昭和から令和へ
長く生きたな。人生の折り返し地点は過ぎたけど、まだ夢も希望もある。
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妻は急に力の抜けた顔になった。
あの、私ね、もういいから。今まで幸せだったよ。もうあなたにも、妹ちゃんにも旦那さんにも、これ以上、迷惑かけたくないから、
私が母親と二人で暮らせば済む事だから。私さん、どうか、離婚して下さい。それが私の心からのお願いです。今までありがとう。
私は固まってしまった。妻が何言ってるか解らなかった。が、すぐに正気に戻った。
ばかやろ…いや、悪い言葉はいけない。
そんなの、俺が嫌だ。嫁ちゃんと一緒にいたい俺の気持ちはどうでもいいの?俺と嫁ちゃんってその程度だったの?
4人とも泣いてた。
それでも妻は、もう自分の家族が私や妹夫婦に迷惑をかけるのは耐えられないと、離婚を懇願して来た。
私は、妻と別れる方が耐えられなかった。
今、最良の方法は何か考えよう、と提案したが、妻は頑なに首を横に振る。
私は落ち着いている妻とは反対に、感情的になってしまっていた。
じゃあ、嫁ちゃんが残したパイナップルは誰が食うんだよ!嫁ちゃんがハンバーガー食べたい時、誰が一緒にマクドナルド行くんだよ!妹に、お姉ちゃんが出来たのは嘘だったのかよ!
私は妹と弟君の両方に身体を軽く押さえられてただ泣きわめいていた。
そして妹が言った。私、お姉さんをお母様から守るために協力させてもらうの迷惑だなんて思ってないよ、それより、もう一緒にコンサート一緒に行ってくれないの?
女の子同士の話はもう出来ないの?そんなの嫌だよ、やっと優しい姉が出来たと思ったのに。
妹も泣きじゃくっていた。
そこからの記憶が曖昧だが、妻はやっと、私たちとあのお袋さんのどちらを失う方が悲しいか、正直になってくれたんだ。
そして、妹も弟君も協力してくれるというので、4人で一致団結して、妻にお袋さんを無理矢理押し付けられない様にしよう、と作戦を立てる事にしたんだ。
昔、私と妹に色々教えてくれて車で家から逃げた時のあの彼に、またもう一度、頭を下げた。
彼にはまたしても助けてもらったんだ。
彼には本当に世話になった。私が世間の事をあまり知らないアホなのに対し、彼は色々知っていて、というか、私は仮に昔教わっていた事でも、
それを上手く活用する、という知恵が欠けていた。彼と4人で話した。
俺君、大丈夫。まず、俺君と奥さんは正式に結婚して戸籍上も間違いなく夫婦だとあちらのお母様は知っている訳で、
俺君と暮らしている事を知っていて、行方不明だの捜索願いだの、警察はまず、そのオバハン、あ、失礼、お母様は何を以てして娘の行方が解らないと言っているのか、俺君もろとも消えた、というなら、
解体現場で働いている事も知らないのか、と逆に問い返されるさ。
彼は次に、私たちがどの順で何をどうすれば良いか、丁寧に教えてくれたんだ。
まず、妹夫婦とあちらのお袋さんは面識がない事、妹の下の名はもちろん、今の姓(弟君の姓)も知らない事、を彼に確認され、
あちら側の兄弟姉妹は親父さん亡き後、ほとんど実家に寄り付かない事(手紙に泣き落としの文章で書かれてあった)、つまり、お袋さんがひとりで行動を取っている事なども彼に確認された。
そして、ここからなんだけど、たとえ兄妹とはいえ、別々の所帯を持った訳で、1ヶ月、家を、住む所を交換するのは抵抗あるかと思いますが、と彼が言うと、いの一番に妹が、
私、お姉さんさえ嫌じゃなければうちで生活してもらっていいよ、と言い、弟君も、3人がいいなら、と言ってくれて、私には二言はなく、妻が申し訳なさそうにしてたので、
お姉さん、4人で団結しましょう、お姉さんを、ずっと無視して来たお母様と二人暮らしなんてさせられない、お兄ちゃんと夫婦でいて、ね、私の姉でいて、と必死で話し、やっと、妻は、よろしくお願いします、と言ったんだ。
家賃などについても、変な話、うちの方が少々高かったが、差額を妹夫婦からもらうつもりもなく、妻は、自分のためだから、と、
住む所を交換しても、1ヶ月なら家賃や光熱費は引き落としだし、お互いに暮らす訳だからそのままで、となった。
そして、妹たちの住まいAに私たちが、私たちの住まいBに妹夫婦が、それぞれ1ヶ月暮らす事になった。
ちょっとややこしい話で、私のつたない文章で解っていただけるか自信ないですが、書いていきたいと思います。
私と妻は、Aで暮らしているフリをして、妻の母親に住所を教えた。当時(平成4年)は、携帯電話はなかったと思うので、しばらくは妹夫婦とは、こちらが公衆電話からかける以外はかけないでもらった。
妻の母親に、いきなりじゃなんだから、まず家を見に来て、と話し、Aに呼びつけた。
あら、いい暮らししてるじゃない?ちょっと狭いわね、と早速イヤミを言われた。弟君は真面目なサラリーマンなのに…と思いながら、
お義母さん、いつから同居希望ですか?と聞いた。妻はニコリともしなかったが、これも作戦だ。ここで妻がニコニコしたら、お義母さんは変に思うだろうから、わざと、不機嫌な顔をしてもらっていた。
そうねぇ、早い方がいいけど、向こうの家具もまだ全部処分してないし…1週間で空っぽにして不動産屋へ行って掃除して…
10日後にここに入居していい?
いい?も何も行方不明だの捜索願いだのさんざん物騒な手紙よこして妻を苦しめて、とムカッと来たが我慢して、
では何月何日という事で。と、二度と会うつもりもない人と口約束をした。
家の固定電話しかない時代だ、A宅の番号で、義母とやり取りするしかなかった。あの頃、ナンバーディスプレイがあったかどうだったろう…録音は昭和から出来てた気がするが、記憶違いなら申し訳ない。
B宅(本来の我が家)にいる妹夫婦に、その日が近付いたら一時間以内に入れ換われる様に荷物をまとめておいてもらった。サラリーマンの弟君には、本当に申し訳なかったが、嫌な顔1つせずに協力してくれた。
義母は、私に妹がいるとか、家族構成などどうでもいいのか、一切聞いて来なかったので私も何も言わなかった。聞かれたら、私はひとりっ子で通そう、と4人で決めた。
その日が来た。その日は土曜日だったので、弟君は休みで家(B宅、本来の我が家)に居てくれて、ひとりではやはり心細かった妹とずっと一緒に居てくれた。
昼前に、義母から電話があり、さすがに何か土産を買って行くから、1時間半か、もうちょっと位かねぇ、と言って、
年寄り扱いされるのは嫌だったらしく、大丈夫ですか?おひとりで来られますか?と言ったら、
失礼ねぇ、ひとりで行けるわよ、○○マンションの何階でしょ?と言った。失礼なのはどっちだよ、と思いながら、
ではお待ちしてます、と言って電話を切った。それっ!行動開始だ!
急いで妹夫婦に電話、お互いに間違っても妻と私と繋がりのある様な物は、特に私と妻は、部屋に残さずに、二人でB宅に向かった。
途中の駅で4人で落ち合い、玄関の鍵を交換し、私たちは義母の全く知らない本来の我が家へ、
妹夫婦はこれから妻の母が来る、本来の彼らの家にそれぞれ1ヶ月弱ぶりに帰った。
あとは妹夫婦の演技力にかかっている。妻が1番、申し訳なさそうな顔をした日だった。
ここからは、妹夫婦から聞いた話。1ヶ月ぶりの我が家に戻り、普段着に着替え、エプロンをしたり髪をひっつめる妹、
弟君も勝手知ったる我が家、いかにもそこに長く住んでます風にくつろぎ、妹の話だと、お姉さん、綺麗にお部屋使ってくれてたのね、だそうだった。
30分もしないうちに、ピンポーン。
来た。人間、知ってる人を知らないふりするのは抵抗があるが、本当に知らない人だと、素のままが1番リアリティーがあるらしい。
インターホンで「はい」と妹。若い女性の声の区別もつかないのか、義母は、「あ、私。」
妹が「どちら様ですか?」と怪訝そうに尋ねると、義母は「何とぼけてんのよ、さっさと開けて」と横柄な態度。
妹と弟君と二人揃って玄関を開ける。知らないオバハンが立ってる。オバハンも驚き(そりゃそうだ、見知らぬ男女が出て来たんだ)、
あ、あのごめんなさい、と言ったとか言わないとか。で、部屋を間違えたかしら、と隣近所を見ると、それこそ知らない表札が出ている(あの頃はまだみんな表札出してる家が多かったな)。
しばらく義母は混乱してた様だったそうだ。
「あのこちら、○○さんのお宅じゃないですか?」と義母。「いいえ。」と妹。「あの○○夫さんか○○娘という名前の人に心当たりないでしょうか?」と義母。
顔を見合わせて、さあ、と言う二人に、なかなか引き下がらないしつこい義母に、妹は、「あの何ですか?さっきから、迷惑なんですけど」と言うと、義母は、「1つだけ、これだけお尋ねしたら帰りますので」と言い、
二人は何年位そこに住んでるのか、と図々しいプライバシー侵害質問をし、妹夫婦は、もう4年~5年になります、もういいですか、と玄関を閉めたらしい。
その後、妻の母は、妻の他の兄弟姉妹の家を転々としたらしいが、ガキの頃から可愛がって来たお子さんたちにはさぞかし良くしてもらったんだろうな。
ひとりだけのけ者扱いしたバチが今頃当たるとは、よもや思いもしなかったろう。
妻がその後、あちらの家族に探される事もなく、私の仕事現場に来られる事もなかった。
妻と離婚しないで済んだんだ。私は、義母さんが妻に愛情を注ぎ、他の兄弟姉妹さんと同じ様に育ててくれていたら、こんな事はしなかった。
4人とも本当は悲しかったんだ。
ここまで読み返してみて、だいぶ省略したり、記憶も曖昧だったり、突っ込まれそうなところもたくさんありますが、
細かい事全部は書けず(言い訳ですが)、はっきり覚えている事だけは書きたいと思っています。
本当に、下手で話が飛んだりするものを、読んで下さってありがとうございます。
その後、妹夫婦の家に何回かあちらの義母の他に妻の兄弟姉妹から電話があったそうだが、やはり面識がないという事が強みだったのか、
妹夫婦は、妻を守ってくれるために必死で、どうしてうちの電話番号を知ってるんですか?や、お宅ら何なんですか?うちはきちんと契約して入居して(事実そうだ)、何も世間様にとやかく言われる様な事はしてません、
それより(当時ストーカーという言葉は世間一般に使われていたかどうだったろう)、お宅はなぜそのうちが知らない人の事でなんだかんだ言って来るんですか?
(妹もかなり強かったと弟君の話)、これ以上何かうちの生活に言いがかりを付けてらっしゃるなら、
お宅(妻の母と兄弟姉妹)が、『うちに対してなさって来た事』を、嫌がらせとして警察に被害届を出します。ときっぱり言ってから、
パタリと何も言って来なくなった。そして、私は前の急いで引っ越した所から、電話番号も変えた。
妻が相変わらず申し訳なさそうにしているので、ある時やっと4人で会えた時に、
妹が、お姉さん、どうか前までの明るいお姉さんに戻ってね、それが私たちの幸せだから、と言い、
妻も少しずつ明るさを取り戻して行ったんだ。
世間はバルセロナオリンピックで盛り上がっていたが、私たちはそんなこんなで、それどころではなかったが、妻の身内からはもう何も言って来なくなり、
前に住んでいた所には別の人が入居したため、うち宛の郵便は差出人に返されたんだろう。
連絡を取りたい人や繋がっていたい人には新しい電話番号や住所を教えていたので、郵便物が転送される事もなく、だんだんに皆、落ち着いて生活出来る様になったんだ。
妹が、妻をアイドルグループのコンサートに誘い、二人で横浜アリーナへ行くまでに妻も妹も笑顔になっていたんだ。300円だかのウチワをお揃いで持っていたっけ。
私と弟君はまた仕事の都合が合えば飲みに行ったんだ。こんなふうに生活したかっただけだったんだ。引っ越しや色々で物入りだったので、いっそう力を入れて働いた。
私は妻がまたニコニコして一緒に暮らせるだけで幸せだった。
妻は4人でメシ食ったりする時、いつも不思議そうに言うんだ。
私は、お話を聞いてもらえるだけで幸せなのに、どうしてあんなにまでしてくれたの?みんなに迷惑や面倒かけてしまったのに…。
3人は、皆同じ気持ちだった。毒親から妻を引き離したかった。自分たちに重ね合わせる事が出来たからだった。
ありがとう、ありがとうね。私は、幸せです。3人に会えてなかったら、今頃、無視された上に母を押し付けられるところでした。3人が困った時は、私に協力させてね。
妻の気持ちはみんなに届いてた。私は、あんな人たちと暮らして来て、よく妻は、人に感謝したりいつもニコニコしたり出来る人に育ったな、と思う。
妹も、頑固な私と違うところが、女の子の優しさなのかなと思った。
けれど、弟君は男の子なのに優しかった。弟君は、お袋さん似なのかな。
みんな誰でも両親には仲良くいて欲しいし、自分を認めて欲しいものだ。
きょう令和の8月は、墓参りの日だ。50代がぞろぞろと。
平成31年からの令和か。あのバルセロナオリンピックの年からも色々あったな。
そう言えば、両親の墓はどうなっているんだろうな。人にお参りに来られる両親ではなかったと思う。
きょうはしっかり手を合わせて来よう。
墓参りの話は、また別のレスに書こう。話はまた92年秋に戻るが。
妻の身内の一件があってから、私たちは、出来れば妹夫婦も、全く生活圏内の異なる所へ引っ越した方がいいんじゃないかと3人に話してみた。
なにしろお金がかかる事だ、預貯金があれば出来なくもないが、難しい。
その当時住んでた2組の夫婦は、JRの駅で7つ離れてた。この前の事を考えたら、同じマンションという訳にはいかないが、駅で3つ位の距離がいい。
弟君は、夏のボーナスもそんなに使ってないので、年内には越せると思います、と言ってくれて、
妻は、また申し訳なさそうに、私に出来る事があればやらせて欲しいと言い、
相変わらず生理痛の重い妹に、しんどい日はご飯作りに行くからと、4人は手頃な物件探しを始めた。
若い時ってのは、今考えると行動力があったものだと、体力だけでも取り戻したい気になった。
サラリーマンの弟君に合わせて、通勤に良く、家賃や間取り、駅からの距離などを考えて、妹夫婦が先に物件を決めた。
私たちはそこから単純に、どちらに駅3つ離れた方が色々便利か調べ、最終的に引っ越しが決まったのは、11月だった。
前の、妻の家族から逃げる様に引っ越した時よりはだいぶ気持ちも違った。
もちろん、妻の母や兄弟姉妹の生活圏とは全く接点はないだろうと、あたりを付けて、どこかには住まなきゃならんので、
家具などは相変わらず要らなくなった人からもらい、妹夫婦も妻も、値段の高い物には興味がないため、
引っ越しの荷造りも当たり前だが自分たちですべてをし(当時、荷造りからしてくれるパックがあった様だが、10万円違って来るので)、
ようやく2組の夫婦は、師走には引っ越し先で落ち着いて正月を迎えられるメドもたった。
1年以内に二度も引っ越した経験は後にも先にもあのバルセロナの年だけだったろう。
平成5年の年賀状を新住所で書くにあたり、妻は、学生時代の友人にも出さなかった。その友人が、妻の母や兄弟姉妹と同じ生活圏内だったからだ。
久しぶりの友人とも連絡取りたいだろうに、気の毒だった。が、妻は、もうこの3人と離れ離れにはなりたくないと、はっきり言ったんだ。
もう、もう仲間外れや無視されるのは嫌だ、あなたと妹ちゃんと弟さんと、私の4人っていう関係を壊したくない、と必死な顔で言ったんだ。
私は、嫁ちゃんを仲間外れだの無視だのしないから、安心しろ、な、と話したんだ。
そして妹夫婦は引っ越して普通に住民票を移し、私たちは、2つ前のアパートに次の人が入居するため1つ前の所へ住民票を移してから、またしばらく様子見のため、
ちょっとの間、住民票はそのままにしておいた。保険証も持っていたが、なんと妹が結婚して私が一人暮らしになったあの2DKの住所の保険証だった。
因果な仕事の割にはケガもせずにやって来られた事に感謝した。
気がつくと、私だけ30代、3人は20代だった。妹め、お兄ちゃんだけおじさん、などと言いやがったな~、妹が30になった時にはオバサンと呼ぶぞ~、
そんな他愛もない、他人さんから見たらアホみたいな事でも楽しかったんだ。
年に4回、誰かの誕生日だが、毎回プレゼントだのしてたら皆お金も気も遣うので、
その人の誕生日前後に、他の3人がおごる、そういう事にいつだったか決めたんだっけな。
つまり、弟君のお誕生日祝いで集まった時は、弟君にごちそうをし、4人分の会計を3人で支払う、という形にし、
妹の時、妻の時、私の時、それぞれ同じ条件にしたんだ。これなら一人あたりの負担も少ないし、
お誕生日おめでとう、と祝われて乾杯するのは皆嬉しそうだった。実際に私も最年長でも嬉しかった。
女の子二人には敢えて年は言わない様にしたな。私の様に昭和の30年代後半生まれは、子供の頃から、女性に年を聞くのも言うのも失礼、という風潮だったが、
今は違うらしい。時代も変わったものだ。
平成5年~6年は、充実した、幸せな時だったんだ。妻の身内も、私たちの徹底的なやり方に嫌気がさしたのか、全く妻を探している様子もなく、
まぁ私が会社に、1年間で二度も引っ越した事を少しひやかされたが(浮気したのか、とか揉めて引っ越したのか、など)、そんな事は男の世界である会話だが、
実際は、ここに書いたレスの様な事を会社の人に全部話せるはずもなく、引っ越しは妻といつも一緒で、別居もしてませんよ、先輩やだなぁ~、などと苦笑いしてごまかしていた。
妹は、昔、高校入学の祝いと就職祝いにプレゼントした腕時計と靴を大切にしてくれていたが、さすがに年数が経つと壊れ、これからは弟君が買ってあげるだろうし、
私も妻に、昔プレゼントした物を壊れるまで使ってくれた感謝の気持ちで新品を買ってあげたりした。
解体屋も一応会社だ。(当たり前だが)妹がサラリーマンの弟君にネクタイをプレゼントする事があっても、私は普段ネクタイをする仕事ではないので、
作業着を良く洗ってくれ、夏場も冬場もタオルを何枚も私の持ち物の中に入れておいてくれたんだ。
少し大きい現場だと、不景気なりに会社は給料に色をつけてくれた。ありがたかった。
妹と妻は、変わらず仲良くアイドルグループのコンサートへ行っていた。二人とも本当に幸せそうだったんだ。
初めの方のレスに書いた、そのアイドルグループ、光ゲンジさんの、30年近く前の曲を今も時々妹に、動画で無理矢理?聞かされるが、
私は数ある曲の中で、「風の中の少年」という曲を聞くと、やはり哀しくなるのだった。
ただ当時は素通りしていた、前の方のレスに書いたが。男と女には、避けて通れない時期があるし、女の子もツラいだろうけど、男もツラい。
あ、いや、こんな事を書きたかった訳じゃない。みんなそれぞれにそうやって人生で必ず通過する時を越えて来たんだな。
妹と夫、私と妻。大切な大切な、かけがえのない人と巡り合えて結婚出来たんだ。過去がなんだ!
私たちは、毒親から逃れて来た。お互いの、形こそ違えど、心の痛みも悲しみも解る。
これからも4人、支え合って生きていこう。
幸せに過ごし、平成も6年の師走になった。
弟君がいつもの様に、年明け1月に2週間ばかり出張しますので、と連絡をくれ、
その間、妻(妹)がひとりになるのですみませんが、お姉さんかお兄さん、時々一緒にいてやって下さい、との事。律儀な弟君だ。
安心して行って来なさい、といつもの返事。
私はこの先のレスを悔やまずに書く自信がありません。
平成7年1月、弟君は2週間の予定で出張に行った。
出張先は、神戸だった。
すみません、こうしてレスしていても手が震えて上手く書けません。ごめんなさい。
でも現実から目を背けません。ただ、神様を恨みました。
少し、時間を戻したり飛ばしたりするかも知れません。
本当に、読んで下さってる方、ごめんなさい。
弟君は、いや、弟は、平成7年1月17日に、帰らぬ人となった。
持って回った言い方も、詳細も書きたくないので書かない。
弟に限らず、6400人以上の命が消え、妹の様に、平常心を失った方が、どれだけ居たんだろう。
弟の会社は何も悪くない、自然の災害だった。妹のところに、社長だのが、この度は、と頭を下げに来てくれた。
妹は、まともに対応出来る状態ではなかったので、私と妻がついていた。
悲しいとか、そんな感情で終わる様な出来事ではなかった。
私は、しっかりしなければ、と、ローンを組んででも弟のお墓を建てた。
昨日、お盆前にと墓参りに行ったのは、弟に手を合わせに行ったのだった。
当時、妹の様子がおかしかった。泣くでもなく、弟の話をするでもなく、しばらくは私たちとも会話が噛み合わなかった。
私と妻で、妹を病院に連れて行った。
医者に言われた病名もあえて書かない。同じ病名を言われ、頑張って治療している方もおられるだろう。
妹は、夫(弟)とどんな生活をし、何を食べ、どこで遊び、何をして過ごしたか、
ショックのあまり、何も覚えてなかった。
写真を見てもキョトンとし、彼の持ち物を見ても何の反応もないのだ。
現実が頭に入ってない状態だった。
酷な事を言う様ですが、と医者に、妹にまず事実を受け入れ、悲しみや苦しみ、悔しさを吐き出させてあげて下さい、と言われた。
妹は本当にこのままだとダメになる、と思った。弟の事を覚えてないなりに、無意識に二人分の食事の用意をしていた。
妹から電話があり、妻か私が出ると、「あ、お姉さん(お兄ちゃん)?うちの主人、そっちにお邪魔してない?」と言った。
妻は泣いていた。どうしたら、妹ちゃんは、普通の、健全な人に戻れるの?一生、こうなの?私に何が出来るんだろう、と妻なりに妹を思い遣ってくれた。
私にすべてがかかってるんだ。
妹の家で、3人で会った。
あのな、よく聞いてくれ。弟君はな、亡くなったんだ。妹もあの阪神淡路の震災は知ってるよな?
妹は私の事なんて、誰の話?という顔でお茶なんか入れてる。妻が、妹ちゃん、私がやるから、と言っても、いいから、お姉さんは座っててね、と。
あのな、ツラいだろうけど、もう妹(名前)もいい大人なんだ、事実は受け入れてほしい。俺達だって悲しいし、信じたくない。でも、
…お葬式しただろう?弟君、…顔は綺麗な、眠っている様な顔だったな、お前も見ただろう?
私も話しながら弟君の身元が判って返された時の事を思い出し、声が泣き声になっていた。
妻もボロボロ泣いていた。
突然、妹が私を睨み付けた。
「なんでお兄ちゃん、そんな酷い事言うの?」
私は言葉が出て来なかった。
なんでも4人で協力しようって言ったじゃない?花火見に今年は行こうって言ったじゃない?うちの主人は約束破る様な人じゃないって知ってるじゃない?なんで?なんで?なんでお兄ちゃんはそんな酷い事平気で言うの?
妹はクッションやらタオルやら私に投げ付けて来た。泣いてた。
妻が必死に妹をだきしめる。3人とも泣いていた。
両親には悪いが、私は、弟君の死が、人生で初めて悲しかったかも知れない。
妻が言った。あのね、妹ちゃん、私たちも弟さんの事、とても悲しい。悲しいの。妹ちゃんに励ましてほしいの。お兄ちゃんもね、弟が出来たって喜んでたのに、ずっと悲しんでるの。
どうか、妹ちゃんの力を貸して、ね、弟さんの事、これから何十年も聞かせて。これは妹ちゃんにしか出来ない事だから、ね。
やっと、やっと妹は、大声でわーわー泣いた。呼吸困難を起こすんじゃないかって位、泣いた。
その間、ずっと妻は妹を泣きながら抱きしめてくれた。
嫁ちゃん、ありがとうな。妹、きつい事言って悪かった、ごめんな。
妹が元の妹に戻るには、かなり歳月がかかった。弟君の物を見るとツラくなるからと、写真以外は処分したが、それにも半年近くかかった。
色々あった、プレゼントしたネクタイで首を吊ろうとしてあわやのところで助けた事もあった。妹がそれほどまでに弟君を思っている様に、
私も妻も、24年経った今でも、私たちは4人、2組の夫婦だけど、4人家族なんだ、とどこかで思っている。
実はあの神戸の震災前に、妹は30の誕生日を迎えていて、弟君の出張前に、4人で妹の誕生祝いの乾杯をしたんだ。それが4人揃った最後になってしまったが、
今でも私たちは「4人家族」意識でいる。妹は少しずつ少しずつ、なんとか生きる気力を取り戻し始めていた。
それで初めの方のレスに、30年近く続いている4人の関係を壊したくない、と書いたんだ。私たちは、ずっと4人だ。
平成7年も秋になってたと思う。変な話、妹も病院通いを続け、しばらくは仕事も出来ずに収入がなかったが、弟の、保険金やら、何だったか、遺族年金?だったか、少しは生きていけるものがあったが、
家賃も光熱費も毎月落とされる訳で、妹も、しっかり働かなきゃね、と言えるまでに回復していた。
少し戻ると、葬儀屋、お寺に払うお金、喪中のハガキの印刷代、切手代、その前に香典を下さった方々に、デパートからお香典返しの発送など、かなりかかったので、私も妻と話し合い、出してあげられるだけは出してやった。
こういう時、一般的には私の立場の妻が、お金を出す事にいい顔しないと、仕事現場の先輩から聞いたが、
妻は、過去に自分の母親や兄弟姉妹から、自分を守って助けてくれた妹ちゃんと弟さんに、こんな時に恩返しがしたいからと、妹の方が恐縮する位、援助を勧めてくれたんだ。
嫁ちゃん、妹にそこまで、ありがとうな。
妹は、付けてもらった戒名を、仏壇の弟に報告してた。希望の字が入ってなかったら、ごめんね、と。
確かこの年の9月初めだったか、妻と妹がファンだった、アイドルグループ、光ゲンジさんが解散したんだったかな。
なんでも1年前に?メンバーさんがふたり抜けたと妻と妹が残念そうにコンサートへ行ったっけ。その後1年間、メンバーさんが5人で頑張ってるのを二人は応援してたっけ。
けれど、弟の事があって、コンサートどころじゃないだろうな、と思いながら、妻は、その5人さん最後の解散コンサートのチケットを2枚、密かに購入していたんだ。
弟の事で、行くのが無理だったら妻は自分も行かないつもりで、とにかくチケットだけは、行けるなら妹ちゃんと、と取っておいたんだ。
震災から半年以上経ち、なんとか日常生活を送れる様になった妹に、妻はそのグループさんが解散するから、もう彼らのローラースケートも歌も、見られなくなるね、と話し、
ねぇ妹ちゃん、最後のステージ見に行って、ちゃんと「さようなら」して来ない?とかなんか言った様だ。
今年は悲しい事があったから、もうアイドルさんともお別れコンサートで、しっかりお別れして来よう?そんな気になれなかったら、無理しなくていいから、ね、と妹に少しでも前を向いてほしかった妻が、精いっぱい声をかけたんだ。
妹は、お姉さん、ありがとう。いいの?と逆に妻の気配りに目が赤くなってたな。
妹も前へ進みたかったんだろう、妻と9月初めのグループさんの最後のコンサートにしっかりお別れして来るね、と仲良く出かけたんだ。
私は、嬉しかったんだ。妻が妹を思い遣る気持ちと、妹が前向きに生きて行こうとまで立ち直れた事が。
嫁ちゃん、アイドルの事はよく分からないが、ありがとうな。
妹、元気になって良かったな。私は、かつて弟君と飲みに行ってたお店に、ひとりでだけど、飲みに行って来るな。もちろん弟君も一緒に!
妹は毎日お仏壇を掃除している。今もだ。
弟君は私なんかと違って勉強をし、漢字に詳しい人だった、昔飲みに行った時、一度だけ、亡くなった人の戒名について話した事があったっけな。
あれは、そこの寺の住職さんや宗派にもよるらしいが、
戒名にたった一文字なら、希望する字を入れてもらえるとかなんとか。普通はダメなんじゃないかとは思うが。
その時、弟君は、なんだか希望する字がある様な事を言っていたが、何しろ酔っ払っていたのと、
まさかこんなに早く…とは思ってなかったから、またお互いお爺さんになったらその時な、なんて笑って飲んでたんだ。
妹に、悪くて話せなかったが、毎日お仏壇をみがきながら話しかけている姿を見ていたら、正直に話せた。妹は、仕方ないよ、お兄ちゃんのせいじゃないんだから。と。
あの後色々あって、今は妻と妹と3人で暮らしているんだ。
少し飛んだり戻ったりするが。
あの平成7年の10月初めから、妹は、私が会社の人にどこか女性をひとり雇ってくれる所を探していると言ったら、事務職なら1つ空きがあると言われ、
面接や簡単な試験を受けて雇ってもらったんだ。妹は、弟の一周忌までは引っ越したくないと。
あんなに写真以外は処分してしまうほど悲しみのどん底だったのに、落ち着きを取り戻したら、あれもこれも捨てなきゃ良かったと。
頑張れ妹。私たち4人家族だ。見えなくても4人家族だから、な。
妻と3人で妹の就職祝いを静かにしたんだ。あ、ちがう、4人でだった。
一周忌で思い出した。彼の身内の方々に、彼の訃報をどう知らせたものか、あの時は悩んだ。
妹はあんな様子で無理だったので、私が知らせた。
いつも手紙や果物を送って来てくれる様な優しいお袋さんに、なんと告げたものか、本当に辛かった。
妹夫婦の家の電話帳にあった、弟君の実家に電話をしたが、誰も出ない状態が続いた。
平成7年当時、携帯電話は…記憶が定かでなくて申し訳ないが、まだ私の周りでも持っている人は少なかった様に覚えている。
妹が、弟君の遺品整理をしていて、携帯がない、という言葉はなかったと思ったし、
平成8年か9年以降だろうか、自分も携帯を持つ様になったのは。何しろ20年前後も前の事となると、
自分がいつから携帯を持つ様になったか正確に覚えておられる方も少ないのでは?と思ってしまう。
現に今、妻や妹に、いつから携帯持つ様になった?と聞いても、二人も、いつからだっけ?と言っている。
そうだ、元気だった頃の弟君を含め、この4人が携帯電話で連絡を取り合った事はなかった気がする。
そうか、弟君は携帯電話を持つ事なく、亡くなってしまったんだな。
話が逸れてしまったが。
結局、いくら電話しても弟君の実家とは繋がらず、彼の葬儀は、私たち3人と、彼の会社の人だけで終わったんだ。
彼のお母さんからの宅配便の宛名札を、妹が取っておいたので住所が解り(こういうところは妹も妻も、女の子だな、と思ったんだ。男は宛名札も剥がしたら捨ててしまう)、
そこへ、息子さん(弟)が震災で帰らぬ人となった事を丁寧に慎重に書き、ポストへ投函したが、戻って来てしまった。
内容が内容なので封書にした。妹が、弟君宛の年賀状を1枚1枚調べたが、あの優しいお袋さんからはなかった。
親父さんが…鉄格子の病院に入っている事は聞いていたし、お袋さんは、彼の兄弟姉妹のうちの誰かとその配偶者と暮らしている、のも聞いていたが、
どこかに引っ越されたのだろうか。四十九日の法要前に、私たちは、現実逃避している妹を抱えながら、たのみの住所のところへ電車を乗り継いで行ったが、
その所番地の家には、別の人が住んでた。
弟君のお袋さんの行方も判らなくなってしまった。
3人で電車に乗ったのは、妹をひとりにしておけなかったのと、気分転換になればと思ったからだった。
往復の移動中も妹は、ねぇ夫は?夫はどこ?と駅のホームでも探したんだ。あの時も妻も私も涙が出てどうしようもなかった。
レス137に、弟の訃報を「私が知らせた」と書いてしまっているが、実際は、彼の身内の方に訃報は届いてないので、知らせた事にはならないな。
言い訳ばかりだが、人間、自分の中で、何かけじめのある行動を取ったと自覚すると、相手に伝わった気になるものなのだろうか。私だけか。
誰しもでこぼこしながら成長していくんだよな。世界中で私だけダメな人間だなんて事ないよな…
そんな事を若い頃から考えていたな。妻や妹は、目に見えて大人の女性に成長しているんだ。私もしっかりしなければ。
妹が元気に事務の仕事をし、弟の一周忌が済んだ平成8年。妻から提案があった。
妹ちゃん、独り暮らしじゃ夜怖いでしょう、3人が納得する形で一緒に暮らさない?ここじゃ手狭だから、3LDKに引っ越そうよ!
私はいいと思った。
妹は静かに言ったんだ。
お姉さん、ありがとう。こんなに助けてもらった上、一緒に暮らそうって声をかけてくれて。
私、嬉しいです。お姉さんの気持ち嬉しい。だけど、しばらくは向こうの家にいたいの。
もっとホンネを言ってもいいかな。
妻は、「何でも言って、何でも言って。」と聞く。
あのね、お姉さんとお兄ちゃんは仲の良い夫婦。とても素敵な事だと思ってるよ。
そんな二人と一緒に暮らしたらね、私、性格悪いから、(妻は「ううん」と首を横に振る)
どうして私には夫がいないの?とヤキモチ妬いちゃうし、ねたんでしまうと思うの。私のせいで二人がギクシャクするの嫌だし、
ちょっと離れている方が長く仲良く出来ると思うのね。だから、しばらくは夫のいた家にいさせてね。ごめんね、ありがとう。
妻は「あっ」という顔をした。
こちらこそ、妹ちゃんごめんね、私、無神経だった。ゴメンね。
そうか。妹の出した結論だった。つまり、私たち夫婦、に気を遣ってくれたんだな。
二人とも、私が一番無神経だった。妻も妹も、ごめんな。
それぞれが毎日を頑張って生きてたな。決して弟君の事を1年やそこらで忘れる訳もなく、
いつも遠慮がちだった、欲のなさそうな、人当たりのいい彼は、お袋さんに似たんだろう。私に会うと、なんだか弾んでくれて、嬉しかったなぁ。
妹じゃなくても彼をいいヤツだと思った人はたくさんいただろう。
人の死がこんなに悲しいとは思わなかった。両親には悪いが、やはり人は死なれてホッとする人もいれば、悲しくて何も出来なくなる人もいる、と知った。
決して人の命を軽んじている訳じゃない。50代も後半になると、あと30年40年生きられたとして、同世代がどのくらいいてくれるんだろう、と不安になる。
妻も妹も、私より先に召されないでほしい。もしおばあちゃん二人になった時は、助け合って生きるんだぞ、と二人に言ったら、
私たちがおばあちゃんになる前に、お兄ちゃんが先におじいちゃんだから、と、妹。良かった、その位憎まれ口をたたける様になったんだな。
弟君、見てるか。聞いてるか。天国はもう春か。また墓参りで会おう。
時代が平成8年なのか、今の令和なのか、ごちゃごちゃになってしまったなぁ。みんな元気だぞ。
平成8年春には、だいぶ3人の生活もリズムが出来て来た。
私は解体の仕事にもそろそろ年期が入って来て、若い、高卒の新人君も入って来た、夏になったら怖い話をしてやろ~と楽しみにしてた。悪趣味だな。
妻は基本的には主婦してもらっていたが、妹ちゃんが心配だからと、妹本人の許可を得て、掃除しに昼間、電車で駅3つ往復してた。帰りにスーパーでお惣菜を買う。
仕方ない、私と妹が教えて、お料理を覚えたはいいが、ひとりポツンと台所は、やはりひとりだけという疎外感が強まるらしく、
仕事仲間の既婚者に聞くと、大概の奥さんは昼間ひとりでテレビつけて食事するのが一番よ~と言うらしいが、
妻は逆で、ひとりは落ち着かない、美味しくない、土曜日か日曜日に妹ちゃんが来てくれて、3人で食べるのが一番美味しいし楽しいそうだ。
妹も、普段わざわざ掃除しに来てくれているお姉さんに悪いからと、うちに作りに来たり、向こうに呼ばれて行ったり、そんなリズムだったんだ。
妹の収入も生活ギリギリだった、しばらくは弟君から相続したものを月1万円~2万円おろしていたが、決して妹は贅沢している様に見えなかった。
思い返してみると、妻も、妹も、普通の家庭を知らない。私もだが。心を許せる人がほとんどいない。
この3人と弟君とで、色んな事と戦って来た、4人の結束が固かったからこそ、弟君がいなくなってしまった心の痛手は大きい。
ただある時、妻が言ったんだ。
妹ちゃん、一生ひとりなのかな、すぐには無理でも、再婚なんてしないのかな。
妹は、弟君以上の人はもう現れないと思う、と言ってたから、難しいだろうな。
未来の事は、誰にも分からないから生きていけるんだろう。
読んで下さっている方、ありがとうございます。
話があっちこっち飛んだり、過去だか今だか分からない様な支離滅裂なものにお付き合いいただき、恐縮です。
令和元年まで書ききれるか分かりませんが、頑張ってみます。
出来るだけ楽しかった事を書きたいと思います。
妻も妹も、眠剤や安定剤をもらうために病院で保険証が必要になった。
今はひとりに1つだが、何年か前までは、1世帯に保険証は1つあれば良かった。
妹は弟君の会社の社会保険の扶養家族だかに、妻も私の会社のそれになった。なんだかめんどくさいな。
妻は、あんなに逃げ回った、妻の母や兄弟姉妹にバレないかと心配したが、眠れず、落ち着かずに震えている妻が少しでも落ち着く薬があるなら、
そんな事は言ってられなかったんだ。
そして今は、妹は、自分の勤め先の会社の保険証を使っている。
私のところは、仕事柄、怪我や病気にけっこううるさい。うるさいというのは、
例えばこんな仕事をしていると、運動神経に自信のあるヤツは、梯子がめんどくさいからと、2階の屋根から飛び降りたりするが、
これは仕事上、禁止されている。それで捻挫したの骨折したの、仕事中の怪我です、などと言われたら、会社はたまったもんじゃない。
いつか若いヤツが屋根から飛び降りをやっちまって、リーダーさんにこっぴどく叱られた。幸いそいつはなんでもなく着地したが、禁止されている事はダメだ。
「おまえになんかあったらどうするんだよ!」のリーダーさんのひと言で、そいつも反省した様だ。
ただ会社の対面を保つだけの言葉と、そいつを思い遣った言葉をかけてやるのとで、人間、違うんだと思ったな。
リーダーさんは、いい家庭で育ったんだろうな。
少し書き急いでしまった様だ。このままでは500レス前に、令和にたどり着いてしまいそうだ。
どうも私は配分が下手で、言葉のやり取りまで細かく書いてみたり、急いで引っ越した、の様に2~3行で終わらせてしまったり、
全体のバランスが悪い。まぁ、元々そういえば、で始めた日記だ。言い訳ばかりして来たが、
学もないし、ちゃんと立派な事など書けない。これからも、頭に浮かんだ、あの時はこうだった、を書いていこうと思う。
本当に、欠かさず読んで下さっている方、ありがとうございます。
こんな酷く下手なものに時間を割いていただき、なんだか申し訳ないです。
不定期的ですが、なんとか書いて行きます。
あれは平成何年だったかな。弟君の事の後だった。
昔、花火大会に行った4人のうちの二人が結婚し、披露宴に呼ばれた後だから、
いや、披露宴の頃は弟君は元気で、招待された私と妹が出かける日は、妻に、仲間外れにするんじゃないから弟君と昼飯でも一緒に食ってな、と言った後だったな。
久しぶりに会おう、となったんだ。
彼らと久しぶりに会ったのは、震災から後だったと思い出した。
花火大会の時の4人で会うとなると、妻だけ留守番みたいな事になる。私は妻の、ひとりだけハブかれる悲しみや絶望を知っていたので、
妹に話して、向こうの二人に訳をぼんやり話すと、ぜひ俺君の奥さんも一緒に、と言ってくれた。
そして妻に、5人で会わないか?二人は初対面だけど、私と妹も一緒だから、と言ったら、
意外にも妻は、私なら平気だよ、懐かしい人たちなんでしょう?4人で行って、昔話に花を咲かせて来てね。と。
妻は、私は今、仲間外れにされている意識なんてないよ、だって、あなたと妹ちゃんと天国の弟君と4人家族だもの、と言った。
妻はだいぶ人として前を向いて来ていたんだ。
妹にも話し、お互い、本当に信頼し合うって大事なことだと思ったんだ。
ちゃんと食ってな、と妻に言い、不安になったら薬はここ、夜の玄関チャイムは出なくていいから、と言い、
妹と落ち合って出かけた。
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