしますね」と言った姿が焼き付いて残っている。
そのシャッター切れるたびに、あっと、思う。そして少し焦る。
私の意志とは無関係に起こるこの事に少しづつ説得されていくのだ。
だからこの結果に至るのは当然の事で、叔母のせいではないのだ。
もっとスマートに終わらせる事はできたはずなのに、私の未練がそうさせてしまった。
けれど、こんな事でも無ければ辞められなかったのだろう。
少し切ない。
おはよう
今朝は雨。
そうそう、続き。
そのメールのやり取りから4日目の朝預かっていた鍵にハンカチとメッセージカード付けて送った。
いつも身につけてもらえるようにハンカチを選んだ。
残暑残る季節で紺色の涼し気な花模様の物が目にとまったが、別れにには悲しい色に思えて、その色は私用に買い同じ柄のピンクと黄色のハンカチにした。
次の日、私の郵便が届く頃私の元にも叔母からの荷物が届いた。
叔母宅に置いておいたジャージとエプロンに箱菓子と手紙がついていた。
手紙には、長い間忍耐してくれてありがとうと書いてあった。
私は長く耐えた訳ではない。
ある日突然に苦しくなっただけで耐えたという認識はないのだ。
けれど、そう言い訳してみても相手からしたらそんなふうに感じるものなのかも知れない。
気持ちと言うのは伝えにくいものだね。
透明のビニール袋からエプロンとジャージのズボンを取り出すとキレイにアイロンがかけてある。
一瞬にして叔母のアイロンをかける姿が浮かび、その時に込めたであろう「ありがとう」の気持ちが飛び込んでくる。
切なくて愛おしくて私はそれを抱きしめた。
そしてある日、私は頭の中でくるくると思い返していた。
去年、週3日しか手伝いに行かないのに、社長は2人分としてけっこうな量の仕事を置いていく。黙ってこなす叔母は睡眠時間を削り長時間のミシン仕事で腰が痛み何度も病院で痛みのブロック注射を打っていた。
私の手伝うという事が、そろそろマイナスに働いてはいないか。
そんな事を思っていた。
ずっと前からそう知らされていたのに。
それを見ないふりをしたから、今回の衝突が起きたんだ。
私の対処の遅れのせいで、叔母は悪くないんだ。
そう気づいた私は、その旨をメールにした。
次に手伝いに行くまでの間、私に悪いことをしたと思わないで過ごして欲しかった。
だからの長文メールを送った。
辞めるとは一言も書かなかった。
もちろん、そんな気持ちも無かった訳だが…
しばらくして返ってきたメールには、預けた鍵を送り返してほしい事と、辞めるなら電話か会って話して欲しかったという事だつた。
また、頭が真っ白になった。
違う、違う。
そんなつもりじゃあ…
でも、頭の中で声がする。
続ける事でお互いにプラスになるの?
もういいでしょう。
そうだよね……
わかった、直接だと泣いちゃいそうだから、メールでホントゴメン。
そう書きながら泣いてしまった。
そして連休中に叔母にメールをしました。
やはり、面と向かっては言いにくい。
いえ、言った時の叔母の表情を見るのが怖かったのかも知れません。
もう、愚痴話を聞くのが限界に来ている事。そういう事は自分の中で話し合ってうまく粉して欲しいという事。
これからも、今まで通りに付き合いたいからのお願いでした。
けれど、返ってきたのは感情的なメールでした。
もう、何も言いません的な…
ショックで頭が真っ白になり、涙か滲みました。ああ、つらい事をつらいと言えないなら、もう終わりだ。
待って待ってと、もう1人の私が止めます。けれど頭の中の全てで、そう思ったのです。
待ってほしい私は、あっという間にかき消されていました。
連休が終わりに近づき、それてもまだ辞めると言い出せない私は、もうしばらくの仕事のお休みを叔母にお願いしました。
また少ししたら仕事の手伝いに戻りたいような、そんな気持ちになっていたのです。
あの時、頭で辞めると決めた事が少しづつゆらぎ、また戻りたい気持ちになっていました。
こんにちは
毎日飛ぶように過ぎていきます。
もうそろそろ書けそうなので書きます。
実は今年の5月連休前で叔母の仕事の手伝いを辞めました。
考えてみると手伝いも7年をこえました。
叔母宅にはバスを二つ乗り継いで1時間位で着きます。
仕事の日はあっという間に時間が過ぎ、よく話し笑いながら本当に楽しく過ごしてきたのです。
その間に叔母の苦労話や愚痴が混ざるけれど、普通に聞いてあげられていた。
けれど、いつの頃からか同じ愚痴話を何度も聞く事になります。
大抵のその手の話は、始まりから終わりまで少し長めの物語になります。
うん、前に聞いたよ。とか、こう言ってたね。とか、時には、どうして同じ話を何度もするのかとたずねてみたりしました。
答えは、話したくなっちゃうから、でした。
何度も重ねて話を聞くと、先がみえている分内容には集中できず話手の感情ばかりが押し寄せてきます。
それでも、大丈夫。
ちゃんと聞き流せているからと思っていました。
それが今年に入って短期間に同じ愚痴話を3度聞きました。すると、私の中の器から水が溢れるように苦しくなり、大きなため息とともに、もう無理だという声が聞こえました。
本当に嫌な話は、もう1ミリも入らないのです。
本人に言わなければ。
もう行かれない。
そう、おもいました。
こんにちは
外は南風が吹いていて汗ばむ陽気。
先日、旦那と昔のおやつの話をした。
旦那が子供時代、遊びに行った友人宅で出されたおやつが食パンの耳を揚げてグラニュー糖を振ったもので、初めて食べて凄く感動したと言った。
私の家では母が作ってくれた。
残ったお餅を小さく切って揚げたおかきや、食パンの耳を揚げたのも食べた記憶がある。
そっか、ばあちゃんはパン食べないっけ?と、聞くと、昔はご飯だけでパンは贅沢品だったなぁー。それに、自分の母親はそういう事をする人じゃないって子供ながらに悟った、と言った。
確かに私の親は旦那の親より10才は若い。最初は年代の違いかと思ったが、いや関係ないか。
そういう話を聞くたび、子供の旦那が頭に浮かぶ。そして、たまらなく不憫になる。
旦那のマイナスの記憶。
つらいとか、悲しい経験は本人にはプラスだ。人の気持ちが分かる優しい部分を作る。
そんな事は分かっているのだが、やはり不憫になってしまう。
私はヤツの親かっ!
と、ひとりツッコミしたりする。
すると、ある日夢を見た。
見知らぬ平屋建ての家に私は居た。
外は雨が降っている。
次女がちょっとコンビニに買い物に行ってくると言い傘をさして出掛けた。
しばらくすると、台所の窓から次女が帰ってくる姿が見えた。すると、その少し後ろを赤い雨がっぱを着た幼児が泣きながら歩いている。雨がっぱのフードもかぶっていて、横姿なので顔は見えないが、泣く声だけは聞こえている。
玄関ドアがガラガラと開き、次女が帰った。
幼子の鳴き声は、門扉の向こう側にあるが建物の影で見えない。
そして決して門の中に入ってくる事は無かった。
夢の中では、見知らぬ怖いモノと思った幼子。
目が覚めて思って見れば、その雨がっぱの赤色は、私が無くした自転車の荷台に付いた子どもイスの持ち手の赤い色だった。
黒の車体に黒の子どもイスを付けた。その持ち手と足元のガードが赤色だった。
こんな夢を見てしまうなんて。と、複雑な気持ちになった。
こんな事なら、もっと早く買い換えて私から手放すべきであった。とか、いつもそばにあり、子どものように感情を注いでしまう事の善し悪しについて考えた。
無くす日の朝、自転車の傘ホルダーに傘を付けていくか、凄く迷って黒い傘を付けて出掛けたのでその傘も一緒に無くなった。
傘まで無くなったかと落胆したが、すぐに、傘も一緒で良かった。一人ぼっちじゃないよね。と、安心する私。
こう考えてしまう事を恥ずかしくて人には言えません。
ただただ、私の思い込みの世界だから。
無くなった自転車の鍵を、鞄の中から出す事が出来ないで持ち歩いている事も内緒。
こんにちは
早い。もう10月。
すっかり湿度も下がり快適快適。
あれは6月の事だったかな…。
本当に久しぶりに友達と会った。いつものように楽しく話して帰途につく。
すると、スーパーの駐輪場に停めた自転車が忽然と消えた。
ちゃんと鍵もかけたし、駐輪場の前輪が乗る場所に停めたのにだ。
あれれ…と思って駐輪場の中を何週もした。が、無い。
仕方なく歩いて帰った。
数日は駅前を探したが、見つからなかった。
その自転車は、もう20年以上乗っていた。何度もタイヤやブレーキゴム、ワイヤーも変えた。なんだか愛着が湧いてしまって買い換える事が出来なかった。
するとだ、数日はわが子を失ったに似た喪失感におそわれる。
変な話だか、どこかに置き去られ泣いているんじゃないかと心配で仕方なくなる。
知らない人が聞いたら笑うね、きっと。
流石に自転車が無いと不便なので三3日目には新しい自転車を買った。
でも、まだまだ消えた自転車への想いは残る。
その後、お茶を飲みながら話していたが長女の眠そうな顔を見て昼寝を提案。
畳の部屋にゴロリと横になる。
長女はすぐに寝息をたてた。
私はうとうとしたが、15分くらいで目が覚めてしまった。
すうすうと聞こえる寝息が心地よい。
この子は小さい時からよく眠る子だったなぁー。よく笑う、育てやすい子だった。
小さい子どもの頃の長女が溢れるように浮かんでくる。
私の引き出しには、こんなにたくさんの画像がしまってあったのかと、驚く。
なんとも感傷的だ。
けれど、幸せな気持ち。
寂しいと嬉しいと感謝と激励と…
いろんな気持ちに埋れた。
長女は2時間も眠り、夕飯を食べてから帰った。
久しぶりの家族全員での団欒だつた。
こんにちは
晴れのち曇り。少し蒸し暑い。
長女が自立すると感じた訳…それはね、昨年の大掃除の時にさかのぼる。
姉妹二人で使っている子供部屋は、いつも次女の指揮の下掃除が行なわれる。
まずは、捨てられない長女に捨て過ぎる次女が向かい合う。間にはゴミ袋。
次女が一つづつ物を持ち、いるの、いらないの?と聞いてみて、いらない物はどんどんゴミ袋の中へ。
テンポよく進み、かなりの早さで片付くのだ。
それまでモノが溢れて、ナダレを起こしそうな押入れがスッキリと片付いた。
ある日ね、掃除をしようと子供部屋の前を通った。
真っ先に綺麗になった長女使用の押し入れが目に入る。
するとね、考える前にじんわりと押し寄せる感情。そうか…そうだよね、って呟いてた。
その時にわかったんだ。
もうすぐ出ていくかも知れない。
時々ね、考えるより早く直感でわかる時がある。いつも不思議で、あとからどんな内容かと考えてみる。
その時は、じんわり涙が浮かんだ。
やっぱり淋しいのだ。
昔々、私が明日引っ越すと言って家を出た事を思い出した。
見送った母は、きっと淋しかったんだろうな…
ごめんねって小さく思ったよ。
こんにちは
晴れ。湿度も低く洗濯物がよく乾く。
長女が間もなく家を出ていく予定。彼氏と一緒に住むらしい。
今は共働きで何とかなる。でも、このタイミングで彼氏転職とか。
どうなんだ。
しかもラーメン屋のバイトから入って1ヶ月後に正社員と聞いたが…
どうなんだ。
共働きで長女に家事はできるのか。ご飯は早く帰った方が作るらしいが、彼氏が早ければ毎日ラーメンか?
どうなんだ。
二人ともルーズだけど部屋の中がゴミ屋敷にならないで済むんだろうか。
こうやって、山ほど心配をする。
はぁε(・д・`*)ハァ…
しかし
自立するときには、するもんだ。
今年あたりだと予想していた訳だし、仕方無い。
と、言いきかせております。
つぎの日、朝からパソコンと格闘だ。
調べて調べて、エラーは本を参考に直して、とうとう夕方には完成させた。
やったー(((o(*゚▽゚*)o)))
みてみて!
そう言って、できたページを説明してくれた。
企業に回答を送信してから3時間で面接の連絡が入る。次の日の午後だ。
当日、今度はコンタクトにした。
髪はハーフアップで前髪は軽く横わけにしてスプレーで固めた。
自然だけど風が吹いても乱れない。
普段着でと書かれていたので、夏の紺ジャケットとスカート、インナーは白のニット。
少しつり気味のキリリとした目。
綺麗なおねえさんに変身した。
ほら、やっばりコンタクトの方がいいじゃん。
夕方には帰宅。手応えあり。
面接から3時間後には、採用決定の通知あり。
就活開始から20日で内定。あんなに大騒ぎだったけど、なんとスムーズだった事か。
今は、1か月の試用期間中。
お給料もらって勉強させてもらっている感じ。すごく楽しい~(*^▽^*)と、めでたしめでたしなお話なのでした。
全くもったいない。
せっかくの綺麗な顔立ちがメガネで消える。
と、言うかメガネが本体のようになる。
面接時に有休の事を聞いたのもあり、そこは落ちた。
しかし、一社落ちた事で一気に気が楽になったようである。
何社も落ちる覚悟で面接し倒せと言うと、おー\(^o^)/と、気合を入れた。
だいたい次女は、地味で真面目がいいと思い込んでいる。
いやいや、第一印象は大切。可愛く明るくと何度も言い聞かせた。まったく難儀だ。
次の応募先から課題が出た。
とあるソフトを使って指示通りにベージを完成せよ。
私にゃわからんが、かなり高度な技術でシステム屋さんの領域らしい。
1日パソコンに張り付いて唸っていた。
夕方、私の所に来て、ダメだぁ~わからん。と、言って前のめりに倒れ込んだ。
夜、帰宅した長女に相談するとそのソフトのテキスト本を持っている事と、スキルアップにいずれ勉強しなければと思っていることを聞く。
対抗意識か。
姉には負けたくないのか…
俄然、やるきが湧いてきたらしい(笑)
こんにちは
朝から曇り空。涼しいかな…
次女は4月からまるまる1ヶ月遊び5月から就活に入った。
遊ぶと言っても、家に居て家事を手伝い合間に自分のしたい事をして、まるで主婦のようであった。
5月に入って就活を始めるが、まぁいつものマイナス思考全開で、始める前からグタグタいう。
まったく誰に似たのやら。
走り出す前に自分で足を折ってどうする。と、私に怒られながら始めたが、今はネットで就活なんだね。
なんと便利な時代か。
早速、一社面接に行く。
履歴書は完璧。いつも書く事が好きなだけある。志望動機も分かり易い。
しかし、面接当日の出で立ちに難あり。
スーツはいい。髪の毛を後ろで一つに結び前髪は分けてピンでとめた。しかもメガネだ。
第二世代というのに3年前の高卒時と同じかい!
そう思った。
点滴を半分で止めた。
そして看護師さんが義母の体を起こす。
すると、ようやく意識がハッキリしてきた。
私が付き添ってから一時間半が過ぎていた。
車椅子に義母を座らせ、会計を済ませ、タクシーで施設に送る。
部屋まで行くと、直ぐに施設の看護師さんが来たので経過を話して施設を出た。
歩いて病院まで戻る。
自転車を取りに行かなきゃ。
さっきまでの緊張感が抜けない。ザワザワと落ち着かないのだ。
時計を見るとお昼少し前。そのまま駅前に自転車を止めてバスに飛び乗る。一時間と少しして叔母宅到着。
伯母の顔を見ると、緊張感がフワッと抜けた。
この人は私の安定剤だなぁと、思ったら不思議な感じと可笑しい気持ちが一緒にきた。
あぁ
旦那が優しかったのは、今日の事への前倒しかぁ~と、勝手に思い込んでいる。
どうやら、その日の施設のお昼ご飯はイベント料理でお寿司だったらしい。
職人さんが来て、目の前で握ってくれるらしい。お昼に誘うなら明日が良かったと言われたと旦那が怒りながら言っていた。
でも
施設で食べる刺身よりずっと美味しいと言った。それに続いて施設の食べ物への文句を次々言う。
旦那はさっさと食べて離席。義母とは話したくないらしい。まあ、いつもの事だ。
食後、お茶を飲みながら義母と話す。と言うか、話を聞く。
到着から三時間半、旦那がそろそろ送るよと言った。帰りぎわ、久しぶりにゆっくりした。ごちそうさん。
そう義母が言った。
あぁ
思い出した。
ずいぶん前は、郵便局に来たから寄ったよ。と言って、お茶を飲みながら2~3時間喋っていったっけ。
案外、仲良くしてたんだよね。
ずいぶん昔の事のように思う。
最近の義母の発言は常識にとらわれなくなっている。あの世近づくと現世に疎くなるのか、それとも脳の理性の分野が働かなくなるのか…
年をとるとは、こういう事かと思った。
こんにちは
もうすぐ雨が降りだす予報。寒い。
今月2日のお昼に義母を我が家に誘った。
好き嫌いが多い人なので食べる物は決まっている。
でも、一応おせちのお重とお刺身、高齢なのでお雑煮ではなくてうどんにした。
思ったとおり、煮物や昆布巻きは食べなかった。 さつまいもで作ったよと言うと、栗きんとんを美味しそうに食べた。伊達巻や卵焼き、蒲鉾とお刺身、まぁ食べる物は決まっている。
買っておいた掻き揚げと茹でた小松菜、長ネギをのせて温かいうどんをだした。
揚げ物は好きみたいだ。
多かったら残してね。
そう言ったけど、汁まできれいに食べてくれた。
82才でこの食欲。食べられるから元気なんだなーと思った。
こんばんは
今宵、娘達は外泊でいない。 ちょっぴり寂しいかも。
さっき また
思い出していた事がある。
高野山で宿坊のすぐ隣に霊宝館があったんだ。
入ってみると仏像がたくさん。
もちろん、作品として見ていく。それは物なんだよね。
何体も見ていくうちに如意輪観音の前で止まる。 何とも柔らかくきれいな色合い。右手を頬にあて考えている。
人々の悩みを聞き悩んでいる様子らしいが、私には余裕綽々、答えはとっくに持っているように見えた。
そこを過ぎてずっと歩いていき出口の横に立つ仏像の前で止まる。
ガラスケースに入った地蔵菩薩の立像だがまつげがある。んー これは苔でも積もったのか、それとも最初からまつげをつけて作ったのか…そう考えながら顔を見ると額に石が埋め込まれているのに気づく。
青のようなグレーのような…なにか宝石だろうか。すると、急に思うんだ。「優しいなぁ」
地蔵菩薩の顔が動いた訳でもなんでもない。
感覚だ。本当にこの仏像は優しいお顔。
立ち止まり、そんな風に感じてしまうともう、それは物では無くて人と向き合っているように感じるんだ。
それは私にとって貴重で嬉しい事だ。
平日のせいか私達を含めて三組しか宿泊客は無く、誰ともかち合わずに宿坊を出た。
宿坊の門の前で叔母が写真を撮ってくれた。
門から、なだらかな坂道を下りバス通りに出て右に折れた。
すると、バタバタと雨つぶと黄色い銀杏の葉が降り注ぐ。
やだ
雨降って来ちゃった…
と、前を見ると降っていないんだ。
違う、雨じゃない。
「あっ!」
そう思って、私は振り返り上を見上げた。
小さな雨粒達と黄色い銀杏の葉が降り注ぐのを幸せな気持ちで浴びた。
…とにかく綺麗だったのだ。それに何だか嬉しかった。
二三歩あるいて振り返ると銀杏の木がワサワサと左右に揺れている。
サヨナラ
私はそう呟いた。
バス停まで5分位か。途中、道の両側に真っ赤な紅葉が立っている。
私達が近くまで行くと、急に風が吹いてきてハラハラと紅葉の葉を散らす。本当に綺麗だった。
うん
ただ偶然にその時だけ風が吹いたのかも知れない。
だけど、あの時あっ!と思って見上げた時の気持ちは今でも忘れられず、思い返すたびに幸せな気持ちになるんだよ。
ね
風が吹いた話でしょ
週があけて月曜日、叔母にその事を話した。
すると、叔母は私のてをギュッと握り、話始めた。
実は、先週の金曜日、病院に行こうと玄関を出るとお隣に白い服の人が門扉の辺りから入っていくのが目の端に見えた。
が、ドアが開かないのでそちらを見ると誰も居なかったと言うのだ。
気のせいかと思ったけれど、確かに誰か居たのよね~と言った。
そして、数日後、防犯カメラのチェックをしていた叔母は23日の夜の録画に、白い菱形や丸の影がいくつも写っては消えて、黒っぽい影も動いていたりと気味が悪くて。と言った。
へー
カメラに写るんだ。
私が、その映像を見たいと言ったら、気持ち悪いから嫌だと拒否された。 無理にとも言えないので引き下がったが、まだ少し見てみたい。
あれ
こういうのって、あまり見ない方がいいんだっけ…?
その二日後、叔母はもらい事故をして車の助手席側タイヤの上に擦りキズをつけらた。
相手が一方的に停車中の叔母の車にぶつかって来たにもかかわらず、叔母が悪いとまくし立て、自分の保険で直せと脅してきたが、叔母の車にはドライブレコーダーが付いている。
裁判に持ち込むと、相手側の保険会社に言うと100%相手側支払いになった。
と、いう訳だ。
事故とお化けの関係性は不明。
でも、そんなにたくさんの霊が玄関前にひしめき合うとは…不思議な事って、あるもんだね~
こんにちは
母達と会って先ほど帰宅。
二女の為に旅行雑誌を買ってきた。
二女は秋に友達と旅行に行く。関東県内だが、旅行雑誌を図書館から借りてきた。
しかしだ、それは2年前の物。2年経てば食べ物屋などは変わっているかも知れない。
二女は合理的に考えて、そうしたんだろう。普段からそんな風だからお金も貯まる訳だ。
でもでも
はたで見ているこちらが切ない。
そういえば、少し前に二女は家履きの靴下の爪先を繕って履いていた。
少し縫い目がガチャガチャで可愛い。
家履きの靴下など、人に見せないし縫えばまだ履けると本人は言う。
それを母に話した。
母は、実に切ない顔をして、今どき靴下を繕って履かなくても…買ってあげなさいと言った。
その時の切なさと同じだな…多分。
こんばんは
今日は風が爽やかだった。
洗濯を済ませて久しぶりにフローリングのワックスがけ。
午後からは、押し入れから家庭用ミシンを引っ張り出して長女に頼まれたスカートの裾を詰めた。
ついでに、作りかけのエプロンを完成させた。
最近は和柄が可愛くて、生地を買って来てエプロンを作る。二着目だ。
そうこうしていると、あっという間に夕方だ。
1日早い。
おお
そういえば、最近気になる旦那の加齢臭。
パジャマの背中が臭い。 すると、昔からある緑色の固形せっけんを妹から教えてもらった。
パジャマを水で濡らして固形せっけんをゴシゴシ。生地を手で少しもみ洗いして洗濯機へポイ。
その後普通に洗濯する。と、すごい\(^O^)/臭わない~
感動的だっ
そのご婦人の歌声は美しく低音は心に染み入り高温は頭の真まで響き入る。
アメージンググレイスと次にアベ・マリア。
この二曲目でいよいよ感動が高まって、訳も分からず溢れて来そうな涙を堪えるのに必死だった。
私の前列に座るご婦人はハンカチで涙を拭い、後列からは鼻をすする音が聞こえてくる。
人間とは不思議なもので、私の他にも涙する人がいると妙に安心するものだ。
とは言え、
歌で涙すると言う初めての経験は貴重であったと思う。
ステンドグラスやヨーロッパのアンティークに興味津々の二女はなかなか売店から出てこず、車の中で待った。
宿泊したホテルの温泉もとても気持ちよく、よく食べよく笑い良い旅になった。
初めて行く整形外科はまだ若い男性の医者だが気難しく、すぐに怒る。
無駄な話は嫌なのだろう。他のおばあちゃんが、怒られちゃったわ。お医者さんもいろいろ忙しいんだろうから、仕方ないわよねっと、隣に座るご婦人と話していた。
けれど、リハビリ担当の若い女性がとても優しく感じが良い。
この人と話すだけでも母にとってプラスだろうと妹と話して通い続ける事を決めた。
母は、麻痺の方の足が上がらないと言った。
きっと、腰を痛めたからだと言ったが
違うよ。上げる時に痛くなければ、足を持ち上げるお腹の筋肉がおちたからだよ。
半身麻痺なんだから、歩かなければ健常な人よりずっと早く筋肉が落ちて歩けなくなるよ。
そう私が言うと、そうなのかぁ~と驚く母。
痛めてから半月で久しぶりに母の買い物に付き合う。食材を見ても何を作ろうか浮かばないと言う。
しなければ、料理のイメージも頭に無くなるみたいだ。
やはり、毎日食事を作る事の大事さを知る。
腰が痛くて床に落ちた物が拾えないと、初めて介護保険を使ってヘルパーさんを頼む事にした。
こんな事が無ければ頼む事も無かっただろう。
そういう流れになってきたかと、悟る私とは反対に妹はあまり賛成ではない。
自分が過去に介護の現場で働いていて良い人ばかりでは無い事を知っているからだろう。
まあね
旦那は霊感あるのに、そう言う事は信じないからそんな返事だと予想はしてたよ。
変なの連れて来ないでとは、悪い霊を連れて帰るなって事だけど、そんなのは家に居たってたまにある事だ。
今さら何を言うかと少しがっかりした。
私は家族を置いて旅に出るのは2度目。
娘達に話すと、いいよ~たまには行ってきなよと快諾。
旦那に話すと、そっか、で、我らのメシはどうすんだ?
人の顔を見ればメシメシと、まったく、腹立つ。
私が熱がある時でも当たり前メシメシ言ってたもんね。
その時は、この人でなしと思ったっけ。
娘達が、大丈夫だよ~みんな大人なんだからメシなんかどうにでもなるって。って、言ってくれたのが凄く嬉しかったなぁー
その仏像を私に見せた女性は旦那の親戚で一度だけ会った事がある人にとても似ていた。
そして、いつか一緒に行こうねって言っていた叔母が春にツアーで高野山に行った。
それが羨ましくて、スイッチが入ったように行く事を決心した。
信じないかも知れないけどね、私が高野山に行って貴方の家のご先祖様に供養のお経を頼むのを見越して先にお礼を言われたんだと思うの。
それとね、私の父が奇跡的に大学病院に移れた事、姉さんのお陰だけど絶対ご先祖様が力を貸してくれたと思う。
そのお礼を贈る気持ちもあるのよ。行きたいし、行かなきゃならない気がするから。
と、旦那に言うと…
まぁ、分からんけど、変なの連れて来ないでね。と言われた。
この間、旦那に私が高野山に行く経緯を話した。
何年か前に叔母と見に行った絵画展で見た景色の絵。凛として清々しい、何とも惹かれる絵だ。
数日して、それが高野山のお御堂と松を書いたものだと分かった。
そしてまた別の日の朝方、夢を見た。
私は喪服を着て、見知らぬ台所でお手伝いをしていた。周りには同じように喪服を着た女性が何人も忙しく動いている。
すると、1人の女性が私に話しかけてきた。
「これ、ありがとうございました」
見ると、彼女の手には長方形の白木の箱がある。 さて、なんだったかな…っと思っていると彼女が蓋を開けた。
中には木彫りの仏像が入っていた。
あぁ、真言宗のね
そう私が言ったところで目覚めた。
こんにちは
曇りのち雨
少し蒸し暑いかな。
今日はお休み。掃除機をかけていたら、裏の私道にあるお宅のお嫁さんが訪ねてきた。
彼女は私と同じ年で、まぁ悪い人では無い。
年に一度の~婦人部の集まりがあるらしく、手作りの招待状を持ってきた。
そして、その説明をされたが、ごめんねいかないよって、返した。
え~楽しいから来てよ~と食い下がるが、むりむり行かないって。と、終始笑顔で答えた。
それと関係なく個人的にお茶なら行くよ、そっち寄りの話は無しでね
と私が言うと、分かった。じゃあ、掃除して家に来てもらうからねと言って帰って行った。
だいたいだ、この国は宗教は自由な筈だ。
私は先祖の皆さんが拝んできたであろう仏教が好きだ。と言うか、繋がりがある人々の気持ちが好きなのである。
その自由を奪われる道理はどこにも無い。
最近の休日早朝は1人で走ってます。旦那は捻挫がなかなか完治しないので。
公園の奥に養生に来ている木があります。
枝を全部切り落とし幹だけの状態で来たのに、今は小枝がたくさん出て葉が繁っている。
その命の強さは、眩いのです。その眩さを思わず携帯でパチリと写しました。
道を挟んだお向かいには同じように幹だけで養生にきた木があります。
そちらはもう枝を出す元気は無いようです。
なんだか、可哀想に思えました。
そちらもパチリ。
家に帰り撮った写真を見てみると、その可哀想な気の後ろにある木々の緑がまるでその木の枝のように広がっていて、少しも淋しくは無いのです。
ああ
考えてみたら
可哀想だと思うのは私が人だからなのでしょう。
本当はどんな気持ちでいるのかしら…
いつか木の声が聞こえないかと思って歩いているんです。
おかしいでしょう
こんにちは
雨だね
風もやや強い。そんな中、自転車で駅前まで行ってきた。
ずいぶん前に予約した美容室へ行った訳だが、服は濡れるし髪の毛も膨らんでボサボサになり辿り着いた。
まぁ、ボサボサも嫌いじゃないけどね。芸術的だ(笑)
うん、
最近気付いた事なんだけどね…
娘達の下の歯茎が下顎隆起ってやつになっていた。
長女の親知らずの状態を見ようと口の中を覗いた時、下の歯茎の内側がボコボコとコブのように盛り上がっているんだ。
ビックリして調べてみたら、噛み締める圧を長くかける事で歯茎の骨が増殖して競り出てくるらしい。
長女の場合はうつ伏せになって枕に顎をついてノートパソコンを長時間やっている圧。
次女の場合はストレスや性格的に噛み締めてしまう癖がついた圧。
ちっとも気づかなかった。もっと早く知っていれば注意できたのに…
ちなみに、私の歯茎はスッキリしていて出っ張り無しだ。
娘達が小学校に上がるまで毎日毎日歯磨きをしてあげて、歯茎の形状を覚えているだけに少しショックだ。
その帰りにコーヒーショップに寄りお茶をしながら三人で話した。
妹が言った。
福祉の人ね、段々と目が見えなくなったみたいで、前は少しは見えてたのかな…今はだいぶ進んだみたいで白い杖をついて区役所から歩いてくるんだよ。
私は、誰の話かしばらくわからなかった。
さっき、にこやかに母に話しかけてきた男性か。
年は私と同じくらいか…いや、少し若いかも知れない。
瞳もきれいで異常は見受けられず、私は少しも気づかなかった。
後から思い返してみれば、ずっと何か違和感があった。
それは、彼はこちらを向いてにこやかに話すが一度も私と目が会わなかったのだ。
けれども、その違和感を薄める程に明るく自然な振る舞いであった。
妹は
身体が半身不自由なのと目が見えないのと、どちらがいいんだろうと言った。
決して比べられるものではないが、健常であった人が盲目になる恐怖。私は、目が見えなくなるほうが怖いと妹に言った。
そして、彼がああやって仕事をしているに至るまでの道のりを想って胸が一杯になった。
こんにちは
少し曇ってきた。
気温は高めだが、風が心地よい。
昨日、母と妹と出掛けた。母の装具にヒビが入ったため作り直すらしい。
先週は型をとり、昨日は仮合わせ、再来週完成して渡される。
保健所の小さな部屋に装具の職人さんと区役所の福祉担当の男性が来ていて型だけ出来てきた装具をテープで足に固定して歩かせる。
母が一年に一度転んで危ない思いをすると話すと、福祉担当の男性はにこやかに返してくれる。装具の使用年数を聞いて、もう五年ももてば十分でしょう、と言った。
仮合わせが終わって離席すると福祉担当の男性も立ち上がり母を見送るように、転ぶのは一年に一度じゃなくて十年に一度くらいにしましょうと言った。
背が高く、紳士的な男性だった。
思い出した言葉。
父が生前、大学病院に移ってやっと意識が回復しだした時だった。
見舞いに行った私と母に言ったのだ。
お前たち、どこから来たんだ?ここの一階か?
話を聞くと、現実には6階にある病室を2階だと思っていて、1階には学校にあるような下駄箱がある。そこから、俺の長靴を持って来てくれと言った。
意識が混濁する中、父は未来に叔母が行く宿坊に意識が飛んでいたのじゃないだろうか。
実際に叔母が先祖や父や叔父の為にその部屋で写経をしたが、魂として将来そこに居る事を夢のように体験していたんじゃないだろうか。
妹に言ったら
それは無いでしょう~と、流されてしまった(笑)
さてさて…
本当は、どうだったの?
と、遺影の写真に聞いたが…今すぐに走って父に聞きに行きたい、そんな衝動とそれが出来ないもどかしさに切ない夜を過ごした。
こんばんは
桜もほぼ終わり、落葉樹達は萌木色の若葉を繁らせる。
その柔らかく小さな葉の可愛らしいこと。
そう思いながら春の公園を歩いてきました。
先日、長女が親知らずを抜歯。水平埋伏歯の為、歯茎の切開後顎の骨を少し削り歯を砕いて取り去ると言う手術でした。
部分麻酔で日帰り手術の為、心配で付き添いました。…いい年の娘に付き添いは過保護かと思ったけれど(^^;
そういえば
私も二十歳の頃に親知らずが痛んだ時があったなぁー。
一人暮らしだったから痛みで眠れぬ夜を過ごして歯医者へ行ったけれど、親と一緒になんて思った事も無かった。
あれ?
やっぱり過保護だったのかな(笑)
長女の手術から3日が経つけれど、まだまだ右側の顎が腫れて痛そう。
早く良くなりますように
こんばんは
そろそろ降りだすかな…朝には雨になるらしい。
私、凄く久しぶりに風邪をひきました。熱も少し出ていて微妙にツラい。
しかし、叔母は徹夜で仕事だと言うので少し体が楽な朝に手伝いに向かう。
無理して大丈夫?熱、ぶり返さないでよ。っと言われ…いやいや大丈夫だよと思っていたが夕方には見事に熱がぶり返し。
次の日は先週都合がつかなかった母に会いに行きました。日中案外体調が楽だったが又夜には熱がぶり返し。
今日は日中もダルくて辛かったが旦那と買い物。1週間分の食品を買いました。いつもどおり冷蔵庫の野菜室がパンパンになりました。
何だかんだと出掛けていますが少しづつ風邪は良くなっている気がする。
ただ、楽だった筈の花粉症が悪化して今日は辛かった。
さてと、寝ます。
いくらでも眠れる体に感謝。
ではでは
夜、風呂から上がった次女はダイニングテーブルの私の右隣に座って耳掻きをしていた。
耳の穴が小さい為、赤ちゃん用綿棒を使う。軸が柔らかい為、曲がってしまい何本も使う。
あれ?
耳かき中の次女がテレビの方に向き直って言った。
気のせいかな?今、黒いものがいた。
ソフトホールくらいの黒い物体。形はよく分からない、一瞬だったから。
そしてこども達は自室へ、唯一何の支障もない旦那は隣の和室へ去った。 相変わらず肩先が痛い。
右手の指先で肩先の痛む場所の周りを円を書くように擦る。ゆっくりゆっくり撫でるように擦ると少し痛みが和らいだ気がする。
よし、お風呂だ。
湯船に肩まで浸かると左の肩先が鈍く傷んだ。
本来、炎症なら温めるのはダメだが…違ったら…
風呂から上がって椅子に座り左腕をテーブルに置く。
やっぱり。
さっきまで痛かった肩先の部分、肩の関節の中が円くポッカリ穴が空いたように痛みが抜け落ちている。その周りのさっきまで私が擦っていた部分が僅かに疼いていて、痛みの痕跡として残る。
そう思っているうちに日付が変わった。
痛みは何も無かったように消えていた。
夕方、美容室を終えて帰宅する。
間もなく夕飯の支度を始めるが段々と左の腕の付け根の関節が痛みだした。
重い痛みが段々強くなる。腕を動かしている時はまだいいが、座ってジッとしているとズキズキと痛い。
湿布をはってみたが、あまり効果は無いようだ。
とりあえず、あとはお線香を立てて我慢だ。
夜8時頃次女帰宅。
今日さあー右の肩と腰が痛くって参ったよ~急にだよ。
あらあら、大変と思った私は次女の背中の上の方をポンポンと叩き、肩甲骨と背骨の間を上に向かって擦った。そして、お線香立てなさいと言った。
そして長女が夜10時頃帰宅。ただいまーと言った長女の顔は疲労困憊の様子。
あ~疲れた。
何かおかしいくらい疲れた。ねーお線香立てていい?それとも、こんな遅くじゃあ煙たいかなぁ。
時間が遅い事と煙たいの関係性が理解不能だったけど(笑)
いいよ、お線香立てな。と私は言った。
だから、呪詛について調べていた。
身代わり人形を作るのも一つの手だが…何か違う。もっと根本的な何か。
そう思っている時に見つけた記述。
ああ、そうだこれだな。
要は呪いをかけている相手と波長を合わせない事だ。ひどい事を言われれば怒るし怨むし、結果的に相手と同じ感情になる。
そうやって、波長が合うと強い呪詛は一気に流れ込んでくるんだ。
だから、心を清らかに保つ事が大事だ。
そうすれば、何とかやり過ごせる。そして倍になって呪詛した本人へ返っていくのだ。
そう叔母にメールを入れた。
しかし、心を清らかに保つ事がとても難しい事だと私も知っている。
無理を言ったけれど、呪詛などという理不尽から逃れて欲しかった。
こんばんは
明けましたね。
皆さんにとって良い年になりますように(^^)
年末バタバタと忙しく。 うん、忙しく動けた事に感謝かな。
そんな中、ほんの些細な旦那の発言に翻弄された。疑念に囚われて悲しく苦しく心がもがく。
本当にこんな気持ちはたくさんなんだ。
どうして私の感情はこうも嫌な方へ思考するか…
そんな気持ちで朝走る。 寒く、芝生にはビッシリと白い霜がはっている。
空を見上げ、木々を見上げ…有難いなぁー、木々たちが少しづつ癒してくれる。そう思った時に頭の中に聞こえてきた言葉。
”明日別れる”気持ちで生きなさい
そうだね。
明日別れる気持ちで居れば嫉妬や疑念などつまらない事は考える必要も無いんだ。
考えてみたら、夫婦もいつか別れる。一人になる。
優しく差し出された言葉に救われた私でした。
誰がくれた言葉だろうか。ジンワリ涙が浮かんだ。
少し前に、冬のボーナスが出たからと次女が家族に焼肉をご馳走してくれた。
今回の旦那のプレゼントは、そのお返しだったのかも知れない。
えと、
話を戻すね。
ショッピングモールには開店少し前に着いた。次女の好きなガールズブランドで可愛いダウンのコートを買った。
後でお釣り返すね。そう次女が言うと頷く旦那。
おいおい、長女のストパーん時はお釣りいらないって言ったじゃん(-"-;) っと、内心思った。
11時に、少し早いお昼だけど食べようかとウロウロ探す。人気のお店はもう凄い行列。
行列に並ぶべきか、他を探すか…決めかねて来た道を引き返す。すると、またそっちに戻るのかと旦那は機嫌が悪くなってきた。
自分は何でもいいからと店の選択を任せたあげく、決めかねているのが勘にさわったのか。
もう、食べなくてもいいよ。買うものが無いなら帰ろうと言い出した。
まったく(-"-)
何て自分勝手な…と思ったけれど、分かった、帰ろう。そう言った私に合わせて次女も帰ろうか…と言った。
駐車場までかなり歩く。
少し歩くうちに、冷静になったのか後ろを歩く旦那から、他の所は見れないのかぁっと呟きが聞こえたが、帰ろうと言ったのはお前だろうと思ってまたムカつく。
家に帰ってからも、また他の建物も見たいから行こうかと言われた。
何年も経って空いてきた頃にね…そう答えた。
私は人が多いのも並んで待つのも全然平気。
ただ短気な奴に振り回されるのは嫌だ。
人混み嫌いなくせに新しい所に行きたがる旦那の理解に苦しむ。
あ~
書いた書いた。
少しスッキリだ。
少し前に次女に聞いたことがある。
「オヤジさぁ、○ちゃんにばっかりお金出してるでしょ。不公平だと思うよね?」
次女からは、こんな返事がきた。姉は昔から私の反面教師で、だから今の私があるんだと思う。お金が無くて親が出すとか、そう言う立場にはなりたいと思わないから大丈夫だよ。
そっかぁ…
私だったらきっと不公平だなって感じるから。そう思ってくれるならいいけど、オヤジと○ちゃんは魂が近いから仕方ないんだよね。
と、本人にしたら訳の分からないだろう言い訳を私はした。
でも、次女にしたって、それはたてまえ。多少の不満は有るに決まってるよね。
それに、
それじゃあ、一生懸命節約して親の為にもお金を使って、そう言う子の方が損だって事になる。
叔母はその車の傷について、警察に被害届を出した。
そして、ある日パソコンを開いて防犯カメラを検索していた私は一件の業者を見つけて叔母にフリーダイヤルを教えた。
数年前になるか、防犯カメラを探した時には見つけられなかった。テレビで盛んに宣伝している所に見積もりを依頼したがあまりにも高額、カメラの保証無しで諦めた。
今回みつけた業者は防犯カメラの値段も妥当で保証もある。叔母は業者が説明に来たその日に契約をして、工事日も決めた。家の回りに三台の防犯カメラが付く事になった。
工事の為に叔母は通りを挟んで適当な駐車場を借りてそこに車を止めている。
二三日前に、隣家がその事に気づいたらしく、車の傷が増え始めた。
まったく、たちが悪い。 隣家の奥さんが旦那を使ってやらせている事は明白だ。
しかし、証拠が無ければ裁判にもならない。
叔母が精神的に参っていないかと心配したが、大丈夫みたいだ。メモ魔が幸いして、被害は全て記録されている。
叔父が癌になってからだから、もう8年。隣家に仕事が無くて叔母宅に有れば嫌がらせ。家の塗り替え工事の時も、もちろん今回も。
叔母はいよいよ証拠を固めて裁判まで持っていくつもりで動き出した。
実の弟が起こした事件を通じて、やり手の弁護士も知っている。
勝つ時に向かって、着々とお膳立てが進んでいるように感じられる。
何だか、私と叔母の遠い祖先の話、サイカチの木の話を思い出してしまった。
もちろん、先祖も一枚かんでいる。
私が時々みる白いものはおそらくご先祖様だろう。
次の朝、久しぶりにスッキリと目覚めた叔母は自然にリホームを決断して朝一番で知り合いの水道屋さんに電話を入れた。
その水道屋さんから、大工さんやガス工事、全て地元の職人さんが関わりリホーム工事が決まった。バタバタと工事関係者が現場を見に来て、打ち合わせ、見積もり、契約。
たまたま、工務店との契約時には仕事で行っていた私も立ち会った。
物事が動く時には、トントン拍子に進むものだ。
そんな叔母宅の動きを面白く思わない隣家が動き出した。
仕事がたて込んで、夕方門扉を閉め忘れ深夜になってから閉めた日があったらしい。
多分その時だと思われるが叔母の車の運転席のドアを釘のように尖った物で傷つけられた。
その傷を見つけたのは私。一緒にダイニングの新しいテーブルを見に行こうと叔母が車を出す時に見つけた。
証拠が無いので隣と決めつければストレスになる。だから、どこか外の駐輪場に止めた時かも知れないよっと、私は言った。
けれども、修理の見積もりをもらおうとディーラーに車を持ち込むと後ろのドアの下の方にも傷を見つける。もう、これは故意だろう、リホーム工事をするならまだまだ傷が増えるだろうから、修理は全て終わってからの方が良いという事になった。
その日の夜、叔母は連れ合いの遺影と向かい合い話しかけていた。
迷いに迷った水回りのリホーム。大きい金額を使う事になる。何度も何度も返事の無い遺影に話しかけて、どうするべきか、本当に工事をしてもいいのかと尋ねた。
その同じ晩に「さて、食事の支度しよ」と、ダイニングの椅子から立ち上がりキッチン側に振り向く寸前、テレビの近くに白い虫のような物がスッと通った。下から上へか、上から下へか、はっきり覚えていないが、とにかくそれは私の前に真っ直ぐな縦の線を見せた。
あまりにも速いスピードで、虫と言う形は見えていない、白く、どちらかといえば白銀の粒。
その時は、虫だと思っていた。そして、夕飯の支度にはいるとすっかりその事は忘れてしまった。
就寝前、携帯を開いてこの日記を更新しようかと思ったその時、さっきの白い小さい丸いものが、凄いスピードでテレビの方から飛んできて、私の持っている携帯の横を通りすぎたと思いきや、ヘヤピンカーブを描いて携帯の文字盤の真ん中に飛び込んだ。
私はびっくりして携帯を手から落としてしまう。
変な話だけど、落としたら壊れると思う気持ちが働いた。ゆっくり手を開きスルリと落ちた携帯は幸いスリッパの上に落ちた。
急いで拾う。
文字盤には何の異常も無い。落ちた辺りを見回すも何もいない。
そんな不可思議な事があった夜だった。
こんにちは
あいにくの雨。しかし寒くはない。
さてと、忘れないうちに書いておこうかな。
んと、
10月9日(水)叔母と朝から映画を見る。ドリンクを買って席に着き灯りが落ちるまでな少しの時間に「これ、のんで」と、兼ねてから話してあったプラセンタのサプリメントを封を切り3粒手のひらに置いた。
叔母は最近又、更年期障害がぶり返したか…それとも橋本病が進行し始めたか、調子が悪いと言った。
もちろん、仕事が立て込み寝不足からくる過労もあっただろう。でも、仕事が切れてたっぷり睡眠をとっても疲れやすくてダルくて気分が落ち込むと言う。
たまたま更年期障害の入り口にいる私がみつけたサプリメントがある。しかも私的にはかなり良い。
サプリメントなんて気休めかも知れないけれど…まぁ、とりあえず。そう思って渡そうと思って持って行った袋を開けて……かなり衝動的に渡していた。
こんにちは
晴れ。日中は暖かい。
今、母達とのランチから帰ったところ。
そうそう
先日、次女と映画を見に行った。
「まどかまぎか」
私は、時間をやりくりして本編鑑賞を自宅にて終えた。その次の日に映画に出掛けた。
チケット販売カウンターで「まどかまぎか、二枚」と言うと、販売員のお兄さん、「まどまぎ二枚ですね」とにこやかに返した。
あら、省略なんだ(笑)今時はタイトル省略でいいのね。
私なんか、タイトルを頭から全部言おうかと迷ったけれど、さすがに「魔法少女」は省略させてもらった。
映画はなかなか良かった。ほむらが好きな私は、どんな結末でも受け入れた。見終わって、ん~っと、いろんな意味で唸る作品だった。
それにしても、こういうアニメを若い男子がかなり見に来ている。ふ~ん、今はそうなんだね。
時代を感じるなぁー。
こんにちは
晴れのち曇り
爽やかだ。
先ほど帰宅。
青森県のアンテナショップに行ってきた。
地下鉄で新御茶ノ水まで行き総武線に乗り換えた。3人でお茶の水に来るのは3年ぶりかしら…聖橋口と言う新たな改札が出来ていた。地上に上がるエレベーターも出来ていて、母のような障害者には優しい作りに代わっていた。
本当にありがたい。
しかし、総武線にはエレベーターもエスカレーターも無い。左手しか動かない母は左側の手すりにつかまり一歩一歩降りた。前と後ろに私と妹が見守りながら降りる。
アンテナショップには地元道の駅から出張販売に来ていて手作りの漬物が買えた。
デパ地下に漬物コーナーがあるが、美味しい漬物にはなかなか出会わない。やっぱり、田舎の物は美味しいねと皆で試食して買った。
人生も折り返し地点を過ぎてしばらく経ったなら、来た道を振り返ってほしい。
悪いと思った出来事で道順が変わったり成し得た事、助けた人、助けられた事。地味に糸のように繋がった人の縁に気づくかも知れない。
良い事が無かったと嘆く人でも、あちらへ帰ってみれば荷物の中には自分が欲しかった経験と感情をちゃんと持って帰っているはずだ。
…
うん、そんなふうに考えていてね(笑)
決まった時期にあちらへ帰った人はお疲れさまともてなされ見知った顔と酒でも酌み交わす。
少し休んだら、今度はこちらに来ている魂繋がりの人の手助けをするべく、忙しく働いているんだよ。
まぁ、これも想像。
案外、正しいと思うんだけどなぁー
結果的には裏切られた痛みより長い間にもらった優しさの方が大きい。
そう気づいてしまった。
私の場合はだ。
だから許すしかなくなるんだ。
でも一方で一般常識で言う良い悪いは非常に難しい事になる。
悪いと言う事柄に学びがあり、影響され良い方向へ向かう人がある。
それはただ一人の問題では無く、周りの人々に波紋が広がるように伝わる。
だから、あの人はああだからと悪口を言う事の意味はあまり無い。
いや、あるとしたら怒り嫌悪のエネルギーを撒き散らす事ぐらいか…聞き手が同感すればお互いにストレス解消になるが、そうで無い場合は聞き手に数倍の精神的ダメージを与える。
…でも、それさえも精密に計算された出来事なんだろう。
と、思う。
こんばんは
晴れのち曇り
涼しい1日だった。
朝、北風が吹いていた。それが嬉しくて弾むような気分で走った。
まだ汗ばむなぁー
もっと寒い方がいいな。
まだ青々とした木の葉を見上げながらいつか一度だけ見た夕日に黄金に輝く葉を思い出していた。
あんなに綺麗な紅葉はもう見れないかなぁー。葉の色と夕日の色とお日様の照らす角度。本当に一瞬の偶然に出会ったんだろうな。
…などと考えながら歩いていると気づいた。
涼しくなったせいか散歩するご夫婦が増えた。
いいね。
一緒に歩こうって言うのがいい。
あら?
私もはたからはそう思われているのかな~
やだ(笑)
ちょっと複雑な気持ちになったし。
こんばんは
晴れ時々曇り
むし暑い1日でした。台風がくるみたいだね。
少し前に映画をみた。
風立ちぬ…最後にユーミンの歌がながれた。
懐かしいなぁー
大昔、好きでずいぶん聞いたっけ。
で、久々にベストアルバムを借りてきてオーディオプレーヤーに入れた。
そしてある日の午後
小さく切って茹でたとうもろこしを一粒づつつまみとり食べながらオーディオプレーヤーを聞いていた。
幸せになるために。
その曲のを聞いているうちに涙で目の前がかすんだ。
ただ会いたくて走った日々を思い出したんだ。
秋だからかな…
でもね…涙をティッシュでおさえた後に思った。
そんな思い出があるのは幸せだなって。
こんにちは
曇り時々雨。
さっき、買い出しに出掛けて少し降られた。
夢は夢。
寝ている間に記憶の整理でもするんだろう。
この間、夢で旦那の浮気現場を押さえた。
相変わらず私は泣いて怒っていた。
目覚めて、座りこみぼんやりと考えていた。
まだ、こんな夢をみるのか…しかし、相変わらず泣いて怒ってたなぁ。嫌だな私って。と、少し自分にうんざりした。
あれから何年経ったんだ…そう思ったけど数えるのも嫌でやめた。
小さくため息。
他の夢。
父は他界してから、時々夢に出てくる。
最初の頃は、あちこちを旅行でもしている様子だった。
少し前には父の運転する車に乗って何処かへ行く夢、不思議な事に少し日にちを経過して叔母も父の運転する車で出掛ける夢をみている。
最近、夢の中の父は仕事をしている様子。忙しそうにして直ぐに出掛けてしまう。
生きている時は夢に出てこなかったのに最近は定期的に登場する。
やっぱり不思議。
こんばんは
晴れたり曇ったり雨が降ったりと忙しい天気。
今日は旦那が免許証の更新に行ってきた。
さすがに5年経ったんだな~と思うように写真は確実にふけていた。
写真は客観的に写すからかな(^^;
実際に私が見ているのとは違う顔に見える。
そう思うと、限りなく若い頃の面影を重ねて旦那を見ているのか…
そういえば、ごく稀に「この人だれ?」と思うくらい違う人に見える時がある。
…私はいったい何を見てるんだか(笑)不可解なり。
引き出しにしまってあった朝顔の種。
10年以上前のものだ。たくさんプランターにまいたが、二つだけ育った。
長い時を越えて花を咲かせた。
その紫の花の色に感動した朝だった。
こんにちは
晴れ時々くもり
ねえ
霊の恩返し…なんて事を信じるだろうか。
今年の叔母は、願い事が叶う年のようだ。
困難だと思われた田舎の田んぼの名義変更がキレイに片付いた。
かつて祖父の名義だった田は、実際に使っている人の物になった。叔母の望みどおり。
後は長年探し続けていたテンペラ画の先生が見つかった。
一番は叔母の弟の事か… これは話すと長くなるな。次回だな…
8月のお盆にお友達から誘われていた旅行。
京都のホテルから大文字やきを見ながらお互いの連れ合いをおくりましょうよ。
そう誘われたツアーは10人のキャンセル待ちであきらめていた。が、キャンセルが出て行かれる事になった。
こんにちは
晴れ。
本当にいい天気。
今年も美術館に叔母の絵が飾られる。
忙しくて描く暇が無かったらしい。
で、以前に描きためた中の一枚を手直しして出す。
それは、皇居のお堀の絵だ。
一番手前には桜、皇居のお堀の手前の水の色は影になっている部分が深い抹茶色。
中程にはボードに乗った二人…
これも私のお気に入りの一枚だ。
まぁ、そう言うとお気に入りだらけなんだけどね(笑)
叔母の絵は優しい気持ちになれる物が多い。
絵は描く人の気持ちを写す鏡のようなものかな。
時々、とっちらかってしまう叔母の感情だけれど根本的に優しいんだ。
それは、私よりずっとずっと。
苦労してきた人ほど優しいんだろうね。
そして、それは多くの叔母に関わった人達も感じているんだろう。
そして、その日の夕方…
台所に立ってまな板を置いたその時、私の左手のそばを黒い虫が流れるようなカーブを描いて飛んでいった。
あら、ハエかしら?
急な事だったので、それがショウジョウバエなのか普通のハエなのか分からなかった。
そして、それから数分後、デジャブのように全く同じ曲線を描いて私の左手近くを黒い虫が飛んだ。
今度はちゃんと見た。
それは若いまだ小さな普通のハエだった。
はぁ…
誰か来てるみたいだな。
東京のお盆は7月だが、何だか8月に魂が訪れているような気がして、お膳を作るのは来月でいいかと思っていたけれど、慌ててお膳を作った。
我が家は窓を開けても網戸は閉めるし、ハエが居れば見かけてもよさそうなものだが、いまだにそのハエは見ない。
しかし、何故ハエかね。
こんにちは
雨のち曇り
ちょっぴり涼しい
先週、叔母と住宅機器の展示場へ行ってきた。
叔母宅は築33年。
そろそろ水回りをリホームするらしい。
キッチンとお風呂と洗面台。特にキッチンなどは収納部分がスライドの引き出し式になっていて中が二段になり手前には小物の入るポケットがついている。
かなり収納力が上がっているし使いやすそうだ。
ガスコンロは強化ガラストップで従来の五徳は無い。実に手入れが楽になっている。月日が経つとこんな風になるのね~っと感心しきりだった。
もっとたくさん説明したいんですけどね~と言った担当の女性は私達の予定時間に合わせて必要な事だけ適切に話してくれた。
それでも予定の二時間を過ぎて三時間経っていて、楽しい時は早く過ぎるって言うのは本当だね。
キッチンの扉の色、最初は薄い無難な色をと言っていた叔母だが見て歩くうちに濃いワインレットを選んだ。
こんばんは
晴れて厳しい暑さ。夕方、雷雨。
今日は叔父の七回忌だった。
生前、本人が叔母に言った。自分が死んだら法事などは一切やらなくていいよと。
だけど、残された叔母はせめて七回忌まではちゃんとお坊さんを呼んで法要をすると言った。
叔父の親戚とは縁が切れている。だから本当に近い身内だけの法事だった。和やかに談笑しながら食事を済ませた。
叔父と叔母の事を想う人だけが集まる。供養とは本来こういうものだと思った。
お香典の袋にお金と一緒に一言添えた。
「あっという間の六年、何と実りの多い月日だったことか…
その月日に立ち合えた事に感謝します
あなたの六年間に、よく頑張りましたと声が聞こえてきそうですね 」
傍でずっと見てきたから本当にそう思ったんだよ。
こんにちは
今日は午後から突然の雨。雷も少し鳴る。
ここのところ仕事が入らないせいか、叔母からお呼びがかからない。
忙しいと叔母は睡眠時間を削って仕事をする。春からずっと忙しく寝不足続きだったから少しは身体を休められると言っていた。
今日は夢の話。
朝方の夢はたいてい覚えている。
何故だか最近は引っ越す夢を見る。
現状を変えたいと思う気持ちでもあるんだろうか。
…あはは
少しはある。
時々、旦那がとても嫌で離れて暮らしたくなる。 長く連れ添った夫婦なら誰でも一度や二度ある感情かな…
許せない事、許したくない事、あるものだよね。
だったら、せめて夢の中くらい自由でありたい。
しかしだ、
新しい家の部屋を娘とみていると、いつの間にか先に旦那が着いている。 そしてすっかり荷物の片付けを済ませている。
夢からさめて思い出して笑った。
ずっと一緒だと言われているようで、でもそれが満更嫌でもない。
夫婦って奥が深いなぁー(笑)
すると、私のふくらはぎに変な物がくっついている。
綺麗な青色の極太の毛糸くらいの太さだろうか… 10センチの楕円形に見えるそれは、まず一旦真ん中でねじってあり外周は二重に重なっている。
さすがにギョッとした私は直ぐに左手の甲で払った。
しかし、何かに触れた感覚もなく左手の甲は少し水で濡れていたがふくらはぎには何もついていない。
私は左手の甲とふくらはぎを交互に数回見た。
雨上がりに道路にミミズが出ている事はよくあるが、あの色はミミズじゃあない。
ああ…
そっか、実在しない何かか。
そう感じて私はフッと笑った。
説明のつかない事はいちいち旦那には言わない。
なんだろうなぁー
誰か変な物を見た人っていないのかな~
こんにちは
今少しづつ青空が顔を出した…急に蒸し暑く感じる。
あっ
あのお通夜の次の朝、旦那は元気に出勤した。
やはりダルいのは一時だったな。
実はね
ダルくなったのはお通夜から帰ってきて旦那があの一言を言ったからじゃないかと思っている私。
お通夜から帰宅してすぐに旦那が言った「あそこの家は変わってるから。」
そお?と、私は返した。
回覧板を早朝ポストの上に置いていくとか夜9時過ぎに持ってくるとか、他にも何かあるのか…旦那は葬儀のあったお宅を凄く変な家だと思っているみたいだ。
自分とあまり接点の無いご近所さんが、自分の考えとは違う動きをすると総じて変な人に感じる。
まぁ、そう感じるのは自由だけどお通夜に行って帰って直ぐにそんな事は言うもんじゃない。
亡くなった人には聞こえているんだから。
それに
我が家だって「変な家だ」と他人に思われているかも知れないじゃないか。
なぜ
急にだるくなったか、考えたら分かりそうなもんだが、霊感があるくせに考えないんだな。
不思議だね。
おはよー
朝から雨が降っているよ。紫陽花も菖蒲も雨の方が綺麗。
この間、くたくたになって仕事から帰ってきた私。
黙って夕飯を作り食べて和室の座布団に横になり仮眠をとった。
まともに家族と話す余裕も無い。
精神的ダメージとはこんなに辛いかと思った。
とにかく眠る事。それしか回復の道は見あたらない。
まいった…
愚痴はいい。いくらでも聞いてあげられるよ。
でもその愚痴に怒りの感情が加わって勢いを増し私の両親の事を非難する語句が混ざれば、私の魂はえぐられる。
けれど、恩も義理もある人だから…ただ黙って聞くしかないのだ。
透明でツルリとした球体が私の魂のイメージだが、尖ったものでえぐられてデコボコだった。
人の感情とは凄いエネルギーだ。生き霊の方が怖いと友達が言った事を思い出した。
私はこのストレスを誰かに投げつける事はしない。けっしてしてはいけない。
そう思うよ。
こんばんは
少し蒸し暑いかな。
卓上扇風機を買い替えた…が、首を回すとキィっと音がするんだ。
悲しい(ToT)
最近の義母は愚痴が多い。母の日に施設を訪ねた時も一時間ずっと施設の食事の不味さを話していた。
少し前に義姉さんから電話があった。義姉さんも施設に行ったけれど、さっさと帰ってきたと言っていた。
やっぱり愚痴ばかりで聞いて居られないと言う。
義母の事を→
まったく、早く死ねばいいのにね~
と、電話口で言われて返答に困った。
道徳的にうんとも言えないし、最近は旦那が主体で動いてくれている為か死ねばいいと思うほど追いつめられてはいない。
ただ、老い先短い人生なら楽しく過ごしてくれたらいいのにな~って思うくらいか。
こんにちは
いい天気だね~
気持ちよく洗濯物を片付ける。洗濯や洗い物は好きだな。
妹の子は七歳、今年一年生になった。
小さなエピソードを聞いた。
妹の部屋着のTシャツをジッと見ていた彼は「母ちゃん、土曜日ひま?」
ひまって、どうして?
「じゃあ、一緒に出掛けよう。母ちゃんのTシャツかわいそうになってるから僕が買ってあげる。」
って、言うんだよ~って妹が嬉しそうに話す。
案外、部屋着などボロになってもついつい着てしまうものだけど…あの赤子だった彼がもうそんな事を思うようになったのかと嬉しかった。
ついつい、怒り過ぎてしまうと反省しきりの妹だけど、いいんじゃない👌 ちゃんと育ってるよ。
こんにちは
今日は霧雨、降ったりやんだり。
仕事がやっと切れて暇ができたので、前々から約束していたランチに叔母と出掛けた。
和食のコースをゆっくりと頂いた。
それと、叔父の七回忌の食事の予約をした。
どれがいい?
そう叔母が私に聞く。
叔母の旦那様の七回忌なのに、私の好みを優先させてくれる。なんだか変な感じだけど嬉しい気持ちになる。
うまく言葉に出来ないけれど…叔母と叔父と私の間には不思議な繋がりがある。
うん、確かにある。
時々、朝方みる夢の中。 私を挟んで必ず左側に叔父が、右側か後ろがわに叔母がいる。
夢の中の私たちは確かに家族なんだ。
そんなご縁で今の関わりがあるのかな…
私は旦那の母の事は、基本的に旦那に出ていかせている。
まず、義母は私の言う事は聞かない。
それに何か決める時、私の一存では決められないからだ。
いつだか
俺だって決められないよ と言った旦那に
アンタは馬鹿かと内心思った。
だったら誰が決めるんじゃ、と。
どうして?
私、自分の父の時、全部自分で決めたよ。他の兄弟の事?何もしない人に文句なんか言わせないって思わないの?
そんな風に言ったけど、はっきりした返事は無かったな。
知ってるよ。
旦那は母親が嫌いで、何で自分がみなくちゃならないんだって思ってるんだ。
でも、一目瞭然。
旦那しかみる人は居ないんだよ。
だからサポートしてるじゃない。頑張ってくれ。
こんばんは
旦那の不倫相手のご主人が亡くなった。
今でも同じ会社に居るので旦那は会社の人達と一緒にお通夜に行った。
お香典の封筒に名前のスタンプを押した。中袋の住所と名前は旦那に書かせた。ささやかな抵抗…。
思い出したくもないのに思い出す。
叫びたくなる衝動に襲われる…本当に嫌なものだ。
いったい私は何に怒っているのか。多分、プライドを傷つけられた事に…だろうか…
荒れ狂って涙が滲んだけれど、私は平静を装う。 でも大丈夫。すぐに波は静まり今は凪いでいる。
お香典返しの挨拶状を開いて見た。
喪主は男性の名前。彼女に息子さんが居ると分かった。
すると、何故だかホッとしている私に気づく。
何故なんだろう…
さっぱり分からない…
一人になっても息子さんが居れば先々大丈夫ねと、無意識に思ったんだろうか…だったら私はつくづくお目出度い。
いったいどうしてそんな風に感じたのか、説明して欲しいと思った。
う~ん(-"-)
こんにちは
今日は穏やかに晴れて暖かい。
母とランチして買い物して帰ってきた。
妹は子どもが午後から一時間だけ学校だからと来なかった。
お昼何にする?
お母さんの好きな物でいいよ~
何件もお店が並ぶデパートのレストラン街。いつもはパスタになってしまう。それはまあ、妹の意見かな。
私は何でもいいし、母も何でもいいよと言う。
でも今日は、トンカツにするかな~って母が言った。
なるほど、こういう揚げ物系が意外と好きなのか。胃腸が丈夫な証拠かな。
妹が居たら、揚げ物は食べたくないって言うかな~
席に座るとまず、山盛りのキャベツが大皿に出てきた。
取り皿にとり、二種類のドレッシングで一杯づつ合計二杯食べた。
麦ご飯を少なめに、それとヒレカツに大根のお新香と何故か定番のシジミのお味噌汁。
食べ終わるとお茶のお代わりが湯飲みごときた。一緒に小皿に甘納豆が少々。これはサービスらしい。
美味しかった。
母は年々食べる量が減っているみたいで、ご飯を少し残したがそれでも苦しいらしくて「はぁ~」っと息をついた。
お誕生日の花束は嬉しいものだよね。
…
旦那の浮気発覚後しばらくは、旦那からのプレゼントは全部拒否した。
多分、申し訳ない気持ちから花束やピアスを買ってくれていたんだろうけどね…そんな「もの」でごまかされていたと思うと、有りがたく嬉しく思っていた自分が惨めで滑稽で腹が立った。
だから、私にはもう何も買ってこないで!と、言ったんだ。
何年も経って、今でも時々思い出して腹がたつ。 でも、そんな時は決まって霊感特化君の言葉が蘇る。
「普通の事ですよ」
そんな理不尽なと思いながらも、普通の事だと言う呪文に救われいる私。
彼とは繋がりは切れたけれど、やっぱり有りがたいな。
やっとね
花束をもらって嬉しいっていう気持ちが少しづつ戻ってきたみたいだよ。
どんな事だって、雪解けはある…のかも知れないね。
そうやって、話しながら買い物をしているうちに母がまとっていた暗い空気は晴れていき、いつもの母になった。
やっぱり、精神的に落ち込んでたでしょ。大丈夫だよ。傷もそんなに目立たないし、すぐ良くなるよ。
そう言うと、そうかな~って思ってくれたみたいで…お昼を食べたら、いつも待ち合わせして出掛ける隣駅のデパートに行こうと母は言った。
別に母さんが良ければ私はいいけど(笑)
さっき会った時との変わりようが可笑しかった。
…少しの怪我や病気で家にこもってしまう事や精神的に鬱になってしまう事が普通にある年齢になっているんだな~
今年71才になる母の年を改めて感じた。そんな日だった。
夢の中で、さぁ行くぞと父さんが言った行き先は母のところだったか(笑)
次の日、病院前に着くと母が立っていた。ちょうど、私に連絡しようと携帯電話を出したところだ。
水曜日は午前中だけ診療だが、お休みだった。急に決まったのか知らずに来る人がチラホラいた。
仕方ないから、お昼を買って帰ろうか…
お昼ご飯を買ったらまっすぐ帰ると言う母は…うん…多分、顔に傷がある事が嫌で誰にも見られたくない、そんな感じで悪い事をした訳でも無いのに身を隠したがる。
そして気持ちがふさいでいる。
気持ちが落ちている事は、身体から出ている空気感のようなものでわかる。
だから、転ぶのは普通にある事だ。年をとれば尚更だし、旦那の母親は転ぶたびにどこか骨折したから、母さんは無事で良かったよ~って言った。
お仏壇の花は?と私が聞く。
買う。
あっ、雑貨で買いたい物があるから寄って。と、母が言う。
こんにちは
今日も寒い。
小雨が少し降りだしたようだよ。
けれども、壁に掛かる桜の絵を見れば気持ちが春めき明るくなる。不思議なものだね…
昨夜は父の夢をみた。
父が自転車の前かごに孫である甥っ子を乗せて「さぁ、行くぞ」と言う。
私に「後ろに乗れ」と言う。
でも、相変わらず細く痩せている父がなんだか心配で…自分が乗ったら重いから自転車がヤバイよって言って断った。
言葉とは裏腹に、その荷台に乗りたい私は子どもに戻りたいんだろうか… そんな事を思ったけれど、夢に父が出てくる事は嬉しいものだ。
あんなに嫌いだった時期もあると言うのに亡くしてみれば良い事ばかり思い出す。
…だから救われるのか。
先月、叔母は松の絵を我が家に置いてから私の母のところに寄り夕飯を食べて帰宅した。
が、帰宅途中小さな事故にあう。停車中に後ろからコツンと追突されたらしい。
もらい事故かあ
あまりよくないなぁー
後でメールして様子を聞いてみるかと母に言うと、誰にも言わないって言ってたから聞かなかった事にしてくれと言われた。
わかった。
じゃあ知らない事にしておくよ。
母にはそう言ったが…まあ、気になるよね。
何かの折に触れて、体調はどうかと聞いてみたりして…
すると、何だか年末から血圧が上がって寝付きが悪くなったとか。
食事も気をつけているし、いつもは正常だからお医者さんも血圧の薬は出さないらしい。
う~ん。
やっぱりか…
お正月休みも終わり。
あっ
私は今日もお休みだけどね(笑)
元旦、昨日と朝走る。
昨日の朝は特に寒くて池や用水路は凍っていた。
わずかに残る水面に鴨達が集まり眠る。
風が無くて助かったけれど寒さで顔が痛い。
ちなみに元旦も昨日も一人で走った。
旦那は寒さでギブアップ(笑)まぁ、いいさ。
いつも一人で走っている女性とすれ違った。寒くても走る人は変わらず走っているんだな~あっ 私もか(笑)
少しづつのぼる朝日。やっぱりお日様は暖かいな~ 木を空を眺めながら走る。
地面は芝生が枯れ、その上にびっしりと霜がはっている。
日がのぼり少しづつ溶けてきたんだろう。その溶けた水の粒達が斜めに照らす朝日でキラキラと光る。
一色ではない。いくつもの色が細かく光る。
初めて見た景色。
本当に綺麗なんだよ。
この世には私の知らない綺麗な景色がたくさんあるみたいだ。
いい。
おはよー
続きね(^^)
その彼女も何故か私の事を気にいってくれて「姪子さんも一緒に忘年会しよう」って、言ってくれたのも彼女だった。
彼女と叔母と私。
みんな色が違う。何の色かと言うとね…うーん。 そうだなぁーオーラの色かな。
でもね
その3人で居る空間がなんとも懐かしく暖かい。
ん…
これも感覚的にって感じだな。
帰りぎわに「来年もよろしくね」と、私が言うと
「生きてるかどうかね~」と、彼女。
そんな事言わないで10年も20年も長生きして下さい。
彼女はニッコリ笑った。
帰りのバスの中でね、そう言えた事が嬉しくて。
私の魂の奥にいる別の私…たぶん前世の私の記憶かな。
それが喜んでいて伝わってくる。
だから私は「良かったね」って自分自身に言ってあげたんだ。
こんな感覚を分かる人がいるかしらと今思った。
居たら嬉しいな~
東京駅は通過しても降りて外を歩くのは何十年ぶりだろう。
新しくなった駅の外観はテレビで見たとおりだった。
正面のいちょう並木が黄色く紅葉していた。
それを眺めながら右手にある噴水の公園に寄り通りを渡って皇居のお堀を二重橋へ向かった。
そこから日比谷公園へ。偶然、菊の展示会がやっていて目の保養に寄った。
小さなカフェのテラスでお茶をしてゆっくり話した。
私の座っている場所から遠くに数寄屋橋のガードが見える。
昔、ずいぶん歩いたあたり。きっと変わってしまっただろうな。
昔の記憶のままそっと仕舞っておきたい場所かな…思い出すと少しタイムスリップする。そして胸の奥が切なくなる。なんてね(笑)
その壁にくっ付いていた綿のようなゴミの事を考えていたら、叔母を思い出した。
ずいぶん前に書いたけど、叔母宅に蜂の大群が押し寄せた話。
ハチジェットをかけると一瞬壁から遠ざかり散る。すると、壁に真っ黒なお碗をひっくり返したような形のものが2つ見えたと言う。
本人は実際の蜂だと、大真面目に思っているんだよね。
有り得なくても、見てしまえばそれは現実だと思う。
叔母が仕事中に用事で来た近所の人にその蜂の大群の話をした事がある。たいていは、困惑した顔で聞いている。
つまり、だれも本気で聞いていないんだ。
話せば話すほど、叔母は嘘つきか変な人だと思われる。
よほど頻繁に霊を見るか不思議な事を体験した人でなければ信じないだろう。
だから私も私の体験は、人を選んで話すようにしている。
っと、そんな事を思い出していたら急に叔母の顔が見たくなって「明日行ってもいい?」ってメールした。
それなら新しくなった東京駅でも見に行こうと叔母から提案があり、私達は東京駅で待ち合わせした。
今日ははっきりしない天気。
昼間1時間だけ日差しあり。
何で今更凄く気になるんだろうって事があるんだ。
あれは先週の日曜日か。
我が家は6メートル道路の交差する角地に建っている。
公園から住宅街を歩いてきて我が家宅近くの交差点に近づくとブルーと紫の間くらいの色に塗り替えた我が家が見えてくる。
北側の壁は角地を削られた為に斜めに削られた形で建っている。朝は陽が低く真正面に見えてくるその壁は紺色に見えてなかなか好みの色だ。
小さい土地なので3階建てにしたが、その3階の小窓の向かって右横に何かくっ付いている。
灰色で綿のようなモワモワとしてしめ縄くらいの太さのものがモールが下がるような形で壁にくっ付いている。(なかなか文章で説明は難しいね^-^;)
何だろうと思って真下まで来て見たが、ある。
旦那はさっさと玄関前に行って鍵を持つ私を待っている。
はてなと思いながら自宅に入った。
いつもながら自分でも不思議なんだけど、その話を旦那に話さないんだ。一週間経って、次の日曜日の朝ジョギングから帰りまた、我が家が見えてきた時に「そういえば」と思い出す。
見ると、そのモワモワした物は無かった。
私の母方がコレステロールが高くなりがちな家系で、弟も妹もコレステロールを下げる薬を飲んでいる。
元々薬嫌いな私は何も飲んでいない。
コレステロールは食事と運動で下げるのが望ましい。でも、それが無理なら薬もありかなって思っていたんだけどね…
食物からコレステロールが作られる過程でQ10やコラーゲンも作られるのに薬を飲むと、その手前で分解をストップしてしまう。そして、その物質が肝臓に残るので肝臓の数値が少しづつ悪くなるとか。
Q10やコラーゲンが作られないと皮膚や細胞の衰えが早まるとか。
んー
で、イワシペプチドか。
サプリメントを飲まなくても1日イワシ3匹食べればいいとか。
まあ
サプリメントで下げるか、薬を飲んでQ10とコラーゲンを摂取するか。
いや
やっぱり薬はいやだなーって言う結論に至る。
お肌のハリツヤは大事だなーっと。
玄関を出ると「さむっ」
思わず歩く場所を小走り。
公園に着いて走り出す。いつもながら最初のストレートは息がキツいな。
奥のバラ園に着くと色とりどりに花開いている。この時期は金木犀の香りもする。
いつもの所で折り返し少し歩くと小さい森のように木々が茂る右側に小川と広場が見える。
その小川のあたりに白く綿を敷いたように霧がかかり、うっすら朝日に照らされて幻想的だ。
あの向こう側はこの世じゃないみたいな…
そう思いながらあるいている時に頭の中に言葉が浮かぶ。
「なんも のこりくない」
これは叔母から聞いた。生前の叔父が言った言葉。
俺は家も持てたし車も買う事ができた。何も思い残す事は無い。 そう言ったらしい。
そっか、みんなに同じように何かおきている訳か…。
土曜日は外出しないで3度のご飯支度だけした。次女が手伝うって言ったけど大丈夫だよって断った。
お台所は自分でやった方が早いから。
その夜は平熱。
目覚ましをかけないで寝た。たんが出て喉が塞がり何度か目覚めた。
そして日曜日の早朝5時半前に自然に目覚めた。それもスッキリした目覚め。
しばらく布団の上に座って考える。
どーしようかなー
目覚まし無しでぴったりこの時間に目覚めるなんて…走りに行こうよって事じゃん。でも…
何度かやめようと思った。が、何故だろう…何かに急かされるように支度を始めた。
旦那は前日から膝が痛いと言ってパス。
悩んだが半袖で出る。
こんにちは
今日はいい天気だ
昨日、叔母から電話あり。
夜行バスではあまり寝付けず、朝帰宅して少し眠り起きてすぐ私に電話をくれた。
忙しく、スケジュールがびっしりつまった4日間だったらしい…その様子を2時間半喋り続けた。
大きな仕事を成し遂げた。いや、まだ途中だけれどいずれ終わるだろう。
本来なら私の父親がやるべき事だったのに私の両親は何だかいい加減で田舎の土地の相続など捨てておいた。
父の兄弟で叔母だけが知識に富み性格的にもきっちりしている。
叔母だから
今だから成し得る事。
物事には満ちる時があり成すべき人が動かされ成すべき事を成す。
振り返り考えるとね…
不思議だよ。そして、うーんと唸る。
形の無い何かに妙に納得させられる。
これも一つの「つじつまがあう」ってヤツかな。
電車で片道2時間近くかかる。
高尾山に着くともうお昼に近くまずは腹ごしらえ。名物のとろろ蕎麦を食べた。
それから、妹とその息子は2人乗りロープウェイ、私と母はケーブルカーに乗った。
ケーブルカーの中は2人掛けの椅子が向かい合わせにいくつかある。
が、足元のスペースは狭い。
私達の前には痩せた年配のご婦人が2人座って、しゃべっていた。
母の向かい側に座った人が足を少しずらして「あなた、こちらに足をのばしたら。足が楽だから」と母に言った。
母は「動かないから」と返事を返した。
直ぐに私が「こちらの足は動かないので」と言った。
その人は「ああ、そーいう事なの」と言い、私は 会釈した。
私は複雑な気持ち。
動かないとすんなり言えた母が偉いなって思うと同時に悔しい気持ち。
…うまく言えないな。
こんにちは
北側の出窓から涼しい風が吹いてくる。
風向きが変わった。
秋なんだろうね。
10月に叔母は田舎に行く。私の祖父、つまり叔母の父親が抵当権付きで放置してある田んぼの名義を変えにいく。
それと
二年前に切ったお墓の木を枯らすために。
ただ切っただけの木は根っこが生きている。切り株から新しく芽吹いているかも知れない。
ずいぶん前の日記に書いたけど、その木を切ってしばらくは田舎の屋敷の敷地に置いた。
叔母の妹の旦那さんがその木を燃やした時、宿る魂は虫となって叔母の家の外壁に張り付いた。
蜂の大群と思った叔母は蜂ジェットを噴射して駆除に奮闘した訳だが、一匹の死骸も無く刺されもしない。
実際の蜂が、空を黒く見せる大群で来たら叔母は命が危なかった。
そう。
実際には存在しない虫だった訳だ。
お彼岸なのに天気が悪い。
降り出しそうな曇り空、急いで午前中に墓掃除に出掛けた。
何処へいくの?
墓掃除。
なんだ、墓掃除か。
どうして自分も行くって言わないんだろう。
誰でも無い自分の父親が眠る墓なのに…
墓に着くと凄い人だった。たくさんの人が墓参りに来ていた。
やはり来て良かった。
だって、たくさんの人々が墓に参っているのに自分の所に誰も来なくては義父も淋しいだろう。
掃除をして花を供えお線香を焚く。手を合わせて心の中で話しかける。
「もう、お彼岸だね。じいちゃんのおかげで皆無事で過ごしているよ。いつも、ありがとう。」
感謝の気持ちが湧いてくる時、きっと気持ちは届くんだろう。
墓参りは、する気がある人がすればいいんだ。
常々そう思っているけれど…やはり少し淋しいかな。
1人じゃなくて2人で参りたかった。
こんにちは
ボチボチ仕事も薄くなってきて、七海はほぼ専業主婦に戻ってます。
9月の月初、旅行社のツアーに乗っかって一泊旅行に行った。
旦那と私と次女と叔母の4人旅。
さて、出発日が近づいたある日の夕飯時
次女「参ったなー^-^;今月に限って生理が遅れてるんだ。旅行とカブったら温泉入れないじゃん(ToT)」
旦那→ニヤニヤ「普段の行いが悪いからそうなるんだよ」
七海「えー、それは可哀想でしょ。普段の行いわるくないよね。」
次女は普段から努力家だし、仕事もプライベートも頑張っている。
それを、そんなふうに言うのは実に可哀想だと思った。
ちょいと口論ぎみになる。すると旦那は「そんなの聞き流してくれればいいじゃん」と、ご立腹だ。
私はムカついたので、そこからは一言も口をきかない事にした。
だいたい酔っ払い相手に話しても無駄だ。
長男だからと何事も一目置いて欲しいんだろうね。
幼児期にもっと愛情を注いでもらっていたら…少し今とは違っていたかな。
などと思っても仕方ない事を思う。
今日も旦那が言った。
この土地に家を建てなきゃ今頃親の面倒なんてみてなかった。
だけどね
旦那がみなければ、他の誰もみる人は居ない。
私が家を建てる事をどんどんすすめた。
こうなるお膳立てをしたのは私。
これで、いいんだって思っている。
旦那が実の母親といがみ合い、実の弟といがみ合い。これも必要悪なんだろうか…
ずっと先にならなければわからない自分達の人生。
端でみていると、もっと楽に生きればいいのにって思うけど、持って生まれた性格はどうにもならない。
それに
ばあちゃんと弟はよく似ていて2人ともわがままだ。
こういうゴタゴタがずっと繰り返す因縁ってヤツなのかな~
叔母が思い出すと、休日の朝6時半から7時の間に会っていたらしい。
呼び鈴が鳴るのも決まって休日だったと。
「私が窓から下を覗いた時に、そこに居たのかしらね…」
うん、居たと思うよ。身体が無いって、話せないし見えないし、でも気になって伝えたくて会ってた時間に来ていたんだね。
叔母はお花とお線香と写経を持ってお地蔵さまの所に手を合わせに行くと言った。
多分、そこで待っていてくれるはずだよ。
ずっと気になっていた朝方のピンポンが誰なのか分かった。
だからね
謎が解けて凄くスッキリしたんだ。
最近、ピンポンなかったのはおばあちゃんが亡くなって、あちらに逝ったから。
あちらへ行けば、この先どういうふうに事実が伝わるか分かるから。
もう呼び鈴を鳴らす必死が無かったんだろう。
ところで
身体が無いのに、本当に呼び鈴は鳴ったんだろうか…それとも頭の中だけで鳴ったんだろうか…
謎だ
昨日の午後
仕事中に叔母は区の広報をポストから取り出し見ていた。
下の方にはここ2ヶ月以内に亡くなった方の名前が載っている。
いつもは2~3人なのに今回は13人もの名前があって「ああ、ずいぶんたくさんの人が亡くなったのね」
叔母はそう言ったすぐあとにハッと息をつめた。その中に知っているお年寄りの名前があったらしい。
叔母はずいぶん前からお年寄りのご婦人と直ぐに仲良くなる。
そういう年代の人が好きなんだろう。
朝、走りに行く途中の土手の近くにお地蔵さまがあってそこをお世話しているおばあちゃんと仲良くなった。
ランニングの帰りに立ち止まり話こむ。
そのおばあちゃんが「今度、家に遊びに来てよ」と言って、家の場所を教えてくれて電話番号も交換した。
ところが、仕事やプライベートが忙しくなって、なかなかそのお宅には行けなかったらしい。
義母が施設に入っても、持ち家の公共料金やその他の出費がある為にファイルを作って家計簿をつけている。
あとは、役所から来る書類も全部目を通していたが急に馬鹿らしくなった。
約束一つ守らないヤツの為に一生懸命サポートしてる私はばかか!!などと思った。
もーばあちゃんの事は自分でやって!と、私が言った2時間後に義姉さんから旦那に電話あり。
日曜日に義母宅の片付けをするらしい。
が、私は行かないだろうと勝手に旦那が姉さんに言い、どうやら私は不参加でいいらしい…
しかし…
凄いタイミングで見つけるんだよ。
女の勘とかって言うけれど、ぜったい誰かが私に教えてるって。
じゃなきゃ、見つかる訳もない。
と、突然幽霊の話になったりする。
私「この間、お風呂から上がって階段を上がる途中に前を見たら台所に次女が入っていくのを見たのね。
電気もつけないで、何やってんだろうって台所を覗くと誰も居ないのよ。
確認したら次女は自室に居て…
台所に入っていった女の子は、黒のTシャツにオレンジ色に黒い線のジャージ姿だったんだけど、次女はその色のジャージ持ってないし。
ねぇ
幽霊ってはっきり見えていない時でも、それが男か女か分かるよね。」
彼女「うん、分かる。
私は視界の端っこに見える時が多いんだけどね~この辺に(笑)
でもさ、幽霊で良かったじゃん。
私なんか一人暮らしだから、幽霊なら別にいいよ。
それが人間だったら、武器とか持ってるでしょ。殺されかねないし、やっぱり幽霊より人間の方が恐いって。」
なるほど… と思った。
昨夜の台風が嘘のように晴れたね。
しかも暑い。
先週の金曜日、久しぶりに友達と会った。
彼女とは私が高校生の時からの付き合いだから…とにかく長い付き合いだ(笑)
久しぶりだね~
一年ぶりくらいだよー
よくよく後で考えたら二年ぶり。ずいぶん話もたまっていて、カラオケで歌いもせずに4時間、レストランで1時間半、合計5時間半話した。
本当にあっという間に時間が過ぎて、話す事でストレスが晴れるのは久しぶりかも知れない。
感受性が強すぎたり、魂が近い場合は愚痴を聞いた方が話した方のストレスをそっくり受け取って疲れてしまうけれど、彼女と私はちょうど良い距離感。
多分
お互いに考え方が違う。それがプラスに作用する仲なんだろう。
やだ、誤字発見^-^;
頭を振るだね(笑)
頭が降ってきたらギャーだわね(笑)
叔母の話。
先週の火曜日、七海ちゃんが帰った後ね凄く眠くなって座卓のそばの座布団にごろりと横になったらいつの間にか寝ていたの。
しばらくして、目が覚めたのね。テレビの音が聞こえていて、11時半のドラマがやってるみたい。ずいぶん寝てしまったわと思って足元を見るとお父さんがピンク色のカーディガンを来て背中をこちらに向けて座っていたの。
寝ぼけていたのか、お父さんが生きてた頃の感覚なの。
お父さんがね「俺はもう寝るぞ。お前もあんまり遅くまでやるなよ。」
って言ったの。
ああ、そうだよね。
って返事をして身体を起こして足元を見たらお父さんはもう居なくてね…でも、座っていた所にお父さんの空気だけが残っている気がするの。
お父さん来てくれたんだって、しみじみ思ってひと泣きしちゃった。
珍しく、この時間に起きてます(^^)
最近ね…
更年期みたいで、顔がほてり少々汗が出る。
面倒な年頃だな~でも、みんな通る道なんだよね。つくづく人も動物なんだなって思う。
その事と関係無いとは思うんだけどね…時々変なモノが見える気がする。
テニスボール位の大きさかなぁ…黒い影が目線の高さで左後ろから前にサッと通る。なになに?
西日の影になった何かが外から映り込んで見えたのかしらと外を見た。
すると、今度は目の前から右後ろに向かってサッと影が行く。
反射的に頭を降っていた私。何かわからないけれど、霊的なものだと認識した。
さほど怖くもない。
何者か凄く気になるけれど、考えてもわからないから考えない^-^;
そんな風に時々あらぬモノを見ているんだな。
どういう事なんだろうね~
義母が入所してからもう1ヶ月以上経つ。
時々ね
施設に入れる事が正しかったんだろうか…
そう思い考えてしまう時がある。
義母宅のお向かいさんも高齢者の一人暮らしだけど、いつもきちんとお掃除している。
進んで敬老館に行き人との関わりを持つ。
義母もそんな風だったらな‥って思う時がある。
お風呂に入らない。家の中が糞尿臭くなる。
自分の事が自分でできなくなってきていた。いや、正確にはやらなくなってたんだ。
元々、掃除はしない。ものぐさな人だったけどね…
んー
義母の事、好きか嫌いかと聞かれたら「嫌い」に入ってしまうのかな。
義務感が先立つ。そんな私は冷たいのだろうか。
でも…
義務でも何でも、私を動かし手助けしてくれた魂に感謝だな。
施設長からだった。
「部屋の臭いなんですが、あまり臭うので南側にキャンセルがでた部屋があるのでそちらのお部屋に替わらせていただきます。荷物の移動はこちらで致しますので。」
電話を切り旦那と義姉さんに報告。良かったね~って喜んだ。
やっぱり南向きがいいに決まってる。旦那は「なんかムカつく」と笑って言った。何でよ~(笑)
私が洗い物をしていると「あー姿がうつるようだね~」と義姉さん。
なになに
和室に行って見ると、久しぶりに掃除された仏壇。
真っ白に埃をかぶってコバエが死んでいた仏壇を旦那が綺麗に磨いた。中の電球も灯されていた。
実際にうつった訳じゃないんだけどね、そうだねうつるようだねって納得。
きっと、同じ気持ちで同じものを見ていたんだと思う。
私達は義母宅へ戻り掃除を始めた。
旦那はずっと掃除をしたかったらしい。
義母が居ない今なら、気兼ねなく掃除ができる。
旦那は和室を。私と義姉さんは台所を掃除した。冷蔵庫からは賞味期間切れと腐った物が続々と出てきた。
正月に作ったおかずがカビたりドロドロになって出てくる(ToT)く…臭い。
45リットルのゴミ袋がみるみるいっぱいになる。
冷蔵庫は、ほぼ空っぽになった。中板など外せるものは外して洗っい綺麗になった冷蔵庫は新品みたいだ(笑)
私が義姉さんの顔をみて言った。
「こうやって、義姉さんと何回掃除したかね~」
義姉さんは「うん。数え切れないよ(笑)ゴミの区分が覚えられなくて何回も七海ちゃんに聞いてね~」
その時、携帯電話のバイブが鳴った。
私の携帯だ。
「はい、もしもし…」
施設からの電話だった。
そして土曜日になった。
朝一で私と旦那はホームセンターへ車を走らせていた。
紙パンツ用の蓋付きゴミ箱を買う為に。
その日は強風が吹き、時々雨も降り荒れた天気だった。土埃が真横から吹いてきて前が見えにくくなるほどの砂嵐状態だ。
「明日はじいちゃんの命日だし、明日入所にすれば良かったんじゃないか」そう旦那が言った。
うん…
私も考えたけどね、義姉さんが今日しか来られないから。やっぱり、入所は義姉さんが居る時じゃないとダメな気がして契約の時、今日に決めたんだ。
そして、義母と義姉さん荷物を乗せて施設に着いた。
荷物を持って義母の部屋に入ると……なんだか臭い。
強風のせいだろうか、洗面所やトイレ付近が下水道臭いんだ。
カーテン取り付けを手伝ってくれていた施設の人に「なんだか臭いますよね‥この臭いなんとかなりますかね‥」
施設の職員も、「そうですよね。どういう訳だかわからないんですが、今日急に臭いがしてるもので…」
両隣は未入所で、部屋のドアは開けてある。ちらっと隣の部屋へ入ってみると、臭くない。
義母の部屋だけが臭いみたいだ。
気にはなったけれど、荷物を収めてそうそうに施設を出た。
私は困ってしまったけれど、委任状を書いてもらうように再度お願いしてみます。と言って自宅へ。
直ぐに義姉さんに電話でその事を伝えた。
そして、委任状記入欄の一段上に鉛筆で文字などを記入して義母宅へ向かう。
途中で、義姉さんから携帯に電話が入った。
「今、ばあちゃんに電話したんだけどね、なんだか凄く機嫌がよくて今なら委任状書いてくれるかも知れないよ。」
私が、今から行くところだと言うと「分かった。じゃ、今ばあちゃんに電話入れて書くように言っておくから、お願いね。」
バタバタと義母宅にあがり、ばあちゃんこれ書いて欲しいんだって委任状を出すとすんなりと書いてくれた。
義母は学校もまともに出ていないから、ひどい字だと言ったけど「大丈夫だよ~ありがとうー」
委任状を持って急いで郵便局へ。無事送金できた。
なんだろ
凄く嬉しい
「年金で間に合わないようじゃ困るから…」と、義母。
私は大丈夫だよって言って微笑んだ。
さて、義母から印鑑を借りて郵便局へ。
実は昨夜、義姉さんから電話があった。
「ばあちゃんを郵便局まで連れて行くのも大変だろうし、委任状も書かないと思うんだ。
今日ね、こっちの郵便局で聞いてきたんだけどね痴呆症があって書けないって言えば代理で記入する用紙があって、本人が行かなくても送金できるってよ。
病院でも軽い痴呆症はあるって言われたし、その方がいいんじゃないかな。」
なるほど。
その方が早いかと思い郵便局で聞いてみた。
しかし、こちらの郵便局では痴呆症の診断書が必要だと言われてしまい義姉さんの話とは全く違った。
次の朝、些細な事で旦那と口論になる。
昨日の事がまだ尾をひいていた。
それにしても
ばあちゃんはどうして私の話をちゃんと聞いてくれないんだろ…
ああ…
もう、今朝のインスリンチェックに行きたくない。
旦那と口論になって、ベソをかいた私は最悪の気分でその朝のインスリンチェックを投げ出してしまいたいと思い時計とにらめっこしていた。
あと10分、あと5分と行くべき時間が近づく。
頭の中で
行きたくない
行かなきゃ
やっぱり無理…
待ってよ…
元々、ばあちゃんは人の話をちゃんと聞かないじゃん。
それに…
これが、月々かかるお金の合計だよ。他の施設も見たけどね、よそはもっと高くてこの位の所がほとんどだったんだよ。
そう言って、高い金額のところを指差してしまったのは確かに私だよね。
はぁ…
謝るか。
悪くも無いのに謝る事が凄く嫌だった。
でも、「謝ろう」そう誰かに背中を押された気がした。
急いで義母宅へ。
うつむき座っている義母の腕にそっと手を置いて「ばあちゃん、お金の事私の説明の仕方が悪くて勘違いさせてごめんね。」そう言った。
義母のお金を送金するのには、委任状が必要だ。
だけど、困った事に最近義母は字を書かない。
数字は書くのに漢字は書かないんだ。
町会の募金の名前さえ書かずに義姉さんに頼むようだ。
いざとなったら、本人を連れて窓口まで行くかな。休み休みなら歩いて行けると本人も言うし…
そう考えていると旦那が仕事から帰ってきた。
「施設の料金書いたのあっただろ。出して。」
「どうしたの?」
「施設の毎月の金が高いって、イチャモンつけられたんだよ!ばあちゃんに何言ったんだよ」
「今日、契約に行くのに引き落としの通帳と印鑑を借りたんだけど、その時に毎月の料金の説明をしただけだよ。」
「ばあちゃんに、そんな事言わなくていいから。余計な事言うなよ!」
そう言って、施設の資料をひったくるように持って行った。
どうして…
なんで、そう言う事になるの…
私は泣きそうだった。
それから3年間、お正月や法事の時以外は義母宅へ行かなかった。
私の中で、ずいぶんとわだかまっていたんだ。
だけど、この一週間はいい関係だった頃に戻ったみたいだった。
施設に持って行く荷物作り。一週間分の下着に名前を書き、持って行く洋服を一緒に選んだ。
義母は自分の履いているズボンのゴムを替えると言って針を持った。
昔の人はみんな縫い物が得意なんだろうか。
良い天気のお昼前、日差しがいっぱいの部屋で縫い物をする義母を私は眺めていた。
「ばあちゃん、縫い物上手なもんだね。」私がそう言うと、
「そりゃあ、そうさ。」と、機嫌良く返事が返ってくる。
そうやってあっという間に契約日の水曜日を迎えた。
代理で契約に行く。
私1人で行く訳だから、念のためICレコーダーも持った。
これは、叔母の真似だ。1人で説明を聞くと忘れたりしがちだからと叔母はよく先方にことわって録音をする。
私もそれに習い、無事に契約を済ませた。
後は、お金の送金。
木、金曜日のうちに送金を済ませたい。
3年前の夏、ばあちゃんは転んで尻餅をついた。その衝撃で背骨の腰に近い部分を圧迫骨折して1ヶ月寝込んだ。
もちろん病院は入院させてくれなくて、自宅で寝込んだ。
トイレには何とか四つん這いでいけた。私は毎日お昼ご飯を作って持って行った。
夕飯は旦那が帰ってきてから私が作った物をお弁当にして運んだ。
毎日、何を作ったんたかもう覚えていないけど、義母は好き嫌いが多いから大変だったなぁ… おかずが気に入らなくて文句を言われたりもした。
ちょうど、私の実家の父が難病だってわかった頃で実家の事でも動いていたから私もいっぱいいっぱいだったんだろうな。
義母も寝てばかりいてストレスが溜まっていたんだろう。
少し口論になった。
多分、些細な事で。七海は一度は我慢したけれどしつこく同じ事を二度言われた時にキレた。
「だったら、自分ですればいいでしょ。」私はそう言ったきり一言も口をきかないで帰ってきた。
おばあちゃんの骨折は治るでしょ。父の難病は治らないんだよ。なのに、なんで我が儘ばかり言うの…
そんな風に思って腹を立てた。
幸い、もう1ヶ月近くたっていてばあちゃんも回復してきていた。
次の日から私は義母宅に行くのをやめた。
考えてみたら私は旦那じゃなくて義姉さんのこの言葉を待っていたんだろうと思う。
とりあえず、空いている部屋を予約して契約日の予約も入れて帰った。
残念ながら南側の部屋も東側の部屋も予約でいっぱい。
西側の部屋しか空いていなかった。
エレベーターの前のこの部屋でいいか…って義姉さんが言った後に「いや、その隣の部屋にしようよ。」と旦那が言った。
施設を出て帰る時、本当に決まって良かったって心の底から安堵した。
胸の奥があたたかい。
この感覚は…亡き私の父親が長引く病気から一旦回復した正月の集まりの時、あの時と同じ気持ちだ。
この日が土曜日。
次の土曜日の入所を目指して私は動き出した。
一階には小さいけれどリハビリ用の平行棒があり、腕や脚を鍛える為のトレーニングマシンがあった。
少人数で使う個室型のシアタールームとカラオケ室。
皆で入る広めのお風呂、居室は11畳ほどの広さで全室個室。
小さい洗面台とクローゼット、トイレは引き戸で仕切られていた。
1人なら充分な広さだろう。
一通り見て、一階の食堂へ行った。
四角いテーブルにローズ色のテーブルクロスその上からビニールが掛けてあり、テーブルの真ん中には小さな器に薔薇の花とシダのような葉っぱが丈短くいけられていた。
やっぱり、ホテルのレストランみたいだ(笑)
コーヒーをいただいて、一息ついた所で「ここでいいんじゃない」
義姉さんがそう言った。
土曜日、私と旦那と義姉さんで施設の入り口に立っていた。
その施設は我が家からも近く公園の反対側にあった。
看板などは無く、小さなマンションみたいな外観。玄関でスリッパに履き替えて歩くと突き当たりに着物の帯が壁に掛けてあり下に置いてある形のいい石の上で綺麗に結んであった。
ちょっとお洒落なホテルに来たような錯覚。壁の色もあたたかいクリーム色で落ち着く。
相談室で待っていると女性がコーヒーを出してくれた。
間もなく男性が入ってきて施設の説明をする。
話術に長けた年配の男性で、リハビリを毎日の生活に取り入れる事やお年寄りだからと言って子ども扱いしない事などを含む施設の考え方を話した。
事務的では無くて心をつかむ話ができる人だと思った。
もう、打つ手がなくなったという義姉さんからのメールを見て、どこかでスイッチが入った。
私は迷う事なく、一件の施設に見学予約の電話を入れていた。
とにかく、ここは一度見学に行っておきたかった。 旦那と義姉さんに勝手に見学予約を入れた事を謝って、一緒に見学に行こうと誘った。
もう、打つ手が無い訳だし…土曜日、ばあちゃんを退院させて自宅に置いてすぐに見学に行く事になった。
ばあちゃんはと言えば、転院した病院でのリハビリで見違えるように元気になっていた。
毎日1時間近くリハビリをした。 人間の身体って凄いよね。
高齢者だって、リハビリすれば身体も動くし頭もしゃんとするんだよ。
よろよろと、危なげに歩いていたばあちゃんは2週間で杖無しで歩けるまで回復していた。
それだって、本当に私の意見に賛同したのか…それともお金に対する欲を見透かされて、かっこ悪いと思ったのか…
よく分からない。
数日後郵送で群馬県の施設のパンフレットが届いた。
入所金は無いけれど、月々の利用料はさほど安くはなかった。
だから群馬県の施設は候補から消えた。
もう退院まで数日。そんな時やっと介護度変更の調査が入った。
ところが、保険施設の相談員さんの話とは違い調査から一週間で介護度は決まらないと調査の人から聞かされる。
新しい介護度が分かるまで1ヶ月近くかかると言われたらしい。
1ヶ月近くばあちゃんをどうするか。
義姉さんは、ばあちゃんの担当のケアマネさんに相談したが急に預かってもらえる所なんて無いですよ。
そう、あっさり断られた。
木曜日の午後
「もう、八方塞がりです(T_T)」と、義姉さんからメールがあった。
施設見学の後、紹介センターに寄って話をしてきたらしく、群馬県にある施設のパンフレットも取り寄せてもらう事にしたらしい。
「群馬県?
待ってよ。そんな何時間かかるか分からない所ダメだよ。
何かあったって、行くの大変でしょう?」
旦那→「だって、月々かかるお金は安い方がいいに決まってるし、そうそう行く事も無いだろう。」
「行かないで済まないでしょ。とにかく私は反対だから。」
何故か腹の底から怒りがこみ上げた。
私は数年前に義母と2人で公証役場に遺言書作成に行っている。
だから、ばあちゃんの貯金はだいたい把握していた。
昔、景気が良かった頃夫婦2人で頑張って働いて貯めたお金だろう。
それをばあちゃん本人の為に使っちゃあダメなの?
お金の事は本当は口出ししたくなかったけれど、言わずにはいられなかった。
その言葉を私が言った後、少しだけど旦那の意識が変わったのかも知れない。
「少しくらい高くても入所金を出すのも仕方ないよ。」と、電話で義姉さんに言っていた。
ただいま
ちょっとティータイム☕
私の日記を読んで心配したり励ましたりしてくださった方々にお礼を言いたくて。
ありがとー♪
七海は立ち直りが早いので心配ご無用ですよ~😃
どこまで話したっけ(笑)
そうそう…
区役所へは暇で家に居た次女と一緒に行った。
しばらく行ってなかったから、道覚えてるかな~
そう言いながら駅を出た。
…大丈夫。覚えてる。
歩きながら頭に浮かんだのはずいぶん昔、義母と2人でこの道を歩いた景色。
区役所に来て帰りにあのお寿司屋さんでランチをご馳走になったっけ。
考えたら、区役所までの道を教えてくれたのは義母だったなぁ…
次女が生まれた時はじいちゃんと交代で長女を保育園へ迎えに行って預かってくれたんだ。
思い出しちゃった。
ちゃんと果たさなきゃならない義理があるな~って、改めて思った。
道が混んだのと分かりづらい場所にあったのとで、約束の時間ギリギリで保険施設に到着した。
駐車場も広く、建物も部屋ももちろん綺麗で新しい。
相談員の女性は若く少し体格がいいが背筋がとおった感じだ。
話していくうちに分かったが入所に当たって問題があった。
今、ばあちゃんは要支援2だが要介護1以上でないと入所できない。
義姉さんが何度か役所に電話したが、同じ所に2週間以上居ないと介護度変更の調査はできないと言われたらしい。
相談員さん→「調査に来てもらって、一週間後くらいにはだいたいの介護度が分かるはずですから、それで介護度が上がれば入所できますよ。電話で問い合わせてみて下さい。
あと、役所に行って取ってきてもらいたい物があります。」
義姉さんは介護度変更のためにもう一度役所に掛け合う事に。
私は役所に取りに行く物の名前をメモした。
その2つの物はどちらも減額認定証だった。
ばあちゃんは、1人暮らしの年金暮らし。つまり、非課税世帯だ。
だからこそ受けられる減額認定証があるらしい。
男性は「もちろん改善されています。だから今現在こうして施設があるわけです。」と、うまくかわした。
間もなく
「見学の準備ができましたので。」と、案内係の女性が来た。
義姉さんが「この目の前の古い方の施設を見学できませんか?両方見てみたいんですけど。」
すると女性は
「あちらは今、入所の方がいてバタバタしておりますので。」と言った。
人には良心がある。
その表情から嘘だと言う事が私にも分かった。
そして新しい建物へ案内された。
玄関を入るとすぐ目の前が食堂で奥の壁にはテレビが掛けてある。
そのすぐ近くの四角いテーブルに白髪の小さい老人が4人座っていた。
話している様子もなく、ただ座っていた。
左手にある受付前を通って、すぐ近くの部屋に案内された。
4人部屋で、カーテンで仕切られている。
少し広い病室という感じで、小さなロッカーとポータブルトイレがそれぞれのベッドの近くに置いてある。
私達はお風呂も見たいと言ったが使用中だからと断られて、他に見る所も無いのでそうそうに立ち去った。
帰りの車の中で旦那が「この前、俺が1人で見学した時も今日と全く同じに奥に4人の年寄りが座ってたよ。部屋もあの部屋しか見せないし。準備って、そうそう事なんだろうな~」
あれこれと話しながら次の保険施設へと向かった。
土曜日。
午前中は嫌な口コミをみつけてしまった施設見学。
旦那は断ろうと義姉さんと電話で話していたのに、なんで見学行くんだろ?
時間が無いのに無駄な事をするな~って思う私の考え方とは違って、ダメな事を確認に行くらしい(笑)
値段的には魅力的だからかな…
車で40分。
施設とは別に相談所の建物があり、そこの2階に相談室が3つ。個室になっていて、真ん中の部屋で待った。
若い営業の男性が後から入ってきて、施設や料金の説明をした。
一通り話が終わりかけると義姉さんがネットで見た業務改善命令についてたずねた。
(そ、それを直接聞くんだ)💦私は本当に微妙な気持ちになった。
聞いても本当の事は言わないだろうし、それをあえて聞いてしまう義姉さんの気持ちがよく分からない…。
平日の午後、私は医療連携室の室長に会った。
とても感じのいい女性で、2つの施設を紹介してくれた。
1つは、介護付き有料老人ホーム。我が家からも近い…自転車で5~6分かな…いつも走る公園の反対側位置する施設。
「3月にオープンしたばかりで、オープン前の説明会に行ってきましたが、感じが良かったですよ。お食事も試食しましたが美味しかったですし。この病院と提携を組んでいて、緊急時にはここに搬送されます」。
そう聞いて、それは安心だな…って内心思った。
もう1つは
やはり3月からオープンした介護老人保険施設。
「ここは、長くても一年しか居られないと思います。ただ、国の援助で料金は高く無いですね。ここの相談員さんとは知り合いで、良い方ですよ。」
ここは、入所一時金も無いようだ。
旦那に話すと、保険施設の方を見に行こうと言われ、土曜日に見学の予約を入れた。
週末しか義姉さんが動けない為、次の土日も施設見学の予定を何件か入れた。
「ねえ、施設見学、私行かなくてもいいんじゃないの?」思わず言ってしまった。
私には、何の決定権も無い訳だし私の父親の転院先探しなどは一度叔母に付き添ってもらったけれど、その先はずっと1人で走り回っていた事を思いだしたら、何だか手伝う気持ちが失せた。
その事も旦那はいちいち義姉さんに相談した。
すると義姉さんから電話があって「1人でも多くの目で見て質問した方がいいから、悪いけど一緒に来て🙏」
そう頼まれた。
義姉さんには恩がある。頼まれたら嫌とは言えないなぁー
旦那→「2週間の週末しか無いでしょ。病院にばあちゃんの洗濯物やりに行くなら地域医療連携室に行って、施設とかの情報もってないか聞いてきてよ。」
はいはい。
何故か旦那に言われるとムカッとくる(笑)
そこは悪くはない。
ただ、月々の利用料金が高い。
毎月、17万。介護保険の自己負担を入れると20万ちかい。
旦那→「だったら、午前中見てきた所がいいよ。ケアマネさんの紹介なら特別枠でって、ずいぶん安くなるみたいで、次に姉も一緒に連れてくるからって言ってきたから」
ショートステイの面接で行ったはずの施設は、ショートステイではなくて体験入所と入所の説明だったらしい。
それにしても
特別枠って何だろ。
入所金の210万が50万に、月々の15万が7万になるって?
そんなおいしい話はって思っちゃうよね~
さっそく、パソコンで口コミさがす私。
なるほど…
嫌な口コミ発見。数年前に都から業務改善命令でてるし。
その事を、チラッと旦那に言ってみた。
どーせ、ケチつけるって言われるかな~元来調べるって事しない奴だからなぁーって思ったけどね。
今回は、珍しく携帯で口コミ調べた。まさに私が見た情報に行き着いたらしく、電話で義姉さんと長々話していた。
ばあちゃんが転院の日の朝、私は義姉さんと2人でばあちゃんの荷物をまとめ会計を済ませてタクシーで転院先の病院へ。
無事に転院。
その間に、旦那は一件の施設見学に行っていた。
昼過ぎに旦那も病院に来て、今度は3人でもう一件の施設見学。
病院から車で30分、そこは新しくできた駅に近い。外見は普通のマンションみたいだ。
玄関を入ると施設の人が待っていて、先に来ていた紹介所の女性とともに見学した。
部屋はみな個室。
ワンルームにトイレ。トイレは仕切りがなくて天井から吊るしたカーテンでぐるっと囲んで目隠しするようだ。
食堂は広く、長い白い天板のテーブルが並べてある。どちらかと言うと社員食堂みたいだなって思った。
施設のヘルパーさん達も明るく挨拶してくれて、感じはいい。
次の朝、旦那が言った。
「昨夜、なかなか眠れなくてさ…ばあちゃん、土曜日退院してくるだろう。
ケアマネが紹介してくれたショートステイに頼むにしても、来週からだから土日は自分がばあちゃんちに泊まらなきゃならないだろ。
どう考えても、自分にはそれは無理なんだ。
やっぱり今朝、K病院に頼みに行ってみるよ。」
このK病院は地元の病院で、ばあちゃんが昔から通っていて院長先生が主治医。
義父がボケてしまって、ばあちゃんが持て余した時も3カ月近く義父を入院させてくれた。
今回ばあちゃんがあの状態で出されると決まった時、私は直ぐにその院長先生の顔が浮かんだ。
「ダメもとで相談してみたら?」
そう言った私の言葉は無駄にはならなかった。
義姉さんは「そこに転院させると、せっかく大学病院の糖尿病内科に通っているのに、病院をかわらなきゃならない」って、反対した。
だから、旦那は義姉さんには言わないで院長先生に相談に行った。
看護士さんは
「とにかく、一度先生とご家族様とケアマネージャーさんとで話し合って下さい。私達看護士からは先生には言えないので。」
この電話を受けて、話し合いがもたれた。
先生と義姉さんと旦那とケアマネージャー。
私は行かなくてすんだ。
旦那と義姉さんは女医さんからずいぶんキツく言われたようだ。
もう一人暮らしは無理なのに一人でおくのはあなた達に責任がある、とか…
今は、家を売ってでも施設に入るのが当たり前なんですよ。
とか、とにかく半分喧嘩腰で言われたらしい。
それでも、義姉さんが頼みこんで退院を土曜日までのばしてもらった。
言い方には問題はあるけれど、あながち間違った事を言っている訳では無いんだろうけど…
以前なら歩けるようになるまで置いてくれていたのに…こちらの事情など関係ないのだろう…
入院から9日目、先生から電話が入る。
血液に問題なし、食事もとれているので退院して欲しいとの事。
明日にでもと言われたけれど、義姉さんが来れる明後日にお願いしますと頼んだ。
この電話の主は元々の担当医ではない。キツい感じの女医さんで「ギリギリ明後日までですよ。」と念をおされた。
そして退院前日、病院から電話が入った。
今度は看護士さんからだった。
「義母さんですが、凄く足が弱っています。私達看護士としては、このまま一人暮らしの自宅には帰す訳にはいきません。本人は、次男さんが離婚して帰ってくるので次男さんと自宅で暮らすと希望しているようですが…」
この事については、義姉さんが弟本人に確認している。「俺はみれないよ」そうはっきり言ったらしいけれど…
弟はばあちゃんに気をもたせるような言い方をしたのかも知れない。
連絡役になっている私だけど、肝心な事柄の決定権は何一つ無い。
困った。
ばあちゃんはそのまま入院になった。
そこは大学病院の分院で最近新しく建て替えたらしい。びっくりするほど綺麗になった。病院の9階は見晴らしも良く4人部屋の病室はパーティションで仕切られていた。
入院して一週間後先生から病状説明があった。
入院時、腎臓の数値が悪くあと3日も遅かったら危ないところだったと言われた。
それと、高齢で長い入院は痴呆が出る危険がある。血液の数値が良くなれば来週にでも退院になると言われた。
病名は腎臓腎炎。
ずっと吐いたりして食べられない原因は便秘だった。
もう、ほとんど腸が動かなくなってしまうと水を飲んでも吐くようになるらしい。
下剤をかけて排便できたら少しづつ食べられるようになったみたいだ。
…便秘恐るべし…
なんにせよ、結局はギリギリのところで旦那は救急車を呼ぶ事を決めてばあちゃんを救ったわけだ(笑)
「少しだけど、食べたよ」機嫌よく旦那が言った。
そして夕方
私がお米をといでいると、ばあちゃん宅に行った旦那から電話だ。
「救急車呼ぶから、今すぐこっち来て」
お米を水からザルにあげてそのままばあちゃん宅へ。
ばあちゃんは布団の上に座っていた。
「大丈夫?」私が声をかけると、気持ち悪いしどうにもならないんだって訴えた。
救急車呼んだのって旦那に聞くと「まだ」って(-"-;)すぐに私が救急車を呼んだ。
電話で救急車の人に状態説明をしている間にばあちゃんはトイレへ行った。
「具合悪いのかって聞いても一言も喋らないし、もう俺にはどうしょうもないから救急車呼ぶ事にした。でも、お母さんにはペラペラ喋って💢優しくしてやればつけあがりやがって💢もう、ばあちゃんの面倒は嫌だ」
ああキレてるな。
その後、ばあちゃんは救急車の人にも具合の悪さを喋り旦那はますます機嫌が悪くなった。
次の日は土曜日で旦那は仕事が休み。
朝と夕方の二回インスリンチェックに行く。
あんな醤油漬けみたいなうどん作って、ばあちゃんに「それ、しょっぱくないか?」って聞いたら「ちょっとしょっぱいかな」って言ってたよ。
って、仲が悪い弟の事は悪口だ。
気持ちがあって作っていったんだから、それはそれでいいと思うよ。弟なりに心配したんでしょう。
私は客観的にみてそう言った。
すると、ゆでうどんはまだあるからうどんのつゆ作ってよ。ばあちゃんちに持って行って、もっと美味しいうどん食べさせるから。
張り合ってどうするんだって思ったけど、親の為にうどんを煮るって言うんだからまあ良い事だね…そう思っておつゆとほうれん草の茹でたものを少し、タッパに入れて持たせた。
その夜、旦那はいつものようにばあちゃん宅に寄ってから帰宅。
「姉からメールがあったよ。今日、ばあちゃん病院連れて行ったんだって?」
「うん、レントゲンやCT撮ったけど結局は整腸剤だけだされて帰されたよ。今、ばあちゃんの具合どうだった?」
「う~ん。弟が来たみたいで、茶色く色がつくほどしょっぱそうなうどんが作ってあったよ。
それを少しだけ食べたけど…あんまり具合はよくないみたいだね…」
「そっか…やっぱり、義姉さんが言うように救急車で運べば良かったかな~。歩けるし、元気そうだからタクシーにしたんだけど。」
「救急車?いやだよ。みっともない。」
「どーして?車で行ったらまた帰されるよ。本当に具合悪くなったらそんな事言ってられないでしょ?」
「とにかく、自分は嫌だから。呼ぶんだったら、お母さんが呼べば。」
まったく、この人は(-"-;)話にならん。
そう思って、この後、この件については話さなかった。
考えてみれば、旦那も限界にきていたのかも。
いや、来るべきして来たというか(笑)
2月23日
変な咳と微熱が続いていたばあちゃんが嘔吐と下痢。
じゃあ、明日医者へ行くから朝準備しておいて。
旦那は義母にそう言って帰宅。
次の朝、旦那は車で義母を迎えに行くがすぐに怒って帰宅。自転車に乗り換えて会社へ行った。
吐き気がとれたから、病院には行かないとばあちゃんが言ったらしい。
それなら、自分が迎えに行く前に電話をいれるのが筋だ。っと、旦那はそこに腹を立てていた。
もうここ最近ずっと旦那はばあちゃんに怒っていて、文句も言いたくないと口もきかないでインスリンの目盛り確認。
そんな毎日だったらしい。
最近ね
涙もろくなった自分に困惑する時があるんだ。
妹が来られなくて母と二人の時だったかな…
少し母を誉めてあげたくなってね…
ベランダの角ハンガーに綺麗に干してある洗濯物をみて言った。
「ちゃんと洗濯物干してあるね。
いつだかね、左手に何か持っていて母さんの真似をして片手だけで洗濯バサミに洗濯物をはさもうと思ってやってみたんだ。
でも、出来なかったよ(笑)
練習したとはいえ、母さんはちゃんと出来てるよね…
こうやって洗濯物を見て、ちゃんと干してあって偉いなぁ~って思うし、一人で暮らせてる事に私安心するんだよ。」
そう言いながら
目元がうるっとした。
いやだなあ
なんでこんな事でうるっとくるんだろ…
後で気づいた。
先にうるっときたのは母の目元だったんだ。
やだ
もらい泣きってやつか…(〃∇〃)
今朝、出掛ける時は雨だった。
実家のお墓まで車で1時間走る。着いた時は霧雨だったがお坊さんがお経をあげる頃には雨はやんだ。
父さん、さすがだね。そう心の中で囁いた。
お墓の前でお経を聞く。つま先が冷えて感覚が無くなったけれど、無事に済んで良かった。
いつも
皆が参る時には雨は止む。心配する事は無かったんだ(笑)
帰りにうなぎ屋で会食。お料理は微妙だったけれど、なんとなく和やかな時間を過ごす。
叔母とその弟さんの話で私の祖父の事を聞いた。凧絵が得意な祖父は一度16畳の大きさの凧を作った。もちろん全て手作りで。
そして、家族みんなで外に出た。
家の裏側は広々とした田んぼがあり、冬は一面の雪野原になる。
そこに立っている木の幹に凧の縄をくくりつけて、皆で上げた。風に吹かれて高く上がった凧から風切り音がぐんぐと聞こえて、そりゃあ凄いもんだった。って、いい顔で叔母の弟が言った。
彼は、たった16才で両親に逝かれてしまったけれど、ちゃんと親との思い出はあるんだな。
私の大好きだった祖父は素敵なところのたくさんある人だったみたいだ。
そうやって、目の前の物をやっつけているうちに2時間経過。
あっという間だ。
七海はエプロンを脱いで上着を着た。
ばあちゃんの財布を持って、頼んだお刺身を取りに近所のスーパーへ。
ばあちゃんは、ほうれん草の胡麻あえを作り、義姉さんが来る途中でお惣菜を買ってくる。
さすがに手がまわらなかった冷蔵庫には何も入らないので、食べきって帰る事にした。
午後になると旦那のイトコ夫婦も来た。
ホントに内々だけの新年会だけど、無事に済んだ。我が家の次女と義姉さんの息子はこの春から社会人だから最後のお年玉。
義姉さんは台所で私に旦那様の愚痴を延々と話し、子どもの事や健康の話など尽きない話をしていった。
旦那はうんざりしていたけれど、掃除の達成感は凄くある(笑)
一年に一度くらいなら許容範囲かも、とか、ちょっぴり思った。
それに
日記に書いたらもっとスッキリだぁ~
新しい台所用スポンジを水で濡らして台所用洗剤をかけて、グシュグシュして水を切る。
そのスポンジの固い方で茶色い部分をこすり、左手に持った濡れ雑巾で拭いていく。
ビニールのテーブルクロスはこの辺が有りがたい。直ぐに綺麗になった。
ここまできて、やっと掃除機の続きとその後は床の雑巾がけが出来る☝
次は台所の流し台の上。鍋、鍋、フタ、灰皿、酢、醤油、味噌、とにかく物がいっぱいでステンレスの地が見えない。
ゴミは捨て、それぞれ仕分けて整理、収納。鍋は鍋の置き場所へ。
いつもの事ながらステンレスは一枚皮膜があるように汚れていて、干からびたコバエがゴマを撒いたように居る(ToT)
気にしたら負けだ!
雑巾で、とにかく拭く。しぶとい汚れはクレンザーとスポンジで。
磨けば光るのがステンレスの魅力。
受け取った掃除機を右手でかけながら左手で散乱するレジ袋をどかす。
だめだわ。
袋から片付けないと。一個づつ中身を見る。野菜やお菓子、ゴミ。
全部出して仕分け。
この袋臭いけどと思って覗いた中身は透明のビニールトレイ。捨てようと引っ張り出すと茶色い水が床にこぼれた。
臭いのはこれだ!野菜が腐った汁(ToT)
雑巾でそれを三回拭き掃除。
旦那「臭っ💢」
拭いてる私はもっと臭いんですけど😂
旦那は上着を着たまま45リットルのゴミ袋を持ち、テーブル脇のゴミの山と格闘中。
さて、次は小さいダイニングテーブルの上か。いっぱい物が置いてありテーブルクロスの柄も見えない。
輪ゴム、茶筒、ペットボトル、空き箱、何かの包装ビニール、鼻かんだちり紙、その他…ほぼゴミばかりを仕分けて捨てる。
すると、やっとテーブルクロスが見えてきたが、電気ポットの周辺のテーブルクロスが茶色い(ToT)
お茶をこぼして、ずっと放置するとこうなるらしい。
フキンで拭いても落ちないな。
出がけに義姉さんからメールあり「さっき、ばあちゃんに電話したら掃除していて注射やご飯どころではないって、機嫌悪いみたいです。よろしく~」
あらら
ばあちゃん、逆ギレ(笑)
義母宅に入ると、相変わらず汚い感じ。ばあちゃんは奥の和室掃除機中。
七海は上着を脱いでエプロンをかけた。
ばあちゃんの掃除機が和室からこちらの台所に来たところで声をかける。
七海「代わろうか、腰痛いでしょ」
婆「…腰痛い」と言って掃除機を七海に渡した。
すると、着いた時点で怒っていた旦那が「やる事ないよ、自分でやるのが当たり前なんだから!」と、怒鳴る。
七海は無言。
だって、何の為に早く来たんだか。急いでやらなきゃ時間がない。
叔母にその夢の話をすると、彼女の話になる。
小さい時から時々見かける彼女は色が白く優しい顔つきの美人で成人式には叔母が彼女に振り袖を着付けた。
その後、姉達が結婚して親と同居すると、ますます居場所はなくなり2年間すぐ上の姉の所に預けられたりした。
薔薇色の頬はすっかり色を失い心は病んでいったのだろう。
叔母は
「何の為に生まれてきたんだろうね。」生まれて来ない方が幸せだったのじゃないかと言う。
私はそれには同意しない。と言うか、全く反対だよ。
人は知る為に生まれてくるんだ。彼女は立派に辛い旅路を歩いて逝ったではないか。そして寂しいや悲しい憎い切ない…いろんな感情を体験して逝った。
あちらへ帰る時期は最初から決まっていたんだ。
その赤ちゃんは私の子。そんなふうに一瞬にして分かる。色の白い顔と茶色の髪の女の子だ。
私からは見えない反対側の高い位置に扉がついていて、その子はそこに入れられるのだと私には分かっている。
真っ暗な小さな部屋に入れられるその子が心配で仕方ない。けれど2~3年で戻ってくるのだから…っと自分に言い聞かせていた。
バタンと扉が閉まる音の後にその子の鳴き声が小さく聞こえてきた。
私は塔の壁に身体をつけて動けない。
切なくて切なくて泣き止むまで、そこに居ようと思った。
その次の瞬間、私はスッとその身体を抜けて壁にもたれかかる私を見ていた。
「どうして?私だったら自分の子を手放したりしないのに」
そう、彼女に話しかけた。
さて、母と叔母の2泊3日の旅。
湯沢から長野に下り秘境を訪ねる旅だったらしい。
大型バスが通れないのでマイクロバスに乗り換えて向かう。
ここから先は徒歩で30分。高齢者向けのゆったり旅のはずが…
歩き出すと思ったよりも山道で、あと三分の一と言う所でやっと人一人通れるだけの道。
しかも片方は崖。
母は引き返すと言ったが皆に励まされてゆっくりゆっくり登った。
健常者ならなんて事のない坂も母にとってはかなりつらい。
汗をびっしょりかいて、登った先は見渡す限りぐるりと続く山並み。
絶景だったらしい。
母は「あんな経験は一度きりでいい」と言った。
七海が「でも景色は最高だったでしょう?」と聞くと嬉しそうに頷いて「良かったよ~」っと、しみじみ言った。
おはよー
今日は仕事がないのでお休み。洗濯物を片付け中だよ。
午後からは珍しくフリーな休日を過ごす長女とカラオケに行く予定。
長女と言えば
先日彼氏と電話で喧嘩をしていた。喧嘩の仕方でお互いの力関係がわかる。
温厚でマイペースの長女だが芯は頑固である。
もう何年も付き合っている彼氏は悪い子じゃない…しかしねぇ~
ある日の次女との会話 …
次女「姉、いつ結婚するんだろうね?」
七海「さあね~今の彼氏じゃダメだよ」
次女「なんで?」
七海「だって、二人ともキリギリスなんだもん。わかる?」
次女「あ~(。-∀-)わかる!」
と、言うようにいまだにフリーターな彼氏。
結婚は生活だからね。
今のままでは二人で冬を乗り切れないでしょ…
(-o-;)
すると、お線香の匂いがして父の匂いはすっかり消えてしまった。
残念。
だったらお線香つけなきゃ良かった。
私はなんだか嬉しい気持ちになって、母に伝えたのに母はけげんな顔をした。
「お父さん、何か言いたい事があるのかしら」と母は言った。
七海「別に無いんじゃん」
母「じゃあ、なんで来るのよ」
七海「来たっていいじゃん」
そうでしょ。
たまに様子を見に来たっていいじゃん。
身体が無いと来たらダメなのかしら。
母と娘でも考え方は違うんだな、と思った。
ちなみに母は昔鼻水がたくさん出た事があって、それ以降匂いが分からなくなった。
だから本当に匂うか聞かなかったんだ。
あー
妹が居たらなぁ…って今さら思ったりした。
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