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🎭ある暗黒卿の気紛れな呟きⅡ🎵+⚡✒🐱

No.243 19/09/28 15:45
メッテルニヒ=パレオロゴスAUT ( 40代 ♂ MLdWxe )
あ+あ-

≫242

勿論、ローマ皇帝も3世紀の大混乱期を収拾させたディオクレティアヌスあたりから、第一の市民ではなく、ペルシャの影響でオリエント的な絶対君主(=神)になる。
この絶対君主時代でも元老院は普通にあったが、とにかく議員も皇帝に友みたいに話し掛けられなくなり、皇帝の面前で跪拝しなければならない状態に。

ただディオクレティアヌスが皇帝を神と崇めさせる事で新たなローマの秩序作り、帝国に活を入れようとしたのに対し(それゆえ彼は絶対に皇帝を神と認めないキリスト教徒の大迫害を行った)、次のコンスタンティヌスはこれまたディオクレティアヌス後の内乱を全て鎮圧し、唯一の皇帝に成ったわけだが、自分を神だと言うよりキリスト教を公認し優遇し、自分は唯一の神から地上における統治を任された絶対君主であるとの、王権神授説の元祖となった。

この辺りは前スレや他の昔のスレ(ローマ帝国)に詳しく書いた。

さてコンスタンティヌスは、首都をビュザンティウム(後にコンスタンティノープルと呼ばれる)に移したが、その時、元老院も連れて行こうとしたが、さすがに多神教の古いローマの伝統を誇る議員らは拒否した。
そこで彼は新都に新たな元老院を作り、議員も新たに任命した。ローマ側の古い元老院がこれをバカにして笑ったのは言うまでもないが。

このように元老院は共和制、帝政関係なくローマ帝国には絶対必要なモノであった。だから後にローマ帝国が東ローマ帝国になり、ますます皇帝や宮廷の権力が増しても、コンスタンティノープルに元老院は存在した。例え御飾りに過ぎなくなっていても。

また帝政になっても初代アウグストゥスから6世紀のユスティニアヌス、更に7世紀初めまで地方の統治は、文官(貴族、元老院議員など)である総督が行い、武官(将軍)はその地の軍団の指揮官という二分策を取ってきたが、7世紀にイスラムが現れ帝国領土のかなりを奪う危機を機会に、テマ制という総督が将軍を兼ねる体制に変わる。

更に11世紀からはプロノイア制に。

ただいずれの場合も、帝政ローマ(東ローマも加える)の1400年の歴史で、皇帝のかなりが暗殺されており、ローマの支配は大衆には平和と文明をもたらしたが、皇帝には血生臭い、極めて危険なモノだったとは皮肉だ。

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