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【黒い糸】

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@紋次郎@( 30代 ♂ BGhZh )
11/12/11 11:15(更新日時)

「アイツ..新入りのクセに生意気だよな」

俺の足元に座り込み煙草に火をつけながら話しかけてきた..

「そうか..な」

曖昧な返事をしたが気にもせず独り言のように呟いている..

「ゼッテーそうだってアイツ、朝会っても挨拶しねぇしよ」

この独り言のように呟いている金髪ピアスの若者が職場では2番目に長く勤めている。29歳くらいだろうか..名前は..確か堀本だったか..

長いというがこんな出入りの激しい会社では2年も続けば古株になる..

「この前の奴みたいによ大人の躾を教えて辞めさせちゃおうかな..」

堀本は話し終えると醜い唇を歪めながら笑っていた..

「それは堀本君が挨拶されても返しもせず携帯ばかりいじっているからじゃない?」

堀本はスッと立ち上がり首を傾け、にらみ付けた..

「あ!?俺が朝何をやろうがテメェに関係ねぇだろが?」

俺は襟元を締め上げられ呼吸が苦しくなった..

「フンッ」

真っ赤な顔で咳き込む俺をしばらく見下ろすと『オッサンも俺にイジメられねぇように気を付けろよ』と毒づきながら煙草を投げ捨て歩いて行った..

締め上げられたせいか霞んだ眼で見た堀本の左肩に黒くて細い糸のようなものが伸びて、歩く度に揺れているように見えた..

「オッサン..か..もうすぐ40に手が届くなら仕方ないか..」

額の汗を拭うと昼メシのサイレンが響いた..

機械のレバーに帽子をかけ煙草に火をつけながら自販機に向かった..

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No.1634949 11/07/16 23:19(スレ作成日時)

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No.1 11/07/17 22:49
@紋次郎@ ( BGhZh )

彼と付き合い始めて6年が経った

お互いに恋愛を楽しむ年齢でもなく結婚を考えなければいけないのかもしれない

2ケ月前、彼にプロポーズをされた..私は親の健康上を理由に返事を待ってもらえるようにお願いした

彼は笑顔で

「いいよ..良い返事を待ってる」

それ以来2ケ月過ぎても返事をしない私に戸惑う様子もない

返事をしない理由?なぜだろう別に何の不満もないはず..優しくて生活力もある人なのに返事をできないのはなぜ..

何か魚の小骨が引っ掛かる感じがするのはどうしてだろう..

コンビニの扉の前を小さな女の子を連れた親子がいた..女の子は父親と母親の両手にぶら下がるように甘えている..

「家族..か」

私は小さく呟いた。彼は扉を開けて私が入るまで待っていてくれる。こんなに気遣いの出来る人なんていないのかもしれない..

私は彼との出会いから今までの想い出を振り返りながらぼんやりと店内を歩いていた。買いたい品物は何も言わなくても彼が知っている

『結婚か..返事しょうかな』

彼は支払いを済ませると私を見つけ近付いてきた

「何か他に必要なものあった?」

「ううん..何もないよ。ありがとう」

彼は微笑んで『じゃ、帰ろう』と前を歩いて扉を開けて私が出るのを待ってくれた

私が振り返ると同時に扉の方で大きな音がした。彼の閉めた扉が外に出ようとした女の子に激しくぶつかったようだった..女の子は頭を抑えうずくまっている

私の視線は女の子から微笑みながら近付いて来た彼へと移った..

『この人の優しさは..』

魚の小骨が消えた瞬間に彼の左肩に黒く細い糸が揺らめいていた..

No.2 11/07/18 19:57
@紋次郎@ ( BGhZh )

私はエレベーターに乗り込み9階のボタンを押した

今日は早く出社したせいかエレベーターの中は誰もいない

3階のボタンが点灯した。扉がゆっくりと開き女性が1人乗り込んだ

「おはようございます」

彼女は明るく元気な声で挨拶をして8階を押した

『3階は総務課だったな..確かモデルにスカウトされた人がいたとか..名前は..』

ほのかに香水の香りに包まれたエレベーターの中で思い出そうとしていると5階で停止した

扉が開くと営業部課長が乗り込んだ

「おはようございます..課長..」

彼女は同じように挨拶をしたが私の時と明らかに何か異質な物を感じた

「おぉ..西原君か、おはよう」

二人は後ろにいる私を気にしながら肩を寄せ何か小声で話しをしている

『西原?そうだ西原だったな..スカウトされたって人なるほど..確かに美人でスタイル抜群だな..』

「じゃ、今夜..」

7階の扉が開くと営業課長は彼女の耳元に囁いた

『ふぅん..なるほどね。そういえば彼女は男の噂が絶えないとか..エリートの妻子持ちを喰い漁っては捨てているとか..』

彼女に対する批判的なイメージが伝わるのか彼女は身じろぎをした

『ま..エリート漁りなら私には縁のない事だな..嬉しいような残念なような』

苦笑をしているとエレベーターは8階で停止した..彼女はおもむろに振り返った

「今度お食事に誘って下さいね。野中主任..」

彼女の長い栗色の髪が私の鼻先をかすめた..

ぼんやりと彼女の背中を見送っていると左肩から細くて黒い糸のようなものがゆらゆらとしている..

扉がぼんやりと閉まった..

No.3 11/07/19 22:42
@紋次郎@ ( BGhZh )

「冴子、頼まれてた例の..少しだけどわかったよ」

里美と二人で美術館に行った帰りの喫茶店..私が唯一頼りにできる友達だ..

「黒い糸..何か解ったの?」

私は興奮気味に体をのり出した

「まぁね..ちょっと苦労したけどこのチョコパフェおごってくれたら教えてあげる」

里美は笑いながら数枚のレポート用紙をバックの中から取り出した

「まず黒い糸っていうのは間違いのようね..正確には黒い糸のように見えるもの..例えるならお線香の煙に近い形態なんだけど..この正体は気と生命力の混合体なんだって」

「気と生命力の混合体?」

「そう、もっと詳しく言うと陰とか負のマイナスのエネルギーと、その人の寿命が少し削られたもの」

私は呆然と里美の顔を見つめながら、それがどのような理由で左肩に現れ何故私に見えたのかを考え始めていた

「冴子?大丈夫?」

里美が顔の前をパタパタと扇いだ

「え?あぁ大丈夫..それで?」

里美はレポート用紙をめくり話しを続けた

「なぜこのような現象が起きるのかと言うと負のエネルギーが過剰に蓄積されると体の自己防衛反応としてその人の意識に関係なく放出されるんだって..また、気と生命力は二つで一つだから片方が放出されるともう片方も同じ質量だけ減少や消滅をするみたいね..左肩というのはバッテリーに置き換えると右肩がプラス極、左肩がマイナス極だから負のエネルギーが左肩から放出されるんだってさ」

「負のエネルギー..か」

「ところで冴子、プロポーズ断ったって?もったいない私に紹介してよ」

里美は真顔だ..

里美には彼とのコンビニでの出来事は話していない..

No.4 11/07/21 22:17
@紋次郎@ ( BGhZh )

西原麗華..もう彼女のいない未来は考えられない..

あの時彼女とエレベーターで出逢わなければ私の人生の歯車は狂う事はなかっただろう..

彼女に溺れ会社も家族も全て捨て自ら命を絶った同僚がいた..彼は入社当時から将来有望とされていた..

温厚で人柄もよく思いやりがあり人望もあった..私の唯一の友だった..

彼がどのような経緯で西原麗華と付き合い始めたのかわからないが、私は友への復讐のつもりで西原麗華と付き合い始めたはずだった..

しかし..1ヶ月も経たない間に復讐の言葉さえ頭によぎる事はなくなった..いや最初から復讐する気など無かったのかもしれない..

彼女と付き合うための口実を探していたのかもしれない..

酒臭い部屋に秋のやわらかな陽射しが心地よい..私はガランとした子供達の部屋と妻の写真をしばらく見つめていた..

鏡には死人のような顔をした私が見つめていた..

ボロ布のようになったスーツに着替え私は何かブツブツと呟きながら会社へと向かった..

ビルに入ると何人かの同僚に声をかけられたが直ぐに顔を背け逃げるように去って行った..

エレベーターに乗り込むとあの日と同じように誰もいなかった..

私は最上階を押した..3階に指先が触れかけたが苦笑と供に指先は離れていった..

最上階に停まった..ぼんやりと扉が開いた..黒い糸..何だったんだ..フッ..どうでもいいか..

私を見届けるように扉がぼんやりと閉まる..

No.5 11/07/22 22:50
@紋次郎@ ( BGhZh )

あれから独りの生活が戻った..彼と暮らした月日は決して短いものではなかったが不思議に思い出す事はなかった..寂しいとも思わなかった

ただ..一人分だけの食事を作る事が面倒になっただけ..私は『一人でも生きて行ける女』なのかもしれない

心の傷を癒すという分けではないが、気分転換に一週間の有給休暇を取り一人で旅行に出かけた

彼との記憶のように黒い糸の事も考えなくなっていた昨日までは..


「冴子、知ってる?人事部の野中主任、屋上から飛び降りたって..」

理沙子がお土産のチーズケーキを口いっぱいにほお張りながら尋ねた

「えっ..」

私は手にしたコーヒーカップを落としかけた

「あなた旅行に行ってたから知らないだろうと思ってさ..ほら、総務の西原って女知ってるでしょ?あの人が原因じゃない?って噂よ」

社内事情に精通している理沙子の情報なら間違いないだろう

「野中さんて..あのマイホームパパさん?それがあの西原さんと?どうして..」

「さぁ..パパさんどうしたものかねぇ..」

理沙子が腕組みをし顔を曇らせながら首をひねった

「ただ..その日パパさんお昼頃に会社に来たんだって一ヶ月ぶりに..髭は伸びほうだいスーツもボロボロで臭いがしてたって..何人か声をかけたけど臭いがひどくて近寄れなかったみたい」

「そうだったの..」

私は野中さんとは直接話しをした事はないが時折見かけた人なつっこい笑顔を思い出していた..

「それでね声をかけた時に聞こえたらしいけどパパさん、『黒い糸..』ってブツブツ言ってたらしいよ」

私の手からコーヒーカップが滑り落ちた..

No.6 11/07/23 17:42
@紋次郎@ ( BGhZh )

「堀本さん..実はね..」

私は切り出すタイミングを計っていた..

堀本は運ばれてきたアイスコーヒーを一気に飲み干し荒々しくカップを置く音が事務所内に響いた..

「なんだよ、言いてぇ事があんなら早く言えよ」

組んだ足を小刻みに揺らしながら私を睨みつけた

「堀本さん、先方さんが今週で契約を打ち切るそうです..」

堀本の体に緊張が走るのがわかった..何か言いかけるのを制止するように私は淡々と事後の手続きについて説明を始めた..

「今週末までに荷物の整理をお願いしますという事です。それからこの書類を先方の担当者にお渡し下さい..」

堀本は書類に目を向けず拳を握りしめている..

「で..俺の次の派遣先は決まってんだろうな?」

幾分弱々しく聞こえた声に吹き出しそうになったが同情するようにあらかじめ用意していた言い訳を話した..

「そんなのテメェらの都合だろうが!来週からどうやって生活すりゃいいんだよ!」

堀本は今にも掴みかかりそうな剣幕で怒鳴った

「堀本さん、すいません。堀本さんを最優先して次の派遣先を探しますから..」

私は深々と頭を下げてチロリと舌を出した

「当たり前だろ!すぐ探しておけよ!」

堀本は書類を掴むと扉を蹴るようにして出て行った停止した事務所内の時間が動き始めたようだった..

「飯島さん、あの人ここを辞めてもらった方がいいんじゃないですか..先方さんにも印象が悪いようだし..何度か苦情の電話も入ってましたよ..」

コーヒーを差し出しながら事務員が声をかける

「それに..何か黒い..」

そう言いかけて彼女は机に戻った..

No.7 11/07/24 02:53
@紋次郎@ ( BGhZh )

「里美..私..」

いつもと違う涼子の声に不安を感じた..

「どうしたの?」

沈黙が続く

「うん..今日ね、事務所に派遣の契約を切られた人が来たんだけど..」

不安そうに言いよどむ涼子の声が小さくなる..

「その人が事務所から出て行くときにね、背中から何か黒い..」

考えあぐねている涼子に里美は確信を持って言った

「左肩から黒い糸のようなものが見えたんじゃない?」

涼子の驚く声がした..

「どうして分かったの?」

「うん..最近、黒い糸にちょっと縁があってね..ハハハ」

里美は冴子に渡したレポートの内容を思いだしながら涼子に説明し、黒い糸について新たに判明した事を話した..

「おそらく涼子の場合、先天的に備わった能力..というか..人並み外れた感の鋭さが反応して見えたのかもね..」

涼子は幼なじみで幼少の頃から不思議な体験を話しては里美や周囲の大人達を気味悪がらせていた..霊力といった類いなのかもしれない

「やっぱりそうかなぁ..最近、そういう感覚が弱くなってきたからホッとして体調も良かったんだけど..」

涼子の声は心細気だった

「涼子、大丈夫だって..心配だったらしばらく泊まりに来なよ..トラも会いたがってるよ」

携帯から猫の鳴き声が聞こえてきた

「うん..ありがとう..私もトラちゃんに会いたいな..」

それから他愛もない話しが続いた。『ありがとう..また電話するね』涼子の声が少し明るくなったようだった

「黒い糸..」

里美は頭の後ろに両手を組み天井を見上げている

『冴子..涼子..黒い糸..』

私は呟きながら目を閉じた..

No.8 11/07/25 00:10
@紋次郎@ ( BGhZh )

夕食の後片付けをしていると母から電話があった..

半年ぶりだろうか..留守電に何度かメッセージが残されていたが忙しさを理由にそのままだった事を思い出した..

両親は田舎の港町で小さな民宿をしている..二人供、還暦をとうに過ぎているが病気もせず元気に切り盛りしている..

電話の内容は私の身体の心配とお見合いの話し..

『冴子が結婚してお婿さんと二人で民宿の後継ぎをしてくれることが夢だ』と幼い頃、父がほろ酔い気分で何度か語ってくれた..

私も早く結婚して後継ぎになると言っては両親を喜ばせていた..

今となっては懐かしい想い出にしかない..

夢も目標もなく漠然と都会に移り住み、歯車みたいに毎日を過ごしていると何の為に働いてるのだろう..と自分に問いかけてしまう..

こんな日々を送るだけなら結婚して後を継いで両親を楽にしてあげる方が幸せではないだろうか..

母の哀しげな諦めかけた声を聞いてると申し訳ない気持ちでいっぱいになり涙が溢れた..

そんな時も母は『どこか具合が悪いの?』と私を心配してくれる..優しい母の声がとても辛い..


夕食の後片付けが終わると近くの公園へ散歩に出かけた..

まだ、うっすらと夕焼けが影をのばしている..

私はベンチに座り砂場で遊んでいる子供達を眺めていた..

いつの間にか隣に初老の女性が座っていた。子供達を見て微笑んでいる..

「子供達は無邪気でいいわね..」

女性は目を細めた。そして私の方へ顔を向けると誰かと会話でもするように時々頷いた

「あなた..強くなってきてるわね..」

女性の言葉の意味が何となく理解できていた..

No.9 11/07/25 22:13
@紋次郎@ ( BGhZh )

「麗華、あんた社内評判が相当悪いみたいよ」

夕方5時..社内が帰宅に慌ただしくなってきた。化粧室でエリが口紅を塗りながら麗華に言った

「ふぅん..別にいいけど」

麗華は気にする様子もなく髪を整えながら答えた

「ほら..この前、屋上から飛び降りた」

エリが鏡越しに映る麗華の視線から目を反らし、横に向き直った

「ちょっと..やめてくれない?死んだのは私のせいだって言うの?」

疎ましそうにエリを睨んだ

「そ、そういう分けじゃないけど」

麗華に睨まれると何も言えなくなった

「ところでエリ、この前紹介した男どうだった?」

麗華の表情がパッと明るくなり悪戯気味に口元を歪めて見せた

「あぁ..あの金髪でピアスの..堀本?」

「そうそう!私の御下がりで悪いけどさ。そんなに悪くなかったでしょ?」

探るように尋ねてきた麗華の瞳が獲物を狙う猛禽類のように鋭く光った

エリは身震いをした

「別に..何もなかったよ。あの時体調悪くて..あんたと別れてから少しして帰ったよ」

「なぁんだ..つまんない」

鼻白んでいる麗華にエリが不安気に話した

「あのさ..この会社に『鑑査部』があるって知ってた?」

「鑑査部?社内調査なんかする?」

「うん..限られた人しか知らされていないけどさ」

「何であんたが知ってんのよ」

訝しそうにエリを見た

「わ、私は何も関わりないわよ。噂よ!ほら、あんたはここに来てまだ2年くらいだから噂も知らないだろうと思って」

麗華は言い繕うエリに何かを感じた

「もういいじゃん。飲み行こ!」

エリの手を取り、ドアを押した麗華から笑顔が消えた

No.10 11/07/26 21:05
@紋次郎@ ( BGhZh )

私は公園で知り合った初老の女性と度々、顔を逢わせていた..

彼女は『黒い糸』の正体についても知っていた..それは里美が調べてくれた内容とほぼ同じだった..

私に黒い糸が見えた理由を尋ねると『あなたは自分のことよりも、まず相手のことを考えてしまう人だねぇ..嫌になるくらい考えてしまう。自分が犠牲になっても目の前の人だけでも助けてあげたい..。見返りを期待するわけでもなくね。それがあなたの宿してる星なんだよ..そうした日々が無意識のうちに五感を研ぎ澄まし、相手の心が形や色として見えてしまう..』

彼女の話しを聞き終えると体に何かスーッと落ちていく感じがした..

それから『印』という、おまじないを教えてもらった。夕暮れ時の空に向かって彼女は星形に指をパチン、パチン..と五度鳴らした。

彼女の指が描いていく軌跡に静電気程の細い雷光が強く輝いては消えていった..

私は見よう見真似に指を鳴らしながら星を描いた。

五度目の指を鳴らした時、バチバチッと音がした..彼女が最初に放った印と私の放った印が共鳴したらしい..彼女は驚いていた..

この『印』とは、どのようなもので何のために放つのかという話しを彼女がしてくれた..

何となく理解できたが、こんなものを実際に使うことがあるのだろうかと半信半疑だった..

最後に彼女は『これは黒い糸と同じ性質なもの。正と負、陰と陽、マイナスとプラスの違いだけ..放つとあなたの気と生命力に影響する』と教えてくれた..

その日を境に公園へ行っても彼女に会うことは二度となかった..

私は彼女のことも『印』のことも忘れ始めていた..

No.11 11/07/27 21:08
@白猫@ ( BGhZh )

私と理沙子は午後から会議室のセッティングを頼まれた

200人程が十分に入れる程の会場だ。二人なら5時までには終わるだろう..

誇りだらけの椅子とテーブルを拭いたりしていると、あっという間に3時を回っていた

「ちょっと休憩..」

理沙子が誇りだらけの椅子に腰を下ろし慌て立ち上がる

「冴子、この会社に鑑査部があるって聞いたことある?」

理沙子がスカートをはたきながら言った

「鑑査部?社内調査なんかする?」

「そう、でも公にはされてないんだって..ここって、ワンフロアーごとに部署があるでしょ、その各部署に一人配属されて、その部署の仕事をしてるんだって..」

私は愕然としていた

「何だか監視されてるみたいで気持ち悪いよね..隣で同じ仕事している人がスパイだなんてさ..」

なぜ、ここまで情報が漏洩しているのだろう..鑑査部の存在を知っているのは社長と鑑査部直属の上司と鑑査員を任命された者だけのはずだ..鑑査員同士は顔も名前も知らず会うことさえない..報告は同じ直属の上司に各個人がする..

各フロアーに一人配属されているという情報は私が数年がかりで得た情報だった..それがどうして..

「冴子?どうしたの?」

私はハッとして顔を上げた

「え、うぅん何でもないよ。ほんと嫌だよねぇ..理沙子、もしかして鑑査部のスパイだったりして..」

理沙子が笑い出す

私は動揺を隠すように饒舌になっていた

「さぁ、気合い入れて頑張らないと5時には終わんないよ。理沙子ゴー!」

腕まくりをして椅子を拭き始めた後ろで、理沙子の溜め息が聞こえた..

No.12 11/07/28 23:09
@白猫@ ( BGhZh )

「チッ、全然ツイてねぇや」

堀本はパチンコ台のガラスを叩き、箱が積まれた通路を憎らしげに見ながら外へ出た

大きな欠伸をするとポケットから携帯を取り出した

「チッ、まだ連絡よこさねぇ」

契約を打ちきられ最優先で次の仕事を探すと担当者の話しだったが、あれから2ヶ月過ぎても連絡はなかった

担当者の携帯は繋がらず事務所に電話をするがいつも留守だった

直ぐにでも事務所へ怒鳴り込みに行きたい気持ちだったが電車賃もパチンコにつぎ込んでいた

「あの担当者..会ったらただじゃすまさねぇ」

毒づいていると腹が鳴き出した。3日もまともに食べていなかった

空腹を満たすために公園に向かった

腹一杯に水を飲みベンチに座るといくらか落ち着いた

「堀本か?」

ぼんやりと公園の噴水を眺めていると後ろから声をかけられた

スーツ姿の男がアタッシュケースを膝に抱え隣に座った

面倒くさそうに顔を見ていた堀本が急に声をあげた

「お前..川見か?」

高校を中退し街中で知り合った不良仲間だった。窃盗・恐喝・暴行・強姦..当たり前のように繰り返していた

「少年法が守ってくれる」

これが仲間の口癖だった..相手が泣こうが叫ぼうが仲間と一緒だったら恐くなかった..両足が一生動かなくなった奴もいたが街で見かけた時、車椅子を壊してやった..警察に捕まれば親が迎えに来てそのまま遊びに出て行った

川見とそんな思い出話しを時間を忘れて懐かしんだ

「お前少しは丸くなったのか?」

川見が煙草に火をつけながら訊いた

「全然..さすがに警察に捕まっても親は迎えにこねぇよな」

堀本が頭をかきながら笑った

No.13 11/07/29 12:19
@白猫@ ( BGhZh )

「そういや、ずいぶん立派な格好してるが..なにやってんだ?」

川見の姿を品定めするように視線を移した

「まぁな。憐れな女に夢を見させる仕事さ..」

川見が煙草をぷかりと吹かした

「ふぅん..何となく想像はつくがな。お前は昔から口が巧いし女にモテたからな..さしずめ結婚詐欺師ってところだろ?」

川見がむせかえった

「お前、昔から勘だけはよかったよな..当たらずも遠からずだな。俺の場合は詐欺じゃなく本当に結婚するがな」

堀本が興味深そうに身を乗り出してきた

「本当に結婚する?それでどうするんだ?」

川見が煙草を投げ捨て新しい煙草に火をつけた

「長い時間をかけて付き合ってよ、人柄を信用させて結婚する。それからそいつの貯め込んだ貯金を少しずつ頂き相手から離婚するようにしむけるんだ」

川見が歪な笑いを見せる

「うまくいくのか?」

堀本が真剣な表情で訊いた

「この前初めて失敗しただけだな6年かけて信用させたんだぜ?プロポーズして後は返事を待つだけの段階までいったのによ..二人でコンビニ行った帰りにいきなり別れるなんて言い出しやがった。アイツ相当貯め込んでたな」

堀本は忌々しげに話す川見を鼻で小さく笑った

「何があったんだ?」

「さぁな俺も何が何だか..」

川見が肩をすくめた

「ただ、コンビニで俺が閉めたドアにガキが突っ込んで来て頭をぶつけてよ、無視して出たら、それをガタガタ言い出しやがった」

「ハハ、くだらないことに腹立てる女もいるんだな」

堀本が話しに飽きたように大きく欠伸をした

「それによ..何か俺の左肩に黒い糸がどうとか言ってたな..」

No.14 11/08/03 20:30
@紋次郎@0 

「ただいま」

夕陽に照らされた玄関を開けると涼子の大好きなカレーの香りが鼻をくすぐった

「涼子お帰り」

母がコンロの前で滲んだ汗をエプロンで拭いながら背中越しに応えた

「美味しそう」

涼子が母親の隣りに立ち胸一杯に香りを嗅いでいる

「あれ..今日、カレーの日だっけ?」

「違うわよ。近頃涼子が元気ないようだから..」

涼子が6歳のとき父親が亡くなった命日の8のつく日は父親も好きだったカレーを作ることにしていた

「お母さん..ありがとう」

「さぁ、出来たわよ。ご飯にしましょ」

エプロンを外し鍋をテーブルへ運んだ。涼子が食器棚から皿を取り出す

「涼子..また何か感じ始めたみたいね」

「うん..少し。」

大好きなカレーでも食の進まない涼子を心配気に見つめる

「それよりお母さん、公園で知り合った八波さんだった?近頃会ってないの?」

涼子は心配する母親を気遣うように話題を逸らす

「あぁ..八波さんね。彼女はとても強い力を持っていたわ。ただ使い方を知らなかったから護身の印を教えてあげたのよ..見よう見真似で印を放ったんだけど、私がお手本で放った印に共鳴しちゃって..驚いたわよ」

母がここまで相手の力に驚いたことは今までになかった。それほど強い力を持った方なのだろう

母は守の印に、私は攻の印に秀でていた。この力は神樹家代々より引き継がれている遺伝的なものだった

また、攻守どちらの血を引き継ぐのか分からない..ただ、攻の血が強ければ短命、守の血が強ければ長命ということは確かだった

「彼女なら大丈夫よ」

私は止まっていたスプーンを口へと運んだ..

No.15 11/08/04 20:09
@紋次郎@0 

水戸エリは鑑査部の噂をを西原麗華に話して以来、彼女の態度が微妙に変化しつつあることに気付き始めた..

仕事上の会話では今まで通り変わらなかったがプライベートに関する会話を一切する事がなくなったのだ..

西原麗華が入社しエリが教育担当をしてからの仲だった..

「やっぱり..鑑査部の事、話したのがまずかったかな..」

エリは悩んでいた。鑑査員を任命された当初は給料とは別の報酬と内容の興味深さに惹かれ、依頼された調査を身を削りながら調べ上げてきた。緻密な調査内容と正確さには定評があった

しかし、生来の飽き性なのだろう2年も続けて一生分の貯えもできた辺りから嫌気が差してきた..

西原麗華の調査依頼を受け行動を共にしていたが、いつの間にか容姿端麗な彼女の得体の知れない魅力に引き込まれていた..

鑑査部の上司には適当な途中経過を報告しているが別の鑑査員にも西原の調査依頼をしているのだろう、報告書に目を通すだけで質問を受ける事がなくなった

『鑑査員を解任されるとどうなるんだろう..まさか今までの報酬分を返せなんて言うんじゃ..』

過去に鑑査員を解任された者はいない


「あ、そうだ..来週人材派遣から運搬用員が1人来るんだった..作業服用意しなくちゃ」

社内食堂でひとりだけの食事を済ませるとエリはゆっくりと席を立った

西原麗華は、その姿を食堂の人目につきにくい位置から眺めていた..

「堀本?あたし..仕事してないんでしょ?え!?来週から仕事?その前にバイトしない?簡単よ..あんたが昔よくやってた事よ..」

麗華の端正な唇が吐き出された血のように紅く染まっていた..

No.16 11/08/06 12:13
@白猫@ ( BGhZh )

水戸エリは心を決めていた。鑑査員を解任してもらい西原麗華との仲を取り戻したいと思っていた

麗華との付き合いは平々凡々とした日常を金銭には代えられない刺激を与えてくれた

あの日以来、麗華と疎遠になりつつある毎日をどうしても食い止めたかった

そんな事を考えながら今日も仕事を終え電車に揺られていた

二駅先から見える程の大きなビルがエリを見下ろしていた。数年前に建設が始まったが、何かの理由で建設が中止になり、今はホームレスや若者達の溜まり場となっていた

エリはそのビルの窓からのぞく四角に切り取られ夕陽が好きだった

電車から眺めていると窓に差し込む夕陽がスライド写真のように明滅した

『おばあちゃん..大丈夫かな..』

エリが小さい頃に両親が別れどちらにも引き取られずに泣いていたエリを祖母が面倒をみていた

一年前に祖母が脳梗塞で倒れ寝たきりとなったがエリの献身的な介護も効を奏し、一人で起き上がれる位に回復してきたがエリに迷惑をかけまいと無理をして転倒した事が度々あった

駅を出ると近くのスーパーで夕食の買い物を済ませた

買い物袋をぶら下げ家路を急ぐ人達をなんとなく見ていた

電車から眺めていたビルの前を通り過ぎようとした。夕陽が人気のない路地に暗闇だけを残そうとしている

エリはフッ..と意識が遠退いた。

荒々しい息遣いに朦朧とした意識が戻り始めた..

体が揺れていた。揺られる度に小さなコンクリートの破片に背中を削られた

男の声が低く響いた。体がスーッと軽くなり何人かの靴音が遠ざかっていった

声をかけた男が横たわる私を見下ろす

「黒い糸..」

エリは呟いた

No.17 11/08/07 22:53
@白猫@ ( BGhZh )

「冴子、あなたの会社に水戸エリって子がいない?」
日曜日の午後、鈍っていた体を鍛えなおそうとジムで一汗流し終えたところに里美から電話があった

水戸エリ..総務部で西原麗華とつるんでいたはずだ。近頃は西原と行動することが少なく昼食も独りでポツンと摂っていた

冴子は調査を依頼された分けではなかったが気にかかる人物の交遊関係等は独自に調べ上げていた

「いるけど、どうしたの?」

タオルで額を拭いながら弾む息で応えた

「死んだわよ」

里美は地元の小さなスポーツ新聞社の記者をしている。スポーツ記事が専門だが事件・事故に関する情報も即座に収集できるルートは開拓していた

冴子は詳しい状況を訊いた

水戸エリの自宅から1キロ離れた工事中のビルの中でホームレスが発見した。死亡推定時刻は金曜日の18:00から23:00で数人から暴行を受けていた

直接の死因は自身による頸動脈切断。遺体の傍に落ちていたガラスの破片からエリの血液と指紋が検出された。膣内から複数の体液が検出されたが証拠隠滅の為だろう、下部に消火剤がかけられDNA鑑定による特定は断念した

警察は暴行が直接の死因ではないと判断。自殺と断定し捜査を打ち切りにした

No.18 11/08/07 22:54
@白猫@ ( BGhZh )


里美は手短に説明した

「里美、ありがとう。水戸さんの事は顔くらいしか覚えていないけど..同じ社の仲間がそんな事になるなんて」

「冴子なら大丈夫と思うけど気をつけてね」

電話を切ると冴子は社の屋上から飛び降りた野中、今回の水戸エリ。西原麗華と関わりのあった二人の事を考えていた

「偶然..か、それとも..」

月曜日に出社すると鑑査員の非常召集が密かにかけられた

No.19 11/08/09 00:07
@白猫@ ( BGhZh )

鑑査員の非常召集令は社外郵便物に紛れるよう机上へ無造作に置かれていた..

郵便物を配り歩いてる運搬員の後ろ姿が、なぜか気にかかり暫く様子を見ていると、左肩の後ろから黒い手がはっきりと浮かび上がり、肩をがっちりと掴んでいた..

冴子は数日前にも、食堂の柱に隠れるように携帯で話しをしている西原麗華の後ろ姿を見かけた時にも、黒い手ががっちりと西原の肩を掴んでいるのを思い出した..

運搬員が時折、左肩を重そうに上下させると、目深にかぶった帽子から金髪の毛先とピアスがチラついた..

冴子は部屋から運搬員が姿を消すのを見届けると、『情報集積部・管理検査課・八波冴子宛』と書かれた封筒を手に取った..

裏には『庶務課・伊島』とだけ記されている..

表向きは庶務課主査の肩書であるが、本業は鑑査部直属の上司だった。この伊島が全ての鑑査員の上司となっていた..

封を切ると一片のメモ用紙に時間がボールペンで走り書きされていた..

「10分後か..」

冴子はメモをシュレッダーで破棄すると、隣席の同僚に倉庫室に書類を取りに行くと告げ席を離れた..

地下一階のワンフロアーの半分程が倉庫室となっており、残り半分が書類庫として利用されているが、実際には鑑査部室となっていた..


ドアをノックして入ると誰もいない部屋で、白衣を着た伊島がくるりと向き直った..

年齢は六十くらいだろう..総髪だが全て白くなっており、温厚そうな笑顔を見せてはいるが時折、鋭い眼差しに居すくむことが度々あった..

冴子は、なぜ伊島がいつも白衣を着ているのか分からなかった..

彼が部屋から出ることも、社内を歩き回ることはなかった..


実は、この書類庫の隣にもうひとつ部屋があり、そこが報告等をする部屋となっていた..

この部屋から更に奥へと続いている、細く狭い通路の入口があるのを、ドアの隙間から見たことがあった..


鑑査員は質問をする事を許されていない。伊島の問いに答えるだけだった..








-御礼-

システム担当者さん、ありがとうございました。おかげ様で心おきなく執筆できるようになりました..

行間やこの『..』にも、こだわりがあったので..(笑)
(^-^)v

No.20 11/08/09 23:23
@白猫@ ( BGhZh )

伊島と向かい合い、席に座ると、更に奥へと続いている細く狭い通路の扉が開き、伊島の助手と思われる白衣を着た50才くらいの女が、脳波・心拍・脈拍・血中成分等を計測する器材を運び出して、慣れた手つきで私に取り付け始めた..

質問に対し、虚偽の有無を心理状態や生理現象の反応を見て確認しているようだ..

この一連の儀式を終えて、伊島の質問が始まる..

「八波冴子、水戸エリの事は知っているな?」

「はい..」

「水戸エリと個人的な付き合いはあったか?」

「いいえ..」

言葉を発する度に計器類が騒がしく動き始める..

「水戸エリと西原麗華について何か調べていたか?」

「いいえ..」

計測器の針が乱れた音がした..伊島の表情がわずかに変化するが、それ以上追及されることはない..

助手が質問の項目ごとに波形の数値を打ち込んでいる..

「最後の質問だ..野中数馬、水戸エリが鑑査員であることを知っていたか?」

私が応える代わりに計器類が慌ただしくリズムを崩していた..

「いいえ..」

伊島は当然だろうな..という態度で椅子にもたれかかり、小さなため息をついた..

「ご苦労..仕事に戻りなさい」

伊島はそう言うとスッと立ち上がり、細く狭い通路の扉の奥へと姿を消した..

助手が無言のまま、取り付けた計器類を取り外していく..助手とも会話することは禁じられていた..

以前、二人だけになった時に話しかけたが、人差し指を口に当てる仕草をして、扉の近くにある本棚の方向を目配せした..

おそらく盗聴器とカメラが仕掛けられているということだろう..

片付けが済むと助手は伊島の後に続くように扉を開いた..

「野中主任と水戸エリが鑑査員だった..」

十四階建てのビルに十四人の鑑査員..野中数馬と水戸エリの死亡により十二人となった..

冴子は二人の死亡と西原麗華との関わりを疑わずにはいられなくなっていた..

No.21 11/08/11 20:16
@白猫@ ( BGhZh )

「でもさぁ、あんたがこの会社に来るなんて思いもしなかったわ..」

二ヶ月前、堀本は以前勤めていた派遣先から契約を打ち切られた..

派遣会社の担当者に自分を最優先して次の派遣先を探す事を約束させたが、結局は二ヶ月ほど干された状態となっていた..

一週間前に担当者から紹介された派遣先が西原麗華の勤めている会社だった..

麗華は社内で運搬員として働いていた堀本を見つけると、直ぐには声をかけずメールを送って退社後会う約束をした..

「おぉ、俺も驚いたぜ..まさかお前がいたとはな..」

堀本はニヤリと笑いながらジョッキに手を伸ばすと一気に飲み干した..

「それにしてもよ..なんでこんな遠くで会わなきゃならねぇんだ?」

空のジョッキをドンとテーブルに置くと舐めるように麗華の唇から胸元を眺めた..

「会社の人間に見つかると嫌だからよ..」

堀本の視線が煩わしいように一瞬だけ目を向けた

「これでも社の上層部には顔がきくのよ..」

「ふぅん..しこたま枕営業で成績上げたんだろ?」

テーブル下の麗華の膝頭に手を伸ばすとバチンッと叩き落とされた..

「そんなことより、水戸エリの事..本当に殺してないでしょうね..?」

前に置かれた串皿を手の甲で押しのけ、身をのり出すと声を一段と落として訊ねた..

「あぁ、本当に俺は殺っちゃいない..」

堀本も身をのり出すと声を押し殺した..

「五人くらい街の不良どもを集めてよ、一人二千円で雇っただけさ..」

「そいつらの口は固いんでしょうね?」

凍りつくような無表情に紅い唇だけが微かに動く..

「心配すんなよ..そいつら外国人だぜ..と言っても半分日本人の血が混ざっているがな..日本人の男に騙された女のガキ達だ..金さえやれば何でもする連中さ..」

そう言ってのり出した体を後ろに、のけ反らすと大きく背伸びをした..

「そう..大丈夫なようね。」

麗華もその話しを聞くと体をのけ反らし、ふぅぅ..とため息を洩らした..

「ま..自殺だから問題ないんじゃない?オイ、頼んだビールがきてねぇぞ!」

通りすぎようとした店員に凄みを効かせると持っていたトレーを通路に置き走ってビールを持って来た..

「そうよね。自殺だもんね」

そう言うと麗華もぬるくなったジョッキを一息に飲み干した..

No.22 11/08/13 20:29
@白猫@ ( BGhZh )

美術館を出ると里美と涼子は真夏の陽射しを避けるように木陰を選びながら歩いた..

「里美に美術観賞の趣味があるなんて知らなかったなぁ..」

意外そうに里美の横顔を見た

「ちょっと、それはどういう意味なのかなぁ?涼子くん?」

里美は肘で涼子の腕を軽く小突く..

「あ、悪い意味じゃないよ」

涼子が慌て手を振った

「美術品に対する知識もすごいなぁと思ったよ」

涼子が感心するように里美の顔を覗きこんだ

「まぁ..興味を持ち始めたのは最近なんだけどね..」

里美が肩をすくめながら笑った

「友達に美術館にいると心が落ち着くから一緒に観に行かないって言われて..それからマイブームってわけよ」

涼子は『ははぁん..』という表情になり

「もしかして..里美の彼氏?」

涼子がイタズラっぽく訊ねた

「違うわよ、女友達よ..でも半分男っぽいところもあるから半分彼氏..かな」

涼子がケタケタと笑い出した

「その友達って、どういう風に男っぽいの?」

興味津々に涼子の瞳が輝いた

「うぅぅん..そうねぇ..六年付き合ってた彼氏を躊躇なく振れる女..精神的にタフな女..一言で言えば一人でも生きられる女..って感じかな..」

里美は憧れにも似た眼差しで遠くを見つめながら話した..

「ふぅん..里美にそこまで言って貰える人は珍しいよね..私も会って見たいなぁ..」

涼子の蒼白い素肌を葉陰に遮られた陽射しが斑模様に揺られている..

「あ、涼子の家って..天子町だったよね?その友達も天子町なんだよ」

「え?そうなんだ..」

ふと、里美は涼子が隣りを歩いていない事に気付いた..

振り返ると涼子は里美の話しから何かを感じたのだろう..立ち止まり、目を閉じて右手の中指を額に当てていた..

里美は『また何かやってる..』と恐る恐る涼子の行動を見つめながら思った..

しばらくすると右手をゆっくりと降ろし、振り返っている里美に微笑んだ..

「里美..その友達って、八波冴子さんじゃない?」

里美は口をぽかーんと開けたままコクリと頷いた..


No.23 11/08/14 22:57
@白猫@ ( BGhZh )

冴子は二台のモニター画面から滑り落ちていくデータを目で追っていた..

情報集積部・管理検査課に配属されてから毎日続けている事だった..

社内外で使用されているインターネットや情報端末等が社員により、不正に利用されていないかを検閲するのだ..

冴子の本来の業務である鑑査員の延長のようなものだった..

社員が社有のパソコンや携帯から情報を送発信すると情報集積部・管理検査課を経由する..

業務に無関係なキーワードに触れるとリアルタイムの内容が別のモニター画面に写し出された..

冴子は、その内容をバックアップし発信者の名前を追記するだけだった。あとは部課長が勝手に判断する..

この情報集積部・管理検査課の部課長であるには高度な人格と人間性が必要とされた..

以前、情報端末を不正に利用した女子社員を部課長が脅迫し、ワイセツ行為を強要しているという情報があり鑑査部から調査依頼があった。証拠は即座に上がった..冴子が鑑査部へ報告した翌日に部課長の姿は消えていた..

公にはされていない鑑査部には、絶大な機動力権を与えられていた..ここが情報集積部・管理検査課との根本的な違いである..


『ん..?』

耳鳴りするほど静まりかえっている部屋に心の声さえも響くようだ..

冴子はキーワードにヒットし、送受信されている内容の確認を始めた..

『発信者は..西原麗華と堀本和樹..いずれも社有の携帯を使用している..堀本?』

冴子は堀本に関する情報を調査した..

『一週間前に運搬員として派遣か..西原との接点は..』

西原の社外での交遊関係等も独自に調べ上げていたが堀本の名前は浮かんでこなかった..

冴子はモニター画面に写し出されている二人のやり取りを眺めながら接点となる手掛かりを考えていた..

No.24 11/10/01 01:50
@白猫@ ( BGhZh )

人口が減少の一途を辿る田舎町に一際、巨大なビルが2年前に建設された..

建設計画が持ち上がった当初は『街の景観を損ねる』と地元住民の反対が根強かった..

世界経済の遅滞や景気低迷の渦に巻き込まれた日本でも、雇用率の悪化等により就職する事は困難となっていた..

首都圏でさえこのような状況の中で、『このビルが建設された暁には、この街から優先的に雇用者を募る』と建設担当者から説明会での話しがあった..

雇用者数は千人以上、街の人口が三千人弱..待遇も一流会社に優るとも劣らない条件だった..

説明会には地元住民を始め町会議員や市の幹部職員までもが集まっていた..

自分の子供達の就職先やコネに頼られて頭を悩ませる者も多くいたのだろう..

雇用と待遇の案が出たとたん、渡りに船とばかりに反対を唱える者はいなくなった..

説明会は数回に渡り行われたが、それ以降和やかなムードで終始した。中には『早く建設して欲しい』という意見も聞かれ始めていた..

そして、街の期待を一心に背負いビルは完成した..

雇用の件も説明会の通りに行われた為、この窓ガラスがひとつもなく、十四階建ての剥き出しのコンクリートの積み木は街興しのシンボルタワーとまで呼ばれるようになっていた..

伊島はそのビルの地下にいくつもの部屋に分けられたガラス張りの研究室を注意深く見て歩いていた..

研究室にはパソコン、テレビ、携帯電話とそれらと向き合うように被験者が椅子に座り、画面と額との間に鉛筆のような測定器が設けられていた..

伊島は各研究室の前で立ち止まると青いキャンパスノートにメモを書き込んだ..

「伊島」

少し離れたところで呼ぶ声に振り返ると、アルマーニに身を包んだ四十歳位の長髪の男がいた..

「社長..」

伊島はノートから目を離すと愛想良く近付いて来る男を見つめていた..

「伊島、研究の進捗状況はどうだ?」

表情は穏やかだが目の奥に得体の知れない不気味な光が宿る男の視線を避けるように伊島はキャンパスノートに目を落とした..

No.25 11/10/01 19:10
@白猫@ ( BGhZh )

「はい..地域住民達の問題もなく二号棟の方は順調に進んでいます..」

伊島は抑揚のない声で応えた

「ただ..一号棟で少し..」

男は言いよどむ伊島に沈黙しながら次の言葉を待った

「問題という訳ではないのですが..一号棟の鑑査員が二名死亡しました..」

伊島は二枚のプロファイルを手早く手繰り、男に手渡した

「一号棟の鑑査員..都心部の実験体の事か」

男は首を少し傾けて渡された二枚のプロファイルから暫く目を離さなかった..

「水戸エリ..野中数馬..実験体としては最終段階に入っていたのか..死因は何だ?」

ファイルから目を離した男の視線が鋭く伊島にぶつかった..

「はい..水戸エリは事件に巻き込まれたショックによる自殺..野中数馬は男女間のもつれによる自殺です」

伊島は男の手にあるプロファイルに目を落としたまま応えた..

「調査結果に間違いはないのか?」

「間違いありません」

男の肩から少し力が抜けたのがわかった

「実験の副作用によるものでなければ問題ない..まぁ気の毒だが今まで法外な報酬で十分楽しんだ事だろう..もっとも実験体ではなく、鑑査員としての報酬という事になっているがな..」

男は二枚のファイルを指で弾きながら苦笑した..

「しかし、実験の最終段階に入っていたのは痛かったな..実験データはどうだった?」

恨めしげに男は訊ねた

「はい..九十パーセントは記録されています。不足分はコンピューターのシュミレーション通りの結果に間違いないと思われます」

伊島は男の視線を時折外しながら応えた..そうでもしなければ、蛇にでも睨まれているようで吐き気を催しそうだった..

「それは良かった..」

男は満面の笑みを浮かべた後、打って変わり氷のような冷たい表情になった..

「伊島、この研究は必ず成功させるんだ。今や日本..いや世界はIT無しでは機能しないまでにITウィルスに侵されている..サイバーテロなどもう古い..これからは、あらゆる回線を通じて直接人間の脳を支配する時代なんだ..」

「はい..」

伊島が頷くと男はポンと肩を叩き煌々と照らされた廊下を歩いて行った..

ガラスの向こうには嬉々として採用通知を受け取った地元の若者達が、頭部に機器を取り付けられ廃人のようにモニター画面と睨み合っていた..

No.26 11/10/02 01:20
@白猫@ ( BGhZh )

冴子は西原麗華と堀本和樹の携帯電話やメールのやりとりを全て監視していた..

そして、西原麗華が野中数馬の死については直接関わりはないないが、水戸エリに関しては西原が堀本にほんの少し脅すつもりで襲わせていたた事が分かった..

水戸エリの死から数ヶ月が経っていた..

西原と堀本は目立った行動をする事もなく他の社員と変わらず業務をこなしていた..

しかし、堀本の評判は悪かった..特に女性社員からの苦情が後を断たなかった。この数ヶ月で退職した者は数名に及んだ..

退職した数名の女性社員達は退職に至るまでの間、堀本の契約を反故にしてほしいと上司や人事部に何度も嘆願したが反故にするどころか正社員として採用した..

この処遇に関しては上層部に仕事以外で深い繋がりのある西原麗華が、この際に自分に反発する者を排除すると共に手足となってくれる堀本を引き込む目的で、それとなく仕組んだ事だった..

冴子はこの件を綿密に調べ上げ鑑査部へ報告したが、数ヶ月経過した今でも音沙汰無しだった..


エリの祖母はあの日以来、心を壊していた..

夕暮れ近くなるとまだ、病の後遺症が完治していない不自由な体で、いつもエリが乗る帰宅の電車が到着する時刻に合わせて駅まで迎えに来てはエリの姿を探し続けた..

最終電車が通り過ぎるまでエリを待つ日々が続いた..

踏切側の街灯の明かりが寂しく暗がりを浮かび上がらせている..

けたたましく警報機が鳴り響いた..

赤色灯が間断なく祖母の顔を赤く染め上げた..

遮断機が片腕を下ろし反対側の腕も下ろしたようだった..

エリが死んでから毎日見送っていた最終電車が通り過ぎようとしている..

「おばあちゃん」

踏切の中からエリの声がはっきりと聞こえた..

祖母はハッとなり叫んだ

「エリ!」

必死に遮断機を潜り抜けエリの声を掴もうとした..

「キィィィ--ッ」

エリの声は切り裂くような金属音に掻き消された..

No.27 11/10/03 20:52
@白猫@ ( BGhZh )

同僚達は皆出払い、残っているのはデスクチーフと電話番兼掃除係のおばちゃんと取材アポをドタキャンされた里美だけだった..

正午の取材を終え食べようと用意していた手作りの大盛弁当だったが、キッチリ昼時の食事となった..

弁当を食べ終えたが、その後の予定もなく食後のコーヒーを飲んでいると、うつらうつらと始めていた..

「ポカン」と間の抜けた音が部屋に響いた。椅子にもたれて、だらしなく開いてた脚がビクッと跳ね上がる

口の端から糸をひいた涎を手のひらで拭いながらゆったりと振り向いた

「あ..チーフ」

トロンとした眼差しで里美は微笑んだ..

丸めた新聞紙をプルプルと震わせていたが諦めたように深い嘆息を漏らした..

「里美、取材をキャンセルされて時間を持て余してるの仕方ないけどな、もう少し女としての嗜みを持てんのか..脚までおっぴろげおって..」

もう一度嘆息を漏らすと丸めた新聞紙で頭を掻いた

里美と同じ年頃の娘を持つ父親としての感情が出てしまうのだろう..里美もよく分かっていた..

幼い頃、父親を亡くした里美も何かと口うるさいがよく面倒をみてくれるチーフに対し父親にも似た感情を抱いていた..

「ジーンズだからいいんですよ」

里美は笑うと椅子に座ったまま脚を閉じたり開いたりしてみせた

チーフは「もう何も言うまい」という顔をして新聞紙を払うように横に振った..

「ところでな、この記事について何か情報を知らないか..些細なことでも構わんが..」

丸めた新聞を広げ老眼鏡を掛け直すと隅にポツンと書かれた記事を指差した..

里美は机に広げられた新聞に身を乗り出した..

『日本で人体実験?』と小さく見出しがあった。記事には高周波や電磁波に特殊な電波を混線させ曝された者の神経細胞に直接作用し意のままに操れる研究が日本で行われている。このような内容だった..

「いえ..全然聞いた事もないけ..ど」

里美の言葉が途切れた。読み進めていくと、聞き覚えのある社名に目が止まった..里美は愕然とした

「冴子の会社だ..」

里美は両手で新聞を持ち直すと繰り返し記事を読み返した..

チーフが何か言っていたようだが里美の耳には届かなかった..

No.28 11/10/04 20:24
@白猫@ ( BGhZh )

電車で一時間程揺られると緑地公園近くの駅で降りた

数日程冷たい風が吹いていたが久しぶりに暖かな日となった..

日曜日の午後も重なったためか親子連れや恋人達の姿も目に留まった..

公園の縁道を沿うように歩いて行くと真っ直ぐに並んだ銀杏の並木道へと続いていく..

銀杏の葉はすっかり黄金色となり通り風に煽られるとハラハラとレンガ敷の歩道へ落ちていった..

涼子はそんな静かな光景に安らぎを覚えながら美術館の扉を開いた..

館内には有名な美術品などは展示しておらず新進気鋭の美術家達の作品が並んでいる..

作品は多種多様で絵画はもちろん陶器や書道なども飾られている

展示品は毎月ごとに入れ替えを行うらしく先月に里美と一緒に鑑賞したときの作品は展示されていなかった..

涼子はいくつかに分けられた小さなテーブルに置かれている陶器を眺めていた..

お世辞にも美術品とは呼べないような作品もあったが、そのどれにも強く溢れ出すような力を涼子は感じていた..

泉のように湧き出す力に魅入られたように目を離さず少し前屈みになり、ゆっくりと回り込むように歩いた。「あっ..」という声と同時に隣りの女性にぶつかった

「ごめんなさい」

涼子は前屈みの姿勢を更に屈めて謝った

相手の女性も涼子と同じタイミングで頭を下げたため、今度はお互いの頭を「ゴツン」とぶつけてしまった..

「アイタタ..」

二人とも頭をさすりながら顔を見合わせた..涼子が申し訳無さそうに頭を下げようとすると、女性は

「もう、やめとこう」

と手のひらで制した。改めて二人は顔を見合わせると吹き出した..

『この方..私の知らない人じゃない..』

涼子はこの女性に何かを感じていた..

「ごめんね」

女性は軽く微笑んで通り過ぎようとしたとき、館内いっぱいに大声が響き渡った..

「涼子!冴子!」

二人は同時に声の主へ振り向いた..

「里美..」

二人は呟くと驚くようにお互いの顔を見つめ合った..

里美は警備員から厳しく注意を受けて小さくなっている..

No.29 11/10/06 20:24
@白猫@ ( BGhZh )

「でも驚いたなぁ..」

里美が細いグラスに注がれた六杯目のドイツビールで喉を潤した

美術館で偶然に出合った..いや必然的に巡り合わせた三人は、この日を記念すべき日として里美の行き着けのカフェ・バーで日も暮れぬ時間から祝杯を上げていた..

「ほんとね..里美が涼子ちゃんと幼なじみだったなんて」

冴子は美術館での出来事を思い出しながら涼子に笑いかけた..

「でもさぁ、涼子は冴子の顔は知らなかったけど名前は知ってたんだよ」

里美がニヤリとする

「え?」

冴子は口に運びかけたグラスを止めた

里美は涼子と美術館に来た日の帰り道の話しを聞かせた..

「涼子ちゃん..不思議な力があるんだ..」

冴子はいつかの公園で知り合った初老の女性のことを、ふと思い浮かべたが、その女性と涼子が結びつかなかった..

涼子は里美から聞いた話しで冴子の波長と公園で母親が出会った女性の波長が同一人物のものであると確信した..そして、里美が銀杏の並木道で恐る恐る見守る中、精神を集中させていると八波冴子の名前が脳裡に浮かんだのだった..

「冴子さん、そんなに驚かないで下さい..偶然ですよ」

涼子ははにかんだが、母親のことは話題から外していた..

三人のそれぞれの思い出話に華が咲いた。ふと窓ガラスに目を向けると、とっぷりと陽がくれている..

そろそろ腰を上げる準備を始めると赤ら顔の里美がまだ飲み足りないのか二人を引き留めようと、ろれつ回らない舌で必死で何か話題を持ち上げてくる..

「里美、あんた飲み過ぎよ!涼子ちゃんと私は帰るから一人で飲んでなさいよ」

「じゃあね」と冴子が伝票を取り立ち上がりかけたとき、里美が虚ろな目で「あ..そうだ」と呟いた..

冴子と涼子は浮かしかけた腰を途中でとめた..

「冴子..あんたの..会社ってさぁ..何か..実験してる..会社な..の?」

そう呟き終えると里美はコクリと首を落とし静かな寝息をたて始めた..

冴子は一度に酔いが醒めたような真顔になり椅子に座り直すとピタピタと里美の頬を叩いた..

No.30 11/10/08 17:43
@白猫@ ( BGhZh )

伊島は倉庫室へと続いている狭い通路を腕組みをして一歩一歩考えるように足を運んでいた..

一号棟の鑑査員..いや実験体が最終段階に入り相次いで思わしくない結果となっていた..

野中数馬と水戸エリの件は実験の副作用による死亡ではないと社長には報告していたが、倉庫室で鑑査員から報告を受ける前に行っている『儀式』のデータから、死亡する一ヶ月程前から不安定な精神状態である兆候がみられていたのだ..

『やはり..一号棟の実験体のデータが完全に揃うまで量産化に踏み切らなければ良かったのか..』

黒革張りの椅子に座ると両手で頭を抱え込み二号棟のガラス張りの研究室を思い浮かべた..

「教授..コーヒーをどうぞ」

顔を上げると助手が細い指先を揃えながら机にコーヒーカップを置いた..

伊島は細い指先から少しずつ助手の顔へと視線を移した..

「すまんな..君には迷惑ばかりかけてきたな..」

伊島は駆け出しの教授だった頃『特殊な電波を回線を通じて流し人間を操作する』という内容の論文を発表したが、あまりにも倫理に反しすぎると学会から異端者扱いされ永久追放されていた..

しかし、この助手だけは伊島の論文に感銘を受けて科学者として将来有望とされていた地位をあっさりと捨て、伊島に師事したのだった..それから二十年の歳月が流れていた..

伊島は助手の長い髪に混じる白い髪を見つけると目を細めた..

『まだ女として別の道を選ぶこともできるだろうに..』

伊島は自分を哀しそうに見下ろしている助手と目が合い居たたまれない気持ちになった..

「教授..そのようなことは..」

助手は僅かに頬を朱に染めると身じろいだ

「君とは二十年来の付き合いだが..師事されるような教授ではないな..」

伊島は苦笑した

「争いの無い世界を築く為の研究のつもりだったが..いつの間にか軍事目的の研究となっていた..」

「教授..」

「はは..すまん。愚痴になってしまったな」

伊島は空気を変えるように「トン」と万年筆で机を突いた

「すまんが、一号棟鑑査員の八波冴子の詳しい資料を用意してくれ」

助手は深く頭を下げると無駄のない動作で部屋を出た

『八波冴子..か。彼女だけが副作用の兆候が未だにない..他の鑑査員にはみられない原因不明の微弱電流が計測されている..調べる必要があるな..』

伊島は八波冴子の顔を思い浮かべようとしていた..

No.31 11/10/16 21:18
@白猫@ ( BGhZh )

酔いどれた里美の話しではあったが、冴子にしても一般的な会社にしては不自然に思える点が、いくつかあった

まず、会社自体が総合商社というだけで、具体的に何を扱っているのかが分からなった

入社時に社長の御座なりの挨拶があったが、仕事に関わる話しは一切なかった

社辞が終わると、各担当者に連れられて、淡々と業務内容を告げられただけだった

ビルの規模と従業員の数が不釣り合いに思えた。それに、この程度の従業員数であれば鑑査員の必要性など無いはずだ

そして、伊島の存在だ。依頼された調査内容はこれまでに社内不倫や横領、自殺の動機等が主だった

それ程、機密性を求められる内容だとは思えなかったが報告の度に緻密なライフデータを記録されるのは不可解だった。まるで尋問を受けているようだ

冴子は誰もいない社員食堂でボンヤリと考えていた

「ワッ!!」

声と同時に後ろから肩を両手で叩かれた。ピクリと体が反応したが振り向かず、そのままの態勢で後ろの気配を探った

「どうしたの?顔色悪いよ?」

「理沙子..」

理沙子は窓際に並んだ白いテーブルにコーヒーを二つ置くと冴子と向かい合わせに座った

「うん、ちょっと頭が痛くて..理沙子どうしたの?」

冴子は壁に掛けられた時計に目を向けた

「書類を総務課に届けにね。廊下から冴子の姿が見えたから」

理沙子は右手に持った書類をヒラヒラして見せた

「そう..」

冴子は刺されるような頭痛に堪えながら微笑んでみせた

「ねぇ、西原麗華が昇進するって知ってる?」

「え!?」

理沙子は人差し指を唇に当てるとチラッと周囲を見渡した

「総務の課長補佐になるそうよ。週末には辞令があるって」

西原麗華..堀本と共謀し水戸エリを死に追いやった張本人だ。冴子は二人の関係を調べ上げ鑑査部へ報告していたが、音沙汰無しだった

「それに、堀本って男が西原の直属の部下になるんだってよ」

「堀本..」

冴子は突然起こり始めた異変に、得体の知れない何かが蠢き出したように感じた

『そうだとしても..私に何ができるだろう』

底のない泥沼で必死にもがきながら沈み込んでいく自分が目に浮かんだ

「冴子!」

何度も呼ばれていたようだ。顔を上げると理沙子が心配そうな表情を見せた

「じゃ、行くからね」

理沙子の背を見送っていると肩から黒い糸がうっすらと見えた

「頭痛のせいだ」

冴子は瞼を閉じた..

No.32 11/10/19 20:43
@白猫@ ( BGhZh )

「西原麗華、本日を以て総務課課長補佐とする」

午後から辞令を渡されると知って西原麗華は歓喜におののいていた..地下一階の倉庫室に来るように指示があり訝しんでいたが、社印入りの辞令書を渡されると、そのような疑念は消え去っていた

「私が課長補佐..」

この会社に就職して二年が過ぎようとしていた。学生時代からモデルや芸能関係者等のスカウトは引く手あまたであったが、麗華は全く相手にしなかった..『モデルや芸能人の寿命なんて高が知れてる。一生喰らいつけなきゃ意味がないんだよ』麗華は常々こう考えていた

向学心は無いが、人一倍プライドが高く虚栄心の強さも並ではない自分が生き抜いて行くには、この人並み外れた端麗な容姿を武器にするしかないと本能で感じていた

「まぁ、ゆっくりしなさい」

伊島は白衣を脱いで助手に渡すと深々と椅子に腰を下ろした

「西原君..実はね、課長補佐というのは表向きの肩書きでね..君には鑑査員という職種に就いてもらいたいんだ。極秘にね..」

「え..?」

麗華に椅子へ座るよう手を差し出した

「鑑査員..」

麗華は水戸エリが口走った言葉を思い出していた

「そう..まぁ、言わば社内のスパイ..だが、社内の秩序を維持するための必要悪と考えてもらえればいい..」

「...」

助手は二人の前にコーヒーを並べると伊島の斜め後ろへと下がった

「どうかね?勿論、鑑査員としての報酬は給与とは別だ。一年もすれば一生働かなくても暮らせる額になる..」

「やります。何でもします」

麗華は感極まり、震える唇でようやく返事をした

「そうか、よかった。詳細は後日、助手の萩原から訊いてくれたまえ。では仕事に戻っていいよ」

「助手の萩原祥子です」

祥子が微笑んで頭を下げた

麗華は軽く頭下げると真っ直ぐドアへ向かった

「教授、なぜあの子を..」

美貌と若さを持つ麗華に嫉妬したのだろうか、祥子の言葉には侮蔑の色がうっすらと滲んだ

「あれはな..西原麗華の名を耳にすると、まるで反応するかのように、八波冴子が原因不明の微弱電流..いや、特殊なエネルギーを発していることをライフデータから分析したんだよ」

伊島は冴子のデータから、西原麗華にも冴子のような特殊なエネルギーがあるのではないかと推測していた

「そうでしたか」

「『儀式』をせんことには分からんがな..」

祥子の表情が和らいだように見えた..

No.33 11/11/05 01:16
@白猫@ ( BGhZh )

雪で埋もれた石段が、山の頂上まで続いている

数時間前には、石段の中央に小柄な足跡が残されていたが、数十分も経たない間に、ふんわりと真綿を敷き詰めたように足跡は消えた

涼子は菩提寺である光尊寺で禅を組んでいる

灯火ひとつない、御堂の板の間は、まるで凍りついたようだった

「ふぅ..」

涼子は静かに息を吐き出した。青白い満月に白い息が吸い込まれていった

『冴子さんの能力が強くなってきている..』

涼子は美術館で冴子と出会ってから、里美も交え三人で行動をする機会が多くなっていた。里美から訊いた、冴子の会社で行われているという『人体実験』の話し以来、冴子の身を案じ、密かに波長を共有できるように『印』を放っていた


眼前に鎮座する不動明王を見るともなく半眼に映し出していると、みしり..みしり..と廊下から足音が近付いてきた

「涼子殿、熱い茶でも如何ですかな」

月明かりが盆を抱えている住職の影を涼子の膝まで運んだ

「有り難く頂戴致します」

涼子は手早く袴を捌くとスススッと廊下に出た

「近頃は顔色も良く、力も安定しているようですな」

八十は既に超えているはずの住職であったが、茶を飲む仕草や矍鑠とした口調からは、まだ六十に見えなくもなかった

「はい..時折、御寺で禅を組ませて頂くようになってからは、力も安定できるようになりました」

涼子は手のひらで包むように茶を啜った

「それは良かった..じゃが..」

「シュッ」と住職の気合いと共に涼子の肩から煙りのような物体が現れて消えた

「じゃが、下等な憑き物に好かれているようじゃ」

住職は前歯の抜け落ちた口を開き二カリとした

「フフ..ええ、どうやらそのようです」

涼子は茶を飲み干すと盆に湯のみを戻した

「涼子殿、このような老いぼれじゃが、何か力になれる事があれば、何時でも言って下されよ」

そう言い残して立ち上がると、盆を抱えみしりみしりと軋ませながら廊下を歩いていった

住職の後ろ姿に頭を下げると、廊下に正坐したまま冷気に身を委ねた

「ウッ」

涼子は低く呻くと、こめかみを押さえた

『まただ..冴子さんの波長を拾うと頭に鋭い痛みが..』

苦痛に歪んだ表情が青白い光りに照らされる

閑散とした山中に音もなく舞い降りる雪の花びらが、月夜に浮かんでは消えた


No.34 11/11/06 01:10
@白猫@ ( BGhZh )

「マズいな..」

伊島は二号棟から送られてきたデータに素早く目を走らせながら呟いた

一号棟の鑑査員を実験体として数年間、観察してきたが異常は見当たらなかった

しかし、ここ数ヶ月の間に実験体の鑑査員に副作用と見受けられる兆候が現れ始めたのだ

十四人の鑑査員の内、二人は不慮の事故死であったが、八波冴子を除く十一人は、常軌を逸する程の精神状態となっていた

「教授..十一人の鑑査員の二号棟への搬送が完了しました..」

「ご苦労..社内に不穏な空気が流れぬようにな..」

伊島は顔を上げず、デスクに並べた資料とデータを見比べている

「はい。出張や転勤という形で扱いましたので暫くの間は..」

伏し目がちに祥子が応えた

「それから..八波冴子と西原麗華のライフデータの照合結果が出ました」

伊島は差し出された書類を奪い取るようにして、二枚のデータを見比べた

「やはりな..八波と西原は同質の人間だ。おそらく副作用は現れないだろう..この二人だけは抗体となる物質を宿している..それを突き止め抽出し培養すれば実験は成功するはずだ..」

伊島は祥子に顔を向けると確信したように頷いてみせた

「しかし教授..西原麗華はともかく、八波冴子は金銭で動く人間では有りません。ましてや出世欲等も皆無のようですが..」

「そのようだな。倉庫室で報告を聞いている頃から感じていたよ」

伊島は懐かしさを思い出すように目を細めた

鑑査員の大半が実験の遺物となった今では、内部調査という建前でライフデータを採取する意味も無くなっていた。冴子と麗華の二人に的を絞るだけでよかった

そのため、内部調査の依頼も必要としなくなっていたが、鑑査員としての報酬は従来通りの額を渡していた

「それでは..西原麗華から始めてもよろしいでしょうか」

祥子が確認するように訊ねた

「そうしてくれ..それから報酬は倍にな。今の内に楽しんでいてもらおう。この実験が終了する頃には..」

伊島は言葉を継ぐ代わりに暗く沈んだ表情をうつむかせた

「分かりました」

踵を返した祥子の白衣がフワリと翻った。伊島は見るともなく祥子の後ろ姿を見ていた。細めの脚が一瞬立ち止まり、背中で視線を探るようにして扉が閉まった

「もう少しだ..」

声にならない声が伊島の耳元で囁いているようだった

No.35 11/11/07 22:15
@白猫@ ( BGhZh )

夕暮れ時の街に吹き抜けた木枯らしが、家路を急ぐ足並みを、せき立てている

遡上する魚のように、女は流れに逆らい、ゆっくりとした足どりで歩いていた

「あら..」

女は立ち止まり、賑やかなネオンの影に隠れた、路地裏へ足を運んだ

「ニャァ..」

屈んで両手を広げると、ゴミ袋を弱々しく漁る小さな猫が、頭をこすりつけてきた

「ご飯がないのね..」

サンドイッチの残りを足下に置くと、女の顔を盗み見るように、少しずつ食べ始めた

「美味しい?」

これが二人の人間を死に追いやった者とは思えない程、慈愛に満ちた眼差しだった

「クソをするから猫にエサを与えるな..か。あんた達も一日一日を必死で生きてんだもんねぇ..勝手に作り上げた人間のルールなんか笑っちまうよねぇ..」

麗華は片肘を付き、野良猫が食べ終えるのを見届けると、人混みへと戻った

身に付けている物は、スーツから小物まで、高級品であったが、蓮っ葉な仕草と際立った容姿がことさら人目を惹いた

「麗華」

後ろから聞き慣れた声がした

麗華はわずかに視界に入るまで振り返ると、直ぐに何もなかったように歩き出した

「まてよ」

男は前を歩いていた三、四人を突き飛ばすと、麗華の肩に並んだ

「堀本、あたしはもう、昔の立場とは違うんだよ..気安く声掛けるんじゃないよ」

麗華は前を向いたまま、チラリとも見ずに言い放った

「恐い恐い」

堀本はおどけて見せたが、冷たく歪んだ唇に麗華は気付いていない

「それと..昇進の話がまたあるんだよ。」

「あ!?この前、課長何とかっていうのになったばかりでか?」

「課長補佐」

訝る堀本を侮蔑するように言った

「あぁ、次は課長を跳んで部長だよ」

不適に笑う麗華に、堀本は得体の知れない不気味さを覚え始めていた

「だけどさぁ、何か研究部門に転属する事が条件らしいんだよ..まぁ、内容は実験の簡単なお手伝いらしいけどね」

あまり気乗りしないのか、嬉しそうに話すでもなく、愚痴のようにも聞こえた

「でも、部長クラスになれば、金はいいんだろ?」

堀本は金銭的な面にしか興味がないらしい

「まぁね。今までの倍額は保証してくるって話しだった」

麗華はセカンドバックを大きく振り回すと、ポッカリと四角く切り取られた夜空へ放り投げた

「もう少しよ..」

堀本は落ちてきたバックを慌てて拾うと、麗華の後を追った

No.36 11/11/27 20:22
@白猫@ ( BGhZh )

「冴子..元気でね..」

「理沙子もね..」

二人は、お互いに握り合わせた手を見つめながら、別れを惜しんでいた

一号棟では新たに研究部門が設けられていた。その、研究部部長の西原麗華が、「採算の見合わない部課は見直しを図り統廃合するべきだ」と着任早々、伊島へ掛け合った

伊島は、解雇する事は簡単だが、万が一にも訴訟でも起こされると、密かに行われている実験が、明るみに出てしまう事を危惧し、二号棟への転属か、自主退社の選択肢を与える事にした

二号棟での業務が今までとは全くの畑違いだと知り、自主退社の選択を選んだ者がほとんどであった

理沙子も自主退社を選んだ一人だった

「この会社..どうなっちゃうのかな」

理沙子は高校を卒業して二十年間、勤めた職場をぐるりと見回した

「冴子はどうするの?」

うっすらと潤んだ理沙子の瞳が、ビルに沈みかけた夕陽を受け止めている

「私は..」

冴子の所属する情報集積部も、裏の鑑査部でさえ例外なく、統廃合リストに上げられていた。大幅な人員削減がなされた今、社内を監視する必要性はなかった

「私は..新しい研究部門で頑張ってみる」

冴子は視線を上げて、夕陽を背にした理沙子に微笑んだ

「そっか..冴子なら大丈夫だよ」

「理沙子..今までありがとう」

冴子の頬に伝うものを、オレンジ色の光がキラキラと染め上げていた

「冴子、じゃあね」

「じゃあね」

理沙子は微笑むと、纏めた荷物をゆっくりと持ち上げた

「見送りはここまでにしてよ。泣いちゃいそうだから..」

理沙子はドアの前で立ち止まると、今にも崩れそうな表情で振り返った

「う、うん。わかった..」

逆光で冴子の頬を伝う涙が黒い生き物のように見えた

主を失ったデスクは、遠ざかる足音をいつまでも聴いているようだった

冴子は転属の意向を伊島に伝えると、西原麗華に会うように促された

エレベーターに乗り九階のボタンを押した。以前は人事部だったフロアーだが、ドアの上に掲げられたプレートには『第一実験室』と真新しく書き換えられていた

冴子はノックしてドアを開けると、異様な光景に戦慄を覚えた

「ア・ナ・タ・ヤ・ナ・ミ・サ・ン?」

眉間の辺りからパックリと頭蓋骨が取り外され、剥き出しになったピンク色の脳が視界に飛び込んだ

それは、計測器と繋がった無数の針を突き立てられ、変わり果てた西原麗華の哀れな姿だった

No.37 11/11/28 21:05
@白猫@ ( BGhZh )

西原麗華は冴子の名を呼び終えると、糸の切れた人形のように、ゆっくりと微笑みを見せた

「顔くらいは見た事があるかもしれんが、第一実験室部長に着任された西原麗華部長だ」

伊島は揃えた指先を麗華に向けると、慇懃に一礼をした

「ばかな..なんて酷い事を..」

冴子は今も目の前の光景を信じられずにいた。頭を半分切り取られ、脳を剥き出しにされた人間がいる。生きた人間がだ。

「何のために..こんな..」

冴子は麗華から目が離れなかったが、哀しそうにゆっくりと、俯き始めた麗華を見ていられず、伊島へ憎悪の視線を射放った

「何のために?決まっているじゃないか。世界人類の平和のために..と、言いたいが、それが、つくづく無駄だという事がわかったよ..。個人の力だけでは、国と政治にいいように利用され、金や利権の餌にしかされない」

伊島からは、欲望や名声を欲しているとは思えなかった。純粋に世界人類のためにと、続けてきた研究が十分に軌道に乗ったことを見届けたところで、今まで研究費等を寄付してくれた国や機関が手の平を返したように、研究を断念するか、それとも兵器開発へ協力するかを迫られたのだった。

研究も軌道乗り、志半ばで、長年の研究を断念できる者などいるはずがない。伊島も例外ではなかった

「伊島さん..あなたがどんな辛い経験をされたかなんて、私には分からない。だけど、彼女は..」

冴子は言葉が詰まった。野中数馬と水戸エリが脳裏に浮かんでいた。これは当然の報いではないだろうか..しかし

伊島は冴子の心中を見透かしたように、冷たい笑みを見せた

「彼女は野中数馬と水戸エリを死に追い込んだ。当然の報いではないか?」

伊島は人形のように椅子に座っている麗華を一瞥した

「やっぱり知っていたのね。だからと言ってあなたに彼女を裁く権利はない!法に裁かれるべきではないですか!」

ピクリと反応した麗華を見ると、右目から一筋の赤い涙がスーッと頬を伝い落ちた

「ゴ・メ・ン・ナ・サ・イ」

麗華は、あらゆる神経が崩壊しつつあった。無表情のまま右頬を伝い落ちた赤い涙が、純白の実験衣を赤く滲ませていた


計測器が慌ただしく警報を鳴らし始めた

「教授!」

祥子が麗華の脳に突き立てられた針を無造作に引き抜いていった。針を引き抜かれた麗華の脳から脈を打つ度に、鮮やかな血が吹き出したが、やがて麗華の鼓動と共に静かに止んだ

No.38 11/12/09 22:20
@白猫@ ( BGhZh )

「失敗か..」

滴り落ちる赤い血が麗華の足下に僅かな波紋を描く。伊島は暫く骸となった麗華を見つめていた

「教授..もう、これ以上は..この研究は無理ではないでしょうか..」

祥子は麗華の頭から抜き取った電極を茫然と握り締めていた

「は、萩原、な、何を言っている」

これまでの日々は、心のどこかで研究の失敗を認めようとしない自分との闘いだった

萩原祥子も、そんな自分見守ってくれている唯一の理解者だと信じていた。

伊島が避け続けてきたものを、唯一の理解者が認めてしまった。まるで最後の砦が少しずつ崩落していくようだった

「教授..もう、終わりにしましょう」

祥子の肩が震えている

「八波さん..警察に連絡をしてちょうだい」

祥子はガクリと膝を落とし、青白い麗華の手を握り締めた

冴子が静かに頷いて携帯に手をかけようとした時、人間のものとは思えない不気味な哄笑が響き渡った

「ハハハハ!馬鹿な事をするな。まだ素晴らしい実験体がここにいるではないか!」

冴子を見据えた伊島の眼は常軌を逸していた。

伊島はフラフラと実験台に近づくと無影灯に照らされた切断ナイフを手に取った

「ヒヒヒヒ..」

ゆっくりとドアを背にするように伊島は回り込んだ

冴子は伊島から目を逸らさずに、同じ歩調で間合いをとろうとしていた

「あっ」

麗華の足首から滴り落ちた血溜まりが、まるで黒い糸にでも絡みついたように冴子の足下をすくった

「ヒーッ!」

伊島は奇声を上げながら倒れ込んだ冴子にナイフを振りかざした

「ウッ」

低い呻きと赤黒い液体が白衣を見る間に変色させていく。祥子が冴子を庇っていた

「萩原さん!」

祥子は腹に突き立てられたナイフの柄を手の平で包んだ

「八波さん..こ、こんな事に..巻き込んでしまって..」

祥子の顔が苦痛に歪んだ

「何も喋らないで!」

冴子は自分の左の袖を引きちぎりると、祥子の腹部に押し当てた

「伊島さん!早く救急車を!」

伊島は真っ赤に染めた両手を見つめているだけだった

「チッ」

舌打ちすると冴子は腹部から手を離し、血で濡れた指先で携帯に手を伸ばした

「ドンッ」ドアが蹴り開かれた

「麗..麗華ァァァッ!」

力無く麗華に歩み寄ると、堀本は真っ赤な人形を抱きすくめ嗚咽した。そして静かに立ち上がり、伊島へ視線を移した

まるで幼子のように呆けた笑顔を伊島は見せていた

No.39 11/12/10 19:56
@白猫@ ( BGhZh )

「ウォォーッ!」

堀本が叫びながら伊島に飛びかかる。伊島は押し倒され、首を絞められた

「麗華を..麗華をこんな姿にしやがって!」

堀本の指がミシミシと伊島の喉に食い込んでいく。顔が青黒く変わり始めたが伊島は笑っていた

「やめなさい!」

冴子は祥子の傷口を押さえながら何度も叫ぶ

少しでも力を緩めると指の間から血が溢れてきた

「クッ..」

あの突き刺さるような激しい頭痛が冴子を襲った

『こ、こんな時に』

両手で頭を抱え込みそうになったが、必死で耐えた。冴子の額から苦悶の汗が流れ落ちる

祥子の顔や指先が土気色に変わった。冴子の意識が薄れ始めた。

「や..やめな..」

薄れ行く意識の中で冴子の眼には、伊島と堀本が、まるで黒い糸で幾重にも巻かれた繭のように映っていた

「く..黒い糸..」

冴子は、いつかの公園で出会った初老の女性を思い出していた。『あなた..強くなってきてるわね..』これが全ての始まりだったのかもしれない..ほんの一年前の事が、遠い昔のように感じた

「印..」

呟くと朦朧としながら、右手で祥子の傷口を押さえ、左手を堀本の背に向けた。残った力を振り絞り、全生命力を集中すると、両手の指先が灼けるような熱さを孕んだ

自分ではない何かの力に導かれるように冴子は印を放った。刹那、雷撃のような閃光が堀本の背中を貫いた。ビクンッと背が反り返り、伊島の首から両手が離れた。

「ドスンッ」堀本の体が硬直したまま、仰向けに倒れるのを冴子には分からなかった。

遠くからパトカーやサイレンの音が近づいてくるようだった。階下からは大勢の足音や怒号が騒々しく響き渡ったが、冴子の耳には入らなかった..

右手に付いた血糊はバリバリになっている。祥子の出血は止まっていた


まるで海原をフワリフワリと漂っているように心地よかった。何度か名前を呼ばれた気がしたが、

『もう、そっとしておいてほしい..』

冴子は誰に言うでもなく呟いた。そして、静かに体が傾いていくのを感じていた..

No.40 11/12/11 10:07
@白猫@ ( BGhZh )

あれから数ヶ月が経った

堀本は警察に連行され、一連について全て話した。水戸エリの件も自白したという

伊島は警察病院へ収容されたが、とても話しができる状態ではないらしい

萩原祥子は一命を取り留めた。あと少し出血があれば、生きてはいなかったそうだ。救急隊が駆け付け、傷口を見ると焼けただれたように塞がっていたという

時を待たず、二号棟にも強制捜査が入った。罪のない多くの者が保護された。地元住民達は『街のシンボルタワー』とまで呼んでいただけに、実情を知らされると全員の顔が青ざめた。ビルは廃墟となり撤去する話しも出ていない

穏やかな日曜日の午後、威勢のよい大声が聞こえた

「ベール・エールの1pint三つね」

カウンターで里美が代金を支払い戻ってきた。このカフェ・バーは前金制で飲み終えたら、勝手に出て行ける

「はい、お待たせ」

里美が手際よくビールとナッツを冴子と涼子の前に置いた

「それでは、冴子の復活を祝して、カンパーイ!」

『カチン』グラスの触れ合う音が三人には特別なもののように聞こえた

「ぷはぁ」

一気にグラスを飲み干すと里美が至福の溜息を漏らした

冴子と涼子もチラッと周りに目を向けると、一気に飲み干した

「ぷはっ」

里美が目を丸くして見ていると、三人の目が合い破顔一笑した

救急隊が駆け付けた時に、冴子は意識がなかった。ビルから運び出される冴子に里美と涼子が駆け寄り名前を呼び続けた。周りはパトカーやマスコミでごった返していた

「里美、友達は無事か!」

「わからない!チーフ、私一緒に病院に行く!」

「よし!後は任せろ」

里美と涼子は冴子の手を握り締めた。冴子の危機を感じ取ったのは涼子だった。冴子の波長に重なった時、今までにない突き刺さるような頭痛に襲われると、窮地に追われた冴子の姿が浮かんだ。涼子は里美に連絡し、里美がこのネタを報酬に上司から、各方面へ手配してもらえるように頼んだのだ

テーブルには、いつの間にか所狭しとグラスが並んでいた。その内涼子がシクシクと肩を震わせ始めた

「ちょ、ちょっと涼子どうしたのよ」

涼子はハンカチを取り出すと下を向いて涙を拭っていたが、肩の震えが治まると堰を切ったように大声で泣き出した

「だって、だって..」

『うわぁん』とまた始めた

冴子と里美は顔を見合わせると、笑い出した。三人の顔はビールと涙で、ぐしゃぐしゃになっていた

No.41 11/12/11 11:15
@白猫@ ( BGhZh )

エピローグ


冴子は郷里へ戻り、両親の営む民宿を手伝っている

両親は涙を流しながら喜んでくれたが、次の朝には溜まりに溜まったお見合い写真をドサリと笑顔で冴子の前に山積みにした

冴子は、『まな板の上の鯉..か』と呟くと、乗り気ない表情でペラペラと捲り始めた

里美は相変わらず、のらりくらりとスポーツ記者をしていたが、ここぞと言う場面では、なかなかの手腕を発揮する事を見込まれ、父親のように慕っていた上司が退職すると、後釜としてチーフに抜擢された。イヤイヤながらに就いたポストであったが、部下にも慕われ業績も順調だという

涼子は勤めていた派遣会社の事務員を辞め、『のんびりやっていこう』と、昔ながらの辻占いを始めたらしいが、『ここの占いは当たる』と評判になり、毎日、引きも切らぬ行列にフラフラになっていた。涼子の持つ類い希な能力からすれば、占いなど稚戯にも等しかったが、開店当初から、この盛況ぶりは不思議に思っていた。実は里美が親切心から、小さな記事に取り上げていた事を涼子は知らない





機内放送が天候不順を告げた

「社長..ロスまで後、二時間です」

アルマーニに身を包ん隣の男に理沙子は低い声をかけた

「そうか」

目を擦ると小さな窓に顔を寄せた。朝陽が地平線に曲線を覗かせていた

「伊島のプロジェクトが壊滅し、警察やマスコミが騒いでいますが..処理はどう致しますか」

囁くように理沙子が耳元へ口を寄せた

「フンッ、お前に任せる。金はいくらでも使え」

「承知しました」

理沙子の左肩から黒い糸が、ほつれたようにゆらゆらと漂っている





優しさとは何だろう。思いやりとはなんだろうか..愛する人や大切な人だけに与える優しさ、思いやりは本物なのだろうか..信じていいのだろうか..分け隔てなく与えられる者こそ、真の優しさを持つ人間ではないだろうか..

しかし誰も真の優しさを探そうとはしない..自分に与えられる優しさだけが本物だと信じているのだから..


それぞれの宿した黒い糸が、ゆっくりと空へと昇っていく..自らの命と引き換えにして..





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