5年のフリーターを経て

レス6 HIT数 2049 あ+ あ-


2012/02/26 16:40(更新日時)

高校卒業後、ずっとフリーターだった

この5年間を振り返った時、そこには何も残ってなかった

もがこうとした事もあった
でも何も変えられないまま24歳を迎えた

このままでいいのか?いいわけがない
でも、どうやって前に進むのか
八方塞がり…

今、人生の分岐点にきていると感じる
母、恋人、自分の将来、全てが入り交じって、
どうすればいいのか分からない

自分の気持ちを整理するためにも、
私の過去を振り返りながら考えたいと思う

No.1735761 (スレ作成日時)

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No.1

中学3年生の時、父が死んだ
最初は悲しんだが、酒飲みで横暴だった父が死んだ事を、私はそれほど引きずらなかった

姉と兄は県外の大学に在学中だっため
家には母と私と祖父の3人が残った

父が死んでからというもの、母はパートの時間を増やし、農業とパートの二つを掛け持ちし、前にも増して働くようになった

そのころ私は、どこの高校を受験するか迷っていた
絵を描くことが好きだった私は、美術科のある私立の高校に行きたいと密かに思っていた

でも父が死んだばかり
しかも姉も兄も大学に行っている
私立に行けるようなお金はないだろうな…

でもどうしても行ってみたかった
私は母に打ち明け、体験入学をすることになった

No.2

美術科の体験入学は、学校見学をしたあと、皆で絵を描くことになった
題材は自分の靴
周りの子の絵を見てみると、やっぱり上手い子ばかりだった
さすが美術科。意欲がわいた

そして体験入学から数日後、あのとき描いた絵が優秀賞になったということで、高校の方から賞状が贈られてきた。「これ、みんなに贈ってるんじゃないの?」と頭によぎったが、正直嬉しかったのを覚えている

さっそく家で母にも見せた
母は「すごいねー」と言っただけだった

私立の高校について、何か意見を言うことはなかった
私立は行くなとも、行ってもいいとも、言われなかった

ただ毎日遅くに帰ってきては、家事をしたり農業の仕事をしたり、忙しそうだった
たまにゆっくりテレビを見ていても、テレビに夢中な母を見ていると話しかけずらい気がした


私は、その学校は行かないことにした

やっぱり私立なんて無理だ
うちにそんなお金はないだろう
仕方ない

単純にそう思った
だれにも相談せず、決めた

私は特に理由もなく、家から一番近い高校を受験することにした
投げやりな気持ちではないが、どこでもいいと感じていた


そこは地元では頭が悪いことで知られている公立高校

私は頭が悪かったが、ろくに勉強することもなくその高校に受かった

No.3

高校に入学してからは、張り合いのない毎日を過ごした

生徒も先生も勉強しようという気はない
部活をしてるのはごく一部の人達だけ
体育祭も文化祭もごく適当

特に気にしてはいなかった
私立を諦めたときから、大学に行く線も私のなかから消えてしまっていた。

それに、田舎だったせいか、学歴があまり重要視されておらず、高卒すれば充分働けるという雰囲気だった。それもあってか、自分が適当に高校生活を送っていることを疑問に思うことはなかった。



家の方では大学を卒業した兄が戻ってきていた
父が死んだからだろう。仕事の少ない地元で就職し、働きだしていた

しかし兄はいつも荒れて帰ってきた
仕事環境がよくないようだ
母は兄の事をいつも心配していた

母は何故か生き生きとしていた
父の奴隷のような毎日から解放されたからだろう、仕事が楽しいようだ
帰りが遅い

母は夕飯を先に食べていてもいいと私にいったが、私は一緒に食べたかったので毎日まっていた。父が「ご飯はみんな揃って食べる」という事だけはこだわっていたからだろう。私もそうすることか習慣になっていた。


そんなこんなで高校2年になったころ、私は確実におかしくなり始めていた

情緒不安定、家のなかでは怒りっぽくなり、学校も休みがちになるようになった。
家に帰ると音楽をかけ部屋に閉じこもる毎日

私はいつしかリストカットを繰り返すようになっていた

No.4

リストカットはエスカレートしていった

気づけば高校3年生
進路指導も始まっていたが、私は進路を決められずにいた

非常勤で来ていた大学の美術の先生が、私に推薦の話をくれたが、私はひとつ返事で行かないと伝えた

迷いもしなかった
私に進学の道はないと感じていた
ただ、就職する気もなかった

今思えば、私はあのときからずっと美術を学ぶことを夢見ていたのかもしれない
自分では諦めたつもりでいたが、どこかで納得出来ていなかったんだと思う


そのころ、学校での生活とリンクすることもなく、家族はバラバラになりつつあった

兄は仕事のイライラを家に帰ってはぶつけるようになり、母は子育てを終えたと感じていたのかもしれない、好きなようにしていた。祖父も、父が死んだことによって居場所を失っていた。箸からご飯の時間まで別にされるようになっていた

そんなある日、私は切れてしまった
何がきっかけだったのかは覚えていない

家中のものを泣きながら壊しまくった
泣いて叫んで大暴れしていた
お母さんが泣いていた
お母さんが悪かった、だから辞めて
お母さんが悪かった

は?
何いってんだ?って思った
この人は何が悪いかなんてわかっちゃいない
リストカットに気づきながら無視していたこと
祖父をないがしろにしていること
私の相談に乗ろうともしないこと
父が死んだあと家を空けるようになったこと

今思えば仕方のないことばかりだ
でも当時の私は何かよく分からないものを我慢していた


さすがの母も手に終えないと思ったのだろう
東京にいる姉が帰ってきた

No.5

姉は私にとって、母親よりも母のような人だった

進路まだ決めてないんだって?
就職する気がないなら、絵の勉強しなよ
東京においで
外を見てみるのもいいかもしれないよ

私は悩んで、東京に行くことにした
将来のことより、家を離れたかった
腕がボロボロのまま東京に出た



私は東京に出て、デッサン教室に通いながらアルバイトを始めた
何もかもが新しく、開放的な気分になっていた

まさか自分がフリーターから抜けられなくなるとは、その時は思ってもみなかった…

No.6

なら、これから頑張る?

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