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🎭ある暗黒卿の気紛れな呟きⅡ🎵+⚡✒🐱

No.419 20/02/26 12:24
ハプスブルク=パレオロゴスAUT ( 40代 ♂ MLdWxe )
あ+あ-

≫418

🎭だから例えばオーストリア等は、一応オランダや北ドイツと同じゲルマン系とは言え、キリスト教に対する激しい抵抗は無く、REDBADみたいな英雄の伝説も知られていない。

オーストリアは今の国土の殆どがローマ帝国に含まれていたからだ。

紀元前にはケルト系住民(つまりフランスやスコットランドの原住民に近い)が広く住み、ハルシュタット遺跡文化を築き、またノリクム王国を立てていた。

このノリクムと隣のパンノニア(ウィーン近辺はパンノニアに含まれた)は、紀元前1世紀、平和的にローマと同盟関係を築き、次の1世紀にはローマ帝国に入る。
理由としては、先進のローマ文明が魅力的だった事もあるが、ドナウ川を境に北側には乱暴なゲルマン系諸部族が住み、それらから身を守るにはローマ軍団の助けが必要だったから。

こうしてオーストリアのドナウ川流域には、幾つもローマ軍の要塞、駐屯地が築かれ、ウィーンはその中でも最大級のモノだった。

原住民のケルト系も、富裕層やローマ軍に入った者はローマ市民権を得たし、そうでない者も3世紀初めのカラカラ帝の勅令により全員がローマ人になった。

だが5世紀に入るとゲルマン民族が次々に侵入して来て、ウィーン初めローマ側のドナウ川の守備要塞は次第に意義を失う。

ただオーストリアの地を一時的に占領した西ゴート族初めゲルマン系の蛮族は、既にキリスト教化しており(ローマ帝国の正統派から見たら異端のアリウス派ではあったが)、宗教に関する問題はむしろフン族やアヴァール、マジャール(ハンガリー人の先祖)など中央アジアから来た強大な遊牧騎馬民族だった。彼らとて、オーストリアの住民を殺戮する事は少なかったが、何よりも全く馴染みがない、遊牧民の異教だったから、キリスト教に馴染んでいたオーストリア地方の住民には脅威だったろう?

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