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No.53 13/04/26 19:18
匿名0
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🕙 4月26日(金)☁🌀

【ゲルニカ (絵画)】

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

◆基本情報

『ゲルニカ』
作者 パブロ・ピカソ
制作年 1937年
素材 油彩、カンヴァス
寸法 349 cm × 776 cm (137 in × 306 in)
所蔵 ソフィア王妃芸術センター(マドリード)

『ゲルニカ』(Guernika)は、スペインの画家パブロ・ピカソがスペイン内戦中に空爆を受けた町ゲルニカを主題に描いた絵画、およびそれと同じ絵柄で作られたタピストリー作品である。


◆背景

  スペイン内戦の最中の1937年4月26日、スペイン北部・バスク州の小都市ゲルニカがフランコ将軍を支援するナチスによって空爆を受けた。 史上初めての都市無差別空爆と言われることがある[1]。

 滞在中のパリでこの報を聞いたピカソは、かねて人民戦線政府より依頼されていた同年のパリ万国博覧会スペイン館の壁画として急遽ゲルニカを題にこの作品に取り組み、6月4日には完成させる。

 スペイン内戦はフランコ将軍の勝利により終結。 この絵はロンドンなどを巡回したのちにヨーロッパの戦火を避け、1939年、米国に渡りニューヨーク近代美術館に預けられる。

 第二次世界大戦後もフランコ将軍の政権下にあったスペイン政府はこの絵の返還を求めるが、「スペインに自由が戻るまでこの絵を戻すことはない」とピカソは拒否した。  ピカソは1973年にこの世を去る。

 フランコ将軍も1975年に没し、政体の代わったスペインとニューヨーク近代美術館との間にこの絵の返還交渉が再び始まった。 1981年になってようやくスペインに返還され、現在はマドリードのソフィア王妃芸術センターに展示されている。

 ピカソは大戦後これと同じ図柄のタペストリーを3つ制作しており、そのひとつはニューヨークにある国際連合本部の国際連合安全保障理事会議場前に展示されている。

 『ゲルニカ』は、その誕生からその遍路の間も反戦のシンボルであり続けてきた[2][3][4][5]。  ただ、ピカソが後に共産党員になったことや人民戦線との繋がりから、ピカソの義憤の象徴と解釈するのには異論もある。


◆裏話

 『ゲルニカ』制作の裏には2人の女、ドラ・マールとフランソワーズ・ジローの争いがあったと言われている。


[次項へ続く]

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