愛する人の為に

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2010/06/27 22:36(更新日時)

今までの人生を振りかえって 心の整理をし 今後の自分の人生のために日記をつけたいと思います。。

両親のこと、超未熟児で産まれた自分の子供のこと、自分自身のこと。




No.1340286 (スレ作成日時)

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No.51

私は 旦那の運転で産婦人科に行きました。
そこで 、看護師さんに
『どんな痛みですか?出血はないですか?』を聞かれ

『生理痛みたいで、出血はないです』と答えた。

『とにかく安静して、2、3日後に必ず来て下さい』
と言われました。

なんで…?とばかり考えていました。😓にもらった薬を飲むと、お腹の痛みは落ち着きました。

No.52

読んでます⭐頑張って下さい😃

No.53

>> 52 コメントありがとうございます昉まさか、コメント頂けるなんて瀨

文章も めちゃくちゃで読みにくくて すいません珵

この振り返りをして、自分自身一歩でも 前進できたらな~と思っています

No.54

私は 腹痛が落ち着き、少し安心していました。

そして、朝 起きてトイレに行くと 薄い赤色の出血がありました。

私は 職場に欠勤の連絡をし、その後、産婦人科に行きました。 お腹をさすりながら(大丈夫 大丈夫)と言い聞かせながら診察まで待ちました。

診察に呼ばれ、内診にてエコー。
『赤ちゃんは元気ですよ。』

よかった~と一安心。

その後 診察室で、先生と話しました。先生は胎盤がちょっと下の方だからかもしれない。3日前の熱が原因じゃないとは思うが… とのこと。

そして 先生は
『あと、羊水が少ないです。羊水が少ない理由は、内蔵に異常がある場合とかに少なくなるんですが、様子をみましょう』

2日前は 羊水も充分あるって言ってたのに…
なんで急にイロイロでてくるんやろう…

No.55

私は お腹の張り止めの薬をもらい俿に帰りました。
2週間は 自宅安静とのことでした。

安静に過ごしていた2日後、出血が明らかに増えていました。色も 鮮血でした。

すぐに、産婦人科に電話をしました。安静期だから、∵に乗らず とりあえず安静にした方がいいのか、😓に行った方がいいのか…。 受付の人に、😓に来て下さいと言われ すぐに😓に行きました。

そこで、 先生に言われたことは
『何かある度に😓に来てたら、安静にならないでしょ。』

ハァ?! 私は、電話して来たのに…と思いながらも、子供は元気だったので めんどくさくて何も言いませんでした。

No.56

私は 安静中は何もすることがないので、ずっと携帯で切迫流産のことを調べていました。

みんな 頑張ってるんだなぁ…と励まされていました。今 安静にしてたら みんなみたいに元気な赤ちゃんを産めるんだと思っていました。

一日中 俿にいる為か、気分は暗く 悪い夢ばかりみていました。

なぜか 父親に暴力を振るわれたり、父親からにげたり、母親が父親から殴られている夢をみて 汗びっしょりになって目を覚めることもありました。

No.57

最初に 切迫流産で10日の安静中も、よく悪夢をみていました。

その時みた夢で今でもリアルに覚えているのは、夢の中に小さな赤ちゃんがでてきました。
その小さな赤ちゃんは 全身が真っ黄色で、私が抱っこをすると

『お母さんは僕より仕事を選ぶんだね』と言って たくさん嘔吐をして、 … 。

私は その時の夢が 今でも忘れられません。

自宅安静中 子供の心配と同時に仕事の心配ばかりしており、早くよくならなきゃ といつも考えていました。

そんな私に対しての 警告のようでした。

No.58

また ある日の夢の話。

私は 俿で寝ていました。俿の窓が開いてるのが気になって 閉めたいと思っているのに、体が動きません。すると、その窓から小さな真っ黒な動物が入ってきて、私のお腹を攻撃しようとしました。かろうじて手だけ 動き 手でその真っ黒な動物を掴みました。

夢の中で 旦那に 助けを求めました。旦那が助けてくれた時、目が覚めました。

私が 目を開けると、横に旦那がいてくれて
『大丈夫?すごいうなされてたけど。』
と言われました。

『お腹が痛いのかと思ってお腹をさすったら、急に起きたけんビックリした。』

私の手には あの動物の感触が残っているような感じがして、旦那に
『赤ちゃんが動物に攻撃されそうになって、この手で掴んだんよ』と 左手をみせました。

もちろん 夢なので、何もいません。お腹も痛くはありませんでした。

No.59

私は この頃、切迫の理由が 霊的なものが関係しているのか…などと考えたりと かなりマイナス思考になっていました。

携帯が壊れたり、エアコンが壊れたり… (安静時期が12月)

なんなんだと思っていました。

前回の検診から2週間経ち、産婦人科に行きました。この時は 出血が少なくなっていました。

お腹の赤ちゃんは元気いっぱいでした。 相変わらず羊水は 少ないと言われました。

先生に 12月いっぱいは仕事を休むように言われました。

No.60

私は 職場に電話をしました。
『今月いっぱいは休むようにとのことです。迷惑かけて すいません…。もう退職した方がいいと思います。』

すると師長は、相変わらず
『大丈夫よ。こっちのことは心配しなくていいから ゆっくり休みなさい。在籍だけでも していた方が、お金の面で先々いいから。』

本当に 申し訳なくてたまりませんでした。辞めさせくれ…と思っていました。

No.61

出血は落ち着いたかと思うと、また出血する…といった感じでした。

そして、なぜか出血はひどくなっていきました。

産婦人科では 変わらず薬だけもらっていました。

私は なかなか出血が落ち着かないため、産婦人科で働いている知り合いに相談しました。知り合いは、心配かけないように 『出血は続く人は続くよ。😓変えてもいいけど、あんまり変わらないかも』とのことでした。


12月末になっても、出血は治まりませんでした。

気分は 本当に最悪でした。。

No.62

そして 年越しも寝たきり生活でした。

結婚した 最初の大晦日。仕事中の旦那が
『今日、麻雀してきていい?』というを送ってきました。

私は ぶち切れました。確かに旦那も私が 寝たきりの為、俿の洗濯をし 弁当を毎日買ってきたり、ご飯を作ってくれたり…と大変なのは分かっていました。普段の飲み会や遊びに行くのは何も言わないけど、年越しまで! ありえない昤と思い

『いいよ。私 年越し 一人は嫌やから、タクシーで実家に行ってくる』と返信しました。

旦那は 帰ってきて
『お腹の子のこと考えてるのか!』と怒ったので

私も
『結婚1年目の大晦日ひとりで過ごす気持ちは考えてないやろ!』
と言いあい…焏 はぁ…お腹の子に聞かれてるのに…と、また落ち込みました。

その日 旦那は俿で過ごし、仲直りしました。

No.63

そして年を越しての 初めての検診。(妊娠中の方がいらっしゃったら読まないで下さい昉)

出血は かなり多くなっており、生理2日目のような日が2週間ほど続いていました。

先生に
『22Wを過ぎないと、大きな😓は受け入れてくれないんですよ。今は、切迫流産の時期だからね。22W以降は早産だから。』

『胎動を感じなくなったら、すぐに連絡してね。』

『さっきの家族の怒鳴り声聞こえてた?〇〇さん(私)と同じ週数で赤ちゃん死んじゃってね。』

エコーでみる赤ちゃんは 元気いっぱいだったので、私は (絶対大丈夫!)と感じていました。

そして、先生の話しから22W過ぎたら 入院だなと思い、実家に電話をしました。

No.64

安静生活は 1ヶ月半程経っていましたが、母親と電話で話しはしていましたが、会うことはありませんでした。

俿電にかけても つながらない為、弟の携帯に電話しました。すると、
『お母さん入院するかも。仕事中に骨折したらしい』とがきました。

弟は、 若干 動揺していたようでした。生活のこと お金のことなど 現実的なことを考えていたようでした。

私は 動けないため、長男にすべて任せました。

No.65

私は 長男に
『動けんけど、何かあったら連絡して』 と伝えました。

この長男も、今までイロイロと問題を起こしたり 失踪したりしていましたが、今では 人の気持ちが分かる優しい奴だな~と思います。

そして末っ子の弟は、相変わらずの甘ちゃんです。私立高校を卒業後、就職がないからと またまた私立大学に奨学金で行っております。 大学に行くと 言った時に、私は俿への仕送りをやめました。(ちなみに生活保護はかなり前に止めてます。)
何か 目標があるなら応援しますが、我が家は仕事がないから大学に行くような環境なのか昉と思いました。

母親の清掃業のパートは 月13万程…
母親も、大学でしたいことが見つかるかもしれないと…言うし。

私は もういいや昉 お金を入れてるから、腹が立つ。自分の結婚資金を貯めようと その時から仕送りを止めました。

No.66

私は 自分だけ、家族の生活のことを考えてるような気がして、正直バカらしくなりました。

弟も大学に行くならバイト頑張るんだろうと思いました。高校時代はバイトをせず 過ごしていました。私も 高校は私立でも行かなければと思っていたので、バイトのこともたいして何も思いませんでした。誕生日には 洋服を買いに行ったり、お金だけあげたりするのが普通でした。しかし、大学に行ってバイトに行っても、全て洋服代へ。携帯代や定期代は母からもらう生活。

そして長男は 仕事が続かなかったりで、よく私にお金を借りてきていました。(絶対返してもらってたけど。)

そして母親は 私が自分のお金でレーシックを受けに行った時、祖母に目の手術をすると大袈裟に説明。心配した祖母は 母にお金を渡していたことを 叔母から聞きました。
わざわざ目のこと 言わなくていいし、お金もらったらお礼言わないかんから…と母に言うと 言い訳ばかり。

きっと、こういうことは初めてじゃないなと思いました。

No.67

そして ある日のこと、母が祖母にベッドを買いたいと言うので そうだな~と思い、一緒に探しに行く。その時 祖母に電話をしている母が
『お金は〇〇(私)が出すから大丈夫』と話しており、なんだかな~と思っていました。

母は 祖母から、援助を受け 私は 母に援助をする…。

なんなんだろう…と思いました。確かに 母子家庭で大変な思いをして育ててくれたけど、なんか 当たり前になってない?と 思いました。

祖母も 祖父は母が中学の時に脳卒中で他界し、女手ひとつで3人の子供を育ててきました。

No.68

話は 1月に戻ります。

私は 入院できる22Wまで、あと2週間ほどありました。

そんなある日、義母から電話がありました。
『お母さん入院したって?大変やろ~。れいちゃん(私)がいいなら、私がご飯作りにこようか。』と言ってくれました。

私は すいませんと言い、来て頂きました。旦那の疲労もピークにきているな…と感じていました。

私は 義母とは、仲は普通で時々 会う程度でした。

No.69

義母さんは すぐに来てくれました。
食事だけでなく、掃除や洗濯まで昉 私は 申し訳なくて、『掃除や洗濯はいいです昉』と言いましたが、
『掃除好きなんよ!気にせんで寝とって!』

しかし 性格上、気になってしょうがありませんでした。旦那は 掃除は全くしないので、部屋はかなり汚れていましたが、安静生活の私は 部屋は汚れても生活はできるからと思っていました。

そして、掃除はエスカレートして、配置まで変えてしまいました昉 配置が悪いことや、掃除の仕方を旦那に説明していましたが、遠回しに自分に言われてるようで 胃が痛くなっていました。

No.70

話は 前後しますが、結婚前に子育ての話をしていた時のこと。

旦那が
『結婚したら同居して、子供は母ちゃんに診てもらって2人で働いた方がいいと思う。』
と言っていました。

私も 深くは考えず、
『確かに、2人働いた方がお金の面ではいいし、子供も風邪ひいたりするけん、ばあちゃんがおってくれたらいいね。』と話していました。

旦那の家庭も母子家庭でした。

No.71

しかし、具体的な結婚の話がでてからは、同居の話はしていませんでした。

そして 具体的に入籍の日などを決めていた頃、義母と旦那で同居の話をしていることがわかりました。

私は、え?!って感じでした昉 なんで、もう決定しているような話に…

しかも、子供が1歳頃と 具体的な時期まで昉 いやいや…なんじゃそりゃ…と思いました。
私は 同居が嫌というわけではありませんでしたが、その状況に焦り、職場の人に話しました。

No.72

職場の人達は、みんな
『絶対やめた方がいい。』と口を揃えて言いました。

最初は みんな 大丈夫かな~と思って、同居するけど 旦那が頑張ってくれないと厳しいと言われました。

私も その話を聞き、同居を甘く考えたらいかんな…慎重に行動しようと思いました。

私は さっそく旦那に(当時は彼)同居の話をしました。

『同居は大変らしいよ。ちょっと離れてる方がいいかも。』と言いました。

No.73

旦那は
『嫌ならせんでいいけど、生活は大変になるよ。親が一緒なら、何万か渡してご飯も作ってもらえるし、二人とも働けるやん。別々に暮らして、子供みてもらって、向こうの家賃まで払いよったら大変やん。』

私は
『でも、みんなそうやって生活しようしね~。大丈夫やない?』 と話しました。


そして、数日後…
その話を、お義母さんにすぐに話したらしく、旦那に
『母ちゃんも同居するつもりはなかったみたいよ。一緒に生活したら大変やろ。って言いよったし。』


はぁ~?!…なんで すぐに言うんよ昉
しかも、お義母さん 絶対 一緒に暮らすつもりやったし…

No.74

その日は また旦那と、話し合いしました。

旦那は、私が何に対して 怒っているのかは分からないみたいでした。

・ まずは、何事も2人で話し合うこと
・義母に対して、私の気持ちを言わないでほしいこと。
義理の家族だからこそ、誤解を生じたら 大変だと思うこと。
(人を通して、考えを伝えると違うように取られることがある)
・自分の気持ちは 自分で伝えること

を言いました。

旦那は 面倒くさいな~って顔をしてましたが、(私も面倒だと思ったけど…)いちいち 言うようにしようと思いました。

その後、同居の話はありませんでした。

No.75

そして、再び…安静生活の1月に戻ります。

お義母さんは、たくさん食事を作ってくれて、掃除、洗濯をしてくれました。

そして、旦那は
『さすが掃除好きってだけあるね~プロがしたみたいに綺麗になってる。ご飯もあっという間にできたね~!』

その一言に うわぁ昉と思ってしまいました。やっぱり、男はみんなマザコンやな…と思いました。

私は 安静の身…。なんも言えん…。ただただ あいずちだけうっていました。

No.76

そして、2回目の訪問は 突然でした。
旦那も休みで、昼近くまで寝ていると

【ピンポ~ン】

誰だ~? またセールス?

【ピンポ~ン ピンポ~ン】

…まさか昉旦那を起こし、
『お義母さんやない昉!?』

そして、玄関先には お義母さんと義妹が立っていました。

私は 挨拶だけして、寝室で横になっていました。(その時の 私は トイレと3日おきのお風呂以外は横になって過ごしていました。)

No.77

私は、自分も了承して来てもらっているのに、すごく複雑な気持ちでした。

2回目の訪問の時は、掃除道具や上着や室内用の靴を持ってきていました。

その日も、前と同じような感じでした。私は 胃が痛くなりながらも、(しょうがないんよ焏)と、言い聞かせていました。

そして旦那は、なんとなく 息子に戻ってるな…と感じました。 親が来るから、俿のことはしなくてもいい。という感じになりました。

3回目 お義母さんが私 ひとりの時に 来てくれました。特に会話もなく、料理を作ってくれてすぐに帰りました。

その日、帰ってきた旦那は
『この鍋洗ってないやん昉』と 言いました。

私は はぁ~?!って感じでした。せっかく来てくれて、私としては ご飯作ってくれるだけで本当にありがたいのに…もう いいやろ…と思いました。

No.78

私は 明らかに不機嫌でした。旦那としては、全く意味分からないと思います…。

そして旦那は 必ず
『次は、母ちゃんいつ来るって?』
と聞いてくるので、

『知らん。都合がいい日に来るんやない?』
と面倒くさそうに返事していました。

もちろん 旦那はキレて
『れいの為に、来てくれようのに!なんでそんな言い方するん?』

私としては 旦那の為に来ているように感じていました昉(なんて嫌な嫁でしょう)

No.79

そして私は 旦那に

『なんで機嫌が悪いん?』と 聞かれました。

私は正直に自分の気持ちを伝えました。

・お義母さんが来てくれるのは すごく助かるけれど、気を使ってしまうこと

・マザコン気味の旦那を見るのが嫌なことを話しました


私は、安静の身なので 何言ってんだって感じですが、正直な気持ちを旦那に聞いてもらうだけで ちょっとすっきりしました。

旦那は?な顔をしていました。

No.80

そして旦那と マザコンの話しをした次の日に、入院中の母親から電話がかかってきました。

母親に 今 義母に来てもらっていることを話しました。でも気を使ってしまうし、申し訳ないんよねと話しました。

すると 母親は
『今はしょうがないよ。お母さんも入院してなかったら絶対行く。』

ん?1ヶ月半 来てもないのに(来てくれと頼んでないけど…)よく そんなことを…と ちょっと思いつつ 心配してくれてるんだな~と思いました。

母は 骨盤骨折で寝たきり生活で、やっと車椅子に移れるようになったとのことだった。

No.81

義母が 来てくれて、私がお腹が張らず調子がいい時は リビングで少し話しをしていた。

主に お金の話しが多くて、
・年金が思ったより少なくて、生活が厳しいこと。(今年で60歳)

・仕事のストレスで持病が悪化してしまうので、仕事はやめたこと

・生活が厳しいので、家賃が安いところに引っ越さなければならないこと

などの話しをした。
私は ただ話を聞いていた。

そして時々、旦那に
『お義母さんに仕送りしたがいいんやない?』
と言っていました。

旦那は
『兄ちゃんと姉ちゃんが金入れよるけん、大丈夫。』
と言っていました。

No.82

私は お義母さんが そのような話をする度に、同居を遠回しに言われているような気がしていました。

しかし、義妹はまだ高校2年生。大学に行くとも言っており、同居はありえない…と思っていました。

義母が 手伝いに来てくれて、短時間でも生活して こんなにストレスなのに、同居は絶対無理だ…と確信しました。

今まで 何も思っていなかったのに、4日間で嫌なところが目についてしまったり、生活の価値観の違いを思い知ったのです…。
(私は同居を本当に甘く考えていました濵)

No.83

私のお腹の状況はというと、ゆっくりと悪くなっていました。

お腹が張るのは 夜は毎日。規則的に張ることもあり 😓に電話をして、薬の回数を増やしていました。

そして22Wを過ぎて、早産の時期になった時は嬉しかったのを覚えています。そして22Wと3日になった深夜3時頃から 腹痛とお腹の張りが強くなりました。ちょうど 薬を飲む時間だったので、薬を飲んで寝ようと思いました。

浅く眠ったような気もします。朝7時。薬を飲む時間ですが、3時の時よりひどくなってるような気がしました。そして、トイレに行くと大量の出血…。何か血液の膜のようなものが、かたまりで出ていました。

私は すぐに😓に電話しました。
『折り返し電話しますのでお待ち下さい。』

そして電話がかかってきたのは 朝の9時。
『先生が診察するので、入院の準備をして来て下さい。』

その日は 日曜日でした。
爆睡している旦那を起こし、∵で😓へ行きました。

No.84

😓に着いて 内診。赤ちゃんは 元気でした。そして NSTをつけると、4分おきに張っていました…。

先生が
『今から転院先を探します。』

30分ほど経ち、転院先が決まったとのこと。
しかし、∵で2時間近くかかるところ。不安でした。

救急車が到着しました。
救急隊の人は
『どなたか同乗してください。先生か看護師さん。』

先生は
『今日は、日曜日でスタッフがいないんで昉。今から、また患者さんが来るんですよ。』

私は お腹が痛い…。ついて来なくていいから早くしてくれ…と思っていました。

No.85

救急隊の人は あきれた様子で
『近くの😓ならいいですけど、こんなに遠かったら…昉何かあっても責任はとれません。』

確かに…。救急隊の人が言ってることは ごもっともである。

しかし、先生は 同じことを何回も言っている…。

一人の救急隊の人が、
『責任とれないことを承諾して頂けるなら、すぐに行きますから!』
と、イライラした様子で先生に話した。

私は 横で、うんうんと頷いて救急車は出発しました。

救急車は かなり乗りこごちが悪く、時々気分が悪くなったが 救急隊の人がかなり 優しくて 少し安心することができました。

旦那は ∵で、転院先の😓へ。

No.86

ここで退職時の話をしたいと思います。

私は、検診の度に😓へ 状況を伝えていました。

そして、その都度 退職の話をしていました。そして 1月になったばかりの時…

勤め先へ電話をしました。
そこで、いつものような会話をしてから、師長に言われたことは
『産後は、親に預けて働けるわよ。今まで、休んでたけど、産んでしまえば大丈夫よ。』

何…? いやいや昉 子供がいる状態で、通勤に往復2時間もかけれないし…
最初から、産後は戻るつもりないから 辞めたいって話しましたよね~瀇

ヤバイ昉 今の状況でも ストレスなのに、日が経つごとに環境は悪くなる(辞めにくい環境にされてる)昉

と感じ、
『今度、旦那が挨拶にいきます。』 と言いました。

すると
『大丈夫!旦那さんも説得するから!』

…瀇

No.87

私は 旦那にすぐに行ってもらうことにしました。

師長の都合のよい時間を確認し、お菓子と手紙持参で!

なんと、あっさりと辞めることができました。

ハァ…。まあ 一安心。


と思った2日後に 救急車に乗っていました。

No.88

私は 救急車で、1時間半ぐらい揺られ、M病院につきました。

処置台に 移動され、エコーや内診。 その後、張り止めの点滴が2種類開始。

先生は
『この点滴で落ち着いたらいいね。今が22Wだから、28Wまでもたせたい。でも張りが落ち着かなかったら、今日にでも帝王切開で赤ちゃん出してあげないとね。』

私は 頷くしかできませんでしたが、無事 NICUがある😓に来れた…と安心する気持ちが強かったです。

No.89

私は 2ヶ月近くの自宅安静で、不安やストレスがいっぱいいっぱいになっていました。

22Wを過ぎ、😓に入院できたことが 私は本当に嬉しく、 もう大丈夫…と、本当に思っていました。

私は 2種類の点滴を始めて すぐにお腹の張りは、落ち着きました。

出血は 続いていました。


私は、トイレ(尿は管が入っていました。)以外はベッド上で生活。ベッドも30度までしか あげれませんでした。

そして、夜中 私はトイレに車椅子で連れて行ってもらいました。

No.90

私は 車椅子からトイレに座った瞬間、急に嘔吐しました。
え?! 全く 吐き気がなかったのに… なんで?

私は ナースコールを押し、看護師さんに謝罪をし 部屋に戻りました。

看護師さんは
『この点滴かな~。結構、吐いちゃう人もいるんですよね。』

そうなんか…昉 びっくりした昉

その日は、点滴でお腹の痛みがない上に、4時間おきのお薬もなかったので 比較的よく眠れました。

No.91

次の日は、昼から旦那が来てくれていました。入院当日は、近くのスーパーで必要最低限の物を買ってきてもらい、次の日も 荷物を持ってきてくれていた。

高速を使って 片道1時間半…。 なかなか大変そうでした。

昼食は、吐き気であまり食べれなかったが 旦那がパンを買ってきてくれており、吐き気が落ち着いていた為パンを食べていると、看護師さんがきました。
『止血剤打ちますね~。』

『は~い。』
と呑気に返事をし、パンを食べていると 急な吐き気…
そして嘔吐しました。。

パンがダメやったかな~と思いつつ、気分は悪い…。

旦那は 優しく声をかけてくれ、俿へ帰りました。

No.92

そして この嘔吐が私の一番の苦痛となるのです。



旦那が帰って しばらくすると、
(また出血がいっぱい出た…)と思い、ナースコール。

結構 出血していたため、破水したかもしれない…という緊張がスタッフから伝わってきました。
先生に診察してもらうと、
『どんどん流れでる感じじゃないから大丈夫。点滴だけ量を増やしときます。』

そして点滴の量が増えました。

このような場面が、3回ほど 2日間でありました。


そして、入院3日目で点滴は3種類になり、すべて使える限界量になっていました。

No.93

私は 1週間は、廃人のようでした。

食事は、入院した日の夜以外 まともに食べれず、食べても吐く。水を飲んでも吐く。
仰向けで寝ると お腹が張る。体を動かすと張る。

トイレもベッド上、体拭きしてもらっても 気分悪くなり吐く。

吐いたら、お腹に力が入り出血する→お腹がはる→NSTする→動けない、仰向けできつい
→吐く

そして 点滴の副作用で口が渇く。水を一口でも飲むと吐くため、うがいをする→看護師さんに片付けを依頼する
口が渇くというのも、普段の口渇とは違う、顔の水分が全部 蒸発してしまったような…。うがいをしても その時だけ。

No.94

薬の量は、限界まで使っていたためモニター管理。

薬の副作用で、とにかく体がだるく目が重く、開かない。

何をするにも ナースコールを押して依頼しなければならない…。

動けないため、肩や背中は赤くなり 軽い褥創になっていましい。


旦那は 医師に
『吐き気だけでもどうにかしてくれ』
と言ってくれ、吐き気止めの注射もしていましたが、すぐに効かなくなっていました。

このような状態の為、全く眠れず…
睡眠はとれず、食事は食べれないのに胃液を吐く毎日。体は動かせない…。
私は 自分でみるみる痩せていくのがわかりました。

体力も低下している為、嘔吐という行為の度に 命を削られているような気持ちでした。

No.95

私は 赤ちゃんに栄養が不足するのが嫌で、毎食 何かを食べようとしていましたが、なかなか嘔吐は落ち着いてくれませんでした。

入院して1週間は、全く眠れませんでしたが、状態が悪かったため点滴の量を先生が減らしてくれました。 副作用はかなり軽減し、夜も眠れるようになりました。

点滴の量が軽減した後、嘔吐は 1日2、3回までに減り、嘔吐しない日もありました。

No.96

そして、22Wと3日で入院した 私は25Wに入っていました。

相変わらずベッド上の生活ですが、比較的安定しており 出血もかなり少なくなっていました。

私は、友達や旦那に
『調子がいいから、28Wまで大丈夫そう昀』としていました。

最初は、どうなることかと思ってたけど、落ち着いてる!お風呂に入れなくても、一日何回か吐いても、動けなくても 赤ちゃんが元気なら頑張れる!!と精神的にも安定していました。

そして、入院して一番と言ってよいほど調子がよかった日の夜中。

なんかトイレに行きたいような…。お腹が張るような。

まあ、いつものことか~。

No.97

私は ずっと調子がよかった為、トイレかな~と思いつつ 看護師さんに
『なんか時々お腹がはるんですよ。でもトイレにも行きたいような…』

その時は、NSTはせずに様子をみました。

そして、朝食後、用を足し お腹の張りも落ち着きました。

看護師さんと よかった~と話し、日勤の看護師さんにも 夜中はお腹が張ってたけど、だいぶ落ち着きました~と話していました。

その日は 吐き気が強く、吐き気止めを飲みました。 吐き気が落ち着き、私は眠ってしまいました。

No.98

担当の看護師さんの声で目が覚めました。

『お腹が痛いです…夢の中で看護師さんに言わないとって思ってて…』

私は、夢と現実が分からない感じで、看護師さんに言いました。時計を見ると、2時間ぐらい寝てたな~と思った。

看護師さんに

『NSTしようか!結構痛い?』 と聞かれ、

『まあ、寝てしまうぐらいの痛みなんで大丈夫です昉でも、お腹は結構張ってます昉』

私は いつものことだから、薬を増やしたら落ち着くだろうと思っていました。

最近 調子よかったのになぁ…焏と、残念ではありましたが。

No.99

看護師さんが NSTをつけ、『結構張ってるね~』て言い、出て行きました。

その後、すぐに戻ってきて
『点滴の量増やしますね~』と 張り止めの量が増え、
『点滴追加しますね~』と、薬が増え モニターをつけられ、 一番点滴が多いときに戻りましたが…

お腹の張りは落ち着きませんでした…。

そして、強い張りがくると
赤ちゃんの心拍は低下していました。

No.100

その日は日曜日で、救急車で入院してきたあの日から、3週間経っていました。

日曜日の午後だったので、先生はおらず

『今、先生こっちに向かってるから。すぐに診察してもらいますね』

との言葉に

(先生がきたら 大丈夫!なんとかしてくれる)と思っていましした。


そして、夕方5時。看護師さんに
『ご主人、すぐに来れる?』と聞かれ、私は?でした。

まだ、先生の診察あってないのに…なんで?

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