内田と私
瀬をはやみ
岩にせかるる滝川の
われても末に逢はむとぞ思ふ
内田に捧ぐ
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10月10日。
厳密には、11日へと日付が変わる頃、塩田さんからメールを受けた。
『先日内田のところへ行って来ましたが、元気に仕事している様子でした。』
精神的にも疲弊しているらしい内田のことが気がかりで、私は内田の同期の塩田さんに、内田の様子を見てきてほしいと頼んでいた。
塩田さんにしては、こんな時間にメールをくれるのはめずらしい。
思い出して、急いで連絡をくれたのだろう。
元気なら良かった。
『塩田さん、ありがとうございます。安心しました。』
私はすぐに返信した。
同じ頃、内田は倒れていた。
自宅マンションの駐車場で。
7年前。
春。
決算月残り数日という日、中森課長が店頭に来て私に言った。『来月から担当が内田になるからさ。よろしくたのむね。』
営業担当が変わる。
異動時期だし、変わることだってあるだろう。
でも、貢献してくれている小山くんが担当でなくなるのは残念だった。
小山くんのその後をたずねると、退社するのだという。
中森課長は詳しいことは話したくなさそうな雰囲気で、内田の話しを続ける。
『もともと企画だから、営業は慣れてないけど、まあよろしくね。』
『企画の内田』と聞いて、やっと合点がいく。
小柄で茶髪のチャラそうな男。
私の中ではそんな印象しかない。
しかも企画上がりに営業が務まるのか。
とても歓迎する気になれなかった。
中堅アパレル企業。8か月前、某ブランドのショップ店長として中途採用された。
入社当時、店はオープン3か月目。売上が悪く、会社は店長交替を決め、私に縁が回ってきた。
面接官だった中森課長は、初対面から『1年もたずクローズするかも知れないけど…』と言っていたが、私は店長として仕事ができることに魅力を感じ、採用を受けた。
着任してからは売上を伸ばすため、顧客、商品、ディスプレーに対し細かいマーケティングと分析を試み、スタッフ指導にも厳しく取り組んだ。しかし、残念ながら、数字は思うように伸びてはいなかった。
スタッフは私以外に2名。この8か月の間に何人入れ替わっただろう。
サブの吉野は今月いっぱいで異動する。スタッフの井口はまだ異動してきたばかり。
これから吉野の代わりに新しいスタッフを迎えることにもなり、また1から教育。その上営業も変わるとは、私にとって負担に感じずにはいられないことだった。
ある日、商品のことで本社に電話をすると塩田さんが出た。
塩田さんは他店舗の担当営業だが、店長会議などで顔を合わせる機会が頻繁にあり、電話口での対応もとても気持ちの良い人で、話がしやすく、私は以前から好感を持っている。
商品の件が済んだところで、営業が変わることについて話しを振ってみると、塩田さんの声は低くなり、小山くんの退社は人員整理によるものだと告げた。
リストラ。
あの日、中森さんの口が重かったことに納得がいく。
このことは、このブランド事業部の変革に伴う、動乱の始まりでしかなかった。
会社単位で考えたら、些細なことに過ぎないのかもしれない。でもこれは私にとって、世の中や業界に変化が来したことを認識するきっかけとなった出来事、…あとから考えたら、そう思える出来事だった。
3月もいよいよ終わりという日、小山くんがショップに来た。
リストラと知り、かける言葉がみつからないでいる私を前に、当の本人は意外にけろっとしている。
まだ20代で、社歴が長いわけではないから、それほどこだわりはないのかもしれない。転職先はすでに決まっていると聞いて、私は安心した。
気が付くと、大柄な小山くんの陰にすっぽり入り込み、誰か立っている。
『店長、内田さんです』と小山くんに促され、内田が前に出る。
『よろしく』と言うので、私も『よろしく』とだけ言う。
小柄で茶髪、なぜだか薄くて軽い雰囲気。展示会で紹介された、あの『内田さん』に間違いない。
内田との素っ気ないあいさつのあと、私は用意しておいたプレゼントを小山くんに差し出し『今までありがとう』と言葉にすると、涙が出てしまった。
中途で、初の店長職となった私には、小山くんは心強い味方だった。何度もミーティング重ね、ともに店頭の方向性を模索した。何より、売れ筋のフォローや品揃えの要望に応えてくれたこと、店頭がいちばん求めることを小山くんは叶えてくれた。
営業として店頭に協力してくれた小山くんに、売上で返してあげられなかった自分が悔しくもあった。
してもらっている分、こちらからもしてあげたい、そう思うのは人として自然な感情ではないかと私は思う。
この仕事でいうなら、営業と店頭の関係はまさに需要と供給、このバランスが保たれてこそ成り立ち、円滑にまわり、双方のモチベーションも上がる。
『ライトフェザーホームスパンはよく売れましたよね。集めた甲斐がありましたよ!』と小山くんは笑う。
その商品は、発注数以上に私が頼み込んで、他店から集めてもらったもの。
小山くんは『店長、これからも頑張ってください』と右手を差し出す。私は泣きながらその手を取り、もう一度『ありがとう』と言った。
内田がそばに立っていたはずなのに、私はその存在をすっかり忘れていた。
小山くんが社を去り、新年度4月を迎えた。
サブの吉野も他店へ異動していた。
それなのに後任の話しが届いていない。
スタッフ人事には営業も関与しているが、着任早々の内田に問い合わせても、話しが見えないのではないかと考え、中森課長に電話をすると、とても言いにくそうな口調で、人員の補充はしないと告げられ、私は衝撃を受けた。
ショップを二人で回すなど考えられない。
休日をシフト制で取得するため、最低3人はいないと1人が休みの場合、早番遅番が組めないばかりか、休憩もままならない。
平場と呼ばれるフロアの中ほどに位置する売場は、ひとつのスペースを4つに区切って4社で共有しており、休日や休憩も4社で回しているため、1ブランドにつきスタッフは2名だ。
うちのように壁面にあるショップは、ショップ内ですべて賄うことになっている。
『休憩とかは、まわりに少し見てもらえるように頼んでよ。近いうちに内田を行かせるから』と中森課長は言ったが、まわりに頼むなど、私には容易にできない状況があった。
着任してからの私は、低調に推移している売上をアップさせるという大義名分のもと、スタッフを厳しく管理、指導してきた。
追い込まれたスタッフは、感情のはけ口を外部に求める。
百貨店など所詮は女の世界、『かわいそうな子』を囲む『善良な人』たちにとって、私はすっかりダーティな存在になっていた。
回りの敵意ある視線や空気を、私は身を持って感じていたが、他人の噂話を好み、それに時間を費やすレベルの低い人間の集まり、だから売上も伸びないのだと、私は冷ややかな視線を送り返していた。
スタッフには、いつか私の真意を理解してほしいと願っていたが、私は真の愛情を注ぐことはできていなかったのだろう、早いサイクルでスタッフは入れ替わり、新しいスタッフが入れば回りが放っておかず、私の人柄を予習させていた。
私にとって唾棄すべき存在の近隣スタッフに頭を下げるなど、プライドが許さないばかりか、受け入れる人はいないだろうと予測できた。
それでも、決定事項が覆ることはあり得ない。
店頭のことを考えたら、意地を張って状況を放置するわけにはいかず、これも自分の職務のひとつと覚悟を決めて、向かいのショップに足を運ぶ。
事情を説明し、出勤者が1人になる日の休憩時間は店頭を空にしてしまうため、それとなく様子を見ていてもらえないかと頭を下げたが『うちには関係ないから』と素っ気なく断られた。
わかっていた反応ではあっても、蔑視している人物を相手にプライドを捨て、本来なら下げたくもない頭を下げたことがいかにも悔しく、腹立たしくも思った。
私は自分のショップに戻ると、そのままストックルームに入って泣いた。
そして、更に思った。
だから下等な人間など相手にしたくないと。
自分がそこまで嫌われているとかいうことよりも、頭を下げた自分の行動、それが何よりの屈辱だった。
いかに下等であっても、価値観を共有できれば仲間意識が芽生え、場合によっては力強い味方となる。それが現実だろう。
価値観を共有することは無理でも、社交性と柔軟性があれば、せめて敵を作らずに過ごせるかもしれない。私に欠落していた部分はそこだったのだろうと思う。
日を変えて、今度は斜向かいのショップへ向かった。
店長の長友さんが異動してきてから数ヵ月たっていたが、1度も言葉を交わしたことがない。
『おはよう』とか『おつかれさま』などと声をかけていてくれた気がする。でも私はほかの人たち同様に、内心はこの人も私を嫌っているだろうと思い、あいさつをオウム返しにしていただけだった。
同じように事情を説明し、頭を下げると長友さんは同情を示してくれ、快諾してくれた。
意外に思うと同時に安堵感が広がり、お礼を言った私に『大変なのわかるよ。私、ここへ来てびっくりした』と長友さんは言った。
異動早々に、周囲から私の悪評を聞かされ、一体どうしてそこまで?と気にかけてくれていたらしい。
あいさつをしてくれていたのは、私を敵視していなかったためと見て取れた。
以来、長友さんとは急速に距離が縮まり、その後も長いつきあいとなる。
現状をありのままに報告すると、『じゃあ菓子折りでも持って頼んでみよう。内田を行かせるから』と中森さんは言った。
要は人の感情の問題であるから、菓子折りを持参したからといって、どうなるにかなることではない。
だが、菓子折りを手にして内田が現れた。
それが効を奏するかどうかは別として、上司からの指示通りにしているだけなのは明白だ。担当としての初仕事がこれだった。
私は自己処理できなかったことを内田に詫び、状況を正直に説明した。
内田はまず、菓子折りとともに長友さんにあいさつにを済ますと、隣のショップに移った。遠目で見ていると、先方は冷たい表情で何やら言っている様子。どうやら話しは順調ではないらしい。まあそれはそうだろう、営業が自ら出向き、菓子折りまで頂いて…、そんなことで気持ちが動くはずがない。拒否する理由は私に対する嫌悪、ただその一点のみなのだから。
内田が向き直ってこちらに向かって歩いて来る。手には菓子の袋を提げたまま、そして顔には憤怒が表れていた。
ショップに戻った内田は、私の顔を見るなり『なんだよあの態度!ムカついた!』と怒りを露にした。
詳しく聞くと、先方にこちらの事情を話し、協力をお願いしたのだが、冷たい態度で『うちは関係ないから』と一蹴されたらしい。
菓子折りも受け取ってもらえなかった。
菓子折りを持って頭を下げたくらいのことで、すんなり事が運ぶようなことではない。
それはわかっていたが、くやしさが込み上げて、私はストックルームに入って泣いた。
ショップが空になって困るのは誰か。
どう考えたってお客様だ。
足を踏み入れるお客様がいても、それを横目で見て知らん顔しようというのか。
お願いするのは私のためじゃない、お客様のためだというのに、それすらもわからないほど、あの女は頭が悪い。
内田の第一印象は、誰が見てもサラリーマンらしいとか、真面目そうとか誠実そうには見えない。
どちらかというとチャラ男に見える。
交渉決裂の要因は、そこにもあったかも知れない。
…などと当時はまったく思わなかったが、今にして思えば内田は人軸は不得手だ。何においても不器用。
内田にしてみたら、着任早々嫌な役回りになったことだったと思う。
内田の怒りは、なかなか収まらずにいた。
『怒り』に関しては特に直情型の内田だった。
私は、もう一度自分で頼みに行ってみようと決めた。
内田のせいではない。
根底にあるのは、女の感情と集団意識。
それは私にとっては、どちらもまったくつまらないものでしかない。
他人を判定する時、人は風評に左右されることがある。
そして、人はだいたい悪口に群がる。
その人をどう思うか、それは『自分にとってどうなのか』本来の基準はそこだと私は思うのだが、人から聞いた話で先入観を持ち、その人の像を決めてしまうようなことが多々ある。
それまで私は、身内スタッフから嫌われていたし、それを吹聴されていたことに気付きながらも、気付いていたからこそ、毅然とした態度を崩さずにいた。
加えて、私はビジュアル的に目立つ。
それも反感を持たれた原因のひとつと思う。
すべてわかっていながら、私は頑なに周りと仲良くしようとも、私を理解してもらおうともしていなかった。
修復の余地はどこにもなかった。
子供のケンカ以下かもしれない。
間に入るのが誰であったとしても、穏便にいく話でなかったことは間違いない。
だけどこの件の結末は、『他人にしたことが自分に返ってくる』ということを知るきっかけとなる。
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