まさか今日死んでしまうなんて
一昨日、愛する猫、ポンタが亡くなりました。
まさか…今日死んでしまうなんて思わなかった…
今朝も出してあげた缶詰めが気に入らなくてレトルトが出るまで餌皿の前に座り込みしてたのに。
季節的に埋葬を早くする必要があり、、しかし子供が火葬は嫌がり、悩んで育児板にスレを立てました。
皆さんにお世話になり、無事埋葬は終わりました。
まだまだ心が整理出来ません。
整理をつけるためにも、12年のポンタとの生活を綴って行こうと思います。
新しいレスの受付は終了しました
うちにも11歳、10歳がいます。
😺ちゃん残念でしたね😢
私も居なくなったら、どうしようか?と思っています。(気持ち的に)
2匹共に年が近いので続けてだと…私もですが…私の現在 小学生の子供が落ち込んでしまいそうで…😥
子供が産まれた時から😺のいる生活なので、子供自身 想像もつかないと思います。😔
ご愁傷様でした🙏
- << 8 やっと、レスにレスする気持ちになりました。 レス、ありがとうございます。 11歳10歳と上手に飼われているのですね。 私はちゃんと飼えませんでした… 多分、二人の子供の出産、二歳違い育児など、手一杯でポンタの後半人生は大事にお世話出来てなかったと思います。 悔やまれてなりません…。 お子さん達、心配になりますよね。 うちは号泣でした。それが更に私を辛くしました。 子供を悲しませているのがたまりませんでした。 明日、ポンタをつれて帰らずに家に帰るときに、また子供たち泣くのではないかと辛いです。 ゲームやアニメの影響でしょうか? 「いつポンタは生き返るの?」と聞かれるのも悲しいです。 ありがとうございました。
自分も1年ちょっと前に、当時の彼女と一緒に居た🐱がお星様になりました…
彼女と別れてからは、彼女と一緒に暮らしてたので、突然の連絡の時、こころが詰まりました…
どこか、自分の子供のように思っていたので、辛かったです…
🐱も他の家族も、自分等よりも先にお星様になってしまいますが、ずっと忘れる事はないです😢
主さんも、気をしっかり持ってくださいね✨
でないと、🐱が悲しむので…
長文、m(_ _)mです…
- << 13 レスありがとうございます。 彼女の猫ちゃん悲しかったですね。 うちの主人もポンタとセットの私と結婚したので、ポンタがいないことが不自然だそうです。 辛いです。いつも居たベランダの端や、お風呂場のドアの裏側など、ついつい覗いて泣けてきます。
やっと、埋葬が終わり、今夜最後のお線香をあげた…。
ポンタ、お休み。
毎晩、頭を撫でて言っていた。
それから寝ていた。
これからは、心の中で言うだろう。
デジタルフォトフレームを買って、ポンタの写真をポンタがいつもいた所に置いておきたい。
火葬にして、家の中に大事に仕舞おうとも悩んだけれど…諦めた。
主人が、骨を抱いてポンタポンタなんて辛くて言えないと言うから。
確かにふわふわのシルクの手触りだったおでこがポンタって実感できる。
ポンタはヒマラヤンのシールポイント。
いわゆるペルシャとシャムの掛け合わせの種類。
長毛種でありながら、可愛いブラウンとクリーム二色の猫だった。
今も目を瞑るとポンタが浮かぶ。
いつも、目の端にポンタが映り、家ではそばにいるのが普通だったから、今どこにもいないのが本当に信じられない。
ポンタに、はじめて出会ったのは、六本木のペットショップだった。
当時付き合っていた彼が、癌になった。信じられなかった。
とうとう、手術をすることになった。
彼は自信が無かったのかもしれない。
俺の代わりになるようにと、ペットを買いにショップに行った。
ショップに行ってみると、希望の長毛種は店頭にいなかった。
小さな頃から、いつも猫が家にいた私にとって、猫は自然だった。
そして、短毛種ばかりだったから、長毛種は憧れだった…。
お店の人に聞いてみると、風邪を引いていて少し大きい5ヶ月になっている子猫なら奥にいると言われた。
奥から連れて来られたポンタは、プルプル震えて、鼻水を垂らし、可愛いくしゃみをしていた。
彼は、ポンタの魅力にやられ、俺が買わねば誰が買うと、あっという間に購入を決めた。
今もレジの瞬間を覚えている。
半額にお店はしてくれて、一通りの猫グッズはくれた。
あの時の、ふわふわで震えるポンタが忘れられない…。
彼と私は、赤坂の裏手の小さな五階立てのマンションに住んでいた。
エレベーターもない、階段のマンションの五階の部屋。
はじめて部屋に入れるときは、ケージに入れて少しずつ慣らしてくださいと言われていた。
しかし、ポンタは怖いもの知らずで手から離れ、いきなり臆することなく、部屋の中を走り回った。
あれ?本当に風邪っぴき?
とビックリするくらい元気だった。
今思えば、うれしかったのかな?
走り回るポンタは本当に可愛かった…。揺れる小さなフワフワのブラウンの尻尾が今も鮮明に目に浮かぶ…。
- << 14 ポンタは彼によく懐いた。 膝に乗ったり、足にまとわりついたり… 本当に小さくて可愛かった。 しばらくはポンタと楽しい時間を過ごした。 彼は癌の治療の為に会社を一時休んでいた。 私は、やっとデザイナーとして事業者届けを出して独立した。 長い検査入院の後、彼は癌の手術をした。 手術は成功、放射線と抗がん剤治療になった。 ポンタは元々ショップで半年くらいの子猫だったから、3ヶ月後には成猫に近くなっていた。 彼の癌の看病に自分の独立、忙しくてポンタの子猫時代をあまり味わうことなく過ぎていった。 もっと、写真を撮っておけばよかった…。 後悔ばかりが胸を突く。
ポンタを亡くしてから、毎晩寝られない。
今夜も寝られない…。
ついつい後悔の思いがぐるぐる廻る…。
あれもしてあげればよかった。
これもしてあげればよかった。
あれをしていたら、早く病気が見つかったんじゃないかとか…。
今更、仕方ないことなのに、後悔ばかりで辛すぎる。
思い出の部屋には辛すぎて暮らせない。引っ越したくなる。でも…思い出の部屋から出るのも辛いだろうな。
ポンタが来た頃を、思い出して、少しずつ書いていきたい。
>> 1
うちにも11歳、10歳がいます。
😺ちゃん残念でしたね😢
私も居なくなったら、どうしようか?と思っています。(気持ち的に)
2匹共に年が近い…
やっと、レスにレスする気持ちになりました。
レス、ありがとうございます。
11歳10歳と上手に飼われているのですね。
私はちゃんと飼えませんでした…
多分、二人の子供の出産、二歳違い育児など、手一杯でポンタの後半人生は大事にお世話出来てなかったと思います。
悔やまれてなりません…。
お子さん達、心配になりますよね。
うちは号泣でした。それが更に私を辛くしました。
子供を悲しませているのがたまりませんでした。
明日、ポンタをつれて帰らずに家に帰るときに、また子供たち泣くのではないかと辛いです。
ゲームやアニメの影響でしょうか?
「いつポンタは生き返るの?」と聞かれるのも悲しいです。
ありがとうございました。
12年 寿命の粋とは言え早いお別れですね😢 私も心を引き裂かれる様な悲しみでした。立ち直るのに一年かかりました 今家にいる猫はチンチラペルシャ17歳
いつか必ずお別れが来る
それを考えると勝手に涙出ます
主さんのスレを最後まで読ませていただきますね
今はどんな言葉も慰めにはならない事を分かってます
- << 11 レスありがとうございました。 17年…長いですね。羨ましいです。 うちも、せめて後三年、いや出来たら五年生きていてほしかった。 実家のペルシャは24年生きていたので、凄くうちの子が短命に感じます。 先程、実家から帰ってきて、部屋に出迎えてくれるはずの子がいないのがたまらなく辛かったです。 何をどうしても辛いです…。 主人とポンタのいない部屋に帰るのが嫌で近くのマクドナルドに行きました。 こちらのレスを読んで癒されました。
>> 6
彼と私は、赤坂の裏手の小さな五階立てのマンションに住んでいた。
エレベーターもない、階段のマンションの五階の部屋。
はじめて部屋に入れる…
ポンタは彼によく懐いた。
膝に乗ったり、足にまとわりついたり…
本当に小さくて可愛かった。
しばらくはポンタと楽しい時間を過ごした。
彼は癌の治療の為に会社を一時休んでいた。
私は、やっとデザイナーとして事業者届けを出して独立した。
長い検査入院の後、彼は癌の手術をした。
手術は成功、放射線と抗がん剤治療になった。
ポンタは元々ショップで半年くらいの子猫だったから、3ヶ月後には成猫に近くなっていた。
彼の癌の看病に自分の独立、忙しくてポンタの子猫時代をあまり味わうことなく過ぎていった。
もっと、写真を撮っておけばよかった…。
後悔ばかりが胸を突く。
ポンタは、入院してしまった彼の代わりに私の側で暮らしてくれた。
パソコンで仕事をすれば、キーボードに乗っかってきた。
新しい荷物がくれば箱に必ず入って遊んだ。
可愛くて可愛くて仕方なかった。
寂しいはずの私の生活が楽しくなった。
ポンタは、彼の癌で打ちひしがれていた私に、そっと寄り添ってくれた。
何物にも代え難い存在になっていった…。
ポンタが長毛の種類だからなのか、よく下痢をしてしまうとウンチをお尻につけてしまい、辺り一面ウンチだらけになった。
嫌がるポンタを綺麗に洗った。
何度か、小さいうちはやらかしていた。一歳過ぎても何回かしていた。
世話をかけられればかけられるほど、可愛くて仕方なかった。
一度も、ポンタには怒鳴ったり、叩いたりしたことは無かった。
どうしても出来なかったし、したくなかったから。
何をされても、可愛くて仕方なかった。
ポンタは、ショップでは風邪を引いていたけれど、
うちに来てからは風邪知らずで健康だった。
その頃は、月に一度はシャンプーに出していた。
今思えば、嫌に違いないのに、よく我慢してくれたと思う。
シャンプー仕立ては、ただでさえ、シルキーな手触りな毛並みがさらにシルキーになっていた。
フワフワがふわっふわになっていた。
その、シルキーな毛並みは、亡くなる寸前まで、変わることは無かった。
シャンプーされてくると、可愛いリボンを、いつも頭に付けてもらって帰ってきていた。
ポンタはそのリボンが嫌いで、帰ってくると直ぐに後ろ足でリボンを無理やり取ってしまっていた。
シャンプーは、買ったショップで、出張のトリミングもしてくれていたのでお願いしていた。
そのために、動物移動用の扉付きの籐のカゴを買った。
今も、捨てられずにそのカゴはある。
最後、腹水を抜くために、嫌がるあの子をカゴに入れた時、本当に辛かった。
まさか、シャンプー用に買ったカゴで、あんなことのために使うことになると思わなかった。
彼の癌は食道癌だった。
手術は成功したはずが、放射線と抗がん剤治療で彼はどんどん痩せていった。
一時的に、退院出来たときに、彼は家を買った。
彼は本当は全国旅行に行きたかったみたいだけれど…。
ポンタを置いては行けないと思った。
新しい家は乃木坂だった。
ちょうど桂由美のブライダルビルの横から墓地方向に奥へ入ったところの小さい中古の一軒家。
中はリフォームして暮らした。部屋は二つしかない。
古い家を柱だけ残して壁は全部取ってしまった。
一階は、元々企業が小さなショールームにしていたようだった。
家具は当時のものが置きっぱなし、ガラスは大きなハメ殺しで、ドアは海外の鉄の扉だった。
ポンタ、一回目のお引っ越しだった。
ポンタは新しい家にすぐに慣れた。
新しい家でポンタは一歳になった。
二階建てで、一階に玄関ドアあけたら直ぐにフローリングで、靴で生活したほうがいいような、お店みたいな部屋だった。
奥にキッチン、隣が洗濯機置き場で、横はスペースがないからユニットバスにしてトイレをまとめた。トイレの横にポンタのトイレも置いた。よくトイレと壁の隙間に寝ていた。
涼しかったんだろう。今もその時の寝ころんでいるポンタの写真が残っている。
二階は、古い木材を手すりにしてもらって、階段の下を収納にした。
二階の部屋は一部屋の板張り。
柔らかい板張りだから、ポンタは走り放題。
爪を立てまくりで、今も傷だらけの床が忘れられない。
彼は、「やったなあ~」と笑っていた。
古いけど、新しい家。
彼がまとまったお金を用意してくれて、二人で選んだ家具。
可愛い猫、描きやすいアトリエ。
幸せだった。
どんなに、時よ止まれと祈ったことか。
カリブ海で水着で結婚式をあげたいと彼は夢を語っていた。
ポンタは、その時も側にいた。
彼は楽器を奏で、私は絵を描いていた。本当に幸せだった。
癌は良くなったように思えた。
彼は旅行に行きたがった。ポンタが心配だったけれど、ペットホテルに預けた。
今思えば、ペットシッターに頼めばよかった…。ごめんね、ポンタ。
旅行に行くために、彼は車を買った。赤いポルシェ911。
旅行先は、伊豆、箱根、富士山、富士五湖だった。
楽しかったけれど、ポンタが気になった。連れていけないことか辛かった。
旅行先では、いつも、ここに彼と来れるのは、これが最後かなと思いながら過ごした。
楽しかったけれど、楽しいだけ辛かった。
心配だったけれど、帰りたくなかった。
今も、忘れられない。
美術館の庭に消えていく彼の後ろ姿。走れば追い付くけれど、歩いていたら追い付かない。このまま、彼は常に私の前を歩いていて、私は常に彼を追いかけ続けるんじゃないかって。
旅行が終わり、ポンタを引き取った。
あんなに帰りたくなかったのに、涙が出るほどポンタが不憫で泣いてしまった。
いつも、いつも、ポンタは待っていってくれたよね…。
旅行先で、接触事故を彼は起こしていた。
今思えば、運動神経のいい彼が運転ミスをするわけがなかった。それが、してしまった。それだけ、癌が進行していたのかもしれない。
旅行から帰ってきて、事故の処理などをしているうちに、彼はまた体調を崩して再入院した。
毎日、仕事を午前中にこなし、午後は彼に面会に行った。
ポンタは彼がいないのが寂しいのか、家のなかをウロウロ探していた。
どんどん彼の体調は悪くなっていった。
日に日に痩せていった。
彼は、病室にキーボードやデジタルサックスを置きたがった。四谷に買いに行って病室に運んだ。
ポンタはトイレットペーパーを転がして遊んだり、花瓶を割ったり、元気いっぱいだった。
ポンタに対して、彼は弱っていく。体重かみるみる減った。
ポンタは、一時帰宅する彼のカバンによく潜り込んでいた。
一緒に病院はいけないんだよ。ポンタ。
そんな無邪気なポンタにどんなに救われたか…。
夜の面会時間が終わると帰らないといけない。
一人で帰る二人の家。
家に帰るとポンタが待っていてくれた。
それが、どんなに救われたか…。
遊んでほしくて、紐をくわえてきて、私をじっと見つめる。
たまらず、紐で遊んであげると凄く喜んだ。
猫パンチの手が本当に可愛かった…。
ポンタ、お母さんはあの時本当に辛かったんだ。
お父さんは、どんどん小さくなって、お母さんは、どうしていいのか分からなかったよ。
ポンタの頭を撫でたり、抱っこしたりしていると安心出来たんだ。
ある日、家族が呼ばれていた。
会ったことのない彼のお父さん。弟さん。
彼は家族と仲が悪く、連絡するわけは無かった。
何故だろう…?
彼は弟が産まれるときに、祖父祖母に預けられたそうだ。
お母さんが迎えに来た時、彼は帰りたがらなかった。
迎えにいったのに、自分に抱きついてこなかった可愛くない子供。
お母さんは二度と迎えには来なかったそうだ。
そして、彼はそのまま祖父祖母の家で育つ。
祖父が亡くなり、祖母が亡くなるときに、祖母は彼の行く末を心配した。
母親に愛されない、勘の鋭い子供…。
秀ぼう。おまえだけが、心配だよ…
口癖のように言っていたそうだ。
しかし、最後の言葉は、
秀ぼう、泣くんじゃないよ。
笑いな!
枕元に親族誰も近付けずに、彼だけを呼んで、そう言ったそうだ。
そして、彼の大事な江戸っ子な祖母は亡くなった。
彼は独りぼっちになってしまった。
彼のお父さんは、当時、銀座松屋の副社長だった。
家は裕福で、市川にお父さんのお妾さんのお屋敷があった程だ。
彼は、麻布の宮大工だった祖父祖母の家から、市川のお妾さんの家に引っ越すことになった。
お妾さんは、病弱でいつも白いドレスのようなネグリジェだった。
優しくて、消えそうな人。
彼は、病弱なお妾さんとは遊ぶわけにはいかず、お手伝いさんと遊んでいたらしい。
時折、見かけるお妾さんは綺麗な人だったと彼は語っていた。
お父さんは、時々遊びに来てくれたけれど、お母さんと弟さんに会うことはなかった。
彼は、私を一度だけ、市川に連れていってくれたことがある。
古いお屋敷だった。誰もいないようだった。
お父さんとよく行ったというラーメン屋さんが残っていた。
細麺の透き通るようなスープだった。
彼が15歳になった時、彼の親は一人暮らしをさせた。
場所は麻布のマンション。
まともに育つわけがない。
中学高校一貫校。男子校で、レベルが高いとされていたけれど、実際は親のお金で遊ぶ友達ばかりが出来た。
高校生になってからは、25歳と偽って遊んでばかりいたらしい。
大学も親の望む大学に彼はいかなかった。エスカレーター式に素直にいれば、大学に行けたそうだ。
就職も親のコネを潰して、レコード会社に就職。その後、音楽を諦めて、親のコネのあった会社に、コネなしで挑戦。
面接で破天荒なことを言って、面白いと就職出来た。
日本最大の広告代理店だった。
一度も、彼は親の望むことはせず、親もそのままの彼を認めることは、なかった。
そんな風に、彼と親の間には深い溝があった。
特に、母親と。
その時も、病院にきていたのは、お父さんと弟さんだった。
病院の先生に、私も呼ばれた。毎日、看病しているのは私だと、先生がお父さんに話してくれたらしい。
籍をまだ入れてなかったから。
先生は、特別面談室に、私を呼んだ。
心臓の音が聞こえる。
先生の口から、年を越せるかどうかと言われた。
耳鳴りがした、頭がガンガン鳴って、涙で視界がぼやけた。
11月だった。街路樹の落ち葉が、カラカラと風に飛ばされていた。
彼には、何も言えなかった。
車椅子で彼を、病院まわりを散歩した。
落ち葉がカラカラと沢山、風に飛んでいく。
落ちていく落ち葉が、高校の頃に、教科書に出てきた「最後の一葉」を、思い出させた。
胸が切れるように、切なかった。
彼の前では、泣くわけにはいかなかった。
家に帰ると、ポンタは、待っていてくれた。
どんなに、辛い思いで看病しても、
可愛いポンタを、見ているだけで、
頭を撫でているだけで癒された。
ポンタの、ふわふわの背中に、自分の涙がポタポタ落ちた。
泣きながら、ポンタを撫でていた。
毎晩、年末まで何日…と数えながら帰った。
帰ると一人、ポンタを抱いて泣いていた。
彼の体重は、どんどん落ちていった。
弱っていくのに、代理店始まって以来の、最年少部長だった彼は、沢山の見舞い客が来た。
代理店の部下から局長、専務、取締役…ひっきりなしだった。
その度、彼は、しっかりしなくては成らず…
疲労は増していった。
そして、彼の体重は20キロにまで落ちていった。
身長175センチの彼が…。
20キロ。
それは、骨と皮と内蔵の重さだけに感じた。
歩くのが何とか出来ているのが、不思議だった。
今も忘れない。
膝よりも、足の方が細かった彼の足を。
毎晩、毎晩、看病が終わると泣きながら帰った。
ポンタが居なかったら、私の方が参っていたかもしれない。
ポンタが居たから、暗い家にも帰れた。
帰れば、出迎えてくれる。
それが、どんなに嬉しいことか…。
まして、それが愛する猫。
夜は最悪な事態を考えないようにして、頭に浮かんでしまう私のそばで、ポンタは寝てくれていた。
ある日、彼は起き上がれなくなっていた。
病院に行き、寝たきりになり、排尿まで管理されている彼の姿をみて、号泣した。
足元が、ズドーンと落ちるような不思議な感覚。
たまらす、しゃがみ込んでしまった。
明け方まで、無理を言って看病させてもらった。
もう…彼は帰ってこられないんじゃないか?
初めて、彼が死んでしまうと思った。
それまで、一度も考えたことがなかった。
明け方、帰り道号泣しながら帰った。
まだ、始発も走ってなかった。
病院を出た所で、足がもつれて、派手に転んだ。
地面に倒れるなんて事は、小さい頃ならいざ知らず、久しぶりだった。
コンクリートの痛さに、子供のように泣きじゃくった。
そして、地面に這いつくばって、慟哭した。
あんなに泣いたのは、あれきりかもしれない…。
だれもいない道
不思議と涙が止まらなかった。
彼の名前と、ポンタを呼びながら、オイオイと慟哭していた。
誰にも見られず、誰にも何も言われなかった。
タクシーも捕まえる元気もなく、虎ノ門から、乃木坂まで、オイオイ泣きながら歩いた。
帰ると明け方なのに、ポンタは起きて、ドアの内側で待っていてくれた。
可愛い顔、つぶらな瞳、暖かい頭、たまらす抱き上げて、泣いてしまった。
私の泣き振りに驚いて、腕から飛び降り、心配そうに見上げてくれた。
ポンタ…ありがとう。
私の状況を知った弟が、母に言ったらしい。
「お母さん、お姉ちゃん自殺しちゃうかもしれない。早く行ってあげて。」
母は新幹線に乗って、乃木坂まで来てくれた。
私が病院に行っている間にもポンタの世話をしてくれた。
ポンタは猫好きなお母さんに、すぐに懐いた。
私も、彼のこともあったけれど、ポンタのこともあったから、ほっとした。
私には、二人の弟がいる。
心配してくれた弟は、長男になる弟。
もう一人、末の弟がいた。
まだ、ポンタが子猫で、彼も一時外出、出来た頃…
末の弟は、高校生で、当時渋谷に興味があって、まだ赤坂にいた私達の部屋に泊まりにきていた。
ポンタは、動物好きな弟に喜び、沢山遊んでもらった。
弟も、初めての長毛種の子猫の可愛らしさに夢中になった。
それから12年後…小さな息子を連れて、埋葬を手伝うことになるとは、思っていなかったろうな…
声をあげて泣いてくれた…ありがとう。
ポンタは、優しい二人の弟にも愛されていた。
毎晩、毎晩、日にちを数えた。
後、7日…後、6日…。
年を越せないと言われていたから、大晦日がくるのが、怖くてたまらなかった。
そして、晦日。
彼は思ったより、元気だということで、一時帰宅を許された。
私は完全に浮かれていた。
嬉しくて、嬉しくて仕方なかった。
思えば、あれは最後の神様と彼からのプレゼントだったのだと思う。
ポンタも私と同じように、彼が家にいることで浮かれていた。
母は帰宅した。
彼が家に帰る。
しかし、末期ガンの彼が、自宅に帰宅するというのは、大変なことだった。
点滴をしながら、モルヒネの座薬を入れなきゃいけない。
ただ、座薬は看護婦さんにしてもらうのを、恥ずかしがって嫌がる彼のために、時間には病院にいき、毎回麻酔クリームを使って、入れていてあげていたから、勝手がわかっていた。
問題は、トイレだった。
トイレも朝も夜も一日中、二時間ごとには連れて行ってあげないと行けない。
転ばせたら終わりだった。
今の彼にとって、転倒、骨折は、命とりだった。
昼間はともかく、夜間の二時間おきは、体が辛かった。
彼の横でうつらうつらしても、二時間おきには起きた。
それでも、彼の側に居られることが嬉しく、このまま時が止まればいいと、あれほど思ったことはなかった。
ポンタは、彼のベッドの隣の猫ベッドで寝ていた。
そんな時も、私達の側にいてくれていたポンタ…。ありがとう。
もしも…
ポンタがいなかったら、お世話をしてもお世話をしても、命の火がみるみる消えていく彼の側にはいられなかったかもしれない。
辛いときほど、ポンタのシルキーなおでこを撫でた。
手の先から、悲しみが消えていくような不思議な感覚だった。
ポンタも、じっと私の顔をみつめてくれた。
まるで、全て理解しているような、不思議な美しい瞳。
この世のどんな宝石より、猫の瞳は美しいと思う。
猫を虐待するような人間がいるようだけど、信じられない。
この美しさに気がついていないのだと思う。
大晦日、ポンタの美しい青い瞳に見守られながら、彼のお世話をした。
あんなに、辛い、そして、幸せな年越しはなかったかも知れない。
時は決して止まらない…
楽しく、体力的には大変だった年越しが終わり…年明け、元旦、帰らないといけない2日がきた。
彼は戻るのを子供のように嫌がった。
病院に聞いてみる。
当然、点滴が足りないからと却下。
辛かった。
本当は、私が彼を家から出したくなかった。
点滴は無情に落ちる…
モルヒネは後一回分…
無常を感じる。
時は流れる、止まらない。
ポンタも彼のバッグに潜り込む。
涙を堪えながら、彼の荷物を詰める私。
「戻りたくないな」
「うん」
「どうせなら、このままお前とポンタといたいな」
「うん…」
その日以来、彼が家に帰ってくることはなかった。
彼がポンタといた最後の日。
今頃、あんなに会いたかった彼にポンタは会ってるのかな…。
お正月の病院は、病院は病院だった…。
バタバタと忙しい。
看護婦さんは尿を集めて回る。
どこからか、酷い咳が長く続く。
病室の窓の隙間から下を覗く。
高い…。
彼が、居なくなったら、ここから飛び降りようか…
一瞬、そんな考えが浮かぶ。
振り返ると、
彼はまた放射線治療でグッタリしていた。
思えば、もう少しクオリティライフを考えて、家にいてもよかった…
そうしたら、ポンタとも居られたのに。
あの時は、治療を止めて諦めることが、若さ故出来なかった。
彼の容態は、どんどん悪くなっていく…
寝たきりになってしまい、臀部の骨の部分が床ずれしてしまう。
ガーゼを張り替えるが、ものすごい痛そうだ。
最近は傷の治し方は変わり、ガーゼではなく特殊なラップのようなクッション性のあるものになった。傷パワーパットのような。
しかし、当時は傷にはガーゼで、毎日張り替えるがあり、傷は全く治るわけもなかった。
そして、とうとう骨が出てきてしまった。人の肉から出る骨をみたのは、あれが初めてだった。
気が狂いそうだった。
愛するたった一人の人が、どんなに看病しても、するばするほど、酷くなっていく。
悪い夢なら醒めてほしかった。
家に帰り、ポンタを撫でてなかったら、発狂していたかもしれない。
ポンタは、当時まだやんちゃで、イタズラをよくしていて、私の心を和ませた。
彼が家を買ったことで、友人がくれた新築祝いの花瓶。
あっさり、ポンタは割ってくれた。
興奮すると、ヒゲが前向きになり、鼻息も荒く、耳を伏せたり上げたり、状態を低くしてお尻を振ってダッシュしたり、可愛かった…。
つい、彼の病院にいく時間なのに、彼が帰ってくるような気がして、ダラダラとポンタと過ごした。
辛かった。。
東京に雪が時折降るようになっていた。
青山一丁目の住所なのに、静かな小さな住宅街で、前の小道に人の足跡は殆どなかった。
どうして、彼は帰ってこないのだろう。
ポンタは、ずっと窓から外を眺めていた。
彼を、やっぱり、待っていたのかもしれない…。
彼は、お酒とタバコが好きだった。
お酒は、何もつまむことなく、ブランデーを飲んだ。
タバコは、いつもカートン買いのヘビースモーカー。
思えば、そんな嗜好も良くなかったのかもしれない。
入院前、タバコは止めてほしくてケンカになった。
入院中も、吸ってほしくなくて、ケンカになった。
私が買ってこなかったら、看護婦さんにコッソリ買ってきてもらっていた。
ありとあらゆるものを買いに、病院の売店に通った。
でも…タバコだけは頑なに買わなかった。
けれど…
そんな私も、最後は彼の好きにさせてあげたくなった。
彼が寝たきりになる前、それでも、立てなくなっていたから、車椅子で、病院を散歩した。
そして、タバコを買って、喫煙所に吸いに行った。
震える手で挟むタバコに、火を付けてあげると美味しそうに吸っていた。
しかし、ある時…
もう自分で吸って火をつけることも出来なくなり、吸えないのに私がタバコをくわえて火を付けた。
彼に、そっとくわえさせる。
「まじーや…」
「え?」
「もう、タバコもまじーや…旨くねぇ」
「…。」
それが彼がタバコ吸った最後の日になった。
そして、私もその日が、タバコに火をつけた最後の日になった。
ある日、病院に行くと…
空気を入れて作るプールマットのようなお布団がベッドの上に乗っていた。
聞くと、床ずれ防止らしい。
効果…あるんだろうか?
彼はこの頃になると、カテーテルを入れられて、痰も定期的に機械で吸われる様になった。
これは、本当に彼が嫌がった。
吸われる時に、苦しくて、よく看護婦さんが来てくれても拒否をした。
「痰を吸わないと、呼吸出来なくなって死んじゃいますよ」
と、脅されても彼は、
「だったら、俺は死んだ方がマシだ。何度も苦しい思いをするなら、いっそ一思いに死ぬ」
苦しみながらも彼は、江戸っ子だった。
そして…
彼は殆ど喋らなくなった。
口の中に口内炎が出来て、水さえ飲めなくなった。
点滴はしていたけれど、彼は喉を潤すことを渇望した。
氷を小さなかけらに砕き、口の端から入れてあげる。
少し、嬉しそうな顔をする。
それが、私には堪らなくうれしかった…。
とうとう…
氷さえ、食べれなくなり、特大の綿棒で口の端を湿らすだけになっていった…
とうとう、彼が危篤になった。
彼の家族は誰もいない。
先生から、延命処置をするかしないか聞かれた。
どうしよう…彼とは、そんな話しはしてはいなかった。
何でも思い切りのいい彼だ。したくないかもしれない。
しかし…家族は誰も来ていない。
彼に最後会いたい家族もいるかもしれない。
私は彼の延命処置をお願いした。
今思えば、しないほうがよかったのか…
けれど何より、私の中で彼が死んでしまう。その事実が受け入れられずに、延命処置を願ったのかも知れない…
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4649今晩はどうもでもこんちわコンちゃんお昼ですよのきくコンちゃのあ…(ちよ)
129レス 2502HIT ちよ (♀) -
黒いRVさん?????さん?
いつもお疲れさまです いよいよゴールデンウィークだね(^^) マニ…(通りすがりさん1)
4レス 153HIT マニュアル使い (50代 ♂) -
忍blog
コーヒー飲んで💻これから仕事だ 誰だかわからんけど こんな…(匿名さん0)
69レス 1693HIT 匿名さん (♂) -
🐬🌷俳句を作ってみよう⑤💐🐦
今日はこんな時間に起きてしまって、すぐに寝ようかと 思ったのですが、…(お客さん)
270レス 5087HIT 豆たろう
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良い方法求む17レス 236HIT 匿名さん
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あのとき27レス 1577HIT 匿名さん
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煌めく72レス 1417HIT 通りすがりさん
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🔥🔥🔥🔥🔥🔥続き(42)🔥🔥🔥🔥🔥🔥500レス 3446HIT 匿名さん
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剣道8レス 187HIT 通りすがりさん
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あのとき
言ってること支離滅裂だよ。子供か。 (通りすがりさん13)
27レス 1577HIT 匿名さん -
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🔥🔥🔥🔥🔥🔥続き(42)🔥🔥🔥🔥🔥🔥
窒素以外を代用で使うから、しんどいんじゃないでしょうか?❗(匿名さん0)
500レス 3446HIT 匿名さん -
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煌めく
あ! 誰のことかわかった またそれなんだ へえ 気持ち…(通りすがりさん0)
72レス 1417HIT 通りすがりさん -
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過去より現在 13
最後の日記😊 この日記は二世帯住宅での愚痴や 出来事を聞いてもらいた…(主婦さん89)
500レス 19196HIT 主婦さん -
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癒し専用ルーム 280
とんでもないです。 (名無し21)
500レス 578HIT 名無し21
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既婚者の人が同僚をホテルに誘う心理
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400レス 3642HIT 理沙 (50代 女性 ) 名必 年性必 -
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