因果応報なんて(笑)

レス117 HIT数 16824 あ+ あ-


2017/11/27 22:23(更新日時)


因果応報なんて、
ほんとにあるものですか?

「いつかは自分に返ってくるよ」
「いまはいいかもしれないけどそのうち…」


みたいな台詞が
ミクルだけでなく、
普段の生活の中、多く見られる気がします。


それって、
今 美味しい思いをしているor
誰か(何か)にひどいことをしている人に対して、
「いつかは痛い目にあってしまえ」という願望が含まれてはいやしませんか?



因果応報は仏教の教えです。
それをほとんどが無宗教の日本人が言っているのをみると、笑ってしまいます。



皆さんはどう思いますか?

No.1703328 (スレ作成日時)

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No.101

>> 100 原発事故現場で働いているのは過疎化で原発に頼るしかなかった地元の人なんでしょ…。

因果応報なのかな。

  • << 103 選択肢がなかったことを因果応報と言ってしまうのなら、これほど残酷な言葉はない。 もとは確か、仏教の言葉でしたよね。

No.102

>> 101 全てが因果応報というのではなく、たまたま、偶然に、災害に巻き込まれてしまった…ということもあるかと思います。
それは、そういったケースに当てはまるのではないかと思います。

世の中、全て理屈では割り切れないですからね。

No.103

>> 101 原発事故現場で働いているのは過疎化で原発に頼るしかなかった地元の人なんでしょ…。 因果応報なのかな。 選択肢がなかったことを因果応報と言ってしまうのなら、これほど残酷な言葉はない。

もとは確か、仏教の言葉でしたよね。

  • << 105 初期の仏教の教えにあるのは、 “縁起”または“因縁”です。その因と縁に 後の新興宗教(カルト)が脅しに使うために“応報”という報いを付け加え、 自分達のカルト布教の弾みに利用しました 何かにつけては “仏罰”だの“因果応報”だのと人の恐怖心を利用して布教活動をしているカルトは皆 『仏教もどき』ですのでご注意! また その言葉を使うか使わないかでカルトかどうかの判断材料にして下さい

No.104

因果応報って結局、都合のいいように使われる言葉だ。

No.105

>> 103 選択肢がなかったことを因果応報と言ってしまうのなら、これほど残酷な言葉はない。 もとは確か、仏教の言葉でしたよね。 初期の仏教の教えにあるのは、
“縁起”または“因縁”です。その因と縁に
後の新興宗教(カルト)が脅しに使うために“応報”という報いを付け加え、
自分達のカルト布教の弾みに利用しました

何かにつけては
“仏罰”だの“因果応報”だのと人の恐怖心を利用して布教活動をしているカルトは皆
『仏教もどき』ですのでご注意!

また
その言葉を使うか使わないかでカルトかどうかの判断材料にして下さい

  • << 107 カルト? 先日テレビで、震災瓦礫を受け入れると表明したところには、受け入れていなくても補助金を出したと言っていました。 カルトっぽいですよね。

No.106

>> 105 因果応報という言葉、時には使いますが、私はカルトではありませんよ。


仏罰という言葉を使っているしつこい宗教もある様ですね。

新興宗教、カルト等で洗脳、マインドコントロールされた人たちは、悪いことと良いことの区別もわからなくなってる人もいますから、何をするかわからないから、恐ろしいですよ。

カルト宗教は恐ろしいです。

  • << 108 本来の仏教の釈迦教えは、この世の生きとし生ける全ての幸福を説いた 『慈愛』がテーマです。 ですから、仏罰などあろうはずがありません。 災難や俗に言う罰(バチ)当たるというのは、全て本人の蒔いた種(原因)がやがて果実をつけ、自分の身に降りかかって来る。それが“因果の法”です。 西洋の絶対神の様に、罰を与えるなどと言う考え方そのものがなく、仏は慈愛をもって見守るだけです。 良い事も悪い事も、すべて自らが招いた結果です。 だから、人を不幸にするカルトに参加するということは、その不幸は回り回って自分(又はその子孫)に帰ってくるという事にほかなりません。

No.107

>> 105 初期の仏教の教えにあるのは、 “縁起”または“因縁”です。その因と縁に 後の新興宗教(カルト)が脅しに使うために“応報”という報いを付け加え… カルト?

先日テレビで、震災瓦礫を受け入れると表明したところには、受け入れていなくても補助金を出したと言っていました。

カルトっぽいですよね。

No.108

>> 106 因果応報という言葉、時には使いますが、私はカルトではありませんよ。 仏罰という言葉を使っているしつこい宗教もある様ですね。 … 本来の仏教の釈迦教えは、この世の生きとし生ける全ての幸福を説いた
『慈愛』がテーマです。
ですから、仏罰などあろうはずがありません。
災難や俗に言う罰(バチ)当たるというのは、全て本人の蒔いた種(原因)がやがて果実をつけ、自分の身に降りかかって来る。それが“因果の法”です。
西洋の絶対神の様に、罰を与えるなどと言う考え方そのものがなく、仏は慈愛をもって見守るだけです。
良い事も悪い事も、すべて自らが招いた結果です。

だから、人を不幸にするカルトに参加するということは、その不幸は回り回って自分(又はその子孫)に帰ってくるという事にほかなりません。

No.109

私は見ましたよ。私に対して恒常的に暴力を振るう男の家庭が没落したのをね。
小学校卒業間近に転校してきて、殴られまくりましたね。
大人になってから、その親が精神異常者になったとか。
仲間の振りをしていて、私を陥れて居たが20歳前後の頃、病気が元で凍死したりも有りました。

No.110

>> 109 病死は偶然だと思いますが、しかし、弱い者に誰かれなく暴力を奮う人間は、どのみちそう遠くない将来に事件を起こしたりするなどして身を滅ぼしたでしょうね

No.111

>> 110 別に偶然と言えば、偶然かも知れませんね。
しかし、去年の暮れ頃迄ピンピンして居た男が…です(。-_-。)
ま、何でも構いません。

No.112

>> 111 亡くなった年の前年、11月頃逢って居ります。

No.113

四字熟語とことわざは生活する上で
教訓にする事だよね。
論点がずれてる。
屁理屈ばかり言ってると人に避けられるよ。

No.115

松居一代は悪いことしたら神様が罰をとかいってるけど、罰は自分で起こしているでしょ。とか悪いことなら、彼女のやっていることも法律的、道徳的に悪いことなのだから彼女にも罰が来ることになるという至極正論をゴゴスマコメンテーターが言っていた。

No.116

因果応報は、原因と結果と応じて報じるって事だから。

原因は動作で結果は現れて応対して報じられる。
原因だけでは結果にはならない。

原因があって縁がなければ結果にはならない。

原因に結び付き結果が応対し報じられる。悪くも良くも。

息するだけで因果応報。
動いた時点で因果応報はある。

歩くだけで因果応報。

前に進んだ後ろに下がったって事だから。

報いとはそう言うもの。
罰は無い。

罰があったのは原因がそもそも悪かっただけで、 悪い事は結果も悪く、報いも悪い。

だから報われないって言われるんだよ。

報われたって言うのは原因が良いから。

事故もそうだよ。

原因があって縁があって結果があって応対があって報いがある。

応対が悪ければ怪我をするし良ければ無傷で報いがあり、救急するかしないかってなるし、最悪命を落とす。

対応でも良いけど。

飯を食べても因果応報。
何をしても因果応報だよ。

悪いか良いかは、各々。
それを運のせいにする人こそ、間違っている。

予期せぬ事故も他人がそれをしなければ大丈夫。
他人が原因を悪くすれば、縁に因っては周囲も巻き込まれて結果として応対されて報われない

縁が厄介。周りも影響を与える。

その縁に結ばれなければ良くも悪くもない。

原因ともならないから。
仏教はもっと深い。

因果応報だけじゃなく、それ以前から説く。

No.117

途中経過じゃわからないということでは。平均寿命80までとすると、ガンになったりするのは多い確率として。地震も100年に1度ならそろそろ来るでしょうし。
儲かる業種も10年後はわからないし、

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