思った事を書いてみます

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2012/01/24 19:25(更新日時)

小さい頃から変わり者。嫌いなタイプの人間がはっきりしてます。はっきりし過ぎて生きにくい。
思った事を書いてみます。

No.1638654 (スレ作成日時)

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No.1

小さい頃、おばあちゃんちに預けられていました。1才から4才位までらしいです。

おばあちゃんちは借家で、入ったらすぐ6畳位の土間があり、そこで一応美容室っぽいことをしていました。後は8畳位の畳の部屋がひとつと、6畳位の土間がありました。土間には台所とトイレとお風呂がありました。

おばあちゃんちは古い匂いがしました。土間の土が黒くてカチカチで湿っぽくて‥すごく良い感じだったのと、お風呂が五右衛門風呂で入るのが難しく恐怖だったのと‥少しずつところどころに記憶があります。

No.2

近所にまこちゃんという同い年の女の子がいて、たまに遊んでいました。

まこちゃんは私の腕をよく噛みました。詳しいいきさつは忘れていますが、何の前触れもなく、挨拶代わりに噛む感じで、私を噛む相手と決めていたのだと思います。

噛むのが癖なのか、新しい歯が生えてきてムズムズしたのか‥真相は謎のままですが。

子供心に、人は人をこんなにも痛くする事が可能なんだなと思いました。自分でコケても痛いのですが、それは理由があって結果がある感じ(はしゃぎ過ぎたからコケたみたいに)納得出来る痛みです。

でも普通に遊んでいていきなり噛まれると、かなりびっくりします。それから歯が肉に食い込んでいく強烈な痛みを感じます。

私が一度しつこくいつまでも泣いていたので、その日はおばあちゃんがまこちゃんちに苦情を言いにいってくれて、まこちゃんも私に謝りました。

でも、許せなかったし、多分許せない種類の行為があるのだな…と思いました。謝るまこちゃんの顔には「私は悪くないし、あんたは噛まれるべき人間なのよ」と顔に書いてありました。

No.3

おばあちゃんちのトイレは、かなり暗く、木の板の壁なので隙間が空いていました。そこから太陽の光や雨が入ってきました。アウトドア気分って感じでした。

汲み取り式便所なので、しゃがんで下を見ると底が地底につながってるんじゃないかと思う位深くて暗かったです。

用が済むとおばあちゃんが拭いてくれて、おしまい。面倒くさいのにいつも近くに居てくれました。

パンツをはいたりズボンをはいたりは自分の仕事です。

まずパンツをはいて、そこに下着のシャツを入れます。しっかりしっかり押し込みます。それからズボンを上げて、服の裾をズボンに入れます。しっかりはみ出さない様に入れるのが、私のこだわりです。ちょっとでもごわごわしていたら、すごくすごくイライラしました。何度も何度もシワを直す為にやり直していました。

人生は小さいことの積み重ね。でも、こんなに小さいことに毎回イライラするようじゃこれから人生長いのにお先真っ暗だなぁ、と思ったのを覚えています。

No.4

おばあちゃんちの近所に、亀さんという家があり、その家は夜行っても電気がついていないお家として有名でした。

おばあちゃんは「節約っていうものなんやで」と言っていました。私は節約という言葉が分からず、節約というのは恐ろしいものなんだな‥でも偉大なものかもしれない‥なぜなら真っ暗な中でもどこに何があるのか分かるのだから、と思いました。秘密のパワー、秘密の目を持っているのかもしれない、と考えて亀家の人々に対して畏怖の念を感じていました。


おばあちゃんにそう言うとおばあちゃんはきょとんとした顔をした後、ほんまにこの子はおかしいなぁと笑っていました。

ある日、どうしても亀さんちに夜行かなければならない用事があり、おばあちゃんと二人で亀家を訪ねました。

No.5

亀家はおばあちゃんちとおんなじ造りです。同じ借家なのですから当たり前ですが‥。
しかし同じ造りとはまるで思えない。それは闇のせいです。今でも闇を思う時、本当の意味での闇は亀家の闇だったと思います。天井から闇が落ちてくる、その黒が床に広がって、層をなすかのように沈殿している。土間からヒヤッとした冷気と共に闇が体中にまとわりつきました。

向こうの方にほんのわずかな光が見えました。かすかなので、目が慣れてくるまでは見えません。1分か2分してやっと見えてくる光です。

それは食卓に灯された蝋燭のあかりでした。その薄明かりに照らされて、おじいちゃん、おばあちゃん、父、母、孫の5人の姿が見えました。

おばあさんが出て来て、私のおばあちゃんと何か話していました。私は孫(私と年が近い男の子)と話しました。男の子は普段と変わらない様子で普通に過ごしているようでした。

おばあちゃんのお話が終わり、うちに帰るとすごくほっとしました。暖かい光に包まれた我が家。おばあちゃんもほっとしているようでした。それは優しく、ずっと変わらずあり続ける幸せの象徴のような光でした。

No.6

ある土曜日の朝、姉が父と母が乗った車でおばあちゃんちに来ました。

私より年上の私に似た女の子。背が私より高い、私より何でもよく知っている女の子。

おばあちゃんにとっては孫な訳ですから、可愛いのは当たり前なのですが、私にしたら納得がいきません。「私はおばあちゃんの特別な孫ですけど~あなたは?」みたいな高飛車な態度、上から目線です。


でも姉はおばあちゃんとは違う特徴を兼ね備えていました。それはおばあちゃんと違っていつまでも私と遊んでくれる事。おままごとや想像遊び。
おばあちゃんと違って立ち止まって近所の人と話もしないし、夕飯の支度やお風呂の準備もしません。いつまでも私と遊んでくれます。

遊び相手に飢えていた私はいつまでもいつまでもお姉ちゃんと遊びました。寝る時間になっても布団の上でキャーキャー言って遊んでいました。おばあちゃんが電気を消して真っ暗にしても、まだまだ寝ませんでした。

日曜日の夕方、父と母がお姉ちゃんをお迎えに来ました。お姉ちゃんの靴が車の後部座席に消えました。私より大きい靴。私が知らないキャラクターのピンクの靴。窓を開けて手を振ってくれたお姉ちゃん。「またね~」と車が消えても私はずっとずっと叫んでいました。

No.7

日記なのに、昔の事ばかり書いています。

小さい頃、色々なものに敏感だった頃。シャツの縫い目がチクチクと痛かったり、背中が異常にかゆかったりしました。

足の裏は柔らかく、いつも何だかヒリヒリしてるかかゆいかで、自分の足じゃないみたいでした。
自分の顔はどんな顔してるかなんて興味がなく、周りの人が言う「お父さん似やね」とか「口元はお母さんやね~」とかはどうでも良い事柄でした。

もっと世界の成り立ちに興味があった。人に出会ったら挨拶も大事だし、自分の身の回りの事も大切。お地蔵さまがあったら手を合わす。おばあちゃんが教えてくれる事は絶対だけど、だけどどうして私はここにいるのかという切実な疑問に対してはもっと教えて欲しかった。

「それはな、お父さんとお母さんが結婚してな、あんたが出来てな‥」という答えではなく。存在意味とか理由を小さい頃からいつも考えていたのですが、いくら悩んでも小さい私にはまだまだ分からないのでした。

No.8

姉が泊まりに来た日の晩、私が布団に入ってゴロゴロしていた時、姉が「明日‥蜘蛛屋敷に潜入するから‥」と耳打ちしてきました。言い方が秘密の作戦みたいで面白く、何回も耳打ちしてもらって笑っていました。


蜘蛛屋敷というのは、近所にある立派なお屋敷の蔵です。黄色と黒のしましまの鬼蜘蛛という名前だったでしょうか‥その蜘蛛がうじゃうじゃいる、不思議な蔵です。蜘蛛は大人の手のひら位ありました。作る蜘蛛の巣がまた立派で、畳半分位の巨大蜘蛛の巣でした。


姉は冒険好きで、忍び込む、探る、基地を作るなどの事が格段に上手かったです。姉の命令で辺りを偵察、ひとけのない事を確認、素早く蔵の戸を開け侵入。一連の蜘蛛と蜘蛛の巣を見て、その大きさに感嘆の声を上げてしばし楽しむ。

ただそれだけの事でしたが私には大冒険でした。蜘蛛屋敷侵入は結構長く続いたと思います。蜘蛛屋敷が取り壊された時、中の蜘蛛達も死んでしまったのかなと思うと、大切な思い出が消えた気がしました。

No.9

おばあちゃんと二人でよく豆腐を買いに行っていました。豆腐屋さんには大きいお風呂みたいな水槽があって、冷たい水がザアザア溢れていました。
豆腐はプカプカ浮いていました。豆腐屋のおじさんが「いつものね」みたいな感じでおばあちゃんに豆腐を渡しています。

おばあちゃんと豆腐屋さんは多くを語らず、自分の仕事をこなしていました。おじさんはひたすら豆腐を切って、おばあちゃんは夕飯の豆腐を買う。ただそれだけの作業。大人というのは、そういうものなのかなと体で感じた幼い私でした。


ある日私は一人でお使いに豆腐屋さんに行きました。無口なおじさんが恐ろしく、大きく、はげ頭が異様に光りました。いつもは、極力無言なおじさんなのに、頑張って喋らなければと焦ったのか、一人で喋って自分で突っ込んで、また焦っていました。


豆腐を渡す時、私が落とさないか心配になったのか、いつもなら無造作に渡すのに、屈んでそっと渡しました。
帰る時も「気をつけてな」と戸口まで付いてきて「ああ~大丈夫かな。母ちゃんに付いて行かそうかな。お~い母ちゃん」と奥にいる奥さんを呼んで二人で何かやいやい言っていました。


私は子供ながらに帰れると感じたので、スタスタ帰って行きました。おじさんは心配そうに見ていました。落とさす無事に帰れたけど、豆腐がおいしかったのかどうかは覚えていません。

ただ、きっとおじさんみたいに素っ気ないけど、奥深い味がしたのではないかな‥と思います。

No.10

おばあちゃんと二人でよく蚕を見に行きました。おばあちゃんは「かいこさん」とさん付けで呼んでいました。かいこさんはビニールハウスみたいな形の施設で暮らしていて、桑の葉にびっしりついています。


おばあちゃんがあんまり「かいこさん」「かいこさん」と呼ぶので、私の頭の中のかいこさんはすっかり人間みたいな姿になっていました。かいこさんは私にとって、おしとやかで、美人なお姉さんです。


私が「なんでさんつけんの?」と聞くと、
おばあちゃんは「人間の為に糸作ってくれてるからやで」と言いました。

蚕は口から出す糸で繭を作り、その繭を人間が茹でて絹糸にして使用するのです。もちろん中の蚕は茹でられて死にます。

私のおしとやか美人のお姉さんが、茹でられて死ぬ…。あらがえない運命。茹でられて死ぬ為に生きる。


いつも蚕の飼育施設の前をおばあちゃんと通る度、死ぬ為に懸命に生きる姿を目に焼き付けようとしていました。

No.11

おばあちゃんは美容師さんでした。近所のおばさんが頭に何かかぶって機械を頭に当てながら、玄関入ってすぐの土間の椅子に座っていたりしました。

そして二人でぺちゃくちゃ大人の話をしながら、パーマの具合を見たり、ちょこっと髪を切ったりしていました。


私はお客さんが居る時は嫌いでした。大人の話をするし、邪魔者扱いされるからです。自分は邪魔者扱いされるべき存在じゃないというプライドがあったのでしょうね。


私は今でも大人と子供は対等だと考えています。
でも平等ではない。子供に与えられる権利は基本的なものだけなのです。

No.12

夏の日、おばあちゃんと近くの駄菓子屋さんにアイスクリームを買いに行きました。細い路地を二人でぶらぶら歩きました。おばあちゃんが暑いなぁとか、どんなアイス食べる?とか聞きます。私はホームランバーの普通のバニラが好きだったので、
「今日もホームランバー」と言いました。
おばあちゃんは「たまにはもっと高いやつ食べたら」と言いました。

でも私は高いとか安いとかの概念がなく、ただホームランバーが好きなのでした。

いつものホームランバーを買ってもらい、早速包装紙を破って食べながら歩きました。下の方からポタポタ溶けてくるので急いで食べました。何気なく棒を見ると、「当たり」の文字が。

「おばあちゃん当たってる!」
「え!当たりが出たらもう一本やでっ」とおばあちゃんは興奮して言いました。

急いで元の駄菓子屋に戻り、もう一本もらいました。また食べながら歩きました。するとまた当たり!もう歩かずおばあちゃんもその場で食べました。何回食べても当たりばかり。

「おばあちゃん何回買っても当たりやわぁ‥」
「ほんまやなぁ‥きりないから帰ろか」

二人はホームランバーをたらふく食べ、満足した足取りで家路を急ぎました。もう辺りはすっかり暗くなっていました。ホームランバーをたらふく食べた、夏の日の思い出です。

No.13

ホームランバー事件の真相は、メーカーが当たりばかりセットで製造するんでしょうね。でも何かのミスで固まって卸されて、おばあちゃんちの近くの駄菓子屋さんにいったのだと思います。

駄菓子屋のおばさんも私達と一緒にホームランバーを食べながら「ほんまやわぁ‥このセット全部当たりやわぁ~!」と信じられないという表情を見せてました。私とおばあちゃんとおばさんは3人で並んで座って、ホームランバーを食べました。

人生には不思議なドキドキするような出来事があるんだな‥と思った出来事でした。たとえそれが卸し業者かどこかの単純なミスが原因でも。

No.14

5才の時、私は両親の家に帰りました。自分の家じゃない気がしました。おばあちゃんと二人の生活は静かで、淡々と過ぎていったのに対して、両親との生活は賑やかでした。姉がいて弟がいました。

いつもおばあちゃんの事ばかり考えていました。「お母さん」と言えず、お母さんを「おばあちゃん」と呼んでいました。


私にはおばあちゃんがお母さんだったんだから、お母さんをおばあちゃんと呼んで何が悪いのでしょう。

おばあちゃんの匂いが懐かしかった。おばあちゃんちの匂いも、土間の質感も。私とおばあちゃんの小さな狭いあの家が懐かしかった。

No.15

両親の家での事を思い出す時、いつもしっくり来ない感じがありました。
自分が自分じゃない感覚はますます強くなっていました。

細かい部分が気になる性質は元々ありましたが、家の壁の模様はヨーロッパ風なのに、天井は怪しいマーブル模様、カーテンは大草原の小さな家っぽい柄で古き良きアメリカ風、家具は漆塗りの飾り棚と和洋折衷がどこまでも重なり合い、個性がぶつかっていました。一度母が少女趣味に走った時は、レコード台に趣味の悪いヒラヒラレースがかけてあったり、ティシュカバーがレースだったりしました。趣味の悪さが気になり過ぎて眠れない夜が多かったです。

No.16

母が少女趣味に走ったきっかけは分かりませんが、元々そういう傾向はあったようです。

家具にレース、電話にレース、ピアノにレース。漆塗り家具にもレース。もうレースだらけです。私は小さい頃からレースが好きだと思った事が一度もありません。どちらかというと意味がないし、邪魔だと思っていました。その無意味な装飾が家中に!!

あとミーハーなんだと思いますが、アイドルのポスターを壁や天井に貼られるのが困りました。ポスターは顔が良くて中身がないように写るものです。そんな顔だけ良い男を四六時中目にしなきゃならないなんて権利の侵害です。そんなポスターならギリシャ彫刻とかモアイ像の方が実在しない分良かったです。

という訳で母親と私が合うわけがなく、毎日ケンカしていました。

No.17

父親はプライドが高く、縛られるのが嫌な性格。自己管理が出来ないので、お酒、タバコ、浪費などの癖がありました。

頭は良いのですが、話を聞くのが苦手で早合点しがちで失敗していました。それを自分の責任と受け止めて成長する事を選ばず、相手側が悪いって事にして逃げてましたね。

嫌な事があると大酒飲んで忘れて、また同じ失敗を繰り返してました。私の苦手とする生き方です。

No.18

父は休みの日は昼間からお酒を呑む事もしばしばで、楽しい時は歌ったり、辛い時は怒ったりし始めました。

比率は1:9で完全に怒ってる日が多かったです。人生が上手く運ばないのを自分のせいとは露ほども思ってないのが分かりました。あの人はバカ、この人もバカ、自分以外全員バカと愚痴っていました。


人をバカにし始める前に、自分が完璧でなければならないと私は思いました。完璧な人間なんてあんまり居ませんから、人をバカにしてはならないという決まり事が出来上がります。しかし目の前で昼間からお酒を呑んで、グチグチ言っている人はどう考えても人をバカにして良い人間には見えませんでした。完璧にはほど遠い自分が一番大好きな人間でした。


そういう時は近くに居ても絡まれるので、素早いスピードで2階に非難してました。

No.19

父は自分の事が大好きだったのだと思います。

一人っ子という事もありおばあちゃんの愛を一身に浴びて育ったみたいです。
可愛いかったのでしょうね。頭も良かったようです。

でも30才になっても40才になっても可愛がってくれる人はいないでしょう。誰にも愛されない人も多いでしょう。おばあちゃんは子育てに失敗したと思います。

No.20

人を非難したり、バカにしたりする事は誰にだってありますね。でも自分にだっていい加減な部分があるし、バカな部分もあります。

完璧な人間は外見上に完璧というのではなく、規律正しく生きている人だと思います。完璧な人だけが人をバカにしていいと書きましたが、完璧な人は人をバカにしません。

完璧じゃないから人をバカにするんですね。でも人間なら仕方のない事なのかもしれないですね。

父は完璧じゃなかった。とても人間っぽく、とても弱い、でも可愛い人でした。

No.21

ある日家族で山道を車で走っていました。前の方を走っている一台の遅い車で、道は詰まってきているようでした。父はイライラし始めました。


父はまず一台抜かしました。細い曲がりくねった山道なので、対向車がいつ来るか分からない状況でです。何台も抜かして、もう少しで先頭の車まで到達しそうだと思った時です。父はカーブの途中で反対車線に出ました。その時カーブの影から大型トラックの車体が見えました。

私達の車と大型トラックはぶつかる直前まで接近しました。ギリギリのところで父は元走っていた場所にかなり強引に戻りました。何台かの車が激しくクラクションを鳴らしました。

あの時は絶対に死ぬと思いました。その時、自分の死に方はある程度自分で決めたいな‥思いました。タバコを吸いすぎたら肺ガンになるように。働き過ぎたら過労になるように。


健康的に生きたいと思いました。無謀運転はしたくない。たとえ目的地に着くのが遅れても、死ねばどこにも着かないのだから。

No.22

車でのエピソードをもうひとつ。

私達の車は赤信号で停まっていました。父は赤信号にもイライラしているようです。

後ろから救急車の音がしました。救急車が減速しながら一般車を追い抜かして行きます。赤信号も突っ切って進んで行きます。

その時何を思ったのか父が救急車の後ろにピタッと付いて走り始めました。家族は呆然でした。
結局何個かの赤信号を無視して走行しました。父はスイスイ進めてご機嫌でした。
「頭ええやろ」と自慢げに言っていました。
頭が良いとは思いませんでしたが、ちょっと笑えました。

No.23

父は法律を破るのを何とも思っていなかったようです。

私は法律を守る事に対しては上手く言えませんが中立的です。意味ないと思う法律も必要と思う法律も、また何故こういう法律がなく野放しになってるんだろうと思う事もあります。

そういう点で法律は人間が必要に応じて作ってきたものだし、これからも作られていきます。


私が悪いと思う事は、法律を破る事により嘘をつく必要が必ず生じる点です。


人にバレて嘘をつかなければならない状況=悪事だと思います。


いつも嘘をつかずに生きたい。おばあちゃんは「人が見てへんかっても、神様は見てる」って言ってました。


子供の頃、
「えぇ~ほんまに?神様どこにいるん?雲の上?」って具体的にどこに神様がいるのか、しつこく聞いていました。

今、どこで誰が見ているとか、具体的なシステムは分かりません。でも、どこかで誰かが見ているのは確かだと思います。

No.24

3時頃、寒すぎて目覚めました。7月なのにどうなんだろう‥寒いって。ここ一週間昼間はクーラーもつけず、夜も寒い状態です‥。秋みたいです。


そういえば、小さい時って暑いのは記憶にあるけど、寒いって記憶にありません。でも写真を見ると、ポンチョを羽織って毛糸の帽子をかぶせられて写っていたりするから、それなりに寒かったんでしょうね。ポンチョを着た幼い私(3才位)は童話の中の女の子みたいです。4才位までは可愛いですね。それ以降はすましたり生意気そうだったりします。


冬は姉弟とかまくらを作ったりしました。でも雪の量が足りなくてせいぜい子供一人しか入れないかまくらです。雪は初めは軽く感じて楽々積んでいけるのに、途中から重くなってきます。普通の手袋だから手もジンジンしてくるし腕もだるくなってきます。


白く美しいはかないものなのに、一筋縄ではいかない、太刀打ち出来ない自然の力を感じたものです。

本当に童話の中にいたら、雪はどこまでも軽く、白いんでしょうね。しかし現実の雪は重く、次の日には土や排気ガスで汚れていきます。かまくらも崩れてカッコ悪く庭にたたずんでいるのでした。

No.25

夏休み、姉弟と私の三人で毎日駄菓子屋さんに行きました。

お目当てはアイスクリームです。駄菓子屋さんは2軒あって、微妙に置いているアイスクリームの種類が違います。近くが「たいらさん」と呼んでいて、少し遠くが「神社の前」と呼んでいました。

私はたいらさんのジュエルアイスが好きで、これは赤や緑、青の氷砂糖がルビー、エメラルド、サファイアみたいにキラキラ輝く、宝箱のような素晴らしいアイスクリームで、値段はちょっと高かった記憶があるのですが、お小遣いに余裕のある時に買う私の特別なアイスです。これは姉も特別扱いしていて一目置いていました。


神社前はたいらさんより利用頻度は低く、たいらさんのアイスバリエーションに飽きた時に利用していました。


どちらにしても、箱で大量に買うより毎日違う種類をひとつ買って食べるのは、非効率的のように思いますが、子供にとっては買いに行く行為が楽しかったりするんですね。

No.26

小さい頃、家に絵本や児童書がたくさんありました。

童話は健気な貧しい娘が王子様に見初められて結婚してってパターンが多いです。
小さい頃、何故相手はいつも王子様なんだろうって思ってました。肩の所がふんわりしたパフスリーブの服を着て、金のスパッツを履いてる人となんか結婚したら、自分もレースひらひらドレス着なきゃいけないし、お付きの人がたくさん居て一挙手一投足監視されるのに。


でもラプンツェルの冒頭で、ラプンツェルのお母さんが魔女の庭から赤カブを盗んで食べるシーンや、狼と七匹の小やぎの最後に、狼のお腹が石だらけになるシーン(麻酔もなしに針でお腹をチクチク縫うんです)、とんがりあごの王様の傲慢なお姫様が、乞食と暮らすシーンなど、ちょっと残酷な場面にゾクゾクしたのを覚えています。これらは全てグリムなんですね。

グリムは他にヘンゼルとグレーテル、赤ずきん、かえるの王子も書いています。ちょっと気持ち悪いシーンもあるけど、そこがまた魅力でもありました。

No.27

私はレースやフリルが嫌いで、スカートは子供の頃からパンツや太ももが見えるという点で存在の意味が分かりませんでした。同性から見てパンツや太ももを見せられるのは不快なもの。不快とまでいかなくても、喜ばしい事ではないですね。


異性は違うと思いますが、人間の半分は同性だから、異性に良く思われるスカートで同性に少なからず不快感を持たれるなら、パンツスタイルで同性から好感持たれた方が何事も得です。そういう意味で、私はずっとパンツスタイルです。


パンツスタイルは男性に対しても仕事熱心な印象を与えるし、変な気を起こさせないという点でも素晴らしい。なぜ21世紀にもなって、未だにスカートというものが残っているのか不思議な位です。


男性からの受けの良さというのは重要なんでしょうか。それとも単純に太もも付近がスカスカして気持ちよいのか、男性から見られるのが快感なのか‥。どれだけ考えても永遠に分からないテーマなのでした。

No.28

スカートについて考えていて思ったのですが、パンツだとお尻の形や下半身の形がバッチリ分かって、スカートより逆にいやらしいというか、はしたないって考え方もあるのかもしれないのですね。私が思うのは、会社の制服のスカートに違和感あるんですね。看護士でスカートの人もいますし、客室乗務員もスカートですね。


働く女性全員パンツスタイルで何が悪いんだろうと思います。

男性の利用者が多いから好感度をアップさせたいとかが理由なら、女性の利用者はどうでも良いのかと思います。
真相はどうなんでしょうか。

No.29

とにかく、私はスカートを履かないし、履いてる女性があまり好きではないです。制服で履かなければならないので仕方なく履いてる人はパンツスタイルで行けば良いと思う。会社はそこまで干渉すべきでないと思いますね。


私はファッションに関しては色に対しても細かく、小学生の時、黄色い服を着てバスに乗っていて運転手さんに、
「ちょっとそこの黄色い服の女の子」と呼ばれた次の日から、黄色、ピンク、赤などの服を一切着なくなりました。

「黄色い服の女の子」と呼ばれて嫌な点は、まず「女の子」という言葉です。いくら小学生でもお金を払う年齢に達しているということはお客様なのです。それと純粋に「女の子」と呼ばれるのが嫌いというのもありました。「そこの人間」とか「そこのホモサピエンス」の方がましです。それから、小学生が団体で乗っていたなら仕方ないですが、小学生は私と弟だけの状況だったので、正しくは「そこの小学生位のお客様」です。


という訳で二度と「黄色い服の女の子」と形容されたくないが為に、私は黄色い服を捨てました。赤もピンクも目につきやすい色の服は全て捨てました。それによって私は黒い服しか着ない時期というのがかなり長い期間ありました。

No.30

黒は魅力的な色です。ミステリアスで奥ゆかしい色です。

私は服を買うときは黒しか買いませんでした。他の色の分量が多い場合は嫌がって着ませんでした。母親はひらひらレースを買いたがるのですが、買っても私が一度も着ないので、その内好きな服を買わせてもらえるようになりました。


小学生の時は黒いジーンズに黒いラバーソールが大好きで、後は黒とちょこっとグレーが入ったセーターとか、黒にワンポイントが入ったTシャツとかをずっと着ていました。

中学生になり、スカートが嫌でスカートの下にジャージを履いていました。校則が嫌いでどうしても守れない感じでした。守りたいけど守れない、そんな感じです。でも授業態度が真面目だったので、怒られた記憶はあんまりないです。式典の時は一度怒られて、嫌々ちゃんとした格好しましたが‥。未だになんであんなに怒られたのか謎です。私は外で見てたって全然良かったのに。

No.31

教師というのには、時々間違って教師になった人というのがいますね。

自分の話と家族の話が好きで、常に自分の考えが正しいと思ってしまっている。

教えるのが上手くなく、黒板に書く文字が下手で判読不能、又は文字の大きさが尋常じゃなく書くスペースがなくなる。

人の気持ちが分からない、人の気持ちを理解する能力がない。

この中で最悪なのが、人の気持ちが分からない教師ですが、人の気持ちを理解する為には話をじっくり聞かないといけませんね。すぐには心を開かない子供と向き合う。あきらめずに。


それをやろうとしない、やらなければならないとも思ってない教師。そういう教師に当たった場合は運が悪かったと思って、こういう人間にはならないようにしようと悪い部分をインプットしましたね。それ位しかする事がなかった。人生我慢も大事。


こういう教師はたまたま試験に受かってしまっただけなのですね。そういう意味で、人の気持ちを理解するのが苦手な人は就職先がないからといって教師になるのだけはやめた方が良いと言えます。

No.32

小学生の時、虫が大好きだったので毎日蟻の巣に目を近づけて見ていたら視力が低下しました。蟻の動きが早いので、まばたきを忘れていたようです…。

蟻が、教えられた訳でもないのに役割を果たしている訳を知りたくて、見逃さないように見ていましたが、結局目もかすんできたのであきらめました。

でも「教えられた訳ではない」というのがポイントのようです。教えられなければやらない役割はさぼりたくなるものですが、蟻は教えられなくても役割を果たすよう出来ているって事なんですね。

脳が小さいから複雑な感情を持たず、だからこそ使命を全うするのかもしれません。

人間は複雑な感情を持っているから、さぼるし、傷つくし、悩みます。


時には蟻のように与えられた使命だけを感じ、余計な事を考えず生きてみる日があっても良いのかもしれませんね。

No.33

犬や猫に感情移入する人は珍しくないですが、私は芋虫やカエル、あらゆる生き物に感情移入するので忙しいです。

毛虫が車にひかれそうだったので助けようとしていたら、大量発生していたようで何匹救助しても切りがなかった事がありました。ランドセルを背負ったまま道路に飛び出した毛虫を救助していたのですが、日が暮れて我にかえるまで何時間も助け続けていました。

毛虫にしたら余計なお世話なのでしょうが、どうしても毛虫が目の前で死んでいくのを放っておく事が出来なかった。

私が助けた毛虫達は立派な蛾になったのでしょうか…。私は蛾は嫌いで近付いて来たら追い払っているんですが…。だからもし恩返しに来たとしても追い払ってるんでしょうね。

No.34

毛虫を助けて日が暮れ、母に帰りが遅いと怒られました。私が毛虫救助の話をすると、

「それは良い事やけど、毛虫は感謝なんかしてないと思うで。無駄な努力や~。」とちょっと呆れて言いました。一応良い事と認められてちょっと照れくさかったです。

でも私としては感謝は求めてなかったです。ピンチの人(私の場合毛虫)を助けるという考えは誰の心の中にもあり、感謝されるかどうかなど細かい事はいちいち考えません。多分とっさに体が動くものなんでしょうね。

「感謝されたいからする」ではなく、自分の中にある正しい自分に従えば良い。自分がそうしたいからするだけなんですね。

No.35

そういう訳で、私は人を助けるような事をしたり親切をして感謝されるって事が苦手です。


あと褒められる事が苦手です。例えば、
「この仕事良く出来てたよ!」などと言われても、仕事はちゃんとやるのが当たり前なのに、何故ちゃんとやっていちいち褒めるのか…と思います。素直に喜ぶ事が何故か出来ません。
頷きながら力なくふらふらとその場を去ります。

思うにちゃんと仕事しない人がいるから、その人と比べられて褒められるのだと思います。全ての人がちゃんとやれば全ての人は褒められない。全員褒めるのは大変ですからね。

No.36

人を助ける時「正しい自分に従う」と書きましたが、よくアニメなどで天使の格好をした小さい自分と、悪魔の格好をした小さい自分が出てきますが、あれですね。

悪魔が、
「仕事が面倒くさいのは当たり前。適当にやっちゃいなよ!」と言い、
天使は、
「適当にやっても後で後悔するわよ!」って言ったりするんですよね。


悪魔の格好をした小さい自分に従ったり、正しい事だと思ってはいけないですね。常に天使を信じ、真面目に生きなければならないと思います。

最初は天使と悪魔で迷う事は大事です。
その内悪魔が出てくる事が減り、最終的には出てこなくなるのが良いですね。私はたまに悪魔が出てくる事があります。


そういう時はちょっとがっかりします。何故出てきたのか冷静に考えて、同じ考えをおこさないように努力します。早く全く出てこない人になりたいですが、難しい事だと思います。死ぬまでになれるかどうか…そんな感じです。

No.37

会社でぶれてる上司がいました。こんなにぶれてる人を久々にみたので笑ってしまいました。

「この仕事は私の責任だから」
と言ったすぐ後に、
「やる仕事が多すぎて…大変だぁ」(ちょっとパニック似気味)「だからこれは君に任せるよ」

でもしばらくしたら
「やっぱり君はやらなくて良いから。自分で何とかするよ。」
その後また、
「忙しいからやっぱりよろしく」

どっちやねん!と心の中で突っ込みを入れました。

なんでこんなにぶれてるのでしょう。中間管理職が忙しくて大変なのは分かるけど。誰かに任すという事は勇気がいると思うけど、全てこなすのは無理なんだから任せるしかないでしょう。しっかり優先順位つけて出来る事から順番に。

No.38

でも、ぶれてる上司は何にでも一生懸命な、良い人です。今日はたまたまぶれてたけど。

何にでも一生懸命な人って最近あまり見ない気がするので、素晴らしいとも思います。


松岡修造は何にでも一生懸命だけど、ちょっと押し付けがましいような気もするのですが‥。もう少し控えめなら素敵なのにね。一人無口に熱い闘志を燃やすって難しいのかな。

No.39

私の変わり者ぶりを受け入れてくれる異性が少ないです。

はっきり意見を言うからです。時に言い過ぎる‥。松岡修造に控えめさがあればとか言う前に、自分が控えめにならなければ。

意見を言った方が良い時に言わないのは、控えめなのか、ただ意見がないだけなのか。意見がある場合は、勇気がないのか、言っても無駄だと思うからか‥。

私が何故意見を積極的に言うかというと、未来を良くしたいと思うからです。

それとも大多数は変わりたくなく、現状維持を望んでいるのでしょうか。

私が現状維持を嫌い過ぎるんでしょうか。

No.40

現状維持って大切な事ですよね。何でも続ける事は難しい事だと思います。

同じ事を続けるより新しい事を思い付く方が得意な人も居るし、その逆もいます。性格や能力の違いだと思います。割合的にはどうなんでしょうか。日本人は地道にコツコツと続けられるタイプが多いように思います。しかし詳しい事は分かりません。

私の両親は二人共飽きっぽいです。


私もかなり飽きっぽく単純作業を続けるのが本当に苦手です。同じ動きをしていると機械になった感じがしてとても窮屈です。檻の中に入れられた動物はこんな気持ちなんだろうな‥って思います。でも全然普通に作業をこなす人もいます。

その人は全然窮屈でも、つまらなくもないのでしょうか。それとも窮屈だけど、ある程度の束縛やその窮屈さが気持ち良い‥などの感情があるのかもしれません。

No.41

単純作業が得意な人は、ある程度の拘束に耐性があると仮定するとして‥、もし人に束縛され自由を奪われたとしてもある程度は耐えられるって事なのでしょうか。


束縛されるのが好きって話を聞いたりしますが、束縛が気持ち良いとか、枠にはめられた状態に安心感がある、とかなのかもしれません。


私は自分の思い通りに出掛けたり、途中寄り道したり、何も考えずぶらぶらしたり、自分の好きな物を好きな時間に食べたいので、束縛は窮屈で仕方ありません。

ツアー旅行でも自由行動が多くないと息が詰まるものです。しかし自由行動は何をしたら良いか分からないから、きっちり予定が入っていた方が気持ちが良い方もいるのかもしれません。


私は仕事もこれからしよ~とか、あ、やっぱり今から休憩しちゃお~とかが好きです。そしてやる時は4、5時間ぶっ通しで休憩なしとか自由な感じが良いです。10時と3時にきっかり15分!と決まっていると自分が実験動物になった気がします。でも人生って実験動物みたいなものなのだと言われたらそれまでです。

No.42

実験動物というと、同い年のサルを檻に入れて食べ物を毎回満腹与える方と、毎回腹8分目与える方に分けます。


10年が経過、満腹サルの方は肥満体型で、毛の艶がなく全体的に薄くなっていて、おじいさんサルって感じです。

一方8分目の方は、痩せ形で、毛がふさふさ、艶もあり、目の輝きも良く、肌に張りもあり若く見えます。


どうやら毎回満腹食べると老化が早まるようです。

常にお腹が少し空いてるなぁという状態では、細胞の活性化が進む(難しい事は分かりませんが)みたいな事らしいです。

No.43

そういう結果からしても、過剰に食べる事は体を虐めていることになりますね。

ストレスなどで過食に走る方は、過食というやり方で自分を虐めている。だからストレスは虐めを呼ぶんですね。タバコも自分虐めだし、深酒も自分虐めですね。

自分を虐めず自分を大切に愛して欲しい。もし誰にも愛してもらえず孤独でも、自分で自分の体を虐めて苦しむ事より、ストレスを感じないようにして自分を大切にして欲しいです。

No.44

私の父は結局ストレスからの深酒が原因で若くして亡くなったので、「ストレスを感じない生き方をして自分を大切にして欲しい」と書きました。


自分をダメな人間だとか、価値のない人間だと思うと人生がどうだって良くなります。過食したり深酒になりがちですね。

そうではなく、自分は完璧な人間ではないけれど、人に優しく真面目に生きている以上、不必要な人間ではないと思って欲しいです。


ストレスのたまる仕事、必ず向き不向きがあるので自分に向いているかよく考えて欲しいです。向いていないなら、あきらめも肝心でいつまでも続けていても体を壊す事もあるでしょう。仕事の向き不向きは遺伝があるかと思うので、自分の努力だけではカバー出来ないものなのかもしれません。

No.45

最近、食べ物への関心が薄くなり、テレビでグルメ紹介番組を見ていても気持ちが悪くなってしまうようになりました。


父がホルモンとかお好み焼きなどの鉄板焼き系が好きで家族でよく食べていて、中学生で160センチ50キロだったのが、徐々に増え始め高校生で54キロくらいになりました。54キロは太ももと太ももがこすれて歩きにくい状態(^_^;)


大学に行き、好きな人が出来たりして46キロまでダイエットしてからいままで、妊娠出産授乳期時を除きだいたいキープしてます、が最近痩せてきました。何故なら食べ物に関心がなくなって来たから。


特に鶏肉はたまに食べるけど、牛肉と豚肉を食べなくなったのと、チョコレートを好きじゃなくなった事があると思います。

No.46

チョコレートが小さい頃から大好きで、大袋(ファミリーパック)を独り占めして食べていたのがチョコレートを甘過ぎるように思い始め、30過ぎて和菓子の方がいいなと思うようになりました。

匂いや食感は大好きなのに、あのじわっと舌の上で溶ける時に感じる甘さが不自然に甘いんじゃないかと。


鶏を食べる事について、日本人は昔から卵を食べる為に庭で飼ってきて、卵を産まなくなった鶏を食べてきました。そういう歴史からして多分日本人の体質に合っている気がする。

しかし牛肉や豚肉は多くの日本人が口にしなかった歴史からして体質に合わないように感じる。脂分が多い気がする。(沖縄では豚は重宝されてますが)

タンパク質は魚とたまに鶏や卵、大豆製品から採るので全然問題ないかなと思っています。

私は、特に牛に対してあんなに従順で温和な生き物を殺すという事にすごく悲しみを感じている。殺される時、体の大きい分時間的にも長く、小動物より痛いんじゃないかと思う。(息絶えるまで長くかかると思う。)

鶏だって豚だってそうだけど、やはり殺される時は痛い。その痛さを思う時、人間の楽しみの為だけに悲しい命を作り出してはいけないと思う。

No.47

そういう訳で、私は極力牛、豚を食べません。(外食で少し混ざってしまってたら食べます(>_<))


映画「千と千尋の神隠し」で、千尋の両親が神様の為のごちそうを無断で食べて豚になるシーンは、人間の愚かしさを見事に描いていると思う。

お母さんが「お金は後で払えばいいわよ」と言い、お父さんが「カード使えるかな」と心配し、脂ギトギトの肉やラーメンなんかをムシャムシャ、次から次へと。


人間はそういう方向へ行こうとしているのか。神様の作られた動物や穀物を欲望のままに食べる私達は、映画の中の千尋の両親と同じなのではないか。

食べ過ぎ、最後は豚になってしまうあたりもまさに。

No.48

そんなこんなで私は急速に痩せ始めている。

今までの160センチ46キロは割と体が軽く感じて楽だったけど、痩せてますます軽く快適生活です。


野菜、魚、たまに鶏肉、たまに卵、白ご飯に三分の一か半分くらい玄米を混ぜて食べる。お菓子は不自然に甘すぎたら食べない。黒糖のようなほのかな甘味なら大丈夫。

No.49

純粋なグルメ紹介番組は苦手なのですが、県民ショーという番組で、県や地域によって食の文化がかなり異なっているんだなぁと驚き、また面白いなぁと思って毎回真剣に見てしまいます。


どこだったか忘れましたが、何でも寒天状にして食べる県があり、甘い物を寒天状にする私の常識を覆し、肉じゃがなどの汁気のあるおかずなどを、なんでも寒天にしていたので驚きました。

常識より、小さい頃からの習慣が勝るという事ですね。小さい頃から大人が肉じゃがをゼリーみたいに食べていたら、それがおかしいなんて思う訳ないですもんね。


私が常識って思ってる事が、他の地域では有り得ない事だったり、またはその逆だったり、面白い事が世の中には普通にあるんですね。それが国単位ならまだしも、日本という同じ国の中に数多くあるという事が新鮮な驚きです。


ただ私が実際その地域に嫁いで、おかずがサラサラじゃないか!寒天を入れてくれ!と言われ、自分が毎日ゼリー状おかずを作り、食べ、子供達がそれを当たり前な事と思ってたら、その時は面白いとは言ってられないのかもしれません(>_<)

No.50

うちは小さい頃から父が酔っ払ってたのが常識だったので、子供の時たまたま他の家庭の夕食時にお邪魔した時、お父さんがしらふだったのでカルチャーショック!って感じでした(>_<)


うちの父は毎晩ぐでんぐでんで、まともな会話不可能状態、でもそのお家のお父さんは普通につじつまが合う事を言ってる…。うちは絡まれるのが嫌だから、みんなすごく早く食べてそそくさと自分の部屋に退散しているのに、このお家はすごくゆっくり食べてるし、食べ終わった後も談笑している!とびっくりしました。
家族団欒というものを見たことがなかったので、まじまじと見てしまいました。


深酒は家族から家族団欒を奪うんだなぁと。父はそのことに気付いてなかったですが…。気づけないから自分勝手に毎晩ぐでんぐでんなんでしょうが…。

死ぬ前に少し気付いてくれてたら良いな‥少しは後悔してくれてたら良いな‥と願うばかりです。

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