もし自分が難病になったら

レス8 HIT数 2084 あ+ あ-


2014/09/01 10:15(更新日時)

24時間テレビを見ていて難病の子供達を見て俺が同じ立場だったらと思うと、最悪な気分になった。
それから例え健康体に産まれたとしてもいつ病気にかかって同じ境遇になるや分からない。
明日は我が身だなって思った。

No.2133020 (スレ作成日時)

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No.1


健康でいられることに感謝。

美味しいご飯が食べれて、笑って、
寝て…平凡だけど幸せなんですよね。

No.2

そうなんだよね。
つい不平不満を漏らしてしまう毎日だけど、健康で普通に生活出来ているからなんだよね。

もっと家族を大切に思い、日々の生活に感謝して過ごさないといけないんだなって感じました。








No.3

お金があって贅沢したって
健康じゃなければ
何も楽しめないですね。

健康で、ご飯が食べられる事こそ本当の幸せ。
毎日を精一杯生きて
万が一我が身が難病になっても
後悔するような生き方はしたくないです。





No.4

難病とは治療法が確立されていない病気のことなので、難病と一言に言っても普通の人と変わらない生活のできる難病もあります。

私の主人も結婚して1年と経たない内に難病になりましたが、健康な人より死のリスクは高くなりましたけどそれ以外は普通の人と変わりません。

主さんの言うように人間なんていつどんな病気になるかわかりませんが、受け止め方次第で人生は変わります。

病気を嘆くだけでウダウダと死を待つ生き方をするか?
なっちまったもんは仕方がないと病気を受け入れて前向きな生き方をするか?

主人が難病だと診断された時、悲しくて不安で毎日心が押し潰されそうでしたが、主人はあっけらかんと後者の生き方をする人で、私も見習って前を向かなければと思いました。

そして私も完治の難しい厄介な持病で体調の優れない日々を送ってますが、後者の生き方をしてるので嘆く暇があったら1日1日をいかに楽しむか考えながら生きようと思ってます。

そういう生き方をしていれば、明日死んだとしても絶対後悔しないと自信を持って言えます。

私は病気になってからこれに気付きましたが、人間は健康な内からこういう生き方をしなければいけないと思いますよ。

どんなに健康であっても、飲酒運転の車に突っ込まれて死ぬ事もあれば、心筋梗塞や脳梗塞で突然死ぬ事だってあるんです。

なってもいない病気に脅えたり、健康だからと怠惰な日々を過ごしたり、人生の大切な1日1日を無駄に使ったら、病気になった時や死に直面することになった時、必ず後悔するはずです。

明日死んでも後悔しないと言い切れるくらい、今日という日を精一杯大切に生きて行って下さいね。

人生、楽しんだもん勝ちですよ!

No.5

私の妹は 26年前に難病になりました。この病気は55歳まで生きた人はいないみたいです。でも 妹は 体が動かなくてもポジティブで 本当に頭が下がります。旦那さんに大切にされてます。気持ちのもちようかなと思っています。

No.6

俺は主さんの歳に余命宣告を受けた事があります。

過労でストレス性肝炎で休職。治療が進むにつれ視界がおかしくなって、これは肝炎の薬のせいかななんて勝手な判断しながら、仕事復帰。でもその頃には既に片方の目はボンヤリしてた。そしてある日の朝完全に真白。

これはヤバイな。仕事にならないから仕方なく眼科へ。でもそこで最初に言われたのは、仮病だと。見えてないなんてあり得ない。眼球に何も問題は無い。挙句の果てに保険金目当てかとか言われる始末。

なので諦めて仕事へ。でもその日のうちに経験したことの無い程の頭痛に。頭が爆発しそうな勢いの頭痛。吐き気ところじゃ無い。目も開かない。音も聞こえない。車の中で気が付いと時、既に暗くなっていた。

流石にもう一度違う眼科へ。そこで眼球の奥の視神経の色の変化に気付いて貰え。何故か救急車で脳外科へ。そこでCTを撮った。見れば素人でも簡単にわかるレベルの脳腫瘍。そして即入院。だけどそこで医師から宣告を受けた。

転院して高度な手術を受けない限り余命3カ月。

前年の入院で借金もある身で、どうする。全てが終わった気がした。小さな兄妹と嫁を残して俺は終わるのか。生活費の為保険金で足りなくて解約もしてしまった。

後3カ月、何が出来る。何も思い浮かばないんだな。取り敢えず転院となる。隣の大きな町の大学病院へ。そこで恩人に出会えた。手遅れの俺の頭をなんとかしようと、チームなんて作ってくれた。トップは教授だった。その教授から、一月でその症例を学んで来るから、1ヶ月後に手術するからそこまで持たせろと。

次第に薬も効かなくなる、気が狂うの程の激痛な頭痛。モルヒネを打てば手術出来なくなる可能性があるから。光、音を遮断して耐える。その頃、握り締めた手の爪が手のひらに刺さった事もある。

そして教授は戻って来てくれた。教授自身少し痩せてた。そして他の大学病院の教授レベルの人達が集まってくれた。もうまな板の上のコイだ。全てを任せた。

続くよ。

No.7

そして目が覚めた。ICUだと直ぐにわかった。全身動かない。違う固定されてる。ナースが来てくれた。まばたきで返事するしか無かった。そして返事してまた眠った。

それを何度繰り返しただろう。何度目かで教授が来た。見慣れ始めた教授の顔。よく見える。よく見える?なんでみてえる?その時自分が両目で見ている事に気が付いた。

それから呼吸器も取れ、手足も動かせた。5日目に背中の感染検査の為の脊髄パイプも取れた。

一週間経って説明があった。結果は良く無い。腫瘍は取りきれなかった。なので処置手術となったらしい。脳幹に近いのと動脈を抱き込み触れない部分が有るからと。幸いなのは悪性では無かった。良性水腫の手遅れバージョン。無ので他の場所の筋肉をそこに押し込み再生化を防ぐ処置手術だと。

これからはいつ再発し、いつ爆発するかわからない爆弾と生きる事になった。そしてその為の薬がまた合わない。食べれなくなり10キロ以上痩せた。薬がそれなりに馴染むまで約5年、ベッドの上の生活。

検査献体となり医療はほぼ掛からない。嫁さんも子供も嫁方の実家で過ごして貰った。

見つけてから6年、時は止まってた。でもそこから頑張れたんだよ。

まぁ人は簡単にゃ死なない事を学んだからね。再発して死ぬときゃそれまでなんだよ。でも本心はヤッパビビってる。でも子供達を育てなきゃ、俺の稼ぎで。

あれから25年こうやって生きてる。既に孫もいる。クソジジイは死んでないな。生き延びてる。
昨年執刀位の教授が亡くなった。その墓前で手術後初めて泣いた。違う2回目だ。最初は25年前、教授の顔見た後泣いた。

主さん。世の中にはこんな嘘の様な人生を歩んだ人間も居るよ。

可愛そうだとは思わない。こんな人生だけど誰も経験出来ない事を出来たし、それなりに幸せだよ。周りの人達に生かされ、必要とされた。それだけでイイよ。誰かの為に乗り越えられたとすれば、俺は俺を誇りに思えると思うよ。

まあそれは俺が死ぬときにわかるだろう。ならばそこまで自分に正直に生きていきたいかな~。
そう思いながら、今日も嫁さんと子供に感謝して生きてくよ。





No.8

17才の時に難病になって20代の頃は入退院の繰り返しで出口の無いトンネルにいるみたいだったけど今は有り難い事に優しい旦那もいるし普通の生活を送っています。
病気になって思った事は一度きりの人生、いつ何があるか分からないので後悔しないように楽しく生きないとね(^_^)

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