私のパ日記📖パニック障害18年との付き合い♊

レス22 HIT数 2330 あ+ あ-


2009/11/16 02:55(更新日時)

父が亡くなった日から、18年。

私が その当時は
自律神経失調症と
言われていた
パニック障害が始まりました。

このパニック障害と正式な病名を言われるまで、15年もかかりました。

No.1162872 (スレ作成日時)

新しいレスの受付は終了しました

投稿順
新着順
主のみ
付箋

No.1

初めての発作は、
父の お通夜の最中に起こりました。

亡くなった父の顔を見ていると
息をしてない‥
先週の今日は一緒に夕飯食べてた時間‥なんで?なんで?

急に息が吸えなくなり、同時に動悸と
体の震えが…

母に病院に連れて行って!
私は必死に訴えました。

No.2

タクシーで病院に行き、直ぐに注射をされると
病院に居る安心感で、不思議な程
発作は直ぐに治まりました。

先生からは
「精神的なショックからだよ。」
と言われました。

No.3

病院から、父が待つ家に帰ると
私は父の側に行けなくなりました。

その日の晩は、
姉や親戚が起きていてくれました。

私は自分の部屋に戻りベッドに横になり、また なんで?
先週の今頃は父は間違いなく元気で、
私の部屋に来て話もしたのに…
なんで?なんで?
そう思うと、また震えが始まりました。

No.4

いつの間にか、朝になり…
父の葬儀が始まりました。

私は この時、
高3でした。
そして上に二人、姉が居たのですが
姉は二人共、妊娠中でした。

母は妊娠中の姉二人を気遣い、
泣きすぎると
お腹に良くないからと言ってました。

No.5

葬儀が始まり、
父の同級生や
近所の方、父を知る沢山の方が来て下さいました。

父は まだ48歳でした。

そして、改めて
父の人柄を知る事が出来た葬儀。

参列者は300人を超えていました。

No.6

父の一番の友達、
よく家に来てくれてた方が、
男泣きでの弔辞を
して頂きました。

この方は父の死から18年、毎年 必ず
一番に墓参りに来て下さいます。

No.7

葬儀が終わり、
家には身内だけと
なりました。

母は疲れが一気に来たようで、
仏壇の前で、
爆睡してました。

夕方、3こ歳上の
下の姉が
泣きすぎたせいか、陣痛が始まってしまいました。

そして、父の葬儀が終わった夜、
姉の子は予定日より、1ヶ月も早く産まれました。

No.8

父の生まれ変わりのように産まれた姉の子は元気な女の子でした。

そして、父は
とても楽しみにしていた孫を、
一人も逢えぬまま
天国に行ったのです。

No.9

父の死を悲しむ間もなく、
姉の子の出産、
母は今も 慌ただしかったせいか、
その時の記憶がないと言います。

そして、父の初七日は あっという間に来ました。

同時に出産した姉も退院。

我が家はバタバタでした。

これが、ちょうど
18年前の今時期の話です。

No.10

そして、この初七日が過ぎてから
私のパニックは
毎日毎日
出て来るようになったのです。

初七日の晩、
お風呂に入った時に発作が出たのです。
お風呂には、
毎日 父が風呂で
聴いていたラジオが置いてありました。
そのラジオを見ながら、父は どんな思いで毎日お風呂に入っていたのかな?

そう考えていると、あの恐怖の動悸が
始まりました。

No.11

慌てて風呂から上がりましたが、
母に病院に連れて行ってとは言えない空気でした。

とにかく、その場を逃げたくて自室に戻りました。

私は死ぬのかな?
そんな不安と恐怖で体の震えは止まりませんでした。

No.12

その日を境に、
家で お風呂に入ると発作が起きる…

私は お風呂に
入れなくなりました。

そして、とにかく
家に居たくない…
ここから逃げ出したい…
そんな思いが
日に日に強くなりました。

No.13

父の死から
二週間経ち、
そろそろ学校に
行かないといけないなぁと思い、
母に「来週から、また学校に行くよ😊」と言うと、
母は「初孫が居るからバタバタしてて弁当作れないけど💦」
と今まで通りの、
明るい母の返事。

私は学校に行くと決めて、気分を新たに頑張ろう💪
そう思っていました。

No.14

久しぶりの登校。
通学に使っている駅に着くと、
仲良しのメンバーが
私を迎えてくれた。
みんな、
父の話には触れず
大騒ぎの電車通学が、また始まりました。

これで良かったんだ😊
父は見てくれてる。卒業まで頑張るよ💪毎朝、仏壇に話をして出かけていました。

No.15

それからは、
友達の支えなどで
発作の恐怖感は
少しずつ和らいでました。

私も発作が起きてたのは、考え過ぎだからなるのだと、
何とか気を紛らしていました。

No.16

父が亡くなって、
1ヶ月経ち…
出産をした下の姉は自宅に帰り、
母と私の二人だけの生活が始まりました。

No.17

父の毎日の日課、
夕方 仕事から
帰っての犬の散歩。
犬は父を待っていて、父が家に帰る時間にはキュンキュンと鳴いていました。

母は「お父ちゃんは、もう居ないから私が散歩に連れて行って来ようね」と
出かけましたが…

すぐに戻って来ました。

No.18

私は「どうしたの?散歩は?」

母は…
「見てこれ」散歩用の紐の握る部分、
父の指の形が残ってました。
「たけちゃん、お父ちゃんは本当に居なくなったね」

散歩に行けると、喜んでる犬の横で
母と二人、
涙が止まりませんでした。

No.19

その日の夕飯から、二人きりの食事が
始まりました。

母も私も、食事が
出来ない状態でした。

食事は出来ず、
自室に戻っていると母が来ました。
「たけちゃん、お母ちゃんは一人で寝れないよ。一緒に寝てくれる?」
私は「いいよ😊」と言い、私のベッドの下に母は布団を敷き始めました。

No.20

そして、母は
なかなか寝れないようで本を読んでました。

私は彼から☎があり、話をしていました。
☎を始めて、
10分後…
あの恐怖感が襲って来たのです。
彼の話は全く聞けず、私は汗が出てきました。
12月というのに、
汗だくになり
体は震え、動悸、
逃げ出し感が
一気に来ました。

No.21

どんな話をしたかも、どうやって☎を切ったかも わからないまま、私の体は
心臓がバクバク!
このままだと死んでしまう…
私が こんな発作に
襲われいる下で、
母は寝ていました。
母を起こせない…
誰にも助けを
求められない…

とにかく、気を紛らすように友達に☎をかけまくりました。

No.22

友達との☎を切り、少し落ち着きつつも涙が止まらない。

私は母に心配させてはいけない、
母も同じように
寂しさを堪えてる…私が頑張って、
母を守るくらいにならなきゃ…

自分に喝を入れ、
「病は気から!」
そう思うように
頑張りました。

投稿順
新着順
主のみ
付箋

新しいレスの受付は終了しました

日記掲示板のスレ一覧

携帯日記を書いてみんなに公開しよう📓 ブログよりも簡単に今すぐ匿名の日記がかけます。

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少
新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧